同性婚訴訟(大阪)
第一審判決

損害賠償請求事件
大阪地方裁判所 平成31年(ワ)第1258号
令和4年6月20日 第11民事部 判決

口頭弁論終結日 令和4年2月21日

■ 主 文
■ 事 実 及び 理 由

■ 争点に対する当事者の主張の要旨


1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は、原告らの負担とする。

 被告は、原告らに対し、各100万円及びこれに対する平成31年3月4日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
[1] 本件は、同性の者との婚姻届を提出したが、両者が同性であることを理由に不受理とされた原告らが、同性間の婚姻を認めていない民法及び戸籍法の規定は、憲法24条、13条、14条1項に違反するにもかかわらず、被告が必要な立法措置を講じていないことが国家賠償法1条1項の適用上違法である旨を主張して、被告に対し、慰謝料各100万円及びこれに対する訴状送達の日である平成31年3月4日から支払済みまで民法(平成29年法律第44号による改正前のもの)所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
[2] 当事者間に争いがない事実並びに後掲証拠(なお、証拠について枝番号を省略したものは枝番号を全て含む趣旨である。以下同じ。)及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実は、次のとおりである。

(1) 性的指向
[3] 性的指向とは、人が情緒的、感情的、性的な意味で、人に対して魅力を感じることであり、このような恋愛、性愛の対象が異性に対して向くことが異性愛、同性に対して向くことが同性愛である(以下、性的指向が異性愛である者を「異性愛者」、性的指向が同性愛である者を「同性愛者」という。)。これに対し、性自認とは、自分の性をどのように認識しているかであるところ、性自認の性(心の性)が生物学上の性と一致する場合もあれば、一致しない場合もあり、性自認と生物学上の性が一致しない者をトランスジェンダーという。女性の同性愛者(レズビアン)、男性の同性愛者(ゲイ)、同性愛と異性愛の双方の性的指向を有する者(バイセクシャル)及びトランスジェンダーの性的少数者を総称してLGBTという。
[4] 我が国における異性愛以外の性的指向を持つ者の人口は明らかではないが、LGBTに該当する人については、平成27年4月当時において全国の20歳~59歳の約7万人を対象とした調査で7.6%、平成28年5月当時において上記年代の約10万人を対象とした調査で約5.9%、同年6月当時において全国の20歳~59歳の有職の男女の約1000人を対象とした調査で8%とする調査結果等がある(甲A567)。

(2) 原告らの関係等
[5] 原告1及び原告2は、いずれも男性であり、同性愛者である。
[6] 原告1及び原告2は、平成31年2月、居住地において婚姻届を提出したが、両者が同性であることを理由に不受理とされた。
[7] 原告3及び原告4は、いずれも女性であり、同性愛者である。
[8] 原告4は、アメリカ合衆国(以下「米国」という。)の国籍を有しており、原告3及び原告4は、平成27年8月、米国オレゴン州において婚姻し(甲C3)、平成31年1月、日本の居住地においても婚姻届を提出したが、両者が同性であることを理由に不受理とされた。
[9] 原告5及び原告6は、いずれも男性であり、同性愛者である。
[10] 原告5及び原告6は、平成31年2月、居住地において婚姻届を提出したが、両者が同性であることを理由に不受理とされた。
[11](1) 民法739条1項は、婚姻は、戸籍法の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずるとし、戸籍法74条1号は、婚姻をしようとする者は、夫婦が称する氏を届け出なければならない旨規定する(以下、民法の規定については、昭和22年法律第222号による改正後の民法の家族法部分の規定を総称して「現行民法」、同改正前の民法の家族法部分の規定を総称して「明治民法」、同改正のことを「昭和22年民法改正」という。また、原告らが主張する、同性間の婚姻を認めていない民法第4編第2章及び戸籍法の諸規定を「本件諸規定」という。)。

[12](2) 戸籍法では、婚姻の届出があったときは、夫婦について新戸籍を編製し(同法16条1項本文)、当該戸籍には、戸籍内の各人について、夫又は妻である旨が記載され(同法3条6号)、子が出生した場合にはこれを届け出なければならず(同法49条1項)、子は親の戸籍に入ることとされており(同法18条)、戸籍の正本は市役所等に備え置くこととされて公証されている(同法8条2項)。
[13] また、民法には「婚姻」の章が設けられ(同法731条以下)、婚姻の成立要件等の規定や、婚姻の効果として、氏の統一(同法750条)、夫婦相互の同居、協力及び扶助の義務(同法752条)が、夫婦の財産に関しては、婚姻費用の分担(同法760条)や夫婦の財産の帰属(同法762条)が、離婚に関しては、財産分与(同法768条)等が規定され、他の章にも、夫婦の子についての嫡出の推定(同法772条1項)、親権に関する規定(同法818条以下)、配偶者の相続権(同法890条)等婚姻の重要な法律上の効果に関する規定が置かれている。
[14] 本件の争点は次のとおりであり、争点に対する当事者の主張の要旨は、別紙2のとおりである。 (1) 本件諸規定が憲法24条、13条、14条1項に違反するか。
(2) 本件諸規定を改廃しないことが国家賠償法1条1項の適用上違法であるか。
(3) 原告らの損害、損害額
(4) 原告4につき、国家賠償法6条所定の相互保証があるか。
[15] 後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1) 性的指向及び同性愛等に関する知見
ア 性的指向及び同性愛に関する現在の知見
[16] 性的指向が決定される原因、又は同性愛となる原因は解明されておらず、遺伝的要因、生育環境等複数の要因が組み合わさって作用している可能性が指摘されている。しかし,精神衛生(メンタルヘルス)に関わる大部分の専門家団体は、ほとんどの場合、性的指向は、人生の初期か出生前に決定され、選択するものではないとしており、心理学における主たる見解も、性的指向は、意思で選ぶものでも、意思により変えられるものでもないとしている。精神医学においても、同性愛者の中には性行動を変える者がいるものの、それは性的指向を変化させたわけではなく行動を変えたにすぎず、自己の意思や精神医学的な療法によっても性的指向が変わることはないとされている。(甲A2、7、322、324)
イ 欧米諸国における同性愛に関する知見の変遷
(ア) 中世~19世紀末頃における知見
[17] 欧州や米国では、中世においては、キリスト教の影響により、同性愛を否定する考え方が確立されていたが、19世紀末頃から、自らを同性愛者と考える者の存在が表面化するようになると、ドイツ、米国、英国では、同性間の性行為が刑法上の犯罪として取り締まられるようになった。また、この頃から、同性愛は精神的病理として医療の対象としても扱われるようになっていった。(甲A24、163)
(イ) 20世紀初頭~1973年(昭和48年)頃までの知見
[18] 米国精神医学会が、1952年(昭和27年)に刊行した「精神障害のための診断と統計の手引き第1版(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders〔DSM-<1>〕)」及び1968年(昭和43年)に刊行した同第2版(DSM-<2>)においては、同性愛は、病理的セクシュアリティーを伴う精神病質人格又は人格障害とされていた(甲A48、161)。
[19] また、世界保健機関が公表した疾病及び関連保健問題の国際統計分類(International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems〔ICD〕。以下「国際疾病分類」という。)においても、1992年(平成4年)に改訂第10版(ICD-10)が公表されるまでの改訂第9版(ICD-9)以前においては、同性愛は性的偏倚と性的障害の項目に位置付けられていた(甲A29、30)。
(ウ) 1973年(昭和48年)頃以降における知見の変化
[20] 米国精神医学会は、1973年(昭和48年)、同学会の精神障害の分類から同性愛を除外する決議を行い、1975年(昭和50年)には、米国心理学会も、上記米国精神医学会の決議を支持し、同性愛それ自体では、判断力、安定性、信頼性、一般的な社会的能力ないし職業遂行における障害を意味しないとの決議を採択した(甲A1)。
[21] 米国精神医学会は、1980年(昭和55年)に刊行した「精神障害のための診断と統計の手引き第3版(DSM-<3>)」において、同性愛は、自我異和的同性愛、すなわち同性愛者である患者自身が、同性に性的興奮を感じる状態を望まず、その状態が苦痛で、変わりたい旨を訴える場合にのみ精神疾患に当たるものと改訂したが、これも1987年(昭和62年)に刊行された第3版の改訂版(DSM-<3>-R)においては削除され、同性愛は精神疾患とはみなされなくなった(甲A27、28、48、161、164)。
[22] 世界保健機関は、1992年(平成4年)、同性愛を疾病分類から削除した国際疾病分類改訂第10版(ICD-10)を発表した。世界保健機関は、併せて、同性愛はいかなる意味でも治療の対象とならない旨宣明した。(甲A30、48、161、164)
ウ 我が国における同性愛に関する知見の変遷
(ア) 近代以前
[23] 我が国でも、近代以前から、同性間の親密な関係は存在していたが、キリスト教の影響をほとんど受けていなかった我が国では、このような関係が特段否定されたり禁止されたりする状況にはなく、特に男性間の関係については、男色、衆道などと呼ばれて種々の文学作品の題材になるなどしていた(甲A163、365)。
(イ) 明治期における知見(19世紀末頃以降)
[24] 明治20年代になり、西欧文明の導入や近代化が進む中、我が国においても、同性愛は健康者と精神病者との中間にある変質狂の一つである色情感覚異常又は先天性の疾病であるという知見が紹介されるようになった。色情感覚異常の著明な症状は、色情倒錯又は同性的色情であり、男子が年少の男子に対して色情を持ち、「鶏姦」(男性間の性的行為)をすることや、女子が女子を愛することなどは変質徴候の第1とされていた。このような色情感覚異常者に対する治療法として、催眠術を施すほか、臭素剤を投与する、身体的労働をさせる、冷水浴をさせる、境遇を変化させることなどが行われていた。(乙25、26)
[25] また、青年期における同性愛は、愛情に対する欲求が極めて強いために起こることであり、ある程度を越えなければ心配する必要はないが、同性の者同士が愛情を深め、不純な同性愛に向くこともあり、このような場合には注意すべきことであって、絶対に禁止すべきものとされていた(乙27)。
[26] なお、明治5年に制定された条例により男性間の性行為が犯罪とされ、その翌年には、刑法266条に鶏姦罪が新たに規定されたが、明治15年には旧刑法(明治13年太政官布告第36号)の施行に伴い廃止された(甲A24、366)。
(ウ) 戦後初期(昭和20年頃)から昭和50年頃までの間における知見
[27] 戦後初期においても、鶏姦と女子相姦は、変態性欲の一つとされ、陰部暴露症などと並んで精神異常者や色欲倒錯者に多くみられるものとされた。
[28] 心理学の分野においても、同性愛は、民族や階級等にかかわらず存在する、性欲の質的異常とされていた。同性愛は、異性愛への心理的成熟以前に、精神的又は肉体的な同性愛を経験し、それが定着した場合に生ずることがあるとされ、その後、異性愛者となり、健康な結婚生活を営むことができるようになる場合が一般的ではあるものの、外的要因によって同性愛が病的に定着してしまうことがあり、それは一般の健康な親愛とは違って、性的不適応の一種であるとされた。そのように病的に同性愛が定着してしまった場合の心理療法として、自己観察や異性愛が抑圧されている原因の探求などを行うものとされ、異性愛に対する障害を取り去ることが根本的対策であるともされていた。(以上につき、甲A147~151)
(エ) 昭和50年頃以降における知見の変化
[29]a 昭和56年頃になると、前記イ(ウ)の欧米諸国の状況を受け、我が国においても、精神医学の分野で、同性愛は、当事者が普通に社会生活を送っている限り精神医学的に問題にすべきものではなく、当事者が精神的苦痛を訴えるときにだけ治療の対象とすれば足りるとの知見が紹介され、平成7年には、日本精神神経学会は、市民団体からの求めに応じて、「ICD-10に準拠し、同性への性的指向それ自体を精神障害とみなさない」との見解を示し、その後、同性愛は精神疾患とはみなされなくなった(甲A48、162、164)。
[30]b 教育領域においては、昭和54年1月に当時の文部省が発行した中学校、高等学校の生徒指導のための資料である「生徒の問題行動に関する基礎資料」に、性非行の中の倒錯型性非行として同性愛が示されており、正常な異性愛が何らかの原因によって異性への嫌悪感となり得ること、年齢が長ずるに従い正常な異性愛に戻る場合が多いが成人後まで続くこともあること、一般的に健全な異性愛の発達を阻害するおそれがあり、また社会的にも健全な社会道徳に反し、性の秩序を乱す行為となり得るもので、現代社会にあっても是認されるものではないことなどが示されていた(甲A26)。
[31] しかし、昭和61年に当時の文部省が発行した「生徒指導における性に関する指導」では、同性愛に関する記載が見られなくなった(甲A163、弁論の全趣旨)。

