夫婦別姓訴訟(平成27年)
第一審判決

損害賠償請求事件
東京地方裁判所 平成23年(ワ)第6049号
平成25年5月29日 民事第24部 判決

口頭弁論終結日 平成25年1月30日

原告 塚本協子 (戸籍上の氏名 小島協子)
原告 加山恵美
原告 渡辺二夫
原告 小國香織 (戸籍上の氏名 丹菊香織)
原告 吉井美奈子(戸籍上の氏名 谷美奈子)
上記5名訴訟代理人弁護士 榊原富士子 打越さく良 大谷美紀子 折井純 金塚彩乃 川見未華 橘高真佐美 塩生朋子 竹下博將 渕上陽子 吉岡睦子 小島延夫 中川武隆 寺原真希子 竪十萌子

被告 国
同代表者 法務大臣

■ 主 文
■ 事 実 及び 理 由


1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。

1 被告は,原告加山恵美及び原告渡辺二夫に対し,それぞれ150万円及びうち50万円については平成23年1月4日から,うち100万円については同年3月12日から,いずれも支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告塚本協子,原告小國香織及び原告吉井美奈子に対し,それぞれ100万円及びこれに対する平成23年3月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
[1] 本件は,原告らが,婚姻に際して夫婦の一方に氏の変更を強いる民法750条は,憲法13条及び24条1項2項により保障されている権利を侵害し,また女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(昭和60年条約第7号。以下「女子差別撤廃条約」という。)16条1項(b)(g)に違反することが明白であるから,国会は民法750条を改正し,夫婦同氏制度に加えて夫婦別氏制度という選択を新たに設けることが必要不可欠であるにもかかわらず,何ら正当な理由なく長期にわたって立法措置を怠ってきたことから,当該立法不作為は国家賠償法1条1項上の違法な行為に該当すると主張して,被告に対し,原告加山恵美及び原告渡辺二夫については慰謝料各150万円の支払を,原告塚本協子,原告小國香織及び原告吉井美奈子については慰謝料各100万円の支払を,それぞれ求める事案である。
[2] 原告塚本協子(以下「原告塚本」という。)は,小島明久との間で婚姻の届出をした夫婦であるが,通称の氏として「塚本」を使用しており,これ以前に小島との間で婚姻の届出及び離婚の届出を1回ずつしている。

[3] 原告加山恵美(以下「原告加山」という。)と原告渡辺二夫(以下「原告渡辺」という。)とは,婚姻後の夫婦の氏を「渡辺」とする婚姻の届出をしたが,協議離婚の届出をし,その後に提出した婚姻届は婚姻後の氏の選択がされていないとして不受理となった。

[4] 原告小國香織(以下「原告小國」という。)は,丹菊敏貴との間で婚姻の届出をした夫婦であり,通称の氏として「小國」を使用している。

[5] 原告吉井美奈子(以下「原告吉井」という。)は,谷正友との間で婚姻の届出をした夫婦であり,通称の氏として「吉井」を使用している。
[6] 民法(昭和22年法律第222号による改正後のもの。昭和23年1月1日施行)750条は,「夫婦は,婚姻の際に定めるところに従い,夫又は妻の氏を称する。」とし,[1]夫婦の氏は,婚姻の際に夫婦の協議によって定められること,[2]その氏は,夫又は妻のいずれかが婚姻前に称していた氏から選択する必要があることを規定している。
[7] 民法739条1項は,婚姻が戸籍法の定めるところによる届出により効力を生ずるとし,戸籍法74条1号は,婚姻の届出において「夫婦が称する氏」を必要的記載事項としている。

[8] 法制審議会は,平成8年2月,民法750条の改正案として,婚姻の際に定めるところに従い,夫若しくは妻の氏を称し,又は各自の婚姻前の氏を称するものとするという,いわゆる選択的夫婦別氏制度を提案する内容を含んだ「民法の一部を改正する法律案要綱」(以下「法律案要綱」という。)を公表したが,この法律案は国会に提出されなかった。

[9] 女子差別撤廃条約は,「締約国は,女子に対するあらゆる形態の差別を非難し,女子に対する差別を撤廃する政策をすべての適当な手段により、かつ,遅滞なく追求することに合意し,及びこのため次のことを約束する。」と規定し(同条約2条柱書),この約束の対象として,「女子に対するすべての差別を禁止する適当な立法その他の措置(適当な場合には制裁を含む。)をとること。」(同条(b)),「女子に対する差別となる既存の法律,規則,慣習及び慣行を修正し又は廃止するためのすべての適当な措置(立法を含む。)をとること。」(同条(f))を挙げている。
[10] また,同条約16条1項は,「締約国は,婚姻及び家族関係に係るすべての事項について女子に対する差別を撤廃するためのすべての適当な措置をとるものとし,特に,男女の平等を基礎として次のことを確保する。」と規定した上,同項(b)で「自由に配偶者を選択し及び自由かつ完全な合意のみにより婚姻をする同一の権利」,同項(g)で「夫及び妻の同一の個人的権利(姓及び職業を選択する権利を含む。)」と規定している。
[11] [1]立法の内容若しくは立法不作為が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合,又は[2]国民に憲法上保障されている権利の行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合には,国会議員の立法行為又は立法不作為は,国家賠償法1条1項の適用上,違法の評価を受けるものというべきである。

(ア) 婚姻の自由(憲法24条1項)
[12] 憲法24条1項は,基本的人権として「婚姻の自由」を保障しており,民法は,法律婚を他の関係よりも特別に保護し,法律婚の関係を強化し安定化をはかっているところ,この法律婚の自由が,憲法24条1項が保障する婚姻の自由に含まれることについては異論がない。
[13] 民法739条1項が,婚姻の成立について,形式的要件として婚姻の届出を定め,戸籍法74条1号が,婚姻の届出において「夫婦が称する氏」を必要的記載事項としていることから,夫婦同氏制は婚姻の実質的要件と化している。

(イ) 氏の変更を強制されない自由(憲法13条)
[14] 憲法13条は包括的基本的人権である幸福追求権について定め,憲法14条以下で保障されないものであっても,補充的に権利・自由を保障する規定である。
[15] 氏は,個人の呼称として,個人を他人から識別し特定する機能を有するものであり,個人の同一性を示すものとして人格と密着し,人格の象徴として人格権の一内容を構成する。
[16] 判例は,「みだりにその容貌・姿態を撮影されない自由」,「みだりに指紋の押なつを強制されない自由」,「個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由」及び「人格権としての個人の名誉」が,それぞれ憲法13条によって保障されることを認めてきたところ,氏について,本人の意に反してその変更が強制された場合,当該個人は,旧姓を通じて公私にわたり形成してきた人間関係,人や社会からの信頼・信用,人生そのものを分断され,精神的には人格や個人の尊厳そのものを否定される苦痛を被るのであるから,「氏の変更を強制されない自由」の人格権としての重要性は,上記のその他の各自由ないし権利に勝るとも劣らない。
[17] したがって,「氏の変更を強制されない自由」は,人格そのものにかかわる権利として,憲法13条によって保障されることは明らかである。

