社会保険事務所職員赤旗配布事件
第一審判決

国家公務員法違反被告事件
東京地方裁判所 平成16年(特わ)第973号
平成18年6月29日 刑事第2部 判決

被告人 A 昭和28年○月○日生
 職業 国家公務員(厚生労働事務官)

■ 主 文
■ 理 由


 被告人を罰金10万円に処する。
 その罰金を完納することができないときは、金5000円を1日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
 この裁判確定の日から2年間その刑の執行を猶予する。
 訴訟費用は被告人の負担とする。

 被告人は、社会保険庁東京社会保険事務局目黒社会保険事務所に年金審査官として勤務していた厚生労働事務官であるが、平成15年11月9日施行の第43回衆議院議員総選挙に際し、日本共産党を支持する目的をもって、
第1 別表1記載のとおり、同年10月19日午後0時3分ころから同日午後0時33分ころまでの間、東京都中央区月島×丁目×番××号所在のB不動産ほか12か所に同党の機関紙たるしんぶん赤旗2003年10月号外(「いよいよ総選挙」で始まるもの)及び同党を支持する政治的目的を有する無署名の文書である東京民報2003年10月号外を配布し、
第2 別表2記載の上おり、同月25日午前10時11分ころから同日午前10時15分ころまでの間、同区晴海×丁目×番×号所在のα×号棟2201号室C方ほか55か所に前記しんぶん赤旗2003年10月号外及び前記東京民報2003年10月号外を配布し、
第3 別表3記載のとおり、同年11月3日午前10時6分ころから同日午前10時18分ころまでの間、同区晴海×丁目×番×号所在のβ506号室D方ほか56か所に同党の機関紙たるしんぶん赤旗2003年10月号外(「憲法問題特集」で始まるもの)及びしんぶん赤旗2003年11月号外を配布し、
もって、政党のために、人事院規則で定める政治的行為をした。
(括弧内の甲乙の数字は証拠等関係カード記載の検察官請求証拠の番号を、弁書の数字は同カード記載の弁護人請求証拠〔書証〕の番号をそれぞれ示す。また、〈 〉内の数字は別表1の番号、《 》内の数字は別表2の番号、{ }内の数字は別表3の番号の各事実をそれぞれ示し、当該証拠がこの事実と対応関係にあることを示す。)

判示事実全部について
○ 被告人の公判供述
○ 被告人の検察官調書(乙3、4)及び警察官調書(乙2)

判示冒頭の事実について
○ 証人E及び同Fの各公判供述
○ E(弁書126)及びF(弁書127)の各警察官調書写し
○ 捜査報告書(甲1〜4)
○ 職務経歴証明書(弁書145)

判示第1ないし第3の各事実について
○ 証人G(第3〜5回)、同H(第14回)及び同I(第14回)の各公判調書中の供述部分
○ 捜査報告書(甲65、66)

判示第1及び第2の各事実について
○ 第7〜9回公判調書中の証人Jの供述部分

判示第1及び第3の各事実について
○ 第10回公判調書中の証人Kの供述部分

判示第1の事実について
○ 第10、11回公判調書中の証人Lの供述部分
○ 任意提出書(甲15〈1〉、67〈4〉)
○ 住民票(甲68〈2〉、69〈3〉、70〈5〉、71〈6〉、72〈7〉,73〈8〉、74〈9〉、75〈11〉、76〈12〉、77〈13〉)
○ 押収してあるデジタルビデオカセット3巻(甲32、35、38。平成16年押第1630号の10、14、16)、しんぶん赤旗1枚(甲57。同押号の2)及び東京民報1部(甲58。同押号の3)

判示第2の事実について
○ 第12回公判調書中の証人Mの供述部分
○ 住民票(甲78《1》、79《2》、80《3》、81《5》、82《6》、83《8》、84《9》、85《10》、86《11》、87《12》、88《13》、89《14》、90《15》、91《16》、92《17》、93《18》、94《19》、95《20》、96《21》、97《22》、98《23》、99《24》、100《25》、101《26》、102《27》、103《28》、104《29》、105《30》、106《31》、107《32》、108《33》、109《34》、110《35》、111《36》、112《37》、113《38》、114《39》、115《40》、116《41》、117《42》、118《44》、119《45》、120《46》、121《48》、122《49》、123《50》、124《51》、125《52》、126《54》、127《55》、128《56》)
○ 押収してあるデジタルビデオカセット2巻(甲41、44。同押号の11、17)、しんぶん赤旗2枚(甲59。同押号の4)及び東京民報2部(甲60。同押号の5)

