社会保険事務所職員赤旗配布事件(堀越事件)
控訴審判決

国家公務員法違反被告事件
東京高等裁判所 平成18年(う)第2351号
平成22年3月29日 第5刑事部 判決

被告人 堀越明男 昭和28年○月○日生 団体職員(日本年金機構勤務・元厚生労働事務官)

 上記の者に対する国家公務員法違反被告事件について,平成18年6月29日に東京地方裁判所が言い渡した判決に対し,原審弁護人及び検察官からそれぞれ控訴の申立てがあったので,当裁判所は,検察官大西平泰及び同高口英徳出席の上,審理し,次のとおり判決する。

■ 主 文
■ 理 由


 原判決を破棄する。
 被告人は無罪。


[1] 弁護人及び被告人の本件控訴の趣意は,主任弁護人石崎和彦及び弁護人加藤健次,同荒井新二,同石井逸郎,同泉澤章,同大熊裕起,同大森浩一,同岡村親宜,同尾林芳匡,同菊池紘,同小部正治,同坂本雅弥,同佐々木亮,同笹山尚人,同芝田佳宜,同新宅正雄,同鈴木亜英,同須藤正樹,同竹澤哲夫,同千葉憲雄,同鶴見祐策,同富永由紀子,同原和良,同藤本齊,同船尾徹,同松井繁明,同松島暁,同松本恵美子,同三澤麻衣子,同山本英司,同山本博,同渡邉淳夫共同作成の控訴趣意書,上記主任弁護人及び弁護人31名のほか弁護人小口克巳共同作成の控訴趣意補充書並びに被告人作成の控訴趣意書各記載のとおりであり,これらに対する答弁は,検察官吉松悟及び同奥村淳一共同作成の答弁書記載のとおりである。また,検察官の本件控訴の趣意は,検察官岩村修二作成の控訴趣意書記載のとおりであり,これに対する答弁は,上記主任弁護人及び当初の上記弁護人31名共同作成に係る答弁書記載のとおりである。そこで,これらすべてを引用する。
[2] 弁護人及び被告人の論旨は憲法違反,法令適用の誤り及び訴訟手続の法令違反の主張であり,検察官の論旨は量刑不当の主張である。すなわち,本件は,社会保険庁(当時)の地方支分部局東京社会保険事務局の出先機関である目黒社会保険事務所に勤務する厚生労働事務官(一般職国家公務員)であった被告人が,衆議院議員総選挙に際し,特定の政党を支持する目的で,政党の機関紙や政党を支持する政治的目的のある無署名の文書を配布した行為について,国家公務員法(以下「本法」という。)110条1項19号(平成19年12月27日に施行された平成19年法律第108号による改正前のもの)及び102条1項並びに人事院規則14-7(政治的行為)(以下「本規則」という。)6項7号及び13号(5項3号)(以下,上記各規定を合わせて「本件罰則規定」という。)による刑事責任を問われた事案である。弁護人の論旨は,多岐にわたるが,本件罰則規定が,
(1) 憲法21条1項,31条,41条,73条6号等の憲法上の諸規定に違反し,それ自体として無効であるか,少なくとも被告人の本件配布行為について適用することは憲法に違反する,
(2) 国内法的効力を有する市民的及び政治的権利に関する国際規約(国際自由権規約)19条3項に違反し,無効である,
(3) 憲法98条2項所定の確立した国際法規に当たる国際労働機関の公務における団結権の保護及び雇用条件の決定のための手続に関する条約(ILO151号条約)9条に違反し,無効である,
(4) 被告人による本件配布行為が,合理的な解釈に基づく本件罰則規定の構成要件に該当しない,
(5) 本件捜査の過程で撮影された被告人の行動に関するビデオテープ及び担当警察官の証言が,違法な捜査に基づくものであるから,証拠能力がない,
(6) 本件公訴が,違法な捜査に基づく差別的なものであるから,棄却されるべきである,
というものであり,他方,検察官の論旨は,
本件配布行為について有罪と判断しながら被告人を罰金10万円,2年間執行猶予に処した原判決の量刑が,刑の執行を猶予した点で,軽過ぎて不当である,
というのである。
[3] 本件の概要は,前記のとおり,一般職国家公務員である被告人が,特定の政党を支持する目的で,政党の機関紙や政党を支持する政治的目的のある無署名の文書を配布した行為について,本件罰則規定による刑事責任を問われた事案であるところ,弁護人は,前記のとおり,本件罰則規定が,(1)憲法21条1項,31条等の諸規定に違反し,それ自体として無効であるか,(2)少なくとも被告人の本件配布行為について適用することは憲法に違反すると主張した。
[4] 当裁判所は,これらの主張に対し,まず,憲法21条1項,31条等の諸規定に違反し,それ自体として無効であるとする主張については,同法21条1項の保障する表現の自由は,民主主義国家の政治的基盤を提供し,国民の基本的人権の中でも特に重要なものであるから,上記自由の一形態としての政治活動ないし政治的行為をする自由は,国民の一員である国家公務員に対しても,可能な限り保障される必要がある。しかるに,本法及び本規則による公務員の政治活動の禁止は,対象とされる公務員の職種や職務権限,勤務時間の内外等を区別することなく定められている上,政治的行為の態様についても,地方公務員法と大きく異なることなどに照らし,過度に広範な規制とみられる面があることや,現在の国民の法意識を前提とすると、公務員の政治的行為による累積的,波及的影響を基礎に据え,上記禁止規定が予防的規制であることを強調する論理にはやや無理があると思われる面があり,本件罰則規定を全面的に合憲とした,猿払事件最高裁大法廷判決の審査基準である,いわゆる「合理的関連性」の基準によっても全く問題がないとはいえないものがある。しかしながら,その規制目的は正当であり,また,公務員の地位や職種等と関係することなくその政治的行為自体で,あるいは,政治的行為が集団的,組織的に行われた場合など,その規制目的に明らかに背馳するものも幅広く考えられること,さきの過度の広範性ゆえに問題のある事例については,本件罰則規定の具体的適用の場面で適正に対応することが可能であること等を考えると,本件罰則規定それ自体が,直ちに,憲法21条1項及び31条に違反した無効なものと解するのは合理的でないと考える。また,その他の主張については,政治的行為の定めを本規則に委任する本法102条1項が直ちに憲法31条や73条6号に違反するものといえず,また,国際自由権規約19条3項やILO151号条約9条に違反することにより無効となるとは考えない。
[5] しかし,本件罰則規定は,その文言や本法の立法目的及び趣旨に照らし,国の行政の中立的運営及びそれに対する国民の信頼の確保を保護法益とする抽象的危険犯と解されるところ,これが憲法上の重要な権利である表現の自由を制約するものであることを考えると,これを単に形式犯として捉えることは相当ではなく,具体的危険まで求めるものではないが,ある程度の危険が想定されることが必要であると解釈すべきであるし,そのような解釈は刑事法の基本原則にも適合すると考えられる。また,裁判官の政治運動に関する最高裁判所平成10年12月1日大法廷決定の判旨に照らしても,懲戒処分と刑事処分の違い等はあるものの,一般職国家公務員の政治的行為の禁止に関する罰則規定の解釈に当たり,より慎重な検討が必要であることが要請されるというべきである。しかるところ,本件配布行為は,裁量の余地のない職務を担当する,地方出先機関の管理職でもない被告人が,休日に,勤務先やその職務と関わりなく,勤務先の所在地や管轄区域から離れた自己の居住地の周辺で,公務員であることを明らかにせず,無言で,他人の居宅や事務所等の郵便受けに政党の機関紙や政治的文書を配布したにとどまるものである。そのような本件配布行為について,本件罰則規定における上記のような法益を侵害すべき危険性は,抽象的なものを含めて,全く肯認できない。したがって,上記のような本件配布行為に対し,本件罰則規定を適用することは,国家公務員の政治活動の自由に対する必要やむを得ない限度を超えた制約を加え,これを処罰の対象とするものといわざるを得ず,憲法21条1項及び31条に違反するとの判断を免れないから,被告人は無罪である。
[6] 以下において,その理由を説明する。
[7] 弁護人の論旨は,要するに,上記(1)のとおり,
(1) 本件罰則規定を含む本法及び本規則による規制が,国家公務員の政治的行為を包括的かつ一律に禁止している上,違反行為に対して刑罰をもって臨んでいる点で,憲法21条1項及び31条に違反する,
(2) 本法110条1項19号及び102条1項が,処罰の対象とする政治的行為という構成要件の定めを人事院規則に包括的に委任していることが白紙委任に該当する点で,憲法31条,41条及び73条6号に違反する,
(3) 少なくとも被告人の本件配布行為について本件罰則規定を適用することは憲法21条1項に違反する,
というのである。

