苫米地事件
第一審判決

衆議院議員資格確認並びに歳費請求事件
東京地方裁判所 昭和27年(行)第156号
昭和28年10月19日 判決

原告 苫米地義三
被告 国

■ 主 文
■ 事 実
■ 理 由


 被告は原告に対し金28万5千円を支払ふべし。
 訴訟費用は被告の負担とする。


 原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求めると申立て請求の原因として、

[1]「原告は昭和24年4月25日に施行された衆議院議員総選挙において当選し、衆議院議員となつたものであり、衆議院議員は憲法第49条、国会法第35条並に当時の国会議員の歳費旅費及び手当等に関する法律第1条により歳費として1ケ月5万7千円を受け得ることになつて居り、又同法律第3条に基き決定された「国会議員の歳費旅費及び手当等支給規程」第1条により右の歳費は毎月10日に支給されることになつて居た。ところが昭和27年8月28日天皇の衆議院を解散する旨の詔書が衆議院議長に伝達され、衆議院は形式上右詔書の伝達により解散されたものとして取扱はれたのであるが、その衆議院解散処分は次の理由によつて憲法に違反するものと言はなくてはならない。

[2](一) 我国の憲法は立法、行政、司法三権の分立を建前とし、特別の定めのある場合においてのみその相互抑制を認めて居るのである。而して憲法第41条は国民の直接の代表者によつて構成される国会を以て国権の最高機関と定め、その第59条乃至第61条、第67条において衆議院は参議院に優越するものとされて居るのであり、又衆議院解散とは任期の満了に先立ち、その全議員の資格を剥奪し、因つて衆議院の存在を一時失はしめるものであるから、衆議院を解散することは憲法自体に根拠ある場合にのみ許されるものであると言はなくてはならない。
[3] そこで本件の解散について見るに、その解散詔書に「憲法第7条により衆議院を解散する」とあることからして明らかな通り、本件の解散は憲法第7条のみによつてなされたものである。憲法第7条には天皇の行ふ国事に関する行為として、その第3号に「衆議院を解散すること」が挙げられては居るが、憲法第3条、第4条によれば天皇は一切国政に関する権能を有せず、憲法において特定された国事に関する行為を行ふにすぎないものであり然も内閣の助言と承認とに基き、これに拘束せられて行為しなければならず、その行為の責任は天皇に帰属せず内閣においてこれを負ふことになつて居り、他方前述の如き衆議院解散の重大性からすれば、天皇はかかる衆議院解散と言ふ重大事項について実質上の決定をする権限を有するものではない。従つて憲法第7条によつて天皇の為す衆議院解散行為とは単に形式的に解散詔書を発布すると言ふに止まり、何等実質上の決定権限を含まないものであつて、天皇は他の国家機関のなした実質的決定に従つて解散詔書を発布しなければならないものであるから、如何なる国家機関が如何なる要件の下に衆議院の解散を決定し得るかを探求しなければならない。
[4] ところで憲法において衆議院の解散に関係のある規定は第7条、第54条、第69条の3ケ条のみであるが、第54条は衆議院解散後の措置を定めて居るにすぎず、解散決定権の所在及びその決定をなし得る要件についての規定ではない。そこで第7条を見ると、内閣は天皇の衆議院解散行為について助言と承認とをなす権限を有するものとされて居る。然し乍ら、憲法第3条、第6条によると、天皇の内閣総理大臣、最高裁判所長官の任命行為についても内閣の助言と承認とを要することになつて居るが、その実質的な決定は国会の指名、内閣の指名によつてなされて居るものであるから、右に言ふ助言と承認とは、当該事項についての実質的決定ではないこと、憲法第7条の天皇の衆議院解散行為と言ふものは、単なる形式的な解散詔書発布行為なのであるから、これについての内閣の助言と承認とは、その形式的な発布行為についての助言と承認とであるにすぎないことを考へ併せると、内閣が天皇の衆議院解散行為について助言と承認とをなす権限を有すると言ふことが、当然衆議院解散を実質上決定する権限をも有することにはならないのである。そこで憲法第69条について見ると、同条においては、衆議院において内閣の不信任案の可決又は信任案の否決があつた場合、内閣が10日以内に総辞職しない限り衆議院は解散されることが予想されて居る。その趣旨は憲法第66条第3項により国会に対して責任を負ふものである内閣が衆議院においてなされたその不信任案の可決又は信任案の否決は国民の意思に合致しないものと判断し、総辞職しないことに意を決した場合に限り、内閣に衆議院解散を決定する権限を認めたものと解すべきであり、憲法上この場合以外に衆議院が解散されることはないのである。天皇はかくして内閣が決意したところに従ひ、内閣の助言と承認とに基き憲法第7条によつて衆議院解散詔書を発布することになり、ここに衆議院は解散されるのである。然るに本件の解散に際つては衆議院において内閣の不信任案の可決も信任案の否決もなされては居なかつたのであるから、これらの決議もないのに拘らず憲法第7条のみに基いてなされた本件衆議院解散は憲法に違反するものと言はなくてはならない。