(2) 婚姻制度について
ア 欧米諸国における婚姻制度
[32] 人類は、歴史的に、男女が性的結合関係を営み、種の保存を図ってきたところ、このような男女の結合関係を、国家や宗教等の規範によって統制するものとして婚姻制度が生まれた。中世の欧米では、主に教会からの統制による宗教婚が行われていたが、次第に、国家が法律(民法)によって成立要件を定めて婚姻当事者に一定の権利義務等を発生させる法律婚制度が台頭するようになり、18世紀になると、欧米の多くの国で、男女から成る当事者の意思の合致に基づく婚姻に一定の要件の下で国家等が承認を与える近代的婚姻制度が採用され、確立されていった。なお、当時は同性愛が否定されていたことから、これらの婚姻は当然に男女間のものとされていたが、後記(3)のとおり、2000年(平成12年)以降は、オランダを始めとして同性間の婚姻を認める国が現れるようになっている。(甲A174、乙2)
イ 我が国における婚姻制度
(ア) 明治民法(明治31年7月16日施行)における婚姻制度
a 起草段階
[33] 明治民法が制定される以前から、我が国においても、一男一女が儀式等をして夫婦として共同生活を送る慣習としての婚姻は存在し、人生における重要な出来事とされていたが、明治維新後、このような慣習による婚姻を近代的な法律婚制度として確立するため、民法の家族法部分の起草作業が行われた。起草に当たっては、フランス民法、イタリア民法など8か国の外国法が参照されたが、従来の我が国における慣習を直ちに改めるのではなく、慣習を踏襲しつつも、慣習をそのまま認めれば弊害となる事項や慣習からは明らかでない事項について法により規律するものとして制定されることとなった。(乙3)
[34] 同性間の婚姻に関しては、当時の外国法には同性間の婚姻を明示的に禁止するものもみられたが、明治民法においては、婚姻が男女で行われることは当然のことで、同性間で婚姻をすることができないことは「言ハスシテ明カ」等とされ、特に禁止する旨の規定は置かれないこととなった(甲A206、214、乙11)。
[35] また、生殖能力を持たない男女の婚姻の可否についても起草段階から議論されたが、婚姻の性質について、男女が種族を永続させるとともに、人生の苦難を共有して共同生活を送ることにあると解し、生殖能力を持たない男女は、婚姻の目的を達し得ないから、婚姻の条件を欠き婚姻し得ないとの見解と、男女が種族を永続させることを婚姻の性質に含めることは、老齢等の理由により子をつくることができない夫婦がいることを説明できない、婚姻の本質は両者の和合にあり、生殖能力は婚姻に必要不可欠の条件ではないとの見解がある中、最終的には、婚姻とは男女が夫婦の共同生活を送ることであり、必ずしも子を得ることを目的とせず、又は子を残すことのみが目的ではないとされて、老年者や生殖不能な者の婚姻も有効に成立することとされた(甲A213、218、219、乙4)。
b 明治民法における婚姻制度
[36] 明治民法においては、婚姻は、特定の儀式を不要とし、国家に対する届出によって成立する法律婚として整備された。しかし、そこでは、従来の家を中心とする家族主義の観念を踏襲し、家長である戸主に家を統率するための戸主権を与え、婚姻は家のためのものであるとして戸主や親の同意が要件とされ、当事者間の合意のみによってはできないものとされた上、夫の妻に対する優位が認められていた。なお、このような明治民法における婚姻は、終生の共同生活を目的とする、男女の、道徳上及び風俗上の要求に合致した結合関係であり、又は、異性間の結合によって定まった男女間の生存結合を法律によって公認したものであると考えられており、婚姻が男女間におけるものであることは当然のこととされていた。したがって、同性間の婚姻を禁じる規定は置かれていないものの、同性間の婚姻は、婚姻意思を欠き、無効な婚姻であるものと解されていた。なお、立法当時において、立法担当者らの間で同性愛が精神障害に当たることが特に議論されたことはうかがわれない。(甲A19、206、207、541、542、乙3~5)
(イ) 憲法(日本国憲法)の制定(昭和22年5月3日施行)
[37] 第二次世界大戦後の昭和22年、我が国では、大日本帝国憲法(明治23年施行)を改正する形で、現行の憲法(日本国憲法)が制定された。大日本帝国憲法は、家族に関する規定を置かず、家族制度の設計を法律に委ねていたのに対し、新たに制定される憲法では、13条及び14条において、全て国民は個人として尊重され、法の下に平等であって、性別その他により経済的又は社会的関係において差別されないことを明らかにし、24条において、婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により維持されなければならないこと、及び配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならないことを宣言した。
[38] 憲法24条1項の起草過程において、GHQ民生局のベアテ・シロタ・ゴードンの起草に係る草案では、「家族ハ人類社会ノ基底ニシテ其ノ伝統ハ善カレ悪シカレ国民ニ浸透ス婚姻ハ男女両性ノ法律上及社会上ノ争フ可カラサル平等(英語の原案では「undisputed legal and social equality of both sexes」)ノ上ニ存シ両親ノ強要ノ代リニ相互同意ノ上ニ基礎ツケラレ且男性支配ノ代リニ協力ニ依リ維持セラルヘシ・・・」という文言があり、日本側がこれを基に整えた憲法改正草案要綱にも「婚姻ハ男女相互ノ合意ニ基キテノミ成立シ」とされていた。
[39] その後、各条項について字句の表現等が検討された結果、表現上の訂正等を経て、大日本帝国憲法改正案22条では、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」とされ、さらに帝国議会での審議を経て現行の憲法24条として制定されることになった。なお、同条の制定に当たっては、帝国議会での審議において、伝統的な家族制度が維持されることになるかは論点となったものの、同性間の婚姻に関して議論された形跡は見当たらない。(以上につき、甲A186、187、188、190、192、228、弁論の全趣旨)
(ウ) 昭和22年民法改正における婚姻制度
a 起草過程
[40] 明治民法は、家を中心とする家族主義の観念から、家長である戸主に家を統率するための戸主権を与え、婚姻も、戸主や親の同意を要件とし、当事者間の合意のみによってすることのできないものとし、夫の妻に対する優位も認めていた(前記(ア)参照)。昭和22年民法改正は、このような明治民法を、憲法の個人主義的家族観に沿うものに改めるべく、家制度を廃止するほか、未成年者以外における父母や、継父母・嫡母の婚姻同意に関する規定を廃止し、戸主の婚姻同意権も廃止して婚姻の自主性を宣言したものである。
[41] このように、昭和22年民法改正は、明治民法のうち憲法の基本原則(前記(イ)参照)に抵触する規定を中心に行われ、憲法に抵触しない規定については明治民法の規定を踏襲したものであり、この際に同性間の婚姻について議論された形跡はない。(以上につき、甲A19、143、182、183、185、186、192、乙6、7、13、17、弁論の全趣旨)
b 昭和22年民法改正当時における婚姻制度
[42] 昭和22年民法改正当時、夫婦関係とは、永続的な男女の精神的、肉体的結合であるとされ、婚姻意思とは、当事者に社会の習俗によって定まる夫婦たる身分を与え、将来当事者間に生まれた子に社会の慣習によって定める子たる身分を取得させようとする意思、又は、その時代の社会通念に従って婚姻とみられるような関係を形成する意思であるなどと解されていた。
[43] このように、昭和22年民法改正によっても、婚姻は男女間におけるものであることが当然のことで、同性間の婚姻は、上記のような夫婦関係には当てはまらず、その意味で婚姻ではないとされ、明治民法下と同様に婚姻意思を欠き、無効な婚姻であると解されていた。(以上につき、甲A152、153、乙8~10)