[8] そこで,原審記録及び証拠物を調査し,当審における事実取調べの結果を併せて検討すると,本件公訴事実の要旨は,原判示罪となるべき事実のとおり,
当時の社会保険庁東京社会保険事務局目黒社会保険事務所に年金審査官として勤務していた被告人が,平成15年11月9日に施行された第43回衆議院議員総選挙に際し,日本共産党を支持する目的で,
(1) 同年10月19日午後0時03分ころから同日午後0時33分ころまでの間に,東京都中央区月島(以下省略)所在の13か所の他人の店舗や居宅等に,
(2) 同月25日午前10時11分ころから同日午前10時15分ころまでの間に,同区晴海(以下省略)所在のマンション内の56か所の居室に,
(3) 同年11月3日午前10時06分ころから同日午前10時18分ころまでの間に,同所所在のマンション3棟内の57か所の居室に,
それぞれ同党の機関紙や同党を支持する政治的目的を有する無署名の文書を配布した,
というものである。

[9] そして,関係証拠によると,本件に至る経緯やその具体的状況等について,次のような事実が認定でき,これらの事実については被告人も争わない。

[10](1) 被告人は,昭和46年度国家公務員採用初級試験に合格し,昭和47年3月に,地方事務官行政職(一)8等級として採用され,東京都民生局国民年金部管理課管理係に配属された。その後平成12年4月1日に,被告人は,地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する法律の施行により厚生事務官となり,さらに,平成13年1月6日の中央省庁等改革のための国の行政組織関係法律の整備等に関する法律(平成11年法律第102号)の施行に伴い,同法附則3条(職員の身分引継ぎ)に基づく厚生労働省発人第25号の発令により厚生労働事務官となった。そして,被告人は,平成13年7月1日に,目黒社会保険事務所年金審査官に配置換えとなり,国民年金業務課国民年金業務係長に併任されたが,平成15年7月1日に同係長の併任を解除されて,本件に至っている。

[11](2) 目黒社会保険事務所は,厚生労働省の外局である社会保険庁の地方支分部局として各都道府県に置かれた地方社会保険事務局の出先機関であって,全国の265か所に設置された社会保険事務所の1つであり,東京都目黒区を管轄区域として,同区上目黒1丁目12番4号に所在し,健康保険,厚生年金及び国民年金の適用,給付及び保険料の徴収等に関する業務を行っていた。

[12](3) 被告人は,本件当時,目黒社会保険事務所の国民年金の資格に関する事務等を取り扱う国民年金業務課で,相談室付係長として相談業務を担当していた。その具体的な業務は,来庁した1日当たり20人ないし25人程度の利用者からの年金の受給の可否や年金の請求,年金の見込額等に関する相談を受け,これに対し,コンピューターに保管されている当該利用者の年金に関する記録を調査した上,その情報に基づいて回答し,必要な手続をとるよう促すというものであった。そして,社会保険事務所の業務については,すべての部局の業務遂行の要件や手続が法令により詳細に定められていた上,相談業務に対する回答はコンピューターからの情報に規定されるものであるため,被告人の担当業務は,全く裁量の余地のないものであった。さらに,被告人には,年金支給の可否を決定したり,支給される年金額等を変更したりする権限はなく,保険料の徴収等の手続に関与することもなく,社会保険の相談に関する業務を総括整理していた副長のEの指導の下で,専門職として,相談業務を担当していただけで,人事や監督に関する権限も与えられていなかった。

[13](4) ところで,被告人は,昭和47年7月に日本共産党に入党したが,平成7年ころから,月1,2回程度の頻度で,勤務先と関わりのない同党に関係する仲間と分担して,自宅のある同都中央区内の月島や晴海地区にある他人の居宅や集合住宅の郵便受けに,同党の政党機関紙やその他の政治的文書を投函するようになった。そして,被告人は,本件公訴事実と同旨の原判示のとおり,第43回衆議院議員総選挙に際して同党を支持する目的で,平成15年10月19日,同月25日及び同年11月3日の3回にわたり,同区月島(以下省略)及び同区晴海(以下省略)所在の他人の店舗や居宅,集合住宅の居室等合計126か所の郵便受けに,同党の機関紙や同党を支持する政治的目的を有する無署名の文書を配布したものである。なお,被告人は,同年4月5日に,共同住宅の住民から上記同様の投函行為を見とがめられて,110番通報をされ,警察官が臨場して,注意を受けたことがあったことから,それ以降,その共同住宅については,原判示第2の際を含め,自治会の役員を務める知人の立会いを得て,投函行為をすることとしていた。

[14](5) 本件配布行為が行われた同年10月19日は日曜日,同月25日は土曜日,同年11月3日は国民の祝日に当たる文化の日であって,いずれも国家公務員として勤務を要しない休日であった。また,被告人は,本件配布行為の際に,私服を着用し,記章等の物品を身に付けておらず,外見からは公務員であることが分かることはなかった。さらに,被告人は,本件配布行為を行うに当たっては,自己の上記勤務先や職務とは全く無関係に,その関係者と協力することもなく,勤務先の所在地でありかつ管轄区域である目黒区から相当な距離のある上記各地区を対象とし,配布に際しては,原則として,その対象とした店舗や住宅の居住者や関係者と面会したり会話したりすることもなく,無言のまま上記のような文書を投函していた。また,それらの文書の内容は,客観的に,被告人の勤務する社会保険庁や目黒社会保険事務所と無関係のものであり,それらの国家機関やその関係者が日本共産党を支持していることを示すような記載もなかった。

[15](6) 被告人は,勤務先の目黒社会保険事務所において,利用者や同僚職員等に同党の宣伝や勧誘等をしたことはなく,同党の政党機関紙を読むようなこともなかった。また,被告人は,その担当職務について,政治的に偏った取扱いをしたことはなく,本件配布行為を含む被告人の類似の行為が勤務先や担当する公務に与えた影響も皆無であった。

[16](7) なお,被告人は,平成16年3月3日に本件の嫌疑で通常逮捕された後,同月5日に,釈放されるとともに,本件公訴事実について在宅起訴されたが,その後の同年6月ころに,被告人の本件起訴が報道されたことから匿名による数件の苦情の申入れがあり,同年6月11日付けで,上記事務所の庶務課に配置換えとなった。また,被告人は,本件配布行為について,現在に至るまで,本法82条1項に基づく懲戒処分を科されていない。

[17] そこで,上記認定の事実関係を前提に,まず,論旨のうち前記(1)の主張(本件罰則規定を含む本法及び本規則による規制が,国家公務員の政治的行為を包括的かつ一律に禁止している上,違反行為に対して刑罰をもって臨んでいる点で,憲法21条1項及び31条に違反するとの主張)の当否について,検討する。

(1) 国家公務員法及び人事院規則による政治的行為の禁止の概要
[18] まず,本法102条1項は,同法2条1項ないし5項によって本法の適用の対象となる行政機関の一般職国家公務員に関し,「職員は,政党又は政治的目的のために,寄附金その他の利益を求め,若しくは受領し,又は何らの方法を以てするを問わず,これらの行為に関与し,あるいは選挙権の行使を除く外,人事院規則で定める政治的行為をしてはならない。」と規定し,これに基づき,本規則は本法102条1項の禁止する「政治的行為」の内容について,その6項で,17項目にわたる詳細な定めを置いている。そして,上記条項及びそれに基づく本規則に違反する行為に対する制裁として,本法82条ないし85条に懲戒処分が,同法110条1項19号に刑事罰の規定が,それぞれ設けられている。すなわち,同法102条1項は,違反に対する制裁について,国家公務員に対して禁止されるべき政治的行為に関し,懲戒処分を受けるべきものと,犯罪として刑罰を科せられるべきものとを区別することなく,一律に一体としてその要件に関する定めを人事院規則に委任している。
[19] そして,本規則5項は,本法及び本規則中の「政治的目的」の文言を定義する規定であるが,その3号で,「特定の政党その他の政治的団体を支持し又はこれに反対すること。」と定め,また,本規則6項は,本法102条1項所定の上記「政治的行為」に関する定義規定であるが,その7号で,「政党その他の政治的団体の機関紙たる新聞その他の刊行物を発行し,編集し,配布し又はこれらの行為を援助すること。」と,13号で,「政治的目的を有する署名又は無署名の文書,図画,音盤又は形象を発行し,回覧に供し,掲示し若しくは配布し又は多数の人に対して朗読し若しくは聴取させ,あるいはこれらの用に供するために著作し又は編集すること。」と,それぞれ定めている。さらに,本規則4項は,本法又は本規則「によって禁止又は制限される職員の政治的行為は,6項16号に定めるものを除いては,職員が勤務時間外において行う場合においても,適用される。」と規定している。
[20] したがって,上記2(4)において認定した被告人による本件配布行為は,形式的には明らかに本件罰則規定に該当することとなる。

