全農林警職法事件
上告審判決

国家公務員法違反被告事件
最高裁判所 昭和43年(あ)第2780号
昭和48年4月25日 大法廷 判決

上告申立人 被告人

被告人 鶴園哲夫 外4名
弁護人 佐藤義弥 外421名

検察官 冨田正典 外2名

■ 主 文
■ 理 由

■ 裁判官石田和外、同村上朝一、同藤林益三、同岡原昌男、同下田武三、同岸盛一、同天野武一の補足意見
■ 裁判官岸盛一、同天野武一の追加補足意見
■ 裁判官岩田誠の意見
■ 裁判官田中二郎、同大隅健一郎、同関根小郷、同小川信雄、同坂本吉勝の意見
■ 裁判官色川幸太郎の反対意見

■ 弁護人佐藤義弥、同竹沢哲夫、同内藤功、同東城守一の上告趣意
■ 弁護人小林直人の上告趣意
■ 全被告人連名の上告趣意

■ 検察官弁論要旨

■ 弁護人佐藤義弥の弁論要旨
■ 弁護人内藤功の弁論要旨
■ 弁護人高橋清一の弁論要旨
■ 弁護人新井章の弁論要旨
■ 弁護人内藤功の弁論要旨
■ 弁護人竹沢哲夫の弁論要旨
■ 弁護人佐伯静治の弁論要旨
■ 弁護人東城守一の弁論要旨
■ 弁護人小林直人の弁論要旨


 本件各上告を棄却する。

[1] 所論は、原判決が国家公務員法(昭和40年法律第69号による改正前のもの。以下、国公法という。)98条5項および110条1項17号の各規定を憲法28条に違反しないものと判断し、また、国公法110条1項17号を憲法21条、18条に違反しないものとして、これを適用したのは、憲法の右各条項に違反する旨を主張する。

[2] よつて考えるに、憲法28条は、「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利」、すなわちいわゆる労働基本権を保障している。この労働基本権の保障は、憲法25条のいわゆる生存権の保障を基本理念とし、憲法27条の勤労の権利および勤労条件に関する基準の法定の保障と相まつて勤労者の経済的地位の向上を目的とするものである。このような労働基本権の根本精神に即して考えると、公務員は、私企業の労働者とは異なり、使用者との合意によつて賃金その他の労働条件が決定される立場にないとはいえ、勤労者として、自己の労務を提供することにより生活の資を得ているものである点において一般の勤労者と異なるところはないから、憲法28条の労働基本権の保障は公務員に対しても及ぶものと解すべきである。ただ、この労働基本権は、右のように、勤労者の経済的地位の向上のための手段として認められたものであつて、それ自体が目的とされる絶対的なものではないから、おのずから勤労者を含めた国民全体の共同利益の見地からする制約を免れないものであり、このことは、憲法13条の規定の趣旨に徴しても疑いのないところである(この場合、憲法13条にいう「公共の福祉」とは、勤労者たる地位にあるすべての者を包摂した国民全体の共同の利益を指すものということができよう。)。以下、この理を、さしあたり、本件において問題となつている非現業の国家公務員(非現業の国家公務員を以下単に公務員という。)について詳述すれば、次のとおりである。

[3](一) 公務員は、私企業の労働者と異なり、国民の信託に基づいて国政を担当する政府により任命されるものであるが、憲法15条の示すとおり、実質的には、その使用者は国民全体であり、公務員の労務提供義務は国民全体に対して負うものである。もとよりこのことだけの理由から公務員に対して団結権をはじめその他一切の労働基本権を否定することは許されないのであるが、公務員の地位の特殊性と職務の公共性にかんがみるときは、これを根拠として公務員の労働基本権に対し必要やむをえない限度の制限を加えることは、十分合理的な理由があるというべきである。けだし、公務員は、公共の利益のために勤務するものであり、公務の円滑な運営のためには、その担当する職務内容の別なく、それぞれの職場においてその職責を果すことが必要不可缺であつて、公務員が争議行為に及ぶことは、その地位の特殊性および職務の公共性と相容れないばかりでなく、多かれ少なかれ公務の停廃をもたらし、その停廃は勤労者を含めた国民全体の共同利益に重大な影響を及ぼすか、またはその虞れがあるからである。
[4] 次に公務員の勤務条件の決定については、私企業における勤労者と異なるものがあることを看過することはできない。すなわち利潤追求が原則として自由とされる私企業においては、労働者側の利潤の分配要求の自由も当然に是認せられ、団体を結成して使用者と対等の立場において団体交渉をなし、賃金その他の労働条件を集団的に決定して協約を結び、もし交渉が妥結しないときは同盟罷業等を行なつて解決を図るという憲法28条の保障する労働基本権の行使が何らの制約なく許されるのを原則としている。これに反し、公務員の場合は、その給与の財源は国の財政とも関連して主として税収によつて賄われ、私企業における労働者の利潤の分配要求のごときものとは全く異なり、その勤務条件はすべて政治的、財政的、社会的その他諸般の合理的な配慮により適当に決定されなければならず、しかもその決定は民主国家のルールに従い、立法府において論議のうえなされるべきもので、同盟罷業等争議行為の圧力による強制を容認する余地は全く存しないのである。これを法制に即して見るに、公務員については、憲法自体がその73条4号において「法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること」は内閣の事務であると定め、その給与は法律により定められる給与準則に基づいてなされることを要し、これに基づかずにはいかなる金銭または有価物も支給することはできないとされており(国公法63条1項参照)、このように公務員の給与をはじめ、その他の勤務条件は、私企業の場合のごとく労使間の自由な交渉に基づく合意によつて定められるものではなく、原則として、国民の代表者により構成される国会の制定した法律、予算によつて定められることとなつているのである。その場合、使用者としての政府にいかなる範囲の決定権を委任するかは、まさに国会みずからが立法をもつて定めるべき労働政策の問題である。したがつて、これら公務員の勤務条件の決定に関し、政府が国会から適法な委任を受けていない事項について、公務員が政府に対し争議行為を行なうことは、的はずれであつて正常なものとはいいがたく、もしこのような制度上の制約にもかかわらず公務員による争議行為が行なわれるならば、使用者としての政府によつては解決できない立法問題に逢着せざるをえないこととなり、ひいては民主的に行なわれるべき公務員の勤務条件決定の手続過程を歪曲することともなつて、憲法の基本原則である議会制民主主義(憲法41条、83条等参照)に背馳し、国会の議決権を侵す虞れすらなしとしないのである。
[5] さらに、私企業の場合と対比すると、私企業においては、極めて公益性の強い特殊のものを除き、一般に使用者にはいわゆる作業所閉鎖(ロツクアウト)をもつて争議行為に対抗する手段があるばかりでなく、労働者の過大な要求を容れることは、企業の経営を悪化させ、企業そのものの存立を危殆ならしめ、ひいては労働者自身の失業を招くという重大な結果をもたらすことともなるのであるから、労働者の要求はおのずからその面よりの制約を免れず、ここにも私企業の労働者の争議行為と公務員のそれとを一律同様に考えることのできない理由の一が存するのである。また、一般の私企業においては、その提供する製品または役務に対する需給につき、市場からの圧力を受けざるをえない関係上、争議行為に対しても、いわゆる市場の抑制力が働くことを必然とするのに反し、公務員の場合には、そのような市場の機能が作用する余地がないため、公務員の争議行為は場合によつては一方的に強力な圧力となり、この面からも公務員の勤務条件決定の手続をゆがめることとなるのである。
[6] なお付言するに、労働関係における公務員の地位の特殊性は、国際的にも一般に是認されているところであつて、現に、わが国もすでに批准している国際労働機構(ILO)の「団結権及び団体交渉権についての原則の適用に関する条約」(いわゆるILO98号条約)6条は、「この条約は、公務員の地位を取り扱うものではなく、また、その権利又は分限に影響を及ぼすものと解してはならない。」と規定して、公務員の地位の特殊性を認めており、またストライキの禁止に関する幾多の案件を審議した、同機構の結社の自由委員会は、国家公務員について「大多数の国において法定の勤務条件を享有する公務員は、その雇用を規制する立法の通常の条件として、ストライキ権を禁止されており、この問題についてさらに審査する理由がない。」とし(たとえば、60号事件)、わが国を含む多数の国の労働団体から提訴された案件について、この原則を確認しているのである。
[7] 以上のように、公務員の争議行為は、公務員の地位の特殊性と勤労者を含めた国民全体の共同利益の保障という見地から、一般私企業におけるとは異なる制約に服すべきものとなしうることは当然であり、また、このことは、国際的視野に立つても肯定されているところなのである。

[8](二) しかしながら、前述のように、公務員についても憲法によつてその労働基本権が保障される以上、この保障と国民全体の共同利益の擁護との間に均衡が保たれることを必要とすることは、憲法の趣意であると解されるのであるから、その労働基本権を制限するにあたつては、これに代わる相応の措置が講じられなければならない。そこで、わが法制上の公務員の勤務関係における具体的措置が果して憲法の要請に添うものかどうかについて検討を加えてみるに、
[9](イ) 公務員たる職員は、後記のように法定の勤務条件を享受し、かつ、法律等による身分保障を受けながらも、特殊の公務員を除き、一般に、その勤務条件の維持改善を図ることを目的として職員団体を結成すること、結成された職員団体に加入し、または加入しないことの自由を保有し(国公法98条2項、前記改正後の国家公務員法(以下、単に改正国公法という。)108条の2第3項)、さらに、当局は、登録された職員団体から職員の給与、勤務時間その他の勤務条件に関し、およびこれに付帯して一定の事項に関し、交渉の申入れを受けた場合には、これに応ずべき地位に立つ(国公法98条2項、改正国公法108条の5第1項)ものとされているのであるから、私企業におけるような団体協約を締結する権利は認められないとはいえ、原則的にはいわゆる交渉権が認められており、しかも職員は、右のように、職員団体の構成員であること、これを結成しようとしたこと、もしくはこれに加入しようとしたことはもとより、その職員団体における正当な行為をしたことのために当局から不利益な取扱いを受けることがなく(国公法98条3項、改正国公法108条の7)、また、職員は、職員団体に属していないという理由で、交渉事項に関して不満を表明し、あるいは意見を申し出る自由を否定されないこととされている(国公法98条2項、改正国公法108条の5第9項)。ただ、職員は、前記のように、その地位の特殊性と職務の公共性とにかんがみ、国公法98条5項(改正国公法98条2項)により、政府が代表する使用者としての公衆に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為または政府の活動能率を低下させる怠業的行為をすることを禁止され、また、何人たるを問わず、かかる違法な行為を企て、その遂行を共謀し、そそのかし、もしくはあおつてはならないとされている。そしてこの禁止規定に違反した職員は、国に対し国公法その他に基づいて保有する任命または雇用上の権利を主張できないなど行政上の不利益を受けるのを免れない(国公法98条6項、改正国公法98条3項)。しかし、その中でも、単にかかる争議行為に参加したにすぎない職員については罰則はなく、争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、もしくはあおり、またはこれらの行為を企てた者についてだけ罰則が設けられているのにとどまるのである(国公法、改正国公法各110条1項17号)。
[10] 以上の関係法規から見ると、労働基本権につき前記のような当然の制約を受ける公務員に対しても、法は、国民全体の共同利益を維持増進することとの均衡を考慮しつつ、その労働基本権を尊重し、これに対する制約、とくに罰則を設けることを、最少限度にとどめようとしている態度をとつているものと解することができる。そして、この趣旨は、いわゆる全逓中郵事件判決の多数意見においても指摘されたところである(昭和39年(あ)第296号同41年10月26日大法廷判決・刑集20巻8号912頁参照)。
[11](ロ) このように、その争議行為等が、勤労者をも含めた国民全体の共同利益の保障という見地から制約を受ける公務員に対しても、その生存権保障の趣旨から、法は、これらの制約に見合う代償措置として身分、任免、服務、給与その他に関する勤務条件についての周到詳密な規定を設け、さらに中央人事行政機関として準司法機関的性格をもつ人事院を設けている。ことに公務員は、法律によつて定められる給与準則に基づいて給与を受け、その給与準則には俸給表のほか法定の事項が規定される等、いわゆる法定された勤務条件を享有しているのであつて、人事院は、公務員の給与、勤務時間その他の勤務条件について、いわゆる情勢適応の原則により、国会および内閣に対し勧告または報告を義務づけられている。そして、公務員たる職員は、個別的にまたは職員団体を通じて俸給、給料その他の勤務条件に関し、人事院に対しいわゆる行政措置要求をし、あるいはまた、もし不利益な処分を受けたときは、人事院に対し審査請求をする途も開かれているのである。このように、公務員は、労働基本権に対する制限の代償として、制度上整備された生存権擁護のための関連措置による保障を受けているのである。

[12](三) 以上に説明したとおり、公務員の従事する職務には公共性がある一方、法律によりその主要な勤務条件が定められ、身分が保障されているほか、適切な代償措置が講じられているのであるから、国公法98条5項がかかる公務員の争議行為およびそのあおり行為等を禁止するのは、勤労者をも含めた国民全体の共同利益の見地からするやむをえない制約というべきであつて、憲法28条に違反するものではないといわなければならない。

[13] 次に、国公法110条1項17号は、公務員の争議行為による業務の停廃が広く国民全体の共同利益に重大な障害をもたらす虞れのあることを考慮し、公務員たると否とを問わず、何人であつてもかかる違法な争議行為の原動力または支柱としての役割を演じた場合については、そのことを理由として罰則を規定しているのである。すなわち、前述のように、公務員の争議行為の禁止は、憲法に違反することはないのであるから、何人であつても、この禁止を侵す違法な争議行為をあおる等の行為をする者は、違法な争議行為に対する原動力を与える者として、単なる争議参加者にくらべて社会的責任が重いのであり、また争議行為の開始ないしはその遂行の原因を作るものであるから、かかるあおり等の行為者の責任を問い、かつ、違法な争議行為の防遏を図るため、その者に対しとくに処罰の必要性を認めて罰則を設けることは、十分に合理性があるものということができる。したがつて、国公法110条1項17号は、憲法18条、憲法28条に違反するものとはとうてい考えることができない。

