夫婦別姓訴訟(平成27年)
控訴審判決

損害賠償請求控訴事件
東京高等裁判所 平成25年(ネ)第3821号
平成26年3月28日 第17民事部 判決

平成25年12月20日 口頭弁論終結

控訴人 (原告) 塚本協子 (戸籍上の氏名 小島協子)(以下「控訴人塚本」という。)
控訴人 (原告) 加山恵美 (以下「控訴人加山」という。)
控訴人 (原告) 渡辺二夫 (以下「控訴人渡辺」という。)
控訴人 (原告) 小國香織 (戸籍上の氏名 丹菊香織)(以下「控訴人小國」という。)
控訴人 (原告) 吉井美奈子(戸籍上の氏名 谷美奈子)(以下「控訴人谷」という。)
上記5名訴訟代理人弁護士 榊原富士子 打越さく良 大谷美紀子 折井純 金塚彩乃 川見未華 橘高真佐美 小島延夫 塩生朋子 竹下博將 竪十萌子 寺原真希子 中川武隆 早坂由起子 渕上陽子 山崎新 吉岡睦子

被控訴人(被告) 国
同代表者     法務大臣

■ 主 文
■ 事 実 及び 理 由


1 本件控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用は控訴人らの負担とする。

1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は,控訴人加山及び控訴人渡辺に対し,それぞれ150万円並びにうち50万円に対する平成23年1月4日から及びうち100万円に対する同年3月12日からいずれも支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被控訴人は,控訴人塚本,控訴人小國及び控訴人吉井に対し,それぞれ100万円及びこれに対する平成23年3月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は第1,2審とも被控訴人の負担とする。
[1](1) 本件は,控訴人らが,婚姻に際して夫婦の一方に対して婚姻前の氏の変更を強制する民法750条は,憲法13条によって保障されている「氏の変更を強制されない権利,自由又は利益(なお,控訴人らは,訴状においては,この権利を「氏名保持権」と称していたが,以下,この権利,自由又は利益を総称して,「氏の変更を強制されない権利」という。)及び憲法24条によって保障されている「婚姻の自由」を侵害し,女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(昭和60年条約第7号。以下「女子差別撤廃条約」という。)16条1項(b)及び(g)にも違反することが明白であるから,国会は民法750条を改正して,夫婦同氏制度に加えて夫婦別氏制度という選択肢を新たに設けることが必要不可欠であるにもかかわらず,正当な理由もなく,長期にわたり立法措置を怠ってきたのであるから,当該立法不作為は,国家賠償法1条1項の違法な行為に該当すると主張して,被控訴人に対し,控訴人加山及び控訴人渡辺については慰謝料各150万円の支払を,控訴人塚本,控訴人小國及び控訴人吉井については慰謝料各100万円の支払を,それぞれ求めた事案である。

[2](2) 原判決が,控訴人らの請求をいずれも棄却したところ,控訴人らが,これを不服として本件控訴を申し立てた。

[3] 「前提となる事実等」及び「争点」は,原判決「事実及び理由」の第2の1及び2に記載のとおりであるから,これを引用する(したがって,原判決の略称は,本判決においても同様に用いることとする。)。
(1) 国家賠償法上の違法性判断の枠組について
[4] 国家賠償法上の違法性判断の枠組は,17年判決の判断基準によるべきであって,60年判決の判断基準(「立法の内容が憲法の一義的な文言に違反している」場合)に後退してはならない。
[5] 原判決は,60年判決の判断基準に後退しており,不当である。

(2) 民法750条の合憲性審査の必要性について
[6] その上で,国家賠償請求訴訟において立法又は立法不作為の違法性を争う場合には,多数の判例等(17年判決,最高裁判所平成18年7月13日第一小法廷判決における泉徳治裁判官の補足意見・判例時報1946号41頁,同裁判所平成25年9月26日第一小法廷判決・判例時報2207号34頁及び大阪高等裁判所平成25年9月27日判決)と同様に,国家賠償法上の違法性判断の前提として,まず,当該法律の合憲性の審査を行うべきであるから,民法750条の合憲性について判断する必要があるところ,同条は,以下のとおり,憲法13条及び24条に違反している。
[7] これに対し,原判決は,民法750条の合憲性審査を回避しており,重要な争点についての判断を遺脱している。

