苫米地事件
控訴審判決

衆議院議員資格確認等請求控訴事件
東京高等裁判所 昭和28年(ネ)2010号
昭和29年9月22日 判決

控訴人 (被告) 国
被控訴人(原告) 苫米地義三

■ 主 文
■ 事 実
■ 理 由

■ 第一準備書面(被控訴人)
■ 第二準備書面(被控訴人)
■ 第三準備書面(被控訴人)
■ 第四準備書面(被控訴人)

■ 準備書面(控訴人)


 原判決を取消す。
 被控訴人の請求を棄却する。
 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人の負担とする。


 控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は、本件控訴を棄却する旨の判決を求めた。

 事実並に証拠の関係は、
 被控訴代理人に於て、原判決1枚目裏第7行目に、選挙の日を「昭和24年4月25日」と記載してあるのは、「昭和24年1月23日」の誤りであると述べ、
 控訴代理人に於て、右の事実を認めると述べ、
 被控訴代理人は、末尾添附の第一ないし第四準備書面のとおり陳述し、
 控訴代理人は、末尾添附の準備書面のとおり陳述し、
 被控訴代理人は、新に、甲第1ないし第3号証、甲第5号証、甲第9号証、甲第10号証の1、2、甲第11号証を提出し、当審証人保利茂の供述を援用し、
 控訴代理人は、新に、当審証人保利茂の供述を援用し、前掲甲号各証の成立を認めると述べた外は、
すべて、原判決の事実に記載してあるとおりであるから、これを引用する。


[1] 被控訴人が昭和24年1月23日に施行された衆議院議員総選挙に於て当選し、衆議院議員となつた事実、衆議院議員は、当時、被控訴人主張の法令に基いて、歳費として、毎月10日に、1ケ月金5万7千円宛の給与を、控訴人から支給されることになつていた事実、昭和27年8月28日天皇の衆議院を解散する旨の詔書が衆議院議長に伝達された事実は、いずれも当事者間に争がない。
[2] 控訴人は、裁判所が衆議院解散の合憲性を審査することは、日本国憲法を認める三権分立の根底を破壊するものであり、憲法の容認しないところであると主張する。
[3] まことに、控訴人の主張するとおり、新憲法が、近代法治国家の例にならつて、三権分立の原則を採用し、立法権は国会に、行政権は内閣に、司法権は裁判所に属するものとし、相互にその権限を尊重しあうことに定めたことは明かであるが、他面、法治国家としての体制を徹底させる為め、民事、刑事、行政のすべてに通じ、一切の法律上の争訟について、裁判所の裁判権を認め、(裁判所法第3条参照)、裁判所が、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するか、しないかを決定する権限を有するものとすることによつて、裁判所の法保障的機能を確立したことも、疑がない。
[4] されば、裁判所は、行政処分の違法又は公法上の法律関係に関する争を判断する限りにおいて、行政権に対し法保障の為め、これを制約する権限を有し、又違憲法律の審査をする限りにおいて、立法権に対し、法保障の為め、これを制約する権利を有するものである。
[5] 尤も、司法は、具体的事件についての法適用の保障的機能を果すことをその本来の任務とするものであるから、裁判権の限界も、右任務に照して、自ら定まるものと云わなければならない。
[6] 従つて、行政権の自由裁量に属する問題、政治の一般方針に関する問題、単なる法令の効力に関する事項等については、裁判権はないものと考えられる。
[7] 尚、政治色の濃厚な一連の行為が、統治行為の名称の下に、裁判所の判断から除外されるべきことを主張する学説の存在することは否み難いが、新憲法下の我国の裁判所の性格、権限は、前段説示のとおり、具体的事件についての法適用の法保障的機能を果すべきものであり、被控訴人の主張によれば、本件衆議院解散の効力の如何は、被控訴人の権利に直接影響するものである以上、これが有効又は無効であるかについて、当然審判するの権限を有するものと解する。
[8] 控訴人は、裁判所の解散無効の判断によつて招来する重大な結果に論及し、幾多の収拾の因難な事例を挙げ、これによつて、衆議院解散の如きは、裁判所の審判の対象とならない旨論説するが、裁判所の判断は、唯法の適用により羈束されるものであり、行政と異なり、結果の妥当を考慮することは許されないものであるから、無効の判断の結果生ずる影響の大なることの一事のみによつて、裁判所が有効、無効を判断し得ないとする法律上の根拠に乏しい。
[9] その他、この点に関して、控訴人の主張するところは、結局、当裁判所の前記法律上の見解と反する所見に基く主張であるから、いずれも採用しない。
[10] 本件解散が、憲法第7条のみによつてなされたことは、当事者間に争がない。
[11] 次に、解散権の所在並に解散権行使の要件についての当裁判所の法律上の見解は、原判決がその理由に於て、(原判決第15枚目〔148丁〕表第9行目原告は云々以下第19枚目裏第5行目迄)説示するところと同様であるから、この部分を引用する。
[12] よつて、本件解散について、内閣の助言と承認があつたかどうかについて判断するに、成立に争のない乙第1号証、原審証人山田明吉(但し、後段認定に反する部分を除く)、当審証人保利茂の各供述を綜合すれば、次の事実が存在したことが認められる。
[13] 即ち、内閣の閣議は、定例閣議として、毎週火曜日と金曜日の午前10時に、首相官邸で開催され、別に、必要に応じて、随時、臨時閣議が開催されて居り、閣議の議決方法は出席閣僚の全員一致を絶対要件としてなされ、この慣行は古くから長年に亘つて行われて来た事実、又病気、出張等により閣議が出席出来なかつた閣僚に対しては、後日閣議書類を持廻つて、その決裁を受ける慣行が行われて居り、右書類決裁の方式が持廻り閣議と称されていた事実、昭和27年8月22日(金曜日)定例閣議が開かれ、政局の分析、情勢判断、閣僚の意見交換等がなされ、結局、衆議院解散の結論に到達した事実、当時の内閣総理大臣吉田茂は、同月25日那須御用邸に伺候して天皇にその旨上奏した事実、同月26日同日憲法7条により衆議院を解散する旨の詔書案とこれが発布されたことの衆議院議長宛の伝達案外1件を議題として、持延り閣議の方法により、書類(乙第1号証)を作成した事実(尤も、当日全部の閣僚の署名は得られず、4、5名の閣僚の署名を得、残りは同月28日署名を得て、完備した事実)、次で、同月26日夜、内閣総理大臣官房総務課長山田明吉は、内閣の使者として、該書類を天皇に呈上し、裁可の後署名を受け、翌日宮内庁に於て、御璽を受けた事実、同月28日右解散詔書の伝達に関して、臨時閣議が開催され、全員異議なく可決した事実が存在する。
[14] しからば、以上牽連する一連の事実から考えれば、本件解散については、天皇の解散の詔書発布前たる昭和27年8月22日内閣に於て、天皇に対し助言する旨の閣議決定が行われ(尤も乙第1号証の書類が完備したのは、前記認定のとおり、同月28日ではあるが、右は既に成立した同月22日の閣議決定を再確認し、持廻り閣議の方法により、書類の形式を整備したに留まるものと認める)、前記認定の如く、天皇に対する吉田総理大臣の上奏並に山田総務課長よりの書類の呈上となり、これによつて、内閣より天皇に対する助言がなされ、天皇は右助言により解散の詔書を発布し、内閣はその後これを承認したものであると解するを相当とする。
[15] 原審証人山田明吉の供述中には以上の各認定に反する部分があるが、当審証人保到茂の供述に照し、且つ機密に属する閣議の内容、総理大臣より天皇に対する上奏の内容の如きは、直接関係者以外の窺知し得ない事柄であると認められる点から考察して右供述部分はにわかに採用し難く、その他以上の認定を覆えすに足る確証はない。
[16] しからば、本件衆議院の解散については、被控訴人主張の如き無効の原因は存在せず、有効であるから、本件解散が無効であることを前提とする被控訴人の本訴請求は理由がない。

[17] よつて当裁判所とその所見を異にして、被控訴人の請求を認容した原判決は不当で、本件控訴は理由があるから、民事訴訟法第386条、第96条、第89条を適用して、主文のとおり判決する。

