三菱樹脂事件
上告審判決

労働契約関係存在確認請求事件
最高裁判所 昭和43年(オ)第932号
昭和48年12月12日 大法廷 判決

【上告人】 控訴人・被控訴人 被告  三菱樹脂株式会社
               代理人 鎌田英次

【被上告人】被控訴人・控訴人 原告  高野達男
               代理人 安達十郎 外511名

■ 主 文
■ 理 由

■ 上告代理人鎌田英次、同中島一郎の上告理由


 原判決を破棄する。
 本件を東京高等裁判所に差し戻す。

[1]、本件は、被上告人が、東北大学在学中昭和37年上告人の実施した大学卒業者の社員採用試験に合格し、翌年同大学卒業と同時に上告人に3か月の試用期間を設けて採用されたが、右試用期間の満了直前に、上告人から右期間の満了とともに本採用を拒否する旨の告知を受け、その効力を争つている事案である。被上告人に対する右本採用拒否の理由として上告人の主張するところによれば、被上告人は、上告人が採用試験の際に提出を求めた身上書の所定の記載欄に虚偽の記載をし、または記載すべき事項を秘匿し、面接試験における質問に対しても虚偽の回答をしたが、被上告人のこのような行為は、民法96条にいう詐欺に該当し、また被上告人の管理職要員としての適格性を否定するものであるから、本採用を拒否するというのであり、さらに、被上告人が秘匿ないし虚偽の申告(以下、秘匿という。)をしたとされる事実の具体的内容は、(1)被上告人は、東北大学に在学中、同大学内の学生自治会としては最も尖鋭な活動を行ない、しかも学校当局の承認を得ていない同大学川内分校学生自治会(全学連所属)に所属して、その中央委員の地位にあり、昭和35年前・後期および同36年前期において右自治会委員長らが採用した運動方針を支持し、当時その計画し、実行した日米安全保障条約改定反対運動を推進し、昭和35年5月から同37年9月までの間、無届デモや仙台高等裁判所構内における無届集会、ピケ等に参加(参加者の中には住居侵入罪により有罪判決を受けた者もある。)する等各種の違法な学生運動に従事したにもかかわらず、これらの事実を記載せず、面接試験における質問に対しても、学生運動をしたことはなく、これに興味もなかつた旨、虚偽の回答をした、(2)被上告人は、上記大学生活部員として同部から手当を受けていた事実がないのに月4,000円を得ていた旨虚偽の記載をし、また純然たる学外団体である生活協同組合において昭和34年7月理事に選任されて、同38年6月まで在任し、かつ、その組織部長の要職にあつたにもかかわらず、これを記載しなかつた、というのである。

[2]、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)は、上告人と被上告人との間に締結された試用期間を3か月とする雇傭契約の性質につき、上告人において試用期間中に被上告人が管理職要員として不適格であると認めたときは、それだけの理由で雇傭を解約しうるという解約権留保の特約のある雇傭契約と認定し、右留保解約権の行使は、雇入れ後における解雇にあたると解したうえ、上告人が被上告人の解雇理由として主張する上記秘匿等にかかる事実は、いずれも被上告人の政治的思想、信条に関係のある事実であることは明らかであるとし、企業者が労働者を雇傭する場合のように一方が他方より優越する地位にある場合には、その一方が他方の有する憲法19条の保障する思想、信条の自由をその意に反してみだりに侵すことは許されず、また、通常の会社においては、労働者の思想、信条のいかんによつて事業の遂行に支障をきたすとは考えられないから、これによつて雇傭関係上差別することは憲法14条、労働基準法3条に違反するものであり、したがつて、労働者の採用試験に際してその政治的思想、信条に関係のある事項について申告を求めることは、公序良俗に反して許されず、応募者がこれにつき秘匿等をしたとしても、これによる不利益をその者に課することはできないものと解すべきであるとし、それゆえ、被上告人に上告人主張のような秘匿等の行為があつたとしても、民法96条の詐欺にも該当せず、また、上告人において、あらかじめ応募者に対し、申告を求める事項につき虚偽の申告をした場合には採用を取り消す旨告知していたとしても、これを理由に雇傭契約を解約することもできないとして、本件本採用の拒否を無効としたものである。

[3]、上告論旨は、要するに、憲法19条、14条の規定は、国家対個人の関係において個人の自由または平等を保障したものであつて、私人間の関係を直接規律するものではなく、また、これらの規定の内容は、当然にそのまま民法90条にいう公序良俗の内容をなすものでもないのに、これと反対の見解をとり、かつ、上告人が被上告人に申告を求めた事項は、被上告人の過去の具体的行動に関するものであつて、なんらその思想、信条に関するものでないのに、そうであると速断し、右のような申告を求め、これに対する秘匿等を理由として雇傭関係上の不利益を課することは、上記憲法等の各規定に違反して違法、無効であるとした原判決には、これらの法令の解釈、適用の誤りまたは理由不備もしくは理由齟齬の違法があり、また、上告人との間にいまだ正式の雇傭契約の締結がなく、単に試用されているにすぎない被上告人の地位を雇傭関係に立つものと解し、これに対する本採用の拒否を解雇と同視して、労働基準法3条に違反するとした原判決には、法律の解釈、適用の誤りまたは理由齟齬の違法がある、というのである。
[4]、まず、本件本採用拒否の理由とされた被上告人の秘匿等に関する上記第一の一の(1)の事実につき、これが被上告人の思想、信条に関係のある事実といいうるかどうかを考えるに、労働者を雇い入れようとする企業者が、労働者に対し、その者の在学中における右のような団体加入や学生運動参加の事実の有無について申告を求めることは、上告人も主張するように、その者の従業員としての適格性の判断資料となるべき過去の行動に関する事実を知るためのものであつて、直接その思想、信条そのものの開示を求めるものではないが、さればといつて、その事実がその者の思想、信条と全く関係のないものであるとすることは相当でない。元来、人の思想、信条とその者の外部的行動との間には密接な関係があり、ことに本件において問題とされている学生運動への参加のごとき行動は、必ずしも常に特定の思想、信条に結びつくものとはいえないとしても、多くの場合、なんらかの思想、信条とのつながりをもつていることを否定することができないのである。企業者が労働者について過去における学生運動参加の有無を調査するのは、その者の過去の行動から推して雇入れ後における行動、態度を予測し、その者を採用することが企業の運営上適当かどうかを判断する資料とするためであるが、このような予測自体が、当該労働者の過去の行動から推測されるその者の気質、性格、道徳観念等のほか、社会的、政治的思想傾向に基づいてされる場合もあるといわざるをえない。本件において上告人が被上告人の団体加入や学生運動参加の事実の有無についてした上記調査も、そのような意味では、必ずしも上告人の主張するように被上告人の政治的思想、信条に全く関係のないものということはできない。しかし、そうであるとしても、上告人が被上告人ら入社希望者に対して、これらの事実につき申告を求めることが許されないかどうかは、おのずから別個に論定されるべき問題である。

