議員定数不均衡訴訟 参議院合憲判決(平成12年)
上告審判決

選挙無効請求事件
最高裁判所 平成11年(行ツ)第241号
平成12年9月6日 大法廷 判決

上告人 (原告) 山口邦明 外5名
     代理人 山口邦明 外10名

被上告人(被告) 東京都選挙管理委員会
     代理人 山崎潮  外11名

■ 主 文
■ 理 由

■ 裁判官河合伸一、同遠藤光男、同福田博、同元原利文、同梶谷玄の反対意見
■ 裁判官遠藤光男の追加反対意見
■ 裁判官福田博の追加反対意見
■ 裁判官梶谷玄の追加反対意見


 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人らの負担とする。

[1] 憲法は、選挙権の内容の平等、換言すれば、議員の選出における各選挙人の投票の有する影響力の平等、すなわち投票価値の平等を要求していると解するのが相当である。しかしながら、憲法は、どのような選挙制度が国民の利害や意見を公正かつ効果的に国政に反映させることになるのかの決定を国会の広い裁量にゆだねているのであるから、投票価値の平等を選挙制度の仕組みの決定における唯一、絶対の基準としているものではなく、投票価値の平等は、原則として、国会が正当に考慮することのできる他の政策的目的ないし理由との関連において調和的に実現されるべきものと解さなければならない。それゆえ、国会が具体的に定めたところがその裁量権の行使として合理性を是認し得るものである限り、それによって投票価値の平等が損なわれることになっても、やむを得ないと解すべきである。
[2] ところで、参議院議員選挙法(昭和22年法律第11号)は、参議院議員の選挙について、参議院議員250人を全国選出議員100人と地方選出議員150人とに区分した上で、全国選出議員については、全都道府県の区域を通じて選出されるものとする一方、地方選出議員については、都道府県を単位とする選挙区において選出されるものとし、各選挙区ごとの議員定数につき、憲法が参議院議員は3年ごとにその半数を改選すべきものとしていることに応じて、各選挙区を通じその選出議員の半数が改選されることになるように配慮し、定数は偶数としその最小限を2人として、人口に比例する形で2人ないし8人の偶数の議員数を配分した。昭和25年に制定された公職選挙法の参議院議員定数配分規定は参議院議員選挙法の議員定数配分規定をそのまま引き継ぎ、その後、沖縄返還に伴い沖縄県選挙区の議員定数2人が付加された外は、平成6年法律第47号による議員定数配分規定の改正(以下「本件改正」という。)まで右定数配分規定に変更はなかった。なお、昭和57年に参議院議員が比例代表選出議員100人と選挙区選出議員152人とに区分されることになったが、比例代表選出議員は全都道府県を通じて選出されるものであって、各選挙人の投票価値に差異がない点においては、従来の全国選出議員と同様であり、選挙区選出議員は従来の地方選出議員の名称が変更されたにすぎない。本件改正も右のような参議院議員の選挙制度の仕組み自体を変更するものではない。
[3] 右のような参議院議員の選挙制度の仕組みは、憲法が二院制を採用した趣旨から、参議院議員の選出方法を衆議院議員のそれとは異ならせることによってその代表の実質的内容ないし機能に独特の要素を持たせようとする意図の下に、参議院議員を全国選出議員ないし比例代表選出議員と地方選出議員ないし選挙区選出議員とに分け、後者については、都道府県が歴史的にも政治的、経済的、社会的にも独自の意義と実体を有し政治的に一つのまとまりを有する単位としてとらえ得ることに照らし、これを構成する住民の意思を集約的に反映させるという意義ないし機能を加味しようとしたものであると解することができる。したがって、公職選挙法が定めた参議院議員の選挙制度の仕組みは、国民各自、各層の利害や意見を公正かつ効果的に国会に代表させるための方法として合理性を欠くものとはいえず、国会にゆだねられた立法裁量権の合理的行使として是認し得るものである。
[4] そうである以上、その結果として各選挙区に配分された議員定数とそれぞれの選挙区の選挙人数又は人口との比率に較差が生じ、そのために選挙区間における選挙人の投票価値の平等がそれだけ損なわれることとなったとしても、これをもって直ちに右の議員定数の定めが憲法14条1項等の規定に違反して選挙権の平等を侵害したものとすることはできない。すなわち、右のような選挙制度の仕組みの下では、投票価値の平等の要求は、人口比例主義を最も重要かつ基本的な基準とする選挙制度の場合と比較して、一定の譲歩を免れない。また、社会的、経済的変化の激しい時代にあって不断に生ずる人口の異動につき、それをどのような形で選挙制度の仕組みに反映させるかなどの問題は、複雑かつ高度に政策的な考慮と判断を要求するものであって、その決定は、種々の社会情勢の変動に対応して適切な選挙制度の内容を決定する責務と権限を有する国会の裁量にゆだねられているところである。したがって、議員定数配分規定の制定又は改正の結果、右のような選挙制度の仕組みの下において投票価値の平等の有すべき重要性に照らして到底看過することができないと認められる程度の投票価値の著しい不平等状態を生じさせたこと、あるいは、その後の人口異動が右のような不平等状態を生じさせ、かつ、それが相当期間継続しているにもかかわらずこれを是正する何らの措置も講じないことが、複雑かつ高度に政策的な考慮と判断の上に立って行使されるべき国会の裁量的権限に係るものであることを考慮してもその許される限界を超えると判断される場合に、初めて議員定数配分規定が憲法に違反するに至るものと解するのが相当である。
[5] 以上は、最高裁昭和54年(行ツ)第65号同58年4月27日大法廷判決・民集37巻3号345頁(以下「昭和58年大法廷判決」という。)、最高裁平成6年(行ツ)第59号同8年9月11日大法廷判決・民集50巻8号2283頁(以下「平成8年大法廷判決」という。)、最高裁平成9年(行ツ)第104号同10年9月2日大法廷判決・民集52巻6号1373頁(以下「平成10年大法廷判決」という。)の趣旨とするところでもあって、これを変更する要をみない。

