昭和女子大事件
上告審判決

身分確認請求事件
最高裁判所 昭和42年(行ツ)第59号
昭和49年7月19日 第3小法廷 判決

【上告人】 被控訴人 原告 甲野恵美子 外1名
          代理人 雪入益見  外83名

【被上告人】控訴人  被告 学校法人 昭和女子大学
          代理人 橋本武人 外1名

■ 主 文
■ 理 由


 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人らの負担とする。

[1] 論旨は、要するに、学生の署名運動について事前に学校当局に届け出てその指示を受けるべきことを定めた被上告人大学の原判示の生活要録6の6の規定は憲法15条、16条、21条に違反するものであり、また、学生が学校当局の許可を受けずに学外の団体に加入することを禁止した同要録8の13の規定は憲法19条、21条、23条、26条に違反するものであるにもかかわらず、原審が、これら要録の規定の効力を認め、これに違反したことを理由とする本件退学処分を有効と判断したのは、憲法及び法令の解釈適用を誤つたものである、と主張する。
[2] しかし、右生活要録の規定は、その文言に徴しても、被上告人大学の学生の選挙権若しくは請願権の行使又はその教育を受ける権利と直接かかわりのないものであるから、所論のうち右規定が憲法15条、16条及び26条に違反する旨の主張は、その前提において既に失当である。また、憲法19条、21条、23条等のいわゆる自由権的基本権の保障規定は、国又は公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障することを目的とした規定であつて、専ら国又は公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものでないことは、当裁判所大法廷判例(昭和43年(オ)第932号同48年12月12日判決・裁判所時報632号4頁)の示すところである。したがつて、その趣旨に徴すれば、私立学校である被上告人大学の学則の細則としての性質をもつ前記生活要録の規定について直接憲法の右基本権保障規定に違反するかどうかを論ずる余地はないものというべきである。所論違憲の主張は、採用することができない。
[3] ところで、大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と学術の研究を目的とする公共的な施設であり、法律に格別の規定がない場合でも、その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し、これによつて在学する学生を規律する包括的権能を有するものと解すべきである。特に私立学校においては、建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針とによつて社会的存在意義が認められ、学生もそのような伝統ないし校風と教育方針のもとで教育を受けることを希望して当該大学に入学するものと考えられるのであるから、右の伝統ないし校風と教育方針を学則等において具体化し、これを実践することが当然認められるべきであり、学生としてもまた、当該大学において教育を受けるかぎり、かかる規律に服することを義務づけられるものといわなければならない。もとより、学校当局の有する右の包括的権能は無制限なものではありえず、在学関係設定の目的と関連し、かつ、その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲においてのみ是認されるものであるが、具体的に学生のいかなる行動についていかなる程度、方法の規制を加えることが適切であるとするかは、それが教育上の措置に関するものであるだけに、必ずしも画一的に決することはできず、各学校の伝統ないし校風や教育方針によつてもおのずから異なることを認めざるをえないのである。これを学生の政治的活動に関していえば、大学の学生は、その年令等からみて、一個の社会人として行動しうる面を有する者であり、政治的活動の自由はこのような社会人としての学生についても重要視されるべき法益であることは、いうまでもない。しかし、他方、学生の政治的活動を学の内外を問わず全く自由に放任するときは、あるいは学生が学業を疎かにし、あるいは学内における教育及び研究の環境を乱し、本人及び他の学生に対する教育目的の達成や研究の遂行をそこなう等大学の設置目的の実現を妨げるおそれがあるのであるから、大学当局がこれらの政治的活動に対してなんらかの規制を加えること自体は十分にその合理性を首肯しうるところであるとともに、私立大学のなかでも、学生の勉学専念を特に重視しあるいは比較的保守的な校風を有する大学がその教育方針に照らし学生の政治的活動はできるだけ制限するのが教育上適当であるとの見地から、学内及び学外における学生の政治的活動につきかなり広範な規律を及ぼすこととしても、これをもつて直ちに社会通念上学生の自由に対する不合理な制限であるということはできない。
[4] そこで、この見地から被上告人大学の前記生活要録の規定をみるに、原審の確定するように、同大学が学生の思想の穏健中正を標榜する保守的傾向の私立学校であることをも勘案すれば、右要録の規定は、政治的目的をもつ署名運動に学生が参加し又は政治的活動を目的とする学外の団体に学生が加入するのを放任しておくことは教育上好ましくないとする同大学の教育方針に基づき、このような学生の行動について届出制あるいは許可制をとることによつてこれを規制しようとする趣旨を含むものと解されるのであつて、かかる規制自体を不合理なものと断定することができないことは、上記説示のとおりである。
[5] してみると、右生活要録の規定そのものを無効とすることはできないとした原審の判断は相当というべきであつて、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
[6] 論旨は、要するに、本件退学処分は、上告人らの学問の自由を侵害し、かつ、思想、信条を理由とする差別的取扱であるから、憲法23条、19条、14条に違反するものである、また、かかる違憲の処分によつて上告人らの教育を受ける権利を奪うことは憲法13条、26条にも違反するにもかかわらず、原審が右退学処分を有効と判断したのは、憲法及び法令の解釈適用を誤つたものである、と主張する。
[7] しかし、本件退学処分について憲法23条、19条、14条等の自由権的基本権の保障規定の違反を論ずる余地のないことは、上告理由第一章について判示したところから明らかである。したがつて、右違憲を前提とする憲法13条、26条違反の論旨も採用することができない。
[8] また、原審の確定した上告人らの生活要録違反の行為は、大学当局の許可を受けることなく、上告人乙川が左翼的政治団体である民主青年同盟(以下、民青同という。)に加入し、上告人甲野が民青同に加入の申込をし、更に、同上告人が大学当局に届け出ることなく学内において政治的暴力行為防止法の制定に対する反対請願の署名運動をしたというものであるが、このような実社会の政治的社会的活動にあたる行為を理由として退学処分を行うことが、直ちに学生の学問の自由及び教育を受ける権利を侵害し公序良俗に違反するものでないことは、当裁判所大法廷判例(昭和31年(あ)第2973号同38年5月22日判決・刑集17巻4号370頁)の趣旨に徴して明らかであり、また、右退学処分が上告人らの思想、信条を理由とする差別的取扱でないことは、上告理由第三章について後に判示するとおりである。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
[9] 論旨は、要するに、大学が学生に対して退学処分を行うにあたつては、教育機関にふさわしい手続と方法により本人の反省を促す補導の過程を経由すべき法的義務があると解すべきであるのに、原審が右義務のあることを認めず、適切な補導過程を経由せずに行われた本件退学処分を懲戒権者の裁量権の範囲内にあるものとして有効と判断したのは、学校教育法11条、同法施行規則13条3項、被上告人大学の学則36条の解釈適用を誤つたものである、と主張する。
[10] 思うに、大学の学生に対する懲戒処分は、教育及び研究の施設としての大学の内部規律を維持し、教育目的を達成するために認められる自律作用であつて、懲戒権者たる学長が学生の行為に対して懲戒処分を発動するにあたり、その行為が懲戒に値いするものであるかどうか、また、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを決するについては、当該行為の軽重のほか、本人の性格及び平素の行状、右行為の他の学生に与える影響、懲戒処分の本人及び他の学生に及ぼす訓戒的効果、右行為を不問に付した場合の一般的影響等諸般の要素を考慮する必要があり、これらの点の判断は、学内の事情に通暁し直接教育の衝にあたるものの合理的な裁量に任すのでなければ、適切な結果を期しがたいことは、明らかである(当裁判所昭和28年(オ)第525号同29年7月30日第3小法廷判決・民集8巻7号1463頁、同昭和28年(オ)第745号同29年7月30日第3小法廷判決・民集8巻7号1501頁参照)。
[11] もつとも、学校教育法11条は、懲戒処分を行うことができる場合として、単に「教育上必要と認めるとき」と規定するにとどまるのに対し、これをうけた同法施行規則13条3項は、退学処分についてのみ4個の具体的な処分事由を定めており、被上告人大学の学則36条にも右と同旨の規定がある。これは、退学処分が、他の懲戒処分と異なり、学生の身分を剥奪する重大な措置であることにかんがみ、当該学生に改善の見込がなく、これを学外に排除することが教育上やむをえないと認められる場合にかぎつて退学処分を選択すべきであるとの趣旨において、その処分事由を限定的に列挙したものと解される。この趣旨からすれば、同法施行規則13条3項4号及び被上告人大学の学則36条4号にいう「学校の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものとして退学処分を行うにあたつては、その要件の認定につき他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要することはもちろんであるが、退学処分の選択も前記のような諸般の要素を勘案して決定される教育的判断にほかならないことを考えれば、具体的事案において当該学生に改善の見込がなくこれを学外に排除することが教育上やむをえないかどうかを判定するについて、あらかじめ本人に反省を促すための補導を行うことが教育上必要かつ適切であるか、また、その補導をどのような方法と程度において行うべきか等については、それぞれの学校の方針に基づく学校当局の具体的かつ専門的・自律的判断に委ねざるをえないのであつて、学則等に格別の定めのないかぎり、右補導の過程を経由することが特別の場合を除いては常に退学処分を行うについての学校当局の法的義務であるとまで解するのは、相当でない。したがつて、右補導の面において欠けるところがあつたとしても、それだけで退学処分が違法となるものではなく、その点をも含めた当該事案の諸事情を総合的に観察して、その退学処分の選択が社会通念上合理性を認めることができないようなものでないかぎり、同処分は、懲戒権者の裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を否定することはできないものというべきである。
[12] ところで、原審の確定した本件退学処分に至るまでの経過は、おおむね次のとおりである。
[13](1) 被上告人大学では、昭和36年10月下旬ごろ前記のような上告人らの生活要録違反の行為を知り、それが同大学の教育方針からみて甚だ不当なものであるとの考えから、上告人らに対して民青同との関係を絶つことを強く要求し、事実上その登校を禁止する等原判示のような措置をとつたが、この間の大学当局の態度を全体として評すれば、同大学の名声のために上告人らの責任を追及することに急で、同人らの行為が校風に反することについての反省を求めて説得に努めたものとは認めがたいものがあつた。
[14](2) 他方、上告人らは、生活要録に違反することを知りながら民青同に加入し又は加入の申込をしたものであつて、右違反についての責任の自覚はうすく、民青同に加入することが不当であるとは考えず、これからの離脱を求める被上告人大学の要求にも真実従う意思はなく(加入申込中であつた上告人甲野は同年12月に正式に加入した。)、関係教授らの説諭に対しては終始反発していた。しかし、同年12月当時までは、大学当局としてはできるだけ穏便に事件を解決する方針であつた。
[15](3) ところが、昭和37年1月下旬、某週刊誌が「良妻賢母か自由の園か」と題して本件の発端以来被上告人大学のとつた一連の措置を批判的に掲載した記事中に、上告人乙川が仮名を用いて大学当局から受けた取調べの状況についての日記を発表し、次いで、都内の公会堂で開かれた各大学自治会及び民青同等主催の「戦争と教育反動化に反対する討論集会」において、上告人らがそれぞれ事件の経過を述べ、更に、同年2月9日「荒れる女の園」という題名で本件を取上げたラジオ放送のなかで、上告人らが大学当局から取調べを受けた模様について述べたので、被上告人大学では、これを上告人らが学外で同大学を誹謗したものと認め、ここに至つて、上告人らの一連の行動、態度が退学事由たる「学校の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものに該当するとして、同年2月12日付で本件退学処分をした。
[16] 以上の事実関係からすれば、上告人らの前記生活要録違反の行為自体はその情状が比較的軽微なものであつたとしても、本件退学処分が右違反行為のみを理由として決定されたものでないことは、明らかである。前記(2)(3)のように、上告人らには生活要録違反を犯したことについて反省の実が認められず、特に大学当局ができるだけ穏便に解決すべく説諭を続けている間に、上告人らが週刊誌や学外の集会等において公然と大学当局の措置を非難するような挙に出たことは、同人らがもはや同大学の教育方針に服する意思のないことを表明したものと解されてもやむをえないところであり、これらは処遇上無視しえない事情といわなければならない。もつとも、前記(1)の事実その他原判示にあらわれた大学当局の措置についてみると、説諭にあたつた関係教授らの言動には、上告人らの感情をいたずらに刺激するようなものもないではなく、補導の方法と程度において、事件を重大視するあまり冷静、寛容及び忍耐を欠いたうらみがあるが、原審の認定するところによれば、かかる大学当局の措置が上告人らを反抗的態度に追いやり、外部団体との接触を深めさせる機縁になつたものとは認められないというのであつて、そうである以上、上告人らの前記(2)(3)のような態度、行動が主として被上告人大学の責に帰すべき事由に起因したものであるということはできず、大学当局が右の段階で上告人らに改善の見込がないと判断したことをもつて著しく軽卒であつたとすることもできない。また、被上告人大学が上告人らに対して民青同からの脱退又はそれへの加入申込の取消を要求したからといつて、それが直ちに思想、信条に対する干渉となるものではないし、それ以外に、同大学が上告人らの思想、信条を理由として同人らを差別的に取り扱つたものであることは、原審の認定しないところである。これらの諸点を総合して考えると、本件において、事件の発端以来退学処分に至るまでの間に被上告人大学のとつた措置が教育的見地から批判の対象となるかどうかはともかく、大学当局が、上告人らに同大学の教育方針に従つた改善を期待しえず教育目的を達成する見込が失われたとして、同人らの前記一連の行為を「学内の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものと認めた判断は、社会通念上合理性を欠くものであるとはいいがたく,結局、本件退学処分は、懲戒権者に認められた裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を是認すべきである。
[17] したがつて、右と結論を同じくする原審の判断は相当であつて、原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
[18] 所論の点に関する原審の認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認することができないものではなく、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する事実の認定、証拠の取捨判断を非難するに帰し、採用することができない。

