早稲田大学江沢民講演会事件
第一審判決

損害賠償等請求事件
東京地方裁判所 平成11年(ワ)第7043号
平成13年10月17日 民事第32部 判決

原告 A 外2名
被告 学校法人早稲田大学

■ 主 文
■ 事 実 及び 理 由


1 原告らの請求のうち,被告が原告らにした譴責処分の無効の確認を求める訴えをいずれも却下する。
2 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は原告らの負担とする。

1 被告は,原告らに対し,それぞれ,110万円及びこれに対する平成11年4月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告が,平成11年1月23日付けで原告Aに対してした,同月21日付けで同Bに対してした,同年2月24日付けで同Cに対してした各譴責処分は,いずれも無効であることを確認する。
3 被告は,原告らに対し,それぞれ,別紙記載のとおりの謝罪文を交付するとともに,その内容を縦45cm,横60cm以上の紙等に記載したものを,本判決確定の日から1か月間,原告らに関して早稲田大学本部掲示板に,原告Aに関して早稲田大学商学部掲示板に,原告Bに関して早稲田大学第一文学部掲示板に,原告Cに関して早稲田大学政治経済学部掲示板に,それぞれ掲示せよ。
[1] 本件は,被告が設置する早稲田大学(以下,同大学を「被告大学」といい,学校法人たる被告を,単に「被告」という。)の学生であった原告らが,被告大学大隈講堂において行われた中華人民共和国国家主席江沢民(以下,同国を「中国」といい,同人を「江主席」という。)の講演会(以下「本件講演会」という。)に参加した際に,建造物侵入及び威力業務妨害の嫌疑により現行犯逮捕され(以下「本件逮捕」という。),後に,本件講演会を妨害したことを理由として被告大学から譴責処分に付された(以下「本件処分」という。)ことに関し,(a) 本件逮捕は違法なものであり,被告大学がこれに積極的に協力,加担したことにより,身体の自由を侵害された,(b) 無効な本件処分により,名誉を毀損され,良心を侵害された上,本件処分の告示により,名誉,信用を毀損された,(c) 被告大学は,本件講演会に参加を希望した原告らを含む被告大学の学生に,学籍番号,氏名,住所及び電話番号を記入させた名簿を,警視庁等に提供し,原告らの個人情報を目的外に利用したところ,これにより,プライバシーの権利等を侵害されたと主張して,被告に対し,それぞれ,不法行為に基づき,(a) 肉体的,精神的苦痛に対する金銭賠償,(b) 本件処分の無効確認,(c) 謝罪文の交付及びその掲示を求めた事案である。
(1) 当事者
ア 原告ら
[2] 原告A(以下「原告A」という。)は,平成4年4月,被告大学商学部に入学した者である。
[3] 原告B(以下「原告B」という。)は,平成3年4月,被告大学第一文学部に入学した者である。
[4] 原告C(以下「原告C」という。)は,平成2年4月,被告大学政治経済学部に入学した者である。
[5] 原告らは,平成10年11月当時,いずれも,被告大学の学生であった。
イ 被告及び被告大学
[6] 被告は,被告大学,早稲田大学高等学院等を設置する学校法人である。

(2) 本件講演会及び本件逮捕
ア 本件講演会
[7] 被告大学は,平成10年11月28日,被告大学大隈講堂において,本件講演会を開催した。
イ 本件逮捕
[8] 同日,原告らは,警視庁の警察官により,建造物侵入及び威力業務妨害の嫌疑により現行犯逮捕された。

(3) 本件処分及びその告示等
ア 本件処分
[9] 被告大学は,原告Bについては平成11年1月19日に,同Aについては同月20日に,同Cについては同年2月16日に,それぞれ,本件処分に付した。
[10] 被告大学の学則(以下「本件学則」という。)46条には,被告大学の学生が被告大学の規則若しくは命令に背き又は学生の本分に反する行為があったときは,懲戒処分に付することができ,懲戒は,譴責,停学及び退学の3種とする旨が,また,本件学則48条には,懲戒は,当該学部の教授会の議を経てこれを行う旨が定められている(甲1,乙4)。
イ 本件処分の告示等
[11] 被告大学は,原告Bに対しては平成11年1月21日に,同Aに対しては同月23日に,同Cに対しては同年2月24日に,それぞれ,本件処分を告知した。
[12] 被告大学は,平成11年1月20日,第一文学部長名において原告Bにつき,同月21日,商学部教授会名において同Aにつき,同年2月26日,政治経済学部長名において同Cにつき,それぞれ本件処分の告示をした。
(1) 本件逮捕の違法性と被告大学の協力,加担
[13] 原告らは,正規の手続を経て,その要件を充たした上で,大隈講堂に入場したのであり,何ら建造物侵入に問われるものではなかった。また,原告らが発した野次は,「中国の核軍拡反対」などというものであり,原告Cが掲げた横断幕も,「中国の官僚による資本主義化反対」というものであり,いずれも,その内容において正当であり,かつ,普遍性を有するものであって,それによって江主席の講演が中断されることもなかったのであるから,何ら業務を妨害するものではなかった。
[14] こうしたことからすると,そもそも,本件逮捕は,逮捕権の濫用であり,違法なものであった。
[15] しかるに,被告大学は,本件講演会を主催するに当たり,自治会活動家を中心として,多くの学生らが抗議の意向を有していることを察知して,学生活動家らの抗議行動等の機会を捉え,何らかの口実を設けてこれに弾圧を加え,その活動を規制し,活動力の弱体化,孤立化を図ろうとし,本件講演会の機会に被告大学学生自治会等の運動に弾圧を加えることを企図した警視庁と連携して,被告大学の学生の自治活動を封殺しようとした。
[16] そして,被告大学は,本件講演会当日,極めて多数の制服,私服の警察官を学内に導入し,警察が,被告大学学生自治会の活動家学生を始めとした本件講演会に反対する活動を封じ込め,弾圧することを許容し,これに協力,加担した。すなわち,被告大学の学生部長坂上恵二,学生副部長大野高裕,学生課職員中山らは,原告らが,警察官により本件講演会場から引きずり出された後,大隈小講堂において身柄を拘束され続けた際,その側にいたが,こうした警察官の行為に何ら異を唱えることもなく,かえってこれを容認したばかりか,被告大学において,警視庁に被害の申告をするなどして,原告らの逮捕,身柄拘束を可能にし,身体の自由の侵害に積極的に協力,加担した。
[17] 以上により,原告らは,身体の自由を不当に侵害され,肉体的,精神的に著しい苦痛を受けた。

(2) 本件処分の無効
[18] そもそも,本件学則46条について,原告らが背いたといえるような「規則」,「命令」は,存在しない。また,原告らの行為は,その内容において正当であり,かつ,普遍性を有するものであり,それによって江主席の講演が中断されることもなく,何ら本件講演会の運営,進行を妨害するものではなかったのであるから,原告らの行為は,「学生の本分に反する行為」などと評されるものではない。したがって,原告らの行為は,何ら処分事由に当たらないものである。
[19] また,原告らは,自己の思想,政治的意見を表明しようとしたものであって,その内容は,極めて正当であり,かつ,普遍性を有するものであるから,何人も非難することができないものである。こうした原告らの行為は,憲法19条の思想及び良心の自由,同法21条の表現の自由として保障されたものであって,これを理由として不利益な扱いをすることは,上記の権利を侵害するものとして違法である。さらに,本件処分は,言論の自由の尊さを謳い,自己の思想及び良心(信念)を表明する権利,表現の自由ひいては「伝える自由」を保障する世界人権宣言や,同様の権利,自由を保障する国際人権宣言にも明確に違反するものである。したがって,被告大学は,その処分権限を逸脱,濫用して本件処分をしたものである。
[20] このように,本件処分は,原告らの行為が何ら処分事由に該当しないにもかかわらず,また,被告大学の処分権限の逸脱,濫用によってされたものであるから,無効である。
[21] 原告らは,本件処分によって,著しく名誉を毀損されるとともに,自己の抱いている思想や意見を表明したことについて,被告大学から,いわれのない非難を受け,一方的に処分を通告されるという屈辱を甘受させられたのであり,良心を著しく侵害され,癒し難い精神的苦痛を受けた。また,本件処分の告示により,名誉,信用を毀損され,癒し難い屈辱を余儀なくされた。

(3) 個人情報の目的外利用
[22] 被告大学は,本件講演会に参加を希望した原告らを含む被告大学の学生に対し,学籍番号,氏名,住所及び電話番号を名簿に記入させ,それと引き換えに,参加証を交付した。
[23] ところで,学生番号,氏名,住所及び電話番号は,特定の個人が識別される個人情報である。一般に,個人情報は,憲法上の理念である個人の尊厳に根差すものとして厚く保護され,これを収集し,保管する者は,これを目的外に利用,提供してはならない責務を負う。
[24] また,被告大学は,個人情報の保護に関する規則(甲57。以下「本件規則」という。)を制定しており,その中で,次のとおり規定している。
(ア) (a)本人の同意があるとき,(b)法令の定めがあるとき,(c)その他個人情報保護委員会が正当と認めたときを除いて,個人情報を収集された目的以外のために利用又は提供してはならない(7条)。
(イ) 新たに個人情報を収集するときは,あらかじめ個人情報の名称,利用目的等の事項を個人情報保護委員会に届け出て,承認を得なければならない(9条)。
(ウ) 個人情報を収集された目的以外のために利用又は提供したときは,速やかに個人情報保護委員会に届け出なければならない(10条)。
[25] このように,被告大学は,一般原則によっても,また,自ら定めた本件規則によっても,収集した個人情報を本人の同意等なくして,目的外に利用したり,他へ提供してはならない義務を負っている。
[26] なお,個人情報の扱いについては,経済協力開発機構(OECD)が示しているガイドライン(以下「OECDガイドライン」という。)によるべきである。特に,個人データの収集目的は,収集時よりも遅くない時点において明確化されなければならず,その後のデータの利用は,当該収集目的の達成又は当該収集目的に矛盾しないで,かつ,目的の変更ごとに明確化された他の目的の達成に限定されるべきである。また,個人データは,データ主体の同意がある場合及び法律の規定による場合を除き,明確化された目的以外の目的のために開示利用その他の使用に供されるべきではない。
[27] そして,原告らを含む本件講演会の参加申込者は,本件講演会への参加の意思を表明し,参加証の交付を受ける目的で,申込書に氏名等を記入して,被告大学に提出したものであり,上記の氏名等の情報を,他者,とりわけ警察に提供することを同意したことは全くない。
[28] しかるに,被告大学は,原告らを含む参加申込者の同意を得ることも,個人情報保護委員会に対し,届け出て,その正当性についての判断を仰ぐこともなく,何らかの法令に基づくでもなくして,警視庁,外務省等に対し,上記アの名簿の原本又は写しを提供して,その保管する原告らの個人情報を目的外に利用した。また,被告大学は,警視庁に対しては,「自治会系の学生」と認定して原告らを特定した名簿を提出した。
[29] これにより,原告らは,プライバシーの権利,すなわち自己の情報をコントロールする権利を侵害された。また,原告らは,警視庁等に,原告らが本件講演会へ参加する意向であることを知られることとなり,学問の自由,思想及び信条の自由を侵害され,著しい精神的苦痛を受けた。とりわけ,警察は,原告らの行う自治会活動,文化,サークル活動,更には反戦,平和運動等を敵視し,監視,抑圧するものであり,そのための情報収集を行っていると認識されており,原告らは,自己の意に反して,このような警察に対し個人情報を知られたことにより,耐え難い苦痛を受けた。

