苫米地事件
上告審判決

衆議院議員資格確認並びに歳費請求事件
最高裁判所 昭和30年(オ)第96号
昭和35年6月8日 大法廷 判決

上告人(被控訴人 原告) 苫米地義三
         代理人 吉井晃
被上告人(控訴人 被告) 国

■ 主 文
■ 理 由

■ 裁判官小谷勝重、同奥野健一の意見
■ 裁判官河村大助の意見
■ 裁判官石坂修一の意見

■ 上告代理人吉井晃の上告趣意


 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人の負担とする。

[1] 本訴は、昭和27年8月28日行われた衆議院の解散は憲法に違反し無効であるとの主張にもとづき、当時衆議院議員であつた上告人は右解散によつては衆議院議員たる身分を失わないとして、同年9月分から上告人の衆議院議員の任期が満了した昭和28年1月分迄の上告人の衆議院議員としての歳費合計28万5千円の支払を求めるというのである。すなわち本訴は、右衆議院の解散の法律上無効なることを前提として、衆議院議員の歳費の支払を請求する訴訟である。
[2] そして、上告論旨第一点は、原判決が本件解散は憲法7条に依拠して行われたもので、憲法に適合するものであるとしたのは衆議院の解散に関する憲法の解釈を誤つたものであるとし、同第二、三点は、原判決が本件解散について、内閣の助言と承認が適法に為されたと判断した点に対し、採証の法則違背、審理不尽等の違法ありと主張するものである。右論旨にもあきらかであるごとく、本件解散無効に関する主要の争点は、本件解散は憲法69条に該当する場合でないのに単に憲法7条に依拠して行われたが故に無効であるかどうか、本件解散に関しては憲法7条所定の内閣の助言と承認が適法に為されたかどうかの点にあることはあきらかである。

[3] しかし、現実に行われた衆議院の解散が、その依拠する憲法の条章について適用を誤つたが故に、法律上無効であるかどうか、これを行うにつき憲法上必要とせられる内閣の助言と承認に瑕疵があつたが故に無効であるかどうかのごときことは裁判所の審査権に服しないものと解すべきである。
[4] 日本国憲法は、立法、行政、司法の三権分立の制度を確立し、司法権はすべて裁判所の行うところとし(憲法76条1項)、また裁判所法は、裁判所は一切の法律上の争訟を裁判するものと規定し(裁判所法3条1項)、これによつて、民事、刑事のみならず行政事件についても、事項を限定せずいわゆる概括的に司法裁判所の管轄に属するものとせられ、さらに憲法は一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを審査決定する権限を裁判所に与えた(憲法81条)結果、国の立法、行政の行為は、それが法律上の争訟となるかぎり、違憲審査を含めてすべて裁判所の裁判権に服することとなつたのである。
[5] しかし、わが憲法の三権分立の制度の下においても、司法権の行使についておのずからある限度の制約は免れないのであつて、あらゆる国家行為が無制限に司法審査の対象となるものと即断すべきでない。直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときはたとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であつても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外にあり、その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断に委され、最終的には国民の政治判断に委ねられているものと解すべきである。この司法権に対する制約は、結局、三権分立の原理に由来し、当該国家行為の高度の政治性、裁判所の司法機関としての性格、裁判に必然的に随伴する手続上の制約等にかんがみ、特定の明文による規定はないけれども、司法権の憲法上の本質に内在する制約と理解すべきである。
[6] 衆議院の解散は、衆議院議員をしてその意に反して資格を喪失せしめ、国家最高の機関たる国会の主要な一翼をなす衆議院の機能を一時的とは言え閉止するものであり、さらにこれにつづく総選挙を通じて、新な衆議院、さらに新な内閣成立の機縁を為すものであつて、その国法上の意義は重大であるのみならず、解散は、多くは内閣がその重要な政策、ひいては自己の存続に関して国民の総意を問わんとする場合に行われるものであつてその政治上の意義もまた極めて重大である。すなわち衆議院の解散は、極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為であつて、かくのごとき行為について、その法律上の有効無効を審査することは司法裁判所の権限の外にありと解すべきことは既に前段説示するところによつてあきらかである。そして、この理は、本件のごとく、当該衆議院の解散が訴訟の前提問題として主張されている場合においても同様であつて、ひとしく裁判所の審査権の外にありといわなければならない。
[7] 本件の解散が憲法7条に依拠して行われたことは本件において争いのないところであり、政府の見解は、憲法7条によつて、――すなわち憲法69条に該当する場合でなくとも、――憲法上有効に衆議院の解散を行い得るものであり、本件解散は右憲法7条に依拠し、かつ、内閣の助言と承認により適法に行われたものであるとするにあることはあきらかであつて、裁判所としては、この政府の見解を否定して、本件解散を憲法上無効なものとすることはできないのである。
[8] されば、本件解散の無効なことを前提とする上告人の本訴請求はすべて排斥を免れないのであつて、上告人の請求を棄却した原判決は、結局において正当であり、上告人の上告は理由がない。

[9] よつて、民訴401条、95条、89条に従い、裁判官小谷勝重、同河村大助、同奥野健一、同石坂修一の意見あるほか、全裁判官一致の意見により、主文のとおり判決する。


 裁判官小谷勝重、同奥野健一の意見は次のとおりである。

[1] 多数意見は、先づ衆議院の解散が法律上無効であるかどうかは裁判所の審査権に服しないものであると判示する。
[2] しかし、憲法に反した当然無効な解散によつて、違法に議員たる身分を奪われ、歳費請求権を喪失せしめられた者は、裁判所に対し訴訟によつてその救済を求めることの許さるべきことは勿論であつて、その場合裁判所は、先づ解散が憲法上適法なものであるかどうか、即ち有効か無効かを判断しなければならないことは当然であり、また裁判所の職責でもある。例えば、上告論旨のいうように、若し、憲法が69条の場合以外に解散を認めないものとすれば同条の要件なくしてした解散は違憲であり当然無効であると判断すべきものであつて、この場合でも解散は政治性の高いものなるが故に、裁判所の審査権が及ばないものとし、政府において、既に解散は合憲であるとしている以上、裁判所はそれに盲従し、憲法上無効な解散までも有効なものと判断しなければならないとすることは、憲法81条の明文に照し裁判所の職責に反するものといわなければならない。けだし、解散は憲法81条にいう「処分」であつて、正に裁判所の違憲審査権の対象であるからである。

[3] よつて、進んで上告論旨の主張するように、解散は右69条の場合に限つて認められるものであるか否かを検討するに、69条は衆議院で内閣不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決した場合における内閣の採るべき措置について規定したものであつて、この場合、内閣は10日以内に衆議院が解散されない限り総辞職をしなければならないことを定めたものである。そして、同条は「……衆議院が解散されないかぎり……総辞職をしなければならない」とあつて、解散のできることは当然の前提として、解散されなければ内閣が総辞職をしなければならないことに重点があるものと解すべきであり、同条によつて始めて解散を行い得ることを規定したものと解すべきではない。
[4] 元来議院内閣制の下においては、内閣は衆議院の信任を条件として成立、存続するものであるから、衆議院の信任を失つた場合には、当然総辞職をしなければならないのが原則であるが、憲法は抑制と均衡の原則から内閣はこれに対抗して衆議院を解散して主権者たる国民に信を問うことができる例外的対抗手段を認めたのが右69条の規定であつて、この場合内閣は解散か総辞職か何れか一を選ばなければならないのである。右の如く衆議院の解散は政府が国民に訴え、その意思を問う制度であるから、内閣不信任決議案の可決、または信任決議案の否決の場合以外にも、衆議院において政府提出の重要法律案、予算案などが否決された場合など同じく政府は国民に信を問う必要がある場合があり、また、政党の所属議員の数の異動などにより衆議院が国民の代表としての意思をよく反映しているか否かに疑の生じた場合その他国の内外に新な重要事態が発生し、新しい国民の意思を問う必要がある場合など解散を必要とする場合が右69条の場合の外にも多々存することは否み得ないところである。然らば、解散が右69条の場合のみ可能であるとすることは前記の各場合に解散の途は閉されることになり、殊に、議院内閣制の下では多数党が内閣首班をとる慣例であるから内閣不信任の決議案が可決されることは殆どなく、実際上これによる衆議院の解散はあり得ないことになるのである。
[5] 憲法によれば、衆議院の解散は憲法7条により行われるのであるが、同条は解散の場合を何ら制限していないのである。従つて、右69条は衆議院解散についての一の場合を規定しているものと解すべきであつて、同条の場合以外に全然解散を認めない趣旨であると解すべきものではない。そして、衆議院の解散は69条の場合をも含めて、内閣の助言と承認によつて天皇が右7条により、国事に関する行為としてこれを行うのである。天皇の行う解散は、内閣の助言と承認によりなされるものであつて、天皇は形式的儀礼的にこれを行うのであるから、衆議院解散の決定権は、内閣にあるものと解さねばならない。右の如く天皇の行う解散は内閣の助言と承認により、形式的儀礼的に行うのであるから、これがため天皇の権力を必要以上に強くするものということはできないし、また、内閣に解散の決定権があると解することは、国会より内閣を優位に立たせ、余りに強大な権力を内閣に与えすぎるとの非難も当らない。けだし、内閣は衆議院を解散すれば、総選挙の結果新しい国会の召集があつたときは当然に総辞職をしなければならないのであるから、解散権を濫用することができないからである。然らば、本件において憲法69条の場合でないのに衆議院の解散を行つたことは違憲であるとの上告理由第一点の論旨は採用し難い。