[5](二) 更に憲法第7条によれば天皇が衆議院解散詔書を発布するについては、内閣の助言と承認とがなければならないものとされて居る。その規定の趣旨は、天皇は一切の国政に関する権能を有しない結果、その行ふ国事に関する行為については常に内閣の助言に基き且これに拘束されて内閣の承認した行為を為さなければならないものとするにあるのであつて、天皇を衆議院解散を自ら発議する権限を有するものと認めることはできない。従つて天皇の衆議院解散行為については、内閣の助言と承認と2つながら必要である。ところで内閣法第4条によれば、内閣がその職権を行ふのは閣議によることとなつて居り、憲法第66条第3項の規定よりして、その閣議決定は内閣を構成して居る全閣僚の一致を要するものであるから、内閣の助言と承認とがあると言ひ得る為には、内閣を構成して居る全閣僚の一致により、衆議院解散を天皇に助言する旨の決定並に天皇の衆議院解散行為についてこれを承認する旨の決定がなされて居なければならないものである。そこで本件の解散詔書が発布される迄の経過について見ると、昭和27年8月26日持廻り閣議によつて本件解散の詔書案、該詔書の発せられたことの衆議院議長に対する伝達案並に参議院議長に対する右伝達の通知案について一部閣僚(4、5名)のみの賛成署名が為されたが、その余の閣僚の賛成のないままで同詔書案は同夜直ちに天皇に送付され、これに天皇の署名が為され、翌27日御璽が押捺され、28日閣議において右詔書を即日公布することが決定され、直ちに該解散詔書が発布され衆議院議長に伝達されたものである。以上の事実上の経過からすれば、本件解散については、これを天皇に助言する旨の全閣僚一致の閣議決定とこれに基く天皇に対する助言、天皇の本件の解散詔書発布行為についての内閣の承認が、いづれも認められないので、この点においても本件衆議院解散は憲法に違反するものと言はなくてはならない。

[6] 然して憲法第98条によれば憲法に違反する一切の処分は効力がないのであるから、以上の通りに憲法に違反するものである本件衆議院解散は当然無効であり、本件解散によつては、原告はその衆議院議員たるの資格を失はない。
[7] よつて原告は被告に対し、「昭和27年9月分より原告の衆議院議員の任期が満了した昭和28年1月分迄の前記歳費合計28万5千円の支払を求めるものである。」

と述べ、被告の答弁に対し、

[8]「我国に採つて居る三権分立の建前において、司法権は憲法第81条により、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するや否やの判断を為す権限を附与されて居るのであるが、憲法においてかかる規定を設けて居る趣旨は、よつて以て憲法の厳正な適用を保障し、行政府等による専恣な行為を防止しようとするにあるのであつて、衆議院解散についてのみ例外として裁判所の判断対象となり得ないとする理由はない。被告は衆議院解散が無効と判断されることによつて生ずるとする諸種の混乱を挙げ、これより逆論して衆議院解散の合憲性が司法権による判断の対象とならないと主張するが、司法権は純粋にある行為が法規に適合するや否やの判断をなすべきものであつて、被告の言ふ様に生ずべき混乱から逆に推論することは許されない処であるし、若し又被告の主張が許されるものとするならば、それは憲法適用の保障を排除し、行政府乃至内閣総理大臣の専制独裁を馴致するといふ重大な結果を招来する虞れもある。更に最高の政治的判断が選挙を通じての国民の判断にあるものであることは言ふまでもないが選挙における国民の判断は解散により民意を問はれた事項に対する政治的判断であつて、解散行為が憲法の規定に適合するや否やの法律的判断ではなく、その法律的判断は一に司法権に委ねられて居るのであるから、憲法において解散後の総選挙の規定が設けられて居るからと言つて解散行為の合憲性が裁判所の判断対象となり得ないとする理由とはならない。」

