病院長自殺事件
第一審判決

損害賠償請求事件
札幌地方裁判所 平成元年(ワ)第813号
平成5年7月16日 民事第5部 判決

原告 甲野花子(仮名)
   右訴訟代理人弁護士  藤井正章
   右訴訟復代理人弁護士 二宮嘉計

被告 国
   右代表者法務大臣   後藤田正晴
   右指定代理人     沼田寛 外6名
被告 竹村泰子
   右訴訟代理人弁護士  江本秀春
   同          村岡啓一

■ 主 文
■ 事 実 及び 理 由


一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。

 被告らは、原告に対し、金1億円及びこれに対する昭和60年11月23日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
[1] 本件は、衆議院議員であった被告竹村の国会の委員会における発言により原告の夫がその名誉を棄損されたうえ自殺に追い込まれたとして、原告が被告竹村及び被告国に対しそれぞれその損害の賠償を求めた事案である。

[2] 被告竹村は、昭和60年11月21日当時衆議院議員であったが、同日、第103回国会衆議院社会労働委員会において、医療法の一部を改正する法律案件の審議に際し、札幌市の甲野病院の問題を取り上げ質疑し、甲野病院の院長であった甲野一郎について以下の発言をした(以下「本件発言」という。)。
 被告竹村「それから、後ほどもっと大変な院長の異常性を申し上げますけれども、少し院長の異常性を申し上げておきますと、安定剤をいつもポケットにばらにして入れていて、お菓子のようにボリボリと食べていた。分裂症の薬を飲んでいるという、これはうわさです。それから千鳥足で歩く。倒れそうで倒れない。一日じゅうぼうっとしている。院長が患者に暴行をして周りがとめた。患者の収容にやくざ出身の患者を同行した。足元がふらつき、目がおかしい。電話を壁に投げつけるらしく、清掃婦さんがそう言っている。壁は傷だらけである。こういうふうに、枚挙にいとまがないほど大変な院長さんが今この病院を現実に経営しておられるわけです。」
 被告竹村「そのほかに、この院長さんにはもう1つ大変な事件があるわけです。
 名前は申し上げられませんけれども、5名の女性患者に対して破廉恥な行いをしておられるのです。1人の方を申し上げますと、この方は、Aさんと言っておきますけれども、一番最初、お昼間1階の診察室へ来いと言われた。雑談をしているうちにズボンを下げて性行為を強制しようとした。2回目は抵抗できなかった。3回目はベッドに寝かされて無理やりに性行為をさせられてしまった。これは強姦ですよね。3回目は夜中に懐中電灯を持って病室へ来て手を引っ張っていっていたずらをした。このAさんという方は、18歳で入院して、シンナー、薬物で入っていた方です。朝、昼、晩と寝るとき安定剤を飲まされ、保護室では1週間点滴を受けた、こういう方なのです。
 Aさんのほかに3人の被害者がおります。私、会ってきました。決して精神病の方だからいいかげんなことを言っているわけではありません。この人たちの証言が全部一致します。中には被害の状況の程度がいろいろ違いますけれども、こんなに口裏を合わせられるものではありません。この院長さん、白昼堂々とこういうことまでやっておられるのです。こういう院長はほっておけないじゃないですか。どうですか。私は非常に怒りを覚えております。現行の行政の中ではこれはチェックできないでしょう。これができない限り、患者の人権は守れないのです。大臣、どう思われますか。」
〈以下省略〉
[3] 甲野一郎は昭和60年11月22日死亡した。原告は甲野の妻である。
[4] 被告竹村は、本件発言前に甲野病院に来院して調査したこともなく、仮に何らかの調査をしたとしても、同病院においては、診察室の看護婦のいる前で患者の診察を行っているし、精神病院であるから入院患者と特定人しか面会を許さず親類と称しても面会させない仕組みとなっているのであって患者との面談をなしえず、また、精神病患者の容体がどのようなものか知らずしてその言葉をそのまま受入れ、全く事実無根のありもしない数多くの具体的行為を事実として発言して院長を中傷し、これにより甲野一郎の名誉を毀損し同人を自殺に追い込んだのであるから、民法709条、710条に基づき、また、同被告の右発言は国の公権力の行使に当たる公務員がその職務を行うについてしたものであるから、被告国は、国家賠償法1条1項に基づき、それぞれ原告に対し、甲野一郎及び原告が被った左記損害を賠償する責任がある。
(損害) 合計       1億円
 (1)   甲野の慰謝料   金3000万円
 (2)   甲野の逸失利益  金7000万円
 (3)   原告の慰謝料   金1000万円

