戸別訪問禁止合憲判決
上告審判決

公職選挙法違反被告事件
最高裁判所 昭和55年(あ)第874号
昭和56年6月15日 第二小法廷 判決

上告申立人 検察官

被告人 甲野ハルミ(仮名) 外1名
弁護人 上田誠吉 外27名

検察官 瀧岡順一

■ 主 文
■ 理 由

■ 検察官の上告趣意
■ 弁護人諫山博外11名の答弁書
■ 弁護人上田誠吉外12名の答弁書


 原判決を破棄する。
 本件を広島高等裁判所に差し戻す。

[1] 本件各公訴事実(被告人甲野ハルミについては訴因変更後のもの)の要旨は、
 被告人甲野ハルミは、昭和51年12月5日施行の衆議院議員総選挙に際し、島根県選挙区から立候補した中林よし子に投票を得させる目的で、同月3日頃、同選挙区の選挙人方5戸を戸々に訪問して同候補者のため投票を依頼し、
 被告人乙山秋子は、右選挙に際し、同様の目的で、同月1日頃から4日頃までの間、同選挙区の選挙人方7戸を戸々に訪問して同候補者のため投票を依頼し、
もつていずれも戸別訪問をした、というのである。
[2] 原判決は、被告人両名が戸別訪問をした事実を認めることができるとしながら、戸別訪問の禁止が憲法上許される合理的で必要やむをえない限度の規制であると考えることはできないから、これを一律に禁止した公職選挙法138条1項の規定は憲法21条に違反するとし、同じ結論をとり被告人両名を無罪としていた第一審判決を維持し、検察官の控訴を棄却した。
[3] 検察官の上告趣意は、原判決の判断につき、憲法21条の解釈の誤りと判例違反を主張するものである。

[4] 公職選挙法138条1項の規定が憲法21条に違反するものでないことは、当裁判所の判例(最高裁昭和43年(あ)第2265号同44年4月23日大法廷判決・刑集23巻4号235頁、なお、最高裁昭和24年(れ)第2591号同25年9月27日大法廷判決・刑集4巻9号1799頁参照)とするところである。
[5] 戸別訪問の禁止は、意見表明そのものの制約を目的とするものではなく、意見表明の手段方法のもたらす弊害、すなわち、戸別訪問が買収、利害誘導等の温床になり易く、選挙人の生活の平穏を害するほか、これが放任されれば、候補者側も訪問回数等を競う煩に耐えられなくなるうえに多額の出費を余儀なくされ、投票も情実に支配され易くなるなどの弊害を防止し、もつて選挙の自由と公正を確保することを目的としているところ(最高裁昭和42年(あ)第1464号同42年11月21日第三小法廷判決・刑集21巻9号1245頁、同43年(あ)第56号同43年11月1日第二小法廷判決・刑集22巻12号1319頁参照)、右の目的は正当であり、それらの弊害を総体としてみるときには、戸別訪問を一律に禁止することと禁止目的との間に合理的な関連性があるということができる、そして、戸別訪問の禁止によつて失われる利益は、それにより戸別訪問という手段方法による意見表明の自由が制約されることではあるが、それは、もとより戸別訪問以外の手段方法による意見表明の自由を制約するものではなく、単に手段方法に禁止に伴う限度での間接的、付随的な制約にすぎない反面、禁止により得られる利益は、戸別訪問という手段方法のもたらす弊害を防止することによる選挙の自由と公正の確保であるから、得られる利益は失われる利益に比してはるかに大きいということができる。以上によれば、戸別訪問を一律に禁止している公職選挙法138条1項の規定は、合理的で必要やむをえない限度を超えるものとは認められず、憲法21条に違反するものではない。したがつて、戸別訪問を一律に禁止するかどうかは、専ら選挙の自由と公正を確保する見地からする立法政策の問題であつて、国会がその裁量の範囲内で決定した政策は尊重されなければならないのである。
[6] このように解することは、意見表明の手段方法を制限する立法について憲法21条との適合性に関する判断を示したその後の判例(最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁)の趣旨にそうところであり、前記昭和44年4月23日の大法廷判例は今日においてもなお維持されるべきである。

[7] そうすると、原判決は、憲法21条の解釈を誤るとともに当裁判所の判例と相反する判断をしたものであつて、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。論旨は理由がある。
[8] よつて、刑訴法410条1項本文により原判決を破棄し、同法413条本文にしたがい本件を原審である広島高等裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 宮崎梧一  裁判官 栗本一夫  裁判官 木下忠良  裁判官 塩野宣慶)
目次
第一 序説
  一 公訴事実の要旨
  二 第一審判決及び検察官控訴趣意の各要旨
  三 原判決の要旨
第二 上告理由
 第一点 憲法解釈の誤り
  一 公職選挙に際しての表現の自由に対する制約原理
  二 戸別訪問禁止規定の合憲性の吟味検討
    1 合憲性判断の基準と方式
    2 禁止の目的
    3 禁止目的と規制手段との合理的関連性
    4 利益の均衡
  三 要約
 第二点 判例違反
  一 公職選挙法138条1項の規定は憲法21条1項に違反するものではないする最高裁判所の判例
  二 原判決が前記各判例と相反する判断をしたこと
第三 結語
一 公訴事実の要旨
[1] 被告人両名に対する本件各公訴事実(被告人甲野ハルミについては訴因変更後のもの)の要旨は、次のとおりである。
[2] 被告人甲野ハルミは、昭和51年12月5日施行の衆議院議員総選挙に際し、島根県選挙区から立候補した中林よし子に投票を得させる目的で、同年同月3日ころ、同選挙区の選挙人である出雲市○○町×××の×番地島根松子方ほか4戸を戸々に訪問して、同候補者のため投票を依頼し、もつて戸別訪問をなし、
[3] 被告人乙山秋子は、右選挙に際し、前同様の目的で、同年同月1日ころから同月4日ころまでの間、同選挙区の選挙人である同市同町×××番地松江梅子方ほか6戸を戸々に訪問して、同候補者ため投票を依頼し、もつて戸別訪問をなしたものである。

二 第一審判決及び検察官控訴趣意の各要旨
[4] 第一審判決は、被告人両名に対する本件各公訴事実はそれぞれこれを認めることができるとしながら、
「戸別訪問は、選挙運動の方法として、他の方法をもつて代替し得ないほどの意義と長所を有するものであり、財力のない一般国民にとつては、なくてはならない選挙運動なのである。従つて憲法的選挙運動観に立脚すれば、戸別訪問は、むしろ推奨されなければならないということができる。」
との基本的認識のもとに、独自の戸別訪問擁護論を展開し、結局、戸別訪問の全面的禁止を規定した公職選挙法138条1項、239条3号は言論の自由を保障した憲法21条1項に違反し無効であるから、被告人両名の本件各所為はいずれも罪とならないとして、被告人両名に無罪を言い渡した。
[5] これに対し、検察官は、その控訴趣意として、
右公職選挙法の各法条の合憲性については、既に法解釈として確立しており、最高裁判所の判例も一貫して合憲の判断を示しているところであり、もし第一審判決がいうように戸別訪問を無制限のものとするときは、必然的に被訪問者側の基本的人権又は社会的利益と衝突し、ひいては選挙の自由、公正、議会制民主政治の健全性にも影響を及ぼすおそれがあるので、このような弊害を防止するために設けられた戸別訪問禁止の規制は、公共の福祉のため憲法上許された必要かつ合理的なものであると解すべきであつて、第一審判決には、憲法及び公職選挙法の解釈、適用の誤りがあり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである
旨主張した。

三 原判決の要旨
[6] 原判決は、まず、戸別訪問の禁止を合憲とする最高裁判所の各判例を引用しながら、昭和44年4月23日最高裁判所大法廷判決(刑集23巻4号235頁)が言い渡されてから10年以上の時が経過していること、近時最高裁判所が憲法上保障された自由の制限の必要性及び合理性について具体的に判断・説示しているのに比し、戸別訪問禁止を合憲とする近時の最高裁判所判決は具体的判断・説示をしていないこと等から、
「戸別訪問禁止規定の合憲性については、その具体的な根拠について今一度検討が加えられて然るべきである」
と判示し、必ずしも最高裁判所の各判例に拘束されない立場を明らかにする。
[7] 次いで、戸別訪問禁止規定の合憲性の判断基準について考察し、戸別訪問の禁止は表現内容自体の規制ではなく表現の手段方法たる行動の制限であることを認めつつも、その利点として、
「戸別訪問による投票依頼あるいは政策及び特定の候補者の宣伝のための表現行為は、……少なくとも多数の国民が行いうる方法の中では簡易かつ特段の経費を要さないものであるから、容易に他の方法により代替されうるものとは思われない」
のみならず、
「戸別訪問は、通常、それ自体何らの悪性を有するものではなく、……その行動がもたらす弊害が考えられるとしても、それは間接的なものといわざるを得ない」
とし、結局、その禁止規定の合憲性の判断基準は、「単なる合理的な理由」では足らず、「合理的でかつ必要やむを得ない限度」のものでなければならないと判示する。
[8] 原判決は、右の見解を前提にして、戸別訪問禁止規定の合憲性の検討に入り、
「公職選挙法が戸別訪問を禁止した目的が、主として選挙の自由公正に対する種々の弊害を防止するためであることは疑いがない。そこで右の弊害の具体的な内容及び右の弊害の防止と戸別訪問の禁止とが合理的な関連性を有するか否かについて判断する。」
と説示し、戸別訪問を禁止する理由について遂一反論を加えたうえ、
「結局、戸別訪問を禁止した法の目的を各別に検討してみても、あるいはその目的自体が表現の自由を制約すべき根拠となり得なかつたり、あるいはその手段によりその目的を達成しうるか否かの点で合理的な関連性を欠いたり、あるいは選択された手段がその目的を達成するうえで行きすぎたりしているというほかはなく、これらを併せて考えてみても、戸別訪問の禁止が憲法上許される合理的でかつ必要やむを得ない限度の規制であると考えることはできない。」
と断じ、公職選挙法138条1項は憲法21条に違反するとする第一審判決を支持して、検察官の控訴を棄却したのである。
[9] 原判決には、以下に述べるとおり、憲法21条1項の解釈に誤りがあり、かつ、最高裁判所の判例と相反する判断をしたもので、これらが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決及びこれによつて支持された第一審判決は破棄されるべきであると思料する。
[10] 原判決は、「戸別訪問を一律に禁止した公職選挙法138条1項の規定は憲法21条に違反する」というが、これは憲法21条1項の解釈を誤つたものである。以下その理由を詳述する。

一 公職選挙に際してその表現の自由に対する制約原理
[11] 原判決も指摘するとおり、戸別訪問の禁止を合憲とする昭和25年9月27日大法廷判決(刑集4巻9号1799頁)は、
「憲法21条は絶対無制限の言論の自由を保障しているのではなく、公共の福祉のためにその時、所、方法等につき合理的制限のおのずから存することはこれを容認するものと考うべきであるから、選挙の公正を期するために戸別訪問を禁止した結果として、言論自由の制限をもたらすことがあるとしてもこれらの禁止規定を憲法に違反するものということはできない。」
と判示する。
[12] ここで用いられている「公共の福祉」という概念がやや抽象的に過ぎるためか、原判決のいうような、右判決を先例とする一連の戸別訪問禁止を合憲とする最高裁判所判決が具体的説示を欠く旨の批判の生ずる余地もあるように思われる。そこで、まず、公職の選挙に際しての表現の自由に対する制約原理は何かについて考察することとする。これによつて、戸別訪問禁止規定の合憲性を判断する基本的原理がおのずから明らかになるからである。
[13] およそ憲法の保障する基本的人権は絶対無制限なものではあり得ず、他の憲法上の法益と衡突する場合があることは当然であり、そこに何らかの調整原理が働かなければならない。それは、抽象的には「公共の福祉」であるが、個々の基本権に則し、また、その適用の場に則して、これを若干敷えんすることは可能である。
[14] そこで、表現の自由あるいは労働基本権等に対する制約原理として、近時の最高裁判所判例がどのように判示しているかを見てみると、一貫した見解をとつていることが明らかにになる。すなわち、非現業国家公務員の争議行為に関する昭和48年4月25日大法廷判決(刑集27巻4号547頁。いわゆる「東京全農林事件判決」)は、「勤労者を含めた国民全体の共同利益」の保障が国家公務員の労働基本権に対する本質的な制約原理であることを明らかにしており、また、原判決が具体的説示のある例として引用している国家公務員の政治的行為に関する昭和49年11月6日大法廷判決(刑集28巻9号393頁。いわゆる「猿払事件判決」)は、「公務員を含む国民全体の共同利益」の擁護が公務員の政治的行動に対する制約原理であるとしているが、この判決は、表現の自由に対する制約という側面を有するので、本件に最も適切であるといえる。更に非現業地方公務員の争議行為に関する昭和51年5月21日大法廷判決(刑集30巻5号1178頁。いわゆる「岩手県教組事件判決」)は、「地方公務員を含む地方住民全体ないしは国民全体の共同利益」との調和が地方公務員の労働基本権に対する制約原理であるとし、また、公共企業体職員の争議行為に関する昭和52年5月4日大法廷判決(刑集31巻3号182頁。いわゆる「名古屋中郵事件判決」)は、前記東京全農林事件判決及び岩手県教組事件をも総括して、「全勤労者を含めた国民全体の共同利益」の保障が公務員及び3公社の職員の労働基本権に対する制約原理であるとしているのである。
[15] 以上のような近時の最高裁判所判例における判例理論及びその表現に従うならば、本件のような公職選挙に際しての表現の自由に対する制約原理は、「選挙関係者(候補者、選挙運動者、選挙人等)を含む地方住民全体ないし国民全体の共同利益」を保障しそれとの調和を図ることにあるということになろう。そして、このことは、後記の戸別訪問禁止を合憲とする一連の最高裁判所判決を通じて、当然の前提とされているものと考える。

二 戸別訪問禁止規定の合憲性の吟味検討
1 合憲性判断の基準と方式
[16] 前記猿払事件判決は、国家公務員に対する政治的行為禁止の合憲性判断のあり方につき、公務員を含む国民全体の共同利益を擁護する見地からみて、
「公務員の政治的中立性を損うおそれのある公務員の政治的行為を禁止することは、それが合理的で必要やむをえない限度にとどまるものである限り、憲法の許容するところである」
との合憲性判断の基準を定立したうえ、
「国公法102条1項及び規則による公務員に対する政治的行為の禁止が右の合理的で必要やむをえない限度にとどまるものか否かを判断するにあたつては、禁止の目的、この目的と禁止される政治的行為との関連性、政治的行為を禁止することにより得られる利益と禁止することにより失われる利益との均衡の3点から検討することが必要である。」
と判示した。
[17] この判決は公務員の政治的行為に関するものであるが、その禁止が言論の自由を保障する憲法21条に違反するか否かの判断をしたものであり、かつ、合憲性判断のあり方につき一般的に妥当する基準と方式を明示したものであるから、本件についても同様の基準と方式で合憲性の吟味検討を行うのが相当である。すなわち、本件においては、戸別訪問禁止が選挙関係者(候補者、選挙運動者、選挙人等)を含む地方住民全体ないし国民全体の共同利益を擁護するうえで、合理的で必要やむをえない限度にとどまるものである限り、憲法の許容するところというべきである。そして、戸別訪問禁止が右の合理的で必要やむをえない限度にとどまるものか否かは、禁止の目的、その目的と規制手段との合理的関連性、戸別訪問禁止によつて得られる利益と失われる利益との均衡の3点から検討する必要がある。
2 禁止の目的
[18] 公職選挙法1条は、「この法律は、日本国憲法の精神に則り、……選挙制度を確立し、その選挙が選挙人の自由に表明せる意思によつて公明且つ適正に行われることを確保し、もつて民主政治の健全な発達を期することを目的とする。」と規定している。すなわち、民主政治の健全な発達を期するには、「選挙の自由」と「選挙の公正」とが確保されなければならないのである。そして、選挙人の正しい選択に資するための判断資料を豊富に提供するという意味では、選挙運動の自由もまた選挙の自由の一部に含まれるのであるが、他方、これを無制限に放置するときは、かえつて、選挙、特に投票の自由と選挙の公正を害することになるので、公職選挙法は、選挙運動に対し種々の制限を設けているのであり、戸別訪問の禁止もまたその一つにほかならない。
[19] 戸別訪問には、その利用のされ方いかんによつて、原判決のいうような「簡易かつ特段の経費を要さない」という利点のあることは否定し得ないが、現実にはそのような利点の多くを期待できないばかりでなく、種々の弊害をもたらすことが明らかであり、公職選挙法138条1項は、この弊害の発生を防止するためやむを得ずとられた立法措置である。このことは、原判決も引用する昭和43年11月1日第二小法廷判決(刑集22巻12号1319頁)が、
「公職選挙法が戸別訪問を禁止する所以のものは、およそ次のとおりであると考えられる。すなわち、一方において、選挙人の居宅その他一般公衆の目のとどかない場所で選挙人と直接対面して行なわれる投票依頼の行為は、買収、利害誘導等選挙の自由公正を害する犯罪の温床となり易く、他方、選挙人にとつても居宅や勤務先に頻繁に訪問を受けることは、家事その他業務の妨害となり、私生活の平穏も害せられることになるのであり、それのみならず、戸別訪問が放任されれば、候補者側が訪問回数を競うことになつて、その煩に耐えられなくなるからである。」
と適切に指摘するとおりである。
[20] 公職選挙法138条1項は、このような戸別訪問の放任がもたらす弊害の発生を防止し、選挙の自由と公正を確保しようとするもので、まさしく憲法の要請にこたえ、選挙関係者を含む地方住民全体ないし国民全体の共同利益を擁護するための措置にほかならないのであつて、その目的は正当なものというべきである。
3 禁止目的と規制手段との合理的関連性
[21] 右のような弊害の発生を防止するため、その弊害を招来するおそれが大きく、選挙の自由と公正を損うおそれがあると認められる戸別訪問を禁止することは、禁止目的との間に合理的な関連性があると認められるのであつて、たとえその禁止が時間、態様等のいかんを問わず一律になされたとしても、右の合理的な関連性が失われるものではない。
[22] しかるに、原判決は、戸別訪問禁止の合理的理由について遂一反論を加えている。原判決の考察方法には、戸別訪問の放任がもたらす弊害を個々的に分断して検討し、事項ごとに合理的関連性を否定している点で、方法論それ自体に大きな誤りがあるが、加えて、個々の弊害に対する見解にも承服し難いものがあるので、その点について反論する。
[23](一) 原判決は、
「戸別訪問を禁止しなかつた場合、一般公衆の目の届かない場所で、選挙人と直接対面して行われる投票依頼等の行為が、買収、利害誘導等選挙の自由公正を害する犯罪の温床となり易く、その機会を多からしめるという弊害を生じるとの点につき考える。」
として、具体的な選挙における戸別訪問事業と買収事案との関連等を検討したうえ、
「戸別訪問を禁止しなかつた場合、不正行為の温床となり易く、その機会を多からしめるという弊害を生じる蓋然性が高いということはできず、右弊害を生じるおそれは極めて抽象的な可能性にとどまるというほかはないから、右弊害の防止と戸別訪問の禁止との間には関連性が全くないわけではないとしても、これが合理的な関連性を有するとは考えることはできない。」
という。
[24] しかしながら、過去において選挙のたびごとに多数の買収事犯が検挙され、その大部分が選挙人の居宅等一般公衆の目の届かない場所で行われていることは、裁判所に顕著な事実である。なるほど、原判決のいうように、現実の検挙事例においては買収の意思が事前にある場合が多いことは事実であるが、それが戸別訪問が買収等の不正行為の温床となりやすいことを否定する論拠になるとは思われない。戸別訪問が禁止されている法制下において多数の有権者を買収しようとすれば、まず人目をはばかりつつ戸別訪問をしなければならないのに対し、戸別訪問を放任すれば、公然と選挙人の居宅等を訪問し、選挙人と直接対面して投票依頼することが許されるのであるから、買収が容易になることは、見やすい道理である。また、各選挙運動者が訪問回数を競うようなことになれば、他より効果を挙げようとして従来以上に金品供与や利害誘導に結びつきやすいことも容易に推測される。前記のような過去の選挙における買収事犯の実情は、戸別訪問を放任した場合に右のような弊害が発生する蓋然性が高いことを示すものである。
[25](二) 原判決は、
「戸別訪問が被訪問者の生活の平穏を害するか否かを検討する。」
として、
「たしかに時と方法を選ばずに行われる戸別訪問が被訪問者の生活の平穏を害し、その迷惑となる場合があることは明らかであ」る
と認めながら、
「被訪問者の生活の平穏を害するような戸別訪問は、時間的な制限を置いたり、集団的な訪問を禁ずることなどによつて容易にその弊害を除くことができることに照らしても、右の目的は戸別訪問を一律に禁止する理由とはなり得ず、戸別訪問を全面的に禁止することは、被訪問者の生活の平穏を守るための手段としては行きすぎていることが明らかである。」
と判示する。
[26] しかしながら、原判決は、我が国における選挙運動の現実を看過し、被訪問者側の迷惑を軽視し過ぎるものである。戸別訪問が解禁になればいかなる事態を生ずるかは、昭和25年4月に公職選挙法が制定された際の戸別訪問解禁の試みが失敗したことを見れば明らかである。この点については、原判決は、「平素親交の間柄にある知己その他密接な関係にある者」の範囲が不明確であつたため、取締り側や候補者側に混乱を生じたにすぎないようにいうが、このような例外規定にしやつ口して激しい戸別訪問が行われた場合、被訪問者側の迷惑は当然著しいものがあつたはずである。部分的解禁ですらこのようになるのであるから、全面的解禁によつて生ずる被訪問者側の迷惑は測り知れないものがある。
[27] なるほど原判決のいうような、時間的な制限を設けたり、集団的な訪問を禁ずるなどの方法による戸別訪問自由化の意見があることも事実であるが、それは、より妥当な立法政策を目指して解決策を模索する中での一試論にすぎないばかりでなく、脱法行為や被訪問者側の迷惑を確実に防止し得るような制限を設けることは立法技術的にも不可能に近いと思われる。原判決は、そのような制限が容易に可能であることを前提に、戸別訪問の禁止が行き過ぎであるとするもので、その失当であることは明らかである。
[28](三) 原判決は、戸別訪問放任による弊害として挙げられる
「議員の品位を傷つける、公事を私事化する、候補者にとつて煩に耐えない、当選議員にとつて不利益である、などの点」
は、表現の自由を制約すべき根拠となり得ず、
「個人的感情によつて投票が左右される弊害があるとの点」については、「もともと人間は感情の動物であつてその選挙権の行使に際し感情的要素を全く払拭することは不可能であり、国家がこれに干渉するにはおのずから限度がある」
として、その弊害防止のために表現の自由を制約することはできないとする。また、
「戸別訪問を放任した場合、立候補者が多数の運動員を動員するため多額の経費を要する結果、財力により候補者間の較差を生じ、選挙の公正を害するおそれがあるとの点」
については、選挙運動に関する収入及び支出並びに寄付は法律で規制されているので、
「候補者にとつて戸別訪問に経費がかかるとしても選挙の公正を守ることができると解される」
とし、いずれの点についても、その弊害の防止と戸別訪問の禁止との間の合理的関連性を否定している。
[29] しかしながら、ここに挙げられている弊害は、候補者の立場からあるいは選挙の一般的な公正さという立場から指摘されているもので、他の弊害と表裏をなしあるいは他の弊害の一側面をなすという関係にあり、要するに、
「戸別訪問が放任されれば、候補者側が訪問回数を競うことになつて、その煩に耐えられなくなる」(前掲昭和43年11月1日第二小法廷判決)
ということであつて、個別的な検討には適さない。そして、その煩に耐えられなくなるのは、候補者、選挙運動者、選挙人等すべての選挙関係者なのであつて、その実害をこそ洞察すべきである。原判決は、これらの弊害の防止策として公職選挙法における選挙運動に関する収支等の制限だけを挙げているが、現実の選挙において右の制限を遵守させることが至難であることは争うべくもない事実であり、この制限があるから戸別訪問を解禁しても選挙の公正は守れるなどというのは、現実離れをした議論であるというほかはない。
[30] 以上検討したとおり、原判決が禁止目的と規制手段との合理的関連性を否定した論拠はすべて誤りであり、戸別訪問を放任した場合に戸別訪問禁止の立法目的で考慮されたような弊害が発生する蓋然性は極めて高く、その防止と戸別訪問の禁止との間には合理的関連性があることは明らかである。
4 利益の均衡
[31] 原判決は、
「戸別訪問の禁止が表現内容自体の規制ではなく、表現の手段方法たる行動の制限であることは疑いない。しかしながら、そのことの故にその禁止について単に合理的な理由があればこれを制約しうるとの意見には左袒することができない。なぜならば、表現の自由の制約は歴史的にみてその表現内容そのものに対する規制よりも、その手段方法の規制によることが多く、表現の手段方法を欠く表現の自由は無意味であつて、手段方法の規制であるが故に単なる合理的な理由のみによつてその制約が可能であると解するとすれば、表現の自由を保障した憲法の趣旨を没却する結果をもたらすであろう。」
と判示し、表現内容自体の規制と表現の手段方法たる行動の制限とで合憲性の判断基準を区別する考え方を否定している。
[32] しかしながら、表現の自由の保障の受ける制限の程度が、表現自体の規制か表現の手段方法たる行動の制限かによつて大きく異なることは当然であり、右の見解は基本的に誤つている。また、「表現の手段方法を欠く表現の自由は無意味」であることには何人も異論はないが、それは代替手段のない場合のことであつて、戸別訪問の禁止に関する批判とはなり得ない。
[33] 現に、前記猿払事件判決は、
「公務員の政治的中立性を損うおそれのある行動類型に属する政治的行為を、これに内包される意見表明そのものの制約をねらいとしてではなく、その行動のもたらす弊害の防止をねらいとして禁止するときは、同時にそれにより意見表明の自由が制約されることにはなるが、それは、単に行動の禁止に伴う限度での間接的、付随的に制約に過ぎず、かつ、国公法102条1項及び規則の定める行動類型以外の行為により意見を表明する自由までをも制約するものではな〔い〕」
と判示したうえ
「その行動の禁止は、もとよりそれに内包される意見表明そのものの制約をねらいとしたものではなく、行動のもたらす弊害の防止をねらいとしたものであつて、国民全体の共同利益を擁護するためのものであるから、その禁止により得られる利益とこれにより失われる利益との間に均衡を失するところがあるものとは認められない。したがつて、国公法〔等の国家公務員に対する政治的行為制限に関する諸規定〕は、合理的で必要やむをえない限度を超えるものとは認められず、憲法21条に違反するものということはできない。」
と断じている。これは、まさに意見表明そのものと意見表明の手段方法としての行動とを明確に区別する考え方を打ち出したものである。そして、このような考え方を支える論拠は、徳島市公安条例の合憲性を肯定した昭和50年9月10日大法廷判決(刑集29巻8号489頁)の中の岸裁判官及び団藤裁判官の各補足意見において詳述されているところである。
[34] 戸別訪問禁止によつて得られる利益と失われる利益との均衡を考慮するに当たつては、基本的に叙上のような見解に従うのが相当であり、戸別訪問禁止の合憲性を肯定する理由の一つとして、
「言論の内容自身を規制すれば、表現の手段方法のすべてが禁圧されるのに比し、表現の特定の手段方法で害悪の発生が危惧されるものだけを規制した場合は、言論の内容自身を伝える他の手段方法が禁圧されず自由になしうる状態におかれているのである。表現の特定の手段方法を禁止するにとどまるような規制は、言論の内容自体の規制を正当化するための害悪より、はるかに小さい程度の害悪しか存在しないとしても正当化される」
と述べた昭和53年5月30日東京高等裁判所判決(判例時報915号124頁)の判断こそ正当であると考える。
[35] そこで、戸別訪問禁止の代替手段が問題になるが、現行選挙制度のもとでは、個々面接、電話による依頼、法定の葉書、ポスター等の文書による方法、テレビ、ラジオでの政見放送による方法、立会演説会、個人演説会、街頭演説会等々、種々の方法により、選挙人に対して、特定候補者の政見を明らかにするとともに、その者への投票を依頼し、あるいはその者の知名度を高める働きかけをすることが許されており、これらは、あるいは戸別訪問に比しより効果的な手段として、あるいは同等の手段として、戸別訪問禁止に十分に代替し得るものである。
[36] 原判決は、この点について、
「多数の国民が行いうる方法の中では簡易かつ特段の経費を要さないものであるから、容易に他の方法により代替されうるものとは思われない。」
というが、これは、我が国における選挙の現実を無視した議論である。多くの公職選挙においては、選挙区が広大で選挙人も多数であるため、当選には大量の票を獲得しなければならず、このため、選挙運動は、長期間にわたつて多数の選挙運動員を動員あるいは雇用し、組織的かつ計画的に行われるのである。このような現実下で戸別訪問が解禁されれば、大量動員に輪をかけた人海戦術になりかねず、とうてい「簡易かつ特段の経費を要さないもの」にとどまるはずはない。
[37] また、原判決は、
「戸別訪問は、通常、それ自体何らの悪性を有するものではなく、……その行動がもたらす弊害が考えられるとしても、それは間接的なものといわざるを得ない」
というが、これまた選挙の現状に対する認識を欠いた議論である。このような見解は、本件第一審判決の
「選挙人にとつても、彼等が戸別訪問してくれることは、直接彼等と対話できることであるから、候補者の政見等をじつくり聞くのにも、最も効果的な方法である。」
とする現状認識を是認したうえでのことと考えられるが、戸別訪問の実際は、そのような政治討論の場ではない。我が国においては、動員あるいは雇用された多数の選挙運動員が戸別訪問を行うのであり、限られた時間内に広域を駆け巡つて多数の選挙人に面接して投票を依頼しなければならないので、選挙人等の居宅等を訪問しても、一方的に特定候補者への投票を依頼し、あるいは特定候補者の氏名を口にするだけで終始しているのが検挙された戸別訪問事犯の実態である。戸別訪問が禁止されていてもこのような行為が行われているのであるから、これを放任した場合、先に述べたような弊害が噴出することは明白であり、とうてい「間接的なもの」にとどまるとすることはできない。
[38] 以上検討したとおり、原判決が
「戸別訪問の禁止が憲法上許される合理的でかつ必要やむを得ない限度の規制であると考えることはできない。」
との結論に達するため利益の均衡を判断した部分の判示は、いずれも矢当である。
[39] そして、戸別訪問を放任した場合これによつてもたらされる弊害が無視できるほど小さいものでないと考えられる現状においては、戸別訪問の禁止によつて投票依頼などの政治的言論内容の表現行為の一態様が制限されるという言論に対する制約の程度と、戸別訪問の禁止によつて選挙の自由と公正が維持増進される程度とを比較衡量すれば、後者の方がより重大と考えられるのであつて、その禁止は利益の均衡を失するものではない。

三 要約
[40] 結局、公職選挙法138条1項の規定は、その禁止目的は正当であり、禁止目的と規制手段との間には合理的関連性が認められ、かつ、利益の均衡を失するものではないから、合理的で必要やむを得ない制限というべきであり、したがつて、憲法21条に違反しないことは明らかである。
[41] また、戸別訪問の禁止が選挙関係者を含む地方住民全体ないし国民全体の共同利益を擁護する見地からなされたものであつて、その違反行為が刑罰の対象となる違法性を帯びることが認められ、かつ、その禁止が憲法21条に違反するものでないと判断される以上、その違反行為を構成要件として罰則を法定しても、そのことが憲法21条に違反することとなる道理もあり得ず、更に右罰則が同法31条に違反するものとすべき特段の理由もないから、公職選挙法239条3号もまた合憲である。
[42] 原判決は、戸別訪問を一律に禁止した公職選挙法138条1項の規定は憲法21条1項に違反するとしたが、前記規定が憲法の右条項に違反しないことは、最高裁判所の累次の判決により判例法上確立されているところであつて、原判決は、これらの判例と相反する判断をしたことが明らかである。

一 公職選挙法138条1項の規定は憲法21条1項に違反するものではないとする最高裁判所の判例
[43](a) 昭和25年9月27日大法廷判決(昭和24年(れ)2591号・刑集4巻9号1799頁)は、
「選挙運動としての戸別訪問には種々の弊害を伴うので衆議院議員選挙法98条、地方自治法72条及び教育委員会法28条等は、これを禁止している。その結果として言論の自由が幾分制限せられることもあり得よう。しかし憲法21条は絶対無制限の言論の自由を保障しているのではなく、公共の福祉のためにその時、所、方法等につき合理的制限のおのずから存することは、これを容認するものと考うべきであるから、選挙の公正を期するために戸別訪問を禁止した結果として、言論自由の制限をもたらすことがあるとしても、これ等の禁止規定を所論のように憲法に違反するものということはできない。」
と判示し、
[44](b) 昭和41年5月27日第二小法廷判決(昭和41年(あ)192号・裁判集刑事159号867頁)は、
「選挙の公正を期するため戸別訪問を禁止した結果、言論の自由にある制限をもたらすことがあつても、その禁止規定が憲法21条に違反しないことは、判例1の示すところであり、右判例は未だ変更すべきものとは認められない。」
と判示し、
[45](c) 昭和42年11月21日第三小法廷判決(昭和42年(あ)1464号・刑集21巻9号1245頁)は、
「公職選挙法138条1項は、選挙運動としての戸別訪問には、種々の弊害を伴い、選挙の公正を害するおそれがあるため、選挙に関し、同条所定の目的をもつて戸別訪問をすることを全面的に禁止しているのであつて、戸別訪問のうち、選挙人に対する買収、威迫、利益誘導等、選挙の公正を害する実質的違反行為を伴い、又はこのような害悪の生ずる明白にして現在の危険があると認められるもののみを禁止しているのではないと解すべきであるところ、選挙の公正を期するため戸別訪問を禁止した結果、言論の自由にある程度の制限をもたらすことがあつても、右禁止が憲法21条に違反しないことは、判例(a)の趣旨に徴し明らかである。」
と判示し、
[46](d) 昭和44年2月6日第一小法廷判決(昭和43年(あ)1940号・裁判集刑事170号225頁)は、前掲判例(c)と同じ判旨に加え、「今右判例の変更の要を見ない」と判示し、
[47](e) 昭和44年4月23日大法廷判決(昭和43年(あ)2265号・刑集23巻4号235頁)は、戸別訪問、法定外文書頒布及び事前運動の禁止はいずれも憲法21条に違反するとの上告趣意に対し、
「公職選挙法138条に定める戸別訪問の禁止及び同法142条に定める文書図面の頒布の制限のごとき一定の規制が、いずれも憲法21条に違反するものでないことは、当裁判所大法廷判決(注、戸別訪問につき(a)、文書図画の頒布につき昭和30年4月6日刑集9巻4号819頁)の明らかにするところであり、いま、これを変更する必要は認められない。」
と説示して、従来の判例を踏襲することを明らかにしたうえ、新しく、事前運動の弊害を詳説して、
「事前運動を禁止することは、憲法の保障する表現の自由に対し許された必要かつ合理的な制限であるということができるのであつて、公職選挙法129条をもつて憲法21条に違反するものということはできず、」
と判示し、
[48](f) 昭和45年11月24日第三小法廷判決(昭和45年(あ)1432号・裁判集刑事178号363頁)は、戸別訪問の禁止につき、前掲(e)とほぼ同旨の判示をし、
[49](g) 昭和45年11月24日第三小法廷判決(昭和45年(あ)1433号・判例集等不登載)は、前掲(f)と全く同文の判示をし、
[50](h) 昭和47年3月30日第一小法廷判決(昭和45年(あ)2076号・判例集等不登載)は、
「公職選挙法138条、142条の各規定の違憲を主張する所論はすべて理由のないことは、判例(e)の趣旨に徴し明らかである。」
と判示し、
[51](i) 昭和54年7月5日第一小法廷判決(昭和53年(あ)1562号・判例時報933号147頁)は、
「公職選挙法138条に定める戸別訪問の禁止が憲法21条に違反するものでないことは、当裁判所の判例((e))とするところ」
と判示し、
[52](j) 昭和54年9月20日第一小法廷判決(昭和54年(あ)646号・判例集等不登載)は、
「公職選挙法138条に定める戸別訪問の禁止及び同法146条に定める文書図画の頒布について禁止を免れる行為の制限が憲法21条に違反するものでないことは、当裁判所の判例とするところであり、」
と判示し、
[53](k) 昭和55年4月24日第一小法廷判決(昭和55年(あ)352号・判例集等未登載)は、前掲判例(i)と同旨の判示をした。