判示第3の事実について
○ 証人N(第12、13回)、同O(第13、14回)及び同P(第14回)の各公判調書中の供述部分
○ 住民票(甲129{1}、130{2}、131{3}、132{4}、133{5}、134{6}、135{7}、136{8}、137{9}、138{10}、139{11}、140{12}、141{13}、142{14}、143{15}、144{16}、145{17}、146{18}、147{19}、148{20}、149{21}、150{22}、151{23}、152{24}、153{25}、154{26}、155{27}、156{28}、157{29}、158{30}、159{31}、160{32}、161{34}、162{35}、163{36}、164{37}、165{38}、166{39}、167{40}、168{41}、169{42}、170{43}、171{44}、172{45}、173{46}、174{47}、175{48}、176{49}、177{50}、178{51}、179{52}、180{53}、181{54}、182{55}、183{56}、184{57})
○ 押収してあるデジタルビデオカセット4巻(甲47、50、53、56。同押号の1、15、18、19)、しんぶん赤旗4枚(甲61〜64。同押号の6〜9)
罰条 判示第1及び第2の各所為
それぞれ包括して国家公務員法110条1項19号、102条1項、人事院規則14-7(政治的行為)6項7号、15号(5項3号)
   判示第3の所為
包括して国家公務員法110条1項19号、102条1項、人事院規則14-7(政治的行為)6項7号
刑種の選択   判示各罪についていずれも罰金刑を選択
併合罪の処理  刑法45条前段、48条2項(各罪所定の罰金の多額を合計)
労役場留置   刑法18条(金5000円を1日に換算)
刑の執行猶予  刑法25条1項
訴訟費用の処理 刑訴法181条1項本文(負担)
[1] 本件における弁護人の主張は多岐にわたるが、大別すると、次の7点である。すなわち、
(1) 本件公訴提起は違法な捜査に基づくものであり、公訴自体が違法無効である、また、差別的起訴であるなど、公訴権を檻用した起訴である、したがって、本件公訴は棄却されるべきである、
(2) 被告人の犯行を撮影録画したデジタルビデオカセット等の証拠は、いずれも違法収集証拠としてその証拠能力は否定されるべきであるから、本件犯罪事実を立証する証拠はなく、被告人は無罪である、
(3) 本件において被告人に適用される国家公務員法(以下「国公法」という。)110条1項19号、102条1項、人事院規則14-7(以下「規則」という。)6項7号、13号(5項3号)(以下、これらの規定をまとめて「本件国公法、規則の諸規定」ということがある。)は、憲法21条、31条等に反する無効な法令であり、被告人の行為は罪とならないから、被告人は無罪である、
(4) 本件国公法、規則の諸規定は、市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「自由権規約」という。)19条等に反する無効な法令であるから、被告人は無罪である、
(5) 仮に、本件国公法、規則の諸規定が憲法や自由権規約に反しないとしても、被告人の本件各行為は、国公法110条1項19号、102条1項の保護法益を何ら侵害するおそれがない行為であるから、本件各行為に本件国公法、規則の諸規定を適用することは、憲法21条、31条に違反する、また、本件各行為は、そのような点からして、本件国公法、規則の構成要件該当性を欠く、したがって、被告人は無罪である、
(6) 被告人の本件各行為は、規則6項7号、13号にいう「配布」に当たらないから、被告人は無罪である、
(7) 被告人の本件各行為は、実質的違法性を欠くから、被告人は無罪である、
というものである。
[2] これに対し、当裁判所は、弁護人の主張はいずれも採用することができないと判断した。以下、その理由について順次説明する。
1 違法捜査に基づく公訴提起であるとの主張について
(1) 弁護人の主張
[3] 弁護人は、(1) 本件は、公安警察による日常的な違法な情報収集活動により得られた事情に基づいて捜査が開始されたものであり、本件捜査の端緒は違法である、また、(2) 本件の捜査は、軽微な事案であるにもかかわらず、異常というほかない過剰な捜査体制の下で、長期間にわたり、被告人の尾行、かつ、ビデオによる盗撮という被告人のプライバシー権を著しく侵害する捜査手法をとるなどしており、違法な捜査である、そして、このような捜査の結果、被告人が逮捕され、本件起訴に至ったものであるから、違法捜査と本件起訴は一体となっており、起訴そのものが違法として公訴棄却されるべきであると主張する。
[4] そこで、まず、本件における捜査の端緒を検討した上、本件の捜査について、行動確認捜査と強制捜査等に分け、順次検討する。
(2) 捜査の端緒について
[5] 関係各証拠によれば、概ね、次のような事実が認められる。
[6](ア) 平成15年4月20日(以下、本項において、平成15年の出来事については、「平成15年」の表記を省略する。)、統一地方選挙に伴う中央区議会議員、中央区長選挙が告示され、これらの選挙は同月27日に施行された。土れに先立ち、警視庁本庁や各所轄の警察署には、2月末ころから、選挙違反取締本部が設置され、中央区月島、晴海地区を管轄する警視庁月島警察署(以下「月島署」という。)においても、同署警備課の職員を含め、警察官のほとんどが取締本部員となって活動し、必要に応じて、所轄管内を警らするなどして取締りに従事していた。
[7](イ) 上記選挙の告示日前日である4月19日午前9時半前後ころ、月島署警備課公安係勤務のQ巡査は、同係勤務のR巡査とともに、選挙違反取締りのため、車両に乗って聞き込み等に当たっていたところ、同区晴海b×丁目×番×号所在のα×号棟の玄関前道路を通りかかった際、被告人が同棟玄関内にある集合郵便受けにビラ様のものを多数投函している状況を現認した。Q巡査らは、まさに選挙違反取締要員としてその取締りに従事していたことから、被告人の投函行為について、事前運動や法定外文書の配布等の何らかの公職選挙法(以下「公選法」という。)違反に当たる行為ではないかといった不審を抱いた。そこで、Q巡査らは、垂外に出て2人で被告人の投函行為を約10分程度確認していたが、その後、被告人が同所から外に出たため、R巡査は被告人の後を追い、Q巡査は同玄関内に入って、複数の郵便受けに入っている被告人が投函したビラのいくつかを外部から確認した。そして、Q巡査は、これらのビラに、「まりこ勝彦」、「日本共産党」等の文字が記載され、上記中央区議選に日本共産党から立候補を予定していた鞠子勝彦と思われる写真が掲載されていることを確認した。Q巡査は、これが選挙に関するビラであると認識し、上司に当たる月島署警備課長代理のT警部に電話で報告したところ、T警部も、公選法上の違法文書の配布等の容疑があると考えたが、慎重に捜査を進める必要があるとして、とりあえず、Q巡査らに対して、被告人の行動確認を続けるよう指示した。
[8] 同日午後2時ころ、T警部は、自ら前記α×号棟に赴き、居住者の中からある人物(以下、便宜上「甲」という。)を選定して、同人方に投函された前記ビラの提出を依頼したが、甲が不在であり、家人しかいなかったため、その提出を受けることができなかった。T警部は、捜査が漏れることや、前記ビラが違法文書に当たらない場合には選挙妨害にもなりかねないことなどを懸念し、他の居住者からは前記ビラの提出を受けることなく、甲方の家人に対し、ビラの提出依頼について甲への伝言を頼み、その日はそのまま月島署に戻った。
[9] 一方、被告人の行動確認を続けていたQ巡査らは、いったん被告人を見失うなどしつつも、T警部からの指示を受けて付近の張込みを続けていたところ、同日午後7時過ぎころ、被告人が同区月島×丁目××番××号所在のまりこ勝彦事務所(以下「まりこ事務所」という。)内に入るのを発見、確認した。さらに、同事務所前で張込みを続けていたQ巡査は、翌20日午前0時30分ころ、被告人が同事務所から出てくるのを認めたので、その後を追ったところ、被告人が徒歩で同区晴海×丁目 ×番×号所在のγに移動し、その712号室前でいなくなるのを現認した。そして、Q巡査は、同室の部屋番号等を確認して、前記ビラを配布していた人物がAという名前の男(被告人)であることを突き止めた。
[10](ウ) 同月20日午前10時ころ、T警部は、甲から、前記ビラを保管しているが、今日受け取りに来られることは都合が悪い旨の連絡を受けたので、甲には、翌21日にビラの受け取りに伺う旨伝えた。
[11](エ) 同月21日朝、Q巡査らは、T警部の指示により、被告への素姓確認のため、被告人の行動確認を行った。そして、Q巡査らは、被告人が自宅から目黒区目黒×丁目×番×号所在の目黒社会保険事務所内に入るのを確認するなどして、被告人が同所に勤務する者であることを確認した。
[12] 他方、同日午前10時ころ、T警部は、前記α×号棟に再び赴き、甲から、被告人が同月19日に配布した前記ビラ(「中央区議団ニュース4月号外」、「中央新報2003年4月号外」の各1枚)の任意提出を受け、供述調書を作成するなどした。
[13] T警部は、同日午後2時ころ、月島署内に設置された選挙違反取締本部に前記ビラを持ち寄るのに先立ち、警視庁公安部公安総務課のG警部を通じて、警視庁本部の選挙違反取締本部に対し、前記ビラが公選法上の違法文書に該当するか否かについて照会した。G警部は、同日午後4時ころ、T警部に対して、前記ビラは違法文書には該当しない旨回答したが、被告人が国家公務員であるとすれば、国公法の政治的行為の禁止に抵触する可能性がある旨伝えた。
[14](オ) その後、G警部が、平成11年度版までの「東京都職員名簿」を調べるなどして、被告人が一般職の国家公務員であることを確認し、前記ビラの配布について、国公法違反被疑事件としての捜査が開始されることとなった。そして、同月23日、G警部とJ警部補の2人が、G警部の上司に当たるU管理官の命を受け、警視庁公安部公安総務課から月島署に派遣され、同月26日まで被告人の行動確認捜査を行い、また、足立区議会議員、足立区長選挙の告示日前日である5月10日にも、同区内で被告人の行動確認捜査を行うなどした。その結果、被告人がまりこ事務所に毎日のように立ち寄り、4月25日には、同事務所を出て中央区佃×丁目<以下略>地区で前同様のビラを配布しているところを現認するなどした。もっとも、この時期の被告人の配布行為については、現認状況、ビラの回収を含めた採証状況等を勘案して、検察庁に事件送致し立件することは見送られ、継続捜査となり、第43回衆議院議員総選挙が実施されることとなった10月11日まで、被告人に対する捜査がなされることはなかった。
[15] 以上の事実は、4月当時の上記捜査に関わったG、J、U、T、Q及びPの各警察官の証言から認められるものである。これらの各証言は、その証言内容が概ね根幹部分で符合し、具体的かつ詳細に供述がなされている上、G警部ら各作成に係る捜査報告書(弁書84〜92)の記載内容もこれらの供述を裏付けるものであるから、十分信用することができる。
[16] もっとも、弁護人は、上記各証言について、次のような点を挙げ、その供述内容が不自然、不合理であるなどとして信用性を争っている。すなわち、
(1) Q巡査らは、被告人が単にビラ様のものを配布している状況を目撃しただけで被告人に対して不審を抱いたというが、被告人は日常的に行われる商業ビラ等の配布と全く同じ態様でビラを配布していたのであるから、Q巡査らが選挙に関するビラであることを認識する以前に不審を抱くことはあり得ず、不自然である、
(2) 被告人がその当時配布していたビラは、印刷所で大量に印刷されたものであることが一見して明らかであり、こうした性質の文書が公選法違反として摘発されることはまずなく、他の政党においても一般的に配布するような合法的なビラであることは明らかであるのに、Q巡査やT警部がそのビラの配布に同法違反の容疑を抱いたというのは、不自然である、
(3) 公選法違反の捜査では、配布されたビラの早期確保が最も重要であり、しかも、違法文書の配布がどの程度大規模に行われたかを明らかにするためにも、できるだけ多くの配布先から当該文書の任意提出を受けるのが通常であるにもかかわらず、T警部は、甲からの任意提出にこだわり、他の前記α×号棟の居住者からは全く任意提出を受けようともせず、しかも、配布の翌々日になってようやく甲から提出を受けているが、これは、公選法違反の通常の捜査としては考えられず、不自然である、
(4) T警部は、容易にできるはずのビラの入手を後回しにしつつ、Q巡査らに被告人の尾行等を命じ、その住居・勤務先等の人定事項を捜査させているところ、このように、前記ビラが未だ違法文書に該当するか否か不明の段階で配布者の住居や勤務先等まで突き止めようとするのは、通常の捜査としてあり得ず、不自然である、
(5) 公選法違反の事件は、通常、刑事部の警察官が担当するのに、本件では、終始、警視庁公安部公安総務課や月島署警備課の警察官らが捜査を担当しているというのも、不自然である、
などという。そして、弁護人は、警察官らが証言するような捜査の端緒の筋書きは、公安警察による被告人に対する日常的な情報収集活動が真の端緒であることを覆い隠すためのでっち上げ、ねつ造である
旨主張する。
[17] しかしながら、(1)については、Q巡査らは、前記のとおり、当時、月島署に設置された選挙違反取締要員として、中央区議選、中央区長選の告示日前日であった4月19日に、まさに選挙違反の取締りに従事していたさなか、前記α×号棟の玄関内に設置された集合郵便受けに立て続けにビラを投函する被告人の姿を目撃したのであるから、ビラの内容を未だ確認しない段階にあっても、被告人が選挙に関するビラを配布しており、かつ、それが公選法違反の文書に当たるかもしれないなどといった可能性を考えて、被告人に不審を抱いたことは、特段不自然とはいえない。また、(2)については、前記ビラには、「まりこ勝彦」、「日本共産党」といった立候補が予想される特定の個人名や政党の記載があったのであるから、これらがたとえ印刷所で大量に印刷された文書であるかのような外観を呈していたとしても、一取締要員に過ぎないQ巡査やT警部らが、その内容を吟味することなく一見しただけで、これを違法文書に該当しないと即断し、公選法違反の捜査を遂げずに終わらせてしまうということは、警察における選挙違反取締りの在り方として好ましいことではない。そうすると、その当時の捜査に当たった警察官らの認識や、被告人に対して抱いたという嫌疑の程度はともかくとしても、被告人に対して公選法違反の疑いを抱きつつも捜査を続けたことをとらえて不自然ということはできない。さらに、(3)については、4月21日までの間は、未だ配布された文書が公選法上の違法文書に当たるか否かが断定できない状況にあったのであるから、T警部が、選挙妨害となることを懸念し、かつ、捜査の密行性を保つため、前記α×号棟の居住者からビラの提出を受けるに当たって、その対象者を甲ただ一人にとどめたのであり、また、その提出が遅れたのは、甲側の事情があったからであり、いずれの点も不自然などとはいえない。また、(4)については、ビラが違法文書に該当するか否かについての結論が出るまでの間に、配布者を尾行するなどしてその素姓を突き止めようとすることは、任意手段を用いてできる限りの捜査を遂げておくといった観点からみれば、決して不当なことではない。そして、(5)については、本件は、月島署警備課の警察官が選挙違反の取締中に捜査の端緒をつかんだものであるところ、G、U、Tらの各警察官の証言によれば、その上司として報告を受けたT警部が、たまたま仕事上の付き合いがあり、かつ、警視庁において選挙違反取締りに関する問合せの窓口となっている公安部公安総務課にいたG警部に相談したという経緯があったことから、そのまま警視庁公安部の警察官らが国公法違反の捜査を担当することになったというだけに過ぎない。したがって、公安担当の警察官らが本件捜査にその端緒から終始関与しているからといって、これをことさら不自然とみることはできない。
[18] 以上みてきたように、警察官らの証言により認められる本件捜査の端緒は、格別不自然なところはなく、これが虚偽の筋書きであるなどという疑いはない。公安警察が日常的に被告人に対する情報収集活動を行っており、これにより得た情報が実際にあった本件の端緒であるなどといった弁護人の主張は、憶測の域を出ず、これを具体的に裏付ける証拠は何もない(なお、弁護人は、本件捜査の端緒に関する5月8日付けJ警部補作成の行動確認報告書〔弁書91〕に、同人作成の11月4日付けビデオ解析結果報告書を参照する旨の記載がある点をとらえ、本件の捜査がなされた段階で、作成日付を遡らせて作成したとみるしかなく、これは、公安警察が本件捜査の端緒をねつ造したことの一証左であると主張している。確かに上記行動確認報告書は、その作成の半年後に作成されるビデオ解析結果報告書を参照している点において、不自然で、あり得ない記載といわざるを得ない。この点、作成者のJ警部補は、本来、5月8日付けのビデオ解析結果報告書を参照と記載すべきところ、日付を誤記した旨証言しているが、これを単なる誤記というのは、十分に納得できるものではない。もっとも、行動確認報告書の内容をみると、実際に参照すべきものは5月8日付けのビデオ解析結果報告書であって、内容として符合しているのであり、J警部補の証言全体が全く虚偽のものであるということはできない。そうすると、この記載からうかがわれることは、J警部補が11月当時に上記行動確認報告書を作成し直した可能性があるということまでである。もっとも、仮にそうであるからといって、直ちに、4月当時の捜査の端緒に関する警察官らの証言すべてが不自然であるということにはならないし、ねつ造云々とする弁護人の主張事実が認められるわけでもない。)。
[19] したがって、本件の捜査の端緒は、前記(2)アの認定事実のとおりであったということができる。そうすると、本件捜査の端緒には、何ら違法とすべき点が見当たらないから、弁護人の主張は採用できない。
(3) 本件の捜査について
 本件捜査の概要
[20] 本件捜査に携わったGら各警察官の証言等をはじめ、関係各証拠によれば、本件における捜査は、概ね次のようなものであったと認められる。
[21](ア) 被告人に対する国公法違反の被疑事件は、5月の段階で継続捜査とされていたところ、10月10日、衆議院が解散されたため、ほどなくして第43回衆議院議員総選挙が公示、施行される状況となった。そして、被告人が同選挙に際し再び同様のビラを配布することが予想されたことから、同月11日、G警部、J警部補、M警部補、K巡査部長の4名が警視庁公安部公安総務課から月島署に派遣され、月島署員とともに本件捜査を実施することとなった。なお、同月17日からは、上記公安総務課からL警部補、N警部補、O巡査部長の3名が新たに派遣され、本件捜査に加わった。
[22] G警部らは、衆議院解散の翌日である10月11日から総選挙施行の前日である11月8日までの29日間にわたり、被告人を尾行し、その行動を確認した。そのうち、平日の行動確認捜査は、約2、3名の捜査官が従事して被告人の出勤状況と退庁後の立寄り先等を確認しているが、被告人の目黒社会保険事務所における勤務状況までは確認していない。なお、10月29日と11月5日の水曜日には、平日にもかかわらず、7名又は9名の捜査官が参加しているが、これは、10月15日の水曜日に被告人が退庁後に千代田区神田神保町×丁目××番所在の日本共産党千代田地区委員会事務所(以下「千代田地区委員会」という。)に立ち寄った事実が認められたことから、被告人が同地区委員会に立ち寄りそうな様子がうかがわれた場合に限って、その立寄り状況を確実に把握すべく、捜査官を増員させたものである。
[23] 次に、被告人が出勤しない土日祝日は、概ね6名から11名の捜査官が被告人の行動確認に従事し、被告人が、朝、自宅を出るところから尾行を開始し、その立寄り先や接触した人物等を捜査している。その中には、被告人が千代田地区委員会やまりこ事務所に立ち寄った事実も含まれている。また、10月19日、同月25日、11月3日には、被告人が判示のとおりビラの配布行為を行っているところを現認し、後述のとおり、ビデオカメラに撮影した。被告人の配布したビラは、その後配布先から任意提出を受けて確認したところ、判示のとおり、「しんぶん赤旗2003年10月号外」、「しんぶん赤旗2003年11月号外」といった日本共産党の機関紙号外や、「東京民報2003年10月号外」といった日本共産党を支持する内容の政治的目的を有する無署名の文書であった(以下、政党機関紙号外ないしは政治的目的を有する無署名の文書を「政治的文書」ともいう。)。
[24] なお、行動確認に当たった捜査官らは、公道上や、人が自由に出入りできる開放空間等における被告人の行動を確認するにとどまっており、飲食店内や被告人の自宅等の屋内にまで立ち入って捜査を行ったことはない。
[25] そして、これらの行動確認の状況については、被告人の行動を整理し、その立寄り先や接触した人物等の特徴についても記載した報告書が作成されている(弁書93)。
[26](イ) G警部は、上記行動確認捜査に当たり、平日でも少なくとも1台、土日祝日には多くとも4、5台のビデオカメラを用意して、行動確認に従事する捜査官に持たせていた。そして、G警部は、上記捜査官に対し、被告人のビラ(政治的文書)の配布行為やそれに接着した行為、配布行為を行う可能性のある状況、あるいは、被告人がまりこ事務所や千代田地区委員会に立ち寄る状況等を、被告人に気づかれないような方法で撮影するよう指示していた。
[27] 捜査の結果、撮影したデジタルビデオカセットは約33本あり、うち9本が、被告人の判示各行為を撮影したものとして、当公判廷に提出されている(甲32、35、38、41、44,47、50、53、56。以下、これらを「本件ビデオカセット」という。)。その余のデジタルビデオカセットについては、その内容は不明であるが、上記の指示に従づて撮影されたものである。
[28](ウ) 被告人の判示各行為があった日の行動確認捜査の状況をみると、10月19日は捜査官9名、ビデオカメラ5台、カメラ3台、車3台、同月25日は捜査官11名、ビデオカメラ4台、車4台、11月3日は捜査官11名、ビデオカメラ6台、車4台であり、捜査官は、徒歩による行動確認と車両による行動確認に分けられ、それぞれG警部の指示を受けながら、被告人の行動確認と、配布状況等の現認及びビデオ撮影に当たった。
[29] 本件ビデオカセットについていうと、10月19日撮影のものとしては、(1)J警部補撮影のもの(甲32)、(2)K巡査部長撮影のもの(甲38)、(3)L警部補撮影のもの(甲35)があり、同月25日撮影のものとしては、(4)J警部補撮影のもの(甲41)、(5)M警部補撮影のもの(甲44)、11月3日撮影のものとしては、(6)G警部撮影のもの(甲47)、(7)K巡査部長撮影のもの(甲53)、(8)O巡査部長撮影のもの(甲56)、(9)N警部補撮影のもの(甲50)があり、(1)(4)については、徒歩で被告人を尾行する際に、バッグ様の入れ物の中に入れたビデオカメラでもって、いわば隠し撮りする形で、被告人の行動をほぼ連続的に撮影したものであり、その余については、被告人の移動に従い次々と車両を移動させて公道上に停め、その車両内から又は降車して被告人の近くから、ビデオカメラでもって、同じく隠し撮りの形で被告人の行動を断続的に撮影したものである。その画面の内容は、ほとんどが、本件各行為を含め、被告人がビラ(政治的文書)を配布している状況やそれに類する状況、あるいは、これらの行為に前後して、中央区月島や晴海地区の公道上をビラの入ったバッグを抱えて徒歩で移動する状況が撮影されている(被告人を追尾しながらの場合は、当然、被告人の後ろ姿が主である。)。ただし、中には、被告人がビラをもらいにまりこ事務所に入る状況やその直前の公道上を歩く状況が撮影されたもの((1)(3)(5))があるほか、一応配布行為を終えた後、手ぶらで又はビラの入っていたバッグを丸め手に持って公道上を歩き、まりこ事務所に向かい、同事務所に戻る状況が撮影されているもの((1)(2)(3))もある。また、場面によっては、被常人の姿が全くなく、単なる街角の風景が撮影されているに過ぎなかったりしているものもあれば、公道上やマンションの玄関内等で、被告人以外の通行人やマンションの住人等の第三者の姿や顔が撮影されてしまっているものもある。
[30](エ) これらの捜査をもとに、平成16年3月3日、国公法違反の容疑で被告人が通常逮捕されるとともに、被告人の自宅、目黒社会保険事務所、まりこ事務所、千代田地区委員会等の関係各所が捜索されるなどした。そして、被告人は、同月5日、同法違反により公訴提起された。
[31](オ) なお、捜査官らは、上記行動確認捜査の期間中、職場内における被告人の政治活動の有無や判示各行為が被告人の職務に対して与えた影響等について捜査したことはなく、また、被告人の政治的文書の配布行為について捜査を行っていることを勤務先等に通知したこともなかった。もっとも、上記強制捜査後、目黒社会保険事務所の所長のFや被告人の上司のE等に対して、被告人の勤務状況等を聴取し、供述調書を作成した。
 行動確認捜査の適法性について
(ア) 捜査態勢について
[32] 弁護人は、本件における行動確認捜査について、被告人の行為が極めて軽微な事案であるにもかかわらず、多い日では、捜査官が11名もの多数に及び、かつ、捜査用車両が3、4台、ビデオカメラが4ないし6台も用意され、しかも29日間という長期間にわたり、毎日、実施されており、余りにも大がかりであり、異常かつ過剰な捜査体制といわざるを得ず、これが任意捜査であっても、警察比例の原則に反することは明らかであり、違法であると主張する。
[33] しかしながら、本件行動確認捜査は、当時、被告人に対する国公法違反の嫌疑が具体的に存在した状況下において、その犯罪立証のための証拠を収集するためになされたものであるところ、被告人は、判示事実をみても明らかなように、自宅周辺の中央区の月島や晴海等の地域において広範囲にわたり政治的文書を配布していたのであるから、その証拠資料を収集するためには、被告人の配布行為そのものを可能な限り確認することが必要となる。そして、被告人は、休日に政治的文書を配布する蓋然性が高かったとはいえ、実際に被告人がどの日に政治的文書を入手し、いっその配布に及ぶかなどについては、捜査機関には必ずしも明確に把握できていなかったという事情がある。しかも、被告人の犯行の動機、背景、組織性等の点をも含め、本件の全容を解明するためには、その政治的文書の入手状況や特定の政党に関係する事務所等への立寄りの回数、頻度等をも把握する必要があったのであるから、被告人が政治的文書の配布を行う蓋然性の高い選挙を間近に控えた時期においては、平日、休日を問わず、被告人の行動確認捜査を行う必要があったといえる。なお、弁護人は、本件の罪体立証には動機、背景、組織性等の捜査は不要である旨主張するが、このような情状事実は、犯情に影響する上、検察官が行う起訴・不起訴等の事件処理の判断にも必要不可欠なものといわなければならないから、後に公判においてこのような事実が検察官から証拠として請求されず、立証されなかったからといって、遡って被告人の行動確認捜査の必要性が否定されるわけではない。そうすると、衆議院解散の翌日から総選挙の投票日前日までの29日間に限定してなされた行動確認について、その期間が長期間に過ぎるとまではいえない。また、本件の全容解明のためには、被告人に気づかれないまま、広範囲に及んで、被告人の政治的文書配布等の行動を現認等する必要があったのであるから、本件の捜査官の人数は、そのために必要なものであったといえる。そもそも、捜査態勢は、原則として捜査機関の判断と裁量に委ねられているのであるから、本件での行動確認捜査に当たった捜査官の数や捜査期間をもって、直ちに異常などというのは失当というべきである。弁護人は、本件が軽微な事案であることをことさら強調し、それとの対比で、異常で過剰な捜査であると主張するようであるが、本件が軽微な犯罪であるというのは、弁護人の一方的な見方であって、当裁判所のとるところではない。
[34] したがって、本件の行動確認捜査(ただし、尾行、ビデオ撮影等の点は後述)は、社会通念上相当と認められる範囲内にあるというべきであって、警察比例の原則を逸脱しているとは認められず、適法に遂行されたというべきである。
(イ) 尾行について
[35] 弁護人は、本件行動確認捜査にあっては、尾行、張込みといった捜査手法がとられているが、かかる手法は、被疑者の私生活上の行状をも捜査機関が捜査することになり、被疑者の有するプライバシー権等を侵害するものであるから、違法であると主張する。
[36] しかしながら、尾行や張込みは、任意捜査として当然認められており、ただプライバシー権との衝突が不可避であることから、警察比例の原則からする制約は免れず、(1)正当な目的のために、(2)捜査を行う必要性があり、(3)その態様も社会通念上相当と認められる範囲内で行われるべきであると解する。これを本件についてみると、まず、尾行等の目的と必要性は、(ア)で行動確認捜査全般についてみてきたところと同様である。そこで、尾行等の相当性についてみると、本件における尾行等は、公道や人の出入りが自由な空間、すなわち、被告人がその行動を人目にさらした場所におけるものにとどめられており、被告人が肖像権、プライバシー権等に対して有する合理的期待も相対的に低い場所で行われているということができる。もとより、尾行等の捜査に当たり被告人に威圧感を与えるなど、その意思や行動を制圧するような行動に出たことはない。弁護人は、被告人に対する捜査により、被告人の消費者金融機関や飲食店等への立寄り、犯行と無関係の第三者との接触状況等といったそれ自体本件犯行とは全く関わりのない行動を確認している点を不当であるとも主張しているが、これも、本件の全容解明に必要な行動確認捜査の遂行中、たまたまこのような場面に接しただけのことであって、結果的にこのような事実を確認したからといって、直ちにその捜査が社会通念上不当となるものではない。そうすると、本件の尾行、張込みについても、警察比例の原則に反するところはなく、適法であるというべきである。
(ウ) 泳がせ捜査について
[37] 弁護人は、被告人の行動確認に当たった捜査官は、いずれも、被告人の政治的文書の配布行為に対して警告や制止等をすることなく、漫然とこれを放置しながら行動確認捜査を続けたものであり、被告人に犯罪行為を行わせたことによってそのプライバシー権を侵害し続けたなどと指摘して、本件がいわゆる泳がせ捜査に当たり、違法であるなどと主張する。
[38] 確かに、捜査官は、一般的には、市民の正当な法益が侵害されたり、あるいは、法益侵害の危険がむやみに拡大したりしないように、早期に犯罪の発生を防止するとともに、その検挙に努めるべき義務を課せられているといえる。しかしながら、その義務とは犯人以外の一般市民との関係においていえることであり、捜査機関が泳がせ捜査によって犯人の行動を監視しつつ、証拠収集を継続したからといって、捜査機関が犯人に対して犯罪を行うよう何ら働きかけるなどしたわけではないのであるから、このような捜査機関の態度が、犯人との関係において違法不当と評価されるとは到底考えられない。そして、捜査官は、上記のとおり犯罪発生防止の義務を担う一方、刑訴法に基づく捜査においては、捜査の目的、すなわち犯人逮捕や証拠収集等のため、当該犯罪の性質等に応じて最も適切な捜査手段をとることが許容されているのであるから、泳がせ捜査も、任意捜査の一環として、当然に許容されると解される。本件捜査は、被告人の広範囲にわたる政治的文書の配布行為を現認するとともに、その継続性や反復累行性をも明らかにすることが必要不可欠であったのであるから、本件において、捜査官が、被告人に対して警告や制止等の措置をとらず、あえて行動確認等の採証活動に徹したことは、捜査機関として許容される捜査の範囲内というべきであり、これを違法ということはできない。
[39] なお、弁護人は、本件泳がせ捜査をコントロールド・デリバリーによる捜査と比較して、違法であると主張しているが、捜査手法の一つであるいわゆるコントロールド・デリバリーは、もともと任意捜査の一環として認められていた泳がせ捜査の延長線上にある捜査手法であり、おとり捜査と異なり、捜査機関から犯人に何らかの働きかけをするものではなく、犯人に特段の不利益を及ぼしてその人権を侵害するものとはいえず、原則として任意捜査として適法に認められるものであって、例えば、国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例等に関する法律4条等の諸規定は、コントロールド・デリバリーの根拠規定として設けられたものではなく、単に、輸入禁制品について、関税法等の関係法令との調整のために規定されたに過ぎないと解されるから、弁護人の主張は、その前提を誤っており、採用できない。
(エ) ビデオ撮影について
[40] 弁護人は、本件で捜査官が行ったビデオ撮影について、被告人を連日尾行する捜査官が、常にビデオカメラを所持しながら、被告人の政治的文書の配布行為のみならず、被告人の政党事務所等への出入りやその公道上を歩く状況等、全く犯行と関係のない状況を撮影しているから、被告人の肖像権やプライバシー権を著しく侵害するものであり、違法であるなどと主張する。そこで、以下、検討する。
[41] はじめに、弁護人は、本件ビデオ撮影は、撮影対象者である被告人のプライバシー権等を侵害するから、「強制の処分」(刑訴法197条1項ただし書)に該当する旨主張するので、この点について付言する。
[42] 「強制の処分」とは、個人の意思を制圧し、個人の身体、財産等に制約を加えて強制的に捜査目的を実現する行為など、特別の根拠規定がなければおよそ許されない捜査方法をいうと解され(最高裁昭和51年3月16日第三小法廷決定・刑集30巻2号187頁参照)、この「強制の処分」に当たるか否かは、個人の意思に対する制圧と法益・権利に対する制約という2つの観点から判断すべきであるところ、本件ビデオ操影は、公道上又はこれに準じるマンションの玄関内で行動している被告人を、通常の性能のビデオカメラで撮影したものに過ぎず、居宅内にいる被告人を撮影した場合等と比較して、プライバシーの保護の必要ないし期待が一段と低いことは否定できず、令状がない限りおよそ許されないとするまでの必要はないから、「強制の処分」ではなく、任意処分と解するのが相当である。
[43] この点、弁護人は、通信傍受とビデオ撮影の類似性を指摘して、ビデオ撮影は強制捜査に当たる旨主張するが、本件のようなビデオ撮影である限り、第三者が通常の手段では聴取できない電話その他電気通信における通話内容を傍受するような事例とは、その侵害される対象者の権利、秘匿性等に関する合理的期待には質的に特段の差異があるといえるから、これと類似するとまではいえず(例えば、路上でも聞こえる会話を録音するようなことは、会話者の会話に対する秘匿性もある程度放棄されている上、その録音は通信傍受法の適用とされるものではない。)、その主張は採用することができない。
[44] しかしながら、公道上におけるビデオ撮影が任意処分であるとしても、前記最高裁決定の趣旨にかんがみれば、捜査機関が自由かつ無制限に撮影できるものでないことはいうまでもない。本件におけるビデオ撮影は、捜査官の尾行等による行動確認の捜査の過程でなされているところ、尾行等の捜査手法が違法でないと解されることは、前述のとおりである。しかし、捜査機関がビデオ撮影によって証拠収集を行った点は、それにより被告人の動作等が機械的に電磁的媒体等に記録され、保存されることになるため、被告人の肖像権やプライバシー権等の侵害の程度には、尾行等による場合と比較して質的に相違があることは明らかであり、尾行等と同様に、ただ警察比例の原則を考慮すれば足りるというのは相当でなく、その許容性については、より慎重な検討がなされるべきである。
[45] そこで、すすんで本件ビデオ撮影の許容性について考えるに、これについては、捜査官による被疑者等の写真撮影が問題になった最高裁昭和44年12月24日大法廷判決(刑集23巻12号1625頁)が参考となる。同判決は、個人の私生活上の自由の一つとして、憲法13条により、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう、姿態(以下「容ぼう等」という。)を撮影されない自由を有するものというべきであるが、その自由も国家権力の行使から無制約に保障されるのではなく、捜査の必要性等の公共の福祉のため、必要のある場合には相当の軸限を受けるものであるとした上で、犯罪捜査を目的とする警察官による個人の容ぼう等の写真撮影について、現に犯罪が行われ又は行われた後間がないと認められる場合であって、証拠保全の必要性及び緊急性があり、その撮影が一般的に許容される限度を超えない相当な方法をもって行われるときは、撮影される本人の同意がなく、また、裁判官の令状がなくても、憲法13条、35条に違反するものではない旨判示した。ところで、同判決については、警察官の写真撮影が許容されるための要件として、上記のとおり、(1)現に犯罪が行われ又は行われた後間がないと認められる場合であること、(2)証拠保全の必要性及び緊急性があること、(3)その撮影が一般的に許容される限度を超えない相当な方法をもって行われたことの3つの要件を示しているが、これは、あくまでも、その具体的事案に即した判断を示したものに過ぎず、これらの要件を具備しない限り、およそいかなる場合においても、犯罪捜査のための写真撮影が許容されないとする趣旨まで包含するものではないと解される。したがって、本件ビデオ撮影の検討に当たっては、上記要件を参考にしつつも、本件事案に即し考慮が必要になる。
[46] 本件ビデオ撮影は、被告人が、4月及び5月の段階で、まりこ事務所等から政治的文書を受け取り、近隣に配布していたという事実を把握していた捜査機関において、被告人が総選挙に際して再び同様の犯行に及ぶことが予測されたことからその行動確認を尾行等の手法を用いて行うに当たり、予想される被告人の犯行について、その犯行状況のみならず、実行に至るまでの行動等の採証を行うことを意図してビデオ撮影に及んだというものである。と同時に、捜査機関では、既に確認している被告人の犯行やこれから予想される被告人の犯行との関係で、犯行の動機、背景、組織性等を把握するため、被告人の行動確認を行っており、被告人の関係箇所への立寄り状況等についての採証をも併せて行うことを意図してビデオ撮影に及んでいる。しかも、被告人の犯行(配布行為)は、1回きりのものではなく、連続的に住宅やマンションの郵便受けに配布するものであり、また、その配布先が具体的に判明していたわけではなく、かつ、配布自体は一瞬の出来事であるから、配布行為そのものをタイミングよく撮影しようとすれば、その前から配布文書を持った被告人の行動を追って連続的に撮影せざるを得ないといった事情がある。このような事案に即してみると、前記最高裁判決において問題とされた写真撮影とは、その目的、態様等において、明らかに異なるものがある。そうすると、まず、犯行状況等の撮影を目的とするものについては、(2)(3)の要件はともかく、(1)の要件については、自ずから、修正して考えるべきであり、被告人がこれから犯行に及ぶ相当高度の蓋然性があった場合には、被告人が現に犯行に及んでいる状況にとどまらず、その前後の状況を撮影したものであっても、なお許容される余地があると解すべきである(東京高裁昭和63年4月1日判決・判例時報1278号152頁参照)。また、これとは別の目的からする撮影については、そもそも、(1)のような要件を措定することは意味がなく、もっぱら(2)(3)の要件の検討を中心に、具体的状況の下で相当と認められる限度においてのみ許されると解すべきである。
[47] これを本件ビデオカセットについて具体的にみると、まず、本件犯行そのものやこれと同様の行為がなされている場面はもとより、これらと時間的・場所的に接着している場面を撮影することは、(2)(3)の要件を満たせば、当然許されてよい。さらに、被告人がビラの入ったバッグを抱えて、月島や晴海地区の公道上を歩いている状況を撮影することも、犯行に及ぶ相当高度の蓋然性がある場合として、同様に許されてしかるべきである。なぜなら、被告人のビラの配布の態様、すなわち、徒歩でまりこ事務所や被告人の居住するマンション周辺の地域をめぐり、住宅の郵便受けやマンションの集合郵便受けに次々とビラを配布していくというやり方を考えれば、上記のような状況があれば、いつどこで配布に及んでもおかしくないといえるからである。この場合は、結果的に、直ちに配布に及ばなかったからといって、問題になるものでないのはもちろんである。問題になりそうなのは、被告人が配布すべきビラを手にしていないところを撮影したもの、例えば、被告人がビラをもらいにまりこ事務所に入る状況やその直前の公道上を歩く状況、あるいは、一応配布行為を終えた後、手ぶらで又はビラの入っていたバッグを丸め手に持って公道上を歩き、まりこ事務所に向かい、同事務所に戻る状況が撮影されたものである。しかし、これらの場面をそこだけ見れば、犯行とはおよそ結びつかないかのように思われるが、そのような見方は相当ではなく、一連の流れの中で見る必要がある。そして、それまでの行動確認捜査により捜査機関においてつかんでいる被告人の行動傾向からすれば、被告人が、休日、自宅からまりこ事務所に赴き、同事務所からビラの入ったバッグを抱えて出てくること、その後、徒歩で、同事務所周辺も含め、月島や晴海等の地区の住宅やマンションの郵便受けにビラを配布し、これが終わると再びまりこ事務所に戻っていくこと、そして、また、同事務所からビラを持ち出して配布に出かけることは、かなりの程度で予測されたのであるから、被告人が休日まりこ事務所に向かえば(これは、被告人の行動確認を実施しているので、容易に把握できる。)、その後、同事務所で受け取ったビラを配布する行為に及ぶことは十分あり得るといって差し支えない。しかも、まりこ事務所は、その出入口が公道上に面しており、そこからビラを持って出れば、すぐにでもその近隣にビラを配布することが可能な立地関係にある。そうだとすると、上記のような場面であっても、なお被告人がビラの配布行為に及ぶ相当高度の蓋然性があったということができる(しかも、本件ビデオ撮影には、上記のとおり、被告人の犯行状況の採証にとどまらない目的もある。)。したがって、本件ビデオカセットに関する撮影は、前記のとおり修正された(1)の要件を満たしているというべきである。
[48] 次いで、(2)の要件についてみる。弁護人は、被告人1人につき捜査官が複数名でその周囲を取り囲むといういわば万全の形の監視態勢が敷かれていたこと、週末の朝方の高層マンション地帯という人気が少ない場所での監視であったこと、被告人の政治的文書の配布行為には一定の時間を要することなどから、捜査官がこれを現認することは容易であり、本件ビデオ撮影の必要性はなかったなどと主張する。しかしながら、前記のような被告人の配布態様等に照らすと、捜査官が、被告人の配布状況について、被告人に気づかれないようにしながら、これをすべて肉眼により現認して正確に記憶に留めておくということは、弁護人の主張するような事情があったとしても、現実には困難な面があるといわざるを得ない。他方、ビデオカメラにおける撮影、録画は、捜査官の現認状況や記憶した内容を客観的に担保するものとして、極めて高い証拠価値がある(現に、捜査官は、本件ビデオカセットに撮影録画されている以上の被告人の配布状況を現認したようであるが、検察官が公訴事実の対象としているのは、本件ビデオカセットに録画されているものに限定されている。)。このように考えると、ビデオ撮影により証拠保全を行う必要性は十分に認められる。また、被告人は、各戸への投函をそれぞれ一瞬で終えており、1か所の配布が終了すると、場所等を移動して次の配布行為に及んでいること、時間が経過するにつれ、配布された政治的文書は散逸することがあり得るし、現認した捜査官の記憶も薄らいでいくことを考えると、ビデオ撮影による証拠保全の緊急性も認めることができる。したがって、(2)の要件も満たしているというべきである。
[49] さらに、(3)の要件についてみると、本件ビデオ撮影は、公道等における撮影であり、撮影の対象者である被告人は、もともとその容ぼう等を人目にさらしながら歩行していたのであるから、その肖像権、プライバシー権等がある程度放棄されていたことは否定できない。弁護人は、本件ビデオ撮影が隠し撮りによるものであること、複数の捜査官を動員したビデオ撮影であること、第三者の容ぼう等も撮影されていることを問題にする。しかし、本件は、被告人に察知されないように撮影しなければならない事情があったのであるから、直ちに隠し頼りの方法が不当であるということにはならない。また、被告人の配布先等を正確に確認し、把握するためには、複数の捜査官によって多角的にビデオ撮影すべき事情があったといえる上、これらの多人数の撮影が、被告人の行動を威圧するなどしてその身体に対して強制力を加えたり、特別の負担を負わせたような事情もない。さらに,このようなビデオ撮影においては、その対象の中に、被告人の容ぼう等のほか、その行動等を撮影しようとする過程において、公道上を歩く第三者の容ぼう等が含まれることになるが、これは、あくまでも偶然の結果に過ぎず、やむを得ないことといわざるを得ないから(前掲最高裁昭和44年12月24日大法廷判決、最高裁昭和61年2月14日第二小法廷判決・刑集40巻1号48頁参照)、その一事をもって相当性を失うものでないことはいうまでもない。そうすると、本件ビデオ撮影は、社会通念上相当と認められる方法によるものであったといえるから、(3)の要件も満たしているというべきである。
[50] したがって、本件ビデオカセットに録画等されたビデオ撮影は、いずれも任意捜査として許容される範囲内のものであったということができる。
[51] なお、本件ビデオ撮影にあっては、上記のビデオ撮影のほかにも、被告人の行動確認のために撮影がなされたことが認められ、Gら警察官の証言によれば、その中には、被告人の千代田地区委員会への立入り状況についてビデオ撮影したものがある。これについては、もともと犯行状況等を撮影することを意図したものではなく、もっぱら被告人の関係箇所への立寄り状況等についての採証を意図したものといえる。千代田地区委員会は、まりこ事務所と違い、被告人が日頃配布地域としている場所とはかなり離れており、同委員会においてビラを入手するといったことがあり得るとしても、直ちにそのビラを配布するようなことは想定し難く(実際、そのような事態は、捜査機関において把握されていない。)、したがって、(1)のような要件を措定し得る場合ではない。検察官は、このようなビデオ撮影についても、証拠保全の必要性があり、方法の相当性があれば許されるべきであるかのような主張をしているが、被告人のプライバシー権等の侵害の程度を考えると、そのように緩やかに許容性をとらえるのは相当ではない。特に、本件犯行は、薬物事犯や暴力事犯等といった重大なものとまではいえず、かつ、千代田地区委員会への立入りが本件犯行との関係で立証上極めて重要なものとまではいえないことを考えると、(2)の要件については、むしろ、より厳格に吟味されなければならないというべきである。そうだとすると、あえてこの場面を肉眼による現認にとどまらず、ビデオ撮影でもって確認しなければならないような事情はなく、(2)の要件を満たしていないといわざるを得ない。したがって、この場面のビデオ撮影については、具体的状況の下で相当と認められる限度を超えているというほかなく、違法ということになる。ただ、このビデオ撮影の本件行動確認捜査における位置づけ、重要性に照らすと、これに違法な点があったとしても、それにより本件でのビデオ撮影すべて、ひいては、本件行動確認捜査全体が違法となるものではない。
[52] 以上の次第であり、本件でのビデオ撮影による捜査は、一部違法なところがなくはないが、そのほかはすべて適法である。
 強制捜査等について
[53](ア) 弁護人は、本件捜査において、被告人が仕事を休む休日は多くの捜査官を投入して被告人のプライベートな行動を視察しているのに、被告人が勤務する平日のほとんどは、わずか2、3名の捜査官が被告人の出勤状況や退庁後の行動を確認するに過ぎず、被告人が職場内で政治活動を行っていないか、公務の中立性が侵害されるような事態が生じていないかといった点については、全く確認していない、このことは、本件捜査に当たっていた捜査官が、「公務の中立性の侵害」という法益侵害に関して全く関心を有していなかったことを示している、このように保護法益に全く関心を示さないような捜査を犯罪捜査ということはできず、犯罪捜査に名を借りた警察権力の不当かつ恣意的行使に過ぎないというべきであって、権力の濫用として違法と評価すべきであるなどと主張する。
[54] しかしながら、後述のとおり、一般職の国家公務員(以下「公務員」ともいう。)が政治的中立性を損なうおそれのある行為に及ぶことにより、政治的行為の禁止の保護法益の侵害に対する抽象的危険が生じるものと解されるのであるから、本件捜査が保護法益に全く無関心な捜査であったということにはならない。また、被告人の職場内における政治活動の有無も、犯情等として重要であるといえるものの、強制捜査に至るまでの間は、捜査の秘匿性の観点から、被告人の勤務先における捜査を差し控えることも、捜査機関の裁量の範囲内として許容されるべきことである。その上、強制捜査に入った後は、すみやかに、勤務先の被告人の上司らから、被告人の勤務状況等について事情聴取を行っていることも明らかである。そうすると、本件捜査の在り方に弁護人がいうような問題はなく、弁護人の主張は採用することができない。
[55](イ) 弁護人は、人事院は、単に政治的行為の禁止規定を定めるだけでなく、その解釈、運用についても責任を負うべきものと位置づけられているにもかかわらず、捜査機関は、人事院や社会保険庁等の措置や対応と無関係に、被告人の行為を犯罪行為であると勝手に判断し、これら行政組織に対して徹底して秘匿した捜査を行っており、これは、本来行政組織が一次的に責任を負うべき行政組織の秩序維持に捜査機関が介入することを認めることになって、かえって行政組織の秩序や自律性を破壊することになり、警察によって行政全体の秩序が歪められる危険性があり、国公法、規則の許容範囲を逸脱した違法な運用であるから、その捜査は違法であるなどと主張する。
[56] しかしながら、後述のとおり、国公法及び規則の政治的行為の禁止規定は、国民全体の共同利益を擁護する見地から設けられたものであり、また、その違反行為には刑罰を根拠づけるだけの違法性があることから、罰則規定が定められたものである。すなわち、政治的行為の禁止規定は、そもそも行政組織の秩序維持を直接的なねらいとして設けられたものではないのである。そうすると、人事院等に秘匿したまま捜査機関の判断で本件捜査を行ったからといって、それが国公法、規則に反する違法な運用ということはできず、弁護人の主張は採用できない。
[57](ウ) 弁護人は、本件における強制捜査、とりわけ千代田地区委員会等における捜索押収は、罪体の構成要件からすれば全く必要のないものであり、このことは、異常な尾行捜査との関係からも、差し押さえたものの中身自体からも、明らかといってよく、実際は、警視庁公安部が、本件を奇貨として、背後関係の解明と称し、単に情報収集するために行ったものであって、違法な強制捜査であると主張する。
[58] しかしながら、本件における被告人の逮捕や関係各所等に対する捜索等の強制捜査は、裁判官の発した令状によって適法に実施されたことがうかがわれるところ、これを違法不当とすべきような事情は、関係証拠上、全く認められない。本件捜査の対象とされるべき事実は必ずしも罪体の構成要件にとどまるものではなく、組織性やその背景等にまで及ぶものであるから、その点を対象とした強制捜査が許容されることはいうまでもない。また、仮に捜索押収によって収集された証拠が後の公判において証拠として提出されなかったからといって、その一事をもって、遡ってその捜索押収が違法となるわけでないことはもちろんである。弁護人が主張するところは、いずれも一方的な見方というほかなく、到底採用することができない。
(4) 結論
[59] 以上のとおりであり、本件捜査の端緒には何ら問題はなく、また、本件の捜査は、ビデオ撮影の一部に違法なものが含まれてはいるものの、それが捜査全体の適法性を失わしめるほど重大な違法であるとまではいえず、結局、行動確認捜査、強制捜査ともにいずれも適法である(なお、以上によれば、本件捜査が自由権規約9条、17条1項に違反しないことも明らかである。)。したがって、本件が違法捜査に基づく起訴であるとの主張は、採用することができない。

