ポポロ事件
第一審判決

暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件
東京地方裁判所 昭和27年(刑わ)第2257号
昭和29年5月11日 刑事第15部 判決

被告人 東京大学経済学部学生 千田謙蔵

■ 主 文
■ 理 由

 右の者に対する暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件につき、当裁判所は検察官渡辺寛一出席の上、審理を遂げ次の通り判決する。


 被告人は無罪。


[1] 本件公訴事実は
 被告人は東京大学経済学部4年在学中の学生であるが、福井駿平外数名と共同して
(一) 昭和27年2月20日午後7時30分頃東京都文京区本富士町1番地東京大学法文経25番教室内に於て東大劇団ポポロ主催の演劇を観覧中の本富士警察署員柴義輝に対し同人の右手を押え手拳で腹部を突き、或は、同人の洋服内ポケツトに手を入れオーバーのボタンをもぎ取る等の暴行を加え
(二) 其の頃前同所に於て同様演劇観覧中の同署員茅根隆に対し同人の両手を押え洋服の内ポケツトに手を入れボタン穴に紐でつけてあつた警察手帳を引張つて其の紐を引きちぎる等の暴行を加え
たものである。
というのであつて、検察官は右の行為は暴力行為等処罰に関する法律第1条第1項にあたると主張する。

[2](一) そこで審案するに、押収にかかる東京大学学生新聞1部(昭和28年証第685号の1)、黒紐1本(同証号の2)、検事土田義一郎の昭和27年3月1日附領置調書、警察手帳第102号1冊(同証号の3)、警察手帳第209号1冊(同証号の4)、警察手帳第218号1冊(同証号の5)、東大劇団ポポロ演劇発表会入場券3枚(同証号の6、7、8)、証人柴義輝(第1回)、同茅根隆、同里村光治、同中村昇司、同塚田一雄、同田岡初五郎、同高野卍、同遠藤寛、同菊池博丈、同大場和夫、同斯波義慧、同豊川洋、同中村隆治の各証言又は証言調書並びに当審検証調書を綜合すれば次の事実を認めることができる。すなわち、
[3] 東京警視庁管下の本富士警察署警備係員は昭和27年2月14日発行の東京大学学生新聞の記事等により、東京都文京区本富士町1番地東京大学法文経25番教室において反植民地斗争デーの一環として、同大学公認の東大劇団ポポロ主催の演劇発表会が開催されることを知り、その職務上、警備情報収集の必要ありと認め、右演劇発表会の当日午後5時50分頃、右警備係員たる警視庁巡査(以下単に警官又は巡査と略称する)柴義輝、同茅根隆、同里村光治等は相前後して同大学に至り、入場券を買求めて25番教室に立入り、参集した学生等300名位の観客にまじつて、会の模様を監視していた。そして同日午後7時40分頃第1幕が終つた際、柴義輝巡査は学生の視線を感じ、急遽退出しようとして、ほぼ中央附近の座席を立つて同教室の後方まで来たとき、当時同大学経済学部学生であつた被告人のため腕を掴まれて捕えられようとしたので、これを振りきつて逃げ去ろうとして揉み合つたが、「私服がもぐり込んでいる」との被告人の叫び声に駈け寄つて来た数名の学生のために捕えられ、その周囲には20名位の学生が群り、観客は総立ちとなつて、場内は騒然となつた。そして学生等は昂奮し、後方にいる者は捕えられた巡査がよく見えないので、「前に出せ」等と怒鳴つたので、数名の学生が同巡査を捕えたまま、同教室の舞台前に連行し、同所に立たさせて無理に写真を撮つた上、2、3人の学生が口々に「警官なら警察手帳を持つているだろう」「手帳を出せ」と申し向けたが、同巡査が「持つていない」と答え、学生等は「そんな筈はない」と押問答を重ね、同巡査は自己の身分を示すべき警察手帳を呈示するのを拒んでいたところ、同教室後方より同所にやつて来た被告人は同巡査の着用していたオーバーの襟に手をかけて引いたりして強硬に手帳の呈示を求めた。そしてその間の騒動で同巡査のオーバーのボタンがもぎれたりしたが、遂に同巡査が止むなく警察手帳(昭和28年証第685号の5)を差し出したところ、被告人はこれを受け取つて一見した後、他の学生に渡し、学生等は次々に手渡して回覧した上、一応返還したので、同巡査はこれを背広の左上ポケツトにしまつた。しかるに学生等はなおも同巡査の周囲に群がり、学内潜入の非を鳴らしていたが、そのうち、先に柴義輝巡査が捕えられたのを見て教室外に逃走した茅根隆、里村光治両巡査も学生等のため大学構内で捕えられて、同教室舞台前まで順次連行されて来たので、学生等は右3名の巡査を並べて再び写真を撮り、「手帳を出せ」と申し向け、茅根巡査は「持つていない」等と言い逃れて争つていたが、舞台では第2幕目の芝居が始まるので、学生等は右巡査3名を舞台前より教室入口前の学生喫煙室、通称「踊り場」に連行した。その途中、里村光治巡査は学生より姓名を問われ、手帳の呈示を求められて応じなかつたところ、学生の1人は背広上衣の内ポケツト内より同巡査の警察手帳(同証号の4)を奪い取つた。