二 原判決が前記各判例と相反する判断をしたこと
[54] 最高裁判所は、前記のように、昭和25年9月27日の大法廷判決(a)以来、同44年4月23日の大法廷判決(e)を経て、同55年4月24日の第一小法廷判決(k)に至るまで、一貫して、かつそのつど裁判官全員一致の意見により、公職選挙法138条1項の規定が憲法21条1項に違反しないとしてきた。かようにして、公職選挙法138条1項の規定の合憲性は、最高裁判所の判例として確立されているというべきであるから、右規定が憲法21条に違反するとして、同旨の第一審判決を支持した原判決は、最高裁判所の判例と相反する判断をしたものであることが明白である。
[55] しかしながら、事柄の性質等にかんがみ、最高裁判所の従来の判例が現在なお十分に尊重されるべきであつて、これを変更すべき理由は全く認められないゆえんについて、以下に補説する。
[56] 最高裁判所判例の流れをみるに、最高裁判所は(a)・(b)の各判例で、戸別訪問禁止の合憲説を肯認していたところ、昭和40年代に入るや、下級審において、戸別訪問を違憲とする裁判例(以下、「違憲判決」という。)が現われて来た。昭和42年3月27日の東京地裁違憲判決(判例時報493号72頁)がその最初のものであつて、右判決は、
「戸別訪問罪の規定は、その戸別訪問により重大な害悪を発生せしめる明白にして現在の危険があると認めうるときに限り、初めて合憲的に適用しうるに過ぎない」
旨判示し、当核事案につき右要件を具備しないとして無罪を言い渡した。これと同じ論旨に立つて、
「公職選挙法138条1項の規定は、選挙本来のあり方を逸脱させる選挙人に対する買収、威迫、利益誘導等、選挙の公正を害する実質的違反行為を伴う戸別訪問、又は、このような害悪を生ずる明白にして現在の危険がある戸別訪問のみを禁止しているのであつて、右以外の戸別訪問をも禁止処罰する趣旨であるとすれば、憲法21条に定める言論の自由の原則に反する」
旨主張した上告趣旨に答えて、最高裁判所がこれを排斥し去つたのが同年11月21日の判例(c)である。更に、最高裁判所は、昭和43年3月12日に妙寺簡裁の違憲判決(判例時報512号、76頁)があつたにもかかわらず、同44年2月6日の判例(d)で、「判例変更の要を見ない」旨言明し、次に、同年3月27日松江地裁(判例タイムズ234号別冊30頁)同年4月18日長野地裁佐久支部(判例タイムズ238号別冊32頁)が、それぞれ違憲判決を言い渡したにもかかわらず、(e)の大法廷判決で、事前運動禁止の合憲性を新たに宣言するとともに、戸別訪問禁止の合憲性を確認して、間接的にこれら下級審の違憲判決を否定したのである。これに加え、同45年11月24日の判例(f)は、右松江地裁違憲判決につき詳細に理由を付してこれを破棄した広島高裁松江支部の同年6月22日判決を支持し、下級審の違憲論を排斥する立場を直接明確に示したのであつた(前掲判例(g)の経過も、同(f)と全く同様である。)
[57] しかるに、最近に至つて、再び一部の下級審に違憲判決の例がみられるに至つた。これらは、従来の「明白かつ現在の危険」原則による理由づけに代え、政治的意見表明としての戸別訪問の有用性と戸別訪問に伴う弊害との比較較量の立場から、戸別訪問の禁止を言論の自由に対する「必要最小限度」の制約を超えるとするものであつた。それはまず、昭和53年3月30日の松山地裁西条支部違憲判決(判例時報915号135頁)であり、次いでは、本件の第一審判決である同54年1月24日の松江地裁出雲支部違憲判決(判例時報923号141頁)であつたが、それにもかかわらず、最高裁判所は、同54年7月5日の判例(i)と同年9月20日の判例(j)において戸別訪問禁止の合憲性を確認し、また、同55年に入つても、同年3月25日の盛岡地裁遠野支部違憲判決(判例時報962号130頁)にかかわらず、同年4月24日の判例(k)を言い渡したのである。してみると、最高裁判所は、一部下級審でのかかる違憲判決をも十分に考慮に入れたうえで、なお合憲の見解を確固不動のものとして堅持しており、判例変更の必要はないと判断していることが、まことに明らかである。
[58] なお、本件原判決後の宣告にかかる昭和55年6月6日最高裁判所第二小法廷判決(昭和55年(あ)591号)が、前掲(a)及び(e)の2つの大法廷判決を引用のうえ、公職選挙法138条に定める戸別訪問の禁止が憲法21条に違反するものでないことは、当裁判所の判例とするところである旨判示したことも、右に述べたことを裏付けるものである。
[59] 戸別訪問禁止の必要性につき実質的理由を示した前掲(c)の判例の後、戸別訪問の構成要件に該当するか否かが問題となつた事案において、原判決も引用するように、昭和43年11月1日第二小法廷判決(刑集22巻12号1319頁)は、戸別訪問を禁止するゆえんのものにつき、
「一方において、選挙人の居宅その他一般公衆の目のとどかない場所で、選挙人と直接対面して行われる投票依頼等の行為は、買収、利害誘導等選挙の自由公正を害する犯罪の温床となり易く、他方、選挙人にとつても、居宅や勤務先に頻繁に訪問を受けることは、家事その他業務の妨害となり、私生活の平穏も害せられることになるのであり、それのみならず、戸別訪問が放任されれば、候補者側が訪問回数を競うことになつて、その煩に耐えられなくなるからである。」
と判示した。
[60] 右判決は、前掲(a)(b)(c)の判例で判示された戸別訪問の「種々の弊害」と「選挙の公正」との相関関係を具体的に説明するとともに、戸別訪問禁止の合理性と必要性の根拠となるべき理由を示したものとして注目に価するところであるが、これがその後の最高裁判所判例における合憲論の支えになつていることは疑いがなく、戸別訪問の実情ないし弊害につき特段の事情変更が認められない現時点においては、右判旨はそのまま判例法の基礎として尊重されるべきである。
[61] 戸別訪問の禁止が、意見表明の手段方法としての行動に対する必要かつ合理的な制限にとどまるものであつて憲法21条1項に違反するものでないことは、上告理由第一点において述べたとおりであるが、最高裁判所の近時の各判例は、いずれも表現の自由に対する制約原理の機能及び戸別訪問に弊害がないことを詳細論じた上告趣意に答えるとともに、詳細な理由を付して戸別訪問禁止の合憲性を認めた第二審判決を支持したものであるから、最高裁判所は、戸別訪問禁止を合憲とする「具体的根拠」について慎重に検討したはずであつて、各判例の判旨は簡潔とはいえ、そのつど十分な審査を行つたうえ合憲の結論を導き出したものと推察される。
[62] ところで、原判決は、前掲(e)の大法廷判決の後10年以上の時が経過した間にあつて、最高裁判所が、昭和49年11月6日の猿払事件判決(刑集28巻9号393頁)及び同50年4月30日のいわゆる薬事法違憲判決(民集29巻4号572頁)において、「憲法上保障された自由の制限の必要性及び合理性について具体的に判断・説示していること」を引き合いにして、戸別訪問禁止の合憲性についても、最高裁判所がこれらと同様の具体的な説示をすべきであつたとするもののごとくである。しかし、前記猿払事件判決は、国家公務員の政治的行為に対する制限及び当該制限違反に対する刑事制裁の合憲性という問題につき、最高裁判所として初めて判断を下したものであり、しかも、右の諸点を限定的に解釈した場合にのみ合憲性を肯定し得るものとした第一・二審判決の当否をめぐつて、国家公務員の表現の自由の一態様としての政治的行為に対する制約の原理・限界・基準等の基本的問題が中心的争点になつた事案にかかるものであるから、最高裁判所としても、かかる制約を加える必要性及び合理性ならびに刑事罰の正当性について詳細かつ具体的に説示する必要があつたものと解される。また、前記薬事法違憲判決は、薬局の開設等の許可基準の一つとして地域的制限を定めた薬事法の関係規定の憲法22条1項(職業選択の自由)との関係における合憲性という全く新しい問題が正面から争われた事案に関するものであり、しかも、最高裁判所が右規制の必要性と合理性を否定するとともに、目的と手段の不均衡を指摘して、右規制を違憲と断じたものであるから、その具体的理由及び論理の過程を詳細に説明する必要があつたものと思われる。
[63] これらに対し、戸別訪問禁止の合憲性という問題については、前述のとおり、前掲(a)の判例を起点とする累次の最高裁判所判例の集積によつて既に判例の見解が確固不動のものとして確立されており、しかも、各判例がそのつど必要にして十分な理由を判示してきたところであるから、これに関する最高裁判所の最近の判例が、戸別訪問禁止の必要性及び合理性について、前記の各判決と同等に詳細かつ具体的な判断・説示していないからといつて、少しも異とするに足りない。したがつて、前記のような原判決の指摘は、全く当を得ないものである。
[64] 右に述べたとおり、いずれの面からみても、戸別訪問の禁止が憲法21条1項に違反しないとする最高裁判所の判例は、なお十分に尊重・維持されるべきであるといわなければならない。
[65] 以上詳述したとおり、原判決は、憲法21条1項の解釈適用を誤り、かつ、最高裁判所の判例と相反する判断をしたものであるから、刑訴法405条1号・2号、410条1項により、原判決及び原判決によつて支持された第一審判決を破棄すべきものと思料し、更に相当の裁判を求めるため、上告に及んだ次第である。
目次
一、判例違反の上告理由は見当ちがい
二、証拠にもとづかない戸別訪問の実態論
三、独断にみちた戸別訪問の実態論
四、「国民全体の共同利益」論
[1] 検察官の上告理由は、2本の柱の一つに、判例違反をあげている。だが、これくらい見当ちがいの上告理由はない。原判決は従来の最高裁判決にそつて判断をくだしたのではない。最高裁判所の判例とくいちがうことを承知のうえで、その誤りを大胆に指摘し、判例の変更を求めているのである。原判決が最高裁の従来の判例と相反しているのは当然のことである。
[2] 下級審裁判所が上級審裁判所の判例に拘束されるものでないことはいうまでもない。憲法76条3項は、裁判官は「憲法及び法律にのみ拘束される」ことを規定し、判例に拘束されることは規定していない。刑事訴訟法410条2項は、最高裁判例の変更もありうることを、当然の前提とした規定である。検察官の上告趣意書が、
「原判決は最高裁判所の判例と相反する判断をした」、「最高裁判所の判例は一貫して合憲の判断を示している」、「最高裁判所の累次の判決により判例上確立されている」
として原判決を非難しているのは、最高裁判例に挑戦した原判決の立場をまつたく理解しない、的はずれの上告理由である。
[3] 検察官の上告趣意書を読んで驚かされるのは、検察官が選挙運動の実態なるものを、まつたく独断的に、証拠にもとづかずに、あれこれ並べたてていることである。
「過去において選挙のたびごとに多数の買収事犯が検挙され、その大部分が選挙人の居宅等一般公衆の届かない場所で行なわれている」、「原判決はわが国における選挙運動の現実を看過し、被訪問者側の迷惑を軽視し過ぎるものである」、「(原判決は)選挙の現状に対する認識を欠いた議論である」、「限られた時間内に広域を駆け巡つて多数の選挙人に面接して投票を依頼しなければならないので、一方的に特定候補者への投票を依頼し、あるいは特定候補の氏名を口にするだけで終始しているのが、検挙された戸別訪問事犯の実態である」
など、上告趣意書から引用すればきりがないくらいである。
[4] 一審以来の審理経過をふりかえると、被告人と弁護人は、検察官が上告趣意書で論じている戸別訪問の実態論を、証拠によつて明らかにすべきだと主張しつづけてきた。これに一貫して反対してきのが、一審以来の検察官である。たとえば、原審における審理の経過はどうであつたか。上告趣意書で指摘されている弊害論、迷惑論、競争激化論などについて、
「そういう主張をするのであれば、検察官がまずその事実を立証すべきである」
といいつづけてきたのは被告人であり、弁護人であつた。私たちの主張をいれ、その立場から訴訟指揮をしたのは、原審の裁判長である。ところが、これにつよく反対し、立証をこばみつづけてきたのが検察官である、検察官が上告審で戸別訪問の実態論をもちだすのであれば、検察官はなぜ原審でこの問題に積極的にとり組もうとしなかつたのか。一、二審の審議の過程でこれら実態論の論議と立証を回避しつづけながら、原審の無罪判決におどろき、最高裁になつてこの問題を前面にだしてきた検察官の上告理由に、私たちはきわめてフエアでないものを感じるのである。
[5] 以上のような審理経過を反映したためであるが、検察官が上告趣意書で主張している戸別訪問の実態については、一、二審をつうじて何らの立証もなされていない。検察官は上告趣意書で、「論」の展開はしているが、これを裏づける証拠をまつたく提出することができなかつたのである。検察官の上告趣意書をみればわかるように、検察官はせいぜい選挙違反事件の捜査経験を踏まえて物をいつているにすぎない。これでは、「事実は証拠によつて認定する」という刑事裁判の初歩的な原則さえふみにじられたといわれても仕方がないであろう。
[6] 検察官のいう戸別訪問の実態論は、証拠にもとづかない当然の結果として、きわめて恣意的、独断的であり、偏見にみちたものである。たとえば、検察官は戸別訪問を自由化すれば買収犯がふえると主張している。ところが原判決は、これとまつたく別のことを認定した。買収犯人は戸別訪問をして買収の意思を固めるのでなく、買収の意図をもつて戸別訪問をするものだというのである。これは正論である。戸別訪問をし、その場で買収の意図が生じるなどということが、ありうるはずがない。こんな検察官のいい方こそ、戸別訪問の実態を完全に見誤つたものである。検察官は上告審になつて、原判決のこの正論を、どうしても否定することができなかつた。そこで検察官の上告趣意書は、
「現実の検挙事例においては買収の意思が事前にある場合が多いことは事実である」
と、原判決のいう道理を肯定せざるを得なかつた。しかし検察官は、原判決の論理に完全に屈服したわけではない。原判決のいい分にも一理あるけれども、それだけでは
「戸別訪問が買収時の不正行為の温床となりやすいことを否定する論拠になるとは思われない」
と反論を試みている。なぜか?候補者や選挙運動人が公然と有権者を訪問できるようになれば、いまよりも「買収が容易になる」というのである。なぜそうなるかについて、検察官はなにも説明をしていない。私たちからみれば、検察官の主張は、まさに「風が吹けば桶屋がもうかる」式の、思いつきの議論にしかすぎないのである。
[7] 戸別訪問の現実が、政策を訴えて支持を求めるのでなく、特定候補者の名前を口にするだけであるというもう一つの上告理由も、証拠にもとづかない、愚民思想にもとづき暴論である。選挙運動における戸別訪問を、検察官がこのていどにしか理解していないとすれば、上告趣意書のような憲法軽視の議論がでてくるのも、理由なしとしないというべきかも知れない。
[8] 検察官は「公共の福祉」を理由にして基本的人権(戸別訪問の権利)を侵害できるという従来の最高裁判所の判例に、疑問をなげかけている。上告趣意書は
「右判決を先例とする一連の戸別訪問禁止を合憲とする最高裁判所判決が具体的説示を欠く旨の批判の生ずる余地もあるように思われる」
とのべている。これは、私たちにはたいへん興味ぶかい指摘である。戸別訪問禁止を合憲とする従来の最高裁判例は、検察官からさえ、「批判の生ずる余地」があるといわれるほど欠陥にみちているのである。このことを、最高裁は真剣に反省すべきである。
[9] それでは、戸別訪問禁止は、「国民全体の共同利益」を理由に正当化されるものであろうか。そうではない。戸別訪問を自由化したとしても、「国民全体の共同利益」がそこなわれるようなことはぜつたいにない。この点は、本件の中心問題であるから、詳細は主任弁護人の答弁書に譲りたい。
[10] この問題を考えるうえで大切なのは、「戸別訪問を自由化したらいかなる弊害がでてくるか」という問題に重きをおいてはならないということである。戸別訪問は憲法で保障された基本的人権の具体的な発現である。これを安易に禁止したり制限したりしてはならないのはいうまでもない。このことが、本件を考えるばあいの基本的な立場である。戸別訪問による言論活動は、本来自由であり、国家権力によつてその権利行使はつよく保障されなければならない。この言論活動を禁止したり制限したりすることのできる「弊害」なるものを、私たちはかるがるしく認めることはできないのである。
[11] 検察官はこの問題で、「利益の均衡」をあげている。「利益の均衡」というばあい、どちらが重いか、どちらが軽いかというような見方をしてはならない。憲法は政治活動の自由、選挙運動における言論の自由をたからかに保障している。選挙のとき、自由に歩かせ、自由に訪問させ、自由に対話させるというのが憲法上の大原則である。これを禁止、制限しようとするのは、例外的に認められる措置でなければならない。この建てまえを忘れ、憲法で保障された基本的人権と、権利行使にともなう弊害論を、同じ次元のものとしてハカリにかけるようなやり方は、正しくないのである。
[12] 検察官の上告は棄却さるべきである。
目次

第一章 戦後民主主義の発展と原判決の意義
 第一、被告人甲野ハルミ、同乙山秋子はなにをしたのか
    ――この事件で問われているもの――
 第二、司法の対応とその社会的基盤
   一、昭和25年大法廷判決の時代背景
   二、昭和44年大法廷判決の脆弱性
   三、原判決の意義と上告審の課題
    1 原判決を生んだ底流
    2 上告審の課題
第二章 上告趣意第一点について
 第一、民主主義国家における政治活動の権利の優位性
   一、選挙は正当な国権の最高機関をつくりだす行為である
    1 憲法前文
    2 国権の最高機関を作りだす行為
    3 国権の正当性をうちたてる行為
    4 自由選挙の保障
   二、選挙運動の自由
    1 政治活動の権利
    2 「知る権利」と「知らせる権利」
    3 国家権力をつくりだす自由
    4 「国民全体の共同利益」論の破綻
   三、選挙運動における平等
 第二、「国民全体の共同利益」論批判
   一、検察官主張の基本権制約の原理
   二、基本的人権制約の原理の変遷
    ――「国民全体の共同利益」論の登場まで――
    1 「公共の福祉」論
    2 「国民生活全体の利益」論
    3 「国民全体の共同利益」論の登場
   三、「国民全体の共同利益」論の危険な役割
    1 表現の自由と「国民全体の共同利益」論
    2 猿払事件判決における「共同利益」論の拡大
    3 薬事法判決の教訓
   四、本件に対しては、制約、禁止の原理としての「国民全体の共同利益」論は妥当しない
    1 検察官の主張
    2 検察官主張の自己撞着
    3 選挙における真の「国民全体の共同利益」は何か
 第三、「弊害(関連性)」論批判
   一、検察官主張の弊害論の特徴と問題点
   二、禁止目的と規制手段との合理的関連性
   三、不正行為温床論
   四、迷惑論
   五、煩さ論
   六、その他の弊害論
   七、立法史上からみた問題点
    1 日本の場合
    2 英国の場合
 第四、「利益の均衡」論批判
   一、検察官の主張
   二、主権者である国民の政治活動の自由と「利益衡量」
   三、猿払事件判決の法理の誤り
   四、上告の趣意書の論述内容の誤り
   五、むすび
 第五、罪刑法定主義と戸別訪問罪
   一、罪刑法定主義の視点から
   二、原判決の立場
   三、憲法上の保障
   四、厳正な判断の必要
   五、保護法益の明確性および禁止との合理的関連性
   六、戸別訪問の一律禁止規定の違憲性
第三章 上告趣意第二点について
 第一、判例違反の主張の前提における誤り
   一、検察官の主張
   二、違憲判決の要因
   三、判例に対する原判決の態度
   四、原判決の示した新しい論点
 第二、昭和25年判決に依拠する最高裁判例の限界
   一、判例の系譜
   二、昭和25年判決の水準
   三、判例の理由不備
 第三、昭和25年大法廷判決と昭和44年大法廷判決の内容と評価
   一、昭和25年判決について
   二、昭和42年小法廷判決と昭和43年小法廷判決について
   三、昭和44年判決について
 第四、合憲の社会的基盤の喪失
   一、諸条件の一層の変化
   二、違憲判決の必然性
 第五、むすび
第四章 積極的主張
 第一、戸別訪問は重要不可欠な政治的表現の方法である
   一、はじめに
   二、基礎的、第一次的手段による政治的表現
   三、選挙運動の基本的共通項
   四、国民生活に内在する政治の現われ
   五、「選挙運動の根基」
   六、平等な政治参加の基礎条件
   七、戸別訪問の憲法的価値
 第二、国民の選挙活動の実態と戸別訪問
   一、はじめに
   二、憲法的選挙運動の大衆化と多様化
   三、戸別訪問の意義
   四、現行公選法とその恣意的運用
 第三、違憲審査のあり方について
   一、上告趣意の違憲審査基準論の誤り
   二、違憲審査基準に関する判例法理
    1 違憲審査基準の判例上における確立
      (一)、リーデイング・ケースとしての「全逓中郵判決」の意義
      (二)、「全逓東京中郵事件」の理論の承継
         ――立法目的達成手段の合理性について――
    2、違憲審査基準のその後の展開と定着
      ――いわゆる「薬事法違憲判決」の意義と本件との関係――
      (一)、二重の基準論の展開
      (二)、立法裁量論の適用領域の限定
      (三)、立法事実論の具体的展開
    3 選挙法の領域における違憲審査の動向
      ――衆議院定数配分違憲判決について――
   三、戸別訪問の違憲審査基準
    1 判例法理の概括と戸別訪問に関する判例
    2 猿払判決の誤りと本件への不適合性
      (一)、戸別訪問の行為としての独自性と規制態様の特殊性
      (二)、猿払判決の誤り
    3 参照さるべき法理
      (一)、明白にして現在の危険の理論
      (二)、「より制限的でない他の選びうる手段」の基準
第五章 司法の積極的役割
   一、はじめに
   二、アメリカ合衆国における裁判所による選挙改革の歴史的展開
   三、裁判所による選挙改革への積極的介入
    ――その要因と司法判断の特徴――
   四、司法判断による選挙改革の必要
[1] 甲野ハルミの住む島根県出雲市古志町から神戸川にかゝる古志橋を渡ると、塩冶町と天神町にまたがる天神団地がひらける。甲野は、古くは小児たちを小児マヒから救うために生ワクチンの輸入運動をおこして成功し、街の働く主婦と子供たちのために、保育園の増設運動をおこし、あるいは多くの人々とともに出雲市の母親運動や婦人運動をつゞけて、およそ、この30年の間、この街に根づいて民主主義の運動にたずさわつてきた。選挙ともなれば、日本共産党の候補者の当選のために努力することが、この国の進歩と国民の幸福につながることを確信して、そのための努力をつくしてきた。
[2] 甲野は、大正14年6月6日生れ、当年55才の主婦であり、そして商店員である。この世代の国民のひとりとして、その青春時代に「戦争の惨禍」を経験した。とりわけ戦争中に樺太に居住していた甲野は、戦後の引揚げと、引揚者としての貧困を体験し、さらに3人の娘の母親として、その居住する地域の母親と手を結んで、子供たちの安全と教育と健康をまもる運動をおいすゝめてきた。
[3] 天神団地には、甲野の旧知の主婦たちがたくさん住んでいた。つまり、甲野はこの街ではひろく知られた婦人運動と共産党の「おばさん」であつた。甲野は原審第5回公判で
「この天神団地に限らず、選挙中に私が選挙の話をしないと、私と出会つた相手がおかしく思うといつた状況にあり、たとえ私がいわなくても、相手から『中林さんはどのような具合になつているの』とか、『応援しているから頑張つてね』といつた話がいつもあるわけですから、意識する、しないに拘らず、私と顔見知りの人が出会えば選挙の話になつただろうと思います。」
とのべている。甲野は、共産党の法定ビラを配布した際に、かねて旧知の主婦5人との間に共産党候補のことを話題にした、という理由で訴追されているのである。
[4] 天神町には、甲野たちの保育園増設運動がみのつてできた「ひまわり保育園」があつて、こゝに乙山秋子が保母として勤務していた。乙山は、昭和24年7月11日生れ、当時31才の保母である。
[5] 大阪で幼稚園に勤務したあと、昭和48年4月から出雲市の「ひまわり保育園」に移つてきた乙山は、子供たちの保育に熱心な、とりわけ保育内容の向上に熱心な保護者たちにとつては、信頼すべき働きものであつた。勤務者である母親たちの便宜のために、保育時間を朝7時半から、夕方は5時45分まで、公立保育所にくらべて、朝は1時間はやく、夕方は45分おそくすることも決していとわなかつた。
[6] 国や自治体の保育料負担を増額させるためにも努力してきた。
[7] 乙山は一審冒頭の意見で、次のようにのべていた。
「私は子供の発達権を保障し、自らも働く婦人としての権利を守る保育労働者の立場をとること、保育を未来をになう子供たちの全面発達を保障する教育としておさえ、保育を創造していくこと、父母の要求から正しい要求をくみとり、さらに高めていき、国民のために保育制度、政策をつくりあげる主体者、組織者の立場をとること、この3つが保育者の果すべき役割であると思います。保育者としての任務を自覚するようになつてからは、政治運動や選挙運動に参加するようになりました。」
[8] 乙山は子供たちの家庭を訪ね、母親たちに保育上の連絡をおこない、また週に1回は「赤旗」を配り代金をあつめるために塩冶町や古志町の読者の家をまわつた。選挙の時期であろうとなかろうと、乙山にとつて、それらは日常の生活と仕事の一部であつて、特別のことではない。原審第5回公判で乙山は次のようにのべていた。
「私が行きますと、とにかく保育園の仕事の外に大変ですねという気持が被訪問者にあり、『なかなか大変ですね』という言葉をかけられますし、とりわけ本件の場合は選挙中でしたから、向うから『中林さんはどうですか』と殆んどの方が声をかけて来られたと記憶しています。」
声をかけられた乙山がもしそれに応じた答えをしなかつたとすれば、乙山はもはやこの地域の福祉に貢献することを志す乙山本人ではなくなることを意味していた。
[9] このようにして、乙山が保護者や「赤旗」読者の7人の家を訪れた際に、中林候補のことが話題になつた、という理由で彼女は訴追されている。
[10] 被告人両名はいずれもまつとうな国民である。「この憲法が国民に保障する自由及び権利」を「保持」するために「不断の努力」を営むなかで、自分自身の意思にもとずいて政治上の選択をおこない、主権者として政治に加わるために、その日常の活動をつゞけてきた。選挙の季節にも、その日常生活のひとつとして、旧知の友人を訪ね、あるいは法定ビラを渡し、あるいは「赤旗」代金を受領し、その際に日常の会話として選挙のことを語つたにすぎぬ。
[11] このような行為は、憲法のうえで、どのような評価をうけることが正しいか。憲法はこのような行為に否定的評価を加えることを許しているのか、そのことがこの事件で問われている課題のすべてである。
[12] それでは、過去の裁判所は、このような戸別訪問について、どのような対応をしてきたであろうか。

一、昭和25年大法廷判決の時代背景
[13] 周知の先例である昭和25年9月27日最高裁大法廷判決は、
「……憲法21条は絶対無制限の言論の自由を保障しているのではなく、公共の福祉のため、その時、所、方法等につき合理的制限のおのずから存することは、これを容認するものと考うべきであるから、選挙の公正を期するために戸別訪問を禁止した結果として、言論自由の制限をもたらすことがあるとしても、これ等の禁止規定を所論のように憲法に違反するものということはできない。」
といつて、いとも簡単に合憲説を宣言した。
[14] しかしこの判決が、選挙運動としての戸別訪問の憲法上の位置づけ、たとえば国民主権原理との関連性、政治的表現の自由の優越性等の考察がまつたく行われなかつたばかりか、憲法審査の方法、たとえば戸別訪問禁止規定の立法事実の確定、禁止規定と社会的害悪の関連性、表現の自由と規制利益との比較等の検討も全くなされていないものであり、先例的価値に疑問を投げかける批判がつとになされていたことは多言を要しない(奥平「言論の自由と司法審査」『基本的人権』4)。そしてこの判決がこのような未熟さを残したのは、やはり後述するとおり昭和25年という時代の制約によるものであり、どのような社会的土壌が、この判決を生み出したのかを今一度確認しておくことが、われわれが判例変更をつよく求める理由を理解するうえで有益と思われる。
[15] 戸別訪問禁止は、大正14年の普選法以来の法制であるが、旧憲法下では、天皇主権の下で法律の範囲内の言論の自由(29条)、選挙の自由(35条)しかなかつたから、戸別訪問自由の憲法上の論拠はなかつた。しかも旧憲法下の衆議院の国政決定権限が、実質的にきわめて限定された小さなものであり、議員の地位、役割も国民の政治的要求を吸い上げて国政に連結させる意義をもたなかつたから、選挙運動も政策的支持を争う言論戦になりにくく、選挙民の情に訴えて、当選を嘆願する形のものになりやすかつたのである(杣「戸別訪問禁止規定の成立(1)」)。また、同時に制定された治安維持法を始め一般言論抑圧法体系が政治的言論を厳しく取締つていた状況下では、国政に対する批判や政策的主張(徹底的に押しすゝめようとすれば、国民を苦しめる根源である明治憲法の専制的本質即ち天皇制にまで触れざるを得ない)が、もはや言論活動として展開できる客観的基盤を欠いていた。選挙運動としての戸別訪問が、欧米流の政策宣伝を主体にした形態に発展しなかつたのはけだし当然であるといえよう。
[16] 戦後、憲法は革命的転換をとげて国民主権の民主憲法に変わつた。この憲法の下では、選挙は最終的な国家意思を形成する立法府の代表を選出し、統治権の正当性を根拠づける淵源となり、国民の主権性が直接発揮されるきわめて重要な意義を有するものとなつた。同時に政治的言論活動も解放されて、国民は多様な政策や情報の中から、自己の要求にかなう政党、候補者を選択することが可能になつた。従つて、新しい憲法と選挙制度の下では、戸別訪問も哀訴嘆願から脱却して、政策や人物宣伝を中心とした政治対話へと発展し、その意義も、誰にでもできる簡便かつ容易な政治参加の基本的な手段と理解されるべきであつたはずである。
[17] しかし、憲法は変つても、新しい政治意識が国民に定着するには、なお幾多の政治体験を経ねばならなかつた。
[18] 敗戦当時の支配層は「国体の護持」に懸命で、国民主権など思いもしかなつた。戦後直後から始まつた新憲法の制定にあたつて、政府の準備した憲法草案は依然として天皇主権説に立つていたし、各政党の憲法改正案も、共産党をのぞいていずれも天皇に主権者の余地を残すあいまいなものであつた。
[19] 衆議院議員選挙法改正(昭和20年)、参議院議員選挙法制定(昭和22年)の審議では、占領軍の意向とこれを受けた内務官僚の開明性によつて、むしろ政府当局が選挙運動自由化(戸別訪問自由を含む)の提案を行つたが、議会内とくに衆議院の議員達はこれにこぞつて反対した。彼らは政治活動における言論表現の自由の意義に全く無理解であつたし、運動の自由化で国民の政治水準があがることなど本格的な民主政治にも政党政治にも経験のない議員達には理解されなかつた(杣「選挙制度の改革」『戦後改革』3)。のみならず、彼らは、一定の公営制度の拡大とひきかえに言論、文書活動を一層制限する「選挙運動の文書図画等の特例に関する法律」(昭和22年)、「選挙運動の臨時特例に関する法律」(昭和23年)をそれぞれ議員立法として成立させた。
[20] 大法廷判決の出た昭和25年4月に成立した「公職選挙法」は、138条但書として「候補者が親族、平素親交のある知己その他密接な問柄にある者を訪問することは、この限りではない。」と一部戸別訪問を「解禁」した。しかしこの但書の挿入を巡る議会内の議論も、全く議員本位の発想でしかなく、主人公である国民の訪問活動の自由の保障を前提にして、そのうえで民主的な選挙制度の本質的部分を犯す「弊害」の有無、有るとすればそれを取り除くための方策として、主体を候補者に限ることが妥当かどうか(むしろ普選法立法過程では、候補者の戸別訪問は禁止しようという案はあつたが、一般有権者相互の投票勧誘は禁止の対象外でさえあつた)、対象者を親族等に限定するのが合理的かどうかという視角は全く欠落していた。結局「解禁」されたという「戸別訪問」は、議員達が日常潜行的に行なつていた親族、知己(これに対しては政策による説得はもともと不用)に対する義理、人情がらみの「あいさつ」行為にすぎなかつたわけで、これによつて、政策宣伝を中核とする有権者との交感という戸別訪問本来の生命力が育ちうるはずもなかつたのである。要するに、当時は戸別訪問がそのような意義にしかとられていなかつたわけである。
[21] また当時は、憲法学説としても表現の自由の理論化は未成熟であつたし、憲法審査の訴訟理論もまだ紹介されていなかつた。
[22] 要するに、昭和25年判決は、こうしたもろもろの時代の制約を色こく受けていた戦後初期の水準のものとして理解すべきであつて、やがては新しい社会的土壌の下で再検討されるべき運命を負つていたといえよう。

二、昭和44年大法廷判決の脆弱性
[23] 昭和25年判決以後、永らく戸別訪問論争は影をひそめていたが、その間に我国の社会構造と国民の政治意識は大きく変容し、とくに昭和40年代に入つてから選挙戦の様相も政策を中心とした宣伝、説得と大衆参加の運動が著しく発展してきた。詳細は本書別項に譲るが、こうした政治意識の変化は、がんじがらめの選挙運動規制に対するきびしい批判を生みだし、戸別訪問自由を含む選挙制度改革が各界で盛んに論議され始めた。
[24] 総理大臣の諮問機関である選挙制度審議会では、第4次(昭和41年)で戸別訪問、文書活動を全面解禁する「柏村提案」が発表されて世論の注目をあび、第5次(昭和42年)では、戸別訪問等の自由化が正式な委員会報告として提出された。全国都道府県選挙管理委員会からも、第5次審議会に対して自由化の報告がされた。柏村氏をはじめ、歴代の警察当局責任者さえも戸別訪問を含むはんさな形式犯の撤廃に賛意を表明したのも耳目をひいた。この時期のマスコミもすべて自由化を支持する論陣を張り、大いに世論を啓発した。
[25] この時期の論議を通して、選挙における政治的言論の重さや政治は国民が主人公であつて、誰でも参加できる政治が望ましいとする意識が広汎に浸透し、戸別訪問がそのためもつとも簡便で有用な方法であることが広く認識されたといつてよい。
[26] こうした政治意識の変化や自由化を求める世論は、当然裁判にも反映せざるを得ないのであつて時を同じくして、昭和40年代前半に入つて地裁、簡裁段階で4つの違憲判決が登場してきて注目を集めた(42・3・27東京地裁、43・3・12妙寺簡裁、44・3・27松江地裁、44・4・18長野地裁佐久支部)。これらの判決は、憲法審査の基準としては主に「明白かつ現在の危険」の理論により、いずれも言論活動を中核とする選挙運動を憲法上の主権原理、参政権と関連させて位離づけ、戸別訪問の積極的有用性を評価しつゝ、腐敗、不正行為温床論等防止すべき害悪との関係も具体的に検討した説得力のあるものであつた(これらの判決の分析と意義については、斎藤「戸別訪問違憲判決の検討」法律時報52・6、村野「選挙裁判の現状とその問題点」法と民主主義152参照)。
[27] この動きに対して、最高裁は昭和44年4月23日再び大法廷判決で合憲説を確認した。しかしこの裁判は結論として合憲説を再確認したという事実上の拘束力としては下級審に絶大な影響力を及ぼしたが、内容では根本的な脆弱性をはらんでいた。第一に、戸別訪問を一律全面禁止する合理的理由を積極的に打ち出せなかつたことである。この時期の最高裁は、すでに全逓中郵判決(41・10・26)に見られる立法事実論に則つた憲法審査の方法論を身につけていたはずであるし、直前には、第二小法廷判決(43・11・1)がはじめて戸別訪問禁止の立法理由を一応提示していた(もつとも、これは前記松江地裁と長野地裁佐久支部判決でただちに反論された)ことを合わせ考えると、ただ25年判決を引用するに止まつた判決内容はいかにも無力であつた。第二に、結論を「いま、これを変更する必要は認められない。」と結んだことである。前述のとおり、40年代前半には戸別訪問自由化の世論は高揚し、合憲説を支える実体的基盤は、国民の民主的な志向の発展を含む政治的、社会的諸条件の変化によつて確実に失われつつあつたのであり、その意味で、この結論は、不変の決意を示したよりも、むしろ時代の推移によつて旧大法廷判決を維持し難くなりその変更を認めざるを得ない事態が起りうることを示唆するものと解するのが的を得ていると思われる。

三、原判決の意義と上告審の課題
1 原判決を生んだ底流
[28](一)、44年判決以後の約10年間、下級審において戸別訪問禁止を違憲とする判決は姿を消していた。しかし、この間にも、政治状況の面では、大都市や大きな都道府県の首長選挙のように、保革両陳営がそれぞれ数十万の組織を結集した確認団体を母体として争われるなど、大衆参加の様相が一段とつよまつた。47、8年に実施された品川、大田区の区長準公選では、戸別訪問と文書活動を全面自由化したが、結果は腐敗がなくなり、政治を身近かに感じたなど大成功を収めた。両区100万人の「実験」が、観念的な弊害論を打破した意義は多大であつた。また、この時期の裁判当事者の努力は、抽象的な憲法理論の論争に堕すことなく、戸別訪問行為の有用性や公選法の不合理性とともに、国民の政治意識の変化や選挙の実態などを事実をふまえて論証することに向けられたし、その一つとして、普選法やイギリスの腐敗防仕策の立法沿革をもあらためて研究し直し、我国独特の禁止法制を支えるのが特殊な「弊害」の存在ではなくて、特殊な「対応」にすぎないことも明らかにした(詳細は同じ第二小法廷に係属中の尾場瀬事件上告趣意書第一章、同上告趣意補充書、本件原審弁論要旨第二章)。
[29] こうした事実をつみ重ねたねばり強い裁判活動の末、昭和50年代に入つて、結論としては合憲有罪でありながら、中身においては被告人の訪問行為自体の積極的意義を承認したり、禁止法制の合理性に疑問を投げかける理由を付加したりする判決が目立つようになつてきた。福岡地裁小倉支部52・3・25(尾場瀬事件)、札幌地裁室蘭支部53・3・23(白老事件)、熊本地裁人吉支部53・3・25(内田事件)、東京地裁53・5・16(園事件)、大阪地裁堺支部53・9・21(藤田事件)等。
[30](二)、やがて、10年ぶりに再び違憲無罪判決が登場する。松山地裁西条支部53・3・30、松江地裁出雲支部54・1・24、福岡地裁柳川支部54・9・7、盛岡地裁遠野支部55・3・25と続き、昭和55年4月28日に高裁判決としては初めての原判決が出されたが、これら5つの裁判には、40年代の違憲判決とくらべてより充実したいくつかの特徴がある。第一に、戸別訪問禁止の理由とされる弊害論に対する批判がより具体的で詳細になつた。この論証に品川、太田区の準公選の実例が大きく貢献しているが、これによつて、ともすれば観念的な議論になり勝ちであつたこの部分に実証の重みを加えている。第二に、憲法審査の理論としてもよりち密さを深めたことである。40年代の判決が主として「明白かつ現在の危険」の理論によつたのに対して、これらは「必要かつ最小限度」の理論を適用し、各弊害論との間の関連性や規制の程度の衡量を遂一検討している。第三に、これら違憲判決の基盤である国民の選挙制度に対する意識の変化、国民が主体的に政治に参加する風潮の増大などが、40年代よりもさらに進展していることである。
[31] 従つて、これらの判決は、より強固な社会的事実に立脚した健全な思考に貫かれており、世論もこぞつて歓迎したのも当然といえよう。
2 上告審の課題
[32] とくに原判決は、初の高裁判決らしく、累次の最高裁判決も充分考慮に入れたうえ、禁止法制を支える立法事実の変容ないし消滅という見地から新たな再検討を迫るものである。従つて、上告審としては、2つの大法廷判決のような問答無用の応答ですますことは到底許されないことである。
[33] つぎに、上告した検察官は、自ら従来の判例が何ら具体的な審査基準を示しえなかつたことを不備として、「国民全体の共同利益」論によつて、新たにこの禁止法制の理論づけを補強しようとしている。しかしながら、本書別項で詳しく反論するとおり、この利益概念を持ち出すことによつてますます禁止理由は無内容にならざるを得ない。すでに大法廷は、昭和51年4月14日定数規定違憲判決において、選挙権の権利性をふまえ、憲法の主権原理及び平等原則との関係を明らかにしている以上、選挙運動の側面における選挙権(運動自由の権利)を、主権原理との関連で最大限保障する審査基準をこそ打ち立てねばならない。
一、選挙は正当な国権の最高機関をつくりだす行為である。
1 憲法前文
[34]「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。」
[35] これは、私たちの憲法前文の冒頭の一筋である。当面の課題とのかかわりでいえば、次の4点が重要である。
(一)、私たちの国の主権は国民にある。
(二)、主権者である国民は、正当に選挙された国民における代表者を通じて行動する。
(三)、国家権力を行使するものは、国民の代表者としての資格においてであつて、その権威は国民に由来し、その福利は国民が享受する。
(四)、これらは、人類普遍の原理である。
[36] ひとことでいえば、国民主権の宣言であるが、同時に、この国民主権は「正当に選挙された」国会を通じて実現され、この国民代表としての国会によつて、国家権力を行使する諸機関が構成されることを含意している。国家権力を行使する諸機関が「国民の代表者」としての資格をもち、その権威が国民に由来するのは、「国会における代表者」、つまり国会議員が「正当に選挙された」ものであることに淵源する。憲法前文冒頭はそのことをのべている。
2 国権の最高機関をつくりだす行為
[37] 憲法は国民主権にもとづいて、国民から信託された国権の最高機関として、国会を設けた。憲法41条は「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」と定めて、このことを明らかにしている。この国会をつくりだす国民の主権行使が国政選挙である。この選挙権は、国民の固有の権利として、成年である国民のすべての個々人に保障され(15条1項、3項)、それは人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別されてはならない(44条但書)。つまり選挙権は、その人の成年たる国民の資格においてのみ発生するのであつて、それ以外のいかなる要素をもこれを加えることは許されない。
[38] 選挙権の主体は、国民個人であつて、このことの確認のうえに、普通選挙、平等選挙、自由選挙、秘密投票などが保障される(15条、44条但書など)。
[39] つまり、選挙は、主権者である国民個々人が、その主権者であることに基き、自分たちを代表して国家権力の最高機関である国会を構成すべき議員を任命することである。それは国家権力をつくりだす行為である、といつてもよい。
3 国権の正当性をうちたてる行為
[40] 選挙は「正当」であることが憲法上の要求である。
[41] 先にひいた憲法前文にいう「正当に選挙された国会」という表現はそのことをしめしている。選挙であればどんな選挙であつてもよい、ということにはならないのであつて、それが「正当」であることが必要である。
[42] なぜならば、選挙の正当性が失なわれるならば、国権の機関は国民の代表者としての正当性を失ない、国民はそのような国権に服従する理由をもたないからである。
[43] 権力の支配が正当視されるゆえんは、それが国民の任命した代表機関によつて行使されるからにほかならない。
「正当な権力は被治者の同意に由来する」(1776年アメリカ独立宣言)
という確立された政治思想は、憲法前文にいう「人類普遍の原理」や「政治道徳の法則」にひきつがれている。国民の同意が国家権力に対する服従の基礎であつて、この同意を明らかにする方法が選挙である。そこで選挙の正当性は国権の正当性を直接に基礎づける根拠である。
[44] 憲法は、国会を国権の最高機関とし、国会の指名によつて内閣総理大臣がきまり、内閣総理大臣は国務大臣を任命して内閣をつくり、内閣は最高裁長官を指名し、さらに最高裁裁判官を任命し、最高裁の指名した名簿によつて、下級裁判所の裁判官を任命することを定めている。この立法、行政、司法のすべてのしくみが国民に対して正当であることの源は、国政選挙の正当性、それ自体にある。
[45] 選挙の正当性は、普通選挙、平等選挙、自由選挙、秘密投票などの保障によつてのみ確保されうる。公職選挙法1条が「この法律は……、その選挙が選挙人の自由に表明せる意思によつて公明且つ適正に行われることを確保し、……」と定めていることにもその一端があらわれている。
4 自由選挙の保障
[46] 自由選挙の保障には、投票意思形成の自由、意思実現の自由、選挙運動の自由の3つを欠くことができない。これらは、誰に投票するかをきめるための自由、きめた候補者に投票することの自由、多数派をつくるために、言論などによつて国民相互に働きかけあう自由、といつてもよい。つまり国民がその自由な意思にもとづいて、相互に、多数派をつくるための自由な選挙運動をおこない、その結果として自由に投票意思をきめたうえで、それが投票のうえに自由に表現されることによつてのみ、選挙の結果は国民の自由な選択によるものといいうるのであつて、このときうちたてられた国権は、はじめて国民に対する正当性を獲得することができる。原判決が
「主権者としての国民の政治的活動の自由――すなわち、国民が国の基本的政策決定に直接、間接に関与する機会を持ち、かつそのための積極的活動を行なう自由――これなくしては発達した民主主義国家における政治的支配を正当づける根拠を欠くものである……」
とのべたことは、全く正しい。