(2) 公務員の政治的行為禁止の根拠と憲法との関係,猿払事件判決の示した憲法適合性審査基準としての「合理的関連性」の基準
[21] ところで,本規則6項7号を除く本件罰則規定については,その憲法21条及び31条に対する適合性に関し,最高裁判所昭和49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁(猿払事件。以下「猿払事件判決」ともいう。)があり,同判例は,憲法の上記各規定に違反しないと判断している。すなわち,同判例は,公務員の政治的行為禁止の根拠として,
「公務のうちでも行政の分野におけるそれは,憲法の定める統治組織の構造に照らし,議会制民主主義に基づく政治過程を経て決定された政策の忠実な遂行を期し,もっぱら国民全体に対する奉仕を旨とし,政治的偏向を排して運営されなければならないものと解されるのであって,そのためには,個々の公務員が,政治的に,一党一派に偏することなく,厳に中立の立場を堅持して,その職務の遂行にあたることが必要となるのである。」
とした上,
「行政の中立的運営が確保され,これに対する国民の信頼が維持されることは,憲法の要請にかなうものであり,公務員の政治的中立性が維持されることは,国民全体の重要な利益にほかならないというべきである。したがって,公務員の政治的中立性を損なうおそれのある公務員の政治的行為を禁止することは,それが合理的で必要やむを得ない限度にとどまるものである限り,憲法の許容するところであるといわなければならない。」
としているが,この点については,当裁判所も全く異論はない。いささか敷衍すると,
[22] 憲法21条1項の保障する表現の自由は,それが不当に制限された場合には,国民に伝えられるべき情報が十全には伝わらず,国民の意思に基づいて決定されるという民主的政治の過程そのものが適正に機能しない事態を招くことになるから,民主主義国家の政治的基盤を根元から支えるものである。その意味で,国民の基本的人権のうちでも特に重要なものであって,法律によってみだりに制限することは許されないところ,一般に政治的行為は,行動としての面を持つとともに,政治的意見の表明としての面をも有するものであるから,後者の点で同条による保障を受けるものである。また,本法102条1項及び本規則によって,その適用を受ける行政機関の一般職国家公務員に対して禁止される政治的行為も,程度の差こそあれ,政治的意見の表明を含むものとみることができるから,仮に,国民一般に対してそれらの行為が禁止されるとすれば,基本的に,憲法21条1項に違反するということになろう。
[23] 一方,国民の信託に基づく国政の運営のために行われる公務が,国民の一部でなく,その全体の利益のために行われるべきであることは,憲法15条2項が,「すべて公務員は,全体の奉仕者であって,一部の奉仕者ではない。」と定めていることからも,明らかである。また,公務のうちでも国の行政機関における公務は,憲法の定める我が国の統治機構に照らし,議会制民主主義に基づく政治過程を経て決定された政策を忠実に遂行するため,国民全体に対する奉仕を旨として,政治的偏向を排し,中立的に運営されるべきであることも,異論がないと思われる。そのため,個々の公務員は,政治的に一党一派に偏ることなく,中立的な立場に立って職務の遂行に当たることが求められている。そして,これを国民の側から見ると,国民は,その政治的な立場や信条にかかわらず,行政の上では平等に取り扱われるべき権利を有しているから,公務員の上記のような中立性は決して軽視できるような事柄ではない。さらに,本法は,日本国憲法の下において,国の行政に従事する一般職の公務員について,「国民に対し,公務の民主的且つ能率的な運営を保障する」目的(1条)から,成績制(メリット・システム)を根幹とする公務員制度を採用(33条1項)しているところ,この成績制公務員制度においては,いわゆる政治的中立性の確保がその本質的なものとして要請される。その理由は,公務員が,国民を直接に代表する立法府の政治的意思を忠実に実行すべきものであり,公務員個人の政治的意思に従って行政の運営に当たってはならないとともに,政党政治に公務員が翻弄されたり,利用されたりするのを防ぐためであって,要するに,近代民主国家における政治と行政の分離の要請に基づき,政治と行政の混淆や政治の介入による行政の歪曲を防止する必要があるためである。そして,本法の採用した上記のような公務員制度の趣旨及び性格,とりわけ公務員の政治的中立性の原則に照らすと,公務員は,単に実際の行政運営において政治的な利害や影響に基づく法令に忠実でない行政活動を避けなければならないだけでなく,現実にそのような行政の歪曲をもたらさなくても,その危険性を生じさせ,あるいは,国民からそのような疑惑を抱かれる原因となるような政治的性格を持つ行動を避けることが要請されている。すなわち,行政の中立的運営が確保され,それに対する国民の信頼が維持されることは,憲法上の要請であり,公務員の政治的中立性が維持されることは,国民全体の重要な利益である。したがって,公務員の政治的中立性を損なうおそれのある政治的行為を禁止することは,絶対的に憲法が禁止するというものではなく,その範囲や方法が合理的で必要やむを得ない限度にとどまる限り,憲法の許容するところというべきである。
[24] 猿払事件判決は,上記の説示に続き,本法102条1項及び本規則による政治的行為の禁止が,その範囲や方法において,上記の合理的で必要やむを得ない限度にとどまるか否かを判断する合憲性の審査基準として,いわゆる「合理的関連性」の基準にのっとることを明らかにした上,(1)禁止の目的,(2)この目的と禁止される政治的行為との関連性及び,(3)政治的行為を禁止することにより得られる利益と失われる利益との均衡という3点から検討されることが必要であるとした。

(3) 「合理的関連性」の基準に準拠すべきことについて
[25] この「合理的関連性」の基準については,そもそも米国の判例に由来するものであるが,経済的自由の制限に関する審査基準に適合するものであって,本件の表現の自由のように精神的自由に直結する制限規定の合憲性の判断基準としては,緩やかに過ぎて不適当であり,「より制限的でない他の選び得る手段の基準(いわゆるLRA基準)」や「明白かつ現在の危険」基準によるべきであるとする,所論のような立場からの批判があり,また,論者によっては,猿払事件判決は,目的が正当でさえあれば,即,合理的関連性が認められるに等しいと述べているにすぎない,あるいは,国家公務員との理由のみで政治的活動を一切禁止する考え方と結果的に同一になり,合憲性の審査基準として機能していないなどと論難する。これらの批判には,率直に言って,傾聴すべき点がないではないが,猿払事件判決は,指導判例として,その後長年にわたり,同様の法規制の合憲性判断の基準として機能してきた。そして,その基準として,禁止の目的と禁止される行為との関連性を検討するのは,当該行為の禁止が当該目的を達成するための手段として有する必要性,有効性の度合いが明らかとなり,その禁止が必要やむを得ない限度にとどまるかどうかの判断に資するからであって,前記論者のいうように,目的が正当と認められればそれだけで合憲性が認められるというものでは決してなく,実質的基準として機能し,あるいは機能し得るものであることに照らすと,当裁判所としても,その大枠に従い,この基準に準拠して判断を進めていくのが相当であると考える。
[26] もっとも,このように「合理的関連性」の基準に準拠して判断することは,直ちに,猿払事件判決と全く同様の結論に至ることを意味するものではない。すなわち,猿払事件判決も認めるとおり,後記のように,国家公務員による政治的行為の禁止は,行政の中立的運営の要請とこれに対する国民の信頼の確保をその規制目的とするものであるが,本件のような配布行為をその対象としてみた場合,このうち行政の政治的中立性の要請は,専ら職務執行に関連してのものであるから,職務と無関係の政治的活動の規制に直ちにつながるものではなく,結局,国民の信頼の確保こそ,本件のような公務員の政治的活動の規制を正当化し,これを根拠付けるという関係に立つことになる。したがって,公務員の政治的活動の規制をどのように考えるかは,国民がこの点をどのように考えるか,ひとえに国民の法意識にかかってくるものであるが,このような国民の法意識は,時代の進展や政治的,社会的状況の変動によって変容してくるものである。したがって,「合理的関連性」の存否は,そのような観点から,常に検証されるべきものである。
[27] そこで,そのような国民の法意識の変化を推し量る時代の進展や政治的,社会的状況の変動を見ると,猿払事件判決以降今日まで,我が国においては,民主主義はより成熟して,着実に根付き,その現れとして,国民の知る権利との関連でいわゆる情報公開法が制定され,あるいは,インターネットに見られるように,情報化社会が顕著に進展し,非民主的国家における言論の自由の制限等の情報にも日々接触する中で,国民は,民主主義を支えるものとして,表現の自由がとりわけ重要な権利であることに対する認識を一層深めてきている。さらに,国際的にはいわゆる冷戦状態が終結し,国内的には左右のイデオロギー対立という状況も相当程度落ち着いたものとなっている。加えて,政治的,経済的,社会的なあらゆる場面においてグローバル化が進み,何事も世界標準といった視点から見る必要がある時代となってきていることも,国民は強く認識してきているとみられる。このように国民の法意識は,後記のように,猿払事件判決当時とは異なり,大きく変わったというべきであって,このことは,公務員,公務に対する国民の見方についても当てはまるとみるべきであろう(もっとも,このような国民の法意識は,本来,国会が体現すべきものである。しかし,国会が法律を制定し,その後,長期が経過したという場合には,立法当初はともかく,国民の法意識と乖離が生じることもないとはいえない。もとより,その場合にも,理想的には,国会が常にそのような機能を果たすことが期待されるけれども,近年の大きな政治課題とされた郵政民営化に当たって,猿払事件判決が対象とした郵政関係公務員の,あるいは,独立行政法人化に当たって,一般職国家公務員の,政治的行為の在り方等について,国会では議論された形跡はなく,これらの問題に関心は示されなかったといってよい。このことは上記のような国民の意識の変容を反映したものとみることもできるが,仮に,それが単に関心の外にあったとしても,このような時代や社会の流れの中での国民意識の変化を,いわば公知の事実として,判断要素とすることも許容されると考える。)。