2 公訴権の濫用であるとの主張について
(1) 実質的違法性を欠く起訴であるとの主張について
[60] 弁護人は、被告人の本件各行為は、いずれも、政治的行為の禁止の保護法益とされる「行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼」を侵害する可能性は皆無であり、これを処罰すべき実質的違法性は全く認められない、にもかかわらずなされた公訴提起は、構成要件該当性がないのになされた起訴と同視でき、ひいては公訴権の濫用となるから公訴棄却されるべきであると主張する。
[61] しかし、本件が実質的違法性を欠くものでないことは、後述のとおりであり、弁護人の主張は採用の限りでない。
(2) 差別的起訴であるとの主張について
[62] 弁護人は、国政選挙等における公務員による選挙活動などの政治活動は、自民党の官僚OB候補者の出身官庁あるいは民主党や社民党を応援する公務員の労働組合によるいわゆる「ぐるみ選挙」をみれば明らかなように、公然かつ広範囲に行われてきているが、このような活動については、猿払事件以来約30年間、公選法違反を理由とする場合を除いて、刑事罰を科されることはなかったのである、しかるに、より弊害の大きい上記ぐるみ選挙における政治活動を野放しにしつつ、明らかに弊害の軽微な本件を起訴するということは、被告人が日本共産党を支持、応援しているという思想信条を理由として、他の公務員より不当に不利益に扱われたものといわざるを得ない、したがって、本件起訴は、憲法14条に違反する差別的起訴であり、公訴権の濫用として公訴棄却されるべきであると主張する。
[63] しかしながら、弁護人が主張するような前記ぐるみ選挙における事例との比較において、本件起訴が不当であるとは、にわかに断定することができないばかりか、被告人が思想信条を理由として不当に不利益に扱われたということは、証拠上何らうかがわれないから、本件起訴が憲法14条に違反する差別的起訴であったとは認められない。
[64] したがって、弁護人の主張は、採用の限りでない。