[6] 右の見地に立って、以下、平成10年7月12日施行の参議院議員選挙(以下「本件選挙」という。)当時の公職選挙法の14条及び別表第3の参議院(選挙区選出)議員定数配分規定(以下「本件定数配分規定」という。)の合憲性について検討する。
[7] 本件改正前の参議院議員定数配分規定の下で、昭和58年大法廷判決は、昭和52年7月10日施行の参議院議員選挙当時における選挙区間の議員1人当たりの選挙人数の最大較差1対5.26(以下、較差に関する数値は、すべて概数である。)について、また、最高裁昭和62年(行ツ)第127号同63年10月21日第二小法廷判決・裁判集民事155号65頁は、昭和61年7月6日施行の参議院議員選挙当時の右最大較差1対5.85について、いまだ違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態が生じていたとするには足りない旨それぞれ判示していたが、平成8年大法廷判決は、平成4年7月26日施行の参議院議員選挙当時の右最大較差1対6.59について、違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態が生じていた旨判示するに至った。原審の適法に確定した事実関係等によれば、本件改正は、右のような選挙区間における較差を是正する目的で行われたものであり、直近の同2年10月実施の国勢調査結果に基づき、できる限り増減の対象となる選挙区を少なくし、かつ、いわゆる逆転現象を解消することとして、7選挙区で改選議員定数を4増4減したものであり、その結果、右国勢調査による人口に基づく選挙区間における議員1人当たりの人口の較差は、最大1対6.48から最大1対4.81に縮小し、いわゆる逆転現象は消滅することとなった。その後、本件定数配分規定の下において、人口を基準とする右較差は、同7年10月実施の国勢調査結果によれば最大1対4.79に縮小し、選挙人数を基準とする右較差も、本件改正当時最大1対4.99であったところ同年7月23日施行の参議院議員選挙当時においては最大1対4.97に縮小していた。平成10年大法廷判決は、本件改正の結果残ることとなった右の較差について、投票価値の不平等が到底看過することができないと認められる程度に達しているとはいえず、右選挙当時において本件定数配分規定が憲法に違反するに至っていたものとすることはできない旨判示している。そして、本件選挙当時における選挙人数を基準とする右較差が最大1対4.98であったことは、当裁判所に顕著である。
[8] 前記のとおり、参議院議員の選挙制度の仕組みの下においては、投票価値の平等の要求は一定の譲歩を免れないところであり、また、較差をどのような形で是正するかについては種々の政策的又は技術的な考慮要素が存在する。さらに、参議院(選挙区選出)議員については、議員定数の配分をより長期にわたって固定し、国民の利害や意見を安定的に国会に反映させる機能をそれに持たせることとすることも、立法政策として合理性を有するものと解される。これらにかんがみると、本件改正の結果なお右のような較差が残ることとなったとしても、右の較差が示す選挙区間における投票価値の不平等は、当該選挙制度の仕組みの下において投票価値の平等の有すべき重要性に照らして到底看過することができないと認められる程度に達しているとはいえず、本件改正をもって立法裁量権の限界を超えるものとはいえない。そして、前記のような本件改正後の本件定数配分規定の下における議員1人当たりの人口の較差及び選挙人数の較差の推移にかんがみると、本件選挙当時において本件定数配分規定が憲法に違反するに至っていたものとすることはできない。

[9] 以上のとおりであるから、本件定数配分規定が本件選挙当時憲法に違反するに至っていたということはできないとした原審の判断は、結論において是認することができる。論旨は、原判決の結論に影響のない説示部分を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
[10] よって、裁判官河合伸一、同遠藤光男、同福田博、同元原利文、同梶谷玄の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。


 裁判官河合伸一、同遠藤光男、同福田博、同元原利文、同梶谷玄の反対意見は、次のとおりである(裁判官遠藤光男、同福田博、同梶谷玄については、本反対意見のほか、後記の追加反対意見がある。)。

