奈良県ため池条例事件
上告審判決

ため池の保全に関する条例違反被告事件
最高裁判所 昭和36年(あ)第2623号
昭和38年6月26日 大法廷 判決

上告人 検察官

被告人 飯田甚太郎 外2名

検察官 村上朝一

■ 主 文
■ 理 由

■ 裁判官入江俊郎の補足意見
■ 裁判官垂水克己の補足意見
■ 裁判官奥野健一の補足意見
■ 裁判官河村大助の小数意見
■ 裁判官山田作之助の少数意見
■ 裁判官横田正俊の少数意見

■ 検察官田辺光夫の上告趣意


 原判決を破棄する。
 本件を大阪高等裁判所に差し戻す。


[1] 先ず、本条例制定の趣旨および本件において問題となつている本条例の条項の法意を考えてみるに、記録によると、奈良県においては、13,000に余まるかんがいの用に供する貯水池が存在しているが、県下ならびに他府県下における貯水池の破損、決かい等による災害の事例に徴し、その災害が単に所有者にとどまらず、一般住民および滞在者の生命、財産にまで多大の損傷を及ぼすものであることにかんがみ、且つ、貯水池の破損、決かいの原因調査による科学的根拠に基づき、本条例を制定公布したものであることを認めることができる。そして、本条例は、「ため池の破損、決かい等に因る災害を未然に防止するため、ため池の管理に関し必要な事項を定めることを目的」(1条)とし、本条例においてため池とは、「かんがいの用に供する貯水池であつて、えん堤の高さが3米以上のもの又は受益農地面積が1町歩以上のものをいう」(2条1号)とされているところ、本条例4条においては、右1条の目的を達成するため、右2条のため池に関し、何人も「ため池の余水はきの溢流水の流去に障害となる行為」(1号)、「ため池の堤とうに竹木若しくは農作物を植え、又は建物その他の工作物(ため池の保全上必要な工作物を除く。)を設置する行為」(2号)、「前各号に掲げるものの外、ため池の破損又は決かいの原因となる行為」(3号)をしてはならないとすると共に、同9条においては、右「第4条の規定に違反した者は、3万円以下の罰金に処する」ものとしている。すなわち、本条例4条は、ため池の破損、決かい等による災害を防止し、地方公共の秩序を維持し、住民および滞在者の安全を保持するために、ため池に関し、ため池の破損、決かいの原因となるような同条所定の行為をすることを禁止し、これに違反した者は同9条により処罰することとしたものであつて、結局本条例は、奈良県が地方公共団体の条例制定権に基づき、公共の福祉を保持するため、いわゆる行政事務条例として地方自治法2条2項、14条1項、2項、5項により制定したものであることが認められる。また、本条例3条によれば、国または地方公共団体が管理するため池には同5条ないし8条は適用しないが、しからざるため池には、ひろく本条例が適用されることとなつているから、本条例は、地方自治法2条3項1号、2号の事務に関するものと認められるところ、原判決の認定したところによれば、本件唐古池と称するため池は、周囲の堤とう6反4畝28歩と共に、登記簿上は、奈良県磯城郡田原本町大字唐古居住の松川富雄、上島武雄両名の所有名義となつているが、実質上は、同大字居住農家の共有ないし総有とみるべきもので、その貯水は、同大字の耕地のかんがいの用に供され、受益農地面積は、30町歩以上に及び、その管理は、同大字の総代が当つているもので、周囲の堤とうは、同大字居住者約27名において、父祖の代から引き続いて竹、果樹、茶の木その他農作物の栽培に使用し、被告人らもまた同様であつたが、本条例の施行により、被告人らを除く他の者は、任意に栽培を中止したことが認められるというのである。しからば本件ため池は、国または地方公共団体が自ら管理するものでないことが明らかであるから、本条例は、本件に関する限り、地方自治法2条3項1号の事務に関するものであり、また、ため池の破損、決かい等による災害の防止を目的としているから、同法2条3項8号の事務に関するものである(原判決が、本件に関し、本条例を同法2条3項2号の事務に関するものとし、これを前提として本条例の違憲、違法をいう点は、前提において誤つている。)。なお、本条例4条各号は、同条項所定の行為をすることを禁止するものであつて、直接には不作為を命ずる規定であるが、同条2号は、ため池の堤とうの使用に関し制限を加えているから、ため池の堤とうを使用する財産上の権利を有する者に対しては、その使用を殆んど全面的に禁止することとなり、同条項は、結局右財産上の権利に著しい制限を加えるものであるといわなければならない。
[2] しかし、その制限の内容たるや、立法者が科学的根拠に基づき、ため池の破損、決かいを招く原因となるものと判断した、ため池の堤とうに竹木若しくは農作物を植え、または建物その他の工作物(ため池の保全上必要な工作物を除く)を設置する行為を禁止することであり、そして、このような禁止規定の設けられた所以のものは、本条例1条にも示されているとおり、ため池の破損、決かい等による災害を未然に防止するにあると認められることは、すでに説示したとおりであつて、本条例4条2号の禁止規定は、堤とうを使用する財産上の権利を有する者であると否とを問わず、何人に対しても適用される。ただ、ため池の提とうを使用する財産上の権利を有する者は、本条例1条の示す目的のため、その財産権の行使を殆んど全面的に禁止されることになるが、それは災害を未然に防止するという社会生活上の已むを得ない必要から来ることであつて、ため池の提とうを使用する財産上の権利を有する者は何人も、公共の福祉のため、当然これを受忍しなければならない責務を負うというべきである。すなわち、ため池の破損、決かいの原因となるため池の堤とうの使用行為は、憲法でも、民法でも適法な財産権の行使として保障されていないものであつて、憲法、民法の保障する財産権の行使の埓外にあるものというべく、従つて、これらの行為を条例をもつて禁止、処罰しても憲法および法律に牴触またはこれを逸脱するものとはいえないし、また右条項に規定するような事項を、既に規定していると認むべき法令は存在していないのであるから、これを条例で定めたからといつて、違憲または違法の点は認められない。更に本条例9条は罰則を定めているが、それが憲法31条に違反するものでないことは、当裁判所の判例(昭和31年(あ)第4289号、同37年5月30日大法廷判決、刑集16巻5号577頁)の趣旨とするところである。
[3] なお、事柄によつては、特定または若干の地方公共団体の特殊な事情により、国において法律で一律に定めることが困難または不適当なことがあり、その地方公共団体ごとに、その条例で定めることが、容易且つ適切なことがある。本件のような、ため池の保全の問題は、まさにこの場合に該当するというべきである。
[4] それ故、本条例は、憲法29条2項に違反して条例をもつては規定し得ない事項を規定したものではなく、これと異なる判断をした原判決は、憲法の右条項の解釈を誤つた違法があるといわなければならない。

[5] 次に、原判決は、条例をもつて権利の行使を強制的に制限または停止するについては、権利者の損失を補償すべきであるにかかわらず、本件において補償を与えた形跡が存在しないことも本条例を被告人らに適用し難い一理由としているのであるが、さきに説示したとおり、本条例は、災害を防止し公共の福祉を保持するためのものであり、その4条2号は、ため池の堤とうを使用する財産上の権利の行使を著しく制限するものではあるが、結局それは、災害を防止し公共の福祉を保持する上に社会生活上已むを得ないものであり、そのような制約は、ため池の堤とうを使用し得る財産権を有する者が当然受忍しなければならない責務というべきものであつて、憲法29条3項の損失補償はこれを必要としないと解するのが相当である。この点に関する原判決の判断は、前提において誤つているのみならず、結局憲法29条3項の解釈を誤つた違法あるを免れない。

[6] 以上の次第で、原判決は、憲法29条2項、3項の解釈を誤り、それを前提として本条例4条、9条は、被告人らにその効力は及ばないとして被告人らを無罪としたものであつて、失当たるを免れず、これらの点に関する論旨は結局理由あるに帰し、原判決はこれを破棄し、本件はこれを原審に差し戻すべきものである。
[7] よつて、刑訴410条1項本文、405条1号、413条により、主文のとおり判決する。
[8] この判決は、裁判官入江俊郎、同垂水克己、同奥野健一の補足意見および裁判官河村大助、同山田作之助、同横田正俊の少数意見あるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。


 裁判官入江俊郎の補足意見は次のとおりである。

[1] わたくしは、多数意見に同調するが、本条例と憲法29条2項との関係および本条例制定の憲法上の根拠ならびに本条例と憲法29条3項との関係につき、補足意見を表示する。