二、選挙運動の自由
1 政治的活動の権利
[47] すでにみてきたように、選挙は正当な国権の最高機関をつくりだす行為であつて、その選挙の正当性を保障するためには、選挙運動の自由を含む選挙の自由を欠くことができないのであるが、これは主として国民主権の側面からみた考察である。これを国民の人権の側面からみるならば、選挙運動の自由は、国民の享有する言論・表現の自由、集会・結社の自由(21条)などの基本的人権の行使にほかならない。とりわけ政治的表現の自由がその中核をなすものといつてよい。
[48] 政治的多数派をつくりだすための、勧誘、説得、演説、文書、図画、集会、集団示威運動などを含めた政治的活動の権利がそれである。原判決が「政治的活動の自由」とのべているのも同義である。政治的多数派をつくるための、国民相互の働きかけの分野で行使される場合の基本的人権を一括したものといえよう。こゝでは、「人の権利」と「市民の権利」とが一体をなしている。
2 「知る権利」と「知らせる権利」
[49] 自由な投票意思の形成のためには、ひろく政治に関する情報がつたえられ、それらが交流することによつて、自由な政治的選択がおこなわれることが必要である。
[50] 国民にとつて、その投票意思の確定のために、「知る権利」、すなわち情報を得る権利が保障される必要があり、また国民は多数派をつくりだすために、他の国民に「知らせる権利」、すなわち情報を伝える権利が保障される必要がある。「知る権利」の主体は、同時に「知らせる権利」の主体である。
[51] これらの「知る権利」と「知らせる権利」の両面は、いずれも憲法21条の保障するところであつて、これらの権利は権力の不当な抑圧にさらされてはならない。
3 国家権力をつくりだす自由
[52] しかし、これらの基本的人権は、単に「国家権力からの自由」にとゞまるものではない。それらが政治的活動の自由として、とくに選挙運動の自由の分野ではたらく場合には、まさしく「国家権力をつくりだす自由」であつて、国家権力の正当性をうちたてるために不可欠の権利である。この分野では国民は不可侵の人権を享有する自由な人間であるとともに、国民代表を選び、国政の方向をきめる主権者としてたちあらわれる。この2つの権利の具現者としての国民の選挙運動の自由は他の権利との均衡とか、「公共の福祉」との適合性とか、さらには「国民全体の共同利益」との調和、などという衡量には親まないものというべきである。
4 「国民全体の共同利益」論の破綻
[53] その意味では、政治的表現の自由が、選挙運動の自由としてあらわれる場合には、一般の基本権制約の法理として説かれているものを適用したり、あるいは多少それらを修正加工したものをあてはめようとすることは許されない。
[54] 昭和25年9月27日大法廷判決が、公共の福祉をもちだして、憲法21条の制限をみとめ、そのことによつて戸別訪問禁止を容認した方法は、もとより論外であるが、本件上告論旨が「選挙関係者(候補者、選挙運動者、選挙人等)を含む地方住民全体ないし国民全体の共同利益」なる新語をつくりだしたとしても、かわるものではない。つまり、この場合、選挙運動の自由は、「国民全体の共同利益」として、正当な国権をつくりだすことの自由にかゝわり、国民主権の根本義に根ざすものであるから、「国民全体の共同利益」のために選挙運動の自由を禁圧することは、「国民全体の共同利益」のために「国民全体の共同利益」を投げすてることを意味することにならざるをえない。この撞着は実は「国民全体の共同利益」論を選挙運動の自由の分野にもちこんできたこと自体のなかに伏在している。労働基本権や公務員の政治活動の権利に対する制約原理として、この議論をもち出してきた際には、たとえば、「公務員を含む国民全体の共同利益」であるとか、「勤労者を含めた国民全体の共同利益」であるとかいう場合のように「公務員」にしても「勤労者」にしても、それらはいずれも「国民全体」からみるならばその一部であつて、「……を含む国民全体」という語意が生きていたのである。つまり、少数者の権利は、全体の利益のために多少の譲歩を迫られてもやむをえない、という思考の働く余地が存し得たのである。ところが、この議論を選挙運動の自由に対する抑圧を合理化するために使用する段になると、「選挙関係者(候補者、選挙運動者、選挙人等)を含む地方住民全体ないし国民全体の共同利益」ということになつて、「選挙関係者」とは未成年者と選挙権・被選挙権を停止されている者を除く国民全体ということになるから、つまり、「選挙関係者」とはほぼ「国民全体」というに等しい。そこで「……を含む国民全体」という語意の働く余地がなく、ほとんど国民全体を含む国民全体というのと同じになり、従つてまた少数者の権利を全体の利益のために制約するという思考ははいりこむすきがなくなる。国民全体の利益の憲法上のなかみともいうべき正当な国権の創成という行為(選挙)の自由を制約するのに、一般の基本権制約の方法をもちこむことの矛盾撞着がここにあらわれている。
[55] このようにして選挙運動の自由としてあらわれる政治的活動の権利は、憲法上で、最高の保障が要求され、基本権相互の調整や利益衡量によつてその禁止をみとめることはできない。
[56] 選挙運動の自由に対する許されない制約が科せられているもとでは、国民は選挙の結果に対して決して満足することがない。国民はそれが公正な結果ではなかつた、と考える。そのようにしてできあがつた多数派の正当性を疑う。それが自分の求める多数派であろうと、なかろうと、選挙運動の自由が保障されているもとにおいてのみ、少数者は自分が少数者であることをみとめたうえで多数派に一定期間の政権掌握をみとめ、その権力の正当性を承認するであろう。そして、このことは国民主権にもとづく議会制民主主義の本旨に立脚するもので、決してないがしろにすることのできない「国民全体の共同利益」の内実である。原判決が
「……政治的活動の自由は国民の単なる個人としての政治的意見の表明に至るまでの広い範囲にわたる行為の自由を含むものであり、民主主義国家においてはできる限り多数の国民の参加によつて政治がおこなわれることが国民全体にとつて重要な利益であることはいうまでもない……」
とのべたのも、同じ理解にたつものであろう。

三、選挙運動における平等
[57]「平等は自由と並んで、近代国家における基本的かつ窮極的価値であり理念であつて、特に政治の分野において強く追求されてきた……」(昭和51年4月14日、大法廷判決)。「……選挙権の平等は、単に選挙人資格に対する制限の徹廃による選挙権の拡大を要求するにとどまらず、更に進んで、選挙権の内容の平等、換言すれば、各選挙人の投票の価値、すなわち各投票が選挙に及ぼす影響力においても平等であることを要求せざるをえないものである」(前同)。
[58] この選挙権の平等、ひいては投票価値の平等は、選挙運動における平等をも要求しないではおかない。
[59] 国民のなかの特定の人たちが選挙運動において不当に優位にたち、平等な競争と公平な運動を阻害されているもとにおいて、その選挙は「正当性」をそなえたものということはできない。
[60] とくに官憲による選挙干渉はもつともきびしく禁止されなくてはならないであろう。
[61] この選挙運動における平等の要求は、候補者の選挙運動における平等にとゞまらない。国民個々人が、多数派形成のための努力において平等でなくてはならない。これが基本である。その平等保障は選挙権の主体が国民個々人であることに由来して、その個人としての国民のレベルにおいて平等でなくてはならない。
[62] 買収や権力者の地位利用、暴力、団体献金、組織統制などがこの観点において禁忌されるのは、それらが国民個人のレべルにおける平等を、個人の自力以上の他の要素によつて破壊するからである。その個人としてのレベルにおける力量、その結集としての政党の力量は、平等に発揮されなくてはならない。
[63] 政策宣伝などの政治的表現の自由の分野において、ある個人やその結集体としての政党が、他に比して有力であるのは、自力によるもので、その自力による競争の試練をへて、民主主義政治は展開するのである。
[64] ある候補者について、多数の国民がその個人の自力において選挙運動に参加し、他の候補者について、これを支持するものが少ないのは、いずれも自力による競争の結果であつて、平等保障にかゝわる問題ではない。
[65] 本件一審判決は、
「戸別訪問は国民のできる選挙運動としては、最も簡易で、優れたものなのである」「財力のない一般国民にとつて、なくてはならない選挙運動なのである」
とのべ、原判決は、
「……少なくとも多数の国民が行いうる方法の中では簡易かつ特段の経費を要さないものであるから、容易に他の方法により、代替されうるものとは思わない」
と判示した。
[66] いずれも戸別訪問の、政治的言論の自由としての特質を正しくいゝあてゝいる。それは、誰にでも平等にできる選挙運動であり、平等の生活の場において、その個人の日常の行動として行なわれうる。
[67] 選挙運動における平等保障の要請からするならば、戸別訪問の自由こそがもつとふさわしい。
[68] これを禁止しておいて、一人ひとりの国民になにができるというのであろうか。
[69] 上告趣意は
「戸別訪問禁止の代替手段」として、「個々面接、電話により依頼、法定の葉書、ポスター等の文書による方法、立会演説会、個人演説会、街頭演説会等々」
があるという。
[70] この検察官の発想は、候補者の選挙運動しかその目にはいつていないことをしめしている。一人ひとりの国民がその自発の意思にもとづいて、どうして法定葉書やポスターを印刷し、立会演説会で演説することができる、というのであろうか。また上告趣意は戸別訪問を自由化すれば、「大量動員に輪をかけた人海戦術」になつて、巨額の経費がかゝるであろう、という。私たちが一審以来論じているのは、人々がその自発の意思にもとづいて、人を訪ね、政治をかたる、そのような戸別訪問であり、それらがすでに大量現象として現出している、という動かしがたい現実である。「多数の選挙運動員を動員あるいは雇用」する、という形態それではない。検察官がいつまでもこんなことをいつているから、戸別訪問禁止法制は今日の保守党の政治活動のあり様を不当に擁護するものだ、という非難を免れないのである。
一、検察官主張の基本権制約の原理
[71] 検察官の上告趣意の最大の特徴の一つは、言論の自由、表現の自由あるいは政治活動の自由という基本権制約の原理として、「国民全体の共同利益論」を正面からうちだしてきたことにある。
[72] すなわち、検察官は、上告理由第一点、憲法解釈の誤りの章の、「公職選挙に際しての表現の自由に対する制約原理」と題する項(上告趣意書9ページ以下)で、まず、戸別訪問禁止を合憲とする昭和25年9月27日大法廷判決を引用し、表現の自由に対する制約原理としての「公共の福祉」について、
「ここで用いられている『公共の福祉』という概念がやや抽象的に過ぎるためか、原判決のいうような、右判決を先例とする一連の戸別訪問禁止を合憲とする最高裁判決が具体的説示を欠く旨の批判の生ずる余地もあるように思われる。」
と述べて、従来の制約原理としての「公共の福祉」では、抽象的にすぎたし、「具体的説示を欠く」との批判の生ずる余地があり、原判決も、そうした批判の一つであることを認めたのである。
[73] その上に立つて、この制約原理をより具体的に明らかにするものとして、(a)昭和48年4月25日全農林警職法判決の「勤労者を含めた国民全体の共同利益」、(b)昭和49年11月6日、猿払事件判決の「公務員を含む国民全体の共同利益」、(c)昭和51年5月21日、岩手県教組判決の「地方公務員を含む地方住民全体ないし国民全体の共同利益」、(d)昭和52年5月4日、名古屋中郵事件のいう「全勤労者を含めた国民全体の共同利益」があることをあげ、こうした
「最高裁判例における判例理論と表現に従うならば、本件のような公職選挙に際しての表現の自由に対する制約原理は、『選挙関係者(候補者・選挙運動者・選挙人等)を含む地方住民全体ないし国民全体の共同利益』を保障しそれとの調和を図ることにあるということになろう。」
と結論する。
[74] そして、さらに、検察官は、猿払事件判決にならい合憲性判断の基準として、「禁止の目的」、「この目的と禁止される政治的行為の関連性」、「政治的行為を禁止することにより得られる利益と禁止することにより失われる利益との均衡」の3点をあげつつ、とくにその「禁止の目的」「利益の均衡」では、「国民全体の共同利益」を最大限に拡大して、禁止を合憲だとしている。
[75] 私たちは、表現の自由あるいは政治活動の自由という基本権を制約する原理として、この「国民全体の共同利益」をもちだすことが許されないと考えるが、まずは「国民全体の共同利益論」の登場した系譜をふりかえることから論旨をすゝめたい。

二、基本的人権制約の原理の変遷
  ――「国民全体の共同利益」論の登場まで――

1 「公共の福祉」論
[76] 最高裁判所の憲法判例では、基本的人権制約の原理は、「公共の福祉」であるとされ、それは、最高裁発足以来ながい間続けられてきた。国家公務員や公共企業体職員の労働基本権、なかんづく争議権を否定する原理として「公共の福祉」論がもちいられてきたことは周知のとおりである。(たとえば、昭和28年4月8日弘前機関区事件判決、昭和30年6月22日三鷹事件判決、昭和38年3月15日全逓松江郵便局事件、国労檜山丸事件判決など)
[77] 表現の自由についてもそうであつて、検察官引用のとおり、昭和25年9月27日の戸別訪問禁止に関する大法廷判決は、
「公共の福祉のために……合理的制限のおかずから存することは容認するもの」
と、何らの論証もなく断定し、爾後、多くの最高裁判決も、これを引用するにとゞまつていた。
[78] それが余りにも抽象的であるがために、「批判の生ずる余地」があり、検察官もそれを上告趣意で認めるにいたつたことは、先にも紹介したが、このことは「公共の福祉」論の破綻ないし動揺を認めるものということもできよう。
2 「国民生活全体の利益」論
[79] こうした「公共の福祉」絶対の立場が最初に動揺しはじめるのは、昭和40年7月14日和教組専従事件で、
憲法28条の保障する勤労者の団結権等の「制限の程度は、勤労者の団結権等を尊重すべき必要と公共の福祉を確保する必要とを比較衡量し、両者が適正な均衡を保つことを目的として決定されるべきである」
として、比較衡量論への移行を示している(もつとも、この判決は広汎な立法裁量を認めたため、実質的には「公共の福祉」絶対論と異ならなかつたと批判されている)。
[80] ついで、昭和41年10月26日全逓中郵事件判決は、労働基本権尊重を前面に押しだしつつ、「国民生活全体の利益」との均衡を明らかにした。すなわち、憲法の保障する労働基本権は、国民生活全体の利益の保障という観点からする内在的制約を有するが、具体的な制約の合憲性を判断する基準として、(1)労働基本権の尊重確保と国民生活全体の利益の維持増進の比較衡量において、前者の制限は合理性の認められる必要最小限度であること、(2)職務または業務の公共性が強く、その停廃が国民生活に重大な障害をもたらすおそれがあるとき、これを避けるため必要やむをえない場合であること、((3)(4)略)などの4条件をあげ、立法と法解釈の指針を示した。
[81] また、昭和44年4月2日東京都教組事件判決では、さらに、労働基本権と「国民生活全体の利益」との均衡を図る具体的論理が明確にされた。具体的な公務員の争議行為が、「国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な支障をもたらすおそれがある場合」に核当するかどうかは、あらかじめ定められた一定の概念や尺度によつて判定すべきものではなく、あくまで
「争議行為を禁止することによつて保護しようとする法益と、労働基本権を尊重し保障することによつて実現しようとする法益との比較衡量により、両者の要請を適切に調整する見地から判断」
してはじめて決せられるべきものである。「国民生活全体の利益」が労働基本権に対立する一般的制約原理でないこともますます明瞭となつた。
[82] しかも、「国民生活全体の利益」という言葉には、生活利益であるということにともなう現実性、具体性がそなわつていたのである。生活利益という限りでは、ストライキによる支障とは、たとえば、郵便が止る、電車がとまるということにともなう支障として目に見えるものであり、つまりそういう意味では事実の問題でありうるし、それは事実にもとづく論証が可能である土俵を提供する概念であつたのである。一方で、ストライキによる生活上の不利益を論ずるとすれば、他方ではストライキによつて賃金が上るというような具体的利益を比較衡量する、つまり、そういう意味では事実の平面、証拠の平面、論証の平面で、双方の議論をとらえる方法を可能にする要素が含まれていた。
[83] これらの判決に関与された田中二郎裁判官は、最高裁判事を辞任した後、次のように述懐されている。
「憲法の解釈問題にしましても、……もつと現実の社会に即して実質的に納得のいくような理由づけをしていかなければ最高裁としての使命を果たせないんじゃないか……たとえば、昔の最高裁の判決では、基本的人権も公共の福祉の制約に服する、公共の福祉の見地から必要があればどういう制約を受けても仕方がないんだという考え方が支配的でしたが、それではいけないんで、やはり国民を納得させるに足るだけの具体的な理由づけをしていかなければいけない。
 こういう抽象的な観念を一切の基本的人権の制約原理として用いることはおかしい、もつと公共の福祉の内容を分析し、個々具体の基本的人権との関係で具体的に利益衡量をし、一般国民の納得のいくだけの理由づけをしていかなければいけないと考えていたのです。単に公共の福祉の要請というだけで制約が自由に加えられるならば、明治憲法時代と少しも変らない。むしろより強力な制約さえ加えられかねないことになりはしないか。
 どういう場合に、どこまで制限できるかを納得のいくように理由づけをしなければいけないのではないかと考えたわけです」(「法曹あの頃」・法学セミナー1976年9月号)
つまり、「公共の福祉」という言葉の概念を、どう目にみえる可視的なものにするか、苦労されたあとがうかがわれるのであるまいか。
[84] こうした努力が最高裁の内部で、相対的多数をしめしていたし、そこでは、「公共の福祉」という言葉は、昭和40年代の相当の期間、「国民生活全体の利益」という具体性をもつたものにふみだしていたのである。
3 「国民全体の共同利益」論の登場
[85] この「国民生活全体の利益」という具体性をもつたものが転換させられたのが、昭和48年4月25日全農林警職法事件判決である。この判決で、農林省職員という非現業公務員の争議行為禁止を合理化する理由として「国民全体の共同利益」というはなはだ抽象的な、とらえようのない、論証の対象になりえない超極大概念が登場してきたのである。
[86] この「国民全体の共同利益」という言葉とその言葉の内容については、多くの批判が集中した(たとえば、野村平爾教授は、
「『国民全体の共同利益』とはどんなものかの説明は存しない。そして随処にこの言葉が出てくる。……なにが共同利益なのか、一向に不明瞭である。国民と一口にいつても、利害ということになれば、大きくみても対立する場合が決定的に多いのだから『共同利益』という言葉は、きわめて抽象的な内容しか持たないことにならざるをえない。」(法律時報 昭和48年7月号)
など)。
[87] しかし、最高裁判所は、こうした批判に耳をかたむけず、また格別の説明をつけ加えることもなく、先にも引用したように、岩手県教組事件では、「地方公務員を含む国民全体の共同利益」といい、名古屋中郵事件では「全勤労者を含む……」といい、いずれも「国民全体の共同利益」を地方公務員、現業公務員の争議禁止の理由にも拡大しただけでなく、猿払事件では、公務員の政治的行為の禁止を合憲化する、つまり、表現の自由、政治活動の自由という基本権を制限、否定する原理にまで展開してきたわけである。
[88] こうして「国民全体の共同利益」論は、当初の官公労働者の争議行為禁止の原理から肥大化して、公務員の政治的自由、表現の自由の制限、抑圧の原理へとひろがり、さらに、この上告趣意書では、国民の政治的自由、戸別訪問を含む政治活動の自由をも併呑しさろうとしているといわざるをえないのである。

三、「国民全体の共同利益」論の危険な役割
1 表現の自由と「国民全体の共同利益」論
[89] 前項でみたように、「国民全体の共同利益」論は、労働基本権における内在的制約としての「国民生活全体の利益」に対し、言葉をかえて登場したのであるが、その表現上の類似とは裏はらに、その内容は、まさに似て非なるものがある。「国民全体の共同利益」という抽象的かつ内容の不明瞭な概念で、一方に「国民全体」をもちだし、他方には、「勤労者」とか「公務員」という少数集団を想定し、前者が後者に優越する、つまり、全体が少数に優越するというかたちで、後者の基本権を制約することが可能だとすることは、とうてい容認しがたいところである。全農林事件判決以後の判決が、従来の「公共の福祉」絶対論(ないし優越論)への単なる復原とは異なると、るゝ説明をしているけれども、実質的には、「公共の福祉」絶対論にほかならないのである。われわれは、田中二郎元判事がいわれるように、この領域でも、生活利益という形での目にみえる事実の次元での比較衡量にたちかえることを切望せずにはいられない。
[90] 同時に、こうした「国民全体の共同利益」という考え方が、右の生存権基本権制約の原理たるにとどまらず、さらに、言論、表現の自由、政治活動の自由の領域にまで、無批判的に援用されてくるのには、強く反対せざるをえない。民主主義社会における言論、表現の自由の優越的地位はもとよりのこと、国民主権と議会制民主主議のもとでの政治活動の自由のもつ重大な意義については、すでに述べたとおり、この領域に、「国民全体」の「共同利益」のまえに、個人の、そして少数者の精神的活動の自由が制約されてもやむをえないとする論理を容認することはできない。むしろ、逆に、少数者のこうした活動の自由を認めることこそ、民主主義社会、いわゆる「自由社会」の利益、国民全体の利益でなければならないのである。言論、表現の自由、政治活動の自由に対する制約原理として適用されてはならないのである。
2 猿払事件判決における「共同利益」論の拡大
[91] ところが、この「国民全体の共同利益」論が、さらに拡大されて、右の領域における基本権制約の原理として適用されたのが、猿払事件判決である。
[92] ここでは、
「行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保するために、公務員の政治的中立性を損うおそれのある政治的行為を禁止することは、まさしく憲法の要請に応え、公務員を含む国民全体の共同利益を擁護するための措置にほかならないのであつて、その目的は正当なものというべきである。」
そして、公務員の政治的中立というのは、国民全体の共同利益だとおきかえられている。そうすると、
「たとえその禁止が、公務員の職種、職務権限、勤務時間の内外、国の施設の利用の有無等を区別することなく、あるいは行政の中立的運営を直接、具体的に損う行為のみに限定されていないとしても、右の(註・禁止目的との間の)合理的な関連性が失われるものではない」
ということになり、「政治的中立性を損うおそれのある政治的行為」の範囲は、無限に拡大するおそれがある。こういう前提にたつと、利益の均衡論も、まつたくバランスを失してくる。
「他面、禁止により得られる利益は、公務員の政治的中立性を維持し、行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保するという国民全体の共同利益であるから、得られる利益は失われる利益に比してさらに重要なものというべきであり、その禁止は利益の均衡を失するものではない。」
という。
[93] そして、結論として、
「その行為の禁止は、……行動のもたらす幣害の防止をねらいとしたものであつて、国民全体の共同利益を擁護するためのものであるから、その禁止により得られる利益とこれにより失われる利益との間に均衡を失するところがあるとは認められない。」
ということになるのである。
[94] ここでは、「国民全体の共同利益」論は、国益論、国家利益論として機能し、これより大きい共同利益というものを想定することができないほど超極大のものを考え、こうした超極大のものを一方にもつてきて、他のいかなる権利もすべて制約が許されるという論法になつてしまつているわけである。こうなると、田中二郎元最高裁判事がおそれていた
「明治憲法時代と少しも変らない、むしろより強力な制約さえ加えられかねない」
としていた懸念が、ここでは現実のものとなつているではないか。
[95] こうして、一方にこの巨大な利益をもちだすと、他方ではごく些細なことであつても、
「これを放置しておくことが、やがて針の穴が提防を決壊させることにいたるであろう」
といつたような、因果関係を途中で省略してしまう一つの「危険防止」論がまかりとおることになる。「管理職・非管理職の別、現業・非現業の別、裁量権の広狭など」は差異をもたらすものではない。北海道の宗谷郡、猿払村というオホーツク海に面して人口5000人の一寒村での一郵便局員が選挙ポスターを貼つたり配布したという事件で、「どうしてそれが国民全体の共同利益を害することになるのか」という健全な常識に対しても、判決は、「有機的統一体として機能している行政組織における公務の中立性」といい、
「かりに特定の政治的行為を行う者が一地方の一公務員に限られ、ために右にいう弊害が一見軽微なものであるにしても、特に国家公務員については、その所属する行政組織の機構の多くは広範囲にわたるものであるから、そのような行為が累積されることによつて現出する事態を軽視し、その弊害を過小に評価することがあつてはならない。」
とするのである。
[96] このような結論にいたつてしまうと、同判決が、
「民主主義国家においては、できる限り多数の国民の参加によつて政治が行われることが国民全体にとつて重要な利益であることはいうまでもない」
として、「国民全体の共同利益」を多数の国民の参加する政治にもとめたことと全く背馳してしまつていると指摘せざるをえないだろう。
[97] 前記の猿払事件判決の判示は、後述の薬事法事件判決に対比すると、そこには同じ裁判所の判断とはとうていうけとれない違いがあるように思われる。いま一度、薬事法判決を吟味する必要があると思うのである。
3 薬事法判決の教訓
[98] こうした因果関係の論証のない推論的手法に対する批判として、最も適切な例が、検察官も引用している昭和50年4月30日薬事法事件大法廷判決である。この判決で、規制の目的が「公共の福祉」に適合する場合でも、その目的と目的達成手段としての規制措置との間に均衡が保たれていなければならないとし、その均衡の有無の判断にあたつて、立法事実(立法の基礎にあり、それを支える社会的、経済的事実)を詳細に検討、分析し、その因果関係を否定したのである。すなわち
「薬局の開設等についての地域的制限が存在しない場合」過当競争が生じ、経営の不安定となるおそれがあり、良質な医薬品の供給をさまたげる危険を生じさせるというが、「確かに観念上はそのような可能性を否定することができない。しかし、果して実際上どの程度にこのような危険があるかは、必ずしも明らかにされてはいないのである。」「競争の激化ー経営の不安定ー法規違反という因果関係に立つ不良医薬品の供給の危険が、薬局等の段階において、相当程度の規模で発生する可能性があるとすることは、単なる観念上の想定にすぎず、確実な根拠に基づく合理的な判断と認めがたい」
と判示する。営業の自由に関する判決でのこうした厳格な、また理性的判断が、表現の自由、政治活動の自由といつた基本権について、さらにすぐれて適用されねばならない。

四、本件に対しては、制約、禁止の原理としての「国民全体の共同利益」論は妥当しない。
1 検察官の主張
[99] 上告趣意では、
「近時の最高裁判例における判例理論及びその表現に従うならば、本件のような公職選挙に際しての実現の自由に対する制約原理は、『選挙関係者(候補者、選挙運動者、選挙人等)を含む地方住民全体ないし国民全体の共同利益』を保障しそれとの調和を図ることにある」
というのである。
2 検察官主張の自己撞着
[100] われわれは、もともと、この領域に「国民全体の共同利益」論をもちこむべきでないと主張してきたが、こゝで、さらに、検察官の「選挙関係者を含む国民全体の共同利益」という考え方について検討してみよう。
[101] すでに述べたように、労働基本権や公務員の政治活動の権利に対する制約原理として、「労働者を含む国民全体の共同利益」であるとか、「公務員を含む国民全体の共同利益」であるとかいう場合には、「勤労者」にしても「公務員」にしても、それらはいずれも「国民全体」からみるならばその一部であつて、少数者の権利は、全体の利益のために多少の譲歩を迫られてもやむをえないという思考が働く余地が存しえたのである。
[102] しかし、この論理を選挙運動の自由に対する抑圧を合理化するために使用する段になると、「選挙関係者(候補者、選挙運動者、選挙人等)を含む地方住民全体ないし国民全体の共同利益」ということになつて、ここでの「選挙関係者」とはほゞ「国民全体」ということにならざるをえなくなり、「……を含む国民全体」という語意の働く余地がなくなることは、すでに明らかにした。
3 選挙における真の「国民全体の共同実益」は何か。
[103] ここで、もし選挙における「国民全体の共同利益」とは何かということになるならば、それは前記猿払事件判決が述べていた
「民主主義国家においては、できる限り多数の国民の参加によつて政治が行われることが国民全体にとつて重要な利益であることはいうまでもない」
との判示部分にあると考えなくてはならない。この点こそ、原審も、第一審も、最大限に尊重されなければならないとした「国民全体の利益」なのである。
[104] 戸別訪問は、原判決が
「少なくとも多数の国民が行いうる方法の中では簡易かつ特段の経費を要さないものであるから、容易に他の方法により代替されうるものとは思わない」
と判示されたように国民の誰もができる選挙運動である。そのことは、同時に、誰もが戸別訪問をうける立場にあることを示している。ここでは、国民は誰でも、選挙運動をなしうる立場と選挙運動をうける立場と併存しているのである。
[105] 検察官のいう「選挙における公正」が、運動者相互の間の平等をいい、「働きかけるものとやり方」を規制しようとする考え方は、結局のところ、選挙運動は、候補者と運動員がするだけのものであり、選挙運動の規制とは、候補者と選挙運動員を規制することにより目的をとげようとするものである。こうした考え方は、戦前の選挙運動員を法定の人数以内に限定し、第三者運動を禁止する時代にのみ通用する。
[106] こんにち、国民主権のもとで、国民は誰でも、相互に選挙運動をなしうるのであつて、「選挙運動員」の規制による「選挙の公正」を期するということは相当でなく、国民の運動の自由を平等に認めることこそ、「公正」も保障される。
[107] こうしてこそ、「できる限り多数の国民の参加によつて政治が行われる」民主主義国家の出現が保障されるのであり、戸別訪問の自由こそ、国民全体の共同利益といいうるのである。
一、検察官主張の弊害論の特徴と問題点
[108] 検察官は、戸別訪問をすることによつて生ずる弊害について種々述べているので、次にその特徴と問題点を指摘する。
[109] 検察官の主張の殆んどは、論証抜き・検証抜きの、単なる推測の罹列にすぎない。括孤内にコメントを加えながら、それを例示しよう。
(一)、「戸別訪問には……現実にはそのような利点の多くを期待できないばかりではなく、種々の弊害をもたらすことが明らかであり」(18丁)
(そのこと自体が正に論証命題である)
(二)、「弊害を招来するおそれが大きく、選挙の自由と公正を損うおそれがあると認められる戸別訪問」(20丁)
(単なるおそれではなく、蓋然性が高いとの立証がなされなければならない)
(三)、「過去において選挙のたびごとに多数の買収事犯が検挙され、その大部分が選挙人の居宅等一般公衆の目の届かない場所で行われていることは、裁判所に顕著な事実」(23丁)
(証拠に基づかない主張であり、逆に戸別訪問とは全く関係のない集会・宴会・選挙事務所での金品の授受も多く行われている現実を無視している)
(四)、「戸別訪問を放任すれば、公然と選挙人の居宅等を訪問し、選挙人と直接対面して投票依頼することが許されるのであるから買収が容易になることは見やすい道理」(24丁)
(論理の飛躍であり、逆に、他の訪問者に見つかりはしないかと思い買収を避けるようになるのが人間の心理である)
(五)、「各選挙運動者が訪問回数を競うようなことになれば、他より効果を挙げようとして従来以上に金品供与や利害誘導に結びつきやすいことも容易に推測される」(24丁)
(これも論理の飛躍であり、何故買収と結びつくのか不明であるうえ、そもそも検察官は選挙人一般は、買収をするものだとの国民愚民観に立つている)
(六)、「我が国における選挙運動の現実を看過し」(25丁)
(その現実は何ら立証されていない)
(七)、「被訪問者側の迷惑は当然著しいものがあつたはずである」(26丁)
(単なる推測であり、かつ、その誤りであることは後に述べる)
(八)、「戸別訪問を放任した場合に、戸別訪問禁止の立法目的で考慮されたような弊害が発生する蓋然性は極めて高く」(31丁)
(そのことが正に立証命題である)
(九)、「選挙の現状に対する認識を欠いた議論」(39丁)
(その現状は何ら立証されていない)
(十)、「これを放任した場合、先に述べたような弊害が噴出することは明白」(40丁)
(これも何ら立証されていない)
(十一)、「戸別訪問を放任した場合、これによつてもたらされる弊害が無視できるほど小さいものではないと考えられる現状」(41丁)
(これも何ら立証されていない)
等である。
[110] 本来、検察官は、第一審および原審でこれらの諸点について立証につとめたあげく、それに失敗した結果、窮余のすえに考えついたのが右の如き論証ぬきの独断的表現であつたと評することができる。
[111] 本件では、一審以来まさに右のような事実の存否・関連性の有無・程度が大きな争点になつていたのである。原審での検察官の控訴趣意にも本件上告趣意と同じような論証抜きの記述が見られたので、弁護人らはその根拠について検察官に求釈明をしたが、検察官は釈明しなかつた。そこで弁護人がさらに立証を求めたところ、検察官は立証を試みたが結局は失敗したのであつた。かゝる立証されていない事実をその立論の根拠とする上告趣意は、それ自体不適法である。
[112] 上告趣意は、弊害論についての原判決の考察方法を「個別的検討」であるとして、方法論上の批判を加えている。
[113] しかしながら、弊害論として言われている個々の論点は、多種多様であり、その間には異質なものが含まれているから、弊害の有無・内容・禁止目的との関連性等は、まずそれぞれ個別的に検討しなければ解明できるものではない。その上で全体的・総合的に判断すればよいのであつて、原判決のとつた方法論は正鵠をえている。
[114] 原判決は、言われているところの弊害について個別的・具体的に、かつ、厳密に逐一検討を加えさらにそれらを全体的・総合的に判断し、戸別訪問と弊害との関連性等を否定したのである。検察官のいう原判決の方法論批判は誤つている。
[115] 上告趣意は、弊害論を述べるにあたり、戸別訪問による弊害のみを述べ、戸別訪問の有する意義、憲法上の地位、被訪問者の知る権利等について全く配慮していない。検察官はしばしば「戸別訪問の放任」という表現を用いているが、その言葉の中に検察官の戸別訪問観をみることができる。「戸別訪問の放任」とは、全面禁止法制になれすぎて本末を忘れた表現といえよう。
[116] もともと、戸別訪問は、憲法上、基本的人権の行使である。
[117] さらに、上告趣意には、戸別訪問を禁止することによる弊害――選挙運動の阻害、民主政治発展の阻害等――が全く触れられていない。
[118] しかし、戸別訪問禁止の違憲性を判断するためには、右の逆弊害をも十二分に配慮する必要がある。
[119] 上告趣意は、戸別訪問をする主体を主に候補者と考え、他方でまた国民(選挙人)を暗愚であるか虚弱である、と考えている。このような考え方は、憲法の国民主権、基本的人権尊重の理念に反するものである。
[120] 上告趣意は、地方自治法上認められている条例制定改廃請求、地方議会の解散請求等の直接請求の際の署名集めに不可欠な戸別訪問については、何故か何も触れていない。弊害の点は右の場合の戸別訪問と本件戸別訪問の場合と何ら異なるところはない筈である。

