奈良県ため池条例事件
第一審判決

ため池の保全に関する条例違反被告事件
葛城簡易裁判所
昭和35年10月4日 判決

被告人 飯田甚太郎 外2名

■ 主 文
■ 理 由


 被告人飯田甚太郎を罰金1万2千円
 被告人飯田隆徳を罰金7000円
 被告人松村政一を罰金3000円
に各処する
 被告人等に於て右罰金を完納することが出来ないときは金200円を1日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する
 訴訟費用は3分してその1ずつを各被告人の負担とする

 被告人等は孰れも奈良県磯城郡田原本町大字唐古在住の農夫であるが昭和29年9月24日奈良県条例第38号「ため池の保全に関する条例」が公布となり同年11月1日同条例施行と同時に右大字唐古在住の農民の総有に属し同大字総代の管理に係る唐古池は同条例の適用を受けるため池となり爾来唐古池堤塘の耕作が禁止行為になつたところこれを知りながら、
第一、被告人飯田甚太郎は前記条例施行の日より昭和33年10月24日までの間擅に右唐古池堤塘面北西隅約211歩同面西側北寄地点20歩同面南側東寄地点5畝10歩同面東側南寄地点4畝11歩合計1反1畝2歩を農耕し季節に応じこれに茶、芋類、大豆、野菜類の農作物を植え、
第二、被告人飯田隆徳は前記条例施行の日より昭和33年10月24日までの間擅に右唐古池堤塘面北側西寄地点1畝7歩同面南側西寄地点3畝26歩同面東側中央稍々南寄地点2畝19歩合計7畝22歩を農耕し季節に応じこれに茶、芋類、大豆、野菜類等の農作物を植え、
第三、被告人松村政一は前記条例施行の日より昭和33年10月24日までの間擅に右唐古池堤塘面東側南寄地点25歩を農耕し季節に応じこれに茶、ねぎ、こんにやく玉等の農作物を植え、
たものである。
 奈良県条例第38号ため池の保全に関する条例第4条第2号第9条 刑法第18条 刑事訴訟法第181条第1項本文
[1]、弁護人は昭和29年9月24日奈良県条例第38号ため池の保全に関する条例は既存の権利者の権利を無償で剥奪するもので憲法第29条第1項第3項に違反する旨主張するのでその点について判断する。
[2] 右条例は第4条に於てため池の堤塘に竹木、若しくは農作物を植え又は建物その他工作物(ため池の保全上必要なる工作物を除く)を設置する行為を禁じ第9条に於てこれに違反した者は3万円以下の罰金に処する旨規定している反面右堤塘の竹木等設置禁止について何等の補償の規定も存じないこと並に鑑定人洞田則久作成の鑑定書によれば堤塘上の被告人等所有の茶、桃、竹、蔬菜類の価額は合計24,000円であることが認められるが前掲各証拠によれば溜池はその底面が水田の表面と等高か若しくはその以上でなければならないところから塘を築くのであるがもし堤塘が決潰した場合その被害は甚大である即ち溜池の決潰による被害は昭和26年に京都の平和池の決潰で死者約150名昭和27年に大阪の鳥取池の決潰で全村全滅、昭和28年の京都の大正池の決潰で死者百名以上に達し、奈良県下でも昭和28年にニゴリ池の決潰と奈良市内の御陵池の決潰があり全国的に溜池の決潰は昭和25年より昭和29年迄に計約4229個所被害額は約270億円にのぼり溜池の決潰により流失した水が河川に流入して河川の決潰を誘発し二次被害を起した例として昭和30年7月福島県下に河川50個所が決潰しその被害も3億4千万円に達していること次に堤塘の決潰の第一の原因は漏水であり堤塘上に生立する植物の毛根の腐触、大木の老朽、虫害、道路の新設による堤塘の接触点の弱体化が漏水を生じそれがもとで堤塘の決潰を起し前記の如き災害の原因となること奈良県下に於ても溜池は約13800個存し、その内本件条例の適用を受けるものは6000個に及びその殆んどが土堤塘で本件唐古池についても昭和25年、26年の間に約4ケ所程堤塘に漏水が生じ被告人の堤塘上の耕作地を潰して応急手当をしたことがあることが認められる。
[3] そうすると元来堤塘というものは耕作するものではなく耕地を涵養し水田の豊饒をきたす目的で雨水や渓流の水を貯溜し一定の水面を確保する為に設けられた築造物でこれを耕作することは堤塘の決潰をきたし危険でたとえこれまで堤塘上に耕作を続けて来たとしても耕作者に於て耕作権を有するものではなく事実上危険な耕作を黙認されてきたものに過ぎなく溜池並に堤塘が私人の所有であつたからといつて堤塘上を強いて耕作することは所有権の濫用に属するものである、そこで本件条例も第1条にこの条例は溜池の破損、決潰等に因る災害を未然に防止するため、溜池の管理に関し必要な事項を定めることを目的とすると第4条第3号に於て前各号に掲げるものの外溜池の破損決潰の原因となる行為を禁止する旨規定しているのであつて本件条例に於て溜池の破損、決潰による災害を未然に防止するため堤塘上に竹木、農作物を植えることを禁じたからというて憲法第29条第1項に違反するものとはいえず又堤塘上に現に耕作していた者に以後の耕作を禁じ原状に復することを求めるにつきこれが補償する規定を存しなくとも憲法第29条第3項に違反するものとも認めることは出来ないよつて本件条例は合憲である。

[4]、そこで次に弁護人は本件条例は本件唐古池には適用がない旨主張するが受益面積が1町歩以上の田地を潤す溜池は水量も多く決潰すればその被害が甚大であることは山間部であると平地であるとに変りはなく前掲各証拠によれば本件唐古池は受益面積が約32町歩以上であることが認められるから本件唐古池は本件条例の適用を受けるものと解する。

[5]、次に弁護人は本件条例は昭和29年11月1日以降の行為に付いてのみ適用がありそれ以前に植栽した茶、桃、竹等を所有する被告人等の行為には適用がない旨主張するが前記認定の通り堤塘上を耕作することは堤塘の漏水の原因となり、しいては堤塘の決潰をきたすことから本件条例に於て堤塘上の耕作を禁止したものであつて本件条例の施行された昭和29年11月1日以前から堤塘上を耕作していた者が同日以前にこれが耕作を止めた場合は本件条例の適用しないことは勿論なるも昭和29年11月1日以降も引続き堤塘上を耕作しこれが決潰の危険を生ぜしめた者に対しては本件条例の適用はみるものと解する。

[6] 以上のとおり弁護人の主張は全て採用しない。
[7] よつて主文のとおり判決する。

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