かくして「踊り場」に連行された右巡査3名は壁際に立たされ、学生等はその前に蝟集して、口々に「どうして這入つて来た」「誰の命令か」「何をさぐりに来た」等と問い訊し、右巡査等が、もはやその場を迯げ去る術もなく、ただ執拗に押し黙つていたところ、学生の間から「警察手帳をとれ」という声が起り、学生のため、柴義輝巡査は同人の前記警察手帳を背広左上ポケツト内より奪い取られ、茅根隆巡査も学生等のため無理にワイシヤツの左内ポケツトに入れてあつた同人の警察手帳(同証号の3)を奪い取られ、その際、背広内ポケツトのボタン穴に結びつけてあつた右手帳の黒紐(同証号の2)は引きちぎられた。そして学生等は右巡査3名に対し、学内侵入の非を詫び、再びかかる行為をしないように始末書を書くことを要求してひかず、警官等と相対峙しているところに、同大学厚生部長が急報により馳けつけてその場を一応おさめ、学生には翌日警察手帳を返還することを約束させ、警官には始末書に署名させて、同日午後9時50分頃、右警官3名は学生等の包囲より解放されて同所を退出し、奪われた警察手帳は後日学生側より大学当局の手を経て警察側に返還された。
[4] なお当夜、警官を捕えて、25番教室後方より前方舞台前まで連行し、更に同所より踊り場まで連行する間に、2、3回右警官等を足で蹴つたり、手で殴つたりする等の暴力的行為が学生等の内、若干名の者によつて散発的に行われた形跡があるが、被告人において、かかる特段の暴力的行為に出たことについてはこれを認めるに足る何等の証拠がないのであつて、被告人の行為として証拠上認定し得ることは、前示の如く、柴義輝巡査が教室内より逃げ去ろうとするに際し、同巡査の腕を掴み、他の学生等と共に逮捕したこと並びに同巡査が舞台前に連行されて、学生等に、取り囲まれた際、同巡査が警察手帳の呈示を拒むので、そのオーバーの襟に手をかけて引き強く手帳の呈示を求めたこと以外には出ないのである。もつとも証人柴義輝は当公廷において、自分が25番教室より退出しようとして同教室の後方まで来たとき、被告人が右の方からやつて来て、自分の右腕を掴み、「私服がいるぞ」と右手を挙げたので、自分は手を振り離そうとしたところ、被告人は右手拳で自分の胃のところを突いて来た旨供述しているが、その際の行動は、同証人は極力その場より逃げ去ろうとし、被告人等学生は同人を逃がすまいとして、双方痛く昂奮して揉み合つたと認められる際の一瞬の出来事であるのであるから、被告人において殊更にかかる暴力をふるわなくとも、逮捕に際して、双方がお互に相手方の行動を阻止し、制圧しようとして激しく衝突した結果、身体に衝撃を与えたというにすぎないという場合も考えられ得るのみならず、同証人が受けたと言う右暴行によつては、その直後においてすら、身体の右部位に何等の痛痒感も残された形跡がない点を考慮すれば、同証人の右証言をその文言通りに採用し、これのみによつて被告人の暴行の事実を認めるのは早計であると言うべきであり、他に右証言を裏付けるべき何等の証拠も存しないのである。
[5] 又、同証人は、被告人から舞台前でオーバーの襟を引張られたときにオーバーのボタンが取れたらしく、その後で見たときにはもうオーバーのボタンはなかつた旨証言しているが、同証人は逮捕される当初より舞台前に連行されるまでの間に、被告人以外の学生等によつても腕を掴えられたり、抑えつけられたりして揉み合つている形跡があるのであるから、右ボタンがちぎれたのが被告人の行為によるものであるとは、必ずしも断定し得ないこと、前示認定のとおりである。
[6] 又、同証人は、踊り場に連行された後、被告人が胸のポケツトから警察手帳を取り出した旨証言し、証人茅根隆は、自分は踊り場に連行された後、学生等に左手を押えられ、右手は後にねぢ上げられ、被告人は左の方からやつて来て「手帳を持つているだろう」と言つて、壁際の椅子に上り、オーバーの右襟を左手で持ち、ワイシヤツの左内ポケツトに手を入れ、警察手帳をひきちぎつてとつた旨証言し、いづれも直接手を下して手帳をとつたのは被告人であることを明言している。そして、この点に関する証拠としては、右両巡査の当公廷における各証言を除いては他に存しないのであるから、右両証人の供述の信憑性については慎重にこれを検討せざるを得ない。