二、禁止目的と規制手段との合理的関連性
[121] 原判決は適切にも
「主権者としての国民の政治的活動の自由は、これなくしては発展した民主主義国家における政治的支配を正当づける根拠を欠くものであり、ことに憲法21条の定める表現の自由の保障は、民主主義国家の不可欠の要件であり、国民の基本的人権のうちでもとりわけ重要なものである。」
と指摘している。そして国民の政治的活動の自由は、代議制民主国家の本質上選挙の時においてこそ最も強く保障されなければならない。
[122] ところで、表現の自由の権利行使の形態はテレビ・新聞などマスコミ利用の他、集会場・街頭における演説、印刷物の頒布、掲示によるもの、電話・個々面接によるもの等多数にのぼる。しかし組織人や著名人でもない普通の一般国民にできることといえば、戸別訪問はその殆んど唯一のものと言つてよい。電話は金はかかるし、個々面接は偶然の要素がつよすぎる。戸別訪問は、足を運んで人を訪ね、直接に面談して口から耳へ、政治的意思を伝えるもので、一般国民にとつては、最も日常的、基本的な表現形態である。憲法21条の表現自由の保障はまさにこうした一般国民の日常的、基本的表現にこそ最も強く保障されなければならない。
[123] しかるに、公職選挙法138条1項、239条3号は、選挙という大事な場面において、誰にでもできる戸別訪問を一律全面的に禁止している。
[124] しかもこのような政治的活動の自由に対する重大な規制にもかかわらず、この法律の立法目的の合理性、立法目的との合理的関連性は全く見出し得ない。
[125] 検察官の上告趣意における戸別訪問禁止目的と規制手段との関連性についての主張はまことに安易なもので、表現の自由のもつ意義を十分理解した上のことは到底考えられない。検察官は
「右のような弊害の発生を防止するため、その弊害を招来するおそれが大きく、選挙の自由と公正を損うおそれがあると認められる戸別訪問を禁止することは、禁止目的との間に合理的な関連性があると認められるのであつて、たとえその禁止が時間、態様等のいかんを問わず一律になされたとしても右の合理的な関連性が失われるものではない。」
と主張している。
[126]この主張に特徴的なことは、第一に、戸別訪問が弊害を生ずるということを確実な根拠がないのにかかわらず、観念上決めつけてしまつていることである。果して、戸別訪問禁止を解除した場合、実際上弊害が生ずるのかどうか、生ずるとしても、どの程度に生ずるのか、といつたことが全く明らかにされないまま、弊害を生ずるものとの観念上の想定がなされていることである。この主張の第二の特徴は、弊害を生ずるおそれのある戸別訪問を禁止することは、即ち合理的何連性ありとするもので、禁止がその立法目的を実現するうえで、合理的な必要最小限度のものであるかどうかという判断視点を全く欠落していることである。
[127] 戸別訪問禁止においては、戸別訪問それ自体が問題となるのではなく、あくまでもある弊害防止の手段として、これを禁止するのであるから、戸別訪問禁止規定が、その目的との関連で憲法適合性を有すると判断されるためには、少なくとも次の諸点がみとめられなくてはならない。
(一)、表現の自由を規制してまで達しえなければならない程に重要な立法目的が明確に存在すること。
(二)、戸別訪問を禁止すれば、その立法目的を達成する蓋然性が高いこと。戸別訪問を禁止しても、その目的を達することが出来なければそもそも禁止は無意味である。
(三)、戸別訪問を禁止しなければその立法目的を実現するため他のより制限的でない手段方法がないこと。即ちその立法目的を実現するうえで、戸別訪問禁止は必要にして最小限度の人権規制であること。
[128] 右のうち、どれかひとつでも欠けた場合には、戸別訪問禁止規定はその立法目的との合理的関連性を失うこととなるであろう。
[129] 原判決は、戸別訪問禁止規定の立法目的として言われているところのものをそれぞれ検討し、そのうちあるものについては、これらの弊害防止を目的として国民一般に対し、表現の自由が制約されるような立法をすることが許されないとし、あるものについては、戸別訪問を禁止しなかつた場合、その弊害を生ずる蓋然性が高いということが出来ず、右弊害を生ずるおそれは極めて抽象的な可能性にとどまるというほかはないとし、あるものについては国民一般にとつての戸別訪問の意義に照らしても、また他の手段、方法により容易にその弊害を除くことができると考えられることに照らしても、右の目的は戸別訪問を一律に禁止する理由とならず、これを全面的に禁止することはその目的のための手段として行きすぎている、として結局その間の合理的関連性を否定したものであり、その論旨極めて正当で、検察官の上告趣意との優劣の差はおのずから明白である。

三、不正行為温床論
[130] 不正行為温床論について、検察官の上告趣意はおよそ次のとおりである。まず、
「過去の選挙において、多数の買収事犯が検挙され、その大部分が選挙人の居宅等一般公衆の目の届かない場所で行われている」
との実情を述べ、
このような「過去の選挙における買収事犯の『実情』は、戸別訪問を放任した場合に、買収、利害誘導等の弊害が発生する蓋然性が高いことを示している」
という判断を述べ、その理由として
「戸別訪問が禁止されておれば、買収犯は人目をはばかりつゝ戸別訪問をしなければならないのに対し、戸別訪問を放任すれば、公然と訪問し選挙人と直接対面することが許されるので買収が容易になる」こと、「各選挙運動者が訪問回数を競うようなことになれば、他より効果をあげようとして従来以上に金品供与や利害誘導に結びつきやすい」こと
を挙げている。
[131] 検察官は、選挙人同志が公衆の目の届かないところで(言いかえれば、官憲の目の届かないところということにもなろう)直接対面することが不正行為を生む原因であるとし、こうした機会を国民から奪つてしまおうとする。こうした主張の根本にある思想は、愚民観による国民不信である。このことは国政が国民に由来するものであるという国民主権主義、国民各個人の自覚と相互討論を通して多数意思を形成するという近代憲法思想と基本的に相容れない。
[132] 買収事犯はあくまで選挙における部分的な病理現象である。それらは国民が官憲の目の届かない所で相互接触することによつて発生するものではない。買収意思と買収資金があるから買収はおこなわれうる。現実に広範に行われている選挙活動の圧倒的大部分は買収とは無縁であり、戸別訪問もその圧倒的な大多数は不正行為とは無縁である。それらはむしろ正当な宣伝、支持説得、討論活動であることは過去の事例に照らしても顕著である。
[133] 病理現象には、その病的な部分にメスを入れれば十分である。大多数の健全な戸別訪問活動全体を部分的病理現象の存在を理由に全面禁止することは本末顛倒である。仮に検察官の人間不信の思想に立てば、あらゆる人間交流を禁止しなければならぬという帰結に達せざるを得ないであろう。
[134] 過去の選挙のたびに多くの買収事犯が検挙され、
「その大部分が選挙人の居宅等一般公衆の目の届かない場所で行われている」
という実情があつたとしても、そのことは何ら戸別訪問が禁止されないと買収事犯が多く発生するという根拠になるものではない。右は検察官の観念上の想定であり、戸別訪問を禁止しないと買収事犯がきわだつて増加するという確実な根拠はどこにも存在しない。
[135] 戸別訪問弊害論者達の主張する弊害論の特徴は、いずれもきわめて抽象的であり、戸別訪問を禁止しないとその弊害が生ずるのかどうか、生ずるとしてもどの程度生ずるのかということが客観的に明らかにされないまヽ、想定によつて議論がなされていることである。
[136] 最高裁(昭和50年4月30日、大法廷判決・薬事法違憲判決)においても、
「違反の原因となる可能性のある事由をできるかぎり除去する予防的措置を構じることがあつたとしても、しかし、このような予防的措置として職業の自由に対する大きな制約である薬局の開設等の地域的制限が憲法上是認されるためには、単に右のような意味において国民の保健上の必要性がないとはいえないというだけでは足りず、このような制限を施さなければ右措置による職業の自由の制約と均衡を失しない程度において国民の保健に対する危険を生じさせるおそれのあることが、合理的に認められることを必要とするというべきである。」
とし、検討の結果
「このように見てくると、競争の激化―経営の不安定―法規違反という因果関係に立つ不良医薬品の供給の危検が薬局等の段階において相当程度の規模で発生する可能性があるとすることは、単なる観念上の想定にすぎず、確実な根拠に基づく合理的な判断とは認めがたいといわなければならない。」
と結論した。表現の自由にかかわる本件において右の判断基準はより一層厳密に設定されなければならないことは明らかであろう。
[137] 公職選挙法は買収、利害誘導等について、その処罰規定を設けてこれを禁止し、買収についてはその申込、若しくは約束したものを3年以下の懲役若しくは禁錮又は、5万円以下の罰金に処するとし、更に同法252条で公民権停止等の規定、その他を設けている。
[138] 従つて当局において右処罰規定に基づいて買収犯の取締、処罰が厳重になされれば、買収犯防止という警察上の目的を十分に達することが可能である。この処罰規定があるのに、そのうえ戸別訪問禁止規定を積み重ねても買収犯予防に格別の意味があるとは考えられない。
[139] もともと選挙において買収しようとする者が処罰規定として念頭におくのは買収犯処罰規定であり、戸別訪問のそれではない。買収犯禁止規定を犯して買収しようとする者が戸別訪問禁止規定があるからといつて買収を思いとどまることがないのと同様、戸別訪問が禁止されないから(買収禁止があるのに)といつて買収しようとする者が生ずることもあり得ない。すなわち、買収犯罪に対する法の規範としての抑制効果は、強力な買収犯処罰規定がある以上、そのうえに形式犯としての戸別訪問禁止規定が働く効果は殆んど無い。このことは、戸別訪問を禁止してもその立法目的を達成する可能性、関連性が存在せず、いわんや目的を達成する蓋然性が高いということはできないということを意味する。
[140] 検察官もその上告趣意において、
「現実の検挙事例においては、買収の意思が事前にある場合が多いことは事実である」
と認めざるを得なかつたところであるが、現実には「多い」というのではなく、殆んど全ての買収事犯において、戸別訪問の事前に買収の意思を生じており、戸別訪問の機会に買収の意思が生じたような事例は殆んどないと言つてよい。買収犯は戸別訪問が禁止されていようといまいとそんなことには無関係に買収の意思を生じており、又買収の目的のためにはあらゆる手段を使おうとするもので、たまたま戸別訪問がその一手段として使われることがあるというに過ぎない。
[141] 検察官は、
「選挙運動者が戸別訪問の回数を競うようになれば他より効果をあげようとして従来以上に金品供与や利害誘導に結びつきやすい」
と主張しているが、これも検察官の観念的推測であり、合理的根拠はどこにも存在しない。
[142] 戸別訪問を行うということは、本来有権者同士あるいは有権者と選挙運動者との間の対話、説得、意見交換、討論の場を設定することであり、本来訪問回数を競うものでもないし、又戸別訪問をいくら重ねたからといつて買収、利害誘導に結びつく必然性はどこにもない。
[143] 検察官の右主張は選挙運動者が競争を激しくすると買収行為に結びつき易いという愚民観による一般論であり、成程選挙運動の極く一部に病的部分として競争にうち勝つために買収をしようとする者があるとしても、しかしそのことと戸別訪問とは基本的に関連性がない。
[144] むしろ戸別訪問が自由に行われるようになれば、不正目的の戸別訪問が他の訪問者に発覚する機会が増えることは確実である。公正な戸別訪問がどんどん行われゝば、現在の選挙運動は一層浄化されるであろう。この場合、良貨は悪貨を駆逐する。
[145] 検察官はまた、戸別訪問が禁止されていないと公然と戸別訪問をすることが許されるので買収が容易になることは「見やすい道理」であるという。しかし戸別訪問が公然と出来ることが買収を容易にするということも検察官にのみ「見やすい道理」であつて、客観的根拠に乏しい。果して買収犯が買収のためする戸別訪問を堂々と行うであろうか、戸別訪問は容易になつても、買収が容易になるであろうか。むしろ不正目的の戸別訪問が出来にくくなること前記のとおりである。
「これも現行法の規制とはなんらかかわりなく、買収しようとする人にはできることであつて、解禁したからといつて急増する性格のものでもあるまいと思う。むしろ大手をふつて戸別訪問できるとなれば、買収などもつてのほかという雰囲気が生まれてこようし、運動する側にとつてもその必要も少なくなるといえる。」(自民党衆議院議員、自民党選挙制度調査会副会長・小泉純一郎、昭和54・2・9朝日新聞)
という見解の方が、はるかに正鵠を得ているであろう。
[146] 戸別訪問を手段とした不正行為の取締り、予防という目的のため、戸別訪問を全面禁止することの他に選ぶべき手段、方法が存在しないかどうかという観点からも検討してみる必要がある。
[147] 問題は戸別訪問自体にあるのではなく、あくまでも不正行為等弊害を防止することにあるのだから、戸別訪問の中で買収行為の現われたものを禁止すればよく、そのためには公職選挙法221条の買収の申込、約束に着目してこれを処罰することが可能であり、それで十分目的を達することができる。このうえに戸別訪問禁止を積み重ねる必要はなく、いわんやその全面禁止をする必要はない。現行法はその立法目的に照らし、必要な最小限度の規制をはるかに越えており、違憲という外はない。

四、迷惑論
[148] 上告趣意は、原判決の指摘する時間的な制限や集団的な訪問を禁ずるなどの方法による戸別訪問の規制方法(この点は、選挙制度審議会でも述べられている)を
「脱法行為や被訪問者側の迷惑を確実に防止し得るような制限を設けることは立法技術的にも不可能に近いと思われる」
と述べている。
[149](一)、いわゆる「迷惑」の規制については、「軽犯罪法」、「酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」等で立法化されており、それらの立法においてさえ、規制される行為については相当な絞りをかけている。行為の規制は図つてはいるが、行為そのものの自由は認めた上で、その態様が著しく他人に迷惑をかける場合のみ禁止し処罰しようとしているのである。
[150] ましてや、憲法上重要な地位を有する戸別訪問の場合は、さらに絞りをかけたり、時間・態様について規制しながら立法することは十分に可能である。
[151](二)、しかし、そもそも日常的政治活動の総決算たる選挙運動の場合においては、戸別訪問による些少の迷惑は、戸別訪問の有する憲法上の重要性に鑑みて、選挙人としての被訪問者において、ある程度まで受忍すべきではなかろうか。
[152] 被訪問者である選挙人も主権者であり、有権者である。彼もまた適切に選挙権を行使するために十分な情報、正確な知識の提供を受ける利益を持つている。戸別訪問が禁止されれば、この様な機会を奪われることになり、受け手である選挙人の知る権利・情報を受ける権利を故なく全面一律に侵害することになる。
[153](三)、この問題は、被訪問者の方で受入れるか否か(情報提供、討論を受入れるか拒否するか)の判断をし、その選択に任せれば良いのであり、そこに国家が介入し、選挙人同士の接触を禁止するのは国権の側のゆきすぎである。過度の迷惑は、刑法の不退去罪の活用によつて容易にその目的を達しうる。全面禁止は、明らかに目的と手段の均衡を失している。
[154](四)、戸別訪問による迷惑といつても、それは訪問してから退去するまでの僅かな時間の私生活の平穏が害されたという程度のものである。
[155] この程度の迷惑であれば、我々は日常生活上、宗教活動の人の訪問、セールスマンの訪問、生命保険外交員の訪問等、いろいろな人からの訪問を一年中受け、右の如き迷惑を受けているのかも知れないが(勿論、それらの訪問を歓迎する場合もある)、右のような活動そのものは許されているのである。
[156](五)、ちなみに、戸別訪問によるよりも、考えようによつてはもつと迷惑だと受けとめられかねない連呼行為、電話(早朝、深夜等時間を問わずかゝつてくるし、しかも相手が誰で何の用事かわからないからベルがなると出ざるを得ない)による投票依頼が現行法上許されている。これと比較しても、迷惑が全面一律の禁止理由となりえないことは明白である。
[157](六)、迷惑感を与えることは訪問効果をゼロにする。このことは訪問者の側に強い抑制を与える。そこで迷惑は、実際には発生しない。
[158]、また、上告趣意は、公職選挙法138条1項但書が昭和27年7月31日に削除されたことを捉え、戸別訪問の一部解禁が被訪問者側の迷惑が著しかつたからであるかの如く主張している。
[159] しかし、そのような迷惑が著しかつたから一部解禁を削除したのではなく、削除の理由は、原判決が正しく指摘している通り、但書の範囲が不明確であつたり、そのため取締り側や候補者側に混乱を生じたために外ならない。
[160](一)、衆議院公職選挙法改正に関する特別委員会において、吉岡政府委員(全国選挙管理委員会事務局長)は、
「戸別訪問の制限が候補者だけについて、ある限定された範囲に認められてあるのでありますが、これが一般に与えました感じとしては、戸別訪問は許されたんだというような感じを受けたのであります。その結果、候補者でない者も戸別訪問をやつたように考えられます。」(昭和26年5月29日、選挙制度国会審議録 第5輯131頁)
[161](二)、右委員会において、宮下説明員(法務府検務局総務課長)は、
「私どもといたしましては、この戸別訪問の禁止は、従来のように全面的に禁止してしまうか、あるいは全面的に許してしまうか、いずれか一方の立法の形をとつていただきたいのであります。改正されました戸別訪問の規定によりますと、候補者が平素親交の間柄にある知己、その他密接の間柄にあるものを戸別訪問するのが許されるのでありますが、今回の選挙のような小自治体になりますると、ほとんどすべての者が候補者の知己であり、密接の間柄にある者でありますので、ほとんど戸別訪問禁止規定が意味をなさなくなつておるのであります。結局、こういう但書がありますると、本文の戸別訪問禁止規定が無意味になりますので、全面的に禁止するか、あるいは許すか、いずれか一つをとつていただきたいのでありまするが」(右同135頁)
[162](三)、参議院地方行政委員会で、衆議院の公職選挙法改正に関する調査特別委員長の小沢佐重喜氏は
「今度の改正は、大体において但書があつた場合でもない場合でも同じ趣旨なのだという意味であります。但書があるというと、戸別訪問が全部許されてしまつたという感じの下に一般人も堂々とこの戸別訪問を許したのではなくて、いわゆる従来もあの程度のものはよかつたので、徒らに戸別訪問というので、取締官が法を誤解して戸別訪問を取締るおそれがあるから、あとの但書が生まれたのでありますが、但書が生まれてしまうと、今度はもう一歩進んで戸別訪問は自由なんだということを一般の立候補者に与えるおそれがある」(昭和27年7月14日 右同634頁、同会議録第60号)
[163](四)、また、最新改正公職選挙法解説(検察官請求証拠番号14・103頁)は、
「暖昧な表現をとつていた為、解釈上に種々の困難をまし、候補者の戸別訪問については事実上全面的に取締を不能ならしめるような結果になつた許りでなく、一方候補者側においても、却つて多少密接な間柄にあると認められる者の処に戸別訪問しなければならないと言つた全く法の予想しない、逆の現象を生ぜしめるに至つた」
[164] 翻つて考えてみるにこの迷惑論は、そもそも選挙の公正とは関係のない事由であり、そのような事由でもつて、戸別訪問を禁止する理由とするのは、憲法論としては成立しないと考える。

五、煩さ論
[165] 上告趣意は、煩に耐えられなくなるのは、候補者、選挙運動者、選挙人等すべての選挙関係者であると主張している。しかし、
[166] 煩さの問題は、最高裁の判決が言つている「候補者側」にとつての利便の問題にすぎない。戸別訪問をするかしないかは、全く候補者側の自由である。
[167] 候補者、選挙運動者のみならず国民一人一人が主権者として自発的、積極的に特定の候補者の当選を目指して政策、政見、人柄等を訴えるため戸別訪問をするのであるから、そのことが何故煩さに耐えられないのか全く理解できない。
[168] ただ金権候補者が戸別訪問をしてくれる人に日当を出さなければならない煩さ、あるいは金を渡さなければ働いてくれない人しかいない候補者の煩さが考えられる位である。
[169] そもそも、煩さ論は、原判決も指摘するが如く、憲法上保護するに値する利益かどうか考慮するに足りる問題ではなく、かつ、煩さ論は、選挙の公正とは全く関係ない事由である。

六、その他の弊害論
[170] これらについては、原判決が正しく指摘するように、表現の自由を制約する理由にはなり得ないものばかりである。例えば、義理人情論にしても、現行憲法制定後34年余が経過し、その間幾度も国会及び地方の選挙を経験し、又、文化、社会環境の変化によつて近代的な政治意識も向上し、昔ながらの不合理な義理人情の通用性はかなり薄れて来ていること、仮にこれを問題にするのであれば、「企業ぐるみ」といわれるように親会社から下請会社に対し、或は、企業における上司から従業員に対しての投票勧誘の場合など、経済的、組織的な支配服従関係を利用した働きかけの方がもつと認められていることの方が重大である。そもそも悪しき義理人情の風習は、市民社会の中でのつき合いや教育等の機会を通じて自から克服されるべきものであつて、あえて国家が介入する必要は毛頭ない。憲法は国民主権の立場に立ち、合理的、理性的な国民(選挙人)を予想していること、憲法判断はそのような理念に立つて判断されるべきであること等を指摘しておけば十分であろう。戦後政治の歴史は、無数の強壮な有権者を生み出していることを忘れてはならない。

七、立法史上からみた問題点
1 日本の場合
[171] 戸別訪問の全面一律禁止は、1925(大正14)年のいわゆる普選法によつて創設されたものである。
[172](一)、戸別訪問はそれまで自由であつたところ、明治40年以前には、「選挙屋」ないし「タカリ屋」の不純な投票周施行為や運動費めあての弥次馬的運動者の妄動と成金的候補者らの哀訴嘆願とが重なり合つて、戸別訪問が世論から非難されていた。
[173] 大正年代に入つてから取締当局と世論の指弾を受けたのは、議員候補者とその身内の者や周辺の運動員の平身低頭式の卑屈な運動や「選挙請負人」、「選挙界のバチルス」、「選挙ブローカー」などと言われていた職業的選挙屋であり、これこそ制限選挙が生んだ「寄生虫」であつた。
[174](二)、この間、戸別訪問禁止の立法については、明治36年1月林田亀太郎(当時衆議院書記官長)氏の選挙取締緊急勅令を初め、大正13年7月護憲3派の普選調査会案まで幾つかの草案が政党ないし政党人によつて発表された。
[175] これらの法案の特微は、大体において、候補者、家族、親族、事務員ならびに選挙請負人、選挙運動屋の戸別訪問を禁止しようというものであり、第三者である国民については、禁止していないことである(これらが後述の1883年イギリス議会でのゴースト案とラブーチア案にほぼ匹敵することに十分な注意を払う必要がある)。
[176](三)、一方、内務省は、第三者運動の全面的禁止又は原則的禁止を前提として、大正3年のいわゆる省議決定案、大正4年の法制局修正案、大正5年の一木案(第2次大隅内閣案)等が作成された。
[177] また、普選法準備のため設けられた大正11~12年衆議院議員選挙法調査会の資料中「大正3年乃至同5年に於ける選挙法改正調査会当時の省議決定案」なるものが「内務省案」として権威ある高い位置づけを与えられていた。
第85条の5 選挙運動ハ戸々ニ就キ又ハ公開セサル集会ニ於テ之ヲナスコトヲ得ス
この案は、既存のすべての禁止案の中で最も苛酷なものであり、しかもこの「省議決定案」が大正13年1月清浦内閣によつて法案化されたものこそが、内務省を通じて同年九月普選法案中に持ち込まれ、98条の戸別訪問、個々面接・個々通話禁止条項となつた当のものである。
[178] ところが驚くべきことに、この「省議決定」はどうやらなかつた(あつても政策決定の意味はなかつた)らしく、しかも大正3年11月未確定のまま非公式に法制局に回付され、法制局で大幅に修正されてそのまま立ち消えとなつたはかない案だつたのである。ところが右の調査資料はこういう非公式案を「内務省案」と表示して最終案のように位置づけ、大正5年7月選挙法改正調査会に付議された戸別訪問禁止などのかなりゆるやかな正式の内務省案をあたかも一私案のように「一木案」と、表示して当初案にすぎなかつたかのように取り扱つている。
[179] 次に、普選法成立後の大正14年7月内務省は『衆議院議員選挙法改正理由書』を公刊してその中で戸別訪問禁止の理由を述べたが、戸別訪問を競う風習そのものが
「我国ノ家屋ノ構造及風俗習慣ニ依リテ生シタル特殊ノ現象ト謂フベシ」
と書いている。しかし前述の調査資料には「外国ノ実情」として、英伊仏などの戸別訪問の詳しい紹介があり、「最有力ノ方法」、「他ノ選挙運動ノ根基」などと述べられている。
[180] そして重要なのは、右調査資料中に、英米の選挙における戸別訪問の弊害として、戸々買収の随伴には大体否定的だが、お追従などによつて感情、人情に訴え、スキン・シツプを多用する傾向や人の歓楽と業務を妨害する傾向などが、それぞれの国の識者によつて語られた記載があることである。
[181](四)、普選法は一方で、それまであつた財産資格に基づく選挙権の制限をなくし、男子に限つてではあつたが、いわゆる普通選挙制を導入し、他方、それまで自由であつた選挙運動についての規制を導入し、本件戸別訪問を含む様々な選挙運動を禁止したり、制限したりした。
[182] その背景は、
第一に、普選法と同時に治安維持法が成立したことに明らかなごとく、男子に普通選挙権を与えるのと引き換えに、労働者、大衆等の無産階級が政治参加(無産階級同士および無産階級に対する働きかけ)をする機会を出来るだけ制限し、治安の安定を図るといつた政治的な意図が存していたこと。
第二に、当時天皇主権の下で、選挙を行う主体は、候補者及び国家の定める資格要件に合致した法定選挙運動者のみであつて、一般国民は、その客体、第三者として位置づけられていたこと。
第三に、そのころ、選挙請負人、運動屋という特殊な「選挙界のバチルス」や一部不良議員候補者、周辺運動者に対して考えられた取締対策を右一、二のような事情を背景に、一気に一般国民・有権者にまで押し及ぼしたこと。
等であつた。
[183](五)、内務省の「衆議院議員選挙法改正理由書」(1925年)によれば(もつとも普選法案に対する議会審議は、普通選挙権の是非をめぐる高次の論点に集中したために、戸別訪問禁止の是非や禁止理由に関する討論は、殆んどなかつたと言われているが……)
(a) 情実、感情支配論
(b) 選挙の品位低下論
(c) 選挙の私事化論
(d) 買収等不正行為助成論
の順番に、戸別訪問禁止理由が一応表面的に述べられ、これらは、当時の選挙観を知る一つの材料になる。
[184] 最高裁判決が最初に掲げている不正行為温床論は、改正理由の中では4番目に掲げられているに過ぎなく、2番目、3番目に掲げている迷惑論、煩さ論は、右改正理由の中では、全く述べられていないことに注目する必要がある(このことは、それらの立法事実が根拠薄弱であることを意味する)。
[185] さらに注目すべきは、大正から昭和にかけて美濃部達吉氏の戸別訪問の自由を擁護する主張があつたことである。
[186](六)、昭和20年幣原内閣は、衆議員選挙法の改正において、戸別訪問と選挙事務関係官公吏の選挙運動を除くすべての選挙運動を自由化する改正案を議会に提出した(戸別訪問を存置する提案理由は、「品位を保つ」ということであつた)が、種々の抵抗に会い、結果として、第三者運動、個々面接、個々通話の解禁、および演説会の出演者数制限の廃止のみの自由化が認められ、戸別訪問、事前運動、文書図画使用は禁止されたままであつた。
[187] そして、昭和25年の公職選挙法制定、前述の同27年の一部改正を経て今日に至つている。
2 英国の場合
[188](一)、戸別訪問罪が日本にだけ存在する特異な禁圧であることを合理化するために、日本人は欧米人に比較して政治的自覚が低く、政治道徳の水準も低いなど、特殊に弊害を生ずる国民性をもつているという説明が立法者たちによつて生み出され、多用されてきた。その裏として、諸外国においては、国民の政治的自覚が高い等々のため、戸別訪問に弊害がないから自由が認められてきたという独断が生じ、それらがかなり安易にまかり通つている。
[189] しかし、それは誤りである。議会制度の母国とされるイギリスでも1870~80年頃にはまだまだ選挙腐敗が横行し、国民の政治道徳水準も今日の日本人と比較して決して高いと言えず、むしろいくつかの点で明らかに低かつたのだが、それでも戸別訪問弊害論をひつさげた禁止要求をきつぱりと退けた。
[190](二)、例えば、1870年3月、庶民院に提出された国会選挙と地方選挙に関する特別委員会報告書は、イギリスの選挙にまだ騒動や暴力、酔つぱらいや混乱がつきもので、買収、脅迫、不当影響も広く行なわれていることを認め、秘密投票法などいくつかの改革を討議したが、有給エージエントまたは有給キヤンバザーの雇用を禁止することには反対した。禁止要求の理由は、(a)大量の資金による投票勧誘員の動員が不相当で、時に腐敗性をもつことがあること、(b)個々直接のキヤンバジングにはかなりの不当影響が伴つていることであつた。委員会の禁止反対の理由はその実行が不可能または著しく困難だということに落ち着いたが、当初の委員長案には次のような指摘があつた。
「立法府の努力が向けられるべきものは、有権者に影響を与えるためにとられる不適当な手段に対してであつて、有権者に影響を与えるために努める単なる行為に対してではない。」
[191] これは非常に簡単な道理であるが、これを認めるか認めないかが、天皇主権の日本と議会主権のイギリスとの決定的な相違であつた。これによつて見れば、わが国の戸別訪問禁止法制の問題は、国民の政治道徳水準のいかんにあるのではなく、その水準の高低にかゝわらず、よいことと悪いこと、勧誘説得それ自体とそのための不適当な手段を普通の常識に従つて区別立てするかしないかであることが、よく示されている。
[192](三)、次に、1883年7月2日、腐敗行為防止法審議中のイギリス庶民院で行なわれた戸別訪問禁止論議は、秘密投票制を前提とし、しかも有給キヤンバサーの雇用・使用を禁止する政府原案に対する修正案について論争的に行われたので、公選法で現に同様の制度をとつているわが国にとつて大いに参考となる。
[193] すなわち、同日保守党の副議長ゴースト議員は「候補者が戸別訪問に従事すること」を禁止する修正案を出し、それが否決されるや、ラブーチア議員は「候補者、エージエント、その委員会または選挙に関する団体の承諾をえて、選挙人の投票意思を質問する目的で居宅や事務所を訪問すること」を禁止する修正案を出し、これまた否決された。
[194] 議事録によつて見れば、当時のイギリスにおける戸別訪問弊害論者の選挙腐敗の基礎認識は、前述のわが国の場合と大体同じであり、戸別訪問と選挙腐敗とがつながるのはキヤンバス業においてであることが1議員によつて指摘された。しかし、戸別訪問一般が腐敗行為とつながる、ましてやその温床であるなどと主張した議員は1人もいなかつた。戸別訪問が候補者の品位を害し屈辱的なものだという弊害論に対しては、逆に戸別訪問活動を誇りに感じ、名誉と思つているという強い反論が出された。戸別訪問をして投票を乞えば、投票を公の勤めでなく個人的恩顧と思わせるという弊害論に対しては、投票による支持は実際非常に高い恩顧を与えることであるとか、選挙人が候補者に対して個人的敬意を表するように要求するのは当然であるという反駁がなされた。また訪問の際に政策問題についての議論はできないという者があるかと思えば、長い政治的討論をすることがしばしばあると述べる者もあるといつた具合である。また労働団体などの組織に寄生している候補者は戸別訪問をいむべきことと考え、そうでない候補者は非常によいことだと考えたのである。被訪問者の迷惑感を訴える弊害論に対しては、逆に訪問の労を惜しんだら投票をしてやらないと言われたという体験が語られる、などなどであつた。
[195] ラブーチア案についても基本は同じだが、法務長官ヘンリー・ジエームズ卿が
「私は確かにキヤンバシングの慣行が嫌われていることに同意する。しかしそれでもこの世の中には嫌われているがやめるわけにはいかないから我慢しなければならない害悪がたくさんある。ラブーチア君の修正案の最初の部分(戸別訪問禁止をさす)が採択されたならば、誰かが隣の家に行つて『某氏に投票してほしい』と言うことが不法行為になる」
と述べて、直ちに修正案を否決するように訴えたことだけ紹介しておこう。
[196] ゴースト修正案は18対75、ラプーチア修正案は8対69で否決された。訴えられた弊害そのものは、実態に反する温床論を除いて、現今のわが国と同じだが、100年前の英国議会は、選挙のために候補者・運動員と選挙人または選挙人同士が会うことを阻止するなんてとんでもないという気持、いくら腐敗防止のためとはいえそのぐらいの「ある小さな自由」もないということは許されないという気持――、そして、「大事なことだから我慢しなさい」という大人の態度と「そんなことまで罪にするとは!」という単純明快な確信が、これらの採決の票差に現われたのである。
[197] すなわち、1910年前後のわが国の「哀訴歎願」の程度の著しさを別とすれば、100年前のイギリスの戸別訪問弊害論の内容は日本に実在した弊害と基本的に変わらないが、今日のわが国の戸別訪問弊害論には戸別訪問が「犯罪の温床となり易い」という、非現実的な汎不正行為論的温床論が幅をきかせている点と今日までそれを口実として専制政治特有の抑圧一般化が実行されてきた点がイギリスの場合と相違するにすぎない。
[198](四)、このイギリスの例からみれば、議会制民主主義の根本義に立脚する限り、戸別訪問には弊害があるからこれを禁止すべしという議論が全く正当性をもちえぬものであることは明白である。なぜなら、わが国同様、いやそれ以上の弊害論があり、かつわが国以上に腐敗行為の横行に苦しんでいたイギリスでは、その議会制民主主義の確立と改善の過程で幣害論を根拠とする戸別訪問禁止の修正案を圧倒的多数をもつて一蹴し、戸別訪問の自由を堅持したことによつて、腐敗行為が激化するどころか、他の合理的腐敗対策によつて根絶されてしまつたのに対して、戸別訪問を全面的に禁止してから半世紀以上を経たわが国がますます買収・供応の横行に苦しめられているからである。
[199] すなわち、戸別訪問は、腐敗行為一掃につききわめて重要な役割を担つている。イギリスの経験はそのことを如実に物語つている。すなわち、イギリスにおける腐敗行為の根絶のためには、民主的で合理的な選挙腐敗対策を生み出しかつ活用する有権者意識の変化がなければならなかつた。その変化とは、投票権の代価として個人の利益を求め確保するのは当然だという意識から、その代価は、有権者の生活する社会全体の公益でなければならないという意識への変化である。イギリスでは、この意識の変化と腐敗行為取締法規、制度とが相まつて腐敗行為根絶を果した。そして、この意識の変化に寄与したものの一つに戸別訪問があるのである(他に教育の普及、腐敗行為取締法規の整備、政策演説会、政党組織の整備があげられる)。
[200] すなわち、選挙は自分たちの中からどのような代表を出すかという問題であるが、選挙運動の中でもつとも身近な戸別訪問を通じてこそ選挙は自分たちのものと考えられ、選挙において何がよいことで何が悪いかをみんなで自主的に体験し、考え抜くことができるようになつたのである。まさに、戸別訪問は腐敗行為根絶に重要な役割を果したと言わねばならない。イギリスの経験は、戸別訪問禁止が単に腐敗行為防止に効果がないというだけでなく、腐敗行為一掃を阻害するものに他ならぬものであることをわれわれに教えている。
[201] 肝心なことは、欧米諸国が、こうした一定の弊害を知り尽しながらも、政治の民衆的な進め方を信頼し、市民的政治的自由の堅持によつてそれを自主的に克服して進んだことであり、わが国のように弊害が心配だからといつて、弊害論を専制主義的に改作し、国民にとつて最も身近で基本的な政治参加の場を閉して官憲の後見と監督に委ねてはいない、ということである。
一、検察官の主張
[202] 検察官は、猿払事件の最高裁判決にあらわれた合憲性判断の基準と方式をかりて、戸別訪問禁止規定の合憲性を根拠づけようとしている。
[203] すなわち、戸別訪問禁止が、選挙関係者(候補者、選挙運動者、選挙人等)を含む地方住民全体ないし国民全体の共同利益を擁護するうえで、合理的で必要やむをえない限度にとどまるものである限り、合憲であるとした上、右の「合理的で必要やむをえない限度にとどまるものか否か」は、禁止の目的、その目的と規制手段との合理的関連性、戸別訪問禁止によつて得られる利益と失われる利益との均衡の3点から検討する必要があるとしている。
[204] そして、上告理由第一点二4「利益の均衡」において、戸別訪問禁止によつて得られる利益と失われる利益との比較衡量を行ない、前者の方がより重大であるとして、戸別訪問禁止は利益の均衡を失しないとの結論を導き出している。
[205] しかしながら、そこにみられる「利益均衡」論の展開は、次の点において誤つている。
[206] 第一に、上告趣意書が猿払事件判決の法理をそのまま本件に導入し、論述の前提としていることである。
[207] 同事件判決の法理は、そもそも公務員の政治活動の禁止という領域のなかで展開されたものであることを看過してはならない。
[208] 本件では、主権者である国民の表現の自由、政治活動の自由に対する制約が問題となつているのであつて、猿払事件判決の法理が適用の余地がないことは別に詳述するとおりである。
[209] 第二に、上告趣意書が前提とする猿払事件判決の法理そのものの中に重大な誤りが存在しており、上告趣意書は右法理を無批判的に適用することによつて、右法理の誤りを増幅させている。
[210] 第三に、かりに猿払事件判決の法理を本件に適用し、利益衡量を試みるとしても、上告趣意書の論述は、すでに指摘したように何らの論証も行われていない「推論」を前提として更に「推論」を展開して予定の結論にたどりつくという手法をとつており、この点でも大きな誤りを犯している。そこでは、正しい意味での利益衡量は何ら試みられていないにひとしい。
[211] 以下詳述する。

二、主権者である国民の政治活動の自由と「利益衡量」
[212] 猿払事件判決は、「公務員の政治活動の自由」と「公務員を含む国民全体の共同利益」を比較衡量し、後者の方が大として、より少であるところの前者に対する制約を容認した。右判決の法理そのものには重大な疑義が存在するが、それは別に論及するとして、比較衡量の手法がとられるなかで、比較の一方の側の対象となつた利益、権利は、国民全体から見れば、限られた「公務員」の「政治活動の自由」であつたことに注意しなければならない。
[213] ところが、本件で問題となつている利益ないし権利は、「主権者である国民の政治活動の自由」である。それは、たんなる政治活動の自由ではなく、選挙においては選挙運動の自由としてあらわれ、そして前述のとおりり、国民の代表者を選出して正当な主権を作り出すという議会制民主主義国家の根本にかかわる内容を有するものである。
[214] しかも、この政治活動の自由は、一部ないし少数者のそれではなく、選挙という重要な場において選挙権を有するすべての国民にかかわりを有するものであつて、その意味において、この自由を完全に保障することは、判決の言葉を借りていうならば、まさに国民全体の共同利益ともいうべきものなのである。
[215] 本件で問題となつている、主権者である国民の政治活動の自由は、憲法上最大の保障を要求されるものでありり、制約を許さないものであるから、相対立する利益・権利を調整するための手法としての「利益衡量」は、本件ではもともと働く余地がないのである。

