エンタープライズ寄港阻止闘争事件
上告審判決

道路交通法違反、公務執行妨害、日本国とアメリカ合衆国との相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法違反、傷害被告事件
最高裁判所 昭和56年(あ)第561号
昭和57年11月16日 第三小法廷 判決

上告申立人 被告人

被告人 C 外4名
弁護人 小西武夫 外1名

■ 主 文
■ 理 由

■ 弁護人小西武夫、同小泉征一郎の上告趣意


 本件各上告を棄却する。

[1] 各所論は、違憲をいうがごとき点をも含め、その実質は、いずれも事実誤認、単なる法令違反の主張にすぎず、適法な上告理由にあたらない。
[2] 所論は、憲法76条1項、81条、37条1項、31条、21条違反をいうが、その実質は、原判決の判断遺脱及び被告人らの行為の正当性を主張し、また、公務執行妨害罪における職務行為の適法性などを争う単なる法令違反の主張にすぎず、いずれも適法な上告理由にあたらない。
[3] 所論は、道路交通法(以下「道交法」という。)77条1項4号、長崎県道交法施行細則(昭和35年長崎県公安委員会規則第10号。ただし、同47年同県公安委員会規則第4号による廃止前のもの。以下同じ。)15条3号の各規定は、道路における集団示威運動の権利を不当に制約するものであるから憲法21条に違反するというのである。
[4] しかし、道交法及び長崎県道交法施行細則の右各規定は、「道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する障害の防止に資する」という目的(道交法1条参照)のもとに、道路を使用して集団行進をしようとする者に対しあらかじめ所轄警察署長の許可を受けさせることにしたものであるところ、同法77条2項の規定は、道路使用の許可に関する明確かつ合理的な基準を掲げて道路における集団行進が不許可とされる場合を厳格に制限しており、これによれば、道路における集団行進に対し同条1項の規定による許可が与えられない場合は、当該集団行進の予想される規模、態様、コース、時刻などに照らし、これが行われることにより一般交通の用に供せられるべき道路の機能を著しく害するものと認められ、しかも、同条3項の規定に基づき警察署長が条件を付与することによつても、かかる事態の発生を阻止することができないと予測される場合に限られることになるのであつて、右のような場合にあたらない集団行進に対し警察署長が同条1項の規定による許可を拒むことは許されないものと解される。しかして、憲法21条は、表現の自由を無条件に保障したものではなく、公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであることは、当裁判所の確立した判例(昭和35年(あ)第112号同年7月20日大法廷判決・刑集14巻9号1243頁、同41年(あ)第536号同43年12月18日大法廷判決・刑集22巻13号1549頁、同42年(あ)第1626号同45年6月17日大法廷判決・刑集24巻6号280頁、同34年(あ)第1540号同35年3月3日第一小法廷判決・刑集14巻3号253頁)であつて、前記のような目的のもとに、道路における集団行進に対し右の程度の規制をする道交法77条1項4号、長崎県道交法施行細則15条3号の各規定が、表現の自由に対する公共の福祉による必要かつ合理的な制限として憲法上是認されるべきものであることは、これらの判例の趣旨に徴し明らかなところである。所論は、理由がない。
[5] また、所論は、道交法77条1項、119条1項12号の各規定は、その内容があいまい不明確であるから憲法21条に違反するとも主張するが、道交法の右各規定による規制の場所、対象等は明確であつて、その内容が所論のように不明確であるとはいえないから、所論は前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。
[6] 所論は、判例違反をいうが、所論引用の判例は、所論のように、わが国が独立国として締結したいわゆる日米新安保条約(昭和35年条約第6号日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)がわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものではないとの判断を含むものとは認められないから、所論は前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。
[7] 所論は、憲法31条違反をいうが、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法2条が所論にいう不合理な差別法規として憲法31条に違反するものでないことは、当裁判所大法廷判例(昭和34年(あ)第710号同年12月16日判決・刑集13巻13号3225頁、同41年(あ)第1129号同44年4月2日判決・刑集23巻5号685頁)の趣旨に徴し明らかなところである。所論は、理由がない。
[8] 所論は、憲法31条違反をいうが、その実質は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