(4) 原告らの損害,その回復措置等
[30] 原告らの受けた上記(1)ないし(3)の肉体的,精神的苦痛を慰謝するには,それぞれ100万円を下らない額の金銭を賠償する必要がある。また,原告らは,本訴を提起するに当たり,訴訟代理人に訴訟委任し,それぞれ10万円の支払を約した。
[31] 無効な本件処分により原告らが今なお受けている著しい精神的苦痛を慰謝し,また,社会的に失墜したその名誉を回復するためには,本件処分の無効が確認される必要がある。
[32] さらに,原告らが受けた上記(1)ないし(3)の肉体的,精神的苦痛を慰謝し,その名誉を回復するためには,前記請求3のとおり,謝罪文の交付及びその掲示をする必要がある。
[33](1) 本件請求のうち,本件処分の無効確認及びその無効を前提とする損害賠償等の各請求については,次のアないしウのとおり,司法審査の対象となる。
[34] そもそも,大学から懲戒処分を受けたという事実そのものが,被処分者にとって不名誉なものであり,その処分が無効と評価されるものであれば,人格権の侵害となる。また,その処分歴が将来一般市民社会において影響を及ぼす可能性は十分にある。したがって,本件処分が,一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題であるということはできない。
[35] 大学における懲戒処分について、大学側に大幅な裁量が認められるのは,その目的の達成に必要な限度内においてである。すなわち,大学側が行う懲戒処分が,教育施設としての学校の内部規律を維持し,教育目的を達成することを目的とせず,懲戒権に名を借りて,他の不法な目的を実現しようとするものであるときには,裁量の範囲を逸脱した行為として司法審査の対象となると解される。
[36] しかるに,本件処分は,原告らに対する教育的措置としてされたものではなく,ひとえに学生の自治活動や,自主的な文化,サークル活動等を嫌悪する被告大学の現執行部において,こうした活動や,活動を進める組織を破壊する目的の下に,懲戒作用に藉口してされたものにほかならず,社会通念上,著しく妥当を欠くものである。
[37] 前記本案の主張(2)アのとおり,そもそも,本件学則46条について,原告らが背いたといえるような「規則」,「命令」は,存在せず,また,原告らの行為は,「学生の本分に反する行為」などと評されるものではない。したがって,本件処分は,何ら処分事由が存在しないにもかかわらず,原告らに対しされたものであって,事実的基礎を欠くものである。

[38](2) 本件処分の無効を前提としないその余の請求についても司法審査の対象とならないとする被告の後記主張(被告の主張(本案前の抗弁)(2))については,否認し,争う。
[39] 以下の(1)及び(2)のとおり,本件請求は裁判所の司法審査の対象とならないものであるから,本件訴えは却下されるべきである。

(1) 本件処分の無効確認及びその無効を前提とする損害賠償等の各請求
[40] 大学は,国公立であると私立であるとを問わず,学生の教育と学術の研究を目的とする公共的な施設であるから,その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により制定し,これにより在学する学生を規律する包括的権能を有している。特に,被告大学のような私立大学においては,建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針を学則等において具体化し,これを実践することが当然認められるべきであり,学生も,被告大学において教育を受ける限り,かかる規律に服することが義務付けられている。
[41] このように,被告大学は,教育上の必要がある場合には,学生に対し,懲戒処分を付することができるところ,学校教育法,同法施行規則を受けて,本件学則46条,同48条を定め,学生に所定の行為があった場合には,教授会の議を経た上で,所定の種類の懲戒処分を行うことができるとしている。
[42] そして,被告大学が学生の行為に対し,懲戒処分を付するかどうか,同処分のうちいずれを選ぶべきかを決定するについては,その判断が社会観念上著しく妥当を欠くと認められる場合を除き,原則として懲戒権者たる学長の裁量に任されている。
[43] ところで,上記アのとおり,そもそも,大学は,一般市民社会とは異なる特殊な部分社会を形成しているのであるから,このような特殊な部分社会である大学における法律上の係争のすべてが当然に裁判所の司法審査の対象となるものではなく,一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題は,司法審査の対象から除かれるべきである。
[44] こうしたことからすると,本件処分は,被告大学の内部規律を維持し,教育目的を達成するため被告に認められた懲戒作用であって,退学処分と異なり,一般市民法秩序と直接の関係を有するものではないから,その当否は,純然たる被告大学内部の問題として,その自主的,自律的な判断に委ねられるべきものである。
[45] したがって,本件請求のうち,本件処分の無効確認及びその無効を前提とする損害賠償等の各請求については,裁判所の司法審査の対象とならないものである。

(2) 本件処分の無効を前提としないその余の請求
[46] 大学は,教育活動の一環として,内外の政治,経済等の分野で業績のある人物又は現在第一線で活躍している人物等を招いて,講演会を開催することがあるが,大学がどのような講演会を開催するかは,大学の教育的配慮の問題として,その自律的判断に委ねられるべき問題である。
[47] そして,大学が講演会を開催する場合,講演者の地位に応じた警備体制を整えることが必要となる。とりわけ,講演者が国賓といった海外の要人であれば,講演会を開催する大学は,外務省,警察及び講演者の本国政府から求められる厳重な警備体制を受入れ,また,その警備体制の中で大学が一定の役割を果たすことを要請されることとなる。
[48] こうしたことからすると,自治権の一内容として施設管理権を認められ,自主的な秩序維持の権能を認められている大学が,警察等からの要請に応じて,講演者の地位に相応する警備体制を受け入れ,また,その警備体制の中でどのような役割を果たすかの判断もまた,大学の自律的判断に委ねられる事柄である。
[49] そうすると,本件処分の無効を前提としないその余の請求についても,被告大学が国賓である江主席の講演会を実施する上で必要不可欠となる厳重な警備を受け入れるか否か,そして,その警備体制の中で,被告大学がどのような役割を担うかに関する被告大学の自律的判断の適否を不可欠の前提問題とするものであるから,裁判所の司法審査の対象とならないものである。
(1) 本件逮捕の違法性と被告大学の協力,加担について
[50] 原告らが横断幕を掲示し,大声で野次ることをあらかじめ申し出ていたのであれば,被告は,その入場を断っていたはずであり,原告らは,不法な目的で本件講演会場に入場したものであった。また,原告らの行為は,江主席を侮辱し,被告大学の主催した本件講演会を威力により妨害するものであった。原告らが逮捕されたのは,警備していた警察官が,こうした原告らの行為を現認したからにほかならず,本件逮捕は,何ら違法なものではない。
[51] 原告らが,逮捕され,身体の自由を拘束されたのは,自らの所為の所以である。被告大学は,本件逮捕に協力,加担したことはない。
[52] なお,被告大学は,本件講演会を安全,無事に終了させる義務と責任を負っており,他方,警察も,江主席の生命,身体について万全の警備,警護を行う責任を負っている。こうしたことからすると,自ら警備能力を備えていない被告大学が,その学内で江主席の講演会を開催するに当たり,これを円滑,かつ,平穏に実施するため,警察の警備,警護に協力するのは当然のことである。

(2) 本件処分の無効について
[53] 被告大学は,本件講演会に参加を希望する者に対し,あらかじめ文書又は掲示により,警備上,儀礼上の遵守事項を周知させていた。したがって,原告らを含む学生らは,被告大学が指示した遵守事項を,十分に認識して,本件講演会に参加していた。
[54] しかるに,原告らは,その遵守事項を無視して,原告らが自認するような妨害行為に出た。これにより,江主席は,講演を一瞬中断した。こうしたことは,上記遵守事項に明白に反する違法な行為であるばかりでなく,講演中の国賓である江主席に対するまことに無礼な妨害行為であって,侮辱に当たるものであった。そして,原告らのこうした行為により,被告大学は,本件講演会の後直ちに,中国大使館から厳重な抗議を受けるなどし,その対外的信用を著しく失墜させられた。
[55] 被告大学においては,原告らの所属する各学部の教授らが原告らから事情聴取するなどし,各学部の教授会における議決を経て,原告らを本件処分に付し,原告らに対しこれを告知した。なお,本件処分は,懲戒処分としては最も軽いものである。
[56] このように,本件処分は,手続的に適正であり,また,実体的にも正当であって,何ら無効となるものではない。