(ウ) 上記各自由に対する制約と違憲審査基準
[18] 夫婦同氏は,婚姻の実質的要件として,法律婚をする男女の一方に意に反しても氏を変更することを強制し,氏の変更を強制されない自由を制約しており,法律婚を希望するがいずれも氏の変更を望まない男女は,民法750条の夫婦同氏強制により,いずれか一方が意に反する氏の変更を強制されても法律婚をするか,あるいは法律婚を諦めて双方が氏の変更を強制されずに生きるかを選択することになり,「氏の変更を強制されない自由」又は「婚姻の自由」のいずれかの放棄を迫られることになるから,同条は,これらの自由を制約していることが明らかである。
[19] そして,「氏の変更を強制されない自由」及び「婚姻の自由」は,いずれも個人の人格価値そのものにかかわる権利・自由であって,立法裁量が広範に認められる権利・自由ではないのに対し,これらを両立させる制度の構築は容易であるにもかかわらず,民法750条は,その二者択一を個人に迫り,その一方の放棄を強制するという極めて特異な制度であるから,同条の違憲性については厳格な違憲審査がなされなければならず,被告において,「やむにやまれぬ政府目的」あるいは「極めて重要な政府利益」が示され,かつ,当該目的ないし利益を達成する上で,規制が必要最小限の手段であることが論証されない限り,同条は違憲であるというべきである。
[20] また,民法750条は,ほとんどの夫婦において夫の氏を夫婦の氏として選択するという実質的不平等を招来・固定化し,かつ,個別の夫婦間においては,必ず一方に氏の変更を強いるという形式的不平等を招来する立法であるから,憲法24条2項が保障する「両性の本質的平等」の権利に立脚しない立法であることが明白である点においても,その違憲審査について,厳格基準が採用されるべきである。

(エ) 民法750条制定時の違憲性
[21] 民法750条の制定当時,夫婦同氏の立法上の根拠は,強いていえば,共同生活をする者が同じ氏を称しているという当時の習俗や慣習,すなわち「氏による共同生活の実態の表現」が挙げられるにすぎず,それも旧民法(明治31年法律第9号。以下「旧民法」という。)の「家」の氏を称することが戸主及び家族に法律上強制された結果,浸透した習俗であって伝来的なものであるから,婚姻の本質から導かれるものではなく,婚姻に必要不可欠なものでもない。
[22] また,「婚姻や家族の安定」「夫婦や家族の一体感の醸成」といった立法者が観念していなかった目的を見いだすとしても,その目的を達成する方法は,個人・夫婦各自の人生観・価値観により異なるもので,国家が強制しようとしても到底達成不可能なものである上,民法750条は全国民に夫婦同氏を強制しており,規制の範囲が目的に対して広きにすぎ,その結果,婚姻に際して氏の変更を望まない男女に,法律婚を断念・回避させて,婚姻を不安定化させ,離婚の容易な事実婚を増加させる有害な規制手段となっている。
[23] したがって,民法750条には「やむにやまれぬ政府目的」や「極めて重要な政府利益」が存在せず,仮に同条の違憲審査基準について合理性の基準によって審査されるべきとの見解に立つ場合でも,同条には「重要な利益」あるいは「正当な利益」があるとはいえず,また,同条は,その規制手段が必要最小限ではないのみならず,目的と手段との間の実質的関連性も合理的関連性も有しないから,違憲というべきである。

(オ) 制定後の国内的・国際的環境等の変化を踏まえた民法750条の違憲性
[24] 仮に,民法750条が制定時には明白には違憲ではなかったとしても,その後の国内的・国際的環境等の変化により,家族生活や婚姻生活に関する意識や実態が変化し,夫婦同氏の強制を根拠付ける立法事実が失われた結果,選択的夫婦別氏制度を含む法律案要綱が公表された平成8年までに,そしてどんなに遅くとも現時点までに,民法750条は違憲性を有するに至った。
[25] 平成8年(法律案要綱公表時)までの国内的環境の変化として,[1]婚姻後も社会に出て働き続ける女性が増え,[2]晩婚化が進み,女性が仕事上婚姻後も婚姻前の氏を継続使用する必要性が高まった。また,[3]平成8年には,女性の再婚割合が11.7%に上り,離婚件数も20万6955件にまで増加し,平成7年には,未成年の子のいる離婚件数も12万2067件にまで激増しており,[4]外国人との婚姻については夫婦別氏制度が貫かれているところ,平成8年には国際結婚の割合が3.6%に達したことにより,婚姻前の氏の継続使用の必要性が高まると共に,氏が家族共同体の呼称とはいえなくなってきた。さらに,[5]合計特殊出生率が減少し,平成8年には1.43となって,子に親の氏の承継の期待がかかることを背景に,氏を変更することなく婚姻できる選択肢を設ける必要性が高まった。
[26] 平成8年以降の国内的環境の変化として,[1]平成22年には共働き世帯数が1012万世帯に達し,[2]晩婚化も更に進んだほか,[3]女性の再婚割合も16.2%と増え,離婚件数も25万1378件にまで増加し,平成21年には,未成年の子のいる離婚件数も14万6408件にまで増加している。さらに,[4]国際結婚の割合は平成22年には4.3%にまで上昇し,[5]合計特殊出生率も1.39まで下がって,上記の傾向がさらに強くなっている。
[27] また,家族生活や親子関係,氏に関する意識の多様化として,[1]選択的夫婦別氏制度導入への賛成の割合と通称使用を求める割合の合計は,20代から30代の女性については平成18年には8割以上存在し,全体の平均でも61.7%に達している。また,[2]婚姻に際しての氏の変更について,平成18年には約24%が違和感を,約10%が自己喪失感を感じるとし,[3]姓が違っても家族の一体感に影響がないと思う者の割合も,平成18年では56.0%へと増加し,双方が改姓したくないという理由で婚姻届をしない人がいると思う者が62.1%に増加し,そのうち同じ姓を名乗っていなくても正式な夫婦と変わらないと考える者の割合も72.0%へと増加している。加えて,[4]「夫は外で働き,妻は家庭を支える」という考え方についての賛否が平成16年に逆転し,平成21年には反対55.1%,賛成41.3%となっている。
[28] したがって,夫婦共同生活の在り方を含む家族生活や親子関係の意識及びその実態は,日本における社会的,経済的環境等の変化に伴って,遅くとも平成8年までには大幅に変化し,その傾向はそれ以降も続いているといえる。
b 国際的環境の変化
[29] アメリカ合衆国,イタリア,オーストラリア,中華人民共和国,デンマーク,スウェーデン,ドイツ,タイ等多くの国で選択的夫婦別氏制あるいは選択的結合氏制などへの法改正が進み,現在では,同氏という選択肢しか認めない法制の国は見当たらない。
[30] また,イで後述するとおり,女子差別撤廃条約及び女子差別撤廃委員会からの勧告等が存在し,被告が条約上及び憲法上,民法750条を改廃する義務を負うこととなったことも重要な事実である。
c 国内における議論状況
[31] 平成8年の法律案要綱の公表後,平成12年には男女共同参画基本計画が,平成13年には男女共同参画会議基本問題専門調査会が,いずれも選択的夫婦別氏制度の導入を提言しており,平成22年には,被告の第3次男女共同参画基本計画が,女子差別撤廃委員会の最終見解も踏まえ,選択的夫婦別氏制度の導入等の民法改正について,引き続き検討を進めるとしている。
[32] また,多くの学説は,家族意識の変容,家族の形態の多様化,夫婦同氏がもたらす実際の不都合性等に触れた上で,選択的夫婦別氏制度に賛同している。
d 立法目的及びこれを達成する手段
[33] 上記のとおり,制定時における民法750条の立法目的は「氏による共同生活の実態の表現」であると考えられるが,憲法24条2項の要請を受けたものではなく,婚姻の本質から導かれるものでもない上,上記のとおり国内的環境の変化として,氏の人格的利益に対する意識及び女性が婚姻前の氏を婚姻後も使用継続する必要性が高まるとともに,「同氏=家族ないし夫婦」という意識が共有されなくなり,実態としても氏が家族共同体の呼称とはいえなくなってきていたから,「氏による共同生活の実態の表現」という習俗そのものが失われ,これが極めて重要な政府目的を有すると解する余地は全くなく,習俗の実践を希望する者に対する便宜を図るという程度の正当性さえ相当程度失われていた。
[34] したがって,平成8年には,氏の人格的利益の重大性が増し,婚姻そのものを否定する結果を招くという致命的な欠陥が露呈して,民法750条によって失われる利益が甚大であることが一層明らかとなり,諸外国の趨勢にも反し,具体的な改正内容が明らかとなっていたにもかかわらず同条を改正しないという状態に至っていたから,もはや「氏による共同生活の実態の表現」という習俗の継続のための手段としての単なる合理性さえ見いだせなくなっていた。
[35] さらに,国内的環境の変化は,平成8年以降ますます加速し,現在においては,「氏による共同生活の実態の表現」という習俗の正当性が一層失われ,民法750条が「氏による共同生活の実態の表現」という習俗の継続のための手段として不合理極まりないことは疑問の余地がない。