と述べた(証拠省略)。

 被告指定代理人は請求棄却の判決を求め、

[9]「原告主張事実中原告がその主張の通りに衆議院議員総選挙において当選し、衆議院議員となつたこと、当時原告主張の各法令の規定により衆議院議員が1ケ月5万7千円の歳費を毎月10日に給与されることになつて居たこと、昭和27年8月28日天皇の衆議院を解散する旨の詔書が衆議院議長に伝達されたこと、並に右解散は憲法第7条に基くものとしてなされたことは認めるが、本件の解散について内閣の助言と承認とがなかつたとの事実は否認する。

[10] 元来行政行為はそれが国民の具体的権利義務に直接関係するものである限りこれを裁判所による審理の対象とし、その行為によつて権利を害された者に救済を受ける途を開くことは近代法治主義の要請であるのみならず、憲法は原則として右の如き一切の行政行為につき、その適法であるか否かの問題が裁判所の審査に服することを認め、衆議院解散についても明文上特に右原則から除外する規定が設けられて居ないのであるが、諸外国の判例においては国会の解散その他特に強度の政治性を有する一連の行為を統治行為又は政治問題等と呼び、直接その行為の取消又は無効確認を求める場合は勿論、争訟の先決問題としてその適法であるか否かが争はれる場合でも、その争は裁判所の審理の対象から除外されるものとされて居り、この見解は諸外国並に我国の学説においても承認されて居る。ところで右の如く衆議院解散の合憲性の審理が裁判権の外にあるとする考へ方が我国の法制においても妥当するものであることは次の理由からして論結される。
[11](イ) 憲法によれば衆議院が解散されたときは憲法第54条第1項により、衆議院議員総選挙が行はれるべきものと定められて居り、その総選挙によつて新しい国会が成立し、その国会が召集されたときは憲法第70条、第67条第1項、第68条第1項等により内閣は総辞職し、国会によつて新しく内閣総理大臣が指名され、その内閣総理大臣によつて国務大臣が任命され、ここに新しく内閣が成立することになる。ところで裁判所が衆議院の解散を無効であると判断することができるものとして、その無効が判決により確定されたとすれば、解散の無効を理由として解散後の新衆議院を含む国会の存在、内閣の成立、更には憲法第6条第2項、第79条第1項、第80条第1項によりその内閣によつて指名、任命される裁判官の地位が争はれ、右国会によつて制定された法律、右内閣によつて定められた政令、右内閣によつて指名、任命された裁判官その他の公務員のなした一切の裁判、行政行為等はすべて違法とされることになるのであつて、その生ずる混乱は立法、行政、司法の全分野に亘り、国家機構の根本が破壊され国民生活全体の基本秩序は崩壊し収捨し得ないことになる。若し憲法が斯様な結果を生ずる判決を是認するものとすれば、当然かかる場合に処すべき規定を予め用意しておく筈であるのに、憲法上右の如き混乱に対する何等の善後措置も定められて居ないことから見れば法がかかる混乱を容認して居るものと解することはできないのであつて、前叙の如き判決は法の許容しないものであると言はなくてはならない。右の混乱は司法権が独立併存の関係にある他の二権の機関存立を否認する結果生ずるのであるが、その赴くところその成立を否認される内閣によつて指名、任命された裁判官の地位そのものを否認することになるのであるから、その裁判官が解散を無効と判断した判決に関与した場合には、その判決自体が違法となり明らかに矛盾ともなるのである。なほ争訟における先決問題として解散が無効と判断された場合にはその判断は相対的(当該訴訟以外ではその訴訟の当事者をも拘束しない)となるので、或る場合は有効とされ、他の場合には無効とされる虞れがあり、よつて生ずる混乱は一層複雑となることも考へられるのである。
[12](ロ) 元来衆議院の解散と言ふことは衆議院議員の任期を満了させるものであると共に他面衆議院の存在を消滅させる処分であつて、これによつて衆議院の構成及び内閣は一新されることになり、解散後に成立した衆議院を含む国会、内閣により国の政治の新しい方向が定められることにもなるのであつて、解散と言ふことは最も政治性の強い行為であると言はなくてはならない。憲法によれば、衆議院が解散されたときは40日以内に衆議院議員総選挙が行はれることになつて居るが、それはかかる最も政治性の強い行為に対する批判は総選挙における国民の直接の審判に委ねられるべきものであることを示すものであり、又それが民主政治の根本原則なのであつて、憲法上その職務上の独立と身分が保障されて居り政治的責任を負はない裁判官が衆議院解散についての批判をすることは民主政治の原則に反し、無責任政治の危険をも生ずるものであり、かかることは我国の法制上到底許容し得ないものである。
[13] 上述したところにより明らかな様に裁判所は衆議院解散の合憲性について判断権限を有しないのであるから、原告の主張はそれ自体において理由のないものと言はざるを得ない。