[19] よつて、民訴法401条、95条、89条、93条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 坂本吉勝  裁判官 関根小郷  裁判官 天野武一  裁判官 江里口清雄  裁判官 高辻正己)
■ 上告代理人雪入益見外83名の上告理由
(一) はじめに
[1] 上告人甲野および乙川に対する退学処分の根拠規定となつた被上告人大学の学則第36条第4項の具体的な細則とされている生活要録8ノ13、「学生は補導部の許可なくして学外の団体に加入することはできない」との規則および同要録6ノ6「学内外をとわず署名運動、……などをしようとするときは、事前に学生課に届出その指示をうけなくてはならない」との規定は、次にのべるように憲法の諸条項、及び精神に著しく反し無効である。したがつて、これを根拠とする本件処分は無効である。

(二) 原判決の内容
[2] 原判決は、その理由第4項において、
「公立学校とはその趣を異にする私立学校である控訴人は……反省を促す適切な補導の過程を経由(このことは教育的見地から望ましいとしても)すべき法的義務があるとは考えられず」
とし、又その最後の第8項において
「いずれにしても被控訴人両名の前記違反行為後、本件退学処分までになされた両者間の折衝において控訴人の執つた処置については、教育的見地から批判の対象となりうるとしても、前認定の事実関係から判断して、控訴人と被控訴人等の態度から目して学則第36条第4項に該当するもので、控訴人の教育方針と相容れないものとしてなした本件退学処分が……無効であると解されない」
としているが、これは、憲法23条が学問の自由を規定し、又その26条が教育を受ける権利を認めている憲法上の教育の本質を無視したものである。

(三) 憲法における学問、教育等の保障の意義
[3] 戦後、新憲法に基く教育改革は、従来の軍国主義教育、神権天皇制等、いわゆる教育勅語体制によつて支えられていた非民主的教育体制を根本から否定した。軍国主義的人間に対して、平和主義、民主主義的人間を対置し、新しい価値観と人間像をめざすことが教育の目的、基礎におかれ、そのために、教育行政の面においても、教育の官僚、統制の撤廃、教育の民主化、教師の創造的教育を保障するための教育の自律性、国家権力の教育内容への不介入の原則などが確認されたのである。
[4] 憲法はすべての国民が権力その他の勢力からの介入をうけない学習教育をうける権利を基本的人権の一つとして享有していることを確認した。教育が国に対する国民の義務から、個人の幸福追及のための権利に変つたのである。
[5] そこでの教育は教育を受ける側の学習の権利を充足させ、諸能力を開花させるいとなみであると理解されるのである。教育基本法の前文は「民主的、文化的国家をめざす憲法の理想の実現は、正に、根本において教育の力にまつべきものである(教育基本法前文、第1項)」とし、教育の目的を「人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない(同法第1条)」としている。
[6] この趣旨にそつて大学における教育の目的も「大学は学術の中心として広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳及び応用的能力を展開させることを目的とする(学校教育法第52条)」とされている。
[7] 即ち、大学は教育の場として、単に学生に知識を授けるというに止まらず、学生の学問的精神を陶冶することをその重要な使命の一つとしているところから、学生自らの自由な自治的・実証的訓練による学問的精神の体得が、教育上必要不可欠である。学生に対する自主的、自律的な学習、学内外活動の自由、学問の自由などが保障されなければならない。
[8] このために、大学の学生に対する教育は東京地裁昭和29年5月11日のポポロ第一審判決にいう「……従つて、長期に亘る教育の過程の中で、学生は時として行き過ぎや偏向があつても、大学はなおかつ、学生の自治と学習の自律を尊重し、あくまで、教育的視野に立つて、学生を指導することを本旨」とされなければならない。
[9] 以上の教育に関する理念は、公立、私立を問わず、すべての教育機関に適用されるものであり、私立大学の特性、自主性もこのような、大学の教育目的、理念が前提とされているものであり、この侵害が許されないことは当然である。(学校教育法第6条、私立学校法第1条)