[7] しかるに、右両証人の証言は勿論明確な部分も極めて多いのであるが、右証言全般を仔細に検討し、かつ、これを前掲警察手帳2冊(同証号の3、5)の内容、証人野口議、同藤原貢、同山本篤三郎、同斎藤文治、同浜里久雄、同豊川洋、同中村隆治、同小沢和秋の各証言と対比して考量する場合、証言全体としては確実性を欠く点も見受けられることを否定し得ない。もとより、当時、経済学部自治会委員をしていた被告人に対し、右両巡査が以前より認識を持つていたことは右両巡査の各証言、前掲警察手帳(同証号の3)の内容(1月29日の記載部分)よりしても推断し得るところであるが、本件当日、多数の学生等に取り囲まれ、詰問されたり、粗暴な行動に出られたりして、右巡査等自身も憤激し、痛く昂奮していたであろうことは容易に推察され得るところであるから、かかる混乱と騒動の中にあつては、両巡査が手帳奪取の直接行為者として認識したところのものと被告人に対する従前の印象とが混同され、行為者の同一性の認識について錯誤に陥るおそれも少なからず存するのである。加之、警察手帳は警察官としては重要な官給物であつて、これを奪われた場合、その取り返しについては最大の関心が払われるのが通常であるのに、右巡査等が学生等のためこれを奪われて間もなく、右踊り場に同大学厚生部長が来合せた際も、手帳の返還方を求めてはいるものの、同部長や学生等に対しこれを奪つた学生の氏名を挙げ、当該学生を指定してはいないのである。厚生部長等に対し奪つた学生を指名して返還を求めておけば、手帳の返還ははるかに迅速、容易なものとなるであろうのに、その際巡査等が被告人の名を挙げてかかる措置に出た形跡は全くない点よりしても右手帳奪取の行為者が被告人であるとの証言にはたやすく措信し難いものがあるのみならず、証人中村隆治の当公廷における証言は必ずしも検察官主張の如く信憑力に乏しいものとは認められず、これをたやすく無視することはできないのである。(同証人は検察官の言うが如くに、踊り場で里村、茅根両巡査が警察手帳を取られた旨を証言し、この点は里村光治巡査は舞台前より踊り場に連行される途中、手帳を奪われたという前段認定と喰違うのであるが、同証人の証言中、巡査の氏名並びに同一性の特定の点は記憶の混乱もあり得るのであつてさして重視すべきものとは認められないのである。踊り場においては少くとも2人の巡査がその手帳を取られたという供述部分は前段認定に照応するものであつて、その他の細部については、決して明確、確実な観察ではないが、自己の見聞したところをむしろ自然にそのまま供述していると認められるのである。)
[8] なお、被告人の行為として認定した以外の学生等の行動については、被告人がそれらの行為者と意思連絡があつて共同加工の行為に出たことを確認すべき何等の証拠もないのであるから、被告人については前示認定にかかる行為以外の行為については全く罪となるべき事実の証明がないことになるのである。

[9](二) そこで、前段認定の行為につきこれを違法なりとして被告人の罪責を問うことができるか否かを判定するためには当夜の警官の学内立入りの背景、性格について検討して見なければならない。
[10] しかるところ、前掲警察手帳3冊(同証号の3乃至5)、前掲証人柴義輝、同茅根隆、同里村光治、同大場和夫、同野口議、同藤原貢並びに証人吉川勇一の各証言を綜合すれば、東京警視庁管下本富士警察署警備係員は久しき以前より(その正確な日時は当公廷に顕出された証拠よりは厳密に確定することができないが、少くとも昭和25年7月末頃以降)、その管内にある東京大学の構内において、警備情報収集のための警察活動を続けて来たものであつて、その警察活動たるや、私服の警備係員数名が殆んど連日の如く大学構内に立入つて、張込、尾行、密行、盗聴等の方法によつて学内の情勢を視察し、学生、教職員の思想動向や背後関係の調査を為し、学内諸団体並びに団体役員の動向、学内集合の模様、状況等について常時広汎、刻明な査察と監視を続けて来たものであり、昭和27年2月20日当日劇団ポポロの演劇発表会に入場したのも右の如く長期間に亘り恒常的に行われて来た学内内偵活動の一部を為すものであり、その一環として行われたものであることが明らかである。
[11] かくの如く、本件当日における警官の学内集会立入りを含めて、久しい以前から長期間に亘つて行われて来た本富士警察署警備係員の学内立入りは、特定の具体的犯罪捜査のためのものではなく、所謂警備活動、すなわち、公共の安寧秩序を保持するという警察目的よりして、将来行われるおそれのある犯罪その他の不法行為の発生を予防し、これに備えるため各種情報の事前調査の必要上為されるところの特殊の警察活動として行われたものである。もとより警官が犯罪の捜査に限らず、公安の維持並びに将来発生することあるべき犯罪の予防、鎮圧のための対策の樹立策定に資する目的をもつて各種の情報の収集、査察行為を為すことは、その重要な職責の一つに属する。従つて、事を一般的、抽象的に論ずるならば、如何なる時、如何なる場所においても、所謂警備活動、すなわち、公安の維持のため、これに関連する警察活動は常に行われ得るということになるであろう。そして、何時、如何なる場所においても誠実に職務を行う用意を怠らないことは、公安の維持にあたる警官の職責上当然のことである。しかしながら、さればといつて、かかる一般論的な見解をもつて一方的に、一切の事象を律することは許されない。何となれば警備活動が重要であると共に、他方、憲法の保障する基本的自由――人権は国政上最大の尊重と保護を与えられねばならぬ社会的、歴史的価値を持つものであるから、このことを前提として両者の具体的に妥当な調整を図ることによつてのみ、警察の警備活動の具体的限界が規定されて来なければならないからである。従つて警備活動の必要という一方的要請のみによつて問題を片づけることが誤りであることは言うをまたないところであり、本件における警察の警備活動の合法性の有無を判定するためには、それが大学構内において、学生、教員を主たる対象として行われたという特殊性を無視するわけにはいかないのであるから、以下更に憲法上の基本的人権、特に大学における学問の自由をめぐる諸種の問題を検討してみなければならない。