[36](カ) 被告は,立法不作為が国家賠償法上違法であるというためには,具体的かつ特定の内容の法制度を構築すべきことを要求することができる権利が,個々の国民に対して憲法上保障されているという前提が必要であると主張する。
[37] しかしながら,上記の前提は,最高裁昭和60年11月21日第一小法廷判決(民集39巻7号1512頁。以下「60年判決」という。)の趣旨からは直ちには導かれず,最高裁平成17年9月14日大法廷判決(民集59巻7号2087頁。以下「17年判決」という。)が判示する要件に対して,独自に根拠の明白でない要件を加えたものであって,このような新たな要件を追加することには理由がないというべきである。
[38] 仮に,上記の前提が必要であるとの立場に立つとしても,原告らは,憲法13条,24条等に基づき,氏の変更を強制されない自由及び婚姻の自由が侵害された場合には,その侵害を除去するよう要求することができる(すなわち,夫婦同氏制度との関係では,選択的夫婦別氏制度を要求することができる)のであって,原告らには,特定の法制度を構築すべきことを要求することができる権利が保障されているのであるから,その前提を満たしているというべきである。

[39](キ) 以上によれば,民法750条は,[1]その制定時,[2]遅くとも平成8年,又は[3]どんなに遅くとも現在までには,国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白である。
[40] また,遅くとも平成8年までには,民法750条の違憲状態を解消するために執るべき措置が明らかになっていたから,現在まで選択的夫婦別氏制を導入しなかった国会議員の立法不作為は,国民に憲法上保障されている権利の行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠ったものというべきである。
[41] したがって,上記国会議員の立法不作為は,国家賠償法1条1項の規定の適用上違法の評価を受ける。

[42] 憲法98条2項は,被告に対して,締結した条約を誠実に遵守する義務を負わせているから,法律が条約上保障されている権利を侵害している場合には,被告は,条約の実施義務の内容として,かかる法律を改廃する義務を負う。したがって,[1]立法の内容若しくは立法不作為が国民に条約上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合,又は[2]国民に条約上保障されている権利の行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合にも,国会議員の立法行為又は立法不作為は,国家賠償法1条1項の適用上,違法の評価を受けるものというべきである。

(ア) 女子差別撤廃条約違反
[43] 女子差別撤廃条約は昭和60年7月に発効し,憲法98条2項によって国内法的効力を有するところ,民法750条の規定は,婚姻夫婦に対して同氏を強制することにより,日本における慣習の存在と相まって,婚姻夫婦の96.20%において女性が氏の選択権を享有し又は行使することを害する効果をもたらしているから,女子差別撤廃条約16条1項(b)及び(g)に違反している。
[44] そのため,被告は,同条約2条(f)に基づき,女性に対する既存の差別的法規を遅滞なく修正又は廃止する措置を取る義務(改廃義務)を負うにもかかわらず,26年以上の長きにわたり民法750条の改廃義務を怠った。
[45] この間,女子差別撤廃委員会の一般勧告及び市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和54年条約第7号)委員会の一般的意見により,夫と妻が自己の婚姻前の姓の使用を保持する同一の権利が,女子差別撤廃条約及び同規約により保障されることが明白になり,被告は,女子差別撤廃委員会から2回にわたり,具体的に民法750条を改正すべきことを勧告され,特に,平成21年の勧告においては,民法の差別的規定の改正の実施について2年以内に書面で委員会に対し提出することを要請され,これに対して反論の意見書を提出したことはないにもかかわらず,なおも民法750条の改正を怠り,放置したものである。
[46] したがって,被告の立法不作為により,原告らは,女子差別撤廃条約16条1項(b)及び(g)により保障される婚姻及び姓の選択についての男女の同一の権利を長年にわたって侵害されたといえる。

(イ) 個人への権利付与
[47] 被告は,女子差別撤廃条約16条1項(b)及び(g)が掲げる権利は,国内法の立法措置等を待つことなく具体的権利と認められるものではなく,これらの規定から夫婦が別氏のまま法律婚をすることができるという権利が当然に導き出されるものでもない旨主張する。
[48] しかし,国連で作成された女子差別撤廃条約を含む人権条約及び地域人権条約は,いずれも国家間の条約という法形式を取っているが,その趣旨及び目的は個人の人権の保護であり,個人の人権を締約国により保障される権利として国際法上認めているから,人権条約が個人の権利を規律したものではないとの主張は誤りである。
[49] また,女子差別撤廃条約選択議定書が平成11年に採択されており,同議定書は同条約上の権利を侵害された個人が女子差別撤廃委員会に対して通報を申し立てる個人通報制度を導入するものであるところ,同議定書2条は,通報の申立資格を「条約に定めるいずれかの権利の侵害の被害者であると主張する者」に付与しているから,同条は,女子差別撤廃条約が個人に権利を付与していることを前提としているといえる。
[50] さらに,本件訴訟は,条約規定を直接の根拠として裁判所の判決により権利内容の実現を求めているものではなく,権利の侵害に対する事後的救済として損害賠償を請求するものであるから,民法750条の改廃を怠ったという立法不作為によって原告ら個人が侵害された具体的な権利利益は,女子差別撤廃条約16条1項(b)及び(g)の規定によって保障される「合意のみにより婚姻をする同一の権利」及び「婚姻に際しての氏の選択に関する夫婦同一の権利」であって,これ以上に,これらの規定から,国内法の立法措置等を待つことなく「夫婦が別氏のまま法律婚をすることができる権利」を導き出す必要はない。