[5] 憲法51条は、「両議院の議員は、議院で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を問われない。」と規定しているが、被告竹村の本件発言は右にいう「演説、討論又は表決」に該当しない。すなわち、右にいう「演説、討論又は表決」とは、国会の働きを充実させる、国政レベルに関する事実や意見についての発言をいうところ、精神病院を経営する一医師が分裂病の薬を常用していたとか、医師が女性患者に破廉恥な行為をしたとかいう特定の者を誹謗する発言は、国会審議にふさわしくない低次元の内容であり、国会の場で演説、討論又は表決すべき事柄に関するものでなく、また、国会の働きを充実させるものでもないから、同条にいう演説等に該当しない。

[6] 憲法51条の免責特権は、絶対的免責特権を規定したものではなく、相対的免責特権を規定したものであり、被告竹村の本件発言には適用されない。
[7] すなわち、憲法上、議員の免責特権も、絶対的なものではなく、憲法上保障されている他の諸権利との調和が求められていることからすれば、議員が議院で行った発言が国民の名誉・プライヴァシー権の侵害に及んだ場合において、当該議員が虚偽と知りながら発言した場合、若しくは、不適正ないし違法な目的のために発言した場合には、濫用として免責特権は妥当しないと解すべきであり(アメリカにおける制限的特権の考え方)、また、当該議員が虚偽と知りながら又は虚偽か否かを不遜にも顧慮せずに発言した場合には、免責特権は該当しないと解すべきである(アメリカにおける「現実の悪意」の法理)。
[8] しかるところ、同被告は、前記のとおり、甲野病院に来院して調査したことはなく、入院中の特定の精神障害者に面会を求めたこともなく、仮に面会を求めたとしても精神病院においては精神障害者に対する面会は精神衛生法上規定された保護義務者の許可がなければ許されないのであるから入院患者に会ったことはないこと、同病院は各階の間が鍵のかかる扉で遮断されており、入院患者が自由に昇降できる施設にはなっておらず、甲野医師が患者を単独で診察することはなく、診察室には昼間は原告も出入りしていたこと、精神障害者は、精神上、錯乱、昏迷、幻覚、妄想などの異状精神症状にあり、特に女性精神障害者については年齢を問わず性的妄想が甚だしく、その供述することがそのまま真実とはいい難いことなどからして、同被告は、精神衛生法に準拠した精神病院の運用実務、換言すれば入院患者に対する面会制限、開放病棟、閉鎖病棟の構造と治療行為の態様、女性精神障害者の性的妄想等について勉強しないまま、妄想患者からの伝聞を安易に信じ、甲野の名誉を棄損し医師の世界から抹殺させようとして前記発言をしたものであり、その内容が虚偽であることを知りながら、又は虚偽か否かを不遜にも顧慮せず、若しくは不適正ないし違法な目的のために、甲野の名誉を毀損する発言をしたものというべきであるから、本件発言には、憲法51条は適用されない。