(3) 諸外国及び地域における同性間の婚姻制度等に関する状況
ア 諸外国及び地域における法制度等の状況
[44](ア) 欧米でも、中世においては、前記のとおりキリスト教の影響等から同性愛自体が否定されていたため、同性間の婚姻も考えられていなかった。しかし、同性愛に対する知見が変化する中で、1989年(平成元年)、デンマークにおいて、婚姻とは異なるものの、同性の二者間の関係を公証し、又は一定の地位を付与する登録制度(導入した主体によって制度の内容は異なるが、以下、総称して「登録パートナーシップ制度」という。)が導入され、2001年(平成13年)にはドイツ及びフィンランド、2004年(平成16年)にはルクセンブルク、2009年(平成21年)にはオーストリア、2010年(平成22年)にはアイルランドにおいて登録パートナーシップ制度が導入された。(甲A181)
[45](イ) また、次の各国においては、次に掲げる年に同性間の婚姻制度が導入された(特に断りのない限り法律の制定年又は裁判所がこれを容認する判断をした年)。これらの国の中には、既に登録パートナーシップ制度が存在していた国も相当数含まれているが、同性間の婚姻制度の導入とともに、これらの制度が廃止された国もあれば、併存する国もある。(甲A181、355、564)
2000年(平成12年) オランダ
2003年(平成15年) ベルギー
2005年(平成17年) スペイン及びカナダ
2006年(平成18年) 南アフリカ
2008年(平成20年) ノルウェー
2009年(平成21年) スウェーデン
2010年(平成22年) ポルトガル、アイスランド及びアルゼンチン
2012年(平成24年) デンマーク
2013年(平成25年) ウルグアイ、ニュージーランド、フランス、ブラジル及び英国(イングランド及びウェールズ)
2014年(平成26年) ルクセンブルク
2015年(平成27年) アイルランド及びフィンランド
2017年(平成29年) マルタ、ドイツ、オーストリア及びオーストラリア
2019年       エクアドル(ただし、施行年)
(平成31年、令和元年)
2020年(令和2年)  英国(北アイルランド)及びコスタリカ(ただし、施行年)
[46](ウ) 上記の国に加え、米国においては、既に36の州やワシントン・コロンビア特別区及びグアムで同性間の婚姻が認められていたが、これを認めていない州もあったところ、そのような州法の規定の合憲性が争われた事件(いわゆるObergefell事件)において、米国連邦最高裁判所は、2015年(平成27年)6月26日、婚姻の要件を異性間のカップル(以下「異性カップル」という。)に限り、同性間のカップル(以下「同性カップル」という。)の婚姻を認めない州法の規定は、デュー・プロセス及び平等保護を規定する合衆国憲法修正第14条に違反する旨の判決を言い渡した(甲A181、195)。
[47] さらに、台湾においては、2017年(平成29年)、憲法裁判所に当たる司法院が、同性間の婚姻を認めない民法の規定は違憲である旨の解釈を示し、2019年(令和元年)、これに基づき同性間の婚姻を認める民法の改正が行われた(甲A101、139)。
[48](エ) 他方、イタリアにおいては、憲法裁判所が、2010年(平成22年)に婚姻は異性間の結合を指す旨判断し、2014年(平成26年)にも同様の判断をしたが、同性の当事者間の権利及び義務を適切に定めた婚姻とは別の形式が同国の法制度上存在しないため、この点が同国憲法の規定に違反する旨の判断をし、その結果、2016年(平成28年)に婚姻とは別の婚姻類似の制度である「民事的結合」と呼ばれる制度を認める法律が成立した(甲A181)。
[49](オ) また、ロシアにおいては、1993年(平成5年)の刑法典改正により同性愛行為が処罰対象から外されたが、2013年(平成25年)、同性愛を宣伝する活動を禁止する法律が成立し、2014年(平成26年)、憲法裁判所は、同性愛の宣伝行為の禁止は同国憲法の規定に違反しない旨の判断をした。
[50] ベトナムにおいては、2014年(平成26年)、それまで禁止の対象となっていた同性との間で結婚式をすることを禁止事項から除く法改正を行ったが、同時に、婚姻は男性と女性との間のものと明記し、法律は同性間の婚姻に対する法的承認や保護を提供しないとされた。
[51] 韓国においては、2016年(平成28年)、地方裁判所に相当する地方法院において、同性間の婚姻を認めるか否かは立法的判断によって解決されるべきであり司法により解決できる問題ではないとの判断をした。同国での2013年(平成25年)の調査においては、同性間の婚姻を法的に認めるべきとする者が25%だったのに対し、認めるべきではないとする者が67%に上っていた。(以上につき、甲A181)
イ 日本に所在する外国団体の動向
[52] 在日米国商工会議所は、平成30年9月、日本を除くG7参加国においては同性間の婚姻又は登録パートナーシップ制度が認められているにもかかわらず、日本においてはこれらが認められていないことを指摘し、外国で婚姻した同性カップルが我が国においては配偶者ビザを得られないなど同性愛者の外国人材の活動が制約されているなどとして、婚姻の自由をLGBTカップルにも認めることを求める意見書を公表した。また、在日オーストラリア・ニュージーランド商工会議所、在日英国商業会議所、在日カナダ商工会議所及び在日アイルランド商工会議所も、同月、上記意見書に対する支持を表明し、その後、在日デンマーク商工会議所も支持を表明した。(甲A112、130、131)

(4) 我が国におけるLGBTをめぐる状況
[53] 平成14年3月、人権教育及び人権啓発の推進に関する法律7条に基づき、人権教育及び人権啓発に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るために「人権教育・啓発に関する基本計画」が閣議決定され、平成22年12月に第3次男女共同参画基本計画、平成27年12月に第4次男女共同参画基本計画、令和2年12月に第5次男女共同参画基本計画がそれぞれ閣議決定され、いずれにおいても、性的指向を理由とする差別や偏見の解消を目指して、啓発活動や相談、調査救済活動に取り組むことなどが明記された(甲A57、356~358)。
[54] 性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律が、平成15年7月16日に成立し、平成16年7月16日に施行された。同法3条1項2号では、家庭裁判所が、性同一性障害者からの請求により、性別の取扱いの変更の審判をすることができる場合の要件として、「現に婚姻をしていないこと」を定めている。この規定について、最高裁判所において、「現に婚姻をしている者について性別の取扱いの変更を認めた場合、異性間においてのみ婚姻が認められている現在の婚姻秩序に混乱を生じさせかねない等の配慮に基づくものとして、合理性を欠くものとはいえない」として、憲法13条、14条1項、24条に違反するものとはいえない旨の判断がされている(最高裁令和元年(ク)第791号同2年3月11日第二小法廷決定)。
[55] 平成27年10月に東京都渋谷区が、同年11月に東京都世田谷区が登録パートナーシップ制度を導入したのを始めとして、登録パートナーシップ制度を導入する地方公共団体が増加し、現在では導入した地方公共団体数が130を超えた(甲A75~91、98、553)。
[56] 我が国における、権利の尊重や差別の禁止などLGBTに対する基本方針を策定している企業数は,平成28年の調査では173社であったが、令和元年の調査では364社であった(甲A391、392)。

(5) 婚姻、結婚に関する統計
ア 婚姻に対する意識調査の結果
[57](ア) 内閣府による平成17年版国民生活白書によれば、独身の時に子供ができたら結婚した方がよいかとの質問に対し、15~49歳のいずれの年齢層においても、そう思うとの回答が4~6割であり、そう思わないとの回答はおおむね1割に満たないものであった。また、いずれ結婚するつもりであると回答した男女は、昭和57年から平成14年までの各年の調査を通じてそれぞれ9割を超えていた。(甲A332)
[58](イ) 厚生労働省による平成25年版厚生労働白書によれば、平成21年の調査では、「結婚は個人の自由であるから、結婚してもしなくてもどちらでもよい」という考え方に賛成又はどちらかといえば賛成する者は70%であったが、平成22年に20~49歳を対象として行った調査では、「結婚は必ずするべきだ」又は「結婚はしたほうがよい」との意見を持つ者は合計で64.5%に上り、米国(53.4%)、フランス(33.6%)、スウェーデン(37.2%)を上回った(甲A333)。
[59](ウ) 国立社会保障・人口問題研究所が平成27年に行った調査の結果は、次のとおりであった(甲A239の52)。
[60]a 結婚することに利点があると思う未婚の者は、男性で64.3%、女性で77.8%であり、その理由として回答が多かったもの(二つまで選択可の選択肢式による調査)は、次のとおりである。
「子どもや家族をもてる」      (男性35.8%、女性49.8%)
「精神的安らぎの場が得られる」   (男性31.1%、女性28.1%)
「親や周囲の期待に応えられる」   (男性15.9%、女性21.9%)
「愛情を感じている人と暮らせる」  (男性13.3%、女性14%)
「社会的信用や対等な関係が得られる」(男性12.2%、女性7%)
[61]b 未婚者に対する「生涯を独身で過ごすというのは、望ましい生き方ではない」との質問には、男性の64.7%、女性の58.2%が賛成し、「男女が一緒に暮らすなら結婚すべきである」との質問には、男性の74.8%、女性の70.5%が賛成と回答をした。
イ 婚姻に関する統計
[62](ア) 厚生労働省が行った平成30年の我が国の人口動態に関する調査の結果は、次のとおりであった(甲A330)。
[63]a 平成28年の婚姻件数は、最も多かった昭和47年の約110万組と比較すると約半分となって減少傾向ではあるものの、62万0531組であった。
[64]b 我が国の婚姻率(年間婚姻件数を総人口で除した上で1000を乗じた割合)は、昭和47年以降、増減がありつつも減少傾向にあり、平成28年には5%となったが、イタリア(3.2%)、ドイツ(4.9%)、フランス(3.6%)、オランダ(3.8%)等のヨーロッパ諸国を上回っている。
[65] 出生に占める嫡出でない子の出生割合は、日本は2.3%であり、米国(40.3%)、フランス(59.1%)、ドイツ(35%)、イタリア(30%)、英国(47.9%)等よりも低い割合である。
[66](イ) 厚生労働省が昭和61年から平成30年までに行った調査によれば、昭和61年以降、児童のいる世帯が全世帯に占める割合は年々減少し、昭和61年には46.2%であったものが、平成30年には22.1%まで減少した(甲A331)。