(四) 私立大学における学則制定の限界と本件学則等の違憲性
[10] 第一審判決がいうように、大学は学生の集団に対し教育を行う施設であり、学生が入学を求める行為は、かような教育施設に包括的に自己の教育を託し、学生としての身分を取得することを目的とする行為であるということの本質から、学校当局は、その施設を管理運営し、教育を実施するため必要があるかぎり、とくに法規上の根拠がない場合でも、一方的に学則を制定し、学生に対し具体的指示命令を発することができ、学生はそれに拘束され、とくに、私立大学では、独自の校風と教育方針を、学則をもつて具体化しうるということを、一応是認しても、そこには、前述した教育の本質から、一定の限界が存することは当然である。
[11] 即ち、学生の行動に対する規律は、学内の平穏な教育的環境を保全し、学内の秩序を維持するために客観的にみて、合理的な範囲においてのみ許されるにすぎないと考えられる。
[12] 一方、学生が市民社会の一員として当然しなければならない政治的行為(選挙権の行使、憲法第15条や請願権の行使、憲法第16条等)を許されないとすることのできないことは当然であるばかりでなく、教育基本法が「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。」(同法第8条)とし、又「教育の目的は、あらゆる機会にあらゆる場所において、実現されなければならない。」(同法第2条)と規定しているのであるから、学生の政治活動に対する規制の限界は、仮りに教育的見地よりする制約が認められるとしても私立、公立の大学を問わず組織体たる大学の秩序を現実に害し、学問的諸活動、及び学生の自治活動、大学の管理機能がいちじるしくおびやかされる場合以外には認められるべきではない。さて、ここで、被上告人大学の学則の細則とされる生活要録6ノ6、「学内外を問わず、署名運動、投票、新聞、雑誌、その他印刷物の発行及び配布、物品の販売、資金のカンパなどしようとする時は、事前に学生課に届出その指示をうけなくてはならない。」および、同8ノ13「学生は、補導部の許可なくして学外の団体に加入することができない。」という規定は、被上告大学の保守的校風をあらわすさまざまな生活要録、例えば、通信は父兄の承認の範囲内と定め、指導の上必要と認めた時は、親書の開封をうながすことが出来る(寄宿寮規則第11条)とか「外出する時は、外出先、要件等を記入して寮監の承認を受ける(同規則第9条)という規則、又その教育方法において、学科目の選択制を全然実施していないことや、英米文学科などでは講義一本主義でゼミナール主義が何ら実施されていないこと、毎年6月の昭和祭の研究発表も、あらかじめ、学校側によつてテーマが決められていること、などおよそ前述した学生に対する諸自由の保障は与えられていない。かかる校風、教育方針自体、前述した教育の場としての大学に要請されている使命に反するものであるが、前述の生活要録6ノ6、同8ノ13の規定が、学生の政治活動を必要以上に規制、制限していることは明らかである。
[13] 前記、生活要録6ノ6の学内外における署名運動を事前許可制としていることは、憲法第15条に保障された選挙権、第16条に保障された請願権、第21条に保障された表現の自由等の規定に違反し、前記生活要録8ノ13が、学外の団体への加入を許す事項としていることは、戦前治安警察法で、学生生徒女子が政治上の結社に加入することが禁止され、それに違反した場合には処罰され(同法5条、22条)たのと、類似したもので、結社の自由を認めた憲法第21条に違反し、学生の学習の権利(憲法第23条、第26条)、政治的自由、思想、信条の自由(憲法第19条)を不当に侵害するものであることはあきらかである。したがつてかかる規定は無効というほかはない。
[14] 従つて、前記2つの生活要録に違反したことをもつて、ただちに、学則36条4項の「学校の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ことに該当するものとして、退学処分に付することは、教育を受ける権利を定めた憲法第26条の趣旨に違反し、信条により教育上差別されないとする教育基本法第3条、法の下の平等を規定する憲法第14条に違反し、結局、思想の改変を強制することであるから、憲法第19条で保障する思想、良心の自由に違反するものである。
[15] よつて原判決は破棄を免れない。
(一) 本件処分は憲法23条に違反する。
(1) 学問の自由と大学の自治
[16] 学問の自由は、(憲法23条)一般的には、学問研究の自由、発表の自由及び教授の自由をも含む意味で考えられているが、(もつとも教授の自由については、教育機関の種類により若干の異論のあるところであるが)同時にそれは、思想信条の自由の特別法たる関係にあるとされる。
[17] そしてこのような学問の自由は、国家社会にとつて有害であるとか、公共の福祉に反するとか、誤りであることを理由に、これを弾圧、禁止、妨害するというような干渉を加えることはできないし、それは、法律をもつてしても規制できないとされている。そして、これら学問の研究が主として大学で行われるところから、そのような学問の自由の保障を実効的にするために、外部からの原則的不干渉、不介入の目的で大学の自治が認められるのである。
[18] この理は、私立大学と雖も、例外ではなく、全面的に適用になるのであるが、私立大学の場合も、公的教育機関でありながら、その私的経営性の故に、その設立目的に照らして、一定の制約を受けることは考えられるが、しかしその場合でも本来の学問研究の自由を全く奪つてしまうことは許されない。例えば、それら学問の成果を外部に発表する自由、例えば、教授の自由等が学内等において若干の制約をうけるに過ぎないのである。
[19](2) 右の意味の学問の自由は、教授は、勿論、研究者としての学生にも、当然認められているものであり、又少くとも、大学生として大学のもつ学問の自由の保障を、そのまま享受しているといわなければならない。
[20] ところで、これら学生の享受する学問の自由は、単に机上の単なる研究の自由等に止らず、学生のそれとして、やや実践的活動をも含まれるものであり、またこれら実践的訓練ないし活動なくしては、大学の場としての教育目的と機能を果し得ないといつて過言ではない。
[21] 例えば、東大ポポロ劇団事件の東京地裁の一審判決(昭和29・5・11)は、この点に関し、次の如く云つている。
「……加之、学生も教育の必要上、学校当局によつて自治組織を持つことを認められ、一定の規則に従つて、自治運動を為すことが許されている。これは、大学は教育の場として、単に学生に知識を授けるというに止らず、学生の学問的精神を陶冶することをその重要な使命の一つとしているところから、学生自らの自由な自治的、実証的訓練による学問的精神の体得の必要を教育上得策なりとして認めているからに外ならない。従つて、長期に亘る教育の過程の中で、学生に時として行き過ぎや偏向があつても大学はなおかつ、学生の自治と学習の自律を尊重し、あくまでも教育的視野に立つて学生を指導することを本旨とするものである。」
又、右ポポロ事件の控訴審判決も、(昭和31・5・8東京高裁判決)
「……現行憲法に至つては、その23条に学問の自由は思想、集会、言論等と相ならんで保障の明規が設けられ、此の根本精神を汲む教育基本法と相俟つて大学自治の観念は一層明確に公認されたのである。而して、此の原則によれば、大学は学長(又は総長)の校務管掌権限を中心としてその大学内における研究および教育上の有形・無形の諸点につき教職員および学生の真理探究、又は人間育成の目標に向い一定の規則に従つて自治的活動をなすことが認められ、(これを大学自治の積極面ということができる)」
といつて、その趣旨を全面的に肯定しているのである。
[22] なお、学説として、星野安三郎、ポポロ劇団事件最高裁判決に想う(法学セミナー88号)等参照。このように憲法23条にいう学問の自由は、その当然の範囲内として、学生としての真理探究或いは学問的精神の陶冶としての実践的活動を許容していると解されるのである。本件の場合は、上告人らは、いずれも、被上告人大学では、満たされない社会的思想の探究その他の学問的要求を、民青に加入し、或いは、実践的なそれとしての署名活動に求めたものに過ぎないのであるから、それを理由にして退学処分に付することは、同23条に違反するものである。
[23](3) かりに東大ポポロ劇団事件の最高裁判決(昭和38年5月22日大法廷)が示す基準、つまり、学生が実社会の政治的社会的活動に当る行為をする場合は、大学の有する特別の学問の自由と自治は享有しないとする立場に立つたとしても、本件の上告人らの行為は、右判決にいういわゆる実社会の政治的活動に当る行為ではない。つまり、上告人らの活動は、民青加入の動機としての学問的要求を満たす為、僅かに読書会・研究会等に参加したに過ぎず、思想研究の域を出るものではなかつたのであり、その意味で、いわゆる判決にいう政治的活動とまではいえないものである。ましてそれらの行為が、学内の教育環境を具体的に害したという証拠がない本件においては、尚更である。
[24](もつとも、右最高裁判決の示す基準自体、何が一体政治的、社会的活動であるかが明確でないばかりか、本来、学問的活動(それ自体必ずしも、静的なもののみをさすのではなく、動的な、或は範囲の実践的活動を含むものである。)と、非学問的な政治的・社会活動とは、必ずしも一義的に区別できない微妙かつ困難なものを含んでおり、特に大学自治の責任者である大学当局が、その責任で肯認した正当な学内集会を、単にそれが実践的な活動であるからという一事をもつて、非学問的活動としてきめつけ、これを当然に大学の自治の埓外であると放逐するのは、憲法23条の正しい精神とその適用に副う所以とは解しがたい。特に教育基本法1条の目的、及び2条、3条等の実定法の立場からいつても、右判決の見解は、その精神に反するものである。)
[25](4) 又学問の自由は、大学で行われ、そこで実質的には最も問題となるのはいうまでもないが、大学に限らずその他の学校で行われるものであろうと、又私人の資格において行なうものであろうと、およそ一切の学問的研究の自由を保障する趣旨であるとするのが、多数説である。(日本国憲法註解及び憲法2有斐閣全集等)したがつてかりに前記最高裁の見解に従つて上告人らの思想研究が本来の意味つまり制度としての大学の自治とその中での学問の自由に該当しないとしても、学問の自由に関する右の多数説の基準によつても本件の如く、学問的興味をもつて、特定の思想を自主的に研究することは、本来学生に許容されてしかるべきであつて、そのこと自体を禁止することは、右憲法23条の精神から言つて許されるべきことではない。
[26] 特に控訴人らの民青加入は、既に触れたようにそれが直ちに政治的活動、政治運動といえるかは極めて疑問であり、特にその日常活動においても、学外における読書会、研究会等に出席する等の穏健なものであり、かつその動機も、日頃学内で満たされない学問、思想の研究意欲を、補充するためのものであつて、右加盟によつて、学内秩序を乱そうとか、教育環境の変革を企図してなされたものでないからである。
(5) 大学の自治と学生の自治との関係
[27] 右にのべたように大学は、学問の自由を守る意味において、大学としての自治権をもつものであり、その範囲では、大学が一定の管理権をもつことを否定するものではない。
[28] しかし、その管理権は、単に学校当局の天下り的一方的なものであつてはならず、少くとも、その対象は、初中等教育等の場合と異なり、一定の理性と常識を備えた大学生なのであるから、それら学生の自律的・自主的な自治を尊重するところから、出発しなければならない。学生の能力や自主的機能及びそれに対する信頼を全く無視した一方的規制は、大学の場では、かえつて混乱を惹起こそすれ、学生の自覚的成長を阻害するもので、教育基本法等の精神にも明らかに反する。教育基本法1条は、真理と正義を愛し……自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならないことを教育の目的とし、更に第2条は教育の方針の中で、学問の自由を尊重し、実際生活に即し自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するよう努めなければならない。と明確に規定しているのがそれである。
[29] 上告人大学の寄宿寮規則8条は、寮生は交際(通信・訪問)したい人々の住所・氏名と関係を明記し、父兄の承認印を得て届出る。とあり、又、11条は、通信は父兄承認の範囲と定めるが、指導上必要と認めた時に本人に開封をうながすことがある。と規定している。これらの規則は、戦前の旧軍隊ならばいざしらず、憲法の通信の秘密を侵すばかりか、プライバシーの侵害をも、肯定しているといつて過言でない。(なお、被上告人は、無断信書開披事件等をおこし国会で問題になつたことは、公知の事実である。)
[30] これらの例は、既にのべた上告理由書の被上告人大学の学則、規則及びその運用についてのべたところで明らかな如く、枚挙にいとまがないが、このような被上告人大学の教育環境は、かりに私立大学における設立目的の自由等の基準に照らしても、極めて行過ぎであり、現憲法秩序のもとでは、許されない異常な状態といつて過言でない。本件処分を判断するに当つて、このような指導の真実を把握することなくしては、正鵠な判断をなし得ないものであることに十分注意する必要がある。いずれにしても少くとも、学生の自治は、大学の自治の一環をなすもので、これを全く別個のものと解することはできない。そして、これら学生の自治は、教授、研究者のみに基本的に認められる学問の自由と、その保障のための大学の自治の単なる反射的利益と解すべきではないし、又、単に事実上のそれとして把握すべきではない。(ジユリスト347号座談会記事中、大河内東大学長の発言、41頁~42頁)
[31] かりに東大のポポロ劇団事件の最高裁判決の如く、学生の自治を大学の自治の反射的な事実上の利益と解したとしても、それが、憲法23条の学問の自由と、その保障のための大学の自治についての保障の枠内にあることは、否定してはいないのである。
[32] 被上告人大学では、本来の意味での学問の自由、(それが私立大学としての制約を考慮にいれたとしても)も否定されているばかりか、前記最高裁のポポロ判決の意味での大学の自治、学生の自治についての水準にも達していない違法違憲なものであること、そしてそれは、同時に教育基本法2、3条等の精神にも反するものである。以上、いずれの点からいつても原判決は破棄を免れない。