[9] よつて、刑訴法408条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 寺田治郎  裁判官 横井大三  裁判官 伊藤正己  裁判官 木戸口久治)
[1] 米国によるベトナム戦争が、残虐極まりない非人道的なものであつたことは全世界的に公知の事実である。
[2] 資本主義国最大の軍事力を有する米国がその総力をあげてベトナム人民殺りく戦を遂行したのであつた。
[3] 例えばトンキン湾事件、これは米軍による北ベトナム爆撃の口実をつくるため米軍自身によつてしくまれた事件であつたことは後に公表されたところである。このトンキン湾事件以降北ベトナムの首都ハノイに対する無差別爆撃によつて都市の破壊とともに老若男女を問わず多くの人々を殺害した。また南ベトナムにおいても、過去のどの戦争をもはるかに凌駕する大量の爆弾が投下され、またナパーム弾、ボール爆弾等の殺人兵器や化学兵器が続々と開発され、投下された。
[4] ベトナムは、生きている人間を対象とした近代殺りく兵器の実験場と化したのであり、その残虐さ、非惨さは言語を絶するものであつた。そこでは核兵器を除くあらゆる兵器を投入して、ベトナム人民皆殺し(ジエノサイド)戦を米軍は遂行したのである。

[5] 右のごとき侵略戦争に、日本政府は全面的に加担し、支援してきた。佐藤首相は、米軍の作戦行動は国連憲章51条による集団的自衛権の行使であるから正当であり、日本政府もこれを支持する、旨を公表し、自らもベトナムを訪問して、アメリカの傀儡政府を激励してきた。我国の嘉手名、横田等の米軍基地は、ベトナムに対する爆撃や偵察の基地として使用されて来た。また立川、横須賀、相模原等の基地は、物資や兵器をベトナムへ輸送するための集積所として、また破壊された兵器等を修理工場へ運ぶための集積地として機能してきた。また日本全土の米軍基地は、兵員の療養、慰安、訓練等のための後方基地としての役割を果たしてきた。また我国は、米軍用の軍需物資の生産供給を行うことによつてその経済は大いに潤い、いわゆるベトナム特需と称される好景気を享受した。
[6] このような我国のベトナム戦争加担の最たるものが、本件エンタープライズ艦隊の入港であつた。この艦隊は原子力空母エンタープライズ号の外巡洋艦とフリゲート艦から成つており、いずれも原子力推進で、長期的かつ高速で作戦行動に就くことができ、アメリカの第7艦隊の中心艦隊としての地位を占め、米軍の北ベトナム爆撃を遂行するための主力部隊として、ベトナム戦争の最前線で戦つてきたものである。
[7] 右のごときエンタープライズ号の入港を認めることは、米国のベトナム侵略に協力することになるのは明らかである。これが我国の現行法上認められるか否かが問題である。

[8] エンタープライズ号の入港を許した政府の行為は、憲法前文の平和主義に違反している。また入港の根拠になつた日米安全保障条約は、憲法前文ならびに第9条に違反している。またエンタープライズ号の入港手続に限つた場合でも,それは安保条約6条の極東条項に反しており、また事前協議条項にも違反している。
[9] 右のごとき弁護人の主張に対して原判決は、
「エンタープライズ号の入港およびこれを許したわが国政府の措置の当否の如きは、違憲・違法の点を含めて政治の問題であり、国会の監督すべき行政・外交のあり方の問題であつて……。裁判が政治に関与することは許されない」
とする。これは三権分立の誤解である。「エンタープライズ号を入港させるかどうか」それは原判決が言うとおり正しく政治の問題である。従つて政治的に決せられる。次に、その決せられたところに従つて具体的にとられた措置(処分、その他)が憲法や関係法令に適合しているか否か、これは正に司法の問題である。即ち第一次的には政治決定が行われ、次にそれを実施していく過程で第二次的に法令適合性の問題が生じてくるのである。第一次の判断が政治判断であるから、それ以降の措置についても司法は介入しないという原判決の論理をもつてするなら、国会や政府が為したことは一切司法判断の対象外になる。なぜならそれらの行為は第一次的には常に政治判断で決定されることがらだから。原判決の右の論理は、いわゆる統治行為論(米国で、政治問題と称される理論)とも全く異なりその誤りであることは明白である。原判決は司法権の帰属ならびに権限を定めた憲法76条1項及び81条に違反している。