(4) 「合理的関連性」の基準による判断
[28] そこで,このような視点に立って,まず,国家公務員による政治的行為を禁止する目的について判断すると,次のとおり、その正当性は,現時点においても,十分に認められる。
[29] すなわち,仮に公務員の政治的行為のすべてが自由に放任されるとすれば,おのずから公務員の政治的中立性が損なわれ,その職務遂行ひいてはその属する行政機関の公務の運営に党派的偏向を招き,その結果,行政の中立的運営に対する国民の信頼が損なわれる危険性は否定できない。特に,一般職の国家公務員は,程度の大小はともかく国政の運営に関与するものであるから,集団的ないし組織的に政治活動を行うような事態となれば,それ自体が大きな政治的勢力となり,その過大な影響力の行使によって民主的政治過程を不当に歪曲する危険もないとはいえない。さらに,公務員の政治的偏向が上記のような大規模なものとなった場合,逆に政治的党派の行政に対する不当な介入に口実を与えるなど,その危険性を増大させ,さらに,行政の中立的運営が大きくゆがめられることにもなりかねない。そのような傾向が拡大すれば,本来,政治的中立を保ちつつ一体となって国民全体に奉仕すべき責務を負う行政組織の内部に深刻な政治的対立を醸成し,その結果,行政の能率的で安定した運営が阻害され,ひいては,議会制民主主義の政治過程を経て決定された国の政策の忠実な遂行にも,支障を来すおそれがある。そして,そのような事態に立ち至った場合には,個々的な対応を基本とする懲戒処分等を背景とした行政組織の内部規律だけによってその弊害を防止ないし除去することは非常に困難という状況に陥り,その結果,国民の公務あるいは行政組織に対する信頼は大きく傷つき,これらを受けて,国民各層も鋭く対立するような事態を招く一方で,国政全般や政治体制そのものに対する失望感から,やがて,民主的政治過程そのものに重大な支障を生ぜしめていく可能性さえあり得ると考えられる。したがって,そのような弊害の発生を未然に防止し,行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保するため,公務員の政治的中立性を損なうおそれのある政治的行為を禁止することは,憲法の要請にこたえ,公務員を含む国民全体の共同利益を擁護するために必要な措置であって,今日的に見ても,その目的は正当なものというべきである。
[30] そこで,次に,この目的と禁止される政治的行為との関連性を見ると,猿払事件判決は,これを肯定した上,
「公務員の職種・職務権限,勤務時間の内外,国の施設の利用の有無等を区別することなく,あるいは行政の中立的運営を直接,具体的に損う行為のみに限定されていないとしても」合理的関連性が失われるものではない
とし,さらに,利益の均衡についても,
「公務員の政治的中立性を損うおそれのある行動類型に属する政治的行為を,これに内包される意見表明そのものの制約をねらいとしてではなく,その行動のもたらす弊害の防止をねらいとして禁止するときは,同時にそれにより意見表明の自由が制約されることにはなるが,それは単に行動の禁止に伴う限度での間接的,付随的な制約に過ぎず,かつ,国公法102条1項及び規則の定める行動類型以外の行為により意見を表明する自由までをも制約するものではな」い
とし,禁止により得られる利益は,公務員の政治的中立性を維持し,行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保するという国民全体の共同利益なのであるから,得られる利益は失われる利益に比して更に重要なものというべきであり,その禁止は,利益の権衡を失するものではないとした。
[31] この論理は,一般論としては,それなりに説得力を持つものである。しかし,現在においては,いささか疑問があるとしなければならない点を含む。すなわち,猿仏事件判決は,「有機的統一体として機能している行政組織における公務の全体の中立性」が問題となるべきものであるとして,論を進め,その累積的,波及的影響を論じているところにも見られるように,公務の一体性を強調するものである。確かに,その当時,国際的には,冷戦体制下にあり,世界的な思想的対立を背景として,我が国の基本的な政治体制や経済制度の在り方自体についても社会的意見の不一致が見られ,様々な事象にイデオロギー対立的な視点を持ち込み,一部には,暴力的ないし非合法な手段を用いて自己の見解の実現を図る勢力が存在するなど,社会情勢がなお不安定な状況にあったとみられる(猿払事件に見られるような当時の公務員の職員団体(労働組合)の運動状況等もその現れという面があったことは否定できないであろう。)。さらに,これらに加えて,往時,国民は未だ戦前からの意識を引きずり,公務員すなわち「官」を「お上」視して,「官」を「民」よりも上にとらえ,いわば公務員を,その職務内容やその地位と結び付けることなく,一体的に見て,その影響力を強く考える傾向にあったことも指摘でき,これらを併せ考えると,有機的統一体として公務全体をとらえ,公務員の政治的活動の影響を,累積的,波及的に考える合理的な基礎が当時の社会にはあったというべきであって,その意味で,猿払事件判決は,当時の時代的背景や社会的状況に即し,その結論には正当なものがあったというべきである。
[32] しかしながら,さきにも触れたとおり,規制目的の一つである行政の中立的運営の要請は,専ら職務行為の在り方にかかわるものであるから,公務員の職務と関わりのない政治的活動の規制とは直結せず,これを正当化することができるのは,基本的には,行政の中立的運営に対する国民の信頼の確保という視点であるところ,前述のような時代の進展,政治的・社会的状況の変動等を受けた国民の法意識の変化を前提とした場合,現在において,一公務員が政治的活動に出た場合に,国民が直ちに行政の中立的運営に対する信頼を失うようなものとして受け止めるかどうかについては疑問があるとしなければならない。すなわち,現在の法規制は,前述のように,一般職公務員全体に対して,その政治活動を禁止するものであるが,分かりやすい例を挙げると,例えば,自動車運転手や庁務員といったいわゆる行(二)の一般職が,個人的に政治的活動を行った場合にも行政の政治的中立性が阻害され,国民の信頼が損なわれることになると受け止めるであろうか。このような行(二)職の職務内容は,民間のその職種と同じであって,行政固有のものは考え難いことに照らすと,そもそもこれらの職種にある者が私的に政治的活動を行ったからといって,その職務に関連して,行政の中立的運営が阻害されるという事態は客観的に考え難い。国民も,このような事例については,公務員であるからという一事で,行政の中立性に不安を抱き,不信を覚えるということはなく,むしろ,事態を冷静に受け止め,その影響等については,少なくとも,その地位や職務権限等と結び付けて考える素地と余裕を有しているのでないかと考えられるからである。もっとも,誤解を招かないために述べておくと,そのような職種にある者による政治活動が,他の一般職の職種も含め,集団的あるいは組織的に行われるような場合は別論であって,前記規制目的が懸念する事態を招くことはあり得るけれども,それはそのような状態となったことを前提として禁止すれば足りるのであって,常にそのような最悪の事態を想定し,いわば悲観的な観点から,累積的,波及的影響が考えられないではないとして,合理的関連性を肯定することは,上記のような政治的・社会的状況や国民の法意識が変化した現状を前提とする限り,必ずしも説得的でないというべきであろう。
[33] 勤務時間外の政治的行為の禁止についても同様である。勤務時間の内外についても,この間の国民の意識の変化には大きなものがあるのであって,残業をいとわず,滅私奉公的な勤務が求められていた時代と,余暇の活用が言われ,勤務時間内と外を明確に区別することを求められて,勤務を離れた人生の充実等が語られる現代において,勤務時間外であることは,国民の目から見た場合,往時に比べて,原則として,それは職務とは無関係という評価につながるものとなってきている。したがって,公務員の勤務時間外の政治活動も,その態様等によっては,そのようにみられる素地があると考えられる。
[34] このようにみてくると,そもそも,合憲性審査基準としての,合理的関連性の基準の下に,禁止の目的と禁止される行為との関連性を検討するのは,前記のとおり,当該行為の禁止が当該目的を達成するための手段として有する必要性,有効性の度合いが明らかとなり,その禁止が必要やむを得ない限度にとどまるかどうかの判断に資するからであるが,本法,本規則が,「公務員の職種・職務権限」に無関係に,あるいは,「勤務時間の内外」を問わずに,全面的に政治活動を禁止することは,原判決のいう予防的規制という意味で(もっとも,予防的規制の論理は,多くの場合,国側からの都合という論理であって,それ自体,さまで説得性を有するものではないことに留意する必要がある。),目的を達するに有効であることは否定できないけれども,不必要に広過ぎる面があるのではないかとの疑問を払拭することはできない。累積的,波及的影響を基礎に据え,予防的規制であることを強調して合理的関連性があるとする原判決の判断は,その意味で,いささか強引に過ぎるのではないかと考えられる。
[35] また,猿払事件判決更には原判決は,公務員の政治的中立性を損なうおそれのある行為類型に属する公務員の政治的行為に対し,それに内包される意見表明そのものの制約をねらいとしてではなく,その行為のもたらす弊害の防止をねらいとして禁止する場合,その意見表明の自由が制限される結果をもたらすこととなるが,禁止によって得られる利益が,公務員の政治的中立性を維持し,行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保するという国民全体の共同利益であることを踏まえると,それらの禁止又は制限は必要やむを得ないものとしている。この点についても,一般論としては正当であると考えられるものの,本件で問題とされている配布行為については,基本的に,表現行為としてとらえられるべき場合が多いことを考えると,直ちに前記説示をそのまま肯定することには躊躇を覚える。
[36] さらに,この合理的関連性,すなわち,目的の達成に向けての有効性,必要性を検討するに当たっては,その法的体系の整合性もその検討要素となってしかるべきであるが,地方公務員法においては,同法36条が一般職地方公務員の政治的行為を制限しているところ,その内容は,本規則に定めるものよりも範囲が狭く,同規則6項3号,5号,6号,8号,9号及び12号に相当する行為に限定されている。このような不整合は,当審における証人長岡徹の供述及び意見書(弁第56号)に見られるように,本法および本規則が制定される段階で,当時の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の意向が強く働いたことがあると思われるが,その点を措くとしても,地方への更なる分権等,地方自治の重要性が言われている今日の状況下においては,地方自治における行政の中立性とこれに対する地方住民の信頼の確保は,国と同じく重要なものである。しかるに,両公務員の間の政治的行為の制限が,上記のように相当程度食い違っていることは,国家公務員と地方公務員との違いを十分考えても,本件配布行為だけではなく,そもそも国家公務員について広範に制限を設けすぎているのではないかとの疑問につながる面があることを否定し難い。
[37] もっとも,このような疑問はあるけれども,例えば,本件のような配布行為が,いわゆる中央省庁の幹部に当たるような,地位が高く,大きな職務権限を有する一般職公務員によって行われた場合や,とりわけ,さきにも触れたように,個人的なものを超えて,一般職公務員により,集団的,組織的に行われた場合は,もとより別論であり,前者については,その行為が勤務時間外に行われたとしても,後者については,その公務員の地位や職務権限にかかわらず,いずれも,国民の目から見て行政の中立的運営に強い疑いを招くものであり,その信頼の確保という視点からは,前記の本法及び本規則の制定目的に明確に背馳するものであって,規制の必要があることは明らかであろう。また,原判決が指摘するように,単独で,個人的に行われた場合でも,行為者が,他の公務員によって集団的に行われていることを認識しながら,敢えてその行為に出たようなときについては,その規制の必要は司法の立場から明らかに不要と断ずることもできない。このように,本規則で禁止されている政治的行為には,例えば行為者の地位や職務権限,職務内容,あるいは勤務時間外ということから,過度に広範に過ぎると想定されるものがある一方で,それらとは無関係に,その行為自体から規制目的が懸念する事態を明らかに具現化するものもあるといわざるを得ないのである。そして,これらを前提とした上で,前記のような規制目的は誠に正当と認められることや,さらなる具体的事案での検討と集積が必要であるけれども,現段階において広範に過ぎるとみられる部分は配布行為の一律禁止という場面の一部にすぎず(本件における審理対象は,前記のような被告人による配布行為であって,それ以外の政治的行為について幅広く検討することは,訴訟構造上困難であるし,また,適当でもないことを考えると,このような限定を付すことはやむを得ないと考える。),そのような事案については,具体的な法適用の場面で適正に対応することが可能であることを考えると,その過度の広範性や不明確性を大きくとらえ,本法及び本規則の政治的行為の規制をすべて違憲であるとすることは決して合理的な思考ではないというべきであろう。
[38] 翻って,本件罰則規定の本質を見てみると,本法及び本規則の定める国家公務員が政治的行為をした罪は,行政の中立的運営及びそれに対する国民の信頼の確保という保護法益に対し,それが現実に侵害されることを構成要件とする侵害犯と解されるものではなく,法益侵害の危険をもって足りる危険犯と解すべきものである。さらに,その文言上の要件や上述したような保護法益の重要性等の実質からみれば,上記法益が侵害される危険が現実に発生することを必要とする具体的危険犯ではなく,原則として法益侵害の危険性の存在が擬制される抽象的危険犯としての性質を有するものと解するのが相当である。もっとも,このように抽象的危険犯ではあるけれども,これを形式犯としてとらえることは,この規制によって制限されるものが,憲法上最も重要な権利の一つである表現の自由であることを考えると,妥当ではなく,具体的危険までの必要はないけれども,ある程度の危険が認められることを,その成立要件とすべきであって,そのように解釈することにより,憲法上の疑義もなくなり,かつ,上記の過度に広範に過ぎる事例に適切に対応できると考えられる。
[39] 以上の次第であって,本件で問題となる本規則5項3号の政治的目的に基づく6項13号及び7号所定の各政治的行為についてみると,それらの行為は,特定の政党の機関紙等の刊行物やその政党を支持する政治的目的を有する文書や図画等を発行,編集又は配布するなどの行為であって,その態様によっては,政治的偏向の強い行為類型に属するといえるから,一般的な政治的行為の中でも,国民からみて,そのような行為をする公務員の政治的中立性に対する疑念を抱かせる可能性のあるものであることは否定できない。上記のように,過度に広範な制限であるとする面もないではないが,そのような問題が現実化する具体的事案において,適切に対処することは可能であるから,こうした点を踏まえると,結論として,本法102条1項並びに本規則5項3号及び6項7号,13号には,前記の合理的関連性が認められ,公務員の表現の自由に合理的で必要やむを得ない限度を超える制約を加えるものではないというべきである。したがって,それらの規定自体が,憲法21条1項に違反するものとはいえない。

