[BCN This Week 2010年3月8日 vol.1324 掲載](週刊BCN編集長の谷畑良胤さんの許可を得て記事を掲載)
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蓋棺事定

ふだんネットに頼り過ぎていないか。少々わからないことがあるとWebブラウザで検索、ちょっと人恋しいとか少し暇ができたらSNSやBlogにログインという具合に。

そんなに頼っていないという人でも、テレビ電子番組表から始まって、書籍や音楽の通販、ネット対戦型ゲーム、視聴者参加番組などに至るまで、ネットを介したものが身の回りに溢れてきたのを感じているはず。今や携帯電話もネット機器の一種。まさにコンピュータネットワークはインフラとなった。

しかしながら、水道や電気などのインフラと異なるところがあるように思う。節水や節電は叫ばれるが、ネット利用の節約キャンペーンを聞いたことがない。そのあたりをコンピュータネットワークに携わる身として省みてみたい。

私がいつも持ち歩いているiPhoneにはGPSが内蔵されており、今どこにいるのかがわかる。PlaceEngineなどを利用するとGPSが効かない場所でも測位ができる。位置取りができれば、その次は周辺をネットで情報検索。最寄りの駅やレストラン、そして、ストリートビュー等々へ。

これが高ずると、測位とネットの連携を自分自身に適用する関の山を超える。自分がいかほどの者かをシステムを使って調べるのである。あのひと検索スパイシーやマイミクなどで自身を含めた人間関係を測ったりする。

得られた情報が当人およびその関係を全射していないことは明らかで、参考程度であるはずなのに、だんだん噛まずに飲み込んでしまっている。クチコミなども手がかりでしかなかったのに、それらを頼りにして物や人を選別してゆく。

ネット検索して得られる情報は抄録の工夫が施され、それでもたくさんあるので食べ過ぎて消化不良。すると胃腸薬を服用するように、さらにネット検索。そして、今以上に精巧に推薦してくれるもの、適切に忠告してくれるシステムを待ち望む。まるで失敗から学ぶのを恐れるがごとく。

薬に習慣性があるようにネットにも常習性がある。いまや私はネット常用者となった。薬を服用することで失うものがある。ネットを常用して失っているものがあるにちがいない。鎮痛剤を服用して痛みを抑えても、患部が治っているわけではない。吟味もせずに丸飲みを続ければ味音痴は必定。

棺をおおいて事が定まる(その人の真価は棺にふたをしたときに決定される)と言う。自分自身の測位や値打ちをネット上のシステム任せにしたら、この言葉はどうなるのであろうか。


Updated: 2010/03/08 (Created: 2009/10/19) KSU AokiHanko