議員定数不均衡訴訟 衆議院中選挙区違憲判決(昭和51年)
上告審判決

選挙無効請求事件
最高裁判所 昭和49年(行ツ)第75号
昭和51年4月14日 大法廷 判決

上告人 (原告(選定当事者)) 黒川厚雄
     代理人 越山康 外2名

被上告人(被告) 千葉県選挙管理委員会
     代理人 鎌田久仁夫 外7名

■ 主 文
■ 理 由

■ 裁判官岡原昌男、同下田武三、同江里口清雄、同大塚喜一郎、同吉田豊の反対意見
■ 裁判官岸盛一の反対意見
■ 裁判官天野武一の反対意見

■ 上告人及び上告代理人越山康、同山口邦明の上告理由


 原判決を次のとおり変更する。
 上告人の請求を棄却する。ただし、昭和47年12月10日に行われた衆議院議員選挙の千葉県第1区における選挙は、違法である。
 訴訟費用は、原審及び当審を通じ、すべて被上告人の負担とする。

[1] 上告理由の要旨は、
(一) 国会議員の選挙においては、どの選挙人の1票も他のそれと均等な価値を与えられることが憲法14条1項の要求するところであり、居住場所を異にすることによつて投票の価値に差別を設けることは、同項に違反すると解すべきである、
(二) 昭和47年12月10日に行われた衆議院議員選挙は、公職選挙法(以下「公選法」という。)13条、別表第1及び同法附則7項ないし9項(昭和50年法律第63号による改正前のもの)による選挙区及び議員定数の定め(以下「本件議員定数配分規定」という。)に従つて実施されたものであるが、右規定による各選挙区間の議員1人あたりの有権者分布差比率は最大4.99対1に及んでおり、これは、明らかに、なんらの合理的根拠に基づかないで、住所(選挙区)のいかんにより一部の国民を不平等に取り扱つたものであるから、憲法14条1項に違反する、
(三) それ故、本件選挙(主文第2項に掲げる選挙をいう。以下同じ。)は無効とされるべきであり、これと異なる見解に立つ原判決は、憲法の右規定の解釈適用を誤つたものである、
というにある。
[2](一) わが憲法上、国政は、国民の厳粛な信託に基づき、国民の代表者が行うものであり(前文1項)、国権の最高機関である国会は、全国民を代表する選挙された議員で組織する衆議院及び参議院で構成するものとされ(41条、42条、43条1項)、国会の両議院の議員を選挙する権利は、国民固有の権利として成年である国民のすべてに保障され(15条1項、3項)、選挙人資格については、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならないとされている(44条但し書)。
[3] 元来、選挙権は、国民の国政への参加の機会を保障する基本的権利として、議会制民主主義の根幹をなすものであり、現代民主国家においては、一定の年齢に達した国民のすべてに平等に与えられるべきものとされているのが一般であるが、このような選挙権の平等化が実現されたのは、必ずしも古いことではない。平等は、自由と並んで、近代国家における基本的かつ窮極的な価値であり理念であつて、特に政治の分野において強く追求されてきたのであるが、それにもかかわらず、当初においては、国民が政治的価値において平等視されることがなく、基本的な政治的権利というべき選挙権についても、種々の制限や差別が存しており、それが多年にわたる民主政治の発展の過程において次第に撤廃され、今日における平等化の実現をみるに至つたのである。国民の選挙権に関するわが憲法の規定もまた、このような歴史的発展の成果のあらわれにほかならない。
[4] ところで、右の歴史的発展を通じて一貫して追求されてきたものは、右に述べたように、およそ選挙における投票という国民の国政参加の最も基本的な場面においては、国民は原則として完全に同等視されるべく、各自の身体的、精神的又は社会的条件に基づく属性の相違はすべて捨象されるべきであるとする理念であるが、このような平等原理の徹底した適用としての選挙権の平等は、単に選挙人資格に対する制限の撤廃による選挙権の拡大を要求するにとどまらず、更に進んで、選挙権の内容の平等、換言すれば、各選挙人の投票の価値、すなわち各投票が選挙の結果に及ぼす影響力においても平等であることを要求せざるをえないものである。そして、このような選挙権の平等の性質からすれば、例えば、特定の範ちゆうの選挙人に複数の投票権を与えたり、選挙人の間に納税額等による種別を設けその種別ごとに選挙人数と不均衡な割合の数の議員を選出させたりするような、殊更に投票の実質的価値を不平等にする選挙制度がこれに違反することは明らかであるが、そのような顕著な場合ばかりでなく、具体的な選挙制度において各選挙人の投票価値に実質的な差異が生ずる場合には、常に右の選挙権の平等の原則との関係で問題を生ずるのである。本件で問題とされているような、各選挙区における選挙人の数と選挙される議員の数との比率上、各選挙人が自己の選ぶ候補者に投じた1票がその者を議員として当選させるために寄与する効果に大小が生ずる場合もまた、その一場合にほかならない。
[5] 憲法は、14条1項において、すべて国民は法の下に平等であると定め、一般的に平等の原理を宣明するとともに、政治の領域におけるその適用として、前記のように、選挙権について15条1項、3項、44条但し書の規定を設けている。これらの規定を通覧し、かつ、右15条1項等の規定が前述のような選挙権の平等の原則の歴史的発展の成果の反映であることを考慮するときは、憲法14条1項に定める法の下の平等は、選挙権に関しては、国民はすべて政治的価値において平等であるべきであるとする徹底した平等化を志向するものであり、右15条1項等の各規定の文言上は単に選挙人資格における差別の禁止が定められているにすぎないけれども、単にそれだけにとどまらず、選挙権の内容、すなわち各選挙人の投票の価値の平等もまた、憲法の要求するところであると解するのが、相当である。

[6](二) しかしながら、右の投票価値の平等は、各投票が選挙の結果に及ぼす影響力が数字的に完全に同一であることまでも要求するものと考えることはできない。けだし、投票価値は、選挙制度の仕組みと密接に関連し、その仕組みのいかんにより、結果的に右のような投票の影響力に何程かの差異を生ずることがあるのを免れないからである。
[7] 代表民主制の下における選挙制度は、選挙された代表者を通じて、国民の利害や意見が公正かつ効果的に国政の運営に反映されることを目標とし、他方、政治における安定の要請をも考慮しながら、それぞれの国において、その国の事情に即して具体的に決定されるべきものであり、そこに論理的に要請される一定不変の形態が存在するわけのものではない。わが憲法もまた、右の理由から、国会両議院の議員の選挙については、議員の定数、選挙区、投票の方法その他選挙に関する事項は法律で定めるべきものとし(43条2項、47条)、両議院の議員の各選挙制度の仕組みの具体的決定を原則として国会の裁量にゆだねているのである。それ故、憲法は、前記投票価値の平等についても、これをそれらの選挙制度の決定について国会が考慮すべき唯一絶対の基準としているわけではなく、国会は、衆議院及び参議院それぞれについて他にしんしやくすることのできる事項をも考慮して、公正かつ効果的な代表という目標を実現するために適切な選挙制度を具体的に決定することができるのであり、投票価値の平等は、さきに例示した選挙制度のように明らかにこれに反するもの、その他憲法上正当な理由となりえないことが明らかな人種、信条、性別等による差別を除いては、原則として、国会が正当に考慮することのできる他の政策的目的ないしは理由との関連において調和的に実現されるべきものと解されなければならない。
[8] もつとも、このことは、平等選挙権の一要素としての投票価値の平等が、単に国会の裁量権の行使の際における考慮事項の一つであるにとどまり、憲法上の要求としての意義と価値を有しないことを意味するものではない。投票価値の平等は、常にその絶対的な形における実現を必要とするものではないけれども、国会がその裁量によつて決定した具体的な選挙制度において現実に投票価値に不平等の結果が生じている場合には、それは、国会が正当に考慮することのできる重要な政策的目的ないしは理由に基づく結果として合理的に是認することができるものでなければならないと解されるのであり、その限りにおいて大きな意義と効果を有するのである。それ故、国会が衆議院及び参議院それぞれについて決定した具体的選挙制度は、それが憲法上の選挙権の平等の要求に反するものでないかどうかにつき、常に各別に右の観点からする吟味と検討を免れることができないというべきである。
[9](一) 本件は、衆議院議員の選挙に関するものであるところ、右選挙については、いわゆる中選挙区単記投票制が採用されている。これは、衆議院の有すべき性格にかんがみ、候補者と地域住民との密接性を考慮し、また、原則として選挙人の多数の意思の反映を確保しながら、少数者の意思を代表する議員の選出の可能性をも残そうとする趣旨に出たものと考えられるが、このような政策的考慮に立つ選挙制度の採用が憲法上国会の裁量権の範囲に属することは、異論のないところである。
[10] ところで、右のように、全国を幾つかの選挙区に分け、各選挙区に選挙されるべき議員数を配分し、単記投票をもつて選挙を行わせる場合においては、各選挙区の選挙人数と議員定数との比率が必ずしも正確に一致せず、その間に多かれ少なかれ幾らかの差異を生ずるのが、通常である。それ故、このような差異が、特に問題とするに足りない程度にとどまる場合は格別、右の程度を超えて看過することのできない程度に達した場合には、選挙人の居住場所のいかんによつてその選挙権の投票価値に不当な差別を設けるものではないかという憲法上の疑問が生ずることとならざるをえず、本件も、その一場合である。
[11] 思うに、衆議院議員の選挙について、右のように全国を多数の選挙区に分け、各選挙区に議員定数を配分して選挙を行わせる制度をとる場合において、具体的に、どのように選挙区を区分し、そのそれぞれに幾人の議員を配分するかを決定するについては、各選挙区の選挙人数又は人口数(厳密には選挙人数を基準とすべきものと考えられるけれども、選挙人数と人口数とはおおむね比例するとみてよいから、人口数を基準とすることも許されるというべきである。それ故、以下においては、専ら人口数を基準として論ずることとする。)と配分議員定数との比率の平等が最も重要かつ基本的な基準とされるべきことは当然であるとしても、それ以外にも、実際上考慮され、かつ、考慮されてしかるべき要素は、少なくない。殊に、都道府県は、それが従来わが国の政治及び行政の実際において果たしてきた役割や、国民生活及び国民感情の上におけるその比重にかんがみ、選挙区割の基礎をなすものとして無視することのできない要素であり、また、これらの都道府県を更に細分するにあたつては、従来の選挙の実績や、選挙区としてのまとまり具合、市町村その他の行政区画、面積の大小、人口密度、住民構成、交通事情、地理的状況等諸般の要素を考慮し、配分されるべき議員数との関連を勘案しつつ、具体的な決定がされるものと考えられるのである。更にまた、社会の急激な変化や、その一つのあらわれとしての人口の都市集中化の現象などが生じた場合、これをどのように評価し、前述した政治における安定の要請をも考慮しながら、これを選挙区割や議員定数配分にどのように反映させるかも、国会における高度に政策的な考慮要素の一つであることを失わない。
[12] このように、衆議院議員の選挙における選挙区割と議員定数の配分の決定には、極めて多種多様で、複雑微妙な政策的及び技術的考慮要素が含まれており、それらの諸要素のそれぞれをどの程度考慮し、これを具体的決定にどこまで反映させることができるかについては、もとより厳密に一定された客観的基準が存在するわけのものではないから、結局は、国会の具体的に決定したところがその裁量権の合理的な行使として是認されるかどうかによつて決するほかはなく、しかも事の性質上、その判断にあたつては特に慎重であることを要し、限られた資料に基づき、限られた観点からたやすくその決定の適否を判断すべきものでないことは、いうまでもない。しかしながら、このような見地に立つて考えても、具体的に決定された選挙区割と議員定数の配分の下における選挙人の投票価値の不平等が、国会において通常考慮しうる諸般の要素をしんしやくしてもなお、一般的に合理性を有するものとはとうてい考えられない程度に達しているときは、もはや国会の合理的裁量の限界を超えているものと推定されるべきものであり、このような不平等を正当化すべき特段の理由が示されない限り、憲法違反と判断するほかはないというべきである。