  (裁判官 渡辺葆・牛山要・野本泰)
[1]、被控訴人が抜き打ち解散を無効なりとする憲法上の根拠から先ず明かにする。
[2](一)(1) 憲法第1条は、天皇の地位を定めたもので、権能を定めたものではない。即ち本条からは、衆議院解散決定の権能、決定された解散の表示行為をなす機能も、ともに生じ得ない(此の点は世界に於ける君主の在り方としては独特のものである。)
[3](2) 天皇は、「国政に関する権能」=「国政に関する実質的決定権」を有せず、「既に国政に関して決定されたものの形式的表示行為」=「国事に関する行為」を為す権能のみを有する(憲4)
[4](3) 天皇の国事行為は、すべて内閣の助言と承認によつてのみ行われ、天皇の積極的意思表示によつて行わるるものではない。積極的発意によつて行わるることになれば、天皇は国政に関する権能を持つことになるからである。(憲3、4)(従つて助言と承認とは2つながら必要となる。)
[5](4) 内閣を為す天皇の国事行為に対する「助言と承認」は、「国事行為」自体についての助言と承認である。内閣の助言承認権は、その内容として国政に関する実質的決定の権能を含むものではない。(何となれば、天皇には国政に関する実質的決定権がないから、天皇の国事行為=「形式的表示行為」はそれについての内閣の助言承認の前に、その実質的決定が為されていなければならないからである。内閣の国事行為(「=形式的表示行為」)自体についての助言承認が、実質的決定権までも包含することはあり得ない。却つて、憲法は、実質的決定権については、第6条によつて内閣総理大臣指名の権能が国会に、最高裁判所官の指名の権能が内閣にあることを定め、又第73条によつて、第7条第1、5、6、8、9号についての実質決定の権能が内閣にあることを定めるなど、形式的表示行為についての助言承認権が実質的決定権を含まないことを明かにしている)(憲3、4、6、7、73)。
[6] 故に憲法第7条のみでは衆議院を解散するかどうかの決定はできない。憲法第7条によつては、既に解散を決定したものについて、内閣の助言と承認によつて、天皇の解散詔書発布の行為がなさるるのみである。
[7](二) 「国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使」(前文)するものである。従つて、
[8](1) 国会は「国権最高の機関」である。(国会は「国権の最高機関たるとともに「唯一の立法機関」として「立法権」を分掌し「最高機関」たる国会の下に「行政権」は内閣に、「司法権」は裁判所に分属せしめたのである。)(憲41、65、75、)それ故その解散は国会の自律的議決、少くとも衆議院の自律的議決に基困すべきである。(国会の議決による解散は憲法の認めるところでないから、少くとも衆議院の決議に解散の基礎があることが必要である。)
[9](2) 内閣は国権の最高機関たる国会の信任によつて成立し、その信任によつて存続し(憲67)、その行政権の行使について国会に対し、連帯して責任を負う(憲66-3)、国会の信任がなくなればその存在の基礎を失い、総辞職すべきである(憲69、70)。而して国会は「国権最高の機関で、内閣はその下に行政権を分属せしめられた機関であるから、内閣は原則として国会を解散する機能を有しない。例外としてその権能を有するためには憲法の規定がなければならない。
[10](3) 憲法上解散については第7条、第54条、第69条の3ケ条がある。しかし、第7条は解散の形式的表示行為に関する規定であり、第54条は解散後の処置に関する規定であるから、解散の実質的決定については、第69条あるのみである。
[11] 憲法第69条は、
(イ) 国会を構成する衆議院に内閣不信任の決議権(「不信任の決議案の可決又信任の決議案の否決」の権能)のあること。
(ロ) 衆議院の内閣不信任決議の効果として、内閣は原則として直ちに総辞職しなければならない。ただ、例外として衆議院が解散さるると、直ぐには総辞職しないこと。
(ハ) 衆議院が内閣不信任の決議をした場合、内閣が10日以内に総辞職しないときは、衆議院の解散さるることのあることを予定する。
(ニ) その解散は、不信任決議後10日以内であることを予定する。
(ホ) 内閣は不信任決議後10日以内に、総辞職するか、どうかを事実として決定しなければならない。
ことを定める。
[12] 故に衆議院の解散は、
A、衆議院が内閣不信任の決議をしたこと。(=衆議院がその解散の基礎ずけをしたこと=衆議院がイニシアチブをとつたこと)
B、内閣がその決議後10日以内に総辞職しないことを決定したこと。(内閣が総辞職するかどうかは、内閣が内部的に自由に決定し得るところである。この意味において解散するかどうかの決定は内閣がなし得ることとなる。)
なる2個の条件で決定する。即ち衆議院が解散についてのイニシアチブをとり、内閣がこれを決定することとなる。(此の解散決定要件によつて衆議院が解散さるるの外、衆議院解散の憲法上の根拠はない。即ち衆議院の解散は憲法第69条の場合に限る)
[13](三) 前述のようにして解散が決定されるとき、内閣は解散の詔書の発布なる天皇の国事行為について助言と承認を為すものである。(憲7)内閣は合議体であり(憲66)、内閣がその職権を行うのは閣議による(内閣法4)ものであるから、この助言と承認にも閣議決定がなければならない。
[14] 内閣の責任は連帯責任(憲66)であるから、閣議決定は全閣僚一致の同意を必要とする。仮に閣議決定に関する慣行があるにしても、その慣行は全閣僚一致の同意があるものと認められるる範囲に限るものと解すべきである。随つて閣僚中、病気、出張その他止むを得ない事由によつて参加し得ない者がある場合は、かような少数の閣僚を除き他の閣僚の大部分が出席し、会議し、以て閣僚が一体的に同意することを要する。此の場合その少数の閣僚も積極的に反対の意思表示のない場合に限るものと解すべく、又持ち廻り閣議の慣行は軽微な閣議決定に限られ、解散の詔書の発布についての助言と承認の如き重要な案件には(その重要なことは控訴人も解散について裁判権なしとの主張中にこれを自認している通りである。)には持ち廻り閣議は許容されないものと謂わねばならない。閣議決定は国務に関してなさるる重要な決定であり、閣議決定についての閣僚の同意はその連帯責任を表示するものであるから、閣僚が閣議決定を表示する書類に署名し、その意思を明確にすることは当然である。

[15]、然るに本件「抜き打ち解散」は、
[16](一) 衆議院で内閣不信任の決議案の可決又は信任の決議案の否決がないのになされた解散、即ち憲法第69条による衆議院解散の実質的決定がない解散である。従つてこの解散は無効である。
[17](二) 仮に、何等かの根拠によつて、内閣に右抜き打ち解散決定の実質的権能があつたと仮定しても、右解散については内閣が解散を実質的に決定する閣議決定を為した事実がないから無効であるばかりでなく、又その解散についての天皇の国事行為即ち解散の詔書発布についての助言の閣議決定も承認の閣議決定もない。従つて、天皇の解散詔書の発布に対する助言と承認がないから右解散は無効である。

[18]、解散が「国務に関する行為」であり「処分」であることは謂うまでもない。しかも、「憲法の条規」に基く直接の「処分」は解散がその主なものである。従つて解散が憲法の条規に反するものである限り、憲法第98条によつて無効であり、解散が憲法第81条の「処分」である限り、裁判所の審判を受けることも亦当然である。
[19] かように憲法の明文があるのに拘らず、解散は「処分」ではあるが統治行為であるから裁判の対象にはならぬとの見解は憲法を法規とみる限り容るることのできない見解である。
[20] もしも、かような見解が容れるものとすれば、憲法は法規としての拘束力を失い、政権を握る者は常に憲法を無視し得るのみならず、国家の基礎法たる実質を失うに至るものである。
[1]、控訴人は右準備書面「第一」に於て「行政行為はそれが国民の具体的権利義務に直接関係するものである。これを裁判所による審査の対象とし、その権利を害された者に救済を受ける途を開くことは近代法治主義の要請であるのみならず、憲法は原則として右の如き一切の行政行為につき、その適法であるか否かの問題が裁判所の審査に服することを認め、衆議院解散についても明文上特に右原則から除外する規定が設けられていない」ことを前提としながら、敢て「裁判所は、衆議院解散の合憲性を審査する権限を有しない」と主張し、その理由として3項に亘つて述べているのであるがそれは結局衆議院解散が無効と判断さるによつて生ずる諸種の混乱を挙げ、これより逆論して衆議院解散の合憲性が司法権による判断の対象とならないことを主張するに帰するものである。
[2] 然れども司法権は、純粋に、ある行為が憲法に適合するかどうかを判断すべきであつて、控訴人のいうように生ずべき混乱から逆論して推論することは許されないところであるし、控訴人の左様な主張が許容されるならば、それは憲法適用の保障を排除し、行政府乃至内閣総理大臣専制独裁を馴致し、日本民族をして、再び破滅に陥れるものである。

[3]、日本国憲法は、世界で最も新しく制定された憲法であり、日本が有史以嘗掌てない惨憺たる敗戦の苦悩の中に制定された基礎法である。その解釈は、日本国憲法自体から率直に理解されなければならない。わが憲法上裁判所は、厳格に、法に拘束されることは言うまでもない。
[4] 憲法第98条によれば「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」のであり、衆議院解散の詔書が憲法の条規に基く詔書であることは謂うまでもない。憲法76条によれば「すべて司法権は最高裁判所及び法律の定めるところにより設置さる下級裁判所に属する」とし、憲法81条の明文によれば、「最高裁判所は、一切の法律命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」と規定し裁判所が、「一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する」こと、従つて、この明文上、裁判所が衆議院を解散する行為が憲法に適合するかどうかを決定する権限を有することも当然であつて、日本国憲法上、これを除外する明文のないことはいうまでもない。

[5]、抑々、日本国憲法は、前文冒頭に於て、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し」たと宣言している。
[6] 大日本帝国憲法(以下旧憲法と略称する)が日本国憲法(以下新憲法又は単に憲法と略称する)に改められた根本的動因は、敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾した日本が「政府の行為によつて再び戦争の起ることのないように決意」し、ポツダム宣言に於て「われらは日本人を民族として奴隷化せんとし、又は国民として、滅亡せしめんとするの意図を有するものに非ず」「日本国政府は日本国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙を除去すべし」「日本国国民の自由に表明せる意志に従ひ平和的傾向を有し且責任ある政府が樹立せらるること」なる文言に従い、天皇制に一大変革を為し、天皇は国政に関する何等の権限を有しないものとし、以て国権の執行機関の独裁専制政治を防止するに万全を期することにあつたことは、内外、何人と雖も疑を容れ得ないところである。
[7] されば、憲法前文の「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないように決意し」なる文言こそ、政府の独裁専制政治は絶対にこれを防止するという新憲法の一大原則を、内、国を挙げて決意し、外、世界に向つて宣言したものに外ならぬ。
[8] 従つて、憲法の諸条規も、この大原則に適合するように規定されたものであり、その解釈もこの大原則に適合するように為されねばならない。