3 実質的に訴訟条件を欠く起訴であるとの主張について
[65] 弁護人は、国公法、規則の定める政治的行為の禁止の該当性や処罰の必要性等は、規則を制定した人事院やこれを実際に運用する立場にある所属長の判断が優先し、人事院や所属長が刑事訴追を求めることが実質的な訴訟条件となっていると解すべきであるのに、本件において、公安警察と検察庁は、被告人が所属する行政組織や人事院が全く問題としていない被告人の行為を、その頭越しに勝手に犯罪行為と決めつけ、起訴している、したがって、本件起訴は、実質的な訴訟条件を欠くものとして、公訴棄却されるべきであると主張する。
[66] しかしながら、確かに、規則8項は、各省庁等の行政組織・機関の長に対して違反行為を知ったときは人事院に通知すべき旨規定しているものの、国公法、規則中に訴訟条件を定めた規定がないことはもとより、捜査機関に対して同項と同じく人事院への通知を行うように定めた規定もなく、また、人事院等の告発等に関する規定すらない。その他、弁護人がその論拠として挙げる国公法、規則の制定経過の特殊性、人事院の規則運用方針やその運用実態等を十分考慮しても、政治的行為の禁止の違反行為について、当然に、人事院等の告発が実質的な訴訟条件になっているとは解することができない。
[67] したがって、弁護人の主張は、独自の法令解釈を前提とするものであり、採用の限りでない。

4 結論
[68] 以上の次第であり、弁護人の公訴棄却の主張は、いずれも理由がなく、採用することができない。
[69] 弁護人は、本件における被告人に対する捜査、とりわけ、尾行、泳がせ捜査、ビデオ撮影等の捜査は違法であり、捜査の端緒をねつ造するなどの本件全体を通した捜査機関の態度に照らせば、その程度は令状主義の精神を没却するほど重大であって、将来の違法捜査抑制の見地からも、本件捜査によって得られたデジタルビデオカセットや、違法捜査に携わった各警察官らの証言は、違法収集証拠として証拠から排除されるべきであるなどと主張する。
[70] しかしながら、第2でみたとおり、本件ビデオ撮影の一部に違法があるものの、それは捜査全体の違法を来すものではなく、また、その違法な撮影に係るデジタルビデオカセットは、当公判廷に証拠として提出されているものではない。結局のところ、捜査の端緒、尾行及び本件ビデオカセットに係るビデオ撮影等の捜査は、いずれも適法であるから、本件ビデオカセット等の証拠は、適法な捜査によって収集された証拠ということができる。したがって、弁護人の主張は、その前提を誤るものであり、採用することができない。
1 弁護人の主張の概要とそれに対する当裁判所の基本的見解
[71] 弁護人は、本件国公法、規則の諸規定について、
(1) 公務員の政治活動も憲法21条により保障されるところ、公務員の政治的行為を包括的かつ一律に禁止することを正当化する根拠はない、しかも、これを刑罰をもって一律に禁止することを憲法上正当化するような目的もない、本件国公法、規則の諸規定は、仮に一定の立法目的を措定したとしても、その禁止が一律かつ過度に広汎に及んでいること、違反行為に対して懲戒処分だけでなく刑罰をも科していることのいずれにおいても、必要最小限度の制約を超えるものであるから、憲法21条、31条に違反する、
(2) 国公法は刑罰をもって禁止される政治的行為の構成要件を人事院規則に包括的に委任しており、これは、憲法に違反する白紙委任であるから、憲法31条、41条、73条6号に違反する、
(3) (1)及び(2)の点で憲法に違反しないとしても、禁止される政治的行為の範囲、その違反に対し刑罰を科する範囲については、限定的に解釈すべきである
などと主張する。
[72] しかしながら、国公法102条1項、規則6項7号による政党機関紙の配布の禁止及び国公法102条1項、規則6項13号(5項3号)による特定の政党を支持する政治的目的を有する文書の配布の禁止(以下、これらの政治的行為を「規則6項7号、13号による政治的文書の配布」、あるいは、「本件政治的行為」ともいう。)がいずれも憲法21条に違反しないこと、国公法110条1項19号の罰則が憲法21条、31条に違反しないこと、国公法102条1項における人事院規則への委任が憲法に違反する立法の委任ということができないこと、しかも、いずれの点においても、合憲的限定解釈をする必要がないことは、最高裁昭和49年11月6日大法廷判決(刑集28巻9号393頁。以下「猿払事件判決」という。)の判示ないしはその趣旨に徴して明らかである。
[73] 弁護人は、猿払事件判決に対して、同判決が当時の世論から厳しく批判され、憲法学界においてもこれを支持する見解は皆無であったこと、猿払事件判決には4名の最高裁判事が多数意見に反対していたほか、同判決後に国公法、規則の政治的行為の禁止の合憲性等が争われたいわゆる高松簡易保険局事件判決(最高裁昭和56年10月22日第一小法廷判決・刑集35巻7号696頁)や全逓プラカード事件判決(最高裁昭和55年12月23日第三小法廷判決・民集34巻7号959頁)においても、その合憲性や適用等に関して有力な反対意見が付されていたこと、猿払事件判決以降、国公法、規則の政治的行為の禁止に関しては、約30年以上にわたり、起訴された事例がなく、その違反行為に刑事罰が発動されたことはなかったこと、わが国における自由権規約の批准、わが国も加盟する国際労働機関(ILO)におけるILO151号条約(公務における団結権の保護及び雇用条件の決定のための手続に関する条約)の採択、国公法、規則の政治的行為の禁止規定の母法とされるいわゆる米国ハッチ法の改正等の新たな事情が加わったことなどを挙げ、猿払事件判決は既に先例的意味を失っているから、判例変更がなされるべきであると主張する。
[74] しかしながら、当裁判所は、猿払事件判決の判示内容に概ね賛同するものであり、同判決後、国公法、規則の政治的行為の禁止の合憲性等が争われた他の事件に対する最高裁判決においても、猿払事件判決が引用されてその合憲性等が確認されていること(最高裁昭和52年7月15日第三小法廷判決・裁判集刑事205号97頁、前掲最高裁昭和55年12月23日第三小法廷判決、前掲最高裁昭和56年10月22日第一小法廷判決参照)などに照らすと、猿払事件判決は指導的判例として今も機能しているということができ、かつ、弁護人の主張を十分考慮に入れた上でも、なお猿払事件判決は変更の要をみないとの結論に達した。
[75] 以下、弁護人の主張にかんがみ、順次説明する。