[14] さらに、憲法21条との関係を見るに、原判決が罪となるべき事実として確定したところによれば、被告人らは、いずれも農林省職員をもつて組織する全農林労働組合の役員であつたところ、昭和33年10月8日内閣が警察官職務執行法(以下、警職法という)の一部を改正する法律案を衆議院に提出するや、これに反対する第4次統一行動の一環として、原判示第一の所為のほか、同第二のとおり、同年11月5日午前9時ころから同11時40分ころまでの間、農林省の職員に対し、同省正面玄関前の「警職法改悪反対」職場大会に参加するよう説得、慫慂したというのであるから、被告人らの所為ならびにそのあおつた争議行為すなわち農林省職員の職場離脱による右職場大会は、警職法改正反対という政治的目的のためになされたものというべきである。
[15] ところで、憲法21条の保障する表現の自由といえども、もともと国民の無制約な恣意のままに許されるものではなく、公共の福祉に反する場合には合理的な制限を加えうるものと解すべきところ(昭和23年(れ)第1308号同24年5月18日大法廷判決・刑集3巻6号839頁、昭和24年(れ)第498号同27年1月9日大法廷判決・刑集6巻1号4頁、昭和26年(あ)第3875号同30年11月30日大法廷判決・刑集9巻12号2545頁、昭和37年(あ)第899号同39年11月18日大法廷判決・刑集18巻9号561頁、昭和39年(あ)第305号同44年10月15日大法廷判決・刑集23巻10号1239頁、昭和42年(あ)第1626号同45年6月17日大法廷判決・刑集24巻6号280頁参照)、とくに勤労者なるがゆえに、本来経済的地位向上のための手段として認められた争議行為をその政治的主張貫徹のための手段として使用しうる特権をもつものとはいえないから、かかる争議行為が表現の自由として特別に保障されるということは、本来ありえないものというべきである。そして、前記のように、公務員は、もともと合憲である法律によつて争議行為をすること自体が禁止されているのであるから、勤労者たる公務員は、かかる政治的目的のために争議行為をすることは、二重の意味で許されないものといわなければならない。してみると、このような禁止された公務員の違法な争議行為をあおる等の行為をあえてすることは、それ自体がたとえ思想の表現たるの一面をもつとしても、公共の利益のために勤務する公務員の重大な義務の懈怠を慫慂するにほかならないのであつて、結局、国民全体の共同利益に重大な障害をもたらす虞れがあるものであり、憲法の保障する言論の自由の限界を逸脱するものというべきである。したがつて、あおり等の行為を処罰すべきものとしている国公法110条1項17号は、憲法21条に違反するものということができない。
[16] 以上要するに、これらの国公法の各規定自体が違憲であるとする所論は、その理由がなく、したがつて、原判決が国公法の右各規定を本件に適用したことを非難する論旨も、採用することができない。
[17] 所論は、憲法28条、31条違反をいうが、原判決に対する具体的論難をなすものではなく、適法な上告理由にあたらない。
[18] 所論は、要するに、国公法110条1項17号は、その規定する構成要件、とくにあおり行為等の概念が不明確であり、かつ、争議行為の実行が不処罰であるのに、その前段階的行為であるあおり行為等のみを処罰の対象としているのは不合理であるから、憲法31条に違反し、これを適用した原判決も違法であるというのである。
[19] しかしながら、違法な争議行為に対する原動力または支柱となるものとして罰則の対象とされる国公法110条1項17号所定の各行為のうち、本件において問題となつている「あおり」および「企て」について考えるに、ここに「あおり」とは、国公法98条5項前段に定める違法行為を実行させる目的をもつて、他人に対し、その行為を実行する決意を生じさせるような、またはすでに生じている決意を助長させるような勢いのある刺激を与えること(昭和33年(あ)第1413号同37年2月21日大法廷判決・刑集16巻2号107頁参照)をいい、また、「企て」とは、右のごとき違法行為の共謀、そそのかし、またはあおり行為の遂行を計画準備することであつて、違法行為発生の危険性が具体的に生じたと認めうる状態に達したものをいうと解するのが相当である(いずれの場合にせよ、単なる機械的労務を提供したにすぎない者、またはこれに類する者は含まれない。)。してみると、国公法110条1項17号に規定する犯罪構成要件は、所論のように、内容が漠然としているものとはいいがたく、また違法な行為につき、その前段階行為であるあおり行為等のみを独立犯として処罰することは、前述のとおりこれらの行為が違法行為に原因を与える行為として単なる争議への参加にくらべ社会的責任が重いと見られる以上、決して不合理とはいいがたいから、所論違憲の主張は理由がない。
[20] 原判決の確定した罪となるべき事実によれば、被告人らは、前記警職法改正に反対する第4次統一行動の一環として全農林労働組合会計長ほか同組合中央執行委員多数と共謀のうえ、(一)昭和33年10月30日の深夜から同年11月2日にかけ、同組合総務部長をして、同組合各県(大阪府および北海道を含む。)本部宛てに、「組合員は警職法改悪反対のため所属長の承認がなくても、11月5日は正午出勤の行動に入れ、(ただし、一部特殊職場は勤務時間内1時間以上の職場大会を実施せよ。)」なる趣旨の全農林名義の電報指令第6号並びに各県本部(大阪府および北海道のほか東京を含む。)、支部、分会各委員長宛てに、同趣旨の全農林労働組合中央闘争委員長鶴園哲夫名義の文書指令第6号を発信または速達便をもつて発送させ、(二)同月5日午前9時ころから同11時40分ころまでの間、農林省において、庁舎各入口に人垣を築いてピケツトを張り、ことに正面玄関の扉を旗竿等をもつて縛りつけ、また裏玄関の内部に机、椅子等を積み重ねるなどした状況のもとに、同省職員約2500名を入庁させないようにしむけたうえ、同職員らに対し、同省正面玄関前の「警職法改悪反対」職場大会に直ちに参加するように反覆して申し向けて説得し、勤務時間内2時間を目標として開催させる右職場大会(実際の開催時間は午前10時ころから同11時40分ころまで、正規の出勤時間は同9時20分。参加人員は2000名余。)に参加方を慫慂したというのであるから、右(一)の各指令の発出行為は、全国の傘下組合員である国家公務員たる農林省職員に対し、争議行為の遂行方をあおることを客観的に計画準備したものにほかならず、また、右(二)の状況下における反覆説得は、国公法98条5項前段に定める違法行為を実行させる目的をもつて多数の右職員に対し、その行為を実行する決意を生じさせるような、またはすでに生じている決意を助長させるような勢いのある刺激を与えたものというべく、原判決が右(一)につき争議行為の遂行をあおることを企てたとし、(二)につき争議行為の遂行をあおつた行為にあたるとしたのは、正当である。
[21] 所論は、原判決は国公法98条5項、110条1項17号の解釈、適用を誤り、所論引用の各高等裁判所の判例と相反する判断をしたものであるというのである。
[22] よつて考えるに、原判決が「同法110条1項17号の『あおる』行為等の指導的行為は争議行為の原動力、支柱となるものであつて、その反社会性、反規範性等において争議の実行行為そのものより違法性が強いと解し得るのであるから、憲法違反となる結果を回避するため、とくに『あおる』行為等の概念を縮小解釈しなければならない必然性はなく、またその証拠も不十分である」としたうえ、同条項17号所定の「指導的行為の違法性は、その目的、規模、手段方法(態様)、その他一切の付随的事情に照らし、刑罰法規一般の予定する違法性、すなわち可罰的違法性の程度に達しているものでなければならず、また、これらの指導的行為は、刑罰を科するに足る程度の反社会性、反規範性を具有するものに限る」旨判示し、何らいわゆる限定解釈をすることなく、被告人らの本件行為に対し国公法の右規定を適用していることは、所論のとおりである。これに対し、所論引用の大阪高等裁判所昭和43年3月29日判決、福岡高等裁判所昭和42年12月18日各判決、同裁判所昭和43年4月18日判決は、右国公法110条1項17号または地方公務員法61条4号については、あおり行為あるいはその対象となる争議行為またはその双方につき、限定的に解釈すべきものであるとの見解をとつており、そして、これらの判決は原判決に先だつて言い渡されたものであるから、原判決は、右各高等裁判所の判例と相反する判断をしたこととなり、その言渡当時においては、刑訴法405条3号後段に規定する、最高裁判所の判例がない場合に、控訴裁判所たる高等裁判所の判例に相反する判断をしたことになるといわなければならない。
[23] しかしながら、国公法98条5項、110条1項17号の解釈に関して、公務員の争議行為等禁止の措置が違憲ではなく、また、争議行為をあおる等の行為に高度の反社会性があるとして罰則を設けることの合理性を肯認できることは前述のとおりであるから、公務員の行なう争議行為のうち、同法によつて違法とされるものとそうでないものとの区別を認め、さらに違法とされる争議行為にも違法性の強いものと弱いものとの区別を立て、あおり行為等の罪として刑事制裁を科されるのはそのうち違法性の強い争議行為に対するものに限るとし、あるいはまた、あおり行為等につき、争議行為の企画、共謀、説得、慫慂、指令等を争議行為にいわゆる通常随伴するものとして、国公法上不処罰とされる争議行為自体と同一視し、かかるあおり等の行為自体の違法性の強弱または社会的許容性の有無を論ずることは、いずれも、とうてい是認することができない。けだし、いま、もし、国公法110条1項17号が、違法性の強い争議行為を違法性の強いまたは社会的許容性のない行為によりあおる等した場合に限つてこれに刑事制裁を科すべき趣旨であると解するときは、いうところの違法性の強弱の区別が元来はなはだ曖昧であるから刑事制裁を科しうる場合と科しえない場合との限界がすこぶる明確性を欠くこととなり、また同条項が争議行為に「通常随伴」し、これと同一視できる一体不可分のあおり等の行為を処罰の対象としていない趣旨と解することは、一般に争議行為が争議指導者の指令により開始され、打ち切られる現実を無視するばかりでなく、何ら労働基本権の保障を受けない第三者がした、このようなあおり等の行為までが処罰の対象から除外される結果となり、さらに、もしかかる第三者のしたあおり等の行為は、争議行為に「通常随伴」するものでないとしてその態様のいかんを問わずこれを処罰の対象とするものと解するときは、同一形態のあおり等をしながら公務員のしたものと第三者のしたものとの間に処罰上の差別を認めることとなつて、ただに法文の「何人たるを問わず」と規定するところに反するばかりでなく、衡平を失するものといわざるをえないからである。いずれにしても、このように不明確な限定解釈は、かえつて犯罪構成要件の保障的機能を失わせることとなり、その明確性を要請する憲法31条に違反する疑いすら存するものといわなければならない。
[24] なお、公務員の団体行動とされるもののなかでも、その態様からして、実質が単なる規律違反としての評価を受けるにすぎないものについては、その煽動等の行為が国公法110条1項17号所定の罰則の構成要件に該当しないことはもちろんであり、また、右罰則の構成要件に該当する行為であつても、具体的事情のいかんによつては法秩序全体の精神に照らし許容されるものと認められるときは、刑法上違法性が阻却されることもありうることはいうまでもない。もし公務員中職種と職務内容の公共性の程度が弱く、その争議行為が国民全体の共同利益にさほどの障害を与えないものについて、争議行為を禁止し、あるいはそのあおり等の行為を処罰することの当を得ないものがあるとすれば、それらの行為に対する措置は、公務員たる地位を保有させることの可否とともに立法機関において慎重に考慮すべき立法問題であると考えられるのである。
[25] いわゆる全司法仙台事件についての当裁判所の判決(昭和41年(あ)第1129号同44年4月2日大法廷判決・刑集23巻5号685頁)は、本判決において判示したところに抵触する限度で、変更を免れないものである。
[26] そうであるとすれば、原判決が被告人らの前示行為につき国公法98条5項、110条1項17号を適用したことは結局正当であつて、これと異なる見解のもとに原判決に法令違反があるとする所論は採用することができず、また、この点に関する原審の判断と抵触する前記各高等裁判所の判例は、これを変更すべきものであつて、所論は、原判決破棄の理由とならない。
[27] 所論は、いずれも事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。
[28] 所論は、要するに、公務員の政治的目的に出た争議行為も憲法28条によつて保障されることを前提とし、原判決が、いわゆる「政治スト」は、憲法28条に保障された争議行為としての正当性の限界を逸脱するものとして刑事制裁を免れないと判断したのは、憲法21条、28条、31条の解釈を誤つたものである旨主張する。
[29] しかしながら、公務員については、経済目的に出たものであると、はたまた、政治目的に出たものであるとを問わず、国公法上許容された争議行為なるものが存在するとすることは、とうていこれを是認することができないのであつて、かく解釈しても憲法に違反するものではないから、所論違憲の主張は、その前提を欠き、適法な上告理由にあたらない(なお、私企業の労働者たると、公務員を含むその他の勤労者たるとを問わず、使用者に対する経済的地位の向上の要請とは直接関係があるとはいえない警職法の改正に対する反対のような政治的目的のために争議行為を行なうがごときは、もともと憲法28条の保障とは無関係なものというべきである。現に国際労働機構(ILO)の「結社の自由委員会」は、警職法に関する申立について、「委員会は、改正法案は、それが成立するときは、労働組合権を侵害することとなることを立証するに十分な証拠を申立人は提出していないと考えるので、日本政府の明確な説明を考慮して、これらの申立については、これ以上審議する必要がないと決定するよう理事会に勧告する。」としている(179事件第54次報告187項)。国際労働機構の「日本における公共部門に雇用される者に関する結社の自由調査調停委員会報告」(いわゆるドライヤー報告)も、「労働組合権に関する申立の審査において国際労働機関によつてとられている一般原則によれば、政治的起源をもつ事態が適当な手続による国際労働機関の調査が要請されうる社会的側面(問題)を有している場合であつても、国際労働機関が国際的安全保障に直接関係ある政治問題を討議することは、その伝統に反し、かつ、国際労働機関自体の領域における有用性をもそこなうため不適当である。」(2130項)という一般的見解を表明しているのである。)。
[30] 所論は、原判決が国公法110条1項17号について、何んら限定解釈をすることなく、社会的に相当行為たる被告人らの本件行為にこれを適用したのは、憲法31条、28条、18条、21条に違反するというのである。
[31] しかし、国公法の右規定について、これを限定的に解釈しなくても、右憲法の各規定に違反するものでないことは、すでに弁護人佐藤義弥ほか3名の上告趣意第一点、第三点、第五点について説示したところおよび同第六点において説明した趣旨に照らし明らかであるから、所論は理由がない。
[32] 所論は、本件争議行為が、いわゆる政治的抗議ストであるから社会的相当性を有し、構成要件該当性を欠くとの単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。
[33] 所論は、本件抗議ストは、憲法21条の保障する「表現の自由」権の行使として、社会的相当性を具有しているものであるから、国公法110条11項17号の罰則規定は、被告人らの本件行為に適用される限度において、憲法31条、21条に違反し、無効であるというのである。
[34] しかしながら、国公法の右規定が憲法31条、21条に違反しないことは、所論の第一ないし第三について示したところにより明らかであるから、その趣旨に徴し、所論は理由がない。
[35] 所論は、いずれも事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

[36] よつて、刑訴法414条、396条に則り、本件各上告を棄却することとし、主文のとおり判決する。

[37] この判決は、裁判官石田和外、同村上朝一、同藤林益三、同岡原昌男、同下田武三、同岸盛一、同天野武一の各補足意見、裁判官岩田誠、同田中二郎、同大隅健一郎、同関根小郷、同小川信雄、同坂本吉勝の各意見、裁判官色川幸太郎の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。


 裁判官石田和外、同村上朝一、同藤林益三、同岡原昌男、同下田武三、同岸盛一、同天野武一の補足意見(裁判官岸盛一、同天野武一については、本補足意見のほか、後記のような追加補足意見がある。)は、次のとおりである。

[1] われわれは、多数意見に同調するものであるが、裁判官田中二郎、同大隅健一郎、同関根小郷、同小川信雄、同坂本吉勝の意見(以下、5裁判官の意見という。)は、多数意見の真意を理解せず、いたずらに誇大な表現を用いて、これを論難するものであつて、読む者をしてわれわれの意見について甚だしい誤解を抱かせるものがあると思われるので、あえて若干の意見を補足したい。

[2] 5裁判官の意見は、多数意見が、公務員を国民全体の奉仕者であるとする憲法15条2項をあたかも唯一の根拠として公務員(非現業の国家公務員をいう。以下同じ。)の争議行為禁止の合憲性を肯定するものであるかのごとく、また公務員の勤務条件の決定過程の特殊性だけを理由としてその争議行為の禁止を根拠づけようとするものであるかのごとく、さらには代償措置の制度さえ設けておけばその争議行為を禁止しても憲法に違反するものではないとの安易な見解に立つているものであるかのごとく誤解し、多数意見を論難している。しかし、多数意見は、公務員も原則として憲法28条の労働基本権の保障を受ける勤労者に含まれるものであることを肯定しながらも、私企業の労働者とは異なる公務員の職務の公共性とその地位の特殊性を考慮にいれ、その労働基本権と公務員をも含めた国民全体の共同利益との均衡調和を図るべきであるという基本的観点に立ち、その説示するような諸般の理由を総合して国家公務員法(以下、国公法という。)の規定する公務員の労働関係についての規制をもつて、いまだ違憲と見ることはできないとしているものなのである。さらに、5裁判官の意見は、多数意見をもつて、憲法15条2項を公務員の労働基本権に対する「否定原理」としているものであるとまで極論したうえ、「使用者である国民全体、ないしは国民全体を代表しまたはそのために行動する政府諸機関に対する絶対的服従義務を公務員に課したものという解釈をする」とか、「このような解釈は、国民全体と公務員との関係をあたかも封建制のもとにおける君主と家臣とのそれのような全人格的な服従と保護の関係と同視するに近い考え方である」とか、さらには憲法28条の労働基本権を「一種の忠誠義務違反としてそれ自体を不当視する観念」であつて、「すべての国民に基本的人権を認めようとする憲法の基本原理と相容れない」ものであるとか、極端に激しい表現を用いて非難しているのであるが、多数意見のどこにそのような時代錯誤的な考えが潜んでいるというのであろうか。いうまでもなく、多数意見は、5裁判官の意見が指摘するような国家の事務が軍事、治安、財政などにかぎられていた時代における前近代的観点から「抽象的、観念的基準によつて一律に割り切つて」いるものでもなく、また抽象的形式的な公共福祉論、公僕論を拠りどころとしているものでもないことは、多数意見を冷静かつ率直に読むならば容易に理解できることであろう。