(3) 個人情報の目的外利用について
[57] 被告大学は,「自治会系の学生」と認定して原告らを特定した名簿を作成したことはなく,したがって,これを警視庁に提出したこともない。
[58] ただし,本件講演会に参加を希望した学生全員の名簿(以下「本件名簿」という。)の写しを,警視庁の警察官に手交したことはある。
[59] ある情報を第三者に開示する行為が,私法上,プライバシーを侵害し,不法行為となるか否かは,当該開示の目的,必要性,開示行為の態様,開示行為によって情報主体が被ることになる不利益の程度,その他諸般の事情を総合考慮して,判断すべきである。
[60] 本件において,被告大学が本件名簿を警察に提出した行為は,以下の(ア)ないし(ウ)のとおり,正当な理由に基づくものであって,不法行為とはならない。
(ア) 本件名簿の作成,提出の目的,必要性
[61] 大学は,国賓が出席する集会を開催する以上,外務省,警察,大使館等複数の関係機関と連携,協力して,その運営に当たらなければならない。そして,大学は,国賓の安全を確保するための万全な警備,警護を単独ですることができず,これを警察に委ね,これに協力するとの形を採らざるを得ない。
[62] 本件において,被告大学は,国賓である江主席の講演を開催するのであるから,上記の関係機関と連携,協力して,その運営に当たり,その安全を確保するための万全な警備,警護をするべく,これを警察に委ね,協力しなければならなかった。特に,江主席については,「民陣」という不穏グループが破壊活動等の行動に出るかもしれないとの情報も流れていたので,その警備,警護をより厳重にする必要があった。そこで,警察は,被告大学を含む参加申込者のいる関係機関に対し,本件講演会に出席する者全員の名簿の提出を求めた。
[63] 被告大学は,警察からのこうした要請に応じ,本件名簿を作成し,警察に提出したにすぎない。
(イ) 学生らの黙示的又は推定的同意
[64] 本件講演会の参加申込者の名簿は,被告大学の関係者のほか,江主席の随行員,外務省関係者,プレス関係者といったグループごとに作成された。ところで,このうち,被告大学の学生のグループの名簿(本件名簿)は,申込みをする学生自身に,個人を識別できる所定の事項を記入させるという方法により作成された。よって,被告大学の学生は,このような個人を識別できる情報を収集されることに同意していた。
[65] また,本件名簿は,申込受付期間中,各学部事務所,国際教育センター等に備え置かれ,閲覧可能な状態にあった。すなわち,参加申込みをする学生は,名簿の上段又は前頁に記入された他の申込者の個人を識別する事項を閲覧することが可能であった。したがって,本件名簿は公開されていたといえる。
[66] その上,被告大学は,本件講演会に参加を申し込んだ学生に対し,本件名簿への記入の際,「江沢民中華人民共和国国家主席講演会における注意事項」(乙1)を配布したが,これを読めば,学生は,本件講演会の警備,警護が通常の講演会よりもはるかに厳重であること,その理由が講演者が国賓である江主席だからであることを理解し又は理解することが可能であった。
[67] こうしたことからすると,被告大学が警察に本件名簿を提出することについては,学生らの黙示的又は推定的同意があった。
(ウ) 本件名簿の記載内容
[68] 本件名簿の記載内容は,学籍番号,氏名,住所及び電話番号のみに限定されている。一般に,このような個人の識別に最低限必要な情報は,思想信条,前科前歴,負債,病歴,学業成績,社会的身分等のいわゆるセンシティブ情報と比較して,知られたくないと感ずる度合いは小さく,したがって,その保護の必要性も低い。
[69] 本件規則は,個人情報をいかに取り扱うべきかを定めた事務処理規定であり,その性質上,個人情報が取り扱われる局面を,個別の事案における具体的な危険性の存否を問うことなく,いわば最大限の保護を目指すものとなっている。また,その規制の多くは,手続的適正を求めるものにすぎない。こうしたことからすると,本件規則に従って処理されなかったとしても,直ちに学生等のプライバシーを違法に侵害したことにはならない。このように,そもそも,本件規則は,現にされた情報開示行為の適法性を評価する際の基準にはなり得ないものである。
[70] また,本件規則は,繰り返し検索,利用することを容易にする体系的処理を施されて蓄積,保存された個人情報の管理をその規制対象としており,そのような体系的処理,保存,管理が予定されていない情報の取得は,本件規則にいう「収集」には当たらず,また,そのような情報の利用,提供は,本件規則にいう「利用」,「提供」には当たらないと解すべきである。本件名簿は,一時的,一回的な利用のためのものであって,蓄積,保存された上で繰り返し検索,利用されるような性質のものではないし,また,被告大学各箇所が体系的に処理している既存の情報(データベース)を全く利用しないで作成されたものである。したがって,本件名簿の作成,提出は,本件規則にいう「個人情報」の「収集」,「提供」には当たらないものである。
[71] なお,本件規則は,被告大学の事務処理規定にすぎず,被告大学内において,個人情報を管理する者を規制対象としたものであって,被告大学外の一般市民を規制対象とするものではない。また,本件規則の制定,解釈,適用は,被告大学の自律的作用そのものである。よって,被告大学による本件規則の解釈の当否について,裁判所の司法審査は及ばない。
[72] OECDガイドラインは,加盟各国に情報流通促進の基盤の形成を求める勧告に示された指針にすぎないから,それ自体では,個人情報保護に関する国内的な法源とはなり得ない。また,各国の具体的環境,組織,制度等に応じた措置を許容するものであるから,加盟各国内のあらゆる法域において,直ちに条理として通用するものではない。さらに,OECDガイドラインが定める個人情報に関する諸原則は,その制定の背景からして,個人データの自動処理(電算機処理)についてのみ適用されるものである。
[73] 本件名簿の提出は,本件講演会開催のため必要不可欠な措置であり,むしろ,原告らを含む学生らの教育のためにされたものである。したがって,原告らの学問の自由を侵害するものではない。
[74] また,本件講演会に参加することは自由であり,それ自体は何ら思想的表現を伴うものではないから,原告らの思想及び信条の自由を侵害するものでもない。

[75](4) 原告らの損害及びその回復措置等(前記原告らの主張(本案の主張)(4))については,いずれも,否認し,争う。
[76] 以上当事者双方の主張にかんがみれば,本件における主な争点は,次の4点に整理される。
(1) 本件訴えが,裁判所の司法審査の対象となるか否か。
(2) 本件逮捕が違法であるか否か(被告大学がこれに協力,加担したか否か。)。
(3) 本件処分が無効であるか否か。
(4) 被告大学による本件名簿の提出行為が,原告らのプライバシーの権利,学問の自由,思想及び良心の自由の侵害となり,被告が不法行為責任を負うか否か。
[77] 前記前提となる事実に,証拠(甲第112号証,第119号証,第120号証,乙第1号証ないし第7号証,第8号証の1,2,第9号証ないし第11号証,第13号証,証人佐藤英善,原告C)及び弁論の全趣旨を総合すると,次の各事実が認められる。

(1) 被告大学が本件名簿を警察に提出するに至る経緯等
[78] 被告大学は,かねてより,諸外国の要人が来日した際,これを招へいし,その講演会を開催してきた。
[79] 被告大学は,平成10年7月下旬ころ,中国大使館から,江主席が,同年8月ないし9月ころ,来日する際,被告大学を訪問したい旨の連絡を受けた。ところが,後に,中国側の事情により江主席の来日予定が延期され,同年11月上旬に至って,被告大学は,外務省から,江主席が,同月27日に来校する旨の連絡を受けた。さらに,その数日後には,江主席の来校予定は,同月28日に変更された。
[80] このようにして,被告大学は,江主席の来日,来校予定が確定しないまま,本件講演会を準備し,それに取り掛かるところとなったが,その間,警視庁,外務省,中国大使館等からは,警備体制について,万全を期すよう要請されていた。そこで,被告大学の職員,警視庁の担当者,外務省及び中国大使館の各職員らの間において,同年7月下旬ころから,数回にわたり,打合せが行われた。その中で,被告大学は,上記の関係機関から,警備に当たる被告大学の職員の人数,配置状況のほか,本件講演会の出席者の人数,その決め方等について,度々質問や要請をされるとともに,警視庁からは,同庁に対し,警備のため,本件講演会に出席する者の名簿を提出するよう要請された。
[81] こうして,本件講演会の準備が進められる中,被告大学は,警備に関して,外務省から,中国大使館国防武官から発せられた外務省中国課宛ての文書の交付を受けた。その文書には,中国から日本に亡命した「民陣」という活動家が,江主席の来日に向けて,決起運動を準備しており,学生らと結託して騒ぎを引き起こし,江主席に危害を加えるおそれもあるから,江主席の身辺警護をより強固にしてほしいとの趣旨が記載されていた。また,中国大使館からは,江主席は名誉博士の学位授与を辞退したい旨の連絡を受けたりもした。
[82] ところで,被告大学は,本件講演会の出席者をどのようにして決めるかを検討した。その際,被告大学内のゼミごとに人数を割り当てるなどの案も出されたが,最終的には,広く希望者を募られるよう,何らの制限も設けず,先着順で決めることとされた。そして,同年11月18日から同月24日までの間,各学部事務所,各大学院事務所及び国際教育センターにおいて,本件講演会に参加を希望する者を募集した。
[83] 募集に当たっては,次のような方法がとられた。
[84] すなわち,各学部事務所,各大学院事務所及び国際教育センターに,本件名簿が備え置かれた。本件名簿の用紙には,最上段の欄外に,「中華人民共和国主席江沢民閣下講演会参加者」との表題が印刷され,その下に,横書きで学籍番号,氏名,住所及び電話番号の各記入欄が設けられ,参加申込者が1人ずつ記入できるよう,1行ごとに横線が引かれて各欄が囲われていた。そして,上記用紙には,1枚につき,15名の参加申込者が記入できるよう,15行の欄が設けられていた。本件講演会に参加を希望する学生らは,この本件名簿の用紙に,順次,上段から,横書きで学籍番号,氏名,住所及び電話番号を記入して,本件講演会に参加を申し込むこととされた。
[85] また,本件名簿に氏名等を記入し,本件講演会に参加を申し込んだ学生に対しては,参加証が配布されるとともに,「江沢民中華人民共和国国家主席講演会における注意事項」と題する書面(乙1)が配布された。その書面には,上記の表題の下,次のように記載されていた。
(ア) 当日は,午前7時30分から午前8時45分の間(時間厳守)に,「学生証」と「参加証」を持参の上,大隈小講堂に集合してください。午前8時45分を過ぎてからの入場はできません。
(イ) 大隈小講堂入口で「学生証」と「参加証」を提示してください。
(ウ) 大隈講堂へ入場の際,金属探知器等により危険物所持の有無をチェックする場合がありますのであらかじめご了承ください。
(エ) 荷物はできるだけ持たずに集合してください。荷物がある場合はあらかじめ2号館で預からせていただきますので,大隈小講堂集合前に2号館クロークに荷物を預けてください。
(オ) プラカード,ビラ,カメラ,テープレコーダー等の持ち込みは厳禁です。
(カ) 静粛な態度で臨み,野次,罵声等は避けてください。
(キ) 講演会全体が終了し指示があるまで会場から出ることはできません。
[86] ところで,原告らは,平成10年11月当時,いずれも,被告大学の学生であった。すなわち,原告Cは,同2年4月被告大学政治経済学部経済学科に入学し,同大学新聞会に所属して,同6年から同9年3月までの間その幹事長を務め,さらに,同大学の文化団体連合会の常任委員や,早稲田際実行委員会の委員を務めるなどしていた。原告Bは,同3年4月被告大学第一文学部に入学し,同4年4月同学部哲学科に進級し,同9年7月からは同学部学生自治会書記長を務めていた。原告Aは,同4年4月被告大学商学部に入学し,同7年7月からは同学部自治会委員長を務めていた。
[87] 原告らは,本件講演会が開催されることを知り,聴講したいと考え,それぞれ,本件名簿に,学籍番号,氏名,住所及び電話番号を記入して,本件講演会に参加を申込み,参加証の交付を受け,さらに,「江沢民中華人民共和国国家主席講演会における注意事項」と題する上記の文書(乙1)の交付を受けた。
[88] 被告大学は,前記アのとおり警視庁から本件講演会の出席者の名簿を提出するよう要請されたことを受けて,内部での議論を経て,本件講演会の警備を警察に委ねるべく,これを提出することとした。そこで,総務部管理課において,平成10年11月25日までに各事務所等から学生部に届けられた本件名簿の写しの提供を受けた。そして,同課の職員が,同日又は翌26日の夜,その本件名簿の写しを,被告大学の教職員,留学生,プレス関係者等その他のグループの参加申込者の各名簿と併せて,警視庁戸塚署に提出した。こうして,原告らを含む本件講演会の参加申込者の学籍番号,氏名,住所及び電話番号が,警察の知るところとなった。
[89] 本件講演会の前日である同月27日,その会場である大隈講堂周辺は,建物の隅々まで危険物等の探索をするなどし,警備体制が敷かれた。そして,同講堂は,翌日の本件講演会に向けて,被告大学の職員,警察官が夜通し警備に当たった。