[1] われわれは、多数意見とは異なり、本件定数配分規定は憲法に違反するものであって、本件選挙は違法であると考える。その理由は、以下のとおりである。
[2] 国会議員を選挙する国民の権利の内容、すなわち投票価値が平等であるべきことは、国民の基本的人権としての法の下の平等の当然の帰結として、また、国権の最高機関である国会を全国民の代表として構成するための基本原理として、憲法の要求するところであり、選挙制度の決定に当たって考慮されるべき極めて重要な基準である。
[3] もっとも、右の投票価値の平等は選挙制度の仕組みを決定するに当たっての唯一、絶対の基準ではなく、国会は、国民の利害や意見を公正かつ効果的に国政に反映させるため、他の目的ないし理由をもしんしゃくすることができるのであって、国会がこれらをしんしゃくして具体的に定めた選挙制度がその裁量権の行使として合理性を是認し得るものである限り、それによって投票価値の平等が損なわれることになっても、やむを得ないというべきである。
[4] したがって、国会が定めた選挙制度によって投票価値の平等が損なわれることとなった場合には、それが国会の裁量権の合理的な行使によるものといえるか否かが審査されなければならず、より具体的には、国会は他のいかなる目的ないし理由をしんしゃくしてそのような制度を定めたのか、それらの目的ないし理由は憲法の観点から見ていかなる地位ないし意義を認められるものであり、ことに投票価値の平等とはいかなる関係に立つのか、投票価値の平等が損なわれた程度は右両者の関係に適切に照応しているということができるか等の諸点が吟味されなければならない。
[5] 参議院議員の選挙制度の仕組みとその推移は多数意見の詳述するとおりであるが、現行の選挙区選出議員の選挙制度の要点は、(1)総定数を152人とし、(2)都道府県を単位とする選挙区を設け、(3)各選挙区にその人口の多少を問わずに2人の定数を配分し、(4)その余の定数(58人)を一部の選挙区に2人以上の偶数で追加配分するというところにある。
[6] 右のような仕組み(以下「本件仕組み」という。)を採用すれば、選挙区間における議員1人当たりの選挙人数及び人口に較差が生じ、程度の問題こそあれ、投票価値の平等が損なわれることになるのは必至である。それにもかかわらず本件仕組みが採用されたことの合理性の根拠を、多数意見は、次のように説明する。すなわち、本件仕組みは、(一)憲法が二院制を採用した趣旨から、参議院議員の選出方法を衆議院議員のそれとは異ならせることによってその代表の実質的内容ないし機能に独特の要素を持たせる意図の下に、(二)都道府県が歴史的、政治的、経済的、社会的に一つのまとまりを有する単位と把握し得ることから、その住民の意思を集約的に反映させるという意義ないし機能を加味したものである、というのである。
[7] 憲法は、衆議院と参議院について、その権限及び議員の任期等に差異を設けている。このことからすれば、参議院における代表制の内容ないし機能に衆議院におけるそれとは異なる独自の要素を持たせること(以下「参議院の独自性」という。)は憲法の予定しているところということができよう。したがって、多数意見のいう前記二の(一)のように、参議院の独自性を確保することを目的として、その議員の選挙制度について衆議院議員のそれとは異なった仕組みをとることも、憲法上一定の合理性を認めることができる。
[8] しかし、参議院の独自性は憲法上予定されているところであるにしても、それ自体は投票価値の平等と対立あるいは矛盾するものではないし、衆議院議員の選挙制度の仕組みと異なる選挙制度の仕組みは、投票価値の平等を損なうものしかあり得ないわけでもない。参議院の独自性を確保するという目的から必然的に本件仕組みが導かれるものではないし、まして投票価値の平等が損なわれることの当然の根拠となるものでもないのである。
[9] 本件仕組みによって投票価値の平等が損なわれたのは、多数意見のいう前記二の(二)、すなわち、平成8年大法廷判決の表現にならえば、本件仕組みに事実上都道府県代表的な意義ないし機能を有する要素(以下「都道府県代表的要素」という。)を加味したことの結果である。すなわち、参議院の独自性を確保するためにいかなる要素に着目し、いかなる選挙制度を採用するかについては複数の選択肢があるところ、国会が、それらのうちから都道府県代表的要素を選び、本件仕組みに組み込んだことによるのである。
[10] しかし、都道府県代表的要素は、憲法に直接その地位を有しているものではなく、選挙制度の仕組みを決定するに当たって考慮される要素として、憲法の観点からみるとき、前述のとおり極めて重要な基準である投票価値の平等に対比し、はるかに劣位の意義ないし重みしか有しないことは明らかである。
[11] また、参議院議員は、選挙区選出議員といえども、全国民を代表するものであることは憲法の定めるところであって、各選挙区たる都道府県ないしその住民の利益の代弁者となるべきものではない。それにもかかわらず、その選挙制度の仕組みに都道府県代表的要素を加味することが許されるのは、それによって各地域の実情を国政に反映させるところに意味があると認められるからである。すなわち、国会において全国的な施策を決するについても、各地域の実情とそれに伴う各地域住民の意向を理解しておくことが望ましく、これを理解して国政に反映させるための一つの方策として、各都道府県からその地域に精通した議員が常に参議院に選出されるようにしておくことが有効であると考えられるからである。しかしながら、右に関する状況は、本件仕組みが昭和22年の参議院議員選挙法(ただし、地方選出議員の総定数は150人)によって採用されて以来、本件改正に至るまでの間に、大きく変化した。通信、交通、報道の手段が著しく進歩し、全国に展開したことによって、地域間の事情の相違は大幅に減少した上、国会において、選挙区選出議員の活動によらずに、各地域の実情や住民世論の動向を知ることも容易になった。この変化に伴い、参議院議員選出の仕組みに都道府県代表的要素を加味することの必要性ないし合理性は著しく縮小したと見るべきである。
[12] 本件仕組みのうち前記二の(4)の追加配分は、参議院議員選挙法では各選挙区の人口に比例する方法で行われたが、以来初めての改正である本件改正においては人口比例によらない方法で行われた。本件改正の結果、後記のとおり、投票価値の著しい不平等が生じているのであるが、もし右の追加配分を徹底して人口に比例する方法で行っていれば、この不平等の程度を有意に縮小することが可能であったことは、計算上明らかである。
[13] 国会がいかなる目的ないし理由をしんしゃくして人口比例によらない追加配分方法を採ったのかは、必ずしも明らかでないが、本件改正の経緯からすると、定数増減の対象となる選挙区を少なくすることにその理由があったものと推測される。そして、多数意見はこれを「議員定数の配分をより長期にわたって固定し、国民の利害や意見を安定的に国会に反映させる機能を持たせる」ものとして、合理性を有するものと解するごとくである。しかし、本件改正に即して考えると、それは、本来の人口比例配分によれば定数を増加されるべき選挙区の国民の選挙権の犠牲において、本来定数を削減されるべき選挙区の国民の利害と意見を安定的に国会に反映させることとするものであって、憲法の投票価値平等の要求に正面から違反するものである。
[14] 本件改正において人口比例によらない方法で追加配分をした理由が定数削減の対象となる選挙区を少なくすることにあったとすれば、それが憲法上正当にしんしゃくし得る目的ないし理由といえないことは明らかだといわなければならない。
[15] 平成2年の国勢調査による人口を基準として、本件定数配分規定の下で、選挙区間における議員1人当たりの人口の較差は最大1対4.81であり、1対4を超える選挙区が他にも5区あったこと、また、定数4人以上の選挙区間における定数2人を超える議員1人当たりの人口の較差が最大1対3.14であり、1対3を超える選挙区が他に2区あったことが、当裁判所に顕著である。本件定数配分規定の下で生じていた投票価値の不平等が著しいものであったことは明らかである。
[16] このような不平等が生じた原因は、基本的には、都道府県代表的要素を加味した本件仕組みにあるところ、右要素自体は、憲法上にその地位を有するものではなく、選挙制度を定めるに当たって極めて重要な基準として憲法の要求する投票価値の平等に対比し、はるかに劣位にあるにすぎない。しかも、本件仕組みが最初に採用された昭和22年当時に比べて、右要素を加味することの必要性ないし合理性は大幅に縮小した反面、その間の人口偏在化によって、本件仕組みを維持する限り、投票価値の不平等は拡大するほかない状態となっていた。したがって、本件改正に当たり、本来、国会は、本件仕組みを維持するにしても、投票価値の平等が損なわれる程度をできる限り小さくするよう、配慮するべきであった。しかるに、国会は、そのような配慮をせず、かえって、追加配分について、何ら憲法上正当に考慮し得る目的ないし理由もなしに、人口比例によらない方法を採用した結果、前示のとおり投票価値の著しい不平等が残ることとなったのである。
[17] 以上のとおり、本件定数配分規定の下においては投票価値の平等が著しく損なわれているところ、憲法上これを正当とすることのできる立法目的ないし理由を見いだすことはできない。本件改正における国会の裁量権の行使は合理性を是認できるものではなく、その許される限界を超えていることは明らかであって、本件定数配分規定は憲法に違反するものと断定せざるを得ないのである。
[18] 本件選挙は、本件定数配分規定に基づいて施行されたものであるところ、その当時の選挙人数を基準とする最大較差は1対4.98であり、いわゆる逆転現象が新たに生じていたことも認められる。したがって、本件選挙には憲法に違反する定数配分規定に基づいて施行された瑕疵が存したことになるが、最高裁昭和49年(行ツ)第75号同51年4月14日大法廷判決・民集30巻3号223頁及び最高裁昭和59年(行ツ)第339号同60年7月17日大法廷判決・民集39巻5号1100頁の判示するいわゆる事情判決の法理により、主文において本件選挙の違法を宣言するにとどめ、これを無効としないことが相当と考える。