[12] 大学は元来、学問の研究及び教育の場であつて、学問の自由は、思想、言論、集会等の自由と共に、憲法上保障されている。これらの自由が保障されるのは、それらが外部からの干渉を排除して自由であることによつてのみ、真理の探求が可能となり、学問に委せられた諸種の課題の正しい解明の道が開かれるからである。しかるに、他からの干渉は、主として警察権力乃至政治勢力の介入乃至抑圧という形で行われ易いことは、むしろ歴史的な経験ですらある。警察権力乃至政治勢力の思考するところや意図するところは、もとより正しいこともあるのであろう。しかし、そのことの故に直ちに警察権力乃至政治勢力が学問の自由に干渉してよいということにはならない。それは大学並びに学問の自律に任すべきことである。かくの如く、少くとも学問以外の外部権力から開放された学問の自由を確保することによつてのみ、学問的真理えの道が塞息されることを免れるのである。学問の自由は、思想、言論、集会等の自由と共に、単なる個人的な価値であるに止らず、社会的、国家的、にも最大の尊重を払わねばならぬ貴重な価値であると言わねばならないのである。
[13] かくして学問の研究並びに教育の場としての大学は、警察権力乃至政治勢力の干渉、抑圧を受けてはならないという意味において自由でなければならないし、学生、教員の学問的活動一般は自由でなければならない。そして、この自由が他からの干渉を受けないためには、これを確保するための制度的乃至情況的保障がなければならない。それは大学の自治である。大学の自治は、学問、思想、言論等の自由を実効的に確保するために過去幾多の試練に耐えて育成されて来た方法であつて、わが国においては、既に確立された、制度的とすら言つてよい慣行として認められているものである。かくして、大学はそれ自体、一つの自治の団体であつて、学長、教員の選任について充分に自治の精神が活かされ、大学の組識においても学長の大学管理権を頂点として自治の実体に沿うような構成が作られている。加之、学生も教育の必要上、学校当局によつて自治組識を持つことを認められ、一定の規則に従つて自治運動を為すことが許されている。これは、大学は教育の場として、単に学生に知識を授けるというに止らず、学生の学問的精神を鍛冶することをその重要な使命の一つとしているところから、学生自らの自由な自治的、実証的訓練による学問的精神の体得の必要を教育上得策なりとして認めているからに外ならない。従つて、長期に亘る教育の過程の中で、学生に時として行き過ぎや偏向があつても、大学はなおかつ、学生の自治と学習の自律を尊重し、あくまでも教育的視野に立つて学生を指導することを本旨とするものである。
[14] 次に、大学自治の具体的内容として当然に考慮されねばならぬことは、警察権力が公安の維持を名として、無制限に大学内において警備の活動を為す場合、大学側はこれを拒否する正当な権利を有するということである。もとより公安維持の最終的責任と権限は国家――具体的には警察当局――にあるのであるから、大学といえども警察の警備活動の対象となるものであるし、警察権力が大学内に及び得ることについては疑問の余地がない。しかしながら、警察権力の側における、警備の必要という一方的判断の下に、学内活動のあらゆる分野が絶えず警察権力の監視と査察の下に置かれることを是認するには、学問の自由、大学の自治の持つ国法上の価値は余りにも貴重である。警察権力の警備活動の絶えざる監視下にある学問活動及び教育活動は、到底その十全の機能を発揮することができない。監視は無形の圧迫に通ずるものであつて、かかる雰囲気の内においては、学問の自由が確保される基本的条件が失われる危険性が極めて大であると言わねばならない。従つて、学問の自由を確保し、学問と教育の実をあげるためには、ここでも大学の自治が尊重せられ、学内の秩序がみだされるおそれのある場合でも、それが学生、教員の学問活動及び教育活動の核心に関連を有するものである限り、大学内の秩序の維持は、緊急止むを得ない場合を除いて、第一次的には大学学長の責任において、その管理の下に処理され、その自律的措置に任せられなければならない。そして、もしも大学当局の能力において処理し、措置することが困難乃至不可能な場合には、大学当局の要請により警察当局が出動しなければならないものと認むべきである。