[6] 次に、多数意見は、衆議院の解散に必要な内閣の助言と承認についても、その無効であるかどうかは、裁判所の審査権に服しないものであると判示する。
[7] しかし、衆議院の解散が内閣の助言と承認により行われることは有効な解散の必要条件であつて、その要件を具備した内閣の助言と承認がない場合の解散は憲法上無効であるから、衆議院の解散の有効無効を決するためには、この点の判断は不可決なものである。よつて、本件において内閣の助言と承認があつたかどうかについて検討するに、憲法7条にいう内閣の助言と承認とは第一審判決のいうように両者を切り離して考えるべきものではなく、要するに、天皇の国事行為については、内閣が実質的決定権を有し、天皇は内閣の決定するところに従い、形式的儀礼的に国事行為として衆議院の解散を行うという趣旨と解すべきである。そうだとすれば、原審が適法に認定した事実関係の下においては、本件解散について憲法の要請する内閣の助言と承認があつたものと認むべきことは当然であつて、原判決のこの点の判断は結局正当である。然らば、上告理由第二、三点の論旨も採るを得ない。従つて、本件上告はすべて理由がないものといわねばならない。われわれは結論において多数意見と同じくするのであるが、理由において意見を異にするものである。


 裁判官河村大助の意見は次のとおりである。

[1]、衆議院の解散が法律上無効であることを前提とする衆議院議員の歳費の支払を請求する本訴は、裁判所の審査権に服しないとの多数意見には賛同出来ないので以下その理由を述べる。
[2] 憲法81条は裁判所に一切の法律、命令、規則、処分が憲法に適合するか否かを決定する権限を与え、裁判所法3条は右規定に立脚して憲法に特別の規定ある場合を除き裁判所に一切の法律上の争訟を裁判する権限を附与しているのであつて、所謂統治行為なるものを司法審査の対象から除外する旨の明文の存しないことは明らかである。わたくしは、如何に高度の政治性を有する国家行為と雖も形式上司法審査の対象となり得る要件を備えるものである限りは、司法権に服さなければならないものとする説に賛成するものである。我国においても統治行為なる観念を認め純法律的判断の可能な問題であつても、司法審査の埒外に置くべしとする有力な学説が存在し、多数意見もこれを採用している。そしてその根拠を概ね司法権の内在的制約に求め、裁判所は他の機関の権限に介入しないという三権分立の原則を強調するものであるが、かかる内在的制約論又は自制説は憲法81条の如き明文をもつわが司法権に必ずしも妥当するものでないと考える。けだし、高度の政治性を有する問題であつても、それが同時に法律上の争訟を含む場合においては、その法律問題が「憲法に適合するかどうかを決定する」ことは三権分立の均衡勢力を超えた部分につき違憲審査権が附与されているものと解せられるからである。もつとも、内閣や国会の有する広汎な政策的ないし裁量的決定の権限はこれを尊重すべきは当然のことであり、かつその実体がもつぱら政治的性格をもつものについては、裁判所の自制も妥当であろうが、当該国家行為が直接に国民の基本的人権に対する制限、侵害を内含するような場合には裁判所はその本来の使命である人権保障の責務を全うすべきであると考えられる。単に高度の政治性を有する国家行為だから裁判所は介入すべきでないということになると、「自制の名における司法権の後退」になりはしないか。勿論裁判所は具体的事件について法を適用することを本来の任務とするのであるから、統治行為ないし政治問題についてもそれが市民法秩序につながりをもち、直接国民の権利義務に影響する場合において、司法審査の問題を生ずるにとどまるものであることも多言を要しないところであろう。第一審判決が「当該行為が法律的な判断の可能なものであり、それによつて、個人的権利義務についての具体的紛争が解決されるものである限り裁判所は一切の行為についてそれが法規に適合するや否やの判断を為す権限を有し又義務を負うものである。これが我が法制の建前」であると判断したのは正当である。従つて本件衆議院の解散の効力如何が原告の議員として有する権利の存否に直接影響すること明らかな本件においては、その前提を為す解散の方式、手続が憲法の定めるところに適合して行われたりや否やは一切の政策的評価を排除して法律的判断を為すことが可能であるから、司法審査の対象となるものと解するを相当とする。
[3] よつて進んで本件解散が上告論旨の如く無効であるかどうかを判断する。

[4]、論旨は衆議院解散は憲法69条の場合にのみ行われ得るものであつて、本件のように憲法7条のみによつて為された解散は違憲無効であると主張する。
[5] しかし憲法69条は本来国会の不信任に基く内閣の総辞職について規定したものであつて、ただ同条には「衆議院が解散されない限り」ということがつけ加えられているので、解散が行われることを予定しているとはいえるが、同条に関係のない解散の可能性を一般的に否定する趣旨を含むものでないことは明らかである。
[6] そして憲法は如何なる場合に解散をなし得るかにつき特にその要件を定めていないのであるから、その決定は、解散権を有する機関の政策的ないし裁量的判断に委ねられているものと解すべきである。通常行政部と立法部との意見が対立して調整の余地のない場合、衆議院が民意を反映しているかどうか疑わしい場合、その他憲法改正、条約締結等国家の重大事につき、総選挙を通じ民意を確めようとするために行われることが予想される。
[7] 憲法7条3号は衆議院の解散を天皇の権限としているが、天皇は国政に関する権限を有しないため(4条)天皇の国事行為としての解散は、他の機関の解散決定に基き、これを外部に表示する権能すなわち形式的宣示行為に過ぎないものであつて、この天皇の形式的行為に対し内閣は助言と承認を与えることになるのであるから、その解散の実質的決定は右助言と承認に先行するものと解すべきであろう。しかして、その実質的解散権について特別の定めのないわが憲法においては、内閣に実質的決定権があればこそ天皇の形式的宣示行為に助言と承認をなすべき責務をも負わせたものと解することができる。すなわち右助言と承認の規定は内閣に実質的解散権が存在することを予定されているものと解するを相当とする。また前記69条においても内閣は解散するか総辞職するかの何れか一を撰ぶべきことを余儀なくされているのであるから、同条も内閣が実質的解散権を有することを予定しているものと解することができる。
[8] のみならずわが憲法は所謂自律的解散は認めない趣旨と解せられるから、少くともその解散権が立法部及び司法部に属しないことは明らかである。この点からみても憲法は解散の決定を内閣に担当せしめたものと解するほかはない。或は内閣の成立及び存続が国会の信任に依存する議院内閣制のもとにおいては、内閣に一般的解散権を認めることは国会の最高機関たる地位を低めるもので背理の甚だしいものであるとの論がある。しかし、立法部と行政部の権力相互の均衡抑制が保たれることは三権分立の原則の要請であつて、立法部の専断又は行き過ぎ等に対して、行政部がこれを抑制するため、総選挙を通じ国民の判定に訴えるというねらいが、必らずしも国会優位を傷けるものではない。現に69条の場合において、衆議院の不信任決議に対抗する手段として内閣に解散権を認めているのも内閣に独立の権能が附与されていることを示すものにほかならない。しかも、解散は、議員の任期を短縮せしめるほかに総選挙後内閣を総辞職せしめる効果をもつものであつて、一方においては解散、他方においては総辞職ということにより、結果においては両者間の勢力均衡は保持できるのである。従つて行政部優位又は立法部軽視というような非難は当らないものといわなければならない。
[9] 以上要するに憲法7条の方式に従い行われた本件解散は所論の如き違法の廉はない。

[10]、つぎに上告論旨は、本件解散につき憲法7条による内閣の助言と承認が適法に行われたとの原審判断を非難するので、この点について検討する。
[11] 憲法7条に所謂「助言と承認」とは、語義からいうと助言及び承認の2つの言葉にわけて解釈すべきもののように見えるが、同条が天皇の国事行為につき内閣の助言と承認を必要としたのは、天皇は単独で国事行為を為さず、内閣の意見すなわち内閣の決定した意思に基いて行うことを意味するに過ぎないものであるから、特に助言と承認を区別する必要はなく、法律上1個の観念とみるを相当とする。本件において原審の引用する乙第1号証によれば閣僚全員承認の下に衆議院解散の詔書案及び衆議院議長宛伝達案等が決定され、昭和27年8月28日施行されたことを窺うに足りるから、同号証のみを以てしても、天皇の解散宣示行為が内閣の意思に基くことを証し得て、憲法の要求は十分に満されたものと解するを相当とする。従つて上告論旨は採用できない。

[12] 以上の理由により本件上告を棄却する多数意見に同調するが、その理由を異にするものである。


 裁判官石坂修一の意見は次のとおりである。

[1] わたくしは、本判決主文には同意するけれども、多数意見がその理由とする所には、異見を持つものである。
[2] 多数意見は、裁判所に、衆議院の解散が法律上無効であるか否か、また衆議院の解散に必要とする内閣の助言、承認の無効であるか否かにつき審査する権限がないと判示する。
[3] しかし、衆議院を解散すべきか否かの問題と、憲法の条章に遵ひ内閣の助言、承認を経た、有効なる衆議院の解散が行はれたか否かの問題との間には、自ら分界がある。前者について、裁判所に審査権のないこと、当然であるけれども、後者については、裁判所に審査権があるものとせざるを得ない。その理由とする所は、憲法7条2号の解散行為が単に儀礼的意味を持つのみであるか否かは別として、小谷、奥野両裁判官の所見と異らない。
[4] 而して、審査の結果、本件解散は、憲法の条章に遵ひ、内閣の助言、承認を経て行はれ、有効なものであるとの判断に至つたのであつて、これと同趣旨に出た原判決を維持するものである。

(裁判長裁判官 田中耕太郎  裁判官 小谷勝重  裁判官 島保  裁判官 斎藤悠輔  裁判官 藤田8郎  裁判官 河村又介  裁判官 入江俊郎  裁判官 池田克  裁判官 垂水克己  裁判官 河村大助  裁判官 奥野健一  裁判官 高橋潔  裁判官 高木常七  裁判官 石坂修一)