(二) 本件処分は憲法19条及び同13条に違反する。
[33] 私立大学と思想信条の自由について、本件の一審判決は、この点について、私立大学は、独自の校風と教育方針とによつて存在価値を認められているところから、……左翼思想を好ましくないとする見地において、穏健、中正な思想をもつて、教育の指導精神とし、保守的教育態度をもつて、伝統的校風として、鼓吹することも、一応自由であるとし私立大学における教育方針等の一定の自由を認めながらも、憲法19条の思想、信条の自由、同14条の思想、信条によつて差別待遇をすることを許さない平等取扱の原則等を掲げこれらの規定が、直接には、国家に対する規制を宣言したものではあるが、そのことは、同時に、個人相互間の社会生活においても、右保障を含む趣旨であることを明言している。つまり同判決は憲法のこれらの規定は、社会生活における個人相互間においても、思想、信条が互に尊重され、思想、信条のいかんによつて互になんらの干渉、不利益を及ぼされないことを、社会の公の秩序として尊重すべきことを要請する趣旨を含むものと解さねばならないとして、憲法1条、同14条の規定が国家と国民個人との関係においても、そのまま適用があるとする社会公序説、一種の直接適用説をとつていると解されるのである。そしてその点についての一審判決の見解は、極めて正当なものであつた。
[34] 然るに原判決は(二審)単に、思想内容に干渉し、その改変を求めたとは解されないというのみで、その点について事実認定を改変した理由としての証拠を何一つ示すことなく、単に思想、信条による差別はなかつた旨結論付けている。そして、一審の精緻な法律論に対しては何一つ判断を示すことをしていないのである。このことは、事実論として、既にのべた如く、明らかな事実誤認であり、判断の遺脱でもある。
[35] 我々が、右二審判決に明らかに承服できない理由の一つは、まさにここに存するのである。ところで思想、良心の自由は、日本国憲法註解によれば、
「自己が如何なる思想を抱懐するかにつき、これを口外し、又は沈黙する自由が認められている。例えば、権力をもつて如何なる思想を抱くかを告白せしめ、又は口を緘せしめることはできない。裁判上尋問される場合であつても、自己の思想につき、表明することを強要されることはない。」
とされており、そして思想、信条の自由は、民主国家における基本的人権の中でも、最も根幹的な、不可侵の権利である。つまり、いかなる権力、たとえば司法権をもつてしても、思想を告白せしめること等は、許容されないのであつて、まして、いかに私立大学が独自の校風と一定の管理権をもつているとはいえ、一私立大学の到底侵し得ないものであることは全く自明である。しかるに、被上告人大学においては、既に事実誤認論で詳細に触れたように、学生の政暴法署名活動等にことよせて、その参加者のみならず、その他の学生についても、民青加入の有無等をのべさせて、それらの学生の抱く思想を告白せしめ、或は、他人の思想傾向についても、これを或る程度、強制的に陳述させ、ある場合には、その思想の改変を要求したものであつて、(例えば上告人甲野について、民青を脱退する旨をのべたところ、精神的(思想的)つながりも断ち切れるかと更にといつめ、精神的なつながり位はあるかもしれないとのべるや、改悛の情のないものとして、本件処分に及んだのである。)特に学校側のこれら思想改変の要求にしたがつたものについてのみ、これが復学を許容したものである。
[36] このことは、憲法上、国家権力は勿論、いかなる権力も、思想の告白、改変を要求し、かつ行い得ないものを、一私立大学当局が、敢てこれを行つたもので、私立大学の設立目的(保守的基準)の自由をもつても、その違憲、違法性を免れないことは、明らかである。又、本件処分はその意味で、単に19条に違反するのみならず、思想信条による差別を禁ずる14条にも反するものである。
[37] これらの趣旨は、かりに一審判決の如く、憲法と、私人間の行動について、直接的効力説をとることなく、いわゆる間接的効力説をとつたとして、民法90条等の公序良俗に違反することも、これ又、自明である。
[38] このことは、一審判決が明快に示すごとく、教育基本法の前文及び同法3条の信条の如何によつて、教育上の差別を受けない原則、そして、同法6条が、学校教育法に定める学校(私立学校を含む)は、公の性質をもつことを明記していること、さらにそれをうけて私立学校法第1条が私立学校のもつ公共性を明らかにしていること、つまり実定法上も、明確にこれを裏付けるものである。(法令解釈の違反)
[39] 以上、いずれの点からいつても原判決は破棄を免れない。