[2] 憲法29条2項は、財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定めると規定しているが、同条1項は、財産権はこれを侵してはならないと規定し、いわゆる財産権不可侵の原則を宣言している。財産権の不可侵は、近代民主主義国家における基本的人権の保障の上で極めて重要な原則とされているが、およそ基本的人権の享有は、公共の福祉に適合すべきものでなければならないことは、憲法12条、13条の示すところであり、財産権の不可侵といつてもそれは絶対無制限のものではなく、財産権の内容は公共の福祉に適合するようなものであるべきで、憲法29条2項はまさにこの理を明文化したものにほかならない。そして、ここに財産権の内容とは、それぞれの財産権がいかなる性質のものであるか、権利者がいかなる範囲、程度においてその財産に対する支配権を有するか等、それぞれの財産権自体に内在する一般的内容をいうものであつて、同条項は、財産権自体の内容をいかに定めるかを問題としているのである。それ故、財産権自体の内容をいかに定めるかということではなく、人の権利、自由の享有をいかに規制するかを定めた規定は、その規定の法的効果により、財産上の権利の行使が制限されるに至ることがあつても、それは、憲法29条2項の問題ではないと解する。例えば、人の権利、自由の享有を自由に放任することによつて発生する事態が、公共の福祉と相容れないとき、その事態を公共の福祉のために防止しまたは除去することを定めた規定は、その適用を受ける者が、これにより財産上の権利の行使を制限されることとなつても、それは財産権自体の内容を定めるものではなく、既に内容を定められた財産権につき、これを行使しその内容を実現する面において、制限を受けるものというべきだからである。そこで、本条例4条2号を見ると、同条項は、提とうを使用する財産上の権利を有する者であると否とを問わず、何人に対しても適用され、そのため、ため池の堤とうを使用する財産上の権利を有する者は、その財産権の行使を殆んど全面的に禁止されることになるが、それは災害を未然に防止するという社会生活上の已むを得ない必要から来ることであつて、ため池の堤とうを使用する財産上の権利を有する者は何人も、公共の福祉のため、当然これを受忍しなければならない責務を負うというべきであることは多数意見のとおりである。それ故、同条項は、公共の福祉と相容れない事態を防止、除去するために、災害防止上禁止されても已むを得ない、ため池の破損または決かいの原因となる同条項所定の行為を何人に対しても禁止し、不作為の義務を負わせる規定であつて、そのために、堤とうを使用する財産上の権利を有する者が、その権利の行使を制限されることになつても、それは右規定の法的効果に外ならないのである。されば、右条項は、憲法29条2項の法意につき前に説示したところに照らし、これをもつて同条項にいう財産権の内容を定める規定と解すべきではなく、そして、この理は、右権利の制限の程度が、たとえ本件におけるように著しいものであるとしても、結論を異にすべきものではない。よつて、本条例4条2号を憲法29条2項の場合に該当するとした原判決および上告趣意は、いずれも正当とは認められない。
[3] しからば、ここで問題となるのは、このような人の権利、自由の制限を条例で設けることが憲法に違反しないかどうかということである。思うに、憲法94条は、地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができると規定しており、地方自治法14条1項は、普通地方公共団体は、法令に違反しない限りにいて、同法2条2項の事務に関し条例を制定できることを定めている。そして、同条項の事務は、公共事務、委任事務、行政事務であるが、ここに行政事務とは、地方公共団体の区域内における委任事務以外の行政事務で国の事務に属しないものをいい、それは事務の性質上人の権利、自由の規制をその内容とする場合が多い。それ故、普通地方公共団体は、その行政を執行するに伴い、必要ある場合には、法令に違反しない限りにおいて、行政事務として、人の権利、自由を規制することができ、これがため条例を制定することができるのであつて、それは、憲法94条に基づく地方公共団体の権能というべく、地方自治法2条、141条1項、2項はその趣旨を承けた規定であり、これがために一々の事務につき、法律による特別の委任、授権の必要はないのである。もちろん、法令に違反しない限りというのは、既存の法令に基本的人権の規制につき未だ規定がされていない限りは、地方公共団体が、条例で基本的人権につき、いかなる制限もできるというわけではない。既存の法令が何ら特別の規制をしていないということは、その基本的人権を自由に享有せしめることとする法的秩序が既に成立しているといい得る場合もあるからである。しかし、基本的人権の享有は、公共の福祉に適合するものでなければならないことは、憲法12条、13条の示すところであるから、これらの条項に照らして見ても、公共の福祉と相容れないことの明らかな、本条例4条2号の禁止している行為を、敢えてなし得る自由を認容する法的秩序が、既に存在するものとは到底考えられず、また、右条項に規定するような事項を既に規定していると認むべき法令も存在しない。なお、本条例4条2号の禁止している行為は、憲法でも民法でも適法な財産権の行使として保護されていないものであり、憲法、民法の保障する財産権の行使の埓外にあるものとすることは、多数意見のとおりであるが、そのことは、そのような財産権の行使を、公共の福祉を保持するために制限、禁止することが憲法に違反するものではないとする根拠とはなるけれども、もしそれが憲法上必らず法律をもつて規定すべきものとされている事項である場合においては、それにもかかわらず法律または法律の委任、授権による必要はないと解し得る根拠にまでなるものとは、わたくしは考えない。しかし、本条例4条2号が、憲法29条2項の場合に該当するものでないことは前述のとおりであり、それは、憲法94条、地方自治法2条、14条1項、2項を根拠とする行政事務条例というべきものであるから、これがために、法律による特別の委任、授権の必要はないものと解するのである。
[4] それ故、本条例は、憲法29条2項に違反して条例をもつては規定し得ない事項を規定したものではなく、憲法上適法に制定されたものであつて、これと異なる判断をした原判決は、憲法の右条項の解釈を誤つた違法があるといわなければならない。

[5] 憲法29条3項の公共のために用いるというのは、いわゆる公用徴収や、公用使用の場合のみでなく、広く社会公共の利益のために、私人の財産権を利用(剥奪、制限、使用を含む)する場合をいうものと解する。
[6] そして、これに対して、同条項は、正当な補償をすることを規定しているが、それは、社会公共の利益のために個人の財産権が犠牲となることは、社会全体が、その個人の財産上の犠牲において利益を享受するのであるから、社会全体が、その個人の損失を償うことが、社会正義の要請に合するとの考え方に立つものと思う。このように、憲法29条は、一方に私有財産の不可侵を定めるとともに、公益のため私益を犠牲に供した場合は、これに正当な補償を与えることにより、公益と私益との調節を図り、もつて社会正義の実現を図つているのであつて、さればこそ、特に「正当な補償」といい、それは具体的事情を綜合考察して、社会正義の観点から正当と認められる範囲、程度の補償を意味し、必ずしも損失全額を補償しなければならないとしたものではなく、また、その法意は、もし財産権の制限が、その財産権を有する者は何人も、互にその制限に従うべきことが、社会公共の秩序、安全を維持するため、当然の社会的責務と解される程度のものである場合、その他社会正義の要請から見て、正当の補償に値するものが見出せないと認めるにつき充分合理的な理由が存する場合には、立法政策上の問題は別として、補償すべき憲法上の必要はないものとする趣旨をも包含すると解するのである。そして、本条例4条2号の場合は、まさにそのような場合に該当するのであつて、これに対しては、憲法29条3項の損失補償は必要ないものと解すること、多数意見とその結論を同じくする。
[7] ただ、わたくしは、右補償をする必要がないというのは、本条例の施行後の制限については妥当と思うが、本条例施行前から引きつづき、ため池の提とうを耕作していた者が、施行の時以後耕作を禁止されたがため、従前の竹木、茶の木その他の農作物の除去、廃棄を余儀なくされた場合、または植栽しようとして苗木を現実に用意していたのに、これが廃棄を余儀なくされた場合等には、これによつて生じた損失まで、全然補償しないでよいと解することについては疑問がある。或いは、本条例4条2号は、本条例施行後の同条項所定の行為のみを禁止する規定のごとくに見えないこともないが、仮に同条項がそのようなものであるとしても、従前よりの竹木、茶の木その他の農作物の植栽の状態をそのまま継続してゆくことは、本条例の趣旨から見て、結局4条1号または3号に該当することとなり、その除去、廃棄は免れ得ないこととなるのではあるまいか。本条例4条により禁止された行為は、公共の福祉のため已むを得ないものであり、財産権を有する者にとつては、互に受忍すべき責務であること、多数意見のとおりであるが、それは、条例により明確にそのような法的秩序が定められてはじめていい得ることであつて、未だ何らこれを制限する規定の設けられていない間は、それらの行為は、一応は、自由に放任されていたものに外ならない。従つて、わたくしは、本条例施行前からの従前の竹木、農作物の除去、廃棄を余儀なくされた者のあるときには、更に具体的にその事情を考えてみて、従前は法的に放任されていたそれらの行為が、条例の規定を持たず、明らかに反社会的であり、権利の濫用に当ると認められる充分の理由のある場合でない限りは、これによつて生じた損失は、憲法29条3項によつて正当な補償をしなければならないものではないかと思うのである。
[8] 尤も、かように論じたからといつて、それは、補償を要する場合に補償をしないことが違憲というのであつて、その一事によつて、本条例4条が直ちに違憲、無効となるものとは考えない。補償をなすべき場合に補償することなく、財産権を制限する規定を設けた場合、その規定の内容の如何によつては、その規定自体を違憲、無効としなければならないこともあるであろうが、本条例についていえば、4条の規定自体は、その趣旨に徴し、適法に設けられたものであつて、補償の規定を欠くからといつて、これを違憲、無効というべきではないと考える。そして、わたくしは、この場合には、補償の必要を主張する当事者は、直接に憲法29条3項に基づいて、正当な補償を請求し得るものと解する。或いは、法律または条例で損失補償を定めていないときは、これを請求し得ないと説く者もあるが、わたくしは、憲法上補償を必要とする場合は、法律または条例でこれを定めておくことが当然であると思うけれども、もしこれを欠いた場合には、直接に憲法29条3項に基づいて補償を請求し得べきであり、裁判所に出訴した場合は、裁判所は、何が正当な補償に当るかを審理、判断すべきであつて、かように解することが、基本的人権の保障を定めた憲法の精神に適合する所以であると思うのである。


 裁判官垂水克己の補足意見は次のとおりである。

一 本条例罰則の解釈
[1] 本件唐古池のある大和盆地とその周辺地方は水源に乏しいため、古来、雨水や貧弱な川水を貯える溜池が多く、これが最後の頼みの灌漑用水を確保していることは公知の事実である。かような池が多いことからため池の破損決壊による不特定多数人の被害を防止する目的で本条例が制定されたものと解される。
[2] 本条例で犯罪として禁止される行為は「ため池の提とうに竹木若しくは農作物を植え、又は建物その他の工作物(ため池の保全上必要な工作物を除く)を設置する行為」(本条例4条2号)及び同条1号の行為を含む「ため池の破損、決かいの原因となる行為」(同条3号)である。
[3] ここに「破損、決かいの原因となる行為」とは、長雨、豪雨、地震、その他の出来事が加わるにおいては、ため池の破損、決かいを惹起する虞(抽象的危険)のある行為をいう。かような虞のない程度、状態において堤とうに些少の農作物(例、2、3本の小蕪)を植える如きはこれに含まれない。また、ため池の破損の虞のない状態で、ため池の使用以上必要な、排水ポンプ小屋、水害警戒警報小屋、救命ボート小屋を堤とうに設ける如きもこれに含まれないであろう。ため池の提とうに茶が8、90年来栽培されていて、これがため、今日まで池が破損、決かいしそうになつたことがなかつた、というような場合には、かような茶に関する限り、本条例施行後にもこれを栽培し続けても、それは本条例上犯罪とはならないのではないか、と私は思う。