[14] 次に仮に裁判所において衆議院解散についてその合憲性の判断を為し得るものとしても、本件解散については昭和27年8月26日持廻り閣議によつて天皇に衆議院解散を助言する旨の閣議決定がなされ、同日内閣官房総務課長であつた訴外山田明吉は内閣の使者としてその閣議決定書を天皇に呈上し、ここに天皇に対する助言がなされ又同年8月28日閣議において天皇の本件の衆議院解散詔書発布について承認の閣議決定が為され、その上で解散詔書が衆議院議長に伝達されたのであつて、本件解散については原告主張の如き違法はない。又仮に同年8月26日の内閣の助言が認められないとしても、同日天皇より衆議院解散についての発議が為され、同年8月28日閣議決定による承認を経て本件の解散詔書が発布されたものであるところ、憲法第7条において天皇が国事に関する行為をなすについて内閣の助言、承認を必要とするものとされて居る趣旨は、天皇の行為は内閣の意思に基き為されなければならないことを示して居るのであつて、天皇の発議に対し内閣の承認のある以上右趣旨の要請は満たされて居るのであるから、本件解散は憲法に違反するものではない。」

と述べた(証拠省略)。


[1] 原告が昭和24年1月23日に施行された(当事者は4月と主張して居るが、1月23日に施行されたことは公知の事実である)衆議院議員総選挙において当選し衆議院議員となつたこと、原告主張の当時の諸法令により衆議院議員が歳費として被告より1ケ月5万7千円の給与を毎月10日に受けるものであつたこと、及び昭和27年8月28日天皇の衆議院を解散する旨の詔書が衆議院議長に伝達されたことは当事者間に争がない。