(ウ) 条約の直接適用可能性
[51] 被告は,我が国の司法裁判所が直接適用できる条約は自動執行力を有するものに限られるところ,女子差別撤廃条約16条1項(b)及び(g)は自動執行力を有しない旨主張する。
[52] しかし,立法府が条約を国内的に実現するために必要な措置を執らない場合に,裁判所が立法府の代わりに自ら必要な措置を執るとき又は立法府に対して必要な措置を執ることを命ずるときは,権力分立の原則との関係で条約規定の適用が否定される可能性はあるが,立法府が条約を国内的に実施しないために損害を被った個人が国家賠償請求を求める場合には,条約の直接適用可能性の有無は問題とならない。
[53] 仮に,直接適用可能性の有無が問題になるとしても,その判断基準としての主観的基準については,これを否定する意思が条約の文言に明示され,あるいは,準備作業から確認される場合などを除き,国内的効力を与えられたことに基づいて直接適用可能であると推定されるべきである。このため,直接適用可能性を決定する中心的な基準は,客観的基準として説明される条約規定の明確性であり,女子差別撤廃条約16条1項(b)は「自由かつ完全な合意のみにより婚姻をする同一の権利」,同項(g)は「夫及び妻の同一の個人的権利(姓(中略)を選択する権利を含む。)」をそれぞれ規定しているところ,民法750条がこれらの各規定に違反し,当該各規定によって原告らに保障される「合意のみにより婚姻をする同一の権利」「婚姻に際して氏の選択に関する夫婦同一の権利」を侵害したかについて判断することが可能な程度の明確性に欠けるところはない。
[54] したがって,女子差別撤廃条約16条1項(b)及び(g)が直接適用可能な規定であることは明らかである。

[55](エ) 以上によれば,民法750条は,女子差別撤廃条約16条1項(b)及び(g)に違反するものであって,被告は,同条約の締約国として,同条約2条(f)に基づき,民法750条を改廃する義務を負うものであり,法令の改廃の権限を独占する国会が長年にわたりその義務を放置した結果,原告らの同条約上の権利が侵害されたことは,国家賠償法1条1項の違法に当たる。
[56] ある立法不作為が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合である(17年判決)というためには,その前提として,具体的かつ特定の内容の法制度を構築すべきことを要求することができる権利が,個々の国民に対して憲法上保障されていることが必要である。
[57] なぜなら,国会議員の立法行為(立法不作為を含む。以下同じ)が国家賠償法1条1項の適用上違法となるかどうかは,国会議員の立法過程における行動が個別の国民に対して負う職務上の法的義務に違背したかどうかの問題であって,当該立法の内容の違憲性とは区別されるべきである(60年判決)からである。そして,国家賠償請求訴訟における違法性は,究極的には他人に損害を加えることが法の許容するところであるかどうかという見地からの行為規範違反性であるから,原告らは,当該行為規範として,国会議員が,憲法上,損害賠償の対象となるような個別の国民の権利利益の侵害を回避するために,ある具体的かつ特定の内容の法制度(本件でいうと夫婦別氏を選択できる法制度)を構築しなければならない法的義務(立法義務)を負っているのに,それに違背したことを主張立証しなければならない。それにもかかわらず,原告らの主張は,一般的抽象的なものにすぎず,立法不作為が違憲であることを主張するにとどまり,国会議員の立法不作為が国家賠償法1条1項の適用上違法であることを基礎付ける職務上の法的義務の存在やその違反ひいては個別の国民として有する権利利益の侵害を主張しているとはいえない。
[58] 以上のことは,「国民に憲法上保障されている権利の行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合(17年判決)」の該当性についても同様に当てはまる。

(ア) 憲法24条
[59] 憲法24条は,婚姻及び家族に関する法制度が個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して構築されるべきことを明らかにしている規定(客観法)であって,具体的な立法を待つことなく,国会議員の個別の国民に対する具体的な立法措置を講ずべき職務上の法的義務を導き出すような権利,例えば,婚姻に際して別氏を選択することができるというような権利を個々の国民に対して保障したものではない。
[60] 個人の氏に人格権的な側面があるとしても,そのことから直ちに婚姻に際して夫婦別氏を選択できる権利が人格権の一内容であるとして憲法上保障されるとするのは論理の飛躍があり,失当である。
[61] また,憲法24条1項は,第三者による意思決定の強制や妨害に当たらない当事者の合意以外の事項を婚姻の成立要件等とする制度を構築することをおよそ許さない趣旨ではなく、例えば,当事者の合意いかんにかかわらず,婚姻適齢(民法731条),重婚の禁止(同法732条),近親者間の婚姻の禁止(同法734条)等に違反した場合に婚姻の成立が妨げられ(婚姻の実質的要件),又は所定の方式を具備した届出なしに婚姻が成立しないこと(同法739条。婚姻の形式的要件)は,憲法24条1項に反するとは考えられていない。そして,民法750条が婚姻の効力の一つとして,夫婦が夫又は妻のいずれかの氏を称すること以外の氏の選択を認めていないことは,婚姻自体の成立要件ですらなく,婚姻の形式的要件としての届出に伴う氏制度自体の仕組みの問題であるが,そのような氏選択の制度は,憲法24条1項の要請に反して,婚姻それ自体について第三者によって当事者の意思決定が妨げられることを意味するものではない。
[62] さらに,民法750条は,婚姻が当事者の自由な意思によるものであることを前提とした上で,夫婦が夫の氏を称することも,妻の氏を称することも,対等な選択肢として許容し,しかもその選択を当該夫婦となる男女間の協議のみに委ねており,個人の尊厳と両性の本質的平等に十分配慮した規定であって,この意味においても憲法24条に違反するようなものではないことは明らかである。

(イ) 憲法13条
[63] 憲法13条は,夫婦別氏を選択できる制度を構築すべきことを要求する権利を,個々の国民に対して保障するものではないし,原告らの主張する新しい人権たる「氏の変更を強制されない自由」ないし「氏名保持権」をもって,個々の国民に対して国会議員の具体的な立法措置を講ずべき職務上の法的義務を導き出すような権利とすること自体に無理がある。
[64] また,およそ氏というものはそもそも現行の婚姻制度という法律制度の存在を前提としたものであって,その意味で,氏は制度に依存した存在である。そのため,何らの法律制度を前提としない氏を観念し,それについて公的制度によって侵害されることのない「氏の変更を強制されない自由」などという憲法上保障された自由権を観念することはできないというべきである。
[65] 憲法13条により保障される権利かどうかは,社会通念上,特定の行為が個人の人格的生存に不可欠であると認められることのほか,その行為を社会が伝統的に個人の自律的決定に委ねたものと考えているか,その行為を行っても他人の基本権を侵害するおそれがないかなど,様々の要素を考慮して慎重に決定しなければならない。そして,我が国の氏の制度は,そもそも,夫婦や親子等の家族の密接な結合関係を基軸とする法制度の根幹をもなし,婚姻等に際しては変更を要することがあり得ることを念頭に置いた法制度として構築されているのであり(夫婦同氏(民法750条),親子同氏(民法790条),養子の氏(民法810条),子の氏の変更(民法791条),婚姻又は縁組解消の場合の復氏(民法751条1項,767条1項,816条1項)等),氏の制度をどのように構築するかは,これらの諸事情を考慮して決せられるべき立法政策の問題であって,強い社会的性格を帯び,多くの制約を受けざるを得ない性質のものである。夫婦同氏は,憲法下でも「ファミリー・ネーム」として国民に深く浸透している上,近時の世論調査結果においても夫婦別氏制度の導入に対しては賛否両論が伯仲しており,夫婦別氏制度の実現を是認する見解が趨勢化しているとはいえない状況にあるのであって,社会通念上,夫婦別氏制度の導入が個人の人格的生存に不可欠であると認められるまでには至っていないというべきである。
[66] したがって,夫婦とも氏の変更を要しないまま法律婚をする権利は,憲法13条によって保障される権利であるとは認められないから,国会議員が,そのような氏の選択を確保するために民法750条を改廃しないことが,個別の国民との関係で,職務上の法的義務違反に当たるとはいえない。