(三) 本件処分は憲法26条あるいは憲法的自由に違反する。
(1) 「教育をうける権利」の保障
[40] 明治憲法下においては、教育は納税・兵役の義務とともに国民の3大義務の1つとされていたが、憲法26条はこの「義務としての教育」の観念を根本的に変革して、教育を国民の権利として保障した。
[41] すなわち、戦前においては、教育は国家の権利に属するものとされ、国民の側から教育を権利としてとらえる余地は全くなかつた。しかし、憲法26条はこのような関係を一変せしめ、基本的人権としての「教育をうける権利」を設定したのである。このような権利が保障された結果として、国家あるいは社会は、その権利を侵害してはならない義務、さらにはその権利を十二分に保障し、あますところなく実現すべき義務を負うに至つたといえよう。かように現行憲法の下においては、国民が教育の権利主体であり、国家・社会あるいは親は教育の義務の担い手に転換したのである。
(2) 「教育をうける権利」の内容および教育の自由
[42] このような教育をうける権利は、憲法25条の「文化的生活を営む権利」の具体化とされているのであるが、憲法はその「文化」の内容として、恒久平和あるいは個人尊重、思想、良心の自由等を予定しているのであるから、ここからこの権利の保障する教育内容も導き出されるといえよう。それは憲法の平和主義・民主主義・基本的人権の保障という基本理念を内容とする平和教育・民主教育でなければならないことはいうまでもない。教育基本法はこのような憲法の精神を示すものとして、平和と民主々義と真理を教えるべきものと明記しているのである(同法前文1、2、5、8、9、10条)。このような憲法の精神からすると、あらゆる教育という場において、思想・信条による差別、思想の自由及び学問の自由などの侵害は厳に排除されなければならないのである。
[43] このように国民がなんら制約されることなく、教育を通じて自由に有用な知識を学び、それによつて自己の人間形成を図るという教育の自由は、憲法26条を離れても、なお憲法上の保障をうけたものということができよう(いわゆる憲法的自由)。憲法は14条から40条までの規定において、各種の典型的な権利・自由を保障しているが、憲法が保障している国民の権利・自由はこれに尽きるものではない。各条項の権利・自由以外のものであつても、国民の幸福追求のために必要とされる権利・自由は、広く憲法上の保障をうけるものと考えるべきである(憲法13条参照)。教育の自由はこのような自由の重要な一環をなすものといえるのである。
[44] 本件処分は、このような憲法上の自由に重大なかかわりあいをもつのである。
(3) 「教育をうける権利」の保障が及ぶ範囲
[45] 右に述べたような内容の教育をうける権利あるいは教育の自由の保障は単に義務教育の段階に止まると解すべきではない。
[46] すなわち、教育が行なわれるのは学校教育・社会教育・公民教育などであろうが、いかなる教育の場においても国民はこの権利を保障されているといわねばならない。それは単に子が親に対して有する権利だけではない。「すべて国民は個人として尊重される」(憲法13条)のであるから、国民は家族・学校・社会・国家などすべての生活関係において「教育をうける権利」を保障されなければならないのである。教育基本法2条が「教育の目的はあらゆる機会に、あらゆる場所において実現されねばならない」と規定しているのもこのことを示すものにほかならない。そして、学校教育についていえば、義務教育においてのみでなく、最高教育機関たる大学という場においても、このような「教育をうける権利」は認められるべきである。憲法26条1項が、この点に関してなんらの限定も置かずに「すべて国民は……ひとしく教育を受ける権利を有する」とだけ規定するのはこの趣旨に解すべきであろう。
[47] またこの理由は私立学校においても異なるところではない。教育基本法はその6条1項前段において「法律に定める学校は、公の性質をもつものであつて……」と規定し、今日の教育法制は私立学校における教育が全く私的なもので、国立あるいは公立学校における教育のみが公的なものであるとはしていないことを明記している。つまり、国公立・私立を問わずすべて学校教育は、教育をうける権利を保障する公教育として「公の性質」を有するものとしているのである。それは私立学校といえども、国民の教育をうける権利を実現するための公共的機関としての役割を果たすべき任務を負つていることを意味するものであることはいうまでもなかろう。
[48] したがつて、被上告人の設置する私立大学においても、上告人らは、前述したような憲法の精神にのつとつた内容の教育をうける権利を有していたといわねばならないのである。
(4) 本件処分による右権利・自由の侵害
[49] 被上告人は、上告人らがすでに原審で指摘したとおり、著しく保守的な教育方針の下に、学則をもつて学生が政治的な署名運動に参加することあるいは学外の政治団体に加入することに制限を付し、学生の政治活動を規制していた。そして、上告人らが署名活動をし、あるいは政治団体に加入するなどの政治活動を行なつたことに対して本件処分に出るという措置をとつたのである。
[50] ところで、憲法26条にいわゆる「教育をうける権利」あるいはそこに示される教育の自由の精神は、国民に現実的・具体的権利を与えたものでなく、これに対応するものとしては国家などの政治的義務が存するにすぎない、とのみ解すべきではない。思想・信条などを理由として教育上不平等に扱われないこと、(憲法14条)あるいは教育の場において思想の自由あるいは学問の自由が侵害されないこと(同法20条、23条)などの点においては、右の憲法の各規定によつて「教育をうける権利」あるいは教育の自由が具体的内容を与えられたと解され、憲法上具体的権利として存在するものといえるのである。したがつて、このような具体的な教育をうける権利を積極的に侵害する処分は違憲であることはいうまでもない。このことは私人間における関係としての被上告人の上告人らに対する処分についても同様である(前述憲法19条、13条違反の項参照)。
[51] そして、被上告人の本件処分が、すでに述べたとおり、思想・信条による差別であり、また上告人らの思想の自由あるいは学問の自由を侵害するものである点において、それはまさに憲法26条が保障する「教育をうける権利」あるいはひろく「教育の自由」を侵すものであることは明らかである。
[52] 以上のとおり原判決は違法であり破棄を免れないものである。
(一) 原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背がある。
[53] 原判決は、
「公立学校とはその趣を異にする私立学校である控訴人に原判決理由の第二の三(右部分を引用する)で説示しているような反省を促す適切な補導の過程を経由(このことは教育的見地からは望ましいとしても)すべき法的義務があるとは考えられず、従つて、補導の手段、方法の適否を重点にして退学処分の有効無効を判断すべしとする原判決の考え方は、当裁判所の採らないところであり、学則違反の所為が前記第4号に該当する事由なりや否やの判断は、原則として、教育の実施に当るものの裁量に任されていると解するのが相当であると考える」
としている。
[54] 右は、第一審裁判所が判決理由中第二の三において、「学校教育法施行規則第13条3項第4号、学則第36条第4号により退学処分を行い得るための要件」として、同施行規則と学則の解釈および適用基準を判示した部分に対して、原判決のなした判断である。