[40](5) なお,所論は,更に進んで,仮に法規制が許されるとしても,なお,その違反行為を懲戒処分の対象とするにとどまらず,刑事罰の対象とすることは,やむを得ないものとはいえないとするので,この点について判断すると,およそ刑罰は,国権の作用による最も峻厳な制裁であるから,特に基本的人権に制約を加え,その違反行為に対する制裁として,罰則を設ける際には,慎重な配慮を必要とするというべきであり,刑罰規定が罪刑の均衡その他種々の観点からみて,著しく不合理で許容し難いものであるときは,違憲の判断を免れない。そして,刑罰規定は,保護法益の性質,行為の態様及び結果,刑罰を必要とする理由,刑罰を定めることによってもたらされる積極的ないし消極的効果や影響等のもろもろの要因を検討した上,国民の法意識の反映として,国民の代表機関である国会により,歴史と現実を踏まえた社会的基盤に立って具体的に決定され,その法定刑は違反行為が帯びる違法性の大小を考慮して定められるべきものである。
[41] ところで,本法102条1項及び本規則による公務員の政治的行為の禁止は,上記のとおり,公務員の政治的中立性を維持することにより,行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保するという国民全体の重要な共同利益を擁護する目的から出たものである。したがって,その禁止に違反して国民全体の共同利益を損なう行動に出た公務員に対する制裁として,刑罰をもって臨むことを必要とするか否かは,基本的には,上記共同利益を擁護する見地に基づく立法政策の問題であり,上記禁止の範囲が表現の自由に対する合理的で必要やむを得ない制限にとどまり,かつ,刑罰を違憲とする特別な事情がない限り,立法機関の裁量により決定された判断は,尊重されるべきである。
[42] 加えて,行政の中立性やこれに対する国民の信頼等,本法及び本規則が行政公務員の政治的中立性を要求する根拠となる法益に対する侵害の危険というものは,それ自体が極めてとらえ難い観念であり,抽象的,一般的には容易に肯定できても,その具体的な存在を明確に示すことが困難な場合も少なくない。そして,そのような場合に後者の要件が満たされなければ禁止は許されないという態度に固執すれば,結局は禁止そのものを断念しなければならない場合があり得ることになるのであって,そのような結論が不合理であることはいうをまたない。結局,行為自体がその性質から公務員の政治的中立性に強く抵触すると考えられるようなものや,行政の中立性に格別の影響を及ぼさないような場合もないではないけれども,それはごく例外的とみられるような行為については,抽象的危険の存在をもって処罰することで足りるものと考えられるのであって,このような規定による規制もやむを得ないとしなければならない。
[43] しかも,本件で問題となる本規則5項3号及び6項13号並びに7号の各政治的行為は,前記のとおり,政治的行為の中でも一般的に党派的偏向の強い行為類型に属するもので,態様によっては,公務員の政治的中立性を損ない,かつ,そのような行為をする公務員の政治的中立性に対する疑念を抱かせるおそれが大きいものであるから,そのような行為に対して,本法110条1項所定の3年以下の懲役又は10万円以下の罰金という程度の刑罰を定めたとしても,必ずしも不合理とはいえないというべきである。
[44] 結局,上記のとおりであって,本規則5項3号及び6項13号並びに7号の各政治的行為の一般的禁止そのものは,刑罰法規の内容を定めるという面においても,これによって制限される行政公務員の政治活動の自由に優越する公共の利益の保護のための必要やむを得ない措置であるとする立法者の判断には,それを支持するに足りる合理的根拠があるというべきであり,それを憲法上の基本権を不当に侵害するものとして違憲と断ずることは相当でない。
[45] したがって,罰則制定の要否及び法定刑に関する立法機関の上記判断が,その裁量の範囲を著しく逸脱しているものとはいえず,本法110条1項19号の規定が,それ自体として,憲法21条1項及び31条に違反するとはいえないというべきである。