[3] 5裁判官の意見は、公務員の職務内容の公共性がその争議行為制限の実質的理由とされていることはなにびとにも争いのないところであること、また公務員の勤務条件の決定過程において争議行為を無制限に許した場合に民主的政治過程をゆがめる面があることも否定できないことを承認しながら、そのいずれの理由からも一切の争議行為を禁止することの正当性を認めることはできないとして、公務員の「団体交渉以外の団体行動によつて、立法による勤労条件の基準決定などに対して影響力を行使すること」を是認すべきであるといい、また代償措置はあくまで代償措置にすぎないものであるから、「政府または国会に右(人事院の)勧告に応ずる措置をとらせるためには、法的強制以外の政治的また社会的活動を必要とし、このような活動は、究極的には世論の支持、協力を要するものであり、世論喚起のための唯一の効果的手段としての公務員による団体行動の必要を全く否定することはできず、」といつて、およそ争議行為を禁止されている公務員の利益を保障するために設けられた国家的制度としての代償措置の存在をことさらに軽視し、公務員による立法機関または世論に対する直接的な政治的効果を目的とする団体行動の必要性を強調しているのである。ところで、5裁判官の意見がここで指摘している「団体行動」とは、何を意味するかは必ずしも明らかではないが、その前後の論調からすると、単なる表現活動としての団体行動を指しているものとは認められず、明らかに憲法28条にいわゆる団体行動を考えているものとしか思われない。しかもその団体行動は、「刑罰の対象から除外されてしかるべきものである」と断定していることからすると、罰則規定のある公務員の争議行為を念頭においているものと解さざるをえない。はたしてそうであるとすれば、5裁判官の意見は、立法府または社会一般に対する示威的行動としての公務員の争議行為の必要性を強調するものといわざるをえないのである。もとより、5裁判官の意見は、純然たる政治的目的の実現のための争議行為の必要性を説くものではない。しかしながら、およそ勤労者の団体が行なう争議行為の目的が使用者において事実的にも法律的にも解決しえない事項に関するものであるときは、その争議行為は、憲法28条による保障を受ける余地のないものであるから、5裁判官の意見がいうところの公務員の団体行動としての争議行為なるものは、その実質において、いわゆる「政治スト」と汎称されるものとなんら異なるところはないのである。ことに、5裁判官の意見が法的強制以外の「政治的活動」の必要性を説くことは、まさに団体行動としての表現活動のほかに、「政治スト」を憲法上正当な争議行為として公務員に認めよということにほかならないのであつて、そのことは5裁判官の意見が本件について政治目的に出た争議行為であるとの理由から憲法28条の保障の範囲に含まれないとしていることと明らかに矛盾するものであるといわねばならない。なお、付言するに、5裁判官の意見が右のように争議行為としての法的強制以外の「政治的活動」を強調していることについては、いわゆるドライヤー報告書が「日本の労働者の中央組織によつて行なわれてきた政治活動の性格は、真に労使関係を混乱させている一つの主要な要素である。」(2127項)と戒めていることをこの際指摘せざるをえないのである。

[4] 5裁判官の意見は、本件の処理にあたり、多数意見が何ゆえことさらいわゆる全司法仙台事件大法廷判決の多数意見(昭和41年(あ)第1129号同44年4月2日大法廷判決・刑集23巻5号685頁、以下、単に全司法仙台事件判決という。)の解釈と異なる憲法判断を展開しなければならないのか、その必要性と納得のゆく理由を発見することができないと論難している。しかし弁護人らの上告趣意には、多岐にわたる違憲の主張が含まれており、また、まさに本判決の多数意見と5裁判官の意見との分岐点をなす中心問題について互に相反する高等裁判所の判決が指摘されて判例違反の主張がなされたのであるから、当裁判所としては、これらに対し判断をするにあたり、当然右全司法仙台事件判決の当否について検討せざるをえないばかりでなく、5裁判官の意見も、本件上告を棄却するについては、結論的には同意見であるから、上告趣意の総てについて逐一判断を示すべきものである。5裁判官の意見のような、この際全司法仙台事件判決に触れるべきではないとする考えは、本件の処理上、基本的問題の判断を避けて一時を糊塗すべきであるというにひとしく、とうていわれわれの承服しがたいところである。いま、多数意見がこれに論及せざるをえなかつたその他の理由の二、三をもあわせて指摘し、さらに同判決の判例としての評価について言及することとする。

[5](一) まず、第一に、右全司法仙台事件判決は、憲法解釈にあたり看過できない誤りを犯したということである。すなわち、同判決とその基本的立場を共通にする、いわゆる都教組事件大法廷判決の多数意見(昭和41年(あ)第401号同44年4月2日大法廷判決・刑集23巻5号305頁、以下、単に都教組事件判決という。)は、公務員の職務は一般的に公共性が強いものであることを認めながら、なお一部の職種や職務には私企業のそれに類似したものが存在するから公務員の争議行為を一律に禁止することは許されないと説くが、その論ずるところは、公務員の争議行為が行なわれる場合、一般に単なる機械的労務に従事する職務の者ばかりでなく、その職務内容が公共性の強い職員の大多数の者の参加によつて行なわれる集団的組織的団体行動であるという現実を無視した議論であり、しかも、職種、職務内容の別なく公務員に対して一律に保障された、生存権擁護の趣旨をもつ代償措置の現存することについての考慮を払うことなく、また、その判断の結果がはたして実際的に妥当するものであるかについて洞察することもなく、ただただ抽象的に理論を推しすすめるものである。すなわち、同判決は、抽象的、観念的思惟に基づいて、公務員による争議行為を制限禁止した関係公務員法の当該規定は違憲の疑いがあると容易に断定しているのであつて、全司法仙台事件判決もその論法において軌を一にしているのである。そのような憲法判断の手法は、労働基本権に絶対的な優位を認めようとするに傾きやすく、現実の社会的、経済的基盤の上に立つて国家と国民および国民相互の相反する憲法上の諸利益を調整すべきものであるという憲法解釈の要諦を忘れたものといわなければならない。なお、5裁判官の意見は「一律全面的」な争議行為の禁止は不当であるとして多数意見を論難するのであるが、職種と職務内容の公共性の程度が弱く、その争議行為が国民全体の共同利益にさほどの障害を与えないものについては、労働政策の問題として立法上慎重に考慮されるべきものであることについては、多数意見が指摘しているところである。ちなみに、西ドイツにおいては、公勤務従事者のうち、官吏についてはストライキを禁止されているが、その代り終身任用制度および一種の昇進制度が勤務条件法定主義のもとに行なわれているのに対し、雇員、単純労務職員については、特定の職務内容を限定してストライキを認めており、また、カナダ連邦、アメリカのペンシルバニヤ州やハワイ州では重要でない職務に従事する公務員についてストライキを認めているが、職務の重要性の判定は第三者機関が行なうたてまえとなつているのであつて、全司法仙台事件判決が示す「国民生活に重大な支障」を及ぼすことの有無というような漠然とした基準によつて公務員の争議行為の正当性を画する立法例は他国には見あたらないのである。なお、カナダ連邦の場合は、仲裁手続とストライキとの選択のもとに、かりにストライキを選択したときでも厳格な調停手続を経ることが条件となつているのであり、この手続を経ないストライキは禁止されているのである。そして、アメリカでストライキの認められている前示2州でも、ほぼこれに似た制度をとつているのであるが、その国情による相違があるとはいえ、重要でない職務の公務員のストライキを認めるについて、無制限にこれを認めることなく、厳格な制約のもとに置かれていることに特に留意すべきである。
[6] 第二に、全司法仙台事件判決の示した限定解釈には重大な疑義があるということである。すなわち、同判決と基本的に共通の見解に立つている前記都教組事件判決がいうところは、公務員の職務の公共性には強弱があるから、その労働基本権についても、その職務の公共性に対応する制約を当然内包しているという理論的立場を強調しながら、限定解釈をするにあたつては、一転して職務の公共性をなんら問題とすることなく、「ひとしく争議行為といつても、種々の態様のものがある」として、争議行為の態様の問題へと転移し、争議行為における違法性の強弱という曖昧な基準を設定したのである(5裁判官の意見は、多数意見が公務員の争議行為につきその「主体」のいかんを問わず全面的禁止を是認することを非難しているのであるから、当然「主体」による区別をいかに考えるべきかについての明確な基準を示して然るべきものなのである。しかるに、その明示がなされていないことは、現在の公務員制度のもとにおける職員組合の組織と争議行為の現況にかんがみ、そのような区別をたてることは抽象論としてはともかく、実際上はほとんど不可能であることを物語るものであろうか。)。ことに、同判決は、争議行為に関する罰則については、争議行為そのものの違法性が強いことと、あおり等の行為の違法性が強いことを要するばかりでなく、争議行為に「通常随伴して行なわれる行為」は処罰の対象とはならないと解すべきものであるとしている。ところで、いわゆる全逓中郵事件判決の多数意見(昭和39年(あ)第296号同41年10月26日大法廷判決・刑集20巻8号901頁、以下、単に全逓中郵事件判決という。)では、争議行為の正当性を画する基準として、「政治的目的のために行なわれたような場合」、「暴力を伴う場合」、「社会の通念に照らして不当に長期に及ぶときのように国民生活に重大な障害をもたらす場合」をあげ、これらの場合でなければ、その争議行為は、憲法上保障された正当な争議行為にあたると説示されているが、全司法仙台事件判決では、争議行為の違法性が強い場合の基準として、そのまま右と同様のものが転用されているのである。すなわち、あおり行為等を処罰するための要件として、「争議行為そのものが、職員団体の本来の目的を逸脱してなされるとか、暴力その他これに類する不当な圧力を伴うとか、社会通念に反して不当に長期に及ぶなど国民生活に重大な支障を及ぼすとか」ということをあげている。争議行為が正当であるか否かは、違法性の有無に関する問題であり、違法性が強いか弱いかは違法性のあること、すなわち正当性のないことを前提としたものである。そして、ここにいう正当性の有無は、単に「刑法の次元」における判断ではなく、まさに憲法28条の保障を受けるかどうかの憲法の次元における問題なのであるから、その保障を受けうるものであるかぎり、民事上、刑事上一切の制裁の対象となることはないのである。しかるに、全司法仙台事件判決は、全逓中郵事件判決が憲法上の保障を受けるかどうかの観点から違憲判断を回避するために示した正当性を画する基準と同一のものを、違法性の強弱判定の基準としているのであつて、そこに法的思惟の混迷があると思われるのであるが、それはともかくとして、このような基準の設定は、刑罰法規の構成要件としてもすこぶる不明確であり、そのゆえに、むしろ違憲の疑いを生むのであり、さらに右のような基準の確立が判例の集積になじまないものであることについては、岸裁判官、天野裁判官の追加補足意見の指摘するところである。この点について、5裁判官の意見は、公務員の争議行為をあおる等の行為が全司法仙台事件判決の判示する基準に照らして処罰の対象となるかどうかは事案ごとに具体的事実関係により判断されなければならないとして、これらの行為が国公法上罰則の対象となりうることを肯定しながら、公務員法違反の場合と公共企業体職員または私企業労働者の争議行為の場合とを対比し、一つは構成要件充足の問題であり、他は違法性阻却の問題であるといい、さらに転じて「刑法の次元における違法性阻却の理論によつて処理することは相当でなく、」と至極当然のことにわざわざ言及し、あたかも多数意見がその誤りを犯しているかのごとき論難を加えているが、そのいわんとする真意が那辺にあるか理解に苦しむところである。
[7] 第三に、全司法仙台事件判決に見られる憲法解釈の疑点もさることながら、それが惹起している労働・行政または裁判実務上の混乱も、また無視できないということである。すなわち、例えば、都教組事件判決は、「違法な争議行為を想定して、あおり行為等をした場合には、かりに予定の違法な争議行為が実行されなかつたからといつて、あおり行為等の刑責は免れない。」旨判示する。しかし国公法110条1項17号の罰則は、あおり行為等に対して結果責任を問うものではないのであるから、行為者が、かりに違法性の弱い争議行為を想定して、あおり行為等をしたが、予期に反し、争議行為が「社会通念に反して不当に長期に及び国民生活に重大な支障」を与えた場合には、全司法仙台事件判決の見解に従うかぎり、なんらこれに対し刑事責任を問うことができないこととなるであろう。また、争議行為の実態に即して考えて見ても、争議行為は、通常、争議指導者の指令のままに動くものであるから、あおり等の行為自体の違法性が強い場合などはおよそありえないであろう。このことは、同判決の右のような解釈のもとでは、国公法の右規定が現実的には、ほとんど有効に機能しないことを示すものであつて、結局公務員の争議行為が野放しのままに放置される結果ともなりかねないのである。さらにまた、同判決が判示する前記の基準も、それ自体が客観性を欠き、これを補捉するに極めて困難であり、5裁判官の意見のいうように、右の判決が一般国民の間に定着しているものとはとうてい考えられない。右の基準が曖昧で判断者の主観による恣意がはいりこむ虞れがあるという批判は、本件の弁論において弁護人からも強く指摘されたばかりでなく、すでに、いわゆる全逓中郵事件判決を支持する論者、これに反対の立場にある論者の双方から強い批判を受けているところである。全司法仙台事件判決も公務員の争議行為に対するあおり等の行為が罰則の適用を受ける場合のあることを肯定する以上は、その明確な基準を示すべきであつたのである。
[8] さらに第四に、全司法仙台事件判決ならびにこれと同一の基盤をもつ都教組事件判決全逓中郵事件判決と相まつて公務員の争議行為に関する罰則の適用について一般に誤つた評価を植えつけるにいたつたということである。すなわち、都教組事件判決は、全逓中郵事件判決が勤労者の労働基本権に対する、いわゆる内在的制約を考慮する際「一般的にいつて、刑事制裁をもつてこれに臨むべき筋合ではない。」(同判決の、いわゆる4条件中、(3)最高裁刑集20巻8号907頁参照。)と判示したことをそのまま踏襲しているのであるが、さらに都教組事件判決の趣旨を受けついだ全司法仙台事件判決は、国公法110条1項17号についてこれを限定的に解釈しないかぎり憲法18条、28条に違反する疑いがあるといつて、一般に対し「公務員労働者の」「争議行為を刑事罰から解放」したものであるかのごとき誤つた理解を植えつけることとなつたのである。これは、ひつきよう、同判決の不明確な限定解釈と誤つた法解釈の態度とにその原因をもつものといわねばならないのである。(現に5裁判官の意見も公務員の争議行為に対するあおり等の行為が罰則の適用を受ける場合のあることを肯定していながら、しかも、なおかつ、あたかも多数意見のみが、公務員の争議行為に関し仮借のない刑事制裁を是認しているもののような論難をしているのである。)なお、付言するに、ILO第105号条約(わが国は批准していない。)に関する第52回ILO総会に提出された条約勧告適用専門家委員会の報告書は、「一定の事情の下においては違法な同盟罷業に参加したことに対して刑罰を科することができるということ、」「この刑罰には通常の刑務所労働が含まれることがあるということ」その他について合意が成立した旨の、同条約を審議した総会委員会の報告書を引用して「同盟罷業に関する各種の国内立法を評価するに当たり、本委員会は、総会の意図に関する前述したところを十分に考慮することが適当であると考える。」と述べているのである(94項。なお95項参照。)。