(6) 同性間の婚姻の賛否等に関する意識調査の統計
[67] 毎日新聞社が平成27年に行った世論調査では、「同性同士の結婚」に賛成する者が44%、反対する者が39%で、賛成が反対を上回ったが、無回答も17%あった(甲A105)。
[68] A広島修道大学教授を研究代表者とするグループが全国47都道府県の20歳~79歳の男女2600人を対象に行った、性的マイノリティについての意識に関する平成27年の全国調査によれば、1259人の回答者中、男性の44.8%、女性の56.7%が「同性同士の結婚を法で認めること」に賛成又はやや賛成と回答したが、男性の50%、女性の33.8%は反対又はやや反対と回答し、男性の5.3%、女性の9.5%は無回答であった。この調査においては、20~30代の72.3%、40~50代の55.1%は「同性同士の結婚を法で認めること」に賛成又はやや賛成と回答したが、60~70代の賛成又はやや賛成の回答は32.3%にとどまり、同年代の56.2%は反対又はやや反対と回答した。(甲A104)
[69] 上記研究代表者による令和元年の全国調査によれば、回答者約2600人のうち、男性の59.3%、女性の69.6%が「同性同士の結婚を法で認めること」に賛成又はやや賛成と回答したが、男性の37%、女性の23.9%はこれに反対又はやや反対と回答した。この調査においては、20~30代の81%、40~50代の74%は賛成又はやや賛成と回答したが、60~70代の賛成又はやや賛成の回答は47.2%であり、同年代の43.4%は反対又はやや反対と回答し、約10%が無回答であった。(甲A512)
[70] NHKが平成29年に行った世論調査では、「同性同士の結婚を認めるべきか」という質問に対し、「そう思う」が約51%、「そうは思わない」が約41%、「わからない」が約8%となった。また、朝日新聞が同年に行った調査では、「同性婚」を法律で認めるべきだとの回答が約49%、認めるべきではないという回答が約39%、その他や無回答が合計約12%であった。(甲A106、109)
[71] 国立社会保障・人口問題研究所が平成30年に行った全国家庭動向調査によれば、同性カップルにも何らかの法的保障が認められるべきだとの調査項目に対し、全く賛成又はどちらかといえば賛成と回答した者は75.1%であった。また、「同性同士の結婚」を法律で認めるべきだとの調査項目については、全く賛成又はどちらかといえば賛成と回答した者は69.5%であった。(甲A298)
[72] 他方、NHKが平成27年にLGBTを含む性的マイノリティ当事者約2600人を対象に行ったウェブ調査の結果によれば、(a)地方公共団体が登録パートナーシップ制度を導入した場合には結婚相当の証明書を申請したいという者が38.8%、パートナーができたら申請したいという者が43.6%おり、(b)「同性間の結婚」をどう思うかという質問には、結婚を認める法律を作ってほしいと答えた者が65.4%であった一方、結婚ではなくパートナー関係の登録制度を国が作ってほしいと答えた者が25.3%であった(甲103)。
[73] また、宝塚大学看護学部教授Bが、令和元年9月~12月に1万人以上の性的少数者を対象としてSNS上でアンケートを実施した結果、対象者全体の約60%が異性間の婚姻と同じ法律婚が同性間にも適用されることを望むと回答し、約16%が公的制度を作る必要はないが社会の理解は浸透してほしいと回答したが、残る24%の者のほとんどは、国レベル又は地方公共団体レベルのパートナーシップを制定してほしいという回答であった(甲A301)。
(1) 原告らが主張する本件諸規定について
[74] 原告らは、婚姻を異性間の婚姻に限定している民法第4編第2章及び戸籍法の規定全てを本件諸規定として、これらが違憲である旨主張するものであるが、少なくとも本件諸規定に含まれると原告らが主張する民法739条1項は、婚姻は、戸籍法の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずると定め、これを受けた戸籍法74条は、婚姻をしようとする者は、夫婦が称する氏等を届出書に記載して、その旨を届け出なければならないと定めているにすぎず、その他の規定をみても同性間の婚姻を禁止する旨定めた明文の規定はなく、民法731条以下の婚姻の実質的要件に係る規定中にも「同性でないこと」を明示する規定はない。しかし、民法等において婚姻の当事者について「夫婦」などの文言が用いられていることに加え、明治民法から現行民法に至るまでにおいても、一貫して、婚姻は男女間によるものであることが当然の前提とされ、同性間については、婚姻の意思を欠くなどと解釈されて、婚姻として取り扱われてこなかったこと(認定事実(2))、実際、原告らは我が国の各地方公共団体において婚姻届を提出したが、いずれも同性であることを理由に不受理とされたこと(前提事実(2))を踏まえると、本件諸規定を含む我が国における婚姻制度は、配偶者が異性であることを当然の前提とするものであり、配偶者が異性であることを婚姻の要件とするものと解釈できる。そこで以下では(後記3、4についても含む。)、本件諸規定が上記のように解釈されることを前提に、本件諸規定が憲法の規定に違反するか否かを検討する。

(2) 本件諸規定が憲法24条1項又は13条に違反するかについて
ア 憲法24条1項に違反するかについて
[75](ア) 憲法24条1項は、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」と規定しており、婚姻をするかどうか、いつ誰と婚姻をするかについては、当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたものと解される。婚姻は、これにより、配偶者の相続権(民法890条)や夫婦間の子が嫡出子となること(同法772条1項等)などの重要な法律上の効果が与えられるものとされているほか、近年家族等に関する国民の意識の多様化が指摘されつつも、国民の中にはなお法律婚を尊重する意識が幅広く浸透していると考えられることをも併せ考慮すると、上記のような婚姻をするについての自由は、憲法24条1項の規定の趣旨に照らし、十分尊重に値するものと解することができる。(最高裁平成25年(オ)第1079号同27年12月16日大法廷判決・民集69巻8号2427頁)
[76](イ) 原告らは、婚姻をするについての自由は、憲法24条1項に基づき、異性間のみならず同性間の婚姻についても保障されているから、婚姻制度から同性間の婚姻を排除している本件諸規定が同項に違反する旨主張する。そこで、まず同項にいう「婚姻」に同性間の婚姻が含まれているかを検討する。
[77] 憲法24条1項においては、婚姻は「両性の合意」のみに基づいて成立する旨が規定され、婚姻をした当事者については「夫婦」との文言が用いられており、同条2項においても「両性の本質的平等」との文言が用いられている。このような「両性」や「夫婦」の文言は、婚姻が男女から成ることを意味するものと解するのが通常の解釈であって、上記条文中に、これらが同性の概念を含む意味で用いられていることをうかがわせる文言は見当たらない。憲法その他の法令において、上記の文言を、同性を含む意味として用いられている例も見当たらない。
[78] そして、我が国では、明治民法において初めて法律婚としての婚姻が制度化されたが、その起草過程においては、婚姻については基本的に従来の慣習を踏襲することとされ、その意義についても、終生の共同生活を目的とする男女間の生存結合を法律によって公認したものとされていたことからすると、婚姻は異性間でするものであることが当時から当然の前提とされており、同性間で婚姻をすることができないことは、あえて民法に規定を置くまでもないものと考えられていたことが認められる(認定事実(2)イ(ア))。
[79] さらに、昭和22年に憲法が制定され、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した婚姻制度を確立するために憲法24条が定められたが、同条の起草過程で「both sexes」を訳して「男女両性」や「男女」という文言が用いられていたこと等からすると、この時点でも、婚姻は男女間のものであることが当然の前提となっていたと考えられる(認定事実(2)イ(イ))。なお、同条の要請を受けた昭和22年民法改正においても、その起草過程で同性間の婚姻について議論された形跡はない(認定事実(2)イ(ウ))。
[80] 上記のような憲法24条の文理や制定経緯等に照らすと、同条1項における「婚姻」は、異性間の婚姻のみを指し、同性間の婚姻を含むものではないと認めるのが相当である。
[81] そうすると、憲法24条1項が同性間の婚姻について規定していない以上、同条により社会制度として設けることが求められている婚姻は異性間のもののみであるといえ、同項から導かれる婚姻をするについての自由も、異性間についてのみ及ぶものと解される。
[82] 以上によれば、本件諸規定が憲法24条1項に違反するということはできないというべきである(なお、原告らは、憲法の趣旨に加え、婚姻や家族の在り方についての近時における社会的な認識、社会状況の変化があることを踏まえると、同項にいう「両性」とは「両当事者」との意味である旨を主張するが、そのような社会的な認識の変化等があるとしても、上記で述べた文理や制定経緯等からすると、それのみで憲法24条1項が同性間の婚姻制度を設けることを要請していると解釈することはできない。)。
[83](ウ) もっとも、憲法24条1項が両性の合意のみに基づいて婚姻が成立する旨規定している趣旨は、婚姻の要件として戸主等の同意を求める明治民法における旧来の封建的な家制度を否定し、個人の尊厳の観点から、婚姻が、当事者間の自由かつ平等な意思決定である合意のみに委ねられることを明らかにする点にあったものと解される。
[84] そうすると、「両性」という文言がある以上、憲法24条1項が異性間の婚姻を対象にしているということは否定できないとしても、このことをもって直ちに、同項が同性間の婚姻を積極的に禁止する意味を含むものであると解すべきとまではいえない。かえって、婚姻の本質は、永続的な精神的及び肉体的結合を目的として公的承認を得て共同生活を営むことにあり、誰と婚姻をするかの選択は正に個人の自己実現そのものであることからすると、同性愛と異性愛が単なる性的指向の違いに過ぎないことが医学的にも明らかになっている現在(認定事実(1))、同性愛者にも異性愛者と同様の婚姻又はこれに準ずる制度を認めることは、憲法の普遍的価値である個人の尊厳や多様な人々の共生の理念に沿うものでこそあれ、これに抵触するものでないということができる。しかも、近年の各種調査結果からは、我が国でも、同性愛に対する理解が進み、同性カップルに何らかの法的保護を与えるべきとの見解を有する国民が相当程度の数まで増加していることがうかがわれる(認定事実(6))。
[85] 以上によれば、憲法24条1項が異性間の婚姻のみを定めているからといって、同性間の婚姻又はこれに準ずる制度を構築することを禁止する趣旨であるとまで解するべきではない。そこで、本件諸規定については、憲法24条1項に違反しないとしても、同項の上記解釈を前提として、同条2項適合性を検討することが相当である(後記(3))。
イ 憲法13条に違反するかについて
[86] 原告らは、同性間の婚姻をするについての自由が憲法24条1項で規定されていないとしても、このような自由は自己決定権の重要な一内容として、憲法上の権利としても保障されるべきものであるとして、本件諸規定は憲法13条に違反する旨主張する。
[87] しかし、婚姻及び家族に関する事項は、憲法24条2項に基づき法律によって具体的な内容を規律するものとされているから、婚姻及び家族に関する権利利益等の内容は、憲法上一義的に捉えられるべきものではなく、憲法の趣旨を踏まえつつ、法律によって定められる制度に基づき初めて具体的に捉えられるものである。そうすると、婚姻をするについての自由は、憲法の定める婚姻を具体化する法律に基づく制度によって初めて個人に与えられるか、又はそれを前提とした自由であり、生来的、自然権的な権利又は利益であるということはできない。
[88] したがって、憲法24条が異性間の婚姻のみを定めており、これを前提とする婚姻制度しか存在しない現行法の下では、同性間で婚姻をするについての自由が憲法13条で保障されている人格権の一内容であるとはいえない。また、包括的な人権規定である同条によって、同性間の婚姻制度を含む特定の制度を求める権利が保障されていると解することもできない。
[89] よって、本件諸規定が憲法13条に反するとはいえない。
ウ 憲法24条2項において考慮すべき権利利益について
[90] 以上のように、同性間で婚姻をするについての自由が憲法24条1項や憲法13条から導かれるとはいえず、本件諸規定がこれらに違反するということはできない。
[91] しかし、そもそも婚姻とは、二当事者の永続的かつ真摯な精神的・肉体的結合関係について法的承認が与えられるとともに、その地位に応じて法律上の効果が生ずることにより様々な法的保護等の利益を享受し得る制度であるところ、婚姻をした当事者が享受し得る利益には、相続や財産分与等の経済的利益等のみならず、当該人的結合関係が公的承認を受け、公証されることにより、社会の中でカップルとして公に認知されて共同生活を営むことができることについての利益(以下「公認に係る利益」という。)なども含まれる。特に、公認に係る利益は、婚姻した当事者が将来にわたり安心して安定した共同生活を営むことに繋がるものであり、我が国において法律婚を尊重する意識が浸透していることや、近年、婚姻に関する価値観が多様化していること等をも踏まえれば、自己肯定感や幸福感の源泉といった人格的尊厳に関わる重要な人格的利益ということができる。このような人格的利益の有する価値は、異性愛者であるか同性愛者であるかによって異なるものではない。そうすると、同性愛者に対して同性間で婚姻をするについての自由が憲法上保障されているとまではいえないものの、当該人的結合関係についての公認に係る利益は、その人格的尊厳に関わる重要な人格的利益として尊重されるべきものということができる。このような人格的利益は、後記(3)のとおり、本件諸規定が憲法24条2項で認められている立法裁量の範囲を超えるものであるか否かの検討に当たって考慮すべき事項であると解される。

