高田事件
上告審判決

住居侵入等被告事件
最高裁判所 昭和45年(あ)第1700号
昭和47年12月20日 大法廷 判決

上告申立人 被告人
被告人 朴鐘哲  外27名
弁護人 伊藤泰方 外10名

検察官 冨田正典 山室章

■ 主 文
■ 理 由

■ 裁判官天野武一の反対意見

■ 被告人朴鐘哲外24名の弁護人伊藤泰方、同高木輝雄、同大矢和徳、同花田啓一、同尾関闘士雄、同安藤巌、同原山恵子、同藤井繁、同原山剛三、同二村豈則、同水野幹男の上告趣意


 原判決を破棄する。
 検察官の本件各控訴を棄却する。

[1] 当裁判所は、憲法37条1項の保障する迅速な裁判をうける権利は、憲法の保障する基本的な人権の一つであり、右条項は、単に迅速な裁判を一般的に保障するために必要な立法上および司法行政上の措置をとるべきことを要請するにとどまらず、さらに個々の刑事事件について、現実に右の保障に明らかに反し、審理の著しい遅延の結果、迅速な裁判をうける被告人の権利が害せられたと認められる異常な事態が生じた場合には、これに対処すべき具体的規定がなくても、もはや当該被告人に対する手続の続行を許さず、その審理を打ち切るという非常救済手段がとられるべきことをも認めている趣旨の規定であると解する。
[2] 刑事事件について審理が著しく遅延するときは、被告人としては長期間罪責の有無未定のまま放置されることにより、ひとり有形無形の社会的不利益を受けるばかりでなく、当該手続においても、被告人または証人の記憶の減退・喪失、関係人の死亡、証拠物の滅失などをきたし、ために被告人の防禦権の行使に種々の障害を生ずることをまぬがれず、ひいては、刑事司法の理念である、事案の真相を明らかにし、罪なき者を罰せず罪ある者を逸せず、刑罰法令を適正かつ迅速に適用実現するという目的を達することができないことともなるのである。上記憲法の迅速な裁判の保障条項は、かかる弊害発生の防止をその趣旨とするものにほかならない。
[3] もつとも、「迅速な裁判」とは、具体的な事件ごとに諸々の条件との関連において決定されるべき相対的な観念であるから、憲法の右保障条項の趣旨を十分に活かすためには、具体的な補充立法の措置を講じて問題の解決をはかることが望ましいのであるが、かかる立法措置を欠く場合においても、あらゆる点からみて明らかに右保障条項に反すると認められる異常な事態が生じたときに、単に、これに対処すべき補充立法の措置がないことを理由として、救済の途がないとするがごときは、右保障条項の趣旨を全うするゆえんではないのである。
[4] それであるから、審理の著しい遅延の結果、迅速な裁判の保障条項によって憲法がまもろうとしている被告人の諸利益が著しく害せられると認められる異常な事態が生ずるに至つた場合には、さらに審理をすすめても真実の発見ははなはだしく困難で、もはや公正な裁判を期待することはできず、いたずらに被告人らの個人的および社会的不利益を増大させる結果となるばかりであつて、これ以上実体的審理を進めることは適当でないから、その手続をこの段階において打ち切るという非常の救済手段を用いることが憲法上要請されるものと解すべきである。
[5] 翻つて本件をみるに、原判決は、
「たとえ当初弁護人側から本件審理中断の要請があり、その後訴訟関係人から審理促進の申出がなかつたにせよ、15年余の間全く本件の審理を行なわないで放置し、これがため本件の裁判を著しく遅延させる事態を招いたのは、まさにこの憲法によって保障された本件被告人らの迅速な裁判を受ける権利を侵害したものといわざるを得ない。」
という前提に立ちながら、
「刑事被告人の迅速な裁判を受ける憲法上の権利を現実に保障するためには、いわゆる補充立法により、裁判の遅延から被告人を救済する方法が具体的に定められていることが先決である。ところが、現行法制のもとにおいては、未だかような補充立法がされているものとは認められないから、裁判所としては救済の仕様がないのである。」