 裁判官遠藤光男の追加反対意見は、次のとおりである。

[1] 私の意見は、前記反対意見に要約されているとおりであるが、私は、本件定数配分規定の改正方法自体に問題があったと考えるので、その点についての私の意見を補足的に明らかにしておくこととする。
[2] 参議院の発足に際し、参議院議員選挙法は、地方選出議員150人の配分を定めるに当たり、各都道府県選挙区に対し2人ずつの定数を一律に配分した上(沖縄を除く46都道府県の地方選出議員の総数92人)、残余の58人を一定の基準に基づき特定の選挙区に対しそれぞれ偶数ずつ付加配分するものとした。地方選出議員のうち60パーセントを超える部分が人口比例によることなく一律に配分され、かつ、付加配分についても偶数配分が前提とされていたわけであって、この方式が選挙区間における議員1人当たりの人口又は選挙人数の較差増大をもたらした最大の要因となったことは否定し難いところである。
[3] 右方式は、憲法が定めた3年ごとの半数改選に対応するため導入されたものと思われるが、3年ごとの半数改選は全国的規模においてこれをみれば足りるのであるから、改選期に選挙を実施しない選挙区が生じることがあっても何ら差し支えはなく、各選挙区に対する一律配分や偶数配分にこだわる必要性は全くなかったはずである。また、そのような事態を避けようとするのであれば、都道府県を一律に一選挙区とすること自体を改めればよく、人口の少ない選挙区を統合し、あるいは、人口の多い選挙区を分割すればよかったはずである。
[4] しかし、都道府県を選挙区の単位としたことは、それなりに理解し得ないことではなく、改選期に選挙を実施しない選挙区が生じることは、当該選挙区における選挙人感情等からすると、必ずしも当を得た制度というべきではない。したがって、参議院議員選挙法が残余の58人につきいわゆる最大剰余方式(その内容については、平成8年大法廷判決の私の追加反対意見において要約したとおりであり、一種の徹底した人口比例配分方式である。)を採用したことにかんがみると、私は、残余議員の配分につきこのような人口比例配分方式を維持することを前提としてのみ、前記配分方式の合理性を是認することが可能であると考える。
[5] 時代の推移とともに、大幅な人口の変動が生じ、選挙区間における議員1人当たりの人口又は選挙人数の較差は一層増大し、平成4年7月施行の参議院議員選挙においては、その最大較差は1対6.59に達したが、その間改正らしい改正はほとんど行われたことがなかった。
[6] 平成6年法律第47号による本件改正は、このような状況下において実に47年ぶりに行われた改正であったが、この改正が前記較差の是正を目的としてされたものである以上、その作業は、少なくとも参議院議員選挙法施行当時の原点に立ち返り、同法が採用したのと同じ方法によりこれを行うべきであった。すなわち、付加配分については、前記最大剰余方式と呼ばれる人口比例配分方式によるべきであったのである。ところが、本件改正は、このような方法によることなく、増減の対象となる選挙区をできる限り少なくするとの方針の下に、主として逆転現象を解消することを意図し、併せこれに連動して選挙区相互間の最大較差の縮小を図ることを目的として行われたものにすぎなかった。この結果、わずか4選挙区につき8名が増員され、3選挙区につき8名が減員されるにとどまった。付加配分部分につき人口比例配分方式を採用したとすれば、増減員の対象となる選挙区数及び議員数がこれよりはるかに増大することはいうまでもないが、この方式を採用することは極めて容易なはずであり、またこの方式を採り得なかった特別の事情が何ら存しなかったにもかかわらず、この方式を採ることなく、単に目先の改善策を図ることのみを目的として法改正が行われたのであって、その手法は、正に弥縫策といわれてもやむを得ないものであった。
[7] 付加配分部分につき人口比例主義の貫徹を重視すべきであるとすれば、その結果として、当然のことながら付加配分がされた選挙区(定数が4人以上の選挙区)間における付加配分議員(定数2を超えた議員)1人当たりの人口又は選挙人数の較差が適正に維持されているか否かが問題とされるべきことはいうまでもない。
[8] 私は、そのような観点から、平成8年大法廷判決及び平成10年大法廷判決において、定数が4人以上の選挙区間における定数2を超えた議員1人当たりの人口又は選挙人数の較差をみることが肝要であり、少なくとも、その較差が3倍を超えることがあってはならず、かつ、全選挙区間における議員1人当たりの人口又は選挙人数の最大較差が5倍を超えることがあってはならないと指摘したが、もし仮に、参議院議員選挙法施行当時採用された人口比例配分方式に基づき本件改正が行われたとすれば、前者の較差が最大1.86倍、後者の較差が最大4.63倍にとどまることが明らかである。これに対し、本件改正の結果、後者の最大較差は6.48倍から4.81倍に縮小したとはいえ、前者につき、その較差が3倍を超える選挙区が依然として3選挙区も存在するのであるから、本件定数配分規定は違憲であると考える。なお、本件選挙当時、選挙人数を前提とした選挙区間の最大較差は4.98倍であり、一部の選挙区間においてはいわゆる逆転現象が生じたほか、付加配分選挙区間における付加配分議員1人当たりの選挙人数の較差もわずかながらとはいえ更に増大したことが認められるから、本件定数配分規定が本件選挙当時引き続き違憲状態にあったことはいうまでもないところである。