(3) 本件諸規定が憲法24条2項に違反するかについて
[92] 憲法24条は、2項において「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」と規定している。
[93] 婚姻及び家族に関する事項は、関連する法制度においてその具体的内容が定められていくものであることから、当該法制度の制度設計が重要な意味を持つものであるところ、憲法24条2項は、具体的な制度の構築を第一次的には国会の合理的な立法裁量に委ねるとともに、その立法に当たっては、同条1項も前提としつつ、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきであるとする要請、指針を示すことによって、その裁量の限界を画したものといえる。
[94] そして、憲法24条が、本質的に様々な要素を検討して行われるべき立法作用に対してあえて立法上の要請、指針を明示していることからすると、その要請、指針は、単に、憲法上の権利として保障される人格権を不当に侵害するものでなく、かつ、両性の形式的な平等が保たれた内容の法律が制定されればそれで足りるというものではないのであって、憲法上直接保障された権利とまではいえない人格的利益をも尊重すべきこと、両性の実質的な平等が保たれるように図ること等についても十分に配慮した法律の制定を求めるものであり、この点でも立法裁量に限定的な指針を与えるものといえる。
[95] 他方で、婚姻及び家族に関する事項は、国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因を踏まえつつ、それぞれの時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた総合的な判断によって定められるべきものである。特に、憲法上直接保障された権利とまではいえない人格的利益や実質的平等は、その内容として多様なものが考えられ、それらの実現の在り方は、その時々における社会的条件、国民生活の状況、家族の在り方等との関係において決められるべきものである。そうすると、憲法24条の要請、指針に応えて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定が国会の多方面にわたる検討と判断に委ねられているものであることからすれば、婚姻及び家族に関する法制度を定めた法律の規定が憲法24条に適合するものとして是認されるか否かは、当該法制度の趣旨や同制度を採用することにより生ずる影響につき検討し、当該規定が個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き、国会の立法裁量の範囲を超えるものとみざるを得ないような場合に当たるか否かという観点から判断すべきものとするのが相当である。(最高裁平成26年(オ)第1023号同27年12月16日大法廷判決・民集第69巻8号2586頁参照)
[96] 以上の観点から、本件諸規定の憲法24条2項適合性について、本件諸規定により異性間の婚姻のみを対象とする現行の婚姻制度の趣旨及び影響を踏まえて検討する。
[97](ア) そもそも、人類には、古来から、男女が共同で生活を営み、自然生殖により子が生まれることにより子孫を残し、次世代へと承継してきた実態が歴史的・伝統的に存在していたところ、近代社会において、このような一人の男性と一人の女性との人的結合関係とその間に生まれた未成熟子から構成される家族が、社会を構成する自然かつ基礎的な集団単位として認識されるとともに、その家族の中心的存在である男女の人的結合関係が、特に婚姻関係として社会的に承認され、保護されるようになったものである(認定事実(2)ア)。
[98] 我が国においても、明治以前から男女が共同体を築き家族を形成してきた関係が存在し、その関係が慣習上も結婚ないし婚姻として社会で認められていたところ、明治民法における法制度の近代化に伴い、上記のような慣習が法律婚として制度化された。このように、明治民法では、婚姻は男女間のものであったのであり、現行民法においても、憲法の要請する個人の尊厳の観点から必要な改正はされたものの、婚姻が男女間のものであることについては特に議論されることなく承継され、現在の婚姻制度が整えられた(認定事実(2)イ)。
[99] こうして成立した現在の婚姻制度は、民法において、婚姻当事者である夫婦の権利義務について定める規定だけでなく、嫡出推定制度等親子関係を定める規定(同法772条以下)や親権に関する規定(同法818条以下)等、婚姻した夫婦とその間の子について特に定めた規定があり、戸籍法では、夫婦の婚姻の届出(同法74条)のほか、子の出生時の届出(同法49条1項)や、子の親の戸籍への入籍(同法18条)などについての規定もある。
[100] そうすると、本件諸規定が異性間の婚姻のみを対象としているのは、婚姻を、単なる婚姻した二当事者の関係としてではなく、男女が生涯続く安定した関係の下で、子を産み育てながら家族として共同生活を送り次世代に承継していく関係として捉え、このような男女が共同生活を営み子を養育するという関係に、社会の自然かつ基礎的な集団単位としての識別、公示の機能を持たせ、法的保護を与えようとする趣旨によるものと考えられる(認定事実(2)イ、弁論の全趣旨)。このような婚姻の趣旨は、我が国において、歴史的、伝統的に社会に定着し、社会的承認を得ているということができる。
[101] 以上によれば、本件諸規定が異性間の婚姻のみを婚姻として特に保護する制度を構築した趣旨には合理性があるというべきである。
[102] これに対し、原告らは、婚姻の目的は夫婦の共同生活の法的保護であり、生殖とは関係がなく、子を産み育てる関係を保護するという本件諸規定の趣旨に合理性はない旨主張する。確かに、夫婦が子をもうけるか否かは本来個人の自己決定に委ねられるべき事柄であり、民法においても,子の有無や子をもうける意思の有無等による夫婦の法的地位の区別はされていない(なお、認定事実(2)イ(ア))aのとおり、明治民法の制定経緯における議論においても、婚姻について必ずしも子を残すことのみが目的ではないとされている。)。取り分け、近年は家族の形態や夫婦の在り方が多様化しており、人々の意識においても、婚姻を、子の養育のためではなく個人の自己実現あるいは幸福追求に資するためのものとして位置付けようとする傾向が高まっている。しかし、そのような価値観の変化があるとしても、現在でもなお、男女が安定した関係の下で共同生活をしながらその間に生まれた子を養育することを保護する婚姻の目的の意義は何ら失われているわけではないし、このような目的と、個人の自己実現等の手段としての婚姻とは矛盾するものではなく、互いに両立し得るものである。そうすると、このような趣旨や目的自体が、歴史的、社会的意味を失っているとはいえない。
[103](イ) 他方で、本件諸規定が異性間の婚姻制度のみを規定し、同性間の婚姻を規定していないため、異性愛者は自由に異性と婚姻をすることができるのに対し、同性愛者は望みどおりに同性と婚姻をすることはできないという重大な影響が生じている。
[104] しかし、本件諸規定の下でも、同性愛者が望む同性のパートナーと婚姻類似の結合関係を構築、維持したり、共同生活を営んだりする自由が制約されているわけではない。さらに、婚姻によって生ずる法律上の効果についても、例えば、同居、協力及び扶助の義務(民法752条)については契約により同様の効果を生じさせることができ、当事者の一方の死後にその財産を当事者の他方に帰属させることは、契約や遺言(同法964条)によっても可能であるほか、包括受遺者となった場合は相続人と同一の権利義務を有する(同法990条)ことになるなど、他の民法上の制度等を用いることによって、一定の範囲では同等の効果を受けることが可能である。
[105] もっとも、このような方法は、そもそも事前に遺言や契約等をしなければその効果を享受することができないものであるし、税法上の優遇措置、在留資格、公営住宅の入居資格等、契約等によっても享受することが困難な法的地位も多く存していることからすると、同性カップルが享受し得る利益が、異性カップルが婚姻により享受し得る法律上の効果に及ばないことは確かである。
[106] また、このような不利益は個別的な立法や運用の改善等により解消され得るとしても、かかる個別的な立法等によっては、前記(2)ウで述べたような、同性カップルが社会の中で公に認知されて安心して安定した共同生活を営むために必要な人格的利益である公認に係る利益を満たすことはできない。
[107](ウ) 以上のとおり、本件諸規定が異性間の婚姻のみを対象としていることについては、その趣旨には合理性があり、その影響も、これにより生ずる同性カップルと異性カップルの間の享受し得る利益の差は契約等により一定の範囲では緩和され得るということはできるものの、公認に係る利益のような個人の尊厳に関わる重要な利益を同性カップルは享受し得ないという問題はなお存在するということができる。
[108] しかしながら、同性カップルについて公認に係る利益を実現する方法は、現行の婚姻制度の対象に同性カップルを含める方法(前記(2)ア(ウ)のとおり憲法24条1項も同性間の婚姻を禁止までするものではない。)に限るものではなく、これとは別の新たな婚姻類似の法的承認の制度(これは、「登録パートナーシップ制度」と名付けることもできれば、「同性婚」と名付けることもできるものである。)を創設するなどの方法によっても可能である。そして、現行の婚姻制度を構成している本件諸規定は、単に異性間の婚姻制度を定めたというにすぎないものであるから、同性間について婚姻以外の婚姻類似の公的承認の制度を創設することを何ら妨げるものではない。我が国でも、既に多くの地方公共団体では、同性カップルについて登録パートナーシップ制度と呼ばれる公的承認及び部分的な保護の制度が導入され、多くの同性カップルがこの制度を自分達の公認の方法として希望して利用していることが認められる。これは、法律上の制度ではないものの、国民の間でも一つの社会の制度として認知されてきているということができる。
[109] このように、個人の尊厳の観点からは同性カップルに対しても公認に係る利益を実現する必要があるといえるものの、その方法には様々な方法が考えられるのであって、そのうちどのような制度が適切であるかについては、現行法上の婚姻制度のみならず、婚姻類似の制度も含め、国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因や、各時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた上で民主的過程において決められるべきものである。
[110] 以上の点を総合的に考慮すると、上記のような状況において、同性カップルの公認に係る利益の実現のためにどのような制度が適切であるかの議論も尽くされていない現段階で、直ちに本件諸規定が個人の尊厳の要請に照らして合理性を欠くと認めることはできない。よって、本件諸規定が、立法裁量の範囲を逸脱するものとして憲法24条2項に違反するということはできない(なお、上記のような国民的議論を経た上で、国会が本件諸規定を改廃し、同性間の婚姻制度を構築するという選択をすることも可能であることはいうまでもないが、このことと、本件諸規定が憲法24条に違反するか否かという憲法適合性の審査の問題とは、次元を異にするものである。)。
[111](エ) これに対し、原告らは、本件諸規定は、同性愛者の婚姻の自由を直接制限するものである以上、立法裁量の範囲内ということはあり得ない等と主張する。
[112] しかし、前記(2)で説示したとおり、同性間で婚姻をするについての自由が憲法上保障された権利とまではいえない以上、同性間の婚姻が認められていないというだけで直ちに本件諸規定が憲法24条2項で認められている裁量の範囲を逸脱しているということはできない。そして、同性カップルの公認に係る利益は人格的利益として尊重されるべきであるものの、このような憲法上の権利とまでいえない婚姻及び家族に関する人格的利益の実現の在り方については、前記のとおり、その時々の社会的条件、国民生活の状況、家族の在り方等との関係において判断される必要がある。特に、この問題は婚姻制度全体に関わる国民全体の問題であり、国会での多方面にわたる検討と判断が必要なものである。そうすると、本件諸規定の制定や改廃について立法裁量に委ねられていると解することは、同項の趣旨にも合致するものといえる。
[113](オ) また、原告らは、婚姻に準ずる制度の構築を求めているのではなく、原告らが求めるのは本件諸規定が規定する現行の婚姻制度へのアクセスである旨を主張し、別の制度を設けることは、かえって差別を助長すると主張する。
[114] しかし、そもそも婚姻をするについての自由は、いつ誰と婚姻をするか自由に決定することのできる自由であって、婚姻当事者に婚姻制度の内容を自由に定める権利が保障されているものではないのと同様、同性カップルのために公認に係る利益を実現するための制度についても、当事者がその内容を自由に定めることができるものではない。公認に係る利益を実現するために、現行の婚姻制度、婚姻に準ずる婚姻類似の別の制度その他どのような制度が適切であるかは、民主的過程で議論され判断される必要があることは既に述べたとおりである。
[115] かえって、現行の婚姻制度には、嫡出推定の規定等、その重要部分において、夫婦が自然生殖可能であることを前提に作られた規定もあり、これらの規定の存在は婚姻制度全体と密接不可分に結びついているとも考えられることからすると、本件諸規定を違憲無効とすることにより、現行の婚姻制度を現状の法制度のままの形で同性カップルに開放することが相当であるとは直ちにはいい難い。現在、「同性同士の結婚」ないし「同性婚」に賛成であるとの国民の意見が比較的多数となっている旨の調査結果が様々な統計から出されているが(認定事実(6))、これらの調査において、必ずしも「同性同士の結婚」や「同性婚」の意味内容が一義的に定義されていたとはいえない以上、賛成意見の中には、現行法上の「婚姻」制度と、婚姻類似の新たな制度とが厳密に区別されずに回答されたものが含まれている可能性も否定できない。また、同性愛者やLGBTを対象としたアンケートによっても、法的保護の在り方については様々な意見があることが認められる(認定事実(6))。さらに、同性カップルの法的承認や保護の制度があるとされる諸外国や地域においても、その保護の方法は、同性間の婚姻制度を採用する国等もあれば、登録パートナーシップ制度等を採る国、これらを併用する国等様々であって、その採用までの経緯も必ずしも一律ではない(認定事実(3))。
[116] 加えて、別の制度を創設したからといって、原告らの主張するような同性愛者への差別が助長されるとは必ずしもいえない。実際、我が国においても近年地方公共団体の登録パートナーシップ制度が増加しているが、原告らの主張によっても、これらの制度によって同性カップルに対する差別や偏見は解消されつつあるというのである。差別や偏見の真の意味での解消は、むしろ民主的過程における自由な議論を経た上で制度が構築されることによって実現されるものと考えられる。
[117] 以上のとおりであるから、同性カップルの公認に係る利益の実現のためには、現行法上の婚姻制度そのものを適用する方法のみならず婚姻類似の制度を含めた幅広い検討がされるべきで、同性愛者らの中でもなお様々な意見があることにも照らすと、原告らが希望していないという理由だけで、婚姻類似の制度を構築するという選択肢を検討する余地がおよそなくなるとはいえない。
[118](カ) さらに、原告らは、同性愛者は少数者であるから、その保護のための制度の構築を立法過程に期待することはできないと主張し、このような場合には、司法が、少数者の権利保護の観点から積極的に違憲審査を行い、本件諸規定の違憲を宣言することにより同性愛者を救済すべきである旨をいう。
[119] しかし、同性間で婚姻をするについての自由が憲法上保障されているとまではいえない以上、同性間の婚姻が認められないことを憲法上保障された少数者の基本的人権が侵害されている場合と同等に考えることはできない。加えて、同性カップルの婚姻又は婚姻類似の制度を実現することと異性カップルの婚姻をするについての自由は利益が相反する関係にもないことなどからすれば、同性間の婚姻等の制度の構築に向けた立法が多数決の原理の下においては期待できないとは必ずしもいえない。実際、近年の調査によれば、同性カップルに婚姻等の法的保護の制度を認めるべきだとの回答をしている者が相当程度にまで増加してきている旨の結果も示されている。このように、民主的過程での議論の余地がある以上、これを措いて、現時点において司法が積極的に本件諸規定の違憲を宣言すべき状況にあるということはできない。
[120] 確かに、我が国では、前記のとおり憲法24条1項が同性間の婚姻又は婚姻類似の制度の創設を禁止していないにもかかわらず、同性愛者らに対し、婚姻どころか、婚姻類似の別の制度の構築の動きでさえ本格化していないこともうかがわれる。しかし、同性間の婚姻について国会において議論されるようになったのは平成27年に至ってからであり(甲A11、12、60~62、312、318。なお、平成27年より前にこれに言及されたことはあったものの、議論された形跡は見当たらない。)、同性間の婚姻や同性カップルの法的保護に否定的な意見や価値観を有する国民が今もなお少なからず存在している(平成27年の調査では、20代や30代など若年層においては上記に対する法的保護に肯定的な意見が多数を占めるものの、60歳以上の比較的高い年齢層においては否定的な意見が多数を占めているし、全年代で「無回答」も相当程度存在する。令和元年の調査では肯定的な意見が更に増加してはいるものの、60歳以上では、肯定的な意見が約47%であるのに対しなお約43%余の者が否定的な意見を有しており、無回答も一定程度存在している(認定事実(6))。さらに、「同性婚」や「同性同士の結婚」に賛成とする意見が多い旨のアンケートの結果も存在するものの(認定事実(6))、既に述べたように、これらの調査において「同性婚」等の意味が各回答者において統一的に捉えられていたとは必ずしもいい難い。)。これらの事情に照らせば、我が国において、同性愛についての理解が深まり、同性愛者にも婚姻と同等の法的保護を与えるべきとの機運は高まっているとはいえるものの、少なくともその方法についての議論はまだその途上にある。そうすると、現時点で法改正や新たな制度を設けることの具体的な検討がされていないからといって、必ずしも同性愛者の婚姻に関する権利が少数者の人権であるがために、その検討が遅れているとまではいえず、国会における今後の議論がおよそ期待できないということはできない。
[121] 以上によれば、今後の社会状況の変化によっては、同性間の婚姻等の制度の導入について何ら法的措置がとられていないことの立法不作為が、将来的に憲法24条2項に違反するものとして違憲になる可能性はあるとしても、本件諸規定自体が同項で認められている立法裁量の範囲を逸脱しているとはいえない。
[122](1) 本件諸規定は、異性間の婚姻のみを定め、同性間の婚姻は定めていないものである。そこで、原告らは、本件諸規定により、異性愛者は婚姻をすることができるのに対して同性愛者はこれをすることができず、婚姻の効果を享受できないという別異の取扱い(以下「本件区別取扱い」という。)が生じているとして、このことが憲法14条1項に違反する旨主張する。
[123] 憲法14条1項は、法の下の平等を定めており、この規定は、事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものでない限り、法的な差別的取扱いを禁止する趣旨のものであると解すべきである(最高裁昭和37年(オ)第1472号同39年5月27日大法廷判決・民集18巻4号676頁、最高裁昭和45年(あ)第1310号同48年4月4日大法廷判決・刑集27巻3号265頁、最高裁平成25年(オ)第1079号同27年12月16日大法廷判決・民集69巻8号2427頁等)。前記2(3)アのとおり、同法24条2項は、婚姻及び家族に関する事項について、具体的な制度の構築を第一次的には国会の合理的な立法裁量に委ねるとともに、その立法に当たっては、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきとの要請、指針を示すことによって裁量の限界を画したものであるから、婚姻制度に関わる本件諸規定が、国会に与えられた上記のような裁量権を考慮しても、そのような区別をすることに合理的な根拠が認められない場合に、当該区別は、憲法14条1項に違反するものと解するのが相当であるというべきである(最高裁平成24年(ク)第984号、第985号同25年9月4日大法廷決定・民集67巻6号1320頁参照)。