二、地方公共団体の罰則付条例制定権
[4] この点の私見は多数意見と異なるが結論は同様である。
[5] 憲法は、何人も国会制定法律によらなければ刑罰を科せられないことの原則をかかげる(31条)一方、行政権による刑罰法令の制定を厳格に制約し「内閣は左の事務を行う、」「この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。」(憲法73条6号)とし、これを受けて国家行政組織法12条も「各大臣は…法律若しくは政令を実施するため、又は法律若しくは政令の特別の委任に基いて命令(総理府令又は省令)を発見することができる。」(1項)、右「命令には、法律の委任がなければ、罰則を設け、又は義務を課し若しくは国民の権利を制限する規定を設けることができない。」(4項)と規定する。
[6] すなわち、政令は憲法なり特定の法律なりを実施するために制定される従属的なもので、その罰則は当該特定法律の特別委任がある場合のほか設けることができないのを原則とし、命令(総理府又は省令)も法律若しくは政令を実施するため、又は、法律若しくは政令の特別委任に基づいてのみ発することができ、それには法律の委任がなければ罰則を設け、義務を課し国民の権利を制限する規定を設けることができないのである。
[7] ところが、憲法94条は、「地方公共団体は、…法律の範囲内で条例を制定することができる。」とし、行政権による刑罰法令の制定の場合のような厳格な制限を加えず、単に「法律の範囲内で」ありさえすれば条例を制定できるものとする。ここにいう条例にはその罰則規定を除外した趣旨の(右憲法73条6号但書のような)規定はなく、憲法94条からも同31条適正手続の規定からもその趣旨は出て来ない。けだし条例は政令、命令と異なり公選による議会の公開弁論に基づいて民主的に制定されるものであるから、それは「法律の範囲内で」ありさえすればよいというのが憲法の精神だと解される。このことは、憲法が、「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。」(95条)というほど、地方公共団体の総意を重く見ていることからも窺うことができる。憲法は、それほど、地方公共団体が、万事国会依存でなく、民主的独立自治の精神に基づき、自らの手で自らのために自らを治めることを期待するのである。
[8] では、憲法94条のいう「法律の範囲内で」とは何か。国会制定法律(又はこれに基づく前記命令)が犯罪とする行為(例、軽犯罪法所定の犯罪)を条例で罪とならないものとし、法律に基づく法定刑を条例で重い若しくは軽い刑に変更する如きを含まない(これは違憲である。)が、法律(又は右命令)が軽い反法行為若しくは一地方的事情によるものとみて放任する行為の如きを条例で処罰する如きは「法律の範囲内で」あるといえる。
[9] とにかく、地方自治法2条2項、3項所定の普通地方公共団体の百般の事務について同法14条1項、2項、5項は普通地方公共団体が条例で所定の罰則規定を制定する権限を認めている。が、この権限を認めた右地方自治法の規定(特に2条3項各号はおよその例示にすぎない)は、普通地方公共団体の条例制定権を行政権による罰則命令制定権ほどには強く制限していない、この規定は条例への委任規定というよりは、広汎な「法律の範囲」を定めた規定だと思う。

三、憲法29条に違反するか。
1 本条例は憲法29条2項にいう財産権の内容を定めたもの
[10] 本条例を私が冒頭一に述べたように解すべきものとしても、また、本条例は別段堤とうを奈良県若しくは第三者が占有、使用すべきものと定めていないものであつても、憲法のいう財産権の概念には、私法上のため池の所有権、使用権を持つ者が池の堤とう部分に竹木若しくは農作物を植え又は工作物を設置することはまさに堤とうの使用そのものに外ならないという観念が含まれているものと思われる。とすれば、本条例は池の堤とう部分の使用を厳禁する限りにおいて彼らの財産権の内容部分を削限するものであることは間違いない。
2 本条例は堤とうを公共のため池に用いるものか
[11] およそ人が或る物を使用、収益、処分する権能は、その物の性質、状態如何によつて、おのずから差異なきをえない。人(権利者本人や他人)若しくは物に損害を与える虞の多い物(危険物)の所有者、使用権者らはこれを損害を与えないように占有、使用、収益、処分すべき社会的責任を有するというのが人間社会の条理であり法である。そのためには当然物の所有者らは或る程度の不利益を忍ばねばならない。この責任とこれを果たすための不利益は初から危険物の所有権に内在するといつてよい。これは「私有財産を正当な補償の下に公共のため用いる」(憲法29条3項)ことや、「財産権の内容を公共の福祉に適合するように法律で定める」(同条2項)ことよりも以前の問題である。例えば、夜間公道上では、自動車の使用者は車体後部に赤色燈をつけなければ自動車を運転することができない、という規定によつて、使用者は確かに使用を一部禁止されるけれど、これは他人の自動車、生命、身体ないし一般の交通等に害を与えないとともに、自己の車が追突されたり自己の生命身体が害されたりする危険の予防でもあり全体として危険物運転者が当然忍ばねばならない財産権の制限であるのと同様である。1万3千余の溜池があるという特殊事情下の奈良県で県議会が溜池を一種の危険物とみたのなら、あえてこれを誤とはいえないであろう。
[12] 本条例の「ため池の破損決かいの原因となる虞のある行為」を禁止する規定によつて、池の下流地域住民はその身体財産が池の破損、決かい等によつて損害を蒙る虞はなくなる。と同時に、これによつて、池の所有者らは自己の権利の客体である溜池が破損決かいし更には池水が利用できなくなるという、彼の欲しない出来事による直接間接の損害を免かれうる利益を持つ。かように考えてくると、「法律の範囲内に属する」本条例の罰則規定は、「ため池の堤とう使用権を制約する趣旨を含むが公共の福祉に適合するように財産権の内容を定めたものである」ということもでき、また、「本条例で禁止する行為は憲法上権利の濫用である」ということもできようが、私は、本条例による溜池の堤とう部分の使用の一部禁制は、危険物を目的物とする財産権が条理上当然受けるべき内容制限(その所有者本人にとつても結局不利益とのみいえない)であるから、初より憲法29条3項の「公共のために用いる」「補償」をなすべき場合に当らない、と考える。


 裁判官奥野健一の補足意見は次のとおりである。

[1] 私有財産権を剥奪又は制限するには、法律の根拠を必要とするものであることは、憲法29条の解釈上疑いを容れないところである。けだし、同条1項において財産権はこれを侵してはならないと規定しながら、2項において公共の福祉に適合するように財産権の内容を規制する場合には、法律を以つて定めなければならないとし、そして同条3項は公共のため財産権を剥奪する等の財産権制限の最大の場合を規定しているのであるから、当然それらの事項は法律で規定すべきことを前提とするものと解すべきであるからである。従つて、財産権の剥奪又は制限をするには法律又は法律の委任に基づく命令によることを要するものと解すべきである。(民法206条の所有者は「法令の制限内」において自由にその所有物の使用、収益及び処分を為す権利を有するとの規定の趣旨も、法律又は法律の委任による命令の制限内においてと解すべきものである。固より、民法の右条文により一般的に法律以外の法令により所有権の剥奪又は制限をなし得ることを委任したものと解すべきではない。)
[2] そして、地方公共団体が条例を以つて財産権の剥奪又は制限をなさんとする場合においても、必ず法律の委任に基づかないでは、これをなし得ないものと解すべきである。けだし、条例を法律と同視すべからざるは勿論であるが、憲法94条は地方公共団体は「法律の範囲内」で条例を制定することができる旨規定しているのであつて、前述の如く、憲法29条によつて財産権の剥奪又は制限をするには必ず法律によるべきものとされている以上、これらの事項は既に法律によつて占領されているいわゆる法律事項であつて、条例によつて直接定め得る余地のないものと言わなければならないからである。従つて、法律の委任に基づかないで、条例により直接財産権の剥奪又は制限をなし得ないものと解すべきである。
[3] そして、地方公共団体は、地方自治法2条2項及び3項1号により、「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持すること」を、また、同8号により「防災を行うこと」をその事務として処理すべきものとされ、同14条1項により、これらの事務に関し条例を制定することができる旨規定されているのであるが、右各規定が直ちに右事務の処理のため必要であれば、一般的に私有財産権を剥奪又は制限をなし得ることまで条例に委任しているものとは到底解することはできない。このことは、同法2条3項18号、19号等により、私有財産権の制限、私有財産の使用又は収用をするには必ず「法律の定めるところ」によるべきことを定めていることと対比しても容易に肯認できるところである。
[4] しかし、本件奈良県条例38号(昭和29年9月24日公布)「ため池の保全に関する条例」4条2号において「ため池の堤とうに竹木若しくは農作物を植え、又は建物その他の工作物(ため池の保全上必要な工作物を除く)を設置する行為」を禁止し、同9条において右禁止規定に違反した者を処罰することとした所以のものは、これらの行為が、ため池の破損、決かいの原因となる行為であるが故に外ならない。このことは、右4条3号が「前各号に掲げるものの外、ため池の破損又は決かいの原因となる行為」と規定し、前記2号の行為がその一例示である趣旨を定めていることからも明白である。(竹木、農作物等の植栽がこれらの毛根の腐蝕に因つて、ため池の破損、決かいを招く原因となるものであるか否かは、立法者の判断によつて決せらるべき立法政策に属する事項であつて、裁判所が容喙すべき事項でない。)そして、ため池の破損、決かいは当該地方に多大の災害を及ぼし、公共の秩序、住民の安全、福祉を害すること甚大であることは言うまでもないところであるから、かかる行為は、仮令ため池の堤とうの所有者と雖も到底許さるべき適法な権利の行使とは言えず、明らかに権利濫用に属するものと断ぜざるを得ない。従つて、かかる行為を禁止、処罰することは本来適法な財産権の行使を公共の福祉のために制限するというのではなく、実に公衆に多大の危害を及ぼすべき権利濫用行為の禁止に外ならないのである。権利の濫用は憲法の保障するところでないことは、同法12条でも明白であり、従つて、同法29条の保障するところでもない。また、民法1条によつても財産権の濫用は許されないところである。
[5] 故に、本件ため池の破損、決かいの原因となる行為は、憲法でも、民法でも適法な財産権の行使として保障されていないものであつて、憲法、民法の保障する財産権の行使の埓外にあるものというべく、従つて、地方自治法2条2項の事務を処理するため、これらの行為を条例を以つて禁止、処罰しても憲法及び法律に牴触又はこれを逸脱するものではなく、むしろ法律の範囲内の条例であるということができる。よつて、地方公共団体がこれらの行為を禁止することは、特に法律の委任がなくとも、条例によつて、これをなし得るものと解すべきであり、また、かかる権利濫用行為を禁止したからといつて補償をしなければならないものではない。また、右禁止規定に違反した者を処罰する条項は地方自治法14条5項により委任された罰則規定であつて固より違憲ではない。
[6] 以上の理由により本件条例4条2号及び9条の規定は違憲ということはできない。従つて、右条例の規定が本件堤とうに所有権その他の権利を有し、これに基づいて堤とうを使用し堤とうに植栽する者に対してはその効力は及ばないとして被告人らに無罪を言い渡した原判決は破棄を免れない。