[5]、原判決は、前記のように、上告人が、その社員採用試験にあたり、入社希望者からその政治的思想、信条に関係のある事項について申告を求めるのは、憲法19条の保障する思想、信条の自由を侵し、また、信条による差別待遇を禁止する憲法14条、労働基準法3条の規定にも違反し、公序良俗に反するものとして許されないとしている。
[6](一) しかしながら、憲法の右各規定は、同法第3章のその他の自由権的基本権の保障規定と同じく、国または公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障する目的に出たもので、もつぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない。このことは、基本的人権なる観念の成立および発展の歴史的沿革に徴し、かつ、憲法における基本権規定の形式、内容にかんがみても明らかである。のみならず、これらの規定の定める個人の自由や平等は、国や公共団体の統治行動に対する関係においてこそ、侵されることのない権利として保障されるべき性質のものであるけれども、私人間の関係においては、各人の有する自由と平等の権利自体が具体的場合に相互に矛盾、対立する可能性があり、このような場合におけるその対立の調整は、近代自由社会においては、原則として私的自治に委ねられ、ただ、一方の他方に対する侵害の態様、程度が社会的に許容しうる一定の限界を超える場合にのみ、法がこれに介入しその間の調整をはかるという建前がとられているのであつて、この点において国または公共団体と個人との関係の場合とはおのずから別個の観点からの考慮を必要とし、後者についての憲法上の基本権保障規定をそのまま私人相互間の関係についても適用ないしは類推適用すべきものとすることは、決して当をえた解釈ということはできないのである。
[7](二) もつとも、私人間の関係においても、相互の社会的力関係の相違から、一方が他方に優越し、事実上後者が前者の意思に服従せざるをえない場合があり、このような場合に私的自治の名の下に優位者の支配力を無制限に認めるときは、劣位者の自由や平等を著しく侵害または制限することとなるおそれがあることは否み難いが、そのためにこのような場合に限り憲法の基本権保障規定の適用ないしは類推適用を認めるべきであるとする見解もまた、採用することはできない。何となれば、右のような事実上の支配関係なるものは、その支配力の態様、程度、規模等においてさまざまであり、どのような場合にこれを国または公共団体の支配と同視すべきかの判定が困難であるばかりでなく、一方が権力の法的独占の上に立つて行なわれるものであるのに対し、他方はこのような裏付けないしは基礎を欠く単なる社会的事実としての力の優劣の関係にすぎず、その間に画然たる性質上の区別が存するからである。すなわち、私的支配関係においては、個人の基本的な自由や平等に対する具体的な侵害またはそのおそれがあり、その態様、程度が社会的に許容しうる限度を超えるときは、これに対する立法措置によつてその是正を図ることが可能であるし、また、場合によつては、私的自治に対する一般的制限規定である民法1条、90条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によつて、一面で私的自治の原則を尊重しながら、他面で社会的許容性の限度を超える侵害に対し基本的な自由や平等の利益を保護し、その間の適切な調整を図る方途も存するのである。そしてこの場合、個人の基本的な自由や平等を極めて重要な法益として尊重すべきことは当然であるが、これを絶対視することも許されず、統治行動の場合と同一の基準や観念によつてこれを律することができないことは、論をまたないところである。
[8](三) ところで、憲法は、思想、信条の自由や法の下の平等を保障すると同時に、他方、22条、29条等において、財産権の行使、営業その他広く経済活動の自由をも基本的人権として保障している。それゆえ、企業者は、かような経済活動の一環としてする契約締結の自由を有し、自己の営業のために労働者を雇傭するにあたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができるのであつて、企業者が特定の思想、信条を有する者をそのゆえをもつて雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法とすることはできないのである。憲法14条の規定が私人のこのような行為を直接禁止するものでないことは前記のとおりであり、また、労働基準法3条は労働者の信条によつて賃金その他の労働条件につき差別することを禁じているが、これは、雇入れ後における労働条件についての制限であつて、雇入れそのものを制約する規定ではない。また、思想、信条を理由とする雇入れの拒否を直ちに民法上の不法行為とすることができないことは明らかであり、その他これを公序良俗違反と解すべき根拠も見出すことはできない。
[9] 右のように、企業者が雇傭の自由を有し、思想、信条を理由として雇入れを拒んでもこれを目して違法とすることができない以上、企業者が、労働者の採否決定にあたり、労働者の思想、信条を調査し、そのためその者からこれに関連する事項についての申告を求めることも、これを法律上禁止された違法行為とすべき理由はない。もとより、企業者は、一般的には個々の労働者に対して社会的に優越した地位にあるから、企業者のこの種の行為が労働者の思想、信条の自由に対して影響を与える可能性がないとはいえないが、法律に別段の定めがない限り、右は企業者の法的に許された行為と解すべきである。また、企業者において、その雇傭する労働者が当該企業の中でその円滑な運営の妨げとなるような行動、態度に出るおそれのある者でないかどうかに大きな関心を抱き、そのために採否決定に先立つてその者の性向、思想等の調査を行なうことは、企業における雇傭関係が、単なる物理的労働力の提供の関係を超えて、一種の継続的な人間関係として相互信頼を要請するところが少なくなく、わが国におけるようにいわゆる終身雇傭制が行なわれている社会では一層そうであることにかんがみるときは、企業活動としての合理性を欠くものということはできない。のみならず、本件において問題とされている上告人の調査が、前記のように、被上告人の思想、信条そのものについてではなく、直接には被上告人の過去の行動についてされたものであり、ただその行動が被上告人の思想、信条となんらかの関係があることを否定できないような性質のものであるこというにとどまるとすれば、なおさらこのような調査を目して違法とすることはできないのである。
[10] 右の次第で、原判決が、上告人において、被上告人の採用のための調査にあたり、その思想、信条に関係のある事項について被上告人から申告を求めたことは法律上許されない違法な行為であるとしたのは、法令の解釈、適用を誤つたものといわなければならない。