(2) 本件講演会当日の状況
[90] 平成10年11月28日の本件講演会当日,大隈講堂の周辺には,多数の警察官が配置され,本件講演会の警備に当てられた。
[91] こうした中で,同日午前8時ころから,同講堂に程近い本部キャンパス内の3号館前においては,江主席の政策に反対する被告大学の学生を含む約70ないし80名の者が,白いマスクをし,帽子を被るなどして,横断幕やプラカードを掲げ,演説やシュプレヒコールをするなどして,集会を開いていた。また,同様に同講堂に程近い正門,南門付近でも同様の騒ぎがあり,警察官ともみ合うなどのこともあった。
[92] ところで,大隈講堂は,1階を中国の随行員,同国の招待者,被告大学の教職員,留学生,プレス関係者の座席とされ,2,3階を被告大学の学部及び大学院の学生の座席とされ,自由席とされた。同講堂内は,腕章を付けた被告大学の職員30余名により警備され,そのうち15名が2,3階の案内と警備に当たった。また,上記の被告大学の職員を上回る数の私服の警察官も入場し警備に当たっていた。
[93] 学生は,大隈講堂入口横の地下にある大隈小講堂入口から入場した。そして,入場に際しては,あらかじめ手荷物を預けた上で,入口において,参加証と学生証を提示し,本人の確認を受けて,黄色のリボン及び「中華人民共和国主席江沢民閣下講演会参加者への遵守事項」と題する書面(乙2)を交付された。さらに,金属探知器を通過し,同時通訳用のレシーバーを交付されて,本件講演会場に入場した。乙2の書面には,被告大学の名義で,上記の表題の下,
(a) 場内では静粛に願います。野次等大声を出したり,プラカード・掲示物等を出した場合は即刻退場となりますので,充分注意してください,
(b) 講演が終わっても,指示があるまで席を立たないでください,
(c) その他,係員の指示には必ず従ってください
などと記載されている。さらに,被告大学の職員等が,金属探知器では発見できない不当な持ち込み物がないよう,出席者の着衣を注意して見るなどしていた。
[94] また,入口や大隈講堂内の目に付くところ数か所に,出席者の注意を促すべく,乙3の書面が掲示がされた。乙3の書面はA1判の大きさで,そこには,
「場内では静粛に願います。ヤジ等,大声を出したり,プラカード・掲示物等を出した場合は,即刻退場となりますので,充分注意されたい。」
と記載されている。
[95] このような状況の中、原告らは,あらかじめ相談の上,本部キャンパス内の大隈銅像前に集合して,午前8時40分ころ,一緒に,上記の入口に赴き,学生証及び参加証を提示し,黄色のリボン,上記乙2の書面,同時通訳用のレシーバーの交付を受けて,本件講演会場に入場した。この時,原告Cは,後に江主席の講演中に広げた横断幕(後記エ)を小さく折り畳んだ上,衣服の中に隠し持って,入場した。また,原告Aも,同様に,横断幕(後記オ)を小さく折り畳んだ上,衣服の中に隠し持って,入場した。これらの横断幕は,この前日である27日,原告C及び同Aが,相談して,布を購入し,原告Cにおいて中国語で文字を記載して作成したものであった。
[96] そして,入場した原告らは,3階に行き,空席を探し,原告Cは講壇に向かって左側方の席に,原告Aはその後方の席に,原告Bは向かって中央の席に,それぞれ座った。
[97] 午前9時10分ころ,本件講演会は開始され,まず,被告大学総長奥島孝康から挨拶がされ,午前9時30分ころ,江主席の講演が始まった。
[98] そして,江主席の講演が静粛に続いていた午前9時45分ころ,原告Cは,突然,座席から立ち上がり,日本語で
「中国の核軍拡反対」
などと大声で叫びながら,衣服の中に隠し持っていた
「反対北京官僚使中国資本主義化!打倒江沢民政権!」〔原文は簡体字〕
との文字が記載された横断幕を取り出して,両手で広げた。しかし,直ぐに,これを見た私服の警察官らにより,身体を拘束され,会場の外に連れ出された。
[99] その直後,今度は,原告Aが,座席から立ち上がり,
「中国の核軍拡反対」
などと大声で叫んだ。そして,やはり衣服の中に隠し持っていた横断幕を取り出そうとしたが,これを見た私服の警察官らに取り押さえられてしまったため,結局,これを取り出すことはできなかった。原告Aは,上記の警察官らにより,身体を拘束され,会場の外に連れ出された。これらの行為により,その周囲は,一時騒然となった。
[100] そして,さらに,午前9時50分ころ,原告Bが,座席から立ち上がり,
「核軍拡をやっているのは,どこの誰なんだ。」
などと大声で叫んだ。原告Bは,これを見た私服の警察官らにより,身体を拘束され,会場の外に連れ出された。
[101] 江主席は,原告らのこうした行為の後も,格別に講演を中止するなどのことはなく,講演を続け,「中日友好に不利なことは,絶対にやってはなりません。」などと演説して,出席者に対し自ら拍手を求めたりもした。
[102] 結局,本件講演会においては,江主席に対する質疑応答の機会が設けられることはなかった。
[103] 原告らは,本件講演会場の外に連れ出された後,警察官らにより,いずれも大隈小講堂に連れて行かれ,身体を拘束されたまま,席に座らせられていた。そして,駆け付けた学生部副部長大野高裕ら被告大学の職員も立ち会い,本件講演会が終了したころになって,原告C,同A及び同Bの順に,警察官により身体検査が行われた。その結果,原告Aの衣服の中から,隠し持っていた横断幕が発見された。その横断幕には,中国語で,中国の核軍拡反対という趣旨が記載されていた。
[104] その後,原告らは,警察の車に乗せられ,警視庁戸塚警察署に連れて行かれた。
[105] 本件講演会の終了後,江主席は,被告大学大隈会館において予定されていた留学生らとの懇談会に出席し,午前11時前には,被告大学を去り,仙台に向かった。
[106] 佐藤英善ら被告大学の常任理事3名のほか,教務部の職員らは,中国大使館の職員らに対し,本件講演会での状況を説明して,謝罪した。中国大使館の職員からは,抗議を受けるとともに,原告らの氏名等を教えるよう要求されたが,具体的な回答はしなかった。そして,佐藤理事,教務部の職員らは,同日中に,中国大使館教育処にも赴き,本件講演会の状況を説明して,謝罪した。
[107] 被告大学は,同日夕方,原告らのこうした行為について,警視庁に対し,被害届を提出した。

(3) 本件処分に至る経緯,その後の経緯等
[108] 原告らは,本件逮捕後,いずれも,身柄を検察官に送致された。そして,原告Bは,平成10年11月30日釈放されたが,同A及び同Cは,勾留された上,勾留期間を延長され,同年12月19日釈放された。
[109] 原告Aの勾留状に記載された被疑事実は,次のとおりであった。すなわち,
「被疑者は,いわゆる革マル派系全学連に所属するものであるが,Cほか数名と共謀の上,
(一) 早稲田大学主催の中華人民共和国主席江沢民閣下講演会を妨害する目的で,平成10年11月28日午前8時37分ころ,早稲田大学総長奥島孝康が看守する東京都新宿区戸塚町1丁目104番地所在の早稲田大学大隈講堂に故なく侵入し
(二) 同日午前9時45分頃,同講演会開催中の同大隈講堂3階席において,こもごも椅子から立ち上がり,「中国の核軍拡反対」等と怒号しながら,「反対北京官僚使中国資本主義化!打倒江沢民政権!」〔原文は簡体字〕と書かれた横幕を両手で広げて掲出し,もって威力を用いて早稲田大学の業務を妨害し
たものである。」
というものであった。
[110] その間の同年12月1日,被告大学の常任理事白井克彦及び教務部の職員らは,外務省中国課,同省儀典課に赴き,本件講演会での状況を説明して,謝罪するとともに,再度中国大使館に赴き,公使に対し正式に謝罪した。
[111] 本件処分に至る経緯は,それぞれ次のとおりである。
[112](ア) 平成11年1月8日,原告Cは,被告大学政治経済学部の学生担当教務主任ポール・スノードン,及び同副主任斎藤から事情聴取を受けた。同月19日,同学部において,教授会が開かれ,同原告からの上記事情聴取の結果等が報告されるとともに,同原告の処分について協議がされたが,学生を処分するのは妥当でないとの意見も出たりし,続行となった。同年2月16日,同学部において,再度教授会が開かれ,同原告の処分について継続して協議がされ,この程度の行為で処分すべきではないなどの反対意見もあったが,採決の結果,本件学則46条に基づき,譴責処分に付することが決議された。
[113] 被告大学は,同月24日,同原告に対し,譴責処分を告知した。そして,同月26日付けで,同学部長名において,
「         告
 政治経済学部教授会は,学則46条により,2月16日付で次のとおり処分を決定した。
          記
 学部長譴責 1名」
とのA3判の紙面による掲示(乙7)がされ,同原告の譴責処分が告示された。
[114](イ) 同年1月13日,原告Bは,被告大学第一文学部の学生担当教務主任田島照久,及び同副主任松園伸助から事情聴取を受けた。同月19日,同学部において,教授会が開かれ,同原告からの上記事情聴取の結果等が報告されるとともに,同原告の処分について協議がされ,反対意見も出されたが,結局,本件学則46条に基づき,譴責処分に付することが決議された。
[115] 被告大学は,平成11年1月21日,同原告に対し,譴責処分を告知した。そして,同月20日付けで,同学部長名において,
「         告
 本学部教授会は学生1名を,学則第46条に基づき,1月19日付けで譴責処分に付した。」
とのA1判の紙面による掲示(乙5)がされ,同原告の譴責処分が告示された。
[116](ウ) 同月19日,原告Aは,被告大学商学部の学生担当教務主任厚東,同副主任ヤヌシュ・ブダから事情聴取を受けた。同月20日,同学部において,教授会が開かれ,同原告からの上記事情聴取の結果等が報告されるとともに,同原告の処分について協議がされた結果,本件学則46条に基づき,譴責処分に付することが決定された。
[117] 被告大学は,同月23日,同Aに対し,譴責処分を告知した。そして,同月21日付けで,同学部教授会名において,
「         告
 1998年11月28日開催の中華人民共和国・江澤民主席の大隈講堂における講演会の途中で,立上がり声を発し,講演会を妨害した商学部の1名の学生の行為につき,商学部教授会は,1999年1月20日,慎重に審議した結果,学則第46条および第48条に基づき,これを懲戒(譴責)処分に付することを決定した。このことをここに告示し,将来再びこのような行為をしないよう,ここに厳しく申し伝える。」
とのA1判の紙面による掲示(乙6)がされ,同原告の譴責処分が告示された。
[118] 原告Cは,平成11年3月31日,在学年数が8年となった(同原告は,1年間休学していた。)が,卒業に必要な所定の単位数を取得していなかったため,被告大学を退学となった。原告Bも,同日,在学年数が8年となったが,卒業に必要な所定の単位数を取得しておらず,学費の納付を怠ったため,学籍を抹消された。また,原告Aも,平成12年3月31日,在学年数が8年となったが,卒業に必要な所定の単位数を取得していなかったため,被告大学を退学となった。

