[BCN This Week 2010年10月4日 vol.1352 掲載](週刊BCN編集長の谷畑良胤さんの許可を得て記事を掲載)
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作ったプログラムは自分のものだろうか…(2)

二十年ほど前の話になるが、アメリカ合衆国コロラド州ボゥルダー市に四年間ほど暮らした。そのときにフォーコーナーズと呼ばれる場所を訪ねたことがある。五十州が合わさったアメリカにおいて、州の境界線が十文字に交わるところはここだけであり、ユタ州に左手・コロラド州に右手・アリゾナ州に左足・ニューメキシコ州に右足を置けば、四つの州を一気に制覇できる。

だだっ広いコロラド高原の中に州名と州境を示した記念碑がぽつんとあるだけの場所である。私はそこで「境界線とは何だろう…」と思った。むしろ考えずにはいられなかった。当たり前の話であるが、周りを見渡しても地図上の十文字の境界線はどこにも見当たらない。なぜ人は線の無いところに線を引きたがるのだろうか。

よくよく学んでみると、線引きの正体が言葉(言語活動)にあることがわかってくる。ある言葉を発した途端に、切れないものまでが切れてしまう。たとえば、眉毛という言葉を発すると、眉毛とそれ以外の体毛が分かれて、眉毛だけを特別に切り出せるように。

だからだろうか、昨今では男女にかかわらず眉毛をいじっている人が多い。何度も鏡を見ながら、眉毛とそれ以外の体毛の線引きをしている。それがままならないと、剃り落として、新たなものを描いたりする。まさに眉毛に対する極度の言語化ではなかろうか。

この夏休みに青木塾なるものを開講し、十九名の三回生たちに特別授業を行った。プログラミングの総復習から、バージョン管理・パッケージ管理・プロジェクト管理など、広範なこと(ソフトウェア工学)を実践的に水先案内した。

その際にも「線引きとは何だろう…」と思った。三十年ほど前に師匠から頂戴したプログラムを改変し、それを資料として配付したからである。記憶をたどれば、師匠も「先生からもらった」と言っていた。どこが師匠の先生のプログラムで、どこからが師匠のプログラムなのだろうか、確かに私が改変を施したところは分かるには分かるのだが…

正直に申せば、私が改変に使った知識や技術も、もともと私由来のものではない。多くの方々から教わったものである。五十年以上も生きているので、その間に読んだ本や勉強した事柄は数知れない。どこからどこまでが自分なのかさえもハッキリしない。

仕方がないので、この現状をそのまま塾生たちに伝えた。そして、付け加えた「線引きする暇があったら、どんどんプログラムを流布して伝承せよ、先人たちのように!」と。


Updated: 2010/09/14 (Created: 2009/10/19) KSU AokiHanko