[1] 原判決は衆議院解散についての憲法の解釈を誤つたものであるから、破毀さるべきである。すなわち、衆議院の解散は憲法第69条の場合、換言すれば、衆議院による内閣不信任の決議案の可決又は信任の決議案の否決後10日以内においてのみ実質的に決定せられ、かようにして決定せられた場合憲法第7条による表示行為によつて行わるるものであるから、解散権のないものの決定に基き憲法第7条のみによつて為された本件解散は、憲法第98条第1項により無効である。然るに原判決理由によれば、「本件解散が、憲法第7条のみによつてなされたことは、当事者間に争がない。」となしながら、「解散権の所在並に解散権行使の要件についての当裁判所の法律上の見解は、原判決がその理由に於て、(原判決第15枚目〔148丁〕表第9行目原告は云々以下第19枚目裏第5行目迄)説示するところと同様であるから、この部分を引用する。」とし、原判決引用の第一審判決によれば、
「先づ第一の解散権の所在について考える。国会が国権の最高機関であり、衆議院が国会の中においても参議院に優越する地位にあるものであることを思えば、純理論的にはかかる衆議院を解散し得るものは、主権を有する総体としての国民の外にはあり得ない筈である。憲法第7条は天皇が内閣の助言と承認とによつて「国民の為」に為す国事に関する行為の中に「衆議院を解散すること」を挙げて居るが、その趣旨は憲法第1条によつて国民の総意に基き日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であるとされて居る天皇に右の如く純理論的には総体としての国民のみが有し得る筈の衆議院解散の権限を形式上帰属せしめ、天皇をして後述の如く政治上の責任を負ふ内閣の助言と承認の下にこれを行使せしめむとするにあると解するのが相当である。」
「如何なる場合に解散ができるかの点については旧憲法におけると同様現行憲法には何等の規定もない。衆議院解散とは、存立して居る衆議院が、国の内外の問題につき国民の抱懐して居る意思を適正に反映具現するに適する構成になつて居るか否かを国民に問ふ制度である。議員の任期中は選挙を通じての国民の意思が代表されて居るものと見るのが法制上の建前であるが、右解散の制度はかかる法制上の建前に合致しきらない変遷する政治情勢に対処する為のものである。従つて解散は変遷する事態を政治的に判断してなさるべきものであることは明らかであり、その解散権の行使は法規により一義的に拘束するには不適当な事柄であると言はなくてはならない。以上の処からすれば現行憲法が如何なる場合に解散を為しうるかの要件について何等の規定も設けていないのは如何なる事態の下に解散を為すべきやの判断を全く政治的裁量に委ねたものであると解すべきものであり、その解散が妥当であつたか否かの如きは固より裁判所の判断の対象となるものではない。従つて衆議院で内閣の不信任決議案の可決も信任決議案の否決もないのに本件解散が行はれたからと言つて本件解散が憲法に違反するものとは言へない」
「以上説示の通りに衆議院解散権は天皇に帰属して居り憲法第7条によれば天皇は内閣の助言と承認に基きその解散権を行使することになつて居るのであるが、如何なる事態の下において解散すべきであるかと言ふことは政治的裁量に委ねられて居るのであるから、内閣は自己の判断に基き天皇に解散を助言し、その助言に基きなさるべき天皇の行為が助言の趣旨に合致することを確かめ、その行為を承認して始めて解散が行はれることになるわけである」
となし、且つ憲法第4条と第3条との関係について
「憲法第4条1項においては天皇は国政に関する権能を有しないものと定められて居り、又憲法第3条は天皇の為した国事に関する行為についての責任は内閣がこれを負ひ天皇がこれを負うものでないことを明かにして居る。天皇が自ら為した行為についてその責任を負はないと言うことは旧憲法第3条の規定の如く天皇を神聖不可侵のものとしない限り、天皇がその自ら行ふ行為について他の機関より拘束され、完全にその自由意思が排除される仕組になつて居なければならない。現行憲法下において旧憲法第3条の如き解釈が採られないことは明らかであり、従つて天皇が自らの行為について責任を負はないと言ふのは、天皇がその行為を為すについて何等の自由な意思決定もなし得ず、その行ふべき具体的行為の決定も他の国家機関の意思に拘束されるものであることによると言はなければならない。」
と判示した。要するに原判決は、憲法第7条を衆議院解散権の所在を示すものと解し、憲法第7条のみによる本件衆議院の解散を有効と判断するものである。換言すれば解散権は形式上天皇にあり、天皇はその行為を他の機関によつて拘束される、つまり、内閣の解散についての意思決定によつて為されたと為すものである。その誤つた理由を左に申述する。

[2]、先づ原判決は
「純理論的にはかかる衆議院を解散し得るものは主権を有する総体としての国民の外にはあり得ない筈である。憲法第7条は天皇が内閣の助言と承認とによつて「国民の為に」為す国事に関する行為の中に「衆議院を解散すること」を挙げているが、その趣旨は憲法第1条によつて国民の総意に基き日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であるとされて居る天皇に右の如く純理論的には総体としての国民のみが有し得る筈の衆議院解散の権限を形式上帰属せしめ、天皇をして後述の如く政治上の責任を負ふ内閣の助言と承認の下にこれを行使せしめむとするにあると解するのが相当である。」
「天皇が自らの行為について責任を負はないというのは、天皇がその行為をなすについて何等の自由な意思決定もなし得ず、その行うべき具体的行為の決定も他の国家機関の意思に拘束されるものであることによる」
と判示している。然れども、判旨の示すように、天皇が衆議院解散権を有するものとすることは、天皇が「国政に関する権能」を有することになつてしまうのであつて、憲法第4条1項の「天皇はこの憲法の定める国事に関する行為のみ行ひ、国政に関する権能を有しない」と反することとなる。抑々憲法規定の日本国組織の基礎構造は、主権者は日本国民であり、天皇は「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」たる地位にあり、国会、内閣、裁判所が憲法前文の所謂「国民の厳粛なる信託」に基き「国政に関する権能」の中、それぞれ立法権、執行権、司法権を有し、この中でも国会を国権の最高機関とし立法機関を兼ねしむるものである。天皇は憲法第1条所定の通り「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権を有する日本国民の総意に基く」ものであつて、此の地位が直ちに衆議院解散権すなわち国政に関する権能を伴うものとなすことはできない。天皇の象徴たる地位は、あくまでも地位であつて地位それ自体は形式的、若しくは実質的な権能を有することを意味するものでない。

[3]、ところが憲法第4条第1項にいわく、「天皇はこの憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」これによると前段は天皇が「国事に関する行為」の範囲を定め、後半では前段と全く関係なく併例的に「国政に関する権能を有しない」ことを定めている。すなわち「国事に関する行為」を行う権能と天皇が「国政に関する権能を有しない」こととはそれぞれ独立した文章である。かように明確に把握しつつ第4条第1項をみると、これは第一に、天皇は、「国政に関する権能を有しない」こと、第二に「憲法の定める」「国事に関する行為」具体的には憲法第6条と第7条に列挙した「国事に関する行為」「のみ」を行うこと、すなわち天皇の行うものは憲法所定の「国事に関する行為」を限界とし、そのほか天皇は国家的な意味をもつような行為をなし得ないこと、従つて第三に「国事に関する行為」の行使は「国政に関する権能」たる性格をもつものであつてはならないこと、換言すれば、それは国政に影響力をもつものであつてはならないことを規定するものである。(小島和司氏「天皇の権能について」甲第5号証(法律時報第24巻10号)78頁以下御参照)第一の天皇が「国政に関する権能」を有しないのは、天皇が憲法第1条の「象徴たる地位」にあることからの当然の帰結と解される。第三の天皇の「国事に関する行為」が「国政に関する権能」たる性格をもつてはならない当然の帰結として憲法第3条の規定「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣がその責任を負ふ。」こととならざるを得ないのである。立法の沿革を物語るマツカーサー司令部からアメリカ合衆国政府に対する日本占領に関する報告によれば(甲第1号証(「日本の新憲法」(国家学会雑誌第65巻1号)62、63頁御参照)
『議会における新憲法の討論を通じて、おそらく最も白熱的な大問題となつたのは、提案された新しい基本法の下で『国体』はどうなつたかということだつた。国体とは主権の日本特有な概念である。すなわち、すべての法律、すべての権威、すべての統一が無窮にして不滅である天皇制に支えられているという命題がこれである。この教義に基き、天皇は新憲法の下でも国家の象徴であり国民統合の象徴として、依然国権の源泉であるという主張があつた。かかる解釈は極めて不自然であり、非現実的である。憲法の平明な表現によれば、天皇制は、もはや、いかなる権威の源泉でもなく、いかなる権能の行使もできず、また、疑もなく不滅なものでないことは明らかなのである。天皇は今や単に建物の最尖端たるに過ぎず、骨組自体とは何等機能的な関係をもつていない。第1章は、天皇を憲法に従属する日本国の一法的機関としている。『天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であつて、この地位は主権の存する日本国民の総意に基く。』
この表現は分りよく、明白で誤解の余地はない。主権は国民――全国民――に存し、憲法および法律の定める正当な政治の過程を通じて行使される。この章は天皇の権威の範囲、その権能の限界を明確に定めている。第4条にいわく『天皇は国政に関する権能を有しない。』天皇は何等の裁量権もない。
[4] 要するに、天皇の「国事に関する行為」とは他の機関によつて実質的に決定されたことを表示する行為であり、換言すれば「国政に関する権能」たる内容を含まない形式的儀礼的行為である。天皇の「国事に関する行為」=形式的儀礼的行為の前提となる実質的決定権=「国政に関する権能」が、天皇以外のどの機関にあるかは、夫々、憲法の他の条文によらねばならない。