[119](4) 以上の事実が認められ,その認定を覆すに足りる証拠はない。他方,以上認定した各事実のほか,本件については,これを証するに足りる的確な証拠はなく,認定することができない。
[120] まず,本件訴えが,裁判所の司法審査の対象となるか否かについて,検討する。
[121] 大学は,国公立であると私立であるとを問わず,学生の教育と学術の研究とを目的とする教育研究施設であって,その設置目的を達成するために必要な諸事項については,法令に格別の規定がない場合でも,学則等によりこれを規定し,実施することのできる自律的,包括的な権能を有し,一般市民社会とは異なる特殊な部分社会を形成しているのであるから,このような特殊な部分社会である大学における法律上の係争のすべてが当然に裁判所の司法審査の対象になるものではなく,一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題は上記司法審査の対象から除かれるべきものである(最高裁昭和46年(行ツ)第52号昭和52年3月15日第三小法廷判決・民集31巻2号234ページ参照)。
[122] そこで,以下,このような観点に立って,本件訴えについて検討する。

(1) 本件請求のうち,本件処分の無効確認(前記請求2)並びにその無効を前提とする損害賠償(同1のうち,前記原告らの主張(本案の主張)(2)を請求原因とするもの)並びに謝罪文の交付及びその掲示(同3)の各請求について
[123] ところで,大学における懲戒について,学校教育法11条は,校長及び教員は,教育上必要があると認めるときは,文部科学大臣の定めるところにより,学生,生徒及び児童に懲戒を加えることができると定めており,これを受けて,同法施行規則13条2項は,学生らの懲戒に関し,懲戒のうち,退学,停学及び訓告の処分は,校長(大学にあっては,学長の委任を受けた学部長を含む。)がこれを行うと定めている。そして,本件学則46条は,被告大学の学生が被告大学の規則若しくは命令に背き又は学生の本分に反する行為があったときは,懲戒処分に付することができ,懲戒は,譴責,停学,退学の3種とするとし,また,本件学則48条は,懲戒は,当該学部の教授会の議を経てこれを行うと定めている(前記前提となる事実(3)ア)。
[124] こうしたことに,前記のとおり,大学は,国公立であると私立であるとを問わず,学生の教育と学術の研究とを目的とする教育研究施設であって,その設置目的を達成するために必要な諸事項について,学則等によりこれを規定し,実施することのできる自律的,包括的な権能を有するものと解されることを併せ考慮すると,本件学則及びそこに定められた本件処分たる譴責処分を始めとする懲戒処分は,被告大学の学生の教育と学術の研究といった目的を達成するために必要な事項として定められたものというべきである。
[125] そして,本件学則(乙4)によれば,懲戒処分のうち,本件処分のような譴責処分は,他の処分,とりわけ退学処分とは明らかに異なり,被告大学の在学要件にも,また,授業の出席,単位の取得等の面においても直接の影響を及ぼすものではないと認められる。
[126] このようなところからすると,本件請求のうち,本件処分が無効であるか否か,すなわち本件処分の当否そのものを訴訟の目的とするもの(争点(2))については,一般市民法秩序と直接の関係を有するものではないというべく,純然たる被告大学内部の問題として,同大学の自主的,自律的な判断に委ねられるべきものであって,裁判所の司法審査の対象にはならないものと解するのが,相当である。
[127] 以上説示したところからすると,本件請求のうち,本件処分の無効確認請求(前記請求2)については,当裁判所の司法審査の対象とならないものというべきである。
[128] 他方,前記請求1のうち前記原告らの主張(本案の主張)(2)を請求原因とする部分,並びに前記請求3の謝罪文の交付及びその掲示の各請求については,確かに,本件処分の当否の問題を審理,判断することが前提となるものと認められる。
[129] しかしながら,これらの請求は,被告大学に対し,本件処分又はその告示により名誉を毀損されたなどとして,金銭又は謝罪文の交付,掲示を求めるものであって,原告らの一般市民としての権利義務に関するものというべきであり,その意味において,一般市民法秩序と直接の関係を有するものであると認められる。
[130] したがって,本件請求のうち,前記請求1のうち前記原告らの主張(本案の主張)(2)を請求原因とする部分及び前記請求3の謝罪文の交付等の各請求については,当裁判所の司法審査の対象となるものというべきである。
[131] もっとも,大学の学生に対する懲戒処分は,教育及び研究の施設としての大学の内部規律を維持し,教育目的を達成するために認められる自律的作用であって,懲戒権者たる学長が学生の行為に対し懲戒処分を発動するに当たり,その行為が懲戒に値するかものであるどうか,また,懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを決するについては,当該行為の軽重のほか,本人の性格及び平素の行状,上記行為の他の学生に及ぼす影響,懲戒処分の本人及び他の学生に及ぼす訓戒的効果,上記行為を不問に付した場合の一般的影響等諸般の要素を考慮する必要があり,これらの点の判断は,学内の事情に通暁し直接教育の衝に当たるものの合理的な裁量に任すのでなければ,適切な結果を期し難いことは明らかである。したがって,学生の行為に対し,懲戒処分を発動するかどうか,懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶかを決定することは,その決定が全く事実上の根拠に基づかないと認められる場合であるか,又は社会通念上著しく妥当を欠き懲戒権者に任された裁量権の範囲を超えるものと認められる場合を除き,懲戒権者の裁量に任されているものと解するのが相当である(最高裁昭和28年(オ)第525号昭和29年7月30日第三小法廷判決・民集8巻7号1463ページ,同昭和28年(オ)第745号昭和29年7月30日第三小法廷判決・民集8巻7号1501ページ参照)。
[132] したがって,当裁判所としては,前記請求1のうち前記原告らの主張(本案の主張)(2)を請求原因とする部分,並びに前記請求3の謝罪文の交付及びその掲示の各請求については,上記の限度において,審理し,判断を示すこととする(後記4)。

(2) 本件処分の無効を前提としないその余の請求について
[133] 進んで,本件処分の無効を前提としないその余の請求,すなわち,前記請求1のうち前記原告らの主張(本案の主張)(1),(3)を請求原因とする部分について,検討する。
[134] このうち,前者は,本件逮捕が違法なものであり,被告大学がそれに積極的に協力,加担したことにより,身体の自由を侵害されたとするものであり,後者は,被告大学は,本件講演会に参加を希望した原告らを含む被告大学の学生に,氏名,学籍番号,住所及び電話番号を記入させた名簿を,警視庁等に提供し,原告らの個人情報を目的外に利用したところ,これにより,プライバシーの権利等を侵害されたとするものであって,いずれも,原告らの一般市民としての権利義務に関するものとして,一般市民法秩序に連なるものというべく,裁判所の司法審査の対象となるものと解されるところである。
[135] この点に関し,被告は,被告大学が国賓である江主席の講演会を実施する上で必要不可欠となる厳重な警備を受入れるか否か,そして,その警備体制の中で,被告大学がどのような役割を担うかに関する被告大学の自律的判断の適法性を不可欠の前提問題とするものであるから,裁判所の司法審査の対象とならないと主張するが(前記被告の主張(本案前の抗弁)(2)イ),上記の観点からして,採用できない。
[136] したがって,前記請求1のうち前記原告らの主張(本案の主張)(1),(3)を請求原因とする部分については,当裁判所の司法審査の対象となるものとして,以下,検討を進めることとする。
[137] 原告らは,本件逮捕は違法であり,被告大学がそれに積極的に協力,加担したことにより,身体の自由を侵害された旨主張するので(前記原告らの主張(以下においては,すべて本案の主張である。)(1)),この点について検討する。

[138](1) 本件逮捕の状況については,前記1(2)のとおりである。

[139](2) ところで,現行犯人とは,現に罪を行い,又は現に罪を行い終わった者をいうところ(刑訴法212条1項),一般に,犯罪の現行性,犯罪と犯人の明白性が要件と解されている。
[140] そこで,本件において,原告らが,建造物侵入及び威力業務妨害の罪を犯している者として明白であったか否かについて検討するに,前記1(2)エで認定したところからすると,原告らの行為を見,これを逮捕した私服の警察官ら(なお,現行犯人は,何人でも,逮捕状なくしてこれを逮捕することができる(刑訴法213条)。)にとって,原告らは,建造物侵入及び威力業務妨害の罪を犯している者として明白であったというべきである。

[141](3) また,現行犯逮捕においても,被疑者が逃亡するおそれがなく,かつ,罪証を隠滅するおそれがない等明らかに逮捕の必要がないと認められるときは,その要件を欠くとも解されるところである(刑訴規則143条の3参照)。
[142] しかしながら,前記1(2)エで認定した犯罪の態様,手段,方法等の事情にかんがみれば,被疑者である原告らが逃亡するおそれがなく,かつ,罪証を隠滅するおそれがないことが明らかであるとは,到底いえなかったところであり,本件逮捕の必要性はないとは認められなかったというべきである。