[9]、新憲法は、天皇による独裁専制の政治を防止するために、天皇は全く「国政に関する権能を有しない」ものと明定し、ただ憲法上特定された「国事に関する行為のみを行ひ」(4条)この限られた「国事に関する行為」=形式的儀礼的表示行為(これは国政に関する実質的決定権を全く包含しない)すらも、その「すべての行為には内閣の助言と承認とを必要」とし、天皇は「日本国の象徴」たる「地位」にのみあるものとし(1条)、天皇によつて、若しくは天皇の名によつて独裁専制の政治が為される余地がないように定めている。天皇の解散詔書の発布なる国事行為も解散決定の実質的権能=国政に関する権能を含まないことは当然の帰結である。
[10] 然るに、内閣総理大臣は、国政上、執行権を掌握し、実質的には天皇以上の権能を有することとなつた。旧憲法下、内閣総理大臣は、国務大臣として天皇によつて任命され、天皇に従属し、それは単なる天皇の補弼機関で、独立した権能をもつた機制ではなかつた。ところが新憲法では、内閣総理大臣は国会の指名によつてその地位につくのであり(67条)一度、その地位につくと、他の国務大臣の任免権を有し(68条)、内閣の首班として内閣の有する行政権を首宰する(72条)。しかも、旧憲法下内閣総理大臣が、衆議院の外、天皇、軍部、貴族院、内大臣府、枢密院から制肘を受けていたのと異り、内閣は独立し、ただ単に国会に対し連帯して責任を負うに止まる。かくして内閣の存立は、国会、殊に衆議院の信任を要件とするのみである。そこで内閣総理大臣が、衆議院で多数党をその掌中に収めれば、その専制独裁は易々たることとなつた。
[11] 内閣総理大臣が衆議院で多数党を握る合法的方法は衆議院の解散である。衆議院解散の権能は現行憲法上、内閣総理大臣が専制独裁となるかどうかの唯一の鍵である。されば、憲法はこの内閣総理大臣の専制独裁の政治を防止するため、特に憲法第69条を規定し、衆議院の解散は、A、衆議院が「内閣不信任の決議案の可決」又は「信任の決議案の否決」なる形に於て、内閣不信任の決議をしたこと、即ち、衆議院が自ら解散についてのイニシアテイブをとつたこと、B、内閣がその不信任決議後10日以内に総辞職しないことに決定したことの2個の要件が具備されたときのみ決定されることを明示し、この場合に限り内閣の助言と承認によつてのみ天皇の解散詔書が発布されるべきことを規定したのである(7条)。
[12] 而して憲法第76条同第81条は裁判所による憲法の適用を保障し、衆議院の解散についても、内閣の憲法無視による解散によつて、内閣総理大臣の専制独裁の政治となることを防止しているものと解すべく、事、衆議院の解散に関する限り、憲法第98条、第76条、第81条の明文にも拘らず、これを例外として裁判所の審査する権限の外にあるとの控訴人の見解は、断じて、許さるべきでない。況んや憲法の条規自体に基く処分は、衆議院の解散が、その主なるものであつて、外に何があるかを考えるとき、控訴人の見解を許さるべきでないことは一層明かである。

[13]、控訴人の前記準備書面第一の一によれば、「裁判所が解散の合憲性を審査することは日本国憲法の認める三権分立の根底を破壊するものであり、憲法の容認しないところである」とし、若し「解散が無効であればそれを前提とする」「解散後の国会及び内閣は有効に存在しない」「裁判所が衆議院解散の合憲性を審査することは、結局において解散後成立した国会及び内閣の存立自体の合法性を審査することにほかならない」裁判所は「その存立自体は、裁判官を指名若しくは任命する内閣と内閣の存立の基礎である国会の合憲的な存在を前提としている」「憲法は国会と内閣と裁判所の合憲的存在を前提として国権の作用を立法、行政、司法の三者に分立し、それぞれの機関に固有の作用を行わしめているものとみるべきであるから、三者相互に独立併存の関係にあり、一の機関に他の機関の存立そのものを全面的に否認するが如き権能を与えることは、実に三権分立の根底を破壊するものである」とし、「非合法な内閣によつて指名又は任命された裁判官が内閣存立の合憲性を判断しなければならない場合が考えられる。これは制度的矛盾である」従つて「憲法は国会及び内閣の存立自体の合憲性は論理的に三権分立以前の問題としてそれに関する紛争の解決を政治的解決に委ね、裁判所による司法的審査の対象とはしていないものと解すべきである。」と為している。
[14] 然れども、裁判所が解散の合憲性を審査した結果、他の機関の存立が認められぬこととなつたとしても、裁判所は、あくまでも、解散そのものが憲法に適合するかどうか、を判断するものであつて、控訴人のいうように「他の機関の存立そのものを全面的に否認」するものではない。裁判所の権能はあくまでも、憲法適用の保障である。その判断の結果如何に処置さるるかの問題こそ控訴人の所謂「政治的解決に委ね」たものと解すべく、裁判所より憲法適用の保障の権能を剥奪し憲法を空文化するに至る控訴人の右主張は到底許容さるべきではない。
[15] 仮りに、控訴人の右主張を許容すべきものとすれば、内閣による衆議院の解散は、「一の機関(=内閣)に他の機関(=衆議院)の存立そのものを否認するが如き権能を与へること」で実に三権分立の根底を破壊するものである」ということになり、それ自体、内閣による衆議院解散の権能は憲法の全く認めないこととなり、抜き打ち解散は憲法の認めない違憲の解散と為さざるを得ない。然るに、さような違憲の解散についても、裁判所はかような解散無効について憲法適用の保障をする権限なく、内閣総理大臣の政治は独裁専制となつて憲法の企図したことが防止の前文も条規も空文となるに任せるが控訴人の所謂「憲法の容認」するところとは到底許容することはできない。

[16]、控訴人の前記準備書面第一の二によれば、「解散の当否は、主権の存する国民の選挙によつて決定されるべきであつて、裁判所がその効力を審査することは国民主権主義を基本原理とする憲法の精神に反する」となし「裁判官は憲法上独立と身分が保障され(76条3項、78条)、国民に対する政治的責任を免れている(66条3項参照)。こうした性格の裁判官が衆議院解散の合憲性を審査し得るとすれば、無責任政治の弊を醸す危険なしとせず」「憲法は、衆議院解散に関する紛議については、裁判所による司法審査に期待せず、最高の統治意思形成の問題として、国民の総意発現たる衆議院議員総選挙の結果によるいわゆる政治的解決に期待する態度をとつている」と断定している。
[17] 然れども、憲法は、「この憲法及び法律」の適用の保障をして遺憾なからしむるため、特に、裁判官に対し控訴人が指摘しているように、憲法上独立と身分を保障し(76条3項、78条)ているのである。衆議院の解散も憲法の条規に基く処分であることは言うまでもない。この処分が憲法の条規に違反するかどうかは政治的判断ではなく、これは全く法的判断であつて、かような法的判断は、正に裁判所の職能に属するところである。これを除外する条規は憲法の何処にも存しない。
[18] しかも、裁判官は、控訴人が主張するように、国民に対し政治的に全く責任を負うものでないとは言えない。即ち最高裁判所裁判官は憲法79条第2項によつて、国民の審査に附せられるるものであり、裁判官は憲法第64条によつて、弾劾裁判所に於ける罷免訴追の裁判を受けることのあるものである。憲法が裁判官に対し、憲法第66条第3項に於ける内閣に対するような政治的責任を負わしめないのは、独立不覊の立場に於て厳格に法的判断を為すことをその職責とする本質上当然のことであり、控訴人の言うような無責任政治の弊を来するものではない。憲法が国民主権主義をとり、その条規の適用を法的に保障するため裁判所をしてその権能を有せしめている以上、裁判所が衆議院の解散なる憲法に基く処分の当否について判断するのは正に憲法の規定するところと謂わねばならない。
[19] 次に控訴人は「解散の当否は、主権の存する国民の選挙によつて決定さるべきである」と主張するが、衆議院議員の総選挙は、解散の適否の法的判断について国民が投票するのではなく、議会の内閣不信任の当否について国民が政治的に判断し議員の選挙を為すものである。解散が憲法に適合するかどうかの法律的判断は、憲法上正に裁判所の職能とするところである。裁判所がこれを判断しないものとすれば、何人が法律的に判断することとなるか、これを判断する憲法上の機関なく、その結果、内閣総理大臣の解散権の乱用となり、その独裁専制となることは明かである。これこそ国民主権主義の基本原理を蹂躙するものであつて、到底憲法の容認するところではない。

[20]、控訴人の前記準備書面第一の三によれば、「憲法は、解散無効を前提とする判決によつて生ずる混乱を容認しているものとは思はれない」としその混乱について種々述べている。
[21] 然れども、これは明かに、結果から逆にかくあるべきだと論じているのであつて、かような議論が許されるものとすれば、大津事件に於ける児島判事の為した尊敬すべき判決は到底容認し得ないこととなる。即ち、当時、裁判所が政府の干渉に従つて明文を曲解して不当な法の適用をしなければ、日本は露西亜の攻撃を受け、あるいは、日本そのものが滅亡するかも知れぬ政治情勢であつた。結果から言えば、大混乱、寧ろ、日本の破滅が予想された。しかるに児島大審院長は、断乎として、政府の干渉をしりぞけ、法律の明文に従つて処断されたのであつた。その結果は、法律の危機を救い、日本の司法権の権威を高め、却つて、混乱を防ぎ日本の破滅を救つたのである。
[22] 然るに、控訴人の主張によれば、かような露西亜の攻撃により国が滅亡するかも知れぬ結果を招来することは、憲法の要求しないところであるから、憲法や法律の明文があつても、これは除外すべきで、「その良心に従ひ独立してその職権を行ひ」「法律のみ」に従つて判決された児島判事の大津事件に於ける裁判は、新憲法下、到底容認し得ないとなすと同様の議論と謂はざるを得ない。然るに憲法第76条第3項は、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と規定し、裁判官による憲法及び法律の適用の保障が為さるることこそ憲法の規定するところである。憲法の明文があるにも拘らずこの明文を無視することは到底許容さるべきでない。
[23] しかのみならず、裁判所が憲法の明文があるにも拘らず敢て解散の無効を判断せず、即ち解散に関する限り、裁判所による憲法適用の保障が除外された結果、内、内閣総理大臣専制独裁政治を招来し、外、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意」したとの専制独裁政治防止の憲法上の宣言を裏切り、以て外国の信頼を失い、再び日本が滅亡へと辿る状態に陥れることは、解散の無効を判断することによつて生ずる結果よりも遥かに重大である。
[24] われらは「政府の行為によつて」日本史上嘗てない惨憺たる苦悩に陥り、今や民族存立の岐路に立つている。若し内閣総理大臣独裁専制の政治となるに於ては、内外の世界情勢下日本は恐るべき破滅に陥ることとなるであろう。憲法はかかる事態を防ぐため、司法権の厳正なる保障を期待するものと信ずる。