[55] そして原判決は、右に引用した前提にたつて、その認定事実によれば、被控訴人らおよびその父兄と控訴人との間の折衝において控訴人の執つた処置については教育的見地から批判の対象となりうるとしても、控訴人が被控訴人らの態度を目して学則第36条第4号に該当するもので、控訴人の教育方針と相容れないものとしてなした本件退学処分が社会観念上著しく不当であり、裁量権の範囲を超えるものとは解しがたく、結局本件退学処分は有効という外ないとしている。
[56] しかし、原判決は、次の点において、あやまりをおかしている。すなわち、
[57](1) 学生に対する懲戒処分が、あくまでも教育施設としての大学の内部規律を維持し、かつ教育目的を達するために認められたものであり、教育作用の重要な一環であることは明らかである。
[58] また大学における学生に対する懲戒処分は一般の懲戒とは異り、いわゆる教育的懲戒であるから、これをなす主体としての学長および教員の側において、具体的な懲戒に際して、懲戒の事由認定、各種の懲戒方法からの選択、発動決定について、一定の教育的裁量が認められていることも、教育の本質から説明されるところである。
[59] しかし、各種の懲戒処分は、事柄の性質上多かれ少なかれ、対象とされる学生に対する権利侵害の側面を有するといわざるを得ないから、懲戒の事由認定、各種の懲戒方法の選択、発動決定についても、教育的価値ないし効果を具体的に考量すべきものであり、学校教育法施行規則13条において、懲戒にあたつては、当該学生の心身の発達に応ずる等、教育上必要な配慮をしなければならないとしているのも、教育的裁量権に対して法的限界をともなうことを明らかにしたものと解すべきである。
[60] ところで同施行規則第13条第3項において、退学処分の事由を4つに限定している。懲戒退学処分は、当該学生に対する教育権を放棄する最後的手段であつて、教育的価値が低く、他方当該学生から、在学する大学において教育をうける権利を剥奪する行為である。したがつて、当該学生にもはや教育的改善の余地が認められず、これを学外に追放することが学内の教育環境を保持するため真にやむを得ないと認められる場合にかぎりなされるべき処分である。またこの場合の教育的裁量の過誤ないし濫用が当該学生に与える権利侵害の度合いは通常きわめて重大であるといわなければならない。学校教育法第11条にもとづく同法施行規則第13条3項は、国公私立を問わず、ともに社会公共のために教育という公的任務をもつ施設として共通であり(教育基本法第6条参照)、また各種の教育的懲戒も共通の性質を有することを基礎として、退学処分が前述のごとく重大な内容を有する懲戒であり、最も慎重に行使されなければならないという趣旨から、これを行使し得べき場合を限定的に列挙し、懲戒権の行使により強い法規則を加えたものと解すべきである。本件学則第36条についても同様である。
[61] 以上のように解すると、原判決が第一審判決において私立学校である控訴人が、被控訴人らに対し、教育機関にふさわしい手続と方法により反省を促す過程を経る必要があり、この過程を経た後においてもなお反省の実が認められず依然、同種の行為を犯す具体的危険が存在すると認められる場合にかぎつて退学処分に付し得るものであつて、右の手続と方法により反省を促す過程を経由すべきことは、道義的責任にとどまらず、法的義務に属するとして教育法規解釈と適用の基準を明示したことに反対し、控訴人において、第一審判決が説示するような反省を促す適切な補導の過程を経由すべき法的義務がないと判示したのは、学校教育法第11条にもとづく同法施行規則第13条3項および本件学則第36条についての解釈を誤り、右条項違背をおかしたものである。
[62](2) さらに原判決は、認定した事実にもとづき、控訴人が被控訴人らに対し、学校の学風に反することについての反省を求めて説得に努めたとは解されず、学校の名声のために被控訴人らの責任を追求するに急であつたといえるとし、控訴人の執つた処置については教育的見地から批判の対象となりうるとしておりながら、控訴人が被控訴人らの所為が退学処分の事由に該当するや否やの判断は、原則として教育の実施に当るものの裁量に任されていると解し、本件処分が社会観念上著しく不当であり裁量権の濫用であるとは解されないとしている。
[63] しかし、本件処分が控訴人の教育的裁量としてなされたことであつても、原判決および原判決が引用する第一審判決認定の前記事実関係によれば、本件裁量の基準が憲法の教育権保障条項、教育基本法、学校教育法に内在する目的に違反する点が現実に存在し、かつ裁量基準の適用にあたつても憲法上、もしくは教育法上認められる比例原則や平等原則に違反することをうかがわしめるに十分である。
[64] 本件においては、いうまでもなく、退学処分により教育をうける権利などの法的利益の侵害を生じている場合において、被処分者から、右の法的利益の具体的保障を求めて、本訴が提起されているのであるから、原判決のごとく退学処分の事由にあたるか否かの判断は控訴人の裁量に任されているとし、裁量基準の設定ないしその適用過程についての司法審査を回避するのは被控訴人の具体的な権利救済をいたずらに拒絶する結果しかもたらさないであろう。原判決の立場にあつては、本件退学処分における裁量濫用の存否の基準は、なんら明確になり得ず、「社会観念上」というあいまいな言葉だけによつて恣意的な結論が生みだされるにとどまるであろう。
[65] 原判決は右の趣旨において裁量濫用の法理についての理解を誤り、その結果、前記教育諸法規に違背するにいたつたものである。
[66] 以上によつて原判決は破棄されるべきである。
(一) 原判決の認定
[67] 原判決は第一審判決の主要な事実認定の部分であつた上告人両名が被上告人当局に対して在学中は民青同との関係を絶つ旨の意思表明をなしたとの事実、被上告人当局が、教室に備えつけておく、出席簿を抹消する等補導に名を借り事実上の退学の取りあつかいをした事実、被上告人当局が、上告人両名らの思想傾向を調査し、他の学友から隔離する方針をとつたことの事実、上告人乙川が昭和36年11月15日保坂教授の強要によつて退学する旨の文書を記載させた事実、被上告人側の上告人らに対する措置が同人らを反抗的態度に追いやり、外部団体との接触を一層深めるに到つた事実などをことごとく否定している。そしてこのような、否定した事実のうえにたつて、次のような推測をなしているのである。
「以上認定事実を綜合して判断すると控訴人が学生が民青に加入することは当時の控訴人の教育方針から見て甚だ不当なものと考え、被控訴人等にそれからの脱退又は加入の申込み取消を要求し、それに従わないときは、厳罰に処する方針の下に、被控訴人等の行動を監視していたものと推測され、被控訴人等に対し、反省を求めて説得に努めたとは解されず……学校の名声のために被控訴人等の責任を追及することに急であつたといえるけれども被控訴人等主張のように被控訴人等の持つ思想内容に干渉し、その改変を求めたとは解されず……。
 一方被控訴人両名の執つた行動、態度については一時反省していたことは認められるが、学則に違反したことの責任の自覚はうすく、被控訴人乙川は学外団体である民青同に無届で加入することが原則上許されないことは知つていた旨原審で自ら述べており、被控訴人甲野も民青同に無許可で加入することは学則に反することは知つており、而も民青同をやめる気持のない旨を原審で自ら述べておるとうりであり……被控訴人両名は民青同に加入することが不当であるとは考えず学校側のこれからの離脱の要求に真実従う意思はなく、関係教授等の説諭に対して反発していたことを推測することができる。」
とし、上告人、被上告人当局の折衝の経過をみても本件退学処分が思想信条による差別的扱いではないと認定している。
[68] 原判決は右第一審判決が認定した部分のうち、最も重要な部分を排せきしたものであるが、このことは、第一審及び原審に現われた証拠の取捨選択を誤つたものであつて、本件退学処分が思想信条による差別あつかいであることはあきらかである。