[13](二) 本件議員定数配分規定は、主として昭和39年法律第132号による公選法の一部改正にかかるもので、右改正は、従来の衆議院議員の選挙における選挙区の人口数と議員定数との間に一部著しい不均衡が生じていたのを是正するために、新たに議員総数をふやし、これを適宜配分して選挙区別議員1人あたりの人口数の開きをほぼ2倍以下にとどめることを目的としたものである。ところが、当事者間に争いのない事実によれば、昭和47年12月10日の本件衆議院議員選挙当時においては、各選挙区の議員1人あたりの選挙人数と全国平均のそれとの偏差は、下限において47.30パーセント、上限において162.87パーセントとなり、その開きは、約5対1の割合に達していた、というのである。このような事態を生じたのは、専ら前記改正後における人口の異動に基づくものと推定されるが、右の開きが示す選挙人の投票価値の不平等は、前述のような諸般の要素、特に右の急激な社会的変化に対応するについてのある程度の政策的裁量を考慮に入れてもなお、一般的に合理性を有するものとはとうてい考えられない程度に達しているばかりでなく、これを更に超えるに至つているものというほかはなく、これを正当化すべき特段の理由をどこにも見出すことができない以上、本件議員定数配分規定の下における各選挙区の議員定数と人口数との比率の偏差は、右選挙当時には、憲法の選挙権の平等の要求に反する程度になつていたものといわなければならない。
[14] しかしながら、右の理由から直ちに本件議員定数配分規定を憲法違反と断ずべきかどうかについては、更に考慮を必要とする。一般に、制定当時憲法に適合していた法律が、その後における事情の変化により、その合憲性の要件を欠くに至つたときは、原則として憲法違反の瑕疵を帯びることになるというべきであるが、右の要件の欠如が漸次的な事情の変化によるものである場合には、いかなる時点において当該法律が憲法に違反するに至つたものと断ずべきかについて慎重な考慮が払われなければならない。本件の場合についていえば、前記のような人口の異動は不断に生じ、したがって選挙区における人口数と議員定数との比率も絶えず変動するのに対し、選挙区割と議員定数の配分を頻繁に変更することは、必ずしも実際的ではなく、また、相当でもないことを考えると、右事情によつて具体的な比率の偏差が選挙権の平等の要求に反する程度となつたとしても、これによつて直ちに当該議員定数配分規定を憲法違反とすべきものではなく、人口の変動の状態をも考慮して合理的期間内における是正が憲法上要求されていると考えられるのにそれが行われない場合に始めて憲法違反と断ぜられるべきものと解するのが、相当である。
[15] この見地に立つて本件議員定数配分規定をみると、同規定の下における人口数と議員定数との比率上の著しい不均衡は、前述のように人口の漸次的異動によつて生じたものであつて、本件選挙当時における前記のような著しい比率の偏差から推しても、そのかなり以前から選挙権の平等の要求に反すると推定される程度に達していたと認められることを考慮し、更に、公選法自身その別表第1の末尾において同表はその施行後5年ごとに直近に行われた国勢調査の結果によつて更正するのを例とする旨を規定しているにもかかわらず、昭和39年の改正後本件選挙の時まで8年余にわたつてこの点についての改正がなんら施されていないことをしんしやくするときは、前記規定は、憲法の要求するところに合致しない状態になつていたにもかかわらず、憲法上要求される合理的期間内における是正がされなかつたものと認めざるをえない。それ故、本件議員定数配分規定は、本件選挙当時、憲法の選挙権の平等の要求に違反し、違憲と断ぜられるべきものであつたというべきである。そして、選挙区割及び議員定数の配分は、議員総数と関連させながら、前述のような複雑、微妙な考慮の下で決定されるのであつて、一旦このようにして決定されたものは、一定の議員総数の各選挙区への配分として、相互に有機的に関連し、一の部分における変動は他の部分にも波動的に影響を及ぼすべき性質を有するものと認められ、その意味において不可分の一体をなすと考えられるから、右配分規定は、単に憲法に違反する不平等を招来している部分のみでなく、全体として違憲の瑕疵を帯びるものと解すべきである。
[16] 右のように、本件議員定数配分規定は、本件選挙当時においては全体として違憲とされるべきものであつたが、しかし、これによつて本件選挙の効力がいかなる影響を受けるかについては、更に別途の考察が必要である。
[17] 憲法98条1項は、「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」と規定している。この規定は、憲法の最高法規としての性格を明らかにし、これに反する国権行為はすべてその効力を否定されるべきことを宣言しているのであるが、しかし、この法規の文言によつて直ちに、法律その他の国権行為が憲法に違反する場合に生ずべき効力上の諸問題に一義的解決が与えられているものとすることはできない。憲法に違反する法律は、原則としては当初から無効であり、また、これに基づいてされた行為の効力も否定されるべきものであるが、しかし、これは、このように解することが、通常は憲法に違反する結果を防止し、又はこれを是正するために最も適切であることによるのであつて、右のような解釈によることが、必ずしも憲法違反の結果の防止又は是正に特に資するところがなく、かえつて憲法上その他の関係において極めて不当な結果を生ずる場合には、むしろ右の解釈を貫くことがかえつて憲法の所期するところに反することとなるのであり、このような場合には、おのずから別個の、総合的な視野に立つ合理的な解釈を施さざるをえないのである。
[18] そこで、本件議員定数配分規定についてみると、右規定が憲法に違反し、したがつてこれに基づいて行われた選挙が憲法の要求に沿わないものであることは前述のとおりであるが、そうであるからといつて、右規定及びこれに基づく選挙を当然に無効であると解した場合、これによつて憲法に適合する状態が直ちにもたらされるわけではなく、かえつて、右選挙により選出された議員がすべて当初から議員としての資格を有しなかつたこととなる結果、すでに右議員によつて組織された衆議院の議決を経たうえで成立した法律等の効力にも問題が生じ、また、今後における衆議院の活動が不可能となり、前記規定を憲法に適合するように改正することさえもできなくなるという明らかに憲法の所期しない結果を生ずるのである。それ故、右のような解釈をとるべきでないことは、極めて明らかである。
[19] 次に問題となるのは、現行法上選挙を将来に向かつて形成的に無効とする訴訟として認められている公選法204条の選挙の効力に関する訴訟において、判決によつて当該選挙を無効とする(同法205条1項)ことの可否である。この訴訟による場合には、選挙無効の判決があつても、これによつては当該特定の選挙が将来に向かつて失効するだけで、他の選挙の効力には影響がないから、前記のように選挙を当然に無効とする場合のような不都合な結果は、必ずしも生じない。(元来、右訴訟は、公選法の規定に違反して執行された選挙の効果を失わせ、改めて同法に基づく適法な再選挙を行わせること(同法109条4号)を目的とし、同法の下における適法な選挙の再実施の可能性を予定するものであるから、同法自体を改正しなければ適法に選挙を行うことができないような場合を予期するものではなく、したがつて、右訴訟において議員定数配分規定そのものの違憲を理由として選挙の効力を争うことはできないのではないか、との疑いがないではない。しかし、右の訴訟は、現行法上選挙人が選挙の適否を争うことのできる唯一の訴訟であり、これを措いては他に訴訟上公選法の違憲を主張してその是正を求める機会はないのである。およそ国民の基本的権利を侵害する国権行為に対しては、できるだけその是正、救済の途が開かれるべきであるという憲法上の要請に照らして考えるときは、前記公選法の規定が、その定める訴訟において、同法の議員定数配分規定が選挙権の平等に違反することを選挙無効の原因として主張することを殊更に排除する趣旨であるとすることは、決して当を得た解釈ということはできない。)
[20] しかしながら、他面、右の場合においても、選挙無効の判決によつて得られる結果は、当該選挙区の選出議員がいなくなるというだけであつて、真に憲法に適合する選挙が実現するためには、公選法自体の改正にまたなければならないことに変わりはなく、更に、全国の選挙について同様の訴訟が提起され選挙無効の判決によつてさきに指摘したのとほぼ同様の不当な結果を生ずることもありうるのである。また、仮に一部の選挙区の選挙のみが無効とされるにとどまつた場合でも、もともと同じ憲法違反の瑕疵を有する選挙について、そのあるものは無効とされ、他のものはそのまま有効として残り、しかも、右公選法の改正を含むその後の衆議院の活動が選挙を無効とされた選挙区からの選出議員を得ることができないままの異常な状態の下で行われざるをえないこととなるのであつて、このような結果は、憲法上決して望ましい姿ではなく、また、その所期するところでもないというべきである。それ故、公選法の定める選挙無効の訴訟において同法の議員定数配分規定の違憲を主張して選挙の効力を争うことを許した場合においても、右の違憲の主張が肯認されるときは常に当該選挙を無効とすべきものかどうかについては、更に検討を加える必要があるのである。
[21] そこで考えるのに、行政処分の適否を争う訴訟についての一般法である行政事件訴訟法は、31条1項前段において、当該処分が違法であつても、これを取り消すことにより公の利益に著しい障害を生ずる場合においては、諸般の事情に照らして右処分を取り消すことが公共の福祉に適合しないと認められる限り、裁判所においてこれを取り消さないことができることを定めている。この規定は法政策的考慮に基づいて定められたものではあるが、しかしそこには、行政処分の取消の場合に限られない一般的な法の基本原則に基づくものとして理解すべき要素も含まれていると考えられるのである。もつとも、行政事件訴訟法の右規定は、公選法の選挙の効力に関する訴訟についてはその準用を排除されているが(公選法219条)、これは、同法の規定に違反する選挙はこれを無効とすることが常に公共の利益に適合するとの立法府の判断に基づくものであるから、選挙が同法の規定に違反する場合に関する限りは、右の立法府の判断が拘束力を有し、選挙無効の原因が存在するにもかかわらず諸般の事情を考慮して選挙を無効としない旨の判決をする余地はない。しかしながら、本件のように、選挙が憲法に違反する公選法に基づいて行われたという一般性をもつ瑕疵を帯び、その是正が法律の改正なくしては不可能である場合については、単なる公選法違反の個別的瑕疵を帯びるにすぎず、かつ、直ちに再選挙を行うことが可能な場合についてされた前記の立法府の判断は、必ずしも拘束力を有するものとすべきではなく、前記行政事件訴訟法の規定に含まれる法の基本原則の適用により、選挙を無効とすることによる不当な結果を回避する裁判をする余地もありうるものと解するのが、相当である。もとより、明文の規定がないのに安易にこのような法理を適用することは許されず、殊に憲法違反という重大な瑕疵を有する行為については、憲法98条1項の法意に照らしても、一般にその効力を維持すべきものではないが、しかし、このような行為についても、高次の法的見地から、右の法理を適用すべき場合がないとはいいきれないのである。
[22] そこで本件について考えてみるのに、本件選挙が憲法に違反する議員定数配分規定に基づいて行われたものであることは上記のとおりであるが、そのことを理由としてこれを無効とする判決をしても、これによつて直ちに違憲状態が是正されるわけではなく、かえつて憲法の所期するところに必ずしも適合しない結果を生ずることは、さきに述べたとおりである。これらの事情等を考慮するときは、本件においては、前記の法理にしたがい、本件選挙は憲法に違反する議員定数配分規定に基づいて行われた点において違法である旨を判示するにとどめ、選挙自体はこれを無効としないこととするのが、相当であり、そしてまた、このような場合においては、選挙を無効とする旨の判決を求める請求を棄却するとともに、当該選挙が違法である旨を主文で宣言するのが、相当である。
[23] 以上の次第であるから、上記判示と異なる見解の下に右選挙を適法とし、上告人の請求を棄却した原判決には、憲法の解釈、適用を誤つた違法があり、本件上告は、その限りにおいて理由があるから、原判決を変更して、上告人の請求を棄却するとともに、主文において本件選挙が違法である旨の宣言をすべきである。
[24] よつて、行政事件訴訟法7条、民訴法408条に従い、なお、訴訟費用につき、同法96条前段、92条但し書を適用して、原審及び当審の訴訟費用をすべて被上告人に負担させることとし、裁判官岡原昌男、同下田武三、同岸盛一、同天野武一、同江里口清雄、同大塚喜一郎、同吉田豊の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。


