奈良県ため池条例事件
控訴審判決

ため池の保全に関する条例違反被告事件
大阪高等裁判所 昭和35年(う)1919号
昭和36年7月13日 刑事第1部 判決

■ 主 文
■ 理 由


 原判決を破棄する。
 被告人らはいずれも無罪


[1] 本件控訴趣意は記録にある弁護人島秀一作成の控訴趣意書記載のとおりで、これに対する検察官の意見は検察官鈴木知治郎作成の答弁書記載のとおりであるからいずれもこれを引用する。

[2] 本件奈良県条例第38号「ため池の保全に関する条例」は、その第2条において、かんがいの用に供する貯水池であつて、えん堤の高さが3メートル以上のもの又は受益地の面積が1町歩以上のものをため池とし、その第1条においてため池の破損決かい等に因る災害を未然に防止するために、その管理に関し必要な事項を定めることを目的としたものであることを明らかにし、第4条として、ため池の堤とうに竹木若しくは農作物を植え又は建物その他の工作物(ため池の保全上必要な工作物を除く)を設置する行為等を列記して禁止することを定め、第9条において第4条に違反した者を30,000円以下の罰金に処する旨を規定している。地方公共団体が、ため池の設置管理等に関し事務処理の権限を有し、罰則を設けた条例を制定することができることは、地方自治法第2条第2項、第3項第2号、第14条第1項、第5項によつて明らかである。しかるところ右奈良県条例は、前記のとおり第4条によつて、第2条の条件を充す貯水池の周囲の池堤地に対する一般の権利の行使を禁止しており、かくては右土地が公有地でなく私有地である場合、その土地に対する個人の権利の内容に制限が加えられることになるのであつて、かように私有財産権の内容に規制を加えるには、それが公共のためとはいえ、法律によらなければならないことは、憲法第29条第2項に明定されているとおりであり、又条例は法律の範囲内においてすなわち法令に違反しない限りにおいて制定されなければならないことは、憲法第94条地方自治法第14条第1項の規定によつて明らかであるから、右のように私有地である池堤地に対する個人の権利に規制を加えることは単なる条例のよくしうるところではないといわなければならない。従つて右奈良県条例第4条は、ため池の周囲の池堤地が公有地に属するか又は奈良県がこれに対し私法上の使用権を設定している場合に限り有効であつて、その他の場合には効力を及ぼさないと解するを相当とする。それのみならず、私有財産を公共のために用いるには、正当な補償をすべきことは、憲法第29条第3項の要請するところであり、これに基いて地方自治法第2条第3項第19号は、地方公共団体が個人の動産不動産を使用又は収用するには法律の定めに従うべき旨を明らかにしており、地方公共団体が、かんがい排水施設としてため池を設置管理等をするために個人の土地等を使用する等をするには、土地改良法第2条、第119条、第121条、第122条等によるか又は土地収用法第2条、第3条第5号、第68条等によるべく、これらに従つて実施し、よつて生ずる損失を補償することによつて初めて可能であるというべきである。従つて右奈良県条例によつて、奈良県が個人の権利に属するため池及び周囲の池堤地をかんがい等の公共の用に供せしめ、右土地に対して有する個人の財産権を剥奪し又は制限する結果を生ぜしめることは、条例制定権の範囲を逸脱し、右条例のよくするところではなく、右結果を生ぜしめるには、前記各法律の規定に従つて実施することを要するといわなければならない。
[3] 記録によると、奈良県磯城郡田原本町大字唐古所在の唐古池と称するため池は、その周囲の池堤地6反4畝28歩とともに大字唐古居住の16、7名の個人所有として登記されていたが、実質上は右大字居住農家の共有に属していたもので、終戦後の農地改革の際、奈良県の所有となり、更に大字唐古居住の農家に払い下げられ、登記簿上は同大字居住の松川富雄、上島武雄、両名の所有名義となつているが、実質上は同大字居住農家の共有ないし総有と見るべきもので、右唐古池の水は同大字の耕作地のかんがいの用に使用されその受益地は30町歩以上に及びその管理は同大字の総代がこれに当り、周囲の池堤地は、同大字居住者約27名において父祖の代から引続いて竹、果樹、茶の木その他農作物の栽培に使用し、被告人らもまた同様であつたが、右条例施行により、被告人らを除く他の者は任意栽培を中止したことが認められる。被告人らの右池堤地の使用は、右土地に対する所有権の行使によるのであることは以上によつて明らかであるから、奈良県が右唐古池を前記条例第1条の目的のために管理するについて、右池堤地に対する被告人らの権利の行使を強制的に制限又は停止するには、土地収用法又は土地改良法の規定に従つてこれをなし、且つ被告人らの受くべき損失を補償することを要するのであつて、これなくしては、被告人らの右土地における農作物等の栽培を差止めることはできないのである。しかるに奈良県が右条例施行に当つて、右法律の規定に従つて補償を与えた形跡は記録上存しない。右条例は昭和29年9月24日公布され、同年11月1日から施行されたもので、本件唐古池が右条例の適用を受けるため池に該当することは上記によつて明らかであるが、右地上に所有権その他の権利を有し、これに基いて右土地を使用し、右地上に果樹、茶の木その他農作物を栽培する者に対しては、右条例第4条及び第9条の効力は及ばないと解するを相当とする。以上により被告人らがいずれも右条例施行後昭和33年10月24日まで右池堤内地上に農作物を植えたのは、右条例第4条第2号に違反し同第9条に該当するとして、被告人らを有罪とした原判決は法令の解釈適用を誤つたものというほかはなく、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、他の論点に関する判断をするまでもなく破棄を免れない。

[4] よつて刑事訴訟法第397条、第380条、第400条但書に従つて原判決を破棄し、更に裁判をする。
[5] 本件公訴事実の要旨は「被告人らはいずれも奈良県磯城郡田原本町大字唐古在住の農夫であるが、昭和29年9月24日奈良県条例第38号「ため池の保全に関する条例」が公布になり同年11月1日施行と同時に、同大字水利組合所有同大字総代の管理にかかる唐古池は、同条例の適用を受けるため池となり、右池堤地上の耕作は禁止となつたのに、これを知りながら右施行の日から昭和33年10月24日まで
一、被告人飯田甚太郎は右池堤内合計1反1畝2歩に茶、いも類、大豆、菜等の農作物を植え
二、被告人飯田隆徳は同7畝22歩に同様の農作物を植え
三、被告人村松政一は同25歩に茶、ねぎ、こんにやく等の農作物を植え
た」というのであるが、各行為が罪とならないことは前記のとおりであるから、刑事訴訟法第336条により無罪の言渡をする。

  (裁判長裁判官 松村寿伝夫  裁判官 小川武夫 柳田俊雄)

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