(3) 憲法13条と「氏の変更を強制されない権利」について
[8] 個人が,その意思に反して氏を奪われないこと,すなわち,「氏の変更を強制されない権利」が,人格権の一内容である氏名権の中核的な権利ないし自由として憲法13条により保障されることは,これまでの裁判例において,個人の人格権の観点から,氏に関する権利性が様々な形で認められ,また,その法的保護が拡充されてきたことに照らして,疑いの余地はない。
[9] しかるに,原判決は,控訴人らが主張した「氏の変更を強制されない権利」ではなく,控訴人らが主張していない「婚姻に際し,婚姻当事者の双方が婚姻前の氏を称する権利」の憲法上の保障の有無を審理し,これを否定したが,これは,国家賠償法上違法となり得る憲法上の権利侵害の対象を不当に制限するものであって,不当である。

(4) 憲法24条と「婚姻の自由」について
[10] 婚姻は,個人及び社会のいずれにとっても重要な意義及び機能を有するのであるから,婚姻をすること又はしないことについて国家から干渉を受けることのない自由である「婚姻の自由」が,憲法24条によって憲法上の人権として保障されることは,明らかである。
[11] 原判決は,控訴人らの上記主張について検討を放棄しており,不当である。

(5) 民法750条の合憲性及び国家賠償法上の違法性について
[12] 以上のとおり,「氏の変更を強制されない権利」及び「婚姻の自由」は,憲法によって保障される人権であるところ,民法750条は,婚姻しようとする男女に対し,婚姻して「氏の変更を強制されない権利」を放棄するか,又は双方の氏を保持して「婚姻の自由」を放棄するかの二者択一を強制する規定であって,正当な理由もなく,上記2つの基本的人権を侵害するものであるから,同条の制定時から違憲であったというべきであるが,昭和50年以降,同条の改正に関する請願が出されていること,昭和60年には我が国が女子差別撤廃条約を批准したこと,平成8年には法制審議会が法律案要綱を公表したこと等の国内的及び国際的状況の中で,国会議員らは,遅くとも同年には,同条の違憲性を認識し,又はこれを容易に認識し得たというべきであるから,国会議員らが同条を改廃しなかった立法不作為は,国会議員の職務上の義務に違反しており,国家賠償法上違法の評価を免れない。
[13] また,嫡出でない子の法定相続分に係る民法900条4号ただし書前段の規定は遅くとも平成13年7月当時において憲法14条1項に違反していたと判示した最高裁判所の決定(同裁判所平成25年9月4日大法廷決定・判例時報2197号10頁)は,婚姻及び家族の形態の著しい多様化,これに伴う婚姻及び家族の在り方に対する国民の意識の多様化,諸外国における法改正の状況,我が国の関連条約への批准,国際連合の関連委員会による勧告,我が国における法改正を巡る議論等を指摘したが,これらの家族を取り巻く国内的及び国際的状況の著しい変化は,既に夫婦同氏強制を支える立法事実が失われたとする控訴人らの主張と正しく重なるものである。