[124](2) このような観点から、本件諸規定が憲法14条1項に違反するかを検討する。
[125] この点について、被告は、本件諸規定は、客観的に同性愛者であるか異性愛者であるかによって婚姻制度の利用の可否について取扱いを区別するものではないから、同性愛者がその性的指向に合致する者と婚姻をすることができない結果が生じているのは、本件諸規定から生ずる事実上の結果にすぎないとし、それゆえ立法裁量がより広範になる旨主張する。確かに、本件諸規定は、その文言上、婚姻の成立要件として当事者に特定の性的指向を有することを求めるものではなく、当事者が特定の性的指向を有することを理由に婚姻を禁止するものでもないから、その趣旨、内容や在り方自体が性的指向に応じて婚姻制度の利用の可否を定めているものとはいえない。しかし、婚姻の本質は、自分の望む相手と永続的に人的結合関係を結び共同生活を営むことにある以上、同性愛者にとっては、異性との婚姻制度を形式的には利用することができたとしても、それはもはや婚姻の本質を伴ったものではないのであるから、実質的には婚姻をすることができないのと同じであり、本件諸規定はなお、同性愛者か異性愛者かによって、婚姻の可否について区別取扱いをしているというべきであって、これを単なる事実上の結果ということはできない。
[126] かえって、本件区別取扱いは、上記のとおり、性的指向という本人の意思や努力によっては変えることのできない事柄によって、婚姻という個人の尊厳に関わる制度を実質的に利用できるか否かについて区別取扱いをするものであることからすると、本件区別取扱いの憲法適合性については、このような事柄の性質を考慮して、より慎重に検討される必要がある。
[127] そこで検討すると、本件諸規定は、憲法24条2項が、異性間の婚姻についてのみ明文で婚姻制度を立法化するよう要請していることに応じ、個人の尊厳や両性の本質的平等に配慮した異性間の婚姻制度を構築したものと認められ、その趣旨目的は、憲法の予定する秩序に沿うもので、合理性を有していることは既に述べたとおりである。そして、本件諸規定が同性間の婚姻制度については何ら定めていないために本件区別取扱いが生じているものの、このことも、同条1項は、異性間の婚姻については明文で婚姻をするについての自由を定めている一方、同性間の婚姻については、これを禁止するものではないとはいえ、何らの定めもしていない以上、異性間の婚姻と同程度に保障しているとまではいえないことからすると、上記立法目的との関連において合理性を欠くとはいえない。したがって、本件諸規定に同性間の婚姻制度が規定されていないこと自体が立法裁量の範囲を超えるものとして憲法14条1項に違反するとはいえない。
[128] 確かに、現時点の我が国においては、同性愛者には、同性間の婚姻制度どころか、これに類似した法制度さえ存しないのが現実であり、その結果、同性愛者は、前記のとおり、婚姻によって異性愛者が享受している種々の法的保護、特に公認に係る利益のような重要な人格的利益を享受することができない状況にある。したがって、このような同性愛者と異性愛者との間に存在する、自らが望む相手との人格的結合関係について享受し得る利益の差異の程度が、憲法14条1項の許容する合理的な立法裁量の範囲を超えるものではないかについてはなお慎重に検討すべきということができる。
[129] しかし、前記2(3)イのとおり、異性間の婚姻は、男女が子を産み育てる関係を社会が保護するという合理的な目的により歴史的、伝統的に完全に社会に定着した制度であるのに対し、同性間の人的結合関係にどのような保護を与えるかについては前記のとおりなお議論の過程にあること、同性愛者であっても望む相手と親密な関係を築く自由は何ら制約されておらず、それ以外の不利益も、民法上の他の制度(契約、遺言等)を用いることによって相当程度解消ないし軽減されていること、法制度としては存在しないものの、多くの地方公共団体において登録パートナーシップ制度を創設する動きが広がっており、国民の理解も進んでいるなど上記の差異は一定の範囲では緩和されつつあるといえること等(前記2(3)イ(イ))からすると、現状の差異が、憲法14条1項の許容する国会の合理的な立法裁量の範囲を超えたものであるとは直ちにはいい難い。
[130] また、仮に上記の差異の程度が小さいとはいえないとしても、その差異は、既に述べたように、本件諸規定の下においても、婚姻類似の制度やその他の個別的な立法上の手当てをすることによって更に緩和することも可能であるから、国会に与えられた裁量権に照らし、そのような区別に直ちに合理的な根拠が認められないことにはならない。
[131] 以上のとおりであるから、本件区別取扱いが憲法14条1項に違反すると認めることはできない。
[132](1) 国家賠償法1条1項は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個々の国民に対して負担する職務上の法的義務に違反して当該国民に損害を加えたときに、国又は公共団体がこれを賠償する責任を負うことを規定するものであるところ、国会議員の立法行為又は立法不作為が同項の適用上違法となるかどうかは、国会議員の立法過程における行動が個々の国民に対して負う職務上の法的義務に違反したかどうかの問題であり、立法の内容の違憲性の問題とは区別されるべきものである。そして、上記行動についての評価は原則として国民の政治的判断に委ねられるべき事柄であって、仮に当該立法の内容が憲法の規定に違反するものであるとしても、そのゆえに国会議員の立法行為又は立法不作為が直ちに国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものではない。
[133] もっとも、法律の規定が憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反するものであることが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠る場合などにおいては、国会議員の立法過程における行動が上記職務上の法的義務に違反したものとして、例外的に、その立法不作為は、国家賠償法1条1項の規定の適用上違法の評価を受けることがあるというべきである。(最高裁昭和53年(オ)第1240号同60年11月21日第一小法廷判決・民集39巻7号1512頁、最高裁平成13年(行ツ)第82号、第83号、同年(行ヒ)第76号、第77号同17年9月14日大法廷判決・民集59巻7号2087頁、最高裁平成25年(オ)第1079号同27年12月16日大法廷判決・民集69巻8号2427頁参照)