[9] 憲法51条は、国会議員が議院において演説、討論、又は表決をなすに当たり故意又は重大な過失によって違法に他人に損害を加えたとしても国から国家賠償法1条2項によって求償を受けることがないことを憲法上保障したにとどまるのであって、同条のために国が国家賠償法による責任を負わないことにはならない。
1 本案前の主張―被告竹村
[10] 本件発言は、当時、いわゆる宇都宮病院事件や富士見産婦人科病院事件など、医療モラルの低下や医療荒廃が社会問題化する中で、同被告が、国に対し、甲野病院を例に挙げて、地域医療計画における国の責任、医療圏・医療施設に関する都道府県の裁量権、地域利用計画策定と医療審議会の諮問などにつき、その改善を求めるためにしたものであって、憲法51条の保障する免責の対象となることは明らかであり、同被告は民事上の責任を問われないのであるから、原告の主張自体失当である。
[11] したがって、民事訴訟法228条1項、2項、223条1項に基づき訴状記載事項の欠缺を補正する余地がないものとして訴状を却下すべきであり、仮にそうでないとしても、原告の本件訴えは、被告及び事件が我が国の裁判権に服さない場合、又は、訴えの提起自体不適法な場合として却下されるべきである。

2 本案の主張
(1) 被告竹村
[12] 本件発言は、前記1のとおり、憲法51条の保障する免責の対象となることは明らかであり、同被告は原告主張の不法行為責任を負わない。
[13] 憲法51条は絶対的免責特権を規定したものである。原告は、同条が絶対的なものではなく、憲法上保障されている他の諸権利との調和が求められている旨主張するが、右主張は、憲法51条が国民主権・代表制原理の下で認められる国会特権のコロラリーとして既に憲法レベルで諸権利との調整を考慮した上で絶対的免責を規定していることを看過している。
[14] 原告は、同条が制限的免責特権を規定するものとし、国会議員の議院における言論の自由と国民の名誉等の利益とを調整する基準として「現実の悪意の法理」等を主張するが、右法理の適用があり得るのは、正に表現の自由と名誉権とが同一レベルで衝突する場合であるから、議員の免責特権のように既に憲法上のスクリーニングを経て絶対性を付与された場合には適用されない。
(2) 被告国
[15] 本件発言は憲法51条にいう演説等にあたる。
[16] すなわち、同条にいう「演説」とは「討論」以外の意見の発表・事実の陳述をいい、「討論」とは表決を要する議題について賛成又は反対の意見を発表することをいい、「表決」とは議題について議院又は委員会の意思を決定するに当たって賛否の意思を表示することをいう。しかるところ、本件発言は、衆議院議員であった同被告が衆議院社会労働委員会において行った質疑であり、その内容は、甲野院長の女性入院患者に対する破廉恥行為、同院長の精神状態の異常及び医師法等の法令に対する違反行為を摘示し、患者の人権を擁護する見地から所管行政庁による十分な監督を求めるものであるから、右発言は同被告の衆議院議員としての立法過程における職務上の行為であり、同条にいう演説等に当たる。
[17] 憲法51条は絶対的免責特権を規定したものであり、国会議員が議院で行った演説等は、この具体的内容ないしその態様いかんにかかわらず、同条による保護が与えられるから、本件発言も、同条にいう演説等に当たる以上、その内容及び態様にかかわりなく、同条により保護される。
[18] 原告は、同条が制限的免責特権を規定するものとし、国会議員の議院における言論の自由と国民の名誉等の利益とを調整する基準として「現実の悪意の法理」等を主張するが、「現実の悪意の法理」は、公職者がその公務に関する批判的言辞に対して名誉毀損訴訟を提起する場合の厳格な実体的要件の一つを措定するものであって、本件のように、私人が国会議員の議院での演説等に対して名誉毀損訴訟を提起する場合の実体的要件に関するものではなく、本件に右法理が妥当すべき理論的根拠が明らかでないばかりか、右法理によれば、当該議員が応訴の負担を負うことになり、議員活動にも支障が生じ、議院における国会議員の自由な言論を萎縮させかねないという問題が生じるから、右法理を採用することはできない。
[19] 憲法の採用する議会制民主主義の下において国会議員が主権者たる国民の負託に答えてその職責を十分に果たすためには、議院で行う演説等について一般の国民の場合に比しより高度かつ広範な表現の自由を確保することが必要不可欠であり、これに鑑み、憲法51条は、国会議員が議院で行った演説等の表現の自由の側面にかかるものについては、もっぱらその政治的判断に任せたもの、換言すれば、国会議員が国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり、個々の国民の対する関係では何ら法的義務を負わないこと、すなわち、国会議員が議院で行った演説等については、国家賠償法上およそ違法が問題とされる余地がないことを定めたものというべきである。このように解さないと、国家賠償訴訟において当該議員が証人として法廷への出頭を求められ証言を要求される可能性を否定できず、議員活動にも支障が生じ、議院における国会議員の自由な言論を萎縮させかねないという問題が生じ、憲法51条が国会議員に認めた最大限の表現の自由の保証が無に帰することになる。
1 被告竹村に対する訴えの適法性
 原告の本件訴えは訴状の記載に不備があって補正をする余地がなく却下される場合又は被告及び事件が我が国の裁判権に服さない場合ないし訴えの提起自体不適法な場合に当たり却下される場合かどうか。