三、猿払事件判決の法理の誤り
[216] 検察官は、表現の自由の保障の受ける制限の程度が、表現自体の制限か表現の手段方法たる行動の制限かによつて大きく異なるとし、猿払事件判決を引用している。
[217] しかしながら、右猿払事件判決の引用部分は、以下の点について重大な誤りを有している。
(一)、意思表明に対する制約と、意思表明の手段としての行動に対する制約を区別する点について
[218] 判決は、意思表明そのものの制約と、意思表明の手段としての行動に対する制約を区別し、後者についての制約をゆるやかに認めようとする。
[219] すなわち、意思表明の手段としての行動の禁止により意思表明の自由が制約されても、それは
「単に行動の禁止に伴う限度での間接的、付随的な制限に過ぎず……」
としている。
[220] しかしながら、この判決の考え方は次の点で重大な誤りを犯している。
[221] 第一に、意思表明は、通常何らかの伝達手段によつてなされるのであつて、手段、方法に対する制約は意思表明そのものの制約に直結する。
[222] したがつて、意思表明と、その手段としての行動を区別して後者への制約をゆるやかに認めていくことは、憲法で保障された「表現の自由」を形がい化するものである。
[223] 原判決が
「……表現の自由の制約は歴史的にみてその表現内容そのものに対する規制よりも、その手段方法の規制によることが多く、表現の手段方法を欠く表現の自由は無意味であつて、手段方法の規制であるが故に単なる合理的な理由のみによつてその制約が可能であると解するとすれば、表現の自由を保障した憲法の趣旨を没却する結果をもたらすであろう。」
と判示したのは、きわめて正しい指摘といわざるをえない。
[224] 第二に、意思表明と意思表明の手段としての行動とを判然区別できるとは限らない。とりわけ政治活動については両者は一体となつていることが多く、まさに、行動が表現そのものという場合があるのであつて、このことは、上告趣意書がふれる徳島市公安条例事件大法廷判決における岸裁判官及び団藤裁判官の各補足意見もまた言及するところである。
[225] すなわち、右判決において、岸裁判官は
「……その行動を伴うことが、当該表現活動にとつて唯一又は極めて重要な意義をもつ場合には、行動それ自体が思想、意見の伝達と評価され、表現そのものと同様に憲法上の保障に値することもある……」、
団藤裁判官は、
「……表現はしばしば行動を伴うのであり、もしその行動によらなければ当の表現の目的を達成することが客観的、合理的にみて不可能なようなばあいには、その行動は表現そのものと考えられなければならない」
とそれぞれ述べている。
(二)、禁止行為以外の行為による意思表明の自由について
[226] 猿払事件判決は、更に
「……かつ、国公法102条1項及び規則の定める行動類型以外の行為により意見を表明する自由までをも制約するものではな(い)」
と判示するが、これもまた批判を免れない。
[227] 第一に、この考え方を押し詰めていけば、「ほかに方法があれば禁止してもよい。」ということになる。ことは、憲法21条の「表現の自由」(政治活動の自由)の土俵の問題であり、判決の考え方は、基本的人権の中核ともいうべき「表現の自由」の保障を形がい化することに連なる。
[228] 第二に、国公法102条1項、人事院規則で禁止された行為は、ほとんどの政治活動を網羅しており、右禁止の結果、公務員に許された政治活動は皆無に等しいか、きわめて限られたものとなる。判決の論理は、例えば、100のうち、90以上を奪つておいて、残りが多少あるからよいではないかというたぐいのものであり、実態を無視した暴論といわざるをえない。
(三)、利益衡量について
[229] 判決は、禁止によつて得られる利益は、
「公務員の政治的中立性を維持し、行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保するという国民全体の共同利益」であり、「失われる利益に比してさらに重要なものというべきであり、その禁止は利益の均衡を失するものではない。」
と判示する。
[230] しかしながら、右判示もまた重大な問題を有していると言わざるを得ない。
[231] 第一に、比較する利益の一方を限定したうえ、他方に「国民全体の共同利益」というきわめて巨大なものを持つてきており、この手法は利益衡量と言えない。そもそも当初より利益衡量を避けている、ないしは放棄しているものといわざるをえない。
[232] 第二に、利益衡量がきわめて抽象的な形でなされるにとどまつている点である。失われる利益にしても、得られる利益にしても、更にその比較にしても、具体的な形でなされておらず、しかも何らの論証もない。
[233] 最高裁判所は、いわゆる薬事法違憲判決(最高裁大法廷 昭和50年4月30日判決、民集29巻4号572頁)において、
「……これらの規制措置が憲法22条1項にいう公共の福祉のために要求されるものとして是認されるかどうかは、これを一律に論ずることができず、具体的な規制措置について、規制の目的、必要性、内容、これによつて制限される職業の自由の性質、内容及び制限の程度を検討し、これらを比較衡量したうえで慎重に決定されなければならない。」
と判示し、具体的かつキメ細かな分析を加えたうえ比較衡量によつて結論を導びいた。
[234] 右判決は、経済的自由の規制に関するものであつたが、猿払事件では精神的自由の規制に関するものであり、経済的自由の規制の場合より、より慎重でかつ厳しい分析と利益衡量がなされなければならないのは当然である。
[235] にもかかわらず、判決では、右薬事法違憲判決でみられたような分析・衡量は何らなされておらず、きわめてズサンな内容の利益衡量の形だけがとられているにすぎないのである。
[236] 以上により、上告趣意書が立脚しようとする猿払事件判決の法理そのもののなかに重大な誤りが存在していることは明白である。
[237] 上告趣意書は、猿払事件判決の法理に立脚して論を進めているが、前提となる右法理に重大な誤りがある以上、上告趣意書の論述もまた誤りであり、何らの説得力も有しないのは当然といわねばならない。

四、上告趣意書の論述内容の誤り
[238] かりに、本件において、猿払事件の法理を適用するとしても、上告趣意書の論述は重要な誤りを有しており、批判を免れない。
1 戸別訪問禁止の代替手段について
[239](一)、検察官は、戸別訪問禁止の代替手段として、個々面接をはじめ種々の方法があり、それらは
「あるいは戸別訪問に比しより効果的な手段として、あるいは同等の手段として、戸別訪問禁止に十分に代替し得るものである。」
と主張する。
[240] しかし、前述のとおり検察官が代替手段として列挙したもののほとんどは候補者に関するものであり、一般国民が行いうるものとしては、せいぜい、個々面接、電話による依頼ぐらいなものであり、それらが戸別訪問にとうてい代替し得ないことは明白である。
[241] 本件では、まさに、主権者である国民の政治活動の自由が問題となつているのであり、圧倒的多数の国民における戸別訪問の禁止に対して圧倒的少数であり、しかも候補者にのみとりうる手段が代替しえないことはいうまでもない。
[242] 原判決がこの点に関して、
「……戸別訪問による投票依頼あるいは政策及び特定の候補者の宣伝のための表現行為は、……少なくとも多数の国民が行いうる方法の中では簡易かつ特段の経費を要さないものであるから、容易に他の方法により代替されうるものとは思わない。すなわち、国民の行う戸別訪問による表現行為は、専ら候補者において行うラジオ又はテレビジヨンによる政見放送や立会演説会、個人演説会における演説によつては代替され得ないし、葉書等の文書による方法や電話による方法によつて意見を表明する機会はあつても、経費の点やこれらが殆んど一方的な通信方法であることからして直ちに戸別訪問に代替しうるとは考えられず、更に、いわゆる個人面接も、これが知人に対するものである場合、その機会が偶然に過ぎて戸別訪問との代替性には問題がある。」
と判示したのは、極めて正鵠を得たものである。
[243](二)、更に、検察官は、原判決が
「(戸別訪問は)多数の国民が行いうる方法の中では簡易かつ特段の経費を要さないものであるから、容易に他の方法により代替されるものとは思われない。」
と判示したことに対し、選挙の現実を無視したものであり、もし戸別訪問が解禁されれば、大量動員に輪をかけた人海戦術になりかねないと主張する。
[244] しかし、検察官の右主張もまた、選挙を候補者の視点からのみとり上げたものであり、一般国民の政治活動の自由・政治・選挙への参加という視点がまつたく欠落している点に特徴をもつ。
[245] しかも、選挙の実態が右主張のとおりであるかどうかについては何らの論証もなく、検察官の主張は、推論のうえに推論を重ねた放言にすぎない。
[246](三)、以上にみたとおり、検察官の主張は、あくまでも選挙というものを候補者の立場からのみ、あるいは候補者を中心として捉えており、圧倒的多数である主権者たる一般国民の立場からの視点が完全に没却されているといわねばならない。
[247] 本件では、主権者たる国民の政治活動の自由が問題となつているのであり、かりに戸別訪問禁止との代替手段にふれるとしても、右の観点から論及しなければならないのであつて、検察官の論述はこれに対する何らの応答にもなつておらず、従つて説得力をまつたく有しないのである。
2 戸別訪問の実態について
[248](一)、次に、検察官は、原判決が
「戸別訪問は、通常、それ自体何らの悪性を有するものではなく、……その行動がもたらす幣害が考えられるとしても、それは間接的なものといわざるを得ない」
と判示したことに対し、戸別訪問の実際が、政治討論の場となつておらず、多数の運動員が一方的に投票を依頼し、あるいは候補者の氏名を口にするだけで終始しているとして批判を行なつている。
[249] しかし、この論述が誤りであることは、あまりにも明白である。
[250] 第一に、検察官は、自ら引用する原判決の判示部分及び第一審判決でも判示された戸別訪問の特性・長所に対して、何ら正面からとりあげようとせず、戸別訪問を禁止している法制下での戸別訪問の実態なるものを対置させているのであつて、方法論としてそもそも誤つている。
[251] 第二に、しかも、検察官の主張する戸別訪問の実態なるものについては、前述したとおり第一審及び原審において何らの主張・立証も行なわれていない。今回、上告趣意書において、検察官の「主張」としてはじめて本事件に登場したにすぎない。検察官のいう「検挙された戸別訪問事犯の実態」なるものは、何らの裏付けもない幻の主張というほかない。
[252] 第三に、かりに検挙された戸別訪問事犯に限定して考えを進めたとしても、我々は、本件以外にもその実態が検察官のいうそれと大きく異なつている1つの具体的事例を身近にみることができる。例えば、本件と同じく最高裁判所第二小法廷に係属している被告人尾場瀬勝義にかかわる公職選挙法違反上告事件(最高裁昭和54年(あ)第383号)である。
[253] 尾場瀬被告もまた、選挙期間中の政治活動について戸別訪問罪に問われたのであるが、同被告の行動は、ごく普通の一人の国民が政治にかかわり、政治に参加していく一つの典型といいうるものであり、それはまさに、選挙期間中における政策宣伝を中心とした支持説得活動であつて、社会人としての礼節をわきまえた非難の余地のない訪問行為であつた。
[254] この尾場瀬被告の活動について、第一審判決(福岡地裁小倉支部 昭和52年3月25日判決)は、
「被告人の行なつた戸別訪問は政策宣伝を中心とした投票依頼目的を有する純粋な支持説得活動であつたとみることができ、かかる戸別訪問型態の存することは否めないところである」「被告人の本件戸別訪問行為が、弁護人の主張するように、礼節をわきまえた相当なものであつてその政治参加への意義は一面において十分認められ、また他方において悪質な選挙違反が見過ごされていることもうかがえる」
と判示している。
[255] 更に、第二審判決(福岡高裁 昭和54年2月7日判決)は、
「被告人のなした戸別訪問が単なる投票嘆願ではなく、投票依頼目的をも有する政策宣伝を中心とした支持説得活動であること、その訪問態様も訪問時間、滞在時間、被訪問者との会話の様子など節度あるものであり、かつ買収等の不正行為を伴わないものである」
と判示しているのである。
[256] 我々は、ここでは検察官の主張との関連においては、尾場瀬被告の行動が10年以上も前の昭和44年12月27日施行の衆議院選挙中のものであること、そして第一審判決が「政策宣伝を中心とした投票依頼目的をも有する純粋な支持説得活動」を内容とする戸別訪問の形態が存在することを明白に認めていたことに注目しなければならない。
[257] 検察官の主張が、事実と乖離していることは、これだけでも明白である。しかも現在、裁判所において戸別訪問の無罪を争つている事例のほとんどは、尾場瀬被告の活動と基本的に共通しており、このことは、今日、巷間なされている戸別訪問においては、むしろ政策宣伝を中心とした支持説得活動が中心をなしていることを裏付けるものである。
[258] 第四に、かりに検挙された戸別訪問事犯のなかにあるいは一部に、検察官主張の如きものがみられたとしても、このことは、原判決の判示に対する何らの反論ともなり得ない。
[259] それは、一つは、検察官の主張が、「検挙された戸別訪問事犯」という限定された土俵での主張にすぎないことである。検挙されていない戸別訪問の実態には何らふられていない。
[260] 二つには、戸別訪問を全面的に禁圧している法制の下でなされている戸別訪問は、多かれ少なかれ本来の姿から歪められざるを得ないであろうからである。
[261](二)、更に検察官は、
「戸別訪問が禁止されていても、このような行為が行われているのであるからこれを放任した場合、先に述べたような弊害が噴出することは明白であり、とうてい『間接的なもの』にとどまることはできない。」
という。
[262] しかしながら、その前提として述べられた、検察官のいう戸別訪問の実態なるものは、前節で詳しくふれたように、何らの論証もなく、また事実とも大きく異なつている。そもそも原判決に対する批判となり得ない。誤つた主張を前提として、推論を行なつているにすぎないからである。
[263] かりに百歩譲つて、検察官の前提とするもののなかに事実と合致するものがあるとしても、これはなお、原判決への反論となり得ない。
[264] すでに見たように戸別訪問を全面的に禁圧している法制の下での戸別訪問は、多かれ少なかれその本来の姿から歪められざるを得ないであろうこと、更には、論理的にいつても、全面的に禁圧している法制下での実態なるものが、全面的に禁圧すること自体の合理的根拠とすることは不可能だからである。
3 戸別訪問の弊害について
[265] 検察官は、利益衡量の前提として、
「戸別訪問を放任した場合、これによつてもたらされる弊害が無視できるほど小さいものではないと考えられる現状」
なる主張を行なつている。
[266] しかし、右主張は、すでにみたように、誤つた実態認識を前提とした推論にすぎず、何ら十分な論証もなされておらず何らの説得力をも持ち得ない。
4 利益衡量について
[267] さいごに検察官は、右にふれた現状認識を前提として、戸別訪問の禁止によつて受ける言論の制約の程度と、戸別訪問の禁止によつて得られる選挙の自由と公正が維持増進される程度を比較衡量し、後者がより重大であると主張する。
[268] しかし、ここにみられる利益衡量は、内在的にみても以下の誤りを含んでいる。
[269] 一つは、利益衡量の前提とする現状認識が前記3で述べたとおり誤つていることであり、二つは戸別訪問の禁止によつて受ける不利益、言論の制約の程度について論証がきわめて不十分であることである。
[270] 検察官は、戸別訪問の禁止が表現行為の一態様に対する制約であり、代替手段があると主張する。
[271] しかし、検察官が、上告趣意書37頁であげた代替手段は、候補者を中心としたものであり、一般国民のとりうる手段について正面から論じていない。
[272] 原判決は、この点に関して、
「戸別訪問の禁止が意見表明そのものの制約を狙いとしているのか、それとも行動のもたらす弊害の防止を狙いとしているのか、後者であるとした場合、禁止されている行動類型以外の行為により意見を表明する自由までも実質的に制約しているか否か、……審査がなされるべきである。」
と判示して、代替手段について具体的に考察を加えているのである。
[273] ところが、検察官は、
「禁止されている行動類型以外の行為により意見を表明する自由までも実質的に制約しているか否か」
については何ら考察を行なわず、候補者の選挙運動の方法をいつしよに列挙して、代替手段があるとして問題のすりかえを図つているのである。
[274] 戸別訪問の禁止によつて受ける不利益、その禁止が国民の言論活動にとつて制約を受ける程度については、何らの論証もなされていないといつて過言ではない。
[275] 三つは、戸別訪問の禁止によつて得られる利益、すなわち、これによつて選挙の自由と公正が維持増進される程度についても、何らの論証もなされていないことである。戸別訪問の禁止によつてそもそも選挙の自由と公正が維持増進されるのかどうか、かりにそうだとしてもその程度如何について、具体的な分析、記述がいつさい省かれている。
[276] 利益衡量は、本来、衡量しようとする2つの利益ないし権利をそれぞれ具体的に分析して価値判断を加えようとするものである。ところが、上告趣意書では、利益衡量しようとする2つの利益、権利の分析、記述がない。これでは、戸別訪問の禁止によつて、「失われる利益」と「得られる利益」とを比較することは不可能である。
[277] 上告趣意書における利益衡量の手法は、何らの論証もなく、ただ強引に結論だけを導いているものと評するほかはない。

五、むすび
[278] すでにみてきたように、上告趣意書31頁から41頁までに記述された「利益の衡量」論は、記述の出発点においても、その過程においても、結論においても、いずれも重大な誤りを有しており、原判決の判示に対する何らの反論、批判ともなり得ていないのである。
一、罪刑法定主義の視点から
[279] 公職選挙法138条1項に規定する戸別訪問罪は一般的に形式犯と称せられるものである。
[280] 戸別訪問は、その行為が反社会性を有するものでも、直ちに害悪を発生せしめるものでもない。形式犯は、それ自体としては法益を侵害しないにもかかわらず、法益の重大性や法益侵害の蓋然性が高度で他に防止方法がないなどの理由で、立法化されるものである。
[281] 侵害犯、自然犯といわれる犯罪形態に比して例外的、政策的な側面を有する。
[282] 他方、罪刑法定主義の基本原則は、法益の重要性と明確性を要請する。
[283] 特に、形式犯においては、処罰の対象となる行為そのものには反社会性も法益侵害もないにもかかわらず、これを禁止し、その違反に対しては刑罰を科すのであるから法益の明確性、侵害の蓋然性の高度性が強く要請される。
[284] その禁止、又は規制の対象となる行為が、憲法上保障されている政治的表現活動であるならば、憲法上の保障機能も相伴つてその明確性、蓋然性は更に一層高度でなければならない。
[285] 憲法上保障されている基本的人権を規制する結果となる戸別訪問罪においては、それが形式犯であるという刑事法上の原則からしても、その法益が明確であり、特に構成要件(禁止、処罰)と法益侵害の関連性が合理的に首肯しうるに足る高度な蓋然性を有するものでなければならない。
[286] 端的にいうならば、戸別訪問罪における禁止と法益侵害との関連性はその形式犯という形態からして単に可能性があるといつた程度では足らず、合理的な定型性を有するものでなければならないのである。そして、その禁止、又は規制の範囲(限度)は、法益侵害を防止するに足る必要最小限度のものでなければならない。
[287] 右基準は、憲法21条の当然の帰結であるだけでなく、近代刑法の基本原理である罪刑法定主義の立場からも、譲りえない限界として存在している。
[288] 本論は、戸別訪問罪と法益との関連性に関し、罪刑法定主義の立場から論じようとするものである。

二、原判決の立場
[289] 原判決は
「戸別訪問は、通常それ自体なんらの悪性を有するものではなく……その行動がもたらす弊害が考えられるとしても、それは間接的なものと言わざるを得ない」
とし、結局、その禁止規定の合憲性の判断基準は、「単なる合理的な理由」では足らず、「合理的でかつ必要やむをえない限度」のものでなければならないと判示する。
[290] 更に、戸別訪問を禁止する理由について、逐一検討を加えた上、
「結局、戸別訪問を禁止した法の目的を各別に検討してみても、あるいはその目的自体が表現の自由を制約すべき根拠となり得なかつたり、あるいは、その手段によりその目的を達成しうるか否かの点で、合理的な関連性を欠いたり、あるいは、選択された手段がその目的を達成する上で行き過ぎたりしているというほかはなく、これを併せて考えてみても、戸別訪問の禁止が憲法上許される合理的でかつ必要やむを得ない制限であると考えることはできない」
として、戸別訪問罪を違憲、無罪と宣告した。
[291] もとより正論である。
[292] 原判決の右判示に対し、検察官はその上告趣意書において、右判示は憲法21条の解釈、適用に関しその判断を誤つたものであると批判し、いわゆる「猿払事件判決」等を引用しながら、独自の憲法解釈論を展開している。
[293] 検察官の憲法解釈論が、表現の自由に関する審査基準はもとより、その適用においても合理的な説得力を有しない誤つたものであることについては、既に詳論したとおりである。
[294] 一審ならびに控訴審を通じて、戸別訪問罪が憲法21条に違反する違憲、無効な規定であることについては十分審理され、今や疑いの余地すらないと断じても言い過ぎではなかろうと思う。ただ、そこで論議し、立証を尽したのは主として憲法21条の審査基準から判断する禁止とその合理的因果関係の存在の有無に関するものであつた。
[295] 本項においては、憲法21条の解釈、適用のみならず、刑罰法規の基本原則である罪刑法定主義の観点から判断しても、戸別訪問罪は、その規定自体違憲、無効のそしりを免れえないということについて論述する。
[296] 保護法益と禁止規定(構成要件)との間に合理的且つ定型的な関連性を有しない戸別訪問罪は単に憲法21条に反するのみならず、刑罰法規としての罪刑法定主義の原則にも反するものである。
[297] かかる観点から判断しても、原判決の前記判示は極めて正当であり、右に対する検察官の批判は当を得たものとはいえない。

三、憲法上の保障
[298] 憲法第31条は次のように規定する。
「何人も法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない。」
[299] 右規定は「法定手続の保障」を基本的人権として位置づけたものとされている。右規定の「法律の定める手続」とは、基本的には刑罰の根拠となる実定法、及び刑罰を現実化するための手続法を意味するものとされており、単にその存在のみを指称するものではない。「法律の定める手続」とは、形式的な法の存在のみならず、その法が適正且つ妥当なものであることを当然の前提としている。
[300] 憲法第31条が、アメリカ合衆国憲法にいう「適正手続の保障」(デユープロセス・オブ・ロー)に由来し、それは「公正と賢明の最低限度の水準」を満足させる手続と解されているからである。
[301] そして、右規定は、その論理的帰結として、刑事法的に罪刑法定主義の原則を保障したものと理解されている。
[302] 現行憲法には、罪刑法定主義の保障に関し、明治憲法第23条の「日本臣民は法律に依るに非ずして、逮捕、監禁、審問、処罰を受くることなし」との直接的な規定は無くなつたが、右保障は規定するまでもなく当然のこととされ、憲法第31条の英米法系の形式で、「適正手続の保障」の一として罪刑法定主義の原則が宣言せられているのである。

四、厳正な判断の必要
[303] 罪刑法定主義が憲法第31条に法源をもち、それが英米法系にいう「適正手続条項」に由来して、単に形式的な法の存在のみならず、その法が内容的にも「公正と賢明の最低限度の水準」を保障することが要請されている以上、罪刑法定主義の原則も実質的に適正且つ妥当なものとして保障されなければならない。
[304] 「法律なければ刑罰なし、法律なければ犯罪なし」と表現される「法律」はその形式的存在のみならず、内容的にも国民の基本的人権を不当に侵害することのない適正なものでなければならない。
[305] 従つて、国会で議決され、公布された刑罰法規といえども、その内容が実質的に判断して、その禁止(構成要件)に合理的正当性が薄かつたり、犯罪と刑罰とが均衡を失つていて、結果的に国民の人権を不当に侵害したりしている場合には、罪刑法定主義、ひいては憲法第31条に違反して、その刑罰法規自体を無効と解さざるをえなくなるのである。
[306] 刑罰法規は、国民の生命、身体的自由、財産を国家が直接的にこれを奪い、被告人を有罪判決の名の下に犯罪者として確定するものであり、「適正手続条項」或いは罪刑法定主義の観点からの判断は厳正なものでなければならない。
[307] 更に、その禁止が国民の基本的人権として保障されている行為を対象とし、それを規制する結果となるような刑罰法規については、国民の基本的人権を不当に侵害しないよう、その検討と司法的な判断はより一層厳正なものであることが要請される。

五、保護法益の明確性および禁止との合理的関連性
[308] 罪刑法定主義の原則は、刑罰法規は、先ず罪刑の法定が適正であることを当然に要請している。
[309] 団藤重光最高裁判事は、その著書「刑法綱要」の罪刑法定主義の項の中で次のように著述しておられる。
「刑罰規定を設けるにあたつては、実質的な処罰の必要と根拠が充分に明白にみとめられることが必要である。何が保護法益であるかを充分に見定め、これを刑罰規定をもつて保護する必要があることが明確にいえる場合に、初めて刑罰法規を設けることが許されるものといわなければならない。ことに、刑罰規定を設けることが基本的人権を制限する結果になるような場合には、このことは特に注意されなければならない」
[310] 正に右論述のとおりである。
[311] 刑罰法規は「実質的な処罰の必要と根拠が充分に明白に認められる」こと、言葉を替えていえば、「何が保護法益であるかを充分に見定め、これを刑罰規定をもつて保護する必要があることが明確にいえる」場合に限つて許されるのである。
[312] 従つて、保護法益が不明確であつたり、保護法益と構成要件との関連性に合理性がなかつたり、構成要件それ自体に実質的な処罰の根拠が存在しないような場合には罪刑法定主義に反し、その刑罰法規は違憲、無効と言わざるをえないのである。
[313] 「表現の自由」や「公務員の争議権」に関して、その規制基準の一として「合理性の認められる必要最小限度の規制」とか「禁止のみならず刑事罰を科すには特に慎重な判断が必要である」などといつた判示は、単に「表現の自由」や「争議権」に関する判例理論というだけではなく、罪刑法定主義の立場からの実質的配慮が働いた結果であるとも言えるであろう。
[314] 刑罰法規はその保護法益が明確であつて、禁止(構成要件)とそれによつて保護される法益とが合理的関連性あるものとして明白に認められるものでなければ罪刑法定主義の原則に反し、無効と言わざるをえないのである。
[315] 侵害犯、実質犯と言われる構成要件については、右の点は殆んど問題とならないであろう。
[316] 危険犯、形式犯と言われる構成要件については問題となることが多い。

六、戸別訪問の一律禁止規定の違憲性
[317] 公職選挙法第138条1項に規定する戸別訪問罪は一般的に形式犯、又は抽象的危険犯と称されるものである。
[318] 同条の構成要件に核当する事実、即ち、投票を得る目的をもつての訪問行為は、それ自体なんらの法益をも侵害するものではない。否、むしろ、選挙期間中に国和の一人一人が支持する政党、候補者の政策を直接的に訴え、討議し、より多くの要求や情報を交換することは、国民主権、議会制民主主義の理念からも奨励されるべきことである。
[319] このような投票依頼目的をもつての訪問行為が、それ自体は法益侵害も実質的な違憲性をも有しないにもかかわらず、禁止され、処罰される理由はどこに存在するのであろうか、検察官はその理由として不正行為その他の害悪が発生するおそれがある旨主張している。
[320] 即ち、戸別訪問罪の保護法益は「選挙の自由と公正」であり、投票依頼目的をもつての訪問行為を禁止することなく放置するならば、不正行為等の害悪を発生せしめ、その結果として「選挙の自由と公正」を侵害することになると言うのである。
[321] 戸別訪問を禁止する公職選挙法第138条1項が保護法益とされる「選挙の自由と公正」を侵害する抽象的な危険の発生すらもその要件として規定していないことからすれば、抽象的危険犯というよりは、形式犯というほうが語義的には適当かもしれない。形式犯は侵害犯或いはその未遂犯処罰規定に比し、保護法益の侵害、又はその具体的な侵害の危険のない段階でこれを一律に禁止し、その禁止違反に対してそれ自体を処罰するものである。
[322] 「法益のないところに法律なく、法律なきところに処罰なし」とする近代刑法の罪刑法定主義の原則からすれば、形式犯は例外的な規定と言えるであろう。
[323] 罪刑法定主義からするならば、現実の法益侵害のある侵害犯、又は客観的に法益侵害の具体的な可能性のある所為を規制する未遂犯を処罰するのが原則である。
[324] いかに凶悪な犯罪であろうとそれが意思や欲望としてとどまる限り処罰されることはなく、それが現実に着手されない以上予備や準備の段階に至つても、特別の処罰規定の存在する僅少の例外を除いては犯罪として処罰されないのである。
[325] 形式犯は法益侵害に至らない階段で、侵害はもとよりその侵害発生の可能性の有無すら問うことなくその行為を禁止し、処罰しようとするものである。
[326] 更に、形式犯処罰規定は侵害犯(未遂を含む)に多い自然犯的なものと異なり、為政者によつて政策的、恣意的に成文化される危険性を内包している。
[327] 従つて、形式犯処罰規定の立法化と解釈、適用にあたつては、侵害犯、自然犯的な規定に比較してその保護法益の明確性と重大性を慎重に検討し、特に法益侵害及びその可能性と禁止規定との関連性の有無の判断についてはより一層厳正でなければならない。それ自体悪とはいえない行為を法律をもつて禁止し、処罰しなければ、その放置によつて一定の害悪発生が避けえないであろうという関連性が社会通念上客観的且つ合理的に首肯しうる場合に限つて、形式犯処罰が許されると解すべきである。まして、その禁止される行為が、憲法上保障されている基本的人権の行使である場合には保護法益の明確性、重大性はもとより、法益侵害と禁止規定との関連性は単に社会通念上客観的に首肯しうるというにとどまらず、その関連性が「合理的且つ定型的な」ものでなければならないものと思料する。かく解してこそ、罪刑法定主義の原則が現実性を有し、前記団藤裁判官の論述にも正しく合致するのである。
[328] 憲法上保障された基本的人権の行使を、形式犯として禁止し、処罰するには、禁止と法益侵害との関連性に「合理的な定型性」が存在しなければならないというべきである。
[329] そして、憲法上の要請として、その禁止は、法益侵害との関連性において「合理的な定型性」を有するもののみに限定せられるべきである。
[330] 憲法上保障にされる権利の行使が、形式犯として一律、全面的に禁止され処罰されるのは、法益侵害との間に「合理的且つ定型的な」関連性が認められるばかりでなく、他に代替的な防止方法がなく、その禁止が必要最小限度の範囲にとどまる場合に限つて許されると解すべきである。
[331] 戸別訪問は、その行為自体なんらの害悪を発生せしめるものではなく、他方最も優越的な保障がなされている表現活動の一態様として行われるのに、害悪の発生の可能性の有無にすらかかわりなくこれを一律、全面的に禁止し、違反者を刑罰によつて処罰しようとするものである。
[332] 戸別訪問は、それ自体反社会性を有しないにもかかわらず、憲法上の表現の自由の行使が形式犯の名において禁止され、処罰されるのである。
[333] 従つて、禁止(或いは放置)と法益侵害との関連性について、罪刑法定主義の観点から「合理的な定型性」が存在すると言いうるか否かについて厳正な吟味がなされなければならないのである。禁止と法益侵害との間に単なる可能性や一応の関連性があるというだけでは、罪刑法定主義に反し、その関連性は社会通念上定型性を有すると言いうるほどに合理的なものでなければならない。
[334] 検察官の主張する不正行為温床論について言えば、既に詳述した如く、その関連性は合理的、客観的と言いうるものではなく、もとより因果の定型性はない。
[335] 迷惑論についても、訪問が投票を得る目的をもつてなされるものである以上、被訪問者の意思を無視して顧みず強行するなどということがありえないであろうことに照しても、その関連性が定型的、合理的に存在するとは言えない。
[336] 訪問行為が定型的に被訪問者の迷惑となり、刑罰をもつて禁止しなければならないというのであれば、セールスをも含めて一般的に訪問行為を禁止し、処罰しなければならないであろう。
[337] 更に、一律、全面的に禁止しないで、その迷惑との関連性に関して時間、場所、人数等を限定して禁止することも可能である。
[338] 仮に被訪問者が迷惑に感ずることがあり、戸別訪問に一定の制限が必要であるとしても、その禁止の範囲は、罪刑法定主義の観点からしても、合理性の認められる必要最小限度のものでなければならない。
[339] 不正行為温床論、迷惑論その他の保護法益論の不合理性に関する批判は既に詳述しており重複を避けるが、いずれにしてもその関連性に定型性を認めることはできない。
一、検察官の主張
[340] 検察官は、最高裁が昭和25年9月27日大法廷判決以来、一貫して公選法138条1項の合憲性を認めているとして、昭和44年4月23日大法廷判決のほか、9つの小法廷判決を掲げ、同条が憲法21条1項に違反しないことは、判例法上確立されていると主張している。
[341] そして、下級審における相次ぐ違憲判決について、松山地裁西条支部昭和53年3月30日判決、本件の一審判決である松江地裁出雲支部昭和54年1月24日判決にもかかわらず、最高裁は、昭和54年7月5日と9月20日(いずれも第一小法廷)合憲を確認し、盛岡地裁遠野支部昭和55年3月25日判決にもかかわらず、同年4月24日判決(第一小法廷)、本件の原判決後にも、同年6月6日判決(第二小法廷)が、前記の大法廷判決を引用して合憲の判断を行なつており、これらのことから、最高裁は、
「下級審でのかかる違憲判決をも十分考慮に入れたうえで、なお合憲の見解を確固不動のものとして堅持しており、判例変更の必要はないと判断していることがまことに明らかである」
と述べている。

二、違憲判決の要因
[342] 検察官も指摘するとおり、昭和53年以来、違憲判決が相次いでいるがそれにはそれぞれ十分な理由が存するのであつて、後述する国民の政治意識の高まりや、選挙活動における様相の著しい変化などさまざまな社会的要因を無視しては、正確な理解は得られない。最高裁が当該事件の判決原文と記録に残された審理の内容を検討する機会もなく、単なる「違憲判決」の新聞(テレビ・ラジオ)報道の域を出ない情報の可能性にとどまる段階で、別件についての上告趣意にこたえたことがあるからといつて、これら違憲判決を考慮に入れて判断したものとなし得ないことは明らかであろう。新聞報道された判決を念頭におきながら、別件の判断を行なつたとするならば、むしろ最高裁の見識と公正さが疑われるべきである。事件当事者の訴訟活動に基づかずして、当該事件に対する法的評価を行なうのと同断といわざるを得ないからである。

三、判例に対する原判決の態度
[343] この点の検察官の憶断は論外としても昭和25年大法廷判決以来の判例を拠りどころとして、原判決に批判を加えようとする態度は、検察官自からが、上告理由の第一点において
「一連の戸別訪問を合憲とする最高裁判所判決が具体的説示を欠く旨の批判の生ずる余地もある」
ことを認めている論旨とも、明らかにそぐわないであろう。すなわち、昭和25年以来の判例が合憲の論拠としてきた「公共の福祉」という概念が描象的に過ぎるために、今や、その説得力は極めて乏しく、先例としての価値も、著しく低下し、限られたものになつていることは、検察官もなかば認識せざるを得ないところなのである。
[344] 原判決は、まさにこれら一連の最高裁判決を引用しつつ、昭和44年大法廷判決からでも、すでに10年以上の時日が経過していること、合憲とする近時の最高裁判決は、具体的判断、説示をしていないこと等から、合憲性の具体的な根拠について、「今一度検討が加えられて然るべきである」とした上、一審の違憲判決の結論を支持し、戸別訪問の一律の禁止は、「合理的でかつ必要やむを得ない限度」を超えるものと判示しているのである。

四、原判決の示した新しい論点
[345] この論点は、昭和42年から44年にかけて、東京地裁、妙寺簡裁、松江地裁、長野地裁佐久支部などが行なつた違憲判決が、主として、「明白かつ現在の危険」の原則によつて理由づけを行なつてきたのとは、明らかに構成を異にしている。そして原判決が、従来の「明白かつ現在の危険」原則による理由づけに代わる論理をもつて違憲の判断を行なつていることは、検察官も認めるとおりである。
[346] 従つて、この角度から公選法138条1項の憲法判断を行なつた下級審判決に対し、最高裁が、真正面からその見解を明らかにした事案は、未だ存在しない。
[347] 原判決が、最高裁の各判例に相反する判断をしたものとする検察官の主張は、まずこの点において誤りがあるといわねばならない。
一、判例の系譜
[348] 検察官の上告理由からも明らかなように公選法138条1項を合憲とする最高裁の各小法廷判決は、もつぱら昭和25年大法廷判決をよりどころとし、昭和44年大法廷判決後は、同判決と、昭和25年判例を引用することによつて、合憲の論拠に代えているにすぎない。この2つの大法廷判決のうち、昭和44年判決の判旨によると、戸別訪問の禁止が憲法21条に違反するものでないことは
[「当裁判所大法廷判決の明らかにするところであり、いま、これを変更する必要は認められない」
として、同判決自体が昭和25年大法廷判決の先例を踏襲したものにとどまるのである。そこには、新たな実質的な判断は何一つ見出すことはできない。
[349] このように見てくると、結局、従来の判例として存在を保つているのは、実質的には、昭和25年の大法廷判決のみということが明らかとなる。検察官は、戸別訪問禁止の必要性につき実質的理由を示したものとして、昭和42年11月21日第三小法廷判決を挙げるか、これは検察官が引用する判示部分からも明らかなように、
「選挙人に対する買収、威迫、利益誘導等、選挙の公正を害する実質的違反行為を件い、又はこのような害悪の生ずる明白にして現在の危険があると認められるもののみを禁止しているのではない」
としているにすぎないのであつて、「種々の弊害」や、「選挙の公正を害するおそれ」の内容について、積極的に示すことは避けていると見るほかなく、戸別訪問禁止の合理的必要性を明らかにしたものとは、到底いい得ない。また昭和43年11月1日第一小法廷判決は、戸別訪問を禁止するゆえんのものとして、概活的にいくつかの事項を列挙しているが、これは構成要件の該当性の有無が争われた事案であつて、直接、憲法判断とのかかわりで論ぜられたものではない。

二、昭和25年判決の水準
[350] そうだとすると、最高裁としては、依然として、
「憲法21条は絶対無制限の言論の自由を保障しているのではなく、公共の福祉のためにその時、所、方法等につき分理的制限のおのずから存することは、これを容認するものと考えるべきである」
という昭和25年判決の水準に、憲法判断としては止まつていると解するほかないのである。
[351] 当時、外国の占領が継続中で、敗戦の混乱が残存していた時期にあたつており、国民主権主義の意識と理解が広く国民に定着していたとはいいがたく、時あたかも朝鮮戦争がぼつ発したばかりという特殊な情況も加わつて、統治権者の側にも民主的志向が極度に欠如していた事実は、到底否定し難いところである。法曹界においても、民主々義の根幹としての選挙の自由について、十分な認識が行きわたつていたとは考えられない、国民の政治的自由や権利が著しい制限を余儀なくされていた歴史的な時代と言つても過言ではあるまい。そうだとすれば、その時代の判決が、はたして今日に通用性を持ちうるかどうかが、まさに本件で問われているといつてよい。その後の政治的、社会的、経済的諸条件の激しい変化を考えると、かかる古色そう然たる判例が、国民の表現の自由、政治活動の権利という最も尊重されるべき基本的人権の領域で、依然として命脈を保つていること自体、まことに非現実的といわねばならないのである。

三、判決の理由不備
[352] 検察官は、戸別訪問禁止の合憲性という問題については、
「累次の最高裁判所判例の集積によつて既に判例の見解が確固不動のものとして確立されており、しかも、各判例がそのつど必要にして十分な理由を判示してきたところである」
とし、従つて最近の判例が、戸別訪問禁止の必要性及び合理性について、昭和49年11月6日の猿払事件判決及び同50年4月30日の薬事法違憲判決と同等に
「詳細かつ具体的な判断、説示をしていないからといつて、少しも異とするに足りない」
と述べている。
[353] しかしながら、昭和25年の判例も認めるとおり、選挙運動としての戸別訪問の一律の禁止が、言論の自由に対する制限であることは明らかであり、また原判決が冒頭に指摘するように、
「主権者としての国民の政治的活動の自由(すなわち、国民が国の基本的政策決定に直接・間接に関与する機会を持ち、かつそのための積極的活動を行う自由)は、これなくしては発展した民主主義国家における政治的支配を正当づける根拠を欠くものである」から「ことに憲法21条の定める表現の自由の保障は民主主義国家の不可欠の要件であつて、国民の基本的人権のうちでもとりわけ重要なもの」
であつて、このことは、異論の余地なく、明白なところである。
[354] そうだとすると、この最も重要な人権の制約の原理について、未だかつて一度たりとも、「詳細かつ具体的な判断、説示をしていない」ということ自体、奇怪であり、驚くべきことといわねばならない。これを「少しも異とするに足りない」とすることこそ、理解に苦しまざるを得ないところである。
一、昭和25年判決について
[355] ところで検察官は、累次の判例の集積というが、憲法判断として、実質的には昭和25年の大法廷判決があるのみであり、それ以後の判決は右判例の引用の累積にほかならないことは、前述のとおりである。
[356] しかも、右判例の内容をみると
「憲法21条は絶対無制限の言論の自由を保障しているのではなく、公共の福祉のためにその時、所、方法等につき合理的制限のおのずから存することは、これを容認するものと考うべきである」とし、「選挙の公正を期するために戸別訪問を禁止した結果として、言論の自由の制限をもたらすことがあるとしても、これ等の禁止規定を所論のように憲法に違反するものということはできない」
というだけのものであつて、判決がいう「選挙の公正」とは何を意味するのか、戸別訪問の禁止が、いうところの「選挙の公正」とどう関連するのか、「選挙の公正」を担保するために戸別訪問の禁止が必要不可欠の方法といいうるのかどうか等々、多くの問題点について、何一つ具体的に判示がなされていないのである。戸別訪問の禁止によつて言論の自由が制限される結果となることを認めながら、いわば「公共の福祉」という抽象論をふりかざして、合憲の評価を言い放つのみ。そこには
「かかる制約を加える必要性及び合理性ならびに刑事罰の正当性について詳細かつ具体的に説示する」
ことの配慮の片りんさえ窺うことはできない。