 裁判官岡原昌男、同下田武三、同江里口清雄、同大塚喜一郎、同吉田豊の反対意見は次のとおりである。

[1] われわれは、本件選挙当時の議員定数配分規定は、千葉県第1区に関する限り違憲無効であり、これに基づく選挙もまた無効なものとして、上告人の請求を認容すべきものと考える。

[2] 選挙制度のあり方、殊に選挙区割、議員総定数及びその配分などの決定は、多分に政治性を伴う立法政策の分野に属し、原則として国会の自由裁量に委ねられるべきものであることに異論がないが、その裁量権の行使が著しく合理性を欠き、憲法の要請に反するような事態に立ち至つた場合は、司法による判断を免れないとすることが、三権分立の基本構想に沿うものであると考える。裁判所がこの種の問題について、高度に政治性のある国家行為であるからとか、立法府の自由裁量に属する事項であるからとかの理由により、たやすく司法判断適合性を欠くものとすることは、国民の信頼にこたえる所以ではないと思う。
[3] ところで、本件の如き議員定数配分規定の違憲無効を理由として選挙の効力を争う訴訟の形態については、実定法上明文の規定はない。しかし、かつて憲法37条1項に基づく迅速裁判の要請に反する刑事被告事件について、下級審が、憲法に保障する迅速な裁判をうける権利は侵害されているが、刑訴法にその救済規定がないから如何ともし難いと結論したのに対し、当裁判所は、憲法の要請にこたえるためには、刑訴法上これに対処すべき具体的な規定がなくても、免訴という審理打ち切りの非常救済手段をとるべきであるとした(最高裁判所昭和45年(あ)第1700号、同47年12月20日大法廷判決、刑集26巻10号631頁参照)。これは、その事態が免訴の場合におけると同様実体的公訴権が消滅したとみるべき点において類似しているという理由で、免訴の手段をとつたものと考えるべきものである。本件の場合においても、また、憲法上国民の重要な基本的権利である選挙権の平等を争うについては何等かの途をひらくのが妥当であり、それには現行法上選挙の無効を争う点で類似している公選法204条の訴訟の形態を用いることができるとした多数意見は、そのまま同調しうるものと考える。

[4] 投票価値の平等は、憲法14条1項、15条1項、3項、44条但し書に根拠をおく憲法上重要な要求であつて、これを尊重すべきことについては、すべて多数意見の説くとおりである。そして、全国の選挙人数を議員総定数で除した議員1人当たりの平均選挙人数と議員定数配分規定による各選挙区の議員1人当たりの選挙人数とが、接近していればいるほど投票価値平等の要求に合致するわけであるが、数字的に完全には同一となりえず、したがつて、憲法も合理性の認められる程度の投票価値の偏差はこれを当然許容しているものと解すべきである。問題は、その偏差がどの程度になつた場合に、他の考慮要素をしんしやくしてもなお合理性があるとはいえないものと判断されるか、そして議員定数配分規定が投票価値不平等の理由で違憲とされた場合に、それに基づいて行われた選挙の効力をいかにみるべきか、ということである。
[5] 多数意見は、本件選挙当時の議員定数配分規定について、その各選挙区の議員1人当たりの選挙人数を比較し、その最大のものと最小のものとの比率が約5対1の割合に達し、投票価値が甚だしく不平等になつているのは、著しく合理性を欠き、選挙権の平等に関する憲法の要求に反する瑕疵があり、しかも、その違憲の瑕疵が合理的期間内に是正されなかつたものと認めた上で、右配分規定は、本件選挙当時は憲法違反であつたものと断定しているのである。そして、選挙区割及び議員定数の配分は、議員総定数と密接不可分の関連があるから、右配分規定の一部の違憲の瑕疵はその規定全体の違憲を来すものであると論じ、本件で問題とされた千葉県第1区について選挙人の投票価値の偏差の如何を問うことなく、右配分規定は全選挙区を通じ一括して違憲であるとするのである。更に、右のように議員定数配分規定が全体として違憲とされる結果、全国の選挙について選挙無効の訴訟が提起されることがありうることを危惧し、また、仮に一部の選挙区の選挙が無効とされるにとどまつた場合でも、衆議院は、選挙を無効とされた選挙区からの選出議員を得ることができないまま、しかも違憲の瑕疵ある選挙によつて選出された議員のみで構成されるという異常な状態で活動せざるをえないこととなるとし、それは憲法上望ましい姿でもなく、またその所期するところでもないとの理由で、行訴法31条に含まれる事情判決の法理に則りつつ、更に同条の適用を排除する公選法219条の適用を回避して、右配分規定、したがつてそれに基づく本件選挙は違憲違法ではあるが、選挙は無効としないという一種の事情判決を言い渡すこととしたのである。