[11]三、(一) 右に述べたように、企業者は、労働者の雇入れそのものについては、広い範囲の自由を有するけれども、いつたん労働者を雇い入れ、その者に雇傭関係上の一定の地位を与えた後においては、その地位を一方的に奪うことにつき、雇入れの場合のような広い範囲の自由を有するものではない。労働基準法3条は、前記のように、労働者の労働条件について信条による差別取扱を禁じているが、特定の信条を有することを解雇の理由として定めることも、右にいう労働条件に関する差別取扱として、右規定に違反するものと解される。
[12] このことは、法が、企業者の雇傭の自由について雇入れの段階と雇入れ後の段階との間に区別を設け、前者については企業者の自由を広く認める反面、後者については、当該労働者の既得の地位と利益を重視して、その保護のために、一定の限度で企業者の解雇の自由に制約を課すべきであるとする態度をとつていることを示すものといえる。
[13](二) 本件においては、上告人と被上告人との間に3か月の試用期間を付した雇傭契約が締結され、右の期間の満了直前に上告人が被上告人に対して本採用の拒否を告知したものである。原判決は、冒頭記述のとおり、右の雇傭契約を解約権留保付の雇傭契約と認め、右の本採用拒否は雇入れ後における解雇にあたるとし、これに対して、上告人は、上告人の見習試用取扱規則の上からも試用契約と本採用の際の雇傭契約とは明らかにそれぞれ別個のものとされているから、原判決の上記認定、解釈には、右規則をほしいままにまげて解釈した違法があり、また、規則内容との関連においてその判断に理由齟齬の違法があると主張する。
[14] 思うに、試用契約の性質をどう判断するかについては、就業規則の規定の文言のみならず、当該企業内において試用契約の下に雇傭された者に対する処遇の実情、とくに本採用との関係における取扱についての事実上の慣行のいかんをも重視すべきものであるところ、原判決は、上告人の就業規則である見習試用取扱規則の各規定のほか、上告人において、大学卒業の新規採用者を試用期間終了後に本採用しなかつた事例はかつてなく、雇入れについて別段契約書の作成をすることもなく、ただ、本採用にあたり当人の氏名、職名、配属部署を記載した辞令を交付するにとどめていたこと等の過去における慣行的実態に関して適法に確定した事実に基づいて、本件試用契約につき上記のような判断をしたものであつて、右の判断は是認しえないものではない。それゆえ、この点に関する上告人の主張は、採用することができないところである。したがつて、被上告人に対する本件本採用の拒否は、留保解約権の行使、すなわち雇入れ後における解雇にあたり、これを通常の雇入れの拒否の場合と同視することはできない。
[15](三) ところで、本件雇傭契約においては、右のように、上告人において試用期間中に被上告人が管理職要員として不適格であると認めたときは解約できる旨の特約上の解約権が留保されているのであるが、このような解約権の留保は、大学卒業者の新規採用にあたり、採否決定の当初においては、その者の資質、性格、能力その他上告人のいわゆる管理職要員としての適格性の有無に関連する事項について必要な調査を行ない、適切な判定資料を十分に蒐集することができないため、後日における調査や観察に基づく最終的決定を留保する趣旨でされるものと解されるのであつて、今日における雇傭の実情にかんがみるときは、一定の合理的期間の限定の下にこのような留保約款を設けることも、合理性をもつものとしてその効力を肯定することができるというべきである。それゆえ、右の留保解約権に基づく解雇は、これを通常の解雇と全く同一に論ずることはできず、前者については、後者の場合よりも広い範囲における解雇の自由が認められてしかるべきものといわなければならない。
[16] しかしながら、前記のように法が企業者の雇傭の自由について雇入れの段階と雇入れ後の段階とで区別を設けている趣旨にかんがみ、また、雇傭契約の締結に際しては企業者が一般的には個々の労働者に対して社会的に優越した地位にあることを考え、かつまた、本採用後の雇傭関係におけるよりも弱い地位であるにせよ、いつたん特定企業との間に一定の試用期間を付した雇傭関係に入つた者は、本採用、すなわち当該企業との雇傭関係の継続についての期待の下に、他企業への就職の機会と可能性を放棄したものであることに思いを致すときは、前記留保解約権の行使は、上述した解約権留保の趣旨、目的に照らして、客観的に合理的な理由が存し社会通念上相当として是認されうる場合にのみ許されるものと解するのが相当である。換言すれば、企業者が、採用決定後における調査の結果により、または試用中の勤務状態等により、当初知ることができず、また知ることが期待できないような事実を知るに至つた場合において、そのような事実に照らしその者を引き続き当該企業に雇傭しておくのが適当でないと判断することが、上記解約権留保の趣旨、目的に徴して、客観的に相当であると認められる場合には、さきに留保した解約権を行使することができるが、その程度に至らない場合には、これを行使することはできないと解すべきである。
[17](四) 本件において、上告人が被上告人の本採用を拒否した理由として主張するところは、冒頭記述のとおり、被上告人が入社試験に際して一定の事実につき秘匿等をしたこと、なかんずく、被上告人が東北大学在学中に違法、過激な学生運動に関与した事実があるのにこれを秘匿したということであり、上告人は、このような被上告人の秘匿等の行為に照らすときは、信頼関係をとくに重視すべき上告人の管理職要員である社員としての適格性を欠くものとするに十分であると主張するのである。
[18] 思うに、企業者が、労働者の採用にあたつて適当な者を選択するのに必要な資料の蒐集の一方法として、労働者から必要事項について申告を求めることができることは、さきに述べたとおりであり、そうである以上、相手方に対して事実の開示を期待し、秘匿等の所為のあつた者について、信頼に値しない者であるとの人物評価を加えることは当然であるが、右の秘匿等の所為がかような人物評価に及ぼす影響の程度は、秘匿等にかかる事実の内容、秘匿等の程度およびその動機、理由のいかんによつて区々であり、それがその者の管理職要員としての適格性を否定する客観的に合理的な理由となるかどうかも、いちがいにこれを論ずることはできない。また、秘匿等にかかる事実のいかんによつては、秘匿等の有無にかかわらずそれ自体で右の適格性を否定するに足りる場合もありうるのである。してみると、本件において被上告人の解雇理由として主要な問題とされている被上告人の団体加入や学生運動参加の事実の秘匿等についても、それが上告人において上記留保解約権に基づき被上告人を解雇しうる客観的に合理的な理由となるかどうかを判断するためには、まず被上告人に秘匿等の事実があつたかどうか、秘匿等にかかる団体加入や学生運動参加の内容、態様および程度、とくに違法にわたる行為があつたかどうか、ならびに秘匿等の動機、理由等に関する事実関係を明らかにし、これらの事実関係に照らして、被上告人の秘匿等の行為および秘匿等にかかる事実が同人の入社後における行動、態度の予測やその人物評価等に及ぼす影響を検討し、それが企業者の採否決定につき有する意義と重要性を勘案し、これらを総合して上記の合理的理由の有無を判断しなければならないのである。
[19] 以上説示のとおり、所論本件本採用拒否の効力に関する原審の判断には、法令の解釈、適用を誤り、その結果審理を尽さなかつた違法があり、その違法が判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は、この点において理由があり、原判決は、その余の上告理由について判断するまでもなく、破棄を免れない。そして、本件は、さらに審理する必要があるので、原審に差し戻すのが相当である。