[25]、要するに、控訴人が右準備書面第一に於て「裁判所は、衆議院解散の合憲性を審査する権限を有しない」との主張は、憲法が明文を以て、裁判所は「一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合する権限を有する」ものとし、国民は憲法の定むるところにより政府の一切の処分を争う権限あることを認め、以て内閣が国会を通じて国民に対して政治的責任を負うとともに、裁判所を通じて法的責任を負うことを定めているのにも拘らず、内閣は解散に関する限り法的責任を負うものにあらずと為すものであり、これは結局憲法を法規とみないことに帰するものである。従つて憲法前文の独裁禁止の宣言を蹂躙し、憲法が天皇又は天皇の名に於て為さるる専制独裁政治の防止について規定したと同様に、内閣総理大臣の専制独裁政治の防止についての規定も全く空文となすものである。
[26] 甲第1号証の「日本の新憲法」によれば、
「旧制度の下では、日本の裁判所は執行府に追従し法的にはその下にあつた。これは本来由々しき事である。しかし、更に容易ならぬ事は、国民が政府を相手どつて裁判所に訴えることができなかつたことである。政府の権能に対して法律的な限界を定めた法律は全くなく、その不当行為につき法律上の責任を強制することはいかなる裁判所でもできなかつた。新憲法の下では独立の司法府が保障されている。国の委任以外、いかなるものからも独立な司法府が。この独立な司法府に、特別な違憲性審査権も含めて、司法権がすべて与えられている。執行府及び立法府に対する抑制として司法府には、一切の法律その他の成文規則又は処分が、適合するかしないかを決定する権限が与えられている。この規定により法律上の利害関係をもつ市民はすべて彼がその施行に助力した基本法の条項の定めるところに基き、その政府の一切の処分の効力を争う権利が与えられた。この点はきわめて重要である。それは権利章典に生命を与える。議会に対する責任という仕組により、執行府が国民に対して政治的責任を負わされていると同じく、裁判所を通じて執行府は、法的に責任を負うに至るのである。」(同66頁)
即ちこの原文によつてわかるように、世界人の日本の新憲法下の裁判所をみる眼は、正にこの通りである。
[27] 地方議会に関し、地方裁判所の判例は、
「村長が議会を解散し得るのは、不信任の決議があつた場合、または議会の議決を不信任の議決とみなし得る場合に限られるものであるから、かかる議決がないのにありとして為した議会解散処分は、当然無効であると言わなければならない」(鹿児島地方裁判所判決、行政事件裁判例集第1巻0号1423頁)。
「村長に対する不信任の表示とみられる議決が当然無効であつたにも拘らず、有効な不信任決議があつたものと認めて行つた村長の村議会解散命令は当然無効である」(松山地方裁判所判決、行政事件裁判例集第1巻第2号159頁)。
と判断している。
[28] 国会の解散無効について司法裁判所が判断せねばならない事理に至つては、地方議会と同様、否、それ以上と謂わねばならない。原判決が衆議院の解散について審判権ありとし、抜き打ち解散についてその無効を判断したのは当然と謂わねばならない。
[29]、被控訴人は、抜き打ち解散は、憲法第69条の要件を具備していないにも拘らず敢て憲法第7条のみに基いてなされた解散であるから憲法違反することを主張し、仮に、内閣に解散についての実質的決定権があるとしても、内閣法第4条により内閣が職権を行うのは閣議によるものであり、その閣議決定は内閣を構成している全閣僚一致を要するものである(66条3項)ところ、右解散には衆議院を解散する旨の閣議決定も、衆議院解散の形式的な表示行為について天皇に助言する旨の閣議決定も、天皇の解散を形式的に表示する行為について承認の閣議決定も為されて居ないことを主張しているものである。
[30] 然るに、右準備書面によれば、その第二項(一)に於て本件解散については、「8月26日持廻によつて本件衆議院解散に関する「助言」の閣議決定がなされ」たとし、その(二)に於て「内閣は、8月28日午前中に閣議において本件の解散について「承認」したのである」と主張し、その第二項に於て「昭和27年8月28日午前中の閣議において、同日衆議院を解散することについて全閣僚による内閣の意思が決定した」と主張している。即ち、控訴人の主張によれば解散の決定がないのにも拘らず、助言が為されたと為すこととなる。

[31]、原審証人山田明吉の証言及び乙第1号証によれば、昭和27年8月26日の午後、持廻りによつて日本国憲法第7条のみによる衆議院解散の詔書案及び右詔書の発せられたことの衆議院議長に対する伝達案並びに参議院議長に対する右伝達の通知案(以上3案とも持廻り当日には日附の記入はない)を記載した閣議書類(乙第1号証)に一部の閣僚のみ(但しその人名不明確)の署名をとり、同日夜内閣総理大臣官房総務課長たる同人がこれを持つて那須に行き、天皇に差上げて御名を書いて貰い、翌27日午前9時頃宮内庁で御璽を得、翌28日の午前中の閣議で衆議院解散の詔書を同日公布することを決定し、同日解散書が発せられると同時に、その旨衆議院議長に通知したことが明かとなつている。

[32]、憲法第66条第1項によれば「内閣は法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する」。同条第3項によれば「内閣は、行政権の余使について、国会に対して連帯して責任を負う」と定めている。
[33] 内閣法によれば、第1条に於て「内閣は、日本国憲法第73条その他日本国憲法の定める職権を行う」ものとし、第2条において「内閣は、首長たる内閣総理大臣並に従来の各省大臣及び国務大臣の定数以内の国務大臣を以て、これを組織する。内閣は行政権の行使について、国会に対して連帯して責任を負う」と定め、内閣法第4条は「内閣がその職権を行うのは、閣議によるものとする。」と定めている。
[34] 以上を綜合すれば、内閣は内閣総理大臣並に各省大臣たる国務大臣及びその他の国務大臣を以て組織する組織体であり、その行政権の行使について国会に対し連帯して責任を負うものである。
[35] 従つて閣議は全閣僚一致によらねばならない。従つて解散の閣議決定がないのに、全閣僚に対し通知すらしないで、13名中単に4、5各に対する持廻りによる同意をもつて、閣議決定があつたとなすことはできない。即ち本件解散詔書の発布について内閣の助言決議があつたということはできないし、天皇に対し内閣の助言があつたということはできない。

[36]、日本国憲法は、前述のように「日本国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙を除去」すべきこと、換言すれば執行機関の独裁専制政治の防遏を目的として制定されたことは言うまでもない。この事は憲法前文の「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」なる文書に表明せられていることも前述の通りである。
[37] 従つて日本国憲法は、専制政治、独裁政治の防遏のためには周到の配慮をなしているのである。

[38]五、日本国憲法の制定に当り、最も重大な問題となつたのは天皇制の存続についてであつた。新憲法は、天皇又は天皇の名に於て行われる専制政治、独裁政治を除去するために、旧憲法上天皇が統治権の総攬者であつたのを改めて、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」たる「地位」にあるものとし(1条)、この地位にある天皇は国の政治に影響を与える行為をなす権能を一切有せぬこととし、ただ憲法上限定された形式的儀礼的表示行為、即ち国政に関する権能を伴わない行為のみを、内閣の助言と承認によつて行い得るに止めた(3、4、6、7条)。
[39] 甲1号証の「日本の新憲法」(62、63頁)によれば、
「議会における新憲法の討論を通じて、おそらく最も白熱的な大問題となつたのは、提案された新しい基本法の下で「国体」はどうなつたかということであつた。国体とは主権の日本特有な概念である。すなわち、すべての法律すべての権威、すべての統一が無窮にして不滅である天皇制に支えられているという命題がこれである。この教義に基き、天皇は新憲法下でも国家の象徴であり国民統合の象徴とし依然国権の源泉であるという主張があつた。かかる解釈はきわめて不自然であり、非現実的である。
 憲法の平明な表現によれば、天皇制はもはやいかなる権威の源泉でもなく、いかなる権能の行使もできず、また、疑もなく不滅なものでないことは全く明かなのである。天皇は今や単に建物の最尖端たるに過ぎず、骨組自体とは何等機能的な関係をもつていない。
 第1章は、天皇を憲法に従属する日本国の一法的機関としている。「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であつて、この地位は主権の存する日本国民の総意に基く。」この表現は分りよく、明白で誤解の余地はない。主権は国民――全国民――に存し、憲法および法律の定める正当な政治の過程を通じて行使される。この章は天皇の権威の範囲、その権能の限界を明確に定めている。第4条にいわく「天皇は国政に関する権能を有しない。」天皇には何等の裁量権もない。」
[40] すなわち、天皇は国政に関して発案権を有しないばかりでなく、内閣の助言に対し拒否する権能も有しない。

[41]、日本国憲法は、国家機関に対し「国政に関する権能」―実質的決定権を信託した場合にはその裏ずけとして責任を負わしめ、実質的決定権の信託がない機関に対しては責任をおわしめないのが建前である。
[42] 憲法が第1条で明かにした、天皇が日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることは、「地位」を意味し「権能」を意味しない。天皇は「国政に関する権能」を有せず(4条)、従つて国政に関して何等の責任を負わないのみならず、「国事に関する行為」についても何等の責任を負わない(3条)従つて憲法第3条によつて「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要」とすることと定めた。
[43] 憲法第3条の「内閣の助言と承認」とは、既に実質的決定の形成がなされたものにつき、その形式的表示行為が憲法第6条と第7条に列挙せられた行為である場合、そのすべてについて内閣が天皇の行為の事前に進言するのが「助言」であり(天皇は国政に関する権能を有しないから、助言なくして発議することも、助言を拒否することもできない)、事後において天皇の行為が果して助言の内容と合致するかどうかを検討して承認するのが「承認」である。「承認」も内閣が積極的にこれをなすものと謂わねばならない。象徴たる地位にあつて国政に関する権能を有せられず、従つて責任を負わない天皇から内閣に対して承認を申出ることも憲法の認めないところである。
[44] 日本国憲法は、天皇の地位に鑑み、その沿革に徴し、独裁専制政治を防止するため「助言」と「承認」の二とも必要とし、慎重を期したのである。