二、昭和42年小法廷判決と昭和43年小法廷判決について
[357] 検察官が、戸別訪問禁止の必要性につき、実質的理由を示した判例として遂げる昭和42年11月21日第三小法廷判決は、精読するならば、単に
「種々の弊害を伴い、選挙の公正を害するおそれがあるため」
と述べているだけであることが明らかとなる。「買収、威迫、利益誘導」等が掲記されているのは、選挙の公正を害する場合の例示にほかならず、そのような実質的違反を伴つたり、害悪の生ずる明白かつ現在の危険があると認められるもののみが禁止の対象とされているものではないとの解釈の過程で言及されているにすぎない。また「種々の弊害」と「選挙の公正」との相関関係を具体的に説明するとともに、戸別訪問禁止の合理性と必要性の根拠となるべき理由を示したものとされる昭和43年11月1日第一小法廷判決も、構成要件不該当の判断の傍論としてごく概括的に述べられているにすぎず、憲法判断としてなされたものでないことは前述のとおりである。しかもこの判決は、事案の性質上、候補者の側から選挙人に働きかける場合についてのみの判断であつて、後述のように、選挙人自身が、他の有権者に働きかける傾向が顕著となつた最近の状況をふまえたものではなく、少なくとも現時点における通用性を認容することは到底できない。この判旨を「判例法の基磯として尊重」することは不可能といわねばならないのである。
[358] 従つて前述のとおり、最高裁が、戸別訪問一律の禁止の合憲性につき、説得力ある論拠を国民の前に示したことは、一度もないといつて過言ではないのである。

三、昭和44年判決について
[359] 検察官は、
「判例の見解が確固不動のものとして確立」されているとか、
「そのつど必要にして十分な理由を判示してきた」とか
云うが、これまでの最高裁の判例を検討するならば、そのような評価を到底下し得ないことが一瞥して明らかといわねばならない。
[360] 検察官が指摘するとおり、昭和42年から44年にかけて、下級審において前述の違憲判決が相次いだが、これは昭和25年の大法廷判決をはじめ、それまでの最高裁判決が、十分な論拠を示し得なかつたことの必然的な結果であつたということができよう。この時期に最高裁は、再び大法廷を開いて、合憲の判決を行なうが、この昭和44年4月23日判決も、戸別訪問の禁止が、憲法21条に違反するものでないことは、
「当裁判所大法廷判決の明らかにするところであり、いまこれを変更する必要は認められない」
というに止まるものであつた。戸別訪問禁止の合理性を具体的説得的に打出すことをせず、「いまこれを変更する必要が認められない」としか述べていないこの判決は、むしろ、時代の推移、政治的、社会的諸条件の変化によつて、いずれは昭和25年当時の判決が維持できなくなり、それの変更を余儀なくされることがあり得ることを予見しながら、むしろそのことを示唆したものと理解することができる。すなわち、右の大法廷判決は、やがては再検討を迫られる事態のあることを予想していたものにほかならず、その意味ではじめから射程距離の限られたものであつたといいうるのである。
一、諸条件の一層の変化
[361] この大法廷以来、すでに11年余が経過している。この間、わが国における政治的、社会的あるいは経済的諸条件の変化は目ざましいものがあつたといわねばならない。70年代の高度成長は、社会構造に大きな変化をもたらし、農村人口の減少と同時に都市人口の過密化が進み、それに伴つて国民の要求に多様化をもたらしたことは後述のとおりである。いわゆる政治の場における多党化現象は、その反映であつた。物価の上昇や公害の発生が深刻な社会問題となり、社会的不公正や不均衡が、国民の批判の的となつた。これらの是正や改善を求める自主的な活動が国民の中に組識されるようになつた。国民自身が、自からの要求をかかげて、運動を起こし、それが多数の共感を集めて、政治的な大きな流れをも形成するという、我国でかつて見られなかつた状況も現出するようになつた。選挙運動の様相も、これに伴つて目ざましい変化を遂げた。政党の活動が、充実した政策をもつて国民に働きかける形で定着し、選挙では、候補者、政党とも政策宣伝に重点をおく運動が展開されるようになつた。選挙人の側も政策を基準にして投票の意思決定を行なう傾向が強まつただけではなく、自からの要求を政治に反映されるために、支持する候補者を当選させるべく、自主的に運動に参加する事例もきわだつてきた。選挙は、「政治好きの変わり者」がやるものだという類の冷やかな見方は、今や一掃されつつあるといつてよい。選挙は、最早、候補者と限られた選挙運動者達が、有権者に一方的に働きかけるものではなく、有権者自身が候補者に注文をつけたり、まわりの有権者に働きかけるなど能動的に参加する形態のものとなりつつある。この傾向は、今後一層促進されるであろう。それは、いわゆる「草の根民主主義」を我国に実現させる道すじにほかならない。
[362] このような社会状況のもとで、戸別訪問の一律の禁止の不合理性、不自然性は、一段と顕著に意識されるようになつた。選挙運動の自由を求める世論は、選挙の度毎に大きくなりつつある。

二、違憲判決の必然性
[363] 裁判所が、このような趨勢に無縁のままであり得るはずがない。戸別訪問の禁止など公選法による選挙運動の大幅な規制に対する疑問が、多くの下級審判決の中に見出されるようになつたのは、当然である。結論において有罪であつても戸別訪問の一律の禁止に対する疑念を拭いきれず、事実と道理の上では、被告人、弁護人の主張に左袒せざるを得ないことを告白するにひとしい判決が、近時とみに目立つようになつた。そのような判決の集積ののち、昭和53年3月30日松山地裁西条支部判決を嚆矢として昭和54年1月24日、本件の第一審である松江地裁出雲支部が、昭和55年3月25日、盛岡地裁遠野支部が、公選法138条1項を違憲とする判決を生み出すに至つたのである。ほかに同条2項について、昭和54年9月7日、福岡地裁柳川支部判決、同法142条の法定外文書の頒布禁止規定について、昭和55年5月30日、岐阜地裁判決と選挙運動の規制に対する違憲判決が相次いでいる現状である。
[364] まさに昭和25年および昭和44年の大法廷合憲判決が、辛うじて拠りどころとしてきた実体的な基盤は、国民の民主的な志向の発展を含む政治的、社会的諸条件の変化によつて確実に失われつつあつたといつてよい。国民の政治的意識が高まり、国民自からが生活にかかわる様々な要求を政治の場で解決するために、自主的、積極的に活動することが当然視され、それが現に広く行なわれるようになつた状況の下において、前記最高裁判例の存続の基礎は、完全に失なわれたといつて過言ではないと信ずる。
[365] 昭和25年および44年大法廷判決をはじめとする最高裁の戸別訪問禁止規定を合憲とする判決が、最早、先例的意義を喪失したものといわざるを得ないのは、このためである。
一、はじめに
[366] 検察官は、上告趣意第一点「憲法解釈の誤り」の二の4「利益の均衡」の吟味検討において、原判決が表現内容自体の規制と表現の「手段方法たる行動」の制限とで合憲性の判断基準を区別する考え方を否定したことを批判し、
「言論の内容自身を規制すれば、表現の手段手法のすべてが禁圧されるのに比し、表現の特定の手段方法で害悪の発生が危惧されるものだけを規制した場合は、言論の内容自身を伝える他の手段方法が禁止されず自由になしうる状態におかれているのである。表現の特定の手段方法を禁止するにとどまるような規制は、言論の内容自体の規制を正当化するための害悪より、はるかに小さい程度の害悪しか存在しないとしても正当化される。」
とする東京高裁昭和53年5月30日判決(判時915・124)を正当として引用する。
[367] 表現の内容と方法への裁判基準の二元化、とくにそこでの「代替手段」の概念は大いに疑問だが、ここではそれはさておいて、戸別訪問は決して単なる政治的表現の手段方法の一つであるにはとどまらず、またその禁止は、他にも手段方法があるという理由で、はるかに小さい害悪によつても正当化されるようなものではないことを論ずることとする。
[368] 戸別訪問に関するこれまでの判例は、戸別訪問を、言論の内容に対する意味で「言論の形式」(妙寺簡裁昭和43年3月12日判決、長野地裁佐久支部昭和44年4月18日判決)又は「表現の手段方法」(松山地裁西条支部昭和53年3月30日判決、東京高裁同年5月30日判決、盛岡地裁遠野支部昭和55年3月25日判決)ととらえてきた。原判決がそれを「表現の手段方法たる行動」ととらえ、だからといつて「単なる合理的理由のみによつてその制約が可能であると解す」ることはできないと説示したのは、表現の内容自体の規制と手段方法の規制との間に何らの差異もないとか、連続的な投票勧誘のためには戸別訪問以外に表現手段がまつたくないとか言わんとするものではないであろう。
[369] しかし、本論点に関しては、第二章の「利益均衡」論批判に関連して引用したところであるが、徳島市公安条例事件大法廷判決の岸盛一裁判官の補足意見が、
「その行動を伴うことが、当該表現活動にとつて唯一又は極めて重要な意義をもつ場合には、行動それ自体が思想、意見の伝達と評価され、表現そのものと同様の憲法上の保障に値することもありうる」
と述べ、また団藤重光裁判官の補足意見も
「もしその〔ような態様の〕行動〔例えば蛇行進〕によらなければ当の表現の目的〔当該集団行進の表現効果〕を達成することが客観的合理的に見て不可能なようなばあいには、その行動は表現そのものと考えられなければならない。」
と述べて、表現の手段方法は、表現の内容ないし表現そのものの場合よりも必ず小さな利益によつて合憲的に制限できるなどとは言つていないことを指摘すれば足りる。戸別訪問という表現の方法は、以上に述べるように、重い憲法的価値を担つているので、表現内容に劣らない大きな利益によつてしか、合理的に制限できないのである。

二、基礎的、第一次的手段による政治的表現
[370] 公選法138条1項が禁止する戸別訪問は、戸々に連続して投票を勧誘することを目的とする家宅等の訪問である。直接禁止されるのはこのような訪問であるが、それによつて、事実上候補者の有権者に対する及び有権者・国民相互の間の、訪問を通じての個々面接の対面による投票勧誘がすべて禁止されるのは等しい。
[371] このように、公選法138条1項のいわゆる戸別訪問は、〔国家公務員の〕政治的文書の掲示・配布等と同じく、
「多かれ少なかれ政治的意見の表明を内包する行為」ないし「行動類型」であつて、「国民一般に対して禁止されるのであれば、憲法違反の問題を生ずる」(最高裁大法廷昭和49年11月6日猿払事件判決、理由第二の一の(一)、(三)、及び二の(一))
のであり、また、集団行進等と同じく、
「表現の一態様として憲法上保障されるべき要素を有する」(最高裁大法廷昭和50年9月10日徳島市条例事件判決、理由第二の二、第(三)段)
のであるが、その類型ないし態様の基本的要素は連続的な訪問という点にある。
[372] ところで、人が人を訪問することは、人間社会古来の最も基礎的で、日常的で、普遍的な交際の方法である。そして、訪問は、金力や権力のいかんにもかかわらず、人間であれば誰でも共通してもつている最低限度の交際手段である。それは何らかの要件で折入つて面談を要するとき、何はなくとも自らからだと心を運んで意思疎通をはかる交際方法である。政治的目的のための訪問は、市民としてもちうる最低限度の共通した政治活動の方法であり、しかも金による政治参加でなくて生身の個人としての人格による政治参加の態様である。
[373] そこで、このような表現の方法・態様は、表現の第一次的手段とよばれることがある。
[374] 人間の意見を発表し、伝達する手段として、演説、文書、映画、テレビ、示威行進などいろいろなものがあるが、戸別訪問、面接、演説等は、個人の自然にそなわつたもの(第一次的手段)であり、例えば文書活動におけるポスター、ステツカー、ビラ、チラシ等の第二次的手段とはその規制の態様が異なるべきである。
[375] 選挙運動に関して、具体的かつ明確な基準で特定された第二次的手段を制限禁止する例はしばしばあるが、この第一次的手段自体を禁止することは、外国でも例がなく、日本国内法でも選挙運動以外の表現行為には例がない。集団示威行進を例にとつても、この行為を各地方自治体の条例が具体的にどのような明確な基準で規制できるのかというその規制の方法が問題になつているのであつて、集団行進という表現方法自体を一般に禁止することは、右大法廷判決が憲法上許されないことを宣明している。
[376] しかも、戸別訪問の一律的禁止は、国民の一定階層の人びとの唯一の選挙活動さえも禁止するという特徴をもつ。公選法は前述のように選挙の告示前及び選挙期間中の主要な選挙運動の類型を一般的に禁止したうえで、候補者のためには一定の数量にかぎつてその禁止を解除するたてまえをとつている。列記すると、
 一定の公営の演説会場の演説及び街頭演説
 自動車による運行中の連呼及び車上演説
 一定の新聞・ラジオ・テレビによる政見発表
 法定の葉書の送付
 法定のポスター掲示
 電話及び個々面接
このうち、一般国民が参加できるのは最後の行為だけである。この列記からも明らかなように、公選法では選挙運動の主体は候補者ないし特定運動員であり、一般有権者は選挙運動の対象としか位置ずけられていない。そこで、戸別訪問を禁止されることは、現行公選法下において運動のほとんど、或人にとつてはすべてを禁止されたに等しいのである。
[377] 訪問は、人間の社会的・政治的諸活動の自由の側面から、人間にとつて欠かせない基礎的なものであるとともに、それら諸活動の条件における市民相互間の平等の側面からも、欠かせない普遍的で共通なものである。そして、市民相互間におけるその他の活動諸条件――主として物質的諸条件における格差が大きければ大きいほど、その唯一に近い緩和要素として、訪問活動の自由がもつ意味はいよいよ大きい。
[378] 普通選挙を貫く原理は人間の平等と自由であり、なかんづく財産による政治参加の差別を不平等要素として排撃し、人格による政治参加を平等主義に適うものとして第一義的に要請する原理である。その意味では普通選挙は訪問活動を原理的に要請し、従つて保障していると見なければならない。

三、選挙運動の基本的共通項
[379] 戸別訪問という選挙運動は、「誰でも、いつでも、どこでも」と言われるほどに、貧富、男女、老若教育、職業、地位などのいかんにかかわらず、人間ないし市民であることに基づいて、有権者・国民の誰もがひとしく行うことのできるもので、いわば選挙運動の共通項である。実際に行われる戸別訪問の範囲や内容が人それぞれの事情や能力によつて異なるのは、いかなる選挙運動の形態についてもあることで、それはここでの問題ではない。
[380] 戸別訪問以外の運動方法は、集会場、印刷機、紙、掲示物、拡声機、広告塔、電光板、電話、放送・放映・映写施設などの特別な物質的手段を必要とする。これら物質的手段の利用、従つてその入手のための費用支出をどう規制するか、さらには選挙のための収入、政治資金をどう規制するかは、現代選挙法の重要かつ必須の課題であるが、それらをいかに人為的に統制してみても、戸別訪問におけるいわば自然的な機会の均等ほどに、各選挙人のための平等条件を造出することはできないであろう。どの議会制民主主義の国にもそのような成功例はあるまい。
[381] だから、戸別訪問を禁止することは、選挙人の選挙運動への参加条件の共通項を排除し、差異項を存置することである。異なるものの共通部分は、その差異のはげしさを緩和するが、共通部分を除去するとわずかの差異も著しくその比率を高める。戸別訪問の禁止によつて、事実上選挙運動のすべての機会を閉ざされる有権者は相当数にのぼるであろう。例えば、昭和54年の計画においても、電話普及率は100世帯当り住宅用電話68台にとどまつている(日本電信電話公社広報部広報課の説明)。すなわち、今日でも30%以上の有権者が自宅で又は自宅から電話による選挙運動をしたり受けたりすることができなかつた。この層の有権者にとつて、戸別訪問禁止は平等な政治参加の完全な破壊である。
[382] 電話保有者にとつて戸別訪問禁止は平等の完全な破壊でないとしても、戸別訪問と個々通話がともに可能な場合の共通項の厚みがもつ他の宣伝手段に対する平等化の効果と比較すれば、個々通話だけの効果は半ばに及ばないだろう。
[383] 戸別訪問と個々通話を排除すると、その他の宣伝手段を支配ないし利用できる有権者層はそう多くないだろう。後述の政治資金寄附における巨大な不平等の恩恵によつて有利な選挙運動ができる有権者がひとつまみほどもないことは、ここで改めて述べるまでもない。
[384] このように、戸別訪問はすべての国民の選挙運動の共通項だから、戸別訪問禁止は、選挙人間に存在する選挙運動の物資的条件の格差を、ある有権者層に対しては決定的に、他の有権者層に対しては著しく拡大する。

四、国民生活に内在する政治の現われ
[385] 政治は民主主義的であればあるだけ、国民生活・市民生活にそれだけ深く内在している。それは国民生活、市民生活から出て、国民生活・市民生活に帰る。
[386] 国民が個人の問題を社会的に解決し、私的なものを公的なものに結びつけようとするときに、最初にしなければならないことは、訪ね合い、誘い合わせることである。
[387] だから、戸別訪問は、国民生活・市民生活に内在する政治の最初の発現形態だと言つてもよい。選挙は、いわばこのような戸別訪問の累積によつて国民生活の場に醸成された政治を、国家活動にまで取り次ぐための行事、近代社会が達成したその最も民主主義的な形態である。
[388] 政治が民主主義的であるために、政治が国民生活・市民生活に内在していなければならないとしたら、そこに内在する政治の最初の現われである戸別訪問を、政治の最も民主主義的な取り次ぎの方法である選挙に関して、全面的に禁止することは、二律背反的でさえある。
[389] ところで、8時間労働・8時間睡眠・8時間休憩という今日の平均的市民の生活実態を前提とすれば、市民生活の大部分は職場と家庭に時間的に拘束され、しかもこの職場と家庭において接触する人間は数的に限界がある以上、市民のなし得る選挙運動は1日の中で残された僅かな時間及び休日等に近隣知人等を戸別訪問するよりほかにない。ところが、この市民の現実生活における表現活動中、僅かに残された戸別訪問――そしてこれのみがその者にとつて表現の唯一の「場」的拡張を意味するものであるから――が禁止されるということは自己の意味の「場」的拡張を禁じられたものにほかならず、それは表現、とくに政治的表現活動にとつて――それは本質的に自己の意志を他にひろめようとする活動にほかならない――致命的な制限を意味するものである。
[390] だから、戸別訪問の禁止は、圧倒的多数を占める平均的市民の生活の場から現われ出ようとする政治を、多数の意思を問うべき選挙において、その最初の段階で締め出すことにほかならないのである。

五、「選挙運動の根基」
[391] 戸別訪問が自由にできる欧米諸国、とくに英米両国では、各政党政派、候補者(その政治委員会)が日常ふんだんに選挙区内の有権者を訪問して支持の有無や変化、政策と人物についての意見を確かめ、それをキヤンバス・カードに記録して選挙戦術の基礎資料として活用している。
[392] 英米におけるキヤンバスは、長い実際の経験から割り出されたかなり厳密な原則に従つて行われている。例えば、イギリス労働党は、キヤンバスを一般キヤンバスと特殊キヤンバスに分類している。
[393] 一般キヤンバスは、第一に労働党候補者への投票の勧誘をじかに伝えることによつて、有権者にその一票が重要なものであることを知つてもらい、個人的な近親感と関心をもつてもらうこと、第二に労働党支持者を発見して記録し、日々の集計によつて選挙運動の効果を確かめ、力の配分を調整すること、第三に転居、郵投票・投票所への自動車による送り迎えの要否をチエツクするなどの役割を果すという。この場合には支持の確認が主要な任務であるから、終始礼義正しくするのはもちろんのこと、決して議論に引きこまれてはならず、短時間の型どおりの会話ですませることになつている。
[394] これに対して、特殊キヤンバスは、第一に一般キヤンバスのとき支持不明及び受身だつた者の第2次キヤンバス、第二にとくに支持を固め又は有権者間に拡まつた誤解を解く必要のある地域のキヤンバス、第三に団体関係から選挙区外の人物を特別の弁士として行う通常キヤンバスの特別番組、第四に適当と認められる場合の候補者自身のキヤンバスなどである。ここでは、被訪問者についてできるだけ十分な情報をもち、とくに選定されたパンフレツト、リーフレツトなどを交付し、反対論や批判にどう答えるかを予め研究し、訪問者の職業・所属関係・訪問の週日・時刻・訪問人数などについても工夫をこらしている。そして訪問時刻は午後9時を越えないこと、支持不明者については少なくとも2名で訪問することなどが勧められている(以上は、The Labour Party: Conduct of parliamentary Elections, 8th ed. Sec.7, p.48-60による)。
[395] こういうわけで、戸別訪問は議会制民主主義にとつて選挙運動手段の一つというにとどまるものではなく、1922~23年の衆議院議員選挙法調査会資料中でも、英米の識者によつて「最有力の方法」とか「他の選挙運動の根基」などと語られている(「選挙運動方法ノ取締ニ関スル調査資料」97~103頁)。

六、平等な政治参加の基礎条件
[396] 国民が選挙に参加する方法としては次のようなものがあげられる。
個別的国民の選挙活動 メデイア使用  1 手紙郵送
2 ビラまき
3 ポスターはり
4 ゼツケン・プラカード帯用
5 電話による依頼
メデイア不使用  6 デモ・集団行進
7 サークル・集会活動
対話による説得 8 家庭の談話
9 職場の議論
10 戸別訪問
[397] こうした1ないし10の選挙活動のうち、特定候補者への投票勧誘を内容とするものについて実定法が許容しているのは、実に5、8、9の3つにしかすぎないのである。そして5の電話使用は普及率や料金による経済的限界があること、8と9はごく制限された範囲の人間間のものにすぎないことを考えれば、国民の選挙人としての選挙活動は一般的に認められていないに等しいといつて過言でない。
[398] この国民が一選挙人としてなし得る選挙活動の、表現行為としての性質を考えてみた場合、2、3、4、6、7の態様による表現手段は、それぞれ広く公衆を対象とするものであり、一般の市民にとつては羞恥心をすてるなどかなり勇気を必要とする行為である。弱気の者、性格的にこうした行為になじまない者又機会にめぐまれない者には実行し難い行為である。1及び5の行為は唯にも可能であるが、表現行為が一方通行のものとなりがちで、対話・議論・説得という真実の意味の人間意思の流通=コミユニケーシヨンに乏しい。
[399] 「いつでも、どこでも、誰でも」できるという、戸別訪問のもつコミユニケーシヨンとしての基礎的な性質が、ここでも確認される。こうした性質をもつ戸別訪問の禁止によつて浮きぼりとなつてくるのが、前述のような選挙運動のための具体的宣伝手段の保有支配における各有権者間の不平等である。
[400] しかし、より決定的に重要なのは、選挙資金およびそのより一般的形態である政治資金の寄附と支出における著しい不平等の存在である。昭和50年7月改正の政治資金規正法は、会社、労働組合およびその他の団体に、「政党および政治資金団体に対してされる寄附並びに公職の候補者の政治活動(選挙運動を含む。)に関してされる寄附」は最高1億円、「政党及び政治資金団体以外の政治団体に対してされる政治活動に関する寄附」は最高5千万円、合計1億5千万円の政治資金を1年間に寄附することを認めている(22条1項、2項、附則5条1項、2項)。
[401] これは大多数の個人である有権者にとつて空絶といつてよいほど強力な団体の物質的「政治参加」である。国民個人と国政との結びつきは、この強大な団体献金によつて大きく遮断される。団体献金のこの巨大なパイプは、一方で表向きの公営手段にかかわりなく各種選挙に裏口資金を流し込み、他方で企業ぐるみ、組合ぐるみ、宗派ぐるみなどの強制的ないし半強制的集金・集票機構を発達させる。それは、金力と組織力による個人の冒涜、迫害をはびこらせる。
[402] 同法の個人献金の制限も、右と同様の区別で年間2千万円と1千万円という高額なものである。これまた一般労働者にとつては空絶としか言えない強力な物質的「政治参加」であり「選挙運動」である。
[403] わが国の選挙法制は、一方で候補者の選挙運動の物質的条件を平等化する必要があるという理由で各種の公営手段を全候補者に一律に保障する反面で、一般有権者の選挙運動への金銭的参加の条件については、このような巨大な不平等を承認し、そのうえ、この資金的不平等を当面多少とも緩和し、最後には打破するために不可欠な一般有権者の自力による人格的選挙運動参加を原則的に禁止している。この人格的参加において平等らしく見えるものとしては、僅かに、ほとんどの有権者が偶然に依存してしかできない個々面接を残すばかりである。
[404] これを例えば、アメリカの選挙運動のあり方と比較するならば、個人の自力による選挙運動に対する異常な抑圧の強さがきわめて明らかである。アメリカにはもちろん戸別訪問の禁止がなく、文書頒布については発行者等の氏名を表示することなど個別具体的な若干の規制があるだけだが、1976年連邦選挙運動法は、公法人、会社、労働組合の選挙のための寄附と支出を禁止したうえで、1つの選挙における個人と政治委員会の候補者およびその授権政治委員会に対する寄附を合計1000ドルおよび5000ドル等(個人の1暦年合計2万5000ドル)に制限している(同法320条(a)項(1)~(3)号なお(b)号参照)。すなわち、個人の選挙献金は1選挙1候補者当り22万円等、年間通算550万円に制限されている。会社や労働組合によつて複数の政治委員会が設けられても、寄附目的に関しては1つの委員会として取扱われる(同条(a)項(5)号)。これが自由にできる個人の自力による選挙運動の面からだけでなく、個人の財産的選挙参加の面でも、わが国と比較すれば著しく強い平等保障の意味をもつことが、一目瞭然であろう。
[405] 昭和45年6月24日八幡製鉄政治献金事件最高裁判所判決は、
「政党の資金の一部が選挙人の買収にあてられることがあるとしても、それはたまたま生ずる病理現象に過ぎず、しかも、かかる非違行違を抑制するための制度は厳として存在する」
と判示するが、これほど誤つた考え方はまたとないほどである。これに対して、合衆国最高裁判所の昭和51年1月30日バツクリー判決が、
「現在または未来の公職保持者からの政治的見返りを確保するための大口寄附」を、議会制民主主義の「清廉性」に対する危険、「邪悪な慣行」への傾斜
と論じ、さらに
「大口の個人的資金の寄附の体制には悪用の機会が内在していることに公衆が気づくことから生ずる腐敗の外観」を避けることも「また決定的である」
ことを認めたことは、きわめて重要である(96 S.Ct.612)。しかし、ここに言われている「清廉性」やその損傷としての「腐敗」とは、結局のところ、議会制民主主義の究極の基本的価値である市民の人格的尊厳の確保、すなわち国政参加における人間の自由と平等の問題であることを洞察すべきである。それは決して「たまたま生ずる病理現象」の問題ではなく、「見返りの実証または嫌疑のある装置」であり、右の究極的価値を絶えず損傷し、破壊する漫性的病源体である。
[406] そのうえ、最高裁判所は、右の企業献金を排除して守られるべき自由かつ平等な政治参加の基礎に他ならない国民の戸別訪問については、そこに「たまたま」随伴する「病理現象」を理由として、一律全面禁止を合憲と認めている。そのくせ企業献金に伴う「非違行為を抑制するための制度は厳として存在する」などと肩をそびやかすようなものの言い方がどうしてできるのか、実に驚くべきことと言わざるをえない。
[407] 普通選挙制のうえに立つ議会制民主主義は、まず何よりも選挙における有権者の人格にそなわつた自力による政治参加を全面的に保障しなければならず、次いで有権者の財産的政治参加の厳格な平等化をはからなければならない。この人格的政治参加そのものにおける平等を保障する最も基礎的な運動形態こそ戸別訪問でもあるにかかわらず、公選法はこれを一律に禁止処罰し、かつ一般有権者の演説、文書図画等による政治参加を事実上ほとんど一律に禁止し、そのことによつて政治献金という財産的参加における現行法の赤裸々な不平等とそれに必然的に随伴して起る病理現象としての組織的締めつけの人格抑圧効果をますますひどいものにしている。
[408] 国民の人格尊重と政治参加の平等条件を確保するためには、何よりもまず戸別訪問を解禁すべきである。

七、戸別訪問の憲法的価値
[409] 検察官の上告趣意書によつて語られている戸別訪問は、まことに寒ざむしい。具体的な論議は主として弊害論に譲るが、そこからは救い難い、暗愚な日本国民が浮かび上つてくる。
[410] 検察官のいう「選挙の自由と公正の維持増進」がもし民主主義の成長のためであるというのであれば、次の一文がそれに対する適切な回答であるように思われる。
「政治的表現の自由の支持者たちは、人民には彼らに委託された役割を果す資格があるかどうか、彼らは判断するために十分な情報を得ることができるかどうか、あるいは十分な判断能力をもつているかどうか、という問題をしばしば問い返した。
 18世紀の人びとは、理性の力と人間の完全性を全面的に信じきつていたために、この点についてほとんど疑いを抱かなかつた。19世紀と20世紀の政治理論家たちは、もつと慎重である。そして、政治的表現の権利を教育や文化が一定の発展段階に達していない社会にまで不安なく拡げることができるかどうかについては、意見の不一致が多少あつた。しかし、これらの問題は、実際には民主主義それ自身の生成能力に関する問題であつた。そして、一たびある社会が民主的手続に従うことになつた後は、あるいはそういう手続をとると宣言している最中にはいつそう、その社会は必然的に自由な政治的討論の原則を受けいれた」(T.I.エマースン「表現の自由」小林・横田訳、東大出版会14頁)
[411] 戸別訪問は、それ自体において重要な憲法的価値を帯び、他の方法では代替できない不可欠な政治的表現の方法であつて、選挙運動の手段方法の一つにすぎないという位置づけのものでは全くないのである。
一、はじめに
[412] 上告趣意書は、
原判決が「選挙の現実を無視し」、「選挙と戸別訪問の現状に対する認識を欠き」、「現実離れの議論」である
と非難して
選挙が主体的な国民の参加によるものでなく、大量に動員あるいは雇用された運動員によるものであるとし、又、戸別訪問は一方的な特定候補者への投票依頼あるいは特定候補者の氏名を口にするだけで終始する、およそ政治討論の場とはいえないものである、
などとなんらの論証もないままに主張している。
[413] 検察官のこの上告趣意はまさしく現行憲法のめざす国民の主体的な選挙運動観を否定し、かつは、戦後とりわけこの十数年の間に大きく成長したわが国の民主政治の現状と国民の政治意識の水準に対する認識を欠き、あるいはこれを無視したものといわざるを得ない。
[414] すなわち以下に述べるとおり国民の選挙活動の実態と戸別訪問の果している役割は、検察官のこの主張がいかに根拠なく偏見に満ちたものであるかを、事実をもつて明らかにしているのである。

二、憲法的選挙運動の大衆化と多様化
[415] わが国の政治状況はとりわけこの十数年の間に大きく変化し、国民の政治意識の水準も高まつた。なによりも国民自らが主権者であるとの自覚のもとに政治に参加する傾向が強まり、選挙に於ても自らの意思、要求に基づき、より望ましい政党、候補者を通じてより望ましい政治を実現するために、個人としてあるいは組織を形成しつつ、多様な選挙活動に参加するようになつた。
[416] その背景となつているのは、1960年代の高度経済成長政策が農業人口の激減、都市人口の過密化をもたらして社会と産業の構造を大きく変化させたこと、その中で住宅、土地問題や公害問題、消費者問題をはじめとする様々な国民生活に対する犠牲や矛盾、農業の危機等をひきおこしたことである。そしてこの深刻な事態に直面した国民に手によつて、これを解決せんとする様々な運動が大きくまきおこり、組織化されていつたのであるが、これらの運動と選挙とが結びついていつたことに60年代以降の重要な特徴がある。
[417] また高度経済成長政策の中で長く与党の地位にあつた自民党がその施策により前記のような矛盾をひきおこし、因難な局面に立たされる一方、国民の要求の多様化を反映して野党の多党化現象がすすんだ。これらの各党は自民党単独政権にかわるその後の政権構想を模索し、広範な国民の支持を求めて政策を積極的に提示することによつて、要求を組織化するという方向を目指した。こうして各党とも近代政党、組織政党への脱皮を追求せざるを得なくなつていることも選挙の様相に変化をもたらした重要な要因の一つに数えることができる。
[418] 昭和42年第6回統一地方選挙は、自治体の歴史にとつて画期的な意義をもつ重要な選挙であつた。すなわち都知事選においては、地域住民が自らの要求をもつて様々な組織を通じ、あるいは個人で参加していく地域統一戦線による選挙が革新側に於て展開されたのであるが、このいわゆる「都知事選型」選挙が43年沖縄主席選挙、45年京都府知事選挙・46年大阪府知事選挙その他各府県、大都市での首長選挙にひきつがれていつたのである。
[419] これらの「都知事選型」選挙の特徴は、労働団体、業者、婦人、青年、農民団体、文化人、知識人等の広範な団体や個人が自らの要求をかかげてそれぞれ組織をつくり、あるいは各地域毎に地域連絡会をつくつて選挙に参加し、又いずれの組織にも加わらず個人として候補者を支援していく住民も多数にのぼつていたということである。すなわち、そこでは自主的、自覚的な市民が大量に選挙活動に参加するという画期的な変化がおこなわれたのである、そしてこうした人々ー市民の選挙活動は、きわめて多様なものであつたが、その中でも、どこででも、誰にでもできる活動として、有権者一人一人に面接し候補者の政策と実績、人柄をじつくりと訴え、説得と話しあいを基礎とする支援活動、投票依頼活動=訪問活動が中心であつた。
[420] かような革新自治体をめぐる選挙運動と続々と現実に革新自治体が誕生する中で、わが国の国民は大衆の政治参加によつて現実に政治を変えることができるという自信と確信、そして選挙の意義、選挙活動のあり方についての貴重な経験と教訓を得て、より一層政治参加への道を拡大していつた。
[421] こうした政党政治の状況の変化や社会構造の変化、さらには革新自治体の誕生をめぐる住民の政治参加の経験等に加えて、ロツキード事件等にみられる政治腐敗、金権汚職政治に対する国民の深い憤りと批判などが、これら選挙活動のあり方にも大きな影響を与えざるを得なかつた。
[422] すなわち、第一に、有権者が政治に深く関心をもち、選挙の際には政策内容と政党候補者の清潔さを基準にして投票行動を決定する傾向が著しく高まつていることである。第二に、これに対応して政党の側に於いても、選挙運動において政策を宣伝する活動が飛躍的に充実、強化されるようになり、自主的な組織を通じて選挙の大衆化を図ることによつて政党の基盤の確立強化をはかろうとしていることである。第三に自治体首長選挙、国政選挙等あらゆる選挙に於て、自分たちの要求を自分たちの手で政治に反映させるために、その支持する候補者の当選をめざして自主的に選挙活動に参加する国民が飛躍的に増え、いまやこれらの自主的に参加する多くの人々によつて選挙が担われているのが「選挙の実情」となついることである。
[423] 今日、選挙の際には、保守革新をとわず、職場・地域・業種・階層別に様々な後援会などの組織がつくられ、政党や候補者はこれらの組織に支援されて選挙活動を展開していることは周知の事実である。勿論、一方ではこれらの組織に加わらず、独自の立場から候補者を支持後援する人もある。これらの支援の人々は例外を除けば、自らの要求を政治に反映させるために手弁当で活動し、その活動はさまざまなつながりをつてに知人、友人を各方に訪ね、個々に面接して政策を宣伝し説得、話しあいをする、というものである。この戸別に、あるいは個々に訪問する活動というものは、候補者、支援者いずれもがもつとも有効で基本的な活動として、その活動の中心にすえていることは、マスコミの報道等からもいまやあらゆる人々の共通の認識となつている。
[424] 勿論一部には金権、腐敗選挙といわれる動きがあつて、良識ある大多数の国民の鋭い憤りとなつているが、しかし現実の進みつつある方向、そして現実の選挙運動の実情は、以上に述べたような多くの国民の主体的な政策宣伝と説得活動を軸にすすめられている。
[425] 検察官のいう「選挙の現実」は一部の腐敗現象を指しているにすぎず、買収等の実質犯、金権候補の横行を見逃していることの弁解にすぎないのである。

三、戸別訪問の意義
[426] 現行公選法は、選挙運動は選挙運動期間のみに限り、かつその方法にも様々の制限を附している。すなわち選挙公報は各家庭に1回配布されるが、スペースも少なく候補者の政策、実績、人柄などとうてい知ることはできないし、文書図画の頒布は2回の法定ビラと選挙用葉書以外は禁止されている。ラジオ・テレビによる政見放送は候補者1人につきたつた1回4分20秒であり、1回の立合演説会も広範な住民を対象にしているため誰もが気軽に聞きに行けるという現象ではない。これらの選挙運動は機会と量に於てはなはだ少ないのも問題であるが、なによりもそれらは「候補者側」からの、しかも「一方的」な意見伝達手段でしかない。この点がもつとも重要である。
[427] 国民が内外の政治状況と各政党、各候補者の政策政見を知ること、自らの要求や批判をこれに加えることによつて、政策のより一層の充実を図ること、これを実現するために積極的、主体的に自己の支持する候補者やその所属政党の政策政見を宣伝し、投票を得しめるように説得依頼等すること、その逆にそれを異なる候補者、政党を批判して投票を得しめないように説得、依頼等すること、これらは、いずれももつとも望ましい民主主義的選挙活動といわなくてはならない。これらの活動がおこなわれるためには、何よりも「知り、意見を述べ、依頼し、反論し、説得し、納得する」という「対話の場」が必須である。そのためには国民を主権者とするわが国の憲法のもとでは、選挙という国民の主体的、積極的な政治参加の場において、「誰もが、いつでも、どこでも、経費をかけずに」参加しうる形態が保障されねばならない。かような「対話の場」と、「誰もが、いつでもどこでも」参加できる選挙活動の形態としては、まさしく戸別訪問以外にありえないのである。
[428] すなわち戸別訪問は、
第一に、行為の目的としては投票勧誘などの表現行為であり、憲法上の位置づけとしては、憲法第21条に保障される権利であり、
第二に、行為の態様としては、多数決原理によつて最終的な決着をみる候補者を含む一般有権者・国民という有権者集団に於る人格的交流(=討論による政治)の基礎をなし、憲法上の国民主権、議会制民主主義が具体化された権利として位置づけられ、
第三に、その機能としては国民の「誰でも、いつでも、どこでも」できる対話が政治参加=参政権行使の場に生かされるという、いわば草の根民主主義の実現を担う行為である。
[429] かように戸別訪問は選挙運動の中で他のいかなる手段にも替えがたく、最も基本的かつ有効なものであるからこそ、前述の通り、保守革新を問わず、選挙活動の中心にすえられているのである。
[430] しかるに現行公職選挙法は、この戸別訪問を全面的一律に禁止している。したがつてこのことは現行公職選挙法が国民の政治意識の向上を妨げ、平等な政治参加と民主的な政権の形成を逆に阻害していることと同義であるといわざるを得ない。