との見解のもとに、公訴時効が完成した場合に準じ刑訴法337条4号により被告人らを免訴すべきものとした第一審判決を破棄し、本件を第一審裁判所に差し戻すこととしたものであり、原判決の判断は、この点において憲法37条1項の迅速な裁判の保障条項の解釈を誤つたものといわなければならない。
[6] そこで、本件において、審理の著しい遅延により憲法の定める迅速な裁判の保障条項に反する異常な事態が生じているかどうかを、次に審案する。
[7] そもそも、具体的刑事事件における審理の遅延が右の保障条項に反する事態に至つているか否かは、遅延の期間のみによって一律に判断されるべきではなく、遅延の原因と理由などを勘案して、それ遅延がやむをえないものと認められないかどうか、これにより右の保障条項がまもろうとしている諸利益がどの程度実際に害せられているかなど諸般の情況を総合的に判断して決せられなければならないのであつて、たとえば、事件の複雑なために、結果として審理に長年月を要した場合などはこれに該当しないこともちろんであり、さらに被告人の逃亡、出廷拒否または審理引延しなど遅延の主たる原因が被告人側にあった場合には、被告人が迅速な裁判をうける権利を自ら放棄したものと認めるべきであつて、たとえその審理に長年月を要したとしても、迅速な裁判をうける被告人の権利が侵害されたということはできない。
[8] ところで、公訴提起により訴訟係属が生じた以上は、裁判所として、これを放置しておくことが許されないことはいうまでもないが、当事者主義を高度にとりいれた現行刑事訴訟法の訴訟構造のもとにおいては、検察官および被告人側にも積極的な訴訟活動が要請されるのである。しかし、少なくとも検察官の立証がおわるまでの間に訴訟進行の措置が採られなかつた場合において、被告人側が積極的に期日指定の申立をするなど審理を促す挙に出なかつたとしても、その一事をもつて、被告人が迅速な裁判をうける権利を放棄したと推定することは許されないのである。
[9] 本件の具体的事情を記録によつてみるに、
(一) 本件は、第一審裁判所である名古屋地裁刑事第3部で、検察官の立証段階において、被告人朴鐘哲ほか25名については昭和28年6月18日の第23回公判期日、被告人趙顕好ほか3名については昭和29年3月4日の第4回公判期日を最後として、審理が事実上中断され、その後昭和44年6月10日ないし同年9月25日公判審理が再び開かれるまでの間、15年余の長年月にわたり、全く審理が行なわれないで経過したこと、
(二) 当初本件審理が中断されるようになつたのは、被告人ら総数31名中20名が本件とほぼ同じころに発生したいわゆる大須事件についても起訴され、事件が名古屋地裁刑事第1部に係属していたため、弁護人側から大須事件との併合を希望し、同事件を優先して審理し、その審理の終了を待つて本件の審理を進めてもらいたい旨の要望があり、裁判所がこの要望をいれた結果であること、
(三) 大須事件が結審したのは、昭和44年5月28日であつたが、本件について審理が中断された段階では、裁判所も訴訟関係人も、大須事件の審理がかくも異常に長期間かかるとは予想していなかつたこと、
(四) 昭和39年頃被告人団長および弁護人から、大須事件の進行とは別に、本件の審理を再び開くことに異議がない旨の意思表明が裁判所側に対してなされたこと、
(五) 本件被告人中大須事件の被告人となつていたもののうち5名が被告人として含まれていた、いわゆる中村県税事件、PX事件および東郊通事件が名古屋地裁刑事第2部に係属しており、本件と同様大須事件との併合を希望する旨の申立が昭和27年頃弁護人からなされたが、右刑事第2部においてはこの点についての決定を留保して手続を進め、昭和31年頃、全証拠の取調を完了したうえ、論告弁論の段階で大須事件と併合することとして、次回期日を追つて指定する措置をとつたこと、
(六) 本件審理の中断が長期に及んだにもかかわらず、検察官から積極的に審理促進の申出がなされた形跡が見あたらないこと、
(七) その間、被告人側としても、審理促進に関する申出をした形跡はなく消極的態度であつたとは認められるが、被告人らが逃亡し、または、審理の引延しをはかつたことは窺われないこと、