[10] また原判決は、次のように述べている。
「目的の正当性が必ずしも行為を正当化するとはいえないことを考えれば、民主主義およびこれを背景にする現行憲法・法秩序の下では、被告人らの本件のような行動が正当な行為などといえないことは明らかである」
と、全く独断的に、超訴訟法的に判断している。相手の違法行為に対抗してとられた手段の正当性、違法性を判定するには、相手の当該違法行為の内容及び違法の程度を認定することが不可欠である。ところが相手の違法行為については、裁判が政治に関与することになる、として一切の判断を控え、被告人らの対抗手段だけをとり出して、前述のとおり「正当な行為などといえない」と、結論だけを示している。これは政治的対立の一方(権力側)に与する政治的偏見に基づく裁判であり、憲法37条1項及び同31条に違反している。
[11] 原判決は、同様に、
「エンタープライズ号の佐世保入港によつて直ちにベトナム人民の生命に対する侵害が急迫化するものではない」
と述べているが、これも証拠に基づかない全くの独断である。このような判断も、政治的偏見に基づく不公正な判断であり、憲法37条1項、同31条に違反している。
[12] 本件エンタープライズ号入港阻止斗争に関しては、警備当局は数々の違法行為を行つた。先ず学生らを佐世保へ行かせないために、飯田橋、広島、博多等で行つた予防検束、佐世保での基地へ通ずる道路の封鎖、催涙液放水、催涙弾の直撃、警棒による乱打等々である。
[13] 被告人らが政治的小数者の意思を表現しようとしたのに対して、それを弾圧しようとした警備当局の右のような違法行為を被告人らの刑責を問ううえでどのように評価すべきかが問題である。
[14] 原判決は、これらを巧みに切断して評価した。即ち予防検束については、「警察官の側に行き過ぎた取締行為が見受けられないではなく」と、一応は言及したものの、これらは本件各犯行の成否に直接の関係があるとは考えられない、として実に簡単に切捨てた。これらの予防検束をかいくぐつて、ようやく佐世保に到着した学生らにとつて、その予防検束の経験が佐世保での彼らの行動に影響していない等とは、どうして言えるのであろうか。むしろ当然の影響を考えることこそ自然の道理である。実際には、これらの事前弾圧、予防検束の経験が、本件斗争初日(1月17日)の学生らの行動を大きく規制した。そしてさらに、この初日に、警察部隊の催涙液使用により多数の者が火傷を負つたこと、また警棒による乱打で頭を割られた者も多数にのぼつたこと、それらの経験が、第2日目以降の斗争形態を規定したのである。この関連性を切断し、しかも警察部隊の阻止線、即ち天下の公道を封鎖し、許可をとつたデモ隊に対してすらその通行を阻止した行為を適法なものと前提したうえで、その阻止線を突破しようとした被告人らの行為のみをとり出して、その場面のみに限定して評価しようとする原判決の認定方法は、本件のごとく、言論表現の権利の行使に際して発生した紛争を刑事的に評価する方法として既に誤つている。
[15] 被告人らの行動は、エンタープライズ号の入港に反対するという政治的少数者の政治的見解を表明する行動であり、憲法21条で保障されるところの言論表現の自由に含まれるところの参政権的権利である。少数者の、この、政治的反対行動の権利が保障されることこそ民主主義の大前提である。従つてそれに対する事前規制は原則として許されない。しかるに本件では、基地方向に通じる道路を橋の上で、事前に封鎖した。しかもその警備を適法としたのは、学生らの事前の演説等の言論行為に根拠を置いている。それは秘密の謀議のようなものではなく、演説等で大衆に呼びかけた言葉である。このような言論を根拠としてその後の抗議行動の権利の全面剥奪即ち道路を封鎖してしまうことを是認している原判決は、憲法21条の言論表現の権利の保障に違反している。
[16] また学生らが警察部隊による公道上の阻止線を突破するのを防ぐためと称して、警察部隊が毒物であるオメガクロルアセトフエロンを主成分とする催涙液を放水し、多数の学生らに重度の火傷を負わせたことも絶対に許されないことである。学生らが警察部隊と衝突したのも、抗議の意思を表わす行動を貫徹せんがためである。しかるにそれに対して火傷を起すような薬品をあびせかけたのは明らかに警察比例に反するものであり、それを是認した原判決は結局憲法21条に違反している。
[17] 1月18日の関係で午後2時30分から2時40分まで10分間松浦交差点から佐世保橋に到る区間を無許可で行進したということで、道路交通法違反とされている。