(6) 女子差別撤廃条約について
[14] 女子差別撤廃条約2条(c)によれば,女子差別撤廃条約締結国の国民は,差別によりその権利を侵害された場合には司法的救済を求めることができるのであるから,女子差別撤廃条約によって「氏の変更を強制されない権利」が保障されているかどうかを検討する必要はない。
[15] また,裁判所が控訴人らの請求の可否を判断する際に適用するのは,国内法である国家賠償法であり,女子差別撤廃条約そのものではないから,女子差別撤廃条約16条1項(b)及び(g)について,直接適用可能性ないし自動執行性の有無を問題とする必要はない。
[16] 我が国は,女子差別撤廃条約の批准により,差別的規定を改廃する国際法上の義務を引受けたところ,この義務は,憲法98条2項により女子差別撤廃条約に国内法的効力が付与されて国内法上の義務に転化し,国会議員が国民個人に対して負う法的義務になったというべきである。
[17] 当裁判所も,控訴人らの請求は,いずれも理由がないものと判断する。その理由は,次のとおりである。
[18] 本件訴えは,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償の支払を求めるものであるから,控訴人らが主張する立法不作為がいかなる要件の下で同項の規定の適用上違法の評価を受けることになるかを検討する(なお,控訴人らは,国家賠償請求訴訟において立法又は立法不作為の違法性が争われる場合には,多数の判例等と同様に,国家賠償法上の違法性審査に先立ち,まず,当該法律の合憲性の審査が行われるべきであると主張する。しかし,控訴人らが引用する判例等のうち,前掲最高裁判所平成25年9月26日第一小法廷判決以外のものは,いずれも,明文をもって国民に憲法上の権利として明確に保障されている選挙権に係る事案であり,前掲最高裁判所平成25年9月26日第一小法廷判決は,上告人の上告理由である憲法14条1項違反の主張に応えたものであるから,いずれも本件と事案を異にするものであり,本件に適切とはいえない。)。
[19] 国家賠償法1条1項は,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときに,国又は公共団体がこれを賠償する責任を負うことを規定するものである。したがって,国会議員の立法行為又は立法不作為が同項の適用上違法となるかどうかは,国会議員の立法過程における行動が個別の国民に対して負う職務上の法的義務に違背したかどうかの問題であって,当該立法の内容又は立法不作為の違憲性の問題とは区別されるべきであり,仮に当該立法の内容又は立法不作為が憲法の規定に違反するものであるとしても,そのゆえに国会議員の立法行為又は立法不作為が直ちに違法の評価を受けるものではない。しかしながら,立法の内容又は立法不作為が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合や,国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合などには,例外的に,国会議員の立法行為又は立法不作為は,国家賠償法1条1項の規定の適用上,違法の評価を受けるものというべきである(17年判決)。
[20] このように,17年判決によれば,国会議員の立法行為又は立法不作為につき,国家賠償法1条1項に基づく国の損害賠償責任を認めるためには,「国民に憲法上保障されている権利」の存在が不可欠の前提となるので,以下,控訴人らが主張する「氏の変更を強制されない権利」が憲法13条により「国民に憲法上保障されている権利」であるか否か(後記(2)),また,「婚姻の自由」が憲法24条により「国民に憲法上保障されている権利」であるか否か(後記(3)),さらに,17年判決の趣旨に徴して,女子差別撤廃条約により「国民に条約上保障されている権利」であるか否か(後記(5))について,以下,順次検討する。
[21] 控訴人らは,個人が,その意思に反して氏を奪われないこと,すなわち,「氏の変更を強制されない権利」が,人格権の一内容である氏名権の中核的な権利ないし自由として憲法13条により保障されることは,これまでの裁判例において,個人の人格権の観点から,氏に関する権利性が様々な形で認められ,また,その法的保護が拡充されてきたことに照らして,疑いの余地はないと主張する。