(八) その他、第一審裁判所が本件について、かくも長年月にわたり審理を再び開く措置をとり得なかつた合理的理由を見いだしえないこと、
の各事実を認めることができる。
[10] これら事実関係のもとにおいては、検察官の立証段階でなされた本件審理の事実上の中断が、当初被告人側の要望をいれて行なわれたということだけを根拠として、15年余の長きにわたる審理の中断につき、被告人側が主たる原因を与えたものとただちに推認することは相当ではない。
[11] 次に、本件審理の遅延により、迅速な裁判の保障条項がまもろうとしている前述の被告人の諸利益がどの程度実際に害せられたかをみるに、記録によれば、
(一) 本件のうち、いわゆる高田事件、民団事件については、第22回公判期日に行なわれた最後の証拠調までの間には、関係被告人らの具体的行動等についての証拠調はなされておらず、また同じくいわゆる大杉事件、米軍宿舎事件については未だ何らの証拠調もなされていなかつたこと、
(二) 検察官がかねてより申請していた高田事件の共謀場所であるとする旧朝連瑞穂支部事務所や民団事件の犯行現場である大韓民国居留民団愛知県本部事務所の検証について、その後右両事務所消滅のゆえをもつてその申請が撤回されており、その他地理的状況の変化、証拠物の滅失などにより、被告人側に有利な証拠で利用できなくなつたものもあるのではないかと危惧されること、
(三) 長年月の経過によつて、目撃証人やアリバイ証人はもとより被告人自身の記憶すら曖昧不確実なものとなり、かりに証人尋問や被告人質問をしたとしても、正確な供述を得ることが非常に困難になるおそれがあること、
(四) 各被告人の検察官に対する各供述調書につき、被告人らは当初よりすべてその任意性を争い、ことに多数の被告人らにおいて、右任意性の有無の判断の一資料として取調警察官による暴行脅迫の事実があつたと主張しているのであるが、取調当時から長年月を経過した時点において警察官の証人尋問を行なつても果してどの程度真実を発見し得るかは甚だ疑わしく、その争点についての判断が著しく困難になるおそれがあること、
などの事実が認められる。
[12] したがつて、もし、本件について、第一審裁判所である名古屋地裁刑事第3部が、前記刑事第2部と同じ審理方式をとり、全証拠を取り調べた後、論告弁論の段階で大須事件との併合を予定し、次回期日を追つて指定することとしていたならば、右の被告人側の不利益も大部分防止できたものと思われるが、かかる措置がとられることなく放置されたまま長年月を経過したことにより、被告人らは、訴訟上はもちろん社会的にも多大の不利益を蒙つたものといわざるをえない。
[13] 以上の次第で、被告人らが迅速な裁判をうける権利を自ら放棄したとは認めがたいこと、および迅速な裁判の保障条項によつてまもられるべき被告人の諸利益が実質的に侵害されたと認められることは、前述したとおりであるから、本件は、昭和44年第一審裁判所が公判手続を更新した段階においてすでに、憲法37条1項の迅速な裁判の保障条項に明らかに違反した異常な事態に立ち至つていたものと断ぜざるを得ない。したがつて、本件は、冒頭説示の趣旨に照らしても、被告人らに対して審理を打ち切るという非常救済手段を用いることが是認されるべき場合にあたるものといわなければならない。
[14] 刑事事件が裁判所に係属している間に迅速な裁判の保障条項に反する事態が生じた場合において、その審理を打ち切る方法については現行法上よるべき具体的な明文の規定はないのであるが、前記のような審理経過をたどつた本件においては、これ以上実体的審理を進めることは適当でないから、判決で免訴の言渡をするのが相当である。
[15] よつて、これと相反する判断をした原判決は、各上告趣意その余の点に判断を加えるまでもなく、刑訴法410条1項本文によつて破棄を免れず、被告人らに免訴を言い渡した本件各第一審判決は、結論において正当であるから、同法413条但書、414条、396条により、本件各被告人に対する検察官の控訴を棄却することとし、裁判官天野武一の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。