[18] そもそも道路交通法をもつてこのような規制が許されるのか、このような法の適用が許されるのかどうか、先ずこの点から考える必要がある。道路を使用するということは、いつたいどういう意味なのか、集団示威行進をする場合に道路を使用することの意味を考える必要がある。取締当局は、道路の使用というのは、ようするに単なる通行である、通行の場であるとして、集団示威運動に対しては、言うならば道路を貸してやるのだ、というような発想に立つている。道交法としては、デモ行進もただの通行である、それに一時貸してやるだけだから、それに対してはあらゆる種類の規制が出来ると考えている。
[19] しかしながら集団示威運動というものは、極めて重要な基本権であり、単なる表現の自由のみならず、あるいは集会・結社の自由のみならず、一種の参政権として、民主主義体制を支える基本的人権である。民主々義は、少数意見が充分に保障されていること、その表現が保障されているところに、初めて成り立つ制度である。政治的少数意見の表明を支えるのが、この集団示威運動である。これは、表現の自由よりむしろ参政権の一態様であると指摘されているところである。
[20] この集団示威運動の権利を行使する為に道路を行進するのである。即ち、道路を通行するということは、この権利を行使する手段であり、態様に過ぎない。集団示威運動の権利は憲法上保障されているが、その行使手段を全面的に禁止しているのが、道路交通法の現在の規定である。
[21] 第77条で全面的に禁止し、特別に許可を得た時だけ部分的にその禁止を解除するというのが現在の規定である。このようなことが許されるのかどうかという問題である。言論について言うならば、表現の自由は保障するが、言葉を発することは禁止しておる、個々的に言葉を発する段階で許可を得なければならない、というのと同様である。このように手段を規制してしまえば、基本の権利をいかに保障してみても無に等しいことである。ここに道路交通法の違憲性がある。

[22] 取締当局が考えている考え方、すなわち道路とは通行の為のものである、集団示威運動には使用させてやるだけである、という考え方を問題としなければならない。およそ集団示威運動というのは、常に交通の安全に劣後し、道路交通法を侵してはならないというその範囲だけでしか、出来ないものだと言えるのかどうか。逆に言うならば、集団示威運動よりも、道路の円滑な通行というものは常に優越した権利、常に優越した利益として位置づけられるものなのかどうかという問題である。この点について取締当局の考え方は、集団示威運動の参政権的人権としての重要性を理解しないものであり、基本的に間違つていると言わざるをえない。

[23] 次に現在の道路交通法77条が制定された時の改正の経過を見てみる。これは、昭和34年当時までの道路交通取締法が全面的に改正され、現在の道路交通法が制定された。しかし、この重大な77条については、ほとんど議論らしい議論はなされていない。何故ならば、このような治安立法としての運用を全く子定していなかつたからである。道路交通取締法を道路交通法に全面改正した事情は、交通事情が急激に変化・発達を遂げ、いわゆるモーターライゼーシヨンが進行した為に、旧来の取締法が追いついていかない、それを現状に合わせる、という点に最大の主眼があつたのである。それで、その観点から77条の規制が考えられてきた。従つて、この規定の改正も、主に道路における工事であるとか、露店の営業であるとか、そういうものを規制することに主眼があつたものであり、集団行為を主に規制する為のものではないということは、立法当局者も国会で答弁している通りである。
[24] 本来、御祭りであるとか、あるいは露店営業等を現状に合わせて規制するということを主眼としたこの77条が、その便利さ、弾圧のための有効さのために、治安立法として運用されて来てしまつたというのが実状である。

[25] 道路交通法77条は、集団示威運動について許可制にしているが、これはいつたい許されるのかどうかが問題である。これは表現の自由の行使に対する一般的な禁止であり、許可によつて部分的に解除するということであり、これは憲法違反であると言うべきである。最高裁は新潟県公安条例を合憲だと判断した中において(非常に苦しい論理であるが)実態は一般的な禁止とその部分的解除ではないとし、実質届出制であるとして、違憲論をかわした。ましてやこの道路交通法による許可が、現在運用されておるような、一般的な禁止とその部分的解除であるとするならば、当該規定は憲法に違反することは明白である。
[26] 百歩譲つてこの規制を合憲であると解するためには、77条の実質は届出制であるとせざるを得ないのである。そう解する以外に合憲であると解する余地はない。とすると、同じ道路交通法77条の規定が祭礼行事あるいは道路工事等に対して適用になる場合には、一般的禁止を前提とした許可であるということになり、同じ条文が集団示威運動に対して適用になる場合には、これは実質届出制であるということになる。しかしそれが、この条文を合憲であると解するための唯一の道である。