[15] 右に述べた如く、警官の大学構内における警備活動は、それが大学自治の核心に関連を有するものである限り、無制約的なものではなく、大学自治の原則よりして、権限行使の手続上、一定の規制を受けるものと解すべきである。従つて、特定の具体的な一般犯罪捜査のため、法の定める正規の手続に従つて警察権が大学内に及ぶことは、もとより別論であるし、又、学生、教職員の外一般人が多数随意に出入している広大な大学構内における一般犯罪の予防や、一般的治安の保持のため、制服警官が構内をパトロールする如きことは、警察の当然の職責であつて、大学当局もこれを拒否することはできない。しかし、大学の研究、講義、演習、その他学生の自治活動等すべて、学問、教育並びに学習の場としての大学の本来的職責に本質的関連を有する事柄については、第一次的には大学の自治と責任において問題が処理さるべきであつて、警備活動の名による警察権力の介入、干渉は許されないのである。
[16] 昭和25年7月3日、集会、集団行進及び集団示威運動に関する東京都条例が施行された際、右条例の学校内における解釈適用について文部省と警視庁との間で協議の結果、学校構内における集会、集団行進、集団示威運動の取締りについては、当該学校長が措置することを建前とし、要請があつた場合警察がこれに協力することとすることと決定され、同月25日文部事務次官より各学校、東京都知事等に対し右決定が通達されたことが、右通達写により明かであるが、右決定は警察活動と学園自治との間の具体的調整に関する前述した如き当然の事理を、事の明確を期し、無用の紛議を避ける趣旨で、行政上の協定として明文化したものであつて、それ自体としては形式上拘束力を持つものではないにしても、その実質的内容は学園内における警察権行使の一般的規準を示したものであつたと認められるのである。
[17] それ故、以上のような内容を具有する大学自治の原則にして侵害されるようなことがあれば、それはひいて、思想、言論、学問の自由に危害を及ぼすことにならざるを得ない。
[18] 何となれば、不当な外部からの拘束により大学の自治が充分に保障されないような学内情勢乃至学問的環境の下においては、思想、言論、学問をその姿で展開することがもはや望めなくなるからである。従つて、大学の自治が侵害されているような学内情勢乃至学問的環境を是認することは、学問の自由を保障した憲法の条章の意図するところを没却することになる。
[19] 然らば、前段認定の如く本件において警官が大学内に立入つた行為は、国法上許容せられる行為であろうか。当時、公安の維持のため、これに関連する警察活動が必要であると考えられた理由は、警察当局をして言わしめるならば、東京大学構内においては、団体等規正令違反、政令第325号違反、東京都条例違反その他公共の法益に対する犯罪が敢行されていたので、これに対処し、これを予防するための調査活動を同大学内において行うことが、警官としての職務上必要であつたというのである。証人野口議同藤原貢は当公廷において、東京大学構内においては政令第325号違反の疑のあるビラが撒かれたり、その他前掲法令違反の嫌疑のある団体が存し、集会が持たれたこと並びにかかる犯罪が将来も行われるおそれのあつた旨を証言している。同大学は広大な敷地と多くの建造物その他の施設を有し、学生、教職員も尨大な数に上つており、多数人が始終出入して、研究、教授、学習、自治活動等に従事しているのであるから、長い期間中には、これらの活動が部分的には行き過ぎて法令に違背する場合も存しうることはむしろ当然に予想されるところである。しかし、容疑事実として当公廷で証人藤原貢により証言された事件の数も長期間中に僅々数件を出ないものであつて、前示認定にかかるような警官の長期に亘る、広汎かつ綿密な調査活動が行われなければならないことを是認させる程の重大な治安攪乱のおそれは、その質量ともに、むしろ僅少なものであつたことが推断されるのである。もとより少数者の些細な犯罪行為といえども、これに対する警官の捜査活動がないがしろにされてはならないし、警備活動も万全を期さなければならないのであるが、学生、教職員中、一部の者に時たま行き過ぎの行為があり、それが法令に違反する疑があることを理由にして、大学における学内活動全般を取締法上危険視していたのではないかとすら思われるほどの広汎、綿密な警察活動を長期間に亘り続行することは、大学の自治ひいては学問の自由の利益一般を著しく損うことになるおそれがあるのである。警察権力が、単に警察的治安の観点からのみ、法令に違反し、治安を乱すおそれがあるとの理由で――その可能性は社会の事象万般に亘り常に存するであろう――仮借なく警察権を発動し、学生教員等を対象として尾行、内偵等の警備活動を繰返すことは、その結果、犯罪が発見検挙され、あるいは犯罪が予防、鎮圧されるような利益を伴うことがあるにしても、かかる警察活動によつて失われる自由の代価は、はるかに貴重である。学問、思想等の自由が警備活動の必要性という名目の下に犠牲に供せられたまま放置されるような状態は、正にあるべき国家の根本秩序の構成の攪乱に外ならない。