 裁判官天野武一の反対意見は次のとおりである。

[1] 私は、憲法37条1項が、国民の基本的人権の一つとして迅速な裁判をうける権利を保障した条項であること、そしてもしも個々の刑事事件につき現実にこの保障条項に反すると認められるきわめて異常な事態が生じたときには、これに対処すべき具体的な補充立法措置がなくてもその審理を打ち切る非常手段がとられることを是認する規定であると解すべきことについて、多数意見と見解を同じくする。また、現行法制のもとで、裁判所の刑事手続進行中にかかる事態が生じた場合における審理打切りの方法としては、免訴の判決を言い渡すことを相当とする場合があることについても、多数意見に賛成してよい。さらに、多数意見が、右の理を本件にあてはめて当審で一審裁判所の言い渡した免訴の判決を支持し、よつてこの遅延した裁判に決着をつけようとする配慮に対しては、一審判決の言渡以降すでに3年数か月を経過した経緯にかんがみ、訴訟経済の観点からも同調の意を禁じがたいものがある。しかし、私は、刑訴法337条に列挙されている免訴事由の明文の規定を越えて審理打切りの裁判をすることは、裁判所が実体裁判を遂行する意思をみずから放棄することにほかならず、憲法上は、きわめて極限された状況のもとにおける非常手段としてのみ許される措置であるにとどまると解するがゆえに、多数意見が、記録上うかがわれる諸事実のみに立脚し、被告人側に対し、本件審理の遅延原因を帰せしめることができないと推認したうえ、その遅延による不利益の実害が生じているとの推認を行ない、これに基づいて直ちに一審の免訴判決を支持すべきものとする判断には、早計に失するものがあり、さらにこれらの推認をくつがえすに足る事実の存否をも確認し、そのうえで慎重に事を決すべきであるといわざるをえない。すなわち、多数意見が挙示する程度の判断資料をもつてしては、なお不確定な要素が介入し、とうてい事案の真相を明らかにして刑罰法令を適正に適用実現する刑事司法の目的にそうことはできないのであつて、本件においては、その審理遅延の主たる原因の帰属とその遅延からうける被告人側の不利益の有無やその程度に関する事実関係につき、さらに取調を進めて事態を明確にし、当時の同種事件の公判審理の実情とも関連せしめた総合観察による実証的な判断に基づいて、訴訟上の措置を決することが必要である、と考える。そして、もしもその結果得られるところが、多数意見と同じ結論に到達することであるならば、私はもちろんそれをよしとするのである。
[2] したがつて、私の意見は、原判決を破棄する点において多数意見と一致するが、さらに多数意見のいう推認をくつがえすに足る事実の存否を確認するに必要な取調を尽くさせるため、刑訴法413条本文前段により本件を原裁判所に差し戻すべきものとする点において、多数意見と結論を異にする。その理由を細説すれば、次のとおりである。

[3] およそ特定の刑事事件における訴訟の遅延が、憲法37条1項の迅速な裁判の保障条項に反する事態にあるか否かは、多数意見もいうように、遅延の期間、遅延の原因と理由などを勘案して、その遅延がやむをえないものと認められるかどうか、これにより迅速な裁判の保障条項がまもるべきものとしている諸利益が実際にどの程度害せられているかなど、諸般の実情を総合的に判断して決すべきものであつて、単に時間的な経過のみをみて判断できるような簡明なことではない。(なお最高裁判所昭和23年(れ)第1576号同24年3月12日第二小法廷判決・刑集3巻3号293頁参照)いま、刑事訴訟法において免訴判決を言い渡すべきものとする「確定裁判ヲ経タトキ」以下「時効ノ完成シタトキ」にいたる4つの場合(同法337条1号ないし4号)についてみるに、いずれも審理打切りの非常手段とするにふさわしい明確な客観性を具えていて、その認定にいささかの疑いもいれる余地はない。したがつて、迅速な裁判の保障条項に反する訴訟の一事態を認定してこれらに加え、もつて免訴の事由とするためには、いかなる点からみても実体的訴訟条件を欠くものとして右の事由に伍するに足る事態であることを確然と認めえたときのみに限る、という厳しい限定が必要である。そして私は、このことは多数意見も肯定するところであると理解する。

[4] 次に、適法に公訴が提起された刑事事件の審理が、現実に前述のいわば極限状況にあるかどうかを判断するにあたつては、まずその背景として、わが国の刑事事件の公判における一般の実情をひろく見渡すことが必要である。すなわち、わが刑事公判の実際の進行速度はどの程度に国民の要請に応じているか、具体的な刑事公判の進行において当事者のこれに対応する心情および態度はどうか、とくに類型を同じくする訴訟との関連において審理の進行を阻害する主観・客観の原因は何か、さらに国民性・社会情勢・訴訟構造など宿命的ともいうべき諸条件、その他の事象に関する実証的な現状観察のなかで、特定の訴訟の遅速およびこれが被告人の利益・不利益に及ぼす効果ないし功罪をあわせ考量するのでなければ、実情に即した正当な結論を得ることはできないのである。