2 本件政治的行為の禁止及びこれに対する罰則規定の合憲性について
(1) 当裁判所の見解
 本件政治的行為の禁止の合憲性
[76] まず、公務員の政治的行為の禁止の合憲性についてみる。
[77] 政治活動の自由は、基本的人権のうちでもとりわけ重要とされる表現の自由の一環として、憲法21条1項による保障を受けるものである。そして、その保障は公務員にも及び、公務員も一市民としてこの自由を有することはいうまでもない。しかしながら、この自由も、絶対的なものではなく、憲法上の他の要請により一定の制約を受けることがあることは免れない。
[78] 公務員の携わる公務は、国民の一部に対する奉仕としてではなく、その全体に対する奉仕として運営されるべきものであり(憲法15条2項参照)、とりわけ、行政の分野における公務にあっては、憲法の定める統治組織の構造に照らし、議会制民主主義に基づく政治過程を経て決定された政策の忠実な遂行を期し、もっぱら国民全体に対する奉仕を旨とし、政治的偏向を排して運営されることが強く求められる。そして、そのためには、個々の公務員が、政治的に一党一派に偏することなく、中立の立場を堅持して、その職務の遂行に当たることが、自ずから必要となる。そうとすると、行政の中立性が確保され、これに対する国民の信頼が維持されることは、憲法の要請にかなうものといってよく、また、そのために求められる公務員の政治的中立性の維持は、国民全体の重要な利益であるといってよい。
[79] このような見地に立つと、公務員の政治的行為を禁止することは、必然的に公務員の表現の自由を一定の範囲で制約することにはなるが、それが合理的で必要やむを得ない限度にとどまるものである限り、憲法上許容されてしかるべきである。
[80] そこで、国公法及び規則が定める公務員に対する政治的行為の禁止が、上記の限度にとどまるものであるか否かが問題となるが、これを判断するに当たっては、(1)禁止の目的が正当であること、(2)その目的と禁止される行為との間に合理的関連性があること、(3)禁止により得られる利益と失われる利益との均衡を失するものでないことという、いわゆる合理的関連性の基準に従って検討するのが相当である。
[81] この基準に従ってみると、まず、公務員に対する政治的行為を禁止する趣旨は、次のとおりである。すなわち、公務員の政治的行為がすべて自由に放任されると、自ずから公務員の政治的中立性が損なわれることとなる。そうなると、当該公務員の職務の遂行に、更には所属する行政機関の公務の運営に、党派的偏向を招くおそれがあり、行政の中立性に対する国民の信頼が損なわれかねない。そればかりか、行政に対し政治的党派からの不当な介入を招くなどして、行政の中立性が損なわれる可能性も増してくる。こうした傾向が広がれば、本来政治的中立を保ちつつ一体となって国民全体に奉仕するべき責務を負う行政組織の中に、深刻な政治的対立が生じ、その結果、行政の能率的で安定した運営が害され、ひいては、議会制民主主義の政治過程を経て決定された国の政策の忠実な遂行にも重大な支障を来すおそれさえあり、場合によっては、もはや組織の内部規律のみによってはその弊害を防止することができない事態にまで立ち至ることもあり得る(このように、公務員の政治的行為がもたらす弊害については、直接かつ具体的なものにとどまらず、累積的かつ波及的な効果をも視野に入れて考えざるを得ない。)。このような弊害の発生を防止し、行政の中立性とこれに対する国民の信頼を確保するために、公務員の政治的行為を禁止するのである。したがって、政治的行為禁止の目的が正当であることは、自ずと明らかといえよう。また、この目的と禁止される行為との関連性についていうと、国公法及び規則によれば、公務員の政治的中立性を損なうおそれがあると認められる政治的行為に限って禁止しているのであるから、たとえその禁止が、公務員の職種・職務権限、勤務時間の内外、国の施設の利用の有無等を区別することなく、あるいは、行政の中立性を直接かつ具体的に損なう行為のみに限定していないとしても、上記目的と禁止される行為との間には、合理的な関連性があるといってよい。そこで、利益の均衡の点についてみると、まず、禁止により得られる利益は、公務員の政治的中立性を維持し、行政の中立性とこれに対する国民の信頼を確保するといった国民全体の共同利益である。他方、禁止により失われる利益は、国民の一部に過ぎない公務員の自由な政治活動である。政治活動の自由は、上述のとおり、非常に重要なものではあるが、国公法及び規則で定める政治的行為の禁止は、これに内包される意見表明そのものの制約をねらいとしてではなく、その行動のもたらす弊害の防止をねらいとして禁止しているのであって、同時にそれにより意見表明の自由が制約されることとなったとしても、それは、単に行動の禁止に伴う限度での間接的、付随的な制約に過ぎない。しかも、国公法及び規則は、そこで定める行動類型以外の行為により意見を表明する自由まで制約するわけではない。そうだとすると、禁止により得られる利益と失われる利益との均衡は、いささかも失するものではないというべきである。
[82] 次に、本件政治的行為の禁止の合憲性について上記の観点からみると、禁止の目的は上述のとおりである。そして、規則6項7号の政治的行為は、政党機関紙を配布する行為であり、また、同項13号(5項3号)の政治的行為は、特定の政党を支持する政治的目的を有する文書を配布する行為であって、いずれも、政治的偏向の強い行動類型に属するといえ、政治的行為の中でも公務員の政治的中立性を損なうおそれが強いと認められるものである。したがって、禁止の目的との間に合理的関連性があることは、明らかである。さらに、利益の均衡についても、本件政治的行為の禁止は、これに内包される意見表明そのものの制約をねらいとしてではなく、その行動のもたらす弊害の防止をねらいとしており、禁止により得られる利益と失われる利益との均衡を失するものではないといえる。
[83] したがって、国公法102条1項、規則6項7号、13号(5項3号)が定める本件政治的行為の禁止は、いずれも、合理的で必要やむを得ない限度を超えるものではなく、憲法21条に違反しない。
 本件政治的行為に対する罰則の合憲性
[84] 政治的行為に対する罰則については、憲法21条及び31条との関係が問題となる。
[85] 国公法及び規則による公務員の政治的行為の禁止は、前述のとおり、公務員の政治的中立性を維持することにより、行政の中立性とこれに対する国民の信頼を確保するという国民全体の共同利益を擁護するためのものである。したがって、その禁止に違反する公務員に対する制裁として、刑罰をもって臨む必要があるとすべきか否かは、この国民全体の共同利益を擁護する見地からの立法政策の問題であって、その禁止が憲法21条に違反するものではないと解される以上、刑罰を違憲とする特別の事情がない限り、立法機関の裁量により決定されたところのものは、裁判所においても尊重されるべきである。
[86] そこで、刑罰を違憲とする特別の事情があるかをみるに、刑罰は、国権の作用による最も厳しい制裁であるから、特に基本的人権に関連する事項について罰則を設けることには,慎重な配慮がされるべきであることはもちろんであり、罰則規定が罪刑の均衡等の観点からして著しく不合理で到底許容し難いものである場合には、違憲の判断をせざるを得ない。これを公務員の政治的行為の禁止に対する罰則についてみると、罰則を設けたことについて政策的見地から種々の批判があることは事実であるが、その保護法益が、前述のとおり、国民全体の共同利益という重要なものであること、違反とされる行為が、公務員の政治的中立性を損なうおそれのあるものに限られていること、そして、それとの対比で法定刑をみると、懲役刑(3年以下)のほかに選択刑として罰金刑(10万円以下)も用意されていることなどにかんがみると、罪刑の均衡等の観点からしておよそ不合理で許容し難いものとはいえない。
[87] そうだとすると、国公法、規則が定める政治的行為禁止に違反する行為には、刑罰を科することを根拠づけるだけの違法性(行政の中立性とこれに対する国民の信頼を侵害する抽象的な危険)を帯びていると解することができるのであって、同法の罰則規定は憲法21条にも31条にも違反しないというべきである。特に本件政治的行為については、前述のとおり、政治的行為の中でも党派的偏向の強い行動類型に属し、公務員の政治的中立性を損なうおそれが大きく、違法性が強いといえるから、これに対する罰則に憲法上の問題がないことはもちろんである。
(2) 弁護人の主張に対する検討
[88] この論点に関する弁護人の主張は多岐にわたるものの、概ね、猿払事件判決の説示に対する批判を内容とするものであるから、以下、そのうち弁護人が繰り返し指摘している点について、検討を加えることとする。
[89] 弁護人は、猿払事件判決が、国公法及び規則による政治的行為の禁止の目的ないしは罰則の保護法益を「行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼の確保」とし、「行政の中立的運営」のほかに「国民の信頼」をも保護の対象としていることについて、「国民の信頼」という概念は、極めて漠然としておりかつ主観的であり、それが害されたかどうかを客観的かつ公正に検証することが極めて困難であって、国民に疑われかねない行為はすべて規制するということになってしまい、これでは、無限定かつ広汎な規制を認めることになりかねず、基本的人権の制約の限界を客観的に画することができないから、「国民の信頼」を禁止の目的や保護法益に取り込むことは、およそ正当化することができないなどと主張する。
[90] しかし、行政の中立的な運営に対する国民の信頼が全く保護に値しないということにはなるまい。なぜなら、行政の中立的運営に対する国民の信頼が失われ、国民がこれに不信や疑惑を抱くような事態となれば、現実の公務がいかに政治的に中立に遂行されていたとしても、その公務を国民が中立的かつ公正なものと受け取ることはなくなり、結果として行政の能率的かつ安定的な運営は妨げられ、議会制民主主義の健全な運営も害されることにつながりかねないからである。また、国民の信頼を保護法益に含めたからといって、論理必然的に、公務員の政治的行為に対する規制が無限定かつ広汎に拡大するわけでもない。ちなみに、賄賂罪の保護法益については、職務行為の公正とこれに対する社会の信頼とするのが判例通説であり、社会(国民)の信頼といった概念を保護法益に含めることは、必ずしも特殊なことではない。したがって、行政の中立的運営に対する国民の信頼は、独立して保護に値する価値があり、これを禁止の目的としてとらえることは正当というべきである。
[91] 弁護人は、国公法及び規則が定める政治的行為の禁止は、基本的人権の中でも優越的地位を有する表現の自由を制約するものであるから、その合憲性審査基準は、猿払事件判決が用いた合理的関連性の基準ではなく、厳格な審査基準によるべきである、この点、近時の最高裁も、いわゆる泉佐野市民会館事件判決(最高裁平成7年3月7日第三小法廷判決)等におけるように、精神的自由の制約に関しては、その優越的地位にウェイトを置いて厳格な基準により比較考量をするという手法を採用するようになっていると主張する。
[92] 確かに、表現の自由は、個人の人格形成にとって不可欠であるとともに、民主政の基盤をもなす、かけがえのない重要な価値を有しており、基本的人権の中で優越的地位にあることは、そのとおりである。したがって、例えば、国民一般に対して国公法、規則にあるような政治的行為を禁止したとすれば、その場合には、弁護人がつとに主張するように、いわゆる厳格な審査基準を用いて、その合憲性が判断されるべきであるといえよう。しかしながら、表現の自由といえども、無制約ではなく、限界があるのであり、かつ、その限界は、対立する憲法上の他の重要な価値の内容、その規制の目的や規制の態様等に応じて論じる必要がある。
[93] このような見地から国公法、規則による政治的行為の禁止をみると、まず、その規制は、国民一般に向けられているものではなく、公務の中でも行政の分野に携わる一般職の国家公務員のみを対象としている。しかも、前述のとおり、行政の中立性とこれに対する国民の信頼を維持するといった憲法上の重要な要請を達成するため、その政治活動の一部に限って、政治的行為として禁止しているのである。一方、政治的行為の禁止の規制態様は、その行動によって生じる弊害を防止することをねらいとして禁止するものであり、公務員がその禁止された類型以外の行為により政治的意見の表明をすることまで禁じるものではなく、また、意見表明そのものに着目した規制ではない。このようにみてくると、裁判所は、国公法、規則による政治的行為の禁止の合憲性につき、禁止の目的と手段(規制態様)との間に合理的な関連性があるかどうかという限度でチェックすることで足りると考え、合理的関連性の基準でもって判断することは、決して不当なことではない。
[94] しかも、かかる基準をとらず、表現の自由の優越的地位を強調して、禁止の目的と手段(規制態様)との間には直接かつ具体的な関連性がなければならないとの厳格な基準を採用すると、そのために、憲法上の重要な国の利益を損なう結果を招きかねないし、また、裁判所は、目的と手段との関連性を判断するに当たり、複雑な政治環境の中に置かれた多数人の行動を予測するなど、微妙にして複雑困難な事実認識を要求されることとなり、適正な判断ができない事態に立ち至ることも出てきかねない。それよりは、むしろ、公務員の政治的行為を禁止するという予防的規制をとる方が合理的であるし、裁判所としても、立法機関の判断を尊重し、禁止の目的と手段(規制態様)との間に合理的な関連性があるかどうかという限度で審査するのが相当といえよう。したがって、合理的関連性の基準には、それなりの合理性もあるというべきである。
[95] なお、合理的関連性の基準は、最高裁において、裁判所法の裁判官の積極的な政治運動の禁止規定の合憲性を審査する場合に、その判断基準として用いられている(最高裁平成10年12月1日大法廷決定・民集52巻9号1761頁)ほか、公選法の戸別訪問の禁止規定の合憲性を審査する場合にも、同様に判断基準とされている(最高裁昭和56年6月15日第二小法廷判決・刑集35巻4号205頁)のであって、最高裁が同基準にもはや依拠していないということにはならない。弁護人が指摘する前記泉佐野市民会館事件判決等は、精神的自由(集会の自由)に関するものであるとはいえ、本件とは問題となる自由の内容や対立する利益、規制の目的、態様等を異にするのであるから、これらの判断で用いられた手法や審査基準をそのまま本件に当てはめるのは、相当でない。
[96] 弁護人は、猿払事件判決が、「行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼」を確保するためには「公務員の政治的中立性」が維持されることが必要であるとし、そのために、「公務員の政治的中立性を損なうおそれのある政治的行為」を禁止すべきであるとしていることについて、政治的行為の禁止と上記立法目的とは論理的に結びつくものではなく、その判示には論理の飛躍と誤りがあり、いくつもの観念的で無理な想定を積み重ねているなどと主張し、また、公務員の政治的中立性を要求することは、公務員の思想信条の自由や表現の自由を否定することにつながりかねないから、その政治的中立性とは、公務遂行上のものに限定すべきであるなどと主張する。
[97] 確かに、公務員の政治的偏向が、直ちにその担当する公務の政治的偏向に結びつくわけではない。しかしながら、両者が結びつく場合があることもまた否定できないのであって、政治的行為の禁止とその立法目的との関係に関する猿払事件判決の判示は、決して単なる観念的な想定を積み重ねたものということはできない。弁護人は、党派的偏向のある公務員であっても、当該公務員が公務の場で中立的職務遂行を行うことはいくらでも可能であると述べるが、可能性をいうのであれば、他方において、公務の場において党派的職務遂行を行う公務員が現れる可能性もあるといえよう。また、弁護人は、党派的に職務遂行を行う公務員が現れたとしても、当該公務員に対して教育指導し、あるいは、その人物を排除、交替させれば足りるというが、問題は、一人の公務員が政治活動を行った場合にとどまらず、公務員の政治活動を放任ないし許容した場合に生じる不特定多数の公務員の行動等をも含めて想定しなければならないのであって、そのような観点からみたとき、弁護人が主張するような方法により、政治的党派の行政への不当な介入を防止し、行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を回復し得ることになるのかは、疑問が残るところといわざるを得ない。なお、公務外の公務員の行動であっても、前述のとおり、それがその公務に影響を与えることもある上、行政の中立的運営に対する国民の信頼を損なう点においては、公務内のそれといささかも変わるところはないから、公務員の政治的中立性を公務の遂行上のそれに限定して理解しなければならないものではない。このように解しても、公務員の思想信条の自由を否定することにつながるものでないのはもちろん、規制の対象となるのは、あくまでも国公法、規則の定める政治的行為にとどまるのであるから、それ以外の方法による表現の自由をも否定するものではないことは、いうまでもない。
[98] 弁護人は、対象となる公務員の職種・職務権限、勤務時間の内外、国の施設の利用の有無、職務利用の有無等を考慮せず、一律、全面的に公務員の政治的行為を禁止している国公法、規則の規定は、過度に広汎な規制であり、また、きめ細やかな関連性、必要最小限度性の検討がないから、合理的関連性、必要最小限度性を欠くなどと主張する。
[99] しかしながら、まず、裁判所が、禁止の目的と規制手段とを合理的関連性の有無の限度で審査すべき理由は、既に述べたとおりである。そして、政治的行為が公務員によってなされる場合には、公務員の職種・職務権限、裁量権の範囲の広狭等は、有機的統一体として機能している行政組織における公務の全体の中立性を問題としている以上、法の目的を阻害する点に差異をもたらすものではないと解されるし、また、勤務時間の内外、国の施設の利用の有無、職務利用の有無等も、公務員の政治的行為がその政治的中立性を損なうおそれがあるという点において、重大な差異をもたらすものではない。しかも、政治的行為を放任した場合に生じる前記のとおりの累積的、波及的効果、弊害をもかんがみると、その法益侵害の危険は、上記各事情の有無を問わず、発生すると解せられるのである。そうすると、国公法、規則の政治的行為の禁止が上記各事情を考慮せずに一律に規制するものであるからといって、禁止の目的との間の合理的関連性を失うものではないというべきである。
[100] 弁護人の主張にかんがみ、特に勤務時間の内外について付言するに、まずもって、公務員の地位、身分は、勤務時間外であるからといって失われるわけではなく、また、公務員の職務を離れた勤務時間外の行動であっても、その行動を私人としての行動と公務員としての行動とに分別することができるかは、疑問の余地なしとせず、とりわけ国民の側からみたとき、その区別はなおさら判然としないものである。そして、政治的行為のような行為が公務員によってなされ、その弊害が累積されることによって、行政の中立性とこれに対する国民の信頼を害する事態が生じかねないことは、勤務時間外における政治的行為であっても、例えば、公務員がその職場組織等を利用し、集団的、組織的に政治活動を行った場合を想定すれば明らかなように、その弊害の程度は勤務時間内と変わるところはない。このように、勤務時間外における公務員の政治的行為であっても、その禁止の必要性を一概に否定することはできない。
[101] また、国公法及び規則が定める公務員の政治的行為の禁止は、国公法102条1項が定めるもののほかは、規則6項が具体的に列挙したものに限定されており、しかも、同項は、5号から7号までに定めるものを除き、規則5項の定義する「政治的目的」をもってする行為のみを「政治的行為」と規定しており、政治的目的と政治的行為という2つの概念により慎重にその適用範囲が縛られているといえる。そうすると、規則の定める政治的行為の禁止が、違憲という結論に至るほど過度に広汎な規制であるということはできない。
[102] 弁護人は、国公法、規則による政治的行為の禁止は、猿払事件判決がいうような間接的、付随的制約などと評価できるものではなく、公務員の政治活動の自由を全面的に剥奪するものであるから、いわゆる内容規制、直接規制に当たるなどと主張する。
[103] ここで、内容規制とは、ある表現をそれが伝達するメッセージを理由に制限する規制をいい、内容中立的規制とは、表現をそれが伝達するメッセージの内容や伝達効果に直接関係なく制限する規制をいうものとする(芦部信書「憲法(第3版)」高橋和之補訂・岩波書店・177頁参照)。弁護人の主張は、このように表現の自由の制約を規制態様によって分類し、内容規制に対する合憲性の審査を、内容中立的規制に比べて厳格な基準によって行うべきとする見解(以下「内容規制、内容中立的規制二分論」という。)があることを前提とするものである。内容規制、内容中立的規制二分論は、内容規制が政府側の価値判断、評価に基づく不当な動機による規制であることが多く、また、ある表現内容が受け手に伝わることによる弊害は、本来、受け手側の自律性、判断に委ねるべき事項であり、表現の自由市場の思想にも矛盾するので、政府側の規制によって解決すべきものでないことなどを理由として主張されている見解である(弁書214、証人市川正人の証言参照)。
[104] もとより、猿払事件判決は、内容規制、内容中立的規制二分論の見解を採用したものではない(当裁判所も同様である。)。そして、本件で問題とされる規則6項7号、13号による政治的文書の配布の禁止は、その公務員の配布に係る政治的文書の内容そのものを理由とするものではなく、あくまでも、公務員がそのような政治的文書を配布したという行動から生じる弊害を防止することを理由とするものである。上記文書が政治的意見を含む政治的文書であるといったレベルでは、確かに表現の内容を全く捨象した規制とはいえないが、決してその政治的意見の内容如何に着目した規制ではない。すなわち、その政治的意見の内容について、政府側の否定的な価値判断や評価が加わっているわけではなく、また、表現の内容に関する受け手側の自律的判断に政府側が介入するわけではないから、表現の自由市場の思想に矛盾を来すものでもない。しかも、公務員であっても、国公法、規則に掲げる政治的行為以外の行為により意見表明することは保障されている。このような趣旨において、国公法、規則による政治的行為の禁止は、意見表明そのものをねらいとした制約に比べて、その程度が間接的、付随的にとどまっていることは、明らかである。したがって、これが、内容規制、内容中立的規制二分論の分類のうち、弁護人の分類によれば内容規制に当たるとしても、猿払事件判決が、上記のとおりの制約の程度からみて、結果的に得られる利益と失われる利益の均衡を失していないとすることは正当であるし、また、これまで述べたところから明らかなように、本規制は直接規制に当たらないというべきである。
[105] 弁護人は、刑罰は、全国民を対象とする国家の一般統治権の行使であり、そのもたらす萎縮効果や、行為者が警察の捜査権の行使の対象となることなどの点において、懲戒処分とは明らかに質的に異なる制裁であるので、公務員の表現活動を刑罰をもって禁圧する場面では、これを国家と一市民との関係のものとして評価し、一般国民に対するのと同様、厳格な審査基準に基づき、その政治的行為の禁止及び罰則の合憲性を判断しなければならず、行為者が公務員であることを理由として立法裁量を認めるというようなことはするべきではないなどと主張する。
[106] この主張は、公務員の政治的行為の禁止は、原則として、公務員関係上の服務規律、内部規律の問題にとどまるとの考えを前提とし、したがって、その制裁としては、基本的に懲戒処分にとどめるべきであって、刑罰をもって禁止することは、特段の事情でもない限り、相当ではないとの考えを背景とするものと思われる。しかしながら、当裁判所が公務員の政治的行為の禁止を合憲とする理由及びその違反行為に対する罰則規定を合憲とする理由は、既に(1)で詳述したとおりである。当裁判所は、公務員の政治的行為の禁止が、単に公務員関係上の服務規律、内部規律の問題にとどまるとの考えを採用するものではない。確かに、国公法は、公務員の政治的行為に対して、公務員組織の内部秩序を維持する見地から、この秩序を乱すものとして、行政上の制裁である懲戒処分を課することを定めているが、かかる行為を禁止することとしたのは、そのような見地からではなく、国民全体の共同利益を擁護する見地からであり、また、かかる行為に対して刑罰を科することとしたのは、そうすることを根拠づけるだけの違法性を帯びているからと考えてのことである。
[107] これを前提として、上記主張をみると、弁護人は、懲戒処分と刑罰との質的な違いを強調し、懲戒処分との比較において、刑罰をことさらに特別視しているようであるが、懲戒処分の中には、基本となる公務員関係を消滅させるような強度の処分(免職)もあるのであり、制裁として有する抑止効果ないしは萎縮効果という点についていえば、刑罰との間にそれほど差があるわけではないとの見方もできる。また、刑罰が全国民を対象とする一般的統治権の発動であるといってみても、これは、要するに、刑罰の目的、性質、効果が懲戒処分のそれと異なることを別の言葉で言い換えたに過ぎないのであって、制裁が刑罰であるときは表現の自由に対する規制について厳格な審査基準によって合憲性を審査すべきであるといったことを、論理必然的に説明し得るものではない。刑罰の場合には、前科が記録されることや捜査機関の捜査の対象とされることはそのとおりであるが、これらは、制裁として刑罰を法定したことの付随的事情に過ぎないから、前同様、厳格な審査基準によるべきことの理由づけになるとは思われない。そもそも、政治的行為が禁止される範囲は、制裁手段の内容如何を問わず定められるべきものである。例えば、政治的行為の禁止に対する違反の制裁としては、原則として懲戒処分にとどめ、刑罰はそのうちの一部にだけ例外的に定めるといったことも、立法政策としては考えられようが、それはあくまでも立法政策の話である。憲法適合性を判断するに当たり、いかなる制裁を設けたかという制裁の種類から遡り、それに応じて合憲的に禁止される範囲が異なってくるというような考え方はとり得ないと思われる。
[108] このようにみていくと、懲戒処分と刑罰とは、その目的、性質、効果の点で異なることはいうまでもなく、刑罰の場合には憲法31条、36条からする憲法上の規制が働くものであるが、それ以上に、弁護人が主張するほどの質的量的な差異を両者の間に見出すことはできないというべきである。したがって、弁護人の主張は採用できない。
[109] 弁護人は、国公法の政治的行為の禁止及びその罰則に関する規定について、そもそも同法の政治活動の制限規定は、当初の昭和22年の同法制定の際は、その禁止の範囲が限定的であり、罰則規定もなかったところ、翌年、同法が全面的に改正され、その禁止の範囲が拡大されるとともに、刑罰による制裁が設けられるに至ったのであるが、この改正法は、当時の連合国総司令部の強力な意向と圧力により、国会での十分な審議がなされないまま採決されたものであり、また、国公法102条1項の委任を受けた規則の規定も、人事院の意思ではなく上記総司令部の意向のみによって定められたものである、このことは、昭和25年の地方公務員法の制定の経緯、すなわち、政府原案の段階から、本件のような政治的文書の配布は全く規制の対象外とされ、また、罰則の対象となっていたのは地方公務員の政治活動をあおり、そそのかすなどした者についてのみであったところ、審議の過程でそれすら行過ぎであるとして、その罰則が削除されたという経緯をみても明らかであり、その当時の国会の意思は、国公法、規則の定める制限と罰則を正当化する情勢にはないとの認識に立っていたものである、したがって、国公法、規則の定める制限と罰則は、いずれも立法事実を有するものではなく、合憲性の推定の働く余地がないと主張する。
[110] しかしながら、国公法は、形式的には、国会による法律制定の手続を履践しているのであるから、その点では、法律としての有効性に疑義が生じるものではない。また、規則の制定に当たっても、当時、人事院側と連合国総司令部との間で数回にわたる折衝があったことがうかがわれるのであり、人事院の意向が全く反映されていなかったなどというのは、極端な見方といわざるを得ない。さらに、国公法の後に制定された地方公務員法では、国公法、規則と比べ、禁止される政治的行為の範囲が狭く、かつ、これに対する罰則による制裁を設けていないことはそのとおりであるが、それは、その制定当時の審議がどうであったかは別として、国会が地方公務員と国家公務員との違いに着目し、裁量の範囲内において設けた差異に過ぎないと理解することも、あながち無理な見方ではない。いずれにせよ、国公法、規則の制定、改正の経緯や地方公務員法の制定の経緯が、概ね弁護人の主張のとおりであったとしても、その政治的行為の禁止及びその違反行為に対する罰則は、上記改正法成立後、その合憲性等が厳しく争われた猿払事件判決を経て、今日に至るまで改廃されることがなかったのは、厳然たる事実であるから、公務員の政治的行為の禁止及びそれに対する罰則を存置することの必要性は、国民の代表機関である国会により、わが国の現実の社会的基盤に照らして事実上承認されてきたとみる余地もあるように思われる。そうだとすると、国公法、規則の定める制限と罰則に立法事実がないなどということにはならない。
[111] 弁護人は、国公法、規則の政治的行為の禁止の母法とされている米国ハッチ法には、公務員の政治活動に対する罰則規定がなく、しかも、1993年の改正により、原則として公務外の政治活動の禁止が解除されたこと、国際的に見ても、公務員の政治活動を広汎に禁止し、その違反行為に対して罰則をもって臨むのは日本のみであること、その他自由権規約の批准やILO151号条約の尊重等を理由として、猿払事件判決は変更されるべきであると主張する。
[112] しかしながら、公務員の政治活動の禁止の有無、範囲及びその違反に対する制裁の内容等については、いずれもそれぞれの国の歴史的所産である社会的諸条件に関わるところが大きいのであって、外国の立法例は一つの重要な参考資料であるとしても、わが国の国公法の規定については、あくまでわが国の社会的諸条件を根本においてその合憲性が審査されなければならないものである。ハッチ法をみても、そもそも、同法とわが国の国公法とは、政治活動に関する禁止規定が設けられた歴史的背景や経緯,禁止される行為の範囲、その違反に対する制裁等をみても全く内容が異なるのであり、ハッチ法の改正により公務外の政治活動の禁止が解除されたことも、従前の規制内容を前提に、米国内での政治的、経済的、社会的条件の変化を踏まえてのものと理解すべきである(ちなみに、ハッチ法では、連邦行政機関の職員の政治活動〔「政党の運営又は政治的宣伝への積極的な参加」〕禁止の違反に対する制裁として、当初は、いわゆる懲戒免職のみであったが、その後の改正により、人事委員会の判断によっては停職90日〔その後の改正により、更に30日に短縮〕より軽くない処分を課すことも可能となったのである。このように、ハッチ法では、刑罰規定を置いていないものの、当該公務員にとっては免職ないしは停職というかなり強度な制裁が予定されていたということができる。禁止される政治的活動から公務外のものを解除したという1993年の改正は、こうした背景を抜きには考えられないのではなかろうかと思われる。)。ハッチ法がわが国の国公法、規則の政治的行為の禁止規定の母法というべきものであるとしても、このような違いに目をつぶり、ハッチ法に罰則規定がないことや改正により禁止される政治活動の範囲が限定されたといった結果等のみを、そのままわが国に当てはめ、わが国の国公法、規則の違憲をいうのは、憲法判断の態度として相当とは思われない。同様の理由により、国際的な立法例との比較をいう点も、猿払事件判決を変更し、本件国公法、規則の諸規定を違憲と判断すべき十分な理由とはなり得ないというべきである(なお、自由権規約やILO151号条約等との関係は、後述のとおりである。)。
[113] 以上のとおりであり、弁護人の主張は、いずれも採用できない。