[2] 被告は衆議院解散については、裁判所はその適法であるか否かを判断する権限がないと主張するので、この点について検討する。フランスその他の諸国において、いはゆる政治性の濃厚な一連の行為が統治行為又は政治問題等(以下便宜上一括して統治行為と称することとする)と称せられ、裁判所(司法裁判所に限らない)においてこれを無効と判断し得ないものとされて居ることは被告の言ふ通りであるが、我国において右の様な統治行為なるものの概念を採用すべきか否かは、統治行為を認むべき理由と、それからして演繹されるべき統治行為の概念規定(概念の内容を定める要件)とが我国において採られて居る法律制度に適応するや否やによつて定まるものであつて、諸外国の事例を直ちに採つて範とすることはできない。
[3] ところで司法権による法の適用即ち何が法なりやの判断は、便宜的な裁量の余地を残さない全く覊束された判断であるから、その判断の結果生ずることあるべき混乱を避けることを理由として法の適用を二三にすることは元来許されないところであつて、衆議院の解散が無効と判断されることによつて被告主張の如き混乱が生ずると仮定してもそのことを理由として裁判所において衆議院解散の無効判断を為すことができないものと論断することはできない。(例へば違憲の法令が相当長期に亘り施行された後、裁判所によりその法令が無効と判断された場合、又は広範囲に亘る選挙争訟で選挙が無効と判断された場合等にも混乱の生ずることが予想されるが、その混乱を理由として裁判の対象より除外せよとする説はない。)のみならず被告が生ずると主張する諸種の混乱が果して生ずるものであるか否かについて見ると、仮に総選挙施行の前提の瑕疵と考へられる解散の無効がその総選挙無効争訟の理由となるものとしても、現実に施行された選挙の効力はその選挙についての選挙争訟によつてのみ決せられるべきものであるから、その選挙についての選挙争訟において無効と確定された事実の主張立証のない本件では、その選挙によつて選出された衆議院議員は議員としての資格を有するものであり、その議員によつて構成される衆議院も有効に存立したわけであつて、従つて衆議院が複数併存することとはなつても、(従前から存立して居る衆議院は事実上召集されることがないであらうから、この点から生ずる混乱はさして大なるものではないであらう)国会の存立は否定されないから、衆議院の存立、ひいて国会の存立を否定することを前提とする被告主張の混乱なるものは単なる杞憂にすぎないものと言はなくてはならない。(斯の如く国会の存立が肯定されて居る以上、これに基礎を置いて成立した内閣も有効に存立するものであつて、この点において本訴における被告代表者の代表資格と肯定されたのである。)従つて衆議院解散を違憲とする裁判そのものが違法となる場合があるとする被告主張の矛盾なるものも生じ得ないのである。(尤も解散後の新内閣によつて指名、任命された以外の裁判官が審理に当れば、この点は問題にもならない。)
[4] 衆議院解散とは、これによつて衆議院の構成及び内閣が一新され国の政治的方向の一端が新たに定められることになるものであつて政治的影響の大きな行為であること、又その解散の政治的当否の批判が、解散に引続いて施行される選挙において国民によつて為されるであらうことは被告の言ふ通りである。然し政治的影響の大きいと言ふことがその行為の純法律的な判断を不可能にするものではなく、又国民によつて行為の当否の批判がなされるからと言つて、その行為についての政治的当否の批判とは全く別な法律的判断が排除されるべき理由にはならない。衆議院を如何なる事態の下において解散するのが妥当であるかは政治的判断に委ねられて居るであらうが(この点後述)解散の方式そのものが憲法の定めるところに適合して行はれたりや否やは、一切の政策的評価を排除して判断することが可能でもあり、又政策的評価を離れて判断すべき事柄である。
[5] そこで我国の制度を見るに、現在の憲法下における司法権とは単に民事刑事の事件についての裁判権の限局されるものではなく、裁判所法第3条において明らかにされて居る通り、一切の法律上の争訟において憲法上特別の定めのない限り、すべての行為が法規に適合するや否やの判断を為す権限(憲法第81条によれば国会による立法についてまでそれが憲法に適合するや否やの判断を為す権限をも含むものとされて居る)を附与されて居るものである。従つて当該行為が法律的な判断の可能なものであり、それによつて個人的権利義務についての具体的紛争が解決されるものである限り、裁判所は一切の行為についてそれが法規に適合するや否やの判断を為す権限を有し、又義務を負ふものである。これが我が法制の建前であり、衆議院解散とは衆議院の全議員に対し任期満了に先立ち、その資格(それは各議員の議員として有する権利義務の総体である)を剥奪する処分であつて、その解散が憲法所定の手続を遵守してなされたかどうかの判断によつて衆議院議員であつた原告の議員としてもつてゐる権利義務の存否が明確にされることは明らかであり、前述の如く衆議院解散行為について、その法律的判断が可能なものである以上、その有効、無効についての争が司法的審査の対象から排除されるべき合理的理由はないものと言ふべきである。
[6] 我国においても統治行為なるものが、学説として論ぜられて居るのではあるが前述の如き内容の司法権を認めて居る我国の法治主義の下において、なほ裁判の対象から除外されるべき統治行為なるものを認むべき法理上の根拠も、又統治行為なる概念についての積極的具体的な内容規定も明らかにされては居ないのであつて、自由主義的法治制度に撤すれば、裁判の対象より除外されるべき統治行為なるものを想定することはその可能性が疑はれると言ふ考へ方もあり、今日において単に政治性が強いと言ふ一事だけで衆議院解散の合憲性を裁判所の判断対象から除外することはできないものと言はなくてはならない。