(二) 本件処分が上告人らに対する思想、信条を理由とするものである点について
[69] この点については原審以来多くの証拠が存在する。
[70](1) まづ昭和36年11月6日の近代文学の時間における人見円吉の発言の内容は、学校当局の思想攻撃を露骨に現わしている。この事実は、甲第1号証(上告人乙川の日記)に明白にされている。右時間に人見円吉は「学校は十年間狙われている。最初は全学連、つぎが全自連、今は民青同から狙われている。このクラスに3人の学生と指導者1人からなる細胞ができている。名前もわかつている。……民青同というのは国を破壊しようとしている者であるから徹底的に退治しなければならない……」(甲第1号証、10月6日の項)
[71] まづ被上告人当局は、このような形で上告人らに対する「徹底的」な「退治」をはじめるのである。
[72](2) その後、11月15日、上告人乙川は、戸谷教授に学校の温考館に呼出を受け、ここで保坂教授と共にその責任の追及を受けるのであるが、このときの情況はおよそ次のとうりである。甲第1号証には次のような記載がある。
「(前略、戸谷先生は、『乙川さんは今度の問題はどう考えていらつしやるの?』ときいた。……『私は校則に反したことはいけないと思います』と答えた。保坂先生が『その校則を犯した責任をどうなさるおつもり?』ときいてきた、私は黙りこくつた。
 『41年の歴史上うちの学校からは1人のデモの参加者もなく、左傾向の学生もなかつたんですよ、その世間の信用をあなたはうらぎつたんですよ、学校の名誉に泥をぬり、行く手をふさいでしまつたんですよ』『あなたがやつたことはどろぼうをしたとか、カンニングをしたとかいうのとわけが違いますよ、ただすみませんとあやまれば、すむとでも思つているんですか、とんでもない』……『この学校はじまつて以来左傾学生はでなかつたのよ、世間の信用もそれだからこそあつたのよ、あなた方がしたことによつて、今年からその信用を失つてしまつたのよ』」
と追及したあと「退学届」(乙第8号証)を書かせ、そのあと「『あなたはお兄さんから色々勉強をおしえていただきますか、あなたのもつている思想についてよく話されるでしよう』……」と聞いている。
[73] これらの話のなかでも、被上告人当局が上告人乙川の思想を問題とし、責任追及の基礎にしていることが窺われる。
[74] 更に上告人乙川について、11月29日に母と兄を学校当局に呼び、人見円吉が面会しているが、そのなかで乙川は自分の思想はすばらしいと云つているとか、或は「人間の思想というものはすぐ手の平をかえすように変るものではないから、そのようなことを云つたのでしよう」とか、上告人乙川が、民青に加入した動機などを聞いている(甲第1号証、上告人乙川の第一審原審における供述)。
[75] また11月30日に上告人乙川は登校しているが、人見教授並に戸谷教授に学監室に呼ばれ、上告人乙川の読書の内容とか、思想内容について聞いている。甲第1号証によれば次のような問答を示した事実が認められる。
「『思想などというものはそんなにすぐ変るものではないと思います。私はこんご昭和の学生でいるかぎり、行動に表したりまた思想をといたりすることは絶対にしないつもりです。今度の問題が起る前だつて、誰にも組織に入つているとはいいませんでしたし、また一番親しい友達にも私のもつている思想をはなしたことはありません。現に今はソシキはぬけましたし、今後絶対に行動にあらわすことはないと思います。』」
との乙川の言に対し
「『思いますというのと、致しませんとどちらがつよい、思いますというような弱いことではまだ不安だ』
 『いいえ致しませんわ』
 『理解によつて言葉をいいなおすな! 組織からぬけたといつてもなかなかぬけられるものじやないというじやないか、それにそのことを何で証明するのだ』……
 『君のそのような態度ではとても学校に戻すことは不安だ。君は今後行動に表わさないといつているがもつている思想まで変えられたのか』
 『いいえ、先生、昨日迄すばらしい思想だ、真理だと思つていたのをどうして今日変えることができるでしようか』
 『それでは困る、そのような思想をもつている者を学校におくわけにはゆかない、反省が足りない、もう少し家で考えてみなさい、……』」(甲第1号証11月30日の項、及び乙川の第一審及び原審における供述)
[76] これらの経過をみれば、被上告人当局が上告人乙川に対して、きわめて強い態度で、上告人乙川に対し思想改変の要求をなしていた事実が認められる。原判決はこのような事実を全く無視しているのであるが、例えば11月15日の件について、第一審において、被上告人側の証人である戸谷教授も証言のなかで認めているように「激しく泣いた」事実や或は、メモ用紙に「責任をもつて退学する」などということをその際に書いたという事実は、あり得ない筈である。この事実の存在自体、そのいわゆる「責任追及」がいかにきびしいものであつたかを物語つている。そのうえ、被上告人当局の上告人らに対する思想追及が如何にきびしいものであるかは、原審において、乙川一雄も証言しているとうりである。証人乙川一雄は11月17日、被上告人当局をおとづれ、小川学生課長と面談した際、乙川の復学を認めてもらいたい旨話したところこれを拒否されたこと、その翌18日再び学校を訪れた際、小川より民青同ばかりでなく、ほかに左向きの思想をもつているから困る、退学はきまつているので元に戻すことはできない旨の回答を得た旨証言している。(尚小川証人は、これに反する証言を原審においてなしているが、同証人の証言が全く信ぴよう性のないことは甲第2号証と対比すれば明白である。のみならず成立に争いのない、小川の作成にかかる右甲第2号証によれば学生課長であつた同女自身も、上告人らに対する被上告人当局の「補導」がいかにひどいものであるかを明白にしている。)
[77](3) 上告人甲野に対する思想改変の要求も、右乙川に対するのとあまり変りはない。
[78] 原審における上告人甲野の供述並に第一審、原審における戸谷三都江の証言によれば、10月30日及び31日の両日甲野は戸谷補導主任を訪ねているのであるが30日には政暴法の署名をした者の氏名を問い質されて、これに答えたばかりでなく、このような署名活動自体が、昭和女子大学に共産党或は左翼的団体の存在することを世間に印象づけ、このことは、大学の過去の伝統、校風からきわめて重大なこと、したがつて、その責任も重大なものであること、また政治的思想がどんなものであるかを約4時間(午後2時半から6時半頃まで)まで、しつこく聞かれ、追及されたこと、翌31日にも同様の事実について追及を受けたことが認められる。しかもこのために上告人甲野は、心身とも疲労し下宿で休まざるを得なかつたこと、またその后11月8日には、右戸谷及び小川学生課長と面談しているが、当時甲野は民青同への加入手続中であり、加入はしていなかつたのでその旨を話したが、同人らは頭からこれを信用せず、逆に署名者の名前を提出するよう要求され、登校を拒否されたことなどが認められる。
[79] 原判決でも戸谷補導主任のとつた右登校拒否は客観的事実であるため、これを否定しているものとは考えられない。しかもその後、11月11日には更に、右戸谷補導主任及び保坂都教授が上告人甲野を呼び出し、署名の件及び政治的思想内容について聞いているのである。(甲野の第一審、並に原審での供述)更に11月18日に,登校した際にも教室から呼び出され、学監室において、学監人見円吉から民青同の思想、甲野の思想改変の可能性などについて問い質され、強く要求されているのである。(尚甲第2号証でもこの辺の事情は或る程度あきらかにされている)
[80] 尚、原審における証人戊川千代子の証言のなかにも同人が、誓約書(乙第9号証)を出させられたいきさつがのべられており、且つ民青の思想や、思想改変の要求がなされた事実、そして同女の場合には思想をかえることを約束したため「復学」を認められたいきさつが出ており、さらに原審における証人安食麗子の証言でも、大学当局がきわめて保守的な思想の下に学生を拘束していた事実、そのため上告人らに対する退学処分ののち、これらの不満が一時に爆発した事実や学外との交流に関しては思想的な影響を受けるので禁止されていたこと、学生の左傾化を防止するため上級生などを使つて、尾行を行なわせていた事実すらあるのである。このほか、学校当局から思想的な追及をうけたものとして例えば第一審の丙田加代子、同審の内藤恭子の証言などがある。
[81] 尚第一審で保坂都が証言するように、被上告人当局は、例えば生花の研究会への参加は認めるが、思想、殊に左翼思想研究のような団体は、学校としてその設立も加入も認めない方針であるというのであるから、被上告人当局が思想問題については如何に敏感であつたかがわかる。
[82](4) 以上の各事実をみると被上告人当局が、上告人らに対していわゆる「補導」の過程を通じて要求したのは、上告人らの学則違反に対する反省ではなく、40年間の伝統を破つて左翼思想をもつに到つた、上告人らの思想を基本的に問題とし、その改変の有無によつて、退学かそうでないかの基準としていたことは余りにも明白であるといわなければならない。
[83] 原判決が「学生が民青同に加入することは、当時の控訴人の教育方針から見て甚だ不当なものと考え、……脱退又は加入の申込の取消を要求し、それに従わないときは厳罰に処する方針……」と述べているが、上告人乙川は民青同からの脱退を決意しこれを被上告人に再三申し渡しており、又甲野は正式に加入していなかつたのであるから、この認定のなかでの「厳罰」が民青同の加入の有無或は脱退の有無であるとすれば、かかる事実は上告人らには存在しないのであり、しかも「厳罰」に処せられているのであるから、これは上告人らの思想を問題とし、これに「厳罰」を加えたものであるとしか云い得ない。
[84] 本件処分は、上告人らの思想を理由としたものであることは以上によつて明白であるにもかかわらず、原判決はこの点の判断を誤つたものであり到底破棄を免れない。
[85](5) 尚原判決は上告人らに対する思想改変の強要はなかつた証拠として、第一審における玉井幸助、保坂都、原審における証人戸谷三都江、小川まつの各証言をあげているが、上告人らに対する前記引用部分を含めて、学校の校風に反することについての反省を求めて十分説得したとする、右玉井、保坂、戸谷、小川の各証言は、採用しないとしている。思想改変の要求があつたかどうかは被上告人当局のいわゆる「補導」の経過のなかで問題とされている点であり、両者は全く同一の証言事項なのである。これは同証人らの証言を一読すれば誰の目にも瞭然である。したがつて原判決は同一証人の同一証言について、一方では信用し他方では信用できないとしているのであつて、全く矛盾している。かかる事実認定の仕方は経験法則に著しく反しているものといわねばならない。