[6] これに対し、われわれは、全選挙人が投票価値において平均的な、中庸を得た選挙権を享受することをもつて憲法の理想とし、各選挙区について、その投票価値がその理想からどれほど遠ざかつているかを検討し、その偏りが甚だしい場合に投票価値平等の要求に反し違憲の瑕疵を帯びるものと考えるのである。そして、どの程度の偏差を示すに至つたときに違憲とすべきかについては、選挙制度及びこれに対する司法判断のあり方の点ではわが国のそれと差異があるが、ドイツ連邦共和国選挙法のように、その偏差がその平均値人口数から上下各33と3分の1パーセントを超えないものとし、あるいはアメリカ連邦最高裁判所が、各州の連邦下院議員の各選挙区における投票価値の偏差が平均値から上下それぞれ僅か数パーセントとなつている選挙区割に関する州法律を、何れも正確な数的平等達成への真摯な努力を欠くものとして違憲とする判決をしたのに対し、これを厳格に失すると批判する右判決中の少数意見が、偏差は上下それぞれ10ないし15パーセントを超えない限り原則として合憲とすべきであるとするなど、偏差の許容限度を数字をもつて明らかにする考え方がある。しかし、われわれは、多数意見が説くと同じように、わが国における諸般の情況にかんがみ、選挙人の投票価値の不平等が国会において通常考慮しうる諸般の要素をしんしやくしてもなお、一般的に合理性を有するものとはとうてい考えられない程度に達しているかどうか、それが合理的期間内に是正されなかつたと認められるかどうかによつて、具体的事案に即して決するのが妥当であると考えるのである。そして、本件においては、原審の確定した事実によれば、議員1人当たりの選挙人数は、千葉県第1区では381,217.25人であつて、その全国平均150,243.66人に対し253.73パーセントにあたり、すなわち、投票価値の点からみると、千葉県第1区においては、2人半の選挙人によつてようやく、全国の選挙人の平均1人分の選挙権を行使しうるにすぎないのであるから、このような投票価値の偏差は、いかに他の考慮要素をしんしやくしても、とうてい合理性があるものとは認められない。しかも、その原因たる人口の過密化は絶えず進行し、本件選挙の相当以前から投票価値不平等の違憲の瑕疵を帯びるに至つていたものと推認できるのであるから、それが合理的期間内に是正されなかつたものと認めるほかなく、したがつて、本件選挙当時の議員定数配分規定中千葉県第1区に関する部分は違憲の瑕疵があつたものといわざるをえない。しかし、われわれは、一部選挙区について投票価値不平等の違憲の瑕疵があるとしても、その瑕疵が、多数意見の説くように、必然的に他の選挙区全部について違憲の瑕疵を来すものとは考えないのである。
[7] 一般に、ある法規の一部に違憲の瑕疵がある場合に、右部分と関連がある限り法規全体が違憲となることはもとよりありうることではあるが、その瑕疵と法規全体との関連度の大小を考察することによつて合理的に解決がつくならば、その法規についてなるべく憲法違反の範囲を拡大しないように解することが違憲審査の基本的な態度であろうと思う。その意味においても、一部の選挙区において生じた投票価値の不平等が、平均的な、中庸を得ている他の多数の選挙区のすべてについて直ちに違憲を来すほどの密接不可分な関連性があるとすべきかどうかについては、慎重な検討を要するものと思われる。
[8] もとより、平等不平等という概念は、他と比較しての相対的のものであつて、観念的には議員総定数と選挙区割及び議員配分定数との間には相互に数字的になにがしかの関連があり、殊に、本件の場合のように、投票価値が過小となつた選挙区すなわち人口過密地区の発生は、一方において投票価値が過大となつた選挙区における人口過疎化現象と表裏をなすものであることは明らかであるが、たとえ投票価値の最小最大の比が甚だしい偏差を示したとしても、例えば、その両選挙区における投票価値の平均値からの偏差が上下ともほぼ同率で、その議員定数も同じであり、かつ、その他の選挙区の投票価値がほとんど平均値に近いような場合においては、右の両選挙区について是正措置を講じさえすれば不平等が直ちに解消することは、容易に理解しうることである。試みに、本件選挙当時の議員定数配分規定の下において、当事者間に争いのない原判決添付の議員定数、選挙人数及び議員1人当たりの選挙人数の平均値からの偏差率の対照表の数字に基づいて計算してみると、投票価値の極端に減少した一部の選挙区について、例えば、計10名ないし20名の定員を増加したとしても、それが平均的投票価値をもつ選挙区に及ぼす偏差率の動きは、僅かに約2パーセントないし4パーセントであり、この数字は、各選挙区の議員1人当たりの選挙人数と全国平均のそれとの偏差率の上限、下限の162.87パーセント、47.30パーセントと対比すれば、問題とするに値いしないものといいうる程度の動きにすぎず、更に、例えば、投票価値の極度に増大した選挙区についても併せて是正措置を講ずるものとするならば、他の選挙区についてその偏差率の変化を最少限度に押えることも可能であるから、議員定数配分規定の一部是正は、平均的投票価値をもつ他の選挙区についてその平均性を失わせるほど有意的な影響を及ぼすものではないと結論することができるのである。
[9] この見地に立つて、わが国の衆議院議員の総定数に関する立法の経過をみると、現憲法下の衆議院議員の定数を定めるに当たつては、大正14年以来の議員総定数466人は、その間の人口(選挙人)数の増加にもかかわらず、これを動かさないものとし、各選挙区の人口を標準として行政区画その他の要素をもしんしやくし全選挙区に公平に議員定数を配分する建前をとつたものと認められ、当時としては、議員総定数と人口(選挙人)数、選挙区割及び議員配分定数との間には密接な関連性があつたのは事実であるが、その後、従来見られなかつた甚だしい人口の大都市周辺集中に伴いその関連の度合は漸次稀薄となり、また、これによる投票価値の偏差を是正するためにされた昭和39年法律132号及び昭和50年法律63号による再度の議員総定数及びその配分規定改正の際には、右の関連性に対する全国的配慮は見られず、人口の激減した選挙区にはなんら手を触れることなく、専ら人口の激増した選挙区のうちの一部についてのみ議員定数の増加及び選挙区の分立の措置を講じ、その増加した議員数を加えた数をもつて公選法4条の議員総定数としたものであつて、先ず議員総定数を確定してから、それを各選挙区に公平に配分し直したものではないものと認められる。このように、立法府もまた、右配分規定改正の際には、一部の選挙区だけを切り離して手直しをすることが可能であるとしたものと思われる。
[10] 以上のことは、とりもなおさず、一選挙区についての投票価値不平等の違憲は必ずしも他の選挙区についての違憲を来さないと考えることができることを意味するものであつて、平均的投票価値をもつ選挙区については、他の選挙区において投票価値の不平等が生じたこととは関係なく、依然として憲法の理念に合致しているものと認めることができるのであるから、これらすべての選挙区について一律に違憲であると断定する必要は全くないものと考えるのである。
[11] 以上の理由により、われわれは、本件選挙当時の議員定数配分規定は、千葉県第1区に関する限り、憲法14条1項、3項、15条1項、44条但し書に規定する選挙権平等の要求に反し違憲の瑕疵があるので、憲法98条によつて無効であり、したがつて、これに基づく本件選挙もまた無効とすべきものである、とするのである。

[12] 選挙無効の判決が確定すれば、当該選挙区については選出議員を欠くことになり、無効の議員定数配分規定に基づく再選挙は許されないのであるから、残余の議員で構成される衆議院において早急にその違憲の法律を憲法に適合するように改正するための審議をすれば足りるのである。そして、われわれの考えによれば、平均的投票価値をもつ選挙区は全国的に見れば圧倒的に多いのであるから、選挙無効の判決によつて衆議院が活動できなくなるほど多数の議員がその資格を失うことになるはずはないのである。もとより、選挙制度のあり方、殊に選挙区割、議員総定数及びその配分などの決定は、原則として立法府の合理的な自由裁量下にあることは冒頭に述べたとおりであるが、違憲とされた配分規定の改正に当たつては、右選挙無効判決の理由に示された趣旨に則り、その選挙を無効とされた当該選挙区のみならず、これと同様の違憲の瑕疵を帯びると推認される他の選挙区、更に、また、それらの選挙区の投票価値を平均値より不当に低からしめる原因をなした選挙区、すなわち、投票価値が一般的に合理性を有するものとはとうてい考えられない程度に増大した選挙区についても、できるだけこれを平均値に近づける努力を尽すべきことが憲法の要求するところに適合するものと考えられるのである。
[13] そして、衆議院が一部の選挙区選出の議員を欠きながら活動せざるをえない場合は、本件のように、議員定数配分規定に違憲無効の瑕疵があつて選挙が無効とされる場合のほか、例えば、多数の選挙区で違法な選挙が行なわれ、選挙無効の訴訟が提起され、相前後して無効判決が確定したが、再選挙をする時間的余裕がないままに緊急案件を審議せざるをえないような場合などにも当然予想されるやむをえない事態であつて、憲法上許容されないところとは認められない。およそ議員は、全国民を代表するものであつて(憲法43条1項参照)特定選挙区の住民の利益代表ではないのであるから、一部の選挙区選出の議員を欠いたとしても、全国民の代表である他の選挙区選出の議員によつて衆議院はさしたる支障なく活動できることになつているのであり、国会運営上特に困難な事態に陥るわけではないのである。
[14] なお、公選法204条による訴訟が提起され、選挙を無効とする判決があつた場合には、40日以内に再選挙を行わなければならないとされているが(公選法109条4号、34条参照)、本件のように、公選法の規定自体が違憲無効であるため選挙が無効となつた場合には、再選挙を行う期間を定める公選法34条は、その適用がないものと解するのが相当である。けだし、右の規定は、本来訓示規定であると解されるばかりでなく、公選法の規定が合憲有効で、これにより直ちに再選挙を行うことが可能なことを前提としているのであつて、公選法の規定自体に違憲無効のものがあり、有効な再選挙を行うためには、まず、その改正を必要とするような場合を考慮しているものでないことは明らかであり、そのような場合は、再選挙の期間につき、事の性質上別途に合理的な解釈を施すべきものと解されるからである。

[15] ところで、われわれは、多数意見について、前述したような意見の相違があるほか、次のような疑問をもつが故に、これに同調しえないのである。
[16](1) 先ず、多数意見は本件議員定数配分規定を違憲としながら、その規定自体の有効無効を確定しないで、右配分規定に基づく選挙の効力を検討している。しかしながら、上告人は、右配分規定の違憲無効を理由としてこれに基づく本件選挙を無効とすることを求めているのであつて、本件選挙が右配分規定に違反して行われた瑕疵のあることを理由としてその無効を求めているのではないから、順序として先ず右配分規定の効力の有無を判断すべきではなかつたかと思われる。
[17](2) 仮に、多数意見の説くように、本件議員定数配分規定を全体として違憲の瑕疵を帯びるものと解しても、本件選挙を無効とする判決は、千葉県第1区選出の議員の資格を将来に向つて失わせる効力をもつだけであつて、他の選挙区選出の議員の資格に影響を及ぼすものではない。もとより、千葉県第1区について憲法に適合する選挙が実現するためには、本件議員定数配分規定の改正にまたなければならないが、多数意見の憂えるように、全国における他の選挙区の選挙について選挙無効の訴訟が提起され、これを無効とする判決がされることがありうるとしても、それだけで直ちに、衆議院の活動が不可能になり、本件議員定数配分規定を憲法に適合するように改正することができなくなるわけのものではない。本件選挙を無効とする判決によつて千葉県第1区選出の議員がその資格を失うことになれば、残りの議員だけでは衆議院の定足数を欠く可能性があるという具体的事情が本件訴訟において明らかにされない以上、衆議院の活動が法律上不可能になる虞れがあるとはいえない。また、衆議院の活動が選挙を無効とされた千葉県第1区からの選出議員を得ることができないままの状態で行われざるをえないことは、憲法上望ましい姿ではないが、これを異常な事態として、そのためにも本件選挙を無効とすべきでないとする多数意見が当をえないことは、既に述べたところによつて明らかである。要するに、本件議員定数配分規定を全体として違憲であると解するとしても、本件選挙を無効とする判決によつては、直ちに憲法の所期しない結果を生ずることにはならず、したがつて、本件選挙の効力について事情判決の法理を適用する必要はないのであるから、本件選挙は違法であるがこれを無効とすべきではないとする多数意見の結論には同調することができない。多数意見が本件選挙を無効とする判決によつて憲法の所期しない結果を生ずることを危惧せざるをえないとするのは、ひつきよう、本件議員定数配分規定全体を違憲と考えることに由来するものと思われるのである。
[18](3) 多数意見は、その説くような事情のために、投票価値の最大最小の偏差が約5対1に達するような違憲の議員定数配分規定に基づく選挙であつても、事情判決の法理によつて選挙を無効とすることはできないとするのであるから、多数意見によれば、今後投票価値に右の程度の偏差を生じても、選挙を無効とすることにはならないであろうし、また、その偏差が右の程度を超えたとしても事情判決をすべき事情は依然として解消しないのである。多数意見は選挙無効の判決をなしうる理論上の余地を残しているが、果して如何なる場合を予想するのであろうか。これらの不合理は、すべて議員定数配分規定を一体不可分と解したために生じたものとしか考えられない。
[19] 以上は多数意見に対する疑問であるが、われわれの考え方からすれば、憲法98条はその文言のとおりに適用すべきこととなるので、これについて多数意見のような複雑な理論を展開する必要もなく、また、行訴法31条及び同条と公選法219条との関係の問題も生じないので、これらについて難解な説示をしないでも済むのである。そして選挙無効の判決をしても、それは性質上いわゆる当然無効として過去にその効力が遡ると解すべきものではなく、将来に向つて形成的な効力をもつに過ぎないのであるから、法律的にもさほど困難な問題を生ずることはなく、また、社会的、政治的にも著しい混乱を来すこととはならないのである。