(ウ) 国内的・国際的環境等の変化
[67] 原告らが国内的環境の変化として主張する各事情及び世論調査の結果,国際的環境の変化として主張する各事情は,婚姻制度を今後どのように設計変更していくのが相当であるのかという立法政策において考慮すべきものであり,それを越えて,憲法の要請する婚姻制度や家族制度に反する制度となるに至ったことを裏付けるに足りるものではなく,夫婦別氏を選択できる権利が人格的生存に不可欠なものとして憲法上の保障を受けるに至ったことを裏付けるに足りるものでもないというべきである。
[68] 同様に,原告らが主張する平成8年の選択的夫婦別氏制度を含む民法改正に関する法律案要綱の公表についても,夫婦同氏制度を維持するか,それとも夫婦別氏を選択できるという利益を新たに立法により法制度上保護すべきかどうかという立法政策の問題として検討されていたものであり,夫婦別氏を選択できる権利が憲法上保障されていることを前提として公表されたものではない。
[69] したがって,原告らが主張する民法750条制定後の事情を踏まえても,夫婦同氏制度を定める民法750条は憲法に違反することになったということはできないし,ましてや,婚姻に際し夫婦別氏を選択することができる権利や夫婦別氏を選択できる制度を構築することを要求する権利が,個々の国民に対し,憲法上の権利として保障されるに至ったということもできない。

(エ) 国家賠償法1条1項の「違法性」
[70] 原告らの主張する利益は,要するに婚姻に際して別氏を選択し得ることによる利益であると解されるところ,そのような利益が憲法上の権利として保障されていないことは前記のとおりであり,他にそのような利益を保護している法令は存在しないから,上記の利益が法的な保護を受け得る利益として認められているものではない。
[71] したがって,国会議員の立法不作為について,憲法上保障された権利の侵害等を理由として国家賠償法1条1項の適用上違法となる余地はない。
[72](ア) 条約は,成立とともに締約当事国間にその効力を生じ,締約当事国間にその条約の内容に従った法律関係を発生させるが,このような条約上の権利義務関係は,原則として,国家間の関係を規律するものであって,国家内の個人の権利義務を直接に規律するものではないから,仮に当該条約が何らかの形で個人の権利義務に言及している場合であっても,それだけでは,締結当事国の裁判所において,個人の権利を認め,又は義務を課すことはできず,条約が国内の司法裁判所や行政機関によって適用・実施されるためには,それらを国内法によって補完・具体化するなどの「国際法の国内法的実施措置」を待たなければならないのが原則である。

[73](イ) もっとも,条約の中には,国内法による補完・具体化がなくとも,内容上そのままの形で国内法として直接に実施され,私人の法律関係について国内の裁判所及び行政機関の判断根拠として適用することができるもの(いわゆる「自動執行力のある」条約)があり,その要件として,第1に,条約の作成・実施の過程の事情により,私人の権利義務を定め直接に国内裁判所で執行可能な内容のものにするという締約国の意思が確認できること(主観的要件),第2に,私人の権利義務が明白,確定的,完全かつ詳細に定められていて,その内容を具体化する法令を待つまでもなく国内的に執行可能な条約規定であること(客観的要件)を要するとされている。
[74] 女子差別撤廃条約は,条約の実体規定(2条から16条)において,「締約国は…適当な措置をとる」等と規定し,同条約18条が「締約国は,…この条約の実施のためにとった…措置及びこれらの措置によりもたらされた進歩に関する報告を,…国際連合事務総長に提出することを約束する」と規定していることから,締約国に対して女性差別を撤廃するという目的を達成するために適当な措置を執る義務を課していることは明らかであり,同条約の発効までの経過においても,同条約の国内における実施については,国内法制の整備を通じて行うことを前提とする答弁が再三されており,同条約を自動執行力のない条約として理解していたことが明らかであるから,むしろ条約の国内適用可能性を排除する意思が認められ,上記の主観的要件を満たすとはいえない。
[75] また,女子差別撤廃条約16条1項(b)及び(g)には,私人の権利義務が明白,確定的,完全かつ詳細に定められているとはいえず,その内容を具体化する法令を待つまでもなく国内的に執行可能な条約規定であるともいい難いから,客観的要件を満たすともいえない。

[76](ウ) 国会の立法不作為による国家賠償法1条1項の損害賠償請求を理由付けるためには,個々の国民個人に対する職務上の法的義務を観念する必要があるから,女子差別撤廃条約16条1項(b)及び(g)が,個々の国民個人に対し,別氏のまま法律婚をする権利という,国家賠償法1条1項適用上の違法性を根拠付ける権利利益が保障されていることを論証する必要があるところ,原告らは,民法750条が女子差別撤廃条約に違反すると主張するにすぎない。

[77](エ) 以上のとおり,女子差別撤廃条約16条1項(b)及び(g)には自動執行力が認められず,これを補完・具体化する国内法の規定によって,原告らが主張する権利利益が,個々の国民個人に対して保障されている具体的な権利利益に該当するといえない以上,その侵害を理由に,民法750条を改廃しないという国会議員の立法不作為が国家賠償法1条1項適用上違法と評価される余地がないことは明らかである。
ア 原告塚本について
[78] 原告塚本は,昭和37年○月○日,婚姻後の夫婦の氏を夫の氏である「小島」とする婚姻の届出をしたが,その後,昭和41年○月○日に協議離婚の届出をし,昭和48年○月○日に上記と同様の婚姻の届出をしたものの,その後は離婚の届出をしておらず,戸籍上の氏は「小島」であるが,退職後は通称の氏として「塚本」を使用している。
[79] 原告塚本は,若いころより,嫁となって塚本姓を捨てることは絶対にしないと決めていたことから,昭和35年○月の結婚以来,50年以上も,生来の氏を維持するか,法律婚をするかという重い葛藤を抱え,子の出生の都度,婚姻や離婚を繰り返すなどの苦労を負ってきており,第3子出生以後は離婚届を出さずに通称を使用してきた結果,社会生活において戸籍上の氏で呼ばれるたびに心を痛めてきた。原告塚本が被った精神的苦痛を金銭に見積もるならば,100万円を下ることはない。