(三) 補導の経過に関する事実誤認
[86](1) 補導が教育的配慮にもとづいた適切なものであつたかどうかは、原判決も補導経過のなかで、必ずしも適切なものでなかつた旨を規定していることは冒頭引用の判決文によつて明確であるが、いわゆる「補導」の過程での重要な事実である、被上告人当局が正式な退学処分をする前に事実上の退学の取扱いをしたこと、思想調査をなした事実、上告人乙川がメモ用紙に退学する旨の文書を書いた事実などは、これを認められないとしている。ただ、原判決のこの部分に関する認定はたつたの数行なので必ずしも明確性を欠いている。
[87] ところで補導経過に関する右の部分のうち、上告人らに対する思想調査、思想改変の要求の内容についてはすでに述べたので、ここではその余の部分の事実誤認を指摘する。
[88](2) 被上告人当局が上告人らに対して昭和36年11月初旬から本件退学処分を行なうまでの間、事実上の退学の取扱いをなしていた事実は明白である。
[89] いわゆる「補導」の端緒は甲第1号証、上告人両名の第一審、原審の供述その他によれば、昭和36年11月七日の人見円吉の学生に対する近代文学の時間に行つた話からはじまるのであるが、この時間の話の内容が被上告人内で民青に加入している者が3名おり、学校を破壊しようとしていること、これを退治しなければならないという学校当局の決意が明示されたことなどは、すでに述べたとうりである。
[90] 被上告人が考えている上告人ら或は戊川千代子らに対する「補導」の目的は、これらの学生を「退治」することにおかれていることは明白である。学監たる人見円吉の右のような考えが、そのまゝ上告人らに対する補導のなかに如実に示されている。だからこそ被上告人も、原審においてこの点に関する立証に重点をおいたのであるが原審における証人西田紀子、同開発幸子、志水美弥子らの証言によつても、人見円吉が右の近代文学の時間に、本来の講義をせず、学生の思想問題についてのあり方を話しているのであつてこのこと自体が既に異常である。これら被上告人側の証言は、記録を一読すれば明白であるように、記憶がきわめてあいまいであり、人見円吉の話の内容については到底措信し難いものを含んでいる。
[91] いずれにしても、この席上話した内容が、上告人甲野に対する11月8日からの事実上の登校禁止となつているのであり、また上告人乙川に対する同じ11月8日からの登校禁止となつているのである。
[92] そこでこの登校禁止の内容であるが、上告人、甲野については戸谷補導主任および小川学生課長からの「問題がかたづくまでしばらく休んでいるように」というものであり、同乙川については戸谷からの「あなたとはまだ話す段階ではない呼出しがあるまで家にいるように」というものであつたことは、上告人らの前記供述のほか原審における小川まつの証言、第一審における戸谷三都江などの証言からこれを窺知することができる。ところが問題はこの措置の後に被上告人当局がとつた手段は、出席簿の抹消であつた。出席簿の抹消については戸谷三都江の第一審並に原審の証言によつても明白である。そしてこの出席簿の回復が1月の終り頃から行なわれてきた事実も同証人の証言によつて認めることができる。右出席簿の抹消について、戸谷証言は、毎時間名前を呼ぶことは、上告人ら並に一般学生に対してよくない影響を与えることを配慮したからだと証言する。しかし若しさような配慮にもとづいたものであれば、被上告人当局が上告人らに正式な決定なり補導の結論が出るまでの間、その措置を続けるべきであるにもかかわらず、そのような配慮は全くなされていない。第一審で、戸谷三都江は、次のように証言しているのである。
「ところで2月に入りまして学校のほうで、甲野、乙川さんの出席をとりはじめたということを聞いておりますが」
との問に
「さようでございますね。多分1月の終りごろだつたかと思いますけれども、出席簿11月16日に消しましたのをもう一度クラスのふん囲気も落着きましたので、消しまして、もとの形へなおしたことがございますが」
と答えている。ただ出席をとりはじめたことは上告人らには連絡しなかつたとしている。ところで当時の学内情勢からすれば、右、戸谷証言にあるような状態ではなく、原審の安食証言にあるように、学内では、落ちついてきたどころか、むしろ、このような上告人らに対する処分について、関心が高まつていた時期であつたのである。この出席簿の回復をなし、上告人らを欠席あつかいしたあと、2週間もしないうちに退学処分を決定した経過をみても、如何に右戸谷証言が空々しい弁解であるかが明白となる。
[93] 乙第8号証によれば、昭和36年10月15日付の上告人乙川淳子名義の退学する旨の書面が出されているが、この書面を作成した翌日、戸谷三都江は教室で学生達に対して、上告人ら両名が、退学した旨を話している事実があるのである。
[94] 当時学生達は、出席簿が抹消され、また右のような話があつたために上告人らが退学したものと思つていたのである(第一審における丙田加代子の証言)。
[95](3) つぎに乙第8号証を上告人乙川が作成したいきさつについて特にどのような事実にもとづいてできたものであるかは、何ら判示されず示唆、或は強い要求によつて作成されたものではないとしている。
[96] したがつてこの判示よりすれば、上告人乙川があたかも自由意思で任意に作成したものであると原審は考えているものと思われる。しかし乙第8号証が上告人乙川の真意に基いたものでないことは、同女自身のその後の行動から見ても明白である。何故なら同女はその後、父兄を通じて授業への出席をこん請し或は自ら学校に赴いて、自己の心情を吐露し勉学の機会が与えられることを熱心に要望しているからである。このいきさつは乙第9号証の1のいきさつについて証人戊川千代子が述べている部分も考慮すればこのことは一層明白である。(戊川千代子の原審における証言参照)、乙第8号証を作成したいきさつは戸谷証人も述べ、戸谷、保坂と上告人乙川との11月15日の温考館での話合いの際に、右上告人が、「激しく泣いた」事実を証言していることをみても、この文書が平静の心理情況のもので作成されたものでないこと丈はあきらかである。甲第1号証は上告人乙川の日記であつて、それ自体きわめて信ぴよう性の高いものであるが、甲第1号証によれば
「『あなたは責任をとるということがよくわからないようだから戊川さんのを見せてあげましよう、戸谷先生だしてごらんなさい。』戸谷先生はたくさんのメモした紙を一枚一枚めくつて前に置いた。前に出された一枚の紙にはたしか、戊川さんの文字で退学するという文がかかれていた。
 私の前にもう一枚の白紙と戸谷先生のペンがさし出された。
 私の頭はいうことがきかなくなつていて、……私の頭のなかは、空つぽだつたが、ペンははつきりと『退学致します』とかいていた。私は全身の血がサーとなくなつてしまつたような……気分になつてペンをおいた。すかさず先生は『昭和36年11月15日を入れなさいね』と急にやさしくいつた。私はカンネンしたようにいわれるままにかいた。戸谷先生は用紙を取りあげ、私のさし出すペンを受けとつた。私は黙つて下を向いてハンカチをもてあそんでいた。保坂先生がすかさず、『明日にでもお父様から正式な届を書いていただきなさいね』と声をやわらげていつた。……
 戸谷先生が『その時忘れずに学生証もお出しなつてね』と笑いをうかべていつた……」(日記11月15日の項)。
[97] この経過をみても乙第8号証が、上告人乙川の意思に反し、強要によつて作成されたものであることはきわめて明白である。(尚、甲第1号日記はその信ぴよう性を認めており、判断材料としている。)
[98](4) 原判決の学校側の措置が被控訴人等を反抗的態度に追いやり,外部団体との接触を一層深めさせる機縁となつたとの認定部分はいづれも第一審判決とは異る趣旨の判示をしている。この点は被上告人側の補導との関連、裁量権の乱用の有無に亘る事実であると考えられるが、原判決はこの部分について何らの証拠判断を示していない。尤も判決の終の部分で「前記違反行為後、本件退学処分までになされた両者……間の接渉において控訴人の執つた処置……」の判示をみれば、その後の本件問題について、週刊誌がとり上げた問題、或はラジオがとりあげたことの責任の所在については特に問題としていなかつたものと考えられる。しかし、これらの行動に上告人らが出た直接の原因(上告人らは単に記者の要請に応じて資料を提供したにすぎないが)学校側の悪意ある仕打ちに対するもので、その責任が被上告人にあることは上告人らの供述や或は東京放送朝のスケツチの録音テープの検証の結果によつても明白である。
[99] 尚、若し原判決が本件処分の違法性の有無につき、かかる事情を考慮しなかつたとすれば明白な判断、い脱を構成するものと考えられる。
[100](5) 以上補導の経過について、重要な事実誤認を指摘してきたが、要するにきわめて非教育的(公教育機関に要請されている教育的見地よりする補導の欠如)な補導が行なわれたものであることは歴然としており(原判決もその一部分は認めざるを得なかつた)かかる事実誤認は仮りに退学処分が自由裁量行為だとしても、裁量権の範囲を超えた行為となるので、判決に影響を及ぼす事実誤認であつて、到底破棄を免れない。

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