[5] そこで、その背景の一斑を本件の記録および当審に顕著な所与の事実にしたがつていえば、本件が係属した当時の名古屋地方裁判所刑事第3部には、すでにいわゆる半田税務署事件およびいわゆる愛大事件などが係属していたが、本件においては、これらの事件がひきつづき係属している間に、被告人26名につき昭和28年6月18日の第23回公判期日、その余の被告人4名につき翌29年3月4日の第4回公判期日を最後として審理が事実上中断(この中断は、裁判所が当初被告人側の要望をいれて行なつたものであることは多数意見も言及しているところである。)されるにいたつたのであつて、他方同地裁刑事第1部にはいわゆる大須騒擾事件(以下、単に大須事件という。)、同第2部には同じく名古屋市内昭和警察署東郊通巡査派出所事件(被告人数6名)、同じく中村県税事務所事件およびPX構内駐車場のいわゆるPX事件(両事件をあわせて被告人数15名)などが係属し、いずれも約17年の審理期間(大須事件を除くその余の事件については、それぞれ13年余にわたる事実上の審理中断期間をふくむ。)を費してようやく第一審の実体判決にいたるという状態にあつたところ、本件は、昭和27年6月26日同市内大韓民国居留民団愛知県本部元団長方に侵入したり、附近の瑞穂警察署高田巡査派出所に押し寄せるなどして石塊・煉瓦等を投げ付けたほか火焔瓶により同派出所に火を放つ等の罪に問われたいわゆる高田派出所事件に加えて、同市内北警察署大杉派出所および同市所在の米駐留軍宿舎に対する火焔瓶による放火予備の罪等に問われた大杉事件および米軍宿舎事件ならびに前記大韓民国居留民団愛知県本部事務所に対する石塊や火焔瓶投入による放火未遂等の罪に問われた民団事件など、もろもろの事件をもつて構成され、これをここに「高田事件」と総称するのであり、その被告人の数は当初31名を数え、そのうち他の部に係属する前記同種の関連事件においてその被告人をも兼ねた者の数は20余名に達する状況にあつた。ところで、このように同種事件が幾多係属するなかにあつて、刑事第3部のみは、本件被告人29名につき昭和44年9月18日と同年同月25日の2回にわけて免訴(一部につき公訴棄却)の言渡(この言渡は、刑事第1部の大須事件の判決および同第2部における他の同種事件の審理中断後の判決が言い渡されるより以前の期日においてなされている。)をしたのである。(本件第一審の審理においては、その中断が長年月に及ぶなかで裁判長が更迭し、それより3年余を経てようやく公判手続更新の手続がとられたうえで免訴判決が言い渡された。)

[6] このような経過を背景としてみるとき、例えば、前述の他の部に係属していた同種の事件において、本件被告人らのうち多数の者を共通の被告人とする錯雑した関係にみられる相互の事案の規模・内容および審理の実情、証拠関係における共通性の有無・程度などの諸点については、本件記録のみをもつてこれを知る由ないものであるところ、多数意見は、本件第一審裁判所である前記刑事第3部が、本件の審理にあたり刑事第2部と同じ審理方式をとり、全証拠を取り調べた後、論告弁論の段階で大須事件との併合を予定し、次回期日を追つて指定することとしていたならば、被告人側の不利益も大部分阻止できたものと思われる、という。しかし、右の刑事第3部のみが本件において多数意見の示すような訴訟上の手順を履みえなかつたことの理由ないし事情につき、これを詳細に解明するに足る事実の取調は未だ尽くされておらず、したがつて彼此の中断措置の間にみられる段階的な相違をもつて、直ちに刑事手続打切りの非常手段の採否を決すべき分岐点をなすもののようにみる多数意見の見解は、さらに事実関係を明確にしない限り現実に対する適応性を欠き、なお疑問の存することを否定しえないのである。同じくまた、多数意見は、第一審裁判所が公判手続を更新した段階においてすでに、憲法37条1項の迅速な裁判の保障条項に明らかに違反した異常な事態に立ちいたつたものと断じ、審理の打切りを是認すべき場合にあたるとするのであるが、私は、この点についても、このような推認判断をくつがえすに足る事実の存否を確認する取調が、さらに尽くされた結果の判断によるのでなければ、この段階をもつて審理を打ち切るべき極限状況にあるとする多数意見に賛成することはできない。