[143](4)ア この点に関し,原告らは,(a) 正規の手続を経て,その要件を充たした上で,大隈講堂に入場したのであり,何ら建造物侵入に問われるものではなかった,(b) 原告らが発した野次,原告Cが掲げた横断幕のいずれも,その内容において正当でありかつ普遍性を有するものであって,それによって江主席の講演が中断されることもなかったのであるから,何ら被告大学の業務を妨害するものではなかったことを理由として,そもそも,本件逮捕は,逮捕権の濫用である旨主張する(前記原告らの主張(1)ア)。
[144] しかしながら,前記1(1),(2)で認定したとおり,被告大学は,原告らを含む本件講演会に参加を申し込んだ学生に対して,プラカード,ビラ等の持ち込みを厳禁し,野次,罵声等を避けるよう,あらかじめ注意書を配布するなどして,その意思を明確に表していたところであって,それにもかかわらず,原告らは,あらかじめ相談の上,横断幕を衣服の中に隠し持つなどして,本件講演会場に入場し,江主席の講演が静粛に続いていた中,順次,本件講演会を妨害する行為に至ったというのである。
[145] したがって,原告らの本件講演会場への入場は,本件講演会を主催した被告大学の意思に反することは明らかであり,建造物侵入罪の構成要件に該当し違法性を有するものといえる。
[146] そうだとすると,原告らは建造物侵入に問われるものではなかったとする原告らの上記主張は,採用できない。
[147] また,前記1(2)エで認定したところによれば,確かに,江主席は,原告らの妨害行為の後も,格別に講演を中止するなどのことはなく,講演を続けたものと認められるが,威力業務妨害罪について,業務の妨害とは,現に業務妨害の結果の発生を必要とせず,業務を妨害するに足りる行為があればその要件を満たすと解されるところである。
[148] そして,前記1(2)エで認定したとおり,原告らの妨害行為は,江主席の講演が静粛に続いていた中,原告Cにおいて,突然,座席から立ち上がり,「中国の核軍拡反対」などと大声で叫び,隠し持っていた横断幕を取り出して,両手で広げ,その直後,今度は,原告Aにおいて,座席から立ち上がり,「中国の核軍拡反対」などと大声で叫ぶなどして,会場内を一時騒然とさせるものであった。さらに,こうした行為から間もなく,原告Bにおいて,座席から立ち上がり,「核軍拡をやっているのは,どこの誰なんだ。」などと大声で叫んだというものであって,被告大学の主催する本件講演会という業務を妨害するに足りるものであることは明らかであり,威力業務妨害罪を構成するものというべきである。
[149] そうだとすると,原告らの行為は被告大学の業務を妨害するものではなかったとする原告らの上記主張も,採用できない。
[150] こうしたことからすると,本件逮捕は,逮捕権の濫用であるとする原告らの上記主張は,採用できないというほかない。

(5) 以上認定,説示したところを総合すると,本件逮捕は,その要件を欠き無効となるものではないというべきである。
[151] そして,本件全証拠を精査しても,本件逮捕に関し,違法となるべき事由を見出すことはできない。
[152] そうだとすると,本件逮捕が違法であり,被告大学がそれに積極的に協力,加担したことにより,身体の自由を侵害されたとする原告らの上記主張は,既にこの点で採用できず,前記請求1のうち前記原告らの主張(1)を請求原因とする部分については,既にこの点で理由がない。
[153] 原告らは,本件処分は無効なものであり,これにより,名誉を毀損し,良心を侵害され,また,本件処分の告示により,名誉,信用を毀損された旨主張するので,この点について検討する。
[154] ところで,前記2(1)イで説示したとおり,懲戒権者たる学長が懲戒処分を発動するかどうか,懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶかを決定することは,その決定が全く事実上の根拠に基づかないと認められる場合であるか,又は社会通念上著しく妥当を欠き懲戒権者に任された裁量権の範囲を超えるものと認められる場合を除き,懲戒権者の裁量に任されているものと解するのが相当であるから,当裁判所としては,被告大学が原告らを懲戒処分に付するかどうか,懲戒処分のうちいずれの処分に付するかの判断が,全く事実上の根拠に基づかないと認められるか否か,社会通念上著しく妥当を欠くものと認められるか否かの限度において,審理し,判断を示すこととする。

[155](1) 本件学則46条には,被告大学の学生が被告大学の規則若しくは命令に背き又は学生の本分に反する行為があったときは,懲戒処分に付することができ,懲戒は,譴責,停学,退学の3種とする旨が,また,本件学則48条には,懲戒は,当該学部の教授会の議を経てこれを行う旨が定められている(前記前提となる事実(3)ア)。
[156] そして,前記1(1),(2)で認定したとおり,(a) 原告らを含む本件講演会に参加を申し込んだ学生に対しては,「江沢民中華人民共和国国家主席講演会における注意事項」と題する書面(乙1)が配布され,その書面には,上記の表題の下,プラカード,ビラ等の持ち込みは厳禁です,静粛な態度で臨み,野次,罵声等は避けてくださいなどと記載されており,(b) 本件講演会場である大隈講堂に入場した学生は,入場に際して,「中華人民共和国主席江沢民閣下講演会参加者への遵守事項」と題する書面(乙2)を交付され,その書面には,被告大学の名義で、上記の表題の下,
「場内では静粛に願います。ヤジ等大声を出したり,プラカード・掲示物等を出した場合は即刻退場となりますので,充分注意してください。」
などとと記載されており,(c) 入口や大隈講堂内の目に付くところ数か所に,出席者の注意を促すべく,乙3の書面が掲示がされ,その書面はA1判の大きさで,そこには,
「場内では静粛に願います。ヤジ等,大声を出したり,プラカード・掲示物等を出した場合は,即刻退場となりますので,充分注意されたい。」
と記載されていたのである。
[157] そうだとすれば,原告らの前記1(2)エの本件講演会に対する妨害行為は,被告大学の規則若しくは命令に背き又は学生の本分に反する行為であることは明らかであり,しかも,本件処分は,いずれも,懲戒処分の中では最も軽い譴責処分であったというのである(前記前提となる事実(3)ア,弁論の全趣旨)。
[158] また,被告大学は,原告らについて本件処分に付したが,その経緯は,前記1(3)ウで認定したとおりであって,本件規則48条に基づいてされたと認められるところである。
[159] こうしたことからすると,被告大学が,原告らを懲戒処分に付することとし,懲戒処分のうち譴責処分たる本件処分に付したことについては,明白な事実上の根拠に基づいていたものといえ,また,その実体面においても,手続面においても,社会通念上著しく妥当を欠くようなところは,認めることができないというべきである。

[160](2) なお,この点に関し,原告らは,本件処分は,原告らに対する教育的措置としてされたものではなく,ひとえに学生の自治活動や,自主的な文化,サークル活動等を嫌悪する被告大学の現執行部において,こうした活動や,活動を進める組織を破壊する目的の下に,懲戒作用に藉口してされたものにほかならず,社会通念上,著しく妥当を欠くものである旨主張する(前記原告らの主張(被告の本案前の抗弁に対する反論)(1)イ)。
[161] しかしながら,原告らが本件に提出した多数の書証,原告Cの本人尋問等の証拠等によっても,原告らの上記主張が立証されたとはいい難いところであり,また,上記(1)で認定,説示したとおり,そもそも,本件処分は,原告らの本件講演会に対する妨害行為に帰因するものとして,明白な事実上の根拠を有し,社会通念上著しく妥当を欠くようなところは到底認めることができないというべきところである。
[162] したがって,原告らの上記主張は採用できない。

[163](3) 以上認定,説示したところを総合すると,本件処分は,適正,妥当なものであったというべきである。
[164] そうだとすると,本件処分が無効なものであり,これにより,名誉を毀損し,良心を侵害され,また,本件処分の告示により,名誉,信用を毀損されたとする原告らの上記主張は,既にこの点で採用できず,前記請求1のうち前記原告らの主張(2)を請求原因とする部分,並びに前記請求3の謝罪文の交付及びその掲示については,既にこの点で理由がない。
[165] 本件においては,被告大学が本件講演会に参加を希望した原告らを含む学生全員の名簿(本件名簿)の写しを,警視庁の警察官に手交したことについては,被告が自認するところであって,当事者間に争いがない。
[166] そこで,被告大学による本件名簿の提出行為が,原告らのプライバシーの権利,学問の自由,思想及び良心の自由の侵害となり,被告が不法行為責任を負うか否かについて,検討する。