[20] 以上のような次第で、本件議員定数配分規定は、千葉県第1区に関する限り違憲無効であつて、これに基づく同選挙区の本件選挙もまた、無効とすべきものである。したがつて、本件上告は理由があり、これと見解を異にする原判決を破棄し、本件選挙の無効を求める上告人の本訴請求を認容すべきものと考える。


 裁判官岸盛一の反対意見は次のとおりである。

[1] 私は、以下述べる理由によつて、本件千葉県第1区の選挙は無効であるが、当選人4名は当選を失わないと考えるものであり、多数意見には賛成しかねるので、少しく私の意見を述べておきたい。

[2] 第一は、多数意見が、本件選挙無効訴訟を公選法204条の選挙の効力に関する訴訟の手続に準拠せしめている点である。
[3] 本件のような議員定数配分の不平等を理由として選挙の効力を争う訴訟に右の204条の民衆訴訟の手続を踏ませることは、当裁判所の従来からの一貫した判例であるが、本判決は、これまでの判例ではさほど強調されなかつた国民の選挙権の平等の保障について、それが憲法14条の要求に基づくものであることを強く指摘した。そのことは、議会制民主政治においては、各選挙人の投票の価値が平等であることによつて、真の民意が国会の議決に反映されるものであることを思えば、至極当然であるが、同時に、本件のような訴訟を公選法の選挙規定の適用の誤りを理由として選挙の効力を争う同法204条によつて処理することの難点を浮き彫りにしたことにもなつたと考える。すなわち、公選法204条は、選挙法規の根幹的な手続規定が合憲であることを前提とし、その違反があることを理由として、選挙人らにその権利侵害の有無を問うことなく、選挙法規に従つた適正な運用を求めて選挙の効力を争うことを認める民衆訴訟の手続であるところ、本件のような訴訟は、選挙人らが、選挙権の不平等を理由に選挙無効を訴求するもの、すなわち、選挙法規の基礎をなす議員定数配分規定(以下、配分規定という。)が各選挙区間に不平等であつて憲法の要求に反するものであることを前提とするものなのである。そして、この種訴訟の原告は、選挙人として当該選挙区に属する有権者全体のための救済を求めると同時に、原告自身が選挙人として受けた権利侵害の救済を求めるものと解されるのであつて、民衆訴訟的な面のほかに抗告訴訟的な面をも併せもつ特殊な訴訟形態であると考えられるのである。したがつて、この種訴訟に公選法204条の規定をそのままあてはめることにはもともと無理があり、本来その特質に適合した特別の立法措置が必要とされるのであるが、現行法上そのような措置はとられていない。さればといつて、国民の憲法上の基本的権利の侵害に対する救済を拒否することは許されず、裁判所は、現行の実定法を手がかりとして、その救済を実効あらしめるための手続を考案しなければならない。
[4] 多数意見は、従来の当裁判所の判例を踏襲して、公選法204条が選挙の効力を争うことのできる現行法上唯一の手続であるとの理由から、同条の規定によりつつこの種訴訟の特殊性を考慮にいれ、これに若干の修正をほどこすことによつて右の目的を達しようとするのであるが、私は、この種訴訟の民衆訴訟的な性質を考慮しながらも、その抗告訴訟的性質を重視し、権利救済についての一般的な手続法である行訴法を手がかりとして、この種訴訟の性格にふさわしい手続を案出するのが適当ではないかと考える。ただ、このように考えるとしても、もともと、公選法も行政訴訟もこの種訴訟を予想していないのであるから、行政訴訟上の既成の法概念をもつてしては律しきれないものがあり、法体系の理論的整合の点で多少の無理をおかすことは免れない。しかしながら、平等な選挙権という議会制民主政治に不可欠な国民の基本権が憲法に直結するものであることにかんがみるならば、在来の理論的障壁を乗り超えて、ある程度の自由な法創造的思考の加わることは当然なことと考える。
[5] そこで、まず、この種訴訟を抗告訴訟として構成することができないかどうかが問われなければならない。選挙を、選挙の告示にはじまり当選人の決定にいたる一連の手続を全体として一個の行政処分としてとらえるか、あるいは、右の一連の行為の最終段階として選挙会が決定し選挙管理委員会が告示する当選決定を行政処分としてとらえ、これに対する抗告訴訟というものを構想することができないであろうか。更にまた、次のようにも考える余地がないであろうか。そもそも、法令が一般に抗告訴訟の対象とならないことはいうまでもないが、配分規定は、いわゆる一般処分に近似した性格、機能をもつものとみられないこともないので、配分規定そのものを抗告訴訟の対象としてとらえることもあながち不当とはいえず、この場合右配分規定による具体的な選挙の施行によつて平等選挙権の侵害が現実化したものとして抗告訴訟の原告適格を肯定することもできるのではなかろうか。
[6] 以上のような抗告訴訟が認められるとすれば、本件配分規定を違憲としながら、それにのつとつて行われた選挙は無効としない結論を導くために、多数意見が説くような、公選法がその規定する選挙の効力に関する訴訟の本質に照らして行訴法31条の準用を排除している(公選法219条)公選法204条の手続によらしめておきながら、一転して右31条の法理をかりるという論理を用いなくてもすむのである。なお、行訴法によれば、第一審の管轄裁判所は地方裁判所であるから、訴訟は控訴審を経由して上告審に係属することとなるため、訴訟の迅速処理の点で問題ではあるが、この種訴訟の当事者としても早期解決を望むことは必定と思われるので、当事者の合意による飛躍上告の制度(行訴法7条、民訴法360条1項、393条2項)を活用すればよいのではないかと考える。
[7] しかしながら、従来の当裁判所の判例が十余年もの長きにわたり、この種訴訟を公選法204条の手続によることを是認してきたことを思えば、本件の処理にあたつて、今更、本案前の問題で上告人の訴を却下することは、従来の判例に対する国民の信頼にそむくことになるし、この種訴訟の抗告訴訟的性質を重視するとしても、なお、更に検討を要する点もあるので、疑問をとどめつつ、さしあたりは多数意見のように、訴訟の形式としては公選法204条により争う途を閉ざさず、その手続によらしめることに賛同しておきたいと考える。