[20] よつて、民訴法407条にしたがい、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 村上朝一  裁判官 大隅健一郎  裁判官 関根小郷  裁判官 藤林益三  裁判官 岡原昌男  裁判官 小川信雄  裁判官 下田武三  裁判官 岸盛一  裁判官 天野武一  裁判官 坂本吉勝  裁判官 岸上康夫  裁判官 江里口清雄  裁判官 大塚喜一郎  裁判官 高辻正己  裁判官 吉田豊)
[1]第一点 原審判決は、入社試験の応募者が入社試験の際、政治的思想、信条に関係ある事実を秘匿したりその点につき虚偽の申告をすることは許されるべきであるとし、その理由として、憲法第19条の思想、良心(原審判決は「信条」という)の自由の保障及び憲法第14条の法の下の平等の保障を援用しているが、右は以下に述べるようなわけで憲法の解釈を誤つたものであり、又後述するように最高裁判所の判例にも違反するものである。
(原審判決はここで「労働基準法」第3条をも併せて引用しているが、同法条を引用することの誤であることは後記第五点で述べる。)
[2](一) 凡そ憲法の中の人権宣言の規定は、そのマグナカルタ以来の沿革及び本質について詳論するまでもなく、国家又は国王の国民に対する約束なのであつて、国民と国民の間の法律関係を規律するものではない。即ち憲法の人権宣言の規定によつて、逆に国民が法律上の義務を負わされたり、不利を受けたりすることはあり得ないのである。ところで、本件はいうまでもなく、上告人・被上告人とも私人たる国民であるから、そこに原審判決の引用する憲法の法条は適用される余地がないのである。
[3](二) 憲法の人権宣言の規定の右のような本質論は、殆んどの憲法学者が肯定しているところである。例えば宮沢教授は
「人権宣言における人権の保障は、何より国家権力による人権の侵害を否定ないし排除する趣旨をもつている。人権宣言に含まれる規定は、人権を国家権力による侵害の前に保障すること、言葉をかえると、国家権力の人権への侵害を禁止することをその狙いとしている。したがつて、国家権力と関係のない私人の行動は、原則として、人権宣言の関知するところではない。たとえば、ある熱心なキリスト教信者が無神論者を無神論者であることを理由として、自分の秘書にやとうことを拒否することは、もちろん彼の自由であり、それは、決して人権宣言で禁止する宗教による差別待遇には当らないだろう。……」(宮沢俊義「憲法2」法律学全集四114-115頁)
としている。教授は右部分についていわゆる「私的政府」について論じ、更にアメリカの最高裁判所の裁判例を引用して、例外的とみられる場合を論じているが、本件上告会社がそのいわゆる「私的政府」でないことが明かであるし、又教授は「私的政府」の場合でもこれに人権宣言を適用し得るとはいつていない。更に引用するアメリカの裁判例も、
「すべての私人による人権の侵害と考えられるものが、人権宣言の違反になるとしているのではない。それは、どこまでも、そこに連邦政府の行動か、州の行動か、すなわち、なんかの国の行動が介在することをつねに必要としている」(同書117頁)
のである。
[4](三) 裁判例は早くから右のような人権宣言の規定の本質を見誤らなかつたのであつて、最高裁判所も既に昭和26年にこのことを明言している。
[5] その事案は、会社従業員が共産党細胞機関紙に記事を掲載したところ、会社はその記事が職員懲戒規程に触れるものとして同人を懲戒解職した。同人は右懲戒は憲法第21条(集会・結社・表現の自由)に反するものとして特別抗告をしたものである。これに対し最高裁判所は、
原審決定中の、「憲法第21条を以つて出版行為に対し何等の責任を問わない保障を与えたものと解釈すべきでないことはいうまでもなく、従つて、出版行為を為した者が、その行為について民事、刑事の責任を負う場合のあることはもとより免れ難いところである旨の説示は相当であつて、これを是認することができる。蓋し、憲法21条所定の言論、出版その他一切の表現の自由は、公共の福祉に反し得ないものであること憲法12条、13条の規定上明白であるばかりでなく、自己の自由意思に基づく特別な公法関係上又は私法関係上の職務によつて制限を受けることのあるのは已むを得ないところである。」
と判示した。(最高裁昭和26・4・4東京急行事件決定、民集5巻5号216-217頁)この判示は早急に読むと何か別のことをいつているようにも感じられるかもしれないが、実は人権宣言の本質を述べているものにほかならないのである(宮沢教授も、まさにそのように右判例を引用している。前掲書245頁)。このほかに人権宣言の本質を正しく述べた下級審の裁判例は多数あるのであつて、本件の原審判決はむしろ極めて少数の例外(高裁判決としては唯一の例外といえよう)といつても誤でないのである。これを要するに、原審判決は最高裁判所の右の判例にも違反するのである。
[6](四) 以上に述べたように、原審判決は憲法の解釈を誤り、又最高裁判所の判例に違反するものであるが、原審判決は「公序良俗」という言葉を1ケ所用いているから、これに関連して述べよう。
[7](1) 日本においては若干の人権宣言と同じような内容について、民法第90条を仲介として、これを私法関係にもおし及ぼすことが行われている。凡そ民法第90条はそれ自体私法の根本理念を定めた規定であつて、憲法や憲法の解釈に従属するものではない。憲法の人権宣言の中のあるものと類似した内容が、私法の評価においても公序良俗に違反するとされることはあり得ることである。しかし人権宣言にあるから当然に私法上の公序良俗に違反するものではない。例えば思想良心の自由・信教の自由・居住移転職業選択の自由の如きものを、民法第90条を介して私人間の法律関係(例えば雇傭契約、婚姻関係、宗教や教育団体の団体員相互間の関係、地域団体や職業団体の内部関係等に)持ち込めば、多くの場合その法律関係をこわしてしまうし、又いわゆる「二つの人権の衝突」(宮沢前掲書243頁)を惹起する。(例えば資本主義の下に経営されている企業に対して共産党員の雇入を強制することは、企業の人権たる財産権等を侵害することになりかねない。)従つて憲法の人権宣言と同じようなことが民法第90条の見地からも違法とされるのは限られた場合なのである。宮沢教授が、人権への制約が私人相互間において生ずる例として挙げているのは、人身売買の禁止、住居不可侵、信書の秘密及び財産権の保障の場合である。(前掲書242-243頁)本件の場合には右のような意味の民法第90条論をする余地もないのである。
[8](2) この点について原審判決と同じ理論を述べた唯一ともいうべき、もう一つの下級審裁判例について述べておこう。それは東京地裁昭和42・4・24富士通信機事件判決なのであるが、この判決はまさに本件第一審の判決をした民事11部の判決であつた。本件においても、原告は右11部において、この点について同様の憲法論を主張した。しかし裁判所(裁判官の構成は同一)は本件判決においては、ことさらに右の憲法論を避けた。のみならず同じ11部(裁判官が1人変つた)本件判決より10日後である7・28言渡の問谷製作所事件判決において、逆に、憲法第21条の保障は「民法90条にいう公の秩序として妥当する」けれども「他面、国民の生活活動は私的自治の原則を基調として展開されるものである以上、国民相互の関係においては、その自由意思により政治活動の自由に制限を加えることも、社会通念上これを肯認するに足りる合理的理由が存する限り、必ずしも公序に反するものとはいえない」と述べ、先の富士通信機事件判決の判旨をこの点において自ら覆したのである。
[9] これら最高裁及び下級審の判決については、上告人は原審において充分説明したに拘らず、原審判決は何故か、従来の裁判例の殆んどすべてを無視し、極めて特殊な憲法論を敢てしたのである。