 裁判官福田博の追加反対意見は、次のとおりである。
[1] 多数意見は、要するに、選挙に関する立法については国会に広範な裁量権があり、従来の最高裁判例が衆議院議員選挙については3倍程度、参議院(地方選出ないし選挙区選出。以下同じ。)議員選挙については6倍程度までの最大較差を合憲としてきていることに照らせば、今回問題となっている参議院議員選挙の最大較差は5倍未満に収まっており、当然に合憲であるというものと理解される。
[2] このような考え方が当を得ていないことは、前記反対意見及び私が他の機会に述べた諸意見(参議院議員選挙に関する平成10年大法廷判決における裁判官尾崎行信、同福田博の追加反対意見、衆議院議員選挙に関する最高裁平成11年(行ツ)第7号同年11月10日大法廷判決・民集53巻8号1441頁における裁判官福田博の反対意見のうち参議院議員選挙にも共通する部分)で十分述べてあるが、今回は、やや異なる視点から、最高裁判所が一連の定数訴訟に関する従来の考えを改め、投票価値の平等は憲法に定められた基本的人権であって厳格に遵守されるべきものであり、国会が裁量によりこれを左右し得る幅は極めて小さい旨を明らかにすることが司法の責務に沿うこと、また、その必要性は急速に高まっていることを追加して述べることとしたい。
[3] 選挙によって選ばれる国会議員が自らを選出する有権者の投票価値を決定する広範な裁量権を有するというのは、そもそも一般の常識からいって甚だ奇妙であるが、その点をさておくとしても、本来、裁量権とは、裁量権者がある行為をするに際し、その行為を規制する憲法や諸法令の下で、その行為の目的ないし理由やこれに関する諸事情に照らして幾つかの選択肢が存在する場合に、その選択について認められるべきものである。したがって、ある者(行政庁、会社取締役等)の裁量権行使の適法性(合憲性を含む。)を審査する場合には、その裁量権者がその行為(不作為を含む。)を行った目的ないし理由やこれに関する諸事情が具体的に問われなければならない(これを以下「内容審査」という。)。国会は国権の最高機関(憲法41条)であるが、その権威は有権者の選挙により議員が選出されるところに基づいていることは憲法前文等にいう国民主権の原理等からも明らかである。さらに、選挙を通じてこの国民主権を具体的に行使できる場面は、国については国会議員選挙のみであり、行政府の長の選出は含まれないというのが我が国憲法の定めである。そして、我が国憲法の定める代表民主制は、議員選挙及び議会における採決(この中には行政府の長を選出することも含まれる。)双方の場にあって、多数決の原理を採用しており、その際投票の価値が異なることを想定していない。すなわち、国会議員選挙において国民の行使する選挙権が平等でなければ、我が国憲法の規定する近代民主主義国家は具現されないこととなる。有権者に平等な機会を与えないことを国会の「広範な裁量権」なるものをもって正当化するのは、結局のところ裁量の論理をもって内容審査を十分にしないで合憲判断を行うことに等しい。憲法には衆参両院の選挙制度において投票価値の平等について差を設けるといった明文の規定がなく、また、国会自身の選択により現実に衆参両院の選挙制度が極めて似通ってきているにもかかわらず、ひとり投票価値の平等の問題については、「複雑かつ高度に政策的な考慮と判断」があるとして、衆議院議員選挙の場合と参議院議員選挙の場合とで選挙区間における投票価値の較差の許容される限度について大きな相違の存在を容認し続けているのは、その適例である。これでは、司法は、せっかく違憲立法審査権を付与されながらも、定数訴訟のように民主主義政治の根幹を成す問題の合憲性を判断するに当たって、立法府の決定をほぼ自動的に追認する機関と化し、「広範な裁量権」というブラック・ボックスに逃げ込んでいるとの批判を避けることはできない。ちなみに、平成4年7月26日施行の参議院議員選挙に関する平成8年大法廷判決における多数意見は、右選挙当時の最大較差1対6.59について、違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態が生じていた旨初めて述べたが、右意見は、平成6年の本件改正(最大較差は5倍弱に改められた。)の後に表明されたものである。
[4] また、そもそも違憲立法か否かを判断するに当たっては、憲法の諸規定に反しないか否かの観点から行われるべきことは当然であって、憲法に「選挙に関する事項は、法律でこれを定める」(47条)とあることをもって国会に広範な裁量権が認められると解するならば、それは事実上その法律によって憲法の定めるところを変更ないし譲歩させることを認めるに等しい。そうであれば、結局のところ、司法に与えられた違憲立法審査権の行使は、憲法の中に「法律による」という規定があるか否かで内容が異なる二重の基準で行われることになる。憲法の保障する基本的人権は、憲法に「法律による」と記されているか否かを問わず、ほとんどの場合法令によってその内容が具体化されているのが現実であり、具体的な法律が憲法に合致しているか否かの審査の基準は、憲法に「法律による」と規定されているか否かによって異なるものではない。
[5] 憲法は、最高裁判所が違憲立法についての判断を行う権限を有する終審裁判所であることを定める(81条)。このような権限は、義務を伴うことも当然であって、最高裁判所は、違憲の疑いがあるときは、たとえそれが国会議員の地位取得に直接影響を及ぼし司法と立法府の対立を招きかねない問題であっても、厳正に判断を行わなければならない立場にある。