[7] 思うに、刑事手続における訴訟の利益は、当然に被告人側の利益を包摂するけれども、被告人側の利益のみが訴訟の利益なのではない。したがつて、裁判の遅延をとりもどすために講ずべき本来の挽回策ないし救済策は、遅延以後の審理を促進させる質実な方策にこれを求めるべきであつて、万が一にも前示の極限状況にあることを確認することなくして、勢いの赴くままに実体裁判遂行の意思を喪失することであつてはなるまい。多年にわたる審理中断の後にさらに審理を尽くすことは、裁判所および訴訟当事者その他関係の人びとに多くの煩労をもたらすであろうが、しかし、裁判所は、訴訟の主宰者たる立場においてその審理を遂行し、そのことによつて刑事司法の理念を実現すべきであることを附言する。

(裁判長裁判官 石田和外  裁判官 田中二郎  裁判官 岩田誠  裁判官 色川幸太郎  裁判官 大隅健一郎  裁判官 村上朝一  裁判官 関根小郷  裁判官 藤林益三  裁判官 岡原昌男  裁判官 小川信雄  裁判官 下田武三  裁判官 岸盛一  裁判官 天野武一  裁判官 坂本吉勝)

一、原判決の要旨
[1] 検察官の控訴を認め、第一審の免訴判決を破棄した原判決の要旨は、ほぼ次のようにまとめられる。
(一) 本件訴訟遅延において、被告人らは、憲法37条1項の保障する迅速な裁判を受ける権利を侵害された。
(二) 裁判所は、いわゆる補充立法により、具体的な方法が定められていないかぎり、裁判の遅延から被告人を救済することはできない。
(三) 現行刑事訴訟法には、裁判の遅延から被告人を救済するなんらの規定もない。
(四) 従つて裁判所としては、被告人らを救済する仕様がない。
[2] 一見すれば明らかなように、原判決の結論(四)にとつては、(一)の判断は、なんらの論理的関連性をももたない。原判決の論理を一貫すれば、むしろ(一)の判断に立ち入ることなく、一審判決を破棄すべきであつた。それにもかかわらず、原判決があえて憲法37条1項違反の権利侵害の存在を認めざるをえなかつたところに、原審裁判所の苦悩と動揺を知ることができるといわねばならない。それとともに、原判決の矛盾と混乱も、いつそうはなはだしいものとなつた。

二、原判決における憲法の違反
[3] 憲法99条は、裁判官をふくむ公務員の、憲法尊重擁護の義務を定めている。一、に述べたような原判決は、原審裁判所構成裁判官が、憲法を尊重し擁護する義務を全面的に放棄したところにのみ成立しうる。この意味で、原判決は、憲法の違反を構成するものであることは明らかであり、到底破棄を免れない。