[10]第二点、原審判決は前記の如く、被上告人は入社試験の際政治的思想、信条に関係ある事実を秘匿し又虚偽の申告をしたということを前提として結論を出しているのであるが、右は事実に反するのみならず、本件においては一審以来1回も被上告人が如何なる政治的思想、信条を抱いている者であるかについての主張も立証もなされていない。従つて原審判決はこの点において理由を欠き、又は理由に齟齬があるものである。
[11](一) 原審判決は被上告人が秘匿した事実の内容を具体的に認定していないから、一審判決の認定した事実をそのまま是認しているものとみるほかないのであるが、被上告人の行為の中被上告人が秘匿し又虚偽を申告した事実として一審判決が認定したのは次のとおりである。
[12](1) 同人は昭和35・6年頃自治会員として、何回も仙台や東京におけるデモ(無届デモを含む)に参加した。又昭和35年6月4日の労組や学生による仙台高裁における職員登庁阻止のピケに参加した。しかるに同人は入社試験の面接のとき「私は学生運動に対して興味がない。生活部が非常に忙しかつたので実際の行動は何もやつていない」旨を述べ、熱心に実行していた幾多の学生運動の事実を秘匿した。
[13](2) 同人は在学中独立法人である東北大学消費生活協同組合(生協と略称する)の学生委員や理事として同法人から毎月手当を受けていた。この生協はいうまでもなく学内の自治組織とは別のものであるが、同人は面接に際し、自分の働いていた生協は学友会生活部のことだと虚偽の事実を告げ、学外の独立の団体の役員であつた事実を秘匿した。(この事は被上告人の学資調達方法に関し虚偽の申告をしたことをも意味する。)
[14](二) これを要するに、原審判決が「秘匿し、虚偽の申告をしたと主張する事実が第一審原告の政治的思想、信条に関係のある事実である」と述べたのは全くの論理の飛躍であり、何等具体的な根拠がない(事実に反することは勿論)のである。
[15] 何となれば右(一)の(1)の事実のうちデモは何かの主張を掲げていたであろうから、これを詳細分析して行けば、その一部の行動についてはそのデモ隊の掲げる表面的な政治的意図傾向をある程度まで窺い得るかもしれないが、それがいきなり被上告人の思想信条だとするわけにはいかないのみならず、被上告人も裁判所も一審以来未だそのような分析をしたことがない。しかも裁判所の登庁妨害の如きは完全に思想を超えた行動の問題である。のみならず被上告人自ら、学生運動には多くの「流派」がある旨を主張している(一審昭和40年11月26日付準備書面末葉裏7行目)のであつて、学生運動がそのまま何等か特定の政治的思想、信条には結びつかないのである。更に前記(一)の(2)の生協の点については、政治的思想、信条と何の関係もあり得ない。
[16](三) 念のため附言すれば、上告会社は、一貫して主張して来たとおり、被上告人が欺計を用いた事実に徴し、同人の不誠実な性格上、将来の管理職要員として信頼することができないとして本採用しなかつたのであり、思想、信条を理由にして本採用をしなかつたのではない。なお上告会社が採用志望者の学生運動の有無を確かめたのは、学生運動はとかく無軌道無反省にわたるものが多く、殊に昭和35年当時は、所謂安保反対闘争の苛烈化していた事情にかんがみ、在学中学生運動に参加した経験があれば、更にその行動の詳細をたずねようとしたからである。生協のことが面接の問答の中に出たのは、被上告人の学資調達の方法に関連して話がそこに及んだのであつて、思想、信条とは何の関連もなかつた。