イ 原告加山について
[80] 原告加山と原告渡辺とは,平成12年○月○日,婚姻後の夫婦の氏を「渡辺」とする婚姻の届出をしたものの,平成16年○月○日,協議離婚の届出をし,その後はいわゆる事実婚の状態となっており,平成23年○月○日,東京都荒川区長に対し,婚姻後の夫婦の氏の欄について「夫の氏」と「妻の氏」の両方にチェックをした婚姻の届出書を提出し,同日,夫婦の氏が選択されていないことを理由として返戻された(以下,これを「本件不受理」という。)。
[81] 原告加山は,原告渡辺と婚姻して夫の氏に変更した後,仕事上「加山」を通称として使用したものの,周囲に事情を説明する際の精神的負担が大きく,また,職業上の自分が実在する自分とは異なる「架空の人物」であるかのような喪失感に悩むなど,精神的な安定さを欠くことすらあった。原告加山と原告渡辺は,円満な夫婦でありながら双方が自身の姓を名乗るため,やむなく,便宜的に離婚届を提出したものであり,原告加山は,法律婚の期間には自身の姓を失い,それによる不利益と精神的苦痛を被り,事実婚となった後は,夫婦として法律によって完全に守られていない不利益と精神的苦痛を被り,氏か法律婚かの二者択一をせまられ,苦渋の選択を続けてきた。また,現在は法律婚ができないという不利益を被っている。この精神的苦痛を金銭に見積もるならば,100万円を下ることはない。
[82] また,本件不受理に係る戸籍事務は,市町村が被告に代わって被告の指示を遂行するだけであるといえるから,本件不受理による損害に関しては,被告がその賠償義務を負うところ,原告加山は,本件不受理により,上記と同様の精神的苦痛を改めて被り,これを金銭に見積もるならば,50万円を下らない。

ウ 原告渡辺について
[83] 原告渡辺は,複数の特許を有する技術者であり,研究者としての業務の連続性・信用性を保持するには,氏名の一貫性が絶対に必要であった。
[84] しかしながら,原告渡辺も,原告加山と便宜的離婚をせざるを得なくなり,法律婚を継続できず,かつ法律婚によって得られる利益を享受できなかった。現在も法律婚として法によって守られていないことに不安を感じながら暮らしており,原告渡辺の被った精神的苦痛を金銭に見積もるならば,100万円を下ることはない。
[85] また,原告渡辺も,本件不受理により,精神的苦痛を被り,これを金銭に見積もるならば,50万円を下ることはない。

エ 原告小國について
[86] 原告小國は,平成18年○月○日,婚姻後の夫婦の氏を夫の氏である「丹菊」とする婚姻の届出をし,通称の氏として「小國」を使用している。
[87] 原告小國は,婚姻しても自身の小國姓を保持することを希望していたものの,法律婚でないことによる心配が拭えなかったことから,婚姻届を提出することとし,その後も,夫である丹菊とともに子の共同親権者としての立場を維持するために,法律婚を継続することを望んでいる。
[88] 他方,原告小國は,行政書士として,婚姻後も小國姓を通称使用しているが,様々な場面で小國姓を使用できず,例えば公正証書作成時に小國姓を使用できないなど,婚姻前の氏を自由に使用することができないことにより,多大な精神的苦痛を被っており,この精神的苦痛を金銭に見積もるならば,100万円を下ることはない。

オ 原告吉井について
[89] 原告吉井は,平成14年○月○日,婚姻後の夫婦の氏を夫の姓である「谷」とする婚姻の届出をし,通称の氏として「吉井」を使用している。
[90] 原告吉井は,研究者としての実績と信用を維持するため,婚姻後も「吉井」姓を維持したかったが,夫も婚姻改姓を望まなかったことから,やむなく夫の氏で婚姻届を提出した。
[91] しかしながら,原告吉井は,すべての場面で通称が使用できるわけではなく,戸籍上の氏で呼ばれるたびに自己喪失感に苛まれており,一刻も早く戸籍上も吉井姓を取り戻すことを望む一方,原告吉井と夫の谷は,子らの共同親権者としての立場を維持するためにも,法律婚の継続を望んでいる。
[92] 原告吉井が被った精神的苦痛を金銭に見積もるならば,100万円を下らない。
[93] 争う。
[94] 原告らが主張する権利利益は憲法上保障されていないし,他にそのような利益を法律上保護した規定は存在しないのであるから,民法750条が改廃されていないことにより,原告らが国家賠償法1条1項の適用上保護されるべき何らかの権利侵害を受けたとは認められず,権利利益の侵害を前提としない精神的損害の主張は法律的には意味をなさず,理由がない。
[95](1) 原告らの本件請求は,民法750条が夫婦同氏を定めており,婚姻に際し,夫婦のいずれかが婚姻前の氏を変更しなければならないところ,国会議員が,民法750条を改廃し,選択的夫婦別氏制度を導入しなかった立法不作為により精神的損害を被ったとして,国家賠償法1条1項に基づきその賠償を求めるものである。
[96] 国家賠償法1条1項は,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときに,国又は公共団体がこれを賠償する責任を負うことを規定するものである。したがって,国会議員の立法不作為が同項の適用上違法となるかどうかは,国会議員の立法過程における行動が個別の国民に対して負う職務上の法的義務に違背したかどうかの問題であって,当該立法の内容又は立法不作為の違憲性の問題とは区別されるべきであり,仮に当該立法の内容又は立法不作為が憲法の規定に違反するものであるとしても,そのゆえに国会議員の立法行為又は立法不作為が直ちに違法の評価を受けるものではない。しかしながら,立法の内容又は立法不作為が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合や,国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合などには,例外的に,国会議員の立法行為又は立法不作為は,国家賠償法1条1項の規定の適用上,違法の評価を受けるものというべきである(17年判決)。
[97] したがって,本件について,仮に民法750条を改廃しないことが憲法の規定に違反するものであるとしても,そのゆえに国会議員の立法不作為が直ちに国家賠償法1条1項の規定の適用上,違法の評価を受けるものではなく,国会議員の立法過程における行動が個別の国民に対して負う職務上の法的義務に違背したというためには,婚姻に際し,婚姻当事者の双方が婚姻前の氏を称する権利が憲法上保障されており,その権利行使のために選択的夫婦別氏制度を採用することが必要不可欠であって,それが明白であり,国会議員が個別の国民に対し選択的夫婦別氏制度についての立法をすべき職務上の法的義務を負っていたにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠っているといえる場合であることを要するものというべきである。
[98] 原告らは,民法750条が憲法13条,24条に反し,違憲であることを主張するが,仮に民法750条が憲法に反するものであるとしても,そのことから直ちに国会議員の立法不作為が国家賠償法1条1項の規定の適用上,違法の評価を受けるものではないことは上記のとおりであり,また,そのことのみでは,国会議員が立法過程において個別の国民に対して負担している具体的な職務上の法的義務が存在しているといえるものではないから,原告らの上記に係る主張は失当である。