[20] もともと、公安の維持とは公共の秩序を保持することである。そして公共の秩序の維持が、刑罰法令を含む実定法秩序の実現に負うところが多いことは多言を要しない。警察の犯罪捜査並びに警備活動は主として、この警察的取締りの面より公共の秩序の維持に寄与するものであつて、本件における警察活動もこの観点より行われて来たものであろう。しかし、公共の秩序の概念は、刑罰法令を含む実定法秩序の実現ということのみによつて理解されるべきものではなく、仮令、実定法や刑罰法令の裏付けがなくとも、憲法の各条章を頂点とし、各種法令を下部構造として持つ国内法秩序全体の均衡と調和の上に想定される、一つの秩序の全体像(仮に憲法的秩序と名づける)に則つて把握されなければならないものである。従つて真に公共の秩序が維持されていると言い得るためには、憲法を頂点とする国内法秩序が均衡と調和を保つて正しく実現されていなければならないのであつて、警察的取締りの立場よりする警備とその他の警察活動といえども、かかる憲法的秩序の理念に背反する如きものであつてはならない。更に詳言すれば、真の公共の秩序は、刑罰法令の実現を主たる眼目とする警備その他の警察活動の要請のみならず、学問の自由の要請、大学自治の要請、思想、言論の自由の要請、その他各種法令に由来する諸要請が、それぞれの応分の比重に従つて、調和と均衡を保つて充足されることによつて、正しく維持されるものと言わなければならないのであるから、警察的取締りの立場よりする警備その他の警察活動の要請が、大学の自治その他の要請を不当に蹂躪し、憲法的秩序全体の調和と均衡を破つている場合には、それによつて所謂警察国家的治安は維持されるにしても、真の公共の秩序の本体は歪められ、国家、社会の本来的秩序の正しさは失われるのである。すなわち、そこには一の要請が他の要請を不当に無視して横行したために、真の意味における公共の秩序がみだされた状態が生じているのである。
[21] しかるに、本富士警察署警備係員の学内立入については、前示の如き恒常的警備活動の必要性を肯認させるに足るだけの緊急、不穏な学内情勢の存したことは、これを認めるに由ないところであるから、警官の学内立入りの行為は、憲法的秩序の内で警備活動の要請に不当に重い比重を持たせ、学問の自由に対する憲法上の要請を看過し前記文部事務次官通達の趣旨を無視したものであつて、大学内における公共の秩序は警察権力の不当介入のために、本来の姿を歪められていたものと認めなければならない。すなわち、反面より言えば、警官の本件における学内立入りの行為は、その職務権限の範囲を逸脱して行われた違法な行為であると言わねばならないのである。
[22] 又、本件発生当日における警官のポポロ演劇発表会立入りの行為も、右の如き継続的違法行為の一環として行われたものであるのみならず、押収にかかる教室借用願、教室使用料免除願並びに保証書の各写し計3枚(同証号の9乃至11)、証人矢内原忠雄、同尾高朝雄、同斯波義慧の各証言によれば、右劇団ポポロは演劇の理論並びに上演の研究を目的とする学内団体であつて、大学において公認しているものであり、当夜の演劇発表会も大学当局の定めた正規の手続を経て許可せられていたものであることが認められるのであつて、当夜特段に警察活動を必要とするような不穏な動きは何等認められなかつたのである。もつとも、右演劇発表会は学生、教職員を主たる対象として開催せられたものであつたが、教室前で入場料を徴し、入場券を発行したので、大学に関係のない一般人が学生、教職員にまぎれて入場することはあつたかも知れないが、その数は極めて少数であつたと推察されるのみならず、かかる一般人が演劇観賞のため入場することに対し、敢えて厳重な身分検査を行つて、その入場を拒まねばならぬ程の必要もないのであるから、仮に少数の一般人が入場していたとしても、右演劇発表会が正規の学内集会であつたことには何の変りもないし、一般人が入場したために不穏な事態が発生するような情勢は当初より全く存しなかつたのである。警官が他の入場者と同じく、入場券を買求めて入場したとしても、単なる演劇観賞のために入場したものでない以上、そのことの故に警官の立入行為が合法化される筋合のものではない。
[23] 又、右演劇発表会が反植民地闘争デーの一環として行われたこと、その内容が松川事件に取材したものであつたこと、同事件の資金カンパ獲得又はその勧誘の意図があつたこと及び渋谷駅における学生と警官隊との衝突事件の報告が同会場において為されたことは、検察官が本件最終論告において指摘するとおりである。しかし、本来、学問、教育は国民生活の全分野に亘るべきものであつて、現代国家においては、国民のすべての生活が、好むと好まざるとに拘らず、政治に関連して来ているのであるから、学問的活動や教育的活動にして政治より全く隔絶し、それとの関連性を完全に遮断したものを考えることは不可能である。学生が政治的、社会的事象に関心を寄せ、研究の対象、題材を広く政治や社会に求め、これを学内活動において、広い意味における学問的立場より研究的に取り扱うことは、学習の自由の重要な内容の一つをなすものであると言わねばならない。