[22] 氏名は,社会的にみれば,個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが,同時に,その個人からみれば,人が個人として尊重される基礎であり,その個人の人格の象徴であって,人格権の一内容を構成するものというべきであるから,人は,他人からその氏名を正確に呼称されることについて,不法行為法上の保護を受けうる人格的な利益を有するものというべきであり(最高裁昭和63年2月16日第三小法廷判決・民集42巻2号27頁参照),また,人は,その氏名を他人に冒用されない権利を有するところ,これを違法に侵害された者は,加害者に対し,損害賠償を求めることができるほか,現に行われている侵害行為を排除し,又は将来生ずべき侵害を予防するため,侵害行為の差止めを求めることもできるものと解すべきであり(最高裁平成18年1月20日第二小法廷判決・民集60巻1号137頁参照),さらに,人は,その氏名をみだりに利用されない権利を有するものと解すべきである(最高裁平成24年2月2日第一小法廷判決・民集66巻2号89頁参照)。
[23] このように,人の氏については,その法的根拠を憲法の人権保障規定に求めるか,民法その他の法律の規定に求めるかを措くとして,判例により様々な形で法的保護が図られ,その範囲が漸次拡充してきていることは,控訴人らが指摘するとおりである。このような観点からすれば,例えば,国が,国民に対し,何ら身分関係の変動もない場面において,正当な理由がないのに氏の変更を強要することが,法的保護に値する国民の権利又は人格的利益を損なうことは,明らかである(もっとも,このような場面における国民の権利等の保護の在り方は,その法的根拠も含め,個々の訴訟において検討されるべき事柄であって,本件訴えにおける問題とは局面を異にするから,ここでは立ち入らない。)。
[24] しかし,人の氏は,出生等に伴い,当該個人の意思に全く関わりなく,民法その他の法律の規定に従って付与されるものであり(民法790条。なお,棄児につき,戸籍法57条及び59条参照),その後,当該個人の意思のみによって変更することは,基本的に許されておらず(家庭裁判所の許可を要するものが少なくない。民法791条1項,戸籍法107条1項及び4項),その後の様々な身分関係の変動(本件訴えにおいて問題となっている婚姻にとどまらず,離婚,婚姻の取消し,養子縁組,離縁,父母の改姓等もある。民法750条,767条,771条,808条2項,810条,816条)に伴って変動すること,また,一度変動した氏が身分関係の変動により当初の氏に復帰することも想定されているものであり,法律上,生涯不変のものとして保障されているわけではなく,かえって,変動可能性のあるものとして制度設計されている。さらに,氏の付与及び変動は,法律の規定に従って実体的に決定されただけでは足りず,戸籍法その他の法律の規定に従った適式な届出をしない場合には,その効力が法的に承認されないものとされている。
[25] 以上のような意味で,人の氏は,当該個人の出生後における長年にわたる社会生活に伴い,個人の人格の象徴としての人格権の一内容を構成して法的保護の対象となる側面を有することは明らかであるけれども,氏自体は民法その他の法令による規律を受ける制度というべきであるから,氏に関する様々な権利や利益は,法制度を離れた生来的,自然権的な自由権として憲法で保障されているものではないというべきである。
[26] したがって,控訴人らの主張する「氏の変更を強制されない権利」もまた,法制度を離れた生来的,自然権的な自由権として憲法で保障されているものではないといわざるを得ない。
[27] このような解釈は,婚姻を始めとする身分関係の変動に伴う氏の変更を含む氏の在り方が,決して世界的に普遍的なものではなく,それぞれの国の多年にわたる歴史,伝統及び文化,国民の意識や価値観等を基礎とする法制度(慣習法を含む。)によって多様であること(甲8の18頁から24頁まで。なお,そもそも氏を持たない国も存在する。)に照らしても,明らかというべきである。

[28] しかしながら,氏が法制度に立脚したものであって,控訴人らの主張する「氏の変更を強制されない権利」が,法制度を離れた生来的,自然権的な自由権として憲法で保障されている権利とはいえないとしても,時代の推移によって,憲法13条の定める幸福追求権ないし包括的人格権から派生する具体的な権利として,新たに保障されるものと認められる余地もある。そして,そうした権利として承認されるか否かについては,それが個人の人格的生存に不可欠であることに加えて,その権利が長期間国民生活に基本的なものであったか,他人の基本権を侵害するおそれがないか,などの種々の要素を考慮して慎重に判断されるべきものと考えられる。