[46](6) 以上の次第で,本件罰則規定が,それ自体として,憲法21条1項ないし31条に違反して無効であると解することはできない。
[47](1) 次に,所論は,本規則は,国会による白紙委任,包括的委任であって,この点でも違憲であることを免れないと主張するが,この点については,当裁判所は,猿払事件判決と同様の立場に立つ。すなわち,

[48](2) 政治的行為の定めを人事院規則に委任する本法102条1項が,公務員の政治的中立性を損なうおそれのある行為類型に属する政治的行為を具体的に定めることを委任する趣旨であることは,同条項の合理的な解釈によって理解し得るというべきである。
[49] まず,一般論として,国会が,法律自体の中で,特定の事項に限定して,それに関する具体的な内容の規定を他の国家機関に委任することは,その合理的必要性があり,かつ,その具体的な定めがほしいままにされることのないように当該機関を指示又は制約すべき目標,基準,考慮すべき要素等を指示してするものである限り,必ずしも憲法31条や73条6号に違反するものとはいえない。また,その指示は,委任を定める規定自体の中に明示することが基本的には求められるが,必ずしもそれは絶対的な要請ではなく,当該法律の他の規定や法律全体を通じて導き出されるものであっても差し支えないと解される。この見地に立って本法102条1項の規定をみると,同条項の委任には,選挙権の行使を除き,いわゆる政治的行為のうち,禁止し得るものとし得ないものとを区分する基準について何ら指示するところはないけれども,本法の他の規定を通覧すれば,その禁止が本法の採用した成績制公務員制度の趣旨や目的,特に行政の中立性の保持の目的を達するためのものであることは明らかである。他方,一般に法律が特定の目的を達するための具体的措置の決定を他の機関に委任した場合には,特にその旨を明示しなくても,その目的を達するために必要かつ相当と合理的に認められる措置を定めるべきことを委任したものと解することができるから,上記条項における禁止行為の特定に関する委任も,行政の中立性又はこれに対する国民の信頼を害し,若しくは害するおそれがある公務員の政治的行為で,そのような中立性又はその信頼の保持のために禁止することが必要かつ相当と合理的に認められるものを具体的に特定することを人事院規則にゆだねたものとみられる。
[50] 一方,公務員職種の多種多様性,政治活動の広範性とその態様及び内容の多様性,これらに対する禁止の必要性の程度とその問題の複雑性,さらに,社会的又は政治的情勢の変化によるこれらの要素の変動の可能性等にかんがみると,人事院に対して,所論が指摘するような広範かつ概括的な委任をしても,そこには一定の合理性があると認められる。すなわち,人事院は内閣から相当程度の独立性を有し,政治的中立性を保障された国家機関であり,そのような立場で公務員関係全般にわたり法律の公正な実施及び運用に当たる職責を有するとともに,準司法機関的性格も有するのであって,その地位と権限に照らすと,人事院に対して,上記の程度の抽象的基準の下で広範かつ概括的な立法の委任をしても,その濫用の危険は少なく,かえって,人事院が介在することにより,現実に即した適正かつ妥当な規則の制定とその弾力的運用を期待することができるものと考えられるし,人事院において,時代の流れや社会の変動に即して,臨機にその規制の見直しを図ることも期待できるからである(もとより,国会においては,常にその見直しが国会の立法者意思に齟齬し,あるいは,乖離が生じていないかについて,適切に対応すべきものではある。)。そして,上述のように,公務員関係の規律としては,行政の中立性の保持のために必要かつ相当であると合理的に認められる範囲において公務員の政治活動の自由に制約を加えることは是認されると解されるのであるから、以上の諸点を併せ考えると,上記の関係における公務員の政治的行為禁止の具体的な規定を人事院規則に委任することは,その委任に基づいて制定された規則の個々の規定内容が,あるいは憲法に違反し,あるいは委任の範囲を超えるものとして,部分的に無効となるか否かは別として,委任自体を憲法に違反する無効のものとすることは,相当でないというべきである。

[51](3) さらに,立法の委任が,その対象事項,委任の目的及び委任立法権を行使するに当たってのっとるべき基準の設定という要件を満たして行われる限り,その委任自体は,憲法に違反するものとはいえず,このようないわば形式的要件を満たした立法の委任であれば,たといその委任に当たって示された目的や立法基準が部分的に違憲な法規の制定(当該規定の適用によっては違憲の結果を招くものを含む。)をも許容するような内容上の不当性を有する場合でも,委任そのものをすべて無効とし,ひいてそれに基づく規定の全部の効力を否定する必要はなく,憲法に違反するような内容の立法をも委任した部分,及びその結果,現実に制定された規定のうちのそのような憲法違反の内容を有するものだけを無効とすれば足りるものと考えられる。したがって,本法102条1項における人事院規則への委任についても,委任に関する上記形式的要件が充足されている以上,刑罰法規の内容となる面で立法基準が緩やかに過ぎるという憲法上の欠陥を帯有するとしても,そのために本規則の全部の効力を否定することは妥当とはいい難い。

[52](4) そして,上記のような政治的行為が,公務員組織の内部秩序を維持する見地から科される懲戒処分を根拠付けるに足りるものであるとともに,国民全体の共同利益を擁護する見地から科される刑罰を根拠付ける違法性を帯びるものであることは,上述したとおりであるから,本法102条1項が,本規則に対し,本法82条1項1号による懲戒処分及び同法110条1項19号による刑罰の対象となる政治的行為の定めを一様に委任するものであるからといって,憲法の許容する委任の限度を超えることになるものではないというべきである。

[53] このほか,所論は,前記論旨(2)のとおり,(1)本件罰則規定が,国際自由権規約19条3項に違反して無効であるとし,また,前記論旨(3)のとおり,(2)本件罰則規定が,憲法98条2項所定の確立した国際法規に当たるILO151号条約9条に違反して,無効であるとも主張するが,(1)については,上記規約19条3項は憲法21条とその精神や原理原則を同じくするものというべきであるから,同条に違反しないと判断された法令に,上記規約19条3項に抵触するようなものがあるとは考えられず(最高裁判所昭和56年10月22日第一小法廷判決・刑集35巻7号696頁参照),また,(2)については,憲法の上記規定を介して,我が国の批准していない特定の国際条約により,国内法の効力が否定されるという立論は,採用の余地がないから,いずれも採用できない。
[54] 所論は,さらに進んで,仮に本件罰則規定そのものについては合憲性が認められるとしても,それを本件配布行為について適用することは違憲である旨主張するところ,当裁判所も,以下に指摘する事情を踏まえると,上記2(4)認定のような被告人の本件各所為について,本件罰則規定を具体的に適用して,被告人に刑事責任を問うことは,憲法21条1項及び31条に違反するものといわなければならないと考える。すなわち,

[55](1) 本件罰則規定には,既に述べたとおり,その合憲性は認められるものの,過度に広範に過ぎるものが対象とされている部分があるという憲法解釈との関係や,本件犯罪については,抽象的危険犯と解すべきところ,これを形式犯としてとらえることは,表現の自由という憲法上の極めて重要な権利を制限するものである点からして相当ではなく,抽象的危険の存在についても,ある程度実質的なものを要求することによって,初めて刑事罰を科すことについても正当化できると考えられる。そして,このように解釈することは,人の行為が犯罪を構成するものとして処罰されるためには,抽象的なものにせよ,法益侵害の危険が存在しなければならず,およそ法益侵害の危険を伴わない行為を違法として処罰することは許されないとする,刑事法の基本原則にも適合するものである。

