戸別訪問禁止合憲判決
控訴審判決

公職選挙法違反被告事件
広島高等裁判所松江支部 昭和54年(う)第11号
昭和55年4月28日 判決

■ 主 文
■ 理 由


 本件控訴を棄却する。


[1] 本件控訴の趣意及びこれに対する答弁は記録編綴の検察官甲田宗彦提出の控訴趣意書及び被告人両名の弁護人高野孝治、妻波俊一郎、岡崎由美子、大賀良一連名提出の答弁書に各記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。
[2] これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

[3] 所論は、要するに、原判決は、
「昭和51年12月5日施行の衆議院議員総選挙に際し、島根県選挙区から立候補した中林よし子に投票を得させる目的で、(1)被告人甲野ハルミは同月3日ころ同選挙区の選挙人である出雲市○○町×××の×番地島根松子方ほか4戸を戸々に訪問し、同候補者のため投票を依頼し、(2)被告人乙山秋子は、同月1日ころから同月4日ころまでの間同選挙区の選挙人である同町×××番地松江梅子方ほか6戸を戸々に訪問し、同候補者のため投票を依頼し、もってそれぞれ戸別訪問をしたものである。」
との事実を認定しながら、公職選挙法138条1項、239条3号の規定は憲法21条1項の規定に違反し無効であるとして、被告人両名に対し無罪を言い渡したが、戸別訪問禁止規定の合憲性は最高裁判所の裁判例が示すとおりであり、戸別訪問を無制限のものとするときは必然的に被訪問者の側の基本的人権又は社会的利益と衝突し、ひいては選挙の自由、公正、議会民主政治の健全性にも影響を及ぼす結果を招くおそれがあり、この種の規制は公共の福祉のため憲法上許された必要かつ合理的なものと解すべきであって、原判決には法令の解釈、適用の誤りがあり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

[4] そこで検討するに、公職選挙法138条1項が選挙に関し、投票を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもってする戸別訪問(以下単に戸別訪問という。)を一律に禁止していることは明白である。このように戸別訪問が禁止されることになると、その機会に行われるべき投票依頼などの政治的言論の表現行為が国民一般にとって制約される結果がもたらされる。主権者としての国民の政治的活動の自由――すなわち、国民が国の基本的政策決定に直接・間接に関与する機会を持ち、かつそのための積極的活動を行う自由――は、これなくしては発展した民主主義国家における政治的支配を正当づける根拠を欠くものであるから、憲法は15条、16条、21条の各規定でこれを保障していると解される。ことに、憲法21条の定める表現の自由の保障は民主主義国家の不可欠の要件であって、国民の基本的人権のうちでもとりわけ重要なものであることには異論の余地がない。
[5] このような自由も、もとよりそれ自体絶対的なものではなく、公共の利益のためやむを得ない場合には程度の差はあれ制限に服することは免れない。問題は、これらの自由をどのような態様でどの程度制約することが憲法上許されるかという点にある。この点について最高裁判所は昭昭25年9月27日(刑集4巻9号1799頁)及び昭和44年4月23日(同23巻4号235頁)の2つの大法廷判決のほか相当数の小法廷判決により戸別訪問の禁止を合憲とする判断を示している。そして右昭和44年の大法廷判決は
「戸別訪問の禁止……の如き一定の規制が、憲法21条に違反するものでないことは昭和25年9月27日の判決の明らかにするところであり、いまこれを変更する必要は認められない。」
と説示し、昭和25年の大法廷判決は
「憲法21条は絶対無制限の言論の自由を保障しているのではなく、公共の福祉のためにその時、所、方法等につき合理的制限のおのずから存することはこれを容認するものと考うべきであるから、選挙の公正を期するために戸別訪問を禁止した結果として、言論自由の制限をもたらすことがあるとしてもこれらの禁止規定を憲法に違反するものということはできない。」
と説示するところ、他の小法廷判決も昭和43年11月1日(刑集22巻12号1319頁)の判決がその合憲であることを前提に
「公職選挙法が戸別訪問を禁止する所以のものは、およそ次のとおりであると考えられる。すなわち、一方において、選挙人の居宅その他一般公衆の目のとどかない場所で、選挙人と直接対面して行われる投票依頼等の行為は、買収、利害誘導等選挙の自由公正を害する犯罪の温床となり易く、他方、選挙人にとっても、居宅や勤務先に頻繁に訪問を受けることは、家事その他業務の妨害となり、私生活の平穏も害せられることになるのであり、それのみならず、戸別訪問が放任されれば、候補者が訪問回数を競うことになって、その煩に耐えられなくなるからである。」
と説示するほか、これ以上の具体的な説示はしていない。しかるに、前記昭和44年の大法廷判決から10年以上の時の経過があること、近時最高裁判所が昭和49年11月6日の判決(刑集28巻9号393頁)あるいは昭和50年4月30日の判決(民集29巻4号572頁)などで憲法上保障された自由の制限の必要性及び合理性について具体的に判断・説示していること並びに前記のとおりの表現の自由の重要性にかんがみると、法的安定性の見地よりして累次の最高裁判所の判決の存在については十分な注意が払われるべきではあるけれども、戸別訪問禁止規定の合憲性については、その具体的な根拠について今一度検討が加えられて然るべきであると考える。従って、戸別訪問の禁止が意見表明そのものの制約を狙いとしているのか、それとも行動のもたらす弊害の防止を狙いとしているのか、後者であるとした場合、禁止されている行動類型以外の行為により意見を表明する自由までも実質的に制約しているか否か、並びにこれを禁止した立法の目的、その目的と禁止された行為との関連性の有無ないしその制約による不利益と禁止することが立法の目的をどの程度すすめるかの考量について審査がなされるべきである。