3 人事院規則への委任の合憲性について
[114] 弁護人は、国公法102条1項は、刑罰をもって禁止される政治的行為について、人事院規則に委任しているが、「選挙権の行使を除く外」という限定しかなされておらず、刑罰の対象となる行為の範囲と基準を具体的に明示しているとは到底解されない、したがって、国公法102条1項による規則への委任は、白紙委任、包括的委任といわざるを得ず、憲法31条、41条、73条6号に違反すると主張する。
[115] しかしながら、国公法102条1項を合理的に解釈すれば、同条項が、公務員の政治的中立性を損なうおそれのある行動類型に属する政治的行為を具体的に定めることを人事院規則に委任するものであることは、自ずと理解できるところである。そして、そのような政治的行為が、公務員組織の内部秩序を維持する見地から課される懲戒処分を根拠づけるに足りるものであるとともに、国民全体の共同利益を擁護する見地から科される刑罰を根拠づける違法性を帯びるものであることは、前述のとおりであるから、同条項が、同法82条による懲戒処分及び同法110条1項19号による刑罰の対象となる政治的行為の定めを一様に規則に委任しているからといって、それだけで、憲法の許容する委任の限度を超えるということにはならない。
[116] また、規則6項7号、13号(5項3号)の本件政治的行為は、国公法102条1項に基づき、前記の行動類型に属する政治的行為として具体的に規定されたものであるから、同条項による委任の範囲を逸脱するものではない。
[117] よって、国公法102条1項の委任規定及び規則6項7号、13号は、いずれも憲法31条、41条、73条6号に違反しない。

4 本件国公法、規則の限定解釈の主張について
[118](1) 弁護人は、本件国公法、規則の諸規定が憲法21条、31条等に違反しないとしても、これらの規定の適用に当たっては、禁止される政治的行為の範囲あるいはその違反に対し刑罰を科する範囲について限定的に解釈すべきである、そして、その限定的解釈を前提とすれば、被告人の本件各行為は、これらの規定の適用対象外である、仮に被告人の本件各行為にもこれらの規定の適用があるとするならば、それは、憲法21条等に違反すると主張する。
[119] しかし、前述したところから明らかなように、本件国公法、規則の諸規定については、弁護人がいうような限定解釈をするまでもなく、憲法21条、31条等に違反しないのであって、限定解釈の必要性も理由もないというべきである。したがって、限定解釈を前提としての適用違憲の主張も失当である。
[120] 以下、弁護人の主張にかんがみ、若干補足して説明する。
[121](2) 弁護人は、勤務時間外における公務員の政治的行為の一般的禁止が憲法違反でないとしても、その行為は職務との関連でなされたかのような誤解を生じさせる特別の状況において、特別の態様でなされた場合に限り、例外的に制限されるに過ぎないとして、当該公務員が担う公務の種類、公務員たることの明示の有無、官公庁における公務員の地位、政治活動の態様等に即して検討し、限定的に解釈適用すべきである旨主張する。
[122] しかしながら、国公法、規則の規定が、対象となる公務員の職種・職務権限、裁量権の範囲の広狭、あるいは、勤務時間の内外、国の施設の利用の有無、職務利用の有無等を考慮せず、一律にその政治的行為を禁止したとしても、これが目的との間の合理的関連性を失うものではなく、したがって、その禁止が憲法21条に違反しないことは、既に詳述したとおりである。
[123](3) 弁護人は、政治的行為の禁止の違反行為のうち、公務員関係上の義務違反ないしは公務員組織の内部規律違反にとどまる行為に対する制裁としては、公務員制度上の懲戒処分にとどめるべきであって、刑事制裁を認めるべきではなく、国公法が定める刑罰規定を適用できるのは、「公務の民主的かつ能率的な運営」が脅かされる程度にまで有害で違法な政治活動が行われたことが明白な事案で、懲戒処分を用いるだけでは「公務の民主的かつ能率的な運営」を確保できない場合に限られると解釈すべきである旨主張する。
[124] しかしながら、何度も述べるとおり、公務員の政治的中立性を損なうおそれのある政治的行為が禁止され、その違反に対して罰則規定を設けているのは、国民全体の共同利益を擁護する見地から、かかる行為には刑罰を根拠づけるだけの違法性があると評価しているからである。いいかえれば、国公法は、懲戒処分という公務員制度上の制裁と刑罰という制裁の2つがあることを念頭に置いて、政治的行為の禁止及びそれに対する刑罰を定めているのではない。弁護人は、上記主張のような解釈は、猿払事件判決の立場からでも導けるものであるというが、同判決が、そのような解釈に立っていないことは、その判示内容自体からして明らかである。
[125](4) 弁護人は、被告人の本件各行為は、公選法の規制を受ける特定の選挙の特定の候補者の当選を図るための選挙運動ではない、このような行為が起訴されたことは、過去にもなく初めてのことである、規則の制定経過からも、本件各行為を規制し、かつ、罰則を適用することは、憲法21条に違反する旨主張する。
[126] しかしながら、公選法上の規制は、選挙の自由と公正を図ることを目的としており、国公法の政治的行為の禁止目的とは異なる観点からの規制であるから、被告人の本件政治的行為が公選法上の規制を受けるか否かが、本件各行為を規制し、かつ、罰則を適用することに当たり、その合憲性や法益侵害性の有無、程度に影響を及ぼすものとは思われない。しかも、被告人の本件各行為は、前述のとおり、衆議院議員総選挙に際して、特定の政党機関紙ないしは特定の政党を支持する政治的目的を有する文書を配布したというものであって、被告人自身、日本共産党に投票を得させる目的があった旨供述しているところである(乙3)。そうすると、その行為は、具体的な選挙における特定政党のためにする直接かつ積極的な支援活動なのであるから、過去の政治的行為の禁止違反の事例と比べても特段の差異があるとは認め難く、また、規則の制定経過を考慮に入れても、その行為が当罰性を有しないなどとはいえない。
[127](5) 弁護人は、被告人の本件各行為のような文書の配布行為は、被告人自身の自己実現と、政治的言論の双方向的な流通を通じて自己統治に資するという点からして、その行為の持つ価値が極めて高いものである、とりわけ、本件各行為の舞台となった中央区晴海のような高層住宅が建ち並ぶ地域においては、文書のポスティング(郵便受けへの投函行為)は、情報交流のツールとして、極めて重要な役割を果たしている、このような表現の自由の行使が、国家公務員であるという、ただそれだけで許されなくなり、しかも、刑罰の対象となるというのは、どう考えてもおかしい、被告人の本件各行為は、刑罰をもって禁止しなければならないような、重大な反社会的行為といえないことは明らかであり、これに対し刑罰を適用することは憲法上許されないと主張する。
[128] 被告人が本件で行ったような文書の配布行為が、弁護人の主張するとおりの意味を有することは否定しないが、そうであるからといって、公務員である被告人が、一般市民と同様にならないことは、本件国公法、規則の諸規定からして明らかであり、このような文書の配布行為に限ってその適用の対象から外さなければならない理由はない。被告人の本件各行為に当罰性があることは、後に述べるとおりである。
[129](6) 弁護人は、(1)国公法120条1項は、寄付金等を集めたり受領したりする行為を例示していることから、公務員の党派的職権檻用、地位利用又は政治的寄付の強要といった類の処罰に値する政治的行為の類型を定めることを委任したものであって、市民としての政治活動に属するような行為までを禁止するように委任したものではないと解すべきである、(2)猿払事件判決は、国公法102条1項について、処罰に値する実質を有する行為の定めを人事院規則に委任した規定であると判示したものであり、処罰に値する実質を有する行為とは、公務員の民主的かつ能率的な運営が脅かされる程度にまで有害で違法な政治活動が行われたことが明白な事案であって、懲戒処分を用いるだけでは公務の民主的かつ能率的な運営を確保できない場合に限定される、と主張する。
[130] しかし、弁護人の主張するように限定して解釈すべき理由も必要性もない。猿払事件判決は、その事伴内容や判示事項全体からみて、弁護人の主張するような限定解釈を示した判決でないことは明らかである。