[9](二) つぎに、全司法仙台事件判決には、真の意味の多数意見なるものがはたして存在するといえるであろうか。同判決において多数と見られる8名の裁判官の意見が一致しているのは、ただ国公法の規定を「限定的に解釈するかぎり」違憲でないと判示する点にかぎられているのである。そして、そのいわゆる限定解釈の内容について見るに、右8名の裁判官のうち、6名の裁判官は、違法性強弱論およびあおり行為等の通常随伴性論の立場をとつているが、他の2名の裁判官は、違法性強弱論には否定的な意見を示しており、しかも、その2名の裁判官の間でも、「通常随伴性」についての考え方が一致していないのである。このように、限定解釈をすべきであるという点では同意見であつても、それだけでは全く内容のないものであり、そのいうところの限定解釈についての内容が区々にわかれていて、過半数の意見の裁判官による一致した意見は存在しないのである。前記のように、行政上および裁判上の混乱を招いたのも、ひつきよう、同判決ならびにその基盤を共通にする全逓中郵事件判決および都教組事件判決のもつ内容の流動性、曖昧性に基因するところが大きく、判例としての指導性にも欠けるところがあつたといわねばならないのである。そして、現在においては、本判決の多数意見は、前記判示のとおり、憲法および国公法の解釈につき一致した見解を示しているものであるのに対し、多数意見に同調する裁判官以外の裁判官の意見は、単に形式上少数であるばかりでなく、内容的にも国公法の解釈について意見が分立しており、ことに5裁判官の意見が本件につき上告棄却の意見であるならば、全司法仙台事件判決にいう、いわゆる通常随伴性論を今日維持することは背理というほかなく、また通常随伴性論をとるとすれば、結論は、むしろ反対となるべき筋合いであろう。この一点をみても、右5裁判官ら自身、意識すると、しないとにかかわらず、前記の判例の見解を変更しているものにほかならない。したがつて、全司法仙台事件判決は、今日、もはやいかなる意味においても「判例」として機能しえないものであり、これが変更されるべきことは、自然の成行きといわなければならないのである。5裁判官の意見は、「僅少差の多数によつてさきの憲法解釈を変更することは、最高裁判所の憲法判断の安定に疑念を抱かせ、ひいてはその権威と指導性を低からしめる虞れがある云々」と述べているが、多数意見に対するいわれのない批判にすぎず、強く反論せざるをえない次第である。


 裁判官岸盛一、同天野武一の追加補足意見は、つぎのとおりである。

[1](一) まず、多数意見は、憲法28条の勤労者のうちには、公務員(非現業の国家公務員をいう。以下同じ。)も含まれるとの見解にたちながらも、公務員の地位の特殊性とその職務の公共性とを考慮にいれるとき、公務員の勤労関係を規律する現行法制のもとでは、公務員の勤労条件が法定されており、その身分が保障されているほか、適切な代償措置が講じられている以上は、国家公務員法(昭和40年法律第69号による改正前のもの。以下国公法という。)98条5項の規定は、いまだ、憲法28条に違反するものと断ずることはできないとするものである。
[2] ところで、一般的に勤労者の争議行為を禁止するについて、その代償措置が設けられることが極めて重要な意義をもつものであることは、いわゆるドライヤー報告やI・L・O結社の自由委員会でもたびたび強調されているところであり、その事例を枚挙するにいとまなしといつても過言ではないのであるが、公務員に関してもその争議行為を禁止するについては、適切な代償措置が必要であることが指摘されているのである(結社の自由委員会第76次報告第294号事件284項、第78次報告第364号事件79項等)。ところが、わが国で、公務員の争議行為の禁止について論議されるとき、代償措置の存在がとかく軽視されがちであると思われるのであるが、この代償措置こそは、争議行為を禁止されている公務員の利益を国家的に保障しようとする現実的な制度であり、公務員の争議行為の禁止が違憲とされないための強力な支柱なのであるから、それが十分にその保障機能を発揮しうるものでなければならず、また、そのような運用がはかられなければならないのである。したがつて、当局側においては、この制度が存在するからといつて、安易に公務員の争議行為の禁止という制約に安住すべきでないことは、いうまでもなく、もし仮りにその代償措置が迅速公平にその本来の機能をはたさず実際上画餅にひとしいとみられる事態が生じた場合には、公務員がこの制度の正常な運用を要求して相当と認められる範囲を逸脱しない手段態様で争議行為にでたとしても、それは、憲法上保障された争議行為であるというべきであるから、そのような争議行為をしたことだけの理由からは、いかなる制裁、不利益をうける筋合いのものではなく、また、そのような争議行為をあおる等の行為をしたからといつて、その行為者に国公法110条1項17号を適用してこれを処罰することは、憲法28条に違反するものといわなければならない。
[3] もつとも、この代償措置についても、すべての国家的制度と同様、その機能が十分に発揮されるか否かは、その運用に関与するすべての当事者の真摯な努力にかかつているのであるから、当局側が誠実に法律上および事実上可能なかぎりのことをつくしたと認められるときは、要求されたところのものをそのままうけ容れなかつたとしても、この制度が本来の機能をはたしていないと速断すべきでないことはいうまでもない。
[4] 以上のことは、多数意見においてとくに言及されていないが、その立場からは当然の理論的帰結であると考える。

[5](二) つぎに、多数意見は、国公法110条1項17号について、福岡高等裁判所判決(昭和41年(う)第728号同43年4月18日判決)が示した限定解釈は犯罪講成要件の明確性を害するもので憲法31条違反の疑いがあるというが、われわれは、右の限定解釈は明らかに憲法31条に違反するばかりでなく、本来許さるべき限定解釈の限度を超えるものであるとすら考えるものである。すなわち、同判決は、国公法の右規定を限定的に解釈して、争議行為が政治目的のために行なわれるとか、暴力を伴うとか、または、国民生活に重大な障害をもたらす具体的危険が明白であるなど違法性の強い争議行為を違法性の強い行為によつてあおるなどした場合に限り刑罰の対象となるというのであつて、いわゆる全司法仙台事件についての当裁判所大法廷判決の多数意見がさきに示した見解とほぼ同趣旨の見解を示しているのである。
[6] ところで、憲法判断にさいして用いられる、いわゆる限定解釈は、憲法上の権利に対する法の規制が広汎にすぎて違憲の疑いがある場合に、もし、それが立法目的に反することなくして可能ならば、法の規定に限定を加えて解釈することによつて、当該法規の合憲性を認めるための手法として用いられるものである。そして、その解釈により法文の一部に変更が加えられることとなつても、法の合理的解釈の範囲にとどまる限りは許されるのであるが、法文をすつかり書き改めてしまうような結果となることは、立法権を侵害するものであつて許さるべきではないのである。さらにまた、その解釈の結果、犯罪構成要件が曖昧なものとなるときは、いかなる行為が犯罪とされ、それにいかなる刑罰が科せられるものであるかを予め国民に告知することによつて、国民の行為の準則を明らかにするとともに、国家権力の専断的な刑罰権の行使から国民の人権を擁護することを趣意とする、かのマグナカルタに由来する罪刑法定主義にもとるものであり、ただに憲法31条に違反するばかりでなく、国家権力を法の支配下におくとともに国民の遵法心に期待して法の支配する社会を実現しようとする民主国家の理念にも反することとなるのである。このことは、大陸法的な犯罪構成要件の理論をもたない英米においても、つとに普通法上の厳格解釈の原理によつて、裁判所は、個々の事件について、法文の不明確を理由に法令の適用を拒否する手段を用いて、実質上法令の無効を宣言するのとひとしい実をあげてきたといわれているのであるが、とくに米国では、1世紀も前から法文の不明確を理由としてこれを無効とする理論が芽ばえ、1900年代にはいつてからは、国民の行為の準則に関する法令は、予め国民に公正に告知されることが必要で、そのためには、法文は明確に規定されなければならないとして、憲法修正5条、6条、14条等の適正条項違反を理由に不明確な法文の無効を宣言する、いわゆる明確性の理論が判例法として確立され今日に及んでいるのである。
[7] この法文の明確性は、憲法上の権利の行使に対する規制や刑罰法規のような国民の基本的権利・自由に関する法規については、とくに強く要請されなければならないことは当然である。
[8] ところで、前記福岡高等裁判所判決は、あおり行為の対象となる争議行為の違法性の強弱を判定する基準の一つとして、「国民生活に対する重大障害」ということをあげている。同様に全司法仙台事件判決の多数意見は、「社会の通念に反して不当に長期に及ぶなど国民生活に重大な支障」といつている。しかし、国民生活に重大な障害とか支障とかいう基準はすこぶる漠然とした抽象的なものであつて、はたしてどの程度の障害、支障が重大とされるのか、これを判定する者の主観的な、時としては恣意的な判断に委ねられるものであつて、そのような弾力性に富む伸縮自在な基準は、刑罰法規の構成要件の輪郭内容を極めて曖昧ならしめるものといわざるをえない。また、全司法仙台事件判決の多数意見のように「社会の通念に反し不当に長期に及ぶなど」という例示が示されているとしても、どの程度の時間的継続が不当とされるのか、これまた甚だ不明確な要件といわざるをえないばかりでなく、そのうえ「社会の通念に照らし」という一般条項を構成要件のなかにとりこんでいることは、却てその不明確性を増すばかりである。したがつて、かような基準を示された国民は、自己の行為が限界線を越えるものでないとして許されるかどうかを予測することができず、法律専門家である弁護士、検察官、裁判官ですら客観的な判定基準を発見することに当惑し(いわゆる中郵事件の差戻し後の東京高裁昭和41年(う)第2605号同42年9月6日判決・刑集20巻526頁参照)、罰則適用の限界を画することができないばかりでなく、民事上、行政上の制裁との限界もまた不明確であつて、法の安定性・確実性が著しくそこなわれることとなる。現に全国の事実審裁判所の判決においても、「国民生活に重大な障害」に関する判断が区々にわかれて統一性を欠いているのが今日の実情なのである。さらにまた、右のような限定解釈は、罰則の適用される場合を制限したかのようにみえるのであるが、それに示されているような抽象的基準では、前記判決が志向したところとはおよそ逆の方向にも作用することがないとも限らない。けだし、法文の不明確は法の恣意的解釈への道をひらく危険があるからである。
[9] もつとも、右の基準の明確な確立は、今後の判例の集積にまてばよいとの反論もあろう。最近の、カナダの連邦公務員関係法、アメリカのペンシルバニヤ州の公務員労使関係法およびハワイ州公法は、重要職務に従事する公務員についてのみ争議行為を禁止しているのであるが、それらの立法に対する、職務の重要性・非重要性を区別することは困難であるとの批判に対して、裁判所の判例の集積による解決が最も妥当であるとの反論もみられる。しかし、右の諸立法においては、別に第三者機関による重要職務の指定判定の制度があつて、それによつて重要公務の範囲が一応は形式的に明確にされる建前なのであるから、その指定判定に争いがあるとき裁判所の判断をまつということのようである。すなわち、それは、重要職務に従事する公務員の範囲を主体の面から限定するものであつて、行為の態様による限定ではないのである。「国民生活に重大な障害」の有無というような行為の態様の基準の明確な確立は、むしろ、判例の集積による方法にはなじまないというべきであろう。
[10] およそ国民の行為の準則は、裁判時においてではなく、行為の時点においてすでに明確にされていなければならない。また、終局判決をまたなければ明確にならないような基準は、基準なきにひとしく、国民を長く不安定な状態におくこととなる。国民は各自それぞれの判断にしたがつて行動するほかなく、かくては法秩序の混乱はとうてい免れないであろう。
[11] 憲法問題を含む法令の解釈にさいしては、いたずらに既成の法概念・法技術にとらわれて、とざされた視野のなかでの形式的な憲法理解におちいつてはならないことはいうまでもないことであり、また、絶えず進展する社会の流動性と複雑化とに対処しうるためには、犯罪構成要件がつねに客観的・記述的な概念にとどまることはできず、価値的要素を含んだ規範的なものへと深化されることも必要である。さらに、正義衡平、信義誠実、公序良俗、社会通念等々の、もともとは私法の領域で発達した一般条項の概念が、法解釈の補充的原理として具体的事件に妥当する法の発見に寄与するところがあることも否定できない。しかしながら、あまりにも抽象的・概括的な構成要件の設定は、法の行為規範、裁判規範としての機能を失なわしめるものであり、いわんや、安易簡便な一般条項を犯罪構成要件のなかにとりこむことは極力これを避けなければならない。第二次大戦前のドイツ法学界において、一般条項がいともたやすく遊戯のように労働法を征服したとか、一般条項は個々の犯罪構成要件をのりこえてしまう傾向をもつとかと、強く指摘した警告的な主張がなされたことが思いあわされるのである。
[12] 法の規定が、その文面からは一義的にしか解釈することができず、しかも憲法上許される必要最小限度を超えた規制がなされていると判断せざるをえないならば、たとえ立法目的が合憲であるとしても、その法は違憲とされなければならない。しかるに、国公法110条1項17号についての前記のような限定解釈は、それを避けようとして詳密な理論を展開したのであるが、惜しむらくは、その理論の実際的適用について前述のような重大な疑義を包蔵するうえに、その限定解釈の結果もたらされた同条の構成要件の不明確性は、憲法31条に違反するものであり、また、立法目的に反して法の規定をほとんど空洞化するにいたらしめたことは、法文をすつかり書き改めたも同然で、限定解釈の限度を逸脱するものといわざるをえないのである。


[1] 国家公務員法(昭和40年法律第69号による改正前のもの。以下、国公法という。)110条1項17号の規定の合憲性に関する私の意見は、当裁判所昭和41年(あ)第1129号同44年4月2日大法廷判決(刑集23巻5号685頁)における私の意見のとおりである。
[2] したがつて、公務員の行なう争議行為の違法性の強弱、あおり行為等の違法性の強弱により国公法110条1項17号の適用の有無を決すべきでないことは、前記大法廷判決における私の意見のとおりであるけれども、同法条の規定は、これになんら限定解釈を加えなくても、憲法28条に違反しないとする意見には賛同することができない。
[3] これを本件について見るに、原判決が罪となるべき事実として確定したところによれば、被告人らは、それぞれ原判示のような農林省の職員をもつて組織する全農林労働組合(以下、全農林労組という。)の役員であるところ、昭和33年10月8日内閣が警察官職務執行法の一部を改正する法律案(以下、警職法改正案という。)を衆議院に提出するやこれに反対する第4次統一行動の一環として、原判示第一、第二の所為に及んだというのであつて、被告人らの右所為は、全農林労組の団体行動としてなされたものとしても、右は警職法改正に対する反対闘争という政治目的に出たものであつて、全農林労組組合員の給与その他の勤務条件の改善、向上を図るためのものではないから、憲法28条の保障する労働基本権の行使ということはできないものである。したがつて、被告人らの所為は、争議行為にいわゆる通常随伴するものであるか否かにかかわらず、それぞれ国公法110条1項17号にいう争議行為をあおることを企て、または、争議行為をあおつたものとして同条項違反の罪責を免れないものといわなければならない。
[4] 所論は、また、被告人らの所為を国公法110条1項17号により処罰した原判決および国公法の右規定は、憲法21条に違反すると主張する。しかし、警職法改正法案に反対する意見を表明すること自体は、何人にも許され憲法21条の保障するところであるが、その意見を表明するには、争議行為に訴えなくても、他にいくらでも適法な表明手段が存するのであつて、憲法28条の保障の範囲を逸脱した本件のような争議行為によることを要するものではない。したがつて、前示のように憲法28条の保障の範囲を逸脱した争議行為のあおり行為等を処罰する旨を定めた国公法110条1項17号の規定は、憲法21条に違反するものではなく、被告人らの前記所為を処罰した原判決もまた憲法21条に違反するものではない。
[5] そうすると、被告人らの前示所為は国公法110条1項17号にあたるとして有罪の言渡をした原判決は結局正当であつて、被告人らの本件上告はいずれもこれを棄却すべきものである。