[6] 戸別訪問の禁止が表現内容自体の規制ではなく、表現の手段方法たる行動の制限であることは疑いない。しかしながら、そのことの故にその禁止について単に合理的な理由があればこれを制約しうるとの意見には左袒することができない。なぜならば、表現の自由の制約は歴史的にみてその表現内容そのものに対する規制よりも、その手段方法の規制によることが多く、表現の手段方法を欠く表現の自由は無意味であって、手段方法の規制であるが故に単なる合理的な理由のみによってその制約が可能であると解するとすれば、表現の自由を保障した憲法の趣旨を没却する結果をもたらすであろう。また、政治的活動の自由は国民の単なる個人としての政治的意見の表明に至るまでの広い範囲にわたる行為の自由を含むものであり、民主主義国家においてはできる限り多数の国民の参加によって政治が行われることが国民全体にとって重要な利益であることはいうまでもないところ、戸別訪問による投票依頼あるいは政策及び特定の候補者の宣伝のための表現行為は、これが我が国において永年禁止されてきた結果、自然なものといえるか否かは議論の余地があるにせよ、少なくとも多数の国民が行いうる方法の中では簡易かつ特段の経費を要さないものであるから、容易に他の方法により代替されうるものとは思われない。すなわち、国民の行う戸別訪問による表現行為は、専ら候補者において行うラジオ又はテレビジョンによる政見放送や立会演説会、個人演説会における演説によっては代替され得ないし、葉書等の文書による方法や電話による方法によって意見を表明する機会はあっても、経費の点やこれらが殆んど一方的な通信方法であることからして直ちに戸別訪問に代替しうるとは考えられず、更に、いわゆる個々面接もこれが知人に対するものである場合、その機会が偶然に過ぎて戸別訪問との代替性には疑問がある。
[7] しかも、戸別訪問は、通常、それ自体何らの悪性を有するものではなく、規制を外れた屋外広告物がそれ自体で直ちに都市の美観や安全に弊害をもたらすとして規制されうるのや、群集の影響、支配を排除すべき限定された時と場所において行われるデモ行進がそれ自体弊害があるとして規制される場合がありうるのとは異なり、その行動がもたらす弊害が考えられるとしても、それは間接的なものといわざるを得ないのであるから、その規制が憲法上許されるとしても、それは合理的でかつ必要やむを得ない限度においてのみ許されると解するのが相当である。