[5]、国の政治上、実質的決定があると当然、その決定の表示が必要である。かような表示行為は、実質的決定をした機関によつて行うことも出来るし、全然異つた他の機関によつて行うことも出来る。憲法はかような表示行為のうちで、憲法第6条と第7条とに列記されたものは、象徴たる天皇の地位にふさわしいものとして、天皇の行うべきものとした。これ、すなわち、天皇の「国事に関する行為」である。しかし、政治から超越した地位にあつて「国政に関する権能」を有しない天皇に対し、かような表示行為の責任を負わすことは、その地位と相容れぬこととなるから、憲法第3条は左の通り規定した。「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が責任を負ふ。」
『これは「国事に関する行為」を定義づける規定ではない。言いかえれば、「国事に関する行為」なる概念は、内閣の助言承認によるということによつて完成するのではなく、内閣の助言承認以前に――それを要件としないで――成立しているのである。天皇の「国事に関する行為」という概念がまずあつて、それに内閣の助言承認の必要なことを言つているのである。本条が、反論のような――助言にしたがうのだから「国事に関する行為」であるという――立場から読みくだしえないこというまでもなく、同様なことは第7条書き出しの文章にも妥当する」。(小島和司「解散論議について」(公法研究10号))
内閣の助言と承認を必要とするのは、天皇の「国事に関する行為」の「すべて」すなわち具体的には憲法第6条と第7条とに列挙された国事行為の全部であつて、全く例外はない。「助言と承認」は「内閣」のそれであつて内閣総理大臣一個の助言と承認ではない。内閣は天皇の「国事に関する行為」=形式的表示行為について責任を負うのであつて、その前提たる実質的決定=「国政に関する権能」については何等本条の関するところではない。かくして象徴たる天皇は、その「国事に関する行為」について、責任を負う余地が全くない。思うに、憲法の基調たる民主政治は責任政治であり、法律による政治である。主権者たる国民から国権の厳粛なる信託を受けた国家機関が法律的にも政治的にも責任を負う政治である。そこで「国政に関する権能」と天皇の「国事に関する行為」との関係を表示すれば左の通りである。〔図表は末尾に添付〕
(1) 主権者たる国民は、天皇を「象徴」たる「地位」においたが、「国政に関する権能」を信託していない。したがつて、天皇は国政に関して責任を負わない。
(2) 「国政に関する権能」=国の政治上の実質的決定は憲法の他の条規で定められている。その権能を有するものは、国会であることもあり、内閣であることもある。けれども如何なる場合といえども天皇ではない。(第4条1項後段)
(3) 「国事に関する行為」=形式的表示行為のみを天皇が行う(第4条1項前段)。これは「国の政治上の実質的な決定の権能」たる性格をもつてはならない(第4条第1項)。
(4) 天皇の「形式的、儀礼的表示行為」=「国事に関する行為」にはすべて内閣の助言と承認を必要とする。
[6] 抑々「内閣の助言と承認」が具体的に必要となるときは、実質的決定の結果、形式的な表示行為が為さるべきこととなる。したがつて天皇の国事に関する行為につき「内閣の助言と承認」が必要となる前に、その「助言と承認」に関係なく実質的決定がなされておらねばならない。故に実質的決定の形成には「内閣の助言と承認」は少しも関係がない。憲法第3条の内閣の責任も実質的決定には少しも関係がない。すなわち、憲法第3条、第7条は、内閣の天皇に対する「助言と承認」の内容として、実質的決定権=「国政に関する権能」を附与するものではない。これらの規定からは、これらの条文に掲げられた事項についての内閣の「国政に関する権能」はでてこない。以上は前記甲第5号証の「天皇の権能について」なる論述の小島和司氏の表現によれば
「『国事に関する行為』は『内閣の助言と承認』の以前に、それとは独立して存在し『内閣の助言と承認』とを含むようなものではない。それは『内閣の助言と承認』による実質的決定権の吸収があつて初めて成立しうるようなものではないのである。本条(3条)を第4条から出しうるところとあわせ読むならば、本条は天皇の儀礼的、形式的行為に『内閣の助言と承認』の必要なことを言つているにすぎないのである」
「助言承認者としての内閣は、その助言承認者たる資格においては、なんら実質的決定をその対象としないわけである。なんとなれば、内閣のもつ助言承認権は『国事に関』してのみ与えられたもので『国事に関する行為』の形式性、儀礼性をこえる実質的決定権を、それの助言承認者としての資格においてもちうる道理がないからである。」
助言承認者としての内閣は、その助言承認者たる資格においては何等実質的決定をその助言と承認の対象とし得ないという点につき小島和司氏は前掲論文に次のようにのべている。
「このことはとくに注意せねばならない。これは明白に諸国の大臣助言制とは異つた措置である。後でのべるように、諸国においては、国王に実質的権能が与えられているのであるから、その助言者が実質的決定にまで関係することもできるし、また、そうさせることがこの制度の趣旨でもある。けれども、日本国憲法における天皇の権能にははじめからそのような実質的決定の入りうる余地がない。したがつて、その助言承認者たる内閣に実質的決定がみとめられる余地もないのである。こう考えると、天皇の『国事に関する行為』を、他の機関によつて実質的に決定されたことを表示する行為と概念するばあい、その『他の機関』は、助言承認者として内閣ではあり得ないことになる。助言承認者としての内閣は、その他の機関―行政権者としての内閣をふくむ―の決定したことを天皇に助言し、承認するに過ぎないのである。このことをもつともよくしめしているのが第6条第1項であろうから、それについて説明しよう。『天皇は、国会の指定に基いて、内閣総理大臣を任命する。』この任命行為もまたひとつの『国事に関する』行為であり、したがつて『内閣の助言と承認を必要とする』こと言うまでもないが、このばあい、内閣になんらの実質的決定の入りうる余地のないこと明瞭であろう。第3条にいう内閣の『助言と承認』に実質的決定をよむ(中略)学説は、これをどう理解するのであろうか。たとえば(中略)このばあい、『内閣の助言と承認』の入りうる余地はないという。これが『天皇の国事に関するすべての行為』にたいする内閣の助言承認の必要を規定する第3条と合致しないことあらためて指摘するまでもなかろう。さらに第2項について言おう。『天皇は、内閣の指名に基いて最高裁判所の長たる裁判官を任命する』『内閣の助言と承認』に実質的決定がふくまれるのであれば、傍点の部分は不要なはずである。ここでことさらその部分が入つているのはたんに第1項との語呂をあわせるためにではない。助言承認者としての内閣にはなんら実質的決定権がないのだから、その指名(=実質的決定)について他に規定がなければならぬ。そこで、実質的決定権を内閣に与えるのがこの規定である。このようにみてくると、第7条列記の諸号についても実質的決定が憲法その他の箇所に定められている――その決定者はかならずしも内閣にかぎらない――ということに気付くであろう……」
[7] 正にこの通りである。要するに、憲法第4条が、「天皇の国事に関する行為」は「国政に関する権能」たる内容を有しないことを明かにしていることを把握しつつ第6条、第7条をみると、衆議院の解散については「衆議院を解散することと」表示し、恰も国政に関する実質をもつような表現にみえるが、それは、実質的に他の機関によつて決定されている解散を天皇が形式的、儀礼的に表示する「行為」(「権能」ではない)に過ぎない。原判決によれば、天皇の「行為」はそれに「助言と承認」をなす内閣によつて決定されるものとなすものである。つまり原判決によれば解散決定の実質的権能は内閣の助言承認権に包含せらるるものとなす宮沢俊義氏によつて代表せらるる学説によるものである。しかし、憲法第3条によれば、内閣は天皇の「国事に関する行為」=形式的表示行為=表示的機能の実行々為に対し「助言と承認」することが認められるだけである。かような表示的機能行使に「助言と承認」しうることを根拠に、表示される事項の内容までも決定しうるものではない。内閣は天皇の「行為」に対する助言承認者としての資格においては、何等実質的決定権をもたぬのである。これは昭和28年11月1日、日本公法学会第1部会において確認され多数説となつたものである。判示の所説は同学会においても既に支持を失つたものに過ぎない。(自治研究第30巻第4号第34、35頁、小島和司氏所説参照)