[29] そこで,控訴人らの主張する「氏の変更を強制されない権利」が,個人の人格的生存にとって不可欠であるか,その権利が長期間国民生活に基本的なものであったか,などについて検討する。
[30] そのためには,まず,我が国の社会において,この権利がどのように認識され,位置付けられているのかを検討する必要があるが,氏の変更に関してこれまで現実的に議論される場面は,事実上,民法が規定する婚姻や離婚など身分関係の変動に伴う場面に限られているといわざるを得ない(控訴人らの主張する「氏の変更を強制されない権利」を対象として検討するとしても,国民の認識や社会における位置付けを検討する以上,具体的な問題を離れて一般的,抽象的な場面を想定して検討することは相当とはいえない。現に,控訴人らも,婚姻に際して同氏とすることを要求する民法750条の合憲性を問題としている。)。
[31] そして,身分関係の変動に伴う氏の在り方を巡る我が国におけるこれまでの議論や民法改正の流れ等を概観すると,昭和22年に民法750条が制定されて以降,たびたび婚姻に際して夫婦別氏を認めるべきではないかとする意見が出されて議論され,昭和51年には,婚姻中の氏で長年社会的活動をしてきた人の不利益等への配慮から,離婚時に婚氏の続称を認める規定(民法767条2項)が新設され,そうした流れを受けて平成8年には,法務省(民事局参事官室)から選択的夫婦別氏制度を提案する内容を含む法律案要綱が公表され,同制度の導入に賛成する意見も多く示され,その後も,男女共同参画基本計画等で同制度の導入が提言されている(詳細は,原判決28頁6行目から29頁19行目までに記載のとおりである。)ほか,女子差別撤廃条約の観点からも夫婦同氏制度が問題視され,女子差別撤廃委員会から民法750条の改正が勧告されている状況にある(甲8の84頁及び85頁)。
[32] 次に,選択的夫婦別氏制度についての国民の意識の最近の動向について検討する。平成24年12月に内閣府が実施した家族の法制に関する世論調査(調査員による個別面接聴取方法により実施され,20代から70代以上の日本国籍を有する男女3041人が回答したものである。以下「平成24年調査」という。)をみると,いわゆる選沢的夫婦別氏制度(夫婦が希望する場合には,同じ氏ではなく,それぞれの婚姻前の氏を名乗ることができる制度)について,賛成した者は全体の35.5%であり,反対した者は全体の36.4%であるところ,賛成した者の割合は,平成18年に内閣府が実施した同様の世論調査(以下「平成18年調査」という。)に比して1.1%減少する一方,反対した者の割合は,平成18年調査に比して1.4%増加しているが,この点の調査結果の変遷をみると,平成8年に内閣府が実施した同様の世論調査以前は,反対した者の割合が賛成した者の割合を上回っていたところ,徐々に賛成した者の割合が増加し,平成13年には反対した者の割合を相当程度上回るに至ったが,その後再び賛成した者の割合が減少している傾向を窺うことができ(弁論の全趣旨),控訴人らが指摘するとおり,若年層ほど賛成した者の割合が多く高齢層ほど賛成した者の割合が少ないなど,回答者の年代別による差がみられるが,全体としてみれば,最近の傾向としては,賛否が拮抗している状況にあると評価すべきである。
[33] また,平成24年調査によれば,選択的夫婦別氏制度を導入してもかまわないと回答した者に対し,同制度が導入された場合に,夫婦でそれぞれの婚姻前の氏を称することを希望するか否かを調査したところ,これを希望する者の割合は,23.5%にとどまる一方,これを希望しない者の割合は,49.0%に上ること,この傾向は,平成18年調査に比して大きな変化がみられないことが認められ(弁論の全趣旨)、この事実に照らすと,一般論として選択的夫婦別氏制度の導入に賛成し,又は許容したとしても,自分自身が婚姻前の氏を称することについては,約半数の者が消極的であると認められる。
[34] さらに,平成18年調査によれば,婚姻によって自分の氏が相手の氏に変わったとした場合,そのことについてどのような感じを持つと思うかとの質問に対し,「姓が変わったことに違和感を持つ」と回答した者の割合は,23.9%であり,また,「今までの自分が失われるような感じ」と回答した者の割合は,9.9%にとどまる一方,「新たな人生が始まるような喜び」と回答した者の割合は,47.1%と最も高く,「相手と一体となった喜び」と回答した者の割合も,30.2%に達していることが認められ(弁論の全趣旨),この事実に照らすと,婚姻によって夫婦が同じ氏を称することについて,これを消極的にとらえるのではなく,むしろ,積極的な意義を見出す国民が,現代社会においても,なお相当程度存在することが窺われる。
[35] 加えて,新聞社等が実施した意識調査(甲8の28頁から32頁まで)によっても,やはり選択的夫婦別氏制度の導入については賛否が分かれている状況にあること,夫婦が別氏を名乗ると家族の一体感や絆が弱まると考えている者が相当程度存在することが認められる。