[8] 第二は、多数意見が、配分規定を不可分一体のものとして、選挙区における投票価値の偏差を最上限と最下限とを比較するだけで、本件配分規定である公選法別表第1を全部違憲とする点である。私は、以下述べるように、配分規定を可分のものと考えるが、そのことは、前述のこの種訴訟の抗告訴訟的性質を重視する立場とは必ずしもかかわりのないことである。ただ、私も、仮に右別表第1が全部違憲とされひいては選挙の効力が問題とされる場合があるとすれば、多数意見が詳論するように、行訴法31条の法理によつて選挙を無効とすべきではないと考える。
[9](一) 配分規定に各選挙区間の投票価値の偏差が認められる場合に、その最上限と最下限とを比較するだけで配分規定の全部を違憲とする手法は、アメリカの裁判例でも用いられているが、私は、それをわが国で用いることには、次の理由から疑問を抱くものである。すなわち、選挙権の平等の侵害を理由とする訴えは、アメリカでは、当該配分法によつて行われた選挙の効力を争うものではなく、配分法の無効宣言とその定めに従つて行われる次の選挙を阻止するための差止命令を訴求するのが通常であり、裁判所は、当該配分法の規定が違憲であると判断したときには、裁判所みずからが暫定的に選挙区割・議員の定数配分を定めて、それに基づいて選挙を実施することを命じるのが通例とされている。したがつて、裁判所は暫定的に立法的措置を講じて結末をつける建前なのである。これに反して、わが国においては、配分規定の違憲であることを理由として、既に行われた選挙を無効とすることを訴求するものであつて、そのことは、結局、当選人の議員資格の喪失という結果をもたらすことになる。このような訴求の目的及び裁判所が果すことのできる機能についての彼我の相違を無視することはできないと考える。そもそも平等不平等は絶対的な概念ではなくて相対的なものであるうえに、投票価値の最上限と最下限との中間には、なんら不合理な差別を受けておらず、違憲の問題が生じる余地のない選挙区も多数存在するのである。それらの中間にある、定数配分につき国会の裁量権の逸脱が認められない選挙区についてまで一蓮托生的に配分規定全部を違憲とすることは妥当でないと考える。それ故、定数配分が平等であるかどうかについては、各選挙区相互の間に不合理な不平等が認められるか否かを吟味すべきであつて、不当な差別を受けていない選挙区の定数配分及びその選挙区の選挙の効力までをも否定すべきではないと思うのである。また、後述のように、不当な差別を受けている選挙区についても、その配分規定が違憲であることから直ちにそれに基づく選挙が全面的に無効となるものではないと考える。
[10](二)そこで、問題の焦点を簡明にするため、右の2点について次のような設例によつて考えてみることとする。
[11] 各選挙区の選挙人数を同数と仮定して、AないしZの各選挙区のうち、議員定数4名のA区の投票価値が1、議員定数1名のB区の投票価値が0.25、議員定数2名のCないしZ区の投票価値が各0.5とし、仮に3倍を超える投票価値の差別があれば違憲であるとすると、A区とB区との間では4倍の差があるから相互に違憲となるが、A区とCないしZ区との間では2倍の差にとどまるから違憲の問題は生じない。したがつて、不当な差別的利益を与えられているA区と不当な差別的不利益を受けているB区についてだけ違憲状態がみられることとなる。そして、A区とB区とが相互に違憲となるということは、A区がB区の3倍を超える定数をもち、B区がA区の3分の1に満たない定数しか与えられていないからであつて、配分規定のA区とB区に関する部分がそれぞれ全面的に違憲の性質を帯びるからなのではない。換言すれば、A区が3名を超えて4名という不当に多い定数を与えられている点及びB区の定数が1名に押えられている点に違憲の根拠があるのであつて、A区に3名までの定数を与えている点は正当であるし、また、B区に与えられている1名の定数は、正当に配分されるべき定数の内数なのであるから、この配分まで違憲とする理由はないのである。そのことは、右の違憲状態を解消させるために、A区の定数から1名を削るか、B区の定数を1名以上とするかの方策をとれば、不平等が是正されることを思えば明らかであろう。前述のように平等不平等は相対的な概念であるから、相対的に不当な差別を生じる限度で違憲となると考える(このように考えても、右の設例で、CないしZ区の定数が各1名とすれば、A区とCないしZ区との間に相対的な不平等がみられ、結局、配分規定の全部について違憲の問題が生じる。)。各選挙区に一定数の議員を割りあてる配分の性質は、一定の定数を与えるという積極的な面と、一定の定数以上は与えないという消極的な面とがあるのであつて、このことは、配分規定の合憲性及びこれに伴う選挙の効力を考えるについて重要な意味をもつものと考える。
[12] それでは次に、前述の設例によつて一部に違憲性を含む配分規定に基づく選挙の効力について考えることとする。上述来の考え方によれば、配分規定のうちA区に関する部分は、3名を超えて4名として1名を過剰に配分している点で、かつ、その限度で違憲である。また、B区に関しては、定数1名を配分している積極面は違憲でないが、1名に限定しているという消極面がA区との比較において不当に不利益を受けており、その限度で違憲となるのである。それ故、右配分規定に基づいて行われた選挙の効力も次のように考えるべきである。すなわち、A区の選挙は、憲法に違反する過剰な定数の配分規定に基づいて行われた点において、また、B区の選挙は、憲法に違反する過少な定数の配分規定に基づいて行われた点において、いずれも違法であることを免れず、かつ、A区の場合は、これによつて生じた選挙の効力をそのまま全面的には維持することを許されないという意味において、また、B区の場合は、合憲な定数配分規定に基づいて選挙を行うとすれば、選挙の結果を異にする可能性があるという意味において、いずれも選挙の結果に異動を及ぼす虞があるものとして無効とせざるをえない。しかしながら、右配分規定は、A区については3名の定数を配分している限りは違憲でなく、また、B区については、1名を超える定数を配分しなかつた点が違憲で、右1名の定数配分そのものの効力は否定すべきものではないのであるから、A区B区とも、各その限度においてはこれに基づく選挙の結果の効力をそのまま維持させるのが、憲法に適合する範囲において可能な限り選挙人の選挙意思の実現をはかるゆえんであると考えられるのである。それ故、A区については定数3名の範囲内にある第1順位から第3順位までの3名、B区については現に当選した1名の当選の効果をいずれも動かさないものとするのが相当である。そして、このように解するときは、後述するように、後日の配分規定の改正によつて、A区の定数が3名に変更された場合にはA区B区とも再選挙を行う必要がなく、また、B区の定数が仮に2名とされ、A区の定数は従前どおり4名とされた場合には、両区とも残る各1名について再選挙を行えばよいこととなつて、合理的な解決がはかられるのである。
[13] 以上のような関係は、不当な差別的利益を与えられている各選挙区と不当な差別的不利益を受けている各選挙区との間で当然考えられるのであつて、配分規定の可分性を肯定する立場から導かれる結論であり、また、選挙の効力につき上記のような解釈をとることによつて、選挙の無効・当選人の議員資格の喪失を不当に拡大することを防止することにもなるのである。
[14] 以上の次第で、投票価値の高い選挙区から順位を追つて順次その低い選挙区ごとに投票価値を相対的に比較するならば、最上限と最下限との中間になんら違憲の問題が起る余地のない選挙区のあることを確めることが容易であり、かつ、投票価値に違憲状態がみられる選挙区についても、当該選挙区の定数配分を全部違憲とする必要はなく、多数意見が憂慮するような国会の構成が不可能となる結果を避けることもできるのである。
[15] 配分規定が不可分一体のものか、可分のものかの議論は、結局、果てしない論争のように思われる。私は、この種訴訟について違憲状態に対する裁判上の救済をはかり、妥当な結論を求めるためには、これを前述のような意味において可分なものと考えるのが相当であると思うのである。これを可分なものと考えることにより、弥縫策とはいえ、国会が、その裁量によつて既定の議員総数の範囲内で不当な利益を与えられている選挙区の定数の一部を削り不当な不利益を受けている選挙区に割りあてる方法で不平等を解消させることができる場合もあろうし、また、従来国会においてとられてきた実績が示すような、不当な不利益を受けている選挙区の定数を増すことによつて、応急的に同様な結果を得ることも可能であろう。
[16] このような問題は、本来、国会の権限と責任において解決すべきものであり、しかも、私の上述来の考えによつても、裁判所が違憲の判断を示すことによつてその是正を国会に期待することができるのであるから、決して、国民の権利の救済にとつて無力なものではないと考える。

[17] 本件についてみるのに、当事者間に争のない原判決添付の一覧表の記載による各選挙区の議員定数、議員1人あたりの選挙人数に基づいて、最上限の議員定数3名の兵庫県第5区の投票価値を1として各選挙区の投票価値を、その高い選挙区から順位を追つて順次その低い選挙区ごとに相対的に比較するに、議員定数各3名の鹿児島県第3区、石川県第2区の投票価値はそれぞれ0.97、0.93であるのに対し、議員定数4名の千葉県第1区のそれは0.21にすぎないことが明らかである。私は、議員定数配分における投票価値の不平等と違憲性の問題に関する多数意見の一般的見解にはおおむね賛同するものであり、その説く基準に照らして右の投票価値の開きをみるときは、本件選挙当時、千葉県第1区への定数配分は、憲法上選挙権の平等の要求に反する過少な定数配分として違憲とされることを免れないものであつたと考える。それ故、上述した見解に従つて本件を処理するときは次のようになる。すなわち、本件配分規定のうち、千葉県第1区に関する部分は、その定数配分が過少に限定されている点において、かつ、その限度で違憲なのであるから、前述したところに従い、同区の選挙は右の違憲な配分規定に基づく選挙として違法であり、無効とされるべきものであるが、当選人4名の選挙に関する限りは、その結果としての当選の効力を維持すべきであり、したがつて、本件千葉県第1区の選挙を無効とするとともに、右選挙によつて当選した当選人らは当選を失わない旨の判決をすべきである。それ故、右と異なる見解の下に右選挙を適法とし上告人の請求を棄却した原判決には、憲法の解釈、適用を誤つた違法があり、本件上告はその限りにおいて理由があるから、原判決を変更して右趣旨の判決をすべきである。