三、原判決における憲法の解釈の誤まり
(一) 憲法の法規範性の否定
[4] 原判決が、刑事訴訟法に具体的な規定がないことを理由に、被告人の救済を放棄したのは、憲法37条1項の法規範性を否定するものである。およそある規範に対する違反状態が存在するばあい、これに対し、それがどのような形であるにせよ、なんらかの国家権力による強制が発動されえないならば、それはもはや法規範といえないことは自明である。原判決は卒直に、憲法37条1項は、単なるプログラム規定にすぎないものであり、現実に刑事被告人の権利を保障したものでないというべきであつた(しかしそうなると、前記一の(一)の、被告人らに対する権利侵害を認定した立場とは、根本的に矛盾することになる)。最高法規(憲法98条1項)である憲法を、単なる希望の表明におとしめた原判決の、憲法の解釈の誤まりは明白である。
(二) 憲法と刑事訴訟法との関係
[5] 憲法37条1項違反の訴訟遅延による被告人らに対する権利侵害の存在を認めながら、刑事訴訟法に具体的な規定がないことを理由に、被告人らの救済を放棄した原判決は、下位法規である刑事訴訟法を、最高法規である憲法の上位におくものであり、この点でも原判決の憲法解釈の誤まりは明白であるといわねばならない。
(三) 解釈の指針としての憲法
[6] 憲法が最高法規である以上、刑事訴訟法その他すべての下位法規は、可能なかぎり憲法に適合するように解釈することが要求されるのは、当然のことである。後に述べるように、刑事訴訟法を憲法にもとづいて解釈すれば、当然本件被告人らを免訴または公訴棄却の判決により、訴訟手続から解放すべきであるにもかかわらず、法解釈によつて救済する余地はないとした原判決は、単に刑事訴訟法の解釈を誤まつたにとどまらず、憲法37条1項の解釈の誤まりをも構成するものである。
[7] 以上述べたとおり、原判決には憲法の解釈に誤まりがあり、それが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は、到底破棄を免れない。
(一) 憲法と下位法との関係
[8] 最初に述べたように、原判決は、本件における違憲の訴訟遅延の存在を認めながら、刑事訴訟法に具体的な規定がないことを理由に、被告人らの救済を放棄したのであるが、昭和43年11月27日最高裁判所大法廷判決は、河川附近地制限令4条2号、10条が憲法29条3項に違反するかどうかが争われた事件につき、次のように判示している。
「同令4条2号による制限について同条に損失補償に関する規定がないからといつて、同条があらゆる場合について一切の損失補償を全く否定する趣旨とまでは解されず、本件被告人もその損失を具体的に主張立証して、別途、直接憲法29条3項を根拠にして、補償請求する余地が全くないわけでないから、合憲である。」
[9] この論旨に従うならば、刑事訴訟法に具体的な規定がなくとも、被告人らは、直接憲法37条1項にもとづき、その救済(それは訴訟手続からの解放以外にありえない)を求めうると解さないかぎり、現行刑事訴訟法は違憲の法律といわざるをえないであろう。原判決が、被告人らの救済を認めず、しかも刑事訴訟法を合憲としていることは明らかであるから、このような原判決の態度は、右最高裁判所の判例と相反する判断をしたものといわねばならない。
(二) 迅速裁判の要請違反の訴訟法的効果
[10] 原判決は、裁判が迅速を欠き、そのため被告人の憲法上の権利が侵害されたとしても、訴訟法的効果を生じないとしている。しかし、昭和37年2月14日、最高裁判所大法廷決定、同36年5月9日、同第三小法廷決定は、いずれも、原審大阪地方裁判所の異議申立棄却決定に対する検察官の特別抗告につき、刑事訴訟法411条の準用を認め、かつ憲法37条1項迅速裁判の要請に反するものとして、公判期日の指定についての裁判所の処分を取消している。このふたつの決定は、いずれも憲法37条1項迅速裁判の要請違反に対し訴訟法上の効果を付与し、しかもそのさい刑事訴訟法433条は、「第405条に規定する事由があることを理由とする場合に限り」と定めているにもかかわらず、同法411条を準用している。
[11] 原判決は、迅速裁判の要請違反の訴訟法上の効果につき、また刑事訴訟法の規定の準用の限度についても、右ふたつの判例に違反するものである。
一、刑事訴訟法の解釈の誤まり
[12] 原判決には、判決に影響を及ぼすべき刑事訴訟法1条、同法254条1項、同法337条4号の解釈の誤まりがある。これについては、第一審主任弁護人伊藤泰方の昭和44年6月10日付申立書第四、第五、原審主任弁護人伊藤泰方以下13名連名の答弁書第四に詳細に述べてあるので、ここにこれを援用する。