[27] 次にこの処罰対象者であるが、いつたい誰が処罰されるのかが不明である。現在の運用は、無許可で道路を使用したことで全員を処罰対象としている。これは露店を無許可で営業したような場合には一応筋は通る。しかし、集団的な行為を対象にした場合、そこに単なる参加者一人一人に対しても、無許可の責任を問い、刑事責任を追求するということは、解釈として不当である。許可とは何の許可かということが問題になる。無許可が処罰対象である以上は、当然、その人に許可を申請すべき義務がなくてはならない。許可申請の義務者は集団行動の主催者あるいは責任者である。その主催された集団行動に一個人として参加した者は、その一個人の立場から、集団全体の行動について、許可申請すべき義務があるということは到底言えないのである。従つて義務違反と考える余地もない。然るに本件等においては、全ての参加者がこの処罰対象になるという運用がされている。
[28] 一方、公安条例では、主催者、指揮者、せいぜいが煽動者までを処罰対象としている。道路交通法は公安条例以上の厳しい取締法規であり、集団示威運動に対する大弾圧法規である。

[29] 集団示威行進が無許可の場合、常に処罰対象となるのか、という問題がある。本件当時は既に機動隊によつて、橋の上は封鎖されており、道路交通はストツプしていたのであり、道路交通は行なわれない状態であつた。従つて一般交通に著しい迷惑・影響を及ぼすか否かとの点は、既に問題外だつたと言うべきである。既に道路はストツプしているのにそこにおいて、改めて円滑な交通の維持ということを目的にした許可を取れ、ということは矛盾である。この点については道交法77条による規制の典型的な場合として祭礼行事、いわゆる御祭りの場合を考えれば良い。祭礼行事、例えば神社の祭りの場合、町内会であるとか、何らかのそのような主催団体が許可を取れば良いのであり、それで足りる。それで道路は通行止めとなるのであり、その後車道を歩いている個々の人が許可を取つているわけではない。主催者あるいは代表的な組織において、道路使用の許可をとれば、あとはそこは自由に使用できるのであり、改めて許可を得る必要はない。
[30] 本件の1月18日は5万人集会、21日は2万人集会で極めて多数の人達がこの正規な集団行進に参加し、道路は人々でいつぱいにあふれていた。さらに警察部隊がこの道路を封鎖して、人々をあふれさせていた状況下において、許可を得ていたか否かを問題にするという論理自体が、極めてナンセンスである。そこで保護すべき法益とは何か。警察部隊の封鎖によつて引き起こされた混乱状態なのか。このような観点からも、本件における道交法の適用は、正に治安立法としての適用であり、法の趣旨を著しく逸脱するものであり、許されるべきではない。
[31] 道路交通法77条という規定は、右に見たごとく極めて漠然として不明確なものであり、規制の場所、対象等も不明確であり、又他の基準、いかなる条件をいかなる場合に適用出来るのかについても極めて不明確である。いわゆる漠然・不明確による違憲と言つて差し支えない。又このような規定を本件のような事例に適用して、被告人らを処罰するということであれば、その限りにおいて違憲であるということができる。道路交通法の適用を是認した原判決は、結局憲法21条に違反するものである。
一 判例違反
[32] 原判決は、最高裁大法廷昭和34年12月16日判決(以下砂川事件判決と略称する)に違反している。
[33] 原判決は、刑特法2条及び安保条約の違憲について
「同条およびこれに基づく米国軍隊の駐留が憲法前文及び同法9条に違反すること一見極めて明白であるとは認められないから、刑事特別法2条が憲法31条に違反するものとはいえない。」
としている。原判決が引用している前記砂川事件判決は次のように述べている。
「本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであつて、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従つて、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承諾権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきものであると解するを相当とする」。
[34] 先ず右は、言わゆる統治行為論を厳格に適用したものではなく、自由裁量論に立つている、とも言い得ることである。次に同判決が右の論理を展開(適用)する前提となつた事実として、「平和条約との一体性」が強調されていることが銘記されなければならない。次の如くである。
「右安全保障条約は、日本国との平和条約(昭和27年4月28日条約5号)と同日に締結せられた、これと密接不可分の関係にある条約である。……本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきである」。
[35] この前提事実の存在に、十分留意しなければならない。
[36] ところで原判決はもう1つの最高裁判決である安保6・4仙台高裁事件について最高裁大法廷昭和44年4月2日判決をも引用している。新安保条約締結反対斗争において、全司法仙台支部が職場大会を開いたことが、国家公務員法に問われた事実である。同事件弁護人の、新安保条約違憲の主張に対して裁判所は、
「安保条約のごとき、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係をもつ高度の政治性を有するものが違憲であるか否かの法的判断をするについては、司法裁判所は慎重であることを要し、それが憲法の規定に違反することが明らかであると認められない限りは、みだりにこれを違憲無効のものと断定すべきではないこと、ならびに新安保条約は、憲法9条、98条2項および前文の趣旨に反して違憲であることが明白であるとは認められないことは,当裁判所大法廷の判例(前記砂川事件判決)の趣旨に照らし、明らかである」。
[37] 新安保条約が司法審査の対象外であることについて、わずかこれだけのことしか述べていない。旧安保条約に関する砂川判決を全面的に引用している。しかし旧安保と新安保が著しく相違していることは明白である。砂川判決において裁判所が審査を排除した高度の政治性とは、わが国の独立、即ち平和条約の締結と密接不可分であることを指していた。即ち、旧安保条約は、平和条約と同日に締結されたこと、平和条約6条(a)項但書は、旧安保条約を対象にした(念頭に置いた)条項であること、これに当時の国連加盟60カ国中40数カ国の多数国家が賛成調印していること、を認定したうえで、旧安保条約は、主権国としてのわが国の存立の基礎(即ち平和条約の締結)と極めて重大な関係があると判断したのである。新安保条約は独立国日本が、米国と独自に結んだ条約であり、平和条約と前述のごとき密接不可分性が存しないことは多言を要しない。右のごとき前提事実の明白な相異を無視して、砂川事件判決の用語だけをとつてつけた安保6・4事件判決は、全くの理由不備であり、この点についての判断に関する限り、判例としての価値がないと言つて良い。
[38] 原判決は、安保6・4事件の用語例にならつているのであり、前記砂川事件最高裁判決に違反している。