[45]、原判決が
「天皇が助言なくして発議した場合でも内閣の承認さえあればよいという考え方は天皇に発議権を認める結果となり、延いては天皇において内閣の助言の趣旨と異る発議をなし、内閣の助言を拒否することもできるといふ考え方を惹起することにもなり、他方内閣の事後承認があつても発議の点については天皇においてその責任を免れる根拠がないことにもなるのであつて、現行憲法の基礎が踏みにじられることになるであらう。以上の点からすれば天皇はその行ふべき国事に関する行為について自らの意思決定に基き発議する権限はこれを有し得ないことは明白である」
と判示しているのは、全くその通りである。
[46] 控訴人の主張のように、本件解散では「助言」がなくても「承認」があつたら有効なりとの考え方は、天皇の名において行われた独裁専制政治によつて、日本民族が有史以来嘗てない悲惨な状態に陥り、ポツダム宣言を受諾し、遂に、新憲法が制定された沿革を忘れ、新憲法の基礎を無視するものである。
[47](追記 なお、控訴人が右準備書面末尾に掲げられたジユリスト11月15日号は冷静な理論の展開であるべき討論において、その述ぶる所(何等の「意図」なしと断つているが)何となく意図的であり、又甚だ感情的に過ぎていることは、同書の巻頭言でも明かであり、この巻頭書の筆者が、この座談会を司会し、他が追従したことは一目して明かなことで、これを以て控訴人の「我が国学会の大勢は控訴人の主張を支持している」となすことは断じてできない。)
[48]、新憲法は「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないように決意し」たる政府の専制独裁禁止の宣言を徹底するため、前述のとおり天皇について周到なる規定をなすとともに内閣についてもその配慮の下に規定した、即ち内閣は旧憲法においては、天皇に従属した天皇の補弼機関であつたのを独立の機関とし、これに天皇の「国事に関する行為」についての助言、承認を為す権能と法規の執行機関としての内閣(65条)は憲法の条規に基き、憲法及び法律を執行するのであつて、その行政権の行使については、国会に対して責任を負う(66条)ものと規定した。それで
「内閣は憲法の下では法律を執行し国政を掌理するが、しかし同等な政治の三部門の一たるに過ぎず、立法府に対しても、裁判所に対しても、優越する権威を持たない。その活動はすべて法律によつて覊束される。内閣は憲法73条により、若しくは立法権を行使する国会により、その権能が委任され、又は命ぜられた場合を除くの外、行動することはできない」(甲第1号証「日本の新憲法」65頁)
こととなつた。
[49] しかし、内閣総理大臣の権限は前述のように増大し、その独裁専制政治を阻止し得るのは国会殊に衆議院のみである。従つて、この衆議院解散は累述のように内閣総理大臣が独裁専制になる唯一の鍵となる。そこでこの内閣総理大臣の独裁専制を防止するため憲法第69条の規定があるのである。
[50] 甲第1号証の「日本の新憲法(1)」によれば
『「議会に関する委員会」の案にはほとんど反対はなかつた。執行府の拒否権が欠けているという点について、若干の議論が展開された。しかし結局議会制度の下では、議会が決定的な権力を持たねばならぬときまつた。(中略)「執行府に関する委員会」が作成した草案は、そのようにはいかなかつた。委員会自体の中に融和し難い意見の不一致があり」。少数派は、内閣総理大臣の任命権を天皇に与え、執行権を内閣全体ではなく内閣総理大臣1人に与えることを主張した。この議論は根本的には議会に対し責任を負う事は負うが、意見が不一致の時は議会を解散する強力な執行府を設けよという主張であつた。運営委員会は、ついに、内閣総理大臣は国務大臣を任意に任命し、又は罷免する権力を与えられるが、他方内閣は全体として議会に責任を負い、不信任決議がなされたときは辞職するか、議会を解散する、と定めた。』(40-41頁)
と記述し、立法の趣旨が、衆議院解散は、衆議院で不信任の議決があつた場合即ち第69条の場合に限ることを明かにしている。

[51]、本件解散に先だつ昭和23年12月23日に於ける第2次吉田内閣に於ける解散に当つては、吉田内閣は憲法第7条のみによる解散を断行しようとしたのに対し、在野党たる社会党、民主党は、第69条の要件を具備した解散であるべきことを主張し、結局、進駐軍総司令部民生局長ホイツトニー、内閣総理大臣吉田茂、社会党委員長片山哲、民主党総務会長であつた被控訴人苫米地義三の4者が、衆議院の解散は法第69条によるべき旨申合せをなし、第69条の要件を具備した解散が行われた。従つて解散の詔書の文言も、本件解散に於ては「日本国憲法第7条により、衆議院を解散する。」とあるのと異り、「衆議院に於て内閣不信任の決議案を可決した。よつて、内閣の助言と承認により、日本国憲法第69条及び第7条により衆議院を解散する。」と為されている。右事実は昭和23年12月23日の解散に於て、日本国憲法の衆議院の解散に関する立法趣旨が憲法第69条の要件を具備した場合に限るものであることを政府及び政党が承認したものである。

[52]、衆議院の解散が憲法第69条の場合に限り、憲法第7条のみによつては行われ得ないことは、昭和28年12月12日附被控訴人の準備書面に於て申述の通りである。
[53] 思うに憲法第7条のみを根拠として衆議院の解散ができるためには、内閣に衆議院の解散決定の実質的権能がなければならない。
[54](一) 内閣に解散決定の実質的権能があると主張するものの一の根拠は、憲法第65条の「行政権」である。つまり「行政権」の内容として解散権を認めようとするものである。
[55] 然れども、行政権はあくまでも憲法及び法律執行の権能であり、執行権者としては、憲法及び法律で明示的に与えられた事項を行い得るのみである。若しも憲法第65条の「行政権」が憲法及び法律に定めたことを執行する「執行権」を意味するものでなく、憲法、法律に定めていないことまでも為しうる権能があることとすると、内閣は行政権によつて立法までも為し得ることとなり、国会が唯一の立法機関(41条)だという憲法の明文に反する。
[56] すなわち、内閣のもつ「行政権」は執行権であるから、内閣に解散決定の実質的権能があるかどうかは、他の憲法の規定があるかどうかによつて定まることであつて第65条からは出て来ない。他の憲法の条規をみるに内閣の職務権限を定めた憲法第73条と憲法第7条とを比較すると第7条中2号(国会を召集すること)、3号(衆議院を解散すること)、4号(国会議員の総選挙の施行を公示すること)の各号の国会に関する権能については第73条は規定していない。第73条の外内閣の権能を認めたものは裁判官について第6条、79条、80条の規定があり、財政について第87条、90条、91条がある。国会関係について第52条、53条、54条があるが、衆議院解散の実質的決定に関しては、唯一つ、憲法第69条あるのみである。第69条を別にすれば内閣に解散の実質的決定権を与えた条規は憲法上一つもない。
[57](二) そこで、内閣の解散決定の実質的権能の根拠として工夫されたのが憲法第7条、第3条に規定する内閣の助言承認権の内容として、内閣が解散の実質的決定権をもつとの考え方である。この学説は昨年頃までは多数説とされたが、昨年秋の学会からは寧ろ少数説となつてこの説を維持することの出来ないことが明かとなつた。
[58] 天皇には国政に関する権能=実質的決定権がないから、天皇の国事に関する行為=形式的表示行為はそれについての内閣の助言承認の前に、その実質的決定が為されていなければならない。天皇には解散決定の権能がないから天皇の解散詔書発布行為について内閣が助言承認する前に、解散の実質的決定がなされていなければならない。内閣は解散が実質的に決定されたものについて天皇の形式的表示行為のみについて助言と承認をなすのである。天皇の形式的表示行為についての助言承認権が、実質的決定権までも包含することはあり得ない。
[59] 更に詳述すれば
「『国事に関する行為』なる概念は『内閣の助言と承認』以前に、それとは独立して存在し、その中に『内閣の助言と承認』とを含むようなものではない。それは『内閣の助言と承認』による実質的決定権の吸収があつて初めて成立し得るようなものではないのである。本条(3条)を第4条から出しうるところと合せ読むならば、本条は、天皇の儀礼的形式的行為に『内閣の助言と承認』の必要なことを言つているに過ぎないのである。」
「助言承認者としての内閣は、その助言承認者たる資格においては、なんら実質的決定をその対象としないわけである。なんとなれば、内閣のもつ助言承認権は『国事に関』してのみ与えられたもので『国事に関する行為』の形式性儀礼性をこえる実質的決定権を、その助言承認者としての資格において持ち得る道理がないからである。」(法律時報第24巻10号81頁御参照)
そうして憲法第6条、第7条の天皇の国事に関する行為について、その実質的決定権者をみるに、その実質的決定権者は必ずしも内閣に限られないもので、憲法は夫々それを規定しているのである。従つて、天皇の解散についての形式的表示行為についての「内閣の助言承認権」の内容には解散決定の実質的決定権を包含しないことは明かである(註解日本国憲法上巻(1)171頁に於ても衆議院解散権を第7条に求める説があるが妥当とはいえないとしている。)
[60](三) そこで学説は、三転して
「確かに、憲法上、解散の一般的根拠を定めた明文の規定は存しない。しかし………議院内閣制の建前からいつて、且つまた、解散制度の目的に照らし、内閣は、一般的に解散権を有するものと解すべきである」(註解日本国憲法上巻(1)171頁御参照)
と為すに至つた。
[61] 然れども憲法の明文は第69条に於て、衆議院が内閣不信任決議案の可決又は信任の決議案の否決によつて解散のイニシアテイブをとり、内閣が総辞職しないことの決定をなすことによつて解散が行わるることを予定する。苟くも選挙により国民を代表する議員で組織された衆議院が既に存在するのである。即ちそれは一応民意を反映しているものと認むることが原則である。換言すれば、日本国憲法は、アメリカ憲法と同じく、国会の解散のないことを原則としているものである。ただ例外として特に、憲法第69条を規定し、衆議院が内閣不信任の決議をした場合、始めてその衆議院が真に民意を反映しているかどうかをみるため解散が行わるることのあることを認めているのみである。従つて「解散の目的に照らし内閣は一般的に解散権を有する」ものといふことはできない。このことは次に述べる所により一層明かである。
[62] そこで次の問題の「議院内閣制の建前からいつて内閣は一般的に解散権を有するものと解すべきである」か、どうかという点について申述する。議院内閣制の本質は、立法機関と執行機関との「平等」「均衡」であり、両機関の相互の一方的な「従属」の否定であると考えられる。従つてこの制度では解散権は執行機関の独立維持の手段と解されるのみならず、この意味での解散権は執行権専制時代の残存制度ともいうべきである。ところが、国会が従来の意味における議会と異り、「国権の最高機関」であつて、執行機関がこれに従属するものとされ、執行機関はその最高機関の存在自体に根拠を有するものとせらるるときは、もはや、それは議院内閣制とは為し得ない。
[63] なるほど、日本国憲法に於ける内閣は国会の信任によつて成立し、その信任によつて存続し(67条)、その行政権の行使について国会に対し連帯して責任を負う(66条3項)ことはいうまでもない。然れども、憲法は前文冒頭において「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」することを宣言し、前文において、国会を「国権の最高機関」となし(41条)、国会はもはや従来の議会のような政府抑制の機関ではなく、国策運営の原動力となつた。日本国憲法上、国会は「国権の最高機関」であるとともに「国の唯一の立法機関」である。内閣はその下に「行政権」を分属せしめられ(65条)ているものであつて、その存在の基礎は国会にあるが故に、衆議院の解散があれば、内閣はその基礎を失い、必ず総辞職しなければならない(69条、70条)。すなわち、内閣は完全に、国会に「従属」せしめられている。換言すれば内閣は、国会と「平等」の立場にあるのではなく、国会に従属するものである。従つて内閣は原則として国会を解散する権能を有しない。例外として解散する権能を有するがためには、憲法の特定の規定がなければならない。然るに累述のように憲法上、特定の規定としては憲法第69条あるのみである。
[64] 故に、我が憲法上の政治機構を単なる議院内閣制とすることは不当であるのみならず、「議院内閣制上当然内閣が一般的に衆議院解散権をもつ」ものとするのは、日本国憲法に何の根拠もないもので、これ亦、採ることはできない(法律時報第25巻12号52頁以下「憲法の規定する政治機構」御参照)。
[65] 抑々、新憲法が衆議院解散について、特に、第69条をおき、解散をこの場合に限る所以のものは、累述のとおり、新憲法が国民主権主義をとるとともに、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」し、以て天皇又は天皇の名において行わるる独裁専制政治を防止するに万全を期するとともに、内閣総理大臣による独裁専制政治を防止するに遺憾なきを期したからである。かような明文あるに拘らず、強いてこれを無視し、内閣の一般的解散権については「確かに明文の規定は存しない」ことを認めながら、敢て内閣が一般的に解散権を有するものと解しようとすることは到底許さるべきでない。
[66] 『議院内閣制は政党の強力な統制によつて維持される場合「もし暗黙にして不可思議な革命により衆議院の存在がなくなつたとしても、憲法の他の部分に変化なき限り、重要事項における諸事のなりゆきはかつてとあまり変らぬであろう、と想像される」ほど執行権専制の体制であり、また更に、閣僚の国政における勢力をあまりにも大きくし、それが「大臣責任、内閣という仮面のもとに繁茂成長し、遂にはかのフランケンシユタインの怪物のごとくその生みの親をも食いつくしそうにみえることがしばしばある」ほどの体制である』(同上35頁御参照)
以上、これは日本国憲法の国民主権主義及び独裁専制政治防止の宣言と全く相容れないものである。