[24] 又、会場において、演劇開催に先立ち、空いた時間を利用して、たまたま特定事件の報告が行われ、資金カンパ獲得又はその勧誘の意図がみられたからといつてかかる些末な事柄を捉え、これをもつて直ちに右演劇発表会の政治性、不法性、不穏当性等を疑い、かつ、大学当局の監督行為の怠慢を鳴らして学内秩序維持のための管理行為の不行届を責め、警察権介入の正当な理由とするが如きことは、弾力性、寛容性、長期性、自主性、自律性等の教育、学習の本質的性格を無視するものであつて、容易に首肯し難いところである。本件演劇につき、検察官指摘の如き事柄が存したからといつて、右演劇発表会が正規の学内集会であつたことを失うものでもなく、又、これに対する警察権の介入が合法化されるものでもない。
[25] 又、本件において警官が右演劇発表会に立入つたのは、検察官主張の如く、同演劇発表会が反植民地斗争デーの一環として行われるものとし思惟し、起ることのあるべき事態を懸念し、これが資料を得ることが職務上許される行為であると信じて同会場に立入つたとしても、警官の主観におけるかかる価値判断は右行為そのものの客観的違法性を左右するものではないこと論をまたない。
[26] なお、前段認定の如く、本富士警察署警備係員の警備活動の一つとして、多数の学生、教員に対する身許調査が長期に亘り隠密裡に行われているが、かかる警察活動が為された理由につき、証人野口議は、身許調査は占領軍当局の指示に基き、東京警視庁より本富士警察署に依頼して来たため行われたものである旨証言し、警視総監田中栄一の昭和28年11月13日附回答書によれば警視庁総務部渉外課は数名の教授、助教授等に対する身許調査方を占領軍連絡官ツーレーより指示され、同庁は管下本富士警察署に対し身許調査を下命し、同署警備係員をして調査を為さしめている事実が明かである。しかし、身許調査の指示が連絡官ツーレーなるものによつて伝達されたとしても責任ある指示者の身分、氏名は極めて曖昧であり、かつ、指示の内容は口頭によるものであつて、文書上、何等の形跡も残されていないのである。かかる隠密性は、右の指示自体、占領管理の正規の方式にもとり、日本国の国内法規にも抵触するおそれがあつて、公然たることをはばかるような性質のものではなかつたかを疑わせるものがあるのである。従つて占領軍当局の指示の正規性と合法性が立証されない以上は、占領軍当局の指示によつて為されたというだけでは、それによつて警官が自己の違法行為について免責される事由とはなり得るにしても、身許調査という警察活動自体の客観的合法性を首肯せしめるには足りないのである。
[27] 以上認定した違法な警察活動の結果、本来自由なるべき学問並びに教育活動は無形の圧力によつて阻害されて萎縮し、学問的良心は知らず知らずの間に外部の勢力の企図する方向に順応するように歪められる危険性が現存するに至つたものといわなければならないのである。これは学問が学問以外の権威に従属するに至るおそれのある雰囲気が醸成されたことを意味するものである。学生の立場よりみても、警察的視野よりする思想的危険分子と然らざる者との色分けが行われ、何か事ある毎に、その調査の結果が社会的に通用するに至るおそれも絶無とは言えないのであるから、その自由なるべき学習活動が外部の権力の政策や意図に対する思惑によつて不当に矯められるおそれがあるのである。憲法第23条は、正にかかる事態の発生を防止しようとしているものと解しなければ、その規定の実際的意義はなくなるのである。しかるところ、本件における警官の違法行為を違法と認めず、これを是認する見解が社会の一部に存することは本件における諸般の証拠上からも窺われるところであつてこのことは決して軽々に看過することのできない事柄である。何となれば、警察権力の見解が社会における有力な一部の見解によつてバツクされている場合、警察権力は、不用意の間に無反省にも、その見解に安易に同調するという方向において、自己の権限を濫用し、正当な職務の範囲を逸脱したり、法令に不当な拡張解釈を施したりしやすいものであることは、過去幾多の事例の存するところであるのみならず、警察権力の違法行為が、その背後に有力な支持を有しているという意味において、かかる警察活動は極めて強大な威力を持つことになるのである。そして、それだけ、大学側においては大学自治の原則に対する脅威が、容易ならざる重圧として感じ取られていたものと認められるし、これに対する学生等の忿懣と反発の気持も激しいものがあつたと推認されるのである。