 裁判官田中二郎、同大隅健一郎、同関根小郷、同小川信雄、同坂本吉勝の意見は、つぎのとおりである。

[1] 本件上告を棄却すべきものとする点においては多数意見と同じであるが、その理由は次のとおりであるほか、岩田裁判官の意見と同じであり、多数意見の説く理由には賛成することができない。

[2]第一 多数意見は、国家公務員法(昭和40年法律第69号による改正前のもの。以下、国公法という。)98条5項および110条1項17号の各規定が憲法28条に違反する旨の上告論旨を排斥するにあたり、右国公法の規定は、解釈上これに特別の限定を加えなくても憲法の右規定に反するものではないとし、この点につきさきに憲法違反の疑いを避けるために限定解釈を施すべきものとしたいわゆる全司法仙台事件の当裁判所判決(昭和41年(あ)第1129号同44年4月2日大法廷判決・刑集23巻5号685頁)と相反する見解を示している。この多数意見の説くところは、基本的には右判決における少数意見を若干ふえんし、かつ、詳述したにとどまるものと考えらるが、これを要約すると、
(1) 公務員は全体の奉仕者であり、その職務内容は公共性をもつているから、公務員の争議行為は、その地位の特殊性と職務の公共性に反し、かつ、その結果多かれ少なかれ公務の停廃をもたらし、国民全体の利益に重大な影響を及ぼすか、またはその虞れがある。
(2) 公務員の勤労条件の決定は、私企業の場合と異なり、労使間の自由な取引に基づく合意によつてではなく、国会の制定する法律と予算によつて定められるという特殊性をもつているが、公務員が争議行為の圧力によつてこれに影響を及ぼすことは、右の決定についての正常かつ民主的な過程をゆがめる虞れがある。
(3) 公務員の争議行為の禁止については、これに対応する有効な代償措置制度が設けられている。
というに尽きる。しかし、右の理由は、いずれも公務員の争議行為を一律全面的に禁止し、これをあおる等のすべての行為に対して刑事制裁を科することの合憲性を肯定するに十分な理由とすることはできない。すなわち、

[3]一、憲法15条2項の、公務員が国民全体の奉仕者である旨の規定は、主として、公務員が特定の政党、階級など国民の一部の利益に奉仕すべきものではないとする点に意義を有するものであつて、使用者である国民全体、ないしは国民全体を代表しまたはそのために行動する政府諸機関に対する絶対的服従義務を公務員に課したものという解釈をすることはできない。このような解釈は、国民全体と公務員との関係をあたかも封建制のもとにおける君主と家臣とのそれのような全人格的な服従と保護の関係と同視するに近い考え方であつて、公務員と国との関係を対等な権利主体間の法律的関係として把握しようという憲法の基本原理と相容れないものである。のみならず、公務員の地位の特殊性を強調する右の考え方は、勤労条件の決定に関する公務員の労働基本権、とくにその争議権に対する制約原理としてよりも、むしろ、その否定原理としてはたらく性質のものであつて、公務員についても基本的には憲法28条の労働基本権が認められるとする多数意見自体の説くところと矛盾する契機をすらもつものである。すなわち、このような考え方のもとでは、たとえば、公務員の争議行為のごときは、一種の忠誠義務違反として、それ自体を不当視する観念を生じがちであり、この観念を公務員一般におし及ぼすことは、原則として、すべての国民に基本的人権を認めようとする憲法の基本原理と相容れず、とくに憲法28条の趣旨とは正面から衝突する可能性を有するものである。それゆえ、公務員の争議権を制限する根拠を国民全体の奉仕者たる地位の特殊性に求めるべきではないというべきである。
[4] 次に、公務員の職務内容が原則として公共の利益に奉仕するものであり、公務員の職務懈怠が公務の円滑な運営に支障をもたらし公共の利益を害する可能性を有することは、多数意見のいうとおりであり、これが公務員の争議行為を制限する実質的理由とされていることは、なにびとも争わないところである。しかし、このことから直ちに、およそ公務員の争議行為一切を一律に禁止し、これをあおる等のすべての行為に刑事制裁を科することが正当化されるとの結論を導くことには、明らかに論理の飛躍がある。すなわち、公務の円滑な運営の阻害による公益侵害をもつて争議権制限の実質的理由とするかぎり、このような侵害の内容と程度は争議行為制限の態様、程度と相関関係にたつべきものであつて、たとえば、形式的には一時的な公務の停廃はあつても、実質的には公務の運営を阻害する虞れがあるといいえない争議行為までも一律に禁止し、これをあおる等の行為に対して刑事制裁を科することが正当とされるいわれはないといわなければならない。国の事務が国の存続自体を支える固有の統治活動、すなわち、軍事、治安、財政などにかぎられていた時代においては、これに従事する者も限定されていた反面、それらの者による公務の懈怠が直ちに国家社会の安全に響く虞れがあり、したがつて、そのような理由からこれらの者の争議行為を全面的に禁止することにも合理性があることを否定できなかつたとしても、近代における福祉国家の発展に伴い、国や地方公共団体の行なう事務が著しく拡大し、その大部分が一般福祉行政や公共的性質を有する経済活動となり、これに従事する者も飛躍的に増加して、全公務員の相当部分を占め、しかも、これらの公務員が全勤労者の加でも相当大きな割合を形成するに至つた今日においては、公務の内容、性質もきわめて多岐多様であるとともに、その運営の阻害が公共の利益に及ぼす影響もまた千差万別であつて、そのうちには、公益的性質を有する私企業の業務の停廃による影響とその内容、性質においてほとんど区別がなく、むしろ、後者の方がその程度いかんによつては、国民生活に対してより重大な支障をもたらす虞れのある場合すら存するのである。したがつて、これをらすべて公益侵害なる抽象的、観念的基準によつて一律に割り切り、公務員の争議行為を、その主体、内容、態様または程度などのいかんにかかわらず全面的に禁止し、これをあおる等のすべての行為に刑事制裁を科するようなことは、とうてい、合理性をもつ立法として憲法上これを正当化することはできないといわなければならない。

[5]二、公務員に対する給与は、国または地方公共団体の財源使用の一内容であるから、公務員の勤労条件のいかんは、国などの財政、ことに予算の編成と密接な関連を有し、したがつて、その決定につき、国会または地方公共団体の議会の監視または承認を経由する必要があることは、多数意見の説くとおりである。しかし、このことから、右の勤労条件の基準がすべて立法によつて決定されることを要し、その間に労使間の団体交渉に基づく協定による決定なるものをいれる余地がないとする結論は、当然には導かれないし、憲法上それが予定されていると解すべき根拠もない。憲法73条4号は、内閣が法律の定める基準に従い官吏に関する事務を掌理すべき旨を規定しているが、それは、国家公務員に関する事務が内閣の所管に属することと、内閣がこの事務を処理する場合の基準の設定が立法事項であつて政令事項ではないことを明らかにしたにとどまり、公務員の給与など勤労条件に関する基準が逐一法律によつて決定されるべきことを憲法上の要件として定めたものではなく、法律で大綱的基準を定め、その実施面における具体化につき一定の制限のもとに内閣に広い裁量権を与え、かつ、公務員の代表者との団体交渉によつてこれを決定する制度を設けることも憲法上は不可能ではない。したがつて、公務員の勤労条件が、その性質上団体交渉による決定になじまず、団体交渉の裏づけとしての団体行動を正当とする余地がないとすることはできないのである。もつとも、公務員の勤労条件の抽象的基準をすべて法律によつて定めることは、憲法上可能であり、わが国においては現にこのような立法政策がとられ、国家公務員法や公務員給与関係諸法律などによつて、公務員の勤労条件の基準に関し詳細な規定が設けられ、しかも、公務員団体に対し団体交渉権が認められているとはいえ、団体協約締結権は否定され、団体交渉により勤労条件が決定される余地や範囲はきわめて狭く、したがつて、公務員の争議権は、団体交渉権の裏づけとしての意味に乏しく、この点において私企業労働者の場合に比し大きな相違が存することは、これを認めなければならない。しかしながら、公務員の争議権が、その実質的効果の点において大きな制約を受けざるをえないからといつて、団体行動による影響力の行使を全く認める余地がないとか、これを全面的に禁止し、これをあおる等のすべての行為に対して刑罰を科しても差しつかえないとの結論が当然に導かれるわけではない。公務員がその勤労条件に関する正当な利益を主張し、かつ、これを守るために団結して意思表示をし、団体交渉以外の団体行動によつて、立法による勤労条件の基準決定などに対して影響力を行使することは、その方法が相当であり、かつ、一定の限界内にとどまるかぎり、刑罰の対象から除外されてしかるべきものである。勤労者にとつて団体行動は、このような影響力行使の唯一ともいうべき手段であり、公務員の場合といえどもことは同様である。多数意見は、このような目的のもとにされる公務員の争議行為が、立法や予算の決定などについての民主的政治過程を不当にゆがめる危険があることを指摘するが、この議論は、公務員の争議行為を無制限に許した場合の弊害については妥当するとしても、およそ一切の争議行為を禁止し、これをあおる等の行為に対して刑罰を科することを正当とする理由となるものではない。換言すれば、公務員が自己の要求を貫徹するために、国民生活に重大な影響を及ぼす虞れのあるような争議行為を遂行し、かつ、これを継続するような場合には、多数意見の危惧する弊害が生ずるかも知れないが、その程度に至らないものについては、そのような弊害が生ずる虞れはなく、要は、その方法および程度の問題にすぎないのである。更に、多数意見は、政府にいわゆる作業所閉鎖(ロツクアウト)による対抗手段がないことを挙げるが、このような対抗手段は、特殊の強力な争議行為に対するそれとしてのみ意味を有するにすぎず、ロツクアウトが利用できないことは、勤労者側におけるすべての争議行為を不当とする理由となるものではない。そればかりでなく、立法や予算とは直接関係のない問題、とくに団体交渉の認められる事柄について団体行動による影響力を行使する必要がある場合も想定されないわけではないのである。このようにみてくると、多数意見の前記(2)の理由も、公務員の争議行為を全面的に禁止し、これをあおる等のすべての行為に対して刑罰を科することを正当づける理由となるものではないというほかはない。

[6]三、現行法上、公務員の勤労条件については、人事院が内閣から独立した機関として設けられ、勧告その他の活動により比較的公正な立場から公務員の正当な利益を守る、いわゆる代償措置に関する制度が設けられていることは、多数意見の指摘するとおりである。しかし、このような代償措置制度の存在は、国民生活全体の利益の保障という見地から、最少限度公務員の労働基本権を制限する場合において、文字どおりその代償として必要とされるものにすぎず、代償措置制度を設けさえすれば労働基本権を制限することができるというわけのものではない。しかも、実際上、人事院の存在およびその活動が、労働基本権の行使と同じ程度に、公務員の勤労条件に関する正当な利益を保護する機能を常に果すものとはいいがたく、とくに、人事院勧告は、政府または国会に対してなんら応諾義務を課するものではないから、政府または国会に右勧告に応ずる措置をとらせるためには、法的強制以外の政治的または社会的活動を必要とし、このような活動は、究極的には世論の支持、協力を要するものであり、世論喚起のための唯一の効果的手段としての公務員による団体行動の必要を全く否定することはできず、また、人事院の勧告の成立過程においても、勧告の内容に対する公務員の要求を表示するために同様の方法をとる場合のありうることも否定できないのである。要するに、代償措置はあくまでも代償措置にすぎず、しかも現代の代償措置制度の運用については、状況に応じた公務員の団体行動による監視、批判、要求、圧力などを必要とする場合もありうべく、単なる代償措置制度の存在を理由として公務員の争議行為を全面的に禁止し、これをあおる等の行為に対して刑罰を科することを正当化することは、とうてい、不可能であるといわざるをえない。

[7]四、なお、多数意見は、その理由中において、前記大法廷の判決が公務員の争議行為禁止およびこれをあおる等の行為の処罰規定について施した限定解釈に対し、それが法律の明文を無視し、立法の趣旨にも反するものであり、また、限定の基準が不明確であつて刑罰法視における犯罪の構成要件の明確化による保障機能を失わせ、憲法31条に違反する疑いがあると論難している。
[8] ところで、右の大法廷判決における国公法の規定の限定解釈に関する見解のうち、争議行為およびこれをあおる等の行為中、処罰の対象となるものとそうでないものとの区別の基準について、いわゆる違法性の強弱という表現を用いた部分が、犯罪の構成要件としてその内容、範囲につき明確を欠くという批判を受けたことは否定することができない。しかし、右の見解は、憲法28条が労働基本権を保障していることにかんがみ、勤労者である公務員の争議行為とこれをあおる等の行為のうち、刑罰の対象とならないものを認めるべきであるとの基本的観点にたち、その基準として、争議行為については、職員団体の本来の目的を達成するために、暴力なども伴わず、不当に長期にわたる等国民生活に重大な支障を及ぼす虞れのないものにかぎつているのであつて、いわゆる違法性の強弱という表現は、以上の趣旨で用いられたものと解されるのである。また、これをあおる等の行為についても組合員の共同意思に基づく争議行為に関しその発案、計画、遂行の過程において、単にその一環として行なわれるにすぎないいわゆる通常随伴行為にかぎり、いずれも処罰の対象から除外すべきものとするにあり、したがつて、争議行為をあおる等の行為が異常な態様で行なわれた場合および組合員以外の第三者または組合員と第三者との共謀によつて行なわれた場合は、通常随伴行為にあたらないものとしているのである。
[9] それゆえ、公務員の争議行為をあおる等の行為が右の基準に照らして処罰の対象となるかどうかは、事案ごとに具体的な事実関係に照らして判断されなければならないこととなるが、このことは、公共企業体職員または私企業労働者の争議行為が、たまたまそれ自体争議行為の禁止を内容としていない他の刑罰法規の構成要件事実に該当する場合、たとえば、いわゆる全逓中郵事件(最高裁昭和39年(あ)第296号同41年10月26日大法廷判決・刑集20巻8号901頁)のような場合に、憲法28条ないしは労働組合法1条2項の規定との関係から、労働組合の本来の目的を達成するためにした正当な行為であるかどうかにつき、事案ごとに具体的な事実関係に照らして判断されなければならないのと同様である。ただ、後者の関係では違法性阻却の問題であり、前者の関係では構成要件充足の問題であるという相違が生ずるにすぎない。
[10] およそ、ある法律における行為の制限、禁止規定がその文言上制限、禁止の内容において広範に過ぎ、それ自体憲法上保障された個人の基本的人権を不当に侵害する要求を含んでいる場合には、右基本的人権の保障は憲法の次元において処理すべきものであつて、刑法の次元における違法性阻却の理論によつて処理することは相当でなく、また、右基本的人権を侵害するような広範に過ぎる制限、禁止の法律といつても、常にその規定を全面的に憲法違反として無効としなければならないわけではなく、公務員の争議行為の禁止のように、右の基本的人権の侵害にあたる場合がむしろ例外で、原則としては、その大部分が合憲的な制限、禁止の範囲に属するようなものである場合には、当該規定自体を全面的に無効とすることなく、できるかぎり解釈によつて規定内容を合憲の範囲にとどめる方法(合憲的制限解釈)、またはこれが困難な場合には、具体的な場合における当該法規の適用を憲法に違反するものとして拒否する方法(適用違憲)によつてことを処理するのが妥当な処置というべきであり、この場合、立法による修正がされないかぎり、当該規定の適用が排除される範囲は判例の累積にまつこととなるわけであり、ことに後者の方法を採つた場合には、これに期待せざるをえない場合も少なくないと考えられるのである。
[11] 以上の点に思いをいたすときは、前記のいわゆる全司法仙台事件の判決が国公法110条1項17号の規定について前記のような趣旨で構成要件の限定解釈をしたからといつて、憲法31条に違反する疑いがあるとしてこれを排斥するのは相当でなく、いわんや、この点を理由として、右国公法の規定が解釈上これになんらの限定を加えなくても憲法28条に違反せず全面的に合憲であるとするようなことは、とうてい、許されるべきではない。