[8]、すなわち、憲法第7条のみによる衆議院の解散が憲法上論理的にも不当であり、その不当であることは学界多数の支持するところである。しかのみならず立法の経過をみるも前記「日本の新憲法」(甲第1号証40、41頁)によれば、
『「執行府に関する委員会」が作成した草案は、そのように簡単には行かなかつた。委員会自体の中に融和し難い意見の不一致があり、少数派は、内閣総理大臣の任免権を天皇に与え、執行権を内閣全体でなく内閣総理大臣一人に与えることを主張した。この議論は根本的には議会に対して責任を負うことは負うが、意見不一致の時は議会を解散する権能をもつ強力な執行府を設けよという主張であつた。運営委員会は遂に、内閣総理大臣は、国務大臣を任意に任命し、または罷免する権力を与えられるが、他方内閣は全体として議会に責任を負い、不信任決議がなされたときは辞職するか、議会を解散すると定めた。』
これを前記憲法第1章をもつて「天皇の権威の範囲その限界を明確」にし「天皇に何等の裁量権なしとする「日本の新憲法」(甲第1号証)の記述とを併せ読めば、立法の経過からみても、衆議院の解散は第69条の場合のみ認容せられ、その他の場合にはこれを認めないものであり、内閣の「天皇の国事に関する行為」についての助言承認権に解散決定の実質的権能を含むものとは為していないことが明かである。政治実例をみるに、新憲法下第1回の解散についての昭和23年12月23日の解散詔書には、本件解散詔書の文言が「日本国憲法第7条により衆議院を解散する」とあるのと異り、「衆議院に於て内閣不信任の決議案を可決した。よつて、内閣の助言と承認により、日本国憲法第69条及び第7条により、衆議院を解散する。」と記載されている。この解散は小数党たる第2次吉田内閣によつて行われたのであるが、前記宮沢俊義氏の所説に基き憲法第7条のみによる解散を断行しようとしたのに対し、野党は憲法第69条による解散を主張した。(甲第2号証昭和23年11月13日附朝日新聞の「解散目標を20日に」なる記事中「12日の午後の緊急閣議では野党連合の決議案に対する態度につき協議したが、早期解散の方針を変えず首相から強い意思表示を行うこととし、解散権は政府にありとの宮沢俊義博士の説を採ることを申合せた。」御参照)然るに吉田首相が占領軍総司令部を訪問、片山社会党委員長、上告人たる苫米地義三も民主党総務会長として総司令部訪問、その結果、総司令部ホイツトニー民生局長の4者の申合せにより、第7条のみによる解散を為さず第69条と第7条とによる解散がなされたものである。(甲第2号証「昭和23年11月13日附朝日新聞」甲第9号証「上告人からケデイス宛手紙控」甲第10号証の1、2「ケデイスから上告人宛回答」御参照)これは第1回の解散についての政治慣例を作つたものであり、且つ立法の経過及び外国人のみる憲法の解釈、換言すれば、憲法解釈の論理的必然性が憲法第7条のみによる解散の違憲なことを証するものである。現に宮沢俊義氏によつて代表された憲法第7条による解散、すなわち、内閣が助言承認者として解散の実質的権能をもつとの所説は遂に潰え去つて、昭和28年11月1日の公法学会の多数説は助言承認権者としての内閣には、解散の実質的決定権能のないことを認めるに至つた。更に、本件解散に当つて、独逸人ヘルツオーク氏は昭和27年9月24日附日本タイムス紙(甲第3号証)上
「第7条は直接には天皇の機能を扱つているので、内閣の属性は単に間接的に第7条にはいつてくるに過ぎません、そこでどこか憲法の他の条章のなかで内閣の権限が明示的にきめられていなければなりません、すなわち、どういう事情のもとに内閣が天皇に対して衆議院解散を助言できるかという問題にこたえる条項がなければならないのであります。衆議院解散に関する内閣の権限を規定した条項は第69条だけですが第69条によれば衆議院で内閣不信任の決議が可決され、ないしは信任の決議が否決されたときは内閣は総辞職するかないしは衆議院を解散するかの何れかを選ばなければならない。と規定しております、衆議院の解散は他の条項(第45条並びに第54条)にも出ていますが、内閣が随意に衆議院を解散できるという全般的なことは、日本国憲法はどこにも規定しておりません。」(訳文)
すなわち、日本の公法学会の多数説のみならず、世界人の日本国憲法における解散についての解釈は、挙つて、かように憲法第7条のみによる解散は違憲であることを認めている。第7条のみによる本件解散を合憲とする原判決の違法なことは明白であると謂わねばならぬ。