 裁判官天野武一の反対意見は、次のとおりである。

[1] 本件は、昭和47年12月10日行われた衆議院議員選挙の千葉県第1区の選挙人が、公選法の議員定数配分規定は違憲であり、右違憲の規定に基づいて行われた右選挙区における選挙は無効であると主張して、公選法204条所定の選挙の効力に関する規定に準拠し、千葉県選挙管理委員会を被告として提起した訴訟である。もともと、同条による訴訟は、具体的権利義務に関するいわゆる法律上の争訟ではなく、選挙の管理執行機関の公選法規に適合しない行為の是正を目的として、法律により特に裁判所の権限に属せしめられた民衆訴訟(裁判所法3条、行政事件訴訟法5条、42条参照)の性質を有するものであつて、当該選挙が「選挙の規定に違反」し、しかも「選挙の結果に異動を及ぼす虞がある場合に限り、」選挙の全部又は一部の無効を判決しなければならない(公選法205条1項)ものとされていることにより、その限度で許容されるにすぎない訴えである。また、この訴訟は、現行法上、選挙法規及びこれに基づく選挙の当然無効を確定する趣旨のものではなく、選挙管理委員会が法規に適合しない行為をした場合にその是正のため当該選挙の効力を失わせ改めて再選挙を義務づけるところにその本旨があることについても、疑う余地がない。そこで、右訴訟で争いうる「選挙の規定」違反ということも、当該選挙区の選挙管理委員会が、選挙法規を正当に適用することにより、その違法を是正し適法な再選挙を行いうるようなものに限られるのであり、したがつて、同委員会においてこれを是正し適法な再選挙を実施することができないような違法を主張して選挙の効力を争うことは許されず、裁判所の審査権もこれに及ばないのである。そして、もし公選法の議員定数の配分規定が違憲であるとすれば、国会の立法による是正をまたなければ選挙管理委員会が適法な再選挙を実施することはできないのであるから、公選法の議員定数配分規定の違憲無効を唯一の理由として、その法の下で行われた選挙の効力を争うことは、現行の公選法が定める前記訴訟の予想するところではない。それゆえ、本件の訴えは、公選法の前記規定の許容する範囲外のものというべきであり、かつ、そのような訴えのために道を開いた実定法規が制定されていない以上は、結局、不適法の訴えとして却下されるほかないことになるのである。
[2] しかしながら、多数意見によれば、公選法204条による訴訟は、現行法上、選挙人が選挙の適否を争うことのできる唯一の争訟であり、これを措いては他に訴訟法上公選法の違憲を主張してその是正を求める機会はないとし、すすんで、「およそ国民の基本的権利を侵害する国権行為に対しては、できるだけその是正、救済の途が開かれるべきであるという憲法上の要請に照して考えるときは、前記公選法の規定が、その定める訴訟において、同法の議員定数配分規定が選挙権の平等に違反することを選挙無効の原因として主張することを殊更に排除する趣旨であるとすることは、決して当を得た解釈ということはできない。」と論じて、公選法204条の拡張解釈を行い、この場合にも同法同条による選挙の効力に関する訴訟の手続をもつて争いうる、というのである。しかも、多数意見は、このように公選法の定める選挙無効の訴訟において、同法の議員定数配分規定の違憲を主張して選挙の効力を争うことを許した場合においても、右の違憲の主張が肯認されるときは常に当該選挙を無効とすべきものかどうかは、行政処分の適否を争う訴訟についての一般法である行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)31条1項前段の規定が行政処分の取消の場合に限られない一般的な法の基本原則に基づくものと理解すべき要素も含んでいると考えられるとして、本件は、右の基本原則の適用により、選挙を無効とすることの不当な結果を回避する裁判をする余地があり、いわゆる事情判決を必要とする場合にあたる、と結論するに至るのである。
[3] もとより、選挙権は、国民の国政への参加の機会を保障する基本的権利として、議会制民主主義の根幹をなすものであり、選挙権の内容、すなわち各選挙人の投票の価値の平等は憲法の要求するところなのであるから、多数意見がこの点に関し具体的な選挙の合憲性の有無を訴訟で争う道が与えられる必要のあることを説くのはもつともであるが、しかし、現在わが法制の下で認められている選挙関係訴訟を民衆訴訟の一種と解することも、多数意見の採るところであると考えられる。そこで、およそ民衆訴訟であるならば、行訴法42条が「法律の定める場合において」のみ提起できるものとすることに照し、公選法所定の訴訟以外に訴訟提起の道はないと解せざるをえないはずであり、また、かかる公選法所定の訴訟が、単に公選法規違反の個別的瑕疵を帯びるにすぎないことにより直ちに再選挙を行うことが可能な場合について認められる争いに関するものにすぎないことは、さきに述べたとおりで再言を要しない。
[4] しかるに、多数意見は、本件選挙の無効を主張する本件訴えに対し、右選挙が憲法に違反する公選法に基づいて行われたという一般性をもつ瑕疵を帯び、その是正が法律の改正なくしては不可能であることを述べつつ、しかもなお、右に記したとおり、殊更に公選法がその219条において行訴法31条の準用を排除することを定めた選挙争訟の規定である公選法204条に準拠して本件訴えを律しうるとする見解に立ちながら、一転してその行訴法31条の法理を本件の場合に用いる手法を採つて怪しまないのである。このような論理の運び方は、それが「憲法の要請」、「高次の法的見地」という視座に由来するものであるにしても、公選法204条を藉りた訴えに対する裁き方として、およそ忠実な法解釈であるとすることはできない。思うに、多数意見をして事ここに至らしめたゆえんは、投票価値の不平等をいう違憲状況、すなわち、具体的な選挙に際し、選挙人、被選挙人又は選挙管理委員会のいずれかの責に帰しうる瑕疵とは全く異質の、当該選挙法規自体の違憲性を指摘して提起した選挙無効の訴えに対しても、現行の実定法下で打開の方途を見出すべきであるとする命題を定立してこれに固執し、公選法204条をここに導入したことにある。
[5] かえりみれば、わが最高裁判所は、参議院地方区選出議員選挙に関してではあるが、この種の訴えが公選法204条の選挙の効力に関する訴訟の手続によりうることを、すでに認めてきた(昭和38年(オ)第422号同39年2月5日大法廷判決・民集18巻2号270頁、昭和38年(オ)第655号同41年5月31日第3小法廷判決・裁判集民事83号623頁、昭和48年(行ツ)第102号同49年4月25日第1小法廷判決・裁判集民事111号641頁参照)。本件多数意見は、これに若干の説明を付加して、所論の衆議院議員選挙につきこの手続の踏襲を是認したものというべきである。しかしながら、私は、既述の見地からして、これらの判例が各選挙区における議員定数配分の違憲を理由とする選挙無効の請求を公選法204条の訴訟ですることに合法性を認めたのは、法の解釈を誤つたものであり、したがつて、その限りにおいて判例を変更する必要があると考える。右の各判例においては、参議院議員選挙の場合に関し、各選挙区への議員の配分は、立法府の権限に属する立法政策の問題であり、かつ、その現状の程度はなお立法政策の問題にとどまり違憲問題を生じるものとは認められないとして、その司法判断に一定の明確な客観的基準を見出しえないままに請求棄却の判断を維持しているのであるが、これに比すれば、本件の多数意見は、衆議院議員選挙の場合における選挙区への議員の配分につき多様の論を展開して、ともかく違憲であることを判断した上でいわゆる事情判決に及ぶ理論を示している。とはいえ、この多数意見においても、その判断の結果のもつ重さのゆえに、なお依然として明確な司法判断の基準は示されず、憲法98条の法意にかかわりつつ、いわゆる事情判決により当該選挙自体を無効とすることを避けている事実にかんがみるとき、その手法が、実質的な意味合いにおいて既往の判例の現実に及ぼしえた影響のほかに、何を加えうるかを疑うのは、不当ではあるまい。そして、このような司法判断の妥当性に対する疑問は、選挙区ごとに投票価値不平等による違憲の瑕疵の有無を判断し選挙の無効を言い渡すべきものとする点において多数意見と見解を分つ反対意見についても、それが多数意見と前提を同じくする訴訟である限り、共通のものであることを否定しえないのである。要するに、ここにおいて司法判断の対象をなす事象として、各意見のなかで論議され提示されている問題点こそは、投票価値の平等を図るために、すべて国会自身の責任において立法的に解決するほかない課題であることを、それ自体で証明したものというべきである。
[6] いま、私は、現に定着しているかに見られる同種の判例の積み重ねの中で、独りこれに逆らうごとき立場をとるについて、われながら内心の抵抗を覚えざるをえない。それゆえ、本件の原告が、従来の判例におけるそれと同じく、公選法204条による訴訟の道を選んだことを責めるべくもないけれども、しかし司法審査のもつ憲法的意味の重要性を考え、かつ、本件の具体的判断が現実に果しうる機能とその実効性に思いをいたすならば、多数意見及び原判決の公選法204条に対する認識とその上に施された論理による結論とは、共に私の支持しうるところではない。この点は、本件における他の意見に対しても同様である。このようにして私は、原判決を破棄し訴えを却下することをもつて、本件上告に対する結論とするのである。

(裁判長裁判官 村上朝一  裁判官 関根小郷  裁判官 藤林益三  裁判官 岡原昌男  裁判官 下田武三  裁判官 岸盛一  裁判官 天野武一  裁判官 坂本吉勝  裁判官 岸上康夫  裁判官 江里口清雄  裁判官 大塚喜一郎  裁判官 高辻正己  裁判官 吉田豊  裁判官 団藤重光  裁判官 本林譲)

選定者目録(省略)
[1] 原判決には憲法第14条第1項の規定の解釈を誤つた違法がある。当上告人らは、以下において、その誤りを指摘しつつ、さらに、従来の主張の根拠を補足する。