[36] この問題を巡る現在の状況は,一方で,控訴人らが主張するように,婚姻に際していずれか一方が氏の変更を余儀なくされることに大きな苦痛を感じている国民が一定程度存在し,選択的夫婦別氏制度の導入を求める国民意識が相当程度高まっていることは否定できない状況にあるというべきであり,諸外国の婚姻時の氏の在り方の動向についてみても,多くの国々で選択的夫婦別氏制あるいは選択的結合氏制が採用されており,我が国のような夫婦同氏とする法制は極めて少数であることが認められる(甲8の18頁から24頁まで)。
[37] しかしながら,上記エの世論調査等の結果からみる限り,最近の国民の意識として,必ずしも選択的夫婦別氏制度の導入に賛成する者が大勢を占めるに至っておらず,むしろ,婚姻に際して氏を変更して同氏になることに積極的な意義を見出す国民が相当程度存在することは軽視できない要素というべきである。そうした国民意識の根底には,現在の夫婦同氏制度が家族の一体感の醸成に寄与しており,これを維持するべきであるとする意識があるように推察される(甲8の30頁の時事通信の世論調査結果及び32頁のNHK放送文化研究所の調査結果を参照)。また,夫婦別氏制度に移行した場合には,当該夫婦間に設けられた子と一方の親とが氏を異にすることについて,家族の一体感からみて,社会が受容できるのかといった問題もあるように思われる。

[38] 以上の検討によれば,嫡出でない子の法定相続分に関する民法900条4号ただし書の合憲性が争われた前掲最高裁判所平成25年9月4日大法廷決定が指摘した家族を取り巻く国内的及び国際的状況の著しい変化を踏まえても,少なくとも現時点では,控訴人らが主張する「氏の変更を強制されない権利」(具体的には,夫婦が婚姻後も婚姻前に称していた氏を法律上の氏として称することを求める権利)が,いまだ個人の人格的生存に不可欠であるとまではいえず,また,長期間国民生活に基本的なものであったとはいえないというべきである。
[39] したがって,「氏の変更を強制されない権利」は,いまだ憲法13条によって保障される具体的な権利として承認すべきものであるとはいえない。
[40] そうすると,憲法13条に基づき上記権利が保障されているとして,民法750条が憲法違反であるとする控訴人らの上記アの主張は,採用することができない。
[41] 控訴人らは,婚姻は,個人及び社会のいずれにとっても重要な意義及び機能を有するのであるから,婚姻をすること又はしないことについて国家から干渉を受けることのない自由である「婚姻の自由」が,憲法24条によって憲法上の人権として保障されることは,明らかであると主張する。