二 憲法31条違反
[39] 刑事特別法は憲法に違反して無効である。
[40](一) 刑事特別法が保護しようとしている利益は、仮りに同法がないならば、軽犯罪法32号において保護されている法益である。そして軽犯罪法違反の場合は、拘留又は科料にすぎないが、この刑特法違反の場合には、1年以下の懲役又は2,000円以下の罰金である。そこで、右のごとく両者で差を設け、刑事特別法をもつて特に厚く保護すべき合理性があるか否かが問題である。刑特法による保護の根拠としては安保条約に基づく米軍の駐留であるが、これは刑に差を置いてまで保護するには値しない。
[41] 憲法9条あるいは憲法前文等の規定からして、米軍の駐留というのは、我が国の憲法体制に合致しないものである。このようなものを根拠とする刑特法は、不合理な差別をしているものであり、憲法31条に違反している。
[42](二) 百歩譲つて、具体的本件事案に対する刑事特別法適用の適否を検討する。
[43] 同法の罰条は、合衆国軍隊が使用する施設又は区域であつて入ることを禁じた場所に正当な理由なく入ること、が構成要件である。要するに米軍の施設等を軽犯罪法よりは厚く保護しようというのである。ところで、本件被告人両名が立ち入つた場所は、公園である。公園、教会、野球場、プール、ボウリング場、映画館等の施設がある区域の、公園の部分、教会前の芝生の部分に入つたのである。このような施設、区域は、合衆国「軍隊」が使用するもの、とは言えない。刑事特別法の根拠となつている日米地位協定では、合衆国軍隊と、軍隊の構成員、軍属、家族を、明確に区別している。被告人らが入つた公園や芝生は、軍隊の構成員やその家族が使用する施設であるが、軍隊が使用する施設には該当しない。このような娯楽施設までも本法を適用して重罰をもつて保護するならば、まさに不合理な差別法規として憲法31条に違反するものである。(ちなみに、いわゆる砂川事件は、基地の滑走路に侵入したという事例であつて、本件とは事案を異にする)。
[44] 刑特法の適用を是認した原判決は、結局憲法31条に違反するものである。

(その他の上告趣旨は省略する。)

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