高田事件
控訴審判決

住居侵入、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反、爆発物取締罰則違反、放火、傷害、放火予備等被告事件
名古屋高等裁判所 昭和44年(う)第591号、592号
昭和45年7月16日 刑事第2部 判決

被告人 松尾繁一こと 朴鐘哲 外28名

■ 主 文
■ 理 由


 原判決(但し、被告人権龍河に対する公訴棄却部分を除く。)を破棄する。
 本件を名古屋地方裁判所に差し戻す。


[1] 本件控訴の趣意は、名古屋地方検察庁検察官検事中嶋友司名義の控訴趣意書2通に記載されているとおりであり、これに対する答弁は、弁護人伊藤泰方ほか7名共同名義の答弁書2通に記載されているとおりであるから、ここにこれを引用する。

[2] 検察官所論の要旨は、原判決は、本件公訴事実につき、
「被告人朴鐘哲ほか24名については昭和28年6月18日の第23回公判以来、被告人趙顕好ほか3名については昭和29年3月4日の第4回公判以来、昭和44年6月10日(但し、被告人金炳根、同金英吾、同張哲洙については昭和44年9月18日、被告人趙在奎、同李正泰、同林学については同月25日)当裁判所が新たに公判手続を更新して事件を引継ぐまでの間、15年余審理が行なわれないで経過したが、かかる長年月の経過により犯罪の社会的影響は微弱化し、可罰性の減少は著しいものがあり、他方かかる時の経過により証拠が散逸し、いきおい捜査段階における供述調書による事実の認定にたよらざるを得なくなる結果、憲法の保障する証人審問権は、事実上画餅に帰することにもなりかねない。本件は、被告人にさしたる責むべき事由もなく、また他にやむを得ない合理的理由もないのに、15年余放置され来ったものであるから、実質的には公訴時効が完成した場合と同様の効果を生ずることを認めざるを得ない。このような本件裁判の実態は、憲法37条1項の規定する迅速な裁判の要請に反するものであり、必要以上長期にわたり刑事被告人という地位に置かれたことにより、被告人らの蒙った不利益は計り知れず、すでに支払ってきた犠牲はあまりにも大きい。しかして裁判の迅速を保障する憲法37条1項の規定は、被告人の具体的権利を保障した強行規定と解するところ、本件は、まさに右権利を著しく侵害するに至ったものといわざるを得ないのであり、これ以上本件訴訟を進行させることは許されないものと解するので、憲法と刑訴法1条の理念を考え、本件においては公訴時効が完成した場合に準じ、刑訴法337条4号により被告人らを免訴にするのが相当である」
旨説示し、免訴の判決を言い渡したものである。
[3] しかし、原判決は、刑訴法254条及び337条4号の解釈適用を誤っているばかりでなく、最高裁判所の判例にも違反しており、また、本件における訴訟遅延の実態を誤認し、免訴判決の言渡しをすべき場合でないのに、不法に免訴判決を言し渡したものであり、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、到底破棄を免れない、というのである。