[134](2) これを本件についてみると、前記2、3で説示したとおり、本件諸規定は、国会の合理的な立法裁量の範囲内にあり、憲法の規定に違反するものではないから、本件諸規定を改廃しないことが上記の例外的場合に当たると解すべきとはいえない。よって、本件諸規定を改廃しないことが国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものではない。
[135] 以上によれば、原告らの請求は、その余の点を判断するまでもなく、いずれも理由がないから、これらを棄却することとして、主文のとおり判決する。

  裁判長裁判官 土井文美  裁判官 神谷善英  裁判官 関尭熙
(1) 原告らの主張の要旨
[1] 本件諸規定は、明文で同性間の婚姻を禁止していないとしても、民法や戸籍法の「夫婦」との文言が男である夫及び女である妻を意味するとされ、法律上同性間で婚姻をすることは認められないと解釈されており、同性愛者が婚姻制度を利用することを排除している。
[2] したがって、本件諸規定が違憲判断の対象となる。
[3] なお、被告は、原告らの主張が、同性の者を婚姻相手として選択できることを含む同性間の人的結合関係に対する積極的保護を内容とする法制度の創設を求めるものにほかならないと主張するが、原告らが求めるのは「本件諸規定が規定する婚姻制度のアクセス」であって,上記のような婚姻とは別の新たな「婚姻に準ずる制度」の創設ではない。
[4] 本件諸規定は、次のとおり憲法24条、13条に違反する。
[5](ア) 憲法24条1項は、個人より家を優位に置く明治民法における婚姻の在り方を排し、法律上の婚姻が、国家や第三者に干渉されることなく、平等な意思主体間の自由な婚姻意思の合致のみによって成立することを定め、婚姻の自由を保障したものであり、この婚姻の自由の保障は、同性間の婚姻にも及ぶ。同項の「両性」という文言を偏重し、「婚姻」を異性間の婚姻に限定するような文言解釈は相当ではない。
[6] このことは、憲法13条が、個人の人格に深く関わる事柄について、公権力の干渉を受けずに自ら決定する権利(自己決定権)を保障するものと解され、法律上の婚姻をするかどうか、いつ誰とするかを自ら決定できることは、個人の尊重という憲法の基本価値の実現に不可欠であるから、婚姻の自由が自己決定権の一内容として保障されることからも根拠付けられる。
[7] 以上のことからすれば、婚姻の自由は同性間の婚姻にも及ぶにもかかわらず、同性間の婚姻を認めていない本件諸規定は、その婚姻の自由の一内容である「誰と婚姻をするか」の自由を直接制約するものであって、その制約を正当化し得るような理由はないから、憲法24条1項、13条に違反する。
[8](イ) 憲法24条2項は、「配偶者の選択……並びに婚姻及び家族に関するその他の事項」について、法律が「個人の尊厳」に立脚して制定されなければならないと定めている。
[9] 憲法が、全ての人が「個人として尊重される」ことを定める憲法13条に加えて、憲法24条2項でも「個人の尊厳」に立脚した法律を制定することを求めたのは、戦前の家族制度の在り方に対する深い反省によるものである。そして、望む相手と親密な関係を築くこと、それが社会的に公示、認知されることは、人格の核心に関わる重要な事柄である。
[10] 本件諸規定は、配偶者の選択という婚姻制度の中核的要素について、婚姻の自由を直接制約するものであり、その制約が半永久的であること、同性愛者等は社会的に少数者であることなどを踏まえると、立法裁量の余地がない。少数者である同性愛者等は偏見や差別を受けてきた歴史があり、このような集団に対する差別の是正の問題は、少数者の人権侵害の問題であり、これは民主政治のプロセスによる解決は困難であり立法府の裁量を認めることは人権侵害を放置することになる。
[11] そして、本件諸規定の目的は、子の有無、子をつくる意思、能力の有無にかかわらず、夫婦の共同生活自体を保護することにあるところ、異性愛と同性愛の差異は性的指向の違いのみであって、同性愛者であっても婚姻の本質を伴った共同生活を営むことができるから、同性間の婚姻を認めないことは本件諸規定の目的達成の手段として合理性を欠いている。
[12] したがって、本件諸規定は憲法24条2項に違反する。
[13] 本件諸規定は、次のとおり憲法14条1項に違反する。
[14](ア) 本件諸規定は、異性愛者にのみ婚姻制度の利用を認め、同性愛者にはその利用を許さないものであるから、性的指向によって合理的根拠なく別異取扱いを行っている。
[15] そして、性的指向は自らの意思や努力によって変えることができない事柄であり、性的指向によって婚姻をすることができるか否かが異なるという別異取扱いは、憲法14条1項後段が規定する社会的身分又は性別による差別というべきであり、この別異取扱いの合理性は厳格に審査されるべきである。また、この別異取扱いにより制約を受ける同性愛者の利益は、婚姻の自由という憲法上の権利であり、これは個人の自己実現にとって必要不可欠なものであるところ、それが直接制約される場合であること、同性愛者は社会における少数者であり、民主制の過程で救済されないことからすると、やはりその別異取扱いの合理性は厳格に審査されるべきである。
[16](イ) 被告は、婚姻制度の目的が男女が子を産み育てる目的にある旨主張し、上記別異取扱いには合理的根拠がある旨主張する。しかし、このような子の養育のための制度としての婚姻の社会的重要性は、社会状況の変化に伴う家族の形態の多様化によって婚姻と生殖との不可分の結合関係が失われるとともに減退し、現在では、婚姻は、婚姻当事者の個人的な利益の保護を目的とするものと考えられるようになってきたことから婚姻制度の目的は、当事者間の精神的な結合に基づく永続的な共同生活関係を公的に承認し、法的に規律し保護すること、これにより結びつきを安定化させることにある。そうすると、婚姻の目的を生殖であるとして同性愛者を婚姻制度から一律に排除することは不合理であり憲法14条1項に違反する。
[17](ウ) 上記別異取扱いにより、異性カップルが享受し得ているのに同性カップルが享受し得ない権利利益は様々存在しているが、これらを同性カップルにのみ付与しない合理的な根拠はない。国民には法律婚を尊重する意識が広く浸透している我が国においては、法律上の婚姻をしたカップルが正式なカップルと認識されて社会的に承認を受けており、カップルの関係を公示してその身分関係を明らかにすること自体にも社会的意義、必要性が存在する。しかしながら、我が国においては、同性カップルには婚姻制度がないために、同性カップルは公証を受けることができず、正式なカップルであるとの社会的認識を得られない結果、社会的な承認を受けられない。また、異性カップルであれば、婚姻に伴う様々な法令上の権利、利益のほか、パートナーの医療行為に対する同意をすることなど事実上の利益を享受することができるが、同性カップルにはこれらの権利、利益が一切付与されていない。
[18] 憲法及び本件諸規定の制定当初は、同性愛は精神疾患であり、倫理的にも許されないものとする社会通念が存在したが、現在に至るまでの間に同性愛の性的指向を有することは精神疾患ではないことが明らかにされ、また性的指向が決定される原因については種々の議論があるものの、少なくとも個人の意思に基づいて決定されるものではないことが明らかにされている。上記のような公認を受け、それに伴い付与される権利、利益を、異性カップルのみに付与し、同性カップルが享受できないものとする合理的な理由もない。
[19] 以上のとおり、本件諸規定の立法目的に照らし、同性愛者等を婚姻制度から排除する別異取扱いに合理性がないから、憲法14条1項に違反する。