[6] 参議院議員選挙において当初から2.62倍の較差が宮城地方区と鳥取地方区の間に存在したことは、当時の投票価値の平等の重要性についての認識の程度を示し、我が国における民主主義体制ないし基本的人権理念の未熟性を現していたといえるが、その後の大幅な人口異動により、最大較差が6倍以上になったにもかかわらず、国会は、47年間にわたり何らの是正もすることなく事態を放置し、本件改正に当たっても微温的な修正しか行わず、そのため5倍近くの較差が依然として残っている規定の合憲性が問われているのが今回の事件である。司法は、その合憲性を判断するに当たっては、立法府に許される裁量権の行使が憲法の定める基本的人権の保障に反するものでないか等を厳格に審査することが求められる。
[7] その審査に当たっては、例えば「過疎への配慮」などといった、後年になっていたずらに拡大していく最大較差を放置するため考案された理由付けなど、参議院議員選挙法の制定に際して国会が考慮しなかった目的ないし理由やこれに関する諸事情を裁判所が考慮して合憲性を認めようとすることは許されない。そのような目的ないし理由やこれに関する諸事情を判断の根拠にすることは、その限りにおいて裁判所が国会に代わってある種の政策的判断を行うことになるものというべきところ、そのような政策的判断は、選挙によって選出された構成員から成る立法府にのみゆだねられたものであって、裁判所がこれを行うことは、選挙によって選出されていない構成員から成る組織をあたかも第二の国会のごとく機能することを認めることにつながりかねず、憲法の予定しないところというべきである。我が国憲法において、民主的に選挙によって構成されてもいない機構である司法(最高裁判所裁判官の国民審査が選挙とは異なることは自明である。)が法令について合憲か否かを判断する権限を与えられているのは、正に、代表民主制によって成り立っている立法府が政策的配慮によって策定する法律がときとして憲法に合致していない可能性があること等を想定し、それを判定する機構として司法制度を利用することが有用であろうとしたからにすぎない。
[8] ちなみに、我が国憲法は、違憲立法審査を他の裁判と同様に最高裁判所を頂点とする司法にゆだねるといういわゆるアメリカ型を採用しているが、国際的にみれば、欧州大陸などを始めとして、いわゆる憲法裁判所を他の事件を扱う裁判所とは別個に設けるものも多いことは、公知の事実である。
[9] 先例が尊重されるべきことは、憲法にかかわる裁判であると他の裁判であると異なるところはなく、司法が最も尊重すべき原則の一つである。それは、仮にも裁判官の考え一つにより判例が頻繁に変更されるといったことになれば、それは司法への信頼と社会の安定に資さないからである。しかし、ここで問われているのは、代表民主制の根幹を成す、投票価値の平等という重要な問題である。憲法が施行されて53年、その間における基本的人権理念の明確化は目覚ましい。加えて、国会は参議院議員選挙における投票価値の平等が損なわれていくのを47年間も放置し、かつ、その後行った是正の程度も甚だ微温的かつ不十分であり、その背後には違憲立法審査権を持つ司法の長年にわたる極めて寛容な対応があったことも明らかである。
[10] 憲法に定める国民主権とは国民各人が平等に国政に参加する権利を有していることをも意味しており、その代表民主制を通じての貫徹は、国政に参加する唯一の手段である国会議員選挙において国民の投票価値を平等とすることによってのみ具現される。法の下の平等の問題について、最高裁判所が長年にわたる先例の積重ねにもかかわらずこれを変更して違憲と判断した先例は、尊属殺人についての法定刑の例(最高裁昭和45年(あ)第1310号同48年4月4日大法廷判決・刑集27巻3号265頁)もあり、皆無ではない。私は、次に述べる事情もあり、定数訴訟に係る累次の最高裁判決を明示的に変更する時期が来ており、かつ、その必要性は焦眉の急であると信ずる。
[11] 三権それぞれについて改革論議が高まる中(司法の改革についても、司法内部のみの論議にとどまらず、現在行政の主導の下に論議が行われていることは、公知の事実である。)、21世紀を目前に控え、我が国の代表民主制の担い手である国会が内外の新しくかつ重大な諸問題に対し国民の信託を受けて有効に機能していく上で、国民の投票価値の平等を確保する必要は、かつてないほど大きい。冷戦たけなわの時代にあっては、司法が定数訴訟において「広範な裁量権」の論理を用いることにより立法府に寛容な態度を示し続けることに対し、我が国の地政学的位置等から、内外の安定の重要性を第一に考え、公職選挙法の根本的改正につながるような事態を避けようとする考えに合致するとして黙認する風潮があったのかもしれない。しかし、今やそのような事情は存在しない。
[12] 投票価値の平等の徹底について国会自身が消極的であることは、国会における長年にわたるこの問題の取扱いをみれば極めて明らかである。また、議院内閣制の下にある行政は、この問題については乏しい影響力しか持ち得ない。その中にあって、最高裁判所が定数訴訟について示す判断のみが国民の投票価値の平等を実現し得るみちであることは、大方の意見の一致するところである。この問題について国会自身の改革努力に期待できる時期は過ぎたといっても過言ではない。民主主義の基本である投票価値の平等の問題については、司法と立法府が鋭く対立することとなっても、憲法により与えられた違憲立法審査を行う権限を適切に行使し、立法府の「広範な裁量」を認める考えを改めることこそが、現在正に、最高裁判所に求められている。
[13] 我が国司法は、長年にわたり、刑事、民事、行政のいわゆる通常事件(広義)の処理に当たっては、公正で中立な真実発見の場として、高い信頼を得てきた。また、戦後、行政の下部組織としての地位を脱し、かつ、憲法によって違憲立法審査権を与えられたことにより、我が国司法は戦前に比して飛躍的に高い権威を得ている。我が国憲法の定める三権分立構造の中で、司法の独立を堅持し、民主主義の基盤を成す司法の権威、ひいては法の支配を維持、確保するには、最高裁判所は、憲法により与えられた違憲立法審査機関としての責任をも十分に果たしていかなければならない。司法がその地位に安住して違憲立法審査権を適切に行使しないことは、もはや許されないのである。