[9]、それでは、衆議院の実質的決定権は憲法第7条の外に求めねばならない。その決定権者はどうか。如何なる場合に衆議院の解散は実質的に決定されるか。これに対し上告人は衆議院の解散は憲法第69条の場合のみに容認され、それ以外の場合には容認されない。従つて、憲法第69条の場合でない本件解散は無効なことを主張するのに対し、原判決は、
「現行憲法が如何なる場合に解散を為しうるかの要件について何等の規定も設けていないのは如何なる事態の下に解散を為すべきやの判断を全く政治的裁量に委ねたものであると解すべきものであり……衆議院で内閣の不信任決議案の可決も信任の決議案の否決もないのに本件解散が行はれたからと言つて本件解散が憲法に違反するものとは言へない」
「内閣は自己の判断に基き天皇に解散を助言し、その助言に基きなさるべき天皇の行為が助言の趣旨に合致するかを確かめ、その行為を承認して始めて解散が行はれることになるわけである」
と解釈し、内閣は第69条の場合に限らず、如何なる場合に於てもその政治的裁量により衆議院解散の実質的決定を為し得るものと為すのは、これ亦憲法の解釈を誤つた違法があるものである。
[10](一) 内閣に解散の実質的決定権ありと為す根拠として先ず考えられるのは憲法第65条「行政権は、内閣に属する。」である。然れども右規定の行政権とは執行権を意味し、これは執行権が内閣に属することを定めたものに外ならぬ。立憲主義の通則から、執行権はあくまでも、憲法及び法律が明示的に与えられた権能以外権能をもたぬことはいう迄もない。若しも、憲法第65条の「行政権」が、憲法及び法律に定めたことを執行する「執行権」のみを意味するものではなく、憲法及び法律に定めてないことまでもなしうる権能があるものとする内閣は「行政権」によつて立法までも行いうることになり、国会が唯一の立法機関だと規定した憲法第41条の明文に反することとなる。従つて、内閣が行政権によつて如何なる事項を執行しうるかは、他の憲法の規定および、それぞれの法律によつて定まる。内閣に衆議院解散の実質的決定権があるかどうかは他に憲法の規定があるかどうかによつて定まるのであつて、第65条からはでてこない。
[11](二) 内閣の衆議院解散決定の実質的権能を、憲法第65条以外他に求めうるであろうか。内閣が執行すべきものとして憲法が明定した憲法第73条をみるに、これと、天皇の形式的表示行為を規定した憲法第7条を比較するに、第7条中、1、5、6、8、9の各号は、夫々、それに対応する規定が第73条に設けられているが、第7条中、2(国会を召集すること)、3(衆議院を解散すること)、4(国会議員の総選挙の施行を公示すること)、7(栄典を授与すること)、10(儀式を行ふこと)については、これに対応する第73条の明文はない。すなわち、第7条のこれ等について第73条は規定するところでない。第10号の栄典授与は性質上政治的であると解しても、これは国会が栄典法ともいうべきものを定め、その具体的決定を内閣がなすか、国会自らなすかは最高機関たる国会が定むべきである。第7条の第2、3、4号の国会に関しては憲法は第73条では規定していない。第7条第2号の国会の召集については別に憲法第52条及第53条第54条の規定及び国会法の定めがある。第7条第4号の国会議員の総選挙について憲法第54条及び公職選挙法がある。然るに憲法第7条第3号の衆議院の解散については憲法第54条及び第69条の2ケ条があるが、第54条は衆議院が解散された後の措置に関する規定であるから、解散の実質的決定に関連をもつのは第69条のみである。
[12](三) 憲法第69条にいわく、「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職しなければならない。」
[13](1) この規定は解散権をこの場合に限定した書方をしていないので、これ以外の場合には、国会の決議による解散が原則として認められるとする見解(甲第4号証「解散論争の盲点」御参照)があるが、現行憲法上は、憲法の規定に基き、国民のみが、直接決定し得る衆議院議員の任期4年を、すなわち、憲法上の直接機関についての規定を憲法の明文がないのに国会の決議によつて短縮するものである。換言すれば憲法に「議員の任期は4年とする」(第45条)との規定があり、その例外を為すには憲法の規定を要するのである。また比較憲法史的に考慮してもかような解散を認めるには憲法の明文がなければならない。
[14](2) 次に内閣が解散について一般的に自由な実質的決定権をもつのであつて、その一部が第69条に現れたものとする見解があるが、前述のように、立憲主義の通則から執行部は憲法上または法律上明示的に与えられた機能以外に他の機能をもつものでないから採るべきでない。
[15](3) 内閣が衆議院解散の実質的決定の一般的権能を持つことの根拠として第65条の「行政権」にもつて行くことは到底困難なことは前述のとおりである。そこでその根拠として工夫された最も有力であつた学説は憲法第7条、第3条に規定する内閣の助言承認権の内容として内閣に解散の実質的決定権があるとの考え方であつたが、その学説が理論上維持出来ないこと、従つて昭和28年11月1日の公法学会以降極少数の説となつて潰え去つたこと、は累述の通りである。「註釈日本憲法」の最新版第1冊もその171頁に於ても「衆議院解散権を第7条に求める説があるが妥当とはいえない」となしている。そこで学説は、三転して「確かに、憲法上、解散の一般的根拠を定めた明文の規定は存しない。しかし、……議院内閣制の建前からいつて、且つまた、解散制度の目的に照らし、内閣は、一般的に解散権を有するものと解すべきである」(註解日本憲法上巻(1)171頁御参照)と為すに至つた。然れども憲法の明文は第69条に於て、衆議院が内閣不信任決議案の可決又は信任の決議案の否決によつて解散のイニシアテイヴをとり、内閣が総辞職しないことの決定をなすことによつて解散が行わるることを予定する。苟も選挙により国民を代表する議員で組織された衆議院が既に存在するのである。即ちそれは一応民意を反映しているものと認むることが原則である。換言すれば、日本国憲法は、アメリカ憲法と同じく、国会の解散のないことを原則としているものである。ただ例外として特に、憲法第69条を規定し、衆議院が内閣不信任の決議をした場合、始めてその衆議院が真に民意を反映しているかどうかをみるため解散が行わるることのあることを認めているのみである。従つて「解散の目的に照らし内閣は一般的に解散権を有する」ものということはできない。このことは次に述べる所により一層明かである。そこで次の問題の「議院内閣制の建前からいつて内閣は一般的に解散権を有するものと解すべきである」か、どうかという点について申述する。議院内閣制の本質は、立法機関と執行機関との「平等」「均衡」であり、両機関の相互の一方的な「従属」の否定であると考えられる。従つてこの制度では解散権は執行機関の独立維持の手段と解されるのみならず、この意味での解散権は執行権専制時代の残存制度ともいうべきである。ところが、国会が従来の意味における議会と異り、「国権の最高機関」であつて、執行機関がこれに従属するものとされ、執行機関はその最高機関の存在自体に根拠を有するものとせらるるときは、もはや、それは現代的概念による議院内閣制とは為し得ない。なるほど、日本国憲法に於ける内閣は国会の信任によつて成立し、その信任によつて存続し(67条)、その行政権の行使について国会に対し連帯して責任を負う(66条3項)ことはいうまでもない。然れども、憲法は前文冒頭において「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」することを宣言し、前文において、国会を「国権の最高機関」となし(41条)、国会はもはや従来の議会のような政府抑制の機関ではなく、国策運営の原動力となつた。日本国憲法上、国会は「国権の最高機関」であるとともに「国の唯一の立法機関」である。内閣はその下に「行政権」を分属せしめられ(65条)ているものであつて、その存在の基礎は国会にあるが故に、衆議院の解散があれば、内閣はその基礎を失い、必ず総辞職しなければならない(69条、70条)。すなわち、内閣は完全に、国会に「従属」せしめられている。換言すれば内閣は、国会と「平等」の立場にあるのではなく、国会に従属するものである。従つて内閣は原則として国会を解散する権能を有しない。例外として解散する権能を有するがためには、憲法の特定の規定がなければならない。然るに累述のように憲法上、特別の規定としては憲法第69条あるのみである。故に、我が憲法上の政治機構を単なる議院内閣制とすることは不当であるのみならず、「議院内閣制上当然内閣が一般的に衆議院解散権をもつ」ものとするのは、日本国憲法に何の根拠もないもので、これ亦、採ることはできない(甲第12号証(法律時報第25巻12号52頁以下小島和司氏「憲法の規定する政治機構」御参照)。抑々、新憲法が衆議院解散について、特に、第69条をおき、解散をこの場合に限る所以のものは、累述のとおり、新憲法が国民主権主義をとるとともに、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」し、以て天皇の名において行わるる独裁専制政治を防止するに万全を期するとともに、内閣総理大臣による独裁専制政治を防止するに遺憾なきを期したからである。かような明文があるに拘らず、強いてこれを無視し、内閣の一般的解散権については「確かに明文の規定は存しない」ことを認めながら、敢て内閣が一般的に解散権を有するものと解しようとすることは到底許さるべきでない。
『議院内閣制は政党の強力な統制によつて維持される場合「もし暗黙にして不可思議な革命により衆議院の存在がなくなつたとしても、憲法の他の部分に変化なき限り、重要事項における諸事のなりゆきはかつてとあまり変らぬであろう、と想像される」ほど執行権専の体制であり、また更に、閣僚の国政における勢力をあまりにも大きくし、それが「大臣責任、内閣という仮面のもとに繁茂成長し、遂には、かのフランケンシュタインの怪物のごとくその生みの親をも養いつくしそうにみえることがしばしばある」ほどの体制である』(同上35頁御参照)
以上、これは日本国憲法の国民主権主義及び独裁専制政治防止の宣言と全く相容れないものである。パリ法科大学教授ジヨルジユ・ビユルドーは、議院内閣制について左の通り述べている。(ジユリスト第70号昭和29年11月15日号6頁)
『解散の行使条件の不明確性により生じた問題は、解散が生じ得る場合と、解散が発し得る権限とに関する。困難は憲法が解散権を一般的に取扱うことなく、単に第7条と第69条とでそれを規定し、この2つの条文の間に存在する関係を明確にしなかつた事から、生ずる。斯くして生ずる問題は、伝統的議院制の枠内に立つか、又は現代の諸議院制度の状況に応じて憲法を解釈するかに従つて、2つの異る答が得られると思われる。
(一) 議院内閣制の古典的理論による解散権行使の適法性
 古典的議院内閣制に於ては、執行権の独立を守るべき解散は時誼にしたがつて執行権により自由に決定され得たし、執行権のみが、その時誼性を評価し得るのをつねとした。執行権の唯一の義務は、選挙人団の審判に服し、選挙人団が議会に反対派を多数送りこんだ場合、辞職すべきことであつた。政治的考慮によつてのみ制限されるこの解散の権力は、今尚英国に存在する権力である。この原理により解釈すると、1946年11月3日の日本憲法の論争条項の意味は次のようなものになろう。
(1) 執行権はつねに自由に議院を解散することができる。何故なら第69条は一つの特別な仮定、即ち不信任投票にも拘らず、内閣が職務に止ることを主張するという仮定のみに関する。解散の可能性がこの唯一の場合に於て喚起されるということは、第69条が制限的性格を有している事を意味するのではない。この事はひとつの原則、即ち、政府にとつて、政府がもはや議会の信任を持たない時は、辞職する義務があるという原則に対する例外を定めることの必要によつて説明される。解散の他の場合は、明示される必要がなかつたのである。何故なら他の場合は、憲法の全体により建てられた議院内閣制の存在から生ずるが故に。
(2) 第7条第3号に関しては、天皇に解散を宣告する名目的な権限を帰属させるのみである。然し議院制の原理にしたがい、又条文そのもの(「内閣の助言と承認により」)が之を指示する如く、天皇の決定が自由でない事は明瞭である。天皇の決定は政府そのものから発する決定に法律形式を与えるにすぎない。したがつて、閣議で決定されない解散は全て不適法と考えらるべきである。斯くしてこの第一の解釈に於ては、執行権は議院をつねに自由に解散し得る。執行権は不信任投票の後、辞職を拒否する場合は、解散を義務づけられるが、すべての場合に於て、天皇は内閣との一致に於てのみ解散を宣告し得る。
(二) 議院制の現代的概念による解散権の行使
 前述の理論は旧い伝統から説明され得るが、之は議院内閣制の現在の進化と調和しない。一般に最近の議院制の憲法は、執行権の特権を縮少する傾向を有し、この意向は憲法制定者が端的に之を禁止しなかつた場合、解散権行使の可能性を制限することにより、特に表明される。斯くしてフランスに於て(1946年憲法第51条)、解散権は、その使用を唯一の場合に制限する非常に厳格な条件に服する。ドイツ連邦共和国の基本法についても同様である(第68条)。この新な背景に於て、解散は内閣の責任に対する直接の対抗物として現れる。即ち、解散は不信任投票への反撃としてしかもはや用いられ得ない。他の憲法(例えば1947年イタリー憲法第88条)が、その行使を如何なる条件にも服せしめないで、解散に旧い性格を保持せしめている事は事実である。然しこの制度を理解する2つの方法を現代の条文に見出す場合、その行使の態様を定義する規定に制限的意味を与えるのが正確な解釈である。換言すれば解散について競合する2つの概念の中から、日本の憲法制定者は選択をなした事、且この選択は第69条により表明されている事を認めるべきである。解散権の行使の可能性は、不信任投票の場合にのみ制限される事は以上から結論される。第7条は、解散が他の場合に於て可能であることを意味しない。即ち第7条は天皇の形式的参加を前提とする手続を示すにとどまる。内閣が第69条により考えられる以外の他の場合に於て議院を解散する権利の基礎を天皇の特権に見出し得ると認める事は、「天皇は国政に関する権能を有しない」という第4条から凡ゆる意味を奪う事である。』
かように、理論的にみて、而かも世界人的にみて、内閣の一般的衆議院解散権の根拠を議院内閣制に求むる学説もとることができない。
[16](4) そこで、結局、衆議院の解散は憲法第69条の場合のみ憲法上許容されることとなる。換言すれば、憲法第69条の場合以外の解散は憲法上認容されないこととなる。そこで憲法第69条をみるに、これに対する上告代理人の見解を次の通り詳述する。
[17](イ) 抑々「国政は国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使」(憲法前文)するものである。従つて、国会は、「国権の最高機関」である。(憲法第41条)(国会は「国権の最高機関」であるとともに「唯一の立法機関」として「立法権」を分掌し、「最高機関」たる国会の下に「行政権」は内閣に、「司法権」は裁判所に分属するのである。)(憲法第41、65、75条)それ故、衆議院の解散は、国会の自律的議決、少くとも衆議院の自律的議決に基礎を有すべきである。(国会の議決による自己解散は前述のように、憲法の容認するところでないから、少くとも衆議院の決議に解散の基礎があることが必要である。
[18](ロ) 内閣は国権の最高機関たる国会の信任によつて成立し、その信任によつて存続し(憲第67条)、その行政権の行使について国会に対し連帯して責任を負う(憲第66条3項)。国会の信任がなくなり、若しくは信任した国会の構成が変れば内閣はその存続の基礎を失い、必ず総辞職せねばならない(憲69、70条)。国会は「国権の最高機関」で、内閣はその下に行政権を分掌する機関であるから、内閣は原則として衆議院を解散する権能を有しない。例外として内閣が衆議院解散の権能を有するがためには憲法の規定がなければならない。
[19](ハ) 憲法上、解散については、第7条、第54条、第69条の3ヶ条がある。しかし、第7条は前述のように衆議院解散が実質的に決定したものにつき、これが形式的表示行為に関する規定であり、第54条は解散後の処置に関する規定である。そこで、解散の実質的決定については、ただ、第69条あるのみである。憲法第69条によれば、左のことがわかる。
(A) 衆議院に内閣不信任の決議権=「不信任の決議案の可決又は信任の決議案の否決」の権能があること。
(B) 衆議院の内閣不信任決議案の効果として、内閣は原則として直ちに総辞職しなければならない。ただ、例外として衆議院が解散さるると、直ぐには総辞職しないこと。
(C) 衆議院が内閣不信任の決議をした場合、内閣が10日以内に総辞職しないときは、衆議院の解散さるることのあることを予定する。
(D) その解散は、不信任決議後10日以内であることを予定する。
(E) 内閣は不信任決議後10日以内に、総辞職するか、しないかを事実として決定しなければならない。
[20] 故に衆議院の解散は、 衆議院が内閣不信任の決議をしたこと。=衆議院がその解散のイニシアテイヴをとつたこと=衆議院がその解散の基礎付けをしたこと。 内閣が、その不信任決議後0日以内に総辞職しないことに決定したこと。(内閣が総辞職するか、しないかは、内閣が内部的に自由に決定し得るところである。この意味において解散するかどうかの決定は内閣がなし得ることとなる。此の限定された意味において、内閣に衆議院解散についての実質的決定権ありとなし得る。)依つて、内閣に解散権があるのは、ただ、第69条の場合のみとなる。すなわち、内閣が衆議院の解散を決定しうるのはこの場合のみに限定される。要するに、衆議院の解散についての実質的決定は第69条の場合のみ憲法上認容せらるるものであつて、第7条のみによつてはその実質的決定はあり得ない。このことは、累述の通り、理論上認容せざるを得ないところであり、その論理的帰結は、立法の経過に徴して明かであるのみならず、米、独、仏人識者の挙つて認めるところである。すなわち、上告代理人の所論は世界的にみて真実である。然るに、これを排斥した原判決は、正に憲法の解釈を誤つた違法がある。破毀さるべきである。