2 被告竹村に対する請求の可否
(1) 被告竹村の本件発言は憲法51条にいう「演説、討論又は表決」に該当するか。
(2) 憲法51条は、絶対的免責特権を規定したものか、それとも、相対的免責特権を規定したものか。

3 被告国に対する請求の可否
(1) 憲法51条が妥当する場合には、国家賠償法1条1項にいう「違法」が生じる余地はなく、国は同法上の責任を負わないか。
(2) 国家賠償法1条1項の責任の有無
[20] 被告竹村の本件発言が憲法51条の免責の対象になるとしても、原告の本件訴えは、訴状の記載に不備があることにならず、記載に不備はなく、また、被告及び事件が我が国の裁判権に服さないことにならず、裁判権に服し、訴えの提起が不適法となることもなく、適法である。
1 憲法51条該当性
[21] 憲法51条は、「両議院の議員は、議院で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を問われない。」と規定している。右にいう「議院で行った」とは、議院の活動として議員が職務上行った場合をいい、「表決」とは議題について賛否を明らかにすることをいい、「討論」とは表決を要する議題についての意見の発表をいい、「演説」とは討論以外の任意の主題についての意見の発表、事実の陳述をいい、質問や自由討議などがこれに含まれる。
[22] 本件発言は、昭和60年11月21日当時衆議院議員であった同被告が第103回国会衆議院社会労働委員会において医療法の一部を改正する法律案件の審議に際し、同法案の問題点として、所定の地域医療計画における国の責任、医療圏・医療施設に関する都道府県の裁量権、地域利用計画策定と医療審議会の諮問などにつき、その改善を求める意見陳述・質問をする中でされたものであり、甲野院長の女性入院患者に対する破廉恥行為・同院長の精神状態の異常及び医師法等の法令に対する違反行為を摘示し、患者の人権を擁護する見地から所管行政庁による十分な監督を求めるものである(〈書証番号略〉)から、同被告の衆議院議員としての立法過程における職務上の行為というべきであり、同条にいう両議院の議員の議院で行った演説に当たるものということができる。
[23] この点につき、原告は、右にいう「演説、討論又は表決」とは国政レベルに関する事実や意見についての発言をいうところ、本件発言は、低次元の問題に関するものであり、国会の働きを充実させるものでなく、これに当たらない旨主張するが、前記のとおり、右発言は国政に関するものということができる。原告の主張するところは、発言の内容・表現に妥当でない点があることを指摘することに帰着するもので、右発言が「演説、討論又は表決」に該当することを否定することとならない。

