富山大学単位不認定事件
上告審判決(単位認定)

単位不認定等違法確認請求事件
最高裁判所 昭和46年(行ツ)第52号
昭和52年3月15日 第三小法廷 判決

上告人 (控訴人  原告) 藤田勝秀 外5名
          代理人 手取屋三千夫 外2名

被上告人(被控訴人 被告) 富山大学経済学部長 外1名
        指定代理人 伴喬之輔

■ 主 文
■ 理 由

■ 上告代理人手取屋三千夫、同織田義夫の上告理由
■ 上告代理人織田義夫の上告理由


 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人らの負担とする。

[1] 裁判所は、憲法に特別の定めがある場合を除いて、一切の法律上の争訟を裁判する権限を有するのであるが(裁判所法3条1項)、ここにいう一切の法律上の争訟とはあらゆる法律上の係争を意味するものではない。すなわち、ひと口に法律上の係争といつても、その範囲は広汎であり、その中には事柄の特質上裁判所の司法審査の対象外におくのを適当とするものもあるのであつて、例えば、一般市民社会の中にあつてこれとは別個に自律的な法規範を有する特殊な部分社会における法律上の係争のごときは、それが一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、その自主的、自律的な解決に委ねるのを適当とし、裁判所の司法審査の対象にはならないものと解するのが、相当である(当裁判所昭和34年(オ)第10号昭和35年10月19日大法廷判決・民集14巻12号2633頁参照)。そして、大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と学術の研究とを目的とする教育研究施設であつて、その設置目的を達成するために必要な諸事項については、法令に格別の規定がない場合でも、学則等によりこれを規定し、実施することのできる自律的、包括的な権能を有し、一般市民社会とは異なる特殊な部分社会を形成しているのであるから、このような特殊な部分社会である大学における法律上の係争のすべてが当然に裁判所の司法審査の対象になるものではなく、一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題は右司法審査の対象から除かれるべきものであることは、叙上説示の点に照らし、明らかというべきである。
[2] そこで、次に、右の見地に立つて本件をみるのに、大学の単位制度については大学設置基準(昭和31年文部省令第28号)がこれを定めているが、これによれば(ただし、次に引用の条文は、いずれも昭和45年文部省令第21号による改正前のものである。)、大学の教育課程は各授業科目を必修、選択及び自由の各科目に分け、これを各年次に配当して編成されるが(28条)、右各授業科目にはその履修に要する時間数に応じて単位が配付されていて(25条、26条)、それぞれの授業科目を履修し試験に合格すると当該授業科目につき所定数の単位が授与(認定)されることになつており(31条)、右教育課程に従い大学に4年以上在学し所定の授業科目につき合計124単位以上を修得することが卒業の要件とされているのであるから(32条)、単位の授与(認定)という行為は、学生が当該授業科目を履修し試験に合格したことを確認する教育上の措置であり、卒業の要件をなすものではあるが、当然に一般市民法秩序と直接の関係を有するものでないことは明らかである。それゆえ、単位授与(認定)行為は、他にそれが一般市民法秩序と直接の関係を有するものであることを肯認するに足りる特段の事情のない限り、純然たる大学内部の問題として大学の自主的、自律的な判断に委ねられるべきものであつて,裁判所の司法審査の対象にはならないものと解するのが、相当である。所論は、現行法上又は社会生活上単位の取得それ自体が一種の資格要件とされる場合があるから、単位授与(認定)行為は司法審査の対象になるものと解すべきであるという。しかしながら、特定の授業科目の単位の取得それ自体が一般市民法上一種の資格要件とされる場合のあることは所論のとおりであり、その限りにおいて単位授与(認定)行為が一般市民法秩序と直接の関係を有することは否定できないが、そのような場合はいまだ極めて限られており、一部に右のような場合があるからといつて、一般的にすべての授業科目の単位の取得が一般市民法上の資格地位に関係するものであり、単位授与(認定)行為が常に一般市民法秩序と直接の関係を有するものであるということはできない。そして、本件単位授与(認定)行為が一般市民法秩序と直接の関係を有するものであることについては、上告人らはなんらの主張立証もしていない。
[3] してみれば、本件単位授与(認定)行為は、裁判所の司法審査の対象にはならないものというべく、これと結論を同じくする原審の判断は、結局、正当である。論旨は、右説示と異なる見解に立つて原判決の違法をいい、それを前提として原判決の違憲をいうものであつて、採用することができない。