[7] よつて更に進んで本件解散が憲法に違反するや否やについて検討する。
[8] 本件解散が憲法第7条のみによつてなされたものであることは当事者間に争がない。原告は衆議院解散は憲法第69条の要件の具備した場合にのみ行はれ得るものであつて憲法第7条のみによる解散はなし得ないと主張する。この点は2つの問題を含んで居ると考へられる。第1は解散権の所在であり、第2は解散権行使の要件(如何なる場合に解散できるか)である。先づ第1の解散権の所在について考へる。国会が国権の最高機関であり、衆議院が国会の中においても参議院に優越する地位にあるものであることを思へば、純理論的にはかかる衆議院を解散し得るものは、主権を有する総体としての国民の外にはあり得ない筈である。憲法第7条は天皇が内閣の助言と承認とによつて「国民の為に」為す国事に関する行為の中に「衆議院を解散すること」を挙げて居るが、その趣旨は憲法第1条によつて国民の総意に基き日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であるとされて居る天皇に右の如く純理論的には総体としての国民のみが有し得る筈の衆議院解散の権限を形式上帰属せしめ、天皇をして後述の如く政治上の責任を負ふ内閣の助言と承認の下にこれを行使せしめむとするにあると解するのが相当である。(なほ憲法第3条、第4条との関係については後述)そこで次に第2の解散権行使の要件(如何なる場合に解散できるか)の問題について検討する。原告が解散可能の唯一の根拠とする憲法第69条は、素直にこれを読めば、同条所定の決議があつた場合、10日以内に解散が行はれなければ内閣は総辞職をしなければならないことを定めて居るにすぎないものであり、解散権の所在とその行使の仕方を定めて居るものである憲法第7条と対立する規定でもなければ、第69条所定の場合に限り解散ができるとする趣旨の規定でもないのであつて、憲法第69条所定の決議があつた場合における解散も、憲法第7条の手続による外はないのである。元来憲法第69条を解散可能の唯一の根拠とする考へ方は、同条の文言自体よりする解釈ではなく、衆議院の優越的地位の確保と行政府の専恣の抑制とを目的とする政策的立場からする見解であるが、解散権の所在について既に説示した処からして衆議院の優越的地位は法制上何等害されて居らず、又行政府の恣意の抑制の点についても現行憲法は旧憲法と異り、解散後新衆議院が成立し、国会が召集されると共に内閣は総辞職しなければならないものと定めて居るから、同一の内閣の下において解散が2回以上行はれる虞れはない。従つて憲法第69条の場合に限り解散できるものとする右見解は根拠がないものと言はざるを得ない。如何なる場合に解散ができるかの点については旧憲法におけると同様現行憲法には何等の規定もない。衆議院解散とは、存立して居る衆議院が、国の内外の問題につき国民の抱懐して居る意思を適正に反映具現するに適する構成になつて居るか否かを国民に問ふ制度である。議員の任期中は選挙を通しての国民の意思が代表されて居るものと見るのが法制上の建前であるが、右解散の制度はかかる法制上の建前に合致しきらない変遷する政治情勢に対処する為のものである。従つて解散は変遷する事態を政治的に判断してなさるべきものであることは明らかであり、その解散権の行使は法規により一義的に拘束するには不適当な事柄であると言はなくてはならぬ。以上の処からすれば現行憲法が如何なる場合に解散を為し得るかの要件について何等の規定も設けて居ないのは如何なる事態の下に解散を為すべきやの判断を全く政治的裁量に委ねたものであると解すべきであり、その解散が妥当であつたか否かの如きは固より裁判所の判断の対象となるものではない。従つて衆議院で内閣の不信任決議案の可決も信任決議案の否決もないのに本件解散が行はれたからと言つて本件解散が憲法に違反するものとは言へないから、この点の原告の主張は採用できない。
[9] さて以上説示の通りに衆議院解散権は天皇に帰属して居り憲法第7条によれば天皇は内閣の助言と承認に基きその解散権を行使することになつて居るのであるが、如何なる事態の下において解散すべきであるかと言ふことは政治的裁量に委ねられて居るのであるから、内閣は自己の判断に基き天皇に解散を助言し、その助言に基きなされるべき天皇の行為が助言の趣旨に合致することを確かめ、その行為を承認して始めて解散が行はれることになるわけであるが、被告は憲法第7条に謂ふ「内閣の助言と承認」とは単に天皇の行為が内閣の意思に合致して行はれるべきものであることを示すにすぎないから、天皇が自ら発議し、その為さうとする行為について内閣の承認があれば、右の要請は満たされて居るのであつて内閣の助言は必ずしも必要がないと主張するので、この点について判断しよう。衆議院の解散とは国の政策を決定する国会や内閣の構成の更新をもたらす行為であるから国政上極めて重大な事柄である。従つて衆議院の解散を自ら発議すると言ふことは国政に関する権能を有するものでなければ為し得ないことである。