[99](2) そこで,婚姻に際し,婚姻当事者がいずれも婚姻前の氏を称する権利が憲法上保障されているといえるかについて検討する。

[100] 憲法上,上記の権利を明示した規定はないが,憲法13条は,個人としての尊重と共に,個人の生命,自由及び幸福追求の権利を定めており,憲法上明示的に列挙されていない利益を新しい人権として保障する根拠となる一般的包括的権利を規定するものといえる。
[101] また,氏名は,社会的にみれば,個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが,同時に,その個人からみれば,人が個人として尊重される基礎であり,その個人の人格の象徴であって,人格権の一内容を構成するものというべきであり,氏名を他人に冒用されない権利・利益があり,正確に呼称される利益があるといえる(最高裁昭和63年2月16日第3小法廷判決・民集42巻2号27頁,最高裁平成18年1月20日第2小法廷判決・民集60巻1号137頁参照)。
[102] しかし,人格権の一内容を構成する氏名について,憲法上の保障が及ぶべき範囲が明白であることを基礎づける事実は見当たらず,婚姻に際し,婚姻当事者の双方が婚姻前の氏を称することができる権利が憲法13条で保障されている権利に含まれることが明白であるということはできない。

[103] 婚姻に際しての氏の定め方について,掲記の証拠によると以下の事実が認められる。
[104](ア) 昭和22年に,旧民法が現行の民法に改正された際,家制度が廃止され,民法750条に夫婦の氏を「夫又は妻の氏を称する」と規定した趣旨について,第一回国会衆議院司法委員会においては,家制度の廃止により「家」の氏はなくなったものの,「ファミリー・ネーム」として個々人を表すという意味での氏が必要と考えられたことを理由とする旨の説明がされたにとどまり,婚姻制度に必要不可欠のものであるとも,婚姻の本質に起因するものであるとも説明されていない。(乙1)
[105] また,昭和29年7月以降行われた法制審議会の審議においても,氏に関する規定が議論され,婚姻による氏の変更を不利益とする人々がある以上,夫婦の異姓を認める社会的必要があるのではないかとの考え方が述べられたが,これに疑問を呈する意見もあり,結局,昭和30年7月,民法750条について,夫婦異姓を認めるべきか否か等の問題については留保事項とされた。(甲7,乙3)
[106](イ) 昭和51年には,婚姻中の氏で長年社会的活動をしていた人の社会的不利益,子の氏と監護者の氏が異なることによる社会的不利益を除去することを目的として,民法等の一部を改正する法律(昭和51年法律第66号)により,婚氏続称を認める規定(民法767条2項)が新設された。(甲19)
[107](ウ) 法務省(民事局参事官室)が平成4年12月に公表した「婚姻及び離婚制度の見直し審議に関する中間報告(論点整理)」における問題提起に対し,様々な意見が述べられたが,その中に,氏名は人格的利益の一内容であり,人格権の尊重のため,別氏を認めるべきであるとし,あるいは,夫婦同氏の強制は,氏名権の侵害であるとするものや,夫婦の一方が改氏を強制される以上,実質的平等とはいえないとするもの,女子差別撤廃条約16条1項(g)は,夫婦別氏の権利を保障するものと解すべきであるとする意見も述べられている。(甲8,11)
[108] そして,法務省(民事局参事官室)が,平成6年7月,公表した「婚姻制度等に関する民法改正要綱試案」に対し,選択的夫婦別氏制度の導入に賛成する意見が多く示され,平成11年に成立した男女共同参画社会基本法に基づき,政府は,平成12年12月12日,「男女平等等の見地から,選択的夫婦別氏制度の導入や再婚禁止期間の短縮を含む婚姻及び離婚制度の改正について,国民の意識の動向を踏まえつつ,引き続き検討を進める」との内容を含む男女共同参画基本計画を閣議決定し,男女共同参画会議基本問題専門調査会は,平成13年10月,「選択的夫婦別氏制度に関する審議の中間まとめ」を公表し,その中で,「婚姻に際する夫婦の氏の使用に関する選択肢を拡大するため,選択的夫婦別氏制度の導入が望ましいと考える。」と記載している。(甲8、12)
[109] 上記のような経過からは,夫婦同氏について検討の余地があることは昭和29年以降認識されており,選択的夫婦別氏制度の導入について積極的な意見も多く述べられてきたということができ,平成4年頃には,婚姻に際し,婚姻当事者の一方が改氏を迫られることについて,人格権の侵害であるとの意見も存在したことが認められるが,そのことから,婚姻に際し,婚姻当事者の双方が婚姻前の氏を称することができる権利が憲法上保障されているといえるものではない。
[110] また,原告らは,婚氏続称の制度(民法767条2項)の導入によって「身分変動があっても氏の変更を強制されない権利」が認められたとも主張するが,そのことから,上記の権利が憲法上保障されているといえないことは上記と同様である。

[111] 憲法24条は,婚姻が,両性の合意のみに基づいて成立し,夫婦が同等の権利を有することを基本として維持されること,婚姻に関する事項に関しては,法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならないことを定めているが,その趣旨は,民主主義の基本原理である個人の尊厳と両性の本質的平等の原則を婚姻および家族の関係について定めたものであり,両性は本質的に平等であるから,夫と妻との間に,夫たり妻たるの故をもって権利の享有に不平等な扱いをすることを禁じたもので(最高裁昭和36年9月6日大法廷判決・民集15巻8号2047頁参照),憲法13条における個人の尊重と憲法14条における平等原則とを家族生活の諸関係に及ぼすものであって,家族に関する諸事項について憲法14条の平等原則が浸透していなければならないことを立法上の指針として示したものとみることができるから,憲法24条が,具体的な立法を待つことなく,個々の国民に対し,婚姻に際して婚姻当事者の双方が婚姻前の氏を称することができる権利を保障したものということはできない。

[112] 以上のとおり,婚姻に際し,婚姻当事者がいずれも婚姻前の氏を称する権利が憲法上保障されているということはできないから,その余の点について判断するまでもなく,憲法を根拠とする原告らの請求は理由がない。
[113] なお,原告らは,婚姻に際し,妻が改氏する割合が96%以上に上る(甲8)ことを指摘し,婚姻後も働き続ける女性が増加し,晩婚化と相まって,仕事上,婚姻後も婚姻前の氏を継続使用する必要性が高まっていると主張しているところ,氏を変更することにより,人間関係やキャリアの断絶などが生じる可能性が高く,不利益が生じることは容易に推測し得ることであるから,婚姻について選択的夫婦別氏制度が採用されることに対する期待が大きく,これを積極的に求める意見の多いことは上記のとおりである。しかし,上記のような社会情勢にあることから,直ちに,国会議員が個々の国民に対し,選択的夫婦別氏制度に関する立法を行うべき職務上の注意義務を負い,立法不作為が国家賠償法1条1項の適用上違法との評価を受けるものということができるものではないから,上記の事情は結論を左右するものではない。