[21]、思うに、世界に現存する幾十かの国家は、それぞれの主権により、法と秩序を維持し、もつて、国民の生命と自由を保障しようとしている。しかしながら、米、英、ソのような大国であつても、今日では、最早、かような国家の根本的な目的を達し得なくなつた。現に、これらの大国も第2次世界大戦を阻止することが出来ず、人民の生命と自由の保護の名の下に、却て、数百万の国民を死亡せしめ、巨大な富を烏有に帰せしめたのである。これは、現存する国家と国家との間に法の規律なく、無政府状態であるからである。嘗て、封建国家の群小主権が近代国家の主権を創造して、その範囲内の安定を得たと同様、現在における世界の無政府状態は、世界主権制度の創造によつてのみ克服され、人民の生命の安全と自由の保障は期し得るのである。
「主権所持者たる人民がその主権の一部を特定の問題を取扱うためにつくられた組織に委託する場合においてのみ、そこに民主政府ありということができる。主権のかかる分割移譲によつてのみ、そして人類社会より委託された主権を運営する組織体を段階的に設定することによつてのみ、われわれは、法の前に平等の権利と義務を与えられつつ、互に平和の中に生活する社会秩序をもつことができる。かかる主権の分割移譲の世界秩序の中にのみ、個人の自由は実現される」(エメリー・リーヴス氏著稲垣守克氏訳「平和の解剖」153頁)。
日本国憲法は、「主権が国民に存することを宣言」(憲法前文)した。すなわち、政府が国民をつくるのではなく、国民が政府を作るものであること、「国政は国民の厳粛な信託」によるものであることを明かにした。国民が日本政府をつくる所以のものは、国民の生命と自由の保持である。然るに、米、ソの如き大国ですら、為し得ない人民の生命と自由の保障を、敗戦後、その領土の半ば近くを失い、資源少く、しかも過大な人口をもつ日本が、どうして、かような保障を為し得るのであろうか。それは、国際的にも、国内的にも、真実に生きる外ない。然るに、日本が戦後世界に向つて宣言した日本国憲法――それは政治原則の宣言ではなく、厳然たる法規である――を政府自らが破り、国民がこれを看過し、裁判所が誤つた判断をしたとしたら、内、遵法精神を破り、その結果、国内の秩序は乱れ、外、海外の信用を傷け、日本の真の独立は望むべくもない。国政上、最も重要な衆議院の解散につき、政府と政党に定見なく、新憲法下昭和23年12月23日と本件昭和27年8月28日とに行われた2回の衆議院解散につき、今や内外の心ある識者は注目しつつある。例えば既に述べたベーター・J・ヘルツオーク氏の如き、ジヨルジユ・ビユルドー氏の如きその例である。上告代理人は、最高裁判所が、勇断を以て、真実の判断を為すことを切望するものである。
[22] 原判決は
「本件解散について、内閣の助言と承認があつたかどうかについて判断するに、成立に争のない乙第1号証、原審証人山田明吉(但し、後段認定に反する部分を除く)、当審証人保利茂の各供述を綜合すれば、次の事実が存在したことが認められる。即ち、内閣の閣議は、定例閣議として、毎週火曜日と金曜日の午前10時に、首相官邸で開催され、別に、必要に応じて、随時、臨時閣議が開催されて居り、閣議の議決方法は出席閣僚の全員一致を絶対要件としてなされ、この慣行は古くから長年に亘つて行われて来た事実、又病気、出張等により閣議に出席出来なかつた閣僚に対しては、後日閣議書類を持廻つて、その決裁を受ける慣行が行われて居り、右書類決裁の方式が持廻り閣議と称されていた事実、昭和27年8月22日(金曜日)定例閣議が開かれ、政局の分析、情勢判断、閣僚の意見交換等がなされ、結局、衆議院解散の結論に到達した事実、当時の内閣総理大臣吉田茂は同月25日那須御用邸に伺候して天皇にその旨上奏した事実、同月26日同日憲法第7条により衆議院を解散する旨の詔書案とこれが発布されたことの衆議院議長宛の伝達案外1件を議題として、持廻り閣議の方法により、書類(乙第1号証)を作成した事実(尤も、当日全部の閣僚の署名は得られず、4、5名の閣僚の署名を得、残りは同月28日署名を得て、完備した事実)、次で、同月の26日夜、内閣総理大臣官房総務課長山田明吉は、内閣の使者として、該書類を天皇に呈上し、裁可の後御署名を受け、翌日宮内庁に於て、御璽を受けた事実、同月28日右解散詔書の伝達に関して、臨時閣議が開催され、全員異議なく可決した事実が存在する。しからば、以上牽連する一連の事実から考えれば、本件解散については、天皇の解散の詔書発布前たる昭和27年8月22日内閣に於て、天皇に対し助言する旨の閣議決定が行われ(尤も乙第1号証の書類が完備したのは、前記認定のとおり、同月28日ではあるが、右は既に成立した同月22日の閣議決定を再確認し、持廻り閣議の方法により、書類の形式を整備したに留まるものと認める)、前記認定の如く、天皇に対する吉田総理大臣の上奏並に山田総務課長よりの書類の呈上となり、これによつて、内閣より天皇に対する助言がなされ、天皇は右助言により解散の詔書を発布し、内閣はその後これを承認したものであると解するを相当とする。」
と判示した。しかしながら、右認定は左の通り、証拠に基かないで事実を認定し、又は採証の法則に違背し、また、審理を尽さない違法があるから破毀さるべきである。

[23]、原判決は、その事実認定において、右の通り、(イ)「閣議の議決方法は、出席閣僚の全員一致を絶対要件としてなされ、この慣行は古くから長年に亘つて行はれて来た事実」を認定した。此の点は正当であるが、原判決はこれにつづいて、(ロ)「又病気、出張等により閣議に出席出来なかつた閣僚に対しては、後日閣議書類を持廻つて、その決裁を受ける慣行が行われて居り、右書類決裁の方式が持廻り閣議と称されていた事実」を認定した。この(ロ)の事実認定は公知の事実についての驚くべき誤認である。閣議に関する公知の事実は、第一審証人山田明吉の証言にあるように、「閣議は原則としては各閣僚に集つて貰つてそれぞれサインを貰うのであります。しかし、急を要する場合その他止むを得ない時にはサインをする用紙を定めて閣僚の家へ持廻りにしてサインを貰つて居ります。」とある通り、通常、閣僚が集つて閣議を開く正式の閣議と、急を要する場合その他止むを得ない場合、比較的軽微な閣議事項について閣僚が集ることなく、閣議事項を持廻りによつて決定する持廻り閣議とがあり、持廻り閣議は、原判決認定のような「病気、出張等により閣議に出席出来なかつた閣僚に対しては、後日閣議書類を持廻つて、その決済を受ける」のではない。原審証人保利茂の証言においても「持廻閣議というのは急を要するため閣僚に集つて頂く余裕がない場合とか或は……持廻りで決済を頂くと予め閣僚の了承を得て居る場合に行ひますが一に官房長官の判断で臨機に行うので一概にはその開く場合を申上げられません」とあるのにも拘らず、右持廻りを前記のように認定したのは、証拠に基かないで判断し、若しくは採証の法則に違背し、且審理を尽さない違法があるものである。