[8] 公職選挙法が戸別訪問を禁止した目的が、主として選挙の自由公正に対する種種の弊害を防止するためであることは疑いがない。そこで右の弊害の具体的な内容及び右の弊害の防止と戸別訪問の禁止とが合理的な関連性を有するか否かについて判断する。
[9] 戸別訪問は大正14年の衆議院議員選挙法以来、昭和25年から昭和27年までの間一部例外規定が置かれたほかは、終始全面的に禁止されてきたのであるが、大正14年当時、その立法の理由として
「戸別訪問の如く情実に基き感情に依って当選を左右せむとするが如きは之を議員候補者の側より見るも其の品位を傷つけ又選挙人の側より見るも公事を私情によって行ふの風を馴致すべく今にしてこれを矯正するに非ざれば選挙の公正は遂に失はるるに至るべし。加之戸別訪問に際し双方の交渉は公然行はるるものに非ずして隠密の間に行はるるが為往々にして投票買収等の不法不正なる行為を助成するの虞あり。之其の何人の為すものたるを問はず断然禁止したる所以なり。」
と述べられ、また現在まで選挙制度審議会等において、戸別訪問のもたらす弊害として、右に述べられたほか、候補者に無限の競争を強い煩に耐えない、選挙人の生活の平穏を害し、選挙人が迷惑をこうむる、候補者が競って戸別訪問をするため多額の経費がかかる、次期立候補予定者が当選議員の議会活動中に地盤荒しをし、当選議員にとって不利益である、などの論議がなされていることが明らかである。
[10] しかしながら、右に論じられている具体的な弊害のうち、議員の品位を傷つける、公事を私事化する、候補者にとって煩に耐えない、当選議員にとって不利益である、などの点については、これらの防止を目的として国民一般に対し表現の自由が制約される結果をもたらすような立法をすることが許されないことは明白である。また、個人的感情によって投票が左右される弊害があるとの点については、投票行動が理性的思考に基づいてなされることは一般的に望ましいことではあろうが、もともと人間は感情の動物であってその選挙権の行使に際し感情的要素を全く払拭することは不可能であり、国家がこれに干渉するにはおのずから限度があるのであるから、戸別訪問を自由化した場合、公開されていない場所での選挙人の感情に訴えての投票依頼の機会が多くなったとしても、この弊害を防止するため戸別訪問をした者に対して刑罰を科し、ひいては表現の自由を制約することはできないというほかはない。
[11] 戸別訪問を放任した場合、立候補者が多数の運動員を動員するため多額の経費を要する結果、財力により候補者間の較差を生じ、選挙の公正を害するおそれがあるとの点について考えるに、戸別訪問に限らず、およそ選挙運動をするうえにおいて一般的に経済的に優位な者が有利な立場に置かれることから、公職選挙法は選挙の公平を期するため選挙運動に関するすべての収入及び支出並びに寄付について規制し、選挙運動に関する支出金額を制限しており(同法第14章参照)、これを前提とする以上、候補者にとって戸別訪問に経費がかかるとしても選挙の公正を守ることができると解されるので、右の弊害の防止と戸別訪問の禁止との間には合理的な関連性を見出だすことはできない。
[12] そうすると残る問題は、戸別訪問が不正行為を助長するおそれがあるという点と、被訪問者の生活の平穏を害するという点においてその弊害の防止と戸別訪問の禁止との間に合理的な関連性が存するか否かである。
[13] まず、戸別訪問を禁止しなかった場合、一般公衆の目の届かない場所で、選挙人と直接対面して行われる投票依頼等の行為が、買収、利害誘導等選挙の自由公正を害する犯罪の温床となり易く、その機会を多からしめるという弊害を生じるとの点につき考える。《証拠略》によれば、昭和54年に島根県下で行われた統一地方選挙において、候補者らが選挙人方を戸々に訪問して現金、物品を供与し又はその申し込みをしたとして捜査機関に検挙された事例が相当数あったことは認めることができるものの、判明している限りではこれらは戸別訪問をしたがために買収を行い又は行おうとしたというものではなく、いずれも事前に買収すべく意思決定がなされ、その場所が選挙人方であったにすぎなかったことをも認めることができ、右事実から戸別訪問を規制することによりこれを規制しなかった場合に比べて買収事犯が減少しているとか減少するであろうことを推認することはできない。また、昭和50年ないし昭和53年版の各犯罪白書写及び最近の選挙違反事犯の動向についてと題する論文の写によれば、最近までの衆議院議員総選挙、参議院議員通常選挙、統一地方選挙において全国の検察庁で受理した公職選挙法違反事件のうち、買収事犯がなお高率を占めていることを認めることができるけれども、戸別訪問を規制した結果、買収事犯の数がこの程度に止まっているのか否かについては右資料からこれを窺い知ることはできない。むしろ選挙制度審議会における論議のあとを見ても、戸別訪問を規制しなかった場合に買収等の不正行為が多発するおそれがあるか否かについては積極消極に意見が分かれているのであって、このことは、右のおそれがあるとしてもそれは抽象的な可能性があるという程度に止まることを示すものである。