5 結諭
[131] そのほか、弁護人は、本件国公法、規則の諸規定が憲法15条1項、13条に違反するなどとも主張しているが、検討してみても、いずれも採用の限りではない。
[132] 以上の次第であり、本件国公法、規則の諸規定は、憲法21条、31条等に違反するものではなく、違憲無効な法令でないことは明らかである。
1 自由権規約について
[133] 弁護人は、自由権規約19条1項は、すべての者は、干渉されることなく意見を持つ権利を有すると規定し、その権利を、制限することのできない絶対的権利として保障しており、同条2項は、すべての者に対して表現の自由を保障しており、公務員の政治活動の自由も同条項による保障の対象となることは、明らかであるところ、同条3項は、同条2項の表現の自由に対して、「その権利の行使には特別の義務及び責任を伴う」として、制限事由を定めており、その制限は「権利の本質を損なうものであってはならない」といった観点から、表現の自由に対する制限は「法律によって定められ」なければならず、「(a)他の者の権利又は信用の尊重、(b)国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護」のうち、いずれかの目的のために課するものであり、その禁止が上記目的のために締約国にとって「必要」とされるものとして正当化されなければならないとされている(国際人権規約委員会の一般的意見10第4項参照)、本件政治的行為の禁止は、この3項の定める制限事由を満たしておらず、本件国公法、規則の諸規定は、この19条に違反している、そうだとすると、自由権規約は国公法よりも優位であるから、本件国公法、規則の諸規定は、この点で法令として無効であると主張する。
[134] まず、本件国公法、規則の諸規定が、憲法とは別に、自由権規約との関係で独自に問題となり得る点について付言する。弁護人が主張するように、自由権規約は、自動執行力があり、批准の上、公布されたことによって、日本の国内法として国内の法体系に組み入れられ、かつ、裁判規範性を有するに至ったと解される。そして、自由権規約は、国内法である国公法の上位規範となるから、国公法が自由権規約に適合するか否かについては、自由権規約の定める制限事由を解釈適用して判断しなければならず、仮に適合しないとなれば、国公法は無効とならざるを得ない。憲法が保障する権利と自由権規約が保障する権利とは同じであるといえるものの、それぞれが定める権利の制限条項が異なっていることから、本件国公法、規則の諸規定が第4のとおり合憲であるとしても、そのことから当然に、これらの規定が自由権規約にも抵触しないということにはならず、あらためてこれらの規定が同規約に適合するか否かについて判断することが必要となる。
[135] そこで、本件国公法、規則の諸規定が自由権規約19条3項に違反するか否かについて、順次各要件を検討する(なお、弁護人は、同規約を解釈適用するに当たっては、条約法に関するウィーン条約31条、32条等や同規約の実施機関である規約人権委員会において採択される一般的意見等、更には、同規約と類似の規定を置くいわゆるヨーロッパ人権条約及びヨーロッパ人権裁判所の判例が解釈基準として用いられるべきである旨主張するが、当裁判所も、基本的には、これを是とするものである。)。
[136] まず、公務員の政治的行為の禁止及びこれに対する罰則は、国民の代表機関である国会が制定した国公法によって定められている。そして、国公法102条1項は、公務員の政治的中立性を損なうおそれのある行動類型に属する政治的行為について具体的に定めることを人事院規則に委ねたものに過ぎないから、その禁止の根拠が法律に由来していることは明らかであり、また、一般人の予見可能性を損なうものでもない。したがって、その禁止は、「法律によって定められ」たものであるといえる。
[137] また、その禁止の目的は、前述のとおり、行政の中立性とこれに対する国民の信頼を確保するという国民全体の重要な利益を擁護することにあり、「公の秩序」を保護することを目的とするものといえる。
[138] さらに、公務員の政治的中立性を損なうおそれのある政治的行為を禁止することの必要性についてみると、本件政治的行為が自由に放任されるときは、第4の合憲性の検討にあたり説示したとおりの弊害を生じるおそれがあるから、その弊害の発生を防止し、行政の中立性とこれに対する国民の信頼を確保するため、これらの政治的行為を禁止し、その違反行為に対して罰則による制裁を設けることは、必要な措置であるといえる。他方、本件政治的行為の禁止は、意見表明そのものをねらいとするものではなく、意見表明に伴う行動によって生じる弊害の防止をねらいとするものであり、また、国公法、規則によって禁止される行動類型以外の行為により意見表明をすることまでは何ら制約するものではない。また、その罰則は、前述のとおり、著しく不合理であるとはいえず、選択刑として罰金刑を科するにとどめることによって、過酷な結果となることを回避することも可能である。そうだとすると、本件政治的行為の禁止及びその違反に対する罰則は、国公法、規則が保護しようとする価値に比例するものであり、合理的で必要やむを得ない限度を超えるものではなく、表現の自由の権利の本質を損なうものでもない。したがって、本件政治的行為の禁止時、前記の目的のために「必要」として正当化できるものである。
[139] ところで、弁護人は、ドイツのニーダーザクセン州において政治的活動に積極的に従事していた公務員が、ドイツ基本法への忠誠義務違反に当たるとして懲戒解雇された事件に関し、ヨーロッパ人権裁判所が、公務員の活動を規制する目的が正当であったとしても、その目的を達成するために実際とられた措置との均衡を失していると判断して、ヨーロッパ人権条約10条(自由権規約19条と同じ表現の自由に関する規定)に違反すると認定した例を挙げ、本件が自由権規約19条に反することは明らかであると主張する。しかしながら、弁護人が主張する上記事例は、当該公務員が解雇処分という重い処分を受けたというものであり、ヨーロッパ人権裁判所もこうした事情を重視したと思われるところ、本件は、懲戒処分ではなく刑事罰の適用が問題となっているとはいえ、検察官の求刑においてすら罰金刑にとどまっているのであるから、上記事例と事案の内容自体明らかに差異があるといわざるを得ず、こうした裁判例等をそのまま本件に当てはめて論じることは相当でないというべきである。
[140] したがって、本件国公法、規則の諸規定による本件政治的行為の禁止は、自由権規約19条3項により許容される範囲内の制限であるといえる。よって、本件国公法、規則の諸規定は、自由権規約19条に違反しない(前掲最高裁昭和56年10月22日第一小法廷判決参照)。
[141] なお、弁護人は、本件国公法、規則の諸規定は、市民の政治的権利の保障を定めた自由権規約25条、市民の平等を定めた同規約26条にも違反する旨主張するが、同規約19条のほかに、これらの条文が別個に問題になるとは考えられないので、いずれも失当というべきである。

2 ILO151号条約について
[142] 弁護人は、本件国公法、規則の諸規定がILO151号条約9条に抵触することを前提とし、わが国は同条約を批准していないとしても、これらの条約の前提となるILO87号条約、98号条約はいずれも批准しているから、当然ILO151号条約を遵守する義務があり、また、同条約は、「確立された国際法規」に当たり、憲法98条2項により誠実に遵守する義務があるなどとして、同条約9条に抵触する本件国公法、規則の諸規定は無効である旨主張する。
[143] しかしながら、ILO87号条約、98号条約は、政治活動の自由を保障した条約ではなく、その規定もない上、ILO98号条約に至っては、同条約6条で公務員の地位を取り扱うものではない旨定めているところである。そうすると、わが国がILO87号条約、98号条約を批准しているからといって、そのことから直ちに、未だ批准の手続を経ていないILO151号条約9条を当然に遵守する義務が生じるとは解されないし、仮に何らかの意味で遵守する義務を認めたとしても、同条項に国内法的効力が発生するとまでは到底解されない。また、憲法98条2項の「確立された国際法規」とは、現に国際社会において一般に承認され、実効性を有する国際慣習法(この国際慣習法を確認し成文化した条約をも含む。)をいうと解されるところ、公務における団結権の保護及び雇用条件の決定のための手続等を規定した同条約は、ILOの総会において1978(昭和53)年に採択され、現在43か国が批准しているものであるが、未だ国際社会において一般に承認され、実効性を有する国際慣習法を内容とするものとは認め難いから、同条約は「確立された国際法規」に当たるとはいえない。よって、同条約9条と本件国公法、規則の諸規定との関係を判断するまでもなく、弁護人の主張は採用することができない。

3 結論
[144] 以上のとおりであり、本件国公法、規則の諸規定は、自由権規約19条等に違反しない。また、本件国公法、規則の諸規定とILO151号条約との関係を判断することはできず、このように解しても憲法98条2項には違反しない。
1 弁護人の主張
[144] 弁護人は、被告人の本件各行為は、休日に、所属官庁から遠く離れ、かつ、職場の管轄外の場所である自宅近くで、職務や職場とは無関係の文書を配布したものであること、公務員としての職場の地位を利用するものでないばかりか、被告人が公務務員であることさえ認知できない、一般の商業ビラの配布と異なるところのない態様であることなどから、公務との関連を客観的に全く有しないものであるとの特徴があり、猿払事件判決がいう国公法の政治的行為の禁止の保護法益である行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を何ら侵害するものではなく、侵害の危険すらないものであり、処罰に値するほどの違法性がないことは明らかである、そうだとすると、(1)被告人の本件各行為に本件国公法、規則の諸規定を適用することは、その限りにおいて、憲法21条、31条に違反する(適用違憲)、あるいは、本件国公法、規則の諸規定は、本件各行為にも適用されるとの意味を有する限りにおいて憲法21条、31条に違反する(意味上の法令違憲)、また、(2)被告人の本件各行為は、犯罪として成立し処罰されるためには法益侵害の存在が不可欠であるとの刑罰法の基本原則からして、本罪の構成要件該当性を欠くものであると主張する。
[145] そこで、以下、まず、被告人の本件各行為について、その法益侵害ないしはその危険の有無を検討し、その上で、弁護人の(1)(2)の各主張を検討することとする。

2 法益侵害の危険の有無について
(1) 前提とされる事実
[146] 被告人の本件各行為に関して、関係各証拠によれば次のような事実が認められる。
[147] 被告人は、昭和46年度国家公務員採用初級試験に合格し、昭和47年3月、地方事務官行政職(一)8等級(東京都民生局国民年金部管理課管理係)に採用された。その後、平成12年4月1日、地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する法律の施行により厚生事務官となり、平成13年1月6日、厚生労働省発人第25号により厚生労働事務官となった。そして、同年7月1日から、目黒社会保険事務所年金審査官に配置換えとなって、本件当時に至ったものである。目黒社会保険事務所は、厚生労働省の外局として設置された社会保険庁の地方支分部局として各都道府県単位に置かれた地方社会保険事務局の出先機関として全国に265か所ある社会保険事務所の1つであり、目黒区内を管轄しており、健康保険、厚生年金及び国民年金の適用、給付、保険料の徴収に関する業務を行っている。
[148] 被告人は、本件当時、同事務所では、国民年金の資格に関する事務等を扱う国民年金業務課で相談室付係長として相談業務を担当していた。その業務は、年金が受けられるかどうか、年金の請求又は年金の見込額等に関する利用者の相談に対して、その相談内容に応じてコンピュータ内にある利用者の年金に関する記録を調査し、その情報をもとに回答して、必要な手続を促すというものであった。同事務所の各課の業務遂行の要件と手続が法律で詳細に定められている上、相談の回答に当たりコンピュータを操作して得られる情報は、誰が行っても基本的に同じ結果が出るものであることから、その業務は、裁量の余地がない機械的業務といって差し支えないものであった。被告人には、年金支給の可否を決定し、あるいは、支給される年金額等を変更するような権限等はなく、また、保険料の徴収等の手続に携わることもなかった。さらに、被告人は、副長であったEの下で相談業務を行っていたものであって、職場内での人事権等は一切有していなかった。
[149] 被告人は、約10年ほど前から、月1、2回程度、自宅付近である中央区の月島や晴海地区にある住宅や集合マンションの郵便受けに、日本共産党の政党機関紙等の政治的文書を投函するようになった。
[150] 被告人の本件各行為の内容は、判示のとおりであるところ、平成15年10月19日は日曜日、同月25日は土曜日、同年11月3日は祝日(文化の日)であって、3日間とも勤務のない休日であった。被告人は、本件各行為の際、私服を着用し、外見上公務員であることが判明するようなものは身に着けていなかった。また、被告人は、自らの職場や職務とは関わりなく,職場での人間関係等を利用することもなく、職場のある目黒区から離れた中央区の前記地区において、判示各行為に及んだものであり、その行為は、原則として住民と直接顔を合わせたり、コミュニケーションをとることはなく、黙々とマンションの集合郵便受け等に政治的文書を投函するというものであった。その投函した政治的文書の記載内容は、被告人の勤務する社会保険庁とは何ら関わりないものであり、同庁が日本共産党を支持しているといったような記載もなかった。
[151] 被告人は、職場においては、利用者や同僚の職員などに同党の宣伝や勧誘等をしたことはなく、同党の政党機関紙を読んでいたようなこともなかった。その職務を政治的に偏向して取り扱ったようなことも認められず、被告人が捜査機関に逮捕された点を除いては、被告人の本件各行為がその職場や公務に何らかの影響を与えたこともなかった。
(2) 法益侵害の危険の有無についての当裁判所の見解
[152] 確かに、被告人の本件各行為は、弁護人がいうとおり、その行為が行われた日時場所や行為態様、配布された文書の内容等に照らし、被告人の職務等とは無関係に行われたものであり、かつ、政治的文書の配布の受け手となるべき市民にとっても、行為者が公務員であると認知することができないものであったなどといった特徴を有するものであることが認められる。
[153] しかし、規則6項7号、13号による政治的文書の配布は、前述のとおり、政治的偏向の強い行動類型に属するものであり、公務員の政治的中立性を損なうおそれが強いと認められるものであるところ、被告人は、衆議院議員総選挙に際して、政党機関紙ないしは特定の政党を支持する政治的目的を有する文書を配布したというのであるから、その行為は、具体的な選挙における特定政党のためにする直接かつ積極的な支援活動であり、現代の議会制民主主義、議院内閣制において政党が重要な役割を果たしていることを考慮しても、政治的偏向の強い典型的な行為といって差し支えない。
[154] そして、被告人は、このように、公務員の政治的中立性を損なうおそれの高い行為に及んだのであるから、それによって法益侵害の危険を抽象的にせよ発生させたといわざるを得ない。
[155] 法益侵害の危険の有無を考えるに当たっては、ひとり被告人の本件各行為から直接具体的に生じる弊害のみに限定してみるのは相当でなく、被告人が行った本件各行為を放任した場合、その所属する行政組織内の公務員全体に本件政治的行為を許容することにつながりかねず、そうした波及的効果が累積された場合に生じ得る弊害をも併せ考慮して判断されるべきである。そうすると、被告人の本件各行為の法益侵害の危険は、決して過小に評価されるべきではない。もちろん、被告人の本件各行為が許容されたと仮定した場合に予想される累積的、波及的効果そのものは、被告人と関わりのないことであって、被告人の本件各行為に対する制裁の程度を考慮すべき場合、すなわち、その有する違法性の強弱を検討する場合には被告人の本件各行為から直接具体的に生じた弊害そのものを考慮すべきであることは当然である。しかしながら、違法性の強弱ではなく、その有無(法益侵害の有無)が問われる場面においては、前記のような累積的、波及的効果をも考慮に加えて生じ得る弊害を論じたとしても、決して不当でないばかりか、本件国公法、規則の諸規定が政治的行為の禁止を予防的措置として設けている趣旨にも合致し、妥当であると考えられる。
[156] したがって、被告人の本件各行為は、その特徴を十分に考慮に入れたとしても、国公法102条1項、6項7号、13号(5項3号)による政治的文書の配布に当たり、同法110条1項19号の法益侵害の危険を有するものであったというべきである。
(3) 弁護人の主張の検討
[157] 弁護人は、被告人の本件各行為について、次のように主張する。すなわち、被告人は、私服で、勤務時間外である休日に、職場と遠く離れた自宅周辺において、職務や職場と関わりなく、政治的文書を大都市における郵便受けに日常行われるビラ配りと同じ態様で投函したものである、このような場合、通常、一般人は投函の際に文書の内容や記載を見ることができず、政治的文書を配布していると認識することが困難である上、投函者の身分等も知り得ないし、そもそもそのようなことはおよそ関心の対象にすらなり得ない、また、被告人は、配布行為の際、住民と直接顔を合わせたり、コミュニケーションをとることはなく、投函した文書の記載も被告人の勤務する社会保険庁あるいはその公務が日本共産党を支持しているかのような記載は一切なかったものである、このように、本件は過去の政治的行為の禁止違反が問題となった事例と比較しても、直接相手に交付していない点で行為の相手方が存在せず、また、行為の外観から政治的行為であると認知できない点に特徴があり、被告人の行為を目にした一般人が公務員による政治的行為として認識する可能性がおよそなかったものであって、行政の中立的運営に対して国民の不信や疑惑を招くおそれが一切存在しない、そしてまた、被告人の本件各行為により職場に政治的対立や混乱を招いたことはなく、被告人は職場では何ら政治的行為を行っていたわけではなく、その職務も、裁量の余地のない機械的業務といってよいものであるから、行政の中立的運営も阻害されていない、したがって、本件各行為には、本件国公法、規則の諸規定の保護法益を侵害する危険が全くない、また、政治的行為の違法性は、その主体の身分的属性により導かれるから、本件のように行為がその主体の身分的属性と全く関係なく行われた場合は、法益侵害の抽象的危険性すら存在しない、などという。
[158] しかしながら、前述のとおり、本件国公法、規則による政治的行為の禁止は、直接的には個々の公務員の政治的中立性を維持することにより、行政の中立性とこれに対する国民の信頼を確保する制度的措置であり、既にみたような行政組織の有機的統一体としての機能や、政治的行為を放任したときの累積的、波及的効果をもかんがみると、公務員の政治的中立性を損なうおそれのある政治的行為がなされれば、原則として、保護法益を侵害する抽象的危険が発生したと解することができる。見方を変えれば、禁止の対象となる個々の公務員の政治的行為は、それによって直ちに行政の中立性とこれに対する国民の信頼が侵害され、あるいは、その具体的な危険を発生せしめるようなものであることを要しないと解されるのである。この点、弁護人の前記主張は、抽象的危険の発生すらないという点も含め、実質的には、被告人の本件各行為が行政の中立性とこれに対する国民の信頼を直ちに脅かすものではなく、また具体的にその危険がなかったことをいうものであり、結局のところ、具体的危険の発生がない旨を主張するものと解されるのであって、そうだとすると、いずれも失当というほかない。
[159] そして、弁護人の主張に現れる諸事情の有無は、違法性の強弱を検討する場合に考慮されるにとどまり、違法性の有無、すなわち法益侵害の危険の有無の判断を左右する事情であるとはいえない。前述のとおり、公務員の職種・職務権限、裁量権の範囲の広狭等は、有機的統一体として機能している行政組織における公務の全体の中立性を問題としている以上、法の目的を阻害する点に差異をもたらすものではなく、また、勤務時間の内外、職務や職場利用の有無等も、公務員の政治的中立性を損なうおそれがある点においては重大な差異をもたらすものではないからである。また、このようにみていくとき、公務員の政治的行為に接した一般市民の抱く感情、直接の行為の相手方の有無、行為の外観からみた政治的行為であることの認知可能性等もまた、公務員の政治的行為がその政治的中立性を損なうこととは直接関連しない事情である上、行為当時に公務員の行為であると周囲に判明しなかったとしても後にそれが判明した場合に生じる影響や、政治的党派勢力の不当な介入の危険性等といった点からみるならば、行政の中立性とこれに対する国民の信頼を害する危険は、上記の事情の有無によってそれほど変わるものではなく、法益侵害の危険の発生の有無を論じる場合に決定的な意味を有する事情とは解されない。同様の理由により、行為がその主体の身分的属性と全く関係なく行われた場合には法益侵害の抽象的危険すら存在しないと主張する点も、採用することはできない。
[160] なお、弁護人は、最高裁平成元年3月14日第三小法廷決定(刑集43巻3号283頁)について、同決定は、警察官の行う盗聴行為について、外形上公務員の職務行為であると理解されない行為については国民の信頼は保護されないことを理由に公務員職権濫用罪には当たらないとしたものであり、本件も、同決定と同様、政治的行為がなされている間、誰も公務員による行為であると認識されなかったのであるから、政治的行為禁止違反の罪は成立しない旨主張するようであるが、同決定が弁護人のいうような趣旨の説示をしていないことは明らかであるから、弁護人の主張は、その前提を誤っており、採用することはできない。
[161] 弁護人は、いわゆるぐるみ選挙や、被告人の職場内において労働組合の機関紙等が回覧配布され、労働組合の政治活動が公然と行われていることなどと比較すれば、被告人の本件各行為に法益侵害の危険がないことは明らかである、また、捜査機関が、被告人の本件各行為を現認しながら警告、制止せず、しかも、職場内での被告人の勤務状況等を全く捜査していないこと、行政庁が被告人に対して何らの行政処分をも下していないことなどからも、被告人の本件各行為に法益侵害性がなかったことが裏付けられているなどと主張する。
[162] しかしながら、本件とは関わりがなく、公訴提起もなされていない他の事件、事象等に関する事情は、その詳細が不明なのであるから、このような事情を持ち出して本件と比較することは相当でない。法益侵害の危険の有無は、あくまで本件各行為についてみて判断すべきことであるから、他の事件等との比較はなおさら適当でない。また、捜査機関の捜査手法や行政庁の処分の有無等についても、それが違法性の強弱を検討する場合の一資料となり得ることは否定し得ないものの、法益侵害の危険の有無が問われている場面において重視すべき事情とは考えられない。
[163] 弁護人は、その保護法益である「国民の信頼」とは、法的保護に値する規範的な信頼と解すべきであり、公務員に法的に保障された政治的自由を無視し、あるいは、これらから演繹される一般的な自由等の範ちゅうから抵触するような「国民の信頼」は、保護に値しない利益であるなどとした上、規則6項11号の反対解釈によれば、政党機関紙の内容について、各戸を訪問しながら口頭で紹介、伝達する行為は自由になし得ると解されるところ、このような行為に比べて、直接に住民等と触れ合うことなく改治的文書を配布した被告人の行為は、一般的に、「行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼」に脅威を与える性質のものではないといえるから、被告人の本件各行為には法益侵害の危険がないと主張する。
[164] しかしながら、弁護人の例示するような行為が真に規則の禁止の対象外といえるかはともかく、規則6項7号、13号による政治的文書の配布行為は、政治的偏向の強い行動類型に属することに着目し、公務員の政治的中立性を損なうおそれのある行動類型に当たるものとして明文をもって規制の対象とされたものであるから、単に各戸を訪問しながら政党機関紙の内容を口頭で紹介、伝達する行為が仮に許容されているとしても、それは国公法、規則が禁止の対象外として保障しただけのことであるから、政治的文書の配布に対する上記評価が左右されるわけではない。
(4) 結論
[165] 以上のとおり、弁護人の主張はいずれも採用することができず、その主張に係る事情は被告人の本件各行為の違法性を失わせるものとはいえない。したがって、被告人の本件各行為には法益侵害の危険(処罰に値する違法性)が認められるから、法益侵害の危険あるいは処罰に値する違法性がないことを根拠とする適用違憲、意味上の法令一部違憲、構成要件該当性の欠如の主張は、いずれも採用の限りでない。
[166] 弁護人は、規則6項7号の政党機関紙等の「配布」について、これが同条項に同列に規定されている「発行」、「編集」とは社会的、客観的な評価が異なり、高度の政治的な方針や考慮を不要とする代替可能な機械的、物理的な行為であること、また、「援助する」行為が同項7号にのみ規定され、同項13号には規定がないこと、「配布」に単純な配布行為を含めるならば、これを援助する行為も処罰されることになり、処罰範囲が不当に拡大することになること、その他規則制定の経緯等から、「配布」とは、印刷と配達網の構築及び配達網への流通等、組織的指導をして配布せしめる行為に限定して解釈すべきであり、同項13号の「配布」も同様に解釈すべきである、この限定解釈を前提とすれば、被告人の本件各行為は、規則6項7号、13号の「配布」には該当しないと主張する。
[167] しかしながら、国公法、規則の政治的行為の禁止の目的、趣旨等に照らせば、「配布」とは、不特定又は多数の者に配る目的でそのうちの1人以上の者に配付し、文書を相手方の閲覧し得る状態に置くことをいうと解すべきであり、弁護人の主張するように限定して解釈すべき理由はないというべきである。なぜなら、政党機関紙等の配布行為は、発行、編集された政党機関紙等を読者の手元に届ける点において、政党機関紙等の存在にとって欠くことのできない必要な行為であり、弁護人もいうとおり、特定の政党組織の存立と維持発展に不可欠な行為であるといえもから、その意義は、発行、編集に劣るものではなく、政党運営に対する積極的な参加行為とも評価することができるのであって、その行為の有する党派的偏向は顕著といえるからである。この点、立法担当者である元人事院総裁浅井清は、「新版国家公務員法精義」(弁書52)において、「発行」は機関紙等を印刷し、かつ、配布する(ただし、第一次の配布行為)ことをいい、「配布」とは、発行者のなす第一次の配布行為に次いで、第二次以下の配布行為をいう旨の解説をしており、また、「人事院規則14-7(政治的行為)の運用方針について」(弁書54)にも、「配布」を弁護人の主張のように限定して運用すべき旨の記載はなく、「配布」が、当裁判所の解釈のように、通常その語句が有する意味において理解されてきたことを裏付けている。「援助する」行為が規則6項7号にのみあり、同項13号にないのは、単に同項7号が対象とする文書が政党機関紙であることに着目して設けられたに過ぎないと解されるし、その「援助する」行為を禁止することの当否や文言どおりに広く適用することの当否はさておき、「配布」自体をみるとき、処罰範囲が不当に拡大するとの批判は当たらないというべきである。
[168] なお、弁護人は、「配布」とは、被配布者に対する積極的な働きかけを伴う行為に限定して解釈すべきとも主張するが、そのように限定する理由、必要性は何ら見出せない。