2 憲法51条の免責は絶対的か、相対的か。
[24] 憲法の採用する議会制民主主義の下においては、国会は、国民の間に存する多元的な意見及び諸々の利益を立法過程に公正に反映させ、議員の自由な討論を通してこれらを調整し、究極的には多数決原理により統一的な国家意思を形成すべき役割を担うものである(最高裁判所昭和60年11月21日第1小法廷判決、民集39巻7号1512頁参照。)。そして議会制民主主義が適正かつ効果的に機能することを期するためには、国民の代表たる国会議員が右統一的国家意思を形成していく際に行う議会における言論の自由が最大限保障されていることが必要であり、その際、国政を批判し又は反対党を攻撃する議員の発言が他人の名誉やプライヴァシーを侵害する場合のあることも避けられないところである。
[25] そして、それらの言論を一般国民がした場合には、違法な言論をしたとして、民事上あるいは刑事上の責任を問われることになるが、議員が民事上、刑事上の責任を問われるとすると、政府が反対党議員の言論をとらえて法的責任を追求する等により、議員が言論活動をするについて萎縮し、自由な言論活動をすることができなくなる可能性がある。憲法51条は、国民の代表者による政治の実現を期し、議会における議員の言論の自由を最大限保障するために、右のような他人の名誉・プライヴァシーを侵害することによる責任を含め、議員の議会内における言論に基づく一切の法的責任を免除したものである。
[26] 以上からすれば、憲法51条は、議員の行った言論を絶対的に保障する趣旨に出たもの、すなわち、絶対的免責特権を規定したものと解するのが相当である。
[27] のみならず、仮に原告主張のような法理により、右特権が制限される場合があるとの解釈を取りうる余地があったとして、原告は、右法理に適用すべき事由があるとの点について、同被告が、甲野病院に来院して調査したことがなく、入院中の特定の精神障害者に面会を求めたこともなく、仮に面会を求めたとしても精神病院において精神衛生法上規定された保護義務者の許可がなければ精神障害者に対する面会が許されないから入院患者に会ったことのないこと、同病院は各階の間が鍵のかかる扉で遮断されており、入院患者が自由に昇降できる施設にはなっておらず、甲野医師が患者を単独で診察することなく、診察室には昼間は原告も出入りしていたこと、精神障害者は、精神上、錯乱、昏迷、幻覚、妄想などの異常精神症状にあり、特に女性精神障害者については年齢を問わず性的妄想が甚だしく、その供述することがそのまま真実とはいい難いことなどからして、同被告は、精神衛生法に準拠した精神病院の運用実務、換言すれば入院患者に対する面会制限・開放病棟・閉鎖病棟の構造と治療行為の態様、女性精神障害者の性的妄想等について勉強しないまま、妄想患者からの伝聞を安易に信じ、甲野の名誉を棄損し医師の世界から抹殺させようとして前記発言をしたものであり、その内容が虚偽であることを知りながら、又は虚偽か否かを不遜にも顧慮せず、若しくは不適正ないし違法な目的のために、甲野一郎の名誉を毀損する発言をしたと主張し、〈書証番号略〉、とりわけ証人乙川二郎の証言が直接これに沿うけれども、同証人の主尋問に対するその旨の供述は、反対尋問に対する供述を考慮すると、右主張の前提となる各主張事実を認めさせるに十分とはいえず、未だこれを認めるに足りないというほかなく、したがって、同被告が、精神衛生法に準拠した精神病院の運用実務、換言すれば入院患者に対する面会制限、開放病棟、閉鎖病棟の構造と治療行為の態様、女性精神障害者の性的妄想等について勉強しないまま、妄想患者からの伝聞を安易に信じ、甲野の名誉を棄損し医師の世界から抹殺させようとして、その内容が虚偽であることを知りながら、又は虚偽か否かを不遜にも顧慮せず、若しくは不適正ないし違法な目的のために前記発言をしたとの原告の主張は認められない。

[28] よって、被告竹村に対する請求は認めれない。
1 憲法51条が妥当する場合には国家賠償法1条1項にいう「違法」が生じる余地はなく国は同法上の責任を負わないか。
[28] 憲法51条は、国会議員が議院で行った演説等に違法の点があっても、民事・刑事等の法的責任を負わない旨を規定したのみで、右違法がなくなる等の趣旨を含むものでないことは明らかである。したがって、憲法51条が妥当したとしても、そのことから当然に国家賠償法1条1項所定の「違法」がないことにはならない。
[29] この点につき、被告国は、憲法51条は、国会議員が議院で行った演説等については、国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり個々の国民に対する関係では何ら法的義務を負わないこと、すなわち、国会議員が議院で行った演説等については国家賠償法上およそ違法が問題とされる余地がないことを定めたものである旨主張するが、独自の見解であって、そのように解すべき根拠を欠く。国家賠償訴訟において当該議員の証人義務が生じることが当該議員にとって負担であるとしても、そのような考慮から憲法51条につき同被告主張の結論を導き出すことは困難である。