[67]四、以上累述のように憲法第69条の外、内閣に衆議院解散の実質的権能ありとする憲法上の根拠は全く存しない。本件抜き打ち解散は、憲法第69条の要件を欠くものであるから、この点において、既に、無効と為さざるを得ない。
[1]、控訴人は本件解散無効によつて生ずる混乱を想定し、その結果よりみて、本件解散無効については、裁判所にその審査権なしと主張する。然れども、憲法は「この憲法は国の最高法規であつてその条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」(第98条)と明定し、その適用の保障を裁判所をして当らしめ、裁判所「一切の法律、命令規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限」を附与した(第76条)。されば裁判所法第3条も「裁判所は日本国憲法に特別の定めのある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判」すると明定する所以である。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」(第99条)こと言うまでない。
[2] 日本国憲法が法治主義をとる限りにおいて、右憲法の明文は尊重し、擁護されねばならない。裁判所は本件解散が憲法に適合するか、しないかを判断することは当然であり、その結果を如何に措置すべきかは、これこそ政治問題である。裁判所はかような政治問題に積極的に介入する権能を有しない。

[3]、かように、事理は極めて明白であるが、被控訴人は、念のため控訴人の主張につき更に反駁を加える。
[4] 抑々、国家行為が無効である場合その無効は、権限ある国家機関によつて宣言されるまでは有効なものとして取扱われる。
[5] 司法裁判所の違憲審査権は「当事者間に存する具体的な法律上の争訟について審判を為すため、必要な範囲においてのみ行使せられるに過ぎない」(昭和27年(マ)第148号事件最高裁判所大法廷昭和28年4月15日言渡)、すなわち「わが裁判所は、具体的な争訟事件が提起されないのに、将来を予想して憲法及びその他の法律命令等の解釈に対し、存在する疑義論争に関し、抽象的な判断を下すが如き権限を行い得るものでない。」(昭和27年(マ)第23号事件)、換言すれば、司法裁判所は、積極的に問題を取上げ判断するのではなく、訴訟当事者から、具体的な事件について訴が提起された場合、受動的に国家行為が憲法に適合するかどうかを判断するのである。そうして裁判の拘束力は当事者を覊束するのみである。すなわち、対世的ではなく対人的である。
[6] されば、本件について、司法裁判所が、本件抜き打ち解散を無効と判断することは、昭和27年8月28日の衆議院解散詔書の廃止を意味するものではない。それは被控訴人の衆議院議員としての任期中の資格の存続、その歳費の請求権あることを認め、被控訴人に関する関係においては、解散詔書の適用を拒否することを意味するものである。
[7] これ以外においては、本件解散の無効を主張する具体的な争訟がない限り、司法裁判所は解散の効力を拒否することはない。また裁判所が本件解散を無効なりと判断された結果、理論上本件解散によつて昭和27年10月1日施行された衆議院議員の総選挙は無効となり、これを基礎として為された国家行為は当然無効とならざるを得ない。然しながら、判決の効力は、直ちにかような国家行為の効力を廃止するものではない。具体的な争訟がない限り、かような国家行為の効力が拒否されることはない。従つて、現に、控訴人が主張するような混乱は起つていないのである。

[8]、然れども、本件解散が無効である以上、具体的争訟のそれぞれに於てその効力が争われ、不安定の生ずることはやむを得ないところである。それで、積極的な、例えば国会において無効な部分の国家行為を追認する等の対策が必要であるが、かような積極的措置は司法裁判所の権限に属しないことは言うまでもない。

[9]、日本国憲法が法治主義をとる限りにおいて、本件解散についての違憲審査権が裁判所に属することは当然である。これが審査を回避するに於ては、憲法の権威失墜、延いて遵法精神の頽廃を招来し、日本国の秩序が危殆に瀕することをおそれるものである。
[10] 被控訴人が主張するような裁判所による憲法及び法律の適用の保障がないとすれば、被控訴人が本訴に於て度々申述するように内閣総理大臣の独裁専制の政治となり、憲法がその基本とする国民主権主義は事実上崩壊することは明白である。それは本件解散に於て既に然り。近くは第19国会において、会期延長が無効であつて、国会が存在しないのにも拘らず、警察法その他の法案が施行され、異常な法的混乱が生じつつあるのでも明白である。
[11] 裁判所に於て、憲法、法律に遵つた毅然たる判断を下され、その結果、必然的に、政治的にも反省が為され、政治的対策も講ぜらるるのである。
[12] 若しも、本件解散等につき裁判権なしとすれば、内閣総理大臣の独裁専制の政治となり、その独裁専制政治は、逐に国会を形式化し、議会政治、法治主義的国家機構は崩壊するに至る虞、暴力政治へ推移する虞が大である。本件解散に対し、裁判権なしとの控訴人の主張は、その結果から言うも被控訴人の断じて認めることの出来ないところである。
[1]、控訴人の昭和28年12月15日附準備書面によれば、控訴人は「8月26日持廻りによつて本件衆議院解散に関する「助言」の閣議決定がなされ、同月28日「承認」の閣議決定がなされたのである」(同書面第二、二項(一))「本件においては、昭和27年8月28日午前中の閣議において、同日衆議院を解散することについて全閣僚による内閣の意思が決定されたのである」と主張する。
[2] よつてこの点についても被控訴人は既に度々申述した通りであるが、念のため、更に左の通り述べる。
[3](一) 内閣に衆議院解散決定の一般的権能はないのであるが、仮に内閣にその権能があるものと仮定しても、昭和27年8月26日の持廻り閣議以前に於て、衆議院解散の閣議決定が為された事実はない。衆議院解散の閣議決定に基かない本件解散詔書の発布は無効である。
[4](二) 持廻り閣議は軽微な閣議事項に限り慣行として行われて来たものであるが、衆議院解散についての助言決議のような重大な事項については慣行としても行われていない。これは内閣の国務遂行の重要性に鑑み当然なことと解すべきである。
[5] 従つて本件持廻り閣議は当を得ていないのみならず、それは衆議院解散の閣議決定がないのに為されたもので、此の点からも無効と解すべきである。
[6](三) 本件持廻り閣議は一部閣僚(4、5名)のみによつて署名され、その他の閣僚の賛成を得ていない。閣議決定としては無効である。即ち、本件衆議院解散詔書の発布は内閣の助言がないものであるから憲法に違反し無効である。