 裁判官梶谷玄の追加反対意見は、次のとおりである。

[1] 私の意見は、前記反対意見で述べたほか、平成10年大法廷判決における裁判官尾崎行信、同福田博の追加反対意見(以下「尾崎・福田意見」という。)とおおむね一致するところであり、その詳細は、次のとおりである。
[2] 本件選挙の当時の選挙人数を基準とする投票価値の最大較差は1対4.98(東京都選挙区と鳥取県選挙区)であるところ、この投票価値の不平等が著しいものであったことは明らかである。なぜなら、東京都における選挙人約5人の票と鳥取県における1人の票とが同一の価値を持つことになり、これが平等であるとは到底いえないところだからである。
[3] そうすると、憲法上保障されている投票価値の平等をこれだけ著しく害することが国会の合理的な裁量権の行使の範囲内として憲法上認められるかどうかが問われなければならない。
[4] 私は、そのような合理性はなく、現在の定数配分規定は、国会の裁量権の行使の範囲を著しく逸脱し、違憲であると考える。
1 二院制の趣旨と投票価値の平等
[5] 投票価値の平等は、憲法14条1項の定める平等の原則によって保障される最も重要な原則の一つであり、国民の選挙権と関係のない要素を重視して選挙権を実質的に制限することは、憲法に根拠のある原則によってその正当性が証明されない限り、許されないものと考えられる。そして、投票価値平等の原則は、衆議院の場合と参議院の場合とで異なるところはない。
[6] 代表民主制の下では、国民は代議員である国会議員を介して国政に参加することになるところ、国政に参加する権利は憲法によって平等であるべきものとされており、国政参加の手段としての代議員選出の権利もまた常に平等であるべきことが要請される。国民の代表である議員が公正な選挙によって効果的に選ばれることは、代表民主制の基本であり、これなくしては民主主義は成立しない。
[7] 憲法43条及び41条は、衆議院と参議院の両院の議員が等しく全国民の代表として選挙により選ばれ、国権の最高機関の構成員として高い権威と権限を付与されることを明確に定めており、その地位の根拠は国民各自が議員を選挙する権利を平等に行使できて初めて正当化される。
[8] 憲法制定の経過等をみても、二院制の採用に当たって、職能代表制及び地域代表制の選挙方法が提案されたが、いれられるところとならず、今日の制度となったのであり、この制定の経過等からしても、参議院議員の選挙制度について、地域代表制とするとの明確な考え方はなかったといわなければならない。
[9] 我が国憲法が採用した二院制は、貴族院型、連邦国家型ではなく、単一国家民主制型あるいは民主的第二次院型としてとらえられており、その特色は強度の民主的性格と参議院の補正議院としての性格にあるとされ、多数決原理の抑制、多元的民意の反映、慎重審議、政治性の希薄化、急激な変動の抑止、補充的役割などが期待されている。具体的には、第一院である衆議院における多数意思が必ずしも正しいとは限らず、ときには多数の専制を生むことがあり得ることにかんがみ、第二院である参議院の議員の任期を衆議院議員のそれと異なり6年とし、かつ、解散を認めないことにより、議員が長期的な問題について検討を加え、専門的な知識経験を深め、理性的で慎重な判断をすることを期待し、また、半数改選制と相まって、政策の激変を防止し、社会の要請に応じて安定した中で漸進的に改革が進められることを保障し、第一院が解散などの理由でその構成員を失って活動できなくなった場合における補充的な役割を担わせている。したがって、これらの二院制の趣旨を酌んで法律により参議院と衆議院の議員構成に一定の差異を持たせるとしても、それは、あくまでも前記のような平等原則に反しない限度で例外的に許容されるにすぎないものと解すべきである。それゆえ、参議院議員と衆議院議員との間に、その選出方法について憲法上相違があるとする原判決の考え方は、後に詳説するように誤りである。

2 現行制度の仕組みと投票価値の不平等
[10] 現行制度下における投票価値の不平等の原因は、憲法制定当時の仕組みを、その後の人口の変動にもかかわらず、そのまま(平成6年に4増4減という小改正を行ったが、基本的な仕組みの変更はない。)維持していることにあり、その結果として、このような著しい投票価値の不平等が発生していることは明白である。
[11] 多数意見が投票価値の平等の原則を修正することができる合理的な理由として挙げているのは、都道府県代表的要素と各選挙区偶数配分制の2つであるが、いずれも投票価値の平等の原則に一定の譲歩を迫るための合理性と必要性とを具備しているものではない。
[12] このうち、都道府県代表的要素がこのような合理性と必要性を有しないことについては前記反対意見記載のとおりであるが、更に付言すれば、前述のように、文字どおりの地域代表制は憲法制定の経過等において否定されていたのであり、投票価値の平等を修正する原理となり得るものではない。それゆえ、都道府県代表的要素は、都道府県、とりわけ人口過疎地域や農村地域などの利害や意見を国会審議に反映するという意味に解釈されるところ、そのような利害や意見の反映ということは、全議員が国民の代表として考えるべき問題であるし、また、戦後から今日までの間の通信等の発達、地域間の事情の相違の大幅な減少により、参議院議員選挙の仕組みに右のような意味での都道府県代表的要素を加味することの必要性ないし合理性は憲法制定当時に比較して大きく減少したとみるべきである。したがって、都道府県を単位とする地域代表的性格を加味したとされる参議院の選挙区選出議員の定数配分についても、その較差の許容限度は衆議院議員の場合と異ならない程度、すなわち、最大較差1対2未満、とするのが原則であるというべきである。
[13] 次に、現在の制度が採用している各選挙区偶数配分制及び最低2人配分制は、憲法が要求するものではなく、投票価値の平等という憲法上重要な原則が侵害される場合には変更又は廃止されるべき実務上の便宜的な手段にすぎない。したがって、議員定数が奇数の選挙区(奇数区)があったとしても、奇数区の合計を偶数とし全国規模で半数の議員を改選する仕組みを設定し、人口の少ない一部地域においては6年に1回選挙を行うという手段を採ることも可能であるし、都道府県の区域を越えて選挙区割りを変更することや、いくつかの都道府県を合わせて1選挙区とするいわゆるブロック制を採用することも可能である。他方、2人を超える選挙区の定数配分についても、奇数区を定め、又は8人を超える定数配分をすることも当然採られるべき手段である。したがって、国会は、投票価値の平等を実現するため、このような手段を早期に採るべきであった。