 裁判官河村大助の小数意見は次のとおりである。

[1]憲法29条2項は、「財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める。」と規定する。そして右規定にいわゆる財産権の内容を定めるとは、既存の財産権について将来新たに制約を加えることをも包含する趣旨であることは疑いを容れないところであるが、「法律で定める」の法律とは形式的な意義の法律に限る趣旨か否か、すなわち、命令、規則、条例等も包含する趣旨か否かは問題の存するところである。しかし、憲法の右規定は、私有財産制度の下において、極めて重要な意義を有する財産権不可侵の原則を宣言する第1項の規定を承けていることにかんがみると、公共の福祉のためとはいえ、財産権の内容に対する右制約の許容については、できる限り厳格に解することを必要とするものと考える。故に、右にいわゆる法律とは国家の制定した法律を指し、憲法は財産権の内容は、原則として民法その他の国の法律によつて、統一的に規制しようとする趣旨であると解せられる。
[2] ただ事柄によつては、その規制の具体的内容の一切を直接法律を以て定めることは実情に副わない不適当な場合のあり得ることも明らかであるから、かかる場合の特別の事項については、法律がその特定事項に関する規制を命令、規則又は条例に委任することは、憲法もこれを許容する趣旨であると解するを相当とする。従つて財産権の規制に関し地方公共団体の制定する条例についても、法律の特定事項に関する委任に基づくもののみが国の制定法律に準じ得るに過ぎないものと解すべきである。(とくに所有権行使の自由の制限については、旧憲法下においてさえ、民法206条の「所有権ハ法令ノ制限内ニ於テ自由ニ其所有物ノ使用、収益及ヒ処分ヲ為ス権利ヲ有ス」との規定中の「法令」につき、法律及び法律に基づく命令に限るとの有力な見解があつたことを考え合わすべきである。)たとえば、地方における公害を除却又は軽減する必要上、地先海面においてのみならず、その海面に接続する私有地に対しても土砂の採取を禁止するため、地方公共団体による条例の制定を相当とする場合に、法律がその特定事項につき規定を設けることを条例に委任するが如きはこれにあたるであろう。
[3] もつとも、憲法94条は地方公共団体に対して条例制定権を認めてはいるが、右規定からも明らかなように、それは法律の下と法律の認める範囲内においてのみ認められているにすぎないものであつて、条例はその効力において法律に劣り、法律に違反するを得ないものであることは、いうをまたないところである。従つて、憲法が法律で定めることにしている私有財産権の内容の規定はとくに法律の授権ある場合の外条例を以ては許されないものといわなければならない。
[4] また、地方自治法14条1項は、普通地方公共団体が法令に違反しない限りにおいて同法2条2項所定の行政事務等の事務に関し条例を制定することができる旨規定しているが、前述のとおり憲法がとくに法律で定めることにしている私有財産権の内容の規制は、右にいわゆる地方公共団体の行政事務に属さず、その権能の中に含まれていないものと解すべきであるから、とくに法律の授権ある場合の外、右規定を根拠として条例を以て右規制をすることができるものと解すべきではない(なお同法2条3項2号の溜池、堤防等の設置、管理、使用権の規制に関する規定は、地方公共団体に管理権のない本件の如き私有の溜池に適用のないことは解釈上疑いがない。)、このことは同法2条3項18号及び19号において一定の目的のためにする公用制限又は公用徴収につきとくに「法律の定めるところにより」と規定していることから見ても、容易に理解し得るところであろう。同項1号の「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持すること」及び同項8号の「…防災…を行うこと」との規定も同条2項の普通地方公共団体の処理すべき事務の各例示に過ぎないものであつて、その事務を行う場合に、とくに法律の授権をまつことなく私有地の公用制限又は公用徴収をすることができるかどうかとは全く関係のない規定である。このことは、前記18号及び19号の各規定と比照して明らかであるのみならず、本件当時施行されていた同法160条によれば、非常災害のため必要があるときは、市町村長は、他人の土地、物品を使用又は収用することができること及び市町村はその損失の全額を補償しなければならない旨規定されており、また建築基準法(昭和25年法律201号)39条は、津波、高潮、出水等による危険の著しい区域を災害区域として指定すること及び右区域内における災害防止上必要な建築制限、禁止について、地方公共団体の条例で定めるとしているのであつて、これらの規定からみても、憲法29条の解釈上、防災等のためにする所有権の公用制限又は公用徴収については原則として直接法律を以て規定することを要し、条例等の他の法規範による規律は、法律の特別の授権ある場合にのみ許容されるものであることを伺うに十分である。すなわち、前記地方自治法2条2項、3項1号、8号の例示規定を以て、地方公共団体が条例で私有財産権を規制し得る手がかりとなすを得ないことは極めて明らかである。
[5] ところで、本件奈良県「ため池の保全に関する条例」4条は、その2号において「ため池の堤とうに竹木若しくは農作物を植え、又は建物その他の工作物(ため池の保全上必要な工作物を除く)を設置する行為」を禁止し、9条において「第4条の規定に違反した者は3万円以下の罰金に処する」旨規定している。右規定は、堤とう地の所有権の行使を全面的に禁止しているものであつて、実質は所有権の剥奪に等しい制約を加えているのである。(本件のような目的、規制のためには土地収用法等によつて県はあらかじめ本件土地につき管理権限を取得することが必要であるとの趣旨に帰する原判決傍論は考慮に値いする。)そして、右禁止規定がため池の何人の所有に属するを問わず等しく適用される趣旨であることは、右条例3条において、国又は地方公共団体が管理するため池については、特に5条から8条までの規定を適用しない旨規定しているに拘らず、4条については何等の除外規定を設けなかつたことからも明らかである。しかして、右条例の意図するところが、ため池の破損決かい等に因る災害を未然に防止するためであることは1条の明定するところであるが、たとえ災害防止の要請であるからといつても、所有権の行使を禁止することの合理性は、法律を以て規制するための根拠となり得るに止まるものであつて、法律の根拠に基づかない条例を以てすることは許されないものであること上来説明したとおりである。されば、本条例4条2号及び9条は本件の如き県が管理ないし使用権を持たない私有の堤とう地(本件堤とう地が大字居住農家の共有ないし総有と見るべきもので被告人等の右堤とう地の使用は右土地に対する所有権の行使によるものであることは、第一、二審判決の認定、確定するところである。)に適用される限りにおいて憲法29条2項及び31条に違反し無効であると解するを相当とし、被告人等の行為につき前記条例の規定を適用処断することは、許されない筋合である。原判決の判断は結局において正当であり、本件上告は棄却すべきものと思料する。


 裁判官山田作之助の少数意見は左のとおりである。

[1] わたくしは、本件で問題となつているため池に関する奈良県の条例が、財産権の保障を規定している憲法29条に抵しよくするところがあり、違憲であるとした原判決を是認するもので、その理由を次のように述べる。

[2]、現行憲法が、私有財産制度につき規定するところは、明治憲法と異なり、高度にその不可侵性を保障しているのであつて、まず、憲法29条1項において、「財産権は、これを侵してはならない」と宣言し、裁判所に違憲立法審査権を与えている同法81条の規定とあいまつて、国家権力(立法権を含む)をもつてしても財産権はこれを侵すことができないことを保障しているのである。もとより、憲法は、29条2項をもつて「財産権の内容は、公共の福祉に適合するように法律でこれを定める」と規定しており、従つて、新たに財産権の内容を定める場合は勿論既に認められている財産権の内容を制限または変更するには、必ず法律をもつてなさるべく、かつ、それも公共の福祉に適合するようになされなくてはならぬことが、憲法上明文をもつて要求されているものといわなくてはならない。しかしながら、同条1項との関係上、如何に公共の要求があつても、また勿論法律をもつてしても、財産権をその本質的内容において侵害するようなことは(たとえば、権利を剥奪し、またはその効力を全面的に否定するようなことは)、私有財産制が認められていること自体並びに前示29条1項の明文および憲法全体よりするこの規定の精神よりして許されていないものと解するべきである。

[3]、かように、法律をもつてしても、私有財産をその本質的内容において侵害することは許されないとされているところから、公共のために、強いて私有財産権の内容またはその作用を、その本質を侵す程度において制限するか、財産権自体をとりあげて使用する必要が生じた場合には、憲法は、必ず法律をもつて、かつ相当の補償を条件として、その法律の定めるところに従いこれをなすことを要するものとしているのである。同条3項が「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる」と定めているのは、この趣旨を明らかにしているにほかならない。されば、当該の財産権につき一律に制限を加え、またはその内容を定める場合には、前述のように法律をもつてすれば、これをなしうるも、特定の人又は比較的限局された少数範囲の人に対して、その有する財産権をその本質的内容において制限し、その効用を失わしめるが如き、負担、制限を加える必要が生じた場合には、本条項に基づき、必ず法律の下においてのみ、しかも相当の補償を条件としてはじめてなしうるところである。一地方公共団体がその制定する単なる条例をもつて、私有財産権につき制限をなすとか、ことに限局された少数特定の人の有する私有財産につきその効用を制限(しかも本質的全面的に使用を禁止する程度に)するが如きは、憲法上とうてい許されていないものといわなくてはならない。

[4]、ひるがえつて、本件事案をみるに、一審ならびに原審が認めたところによれば、本件ため池は、奈良県磯城郡田原本町大字唐古に所在し通称唐古池ととなえられ、その外堤とう敷地のみにても6反4畝28歩もあり、池の受益面積30町歩余に及ぶという大池で(その掘さくの起源は不詳なるも500年前に既に存在していた池であることが記録上うかがわれる)、前示大字唐古居住農家の共有又は総有に属し、前示周囲の堤とう地6反4畝28歩は、右唐古居住者約27名において、父祖の代より引続いて竹、果樹(桃、柿)、茶の木、その他の農作物を栽培しているものであること、本件被告人等の右栽培面積は、被告人飯田甚太郎につき内1反1畝2歩、同飯田隆徳につき内7畝22歩、同松村政一につき内25歩であることが認められる。(なお、記録によると、この堤とう上の耕作の慣行は、遠い昔いつのほどにか部落民によつて認められ、その耕作権は、部落民間における売買、譲渡も許され、各耕作権者は、その使用面積の広狭に応じ額を異にする年貢を部落、その代表者としての総代に納めているもので、被告人飯田甚太郎の場合その年貢は年5,600円、その耕作地より昭和29年度、柿、茶等より年額5、6万円の収入がありたること等がうかがわれる)