[4] そこで、本件記録を調査し、当審における事実調べの結果をも参酌のうえ検討する。
[5] 本件公訴事実の要旨及び原審公判審理の経緯は、いずれも原判決の摘示するとおりである。原審においては、本件公訴事実について若干の審理がされた後、被告人朴鐘哲ほか24名については昭和28年6月18日の第23回公判、被告人趙顕好ほか3名については昭和29年3月4日の第4回公判を最後として、いずれも本件の審理が事実上中断され、その後昭和44年6月10日(但し、被告人金炳根、同金英吾、同張哲洙については同年9月18日、被告人趙在奎、同李正泰、同林学については同月25日)公判審理が再開されるまでの間、実に15年余の長年月にわたり、全く審理が行なわれないで経過したものであることは、本件記録に徴し明白である。
[6] そもそも、当初本件審理が中断されるようになったのは、被告人らのうち多数の者が、本件とほぼ同じころに発生したいわゆる大須事件についても起訴されていたために、弁護人側から大須事件を優先して審理し、その審理の終了を待って本件の審理に入ってもらいたい旨の要望があり、原裁判所がその要望をいれた結果であることがうかがわれる。原裁判所のこの措置自体は、被告人らの意思に反するものではなく、むしろ被告人らの利益を考慮してされたものというべきで、もちろん不当ではない。けれども、かような事情による審理の中断には、おのずから合理的な限度があるべきはずである。本件のように中断の期間が15年以上に及ぶというような事態は、だれが考えても異常であり、その限度を著しく超えていることが明らかである。
[7] もっとも、本件審理の中断が相当長期に及んでから後でも、被告人及び弁護人の側から審理促進に関する申出がなされた形跡はなく、検察官側から同様の申出がなされた形跡も見当らない。本件訴訟関係人らのかような消極的態度は、当事者主義を強化し、訴訟関係人の積極的な訴訟への関与により、適正かつ迅速な裁判の実現を図ろうとする現行刑訴法のたてまえから考えると、好ましいことではない。
[8] しかし、右のような事情があったとしても、裁判所が審理を中断したまま、いつまでも放置していてよい理由はない。訴訟の促進を図り、その遅延を防止することは、なんといっても、訴訟を主宰する裁判所が第一次的に責任を負うべきことがらである。したがって、原裁判所としては、すべからく大須事件の進行状況を勘案しながら、本件審理の中断が相当期間に及んだ時点で、すみやかに審理を再開する措置をとるべきであった。本件のように長年月に及ぶまで、原裁判所がこの措置をとり得なかったとする合理的理由は到底見出し得ない。
[9] ところで、憲法37条1項は、すべて刑事事件においては、刑事被告人は、裁判所の迅速な裁判を受ける権利を有する旨規定している。裁判の遅延は、種々の弊害をもたらす。原判決が詳細にわたって指摘している可罰性の減少、証拠の散逸、証人審問権の侵害、長く不安定な地位に置かれることにより被告人が受ける不利益などは、いずれも裁判の遅延に必然的に伴う通弊にほかならない。それ故にこそ、裁判の遅延は、裁判の拒否にひとしいとまで極言されるのである。裁判が迅速に行なわれることは、国家的見地からも要請されることもちろんであるが、刑事被告人の人権保護の観点からも必要である。そこで、憲法は、刑事被告人に対し、迅速な裁判を受ける権利を保障しているのである。
[10] 原裁判所が、たとえ当初弁護人側から本件審理中断の要請があり、その後訴訟関係人から審理促進の申出がなかったにせよ、15年余の間全く本件の審理を行なわないで放置し、これがため本件の裁判を著しく遅延させる事態を招いたのは、まさにこの憲法によって保障された本件被告人らの迅速な裁判を受ける権利を侵害したものといわざるを得ない。
[11] しかし、現行刑訴法には裁判の遅延から被告人を救済するなんらの規定も見当らない。もちろん、いかなる裁判の遅延も、免訴ないし公訴棄却の事由とはされていない。このことは、公訴時効について、旧刑訴法が中断の制度を採用していたのに対し、現行刑訴法がこれを廃止して停止の制度を採用し、適法な公訴提起があった以上は、いかに裁判が遅延しても、時効によってこれを打ち切ることができないものとしていることからも明らかである。それ故、裁判が迅速を欠き、そのため被告人の憲法上の権利が侵害されたとしても、場合により係官の責任の問題が生ずるかも知れないが、それだけの理由で免訴ないし公訴棄却の形式裁判により訴訟を打ち切るというような訴訟法的効果を生ずるものとは解せられない。一概に被告人を裁判の遅延から救済するといっても、観念的にはいろいろな方法が考えられるのであるが、憲法及び刑訴法の解釈から当然には、形式裁判により遅延した訴訟を打ち切るべきものとする結論は導き出されない。
[12] 結局、裁判の遅延からいかなる方法をもって被告人を救済するかは、立法により解決されるべき問題であり、法解釈によってこれを救済する余地はないものといわなければならない。いいかえると、刑事被告人の迅速な裁判を受ける憲法上の権利を現実に保障するためには、いわゆる補充立法により、裁判の遅延から被告人を救済する方法が具体的に定められていることが先決である。ところが、現行法制のもとにおいては、未だかような補充立法がされているものとは認められないから、裁判所としては救済の仕様がないのである。
[13] ところで、原判決が本件裁判遅延の救済策として、公訴時効が完成した合場に準じ、刑訴法337条4号により、被告人らを免訴すべきものとしていることは原判決文に徴し明らかである。けれども、かような解釈は、「時効は、当該事件についてした公訴の提起によってその進行を停止する」と定めた刑訴法254条1項の規定と真正面から衝突するばかりでなく、法の合目的的、弾力的解釈の名のもとに、本来立法をもって解決されるべき裁判遅延の救済方法を任意に案出し、免訴事由を新たに追加立法したにひとしいものであって、すでに説示したところから明らかなように、法解釈の限度を著しく逸脱したものといわざるを得ない。
[14] してみると、原判決は、刑訴法254条1項及び337条4号の解釈適用を誤り、本件は、被告人らを免訴すべき場合でないのに、不法に免訴判決を言い渡した違法を犯しているものというべきであり、この違法が判決に影響を及ぼすことは明白であるから、原判決は到底破棄を免れない。論旨は、その余の部分について判断するまでもなく理由があることに帰着する。

[15] よって、本件控訴は理由があるので、刑訴法397条1項、379条に則り、原判決(但し、被告人権龍河に対する公訴棄却部分を除く。)を破棄したうえ、同法400条本文に従い、本件を原裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

  昭和45年7月16日
  名古屋高等裁判所刑事第2部
  裁判長裁判官 小淵連  裁判官 村上悦雄  裁判官 服部正明

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