[7]、被控訴人は本件の解散詔書の発布されるまでの経過は、衆議院解散についての閣議決定がないのにも拘らず、昭和27年8月26日持廻り閣議によつて本件解散の詔書案、詔書の発せられたことの衆議院議長に対する伝達案、並に参議院議長に対する右伝達の通知案について一部閣僚の賛成署名が為されたが、その余の閣僚の賛成がないままで同詔書案は同夜直ちに天皇に送付されこれに天皇が署名され、翌27日御璽が押捺され、28日閣議において右詔書を即日公布することが決定され、直ちに該解散詔書が発布され、衆議院議長に伝達されたものである。以上の事実と経過からすれば、これを天皇に助言する旨の全閣僚一致の閣議決定と、これに基く天皇に対する助言、天皇の本件解散詔書発布行為についての内閣の承認が何れも認められない、と主張するものである。
[8](一) 憲法第66条第1項によれば「内閣は法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。」、同第3項によれば「内閣は行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負う」と定められている。
[9] 内閣法によれば第1条に於て「内閣は、日本国憲法第73条その他日本国憲法に定める職権を行う」ものとし、第2条に於ては「内閣は、首長たる内閣総理大臣並びに従来の各省大臣及び国務大臣の定数以内の国務大臣を以て、これを組織する。内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯責任を負うと定め、国家行政組織法第5条3項は「各省大臣は、国務大臣の中から、内閣総理大臣がこれを命ずる。但し、内閣総理大臣が、自らこれに当ることを妨げない。」とし、内閣法第4条は「内閣がその職権を行うのは、閣議によるものとする。」と定めている。
[10] 以上を綜合すれば、内閣は内閣総理大臣並びに各省の大臣たる国務大臣及びその他の国務大臣を以て組織する組織体でありその行政権の行使について国会に対し連帯して責任を負うことは明かである。
[11] 従つて、閣議は特別の事情のないかぎり全閣僚一致によらねばならない。従つて全閣僚に対して通知すらしないで、単に4、5名に対する持廻りによる同意を以て閣議決定があつたと為すことはできない。よつて本件解散詔書の公布について、内閣の助言決議があつたと言うことはできない。
[12] 憲法第72条によれば「内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。」内閣法第4条2項は「閣議は総理大臣がこれを主宰する。」、第5条は「内閣総理大臣は、内閣を代表して内閣提出の法律案、予算その他の議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告する」と定める。即ち、内閣総理大臣は内閣を代表し、閣議を主宰するものであるが「内閣がその職権を行うのは閣議による」ことを無視することはできない。
[13](二) 日本国憲法は、国家機関に対し、「国政に関する権能」=実質的決定権を信託した場合には、その裏付けとして責任を負わしめ、実質的決定権の信託がない機関に対しては責任を負わしめていない。
[14] 天皇が日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であること(憲法第1条)は、天皇の「地位」を意味し、「権能」を意味しない。天皇は「国政に関する権能」=実質的決定権を有せられず(憲法第4条)、「国事に関する行為」=形式的表示行為についても何等の責任を負われないのである。そこで憲法第3条は「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣がその責任を負ふ」と規定する所以である。すなわち、天皇は国政に関する権能を有せられないとともに、既に実質的決定の形成がなされたものの形式的表示行為のうちで、天皇の行わせらるべきものと憲法が定めたもののすべてについて、天皇の行為の事前に進言するのが内閣の助言であり、事後に内閣が天皇の行為を検討して承認するのが承認である。助言も承認も内閣が積極的にこれをなすもので、天皇から積極的に助言を求め又はこれを拒否し若しくは承認を申出でらるることは、国政に関する権能を有せられず、責任を負わない天皇に於てあり得ない。かくして、憲法は象徴としての天皇の地位を維持し、天皇の名に於て独裁専制の政治となることを防止したのである。
[15] 依つて、内閣の助言と承認を欠く本件解散は憲法に違反し無効である。
[1] 日本国憲法上、以下に述べる理由により、裁判所は、衆議院解散の合憲性を審査する権限を有しない。

[2]、裁判所が解散の合憲性を審査することは日本国憲法の認める三権分立の根底を破壊するものであり、憲法の容認しないところである。
[3] 憲法の定めるところによれば、衆議院が解散された後に、衆議院議員の総選挙、国会の召集(54条1項)、内閣の総辞職(70条)、国会による内閣総理大臣の指名(67条1項)、内閣総理大臣による国務大臣の任命(68条1項)が行われ、新しい国会と内閣が構成される。従つて若し解散が無効であればそれを前提とする総選挙、国会の召集、内閣の総辞職、内閣総理大臣の指名、国務大臣の任命はすべて無効となり、換言すれば、解散後の国会及び内閣は有効に存在しないことになる。
[4] この点について原判決は、
「仮に総選挙施行の前提の瑕疵と考えられる解散の無効がその総選挙無効争訟の理由となるものとしても、現実に施行された選挙の効力はその選挙についての選挙争訟によつてのみ決定せらるべきものであるから、その選挙についての選挙争訟において無効と確定された事実の主張立証のない本件では、その選挙によつて選出された衆議院議員は議員としての資格を有するものであり、その議員によつて構成される衆議院も有効に存立したわけであつて、従つて衆議院が複数併存することとはなつても(従前から存立して居る衆議院は事実上召集されることはないであろうから、この点から生ずる混乱はさして大なるものではないであろう)国会の存立は否定されないから、衆議院の存立、ひいて国会の存立することを前提とする被告主張の混乱なるものは単なる杞憂にすぎないものと言はなくてはならない。(斯くの如く国会の存立が肯定されて居る以上、これに基礎を置いて成立した内閣も有効に存立するものであつて、この点において本訴における被告代表者の代表資格も肯定されたのである。)従つて衆議院解散を違憲とする裁判そのものが違法となる場合があるとする被告主張の矛盾なるものも生じ得ないのである(尤も解散後の新内閣によつて指名、任命された以外の裁判官が審理に当れば、この点は問題にもならない。)」
と判示し、解散が無効であつても解散後の国会及び内閣の存立は否定されない旨判断している。
[5] しかし選挙争訟において選挙無効の原因となるものは、「選挙の規定に違反すること」(公職選挙法204、205条)すなわち、選挙の管理執行に関する手続規定に違反することであつて、選挙施行の前提となつた衆議院解散の無効は、選挙争訟の理由とはならない。
[6] 而して現実に施行された選挙の効力は、その選挙についての選挙争訟によつてのみ決せられると言うことは、選挙争訟の理由となる瑕疵についてのみ言い得ることであるから、解散が無効であれば、それを前提とする総選挙は、選挙無効の判決がなくても法律上当然無効であるといわねばならない。従つてそれを前提とする前述の諸行為、すなわち解散後の国会及び内閣の成立も当然無効であるといわなければならない。
[7] 裁判所が衆議院解散の合憲性を審査することは、結局において解散後成立した国会及び内閣の存立自体の合法性を審査することにほかならない。ところで、憲法上裁判所は、司法権の行使については、他の機関から拘束を受けず、その独立が保障されているのであるが、その存立自体は、裁判官を指名若しくは任命する内閣と内閣の存立の基礎である国会の合憲的な存在を前提としているのであつて、憲法は国会と内閣と裁判所の合憲的存在を前提として国権の作用を立法、行政、司法の三者に分立し、それぞれの機関に固有の作用を行わしめているとみるべきであるから、三者は相互に独立併存の関係にあり、一の機関に他の機関の存立そのものを全面的に否認するが如き権能を与えることは、実に三権分立の根底を破壊するものであるのみならず、裁判官は、内閣の指名又は任命によつてその地位につく(6条2項、79条1項、80条1項)のであるから、非合法な内閣によつて指名又は任命された裁判官が内閣存立の合憲性を判断しなければならない場合が考えられる。これは制度的矛盾である。憲法がこうした事態を容認しているものとはとうてい考えられない。従つて憲法は国家及び内閣の存立自体の合憲性は、論理的に三権分立以前の問題としてそれに関する紛争の解決を政治的解決に委ね、裁判所による司法的審査の対象とはしていないものと解すべきである。

[8]、解散の当否は、主権の存する国民の選挙によつて決定されるべきであつて、裁判所がその効力を審査することは、国民主権主義を基本原理とする憲法の精神に反する。
[9] 国民主権主義は憲法の基本原理である。憲法はその前文において、「主権が国民に存することを宣言し」と明言し、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」と述べている。従つて国政の根本方針は国民に対して政治責任を負う機関によつて決定されてること、すなわち責任政治と言うことが憲法の根本原則である(66条3項参照)。
[10] 衆議院を解散する行為は、一面において各議員の任期を満了せしめる処分であると同時に、他面衆議院の存在を消滅せしめる行為であつて、これによつて国会及び内閣の構成は一新され、国政の根本方針が新たに決せられる。従つて解散は最も政治性の強い行為である。こうした最高度の政治問題は国民に対して政治責任を負う機関によつて決定され、その当否は国民の直接の批判に俟つべきであるとすることが憲法の根本原則に合致するのであつて、国民に対して政治責任を有しない機関にその当否を決定せしむべきものではない。而して憲法の定めるところによれば、衆議院が解散されたときは、解散の日から40日以内に衆議院議員の総選挙を行い、その選挙の日から30日以内に国会を召集し(54条1項)、国会の召集があつたときは、内閣は総辞職しなければならない(70条)。従つて衆議院解散の当否は、当然解散後に行われる衆議院総選挙の際に国民の審判に附され、その結果もし国民の多数が解散を不当とするならば、衆議院解散の助言と承認をした内閣を支持する与党をして再び政権を担当せしめないようにすることによつて右の当否が決せられるのである。ところで裁判官は、憲法上独立と身分が保障され(76条3項、78条)、国民に対する政治的責任を免除されている(66条3項参照)。こうした性格の裁判官が衆議院解散の合憲性を審査し得るとすれば、無責任政治の弊の醸す危険なしとせず、国民主権主義を基本原理とする憲法の精神に反すると言わねばならない。
[11] 行政行為は、それが国民の権利義務に直接関係するものである限り、広くこれを裁判所による審査の対象として、被害者に救済の途を開くことは、近代法治主義の要請であり、憲法第81条は行政行為が憲法に適合するかしないかについて裁判所が審査権を有することを認めている。しかし法治主義は元来国民主権主義の成果を達成するための手段としての意味を有するに過ぎないものであるから、国民主権主義自体からする制限を受け、このため行政行為のうち、例外として裁判所による審査の対象から除かれるものがあることはむしろ当然のことである。憲法の精神からすれば、憲法は解散をめぐる一切の紛争を主権の存する国民の直接判断によつて解決する方法を選んだものと解すべきであり、換言すれば、憲法は、衆議院解散に関する紛議については、裁判所による司法的審査に期待せず、最高の統治意思形成の問題として、国民の総意の発現たる衆議院議員総選挙の結果によるいわゆる政治的解決に期待する態度をとつているものと言わねばならない。