(1) プライバシーの権利を侵害するか否かについて
[167] プライバシーの保護といっても,その概念は多義的であり,なお流動的な面があるところであるが,私生活上の情報をみだりに開示されないことについては,プライバシーの権利ないし利益の一つとして,法的保護に値するものといえる。
[168] ところで,私生活上の情報が,プライバシーの権利ないし利益として,法的保護に値するといえるためには,(a) 私生活上の事実又は私生活上の事実らしく受け止められるおそれのある情報であること,(b) 社会一般の人々の感受性を基準にして,当該情報主体の立場に立った場合,開示を欲しない,又は開示されることによって,心理的な負担,不安を覚えるであろうと認められる情報であること,(c) 社会一般の人々にいまだ知られていない情報であることが必要であると解されるところである。
[169] この点,前記1(1)で認定したところによれば,本件名簿には,原告らを含む本件講演会に参加を申し込んだ学生の学籍番号,氏名,住所及び電話番号(以下,総称して「氏名等の情報」という。)が記入されていたというのであるから,これら氏名等の情報が,プライバシーの権利ないし利益として,法的保護に値するといえるか否かについて,検討する。
[170] まず,氏名等の情報が私生活上の事実又は私生活上の事実らしく受け止められるおそれのある情報であるといえるか否か(上記(a))について検討するに,確かに,学籍番号は,被告大学内において,学生を特定し,識別するべく,便宜上用いられている情報にすぎず,また,氏名,住所及び電話番号も,社会生活を営む上で,一定範囲の者に知られ,日常的に利用されている情報にすぎないという面は否定できない。しかしながら,近時,情報通信技術の発達が進むにつれ,氏名等の情報が知られることにより,当該情報主体の私生活上の平穏が害されるおそれが増加しているという現状を踏まえると,氏名等の情報が開示されることによって,個人が特定,識別され,その者の私生活上の事実が明らかにされるという関係にあると認められるところである。こうしたところからすると,氏名等の情報は,私生活上の事実であるというべきである。
[171] 次に,社会一般の人々の感受性を基準にして,当該情報主体の立場に立った場合,開示を欲しない,又は開示されることによって,心理的な負担,不安を覚えるであろうと認められる情報であるか否か(上記(b))について検討するに,上記のような現状を踏まえると,現在の社会一般の人々の感受性を基準とすれば,氏名等の情報は,その開示を欲しない,又は開示されることによって,心理的な負担,不安を覚えるであろうと認められるものであるというべきところである。
[172] さらに,社会一般の人々にいまだ知られていない情報であるか否か(上記(c))について検討するに,氏名等の情報は,大学内において又は社会生活を営む上で,一定範囲の者に知られているにすぎず,社会一般の人々には,いまだ知られていない情報であるというべきである。
[173] ところで,本件名簿は,本件講演会に参加を希望し,これに申し込んだ学生が記入したものであるから,氏名等の情報のほかに,「本件講演会に参加を希望し申し込んだ学生である」との情報も具有するものと認められる。そして,こうした情報は,上記の学生が本件講演会当日にどのような予定を有しているかに係るものであり,私生活上の事実であるというべきである(上記(a))。また,本件講演会に参加することや本件講演会当日の予定を把握されることは,社会一般の人々の感受性を基準にすると,必ずしも開示を欲しない,又は近時の情報通信技術の発達を踏まえると,開示されることによって,心理的な負担,不安を覚えるであろうと認められる情報であるというべきである(上記(b))。さらに,社会一般の人々にいまだ知られていない情報であるというべきところである(上記(c))。
[174] 以上認定,説示したところからすると,氏名等の情報及び「本件講演会に参加を希望し申し込んだ学生である」との情報は,プライバシーの権利ないし利益として,法的保護に値するというべきものであり,本件名簿は,そのような情報価値を具有するものであったことが認められる。
[175] ところで,被告大学による本件名簿の警察に対する提出行為については,被告大学がこの点について参加申込者の同意を得ていたと認めるに足りる証拠はない。
[176] この点に関し,被告は,本件名簿の作成方法からして,被告大学が警察に本件名簿を提出することについては,学生らの黙示的又は推定的同意があった旨主張している(前記被告の主張(3)イ(イ))。しかしながら,本件名簿上に,その旨の明示的記載があったと認めることはできず,また,本件名簿の体裁(前記1(1)イ)を考慮に入れたとしても,原告らを含む学生らが,本件名簿の提出行為を予想できた又は予想し得たとは言い難く,警察に本件名簿を提出することを承諾していたとは認め難いところである。
[177] ところで,甲57によれば,被告大学は,個人情報の保護に関する規則(本件規則)を制定し,平成7年5月26日,これを施行したこと,本件規則1条には,その目的として「個人情報の保護が人格の尊厳に由来する基本的要請であることを深く認識し,この規則によって,大学が保有する個人情報の取扱いに関する基本事項を定め,もって個人情報の収集,管理及び利用に関する大学の責務を明らかにするとともに,個人情報の主体である学生,教職員等に,自己に関する個人情報の開示ならびに訂正及び削除の請求権を保障することによって,大学における人権保障に資すること」が掲げられていることが認められる。
[178] そして,本件規則中,本件に関するものとしては,次のようなものがある(甲57,弁論の全趣旨)。
(ア) 2条2項 この規則において,「個人情報」とは,学生,教職員等について特定の個人が識別され,又は識別され得るもののうち,大学が業務上取得又は作成した情報(機械処理以外のものも含む。)をいう。
(イ)a 5条1項 箇所長は,個人情報を収集するときは,利用目的を明確にし,その目的達成に必要な最小限度の範囲で収集しなければならない。ただし,思想,信条及び宗教に関する個人情報は,いかなる理由があろうともこれを収集してはならない。
b 5条2項 箇所長は,個人情報を収集するときは,適正かつ公正な手段により,次の各号のいずれかに該当するときを除き,直接本人から収集しなければならない。
 (a) 本人の同意があるとき。
 (b) 個人情報保護委員会が業務遂行上,正当な理由があると認めたとき。
(ウ) 7条1項 箇所長は,個人情報を収集された目的以外のために利用又は提供してはならない。ただし,次の各号のいずれかに該当するときは,この限りでない。
 a 本人の同意があるとき。
 b 法令の定めがあるとき。
 c その他個人情報保護委員会が正当と認めたとき。
(エ) 9条1項 大学の業務遂行上,新たに個人情報を収集するときは,箇所長は,あらかじめ次の事項を個人情報保護委員会に届け出て,承認を得なければならない。
 a 個人情報の名称
 b 個人情報の利用目的
 c 個人情報の収集の対象者
 d 個人情報の収集方法
 e 個人情報の記録項目
 f 個人情報の記録の形態
 g その他個人情報保護委員会が必要と認めた事項。
(オ) 10条 箇所長は,7条1項ただし書の規定により,個人情報を収集された目的以外のために利用又は提供したときは,速やかに個人情報保護委員会に届け出なければならない。
[179] 本件名簿には,原告らを含む本件講演会に参加を希望し,これを申し込んだ学生の氏名等の情報が記入されていたところ,これら氏名等の情報が,上記の本件規則2条2項にいう「学生,教職員等について特定の個人が識別され,または識別され得るもののうち,大学が業務上取得または作成した情報(機械処理以外のものも含む。)」に当たることは明らかであり,被告大学内においては,氏名等の情報の提出に係る行為が,本件規則の適用範囲内にあるものと認められるところである。
[180] なお,この点に関し,被告は,本件規則は,繰り返し検索,利用することを容易にする体系的処理を施されて蓄積,保存された個人情報の管理をその規制対象としており,そのような体系的処理,保存,管理が予定されていない情報の取得は,本件規則にいう「収集」には当たらず,また,そのような情報の利用,提供は,本件規則にいう「利用」,「提供」には当たらないなどと主張している(前記被告の主張(3)ウ)が,本件規則を通覧しても,本件規則の適用範囲をそのように限定して解釈すべき根拠を見出すことはできないから,被告の上記主張は採用できない。
[181] そして,前記イのとおり,被告大学による本件名簿の提出行為について,原告らの同意を認めることはできないし,また,本件規則7条1項の定める他の除外事由に該当する事情を認めることもできない(なお,甲58の1,2,甲59の新聞記事においては,本件名簿を警察に提出することについて,個人情報保護委員会の了承があったかのように報道されているが,証人佐藤はこれを否定しており,上記了承があったことを認めるに足りる証拠はない。)。また,前記1(1)イで認定したところからすると,被告大学が,明示し,明確にした本件情報の利用目的は,「中華人民共和国主席江沢民閣下講演会」に参加を希望し,申し込む者の氏名,人数等を主催者として把握することであったと認められ,これを警察に提出することまでは,利用目的として,明示し,明確にはされていなかったことは明らかである。
[182] こうしたところからすると,被告大学による本件名簿の提出行為については,本件規則7条1項に反するものといわざるを得ない。
[183] なお,この点に関し,被告は,被告大学による本件規則の解釈の当否について,裁判所の司法審査は及ばないと主張している(前記被告の主張(3)ウ)が,前記2(2)で説示したとおり,前記請求1のうち,前記原告らの請求(3)を請求原因とする部分については,原告らの一般市民としての権利義務に関するものとして,一般市民法秩序に連なるものというべく,本件規則の解釈についても,上記請求の当否を判断するための一要素として,考慮すべきものと解するべきであるから,被告の上記主張は採用できない。
[184] しかしながら,本件規則には,被告大学が本件規則に違反した場合の責任について,格別規定されていない(甲57)。そうだとすると,本件規則は,そのような場合には,プライバシーの権利ないし利益の侵害の問題として,民法709条の不法行為責任の成否として論じられることに委ねたものと解されるところである。
[185] したがって,被告大学による本件名簿の提出行為が,本件規則7条1項に反するものとしても,その責任については,改めて,民法709条の不法行為責任の成否として論じられる必要があるというべきところである。
[186] また,甲107及び弁論の全趣旨によれば,OECDは,昭和55年9月,「プライバシー保護と個人データの国際流通についてのガイドラインに関する理事会勧告」を採択し,その勧告附属文書の中でプライバシー保護と個人データの国際流通についてのガイドラインを示したことが認められるが,そのうち国内適用における基本原則として,本件に関するものとしては,次のようなものがある(甲107,弁論の全趣旨)。
(ア) 収集制限の原則 個人データの収集には,制限を設けるべきであり,いかなる個人データも,適法かつ公正な手段によって,かつ適当な場合には,データ主体に知らしめ又は同意を得た上で,収集されるべきである。
(イ) 目的明確化の原則 個人データの収集目的は,収集時よりも遅くない時点において明確化されなければならず,その後のデータの利用は,当該収集目的の達成又は当該収集目的に矛盾しないで,かつ,目的の変更ごとに明確化された他の目的の達成に限定されるべきである。
(ウ) 利用制限の原則 個人データは,上記(イ)により明確化された目的以外の目的のために開示利用その他の使用に供せられるべきではないが,次の場合はこの限りではない。
 a データ主体の同意がある場合。
 b 法律の規定による場合。
(エ) 安全保護の原則 個人データは,その紛失又は不当なアクセス・破壊・使用・修正・開示等の危険に対し,合理的な安全保護措置により保護されなければならない。
(オ) 責任の原則 データ管理者は,上記の諸原則を実施するための措置に従う責任を有する。
[187] 前記ウで認定,説示したとおり,被告大学による本件名簿の提出行為について,原告らの同意を認めることはできず,OECDガイドライン(ウ)の定める除外事由に該当する事情を認めることもできず,本件名簿を警察に提出することは,その利用目的として明確にはされていなかったところである。
[188] こうしたところからすると,被告大学による本件名簿の提出行為については,OECDガイドラインにも抵触するといわざるを得ない。
[189] しかしながら,上記勧告は,加盟国に対し,OECDガイドラインの上記の諸原則を国内法整備の指針として国内法の中で考慮するよう求めるものにすぎず,法的拘束力のないものである。したがって,OECDガイドラインに抵触するものとしても,このことは,直ちに不法行為責任を成立させるものではなく,民法709条の不法行為責任の成否を論じる上での参考基準となるものにすぎないと解すべきである。
[190] そこで,被告大学による本件名簿の提出行為について,原告らの私生活上の情報を開示したものであり,プライバシーの権利ないし利益を侵害したものとして,被告が民法709条の不法行為責任を負うか否かについて検討することとする。
[191] ところで,私生活上の情報といっても,一定範囲の者に既に知られているようなものから,当該情報主体以外には完全に秘匿されたようなものまで,様々な内容,性質を有するものがあるといえる。また,それが開示されることについても,情報主体といえども市民として社会生活を営むものである以上は,その開示行為に,正当な目的,高度の必要性があるなど,やむを得ない場合もあり,他方,その開示行為が,刑罰法規に触れ犯罪行為を構成する場合もあるのであって,開示される目的,態様等にも様々なものがあるといえるところである。
[192] このようなことからすると,私生活上の情報を開示する行為が,直ちに違法性を有し,開示者が不法行為責任を負うことになると考えるのは相当ではなく,諸般の事情を総合考慮し,社会一般の人々の感受性を基準として,当該開示行為に正当な理由が存し,社会通念上許容される場合には,違法性がなく,不法行為責任を負わないと判断すべきである。
[193] そして,正当な理由が存し,社会通念上許容されるものといえるか否かについては,(a) 当該情報の内容,性質,プライバシーの権利ないし利益として法的に保護される程度,度合い,(b) 情報主体が開示行為により被った不利益の内容,程度,(c) 開示行為の目的,その必要性等,(d) 開示の方法,態様等を要素として,判断されるべきである。
[194] そこで,以下,上記で説示したところを判断基準として,被告大学による本件名簿の提出行為が,原告らのプライバシーの権利ないし利益を侵害したものとして,違法性を有し,被告が不法行為責任を負うか否かについて検討を進める。
カ(ア) 氏名等の情報の内容等
[195] 前記アで説示したとおり,本件名簿に記入された情報は,氏名等の情報及び「本件講演会に参加を希望し申し込んだ学生である」との情報である。
[196] ところで,前記アで説示したとおり,このうち,学籍番号は,被告大学内において,学生を特定するべく,便宜上用いられている情報にすぎず,また,氏名,住所及び電話番号は,社会生活を営む上で,一定範囲の者に知られ,日常的に利用されている情報にすぎないものであって,いずれも,個人の自律的存在に直接関わる情報,すなわち思想信条,前科前歴,負債,病歴,学業成績,社会的身分等の情報と比べると,社会一般の人々の感受性を基準にしても,当該情報主体において開示されたくないと感ずる程度,度合いは低いものといえる。
[197] また,「本件講演会に参加を希望し申し込んだ学生である」との情報は,本件講演会に出席することにより,当然に他の出席者に知られるところとなるものである。また,前記1で認定したとおり,被告大学は,かねてより,諸外国の要人が来日した際,これを招へいし,その講演会を開催してきたのであり,本件講演会の出席者については,広く希望者を募られるよう,何らの制限も設けず,先着順で決めたというのであるから,上記情報の開示によって,参加申込者の思想信条等が直ちに推知されるようなものではないといえる。このような観点からみると,社会一般の人々の感受性を基準にした場合には,開示されたくないと感ずる程度,度合いは相対的に低いものといえる。
[198] そうだとすれば,本件名簿に記入された情報は,いずれもプライバシーの権利ないし利益として法的に保護される程度,度合いは,様々ある私生活上の情報の中では相対的に低いものというべきである。
(イ) 情報主体が開示行為により被った不利益の内容等
[199] 本件名簿に記入された情報の内容,性質が,上記(ア)のとおりであることからすると,本件名簿が警察に提出されたとしても,そのこと自体は,原告らの私生活上の平穏を害するものではなく,また,その自律的存在を脅かすようなものでもない。そうすると,原告らが被った不利益というのは,現実的,具体的なものではなく,観念的,抽象的なものにとどまるというべきである。
(ウ) 開示行為の目的、その必要性等
[200] ところで,前記1によれば,被告大学が本件名簿を警察に提出するに至る経緯について,次のとおり認められる。
[201] すなわち,被告大学は,既に平成10年7月下旬ころ,中国大使館から,江主席が,同年8月ないし9月ころ,来日する際,被告大学を訪問したい旨の連絡を受けたが,後に,江主席の来日予定が延期され,今度は,同年11月上旬に至って,外務省から,江主席が,同月27日に来校する旨の連絡を受け,その数日後には,江主席の来校予定が同月28日に変更されるなど,その来日,来校予定が確定しないまま,本件講演会を準備し,それに取り掛かるところとなった。しかし,一方で,その間,警視庁,外務省,中国大使館等からは,警備体制について,万全を期すよう要請されていた。
[202] また,本件講演会の準備が進められる中,被告大学は,警備に関して,外務省から,中国から日本に亡命した「民陣」という活動家が,江主席の来日に向けて,決起運動を準備しており,学生らと結託して騒ぎを引き起こし,江主席に危害を加えるおそれもある,そこで,江主席の身辺警護をより強固にしてほしいとの趣旨が記載された文書を受けた。
[203] そして,現に,本件講演会当日には,会場である大隈講堂の周辺には多数の警察官が配置され,本件講演会の警備に当てられていたにもかかわらず,同日午前8時ころから,同講堂に程近い本部キャンパス内の3号館前においては,江主席の政策に反対する被告大学の学生を含む約70ないし80名の者が,白いマスクをし,帽子を被るなどして,横断幕やプラカードを掲げ,演説やシュプレヒコールをするなどして,集会を開いていた。また,同様に同講堂に程近い正門,南門付近でも同様の騒ぎがあり,警察官ともみ合うなどのこともあったというのである。
[204] こうしたことからすると,本件講演会の警備の必要性は,社会一般に広く行われている有識者の講演会の中でも,相当に高いものであったというべきである。
[205] ところで,このような状況の中で,被告大学は,本件講演会の出席者について,これをどのようにして決めるか検討し,被告大学内のゼミごとに人数を割り当てるなどの案も出されたが,最終的には,広く希望者を募られるよう,何らの制限も設けず,先着順で決めることとしたというのである(前記1(1)イ)。
[206] こうしたことにかんがみると,本件講演会を主催し,警視庁,外務省,中国大使館等から警備体制について万全を期すよう要請されていた被告大学としては,自らの警備能力の限界を冷静に判断し,本件講演会に不審者が出席し不測の事態が生じないよう,本件講演会の警備を,それを専門とする国家機関である警察に委ねることとし,その警視庁から,警備のため,本件講演会に出席する者の名簿を提出するよう要請された以上,これを提出することについては,その目的において正当であり,また高度の必要性が認められたというべきである。
(エ) 開示の方法,態様等
[207] 本件名簿の提出行為については,前記1(1)エで認定したとおり,総務部管理課において,平成10年11月25日までに各事務所等から学生部に届けられた本件名簿の写しの提供を受け,同課の職員が,本件講演会の直前である同日又は翌26日の夜,その本件名簿の写しを,被告大学の教職員,留学生,プレス関係者等その他のグループの参加申込者の各名簿と併せて,被告大学から警備を委ねられた警視庁戸塚署に提出したというのである。
[208] したがって,提出方法を見ても,提出先を見ても,社会通念上相当と考えられるところである。
[209] 以上アないしカで検討したことを総合すると,確かに,被告大学による本件名簿の提出行為については,原告らの同意を認めることができず,本件規則に反するなどの意味において,不適切な面があったことは否定できない。
[210] しかしながら,上記カ(ア)ないし(エ)で検討したように,(a) 氏名等の情報の内容,性質,プライバシーの権利ないし利益として法的に保護される程度,度合い,(b) 原告らが本件名簿の提出行為により被った不利益の内容,程度,(c) 本件名簿の提出行為の目的,その必要性,(d) 本件名簿の提出の方法,態様等諸般の事情を総合考慮し,とりわけ,本件名簿に記入された情報が,プライバシーの権利ないし利益として法的に保護される程度は,相対的に低いというべきであること(前記カ(ア))との対比において,本件講演会を主催する被告大学としては,本件講演会に不審者が出席し不測の事態が生じないよう,その警備を委ねた警視庁からの要請を受けて,本件名簿を提出することについて,高度の必要性が認められるべきこと(前記カ(エ))にかんがみると,現在の社会一般の人々の感受性を基準としても,被告大学が本件名簿を警察に提出し,原告らの氏名等の情報を開示した行為は,正当な理由が存し,社会通念上許容されるというべきであり,したがって,直ちに違法性を有し,被告が不法行為責任を負うことにはならないというべきである。
[211] そうすると,被告大学による本件名簿の提出行為が,原告らのプライバシーの権利の侵害となり,被告が不法行為責任を負うとする原告らの上記主張は,採用できないというべきである。