[169] 弁護人は、政党機関紙の発行、編集や配布は、政党にとっては不可欠な行為であり、当該政党の構成員にとって政党機関紙の配布は極めて基礎的かつ日常的な行為であるから、政党機関紙を配布することを否定されることは、政党加入の自由を否定されるに等しいものである、したがって、政党機関紙の配布について、前記のように限定的に解釈せず、国公法、規則で刑罰をもって禁止するとすれば、憲法21条に違反すると主張する。
[170] しかしながら、国公法102条1項、規則6項7号の政党機関紙の配布の禁止及びその違反行為に対する国公法110条1項19号の罰則が憲法21条に違反しないことは、既に詳述したとおりであり、国公法、規則が公務員の政党加入の自由を保障しながらも、政党機関紙の配布を禁止したのは、その行為が公務員の政治的中立性を損なうおそれが強いことに着目したからにほかならない。なお、弁護人は、被告人が平成15年11月8日に政党機関紙であるしんぶん赤旗日曜版を配布した事実を確認しておきながら、あえてこの行為を公訴提起の対象としなかったのは、検察官もその点に疑義があると考えたためであるとも主張しているが、検察官が同日の被告人の行為を公訴提起の対象としなかった理由については、その詳細は不明というほかないところ、弁護人が主張するような事情があったことをうかがわせる証拠はなく、単なる憶測に過ぎないというべきである。

[171] 以上のとおり、「配布」に関する弁護人の主張は採用できない。
[172] 弁護人は、被告人の本件各行為について、前記のとおりの特徴を挙げて、法益侵害の危険がなく、処罰に値するだけの実質的な違法性を欠くなどと主張する。
[173] しかしながら、被告人の本件各行為が処罰に値する違法性を有していることは、前記第6の2で詳細に述べたとおりである。したがって、実質的違法性を欠くとの弁護人の主張は、採用することができない。
[174] 以上のとおりであり、弁護人の主張は、いずれも採用の限りでない。
 本件は、社会保険庁目黒社会保険事務所に年金審査官として勤務していた厚生労働事務官である被告人が、平成15年11月に施行された衆議院議員総選挙に際して、前後3回にわたり、政党機関紙号外ないしは特定の政党を支持する政治的自的を有する無署名の文書を配布したという国公法違反(政治的行為)の事案である。
 被告人の供述によれば、被告人は、研修等により、公務員の政治的行為が禁止されていることを曲がりなりにも認識していたにもかかわらず、約10年ほど前から、月1、2回の頻度で、自らの支持政党の政党機関紙等を自宅の近隣付近に配布するようになったというのであり、本件各行為はその一端に過ぎない。本件各行為の動機は、上記総選挙に際し、その支持政党の政策を幅広く知らせ、同党に投票を得させるためであったというのであり、それが自らの政治信条に基づくものであったとしても、本件各行為を何ら正当化することにはならない。そして、本件各行為は、前後3回にわたり、中央区月島にある住宅等の郵便受けや同区晴海にあるマンションの集合郵便受け、合計126世帯に上記政治的文書を投函して配布したものであり、配布先が多数である上、上記のとおり、被告人が長年にわたり同種行為を繰り返していたことをも併せ考慮すると、その行為は、公務員の政治的中立性を著しく損なうものといって差し支えなく、このような行為が放任された場合に生じるであろう弊害は決して軽微とはいえない。これらの事情に照らすと、被告人の刑事責任を軽くみることはできない。
 他方、本件においては、被告人にとって酌むべき事情も認められる。すなわち、本件各行為は、被告人が、勤務時間外の休日に、職場と離れた自宅周辺の場所において、その職務や職場組織等と関係なく行った行為であり、被告人の本件各行為によってその職場に何らかの悪影響が及んだことはなく、その他弁護人が主張するように、その行為は直ちに行政の中立性とこれに対する国民の信頼を侵害したり、侵害する具体的な危険を発生させたりするものではなかった。しかも、猿払事件判決以後、この種事犯で起訴されて刑事処罰に問われるのは約30年ぶりのことである。被告人には前科前歴がない。被告人は、昭和46年に公務員として採用されてから、約三十数年間にわたって国民年金等に関わる公務に携わり、誠実にその職務に励んできたことがうかがわれる。
 これらの事情を総合考慮すると、被告人に対しては、罰金10万円に処し、今回に限り、その刑の執行を猶予するのが相当であると判断した。

 よって、主文のとおり判決する。

(検察官川見裕之及び同山口久枝、弁護人別表4記載のとおり)

(求刑―罰金10万円)

  平成18年7月20日
    東京地方裁判所刑事第2部
      裁判長裁判官 毛利晴光  裁判官 宮本聡
      裁判官松永智史は、転補のため、署名押印することができない。
      裁判長裁判官 毛利晴光
番号日時配布先
(平成15年10月19日)(東京都中央区月島)
午後0時03分×丁目×番×号B不動産方
午後0時09分×丁目×番×号○○ビル403号室○○方
午後0時09分×丁目×番×号○○ビル601号室○○方
午後0時09分×丁目×番×号○○ビル602号室○○方
午後0時19分×丁目×番×号○○方
午後0時19分×丁目×番×号○○方
午後0時19分×丁目×番×号○○方
午後0時21分×丁目×番×号○○方
午後0時21分×丁目×番×号○○株式会社○○方
10午後0時28分×丁目×番×号○○○○商店方
11午後0暗32分×丁目×番×号○○方
12午後0時32分×丁目×番×号○○方
13午後0時33分×丁目×番×号○○方
番号日時配布先
(平成15年10月25日)(東京都中央区晴海×丁目×番×号α×号棟)
午前10時11分2201号室C方
午前10時11分2001号室○○方
午前10時11分1801号室○○方
午前10時11分1601号室○○方
午前10時11分1001号室○○方
年前10時11分801号室○○方
午前10時11分802号室○○方
午前10時11分1002号室○○方
午前10時11分1202号室○○方
10午前10時11分1402号室○○方
11午前10時11分1602号室○○方
12午前10時11分1802号室○○方
13午前10時11分2002号室○○方
14午前10時11分2202号室○○方
15午前10時11分2203号室○○方
16午前10時11分2003号室○○方
17午前10時12分1803号室○○方
18午前10時12分1404号室○○方
19午前10時12分1604号室○○方
20午前10時12分1804号室○○方
21午前10時12分2004号室○○方
22午前10時12分2204号室○○方
23午前10時12分2205号室○○方
24午前10時12分2005号室○○方
25午前10時12分1805号室○○方
26午前10時12分1605号室○○方
27午前10時12分1405号室○○方
28午前10時12分1205号室○○方
29午前10時12分1005号室○○方
30午前10時12分805号室○○方
31午前10時13分2206号室○○方
32午前10時13分1806号室○○方
33午前10時13分1806号室○○方
34午前10時13分1606号室○○方
35午前10時13分1406号室○○方
36午前10時13分1206号室○○方
37午前10時14分1006号室○○方
38午前10時14分806号室○○方
39午前10時14分2207号室○○方
40午前10時14分1807号室○○方
41午前10時14分1607号室○○方
42午前10時14分1407号室○○方
43午前10時14分1207号室○○方
44午前10時14分1007号室○○方
45午前10時14分807号室○○方
46午前10時15分2208号室○○方
47午前10時15分2008号室○○方
48午前10時15分1808号室○○方
49午前10時15分1608号室○○方
50午前10時15分1208号室○○方
51午前10時15分1008号室○○方
52午前10時15分808号室○○方
53午前10時15分901号室○○方
54午前10時15分1101号室○○方
55午前10時15分1301号室○○方
56午前10時15分1501号室○○方
番号日時配布先
(平成15年11月3日)(東京都中央区晴海)
午前10時06分×丁目×番×号β506号室D方
午前10時06分上記β209号室○○方
午前10時06分上記β204号室○○方
午前10時07分上記β304号室○○方
午前10時07分上記β310号室○○方
午前10時07分上記β403号室○○方
午前10時07分上記β409号室○○方
午前10時07分上記β502号室○○方
午前10時07分上記β508号室○○方
10午前10時07分上記β205号室○○方
11午前10時07分上記β211号室○○方
12午前10時07分上記β305号室○○方
13午前10時07分上記β311号室○○方
14午前10時07分上記β404号室○○方
15午前10時07分上記β503号室○○方
16午前10時07分上記β509号室○○方
17午前10時07分上記β312号室○○方
18午前10時07分上記β405号室○○方
19午前10時07分上記β504号室○○方
20午前10時09分×丁目×番×号γ603号室○○方
21午前10時09分上記γ601号室○○方
22午前10時09分上記γ514号室○○方
23午前10時09分上記γ606号室○○方
24午前10時09分上記γ612号室○○方
25午前10時09分上記γ702号室○○方
26午前10時09分上記γ706号室○○方
27午前10時09分上記γ707号室○○方
28午前10時09分上記γ711号室○○方
29午前10時11分上記γ1013号室○○方
30午前10時11分上記γ1012号室○○方
31午前10時11分上記γ1006号室○○方
32午前10時11分上記γ1007号室○○方
33午前10時11分上記γ1008号室○○方
34午前10時11分上記γ1003号室○○方
35午前10時11分上記γ1002号室○○方
36午前10時11分上記γ910号室○○方
37午前10時11分上記γ911号室○○方
38午前10時11分上記γ912号室○○方
39午前10時11分上記γ905号室○○方
40午前10時11分上記γ906号室○○方
41午前10時11分上記γ907号室○○方
42午前10時12分上記γ814号室○○方
43午前10時12分上記γ901号室○○方
44午前10時12分上記γ902号室○○方
45午前10時12分上記γ809号室○○方
46午前10時12分上記γ810号室○○方
47午前10時12分上記γ811号室○○方
48午前10時12分上記γ1107号室○○方
49午前10時13分上記γ1201号室○○方
50午前10時18分×丁目×番×号δ411号室○○方
51午前10時18分上記δ507号室○○方
52午前10時18分上記δ506号室○○方
53午前10時18分上記δ505号室○○方
54午前10時18分上記δ504号室○○方
55午前10時18分上記δ503号室○○方
56午前10時18分上記δ510号室○○方
57午前10時18分上記δ509号室○○方
弁護人(主任)石崎和彦杉尾健太郎加藤健次鈴木亜英荒井新二須藤正樹石井逸郎
竹澤哲夫泉澤章千葉憲雄大熊裕起鶴見祐策大森浩一富永由紀子
岡村親宜原和良尾林芳匡藤本齊菊池紘船尾徹小部正治
松井繁明坂本雅弥松島暁佐々木亮松本恵美子笹山尚人三澤麻衣子
芝田佳宜山本英司新宅正雄渡邉淳夫

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