[114](3) 次に,原告らは,女子差別撤廃条約16条1項(b)及び(g)は,締約国の国民個人に対し,婚姻及び姓の選択についての男女の同一の権利を保障しているところ,これらの規定は明確であり,裁判所が直接適用することは可能であるとして,条約上保障されている権利の侵害を理由として,国会議員の立法不作為が国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けると主張している。
[115] 憲法98条2項は,被告が締結した条約について誠実に遵守することを定めている一方,国会議員が,多様な国民の意向をくみつつ,国民全体の福祉の実現を目指して行動することが要請されており,その立法行為は,本質的に政治的なものであって,その性質上法的規制の対象になじまないものである(60年判決参照)から,17年判決の趣旨に照らせば,仮に立法不作為が条約の規定に違反するものであるとしても,そのゆえに国会議員の立法不作為が直ちに違法の評価を受けるものではないが,条約が,直接締約国の個々の国民に対し具体的な権利を保障するものである場合に,その権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠るときには,例外的に国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものと解する余地もあるので,さらに検討する。
[116] 原告らは,国会議員が選択的夫婦別氏制度を導入しなかった立法不作為に対し,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求をしているところ,民法750条を改廃しないこと自体が条約の規定に違反するものであるとしても,そのゆえに国会議員の立法不作為が直ちに国家賠償法1条1項の規定の適用上,違法の評価を受けるものではないことは上記のとおりであり,女子差別撤廃条約を根拠として,国会議員の立法過程における行動が個別の国民に対して負う職務上の法的義務に違背したというためには,婚姻に際し,婚姻当事者の双方が婚姻前の氏を称する権利が,同条約により,直接,我が国の個々の国民に対し保障されている場合であって,その権利行使のために選択的夫婦別氏制度を採用することが必要不可欠であり,そのことが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠っているといえることを要するものというべきである。

[117] そこで,まず,女子差別撤廃条約が,我が国の個々の国民に対し,直接,婚姻に際し,婚姻当事者の双方が婚姻前の氏を称する権利を保障しているといえるかについて検討する。
[118](ア) 条約は,一般に,締約国相互において権利義務を発生させる国際法規であり,直接各締約国とこれに所属する国民個人との間の権利義務を規律するものではないから,条約が個人の権利に言及している場合に,それが個人の権利を保障する趣旨のものであるとしても,原則として,締約国が相互に自らの国に所属する国民個人の権利を保障するための措置を執ること等を義務付けられるにすぎず,国民個人がその所属する締約国に対して当然に条約の定める権利を有するものではないのであって,個別の権利の発生には,国内法による補完ないし具体化が必要となるのが通常である。
[119] もっとも,例外的に,個人に対して権利を付与することが明確に規定されている条約も存在し得ることから,対象となる条約を個別に解釈して決すべきである。
[120] そして,我が国においては,一般的に,条約は公布により当然に国内的効力を有するものとなるが(憲法7条1号,98条2項参照),特定の条約が,国内法による補完ないし具体化といった措置を執ることなく直接個人の所属国に対する権利を保障するものとして国内の裁判所において適用可能である(直接適用可能性がある,ないし自動執行力がある)というためには,上記の条約一般の本来的な性格にかんがみて,当該条約によって保障される個人の権利内容が条約上具体的で明白かつ確定的に定められており,かつ,条約の文言及び趣旨等から解釈して,個人の権利を定めようという締約国の意思が確認できることが必要であると解するのが相当である。
[121](イ) そこで,女子差別撤廃条約について検討する。
[122] 女子差別撤廃条約16条1項柱書きは,「締約国は,婚姻及び家族関係に係るすべての事項について女子に対する差別を撤廃するためのすべての適当な措置をとるものとし,特に,男女の平等を基礎として次のことを確保する。」と規定し,その確保の対象として,「自由に配偶者を選択し及び自由かつ完全な合意のみにより婚姻をする同一の権利」(同項(b))「夫及び妻の同一の個人的権利(姓及び職業を選択する権利を含む。)」(同項(g))を挙げている。また,同条約2条柱書は,「締約国は,女子に対するあらゆる形態の差別を非難し,女子に対する差別を撤廃する政策をすべての適当な手段により,かつ,遅滞なく追求することに合意し,及びこのため次のことを約束する。」と規定し,同条(f)は,締約国が「女子に対する差別となる既存の法律,規則,慣習及び慣行を修正し又は廃止するためのすべての適当な措置(立法を含む。)をとること。」を挙げている。
[123] 上記条約の各文言によれば,確かに,[1]夫及び妻の同一の個人的権利として姓を選択する権利,[2]自由に配偶者を選択し,自由かつ完全な合意のみにより婚姻をする同一の権利を確保することに言及されているが,いずれも締約国が上記の各権利を確保するよう適当な措置をとり,又は措置を執ることを約束するとの規定になっており,直接,権利を付与する旨の文言はないから,上記各文言に照らせば,むしろ締約国相互間において国内法制度の整備等を通じて権利を確保する旨約したものと解される。
[124] また,その内容も,女子差別撤廃条約2条(f),16条1項(b)及び(g)において,締約国の国民個人が保有する具体的権利の内容が明白かつ確定的に定められており,その内容を具体化する法令の制定を待つまでもなく,国内的に執行可能なものであるということはできない。
[125] そして,女子差別撤廃条約について,衆議院法務委員会及び参議院外務委員会において,政府委員が,繰り返し国内法制等諸条件の整備に努めること,具体的に執るべき措置についての判断は,各締約国が判断すべきであると考えている旨答弁していること(乙8から10),2009年8月7日付け「女子差別撤廃委員会の最終見解」において,女子差別撤廃条約の規定に自動執行性がなく,法的審理に直接適用されないことに懸念を有するとの記載があること(甲18)を併せ考慮すると,女子差別撤廃条約16条1項(b)及び(g)が,我が国の個々の国民に対し,直接,権利を付与するものということはできない。
[126](ウ) 原告らは,女子差別撤廃条約選択議定書により,女子差別撤廃条約上の権利を侵害された個人が,女子差別撤廃委員会に対して通報を申し立てる制度が導入され,同選択議定書2条は,通報の申立資格を「条約に定めるいずれかの権利の侵害の被害者であると主張する者」と規定しているから,女子差別撤廃条約が個人に権利を付与していることを前提とするものであると主張する。
[127] しかしながら,条約の文言そのものの解釈から離れて,後に個人通報制度が導入されたことから,条約が,締約国の国民個人に具体的権利を付与するものと解することができるものではなく,我が国が上記選択議定書を批准していないことは原告らも認めるところであるから,個人通報制度に関する選択議定書が採択されたことは上記認定を左右するものではない。

[128] 原告らは,被告が,女子差別撤廃委員会から民法750条を改廃するよう勧告を受けていることを主張するが,仮に女子差別撤廃条約を誠実に遵守するためには民法750条を改廃する必要があり,これを改廃しないことが女子差別撤廃条約に反するとしても,そのことから直ちに国会議員の立法不作為が違法の評価を受けるものではないことは上記のとおりである。
[129] そして,その文言に照らし,女子差別撤廃条約16条1項(b)及び(g)が,婚姻に際し,婚姻当事者の双方が婚姻前の氏を称する権利を保障するものであるといえないことは明らかである。

[130] 以上のとおりであるから,女子差別撤廃条約16条1項(b)及び(g)が,我が国の個々の国民に対し,直接権利を付与するものとはいえず,また,婚姻に際し,婚姻当事者の双方が婚姻前の氏を称する権利を保障するものであるともいえないから,いずれにしても,その余の点について判断するまでもなく,女子差別撤廃条約を根拠とする原告らの請求は理由がない。

[131] 以上によれば,原告らの請求は,その余の点について判断するまでもなく理由がないから,これをいずれも棄却することとして,主文のとおり判決する。

  東京地方裁判所民事第24部
  裁判長裁判官 石栗正子  裁判官 國原徳太郎
  裁判官進藤光慶は,転補につき,署名押印することができない。
  裁判長裁判官 石栗正子

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