[5]、しかして、本件条例(昭和29年9月24日公布、奈良県条例38号、「ため池の保全に関する条例」)はその4条において「ため池の堤とうに竹木若しくは農作物を植え、又は建物その他の工作物(ため池の保全上必要な工作物を除く。)を設置する行為をしてはならない」旨を規定し、9条において「第4条の規定に違反した者は3万円以下の罰金に処する」と定めているのである。従つて、この規定が被告人等に適用されれば、いずれも本件条例制定以前父祖の代よりの本件堤とう地につき有する前示耕作権(一種の永小作権ともいうべきか)を剥奪されることになり、また、父祖の代より茶畑、果樹園として植栽している茶の木、柿の木等も除去廃止を余儀なくされ、これまつたく無補償の没収と同様の制限を刑事制裁の強制の下に受けることとなるのであつて、その許されないことは、前各項において説示したところから、おのずから明らかであろう。原審が本件条例を憲法29条に抵しよくする違憲のものとしたのは、結論において相当であるといわなくてはならない。

[6]、また、地方公共団体の制定する条例は、法律の外にあつて法律と並んで存在を許される法規ではない。あくまで法律の下にあつて法律の範囲内で存在を許されているにすぎないものである。このことは、憲法94条に「地方公共団体は、……法律の範囲内で条例を制定することができる」と規定しているところよりするも明らかである。そして既に述べたように私有財産権の内容を定める(新たな設定のほか、既存のものに対するその内容、またはその作用の制限を含むこと、前示のとおり)には、憲法29条2項の明文によりあくまで法律に基づくべきであるとされている以上、私有財産権の設定、制限は、条例でこれを規律しうる範囲外のこととしなくてはならない。しかるに、本件条例は、直接的には新たに私有財産権の内容を定める目的で立法されたものではないとするも、その規定の内容自体、被告人等が前示の如く先祖の代より有する本件耕作権の行使を全面的に否定することを結果するものであつて、その実体においては、特定人の私有財産権を剥奪するに等しく、正に法律のみに留保された規律事項を侵犯するものであつて、本件条例につき特定法律による授権規定のみるべきものの存しない以上、その違憲無効であることは、かかる観点からも明らかである。

[7]、なお、多数意見につき一言するに、
[8](1) 多数意見も「本件条例4条2号は、ため池の堤とうの使用に関し制限を加えているから、ため池の堤とうを使用する財産上の権利を有する者に対しては、その使用を殆んど全面的に禁止することとなり、結局右財産上の権利に著しい制限を加えるものといわなくてはならない」ことを認めているのである。にも拘らず、なお、かくの如き私有財産権(しかも一部少数特定人の有する本件永小作権類似の耕作権)につき、その全面的使用禁止の制限をするに、法律をもつてすることを要せず、条例でなしうる理由として、それはため池決壊より生ずる災害を未然に防止するという社会生活上の已むをえない必要からくることであつて、ため池の堤とうを使用する財産上の権利を有する者は、公共の福祉のため、当然これを受忍しなければならない責務を負うというべきである、かくの如き権利の行使は、もはや憲法の保障する財産権行使の埓外にあり保護に値しないものとし、権利の内在性本質論にその根拠を求めているように察せられる。しかし、憲法が、特に、29条2項において、「財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める」と規定している所以のものは、財産権においても、すべての権利に通じて然るが如く、その社会的作用の変遷にともなつて、また公共の福祉の要請にもとづき、その内容作用に制約が加えられることがありうべきものなることを明らかにすると共に、同時に、右変遷、要請に従い財産権の内容、行使の作用を定め、または、これを制限するには、必ず法律をもつてすべきことを、憲法上の要請として明文をもつて規定していることに意義があるものといわなくてはならない。されば、権利には、すべて社会的要請に応じ、または公共の福祉のためにその内容の変化をきたし、あるいは、制限を受くべき本質的内在性があるからとして、これを理由に、ある場合には、法律の規定によらずして、地方公共団体の作る条例をもつて財産権の規制をなしうると解するのは、論理の飛躍があり、とうてい首肯することはできない、また、憲法29条2項の明文に反するものといわなくてはならない。
[9](2) また、本件の如き、多年の慣行による永小作権類似の耕作権が設定せられている土地の所有権は、土地所有者にとつて殆んど何等の権能ない空の所有権となるのであるから、この点において土地所有者たる多数の部落民と、そのうちの数人の耕作権を有する被告人等とは利害を異にするものであり、他の土地共有者たる部落民が一致して本件条例を支持しているからといつて被告人等に権利濫用ありとすることはできない。
[10](3) また、事実問題から考えてみても、所謂ため池のうちには、平野地域において、しばしばみられるように、平坦な土地の一部を掘さくして作られているものがあり、このようなため池においては、その所謂堤とうなるものの多くは、堤とうにつづく田畑と、殆んどその土地の高さを等しくするのが多く、従つて、堤とうそのものが決壊するが如き危険の考えられないものもあるのであつて、本件においても、原審認定の事実のみによつても、堤とう敷地といわれる部分の面積が、6反4畝28歩もあり、父祖の代より茶の木、柿の木等を植えて現在におよぶというのであるから、その地目が堤とうであるからといつて、ただちに決壊のおそれがあるものとし、その事実を前提として議論することは許されないものと解する。(なお、記録添付の現状の写真によれば、本件唐古池は平坦な土地に掘さくされた池で、その堤とうとこれにつづく畑との間には殆んど土地の高低の差はみられず、所謂堤とうの部分も、水ぎわまで耕されている立派な茶畑等の耕地であることが認められるのみならず、記録によれば、唐古池堤とうは、いまだかつて決壊したような事跡がないことがうかがわれるのである)だから、ため池の堤とう上の耕作権は、権利の濫用もしくは公共の福祉上保護に値しない権利だとして、被告人等が父祖の代より伝えられ、父祖の代より平穏公然に年貢を支払つて耕作しつづけている永小作権類似の本件耕作権を目して、保護に値しない不法の耕作権であるかのように取扱い、かかるものについては、法律によらず条例で、しかも無補償で耕作を禁止してもよいとなすことの許されざることは、いうまでもないと考える。
[11] されば、以上の諸理由により、原判決が本件条例に違憲があるとしたのは正当であり、違憲でないことを理由とする本件上告は棄却されるのを相当とする。


 上告趣意第一点についての裁判官横田正俊の少数意見は次のとおりである。

[1](1) 憲法29条2項は、財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める旨を規定しているが、右の法律で定めるとは、財産権の内容は、国民の多くの意見に基づき、国民全体に対しできうるかぎり統一的かつ無差別なものとして定立されることが望ましいので、その内安を定める法的規範は、その制定の手続において右趣旨に最も適合し、その効力において最も普遍的かつ強力的な法律、すなわち国会制定法にこれをかぎる旨を規定したものと解される。
[2] もつとも、財産権の内容を定めるについても、これを地方の実情に即したものとするため、現に法律において慣習に従う旨を規定している場合もみられるように(たとえば、入会権に関する民法263条、294条、所有権の制限に関する民法217条、219条2項、228条、236条など)、法律自体で直接にこれを規定せず、他の法的規範にその決定、ことに財産権の内容の制限に関する定めを委ねることを相当とする場合も考えられるのであつて、憲法29条2項は、このような場合に、法律の特別の委任に基づき他の法的規範がこれらの定めをすることまで禁止しているものではないと解される。この関係を民法の若干の規定についてみるならば、民法は、財産権のうち物権については、175条において、物権は本法その他の法律に定めるもののほか創設しえないことを明らかにするとともに、物権の大宗たる所有権については、206条において、所有者は、法令の制限内において、自由に、その所有物の使用、収益及び処分を為す権利を有する旨を規定しているが、右にいう「法令」とは、法律及びその特別の委任に基づき制定された他の法的規範を指すものと解され、さらに、91条において、法律行為の当事者が法令中の公の秩序に関せざる規定(いわゆる任意規定)に異なつた意思を表示したときは、その意思に従う旨を規定することにより、法律行為により生ずる財産権、ことに債権の内容は、第一義的には当事者の意思(慣習も関係する)、第二義的には任意規定により決せられるものとする反面、その内容が法令中の公の秩序に関する規定(いわゆる強行規定)に反する場合には、その効力が否定されることを明らかにしているが、右にいう「法令」もまた、法律及びその特別の委任に基づいて制定された他の法的規範の意であると解される。以上のごとく、公共の福祉に適合するように、財産権の内容を積極的に定める場合においても、その内容に対し各種の政策的考慮に基づく制限を定める場合においても、それらの定めは、すべて、法律自体によるか、法律の特別の委任に基づいて制定された他の法的規範によつてなされることを要するものとするのが、憲法29条2項の法意である。

[3](2) これを、条例との関係についてみるならば、憲法94条は、地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理するほか、行政を執行する権限を有し、かつ、法律の範囲内で、条例を制定することができる旨を明らかにし、また、地方自治法も、2条3項において、地方公共団体は、地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持すること、その他同項各号掲記の事務を処理することを明らかにするとともに、同14条において、法令に違反しないかぎりにおいて、右事務に関し条例を制定することができる(法令に特別の定めがあるものを除くほか、条例中に違反者に対する罰則を設けることもできる)旨を規定しており、これらの規定によれば、新憲法下、地方自治尊重の建前から、地方公共団体の自治立法権が確立されるに至つたことは、まことに検察官所論のとおりであるが、右諸規定自体によつても明らかなように、地方公共団体による条例の制定は、法律の許す範囲にかぎられ、また、法令に違反することはできないのであつて、憲法29条2項ならびにこれらに連らなる法律の諸規定の趣旨を前述のごとく解する以上は、自治立法権を強調するのあまり、検察官所論のごとく、国が法律をもつて財産権を規制しうる事項であれば、地方公共団体は条例をもつてこれを規制しうると断ずることをえないのはもちろん、地方自治法の諸規定又は前掲民法206条等に「法令」とあるのを根拠に、財産権の内容に関し条例が規制をなすことを法律が一般的に許容し又は委任しているものと解することはとうていできないのである。要するに、財産権の内容を決定し又はその内容を制限するがごとき規制を行なうことは、専ら国に保留された事務であつて、法律のみがよくこれをなしうるのであり、条例は、法律の明らかな委任に基づく場合のほかは、これをなしえないのである。