[12]第二 以上、公務員の争議権に関する多数意見の見解の不当であるゆえんを述べたが、ひるがえつて考えるに、本件の処理にあたり、多数意見が、何ゆえ、ことさらにいわゆる全司法仙台事件大法廷判決の解釈と異なる憲法判断を展開しなければならないのか、その必要と納得のゆく理由を発見することができない。
[13] 本件は、全農林労働組合による警職法改正反対闘争という政治目的に出た争議行為をあおることを企て、また、これをあおつた行為が国公法の前記規定違反の罪にあたるとして起訴された事件であり、このような争議行為が憲法28条による争議権の保障の範囲に含まれないことは、岩田裁判官の意見のとおりである。それゆえ、この点につき判断を加えれば、本件の処理としては十分であり、あえて勤労条件の改善、向上を図るための争議行為禁止の可能性の問題にまで立ち入つて判断を加え、しかも、従前の最高裁判所の判例ないしは見解に変更を加える必要はなく、また、変更を加えるべきではないのである。
[14] 憲法の解釈は、憲法によつて司法裁判所に与えられた重大な権限であり、その行使にはきわめて慎重であるべく、事案の処理上必要やむをえない場合に、しかも、必要の範囲にかぎつてその判断を示すという建前を堅持しなければならないことは、改めていうまでもないところである。ことに、最高裁判所が最終審としてさきに示した憲法解釈と異なる見解をとり、右の先例を変更して新しい解釈を示すにあたつては、その必要性および相当性について特段の吟味、検討と配慮が施されなければならない。けだし、憲法解釈の変更は、実質的には憲法自体の改正にも匹敵するものであるばかりでなく、最高裁判所の示す憲法解釈は、その性質上、その理由づけ自体がもつ説得力を通じて他の国家機関や国民一般の支持と承認を獲得することにより、はじめて権威ある判断としての拘束力と実効性をもちうるものであり、このような権威を保持し、憲法秩序の安定をはかるためには、憲法判例の変更は軽々にこれを行なうべきものではなく、その時機および方法について慎重を期し、その内容において真に説得力ある理由と根拠とを示す用意を必要とするからである。もとより、法の解釈は、解釈者によつて見解がわかれうる性質のものであり、憲法解釈においてはとくにしかりであつて、このような場合、終極的決定は多数者の見解によることとならざるをえない。しかし、いつたん公権的解釈として示されたものの変更については、最高裁判所のあり方としては、その前に変更の要否ないしは適否について特段の吟味、検討を施すべきものであり、ことに、僅少差の多数によつてこのような変更を行なうことは、運用上極力避けるべきである。最高裁判所において、かつて、大法廷の判例を変更するについては特別多数決による旨の規則改正案を一般規則制定諮問委員会に諮問したところ、裁判官の英知と良識による運用に委ねるのが適当である、との多数委員の意見により、改正の実現をみるに至らなかつたことがあることは、当裁判所に顕著な事実であるが、この経緯は、右に述べたことを裏づける一資料というべきものである。
[15] ところで、いわゆる全司法仙台事件の当裁判所大法廷判決中の、憲法28条が労働基本権を保障していることにかんがみ公務員の争議行為とこれをあおる等の行為のうち正当なものは刑事制裁の対象とならないものである、という基本的見解は、いわゆる全逓中郵事件の当裁判所判決およびいわゆる東京都教組事件の当裁判所判決(昭和41年(あ)第401号同44年4月2日大法廷判決・刑集23巻5号305頁)の線にそい、十分な審議を尽くし熟慮を重ねたうえでされたものであることは、右判決を通読すれば明らかなところであり、その見解は、その後その大綱において下級裁判所も従うところとなり、一般国民の間にも漸次定着しつつあるものと認められるのである。ところが、本件において、多数意見は、さきに指摘したように、事案の処理自体の関係では右見解の当否に触れるべきでなく、かつ、その必要もないにもかかわらず、あえてこれを変更しているのである。しかも、多数意見の理由については、さきの大法廷判決における少数意見の理論に格別つけ加えるもののないことは前記のとおりであり、また、右判決の見解を変更する真にやむをえないゆえんに至つては、なんら合理的な説明が示されておらず、また、客観的にもこれを発見するに苦しまざるをえないのである。以上の経過に加えて、本件のように、僅少差の多数によつてさきの憲法解釈を変更することは、最高裁判所の憲法判断の安定に疑念を抱かせ、ひいてはその権威と指導性を低からしめる虞れがあるという批判を受けるに至ることも考慮しなければならないのである。
[16] 以上、ことは、憲法の解釈、判断の変更について最高裁判所のとるべき態度ないしあり方の根本問題に触れるものであるから、とくに指摘せざるをえない。


 裁判官色川幸太郎の反対意見は、次のとおりである。
[1]一、多数意見は、要するに、非現業国家公務員(以下公務員という。)については一切の争議行為が禁止されるのであり、これをあおる等の行為をする者は、何人であつても、刑事制裁を科せられるものであるとし、その旨を規定した国家公務員法(昭和40年法律第69号による改正前のもの、以下国公法という。)110条1項17号は、これに何らの限定解釈を施さなくても合憲であるというのであるが、私はこれに決定的に反対である。その理由としては、当裁判所大法廷の都教組事件判決(昭和41年(あ)第401号同44年4月2日大法廷判決・刑集23巻5号305頁)及び仙台全司法事件判決(昭和41年(あ)第1129号同44年4月2日大法廷判決・刑集23巻5号685頁)(但しこれに付した私の少数意見と抵触する部分を除く。)にあらわれた基本的な見解を引用し、これをもつて私の意見とする。なお、多数意見に含まれる若干の論点について、私のいだいた疑問を開陳し、反対理由の補足としたい。

[2]二、多数意見は、公務員の争議行為が何故に禁止されなければならないか、という理由については、縷縷、言葉をつくして説示しているのであるが(私もその所説については必ずしも全面的に反対するわけではない。)、要は、公務員には争議権を認めるべきではないということだけを力説しているにすぎない。しかるに多数意見は、一転ただちに、科罰の是認へと飛躍し、見るべき論拠をほとんど示すことなく、およそ、争議行為の禁止に違反した場合、これに懲役刑を含む刑罰をもつて臨むことを、争議権制限に伴う当然の帰結とするもののごとくであつて、私としては到底納得できないのである。
[3] 思うに、争議行為を制限しまたは禁止する立法例は現に数多く存在する。ひとり公務員の場合だけではない。しかし禁止違反に対し、ただちに、懲役を含む刑罰を加えるべきことが規定されているのは、他に例を見ないところである。公労法17条は、公共企業体の職員や郵政その他国営企業の現業公務員及びそれらの組合の争議行為を禁止し、このような禁止された行為を共謀し、そそのかし若しくはあおる等の行為は、してはならないと定めており、その点で国公法98条と趣旨を同じくしているのであるが、その違反者は、解雇処分を受けることがあるにすぎず、禁止の裏付けとなる罰則は全く存在しないのであるから刑罰に処せられることがない(電電公社その他各企業体にはそれぞれの事業法があり、そのなかには不当に業務を停廃したことに対する処罰規定もおかれているが、これは個別的な秩序違反行為を対象としたものであつて、争議行為に適用されるものではないと解する。)。公共企業体の職員や国営企業の現業公務員に対して争議行為を禁止するのは国民の福祉を擁護するためであるから、国公法が公務員に対し争議行為を禁止する趣旨との間に、格段の径庭があるわけではない。それであるから、公務員の争議権が制約されなければならない理由を単に積み重ねただけでは、科罰の合理性を論証したことにはなりえないであろう。

[4]三、もつとも多数意見がその点に全くふれていないわけでもない。いま、多数意見のいうところから理由づけと見るべきものを求めると(1)公務員の争議行為は広く国民全体の共同利益に重大な障碍をもたらす虞れがあること、そして(2)あおり等の行為をした者はかかる違法な争議行為の原動力または支柱であること、の2点であろうか。しかし、いずれを取りあげても、科罰の合理性につき人をして首肯せしめるには、ほど遠いもののあることを感ぜざるをえない。
[5] 刑罰を必要とする第一の、というよりはむしろ唯一の、理由は、争議行為が国民全体の共同利益に重大な障碍をもたらす虞れがあるから、というところに帰着する。しかし、一口に公務員といつても、国策の策定や遂行に任ずる者もあれば、上司の指揮下で補助的な作業にあたつたり、あるいは単純な労務に従事するにすぎない者もあり、その業務内容や職種は千差万別である。のみならず、争議行為のために多かれ少なかれ公務の停廃を見るとしても、争議行為の規模や態様には幾多の段階やニユアンスの差異があるのであつて、国民全体の生活に重大な障碍をもたらすか、またはその虞れがあるような争議行為は、過去の実績に徴しても、極めて異例であるといつて差支えない。国民生活上何らエツセンシアル(これについては後にふれる。)でない公務が、ごく小範囲の職場において、しかも長からざる期間、争議行為によつて停廃を見たとしても(公務員労働関係における大半の紛争状態はまさにこれである。)、国民は多少の不便不利益を蒙るだけである。もともと、労働組合の争議行為は使用者に打撃を加えて己れの主張を貫徹しようとするものであるが、企業は社会から弧立した存在ではないから、そこにおける業務の阻害は第三者にも影響を与えないわけにはいかない。その企業が運輸とか医療とかの公益事業であると、業務の停廃による直接の被害者はむしろ一般公衆である。かくのごとく、第三者も争議行為によつて迷惑を蒙ることを免れないが、それが故に争議行為を全く禁止し、または争議行為によつて第三者の受けた損害を当該労働組合などにすべて負担せしめては憲法28条の趣旨は全うされないことになるであろう。その意味で第三者はある程度の受忍を余儀なくされるのであり、公務員の場合でも本質的には変るところがないというべきである。
[6] 多数意見の立論の基礎は、国民全体の共同生活に対する重大な障碍を与えるという点にあるのであるから、前述のごとき、国民に対し多少の不便をかけるにすぎない軽微な争議行為については、これに刑罰をもつて臨まないとするのが、論理上当然の筋合ではないかと思うのであるが、何故に多数意見は、事の軽重や、国民生活に対する影響の深浅などをすべて捨象度外視して、公務員による一切の争議行為に対し、刑罰を科することを無条件に是認しようとするのであろうか。限定解釈をしてはじめて憲法上科罰が許されると考えている私の到底同調できないところである。

[7]四、つぎに多数意見は、「公務員の争議行為の禁止は、憲法に違反することはないのであるから、」「この禁止を侵す違法な争議行為をあおる等の行為をする者」は、原動力を与える者としての重い責任が問われて然るべきであり、「違法な争議行為の防遏」のためにその者に刑事制裁を科することには「十分の合理性がある」とする。しかしながら争議行為の禁止が違憲でないからといつて、禁止違反に対し刑罰をもつて臨むことまでも、憲法上、当然無条件に認められるといことにはならない。憲法は争議権の保障を大原則として宣言しており、公務員もその大部分はかつてその保障下にあつたのである。その後にいたり、国民の福祉との権衡上、やむをえざる例外として制約されるにいたつたものであると解せられるから(多数意見もこの点は同じ見解をとるものであろう。)、禁止違反に対して科せらるべき不利益の限度なり形態なりは、憲法28条の原点にもう一度立ち帰り、慎重の上にも慎重に策定されなければならないのである。争議行為禁止が違憲でないが故に禁止違反にはいかなる刑罰を科しても差支えない、という説をとるとすれば、これは論理的にも無理というものではあるまいか。多数意見の立論は、公務員の争議行為を禁止することこそ憲法の要請であり、至上命令だというような途方もない前提(多数意見は憲法15条を論じて公務員の地位の特殊性を説くが、さすがにかかる議論にまでは発展していない。)でもとらないかぎり、破綻せざるをえまい。

[8]五、さらに、多数意見は、あおり等の行為を罰することに十分の合理性があるという。しかし、いうところの合理性とは「争議行為の防遏を図るため」の合理性、すなわち、最少の労力をもつて最大の効果をえようとする経済原則としての合理性に近似したもののように見受けられる。いいかえれば、憲法28条の原則に対する真にやむをえない例外である科罰が、いかなる合理的な根拠に基づいて容認されるか、という意味での合理性ではなく、それとは全く縁もゆかりもない刑事政策ないしは治安対策上の合理性をいうもののごとくである。
[9] わが国にはかつて、争議行為の誘惑、煽動を取り締る治安警察法17条という規定があり、これを活用した警察が、明治、大正にわたり、あらゆる争議行為の防遏に美事に功を奏したことがある。当時と異なり争議権の保障のある今日、よもや立法者がその故智先蹤にならつたわけではあるまいが、禁止に背いた違法な争議行為に対処するにあたり、参加者全員を検挙し断罪するのは煩に堪えないばかりでなく、単なる参加者よりも社会的責任の重いいわば巨悪を罰すれば、付和随行の者どもは手を加えるにいたらずして争議行為を断念するであろうという計算があつたのかも知れない。もしそうだとすれば、争議対策としてはなるほど合理的ではあろう。しかしこの考え方は、憲法の次元を離れた。憲法的視野の外にある、便宜的、政策的なもので、もとより採ることは許されない。

[10]六、多数意見は、あおり等の行為に出た者は、争議行為の原動力をなす者であるから、「単なる争議行為参加者にくらべて社会的責任が重く」、したがつてその責任を問われても当然だという。これを裏返していえば、単なる争議行為参加者にも、刑事責任追及の根拠となる社会的責任がないわけではない、ただ原動力を与えた者に比べると軽いだけである、とする主張が底流をなしている。多数意見も、別の個所で、違法な「争議行為に参加したにすぎない職員は刑罰を科せられることなく」と述べてはいるが、それは現行法のあり方を説明したにとどまり、憲法上そうでなければいけないのだという趣旨はどこからも窺うことができない。いまもし現行法が改正されて、単なる争議行為参加者をもことごとく処罰するということになつたと仮定した場合、多数意見の立場からは、これをどう受けとめるであろうか。恐らくは、かくのごとき改正も国会みずからが自由にきめうるところであるとし、その規定を適用することに何の躊躇をも示さないことになるのではあるまいか。