[12]、憲法は、解散無効を前提とする判決によつて生ずる混乱を容認しているものとは思われない。
[13] 仮に裁判所が解散の合憲性を審査する権限を有し、解散無効の判決が確定したとすれば、一、で述べたとおり、解散後成立した国会及び内閣は遡つて存在しなかつたこととなり、解散前の国会及び内閣が引き続いて存在していることになつて、国の根本秩序に重大な混乱が生ずる。すなわち、解散後の国会、内閣、各省大臣の制定した法律、政令、省令はもとより解散後内閣、各省大臣その任命にかかる公務員の行為並びに解散後の内閣による裁判官の指名又は任命はすべて無効となり、そのような裁判官が関与した判決は再審によつて取消されることとなる。
[14] また裁判所が先決問題として解散の合憲性を審査し得るとすればやはり同様の混乱が生ずる。すなわち、解散前の衆議院議員、内閣総理大臣及び国務大臣は、すべて解散無効を理由として従前の地位の確認を求める訴を提起することができ、もしその請求が容認されたとすれば、被告たる国は、これらの者をこれらの者に対する関係においては、すべて従前の地位にある者として取り扱わねばならず、一方その判決は解散無効の点には既判力が及ばないから、これらの者に対する関係においても解散後に成立した国会及び内閣は有効に存在することとならざるを得ない。
[15] また、一般国民も具体的訴訟事件との関連において解散の無効を理由として国会の存立、内閣の成立、裁判官の任命を争い、解散後の国会、内閣、各省大臣の制定した法律、政令、省令、及び解散後の内閣、各省大臣のした一切の処分、並びに解散後任命された裁判官の裁判の効力を争い得ることとなる。例えば、民事訴訟においては、解散後の国会において成立した法律に基く私法上の権利義務を争い、刑事訴訟においては解散後に制定された法律政令等に違反した行為の犯罪としての成立を争い、行政訴訟においては、解散後に制定された法律にもとずく行政処分はもとより解散後の内閣、各省大臣、その任命にかかる公務員のなした一切の行政処分を解散の無効であることのみを理由として争い得ることになるのみならず、解散後任命された裁判官の関与した判決の再審を求め得ることとなる。而して、右のいずれかについて解散無効を前提とする判決特に最高裁判所の判決がなされたるときは、実際上、他の訴訟に影響を及ぼし、解散無効の判決が確定した場合と同様の混乱を生ずるのである。
[16] 裁判所が解散の合憲性を審査し得るものとすれば、その結果として当然右のような混乱を容認せざるを得ない。しかもその混乱は、国の立法、行政、司法の各分野、公法私法の各領域に及び、その波及するところ際限なく、正に国家機構の根本が破壊され、国民生活全体の基本秩序が根底から崩壊し、収拾のつかない結果に陥るものと言わねばならない。殊に解散無効の主張をなし得る期間については制限がないものと考えなければならないのみならず、そうでないとしても、判決が上告審を経て確定するまでには必ずや相当の期間を要するわけであるから、解散後の国会及び内閣によつて各種の立法及び行政が行われ、解散後の内閣によつて多数の裁判官が任命されている事態の存することは当然考えなければならず、これによつて生ずる前記の混乱は、まことに想い半ばに過ぎるものがあるであろう。
[17] 原判決は違憲の法令が相当長期に亘り施行された後裁判所によりその法令が無効と判断された場合、及び広範囲に亘る選挙無効訴訟で選挙が無効とされた場合に生ずる混乱と解散無効を前提とする判決があつた場合に生ずる混乱とを同視しているが、後者は前者と同日に論ずることができない程深刻なものであることは右に述べたところから明かであろう。
[18] 憲法が右のような混乱の生ずることを容認しているとは思われない。もし裁判所をして解散の合憲性についても審判せしむべきものとすれば、解散無効の判決が確定した場合における善後措置を講じておくのが当然であるが、憲法は解散無効の判決があつた場合を予想した特別の調整規定を設けていない。憲法が裁判所に解散の合憲性を審査する権限を与えたと解することは、この点から見ても著しく不当である。
[19] 以上の理由によつて裁判所は、衆議院の解散の合憲性を審査する権限を有しないのであつて、特定の訴訟において先決問題として具体的になされた解散の効力が問題になるときは、常にこれを有効なものとして取り扱わなければならないものと解すべきである。
[20]、憲法の諸規定にいう「内閣の助言と承認」とは、それぞれ別々のものではなく、一体として「同意」又は「補佐」の義である。
[21] 憲法第3条は、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負う。」と規定し憲法第7条は、「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行う。」と規定する。字義そのものよりすれば、「助言」とは、内閣が天皇に対し能動的に進言することであり、「承認」とは天皇からの申出に対して内閣が受動的に同意を与えることを言うのであろうが、憲法が右規定を設けた唯一の理由は、天皇の国事に関する行為は、必ず内閣の意思にもとずいて行わるべく、これについては一切の責任を内閣のみに負わしめる反面、これにつき責任を負わない天皇は、いかなる場合にも内閣の意思に反する行為をすることができない、とするにあることは憲法改正の経緯に照し明かなところであるから、両者は別個独立の要件ではなく、一体として「同意」又は「補佐」の義に解すべきである。従つて内閣の意思(内部意思決定)が天皇の国事行為としてなされた(外部表示)限り、憲法上の国事行為としては必要にして且つ十分であつて、天皇の行為の前に「助言」の閣議、その後に「承認」の閣議と言うような2つの手続を要するものではない。
[22] 本件においては、昭和27年8月28日午前中の閣議において同日衆議院を解散することについて全閣僚による内閣の意思が決定したのであるから、これによつてなされた国事行為としての解散にはその効力を云為されるべき瑕疵は毫末もないのである。

[23]、仮に内閣の「助言」と「承認」とが別個独立の要件であるとしても、
[24](一) 本件解散については、その双方ともの要件を具備している。すなわち、8月26日持廻りによつて本件衆議院解散に関する「助言」の閣議決定がなされ、同月28日「承認」の閣議決定がなされたのであるから、本件解散は有効である。
[25](二) 仮に本件衆議院の解散について内閣の「助言」がなかつたとしても内閣の「承認」があつたのであるから、解散は有効である。
[26] 前述のとおり、憲法第3条、第7条の趣旨は、要するに、天皇の国事に関する行為は、必ず内閣の意思にもとずいて行わるべきであり、天皇は、いかなる場合にも内閣の意思に反する行為をすることができないと言うのであるから内閣の「助言」と「承認」とが仮に別個の要件であるとしても、天皇が内閣の「助言」により「助言」どおりの行為をされる場合には、改めて内閣の「承認」を必要とせず、また天皇の行為が国事行為として成立する以前に内閣がこれを「承認」してあれば、別に内閣の「助言」を要しないものと考える。(佐々木惣一、日本国憲法論307頁以下、宮沢俊義、憲法174頁以下、法学協会、註解日本国憲法上巻(1)97頁、参照)従つて衆議院解散についても、必ずしも「助言」と「承認」の双方を要するものではなく、そのいずれか一方があれば解散は憲法上有効である。
[27] 本件において、内閣は、8月28日午前中の閣議において本件の解散について「承認」したのであるから、仮に天皇の行為の前に内閣の「助言」がなかつたとしても、本件衆議院解散は有効である。

[28]、原判決は、
「天皇が助言なくして発議をした場合でも内閣の承認さえあればよいと言ふ考へ方は、天皇に発議権を認める結果となり延いては天皇において内閣の助言の趣旨と異る発議を為し、内閣の助言を拒否することもできるという考へ方を惹起することともなり、他方内閣の事後承認があつても発議の点については天皇においてその責任を免れる根拠がないことにもなるのであつて現行憲法の基礎が踏みにじられることになるであろう。以上の点からすれば天皇はその行ふべき国事に関する行為について自らの意思決定に基き発議する権限はこれを有し得ないことは明白である。」
と判示している。
[29] しかし国事行為について天皇が内閣に対して申出をし、内閣がこれに同意すること(それを「助言と承認」と解しようと「承認」と解しようと)を認めることは、憲法の精神に反するものではない。
[30] 天皇の申出を仮に発議と称することができるとしても、内閣は天皇の発議事項を閣議にかけて同意するか否かを決定しなければならないような法律上の拘束を受けるものではなく、これを無視することができるのであるから、天皇に法律的意味における発議権を認める結果になるとか、天皇が国政に関する権能を有することになるとか言う虞はあり得ない。
[31] また、内閣の「助言と承認」又は「承認」は、天皇の行為が国事行為として成立する前、すなわち、衆議院解散の場合には解散の詔書が発せられる前になければならないのであるから、天皇の申出に対して内閣の「助言と承認」又は「承認」があつた場合でも、天皇の国事行為は必ず内閣の意思に基いてなされなければならないという憲法の要求は十分満たされるのである。天皇の行為の前後にそれぞれ「助言」と「承認」の閣議を経なければならないとするのは徒らに文字の末に拘泥した謬見と言わねばならない。
[32] そもそも天皇に所謂発議を認めることが憲法の精神に反すると言う考え方は天皇の意思に対しては国民は必ず服従すべきであると言うような天皇の意思の優位性を前提としているものと思われるが、右の前提の誤りであることは憲法の前文及び各条にむしろ明瞭なところであるから、天皇の発議と言うことに拘泥すること自体がむしろ明治憲法的考え方ではあるまいかと考える。

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