[4] よつて、行政事件訴訟法7条、民訴法401条、95条、89条、93条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 天野武一  裁判官 江里口清雄  裁判官 高辻正己  裁判官 服部高顕  裁判官 環昌一)
[1]第一点 原判決は、国立大学における在学関係をもつて公法上の営造物利用関係であつて、いわゆる特別権力関係に属すると判示するが、この点において原判決には法令の解釈を誤つた重大な法令違背の違法がある。
[2] 即ち、原判決は第一審判決を引用し、富山大学は国が設置し、国の意志によつて支配し運営される人的物的施設を有する営造物であり、従つてこれは謂ゆる公法上の特別権力関係であるとなす。
[3] しかし、元来教育関係は国の公権力とは離れた非権力的関係であり、公権力とはなじまないものである。教育基本法および学校教育法は私立国立を問わず学校関係に適用されるものであり、学校関係の本質は私立国立共通のものである。従つて、単に主体が国であるからとの理由のみでは特別権力関係とすることは、はなはだ妥当を欠くものである。
[4] もつとも学校関係においては、その内部秩序を維持する為に一般市民法秩序とは異つた内部規律があることは当然であるが、それは国立私立によつて異なることはなく、その特殊秩序をもつて公権力関係ないし特別権力関係となすことを得ない。
[5] 以上のように学校関係は国公立学校についてのみ特別権力関係とみるべきではなく、広く国立私立学校共通の基本的性質をもつ教育契約関係とみるべきであり(兼子仁法律学全集16巻教育法226頁)、学校主体は学生に対しある程度の包括的な権利があり、学生はその限りで学校主体に服従すべき義務がある。そして、その支配服従の限度は学校関係の特殊性から判断すべきである。
[6] このように考えれば、学校と生徒との間に具体的な権利の対抗関係が存する場合において、生徒個人に具体的な侵害を与える教育措置に関しては全て出訴が可能である。例えば入学・進級・卒業の拒否等はすべて出訴可能と解すべきである。この点を看過し、単位の認定につき大学の一方的支配関係となし、司法審査の対象より除外したことは、法令の解釈を誤つた違法があり、破棄されるべきである。

[7]第二点 原判決は、国立大学における単位認定は純然たる大学内部のことであつて、市民法上の権利義務に関しないことであると判示するが、この点において原判決には法令の解釈を誤つた重大な法令違背の違法がある。
[8] 即ち、原判決の右判示の理由は単に
「或る授業科目について単位を授与すべきかどうかの事柄は、同大学が学校設置の目的を遂行する必要上、学生に対し一方的に定めることができる特別権力関係の内部事項に属し、決して一般市民としての権利義務に関係するものでないことは疑問の余地がない」
とする第一審判決の理由を引用するのみで、何ら合理的な理由を示していないが、一方単位の授与が卒業ないし専攻科修了に結びつく場合は、卒業乃至専攻科修了の認定を請求すべく、単位の取得そのものを切り離して一種の資格地位の取得とも解せられないから、一般市民法秩序に関するものとは、到底認められないとする。要するに、原判決は単位の取得は卒業ないしは修了と結びつかない以上は、それ自体として資格地位の取得として意味をもたないということが、その実質的な理由と解せられる。しかし、現行法上、単位の取得は必ずしも卒業と結びついてのみ意味をもつとは限らず、卒業をしなくても単位の取得それ自体とし、一種の資格要件となる場合があり(例司法試験法第4条1号、教育職員免許法第5条別表第1)このことを逆に考えれば、大学は卒業と関係なく、学科目の履修合格につき単位を認定する義務があり、学生はこれを請求する権利があると解すべく、単位取得はそれ自体として一種の資格地位に関するものであることは明らかである。本件単位の有無については、なるほど未だ国法上の資格要件の一つとはなつていないが、民間研究所或いは企業において要求されることも充分予想されることであり、単に現在、国法上の資格要件でないとの一事をもつて、大学の義務違反が容認される合理的理由は全くない。大学と学生との関係で看れば、前記教育職員免許法の規定より考え、各科目ごとに単位認定請求の権利・義務関係のあることは明白であり、本件が司法審査の対象になることは疑いなく、これを看過した原判決は、破棄されるべきである。
[1]第一点 原判決は国立大学と私立大学とはいずれも教育基本法、学校教育法の適用を受け、教育目的には何等の差異は認められないとしながら、国立大学にあつては公の施設の利用関係という点において私立大学と自ら異るものがあると判示する。
[2] しかし、例えば水道事業なども地方自治法244条1項にいう「公の施設」であるが、それが「公の施設」なるが点で財産管理上の特別規律をうけることがあつたとしても、その利用関係が契約関係であることは確認されている。従つて、「公の施設」であること、そのことから利用関係の法的性格を決することを得ないものであり、「公の施設」の中にも契約関係があるのである。

[3]第二点 原判決は右のように国立大学と私立大学とは教育目的は同じだが、公の施設の利用という点で両者は異るとするが、しからば本件の場合、単位認定を請求するということは国立大学と私立大学とでは異るのかと反論したい。国立大学にあつては「公の施設の利用関係」だから単位認定の請求は認められず、私立大学にあつては「公の施設の利用関係」はないから認めるとはいえないであろう。原判決の如く教育目的という点で両大学は差異がないものとすれば、単位の認定、授与という点においても差異はないはずであり、これを特別権利〔権力〕関係という過去の遺物にとらわれている点において、判決に影響を及ぼす重大なる解釈の誤りがあるといわねばならない。

