病院長自殺事件
上告審判決

損害賠償請求事件
最高裁判所 平成6年(オ)第1287号
平成9年9月9日 第3小法廷 判決

上告人  甲野花子(仮名)
被上告人 国 外1名

■ 主 文
■ 理 由


 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人の負担とする。

[1] 本件は、被上告人竹村泰子が国会議員として行った本件発言により、上告人の夫である甲野一郎の名誉が毀損され、同人が自殺に追い込まれたとして、上告人が、被上告人竹村に対しては民法709条、710条に基づき、被上告人国に対しては国家賠償法1条に基づき、それぞれ損害賠償を求めている事件である。原審が確定した事実関係は、おおむね次のとおりである。
[2] 昭和60年11月21日に開かれた第103回国会衆議院社会労働委員会において、当時衆議院議員であり同委員会の委員であった被上告人竹村は、同日の議題であった医療法の一部を改正する法律案の審議に際し、地域医療計画における国の責任、医療圏・医療施設に関する都道府県の裁量権、地域医療計画策定についての医療審議会への諮問等に関する同法律案の問題点を指摘するとともに、札幌市の甲野病院の問題を取り上げて質疑し、その質疑の中で本件発言をしたが、右発言は、患者の人権を擁護する見地から問題のある病院に対する所管行政庁の十分な監督を求める趣旨のものであった。
[3] 本件発言の概要は、甲野病院の院長甲野一郎は5名の女性患者に対して破廉恥な行為をした、同院長は薬物を常用するなど通常の精神状態ではないのではないか、現行の行政の中でこのような医師はチェックできないのではないかなどというものであった。

[4]二 所論は、特定の者を誹謗するにすぎない本件発言は、憲法51条が規定する「演説、討論又は表決」に該当しないのに、原審が上告人の被上告人竹村に対する請求を排斥したのは不当であるというものである。
[5] しかしながら、前記の事実関係の下においては、本件発言は、国会議員である被上告人竹村によって、国会議員としての職務を行うにつきされたものであることが明らかである。そうすると、仮に本件発言が被上告人竹村の故意又は過失による違法な行為であるとしても、被上告人国が賠償責任を負うことがあるのは格別、公務員である被上告人竹村個人は、上告人に対してその責任を負わないと解すべきである(最高裁昭和28年(オ)第625号同30年4月19日第3小法廷判決・民集9巻5号534頁、最高裁昭和49年(オ)第419号同53年10月20日第2小法廷判決・民集32巻7号1367頁参照)。したがって、本件発言が憲法51条に規定する「演説、討論又は表決」に該当するかどうかを論ずるまでもなく、上告人の被上告人竹村に対する本訴請求は理由がない。これと同旨の理由により右請求を排斥すべきものとした原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は、原判決の結論に影響しない説示部分をとらえて原判決を論難するものであって、採用することができない。
[6] 国家賠償法1条1項は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときに、国又は公共団体がこれを賠償する責めに任ずることを規定するものである。そして、国会でした国会議員の発言が同項の適用上違法となるかどうかは、その発言が国会議員として個別の国民に対して負う職務上の法的義務に違背してされたかどうかの問題である。

[7] ところで、国会は、国権の最高機関であり、憲法改正の発議・提案、立法、条約締結の承認、内閣総理大臣の指名、弾劾裁判所の設置、財政の監督など、国政の根幹にかかわる広範な権能を有しているのであるが、憲法の採用する議会制民主主義の下においては、国会は、国民の間に存する多元的な意見及び諸々の利益を、その構成員である国会議員の自由な討論を通して調整し、究極的には多数決原理によって統一的な国家意思を形成すべき役割を担うものであり、国会がこれらの権能を有効、適切に行使するために、国会議員は、多様な国民の意向をくみつつ、国民全体の福祉の実現を目指して行動することが要請されているのである。
[8] そして、国会議員は、立法に関しては、原則として、国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり、個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではなく、国会議員の立法行為そのものは、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法行為を行うというごとき、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法上の違法の評価は受けないというべきであるが(最高裁昭和53年(オ)第1240号同60年11月21日第1小法廷判決・民集39巻7号1512頁)、この理は、独り立法行為のみならず、条約締結の承認、財政の監督に関する議決など、多数決原理により統一的な国家意思を形成する行為一般に妥当するものである。
[9] これに対して、国会議員が、立法、条約締結の承認、財政の監督等の審議や国政に関する調査の過程で行う質疑、演説、討論等(以下「質疑等」という。)は、多数決原理により国家意思を形成する行為そのものではなく、国家意思の形成に向けられた行為である。もとより、国家意思の形成の過程には国民の間に存する多元的な意見及び諸々の利益が反映されるべきであるから、右のような質疑等においても、現実社会に生起する広範な問題が取り上げられることになり、中には具体的事例に関する、あるいは、具体的事例を交えた質疑等であるがゆえに、質疑等の内容が個別の国民の権利等に直接かかわることも起こり得る。したがって、質疑等の場面においては、国会議員が個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うこともあり得ないではない。
[10] しかしながら、質疑等は、多数決原理による統一的な国家意思の形成に密接に関連し、これに影響を及ぼすべきものであり、国民の間に存する多元的な意見及び諸々の利益を反映させるべく、あらゆる面から質疑等を尽くすことも国会議員の職務ないし使命に属するものであるから、質疑等においてどのような問題を取り上げ、どのような形でこれを行うかは、国会議員の政治的判断を含む広範な裁量にゆだねられている事柄とみるべきであって、たとえ質疑等によって結果的に個別の国民の権利等が侵害されることになったとしても、直ちに当該国会議員がその職務上の法的義務に違背したとはいえないと解すべきである。憲法51条は、「両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。」と規定し、国会議員の発言、表決につきその法的責任を免除しているが、このことも、一面では国会議員の職務行為についての広い裁量の必要性を裏付けているということができる。もっとも、国会議員に右のような広範な裁量が認められるのは、その職権の行使を十全ならしめるという要請に基づくものであるから、職務とは無関係に個別の国民の権利を侵害することを目的とするような行為が許されないことはもちろんであり、また、あえて虚偽の事実を摘示して個別の国民の名誉を毀損するような行為は、国会議員の裁量に属する正当な職務行為とはいえないというべきである。
[11] 以上によれば、国会議員が国会で行った質疑等において、個別の国民の名誉や信用を低下させる発言があったとしても、これによって当然に国家賠償法1条1項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任が生ずるものではなく、右責任が肯定されるためには、当該国会議員が、その職務とはかかわりなく違法又は不当な目的をもって事実を摘示し、あるいは、虚偽であることを知りながらあえてその事実を摘示するなど、国会議員がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情があることを必要とすると解するのが相当である。

[12] これを本件についてみるに、前示の事実関係によれば、本件発言が法律案の審議という国会議員の職務に関係するものであったことは明らかであり、また、被上告人竹村が本件発言をするについて同被上告人に違法又は不当な目的があったとは認められず、本件発言の内容が虚偽であるとも認められないとした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯することができる。したがって、被上告人国の国家賠償法上の責任を否定した原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

[13] よって、民訴法401条、95条、89条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 尾崎行信  裁判官 園部逸夫  裁判官 大野正男  裁判官 千種秀夫  裁判官 山口繁)

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