[17]第三点 原審判決は「一方が他方より優越した地位にある場合」優越した地位にある者(企業)は他方の思想信条の自由を侵してはならないとして、上告会社が被上告人より優位にあつたという認定を前提とする理論構成をしているが、優越した地位にあるか否かによつて憲法の適用を異にすべき根拠は聊かもないのみならず、上告会社が被上告人を採用するに当つて優位にあつたということは事実に反し、これを根拠づける何等の理由づけもない。更に原審判決は上告会社を商事会社としているが、これは当事者双方の主張立証を全く無視したものである。これらの点において原審判決は理由を欠くものというほかない。
[18](一) 凡そ資本が労働者より経済的に優位にあるとする思想ないし学説が存在することは事実であるが、日本国がこれをその公定学説にしたということもないから、裁判所がこれを当然の公理として援用し得ないことはいうまでもない。それ以外に原審判決のこの部分の判断を支持し得る根拠は何もない。
[19](二) のみならず現実には、当時労働市場は売手市場であつた。もつとも事務系は技術系ほどではなかつたが、それでも優秀大学とみられている大学の卒業予定者については、各企業は前年早くから、いわゆる「青田刈り」をしていたのである。(本件の採用試験も前年の9月に行われている。)従つて上告会社が本件の場合上告人より優越した地位にあつたとするのは、その理由を欠くのみならず、却つて完全に誤なのである。かかる誤の上に立つて構成された原審判決の理論は取り消されなければならない。
[20](三) 原審判決は以上のことからもいえるように極めてずさんなものであるが、そのずさんな例をもう一つ指摘しておく、原審判決は上告会社を「商事会社」といつているが、両当事者も主張せず、又一つの証拠もない(第一審も勿論そんな認定をしていないことをどうして述べたのだろうか。いうまでもなく上告会社は生産会社であつて商事会社ではない(公知といつても誤ないほど明かな事実である。)而して原審判決は、上告会社が商事会社であるという前提に立つて、その結論を導き出しているのであるから、右の認定が成り立たない以上原審判決はその結論を失つてしまうのである。原審判決は商事会社と生産会社とを特に区別して論旨を進めている以上この事実誤認は判決の結果に重大な影響を与えるものといわなければならない。