2 国家賠償法1条1項の責任の有無
[30] 国家賠償法1条1項は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときに国又は公共団体がこれを賠償する責に任ずることを規定するものである(前記最高裁判決参照)。
[31] 本件発言は、昭和60年11月21日当時衆議院議員であつた同被告が第103回国会衆議院社会労働委員会において医療法の一部を改正する法律案件の審議に際し、同法案の問題点として、所定の地域医療計画における国の責任、医療圏・医療施設に関する都道府県の裁量権、地域利用計画策定と医療審議会の諮問などにつき、その改善を求める意見陳述・質問をする中でされたものであって、甲野院長の女性入院患者に対する破廉恥行為、同院長の精神状態の異常及び医師法等の法令に対する違反行為を摘示し、患者の人権を擁護する見地から所管行政庁による十分な監督を求めるものであり、右のような事実があった場合に患者の人権を擁護する見地から所管行政庁による十分な監督を求めることは、国会議員としてなすことができる適法な職務行為というべきである。甲野院長の右行為についての事実を摘示することは同人に対する名誉棄損となるが、その故に右発言を差し控え所管行政庁による十分な監督を求めないということは、むしろ、国会議員としての職責を全うしないことになると考えられる。これを要するに、本件発言については、民法709条等の不法行為法理上、名誉棄損として違法の問題が生じることがあるが、右不法行為法理上の違法と国家賠償法上の職務上の法的義務に違背した違法とが直接対応するものでないということである。
[31] しからば、本件において、被告竹村はどのような職務上の法的義務を負うか。
[32] まず、国会議員としての職務の執行である必要があるから、甲野の名誉を棄損し医師の世界から抹殺させようとした等の不適正ないし違法な目的のためにした場合に職務上の法的義務に反する違法があることは明らかである。
[33] 次に、本件質疑において、被告竹村は、甲野院長の女性入院患者に対する破廉恥行為、同院長の精神状態の異常及び医師法等の法令に対する違反行為等の有無を単に質問したわけでなく、右事実があることを前提にその監督を求めたのであるから、右発言にかかる事実関係を十分調査してその真実であることを確認したうえ右発言をすべき職務上の法的義務を負うと解するのが相当である。したがって、右事実が真実でなく虚偽であり、同被告がそのことを知っていた場合又は右事実関係の十分な調査をしないまま真実であるか否かの確認をせず右事実を真実であると軽信した場合等に職務上の法的義務に反する違法があるといえる。
[34] しかるところ、被告竹村に対する憲法51条の免責特権の制限についての主張についての判断において説示したとおりで、同被告に甲野の名誉を棄損し医師の世界から抹殺させようとした等の不適正ないし違法な目的があったとか、本件発言にかかる事実が真実でなく虚偽であって同被告がそのことを知っていた又は右事実関係の十分な調査をしないまま真実であるか否かの確認をせず右事実を真実であると軽信したとかの、職務上の法的義務に反する違法があったことを認めるに足りる十分な証拠はない(前記のとおり、名誉棄損にあたる発言が当然に国家賠償法1条1項上の違法性を肯定することにはならないから、右職務上の法的義務に反する違法があることの主張・立証責任はこれを主張する原告が負担するのが当然である。)。
[35] したがって、被告国の国家賠償法1条1項に基づく責任も認められない。
[36] 以上によれば、原告の本訴請求は失当であるからいずれもこれを棄却する。

(裁判長裁判官 若林諒  裁判官 吉村典晃  裁判官波多江久美子は転官のため署名、押印することができない。裁判長裁判官 若林諒)

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