[2]、われわれが原審において公職選挙法(昭和25年4月15日法律第100号)別表第1および同法附則第7ないし第9項の各規定を違憲無効と主張した理由は概ね次のとおりであつた。
(一) 同法に基いて昭和47年12月10日に行われた衆議院議員選挙においては、各選挙区ごとの議員定数と有権者数との割合に明白かつ多大な格差が存した。
(二) すなわち、議員1人あたりの有権者数の最大値394,950(大阪府第3区)と最小値79,172(兵庫県第5区)との比は4.99対1であり、議員1人あたりの有権者数の平均値からの平均偏差は29.14パーセントであり、さらに、議員総定数491の最小過半数246を選出するに要した最少有権者数は有権者総数の36.62パーセントにすぎない。
(三) 右の格差は、平等選挙において制度上当然に許容されるべき程度をはるかに超えるものであるから、
(四) 選挙区別議員定数を定めた同法別表第1および同法附則第7ないし第9項の各規定はなんらの合理的根拠に基くことなく、住所(選挙区)のいかんという関係において、一部の国民を不平等に取扱つたものであつて、憲法第14条第1項の規定に違反するものである。
[3]、右主張に対して、原審は次のとおり判示した。
(一) 憲法は、衆議院議員の定数は法律で定める旨(同第43条第2項)、議員およびその選挙人の資格は法律で定め、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産または収入によつて差別してはならない旨(同第44条)を規定し、かつ、選挙区、投票の方法その他議員の選挙に関する事項はこれを法律で定める旨(同第47条)規定しているが、選挙区割および各選挙区において選挙すべき議員の数をどのように定めるべきかについては規定していないから、この点は憲法によつて立法府の裁量にまかせられていると解すべきであつて、原告ら主張のように、選挙区の大小などの地理的要素、歴史的沿革、行政区画別議員数の振合い等の諸要素は考慮の外にして、もつぱら各選挙区ごとに議員定数と有権者数との比率を均等にするよう立法すべきものとする憲法上の羈束があるとは解されない。
(二) 衆議院議員は選挙区を単位とする地域住民の代表としてではなく全国民の代表者として選出されるべきものであることは、憲法第43条第1項の規定上明らかであつて、その趣旨と憲法第14条のいわゆる平等保護条項の趣旨に照らせば、議員定数の各選挙区別の配分についての立法にあたつては、選挙人口たる有権者との比率が重視されて、これが各選挙区間で均等を保つよう配慮されるべきであるといわなければならない。
(三) しかし、人口の疎な面積の広い地区の地域特殊性を国会の審議に多く反映させることが国民全体の利益に合すると考えられる場合に、選挙人口との比率にかかわらず当該地区を包摂する選挙区の議員定数を人口の密な面積の狭い選挙区より多い割合で定めることの裁量がなされたとしても、それが合理的でないとはいえない場合がありうるのであつて、このような場合に選挙人口との比率の一事をもつて、立法府の裁量行為が合理的範囲を逸脱するとはいえないものと解すべきである。
(四) また、急激な人口変動のため特定の選挙区の選挙人口が議員定数との比率の均衡を破る程度にまで減少した場合であつても、その減少状態の持続についての見通し、あるいはその選挙区に対する議員定数配分の沿革を考慮して、一挙に他の選挙区との比率均衡をはかることを留保する裁量もまた合理的範囲を逸脱しないものといえる場合がありうるのである。
(五) そして、このような立法府の裁量が選挙人の選挙権の享有に極端な不平等を生じさせるような場合は格別、議員定数の配分が選挙人口に比例していないというだけで憲法第14条第1項に違背するといえないことは、すでに昭和39年2月5日言渡の最高裁判所大法廷判決(昭和38年(オ)第442号)の明らかにするところである。
(六) そしてまた、右にいう「選挙権の享有」とは、当該選挙区における選挙人の有する選挙権の総和を比例配分的に享有する関係のものでないことはいうまでもないところであつて、原告らが平等を唱える「投票の価値」の実質についても同様のことがいえる。また、投票の価値が大きいといつても、当該選挙人にとつてみればその投票によつて最大限1人の候補者の当選をもたらすことができるだけであつて、価値の大きい投票をする選挙区の各選挙人は価値の小さい投票をする選挙区の各選挙人より多数の議員を選出しうるわけのものでもない。いうところの「投票の価値」とは、選挙人の投票する権利の価値を選挙人の側から評価した概念であると解することができるところ、それは、ひつきよう、選挙人の投票が自己の選出しようとする候補者の当選をもたらす可能性の度合い(逆にいえば、いわゆる死票とならない可能性の度合い)であるということができる。したがつて、議員定数と有権者数以外の一切の要因を一定にして考えれば、議員1人あたりの有権者数の少い選挙区における各投票の価値は、それの多い選挙区の各投票の価値より大であるということができるわけである。
(七) しかし、選挙区を異にする選挙人について投票の価値を比較するにあたつては、右のような単純な算術的比例数値のみによることはできないものであつて、さらに当該選挙制度の構造上当然考慮に入れなければならない他の諸要素が示す変数値との関数関係においてその投票の価値が求められるものといわなければならない。立候補者数との割合という要因だけをとつてみても、それは選挙区を異にして一定の数値を考えることはできない。その数値のいかんによつて、選挙区の選挙人の投票が自己の選出しようとする候補者の当選を可能とする度合いに影響を受けることは明らかというべきである。
(八) したがつて、原告らの主張するように、ある選挙区の議員1人あたりの有権者数が他の選挙区に比べて2倍以上になつている事実をもつてただちに、後者の選挙人に前者の2人分以上の投票の権利が与えられたと同視できるとはいえないのである。
(九) もちろん、右諸々の要因を考慮に入れてもなお、選挙区別の選挙人につきその投票の価値の平等を害するといわなければならないような議員定数の配分が考えられないことはないのであつて、その不平等が国民の正義公平観念に照らし容認できないものと認められる程度に至つた場合には、もはや憲法の保障する平等選挙の理念から許すべからざるものといわなければならず、それは前掲最高裁判所大法廷判決のいう選挙人の選挙権の享有に極端な不平等を生じさせる場合にあたるものというべく、議員定数の配分がそのような事態を生ずる場合には、もはや立法府の合理的裁量の範囲を超え、憲法上許されないものといわなければならない。
(一〇) しかして、本件の衆議院議員選挙において選挙区別の議員1人あたりの有権者数が原告ら主張のように不均等であることは前示のごとくであつて、最高と最低ではそれぞれの平均から2.6倍強と2分の1弱程度の偏差を示していることは、当事者間に争いのない右事実から明らかであるが、本件にあらわれた事実関係のもとでは、いまだ、選挙区別議員定数の配分によつて生ずる投票の価値の不平等が国民の正義公平観念に照らし容認できない程度に至つているとは認められないから、右選挙につき議員定数の配分を定めた前掲別表第1および附則の各規定が違憲であるとする原告らの主張は採用できないところである。
[4]、さて、国会が、ある地方に住む一部有権者の投票は他の地方に住む一部有権者の投票の2倍または5倍の価値を与えられるべき旨を定める法律を制定したならば、前者の選挙権が実質的に価値を薄められたといつてもほとんど異論はないであろう。ある有権者らは他所に住む有権者らがただ1回であるのに、2回または5回にわたつて衆議院議員を選挙することができる旨を定めても憲法上なんらの支障もないという発想も異常そのものと見えるであろう。また、衆議院議員選挙の投票を数えるにあたり、ある地方の有権者の投票は額面通りの価値でしか数えられないのに、他の地方の有権者の投票はそれに2または5を乗じられ得るという趣旨の法が憲法上支持され得るものであるとは到底考えられないところである。等しくない有権者数に同数の議員を与える内容の議員定数配分を規定する法律の効果もこれと全く同じものである。ある地方に住む者らの投票の重みを増加させたり価値を高めたりすることは他の地方に住む者らの投票の価値を稀薄化したり低めたりする確実な効果をもつている。その結果不利な地方に住む有権者らに生じる差別は数理的に証明することができる。たまたまどこに住んでいるかという理由だけで国民の投票に異なる重みをつけることはいかなる方法によるにせよ正当化し得るものとは思われない。わが憲法がこのような差別を禁じていることは明白である。
[5] 代議政治は、本質において、国民の選ばれた代表者をもつて構成される議会を手段とする自己統治であり、そこでの国民は、すべて議会における政治上の手続に充分かつ効果的に参加する奪われることのない権利をもつている。大方の国民たちはその代表者の選挙を通じて有権者としてのみこの参加を実現することができるにすぎない。ゆえに、全国民が充分かつ効果的に国政に参加するには各国民が議会の構成員の選挙において「等しい効果のある発言権」をもつことが必要である。現代の生存可能な代議制民主政治が必要とし、かつ、わが憲法が命じるところのもの、それはこれを一分たりとも下回るものではない。
[6] 論理的には、代議政治に根拠をおく社会においては過半数の国民が過半数の議会代表を選出できることが合理的と思われる。これと異なる結論を導き出すことおよび議会における少数支配を是認することは、さもなくばもたらされるであろうと思料される少数者の権利の否定にはるかに勝る方法で多数者の権利を否定することのように思われる。議会は全国民に効力が及ぶ法律を制定する責任を負うものであるから、それは一般的意思(popular will)に集合的に応える合議体であるべきである。そしてわが憲法第14条第1項(「法の下の平等」条項)は問題視されまたは異論のある政治行為に対して同一の関係に立つ人々を等しく取扱うことを要請するものと解釈できる。全有権者は国民として議会代表である衆議院議員の定数配分に関してその住所のいかんにかかわらず同一の関係に立つものである。有権者を差別するために提唱される基準は、もし議員定数の配分に許された目的に関連するものでない限り、いかなるものであろうとも有権者の投票の重さについての差別を正当化することはできない。国民のための正当かつ効果的な代表制度を達成することこそが議員定数配分の基本的な目的であることは明白であるから、われわれは「法の下の平等」条項は衆議院議員選挙において全有権者による平等の参加を保障するものであると思料する。居住場所を理由として投票の価値を稀薄化させることは、信条、性別、社会的身分または門地という要因に基づく差別と全く同様に「法の下の平等」条項下における憲法上の基本権を侵害するものである。民主主義の平等理念と多数者支配の原則は過去においてのみでなく現在および将来にとつて大いに重要なものである。われわれは衆議院議員の定数を各選挙区に配分する問題は複雑かつ多面的なものと聞いている。しかし、憲法によつて保護される権利は司法上の保護を要求する。
[7] 個人がどこに住むかという事実はその者の投票の効能を左右するための合理的な理由ではない。社会や文明の外観上の特徴はしばしば驚くべき速さで変化する。かつては主として田舎じみた性格であつた人々がすぐれて都会風となる。かつては公正かつ適正であつた代表機構が時代遅れのものともなる。しかし、代議政治の基本原則は変化することなく存続し、かつ、存続しなければならない。人口(有権者数)は当然に議員定数配分事案の違憲判断のための基準の出発点である。有権者は都市に住むか農村に住むかを理由に有権者として一人前以上でも一人前以下でもない。これは「法の下の平等」条項の明白かつ強力に命ずるところである。これが、人ではなく、法の支配の概念の本質的な部分なのである。「法の下の平等」条項はあらゆる国民のための実質的に平等な議会代表――衆議院議員――そのものを要請するものである。
[8] われわれは「法の下の平等」条項上の基本的な基準として衆議院における議員定数が人口(有権者数)に比例して配分されるべきことを要求する旨を主張した。簡潔に述べれば、衆議院議員選挙における各有権者の投票が他の地方に住む有権者の投票と比較してその価値の重みが実質的なやり方で低下せしめられる場合には、憲法違反の判断が下されるべきである。本件衆議院議員選挙における過半数議員の選出に必要な最少有権者数は全有権者数の36.62パーセントにすぎず、かつ、選挙区間の議員1人あたりの有権者分布差比率は4.99対1にも及んだという理由による。もとより数学的精密さは憲法の要求するところではない。しかし、本件選挙において「法の下の平等」条項の規定する要件の下で充分支持し得る程の人口(有権者数)に基づく議員定数の配分がなされていたとの結論を導くことは至難のように思われる。

[9]、原判示がわれわれの主張する「投票の価値」と称して説くところはすでに前々項(六)ないし(八)に記したとおりである。その説くところは必ずしも分明ではないが、われわれが原審において主張し、かつ、本書面において説くところの議論とは異質のもののように思われる。われわれは「投票の価値」のいわば社会学的定義づけについて論争を試みるつもりは全くない。まして、選挙制度についての立法政策を喋々する意思も、はたまた、精々例示できるにすぎない諸々の要因なるものを解明する意図をももち合わせていない。われわれの議論と原判決の説くところとのこの悲しむべきくいちがいの生じた原因を詮索することは容易ではない。たゞ、われわれは、かつて存した「質」概念を駆逐して純然たる「量」概念に還元することによつて得られた「多数決原理」と「複数投票制」を克服して得られた「1人1票」の原則に係る問題として本件を提起したものであることをここに重ねて主張する。

[10]、以上縷々述べたところにより原判決の判断が誤つたものであることは明白であると思料するが、ここで原判決が引用する昭和39年の御庁大法廷判決について触れよう。まず、右大法廷判決は参議院地方選出議員選挙に関するものであつて、そこでは3年ごとの半数改選制度を違憲判断の要因として示唆しているのであるから、そのような制度のない本件衆議院議員選挙につきこれを判例として引用することは妥当性を欠く。本件にとつて適切な御庁の判例は全くないのである。ついで、かりにそうではないとしても、右判例から時を経ること10年に及び、その間に所論の不平等取扱の程度は度を加え、さらに、諸外国における情勢も大きく変化をとげた事情等を考慮に入れれば、右判例はこの際変更されてしかるべきものである。よつて、本件は御庁大法廷において審理されるべきものである。

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