[4](3) しかしながら、ひるがえつて考えるに、財産権の内容ないしその行使は、前述のごとき政策的考慮に基づく法律の規定により制限される場合があるほか、権利そのものに内在する制限に服するものであることを忘れてはならない。すなわち、憲法上、憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民において、これを濫用してはならず、国民は、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負い(12条)国民の権利が立法その他の国政上で最大の尊重を必要とされているのも、公共の福祉に反しないかぎりにおいてであり(13条)、また、民法上も、私権は公共の福祉に遵うものであり、権利の行使は信義に従い誠実にこれを為すことを要し、権利の濫用は許されないものとされている(1条)のであるから、財産権もまた、政策的考慮に基づく諸法律の規定により制約に服するほか、権利そのものに内在する右のごとき制約に服しなければならないのである。したがつて、右制約の範囲内においては、法律をもつて、形式上は財産権の内容ないしその行使と認められる行為に対し各種の規制を行うことができるのはもちろん、同様の規制は、地方公共の秩序を維持し、住民等の安全、健康及び福祉を保持する等のため、条例をもつてもこれを行ないうるのであり、かかる条例は、上述の範囲を逸脱しないかぎり、法律の範囲内に止まるものであり、法令に違反するものではないが、右範囲を逸脱するにおいては、単に法令に違反することとなるばかりでなく、憲法29条2項ならびに94条に違反する譏を免れないのである。所論引用の各種条例も、この観点から、その合憲性が判断されるべきである。

[5](4) 以上の観点から、ため池の保全に関する本件条例が原判示のごとく憲法に違反するものであるかどうかを考えてみるに、本件条例は、ため池の破損、決かいに因る災害を未然に防止するため、ため池の管理に関し必要な事項を定めることを目的とし(1条)、何人たるとを問わず、4条に掲げる行為をすることを禁止し、右に違反した者を3万円以下の罰金に処すること(9条)等を定めているものであつて、地方自治法2条3項1号、8号(防災を行うこと)及び14条により制定されたものと解されるところ、右条例の対象とするため池は、かんがい用に供する貯水池であつて、えん堤の高さが3米以上のもの又は受益農地面積が1町歩以上のもので、原則として私人、国、地方公共団体の管理する一切のものとされているところ(2条、3条)、4条掲記の禁止行為中、1号の「ため池の余水はきの溢流水の流去に障害となる行為」及び3号の「前各号に掲げるもののほか、ため池の破損、決かいの原因となる行為」のごときは、それが所有権その他の財産権の行使として行なわれたとしても、財産権に内在する前述のごとき制約にかんがみ、とうてい正当な権利の行使とは認められないから、条例によりその行為を禁止し、違反者に対し右のごとき刑罰制裁を加えることとしても、それは法律の範囲内に止まるものであつて、法令に違反しないのはもとより、前示憲法の法条に違反するものということはできない。しかしながら、同条例4条2号に掲げる禁止、すなわち、「ため池の堤とうに竹木若しくは農作物を植え、又は建物その他の工作物(ため池の保全に必要な工作物を除く)を設置する行為」の禁止は、その対象たる堤とうが私人の管理する一切のものにも及び、その行為が財産権の行使として行なわれる一切の場合をも含み、堤とうの面積の広狭いかんを問わず、しかもその禁止の内容が土地に対する使用、収益の権能の大部分を剥奪するに等しいものである点、ならびに堤とうを構成する土地は本来他の目的のために使用すべきではないと解すべき根拠のないこと等にかんがみ、財産権に内在する制限の範囲に止まるものとはとうてい解し難いのである。もつとも、右2号の規定は、右1号及び3号の規定との対比上、同号掲記の行為のうち堤とうの破損、決かいの原因となるもののみを対象としている趣旨と解する余地もないではないが、そうであるならば、かかる行為の禁止は、右3号の規定によれば足りるのであつて、2号の規定は全く無用のものとなる。むしろ、右2号の規定の存在理由は、一に、政策的考慮から、同号掲記の行為を、その内容のいかんを問わずすべて、ため池の破損、決かいの原因となる行為とみなして(反証を許さないで)形式的,画一的に禁止している点にあると解するほかはないのであつて、このような規制は、法律の委任に基づかずしては、条例のよくなしうるところでないこと、さきに説示したところに照し明らかである。条例制定者が、防災の目的から本件条例を制定するに至つた意図は諒とされ、また、現地の実情に対する条例制定者の認識はできうるかぎり尊重すべきであるとしても、前記2号の規定の制定は、客観的にこれを観察すれば、いささか慎重を欠き、その内容において明らかに行き過ぎであると認められるのである。もし、防災の目的を全うするためには、前記3号の規定は抽象的に過ぎるので、竹木、農作物の植栽又は工作物の設置についてとくに規定を設ける必要があるというのであれば、これに伴い、取締のための具体的基準を定め、又は、たとえば、届出制を併せ採用し、届出のあつた行為がため池の破損、決かいの原因となると認められるときは、知事においてこれを差止めうることとするとともに、知事のこの処分に対しては不服申立の途を開くなどの立法措置を講じ、国民のささやかな営みをも不当に妨げることのないよう細心の配慮がなされるべきであつたと思われる。要するに、右のごとき格別の工夫を伴わない前記2号の規定は、ため池の堤とうたる土地が、財産権の対象であるかぎりにおいては、憲法29条2項及び94条に違反する無効のものと断ぜざるをえない。
[6] しこうして、本件堤とう(その面積は、6反4畝28歩に及ぶ)が、国又は地方公共団体の管理に服しない、完全な私的財産権の対象であることは原審の確定しているところであるから、右条例4条2号、9条の各規定は本件に関する限り憲法に違反する無効のものであるとして、被告人らの行為は罪とならないものとした原判決は、結局、正当であり、検察官の論旨は採用することをえない。
[7] よつて、本件上告は、その余の論旨に対し判断を為すまでもなく、その理由がないことが明らかであるから、これを棄却すべきものと思料する。

(裁判長裁判官 横田喜三郎  裁判官 河村又介  裁判官 入江俊郎  裁判官 池田克  裁判官 垂水克己  裁判官 河村大助  裁判官 下飯坂潤夫  裁判官 奥野健一  裁判官 高木常七  裁判官 石坂修一  裁判官 山田作之助  裁判官 五鬼上堅磐  裁判官 横田正俊  裁判官 斎藤朔郎)
[1] 原判決は、「被告人らはいずれも奈良県磯城郡田原本町大字唐古在住の農夫であるが、昭和29年9月24日奈良県条例第38号『ため池の保全する条例』が公布になり、同年11月1日施行と同時に、同大字水利組合所有同大字総代の管理にかかる唐古池は、同条例の適用を受けるため池となり、右池堤上の耕作は禁止となつたのに、これを知りながら、右施行の日から昭和33年10月24日まで、、被告人飯田甚太郎は右池堤内合計1反1畝2歩に茶、いも類、大豆、菜等の農作物を植え、、被告人飯田隆徳は同7畝22歩に同様の農作物を植え、、被告人松村政一は同25歩に茶、ねぎ、こんにやく等の農作物を植え、た」旨の公訴事実につき、被告人等を有罪とした第一審判決には、憲法及び地方自治法に違反するため無効である右奈良県条例を有効と解し、これを適用した誤りがあり、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるとして、これを破棄し、無罪の言渡をした。しかし、原判決には憲法の解釈に誤りがあり、その誤りが判決に影響を及ぼすものと認められるから、破棄せらるべきものと思料する。以下その理由を述べる。まず、本件の昭和29年奈良県条例第38号「ため池の保全に関する条例」について、その根拠規定及び制定理由を明らかにしておきたい。
[2] 本条例は、憲法94条、地方自治法2条2項、3項1号、14条1項によつて制定公布されたものであつて、奈良県が同条例を制定したことは左の理由によるものである。奈良県下には約13,800個のため池が存在しているが、ため池のえん堤が決潰した場合の被害は、第一審判決が例示しているように極めて甚大であつて、単に所有者の損害に止まらず、一般住民及び滞在者の生命、財産にまで多大の被害を及ぼすものであるから、奈良県においては、この災害を未然に防止して住民及び滞在者の安全と福祉を保持するため、本条例を制定公布したものである。本条例は、「かんがいの用に供する貯水池であつて、えん堤の高さが3米以上のもの又は受益農地面積が1町歩以上のもの」であるため池を対象とし(2条1項1号)、これらため池の管理に関し必要な事項を定めたものであり(1条)、同県下において本条例の適用を受けるため池は6,000個の多きに及び、いずれも前記のように規模が大きく、受益面積が広いため、もしこれらえん堤が決潰すれば前記のように被害は一般の住民及び滞在者にまで及ぶ危険が存するのである。本件のため池の唐古池は、原判決が認定しているように、その周囲の池堤地6反4畝28歩とともに、大字唐古住居の16、7名の個人所有として登記されていたが、実質上は右大字居住農家の共有(総有)に属していたもので、終戦後の農地改革の際奈良県の所有となり、更に大字唐古居住の農家に払い下げられ、登記簿上は同大字居住の松川富雄、上原武雄両名の所有名義となつているが、実質上は同大字居住農家の総有と見るべきものである。そして、右唐古池の水は、同大字の耕作地のかんがいの用に使用され、その受益地は30町歩以上に及び、その管理は、同大字の総代がこれに当つているものであつて、正に同条例が対象としているため池に該当し、しかも同ため池は、被告人等3名の所有ではなく、前記大字居住農家の総有であるから、えん堤決潰の被害は、被告人3名に止まらず直ちに同大字居住の全農家に及び、更にその災害が一般の住民や滞在者にまで及ぶことは容易に予想し得られるところである。しかして同条例はこれらため池の保全のため、4条に禁止行為を規定しており、被告人らは同条2号の「ため池の堤とうに竹木若しくは農作物を植え」に該当する行為をしたのであるが、かようにため池の堤とうに竹木や農作物を植えることを禁止する理由は、(イ)農作物を栽培する場合は、表土の流亡を激しくするとともに、耕作の繰返しにより、計画されたのり(堤体の斜面)の勾配を変える可能性があり、堤体保全に好ましくない。(ロ)深根性の植物である場合は、風による振動を堤体に伝え、堤体にきれつを生じさせるおそれがある。また、植物の枯死等により、根の跡部が水みちを形成し、水漏れの危険を生ずる。(ハ)浅根性の場合は、(ロ)の危険は少ないが、繁茂により堤体の表面にあらわれたきれつ等の発見が困難となり、堤体保全に好ましくない。という科学的根拠によるものである。しかも、元来ため池の提とうは、いわゆる耕地ではなく、雨水や渓流水を貯溜して一定の水面を確保するために設けられた築造物であつて、本件の場合、ため池、敷地ともに部落民の総有に属し、慣習として部落総代が部落役員に諮つて管理権を行使して来たものである。もとより、被告人等に持分権があるわけでなく、唯慣行的に一部部落民の耕作を認められて来たのであるが、本件条例施行後、部落総代が部落役員に諮り、堤とう本来の用法目的にかんがみ、従来行われていた、部落民の堤とう上の耕作を廃止する決議をしたのであるから、(爾後他の部落民はすべて耕作をやめた)被告人等が耕作権を有していたかどうかすら疑問とされる事案なのである。
[3] 原判決が右奈良県条例を目して憲法及び地方自治法に違反するとする理由は、「地方公共団体がため池の設置管理に関し事務処理の権限を有し、罰則を設けた条例を制定することができることは、地方自治法第2条第2項、第3項第2号、第14条第1、第5項によつて明らかである。しかるところ、右奈良県条例は、前記のとおり、第4条によつて、第2条の条件を充たす貯水池の周囲の池堤地に対する一般の権利の行使を禁止しており、かくては右土地が公有地でなく私有地である場合、その土地に対する個人の権利の内容に制限が加えられることになるのであつて、かように私有財産権の内容に規制を加えるには、それが公共のためとはいえ、法律によらなければならないことは、憲法第29条第2項に明定されているとおりであり、また条例は、法律の範囲内において、すなわち法令に違反しない限りにおいて制定されなければならないことは、憲法第94条地方自治法第14条第1項の規定によつて明らかであるから、右のように私有地である池堤地に対する個人の権利に規制を加えることは、単なる条例のよくしうるところではないといわなければならない。従つて右奈良県条例第4条は、ため池の周囲の池堤地が公有地に属するかまたは奈良県がこれに対し私法上の使用権を設定している場合に限り有効であつて、その他の場合には効力を及ぼさないと解するを相当とする。それのみならず、私有財産を公共のため用いるには、正当の補償をすべきことは、憲法第29条第3項の要請するところであり、これに基いて地方自治法第2条第3項19号は、地方公共団体が個人の動産、不動産を使用または収用するには法律の定めに従うべき旨を明かにしており、地方公共団体がかんがい排水施設としてため池を設置管理等をするために個人の土地等を使用する等をするには、土地改良法第2条、第119条、第121条、第122条等によるかまたは土地収用法第2条、第3条第5号、等68条等によるべく、これに従つて実施し、よつて生する損失を補償することによつて初めて可能であるというべきである。従つて右奈良県条例によつて、奈良県が個人の権利に属するため池及び周囲の池堤地をかんがい等の公共の用に供せしめ、右土地に対して有する個人の財産権を剥奪し、または制限する結果を生ぜしめることは、条例制定権の範囲を逸脱し、右条例のよくするところではなく、右結果を生ぜしめるには、前記各法律の規定に従つて実施することを要するといわなければならない。」というのである。
[4] すなわち原判決は、「私有財産権の内容に規制を加えるには、それが公共のためとはいえ、法律によらなければならないことは、憲法第29条第2項に明定されているとおりであり、また条例は、法律の範囲内において、すなわち法令に違反しない限りにおいて制定されなければならないことは、憲法第94条、地方自治法第14条第1項の規定によつて明らかであるから、右のように私有地である池堤地に対する個人の権利の規制を加えることは、単なる条例のよくしうるところではない」と判示しているのであつて、右憲法29条2項所定の「法律」を狭義の法律、すなわち国会の議決した法律に限定し、「単なる条例」(「単なる」とは、法律の委任にもとづかない、いわゆる独立の条例の意か)は、これに含まれないものと解しているが、これは、憲法29条2項の解釈を誤つたものである。