[11]七、上述のように、単なる争議行為参加者は処罰されることがないのであるが、これは区区たる立法政策に出たものと解すべきではない。もしそれをしも処罰するとなれば、ただちに違憲の問題を生ずるであろう。いわゆる争議行為参加者不処罰の原則は憲法28条との関係において確立されているのである。あおり等の行為の意義も、右の基本的な立場に立脚してはじめて正しく理解することができると考える。
[12] これに対し多数意見はもとより見解を異にするわけであるが、それにしても、単なる争議行為参加者を処罰するものでないことは、多数意見の容認するところである。しかし、あおり等に関する多数意見の解釈はあまりにも広く(多数意見のように、憲法28条に立脚せず、それとの関係を無視ないし閑却するかぎり、恣意的な解釈で満足するのであれば格別、厳密な態度での合理的な限定解釈を施すことはできる筈がないのである。)もしそれによるとすれば、後に述べるように、単なる争議行為参加者も処罰の脅威を感ぜざるをえなくなるのであつて、多数意見の立論の根拠たる原動力論、すなわち違法な争議行為の原動力をなす者だけを処罰するのだという理論も実は看板だけにしかすぎないことになりおわるのである(多数意見は、わざわざカツコ書きにおいて、単なる機械的労務を提供したにすぎない者、またはこれに類する者はあおりその他の行為者には含まれないとことわつているのであるが、これは争議行為が組合員自身によつて形成され遂行されるものであるという現実を無視した空論なのである。およそ争議行為は、組合員すべてが自己の判断に基づきそれぞれが主体的な立場に立つて参加し行動するのが通例であつて、例えば、末端組合員が普通担当することになるであろうビラの配布、貼付、指令の伝達などにしても、選挙運動の際の日雇労務者などに見られる単なる機械的な労務の提供とはその質を異にする。)。
[13] 国公法110条1項17号によつて罪となる行為には、以上の他に、「そそのかし」と「共謀」とがあるが、これらの行為類型のどれひとつ取りあげても、もし多数意見にならつて文字通りに解釈するとすれば、自由意思に基づいて争議行為に参加し、共闘するところのあつた組合員は、たとえ平組合員であろうとも刑事責任を追及されかねないことになる。なぜならば、平組合員と雖も、いわゆる総けつ起大会に出席し、執行部のスト提案に熱烈な声援を送つて組合員の闘志を鼓舞したとすれば「あおり」にちがいないし、スト宣言文書やアジビラを積極的に職場その他に貼つたり、撒いたりしたときは「そそのかし」に該当しないとはいいきれない。そればかりではない。組合の争議行為意思の形成に進んで参加し、また、争議手段についての討議に加わる(これは組合による闘争の場合必ず通過する過程である。)ことが、果して「共謀」でないといいうるかどうかさえ疑問になりはしないか。
[14] もしかかる設例が必ずしも想定できないわけでないとすれば(争議の実情に鑑みると決してありえないことではない。)、指導的立場において原動力たる役割を演じた組合の中枢部だけでなく、ある程度積極的ではあれ、結局は単なる争議参加者にしかすぎなかつた者を、徹底的に検挙することすら易易たる業となるのである。もし仮にそういう事態が生じたとすれば、これは原動力理論を主張する論者にとつてさえ、恐らく不本意ではあるにちがいない。多数意見も「法は公務員の労働基本権を尊重しこれに対する制約、とくに刑罰の対象とすることを最小限度にとどめようとしている」と説いているのであるから。
[15] もちろん、普通の紛争に見られる程度の事情においては、かかる不合理な結果を来たすような処理はなされないであろうが、法律による何の歯止めもなく、あげてそのことを捜査機関の良識ある裁量に俟つのみとあつては、多数意見の強調する原動力理論も宙に浮く結果となるであろう。

[16]八、多数意見は、ILO98号条約をひいて、それが公務員に適用されないことをあげ、また、ILO結社の自由委員会の報告中に、「大多数の国において」公務員がストライキを禁止されている旨の記述があるとして、当該個所を引用し、公務員の争議行為に対する制約は、国際的にも是認されるものだと主張する。
[17] なるほど98号条約の第6条には、多数意見の引用にかかるような定めのあることは事実であるが、1971年に発足したILOの公務員合同委員会(これは日本を含む16の政府及びそれぞれの国の労働者側からなる二者構成の公的な専門委員会である。)の第1回会議(同年3月22日ないし4月2日開催)におけるジエンクスILO事務局長の開会演説は、「現在多くの国において、公務員の労働関係に変化が生じており、勤務条件は労使の話合いを通じて決定される傾向がある」ことを指摘しており、また、右委員会における討議の結果採決された決議第1号は
「1949年の団結権及び団体交渉権についての原則の適用に関する条約(第98号)が、「公務員の地位を取り扱うものではない」と規定しているにもかかわらず、すでに若干の国においては、公務員は同条約の規定の全部又は一部の恩恵を受けているということを認識し
 公務員は、98号条約の定めるところに従い、労働組合活動の自由を侵害するいかなる行為に対しても適切に保護されるべきであることを考慮し」
と述べているのである(なお同条約第6条の英文テキストには、アドミニストレーシヨンに従事するパブリツクサーバンツとある。これは日本訳にいう「公務員」よりもはるかに狭いものがありはしないか。現にILOの条約勧告専門委員会は、1967年に、公務員の概念は各国の法律制度の相違に応じてある程度異なるにしても、公権力の機関として行動しない公務員を含まないとの趣旨の報告を提出している。本件では直接この点を問題にするわけではないが、多数意見のいうところが拡張して解釈される虞れもあるので指摘しておく次第である。)。
[18] さらに、公務員のストライキを禁止している国が、果して世界の大多数を占めているかどうか、またそうだとしても、そのことの示す意味については問題があると考える。なるほど、数だけからいえば、いまだ少なからざる国が公務員のスト禁止法を存しているが、しかし、その大部分は開発途上国か、そうでなくとも農業国なのである。先進工業国としては、僅かにわが国のほか、アメリカ、オランダ、スイスをあげうるにすぎない。しかも、以前から公務員に対するしめ付けのきわめて厳しいアメリカにおいてさえ、近時いくつかの州において禁止を解く立法がつぎつぎに制定されつつあるのである。
[19] もつとも問題の核心は、実は、その点にあるわけではない。本件においてわれわれが特に関心をもたざるをえないのは、禁止違反に対する刑罰規定の有無なのである。この種の規定が、殊に先進国において、果してどれだけあるのか、多数意見は何らふれるところがない。いうところは、単に禁止立法が多くの国に存在しているとしているだけである。本件をいやしくも国際的視野に立つて検討するのであれば、刑罰を裏付けとする公務員のスト禁止立法の状況にこそ目をくばるべきであろう。

[20]九、わが国はいまだ批准していないけれども、人も知るとおりILO105号条約は、同盟罷業に参加したことに対する制裁としての強制労働を、何らの留保をも加えることなく、一般的に禁止している。もつとも、ILO52回総会(1968年)に提出された専門委員会の報告は、「右条約案を審議した総会委員会において、一定の事情の下ならば違法な同盟罷業に参加したことに対して刑務所労働を含む刑罰を科することができるという合意ができたという事実を考慮することが適当」だと述べているのであるが、この見解には概ね異論がないらしい。それ故、仮に右条約を批准しても(わが国の政府が批准を躊躇しているのはその点を懸念するためでもあろうか。)、国公法110条1項17号なども右条約には抵触しないとする見解もあるようである。しかし、前示専門委員会が刑罰を容認するのは、「エツセンシヤル」すなわち「必要不可欠な役務」についてのみなのである。そして、「必要不可欠」とは、同委員会によれば、「その中断が住民の全部又は一部の存在又は福祉を危うくするような」場合をさしていることを忘れてはならない。
[21] のみならず、結社の自由委員会は、12号事件において、アルゼンチンでの、スト禁止違反に対する刑事制裁規定につき
「委員会は、公安にかんする(アルゼンチンの)法規に含まれている、ストライキにたいし、これらの規定を適用する必要性をこれまで見出せなかつた旨の(アルゼンチン)の政府陳述に留意するとともに、これらの規定を、職業上の利益を増進擁護するため、労働組合の指導者が自己の通常の任務を遂行した場合に、これに対しては適用することはできないような態度で、上記諸規定を改正することが望ましい旨、(アルゼンチン)政府の注意を喚起するよう、理事会に勧告する。」
と述べている。さらに、55号事件において(これはギリシヤに刑法上のストライキ処罰規定があることを問題にした申立事件である。)、労働者側の申立を却下はしているのであるが、その理由は、右の刑法の規定が今まで実際には適用されたことがなかつたことに「留意」したからであつて、スト禁止違反に対し刑罰を科することをたやすくは是認しないという態度を示しているのである。
[22] 要するにILOの一般的傾向としては、公務員のスト禁止違反に対し刑罰特に懲役を科することには甚だ消極的なのである。
[23] 飜つて、各先進国の現行法制を見ると、アメリカにおいてこそ、連邦公務員のスト禁止違反に対し1000ドル以下の罰金又は1年と1日以下の拘禁もしくはこれを併科するという罰則があるけれども、イギリス、ドイツ及びフランスでは、警察官などについては格別、普通の公務員については、ストライキを禁止する規定がそもそもないのであるから、もとより刑罰の脅威が存在するわけではない。
[24] 以上を通観するならば、世界的な潮流は、多数意見の説くところとおよそ方向を異にするものということができるであろう。多数意見は、自らが「国際的視野」に立つているというのであるが、そうであるとしても、わずかに楯の一面を見たにすぎないのではあるまいか。
[25]一、原判決の認定するところによると、被告人らは、昭和33年10月、内閣が警察官職務執行法の一部を改正する法律案を衆議院に提出したとき、これに反対するために(一)時間内職場大会を開催すべき旨の指令を全国の支部、分会に発出したほか(二)農林省庁舎前において勤務時間内2時間の職場集会を計画、同省職員に参加方を慫慂し、かくして争議行為をあおつたというのである。そうである以上、この行動は、国会に労働組合の意思を反映せしめ、立法過程において前記改正の動きを阻止しようとしたのであるから、政治的目的に出たものというべく、そして、集会実施中は、時間は長くないにしても、管理者の意思を排除し、一斉に勤務を放棄するというのであるから、世にいう政治ストにあたるわけである。
[26] しかし、政治ストというのは俗称にすぎず、純然たる政治的目的のための労働組合の統一行動は、たとえそのために業務の阻害を来たしても、労働法上の争議行為たるストライキとは異質なものなのである。例えば、診寮報酬の改訂を要求するための医師会のスト(一斉休診)や、入浴料金据置反対のための浴場業者のストなどは、いかなる意味でも争議行為ではないのであるが、いわゆる政治ストも本質的にはこれらと同様であり、法律改正阻止のための、すなわち国会の審議に影響を及ぼし、かつ政府(この場合は統治機関たる政府であつて、使用者たる政府ではない。)に反省を促すための「スト」は、労働法上の争議行為ではないのである。したがつて、労働組合の行動ではあるが、争議権の行使ではなく、憲法28条の関知せざるところというべきである。
[27] もとより、憲法28条の保障を受けないからといつて、それだけの理由で、右の「スト」がただちに違法になるものではない。このことは、あえて憲法21条を引合に出すまでもなく、明らかであろう。大体、労働組合には政治行動をなすについて労働組合なるが故の特別の保障がないだけであつて、一般に組合に対し政治行動が禁止されていると解すべき何らの理由もないからである。
[28] もつとも、国家公務員については、私企業の労働者の場合と異なり、政治的行為制限の規定(国公法102条)があるが、それをうけて政治的行為の細かい内容を定めた人事院規則には憲法上疑義なしとしないのであつて、右の規定だけに依拠して一切の政治行動が禁圧されているとするのは相当ではない。それにまた、公務員労働組合の法律改正反対運動が議会制民主主義に反するときめつけることにも問題がある(多数意見は、公務員の勤務条件は国会の制定した法律、予算によつて定められるのであるから、勤務条件について公務員が争議行為を行なうことは議会制民主主義に反するという。医師の団体や農業団体が、立法の促進や法律改正の反対などを目的として、国会や政府に強力な圧力をかけていることは日常われわれが見聞するところである。歓迎すべき風潮ではないとしても、当事者としては生活権擁護上やむにやまれずしてとる行動であるかも知れず、また一方、これを禁止する法規があるわけではないから、いうまでもなく合法的行為なのである。労働組合としても別異ではない。労働組合は、本来、使用者との間において、労働条件の維持改善を図ることを主たる目的として結成され、発達してきたのであるが、今日の高度経済成長の時代においては、使用者との角逐に全力をそそぐ必要が次第に少なくなり、さらに広い視野に立つての物心両面における生活の向上に努力する傾向が顕著となつた。労働組合のこの機能の変化は、労働者の生活と意識の変化の反映であり、アメリカ型のビジネスユニオンにおいてさえ、単なる賃上げ組合の域にとどまることはできないのである。したがつて、労働組合が、企業の内部にのみ局せきすることなく、進んで、行政や立法に自らの意思を反映せしめようとするのはまさに時代の要請であり、まことに当然のことなのである。労働組合が国会の審議に影響力を及ぼそうとすること自体は、越軌な行動に出るものでないかぎり、国会の機能に直接、何の障碍をも与えるものではないから、非難に値するわけではあるまい。むしろ考えようによれば、国の最高機関として民衆と隔絶した高きにある国会に、民意のあるところを知らしめることは、議会制をして真の民主主義に近づかしめる方法でもあろう。)。労働組合の政治的行動を一概に否定し排撃することは、労働組合が現に営んでいる社会的役割ないし活動を無視するものというべきである。
[29] もとよりそれだからといつて、公務員労働組合の政治的行動がすべて適法だというつもりはない。この点は別個に考察されなければならない。公務員労働組合によつてなされた本件におけるような態様の政治的行動がいかなる法律的評価を受けるものであるかは、憲法15条及び21条と国家公務員法との比較考量によつてきめられるべきことである。しかし、国家公務員に対する政治活動の規制とは全く関係のない訴因、罰条をもつて起訴されている本件においては、これ以上、立ち入つた考察をする必要はないと考える。

[30]二、いわゆる政治ストが労働法上の争議行為ではないというためには、労働法上、争議行為とは何かということを解明することが必要であるし、国公法98条5項で禁止されている争議行為(5項前段は全体として争議行為を禁止しているものと解する。「政府の活動能率を低下させる怠業的行為」も、広義における争議行為の一部である。これを争議行為と別異なものであるとする説もあるけれども、条文上かくのごときまぎらわしい表現になつているのは、占領下における立法過程に通有の、占領軍が作成し日本政府に押しつけた粗雑なドラフトに屈従した結果と見るべく、要するに立法上のミスであつて、後述する判決中で私が詳述した沿革に徴するときは、上述したところ以外の合理的解釈は考えられないのである。)が、労働法上争議行為とよばれるものと同じであることを論証しなければならないのであるが、この問題については、私がかつて詳しく論じたところ(仙台全司法事件大法廷判決中の私の意見刑集23巻5号715頁以下)であるので、これを引用する。
[31] 結局、原判決には、法律の解釈を誤つた違法があり破棄を免れないというのが私の結論である。
[32] 最後に、一言付加したいことがある。多数意見は、仙台全司法事件についての当裁判所の判例は変更すべきものであるとしたのであるが、法律上の見解の当否はしばらく措き、何よりもまず、憲法判例の変更についての基本的な姿勢において、私は、多数意見に、甚だあきたらざるものあるを感ずるのである。この点に関しては、本判決に、裁判官田中二郎、同大隅健一郎、同関根小郷、同小川信雄、同坂本吉勝の剴切な意見が付せられており、その所説には私もことごとく賛成であるので、その意見に同調し、私自身の見解の表明に代えることにする。