二、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。
[13] 原判決が破棄されなかつたならば、どのような事態に立ち至るであろうか?原判決は、免訴により被告人らを訴訟手続から解放した第一審判決を破棄し差戻しを命じたものであるから、差戻し後の第一審は、原判決に拘束されて、本件につき有罪、無罪の実体判決を下さざるをえない。それは、期間の点においても、防禦権の行使の点においても、被告人に対する新たな権利侵害の開始に他ならない。その著しく正義に反することは、多言を要しない。
[14] ここに特にあげておきたいのは、前記第一審申立書第一の四の(二)に述べた朝鮮人被告人の帰国問題の新たな進展である。第一審判決および原審判決の時点においては、在日朝鮮人の帰国事業は中断されていた。しかし、全世界の世論、日朝両国民の熱烈な要望は、ついに帰国事業を開始させるに至り、本月14日、在日朝鮮人の祖国朝鮮民主主義人民共和国への帰国第一船トポリスク号は、76世帯、202人帰国者を乗せて、新潟港を出港した。今後引続いて第二船、第三船が新潟を出港するであろう。被告人らのうち大部分を占める朝鮮人は、今帰国の希望を現実にかなえることができる。ただ彼らが刑事被告人でさえなければ。
[15] そうかといつて、原判決が確定し、本件が第一審に差戻され、実体審理が再開されたばあい、彼らに、公訴事実を認め検察官調書を認め、被告側の立証を放棄し、早急に結審、判決をえ、これに対し上訴しないで判決を確定させることにより、みずからを刑事被告人の地位から解放することをすすめることができるだろうか?そのようなことをすすめたとしても、彼らはそれに従うであろうか?従うはずはない。なぜならそれは、彼らにとつて良心と真実を売ることに他ならないのだから。そしてそれは、ある意味では彼らがこれから帰る祖国への裏切りを意味するものだから。
[16] 彼らは最後まで、前記第一審申立書第一の二記載の不当な政治的起訴に対し、斗うであろう。そのばあい、これに要する年月は、非常な長期にわたらざるをえない。そして現在の国際国内情勢は、再開された帰国事業が、被告人らがその斗いを終えるまで継続されることを決して保障していないのである。
[17] 原判決を破棄しなければ、著しく正義に反することは、だれの眼にも明らかであるといわねばならない。
[18] われわれは、第一審申立書および原審答弁書において、問題の所在は、裁判所が、日本国憲法を擁護する立場に立つか、日本国憲法を破壊する立場に立つかの選択にあることを述べた。原判決は、誤まつた極端な法実証主義にとらえられた結果、少なくとも客観的には日本国憲法を破壊する立場を選択した(別冊ジユリスト刑訴判例百選新版、104頁以下45迅速な裁判――中武靖夫大阪高裁判事参照)。
[19] われわれは、ここに、前記申立書に述べた裁判所に対する訴えを、あえてくり返す。
[20] 憲法違反の訴訟遅延が存在し、被告人の基本的人権が侵害されている。これに終止符をうち、侵害された人権を回復することは、裁判所の憲法上の義務であり、光栄ある任務である。問題は、裁判所が、日本国憲法を擁護する立場に立つか、日本国憲法を破壊する立場に立つかの選択にある。
[21] 田宮教授は、かつて次のように述べた。
「成文上の根拠を小心翼々と求めなければ気のすまない、極めてボジテイビステイツクなわが国の裁判所が、この憲法の規定から有効な法則を発展させるなどということは、のぞみうべくもないだろう。」(判例時報343号、判例評論No.61、前出東京高裁判決に対する評釈)
[22] 田宮教授は必らずしも正確ではない。これには、「国民の基本的人権を擁護するうえでは」という文言をつけ加えねばならない。さきに引用したふたつの最高裁決定にみられるように、最高裁判所は、被告人の利益にならない方向においては、きわめて勇敢にも、特別抗告に対し、刑訴法第411条を準用し、被告人に有利な原決定を取消している。そしていわく
「原決定を破棄しなければ著しく正義に反する」
[23] 最高裁判所裁判官にとつて、正義とはいつたいどのようなものなのだろうか。
[24] われわれは、最高裁判所第三小法廷が、裁判における正義について深く思いを致されることを望む。原判決を維持することが、正義にかなうものであるかどうかを、慎重に、しかも勇気をもつて考慮されることを望む。そしてわが国の裁判所が、すべてがすべて「成文上の根拠を小心翼々と求めなければ気のすまない、憲法の規定から有効な法則を発展させるなどのぞみうべくもない」ものばかりでないことを、国民に示されることを望む。われわれは、最高裁判所第三小法廷が、原判決を破棄することにより、あまりにも長かつたこの裁判に終止符をうち、裁判所が基本的人権の最後のとりでゞあることを、身をもつてあかしされることを、心から望みかつ期待する。

■第一審判決 ■控訴審判決 ■上告審判決   ■判決一覧に戻る