[42] 控訴人らが主張するとおり,婚姻は,個人にとって,自己実現及び幸福追求の基盤として極めて重要な意義を有しており,国家ないし社会にとっても,それらの基幹をなす不可欠のものであって,何人も自己の意思に反した婚姻を強制されたり,婚姻が当事者以外の第三者の意思によって妨げられないことはいうまでもない。
[43] しかし,憲法24条は,民主主義の基本原理である個人の尊厳と両性の本質的平等の原則を婚姻及び家族の関係について定めたものであり,男女両性は本質的に平等であるから,夫と妻との間に,夫たり妻たるの故をもって権利の享有に不平等な扱いをすることを禁じたものであって,結局,継続的な夫婦関係を全体として観察した上で婚姻関係における夫と妻とが実質上同等の権利を享有することを期待した趣旨の規定と解すべく,個々具体の法律関係において常に必ず同一の権利を有すべきものであるというまでの要請を包含するものではないと解するのが相当であり(最高裁判所昭和36年9月6日大法廷判決・民集15巻8号2047頁参照),結局,家族に関する諸事項について憲法14条の平等原則が浸透していなければならないことを立法上の指針として示し,その実現を法律に委ねている規定であると解すべきである。
[44] したがって,具体的な立法が憲法24条の趣旨に照らし合理性を有するかは検証する必要があるとしても,同条によって直接,何らの制約を受けない「婚姻の自由」が保障されていると解することはできない(現に,民法上,婚姻適齢,重婚禁止,近親者間の婚姻禁止等の制約や届出を要すること等の制約がある。)。
[45] そうすると,民法750条が,憲法24条によって保障されている上記の意味での「婚姻の自由」に反するとする控訴人らの主張も採用することができない。

[46] ところで,以上のように,憲法24条を,家族に関する諸事項について憲法14条の平等原則が浸透していなければならないことを立法上の指針として示し,その実現を法律に委ねている規定であると解する場合には,民法750条が,上記指針を実現しているものと評価することができるか否かが問題となる。人の氏が,上記「家族に関する諸事項」であることはいうまでもなく,上記(2)イで説示したとおり,民法その他の法令による規律を受けるものであるとしても,氏に係る民法その他の法令による制度は,いかなる内容であっても許されるわけではないことは当然であり,憲法24条に照らして,目的の正当性及び目的達成のための手段の相当性が認められる合理的なものでなければならないからである。
[47] そこで,検討するに,民法750条は,婚姻しようとする男女に対し,婚姻後にいずれか一方の婚姻前の氏を称することを,当該男女間の自由かつ平等な意思に基づく協議の結果に基づき届け出ることを定めた規定にすぎないこと(すなわち,夫と妻との間に,夫たり妻たるの故をもって,権利の享有に不平等な扱いをする規定とはいえない。),同条の立法目的は,氏による共同生活の実態の表現という習俗の継続や家族の一体感の醸成ないし確保にあると解すべきであるところ,このような立法目的には正当性が認められ,これを一定の限度で促進する効果が認められること,同条に基づき,婚姻しようとする男女が婚姻後にいずれか一方の婚姻前の氏を称することは,旧来から社会的に受容されてきており,現時点においてもなお国民の支持を失っていないといえること等(以上につき,前記(2)エ及びオの世論調査等の結果及び甲106の1)に照らすと,上記の立法目的を達成するための手段の相当性も認めることができる(なお,氏を含む夫婦及び家族に関する法制は,社会の基幹をなす重要な制度であることに照らし,国民の代表者である国会が,我が国の歴史,伝統,文化,国民の意識ないし価値観を慎重に見極めつつ,国民のコンセンサスを得て定めていくべき事柄(立法政策に属する事柄)であるから,立法目的の正当性及び目的達成のための手段の相当性については,国会の合理的な裁量を認めるのが相当である。)。したがって,民法750条は,憲法24条が示している上記指針を実現したものと評価することができるから,このような観点からも,同条に反するものとはいえない。
[48] 控訴人らは,「氏の変更を強制されない権利」及び「婚姻の自由」は憲法によって保障される人権であるところ,民法750条は,婚姻しようとする男女に対し,婚姻して「氏の変更を強制されない権利」を放棄するか,又は双方の氏を保持して「婚姻の自由」を放棄するかの二者択一を強制する規定であって,正当な理由もなく,上記2つの基本的人権を侵害するものであるから,同条の制定時から違憲であったというべきであるが,その後の国内的及び国際的状況の中で,国会議員らは,遅くとも平成8年には,同条の違憲性を認識し,又はこれを容易に認識し得たというべきであるから,国会議員らが同条を改廃しなかった立法不作為は国会議員の職務上の義務に違反していると主張する。
[49] しかし,上記(2)で説示したとおり,「氏の変更を強制されない権利」は,憲法13条によって保障された具体的権利であるとはいえず,また,上記(3)で説示したとおり,控訴人らが主張するような何らの制約を受けない「婚姻の自由」は,憲法24条によって保障されている権利であるとはいえない。このように,控訴人らが主張する「氏の変更を強制されない権利」及び「婚姻の自由」が「国民に憲法上保障されている権利」であるとはいえないのであるから,17年判決が示した国家賠償法上の違法性判断の枠組によれば,国会議員らが民法750条を改正して選択的夫婦別氏制度を導入していない立法不作為が,国家賠償法1条1項の規定の適用上,違法の評価を受けることにはならない。
[50] したがって,控訴人らの上記主張は,採用することができない。
[51] 控訴人らは,[1]女子差別撤廃条約2条(c)によれば,女子差別撤廃条約締結国の国民は,差別によりその権利を侵害された場合には司法的救済を求めることができるのであるから,女子差別撤廃条約によって「氏の変更を強制されない権利」が保障されているかどうかを検討する必要はない,[2]裁判所が控訴人らの請求の可否を判断する際に適用するのは,国内法である国家賠償法であり,女子差別撤廃条約そのものではないから,女子差別撤廃条約16条1項(b)及び(g)について,直接適用可能性ないし自動執行性の有無を問題とする必要はない,[3]我が国は,女子差別撤廃条約の批准により,差別的規定を改廃する国際法上の義務を引受けたところ,この義務は,憲法98条2項により女子差別撤廃条約に国内法的効力が付与されて国内法上の義務に転化し,国会議員が国民個人に対して負う法的義務になったというべきであると主張する。