[24]、原判決は「昭和27年8月22日(金曜日)定例閣議が開かれ、政局の分析、情勢判断、閣僚の意見交換がなされ、結局、衆議院解散の結論に到達した事実」を認定した。然れども、解散が5日も前に決定したということは政治常識上あり得ないことである。況んや本件解散は政府の早期解散回避の方針に従い12月召集さるべき通常議会を8月26日に繰上げて召集し、開会に際して抜き打ち的になされた解散で、一般に「抜き打ち解散」と称呼されていることは、公知の事実である。甲第8号証(昭和27年8月29日附毎日新聞)によれば、「首相の決意まで」なる見出の記事中に、吉田首相は
『22日閣議が終つてから、池田蔵相、保利官房長官をよび「もはや事態は難しいように思う」と早期に解散する決意を打ち開けた』
『吉田首相は22日目黒の公邸で林、益谷両氏に「内閣を補充することにしたいから腹案を聞かせてほしい」と、かねて内閣改造問題についてきり出した。このことについて首相は陽動作戦に出て党内は改造問題でひきつけ、そのウラをかく作戦に出たという見方も強い。事実……従つて改造することがあつても補充に止めポストの入れかえは行わないというのが本当の気持で、頭の中は解散の機をいつつかむかということで既にいつぱいであつたとみられている。』
『閣僚のうちで解散が近いことを知つていたのは前記6閣僚であつたが28日断行することを知つていたのは山崎、池田、佐藤の3氏のみで、広川農相さえ、27日になつてやつと知らされた。』
甲第7号証(昭和27年8月27日附朝日新聞)によれば、「抜き打ち解散まで」の見出の下に、
『25日那須御用邸に天皇陛下を訪ねた首相の胸中には解散の具体的プログラムが秘められており、翌26日に政府は憲法第7条による解散手続を完了したのである。だから首相としては8月に入つてからは内閣改造の意図があつたかどうか疑問とみられてきた。28日朝、吉田首相と会つて初めて「解散」を知つた大野議長、林幹事長らは文字通り、ア然としたらしい。これについて首相ならびに吉田派は鳩山派の選挙準備がまだ整わない虚を突いたのだといううがつた見方もある。22、3日ごろ、吉田首相は「28日に解散する」との意味を極めて身近い人々にもらしたそうだ。これで一番驚いたのが麻生太賀吉氏だといわれる。鳩山派はこれを「首相の冗談だろう」と聞き流したのだつた。』
甲第6号証(昭和27年8月28日附読売新聞)によれば、「側近派の狙い奏功、抜打ち解散断行まで」の見出の記事において、
『首相が正式に「抜打ち解散を決めたのはさる22日のようである、その根拠は、先国会が終つてから約1ヶ月の間、全国の選挙区を回つて歩いた広川農相、池田蔵相、佐藤郵政相らの進言が強く影響したことは事実で、佐藤、池田、保利の3者は22日および23日夜都内某所で会合、28日の解散を目標に政府および国会のスケジユールを切り上げる等準備を完了した、この動きに対し林、益谷氏らをはじめ党側では同じ頃から9月下旬解散の線で党内外をまとめようとの動きを開始した、鳩山系解除者との会合もこの空気をおほろげながら察知したことから、林氏らとしてはそれでも党側の意向として予定通り9月下旬まで持つていけると考えていたようだ、結局林氏らの現党幹部の望みは広川、池田、保利氏らのいわゆる側近4者連合の工作に敗れたわけで28日外相官邸に呼ばれた林、益谷らが色をなして憤がいしたのも無理はない。首相官邸の閣議の席に大野、林氏らが怒鳴りこんだが林氏らにとつて後の祭であつた。総選挙後も吉田擁立の線で強力に同盟を結んだ側近および官僚陣営は22日以後一切を上げて選挙資金集めに努力したらしい、豊富な資金を持ち鳩山派や現党幹部の党一本化態勢がととのわないうちに抜き打ちをかけようという狙い、福永問題で敗れて以来ひそかに仕組んだ狙いが奏功したものである、かくて自由党は党内に大きな暗雲をはらんだまますべての問題の処理を選挙後に残して総選挙に臨むことになつた。』
すなわち、原判決は政治常識に反し、公知の事実を無視し、且つ甲号証拠に反するものであつて、採証の法則に反したか又は審理を尽さない違法があるものである。

[25]、原判決は「昭和27年8月22日(金曜日)定例閣議が開かれ、政局分析、情勢判断、閣僚の意見交換等がなされ、結局、衆議院解散の結論に到達した事実」を認定し、「昭和27年8月22日内閣に於て天皇に対し助言する旨の閣議決定が行われた」と認定した。しかしながら、昭和27年8月22日解散の決定若しくは解散の助言決議が為されたとの証拠は、証人保利の証言その他何も存在しない。却て、成立に争のない甲第6、7、8号証によれば前述のように、かような閣議決定がなされなかつたとすべきに拘らず、右のように認定したのは、証拠に基かないで事実を認定したか、採証の法則に反したものであり、且つ審理を尽さない違法があるものである。
[26] 原判決は裁判所の認定を排斥された事実について事実を認定し且つ審理不尽の違法があるから破毀さるべきである。

[27]、上告人は、本件の解散詔書が発布される迄の経過について「昭和27年8月26日持廻り閣議によつて本件解散の詔書案、該詔書の発せられたことの衆議院議長に対する伝達案並に参議院議長に対する右伝達の通知案について一部閣僚(4、5名)のみの賛成署名が為されたが、その余の閣僚の賛成のないままで同詔書案は同夜直ちに天皇に送付された。これに天皇の署名が為され、翌27日御璽が押捺され」た(第一審判決表8行から裏2行)ことを主張したのに対し、被上告人は「昭和27年8月26日持廻り閣議によつて天皇に衆議院解散を助言する旨の閣議決定がなされ、同日内閣官房総務課長であつた訴外山田明吉は内閣の使者としてその閣議決定を天皇に呈上し、ここに天皇に対する助言がなされ」(第一審判決10枚目表11行より同裏3行目)たと陳述するものである。また、上告人は昭和28年2月18日の口頭弁論期日において、本件解散につき「内閣総理大臣からの助言もなかつた」旨陳述し、被上告人は同年5月6日の口頭弁論期日において「被告としては、吉田首相が直接陛下に助言したと主張するものではない」と陳述した。すなわち、本件解散についての助言を為す旨の閣議が昭和27年8月26日の持廻り閣議によつて為されたことは、被上告人の自白によつて、当事者間、争のない事実である。また、吉田内閣総理大臣が本件解散につき、直接天皇に助言しなかつた事実についても、当事者間争のない事実である。換言すれば、本件解散についての助言を為す旨の閣議が昭和27年8月26日の持廻り閣議によつて為されたこと及び吉田内閣総理大臣が直接天皇に助言しなかつた事実については被告の自白が成立したものであつて、此の2つの事実については裁判所の認定は排斥され、これに反する事実の認定は、たとえ、証拠調の結果、裁判所が反対の心証を得ても、これに反する事実の認定は為すべきでない。これは、弁論主義に基く民事訴訟法の当然とするところであり、同法第257条の明定するところである。然るに原判決は
「昭和28年8月22日(金曜日)定例閣議が開かれ、政治分析、情勢判断、閣僚の意見交換等がなされ、結局、衆議院解散の結論に到達した事実、当時の内閣総理大臣吉田茂は、同月25日那須の御用邸に伺候して天皇にその旨上奏した事実」
を認定し
「昭和27年8月22日内閣に於て天皇に対し助言する旨の閣議決定が行われ(尤も乙第1号証の書類が完備したのは、前記認定のとおり同月28日ではあるが、右は既に成立した同月22日の閣議決定を再確認し、持廻り閣議の方法により、書類の形式を整備したに留まるものと認める)前記認定の如く、天皇に対する吉田総理大臣の上奏並に山田課長よりの書類の呈上となり、これによつて内閣より天皇に対する助言がなされた」
と判示した。
[28] この判示は当事者間争ない事実たる本件解散についての助言を為す旨の閣議が昭和27年8月26日の持廻り閣議に於て為された事実を昭和27年8月22日為されたと為すものであり、民事訴訟法第257条に違背し、正に破毀さるべきである。

[29]、抑々、衆議院解散の決定は、政治常識上、原判決認定のように8月22日決定して26日に書類の形式を整備する如き悠長な時間的余裕を持つものでないのみならず、本件解散においては、公知のように、政府は解散回避のために同年12月召集さるべき通常議会を繰上げて、同年8月26日召集していたものであり、同月22日解散の閣議決定があつたとは政治常識ある国民の何人も信じ得ないところである。昭和29年2月26日の口頭弁論期日に於て、原審裁判所が、被控訴人申請の証人吉田茂を採用しなかつたのは、昭和27年8月25日吉田内閣総理大臣が那須に伺候、天皇に上奏したことが解散についての助言でないことに当事者間争のない本件においては、その限りに於ては当然であろうが、原判決認定のように、吉田総理の那須伺候、上奏をもつて、直ちに解散についての「助言」を構成するものと断定するのは、証拠に基かざる事実認定であり、また、審理を尽していない。原判決は、また、右認定において、昭和27年8月22日の閣議に於て天皇に助言する旨の閣議決定が行われ、同月26日持廻り閣議の方法により書類の形式を整備し、同月28日同月22日の閣議決定を再確認し、書類を完備したと認定している。しかしながら、証人山田明吉、同保利茂の証言によるも8月26日院内で閣議が開かれている事実が供述されている。若しも原判決認定の如く8月22日助言の閣議決定があり、25日吉田内閣総理大臣の上奏があり、これについて、書類の整備の要があつたものとすれば、26日の閣議で書類を整備をすれば足り、26日の持廻り閣議の必要は全くないものである。国民注視の焦点であつた政府の行動であるだけに、判決が便宜的、政策的かの如き印象を一般に与えることは、遺憾とされるところである。次に、内閣の使者として総務課長山田明吉が天皇に呈上した書面のうちには天皇の署名、御璽を捺すばかりの詔書文があり、これに証人山田明吉の証言の通り、26日夜天皇の署名がなされ、27日御璽が押捺され、これが内閣に交付され、ここに解散詔書は発布されたのである。解散詔書のこの発布を前提として、乙第1号証中の案(1)の衆議院議長宛「別紙詔書が発せられましたから、御伝えいたします」との伝達がなされたのである。28日に至つて乙第1号証に4、5名以外の閣僚の署名が追加されたからといつて助言の閣議決定が遡ることはできない。原判決はこの点に於ても審理が尽されていない違法がある。
[30] 要するに、原判決は裁判所の認定を排除された事実について判断した違法があり、証拠に基かずして事実を認定したか、または、審理不尽の違法があり、破毀すべきものと信ずる。

(図1)〔省略〕

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