更に、《証拠略》によれば、東京都品川区長候補者選定に関する条例に基づいて昭和47年に行われた右区長候補者を選定するための区民投票においては、選挙運動の経費が高額化しないように配慮し、買収、饗応及び他候補に対する誹謗、中傷をしないことを立候補者と投票管理委員会とで協定したほかは、戸別訪問の禁止等の規制を外して選挙運動が行われたところ、戸別訪問がかなりなされたと思われるにもかかわらず、買収、饗応等があったとの苦情や報告が投票管理委員会に申し出られたことはなく、右申出がなかったからといって直ちに買収、饗応等が全くなかったということはできないにせよ、少なくとも右区民投票は公職選挙法が適用される一般の選挙よりも公正、明朗で質素に実施されたことを認めることができる。そして右条例によれば、区民投票の結果最高の投票を得た者が直ちに区長候補者に選定されるものではなく、区民投票の結果は区議会が区長候補者を選定する際にその参考とされるに過ぎないので、最高得票者といえども買収、饗応等をした場合には公職選挙法上の刑罰を科せられることはないけれどもこれが斟酌されて区長候補者に選定されないこともあり得、このことが非違行為を抑制する効果をもたらしたであろうことは否定し得ないが、このような点を考慮に入れても、前記のように区民投票が公正、明朗で質素に行われたという事実は、戸別訪問が選挙の自由、公正を害する機会を多からしめる蓋然性が必ずしも高いものではないことを裏づける一つの事実であるということができる。なお、昭和25年4月公職選挙法の制定に伴い戸別訪問禁止の例外規定として「公職の候補者が親族、平素親交の間柄にある知己その他密接な間柄にある者を訪問することはこの限りではない。」との条項が設けられたところ、昭和26年4月施行の地方選挙において脱法行為の弊害が著しく、昭和27年8月の改正により右例外規定は削除されているのであるが、改正にあたり右例外規定に基づく戸別訪問のため買収事犯が多発するという弊害が生じた旨の論議がなされた形跡はなく、第7次選挙制度審議会議事速記録(下)983頁、検察官提出の戸別訪問禁止規定改正(昭和27年8月16日法律第307号)経緯と題する書面、同最新公職選挙法解説(写)によれば、例外規定を置いたことによる弊害とは「平素親交の間柄にある知己その他密接な間柄にある者」の範囲が不明確であったため、その公平な取り締りをすることが困難となり、候補者にとっても戸別訪問すべき範囲に悩むという弊害が生じたにすぎないと窺うことができる。
[14] 従って戸別訪問を禁止しなかった場合、不正行為の温床となり易く、その機会を多からしめるという弊害を生じる蓋然性が高いということはできず、右弊害を生じるおそれは極めて抽象的な可能性にとどまるというほかはないから、右弊害の防止と戸別訪問の禁止との間には関連性が全くないわけではないにしても、これが合理的な関連性を有すると考えることはできない。
[15] 最後に戸別訪問が被訪問者の生活の平穏を害するか否かについて検討する。たしかに時と方法を選ばずに行われる戸別訪問が被訪問者の生活の平穏を害し、その迷惑となる場合があることは明らかであって、その限りで戸別訪問の禁止は被訪問者の生活の平穏を守るという目的と一応の関連性を有するといわなければならない。しかしながら、前記のような国民一般にとっての戸別訪問の意義に照らしても、また、被訪問者の生活の平穏を害するような戸別訪問は、時間的な制限を置いたり、集団的な訪問を禁ずることなどによって容易にその弊害を除くことができると考えられることに照らしても、右の目的は戸別訪問を一律に禁止する理由とはなり得ず、戸別訪問を全面的に禁止することは、被訪問者の生活の平穏を守るための手段としては行きすぎていることが明らかである。

[16] 結局、戸別訪問を禁止した法の目的を各別に検討してみても、あるいはその目的自体が表現の自由を制約すべき根拠となり得なかったり、あるいはその手段によりその目的を達成しうるか否かの点で合理的な関連性を欠いたり、あるいは選択された手段がその目的を達成するうえで行きすぎていたりしているというほかはなく、これらを併せて考えてみても、戸別訪問の禁止が憲法上許される合理的でかつ必要やむを得ない限度の規制であると考えることはできない。
[17] 以上の次第で記録上原判決が認定しているとおり、被告人らが戸別訪問をした事実を認めることはできるけれども、戸別訪問を一律に禁止した公職選挙法138条1項の規定は憲法21条に違反するというべきであるから、原判決には、その説示するところに一部首肯し難い点がないではないが判決に影響を及ぼすべき法令の解釈、適用に誤りがあるということはできない。論旨は理由がない。

[18] よって刑訴法396条により本件控訴を棄却することとして主文のとおり判決する。

  (裁判長裁判官 藤原吉備彦)
 裁判官前川鉄郎は転補のため、裁判官瀬戸正義は転官のため、いずれも署名押印することができない。
  (裁判長裁判官 藤原吉備彦)

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