3 投票価値の平等違反が違憲となる限度
[14] 以上のとおり、1人1票の枠組みを超えて1人2票以上を与えることは、投票価値の平等の見地から極めて問題である。もっとも、憲法制定直後に制定された参議院議員選挙法においては、地域代表的性格を考慮した上で半数改選制を実施する必要上、技術的に便宜的な方法として、各選挙区にまず2人を割り当てた結果、当時の人口を基準とする最大較差1対2.62が生じたところである。この当時としては、較差の程度が比較的軽微であったためにこの制度を採用したとみられるが、その後の地方から大都市への人口の異動によって較差は著しく増大し、また、前述のように、通信等の手段が大きく進歩し、地域間の事情の相違も大いに減少しているところである。他方、選挙権の不平等に対する国民の不満の意識は極めて強くなっている。また、世界諸国においても、選挙権の平等については厳しい基準が設定されているところである(尾崎・福田意見及び最高裁平成11年(行ツ)第7号同年11月10日大法廷判決・民集53巻8号1441頁における裁判官福田博の反対意見参照)。これに加え、衆議院議員の選挙制度においてもブロック単位の比例代表制及び小選挙区制が導入された結果、衆議院と参議院における選挙制度は類似するものとなっており、投票価値の平等の点で参議院と衆議院との間に差が生じることは、ますます不合理となり、容認され難いところとなっている。
[15] したがって、当初は便宜的な措置として採用されていた定数配分方法にその後も従うことは、投票価値の平等の原則に照らし問題があり、1対2を超える最大較差が生じたときは、投票価値の不平等が到底看過することができない程度に達しており、立法裁量権の限界を超えたものとして違憲とみるべきであって、前記のように選挙制度の仕組みを変えることにより根本的にその見直しを図るべきであると考える。ただし、その合理性が立証されたときには、1対2以上の較差が許されることもあり得るところであるが、その場合でも右較差がこの比率を大きく超えることは許されないと考える。

4 原判決の誤り
[16] 原判決は、衆議院議員の選出方法については憲法上人口比例主義が厳格に貫かれるべきことが要請されていると正当に判断しながら、参議院議員の選出方法については、これとは異なり、人口比例主義とは異なる独自の方法を求めているものと解し、「参議院の存在意義」を優先させることによって選挙人の投票価値に較差を生じさせても、それは憲法の精神に従ったもので違憲とすべき根拠とならないとする。そして、本件選挙において4ないし5倍の較差があることにより、人口比例主義が維持されているとは到底いえないため、「人口比例主義」か「参議院の存在価値の維持」かを対比し、後者を優先させる。しかし、この考え方は、前述のとおり、衆議院議員と参議院議員を国民全体の代表者とし、両議員の選挙について等しく人口比例主義を採用している憲法43条及び14条1項に違反し誤りである(これは多数意見の判旨にも反する。)。また、優れた人物が議員となり、社会各部門、各職域の知識経験ある者が容易に議員になることができるとの「参議院の特殊性」に関する原判決の認識の点についても、その根拠とする衆議院帝国憲法改正案委員会附帯決議は、後に成立した参議院議員選挙法において、全国選出議員の制度としてその実現が図られたものであって、地方選出議員に関するものではない。地方選出議員の選挙制度においては、そのような人材の確保ではなく、地域の代表の確保を試みようとしたのであるが、前述のように、地域代表制は憲法の趣旨に反するとして具体的には採用されるところとならず、結局、参議院の構成を衆議院とはできるだけ異質的なものとするために、主として被選挙人の年齢、選挙区の構成等の点で衆議院の場合と異なるものとし、それによって構成上の相違を実現するほかやむを得ないという結論になったのである。したがって、原判決の考え方は憲法の解釈を基本的に誤ったものというしかない。
[17] これを要するに、本件のような最大1対4.98という投票価値の不平等が生じた原因は、基本的には、都道府県代表的要素を加味した選挙制度の仕組みにあるところ、右要素自体は憲法上にその地位を有するものではなく、しかも、本件仕組みが最初に採用された当時に比べて、右要素を加味することの必要性ないし合理性は縮小した反面、その間の激しい人口異動による人口の偏在化によって、本件仕組みを維持する限り、投票価値の不平等は拡大するほかない状態となっていたものである。
[18] このような状況を考えるとき、国会は、その最高機関性を維持するためには、その構成員の選出については平等原則を実務上可能な限り貫徹し、選挙区間の投票価値の較差をできるだけ少なくするため、誠実な努力を尽くすべきであり、必要と認められるときには、都道府県の区域を越えて選挙区割りを変更したり、又は一部選挙区において6年に1回選挙を行うという手段などを採るべきであった。
[19] しかるに、本件改正は、旧来の各選挙区偶数配分制、最低2人配分制及び都道府県選挙区制を前提として若干の手直し的修正を行ったにとどまり、憲法の要求する投票価値の平等を実現しているものとは到底いえない。本件改正における国会の裁量権の行使は合理性を是認できるものではなく、その許される限界を超えていることは明らかであり、本件定数配分規定は憲法に違反するものと断定せざるを得ない。
[20] 定数配分は、議員の資格の得喪にかかわる問題であるため、その性質上、立法によっては容易に是正されないものであるところ、定数配分が憲法に定める選挙権の平等の原則に違反する状態に至った場合には、これを司法が是正しなければならず、立法の広い裁量にゆだねることは許されない。本件のような著しい選挙権の不平等の存在を多数意見のように国会の立法裁量権の限界を超えるものとはいえないとして容認することは、あまりにも立法裁量権の優位を認めるもので、憲法によって与えられている違憲立法審査権を適切に行使していないといわれてもやむを得ないところであり、是認することができない。

(裁判長裁判官 山口繁  裁判官 千種秀夫  裁判官 河合伸一  裁判官 遠藤光男  裁判官 井嶋一友  裁判官 福田博  裁判官 藤井正雄  裁判官 元原利文  裁判官 大出峻郎  裁判官 金谷利廣  裁判官 北川弘治  裁判官 亀山継夫  裁判官 奥田昌道  裁判官 梶谷玄  裁判官 町田顯)

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