[56](2) さらに,最高裁判所平成10年12月1日大法廷決定・民集52巻9号1761頁は,裁判所法52条1号にいう「積極的に政治運動をすること」の意義について,
「組織的,計画的又は継続的な政治上の活動を能動的に行う行為であって,裁判官の独立及び中立・公正を害するおそれがあるもの」
をいい,
「具体的行為の該当性を判断するに当たっては,その行為の内容,その行為の行われるに至った経緯,行われた場所等の客観的な事情のほか,その行為をした裁判官の意図等の主観的な事情をも総合的に考慮して決するのが相当である。」
と判示した。同大法廷決定は,裁判官が積極的に政治運動をしたとして,裁判官分限法に基づき,裁判官に対し,懲戒処分がされた事案に関するものであるところ,懲戒処分と刑事罰はその目的を異にするものではあるが,本件罰則規定は,その目的のところでも触れたように,政治的行為を自由に放任するときは,やがてその弊害が大きくなり,懲戒処分等の行政組織の内部規律だけによっては解決できない事態に立ち至ることを勘案してのものであり,このような国家刑罰権の発動である以上,少なくとも懲戒処分と同程度以上の要件が必要であると考えられるべきである。また,裁判官は特別職公務員であり,一般職公務員ではないが,特別職とされているのは三権分立と司法の独立の要請を受けてのものであり,勤務条件等は一般職公務員と同様である。そして,その職務権限,職務内容等に照らすと,裁判官は,被告人のような裁量権限を有しない公務員に比べ,明らかに政治的色彩を持った事件に対応する機会も多く,それゆえ,その職務執行に当たっては,中立・公平性はより強く要求されるものと解されるところ,裁判官の政治的行為の意義について,「組織的,計画的又は継続的な政治上の活動を能動的に行う行為」とされたことは,裁判所法52条の規定文言との違いを考慮しても,一般職公務員の政治的行為の禁止に対する罰則規定の解釈に当たって,より慎重な検討が必要であることを要請するものというべきである。

[57](3) そこで,このような前提に立って,被告人の本件配布行為についてみると,
[58] 上記2において認定したとおり,被告人は,目黒社会保険事務所に勤務する厚生労働事務官であったが,その具体的な担当職務は,国民年金業務課に所属する管理職でない相談室付係長として,利用者からの相談に対し,コンピューターを操作するなどして,回答や手続の教示等を行うというもので,裁量の余地のないものであった。また,被告人の本件各所為は,勤務を要しない休日に,勤務先やその職務と関わりなく,勤務先の所在地や管轄区域から離れた自己の居住地の周辺で,上記事務所の職員であることが判明しないような服装や風体で,原則として配布先の居住者や関係者と面会することなく,無言のまま,日本共産党に関係するだけで,社会保険庁や上記事務所と無関係の本件機関紙や政治的文書を配布したものである。
[59] 加えて,上記のように,被告人の本件各所為が,勤務時間内及びその勤務先又はそれと関係のある場所で行われたものでない上,職場の組織を通じ,あるいは職員関係を利用して行われたものでなく,私人としての立場で行われたばかりか,その際,自ら国家公務員であることを明らかにしなかったことはもとより,被告人の行為を目撃した一般国民がいたとしても,国家公務員による政治的行為であることを認識する可能性がなかったものと認められる。その行為も郵便受けへの投函にとどまり,本規則7号,13号に定める,発行や編集といった行為に比べ,政治的偏向が明らかに認められるというものではない。さらに,被告人の本件各所為の当時,他の公務員によって,同様の配布行為が集団的に行われていた形跡もない。結局,被告人の本件各所為は,他の公務員と示し合わせ,あるいは,他の公務員が同様の行為を行っていることを認識した上で行われたものでもなく,総体として被告人単独の判断による単発行為であったことは明らかである。
[60] このように被告人の本件各所為は,国家公務員という立場を離れ,職務と全く無関係に,休日に,私人としての立場で,かつ,他の国家公務員とも全く無関係に個人的に行われたものであるから,これを本件罰則規定の合憲性を基礎付ける前提となる保護法益との関係でみると,行政の中立的運営及びそれに対する国民の信頼という保護法益が損なわれる抽象的危険性を肯定することは常識的にみて全く困難である。すなわち,猿払事件判決は,本規則所定の政治的行為が,行政の中立的運営を直接ないし具体的に損なう行為だけに限定されていない理由として,(ア)公務員が集団的ないし組織的に政治活動を行った場合,それ自体が大きな政治的勢力となり,その過大な影響力の行使によって民主的政治過程を不当に歪曲する危険もないとはいえないことや,(イ)公務員の政治的偏向が上記のような大規模なものとなった場合,逆に政治的党派の行政に対する不当な介入を容易にし,行政の中立的運営がゆがめられる危険性が高まるものと考えられること,(ウ)そのような傾向が拡大すれば,政治的中立を保ちつつ一体となって国民全体に奉仕すべき責務を負う行政組織の内部に深刻な政治的対立を醸成し,その結果,行政の能率的で安定した運営が阻害され,ひいては,議会制民主主義の政治過程を経て決定された国の政策の忠実な遂行にも支障を来すおそれがあること,(エ)そのようなおそれは,行政組織の規模の大きさに応じて拡大することが想定され,そのような事態に至った場合,行政組織の内部規律だけによってその弊害を防止ないし除去することが不可能な状況に陥ることも懸念されることを挙げているけれども,上記ア及びイで指摘した被告人の本件各所為に関する具体的状況のほか,前記2(6)で認定した被告人の勤務先における言動や勤務態度に照らすと,被告人が単独で,かつ,勤務先や職務と全く無関係に行った本件配布行為の結果として,猿払事件判決が危惧する上記のような事態を招き,ひいて本件罰則規定の保護法益である行政の中立的運営及びそれに対する国民の信頼を侵害する抽象的危険性は想定し難く,このような行為まで処罰の対象とすることは,さきの合理的関連性の基準に照らしても,やむを得ない限度にとどまるものとはいえない。そして,このことは,本件行為の後に,被告人が国家公務員であったことを国民が知ることになっても,その地位やその職務内容,職務権限に照らせば,国民が行政全体の中立性に疑問を抱くようなことは考え難いから,上記結論に影響はない。
[61] さらに,上記のような判断は,本規則で禁止の対象とされていない政治的行為との均衡からも,基礎付けることができると考えられる。すなわち,本規則6項は,国家公務員が,政党その他の政治的団体の構成員になること(5号),特定の政党その他の政治的団体の構成員になるように非組織的,非継続的に勧誘すること(6号),政党その他の政治的団体の機関紙その他の刊行物に単に投稿すること(7号),政治的目的のために署名をすること(9号),行進その他の示威運動に参加すること(10号)などについて,規制の対象としていない。また,本規則により,投票及び政党への加入が禁止されていないことは,いうまでもない。これらのうち,憲法15条所定の国民固有の権利であるため,本法102条1項で明示的に除外されている投票はともかく,その余の行為について,国家公務員が顕名しあるいは身分を明らかにして行った場合,その行為が行政の中立的運営そのものを害するか否かは,具体的な状況によるから,一概に論じることができないものの,その国民一般に対する政治的影響,ひいて,行政の中立的運営に対する国民の信頼を侵害する程度は,上記のような態様や方法による本件各所為のそれらをはるかに上回るものと思われる。
[62] しかも,本規則で禁止の対象とされている6項所定の政治的行為を通覧すると,その大半は,政治的目的をもって多数の人に働きかけ,あるいは多数の人の力を借りる行為と評価することができるものであり,そのような本規則の趣旨を前提とすると,被告人の本件各所為のように,名宛人及び場所共に126回という相当数に上る機関紙や政治的文書の配布行為であるとはいえ,前記のように,被告人が公務員であることを明らかにしない態様で単独で行った行為について,刑事処罰をもって禁止すべき実質的な意義,すなわち実質的違法性の存在(当罰性)に対しても,疑問を抱かざるを得ない。
[63] したがって,被告人の本件各所為は,未だ本件罰則規定の構成要件,すなわち国家公務員として政党の機関紙や政治的文書を配布するという政治活動をしたものと認定することができないとともに,本件各所為に対し,本件罰則規定を適用して被告人に刑事責任を問うことは,保護法益と関わりのない行為について,表現の自由という基本的人権に対し必要やむを得ない限度を超えた制約を加え,これを処罰の対象とするものといわざるを得ないから,憲法21条1項及び31条に違反するというべきである。