[5](1) 原判決は、右解釈をなす理由として、憲法29条2項に「法律でこれを定める」と明記してある点を挙げているのであるが、この故をもつて、財産権の規制は、国の「法律」に限るとする根拠とすることはできない。いうまでもなく、財産権は、「国民の権利」(基本的人権)の一つであつて、これに対しては最大の尊重を払うことが必要とされるのであるが、これを他の基本的人権、たとえば憲法21条の保障する表現の自由と比較してみると、21条には、「法律でこれを定める」云々の明文はない。しかも、憲法のこの種の保障規定において、「法律でこれを定める」云々のいわゆる「法律の留保」規定のある場合は、これのない場合に比して、その保障の程度は、むしろ弱いと考えられていることは、周知のとおりである(宮沢俊義著憲法II110頁以下法律学全集4巻参照)。しこうして、右21条の保障する表現の自由について、地方公共団体の条例をもつて、これを規制することができることは、既に最高裁判所判例の明かに認めるところである(最高裁、昭和29年11月24日大法廷判決、刑集8巻11号1866頁)。いわんや、それより保障の度がむしろ弱いと考えられる29条2項の場合に、その規定する「法律」を狭義の法律のみに限定し、地方公共団体の「条例」を含まないとする形式論理的解釈は、到底是認しえないところである。

[6](2) そもそも、地方公共団体の制定する条例(以下「条例」という)は、「憲法が特に民主主義政治組織の欠くべからざる構成として保障する地方自地の本旨に基き〔憲法92条〕、直接憲法94条により法律の範囲内において制定する権能を認められた自治立法にほかならない。従つて条例を制定する権能もその効力も、法律の認める範囲を越えることを得ないとともに、法律の範囲内に在るかぎり原則としてその効力は当然属地的に生ずるものと解すべきである。」(最高裁、昭和29年11月24日大法廷判決(刑集8巻11号1866頁))。いうまでもなく、条例の中には、法律又はこれに基く政令により委任される場合と、地方公共団体が、その公共事務、及びその他の行政事務で国の事務に属しないものに関し、法律から独立して、制定する場合とがある。前者の場合、たとえば、公衆浴場法2条のように国の法律が一定の事項を限つて「都道府県が、条例で定める」と規定している場合は、これによつて制定された条例は、法律に基き細則を定めたもので、これを憲法29条2項の場合についていえば、「法律で定める」ことの枠内の問題として、違法の問題は生じない(最高裁、昭和30年1月26日大法廷判決、刑集9巻1号89頁参照)。ところで、本件の奈良県条例は、このような法律の委任事項に関して制定されたものではなく、直接憲法の定めるところに基き、法律(国の法律)から独立して、地方自治の本旨に基き自治立法権によつて制定されたものである。もとよりそれは、法律の範囲内で(憲法94条)、制定すべきものであり、地方自治法2条1項により「法令に違反しない限り」と規定されているのであるから、その範囲を越えることができないことはいうまでもないが、その範囲内であれば、前記の公共事務及び行政事務に関し、自主的に条例を制定することが認められているのである。この種の条例は、法律の下にその細則的事項を定めるものではなく、法律から独立して直接憲法の規定に基き、法律とならんで、所管事項について制定するものと解すべきである。換言すれば、国が国会の議決により制定する法律をもつて規制することができる事項と同じ事項については、国の法令に違反しない限り、憲法の定める議事機関たる議会(93条1項)の議決により制定する条例をもつて規制しうるものと解しなければならない。すなわち国が法律をもつて財産権を規制し得る事項であれば、地方公共団体は、条例をもつて、これを規制し得るべきである。もとより基本的人権は立法その他において最大の尊重を必要とするのであるが、これを条例によつて制約することができるか否かの問題は、公共の福祉との関係において検討すべき問題であり、このことは、法律における場合とその理論においては全く同一であつて(久世公尭、総合判例研究叢書、憲法(4)法律と条例85頁)、法律と条例との間に差等はないものと考える。すなわち、法律をもつてし得る場合は、条例をもつてすることができるとともに、公共の福祉の観点から条例をもつてし得ない場合は(もちろん、条例に関する他の条件を具備している場合であるが)法律をもつてもこれをすることができないといわなければならない。思うに、現行憲法が、とくに地方自治に関する規定を設け、直接地方公共団体の自治権(自治立法権としての条例制定権を含む)を保障しているのは、旧憲法と著しく異なる特色であつて、その結果、地方公共団体は、国の下における国と同型の権力団体となり、その権能も、質的転換を見ることとなつたのである(田中二郎、行政法講義中巻94頁)。しかるに原判決が前記のように、憲法29条2項に法律で定める旨の規定があることを根拠として、個人の財産権に規制を加えることは、単なる条例のよくしうるところではないと判示したのは、右憲法の趣旨を解せず、地方自治に関する根本的理解を欠くところから生じた謬論と言うの外はない。もとより条例は、地方公共団体の区域においてのみ適用されるのであるが、その区域を越えて成立する国の定める法律との間に矛盾牴触することなく、国の法律とともに、全体としてのわが国の法秩序を形成しているのである。結局、憲法28条2項に「法律で定める」とあるのは、一方において旧憲法下における警察命令によつて財産権を制限することを禁止することを意味するとともに、他方において地方公共団体が法令に違反しない範囲において制定する条例をもつてこれを制限することを排斥する趣旨でないと解しなければならない。学説もこれを認めて曰く、「以上の限度で財産権の内容は公共の福祉に適合するように定められうるが、それには法律によることが必要である。尤も法律の委任に基いて細目を命令で定めることはさしつかえないが、旧憲法で認められていたような警察命令によつて制限することは本憲法ではもはや認められないから、現在法律以外で、独立に制限をなしうるものを求めれば、地方公共団体が法令に違反しない範囲において制定する条例があるのみである。」と。(「註解日本国憲法」568頁)
[7] なお、憲法29条所定の財産権に関しては、国民健康保険の強制加入制を定めた町国民健康保険条例の規定は、憲法29条1項所定の財産権を故なく侵害するものではないとの趣旨の最高裁大法廷判決(昭33・2・12民集12・2・190)参照。しこうして、本件奈良県条例の規制している同県内にあるため池の保全に関する事項は、冒頭に説明したとおりであつて、この事項については、法律及びこれに基く命令に規定するものが存在しないし、また右事項を国の事務に属するものと解する余地もないのであるから、奈良県がその区域内において公共の福祉に適合するよう災害防止の見地から右事項に関し条例を設け、このような規制を行い、罰則を定めても、なんら憲法29条2項、94条並びに地方自治法2条2項、3項及び14条1項、5項に違反するものでないことは、もちろんである。さらに、右と同じ立場に従つて地方公共団体が、公共の福祉のため、条例をもつて「私有財産権の内容に規制を加え」ている事例は、枚挙にいとまのない程であつて、たとえば近畿6府県の例のみをとつてみても、
一、大阪府事業場公害防止条例(昭和29年4月14日公布)が、「知事は、公害を防止するに必要な限度において、期限を指定して当該機械若しくは装置の使用停止、移転若しくは除却、当該作業の停止又は当該物品の撤去を命ずることができる」旨等を規定し(同条例第8条参照)、
二、大阪府(昭和31年12月24日公布)及び和歌山県(昭和34年10月15日公布)の青少年保護条例並びに兵庫県青少年愛護条例(昭和33年4月2日公布)が、「指定刃物類の販売の禁止」等を規定し、
三、和歌山県飼い犬取締条例(昭和32年10月9日公布)及び滋賀県飼犬管理条例(昭和33年7月1日公布)が、「犬の所有者、占有者および管理者は、その所有、占有および管理する犬をけい留しておかなければならない。」旨を規定し、
四、滋賀県琵琶湖等水上交通安全条例(昭和30年12月23日公布)が、「琵琶湖等において、船舶の航行を著しく妨げるおそれのある難破船、漂流物その他の物があるときは、その所有者又は占有者は、すみやかに除去しなければならない。」旨を規定し、
五、滋賀県普通河川等取締条例(昭和33年7月1日公布)が、普通河川等を損傷又は汚損する各種行為の禁止に関連して、個人の財産権の内容を規制する規定を設け、
六、京都市(昭和29年12月23日公布)、神戸市(昭和30年3月22日公布)、姫路市(昭和33年10月10日公布)及び尼崎市(昭和29年11月25日公布)の各騒音防止条例が、警音器の使用を規制し、或いは一定限以上の騒音を発する自動車の使用を禁止する規定を設け、
ている等である。これらがいずれも憲法29条2項に違反するものでないことは、いうまでもないことであろう。
[8] 原判決は「私有財産を公共のために用いるには、正当の補償をすべきことは、憲法第29条第3項の要請するところであるから、地方公共団体がため池を設置管理等をするために個人の土地等を使用するには、土地改良法によるか、または土地収容法によるべく、これらに従つて実施し、よつて生じる損失を補償することによつて初めて可能であるべきである。従つて右奈良県条例によつて、奈良県が個人の権利に属するため池及び周囲の池提地をかんがい等の公共の用に共せしめ、右土地に対して有する個人の財産権を剥奪し又は制限する結果を生ぜしめることは、条例制定権の範囲を逸脱し、右条例のよくするところではなく、右結果を生ぜしめるには、前記各法律の規定に従つて実施することを要するといわなければならない」旨判示している。しかしながら