ところが憲法第4条第1項においては天皇は国政に関する権能を有しないものと定められて居り、又憲法第3条は天皇に為した国事に関する行為についての責任は内閣がこれを負ひ天皇がこれを負ふものでないことを明らかにして居る。天皇が自ら為した行為についてその責任を負はないと言ふことは旧憲法第3条の規定の如く天皇を神聖不可侵のものとしない限り、天皇がその自ら行ふ行為について他の機関より拘束され、完全にその自由意思が排除される仕組になつて居なければならない。現行憲法下において旧憲法第3条の如き解釈が採られ得ないことは明らかであり、従つて天皇が自らの行為について責任を負はないと言ふのは、天皇がその行為を為すについて何等の自由な意思決定もなし得ず、その行ふべき具体的行為の決定も他の国家機関の意思に拘束されるものであることによると言はなければならない。斯の如くであつて始めて責任政治をその根幹とする民主主義の要請は満たされるのである。天皇が助言なくして発議をした場合でも内閣の承認さへあればよいと言ふ考へ方は、天皇に発議権を認める結果となり延いては天皇において内閣の助言の趣旨と異る発議を為し、内閣の助言を拒否することもできるといふ考へ方を惹起することともなり、他方内閣の事後承認があつても発議の点については天皇においてその責任を免れる根拠がないことにもなるのであつて、現行憲法の基礎が踏みにじられることになるであらう。以上の点からすれば天皇はその行ふべき国事に関する行為について自らの意思決定に基き発議する権限はこれを有し得ないことは明白である。上叙の処を綜合すれば天皇は内閣よりの申出(助言)があつた場合に限りその申出の趣旨に合致した行為を為すべく、然も天皇が助言に従つて行ふ具体的行為は内閣がその為した助言の趣旨に合致するものと認めた(承認)行為でなければならないことになるわけである。憲法第7条において内閣の助言と承認により天皇が国事に関する行為を行ふ旨が定められて居るのは右の趣旨を明らかにしたものと解すべきである。(斯く解して始めて天皇が衆議院を解散する権限を有するものであり乍ら、なほ国政に関する権能を有して居ないことが矛盾なく説明されるのである。)従つて天皇の国事に関する行為については常に必ず内閣の助言と承認と2つながらなければならないものと言ふべきである。
[10] そこで本件の解散について内閣の助言があつたか否かの点について検討する。先づ内閣法第4条によれば内閣がその職権を行ふのは閣議によるものとされて居り、その決定方法については何等の規定もないのであるから、閣議決定は内閣を構成する全閣僚の一致を要するものであることは明らかである。従つて内閣の助言があると言ひ得る為には当該行為を天皇に助言する旨の全閣僚一致の閣議決定が為され、これに基く天皇に対する助言行為が為されねばならないわけである。被告は昭和27年8月26日衆議院解散について天皇に助言する旨の閣議決定がなされ訴外山田明吉は同日その閣議決定書を天皇に呈上したのであつてこれによつて助言がなされたものと主張するが、成立に争のない乙第1号証並に証人山田明吉の証言を綜合すれば、昭和27年8月26日日本国憲法第7条により衆議院を解散する旨の詔書案とこれが発布されたことの衆議院議長宛の伝達案外1件を議題として持廻り閣議によつて当時の閣僚13名中山崎、池田、佐藤等4、5名の閣僚の賛成署名がなされただけで、内閣官房総務課長であつた山田明吉は同夜該書類を天皇に呈上した事実が認められるのであるが、右の議題となつて居る事項が被告主張の通りに衆議院の解散を天皇に助言する趣旨のものと解すべきであるとしても、一部閣僚の賛成のみでは適法な閣議決定があつたものと言ふことができずその他に被告主張の如き助言があつたものと認めるに足りる証拠はない。従つて本件解散については内閣の助言があつたものとは言へないので本件解散は内閣の承認の有無について判断する迄もなく憲法第7条に違反するものと言はなくてはならない。
[11] ところで憲法第98条によれば憲法に違反する一切の処分は無効なのであるから原告は本件解散によつて衆議院議員たる資格を喪失しなかつたものと言はなくてはならない。而して原告の衆議院議員としての任期は、この点について特段の事実の主張のない本件では憲法第45条本文、衆議院議員選挙法第78条により昭和28年1月迄であることは明らかであり、又衆議院議員が右任期満了の月迄の歳費を受け得ることは国会議員の歳費旅費及び手当等に関する法律第4条に規定するところであり、更に歳費の支払期が毎月10日であることは本件当事者間に争がないのであるから、被告に対し、昭和27年9月分より原告の任期の満了した昭和28年1月分迄の前記歳費合計28万5千円の支払を求める原告の請求は正当である。

[12] よつて原告の請求を認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第89条を適用し、主文の通り判決する。

  (裁判官 毛利野富治郎・桑原正憲・山田尚)

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