[64] 以上の当裁判所の見解とは異なり,原判決は,被告人の本件各所為について本件罰則規定を適用することが,憲法の上記各条項に違反するものでないと判断しているので,猿払事件判決の説示とも併せ,その理由とするところについて,若干付言しておく。

[65](1) まず,原判決は,一般的に,本規則6項7号所定の政党の機関紙や13号所定の政治的文書の配布が,政治的偏向の強い行為類型に属し,公務員の政治的中立性を損なうおそれが強い上,被告人が,衆議院議員総選挙に際して,特定の政党の機関紙や同党を支持する政治的文書を配布した本件各所為は,具体的な選挙における特定政党のためにする直接かつ積極的な支援活動として,政治的偏向の強い典型的な行為というべきであるから,公務員の政治的中立性を損なうという法益侵害の抽象的危険を発生させた(58頁及び59頁),というのである。しかし,上記6(3)ア及びイで指摘したとおり,勤務時間外の休日に勤務先の行政機関やその職員と無関係に国家公務員であることを明らかにしないまま単独で行った被告人の本件各所為の具体的態様やその際の状況等に照らすと,本件各所為は,専ら私人としての被告人によって行われたものと評価するほかないものであって,政治的偏向の少なくない行為であるとしても,私人としての被告人の政治的偏向を示すにとどまり,それによって,公務員の立場における被告人の政治的中立性を損ない,ひいて,被告人の担当する公務の遂行,すなわち行政の政治的中立性とそれに対する国民の信頼という保護法益を侵害する危険性は,前記のとおり,抽象的にも存在しないというべきである。

[66](2) また,原判決は,上記のような法益侵害の危険の有無について,被告人の本件各所為から直接かつ具体的に生じる弊害だけに限定して考えるのは相当でなく,その行為を放任した場合,被告人の所属する行政組織内の公務員全体に本件政治的行為を許容することにつながり,そのような波及的効果が累積された場合に生じ得る弊害をも併せ考慮して,判断すべきである(59頁),とし,猿払事件判決も,同様の指摘をしている(403頁)。しかし,被告人の本件各所為に対する刑事責任が問われないことに伴い,被告人の所属する目黒社会保険事務所や社会保険庁に勤務する公務員全体に対し,同様の政治的行為を許容する結果を招き,そのような波及的効果が累積されることにより,看過し得ない弊害が実際に生じた場合には,そのような法益侵害の危険性を生じさせた者による具体的行為に対し,刑事処罰をもって臨めば足りるものというべきである。すなわち,被告人の行為を放任したとしても,実際に生じるか否かが不明かつ未確定な弊害を根拠として,その行為を処罰することは,謙抑性を始めとする刑罰法規の基本原則に照らしても,明らかに行過ぎというほかない。そして,そのような薄弱な根拠ないし利益を理由として,表現の自由に基づく被告人の政治活動の自由という憲法上の権利に対し,制約を加えることは,許されないというべきである。

[67](3) さらに,原判決は,上記のような累積的,波及的効果が,被告人と関わりのないものであるが,違法性の強弱でなく,その有無すなわち法益侵害の有無が問われる場合に考慮に加えることは,不当でないばかりか,本法及び本規則が予防的措置として政治的行為を禁止している趣旨に合致する(59頁),とする。しかし,そのように被告人の所為と関わりのない,しかも,生じる可能性があるとしても,行為後の事情にすぎない累積的,波及的効果を根拠として,違法性の強弱より重要で,その前提というべき違法性ないし法益侵害の有無を論じることは,本末を転倒した議論である上,本法及び本規則の性質が予防的措置であると解釈することによってその点の正当化を図ることも,それらによって禁止される対象が政治的自由という憲法上の権利であることを考慮すると,安易に過ぎるというべきである。

[68](4) 加えて,原判決は,本法及び本規則による政治的行為の禁止が,直接的に個々の公務員の政治的中立性を維持することにより,行政の中立性とこれに対する国民の信頼を確保する制度的措置であるから,行政組織の有機的統一体としての機能や,上記のような累積的,波及的効果を考慮すれば,公務員の政治的中立性を損なうおそれのある政治的行為があった場合,原則として,保護法益を侵害する抽象的危険が発生したと解することができる(60頁及び61頁),というのである。しかし,その解釈は,本法及び本規則による規制が,上記のような制度的措置である上,行政組織の機能や累積的,波及的効果を根拠として,公務員の政治的行為の存在から,行政の中立性とこれに対する国民の信頼を確保するという保護法益に対する抽象的危険の発生を原則として擬制するものであるが,当裁判所の上記見解は,被告人の本件各所為が,上記のような行政組織の機能や累積的,波及的効果と関わりがなく,公務員としての立場における被告人の政治的中立性を損なうおそれも,ひいて上記のような保護法益を侵害する危険性が,抽象的にも存在しないと考えるものであるから,本法及び本規則による規制が制度的措置としての一面を有するとしても,保護法益に対する抽象的危険の発生を擬制すべき必然性があるとはいえず,原判決の上記解釈とは,前提を異にするものである。なお,本件罰則規定,ひいて本法及び本規則による規制について,法益侵害の抽象的危険の発生を必要としない形式犯と解することは,猿払事件判決の説示に明らかに反する上,既に述べたとおり,規制される利益が公務員の政治活動の自由という憲法上の権利に関わるものであることに照らしても,もとより許されないというべきである。
[69] 以上の次第であって,被告人の本件各所為は本件罰則規定の構成要件に触れていない上,それらの所為について本件罰則規定を適用することは,憲法21条1項及び31条に違反するというべきである。そうすると,被告人がそれらの所為について有罪と判断した原判決は,本件罰則規定及び憲法の上記各条項に関する解釈を誤り,ひいて法令の適用を誤ったものというほかなく,その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから,破棄を免れない。論旨は理由がある。

[70] なお、付言すると,当裁判所は,本件罰則規定については,結論的にその合憲性を認める一方,被告人の本件配布行為について当該規定を適用することは違憲であるとした。このような当裁判所の判断については,どこまでの政治的行為が許されるのか,その基準が明確ではなく,いわゆる萎縮効果を防ぐことができないから,法令違憲という結論を出すべきであるとの批判がなされると考えられる。その批判にはもっともな面もあるけれども,当裁判所の審理対象は本件配布行為であって,それ自体については合憲,違憲の判断が可能であるが,さらに,本件罰則規定全体が想定する政治的行為について,どのような場合に違憲状態が生じるかを判断することは事実上極めて困難であり,萎縮効果を防ぐことができないとして,全面的に違憲とすることは,あまりにも乱暴な議論であって,先にも触れたように,その結論は事例の集積をまって判断すべきものであると考える。とはいえ,我が国における国家公務員に対する政治的行為の禁止は,諸外国,とりわけ西欧先進国に比べ,非常に広範なものとなっていることは否定し難いところ,当裁判所は,一部とはいえ,過度に広範に過ぎる部分があり,憲法上問題があることを明らかにした。また,地方公務員法との整合性にも問題があるほか,かえって,禁止されていない政治的行為の方に規制目的を阻害する可能性が高いと考えられるものがあるなど,本規則による政治的行為の禁止は,法体系全体から見た場合,様々な矛盾がある。加えて,猿払事件当時は,広く問題とされた郵政関係公務員の政治的活動等についても,さきの郵政民営化の過程では,国会で議論はなく,その関心の外にあったといわざるを得ない。しかも,その後の時代の進展,経済的,社会的状況の変革の中で,猿払事件判決当時と異なり,国民の法意識も変容し,表現の自由,言論の自由の重要性に対する認識はより一層深まってきており,公務員の政治的行為についても,組織的に行われたものや,他の違法行為を伴うものを除けば,表現の自由の発現として,相当程度許容的になってきているように思われる。また,ILO151号条約は未批准とはいえ,様々な分野でグローバル化が進む中で,世界標準という視点からも改めてこの問題は考えられるべきであろう。公務員制度の改革が論議され,他方,公務員に対する争議権の付与の問題についても政治上の課題とされている折から,その問題と少なからず関係のある公務員の政治的行為についても,上記のような様々な視点の下に,刑事罰の対象とすることの当否,その範囲等を含め,再検討され,整理されるべき時代が到来しているように思われる。
[71] したがって,弁護人及び被告人のその余の論旨並びに検察官の論旨に対する判断を省略し,刑事訴訟法397条1項及び380条により原判決を破棄した上,同法400条ただし書を適用し,本件被告事件について更に判決する。
[72] 本件公訴事実の要旨は,前記第2の1に掲記したとおりであるが,前記のとおり,被告人の本件各所為は罪とならないというべきであるから,同法336条に従い,被告人に対し無罪の言渡しをすることとして,主文のとおり判決する。

(原審における求刑 罰金10万円)

  裁判長裁判官 中山隆夫  裁判官 高橋徹  裁判官 衣笠和彦

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