[21]第四点 原審判決は、一方上告人が雇傭契約締結の自由を有するといいながら、他方「前記のような事項」(政治的思想、信条に関する事項という意味と解される)の申告を求めてはいけないとするが、かかる論述は矛盾にほかならず、判決の理由に齟齬があるものである。
[22](一) 原審判決の右の論理によれば、企業は採用志望者に対し、その政治的思想、信条をきいてはいけないが、これを理由として不採用にしてもよいというのである。不採用は終結的処分であり、調査はそれに至る道程にすぎない。憲法第19条は思想・良心の自由を保障してはいても、その思想、信条をきくこと自体は毫も良心の思想、良心の自由を侵害するものではなく、又それによつて何の不利益も与えないのである。況や上告人は被上告人に対しその思想、信条をきいたのではなく、既に外部的に表明された行為の申告を求めたに過ぎないのであるから原審判決の論旨はまことにおかしいものというほかない。従業員の採否如何を判断するための資料として真実の事実をその人に聞くのは一番早く知る方法であるのみならず、むしろ本人にきかなければ本当のことは知り得ないことである。かかる質問をなし判断する自由は憲法第29条により上告人に保障された権利である。
[23](二) なお本件において上告会社は被上告人の思想、信条を問題にしたことはないのみならず、被上告人自身、自分が特定の思想を抱いていると主張したこともないのであつて、これらのことは前述したとおりである。
[24](三) 原審判決が上告人は雇傭契約締結の自由を有するとしたのは憲法第29条が財産権の保障をしていることに根拠を求めたものであろう。一般に所有の自由の中には処分の自由を含むものであるから契約の自由も保障されることになるとされるのが通説と見るべきであるからである(註解日本国憲法566頁参照)。又政治的思想、信条に関係ある事実を入社試験の際秘匿することは許さるべきであると説示したのは(政治的思想、信条につき申告を求めたことはないことは既に述べた)憲法第19条の思想及び良心の自由の保障に根拠を求めるものであろう。とすれば憲法上保障された諸権利は保障上優劣があるわけではなく同列に属するものであることは最高裁判所の判決を引用するまでもなく明らかであるから、憲法第19条の思想及び良心の自由の保障を強調して、憲法第29条の財産権の保障を無視乃至は無意味化する偏向した判断をすることは許さるべきではない。原審判決はこの点についても明らかに誤りを冒したものというべきである。
[25](四) 憲法第19条の思想及び良心の自由の保障の規定は自己の思想及び良心について沈黙する自由を含むと解する学説があるが、この沈黙する自由は相手方を錯誤に陥らせる意図を以て、自己の過去における外部に対し顕示した事実行為を秘匿したり、事実に反して積極的に虚偽の申告をする自由まで保障するものではない。
[26] 然るに被上告人が自ら希望して上告人との間に雇傭契約関係に入ろうとするに当り、契約の相手方たるべき上告人を錯誤に陥らせることを認識しながら、……本件の場合は被上告人は面接の際即ち採用内定前に既に上告人が学生運動を嫌忌していたことを覚知していたと主張するのであるから上告人を欺罔する意図をもつて……敢て事実を秘匿し虚偽の申告をした不信行為を「憲法第19条」の名の下に容認した原審判決は、同条の解釈を誤り法秩序の根本原理たる信義誠実の原則を無視したものであり、入社という目的達成のためには手段を択ばず、欺計を用うることも勝手であるというに異ならず、かかる憲法の解釈並に適用は著しく社会正義に反するものといわなければならない。
[27] 右に関連して若干付言する。
[28] 自己の自由意思に基き特別な私法関係を締結しようとした被上告人が事実を秘匿したり、或いは虚偽の事実を申告する等の上告人に対する加害的手段……かかる手段は上告人の雇傭の自由や財産権を侵害するという意味から所謂沈黙の自由の域を逸脱した行為である……以外の方法を被上告人に期待できなかつたであろうか。これを肯定するような特殊な事情に被上告人がおかれていなかつたことは次の諸点に徴し明らかである。
[29](1) 上告人を志望したのは被上告人自らの自由意思で決定したもので、上告人は固より他の何人の意思によるものではない。
[30] 従つて上告人が申告を求めた事項を申告することにつき、自己の良心の自由を傷けられる危険を感じたとすれば、入社志望を撤回すれば完全にその危険を避け得たのである。
[31](2) 上告人の要求する事項を有りの儘に申告すれば不採用になるかも知れないので、その危険を避けるために、被上告人は前記の如き方法に訴えたのはこの場合已むを得ないとして容認すべきであるとの説が一部において行なわれている。原審判決が上告人が経済的優位にあつたことを前提として被上告人の行為を是認した論旨も正にこの範疇に属するものといえる。
[32] 然しそれは学生が落第することを恐れて試験にカンニングしたことを擁護する論旨と全く撰ぶところがないのみならず、被上告人は上告人の受験を断念したとしても他に受験の途を失うという事情にはなかつたのである。即ち被上告人は上告人を唯一若しくは最優先的に志望していたのではなくて当時上告人の外に入社願書を提出していた会社は、理研ピストンリング、日本ステンレス、日本鋼管、川崎重工、出光興産の5社に上り、その中前2社は試験未了であつたことは身上書(乙第1号証の1)で明らかである。これらの会社は何れも国内の一流業者として名を知られているが、その営業種目は夫々全く異質であつて被上告人は上告人でなければならないという限定した志望をもつていた訳ではなかつたのであるから、被上告人はいわば志望会社の中どの会社でも(業種自体には関係なく)入社できさえすればよかつたのである。
[33](3) 被上告人が用いた詐術は単に利己的慾望を達成せんがための方便としてであつて、「良心の自由」を防衛しようという崇高な目的に出でたものではない。
[34] 原審判決が右被上告人の行為を憲法第19条に擬し、これを容認したのは全く同法条の適用を誤つたものである。仮に被上告人の所為が憲法第19条にいう良心の自由の保護に該当するものが含まれているとしても、その行為の体容において濫用に亘るものであることは明らかであるから、原審判決は憲法第12条に違反したものといわなければならない。