[9](1) 原判決は、まず、「地方公共団体がため池を設置管理するために個人の土地等を使用するには……右条例のよくすることころではない」と判示し、本条例が、地方自治法2条3項2号に関する事項について制定されたものであることを前提としているが、本条例は冒頭に詳述したとおり、同条同項1号に関する条例と解すべきものである。すなわち本条例1条は、「この条例は、ため池の破看、決かい等に因る災害を未然に防止するため、ため池の管理に関し必要な事項を定めることを目的とする。」と規定しているが、ここにいう「管理」とは、県が自ら管理する意ではなく、所有者その他の者が「管理」する場合における保全義務を定めたものに外ならない。このことは、同条例2条2号に「管理者」としてため池の管理について権限を有する者をいうと定め、管理者に届出義務(5条)、必要措置義務(6条・8条)、報告義務及び険査を受ける義務(7条)を課しているのみならず、右5条乃至8条の規定は、国または地方公共団体が管理するため池については、適用しない旨定めている(3条)ところから見て明瞭である。このように県が県内にあるため池について、災害を未然に防止するため各種保全義務を課することは、同法2条3項1号にいう「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全・健康及び福祉を維持すること」に該当するものであつて、正しく本条例はこの1号に関する事項を規定したものと解さなければならない。然るに原判決は、本件条例1条に「ため池の管理に関し」云々とあり、地方自治法2条3項2号に「……ため池……を……管理し……」云々とあることに眩惑され、たやすく本条例は右2号に関するものと誤認した違法を犯したのである。すなわち地方自治法2条3項2号には、「公園……溜池……等を設置し若しくは管理し、又はこれらを使用する権利を規制すること」と規制し、ここに「溜池」といい「管理」といつているのであるが、本来この2号の適用のある場合は、地方公共団体(以下県という)が自ら設置したこれらの施設を「管理」する場合その他県自身が管理する場合を指称するのであつて、本条例のように県が単に他の者の管理する施設についてその保全に関し必要な事項を定めることは、同号にいわゆる「管理」に該当しないと解すべきである。また、「これらを使用する権利を規制すること」とあるのは、県が自ら設置、管理する溜池等の使用に関するものであることも、明文上疑を容れない。もちろん、同条3項は、同条2項の事務の例示であるから、その1号、2号ともに結局同条2項に基く県の事務であつて、右1号と2号とを混同誤用しても、条例の基本的効力には影響がないものではあるが、しかし本件の場合、原判決はこの誤りの結果本条例をもつて県がため池を設置管理するため、個人の権利に規制を加えるものとなししかも正当な補償を与えることのない点を捕えて憲法その他の法律に違反すると判示するに至つたもので、右の誤認は、判決に直接影響を及ぼすものといわなければならない。そもそも憲法29条1項によつて保障される財産権は、公共の福祉に適合するように法律(法律と同一性質の条例を含む)を以つて一般的に加えられる合理的な制約に服することを当然の前提としているところであり、財産権に対する右のような合理的制約に対しては同条3項に基く補償はこれを必要とする限りでないものである(前掲宮沢俊義著憲法II329頁、法律学全集4巻参照)。すなわち民法206条は、所有者は「法律ノ制限内ニ於テ」自由にその所有物の使用、収益、処分をする権利を有することを規定していて、所有権は当然に法令による合理的な制限を内包し、その制限内に於てのみ認められるものなのである。さらに行政法上「負担制限」と称せられる場合、すなわち公益上必要な特定の事業のために或る権利に制限が課せられる場合について考えると、この制限は、不作為の義務(本条例4条がこれに当る)、施設の義務(本条例6条はこれに当るか)及び受忍の義務(本条例7条がこれに当る)を内容とするものとされているが、この制限に基く損失については、原則として補償は認められないのである。けだしこれらの制限の内容は、公益上必要な事業に支障を及ぼすべき行為の一般的禁止又は制限であり、そして公益上必要な事業に対し支障を及ぼす行為をなさないことは、すべての権利とくに財産権に当然に存在する制約と考えられるためである(柳瀬良幹著「公共負担法」120頁・法律学全集14巻)。右は専ら公益事業に関して論ぜられたところであるが、この理は、災害防止等公共の安全福祉のために必要な一般的禁止又は制限についても妥当するものであり、同様に論ずべきものである。しこうして、本件奈良県条例は、前述のとおり、地方自治法2条3項1号にいう「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持する」必要上、ため池による災害を防止するため、一定規模以上のため池の管理者その他の者に対し、一般的にその保全に関して一定の義務を規定したものであつて、ことに罰則を設けて禁止した行為は、その4条の1乃至3号に列挙するところであり、とくに本件で具体的に問題となつたその2号は、ため池の堤とうに竹木若しくは農作物を植える行為を禁止したものであつて、この行為は、前述したとおり、確たる科学的根拠に基き堤とうの保全に支障ありと認められるものであるのみならず、これから期待される収益のごときは、ため池のえん堤決潰による被害の重大性とは到底比較にならない程度のものである。この程度の保全上の義務は、いやしくも一定規模以上のため池の所有者として当然遵守すべき義務であり、ため池の所有権に当然内在する合理的な制約に外ならないと解すべく、従つてこの場合補償の問題は生じないと解さなければならない。しかるに原判決は、本条例が地方自治法2条3項2号に関するものであると誤認したことに基因し、右の明白な事理を看過し、本条例に基く規制に対し補償を必要とするものと解する誤りに陥つたのである。

[10](2) のみならず原判決は地方公共団体がため池を設置管理するために「個人の土地等を使用する」ことは、条例制定権の範囲を逸脱する旨判示しているのであるが、本条例は既に詳述したとおり、ため池による災害防止のためその管理者等に対し保全に関し義務を規定したものであつて、個人の土地等を使用することを規定したものではないのである。いうまでもなく憲法29条3項は、「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる。」と規定しているのであつて、「公共のために用いる」場合でなければ補障の問題は、生ずる由がないのである。ここに「公共のために用いる」とは、普通の公用徴収や公用使用の場合のように当該目的物を公共のために用いる場合を始め、これを他に譲渡するような場合或は一般に解放してその利用に供する場合等を指すものであるが、いずれにしてもこれを公共のために用いることが必要であることはいうまでもない。原判決の引用する土地改良法或は土地収用法は、いずれも右の意味において土地を「用いる」場合の規定であり、或は一般私有地を県立公園に指定して公法上の制限を加える場合(法務総裁意見年報昭和24年度2巻10頁以下)、または、ため池についても、たとえばその池堤地を公道の敷地に使用する場合等は、この場合に当ると思料されるが、本件条例は、単にため池の管理者その他の者一般に対し、それを保全するため、堤とうに支障を及ぼすような行為を禁止又は制限したのみであつて、いまだ県が自からこれを使用するのでないことはもちろん、一般県民に解放使用されるのでもないのであるから、これを「公共のために用いる」と解することは到底不可能である。従つて憲法29条3項の補償すべき場合に該当するものではない。しかるに原判決を、本件条例をもつてため池を設置管理するために「個人の土地等を使用する」ことを定めたものて曲解し、土地改良法または土地収容法に従つて実施し、よつて生ずる損失を補償すべきものと断定し、ことことに出でざる本条例を憲法29条3項に違反するものと判示したのは、明らかに憲法の当該規定の解釈適用を誤つたものといわなければならない。

[11] 以上詳論したとおり、原判決は、憲法29条2項及び3項の解釈を誤つたものであり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れないと信ずる。

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