[28] しかるところ、証人尾高朝雄の証言よりも窺われる如く、東京大学においては、学生等はつとに警官の学内潜入による内偵行為の事実を察知し、かかる行為の排除を学校当局に訴えていたのであるが、学校当局としては未だ明確な証拠も掴めず、正式に警察当局に抗議する段階に立至つていなかつたところ、たまたま本件2月20日夜、法文経25番教室における劇団ポポロの演劇発表会の席上警官の違法な学内立入りの事実を目のあたりに見せつけられて、被告人は前段(一)認定にかかる如き行動をとるに至つたものである。かかる行動は、それ自体としては一見、逮捕、監禁、暴行等の可罰的違法類型に該当するかの如くに見える。しかし、被告人の右の行動は、憲法第23条を中心にして形成される重大な国家的、国民的法益の侵害に対し、徒らにこれを黙過することなく、将来再び違法な警察活動が学内において繰返されざらんことを期し、これを実効的に防止する手段の一つとして、逃げ走ろうとする警官をその場において捕え、氏名、官職、所属警察署等を確かめ警官の違法な学内立入りの事実を明かにしようとしたものと言えるのである。官憲の違法行為を目前に見て徒らに坐視し、これに対する適切な反抗と抗議の手段を尽さないことは、自ら自由を廃棄することにもなるであろう。自由は、これに対する侵害に対して絶えず一定の防衛の態勢をとつて護つて行かなくては侵され易いものである。被告人が、官憲の職務行為の違法性を明かにして自由の権利を護ろうと考え、法定の手続による救済を求めるに先立ち、まづ自らの手で違法行為を摘発し、憲法上の原理を蹂躪するが如き不法な行動を問責することは、その間に、違法行為に対する感情の激発と昂奮を伴い、集団的群衆心理に陥ることを免れないため、その行動に粗暴の度が加わつたとしても、その行動自体は、少くとも前段(一)認定の如き範囲内に止るものである限り、それを機として官憲の違法な自由侵害行為を排除し、阻止するという意味を持つ行為であると認めなければならない。
[29] 尤も、被告人のかかる行動の結果、警官は暴力的な強制によつて、逮捕、監禁され、一時警察手帳を取り上げられるというような被害を受けている。そして右警官は、少くとも自己の主観においては誠実に職務に精励していたものであるから、その職務行為自体は違法であるにせよ、警官の個人としての法益が国法上保護せらるべき価値たることを失うものではない。しかし、本件の場合、警官の個人的法益は警官として違法な職務行為を執行中に危険に曝されたものであり、かつ、憲法的秩序全体の上より見て、大学の自治その他の重大な法益侵害が、この違法な職務行為に不可避的に随伴するものであることを看過することができないのであるから、本件における警官の個人的法益の価値の意味、内容は正にかかるものとして認識されなければならないのである。従つて、被告人が前示行動につき刑事法上の責任を負うべきか否かを決定するに当つては、一方においては、被告人の自由権擁護の行動の持つ国法上の価値並びにかかる行動によつてもたらされる憲法的秩序保全という国家的、国民的利益を考え、他方においては、かかる行為の結果侵害される警官の個人的法益の価値を考え、この両者の利益、価値を比較秤量しなければならない。そして後者が前者に較べて余りにも大である場合には被告人の行動は法令上正当な行為として許容することができないものとなるであろう。これに反し、前者が後者よりもはるかに重大な利益、価値である場合には、この利益、価値を保持するために個人的法益を若干侵害しても、かかる行為は法令上正当な行為として許容されねばならないのである。
[30] 本件の場合、被告人の前示行動は、日頃の警察側の学内立入行為に対する憤懣が私服警官の発見を機としてその警官個人の上に集中的に爆発したために、やや隠当を欠くものとなつたことは明かであるが、そこにはやはり一定の節度が守られたのであつて、被告人の行為により警官の蒙つた前段(一)認定の如き被害はそれ自体としても必ずしも甚大なものとは言い難いのである。しかも、反面、警官の比較的軽微な被害を犠牲にして確保された自由権上の利益は軽視することのできない重大な意味を持つものである。この利益の大きさと憲法的秩序保全の国法上の価値の重さは、本件における被告人の暴力的行為よりその違法性を取り去るに充分なものがあると認められ、前段(一)において認定した如き被告人の行為は法令上正当な行為として罪とならないものと言わなければならない。
[31] もとより、被告人が一定の節度をわきまえず、昂奮に猛り立つて殊更に度を越した暴力行為を敢行したのであれば、その具体的事情の如何によつては正当行為としてその行為の違法性が阻却せられることなく、犯罪を構成することのあるべきは言うまでもないところであるが、被告人において、単独又は他人と共同してかかる度を越した暴行を本件警官に加えたことを認めるに足る証拠がないことは前段(一)において説明したとおりであるから、本件については、刑事訴訟法第336条に則り被告人に対し無罪の言渡をすることとする。

  裁判長裁判官 山田鷹之助  裁判官 小松正富  裁判官 井口浩二

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