[35]第五点 原審判決は、上告会社の被上告人に対する本採用拒否をもつて労働基準法第3条に牴触するとしているが、この判示は次のようなわけで判決に影響を及ぼすことが明かな法律の違背であり、又理由に齟齬があるものである。
[36](一) 原審判決はこの結論に到達するために持つてまわつた議論をしているから、それをたどつてみよう。それによれば(1)被上告人は雇傭契約によつて上告会社の従業員となつた。詐欺による右契約の取消効力が遡及しても従業員になつたことは抹殺し得ない。(2)詐欺による取消は従業員たる地位を喪失せしめるものであるから「実質において解雇と同一の作用を営むもの」である。(3)従つて右詐欺による取消は労働基準法の適用を受ける。(4)被上告人が秘匿したり虚偽の申告をしたりしたことは同人の思想、信条に関係がある事項である。(5)かかる事実を後日の調査によつて知り得たとして雇傭契約を取消すことは同法第3条に牴触する。というのである。
[37] ところで先ず右(1)及び(2)の議論は何のことかよく判らない。けだし取消が遡及すれば本件試採用契約ははじめに遡つて無効となるから、法律上には被上告人は1回も上告会社の従業員になつたことがないし、従つて解雇ということもない。原審判決はここで法律論ではなく、自らも述べているように実質論をしようとしたものであろう。しかし実質論がいきなり法律論として通用するわけのものではない。
[38] いわんや本件は、法概念論としてみれば試用期間中という段階において本採用を拒否したという事案であり、実質論としてみても、被上告人の会社における地位身分は試用期間中という極めて不安定のものであつたにすぎない。上告会社が被上告人を本採用するか否かは同会社が試用期間を経てから決するところである。仮に右本採用拒否を一応「契約」と名づけるとしても、それは原審判決が自ら引用する第一審判決のいうように「会社において原告(被上告人)が管理職要員として不適格であると認めたときは、それだけの事由で雇傭を解約し得る」ものであり、右試用期間とは「諸般の解約権に対する制限を排除する趣旨であつた」のである。これを要するに「形式的」は勿論「実質的」にも、「解約権」に対する「諸般の制限」は排除されているのであつて、通常の解雇の場合と同一ではないのである。
[39] 従つて原審は自らの引用する右の認定と矛盾し、これに忠実でないのみならずもし原審がその判決のような前記(3)の結論に進もうとすれば、先ず何等かの法理論を組み立て得なければならないのである。(少くとも一たん排除された解約の制限が何故再び復活したかについて、明白な説明を要するはずである。)要するに原審判決はこの点において民法第96条に違背し、かつその理由に甚しい齟齬があるものである。
[40](二) 次に原審判決の前記議論の筋道の(4)(被上告人の申告が思想、信条に関係があるということ)についてみるに、先に第二点として述べたとおり、上告会社が被上告人にきいたこと及び同人のこれに対する虚偽ないし事実を秘匿した回答は、思想、信条とは関係がないのである。従つて原審判決はこの点において、第二点に述べたと同様理由を欠き又は理由に齟齬があるものである。
[41](三) のみならず原審判決は前記議論の筋道の(5)において、労働基準法第3条に違背している。凡そ労働基準法第3条にいう労働条件に採用が含まれないことは今日殆んど争がないから、本件のように「本採用拒否」(少くとも前記のように判決にいう「解雇」についての制約がなく、従つて次の本採用に進むか否かは使用者の自由な判断に委ねられている)の場合に労働基準法第3条を適用するのは誤である。又仮に百歩を譲り、本件を通常の解雇の場合と同視し、その「本採用拒否」に通常の解雇と同様の諸般の制約が附着しているものとみて考えてみても、なお、これに同法条を適用するのは誤である。けだし通常の考え方によれば、解雇の意思表示そのものは「労働条件」ではなく、労働基準法第3条と解雇とが関連し得る場合というのは、労働協約や就業規則に解雇基準が規定されているとき、又は使用者が一定の基準を定めて解雇したと認められるときに、この基準が同法条に触れるか否かの問題が生じ得るのみである(元来同条は解雇の場合を含まないという見解も存する)。(労働省労働基準局編著「改訂版労働基準法」上42、43頁及びそこに引用してある裁判例、学説参照)而して本件において上告会社はそのような基準を設けて被上告人に本採用拒否(いわゆる解雇)をしたのではなく、少くともそのような事実の認定は全く存しないのであるから、原審判決はこの点で労働基準法第3条の適用を誤つたものというほかない。
[42](四) 右(一)及び(三)項に指摘した法令の違背は、詳述するまでもなく、当然に判決の結論を左右するものである。
[43](五) 原審判決がそのまま引用する第一審判決は上告人の試採用と本採用との関係について、
「会社が原告との雇傭につき、試用期間を設けたのは、これによつて契約の効力発生又は消滅に関し条件又は期限を付したものと解するのは相当でなく、むしろ、他に特別の事情がない限り、右雇傭の効力を契約締結と同時に確定的に発生させ、ただ右期間中は会社において原告が管理要員として不適格であると認めたときは、それだけの事由で雇傭を解約し得ることとし、諸般の解約権に対する制限を排除する趣旨であつたものとみるのを相当とする。」
と説示したのである。
[44] 然しながら右説示は上告人の意思にもとづき試用期間を設定した「見習試用取扱規則」を恣に一審判決に都合のよいように歪曲して解釈したものである。元来試用期間を設けた目的は、提出書類試験面接等によつて発見できなかつた点につき試用者について一定期間内にその職業的適格性を判断し不適格と判定したものには本採用することを拒否するためである。前記見習試用取扱規則は、試用期間経過後、社員として採用するか否かを決定し、換言すれば適格者とあらためて労働契約を締結することを規定したもので、試用契約と本採用の際の本契約たる労働契約とは夫々別個独立の契約である。これは本契約の一部として試用期間中の解雇権保留の付款としてではないのである。一審判決も「原則として右期間経過後、本人の志操、素行、健康、技能、勤怠等を審査のうえ、本採用の可否を決定し、本採用者に対しては右期間終了の翌月1日付の辞令を発行し、なお別段の定めがある場合の外、見習期間を社員としての勤続年数に通算すること等を規定し」と認定しているのであるから、「右雇傭の効力を契約締結と同時に(試採用時を指称することは明白である)確定的に発生させ」たものと判示したのは理由齟齬の過誤を冒したものである。何となれば、試採用時に雇傭契約の効力を確定的に発生させるものであれば、本採用者の勤続年数に試用期間を通算することを特に規定する理由は全くないという一事に徴しても明白であるからである。
[45] 従つて原審判決が被上告人のいう労働契約関係の存在を認めたことは根拠を欠き、又原審判決主文第2、3項の金銭支払に関する部分は、右のような誤つた契約関係存在の判断がその前提となつて帰結されたものであるから、原審判決は当然に全部取り消されるべきものである。

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