(2) 学問の自由を侵害するか否かについて
[212] 学問の自由は,(a) 学問研究活動の自由,(b) 研究成果発表の自由及び(c) 教授の自由との内容を有すると解されるところ,被告大学が本件名簿を警察に提出し,原告らを含む本件講演会の参加申込者の学籍番号,氏名,住所及び電話番号が,警察の知るところとなったことによって,上記のうち,いかなる学問の自由が,どのように侵害されたのかについては,何ら明らかにされていないところである。
[213] したがって,被告大学による本件名簿の提出行為が,原告らの学問の自由の侵害となり,被告が不法行為責任を負うとする原告らの上記主張は,採用できない。

(3) 思想及び信条の自由を侵害するか否かについて
[214] 思想及び良心の自由は,個人が抱いている思想及び良心を告白するよう強制又は推知されない自由,すなわち沈黙の自由を中心的な内容とするものであるところ,前記1(1)で認定したとおり,被告大学は,かねてより,諸外国の要人が来日した際,これを招へいし,その講演会を開催してきた,また,本件講演会の出席者については,広く希望者を募られるよう,何らの制限も設けず,先着順で決めたというのである。
[215] こうしたことからすると,被告大学が本件名簿を警察に提出し,原告らを含む本件講演会の参加申込者の学籍番号,氏名,住所及び電話番号が,警察の知るところとなったとしても,そのことから,警察が原告らの思想及び信条を推知することは不可能又は著しく困難であって,被告大学の上記行為により,原告らの沈黙の自由が侵害されたということはできない。
[216] したがって,被告大学による本件名簿の提出行為が,原告らの思想及び信条の自由の侵害となり,被告が不法行為責任を負うとする原告らの上記主張は,採用できない。
[217] 以上の次第であるから,原告らの本件請求のうち,本件処分の無効の確認を求める部分は,当裁判所の司法審査の対象とならないものとして,いずれもその訴えを却下することとし,その余の請求は,いずれも理由がないから,これを棄却することとして,主文のとおり判決する。
 当大学は,
(1) 1998年11月28日,警視庁警察官が,A君(商学部),B君(第一文学部),C君(政治経済学部)を建造物侵入,威力業務妨害を容疑として違法に逮捕した際,これに積極的に協力加担し,違法逮捕を可能にし,
(2) その後,右3君に対して,同日の大隈講堂における江沢民中華人民共和国主席の講演会で野次を発したことなどを理由に譴責処分にしました。
 しかし右はいずれも言論弾圧であって違法であり,その自治を守るべき社会的責務を負う学問の府たる大学にとってあってはならないことでした。
 当大学は,右違法かつあってはならない所為により,3君の人権を著しく侵害し,その名誉,信用を失墜させてしまいました。
 よって,当大学は,3君に対して深く謝罪するとともに,今後二度とこのようなことがないよう誓います。
    年 月 日
                    学校法人早稲田大学
                    総長 奥島孝康
A君
B君
C君

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