四、現行公選法とその恣意的運用
[431] しかもこのいわば「べからず選挙法」は現実の選挙の実態から大きくかい離していることも又事実である。
[432] すなわち、現実の選挙においては事前運動の禁止もほとんど形骸化し、文書についても政党機関紙およびその号外によつて大量に選挙に関する記事が配布されている。更に戸別訪問は、最も有効な政策宣伝活動として、保守革新を問わず選挙活動の中心にすえられていることも何人も争いようのない事実である。
[433] しかるに現実の選挙の取締に於ては、こうした実態を一方では放任しながら、特定の党派に対してのみ厳しく取締るという恣意的な運用がなされている。
[434] 警察当局の措置としては、野放し、黙認、形だけの警告、捜査権の発動などと運動の種類や運動のにない手により、適宜に使いわけられている。とりわけ革新側の戸別訪問については、特定の活動家をマークして徹底した張り込みをして尾行する。訪問先に対してしつような聞き込みをして事実上の票つぶしをすると、有権者に革新政党支持の態度を変えさせ、選挙へのかかわりを怖れさせるという結果を生じている。
[435] こうして、一方では半ば形骸化し、他方では特定陣営に対してのみ厳しく適用するという実態は、公職選挙法の禁止規定がすでに現実の選挙活動の実情に合わず、合理性を失つていることを示している。恣意的運用は、警察の取締の公正中立性に反し、選挙に対する国民の参加を妨げ、自由な意見形成を抑圧するものとなつている。それらはもはや法としての正当な機能を欠いている。それらは国民の政治活動の自由、選挙活動の自由を抑圧するものとして明確に違憲性判断が下されねばならない。
一、上告趣意の違憲審査基準論の誤り
[436] 検察官の上告趣意によれば、本件戸別訪問禁止の違憲審査については、
「表現の自由に対する制約という側面を有する(ので)」
昭和49年11月6日大法廷判決(猿払事件)を準拠乃至参考にするのが最も適合的であり、かつ右判決の示す基準は、
「合憲性判断のあり方につき、一般的に妥当する基準と方式」
を示したものがあると主張している。しかしながら、右の様な断定は明らかに誤りといわなければならない。
[437] 一般に、違憲審査の基準と方式は、対象とされる権利の性格、これを制約する立法の規制態様・程度をぬきに一律に論ずることは許されるべきでない。いうまでもなく、まず、精神的自由と経済的自由とでは基準に自ら区別があるとされている。のみならず、精神的及び経済的自由それ自体の各領域においても取扱いはすべて同一でない。例えば、後に検討する「薬事法判決」(昭和50年4月30日大法廷判決)では、「消極的な警察目的の規制」と「積極的な社会政策的、経済政策的目的のための規制」とを区別し、違憲審査の方式の異なることを承認しているのである。そして同様のことは精神的自由の領域においても当然妥当するものと考えられている。本件で審査の対象とされる「戸別訪問の禁止」は、国民一般の選挙運動に対する規制であり、規制の態様と方式にも独自の特殊性を有する。これに対して、いわゆる「猿払判決」は、公務員という国民の一部分かつ特殊な地位をもつ者を前提にして、この者に対する選挙活動の規制を「公務の中立性」という特殊な法益との関連で論ずることをその論旨の出発点としているのである。従つて、性急に右の判示の機械的類推が許される性格のものではない。むしろ戸別訪問禁止の正しい制約基準を究明するにあたつてはさしあたり次の二点の検討が必要となろう。その第一は、右「猿払判決」を含めた判例の違憲審査基準に関する審査方法を、他の法領域を含めて検討すること、第二に、戸別訪問の表現行為としての特殊性とこれに対する制約の態様、程度の独自性を究明することである。

二、違憲審査基準に関する判例法理
1 違憲審査基準の判例上における確立
(一)、リーデイング・ケースとしての「全逓東京中郵判決」の意義
[438] 違憲審査基準論の発展を考えるうえで、最高裁判所昭和41年10月26日大法廷判決(刑集20巻8号901頁、いわゆる「全逓東京中郵判決」)のもつ意味は極めて大きい。この判決は周知のとおり労働基本権の制約に関する4つの判定基準を明らかにした。この判決自体は労働基本権に関するものであるが、わが国の憲法裁判における違憲審査の基準と手法を明確に確立した点において、その意義はひとり労働基本権問題に止めらるべきでない。違憲審査の手法という角度からこの判決をみると、それ以前の判例と比較して少なくとも次の2つの点において顕著な質的差異が認められるのである。その第一は、違憲審査の対象が、立法目的の「合理性」にとどまらず、立法目的達成手段の「合理性」にも及ぶものであることを意識的に明らかにしたことである。この点はこの判決に先立つ最高裁判所昭和30年3月15日第二小法廷判決等が、立法目的の合理性につき公共の福祉の概念を用いてこれを肯認するほか立法目的達成手段の合理性について何らふれることがないことと対比すれば明らかである。第二に、この判決は、立法目的達成手段の合理性をテストする基準について検討を加え、規制が最小限度でなければならないことをその内容、要件としたのである。この判決の示す次の4つの制約基準はこのことを明らかに示している。即ち、(a)制限は合理性の認められる必要最小限度にとどめること、(b)国民生活に重大な障害をもたらすおそれあるものを避けるため必要やむを得ない場合にかぎること、(c)制限違反に対して課せられる不利益は必要な限度をこえないこと、とくに刑事制限は必要やむを得ない場合にかぎられること、(d)代償措置が講ぜられるべきこと…。
[439] 右の「必要最小限度性の法理」の持つ意味を明らかにする上で、その前年に出された「和歌山県教組事件判決」(最高裁判所昭和40年7月14日大法廷判決、民集19巻5号1198頁)との比較が有意義であろう。この判決は次のように述べている。
「地公法52条1項を以上のごとく解することと憲法28条との関係について附言すれば、憲法28条の保障する勤労者の団結権等は、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とし、みだりに制限することを許さないものであるが、絶対無制限のものではなく、公共の福祉のために制限を受けるのはやむを得ないこと、当裁判所の屡次の判決の示すところである……。そして、右の制限の程度は、勤労者の団結権等を尊重すべき必要と公共の福祉を確保する必要とを比較考量し、両者が適正な均衡を保つことを目的として決定されるべきであるが、このような目的の下に立法がなされる場合において、具体的に制限の程度を決定することは立法府の裁量権に属するものというべく、その制限の程度がいちじるしく右の適正な均衡を破り、明らかに不合理であつて、立法府がその裁量権の範囲を逸脱したと認められるものでないかぎり、その判断は、合憲、違法なものと解するのが相当である。」
[440] 先に述べた第一との関連で言えば、この判決は一応、立法目的達成手段の合理性如何が違憲審査の対象となることを承認しているものと言えよう。しかし右に引用した判旨の後段部分を見れば明らかなとおり、その内容は事実上すべて立法府の裁量に委ねられる結果となつているのである。一般に、
「民主的な法治国家においては、立法目的それ自体に憲法上明白な疑義のあるような法律が制定される可能性は稀であるのみならず、立法技術も高度化したので、違憲訴訟として主たる争点となるのは、規制手段の合理性だということができる。」(芦部信喜、『憲法訴訟の理論』395頁)
のである。そうだとするならば、制限の程度を審査するにあたつて「いちじるしく適正な均衡を破り、明らかに不合理」であることを前提にするこの判決の論理は、実際上はこの点についての司法審査を放棄したに等しい結果となると言わざるをえないであろう。「全逓東京中郵判決」が、制限の程度について4つの基準を定式化したことの意義は、この点についての判例法理の発展のうちに求められるのである。以上に述べた「全逓東京中郵判決」の違憲審査の手法は、最高裁判所昭和48年4月25日大法廷判決(刑集27巻4号547頁)等においても基本的に継承されているのである。
(二)、「全逓東京中郵事件」の理論の承継
   ――立法目的達成手段の合理性について――
[441] 「全逓東京中郵判決」が明らかにした立法目的達成手段の合理性に関する審査基準は、労働基本権の領域にとどまらず他の分野でも継承されている。最高裁判所昭和48年4月4日大法廷判決(刑集27巻3号365頁、いわゆる「尊属殺違憲判決」)もその一つである。そこで叙述の便宜上この判決の示した違憲審査の基準についてここでふれることにする。
[442] 同判決は刑法200条の憲法適合性について、「まず同条の立法目的につき、憲法14条1項の許容する合理性を有するか否か」について判断する。そして、
「尊属の殺害は通常の殺人に比して一般に高度の社会的道義的非難を受けて然るべきであるとしてこのことを処罰に反映させてもあながち不合理であるとはいえない」
として、立法目的の合理性を肯定する。しかしながら、同判決はすゝんで、
「刑罰加重の程度いかんによつては、かかる差別の合理性を否定すべき場合でないとはいえない。すなわち加重の程度が極端であつて前示のごとき立法目的達成の手段として甚しく均衡を失し、これを正当化しうべき根拠を見出しえないときは、その差別は著しく不合理なものといわなければならず、かかる規定は憲法14条1項に違反し無効であるとしなければならない」
と論じ、刑法200条の法定刑は、その立法目的達成のため必要な限度を遥かに超えていると結論するのである。判決の手法は、立法目的とあわせてその立法手段について意識的な検討を加え、立法目的の合理性から直ちに立法手段を肯定するのではなく、立法目的の合理性は肯定しながら、立法手段における不合理性という点から、違憲論を導き出しているのである。このような司法審査の手法は、先に指摘した司法審査のあり方にも基本的に符合するものと評価できる。
2 違憲審査基準のその後の展開と定着
  ――いわゆる「薬事法判決」の意義と本件との関係――

[443] 最高裁判所昭和50年4月30日大法廷判決(いわゆる「薬事法違憲判決」)は、全逓東京中郵事件判決後の最高裁における違憲審査の基準について再び重要な判断が示されたものということができる。この判決は直接には経済的自由の領域に関するものであるが、最高裁における違憲審査の手法という意味で、本件と無関係であり得ない。そこで以下、3点に分けてこの判決のもつ意義を検討し、本件審査との関連についての問題を明らかにする。
(一)、二重の基準論の採用
[444] 判決はまず、
「職業の自由は、それ以外の憲法の保障する自由、殊にいわゆる精神的自由に比較して、公権力による規制の要請がつよく、憲法22条1項が『公共の福祉に反しない限り』という留保のもとに職業選択の自由を認めたのも、特にこの点を強調する趣旨に出たものと考えられる。」
と判示する。この部分の判旨は、精神的自由権と経済的自由権との間に基本権制約の合憲法判断の基準が異なることを承認した「二重の基準」(double standard)の理論を明示的に採用したものと考えることができる。この理論を採用したことの実践的意義は、本件との関連ではきわめて簡明である。それは思想表現の自由の優越的地位の承認であり、精神的自由の保障の強化への志向である。より具体的に言うなら、この法理が形成されたアメリカにおいては、この理論は次の2つの説となつて展開をみせた。
「一つは、およそ修正第1条の保障する自由を規制する法律は、その文面だけから判断しなければならないという理論であり、仮にこれを文面上の無効の理論と呼びえよう。他は、思想表現の自由を制約する立法について、合憲法性の推定が排除されるにとどまらず、むしろ逆に違憲性の推定が働くという考え方である。」(伊藤正己、言論・出版の自由51頁)。
最高裁判所は、この「薬事法判決」において、経済的自由権の規制についてすら極めて厳格な判断手法を採用したことは後に述べるとおりである。右のような意味内容を有する「二重の基準」の理論の採用を最高裁が明示している以上、本件戸別訪問禁止のような精神的自由の制約基準については、この「薬事法判決」でとらえた基準よりもいつそう厳格な基準が設定されなくてはならないことは当然の事理といえよう。
(二)、 立法裁量論の適用領域の限定
[445] この判決は、規制措置の具体的内容及びその必要性と合理性については、第一次的には立法府の判断を尊重すべきものとしながらも、
「右の合理的裁量の範囲については、事の性質上おのずから広狭がありうる」
旨を判示している。そして経済的自由の規制について次の2つの態様があることを明らかにしている。その一つは、自由な職業活動が社会公共に対してもたらす弊害を防止するための消極的、警察的規制であり、他は、社会政策ないしは経済政策上の積極的な目的のための規制である。そして前者については、よりゆるやかな規制では目的を達成することができないと認められる場合において、はじめて規制の「合理性」を肯認できるとしているのである。つまりここでは、立法裁量の余地をより制限的にとらえる姿勢がうかがえるのであつて、この点は、先に労働基本権の領域の検討の際に「和歌山県教組事件判決」との比較において明確に認められる「全逓東京中郵判決」の立法裁量に対する限定の姿勢が共通のものとして確認できる。同時にここで問題とされている消極的、警察目的の規制措置は、本件審査の対象たる戸別訪問禁止と極めて共通した論理構造をもつものであることに注目する必要がある。即ち、戸別訪問の禁止は、本来何らの違法性を有することのない戸別訪問という表現行為が、買収の温床等という「弊害」のゆえに禁止される、という論理構造をもつ。つまり、規制の対象となるその行為そのものでなく、外在的に存在する「弊害」を防止する目的で、本来何等違法性をもたない自由について手段的制約を設定した場合なのである。その意味において、この判決のいう消極的、警察的規制措置とその論理構造を等しくするといわなければならない。右のような警察的規制について、同判決が立法裁量の範囲を限定し、より厳格な基準を要求する根拠は、目的と手段の関連性の稀薄さ、間接性にあるのであつて、このことは判旨を読めば明らかである。そうだとするならば、これと共通する論理構造をもつ戸別訪問禁止の審査基準については、精神的自由に対する規制であることからくる厳格性の要求に加えて、右に述べたこの禁止措置のもつ構造的特殊性を考慮したより厳格な基準設定がなされなければならないものと言うべきである。
(三)、立法事実論の具体的展開
[446] 立法事実とは、法津の基礎にあつて、それを支えている――法津の背景となる社会的、経済的――事実である。この判決の特徴は、先に述べた審査基準を前提に、立法目的及び立法目的達成手段の両面にわたつて詳細に立法事実を認定している点にもあらわれている。立法事実の分析、論証が要求されるのは、ここで問題とされた職業選択の自由のように、とくの法律による一定の制限が憲法上認められている基本的人権を規制する法律の合憲性が争われるときに限らない。精神的自由の領域においても立法事実論が有効に機能する場合がある。
「(検閲のように)憲法上絶対禁止の形式になつていても、立法者は、何らかの解釈技術を用いて、禁止条項に該当しないという前提のもとに、禁止に触れる疑いのある制度を立法化することがありうる。こうした場合、その違憲を争う側では、合憲を主張する側の解釈技術の当否を憲法論として攻撃するほかに、その解釈技術を一応認めた上で、なおかつ当該立法の目的及び手段の合理性を争うべきであつて、そうだとすれば、この場合も立法事実が重要な役割を果たす……」(前掲 芦部論文182頁)
からである。要は審査の対象となる法律の合憲性如何が、一定の事実状態の存否にかかわる場合において立法事実論によるアプローチが不可欠となるのである。戸別訪問禁止はまさにこの場合に該当する。何故ならこの規定の合憲性如何は、戸別訪問によつて生ずるとされる「弊害」の存否、程度にかかつているからである。そうだとするなら、この判決の立法事実認定のあり方は、戸別訪問の審査において十二分に生かされなければならないのである。
3 選挙法の領域における違憲審査の動向
  ――衆議院定数配分違憲判決について――

[447] 公選法上の選挙無効訴訟のうち、いわゆる議員定数配分規定違憲訴訟がある。この種事案にかかる従来の最高裁のリーデイング・ケースは、昭和39年2月5日の参議院地方区選出議員の選挙区および議員定数配分を定める公選法別表第2の合憲性にかかる大法廷判決(民集18巻2号270頁。以下旧判決という)とされていた。然るに、昭和51年4月14日、最高裁大法廷は、いわゆる「衆議院議員定数配分規定違憲訴訟」につき、公選法13条及び同法別表第1及び附則7項ないし9項による選挙区及び議員定数の定めは違憲とする判決(以下新判決という)を出し、明らかに旧判決の立場を改める考えをうちたてたのである。
[448] 旧判決の判旨とするところは、
「議員定数・選挙区及び各選挙区に対する議員定数の配分の決定に関し立法府である国会が裁量的権限を有する以上、選挙区議員数について、選挙人の選挙権の享有に極端な不平等を生じさせるような場合は格別、各選挙区に如何なる割合で議員数を配分するかは、立法府である国会の権限に属する立法政策の問題であつて、議員数の配分が人口に比例していないという一事だけで、憲法14条1項に反し無効であると断ずることは出来ない。現行の公職選挙法別表2が選挙人の人口数に比例して改訂されないため、不均衡が生ずるに至つたとしても、所論のような程度ではなお立法政策の当否に止り、違憲問題を生ずるとは認められない」
というものであつた。
[449] これに対し、新判決は、選挙制度の仕組みの具体的決定について国会が裁量権をもつことは認めながらも、
「国会がその裁量によつて決定した具体的選挙制度において、現実の投票価値に不平等が生じている場合には、それは、国会が正当に考慮することの出来る重要な政策的目的ないしは理由に基く結果として合理的に是認することができるものでなければならず……」
具体的選挙制度は、その観点からの司法的審査の吟味と検討を免れることが出来ないとしたのである。
[450] これを要約すれば、選挙制度、ことにその手続規定の改廃は国会の「裁量権」に属し、その結果の当不当は「立法政策」の当不当に止り違憲問題は生じないとする立場から、その裁量権は認めつつもそれに「合理性」による司法審査上の限界を設けたものに外ならない。
[451] 旧判決は、
「選挙権の本質が、国家機関たる選挙人団の公務執行への参加であり、選挙をいかなる形で行うかは、このような国家機関の構成及び手続という制度的な問題であつて、国民の権利義務の問題でなく、選挙制度をいかに制度化するかは原則として立法上の裁量に属する事項である」
とする考えによるものであり、畢竟
「選挙制度の改革の問題は、本質的に裁判所の関与すべき事項でないことを明らかにした」
といいうるものであろう(田口精一「法学研究」38巻3号4頁、判例演習講座憲法38頁参照)。
[452] そして従来の戸別訪問禁止の合憲性を判示した判例(最高裁昭和25年9月27日、昭和44年4月23日大法廷判決)も、またかかる立場に立つていたことは、その判示をみることによつて明らかである。
[453] 新判決は、アメリカの憲法判例の如く、選挙権を国民主権に直結し、表現の自由と並ぶ「優越的地位」をもつ権利としてまでは位置づけていない。また、旧判決の立法府裁量論の考え方も残している。然しながら、
「国会において通常考慮し得る諸般の要素をしんしやくしてもなお、一般に合理性を有するものとはとうてい考えられない程度に達したとき」
を以つて、その裁量権の限界としたのである。しかも、当該立法の正当性について、単に「最小限の合理性」の存在をもつて足るとしたのではなく、かかる法の存在を必要とする「やむにやまれぬ利益―Compelling interest」の存在の挙証を国会側に課したものであることは、同判決が「不平等を正当化すべき特段の理由が示されない限り憲法違反」と明示したことによつて明らかである(芦部信喜「議員定数配分規定違憲判決の意義と問題点」ジユリスト617号45頁)。
[454] 選挙制度が公正なものであることが、議会民主主義の基礎であることは多言を要しないところである。その意味での選挙制度の公正には、単に投票権の保障自体のみならず投票の手続態様が含まれると同時に、投票の前提となる選挙人の判断に影響を及ぼす選挙運動の態様も含まれるといわなければならない。アメリカの選挙制度に関する憲法判例が投票権につき次のように述べたことは、投票権を選挙運動――ことに表現の自由にかかわる――に読みかえてそのままあてはまる法理であろう。
「法律を制定する者の選挙において、選択を行なう権利よりも貴重な権利は、自由な国家には存在しない。もし投票権が侵食されるなら、他の権利は最も基本的なものですら幻である」(Wesberry v. Sanders, 376 U.S.1964)。
「自己の選択する候補者に対して自由に投票する権利は、民主的社会の精髄であり、その権利に対するいかなる制約もすべて代表政治の核心をうちくだくものである。そして、選挙権は、市民の投票の重大さの低下または希薄化によつて、公民権の自由な行使を完全に禁止することによるのと全く同じくらい実質的に否定することがあり得る」(Reynolds v. Sims, 377 U.S.533. 1964)
[455] この新判決は、投票権自体の全面的乃至は物理的禁止等にかかわるものではない。それは投票ということに必然的に伴う手続の態様、制約が実質的に投票権の侵害をもたらす場合に、その違憲を判断したものといえる。選挙運動に伴う手続の態様・規制が、実質的に選挙運動の権利、ひいては選挙権の侵害・否定をもたらすのであれば、その違憲性を考えなければならないのも当然であつて、その意味ではこの判決も当然の事理を明らかにしたものにすぎない。選挙には選挙運動が不可欠であり(選挙運動のない選挙というものはあり得ない)、その選挙運動について一定のルールが必要であることも言をまたない。しかしそのルールが公正と平等の両点について合理性を欠き、合理性の限界を越えるものであれば、それは当然違憲裁判の対象としてのテストを免れないのも言をまたない。
[456] 選挙運動についての法的規制をテストとしたこの判決の存在は重要である。たしかに右判決と本件事案では、事案内容そのものとしては必ずしも同一でない。しかし、日本の憲法下における選挙法の地位を前提として、その規制の基本的あり方をとらえたこの判決の判旨理論は、本件審査において無視されてならないものといい得るのである。

三、個別訪問の違憲審査基準
1 判例法理の概括と戸別訪問に関する判例
[457] 以上のような検討によつて、わが国の裁判所の違憲審査基準に対する考え方の中には、いくつかの共通の理論が確立されているということができる。ここでこれを要約整理すれば、次のような事項になるであろう。
イ、基本的人権の制約についての立法裁量には極めて慎重な態度をとり、その意味で司法積極主義の姿勢が貫ぬかれていること。この点は、「和歌山県教組事件判決」から「全逓東京中郵判決」に至る経過と経済的自由の規制に関する「薬事法違憲判決」でみたとおりである。
ロ、人権の制約について「二重の基準」の理論が明示的に採用され、思想表現の自由の優越的地位が承認されていること。
ハ、違憲審査の対象が「立法目的」のみならず、立法目的達成のための「手段の合理性」にも及ぶことが明らかにされ、かつ、後者の合理性の審査基準としての規制の「必要最小限性」が問題とされていること。
ニ、違憲審査にあたり立法事実を検討することの比重が高められてきていること。
[458] 右のような違憲審査基準のあり方を、戸別訪問に関する従来の最高裁判所の判例と対比すれば、そこには画然たる質的差異が認められるのである。まさしく今日、戸別訪問についての判例変更が求められている時期ということができる。従つて、本件について適用さるべきより適合的な審査基準を明らかにされなければならないであろう。そのためまづ「猿払事件大法廷判決」を解明し、そこで示された法理と戸別訪問禁止の立法形式としての独自性との対比を検討する。更に本件において本来参照さるべき若干の法理も明らかにする所以である。
2 猿払判決の誤りと本件への不適合性
(一)、戸別訪問の行為としての独自性と規制態様の特殊性
[459] 冒頭に述べたように違憲審査基準を考えるにあたつて、規制の対象とされる行為のもつ社会的性格――その特殊性――と、規制態様の性格を捨象することはできない。「国民全体の共同利益論批判」の章で詳細に論駁されているように、検察官の上告趣意の論理が空転するのは、第一にこの点を見ないためである。戸別訪問禁止の規制態様としての特殊性は次のような点にあらわれている。
イ、国民一般に対する表現行為の規制であること。即ち、禁止を命ぜられるのは国民全体なのであつて、「猿払判決」が前提とする公務員のように、国民の中の特定の身分を有する一定の階層にとどまるものではない。従つて禁止の対象の広範さから、より厳格かつ慎重な審査基準が要請されるのである。
ロ、表現行為自体に内在する害悪が問題とされるのではなく、他に存在するとされる「弊害」防止の手段として権利自由が制約される立法形式がとられていること。このことと審査基準との関係については前節で論及した。そもそも、このような法規制、法態様は封建時代の刑罰法規にはしばしばみうけられるものの近代市民刑法では例をみないところである。まして表現の自由の規制としては全く特異なものである。国民の基本権中最も重要な表現の自由、まして民主主義政治の基幹をなす選挙活動が、何故にかかる非合理、前近代的態様で禁止されなければならないのであろうか。
ハ、表現の第一次的手段について、それ自体を一般的に禁止していること。人間の意見を発表し、伝達する手段としては、演説、文書、映画、テレビ、示威行進などいろいろな態様のものが存在する。しかし、戸別訪問は、面接、演説等とならんで個人の自然にそなわつた行動(第一次的手段)である。文書活動という一手段の中のポスターやステツカー貼り、ビラ、チラシ配布というような第二次的手段・態様とは、その社会的重要性の比重を異にする。この両者間では本来その規制の態様が異なるべきなのである。第二次手段の一部を規制するというのであれば合理性をもちうることがあるが、第一次手段そのものを一律全面的に禁止するのは「必要最小限性」を欠き、「非合理」なものといわざるを得なくなる。
ニ、一般的、抽象的な「弊害」発生のおそれを想定した予防的規制であること。
[460] 戸別訪問禁止は右のように少なくとも4つの点についてその法規制の態様に独自性をもつ問題である。従つて「表現の自由の制約という側面を有する」という一事のみを根拠として、公務員の政治活動の規制を論じた法理を類推することは、その出発点において誤つているものと言わざるをえない。
(二)、猿払判決の誤り
[461] 猿払判決について多くの論点がある中で、本件との関連で、特に再吟味を要するものとして指摘しなければならないのは、その「表現の自由制限の法理」である。一口でいえば、同判決の判示する制限の法理は、論理において矛盾し、機能において無制約なものになつている点である。
[462] 同判決はいう。
「表現の自由は最大限に尊重されなければならず、その制限は必要最小限のものでなければならない…」
と。何人もこの点に異論のあろうはずはない。これはいわゆる総論である。ところが、この命題の下に展開される具体的制限の論理、いわば各論になると、結果は全く逆になつてしまうのである。問題は、同判決のいうところの、表現の自由に対する「合理的で必要やむを得ない限度」とはいかなるもので、同判決の結論がはたして「合理的で必要やむを得ない」ものになつているかどうかということである。
[463] 猿払判決は、そのための条件として(イ)目的の合理性、(ロ)目的と禁止される行為の関連性、(ハ)法益均衡の3点をあげる。然しながら、このうち(イ)と(ハ)は、次に述べるように、ある制限が必要最小限のものか否かを判断する場合の基準として全く機能しない性質のものであるから、結局(ロ)だけになつてしまうのである。
[464] 即ち、(イ)についていえば中世の専制君主ならいざしらず、今日、通常の法律であつて、なんらかの意味での合理性をその目的の中にもたないものなど存在し得ないであろう。また、法律の立法目的はもともとかなり理念的、抽象的なものである。従つて目的自体の合理性があるかないかというようなことは、その法律が基本的人権の制限として己むを得ないものか否かということを判断する上での基準になり得ない。
[465] 要するに、目的における合理性は、その法の定めた制限が限定的であるか否かの判断基準には、もともとならない性質のものなのである。
[466] また(ハ)についていえば、法益均衡などという問題も甚だ抽象的であつて、その意味では(イ)と変らない。
[467] 「公共の利益」というような全体的なものと、個人の不利という部分的なものを比較すれば、どちらに重点がいくことになるか多言を要しない。「公共の福祉」のような包括概念を基準にすれば、いつでも個人の人権を規制できることになつてしまうことは憲政史の示すところであろう。
[468] このように考えてくると、結局(ロ)の「目的と禁止される行為との関連性」という条件だけが、その制限が必要最小限か否かを考える上でのメルクマールになる。ところで、この関連性なるものが、すこぶる抽象的かつ広汎な概念であることは多言を要しないであろう。もともとある目的の下にある行為を禁止するのであるから、目的と関連性のない行為を禁止する筈がない。すべての場合に何らかの関連性があるのである。従つて「関連性」という概念は、全く歯止めのないものであり、こうした概念をもち出しても、ある制限が限定的であるかということを決定することが出来ない。
[469] 結局、猿払判決は、「目的と禁止される行為の関連性」という概念を持ち出すことによつて“公務員の政治的中立性の維持を損うおそれ”があれば、それを一切禁止しても違憲でないという乱暴な結論をひき出してしまつたのである。つまり、公務の中立性(という法益)を現実に侵害するか否か(具体的危険)は問題でなく、「維持を損うおそれ」があれば禁止できるというのであるから、抽象的危険があればよいというのである。中立性の維持を損うおそれさえがあれば、それを禁止する法律に合理性があるということになる。しかし、「おそれ」というのはあまりにも広汎かつあいまいな概念である。人のほとんどの行動には、いろいろな可能性やおそれが含まれる。「おそれ」には制限がなく、無制限に拡がる。「おそれ」を絞るところにこそ合理性というものがある。このような「おそれ」という抽象的危険の概念は基本的人権の制限を制約するルールとしては、原理の自殺に外ならない。多くの下級審判決は、公務の中立性を重視し、これを侵してはならないことを前提とした上で、公務員の基本的人権の尊重をも考え、その調整のための基準として「公務員の地位・職種・裁量性・勤務時間の内外・施設利用の有無等」を吟味し、公務の中立性侵害の具体的危険の可能性を検討したのであつた。猿払判決は、こうした下級審の努力と、事実の客観的観察の中から積み上げた英知というべきものを一片の論理で全く無視し去つたのである。
[470] 以上のような検討をしてみれば、「猿払大法廷判決」は誤つているばかりでなく、少なくとも本件の審査には適合的でないことが明らかである。
3 参照さるべき法理
(一)、明白にして現在の危険の理論
[471] 1940年代にアメリカの判例法上その発展と一定の完成をみたこの法理は、その後いくたの変遷を受けながらもなお現代的な意義を失つていない。この法理は表現の自由の優越的地位の理論と手をたずさえて発展してきたものであり、40年代に確立されたこの法理の解釈運用にはこの姿勢が実践的に貫ぬかれている。即ち、
「明白にして現在の危険の理論の中核は、その明白性及び現在性の要求、とくに後者の要件たるその危険が切迫したものであることを要するとする点にあるのであり、それが必ずしも危険の重大さとは無関係に要求されるものであることに特色があ(る)。」(前掲伊藤論文268頁)。
従つて本件の上告趣意に典型的にみられるように、選挙の自由公正という法益ないし立法目的というような概念を観念的に措定しさえすれば、ただちに人権の制約が正当化されうるかのような暴論に対して、最も適切な抑制の理論になりうるのである。ちなみに、ここでいう「現在性」の意義については、ホイツトニ事件でのブランダイス判事の意見が重要である。同意見では、民主政のもとでは、たとえ悪しき思想と考えられるものも公の議論の場所での説得を通じてその抑止をはかるべきであり、単に公権力をもつ者の心に、その表現から将来に害悪が生ずるであろうとおそれられたのみで、それを禁圧することは許されない、としたうえで「自由な論議による教育と説得を行うだけの時間的余裕の存在しない緊急の事態」にのみこの要件が充足されるものとしているのである。
[472] 又、戸別訪問禁止との関連では、「明白性」についての解釈運用も極めて示唆的である。ここでの明白性とは、単なる合理的根拠にとどまらず、言論の自由の行使から、必ず害悪を生ずるか、少なくともその発生がほとんど不可避であることの立証がなくては充分でないとされていることである。戸別訪問とその「弊害」との因果関係の問題については別章で検討したとおりであるが、この法理に基づくテストが極めて有効であるといわざるを得ない。
[473] 次に理論の適用範囲について触れる。この理論は1940年代において次のような特質を有するに至つた。その第一は、法の適用の合憲法性を判断するにとどまらず、立法そのものの合憲法性の判定のために用いられるに至つたことである。第二に、思想そのものを制約するのではなく、表現の方式、すなわち、表現の時・場所・方法などに関する規制に対しても、この基準が用いられるに至つたことである。かくてこの理論は、表現の自由の制約についての一般理論としての地位を獲得したのである。
[474] この理論については、現在のアメリカ判例法の中では退潮の傾向が認められるとの指摘がなされている。しかし、この理論を批判する多くの学説は、この基準では不十分であるから、より適切なルールを開発しようとするものであつて、この基準自体の意義を否定するものでない。またこの理論に反対する立場の一部には、司法機能の消極性にもとづく違憲審査に対する裁判所の自己制約を重視する思想が胎胚しているのである。米国と異なつて、表現の自由に対する明白な侵害がしばしば横行している日本にあつて、この理論はいまなおその現代的価値を失なつていない。
(二)、「より制限的でない他の選びうる手段」の基準
[475] 「明白にして現在の危険」の理論と同様に、表現の自由に対する国家権力の規制については特別に強力で積極的な正当化を要求する法理に、「より制限的でない他の選びうる手段」(Less restrictive alternative、以下LRAの原則と略称する)の基準がある。連邦最高裁でのリーデイング・ケースとして、1960年のShelton v. Tucker(364 U.S.479)があげられる。事案は州立学校の教師に対して彼らが過去5年以内に所属しまたは定期的に寄附をしたすべての団体をリストした宣誓陳述書の提出を要求する州法を違憲としたものである。連邦最高裁は
「目的は正当で実質的でも、その目的がより制限的に達成されうるときは、基本的な個人的自由の息を広汎にとめるような手段で目的を追求することはできない。議会による(自由の)制限の範囲は、同じ基本目的を達成する、より徹底的でない手段に照らして考察されねばならない」
と判示した。この法理は、いわゆる「合理性の基準」とその基本思想を異にする点が注目されなければならない。すなわち、
「(LRAの原則による)衡量は無原則的な事件かぎりの比較衡量ではない。それは、規制を受ける権利、自由の側により大きな比重がおかれた上で価値の衡量が行なわれることを要求する基準である点で、明白かつ現在の危険のテストと基本思想をひとしくする」(芦部信喜、現代人権論290頁)
ものなのである。
[476] いわゆる「合理性の基準」とはハツチ法9条を合憲と判断したUnited Public Workers of America v. Mitchell(330 U.S.75(1946))での連邦最高裁多数意見の採用した立場である。この判決では、政党政治と密接な関連を有する公務員の政治活動の規制の問題については、第一次的には立法府の判断権を尊重すべきであるとの立場がとられ、経済的自由の規制のテストと同様の「合理性」の基準が採用されている。しかしながら、この判決の根底には、公務就任を「特権」と考えるアメリカの公務員制度の特殊事情があることが基本的に考慮されなければならない。又、このミツチエル判決とほぼ同一の立場をとる我国の「和歌山県教組判決」が「全逓東京中郵判決」によつて変更されたことも重要である。以上の2点から、この「合理性の基準」が本件の違憲審査の基準に適合的なものとは到底考えることができない。むしろこれまで検討してきた裁判所の違憲審査基準についての一般的傾向に照らせば、右に述べたLRAの原則の立場が、適合的、かつ有効なテストと言えよう。この原則が本来適用領域とされるのは
「手段と目的との間には実質的な関係は存在するが、立法の意図する利益が個々人の人権に対してより厳しくない制約を課するであろう他の選びうる手段によつても達成することができると考えられる場合」
とされている(芦部前掲285頁、291頁)。戸別訪問と「弊害」との関係については、既に述べたとおり、その間に因果は存在しないが、かりに右の因果関係を裏づける一定の事実の存在が認められるとしても、その場合にこそ、この法理によるテストが吟味されなければならないと言えるのである。
一、はじめに
[477] 今日、わが裁判所は最高裁判所以下各審級にわたつて、この国の選挙が内包する様々の問題に直面している。議員定数配分規定の是正、在宅投票制の廃止等々選挙制度をめぐる問題、事前運動、文書配布、戸別訪問等の選挙運動規制をめぐる問題、更には選挙と報道・評論の自由の関係など実に多種多様の問題がおきており、それがために、更に裁判所による根本的な解決が求められている事態さえも見られるのである。
[478] こと選挙法に関する限り、立法府の歩みは遅々たるものである。むしろ右往左往というよりも時に後退的でさえある。
[479] 代表民主制国家において、主権者たる国民の直接の代表機関たる議会を構成する議員の選出手続は、本来その代表機関自らが独力で制定、改廃することが理想であり、他の国家機関が安易にその改廃に介入することは代表民主々義原理から望ましいとは云えないであろう。日本国憲法47条が「選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める」と規定した趣旨もそこにあると云える。
[480] しかし代表機関たる議会が、選挙法の内容が憲法上の主権原理や代議制の理念あるいは諸規定に反しているにもかかわらずその是正を放置している場合、他の機関の介入による改革が必要になる。とりわけ裁判所が違憲立法審査権を保持する場合、司法が積極的に介入して、議会が自からなし得ない選挙改革を行うことに対する期待は大きなものとならざるを得ないのである。
[481] 憲法上の国民主権―代表民主制の原理から裁判所はこの期待に応えるべきであるか、それとも代表機関たる国会の裁量にこれを委ねるべきであるか。
[482] 我々は司法の積極的介入による選挙改革の歴史を代表民主主義の強固な伝統をもつアメリカ合衆国の裁判所(特に連邦最高裁判所)に見ることができる。
[483] 冒頭に述べたわが裁判所に解決を迫つてきている様々な選挙改革の問題をかえりみるとき、アメリカにおけるこの経験は司法の果す役割を考慮する上で重要な参考になることは云うまでもない。又わが裁判所も合衆国連邦最高裁判所の後を追い漸く選挙改革への介入の第一歩を踏み出した姿をそこに学びとることができるのである。
[484] 本章ではまずこのアメリカ合衆国連邦最高裁判所での経験を後づけ、次にわが裁判所の選挙改革への介入の姿勢と問題点を指摘する。

