[BCN This Week 2009年6月1日 vol.1286 掲載](週刊BCN編集長の谷畑良胤さんの許可を得て記事を掲載)
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プログラムの音読のすすめ

視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚、これらを五感という。第六感があるのかないのか。第六感を意識だとする向きもある。眼・耳・鼻・舌・身・意と並べて、色・声・香・味・触・法と対をなす。これらのことごとくが無いと説く経典もある。プログラムが無ければ、ただの箱とまで称されるコンピュータ。さてさて、プログラマは五感のうちのいずれを用いてコンピュータを動かしているのだろうか。

ヒトは五感からの入力を得ながら脳ミソで情報を処理して運動する。今まさに私はコンピュータのキーボードを手先で押し、ディスプレイに一字一句と連なってゆく文字列を眼で追いながら、原稿を書き下ろしている。明らかに触覚と視覚を使っている。書いた文章を声に出して読み上げたりもするので、実は聴覚も使っている。

けれども嗅覚や味覚までを使っているとは言い難い。鼻や舌の感覚は言語野から遠いのであろう。確かに匂うものや味なものは、かんばしい、くさい、おいしい、まずいぐらいの言ノ葉にしかならない。一方、視覚・聴覚・触覚の三つには、文字・音字・点字があって、眼で見て・耳で聞いて・手で触って読める。様々な言ノ葉にしやすい。

人間は五感のうちの三つ以上を感じると、実体のあるモノとして認識する。一つか二つだけだとモノにならないことが多い。たとえば、夕焼けなどは視ることはできるが、聴くことも触ることもできない。モノとして認め難くなる。

コンピュータ界において、モノにならない代表格がソフトウェア。その対極がハードウェア。プログラムは形がないとされるので、一般的にはソフトウェアに属するが、本当だろうか。私は三十年あまりプログラムを作り続けてきて、視覚・聴覚・触覚でプログラムを感じられるようになった。

Object-Oriented Programming(OOP)をやり過ぎたのか。OOPを日本ではオブジェクト指向プログラミングと訳す。中国では面向対象程序と訳される。対象に面を向けて話しかける、モノにメッセージを送るようにプログラムを作るという意図からすれば、中国語訳のほうが適切であろう。

数学者は数理に話しかけ、物理学者は素粒子と話す。プログラマもプログラムと会話する。門外漢にはとてもモノに感じられないだろうが、ありありとしたモノだからこそ思考の対象となる。プログラムをモノにする早道は、黙読よりも、音読である。手を動かしてマウスで選んだところを声に出して読み上げるのがいい。


Updated: 2009/12/22 (Created: 2009/10/03) KSU AokiHanko