(2) 被告の主張の要旨
[20] 本件諸規定は、次のとおり憲法24条、13条に違反しない。
[21](ア) 憲法24条1項は、「両性」、「夫婦」という文言を用いており、異性間の婚姻を前提とするものであって、同性間の婚姻を想定しておらず,異性間の婚姻と同程度に同性間の婚姻を保障しなければならないことを命じるものではない。
[22] 憲法13条が自己決定権を保障しているかどうかやその具体的な内容は明らかではなく、仮に婚姻に関する何らかの自己決定権を観念できるとしても、婚姻をするについての自由は、憲法の定める婚姻を具体化する法律に基づく制度によって初めて個人に与えられる、あるいはそれを前提とした自由であり、生来的、自然権的な権利又は利益、人が当然に享受すべき権利又は利益ということはできない。本件諸規定は、憲法24条の要請に基づき、婚姻について異性間の人的結合関係のみを対象とするものとしてその具体的な内容を定めているにすぎす、原告らが本件諸規定により侵害されていると主張する権利又は利益の本質も、結局、同性間の人的結合関係について積極的な保護や法的な利益の供与を認める法制度の創設を求めるものにほかならず、これは法制度を離れた生来的、自然権的な権利又は利益として憲法で保障されているものではないから、このような内実のものが、自己決定権により基礎付けられるとはいえない。
[23] よって、本件諸規定は、憲法24条1項、13条に違反しない。
[24](イ) 憲法24条1項が、当事者双方の性別が同一である場合に法律婚を成立させることを想定していないことを前提とすると、同条2項では、異性間の関係としての婚姻以外については立法による制度の構築が要請されていない。
[25] また、本件諸規定は、夫婦がその間に生まれた子供を産み育てながら共同生活を送るという関係に対して法的保護を与えるという民法の婚姻制度の目的には合理性があり、家族に関する基本的な制度においては、その目的もある程度抽象的、定型的に捉えざるを得ず、制度を利用することができるか否かの基準は明確である必要があるとの観点から、抽象的、定型的に、その間の子が出生する可能性のある「両性」の結合を婚姻制度の対象とすることも、上記の目的達成のための手段として合理性がある。
[26] したがって、本件諸規定は、個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠くものではなく、国会の立法裁量の範囲を超えるものではないから、憲法24条2項には違反しない。
[27] 本件諸規定は、次のとおり憲法14条1項に違反しない。
[28](ア) 憲法24条が異性間の婚姻のみを対象として婚姻に係る法制度の構築を法律に委ねていることからすると、本件区別取扱いは、憲法が予定し許容しているもので、憲法14条1項に違反しない。
[29](イ) また、本件諸規定は性的指向によって婚姻制度の利用の可否を定めているものではない中立的な規定であるから、同性愛者と異性愛者との間で婚姻について生ずる差異は本件諸規定から生ずる事実上の結果ないし間接的な効果にすぎないこと、婚姻及び家族に関する事項の憲法14条1項適合性については憲法24条2項の解釈と整合的に判断する必要があること、同性間の婚姻による権利利益は憲法上保障されたものとはいえないこと等からすると、同性間の婚姻を認めるかどうかは立法府による広範な裁量が認められる事柄であるといえる。
[30] そうすると、仮に本件諸規定が憲法14条1項に違反する余地があるとしても、それは、婚姻について同性愛者と異性愛者との間の性的指向による差異を結果として生じさせる本件諸規定の立法目的に合理的な根拠がなく、又はその手段、方法の具体的内容が立法目的との関連において著しく不合理なものといわざるを得ないような場合であって、立法府に与えられた広範な裁量の範囲を逸脱し又は濫用するものであることが明らかな場合に限られる。
[31] しかし、以下のとおり、本件諸規定は立法目的に合理的な根拠があり、本件区別取扱いは立法目的との関係で著しく不合理なものとはいえないから、本件諸規定は憲法14条1項に違反しない。
[32](ウ) 本件諸規定に基づく婚姻は、人が社会生活を送る中で生成され得る種々の、かつ多様な人的結合関係のうち、一人の男性と一人の女性との人的結合関係とその間に産まれる子との人的結合関係を制度化し、夫婦に身分関係の発生に伴うものを含め、種々の権利を付与するとともに、これに応じた義務も負担させることによって、夫婦関係の長期にわたる円滑な運営及び維持を図ろうとするものであり、本件諸規定の目的は、一人の男性と一人の女性が子を産み育てながら共同生活を送るという関係に対して特に保護を与えることにある。
[33] そして、本件諸規定は、異性間の婚姻を前提とする憲法24条の規定を受けて定められたものであり、また、我が国において、一人の男性と一人の女性の人的結合関係が、今後の社会を支える次世代の子を産み、育みつつ、我が国の社会を構成し、支える自然的かつ基礎的な集団単位である家族をその中心となって形成している実態があって、その実態に対して歴史的に形成されてきた社会的な承認が存在していることに鑑みると、このような立法目的は合理性を有する。
[34](エ) 婚姻関係を含む家族に関する基本的な制度については、その目的について抽象的、定型的に捉えざるを得ない上、その制度を利用することができるか否かの基準は明確である必要があることから、婚姻をすることができる夫婦の範囲を、実際の自然生殖可能性の有無にかかわらず、生物学的な自然生殖可能性を基礎として抽象的、定型的に定めることには合理性がある。
[35] また、憲法が本件諸規定により異性間の人的結合関係としての婚姻を制度化することを予定し、同性間の婚姻を認める制度を想定していないことに加え、同性間の人的結合関係を我が国における婚姻の在り方との関係でどのように位置付けるかについては、いまだ社会的な議論の途上にあり、我が国において同性間の人的結合関係を異性間の人的結合関係と同視し得るほどの社会的な承認が存在しているとはいい難い。同性間の婚姻が認められていないという事態は、同性間の人的結合関係に特別の法的保護が与えられていないにとどまり、同性間において婚姻類似の人的結合関係を構築、維持したり、家族を形成したり、共同生活を営んだりする自由は何ら制限されるわけではないといえるし、婚姻により生ずる法的効果を受ける権利利益は、憲法上も具体的な法制度上も同性間の人的結合関係に対して保障されているものではない上、民法上の他の制度(契約、遺言等)を用いることによって、同性間の婚姻が認められないことによる事実上の不利益が相当程度解消ないし軽減される余地もある。以上からすれば、本件諸規定は、その立法目的との関連においても合理性を有する。
(1) 原告らの主張の要旨
[36] 法律の規定が憲法上保障され又は保護されている権利、利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反するものであることなどが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠る場合などにおいては、国会議員の立法過程における行動が職務上の法的義務に違反したものとして、例外的にその立法不作為は国家賠償法1条1項の規定の適用上違法の評価を受ける。
[37] ここでいう立法状態の違憲性が明白であることとは、「明白である」という用語の一般的な用法(異論を生じない場合を意味する。)よりも緩やかな程度を指すと解され、口頭弁論終結時までの社会状況の変化等を含む全ての事情がその判断の基礎となる。
[38] 本件諸規定は、具体的な制度の構築が第一次的には国会の合理的な立法裁量に委ねられている婚姻に関するものであるが、婚姻制度に関わる立法に際して考慮されるべき種々の事柄や要因は時代と共に変遷するものであるから、その定めの合理性については、個人の尊厳と法の下の平等を定める憲法に照らして不断に検討され、吟味される必要がある。また、本件諸規定が性的指向に基づく別異取扱いをもたらすものであることからすると、国会議員には、その職務を行うについて、少数者である同性愛者をも視野に入れた、肌理の細かな配慮が必要であり、同性愛者の権利、利益を十分に擁護することが要請されているというべきである。これらのことからすれば、本件諸規定に関し、国会議員が個々の国民に対し負担する職務上の法的義務は、本件諸規定が違憲であるとする司法判断等を受けてからそれを踏まえた立法措置を講ずれば足りるという受動的なものにとどまるものではなく、その合理性に関わる種々の事柄等について自ら調査、検討することを通じて、個人の尊厳と法の下の平等を定める憲法に照らして、自ら主体的に本件諸規定の合理性を不断に検討し、吟味すべき能動的な義務を含むものである。
[39] しかしながら、原告らの中で最も早く婚姻届を提出した原告3及び原告4が婚姻届を提出した平成31年1月4日よりも相当以前の時点において、立法府の裁量権を考慮したとしても、本件諸規定についての合理的な根拠は失われていた。本件諸規定は、原告らの婚姻をする自由を侵害し、また原告ら同性カップルを婚姻に関して合理的理由なく差別的に取り扱うものであって、原告ら同性カップルが法律上の婚姻について異性カップルと平等な取扱いを受ける権利、利益を侵害するものであるから、憲法24条1項及び2項、13条、14条1項に違反するものである。
[40] 以上のことから、本件諸規定の違憲性は、遅くとも原告らが婚姻届を提出する相当以前には国会にとって明白なものとなっていたというべきであり、そうであるにもかかわらず、国会は、正当な理由なく長期にわたってその改廃の立法措置を怠っていたのであるから、本件諸規定を改廃しなかった国会の立法不作為は、国家賠償法1条1項の適用上違法というべきである。

(2) 被告の主張の要旨
[41] 国家賠償法1条1項にいう「違法」とは、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違反することをいうところ、国会議員の立法行為又は立法不作為が国家賠償法1条1項の適用上違法となるかどうかは、国会議員の立法過程における行動が個々の国民に対して負う職務上の法的義務に違反したかどうかの問題であり、立法内容の違憲性の問題とは区別されるべきものである。そして、上記行動についての評価は、原則として国民の政治的判断に委ねられるべき事柄であって、仮に当該立法の内容が憲法の規定に違反するものであるとしても、そのことをもって国会議員の立法行為又は立法不作為が直ちに国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものではない。
[42] もっとも、法律の規定が憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反するものであることが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠る場合などにおいては、国会議員の立法過程における行動が上記職務上の法的義務に違反したものとして、例外的にその立法不作為は国会賠償法1条1項の規定の適用上違法の評価を受けることがあると解するのが相当である。
[43] 本件諸規定は、憲法24条1項及び2項、13条、14条1項に違反するものではないから、そもそも国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受ける余地はない。
(1) 原告らの主張の要旨
[44] 原告らは、本件諸規定を改廃しないという被告の立法不作為により、憲法上保障される婚姻の自由を侵害され、婚姻により生ずる社会的承認に伴う心理的・社会的利益、法的・経済的権利・利益及び事実上の利益を受けることができず、また社会が承認しない関係性というスティグマを与えられて尊厳を深刻に傷つけられているという重大な損害を被っており、それらにより著しい精神的苦痛を被っている。
[45] このような精神的苦痛を慰謝するに足りる慰謝料は,原告らそれぞれについて少なくとも100万円を下らない。

(2) 被告の主張の要旨
[46] 原告らの損害の発生は否認する。
(1) 原告らの主張の要旨
[47] 国家賠償請求権について定められた憲法17条では、「何人も」とされており、国家賠償法1条1項は、その文言上、対象を日本国民ないし相互保証の存在する国の国籍を有する外国人に限定されておらず、同法6条は、被害者が外国人である場合に初めて、その外国人が国籍を有する国と日本との間に相互の保証があるかどうかを問題にしている。このような憲法及び国家賠償法の構造に鑑みると、同法に基づき損害賠償請求をする者は、その者が外国人であったとしても、請求原因としては同法1条1項の事実関係を主張立証すれば足り、当該被害者である外国人が国籍を有する国と日本との間に相互の保証がされていないことは抗弁事実と解すべきである。
[48] もっとも、平成14年当時、米国と日本との間には、国家賠償に関し、相互の保証が存在し、現在に至るまでその状況に変更は見られないから、原告4につき、国家賠償法6条所定の相互保証がある。

(2) 被告の主張の要旨
[49] 国家賠償法6条が相互保証主義を採用していることからすると、同条は、外国人に対して相互保証が存在することを条件として同法上の請求権を与えたものというべきであり、同条は外国人にとって同法上の権利根拠規定と解すべきであり、相互保証の要件を充足することは、国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求における請求原因を構成する。
[50] 原告4につき、国家賠償法6条所定の相互保証があるとの主張立証がされているとはいえない。
以上

■第一審判決       ■判決一覧