[4]第三点 原判決は「特別権力関係」という用語の当否はさておき、私企業においても企業の秩序維持のために内部規律が定められ、その限りで司法権行使が問題とされないと同じく、公企業においてもその内部規律に関しては司法権行使が問題とされないと判示する。
[5] 右の点は原判決の通りであり、上告人等も全面的に賛同するものである。しかし、私企業の内部規律に司法権は介入できないと同様に公企業の内部規律にも司法権が介入できないとするのならば、「特別権力関係という用語の当否はさておき」という必要はなく、それはまさに特別権力関係否定説、不要説に移行したものというべく、それにも拘らず原判決が特別権力関係説にこだわり
「国立大学の在学関係については当裁判所も原判決説示と同じく、公法上の営造物利用関係であつて、いわゆる特別権力関係に属する」
としたり特別権力関係の限界は市民法秩序に関係するかしないかであるとするのは、論理が一貫せず理由に齟齬があるものといわねばならない。

[6]第四点 原判決のように、私企業の内部規律について司法権が及ばないのと同様に公企業の内部規律についても司法権が及ばないとする以上、公企業についてのみ「特別権力関係」としてその限界を論ずる必要はなく、私企業公企業を並列的にみてその共通の限界があればそれを追求すべきであり、共通の限界がないとすれば、個々の企業の目的に応じてその限界を論ずればよいのである。
[7] それにも拘らず、原判決が特別権力関係論に引きずられ特別権力関係の限界は市民法秩序に関係があるか否かで、その限界を定めるべきとしているのは前述の如く論理が一貫しないものである。
[8] 上告人等としては、各企業の内部規律に司法権は介入できないが、その限界については一律に決定できず、各企業の目的に応じて、例えば公務員関係、在学関係、病院関係、その他その企業の存在目的に応じて個別的に司法権の介入できる限界を決定すべきで、共通の限界は決定し得ないと解するのである。
[9] しかして、学校関係についての限界についてみるに私立、国立大学を問わず共通であつて、その本質は教育契約関係であり、学生側からみればその目的は入学し、講義を受講し、受験し、単位を請求し、卒業をして人格の陶冶を目指すことである。そしてこの受講する権利、単位を請求する権利、卒業を請求する権利はそれぞれ独立して学生としての最も基本的な重要な権利といわねばならず、これ等基本的権利を学校側が侵害した場合、司法権はこれに介入できるものと言わねばならない。これが学校関係における司法権の限界とみるのが至当である。
[10] 又、面をかえてみれば教官が講義をし試験をし採点をするというような実質的内部的行為は、その教官の一身専属的なものであつて、司法権の対象とはならないが、このような講義が実際に行われたか否か試験の方法が適正であつたか否か単位数が規定に達しているか否か等形式的手続行為については司法権の対象となり得るものといわねばならない。本件にあつては訴外内田教授が講義をなし、試験をなし、合格判定をなしたものであつて、その後の形式的手続的な単位の認定並びに専攻科修了の認定行為を大学がなさないものであり、この点の当否に関しては、当然裁判所の審査の対象となるものといわねばならない。

[11]第五点 原判決は、卒業や専攻科の修了に関係のある単位についてのみ、市民法秩序に関係するから裁判所の判断の対象となりこれと関係のない単位は対象とならないと判示する。
[12] しかし、大学設置基準32条は卒業の要件として「卒業の要件は、大学に4年以上在学し次の各号に定めるところにより、124単位以上を修得することとする。」と定めており、右のとおりとすれば大学における卒業というのは個々の単位の集積であり、個々の単位の取得というのは卒業資格に直結しているのであつて、単位の取得というのは1年生から2年生に進級する、教養部から専門部へ進学すると同じような位置にあり、実質的には資格の一部取得という意味をもつているのである。従つて学生が取得した単位について、これは卒業に関係ある、これは卒業に関係なしとして区別することはできないものといわねばならない。
[13] 卒業に関係しない単位というものは、卒業後大学に対し在学中受験受講した単位を請求した場合起り得るが、原判決のような判断によれば、学生が在学中大学に対し単位認定の裁判を提起し、在学中に判決が言渡されれば、その請求は認容され、学生が止むなく別の単位を苦労して取得し、卒業後に判決が言渡されると請求は認められないことになり、これはまさに公平の原則に反するものといわねばならない。
[14] また、各大学においては聴講生制度が設定され、例えば民間企業から派遣された社員が特定大学の特定講座のみに出席して受講し、受験し、単独の単位を認定してもらい、その企業に帰つて単位認定の証明書を提出するということが、多く行われており、また大学院への入学や特定の企業研究所への入社においては大学において、いかなる単位を取得してきたかが、その入学、入社の資格にもなることからみても卒業に関係のない単独の単位を認定するということは十分に理由のあることである。
[15] 以上のように、原判決が上告人等の単位認定請求を特別権力関係その他の奇妙な論理によつて認めないことは、判決に明らかに影響を及ぼすべき重大な理由不備、理由齟齬、法解釈の誤りがあり、憲法第26条の教育を受ける権利の規定に違反するものといわねばならない。

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