二、アメリカ合衆国における裁判所による選挙改革の歴史的展開。
[485] 連邦最高裁判所が選挙改革に介入してきた歴史的経過は4期に区分することができる。
第1期 1776年すなわち合衆国憲法成立時より1866年修正第14条制定時までの時期であり、裁判所が選挙制度の改革に全く介入しなかつた時期として特徴づけることが出来る。
第2期 1866年からBaker v. Carr判決が登場する1962年までの時期であり、裁判所が選挙制度の改革に対して選択的に介入してきた時期、具体的には黒人の選挙権向上等をテコとして制度の改革に介入して行つた過程として位置づけることができる。
第3期 1962年から1970年までの時期であり、裁判所が選挙制度の改革に対して積極的に介入してきた時期として特徴づけることができる。
第4期 1970年以後現在までの時期であり、連邦最高裁判所の構成としては、いわゆるバーガー・コート成立以後として位置づけられるのである。
[486] 何故、連邦最高裁判所はこのような転換をはかつてきたのか。裁判所のこの態度変更に主要な影響を及ぼした要素として、アメリカ社会での知識人、リベラルで高度の教養をもつ大学教授、ロー・スクールの学長、代表的全国紙の編集人や評論家達の倫理をあげる学者もある(W.E.Y.エリオツト、「指導者民主々義の登場」・戸松秀典助教授の紹介による)。そのことの是非は別として、アメリカ合衆国では選挙法と現実の選挙の実態とのギヤツプあるいは憲法上の選挙法とのギヤツプを解消するについて、裁判所が積極的な役割を果してきたことは明白な事実である。
[487] 合衆国連邦最高裁判所はどのようにこの役割を担つてきたのか。又その要因は何であつたのか。以下、各期について具体的に検討して行く。
1 第1期 選挙改革に対する不介入期の検討
[488](一) 「不介入期」において、裁判所は文字通り選挙制度の改革に全く関心を示さなかつた。この期においても、現在選挙制度の改革に関して憲法上の根拠が問われる課題、例えば均衡のとれた代表、義務的選挙(Compulsory Voting)の強化、平等な選挙区、ゲリマンダーや白人予選(White primary)の廃止等々の問題が議論され、その改革の必要性が問題として提起されていた。
[489] しかし、裁判所はこの改革の課題に対しては頑なにその門戸を閉じてきたのである。われわれはこの期の裁判所の代表的な判例として、次の判決をあげることができる。
Luther v. Borden(1849年)
〈事件の概要〉
 ロード・アイランド州は、アメリカの独立に際して新憲法を制定せず、植民時代の特許状に軽微な修正を加えたものを憲法とした。これにはきびしい制限が規定されていたため、普通選挙制を採用しようとする声がたかまつた。1841年、一部の人民が集つて会議を開き、憲法を起草して、これを人民投票に付した上、人民の多数により制定されたものであると宣言した。この憲法のもとでThomas. W. Dorrが州知事に選出された。しかし、従来の政府は、これを叛乱であるとして、戒厳令を布告し、弾圧を加えたので、この政府はまもなく崩壊した。1842年6月29日、被告ボーデンに率いられた州民兵が、叛乱側に加担している原告ルーサーを逮捕する目的で彼の家宅に侵入した。原告は不動産不法侵入(trespass quare elausum fregit)の訴えをおこした。被告は、この叛乱により適法政府の地位が脅かされていたこと、州民兵の一員として上官の命令により原告を逮捕するためその家宅に侵入したものであることを主張した。原告は、旧政府はすでに人民によつて廃止されていたこと、州の合法的権力を支持するために行動していたことを主張した。かくて、2つの政府のうち、何れが適法であるかが争点となつた。
 原審の連邦巡回裁判所は、従来の政府が適法であるとの見解をとり、これに対して原告が連邦最高裁判所に上訴した。
〈判旨〉
 連邦最高裁判所は上訴を棄却し、何れの政府が適法なるかの判断はpolitical questionであつて裁判所の判断すべき事項ではないとした。Taney裁判官は多数意見をのべて、「憲法のこの条項(4条4節guarantee clause)の下において、いかなる政府がある州の政府であるかを決定する権限は、連邦議会に属する。なぜなら、合衆国が各州に共和政体を保障しているのであるから、連邦議会は、ある政府が共和的であるかどうかを決定する前に、いかなる政府が州で成立しているかを決定しなければならない。そしてある州選出の上院議員が連邦議会の議員として認められたときに、その州の政府の権威及びその共和政体たることが、正当な憲法上の機関によつて承認されるのである。そしてこの決定は、すべての他の部門を拘束し、司法裁判所において問題とされないのである。」
 ドアの叛乱期間が短かつたし、その政府の下で上院議員も下院議員も選ばれなかつたので、議会はこの争いを決定することを求められなかつた。しかし議会は、憲法の共和政体の保障を実現するための適当な手段を決定する権限をもつている。1795年2月28日の法律で、ある州における叛乱に際し、大統領は、州議会又は知事の請求により他の州の民兵を召集する権限を有すると定めた。そのため大統領は、誰が適法な州の機関であるかを決定しなければならないのである。この事件で民兵は大統領により召集されたものではないが、大統領は従来の政府の知事の請求により、彼を州知事と認め、必要ある際、彼を支援するための民兵を召集する措置を講じた。Taney裁判官は、「連邦のいかなる裁判所も、この決定を知つて、反対党を適法政府と認めることは許されないであろう。」と判示したのである(事実の概要、判旨は何れも『別冊ジユリスト』橋本公亘・政治的問題より引用)。
[490](二) この判決で司法判断不適合の根拠となつたpolitical questionの理論はその後1962年のBaker v. Carr判決までの裁判所の支配的な理論として続いてきた。
[491] 前述のとおり、この期においても選挙制度の改革につき裁判所の介入を求める問題は存在していた。にもかかわらず、なぜ連邦最高裁判所は司法判断不適合との結論を出したのか。
[492] 裁判所がこのように司法判断不適合と判断した理由は次の要因の欠如にもとめることができる。
(1) 裁判所の選挙制度改革に対する意欲(will)の欠如
(2) 裁判所の選挙制度の介入に関する憲法上の根拠(authority)が確立されていなかつたこと。例えば前述のLuther v. Borden判決では合衆国憲法4条4節Guarantee Clauseは、この権限たることを否定されたのである。
(3) 合衆国最高裁判所に、州の問題、州の権限に介入することへのためらいがあつたこと。その意味での裁判所の権限(power)が欠けていたことである。
(4) 更に選挙問題が裁判所にもち込まれることに具体的な障害となつたのは、この種の問題をとりあげるについての訴訟技術、法理論の手段(technique)が欠如していたことである。
[493] 後述のとおり、連邦最高裁判所が憲法問題に判断を下す頻度を増加して行く中で手続的要件の緩和がはかられてきた。当事者適格(standing)の要件の緩和、宣言判決(the declaratory judgement)の範囲拡大、集団訴訟(class action)の利用の容易化、Political questionの範囲の狭少化等々である。
[494] また同時に憲法原則の解釈上の原理(plinciple)や原理適用のための基準(rule)を構築していつたのである。総じて言えば、この期においては選挙制度の改革が憲法上の要請に基礎を置いていず、その改革は現実の政治、議会による改革にゆだねられていたと指摘できるのである。そのため、前述のように選挙制度の改革に関する種々の問題が提起されたとしても、改革と政党の利益が結びつかない限り、改革の提案はなされなかつたし、もちろん実行もされなかつたのである。
[495] そして連邦最高裁判所もそれをもつてよしとしていたのである。
2 第2期(1868年~1962年)、選挙制度の改革に対して選択的に介入した時期
[496](一) 1868年連邦憲法修正第14条が成立した。同条は「いかなる州もその管轄内に在る何人に対しても法律の平等な保護を拒むことができない。」とする、平等保護条項である。更に、2年後(1870年)、修正第15条が成立した。
[497] 「合衆国市民の投票権は、人種、色(color)若しくは過去における苦役の状態に基づき、合衆国により或は各州により、拒絶され又は制限されてはならない。」と規定されたこの規定は黒人の選挙権保護の条項である。
[498] 南北戦争を背景として成立したこの2つの規定は、裁判所が選挙制度の改革に積極的に介入していく装置(device)となつた。当初は修正第15条が、後には広く修正第14条がこの役割を担うことになつた。
[499] 例えば当時、いくつかの州で祖父条項(grand father clauses)が設けられ、黒人は祖父の代からアメリカ市民ではなかつたことを理由に選挙権が与えられなかつたのであるが、この期において裁判所は右条項が修正第15条、同第14条に反し違反であると判断した。
[500] また、前述の白人予選(white primary)に対しても最高裁判所はこれに積極的に介入し、違憲と判断するようになつた。
[501] 司法判断の介人は当初、白人のみが予備選挙を行う旨の州の立法を、州=政府が直接に黒人の選挙権行使に対する差別を助成したことが修正第14条に違反したとの理由でその効力を否定し(Nixon v. Hernden事件、1927年)、その後は州議会の決議を州が差別を助成したとの理由で違憲無効と判断した(1932年のNixon v. Condon事件判決はテキサス州議会が民主党の州執行委員会に投票またはその他の参加をするための党員の資格を定める権限を与えた事件であるが、連邦最高裁は同委員会の行為を州の行為として、修正第14条違反と判断した)。
[502] そして、ついには純粋に政党の決議のみであつてもそれを「州の行為」概念を拡張することによつて違憲と判断するに至るのである。
[503] われわれはその代表例としてSmith v. Allwright事件の連邦最高裁判決をあげることができる。
〈事実の概要〉
 テキサス州の民主党は、1932年5月24日に、つぎのような決議を採択した。「州の憲法および制定法に基づき投票する資格をもつテキサス州のすべての白人市民は、民主党員になる資格を有し、またその審議に参加する権利を有するものとする……。」この決議に基づき、テキサス州ハリス郡の黒人市民である上訴人は、合衆国上下両院等の民主党候補者を指名するための1940年7月27日のブライマリで、被上訴人により、投票することを拒まれたので、損害賠償を請求する訴訟をテキサス州南郡地区連邦地方裁判所に提起した。上訴人は、そのような投票の拒否は、人種および体色を理由としてのみ行なわれたとし、被上訴人の行為は、連邦憲法1条2節・4節および修正14条、15条、17条によつて保障されている諸権利を上訴人から奪うものである、と主張した。
 連邦地方裁判所は、請求を棄却、連邦巡回控訴裁判所も、一審の判決を維持した。裁量的上訴(certiorari)の申立により、連邦最高裁判所に係属したのが本件である。
原判決破棄
〈判旨〉
 リード(Reed)裁判官は、党およびブライマリに関するテキサス州の憲法および法律の規定を検討したのち、つぎのように判示した。
「一般選挙の投票用紙に記入される、党の被指名者を選択するためにこの制定法上の制度によつてこれらの立法上の指示に従うことを要求される党は、それがブライマリの参加者を決定する限りにおいて、州の機関となる、とわれわれは考える。その党は、州の制定法によつてそれに課せられる義務の故に、州の機関としての性格をもつものである。すなわち、それらの義務は、政党によつて履行されるからといつて、私法上のことがらとなるわけではない。……州の一定の選挙手続を要求し、党の被指名者から成る一般選挙の投票用紙を定め……るならば、州は、ブライマリの参加者の資格の決定を州法により委任されている党によつて行なわれる黒人に対する差別を、裏書きし、採用し、また強制することになる。これは、修正15条の意味内での州の行為である。」……
「政党員であるという特権は、本裁判所がGrovey v. Townsend, 295 U.S.45,55において述べたように、州が関心をもつことではない。しかし、本件におけるように、その特権が同所に一般選挙のための被指名者を選ぶブライマリで投票する必須の資格である場合には、州は、政党の行為を州の行為とするのである。」(以上の事実の概要、判旨は何れも『別冊ジユリスト』堀部政男「選挙における平等の保障」より引用)
[504] これらの判例では何れも修正14条あるいは同15条が適用されている。後に、この中、14条は前述のとおり一般的な平等保護を規定しており、選挙権の平等保護に関してはより重要な装置としての意味をもつようになるのである。
[505](二) 以上述べてきたように、この期に、人種差別の撤廃、それをテコとする選挙権保障の分野では連邦最高裁判所は積極的に介入していつた。これに対して議員定数不均衡の問題では裁判所は相変らず司法判断不適合であるとして憲法判断を回避しつづけてきたのである。
[506] われわれはその代表的な判決例をColegrove v. Green判決(1946年)の判断に見出すことができる。
[507] イリノイ州における連邦議会議員の選挙区割に関して、それを定めた州法を、過大代表と過少代表の事実を理由に、違憲であり、無効とする宣言判決と暫定的救済として州全体を1選挙区にする選挙の施行を求めたこの事件で連邦最高裁判所は3人の少数意見を残して司法判断を回避した。
[508] 裁判所は判断回避の根拠を政治的茂みの理論(political thicket)に求めた。すなわち
「(本件の)争いは、裁判所を政党間の直接かつ積極的抗争関係に連れ込む問題にかかわつている。当裁判所は、そのような争いの決着については伝統的に関与しない立場をとつてきた。司法を国民の政治関係に巻き込むことは、民主的制度にとつて相反することである。もし本質的に政治的抗争であるところに、司法がそのように介入して、法という、抽象的用語で装いをこらすならば、それは有害無比なものとなる。……裁判所はそうした政治の茂み(political thicket)に立入るべきではない。選挙区不公正の救済は、適正な配分をする州議会に留保されていることであり、あるいは議会の十分な権限を換起することによりなされるものである。」
と述べているのである(戸松秀典「平等保護と司法審査」『国家学会雑誌』91巻1、2号33頁以下)。
[509] また、同じ連邦最高裁判所のMacdougal v. Green判決(1948年)は、司法判断回避の根拠として、選挙区配分の問題は憲法上州固有の権限であることに求め、この憲法上の要請に基づいて司法不介入が結論づけられるのである。
[510](三) それではこの期において、議員定数不均衡是正の問題に対して、連邦最高裁判所には全く動きはなかつたのか。
[511] 前述の政治的茂みを盾に司法判断を回避したColegrove v. Green判決で再配分を怠つたことが法の平等保護を否定する結果になる「立法府の意図的な差別」だと主張した3人の少数意見(Black, Douglas, Murphyの3判事)は、後の積極的介入期において多数を制することになつたのであるし、またこの議員定数不均衡と人種による差別が絡むとき、連邦最高裁判所は積極的に平等保護原則を適用してきたのである。その意味で、この期においても連邦最高裁判所は徐々にではあるが動いていたということができよう。
[512] われわれはこの後者の例として、また後のBaker v. Carr判決に影響を与え、前述のColegrove判決に再検討を迫つた例としてGomilion v. Lightfoot判決(1960年)をあげることができる。
〈事実の概要〉
 原告Gomilionは、アラバマ州の住民で、黒人である。もとタスキギ市の市民であつた。何故、同原告その他の黒人がタスキギ市の市民でなくなつたのか。アラバマ州議会は1957年、地方法第140号制定し、タスキギ市の境界線を変更した。この州法が制定される前、タスキギ市の境界線は正4角形をなしていたが、この州法の制定により、市の区域は28角形で、かつ1辺の長さは長短さまざまの不思議な形をなすようになつた。
 原告の請求は2つあり、第1はこの州法が違憲であることの宣言的判決をもとめること、第2は市長その他の関係職員に対して同法の執行停止を命ずるinjunctionを求めることであつた。
 その理由とするならば、このような奇怪な形の市域を定めて一切の黒人を市域から締め出すことは、連邦憲法修正第14条に反すると共に、同15条の投票権平等の保障にも反するということであつた。
 被告タスキギ市の市長(Lightfoot氏)は妨訴抗弁として、第1に原告らの主張は救済の与えられるべき要求(claim)を明示していないこと、第2に連邦地方裁判所は管轄権をもつていないことを主張した。
 第一審は「当裁判所は、アラバマ州の人民を代表する州議会が、正当に、選挙され、また召集された上で、市の境界変更を行なつた場合に、これを統制し、監査し、また修正する権限を有しない」として、原告の主張を斥けた。原告は連邦第5巡回裁判所に控訴したが、これも斥けられ、連邦最高裁判所に上告した。
〈判旨〉
 新しい州法の制定により、従来タスキギ市の住民として選挙権をもつていた400名の黒人有権者が4~5人を除いて全部が市域外におかれることになり、白人にはその例が生じない場合、手続上は何等の瑕疵がない州の立法が、この市の選挙において投票する権利を原告を含む黒人から剥奪することになる。この動機の故に州法は違憲無効となるか。
 この事件で代表意見を書いたフランク・フアーター判事は「修正第15条は、差別の態様が、単純な仕方でされている場合はもとより、まわりくどい(sophisticated)仕方でされている場合にも、そのような立法は、無効とするのである」とし、州法がこの目的・意図をもつている場合に無効となると述べる。
 さらに、同判事は被告の州議会が市の境界変更、廃置分合について絶対的な権限をもつているとの主張に対しては、この事件の場合には州の立法で地方公共団体の問題を、目的や方法のいかんを問わず、自由に規制する全権(plenary power)を州がもつているとの原則の適用を拒否した。すなわち、州の権限を行使するにあたつては、ある条件の下では、ある種の憲法上の原則(この場合には修正第15条の「合衆国市民の投票権は、人種、色、若しくは過去における苦役の状態に基づき、合衆国により或は州により、拒絶され又は制限されてはならない」との原則である。)の拘束をうけることになる。つまり、ある州法がこの原則を侵害することになれば、例えそれが市の境界変更という形式をもつているにしても、憲法違反なのである。
 さらに、political questionであり、裁判所の管轄に属しないとの点についてはどうか。Colegrove事件でpolitical questionの理論を盾に選挙制度の改革に対する介入の回避を主張したフランク・ファーター判事は、両事件の性格の相違を強調して、この州法により州が積極的に投票権を奪つており、また特別な差別的意図をもつて少数派人種の投票権を侵害していることが、Colegrove事件とのちがいであるとしたのであつた(以下参考、鵜飼信成「ゴミリオン対ライトフツト事件――黒人解放の一道標――」尾高朝雄先生追悼論文集所収、戸松秀典・国家学会雑誌論文)
[513] しかし、そのような相違点が両判決の間に存在していたとしても、Colegrove判決の骨子であつた選挙区再配分問題について、政治的茂みの中に司法は介入しないとの原則は、この判決によつて崩れたものと見ることができるのである。このことは、Colegrove判決で少数意見を書いたタグラス判事がこの判決で自分は従来の少数意見を変える意思はないということを特に明記していることに象徴されるであろう。
3 第3期 連邦最高裁判所による選挙制度改革に対する積極的介入期の検討
[514](一) 連邦最高裁判所の選挙制度改革への選択的介入の姿勢はGomillion v. Lightfoot判決で大きく揺いだ。
[515] 1962年、連邦最高裁判所はこの動きを決定的なものとした。Baker v. Carr判決でそれが示されたのである。以後、議員定数不均衡是正問題はこの判決を土台として、“再配分の季節”を迎えることになつた。
[516] Baker v. Carr判決は次のとおり。
〈事実の概要〉
 テネシー州における投票権者の数は、1901年の48万名から1960年現在で200万余名に飛躍的に増加し、その分布状態にも大きな変動が生じてきた。それにもかかわらず、州議会議員配分法(The Apportionment Act)は、その1901年法において定められたままで、その後、選挙区割の変更についての改正案が提出されても、すべて否決され、全く改正されて来なかつた。その結果、投票権の価値において、1959年今日では、農村地区の1票は都市地区の25票に相当するという甚だしい差異が生じている。1959年、同州の人口も最も多い選挙区の有権者11名は、州議会議員の選挙区に対する定数の配分が著しく不均衡であり、それは連邦憲法の「平等条項」に違反するとして、前記の州法を違憲とする宣言的判決ならびに同法に基づく選挙の施行に対する差止命令を求めると共に、州議会が議員数の再配分を行なわないかぎり、またそれを行なうまで、州憲法の規定を最も新しい人口調査の結果に数学的にあてはめて算出した再配分を命ずるか、州全体を一選挙区とした選挙を行なうことを命ずるか、そのいずれかを求めて、民事訴訟を提起した。
 一審(テネシー中部地区連邦地方裁判所)は、裁判権の欠如を理由に、却下。原告は、本件が3人構成の連邦地方裁判所の決定であるので、連邦裁判所法1253条により連邦最高裁判所に飛躍上告をした。
〈判旨〉
(a) 本件事案の裁判権に関しては、連邦裁判所の裁判権に属する。
(b) 上訴人は訴訟を行なう当事者適格を有する。
(c) 事案が司法判断不適合とされる「政治的問題」とは、その訴えが政治的権利の保護を求めて提起されているという事実だけで、提起されるということを意味しない。判例は、議員数の再配分に関する事件は、共和政体の保障にもとづく事件を除き、連邦憲法上の権利を含むことはありえないし、また、共和政体保障の条項にもとづく訴えでは、司法判断に適さない政治的問題を提起すると判決しているのである。
 「共和政体保障」の条項に関する事件およびその他の事件で「政治的問題」を生ぜしめるのは、連邦司法部と、これと対等の立場にある連邦政府諸機関との間の関係であつて、連邦司法部と州との関係ではない。政治的問題が司法判断に適さないのは、主として、権力の分立の一作用である。本件には、判例上「政治的問題」を構成するとされたものと一致する共通の特色は見出せない。本件での問題は、州の行為が連邦憲法に合つているかという点であり、本裁判所と同格の政治的な政府部門により、決定される、もしくは決定されるべき問題は存在しない」(別冊ジユリスト・久保田きぬ子「政治的問題・選挙区割」より引用)。
[517] こうして、一審判決は破棄され、連邦最高裁判所は議員定数是正=選挙制度改革に全面的、積極的に介入するようになつていつた。
[518](二) Baker判決は、司法判断の選挙改革への介入に際して、どのような価値を追求して行つたのか。連邦最高裁判所はこの判決を土台として投票価値の平等という政治原理としての民主主義が要求する最も厳格な原則をそこで追求していつたのである。すなわちBaker v. Carr事件では本来、political questionの問題と共に質的内容である定数配分の合憲性そのものが問われていたのであつた。判決は前述のとおり後の問題について何らふれる所なく、事件を破棄差戻した。投票価値の平等は如何なる基準によつて具体化されるべきであるのか。
[519] political questionsをのり越えた連邦最高裁判所はその基準を示す必要に迫られていた。Baker判決の翌年以後、連邦最高裁判所は憲法上の根拠に基いて、その基準を明確にうち出していつた。
(1) 1人1票制の表明……Gray v. Sanders判決(1963年)
[520] ジヨージア州のブライマリー選挙で採用されていた「カウンテイ一括投票制度」について、それが都市有権者の投票権の価値を不当に低め、「平等保護」条項に違反しているとして提訴されたことの事件で、連邦最高裁判所の多数意見は
「独立宣言からリンカーンのゲテイバーグ演説、憲法修正15条、17条、19条にいたるまでの政治的平等の観念は、ただ一つのこと、すなわち1人1票(One person, one vote)を意味している」
とのべ、人口こそが代表の基礎でなければならないとの考えを明確にうち出したのである。
[521] この投票価値の平等を憲法上の要請としてとらえ、One person, one voteにより実体化するとする孝え方はその後次の2つの判決によつて確立された。1は州議会の選挙において、2は連邦下院議員の選挙においてである。
(2) substantially equalityテストの表明――Reynolds v. Sims判決(1964年)
[522] この事件では議員定数不均衡是正のための再配分方式の合憲性が争点となつた。連邦最高裁判所は要旨次のような基準を呈示した。
(イ) 各選挙区の間には、「実質的な人口の平等」が見られなければならない。代表の配分は「できるかぎり平等な人口」の上に基礎づけられなければならない。
(ロ) 二院制の州立法部においては、一院だけではなく、両院とも、人口のうえに基礎づけられなければならない。
(ハ) 配分、区割における「合理性の欠如」「寄せぎれ布団」は平等の代表の原理を損うものであり、禁じられなければならない。
(3) As nearly as equal as practicable原則の呈示――Wesberry v. Sanders判決(1964年)
[523] 連邦下院の選挙区割についてジヨージア州アトランタに住む原告が自分の選挙区の人口と隣接選挙区の人口が82万対27万の開きがある事実を基礎に選挙区割の改正と全州一選挙区制の暫定的実施をもとめた事件で、連邦最高裁判所の多数意見(Black裁判官他6名)は
「数学的な精密さで連邦下院選挙区の線を引くことは不可能であるかも知れないが、しかし、それは、均しい人口に均しい代表を下院にとつての基本的な目標とするという、わが憲法の平明な目的を無視するための口実になるものではない」
と主張し、憲法上の連邦下院の選挙に関する規定第1条2節の「下院は、各州人民が2年ごとに選挙する議員でこれを組織する」「下院議員……は、連邦に加入する各州間に、夫々人口に比例して配分される」との文言をもつて、
「下院議員選挙におけるある1人の票は、可能なかぎり、他の1人の票と同じ価値をもたなければならない」(as nearly as equal as practicable)
と同義であると解釈し、主張するのであつた。
[524] この2つの判決によつて確立された人口を基礎として投票価値を決定する厳格な基準はその後も連邦最高裁判所により確立され、維持されてきた。
[525] Swan v. Adams判決(1967年)は1.30対1の人口偏差について、Kilgarllm v. Hill判決(1967年)は1.31対1の人口偏差について、いずれも1人1票の原則に従つて憲法上疑わしいと判断した。
[526] また、Kirkpatrick v. Preisler判決(1969年)は数学的、絶対的な平等が憲法上の要請である旨を述べているのである。
[527](三) 以上のような議員定数是正問題を通じての司法による選挙制度改革への積極的介入は、選挙権を基本的人権の一つ、しかも重要な基本的人権として、位置づけるようになつた。
[528] 合衆国憲法では、選挙制度に関して、第1条の立法権の部分の第2節以下が種々規定している。しかし、選挙権を権利として規定している条項は、修正第15条第1節が前述のとおり「合衆国市民の投票権は、人種、色(color)若しくは過去における苦役の状態に基づき、合衆国により或は各州により、拒絶され又は制限されてはならない」と規定する以外には見られない。しかもこの規定も選挙権の権利性を正面からうたつているというよりも、修正第14条第1節の平等保護条項の一つとして位置づけてきたのである。
[529] 従つて、選挙権の権利性を承認するか否かは判例の展開に任されてきたのである。
[530] Carrington v. Rash判決(1965年)はそれまでの選挙の性格に関する統治機能説、公務説を否定し、これを基本的人権としての権利(voting right)と規定した。
[531] また、Williams v. Rhodes判決(1968年)では選挙権は自由権の中でも最も貴重な自由権に属すると述べられるようになつたのである。
[532] このような判例の展開により、選挙権が憲法上保障された基本的人権に含まれることは揺ぎない事実となつたのである。
[533](四) さらに選挙制度改革への司法の介入は全面的なものとなつた。そしてそれまで、当然のこととして認められていた制度が裁判所により、違憲と判断されるようになつた。
[534] 例えばLouisiana v. United States判決(1965年)は選挙の際に「読み書き能力テスト」(literacy test, inter-pretation test)を行うことを規定した州法を、それが貧しい黒人層の選挙権を奪うことになり、前述の選挙権の基本的性格から違憲であると判断した。
[535] また、Harper v. Virginia State Bord of Elections判決(1966年)は、21才以上の住民に一率に1ドル50セントの税金を課し、それを条件に選挙人名簿へ登載するとの規定(poll tax)を、この税を課すことによつて学校等の建築に充てるとしても、それが貧しい黒人層の選挙権行使の機会を奪うことになり、無効となると判断した。
[536] いずれも選挙権の権利性をふまえたうえで判決を下していることに注意をする必要がある。
4 第4期、1970年以降現在までの司法判断の特徴と検討
[537](一) 合衆国最高裁判所は1970年代、それまでのウオレン・コートにかわり、バーガー・コート時代を迎えた。
[538] バーガー・コートの下、裁判所の選挙制度の改革への全面的介入の姿勢はいかに変つてきたか。
[539] 一般に、バーガー・コートの性格として、ニクソン大統領に任命された何人かの裁判官の保守的傾向が判決内容に影響していると言われる。選挙制度改革の問題について現われている特徴は次のようなものである。
[540] すなわち、1960年代の積極的な介入の姿勢は維持しているが、ただ数理的な平等、絶対的な平等のテストの適用を否定し、その判断に際しては柔軟性、多少の寛容さを示す。そこに特徴を求めることができると云える。
[541] 例えばMahan v. Howell(1973年)は州議会の下院議員の定数配分規定について、人口比率の最大・最少の偏差1.18対1となる条項を合憲と判断し、Gaffney v. Cammings判決(1973年)は「絶対的平等」のテストの採用を拒否したのであつた(但し、この判決でもReynolds判決での実質的な平等のテストが再確認され、それに依拠して判断がさなされているのである)。
[542] バーガー・コートがこのような柔軟性、寛容さを示す根拠は何か。
[543] バーガー・コートの特徴とされる、事件毎に個別的に判断するという一般的傾向が、この選挙制度の改革の分野にも見られること、あるいは議員定数是正問題が1970年代には多くの場合60年代のBaker判決以後に解決されてしまつているので、60年代と比べ非常に極端な形では現われてこないことが指摘できる。

三、裁判所による選挙改革への積極的介入
  ――その要因と司法判断の特徴――

[544] アメリカ合衆国で、議員定数是正問題を中心とする選挙改革について、なぜ裁判所による介入の途が選択されたのか、われわれはその要因を4点ほどあげることが出来る。
[545] 第一に、現実に生起してくる選挙制度改革の要請に対して、議会、立法府を中心とする現実の政治過程がそれに対応せず、その状態が放置されていた事実である。そのことにより、選挙制度には矛盾、欠陥の是正、解釈に司法による介入が求められたのである。
[546] 第二に、合衆国における民主主義傾向の強まりを指摘しなければならない。それは第一次世界大戦後の合衆国最高裁判所の修正1条、14条を中心とする憲法理論の発展だけではない。それを支えたアメリカ社会の意識の変化、民主主義に対する認識の変化も、その要因となつているのである。戸松秀典教授はこの社会意識と司法の関連は次のように指摘する。
「1937年の憲法革命以来、アメリカの最高裁は、自由権を中心とした人権擁護の砦として重要な役割を果してきたが、自由権保障のための理論とそれをめぐる議論は、多くの場合最高裁が判決の中で示した法理を中心として展開されたといえる。このことは、戦後の憲法理論の発展においても、平等保護原則の法理がそれに加わることによりいつそう強められたということができる。そうした傾向を最高裁主導型の憲法理論の発展ということができると思うが、それは、ひとり最高裁が理論を先導したというのではなく、むしろ次にあげるような要因がアメリカ社会に存在し、最高裁はそれに支えられていたということにも注目しなければならない。すなわち、まず、人種間の平等という建国以来のアメリカ社会における深刻な問題について、差別解消をめざす努力が被差別者たる黒人の間に広まり、黒人の人権意識を向上させ社会における改革のエネルギーを形成するようになつたことが挙げられる。このエネルギーは、問題を法廷にもちこみ裁判を維持するための支援団体や組織の形成を促進し、戦後のこの時期に成果を挙げうるまでに成長したのであつた。
 次に、右の人種問題に加えて、人口の都市集中化に伴う選挙区間の定数不均衡問題についても、連邦・州の立法府や行政府が正義実現のための努力を長年怠つてきた事実があつたことも重要である。そのため、問題の解決を国家の政治機構の一つたる司法部に委ねる傾向が助長されたということができよう。
 さらに、戦後のアメリカ経済力の急速な成長に伴い、社会にさまざまな病理、深刻な問題が山積みされ、その問題解決の方策を従来の政治過程においては期待しえなくなつていたため、裁判所が政策喚起のための場に選ばれたということがある。
 最後に、第二次大戦後、自由主義陣営のリーダーシツプを確立した合衆国は、対外的発言力を強めるために国内における社会的正義を実現せざるをえなくなり、そのため連邦政府が最高裁の積極的傾向に好意的であつたことも挙げられよう。」(『アメリカの憲法…』より引用)
[547] 第三に指摘しなければならないのは裁判所の介入を支える法理論、憲法訴訟の技術の進歩という要因である。
[548] これまで見て来たように、裁判所はState action概念の採用、拡大により政党による選挙権の差別的取扱いを憲法上無効とし、あるいはpolitical questionの分析、それを通してその範疇を狭め、選挙制度の改革に全面的に介入していつた。いわば、人権保障のための法理論、憲法原則、審査基準が裁判所により構築され、発展され、そのことが同時に裁判所の積極的な介入の要因となつたのである。又、この点は訴訟の技術(tecknique)、憲法訴訟の技術の構築、発展という要因からもとらえることができるであろう。
[549] 裁判所が憲法問題に判断を下す度合が増加し、立法部、行政部の領域に介入するにつれ、当事者適格(standing)の要件の緩和、宣言判決(the declaratory judgement)の範囲の拡大、集団訴訟(class action)等の利用を進め、またそれが介入の大きな要因となつていると云えるのである。
[550] 第四に、これらの法理論、訴訟技術を使用する裁判官の見識、意欲(will)はどうであつたか。
[551] われわれがこれまで見て来たように連邦最高裁判所が選挙制度改革に全面的に介入したのは1960年代、ウオレン、ブラツク、ダグラス、ブレナン、ゴールドバーク、フオータス、マーシヤルなどリベラルな判事で構成されていた、いわゆるウオレン・コートがその最大の特色を発揮していた時期であつた。
[552] これらの裁判官に見られるように、憲法感覚、見識と社会の変化要求に積極的に対応する姿勢、意欲もこの裁判所を動かす大きな要因と言えるのである。
[553] そして、連邦最高裁判所はこのように要因に支えられて、選挙制度の改革の要求に積極的に対応していつたのである。ただ、注意しなければならないのは、この裁判所が現実の政治過程の矛盾、欠陥に対応した役割は、裁判所が社会を導いて、引つ張つて行くところにあつたのではないということである。すなわち、裁判所は、現実の社会の動きに対して、その進行から一歩遅れた位置において、憲法を基礎として司法審査を行つてきた。積極的介入の時期においてもこの裁判所の役割は決して変わるものではなかつたことが指摘できる。
[554] ところで、この選挙制度改革への介入で展開された判例はどのように特徴づけられるのか。これまで述べてきた展開の歴史的経過を後づけると、その特徴は、(1)平等保護原則の理論的発展、(2)選挙権が憲法上、国民主権に直結した最も貴重な権利、自由として位置づけられ、その権利性が明確にされたこと、(3)injunction(差止命令)、declaratory decision(宣伝判決)等訴訟技術、判決方法に理論的深化がなされ、議員定数再配分問題について、裁判所が議会(立法部)に対して命令が出せるようになつたこと。いわゆるpolitical questionsの問題が克服されたことに対応し、裁判所も矛軟な対応が出来、判決に将来効をもたせることが出来るようになつたこと等々が指摘できるのである。以上の点については、すでに詳しく述べてきたのでここでは詳述はさける。ただ平等保護原則の展開について一言しておく。言うまでもなく、合衆国における平等保護原則は人種差別撤廃問題と密接に結び合いながら展開してきた。前述のとおり、選挙制度改革問題もその一環として扱われ、発展してきた。
[555] 人種差別撤廃問題で画期的な影響をもたらしたものは1954年Brown v. Board of Education判決であつた。この判決は、
「分離された教育施設は本来的に不平等であり」、「公立学校で白人と黒人の子供を分離することは、黒人の子供に有害な結果をもたらす」
と判示し、それまでの「分離されているが平等」の原則を正面から否定したのであつた。
[556] この判決がもたらしたその後の影響は単に学校における黒人差別のみでなく、他の公的諸施設、社会関係についての人種差別の撤廃にも及んだ。そしてその後の人種差別撤廃問題に関する連邦最高裁判所の判例は、(イ)人種差別撤廃のために差別の実態について最高裁自らが審査の権限を積極的に行使したこと、(ロ)州政府に対して、人種差別撤廃のための積極的責務を課したことが、その一連の傾向としてとらえられるのである。

四、司法判断による選挙改革の必要
[557] 昭和51年4月14日、最高裁判所は公職選挙法13条および昭和50年法63号による同法別表第1附則7乃至9項(改正前)のいわゆる議員定数配分規定が憲法上の選挙権平等の原則に違反するとの判決を下した。この判決では選挙権は国民固有の権利と規定され(憲法15条1、3項)、「国民の国家への参加の機会を保障する基本的権利として、議会制民主々義の根幹をなすもの」と位置づけられ、かつ選挙権の平等原則(憲法15条1、3項、44条但書)についても憲法14条1項の平等原則により「選挙権の内容、すなわち各選挙人の投票の価値の平等」をも、憲法上の要請として内包していることが明らかにされた。同時に判決に憲法43条2項、47条が国会両議院の議員の選挙について、議員の定数、選挙区、投票の方法その他選挙に関する事項は法律で定めるべきものとした根拠を
「代表民主制の下における選挙制度は選挙された代表者を通じて、国民の利害や意見が公正かつ効果的に国政の運営に反映されることを目標とし、他方、政治における安定の要請をも考慮しながら、それぞれの国において、その国の事情に即して具体的に決定されるべき」
である所に求め、
「右の理由から両議院の議員の各選挙制度の仕組の具体的決定を原則として国会の裁量にゆだねている…」
のが憲法の趣旨であるとする。その限りでは判決は選挙に関して国会=立法府の裁量をかなりの程度に尊重する姿勢を見せるのではあるが、それにもかかわらず
「投票価値の平等は……、国会がその裁量によつて決定した具体的な選挙制度において現実に投票価値に不平等の結果が生じている場合には、それは、国会が正当に考慮することのできる重要な政策目的ないしは理由に基づく結果として合理的に是認することができるものでなければならない…」、「具体的に決定された選挙区割と議員定数の配分の下における選挙人の投票価値の不平等が、国会において通常考慮しうる諸般の要素(都道府県を選挙区割の基礎とすること、従来の選挙の実績、選挙区としてのまとまり具合、市町村その他の行政区画、面積の大小、人口密度、住民構成、交通事情、地理的状況、社会の急激な変化、政治における安定の要請等…弁護人引用)をしんしやくしてもなお、一般的に合理性を有するものとはとうてい考えられない程度に達しているときは、もはや国会の合理的裁量の限界を超えているものと推定されるべきものであり、このような不平等を正当化すべき特段の理由が示されない限り、憲法違反と判断するほかはないというべきである。」
と判断し、立法府=国会の裁量に制限を設けたのである。
[558] この判決以前に議員定数配分規定の合憲性が争われた事件では、最高裁は、立法裁量を重視して(昭和39年2月5日・大法廷判決、民集18・2・270)、「立法府=国会の裁量問題」を根拠に司法判断を回避してきたのである。これに対して昭和51年大法廷判決はなお立法府の裁量を尊重しながらも投票価値の平等=選挙権の平等という憲法上の原則を根拠としてこれに譲歩を求め、選挙改革に介入する途を開いたと云うことができる。
[559] 前述のように、アメリカではBaker v. Carr判決を契機として再編成の季節に突入して行つた。裁判所が議員定数配分規定の是正に積極的に介入して行つたのである。
[560] この昭和51年判決は彼の国における司法介入の過程と比べれば、いわばこのBaker判決に位置づけられるものであつて、わが最高裁判所は司法による選挙改革の門口に立つたと云うことができよう。
[561] 今日、この大法廷判決にもかかわらず、国会による議員配分定数配分規定の是正ははかられず放置されたままになつていることは前述のとおりである。本判決以後昭和55年12月現在まで、更に配分規定不均衡の是正をはかるための違憲判決が下級審でも出されていることは公知の事実である。ところで本件戸別訪問を中心とする選挙運動規制についてもまさに同様のことが云いうる。戸別訪問については、1979年2月9日、朝日新聞紙上における小泉純一郎氏の投稿に代表されるように現職の代議士や有職者から数多く規制解除、緩和の声が上つている。マスコミの論調も自由化調が支配的といつてよい。そしてその何れもが規制の非合理性と、規制によつて我国の選挙をより民主的に発展させて行く方向を阻害し、国民の自由かつ自主的な政治参加の機会を奪い、選挙自体を委縮させ、陰湿なものにしてしまつていることを指摘している。この批判的観点から我国における選挙運動に対する規制、なかんづく戸別訪問禁止規定について憲法法の国民主権の原理や表現の自由、政治活動の自由の保障に照し、明らかに、これに背反するとして、違憲論を展開する学説、判例も数多くうみ出されるに至つている。
[562] 国会はこのような世論学説の動向を一切無視して、選挙運動に対する規制を解除するどころか、かえつて強化しようとしている。
[563] そこには公職選挙法が立法目的としている「選挙が選挙人の自由に表明せる意思によつて公明且つ適正に行われることを確保」することは事実としては全く見られないのである。そこに見られるのは党利、党略に基く打算の産物としか云いようのないものである。本章冒頭に述べた裁判所が現在直面している公選法上の様々な問題の大半は公選法をめぐるこの国会の状況の反映に他ならない。
[564] 日本国憲法公布後30有余年経過した現在、憲法上の選挙制度を中心とする民主主義政治原則、基本的人権の保障の体系は国民の規範意識に支えられ定着してきている。最高裁判所は昭和51年大法廷判決をさらに発展させ、選挙運動規制に対しても、その是正をはかるべく、その一歩をふみ出すべきである。

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