[52] しかし,[1]17年判決の趣旨に徴すると,条約が,直接,当該条約締約国の国民に対し,具体的な権利として「氏の変更を強制されない権利」を保障する場合において,その権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ること(これを本件訴えに即して具体的にいえば,民法750条を改正し選択的夫婦別氏制度を導入すること)が必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠るときなどには,例外的に,国会議員の立法不作為が,国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものと解する余地があること,[2]女子差別撤廃条約が,我が国の国民に対し,具体的な権利として「氏の変更を強制されない権利」を保障しており,女子差別撤廃条約の内容が国家と国民との間の法律関係に適用される規範として裁判所を拘束するためには,女子差別撤廃条約に直接適用可能性ないし自動執行力があることが必要であること,[3]しかるに,女子差別撤廃条約は,一定の権利を確保することに言及しているが,いずれも締結国がその権利を確保するよう適当な措置を執る必要があり,締結国の国民に対し,直接権利を付与するような文言になっておらず、国内法の整備を通じて権利を確保することが予定されているから,直接適用可能性ないし自動執行力があるとは認めることができないこと,したがって,女子差別撤廃条約の規定が,我が国の国民に対し,直接権利を付与するものとはいえないこと,[4]女子差別撤廃条約選択議定書によるいわゆる個人通報制度の導入及び女子差別撤廃委員会による民法750条の改廃勧告も,上記[3]の結論を左右しないことは,原判決が説示する(31頁8行目から35頁19行目まで)とおりであるから,これを引用する(ただし,原判決の32頁6行目から7行目,同頁13行目並びに35頁12行目及び16行目の「婚姻に際し,婚姻当事者の双方が婚姻前の氏を称する権利」を,いずれも「氏の変更を強制されない権利」と改める。)。
[53] したがって,女子差別撤廃条約によって,控訴人らの主張する権利が我が国の国民に対して保障されているとはいえず,控訴人らの上記主張も,採用することができない。

[54] よって,控訴人らの請求はいずれも理由がなく,これと結論において同旨の原判決は相当であり,本件控訴はいずれも理由がないから,これらを棄却することとして,主文のとおり判決する。

  東京高等裁判所 第17民事部
  裁判長裁判官 荒井勉  裁判官 森英明  裁判官 本田能久

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