(裁判長裁判官 石田和外  裁判官 田中二郎  裁判官 岩田誠  裁判官 下村三郎  裁判官 色川幸太郎  裁判官 大隅健一郎  裁判官 村上朝一  裁判官 関根小郷  裁判官 藤林益三  裁判官 岡原昌男  裁判官 小川信雄  裁判官 下田武三  裁判官 岸盛一  裁判官 天野武一  裁判官 坂本吉勝)
  目 次
はしがき
第一点 原判決は憲法第21条の解釈、適用をあやまつているので破棄を免れない
第二点 原判決の憲法第28条及び憲法第31条違反――4・2判決の憲法判断回避に関連して
第三点 原判決は憲法第28条に違反し、破棄を免れない
第四点 原判決は憲法第31条に違反し、破棄を免れない
第五点 原判決は憲法第28条に違反し、破棄を免れない
第六点 原判決は国公法第98条旧五項、同法第110条第1項17号の解釈、適用をあやまり、高等裁判所の判例に反し、破棄を免れない
第七点 4・2判決適用上の諸問題
  その一 警職法闘争は「労働組合の本来の目的を逸脱し」たものではない
第八点 4・2判決適用上の諸問題
  その二 ピケツトが争議行為に通常随伴するものであることについて
第九点 4・2判決適用上の諸問題
  その三 訴因第二の事実に関する原判決の重大な事実誤認及び証拠に基づかない事実認定について
第十点 原判決は憲法21条、同28条、同31条の解釈を誤るもので破棄を免れない。
[1] 原判決は明かに昭和44年4月2日言渡最高裁判所大法廷昭和41年(あ)第401号地公法違反事件判決(以下、4・2都教組判決と略称することもある)同日言渡昭和41年(あ)第1129号国公法違反事件判決(以下4・2安保事件判決、或いは安保6・4判決等と略称する。両者合せて4・2判決と呼ぶ)と法令の解釈に於て相違するものである。従つて、原判決の右4・2判決違反、及び4・2判決の法令の解釈を本件事実にどの様に適用するかが、本件上告審に於ける課題であることは云うまでもあるまい。
[2] しかしながら、4・2判決は原判決の宣告後、半年余後に言渡されたものであるから、原判決の4・2判決違反は適法な上告理由とならない。
[3] 従つて適法な上告理由としては、憲法違反及び高裁判決違反をあげざるを得ないけれども、又原判決宣告当時の全てい中郵事件判決を指導的判例として立論せざるを得ない。
[4] しかしながら4・2判決の理論が如何に本件に適用されるかが、大きな問題であることに鑑み、右適用に当つての、留意すべき事項として、警職法闘争の法律上の評価、ピケツトの争議行為における通常随伴性等に付てあらかじめ若干の主張をしておく。しかし、これらの点は検察官の答弁乃至主張をまつて、弁護人としてはその主張をするのが相当な問題であるので、本上告趣意書に於ては、一応の主張をするにとどめておく事とする。
[5] 本件において、憲法第21条の解釈、適用は二重の意味において決定的な重要性をもつていると考えられる。その第一は、「あおり」行為等、表現の自由に属する行為を独立犯として処罰する法規と憲法21条との関係であり、第二は、本件における職場大会が原判決によつて「政治スト」と認定されていることと憲法21条との関係である。以下、そのそれぞれについて分説することとする。

(一) 昭和30年11月30日最高裁大法廷判決を引用していることについて
[6] 原判決は国公法110条1項17号が憲法21条に違反する旨の控訴趣意に対し、昭和30年11月30日最高裁大法廷判決をひいて、21条違反でないことは何ら疑義はないと云い切つている。弁護士は敢て原判決の右の判断は、憲法21条の解釈、適用をあやまつたものとの主張をするものである。
[7] 4・2安保事件判決も此の点に関する主張に付て、原判決と同じく昭和30年11月30日付大法廷判決を引用して、罰則を限定的に解釈して適用する限りに於て、右規定が憲法21条に違反するものでないことは更に明白であるとのべている。
[8] 右引用の昭和30年11月30日付大法廷判決は、言論の自由も無制限ではなくて、公共の福祉により制約されることは当然であるとして、警察官等に対して怠業をあおることが公共の福祉に反するから、そのあおりを処罰することは憲法第21条に反しないと云うにすぎないものである。その判断は、公務員を一挙に全体の奉仕者とし、抽象的な公共の福祉論によつて、刑事制裁を容認した古い理論の基礎の上に立つものである。
[9] 憲法28条に付ても、全体の奉仕者論、抽象的な公共の福祉論によつて労働基本権の制限、及び刑事制裁を合理化して来たのが古い理論であつた。
[10] 昭和39年(あ)第296号郵便法違反事件判決(以下全逓中郵事件判決と云う)は、公労法17条1項が憲法28条及び18条に違反しないと判断するにあたつて、昭和26年(あ)第1688号大法廷判決、及び昭和24年(れ)第685号事件大法廷判決を引用していることは公知の通りである。これらの大法廷判決が、古い抽象的公共の福祉論に基くものであり、争議権の制限及び処罰にあたつて、国民全体の利益との個別的、具体的な比較、衡量によるべきものとした前記全逓中郵事件判決の構成の中で、古い抽象的公共の福祉論の遺物として残つた感があつた。処が、今回の4・2都教組判決をみると、此の古い大法廷判決の引用は姿を消して、争議行為の禁止及びあおり等の処罰に付て、制限解釈をすることにより、その憲法28条の上での合憲性を認めたのである。法益の個別的比較、衡量の原則は一般的に4・2判決に於て貫徹した筈である。
[11] 処が憲法21条の面では未だに、此の古い抽象的公共の福祉論に基いて、合憲性を立論する根拠はどこにあるのだろうか。今や、憲法21条の面に於ても、全体の奉仕者論、抽象的公共の福祉論より脱却しなければならない時である。

(二) 表現活動に該当する行為
[12] 本件のように、職場大会への参加を呼びかけたことが、「あおり」行為であるとされる場合は呼びかけ自身が言論活動であり、憲法21条の保障のもとにあるものである。それと同時に、右の職場大会自体が警職法改悪反対の意思の表明であるから、労働組合としての表現活動であると解することができる。即ち、労働組合も一個の組織体として、或いは社会的存在として表現活動をすることが出来る。その表現活動は労働組合の性格上、社会的存在としての組合の表現活動であると同時に組合員全員の表現活動であることが理念的に要請される。抗議の意味をもつた表現活動である場合には益々組合員大衆が意欲的に右表現活動に参加し、「組合員自身のもの」としてなされることが要請されるのである。
[13] 此の労働組合としての表現活動が勤務時間中の職場大会と云う形式を以てなされる場合は、一定時間の職場抛棄、外見的には争議行為に該当することとなる。従つて、表現活動としてなされた争議行為が憲法21条の上でどの様に評価され、その「あおり」行為の処罰が憲法21条の上でどの様に評価されるかが問題である。

(三) 表現の自由の保障の意味するもの
[14] 日本国憲法では、表現の自由は国民の自由権に含まれるものとされ、社会権とならんで、基本的人権とされている。
[15] 而して、基本的人権の限界乃至規制の根拠は、他人の人権との矛盾、衝突の調整であり、此の調整の原理は公平の要請、しかも実質的公平の原理であるとされている。(宮沢「憲法」II200頁以下)
[16] 此の原則的な問題に付ては、現在略々争がないことと思われるし、此の観点にたてば、憲法21条によつて保障される表現の自由と憲法28条によつて保障される勤労者の団結権の間には優劣はないものと見なければならない。
[17] しかも、表現の自由は他の自由権、社会権に比して優越的な地位をしめているとの見解が最近強くなつてきている。これは各国憲法の根幹をなす議院制、選挙制が表現の自由を基礎にして形成されている所からくるものと云われている。
[18] アメリカ法の判例研究に基いて、芦部教授は
「言論思想の自由の優越的地位の理論が認められるようになつてからは、修正1条の自由を制限する法律を支持する側が「極めて強い正当化の理由の存在」を現実的に、事実上の基礎を示して証明しなくてはならなくなつた。……この要請に応えるものとして、明白かつ現在の危険、厳格解釈の原則、事前抑制の理論、漠然不明確による無効の理論などとともに、挙証責任の転換が判例法上認められたのである」(清宮記念論文集憲法の諸問題、内、合憲性推定の原則と立法事実の司法審査、508頁)
とのべている。即ち、表現の自由の優越な地位が一般的に承認されていること、従つてこれを制限する法律には合憲性推定の原則が存在しないこと、その合憲性を主張する側で、その制限が正当である所以を現実的な、事実上の基礎を示して証明しなければならないことを説いているのである。此の道理は日本国憲法のもとに於ける憲法判断にも当然あてはまると考えてよいであろう。
[19] 国公法110条1項17号の規定を合憲とすべき理由について、原判決(および4・2判決)が引用する最高裁判例には、抽象的公共の福祉論しかあげられておらず、これをもつて合憲性が立証されたとは到底いうことができないのである。かりに、全逓中郵判決以降、争議行為と刑罰の関係について採用されてきている可罰的違法性の理論を、この項での問題との関連で用いるとすれば、「あおり」行為の対象となる争議行為自体に可罰的違法性が存在しかつその「あおり」行為に可罰的違法性ありと立証し得る特別の場合のみが、刑罰の対象となり得ることとなるのであつて、抽象的一般的に、公共の福祉を理由とする制限違反に科刑することは許されないと解される。
[20] 原判決は、
「争議行為中特に、政治的目的のために行なわれるいわゆる『政治スト』については、既に中郵判決が、公労法の適用を受ける公共企業体等の現業職員に対してさえ、憲法28条に保障された争議行為としての正当性の限界を逸脱するものとして刑事制裁を免れないとしているのであるから、いわんや、これらの職員に比しその職務が公共性の強いと認められる国家公務員について、『政治スト』が刑事制裁を免れないのは理の当然であるといわなければならない」(第二部(二))
としている。
[21] この判断は、前節の末尾にふれた、「あおり」行為の対象となる争議行為が可罰的違法性ありとする趣旨のものであると考えられる。しかしながら、右の判断は、以下にふれるように誤まりである。

(一) 公共性の差を論拠に用いることはできない。
[22] 国家公務員をいわゆる現業と非現業に分け、非現業公務員一般に、より高度の公共性ありとする考え方は、後述(第三点、憲法28条論)で詳論するように、全逓中郵判決の誤解ないし歪曲にもとずくものである。ひとしく公務員といつても、その職種に多様性があることを看過した議論であるからである。
[23] しかも、公共性の差を論拠とする以上、その職務の停廃によつて国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあることが、国公法98条旧5項による争議行為禁止の立法目的であることを前提とするものでなければならず、そうであれば、国民生活全体の利益を害し、重大な障害をもたらすおそれのない争議行為は、国公法98条旧5項の禁止の対象となつていないと解すべきこと、後述第三点(憲法28条論)でも詳論する通りである。
[24] そうであれば、原判決の右に引用した部分は、つまるところ、『政治スト』が可罰的違法性ありとされた場合には、憲法28条の保障によるいわゆる刑事免責をうけることができず、その意味で刑事制裁を免れないとする趣旨を述べているにすぎず、「政治スト」に可罰的違法性ありとする論拠も証明されていなければ、憲法21条との関係も論じられていないことは明白である。

(二) 違法性の強弱
[25] 4・2判決は所謂政治スト違法論をたて、政治ストは強度の違法性あるものとした。安保反対のための集会であれば、たとえ1時間以内の職場抛棄であっても違法性が強く、賃上げ、或いは自分の労働条件のためであれば1日の休暇闘争であつても、違法性が強くはないと云う考え方のようである。国民の感覚からは到底その合理性を支持することができない。国民の側から見れば自分たちの意思と行動と同じ立場にたつ公務員労組の行動に共感と支持を与えこそすれ、非難は感じない。従つて、経済要求のための争議に比して、安保反対の職場大会が違法性が強いと云うことが納得し得ないことは当然のことである。(一審証人 松岡洋子の証言参照)。殊に右最高裁判所の云う政治ストなるものは、学者の云う所謂「示威スト」或いは「抗議スト」と呼ぶ表現活動の部類に入るもので、安保問題、或いは沖繩問題、或いはベトナム戦争問題等、国民全体の関心のまととなつている問題に付て、国民の一員となり、その中核となつて、世論の力により、政府の方針の転換等を目的とする運動である。かかる運動である以上、国民生活全体の利益に重大な障害を及ぼすような行動はなし得ないのである。抗議スト、デモストの場合には、通常長くても数時間程度のものであり、国民の生活に影響を及ぼさないように配慮してなされることになる。このような表現活動の反射作用である業務の一時的停廃が経済ストに比して違法性が強いと非難されなければならない合理的理由は少しも見当らない。
[26] 4・2判決の前述の見解は、結局、問題を憲法28条の面よりのみ見て、憲法21条の面よりのアプローチを忘れた結果である。国民の批判は傾聴しなければならない。

(三) 憲法21条の観点よりすれば、政治的表現の自由こそ保障されなければならない。
[27] 4・2安保事件判決は、既にのべた通り
「使用者たる国に対する経済的地位の維持、改善に直接関係があるとはいえない、このような政治的目的のために争議を行なうがごときは争議行為の正当な範囲を逸脱するものとして許さるべきではなく」
と判示し、所謂政治ストが違法性が強いものとの判断をしている。而して右のような所謂政治スト違法論の理由に付て、正面から説示する所が何もない。また入江裁判官の意見が
「労働争議本来の目的と全く無関係に、例えば専ら政治的目的達成のための政治運動が争議行為の形態をとつてなされたような場合には、そのような争議行為は憲法28条の保障とは無関係なものというべきであろう」
と説示し、岩田裁判官の意見が、
「あおり行為等の対象となつた争議行為が国家公務員の勤務条件の維持改善、経済的地位の向上およびこれと関連する事項を目的とするものではなく、例えば政治的意図の達成を目的とするものであるときは、かかる争議行為は憲法28条の保障するところでない」
旨説示している。これを要するに憲法28条の保障は、労使の対抗関係に於ける労働者の労働条件に関する諸活動に限られるとするもののようである。此の見解の当否はしばらくおいて、4・2判決の「あおり」等の限定解釈の立脚点は正に憲法28条より流出するものであることは明白である。
[28] 処が憲法21条の保障は正に政治的表現の自由、殊に政府の方針と相反する政治的表現の自由の保障にその真髄があることは今さら云うまでもないであろう。
[29] 憲法21条の保障が、憲法28条の保障に比して、優位にあると云うことができても、劣位にあるとは到底云うことができないことは既にのべた通りである。処が、4・2安保事件判決は上告趣意第二点に付て
「右罰則はこれを限定的に解釈して適用する限りに於て、右規定が憲法21条に違反するものでないことはさらに明かである」
とのべている。これは憲法28条の理念に基く限定解釈をそのまま憲法21条にもちこんで合憲たらしめんと云うのであつて、まさに憲法21条の保障を憲法28条の保障のもとに従属せしめることであつて、到底正当な憲法解釈と云うことができない。
[30] かりに政治ストが憲法28条の保障の範囲外であつたにせよ、政治的表現活動こそまさに憲法21条の保障のもとにあることは前述した通りである。憲法28条の保障をうけないということは、いかなる意味においても、その行為の「違法性」を証明する理由とはなり得ず、まして「可罰的違法性」を証明するものであり得ないことは明白である。4・2判決における入江意見が、いわゆる政治ストについて「私はそのような争議行為も実定法たる国公法上の争議行為という中には包含されていると思う」ということを述べながらも、
「たとえそのような場合であつてもそのあおり行為等をした者が勤労者自身であれば、現行国公法が、その者のする右のような争議行為自体に刑罰を科さない立前であるとすれば、それとの均衡上、右あおり行為等にのみ刑罰をもつて臨むことは、それが右争議行為に通常随伴するものと認められるものである限り、憲法31条の要請から、または現行国公法の妥当な解釈の上から、許されないと解するのが相当ではないかと考える」
と述べているのは、いわゆる政治ストとそのあおり行為について、特別の可罰的違法性がないことをとらえるものと考えられる。
[31] 従つて、いわゆる政治スト違法論を用いることによつて、憲法21条違反の論点を回避することはできず、この点については原判決も、また、4・2判決も、いずれも十分な論証を欠いているといわなければならない。憲法28条に基く限定解釈が許されるとすれば、同様に憲法21条に基き、同法条の理念のもとに新たな角度よりの限定解釈がなされるべきであり、右観点よりすれば原判決ならびに4・2判決における、いわゆる政治スト違法論は、憲法21条にてらした検証を欠くものとして棄て去られなければならないのである。

(四) 政治的表現活動として見た場合の「あおり」行為等処罰の限界に付て、
[32] 基本的人権の限界が他人の人権との矛盾、衝突の調整にあることは既にのべた所である。
[33] 表現の自由についてもこのことは同様であつて、表現の自由の行使が他人の自由・利益を常に絶対に侵しえないとすることはできない。
[34] 全逓中郵事件判決、及び4・2判決が、争議権の限界を国民全体の利益の保障との具体的な比較、衡量に求めたことも原則的には理解し得る所である。此の原則は政治的表現活動の見地よりみれば、「あおり」行為の対象となつた争議行為について、国民的意見の表明活動であること、その表明内容に相応する規模態様を以てなされることが限界とされなければならない。従つてかりにその表現活動によつて、争議行為が不当に長期に及ぶなど、国民生活に重大な支障をおよぼす危険が明白で且現在する場合に、それをおして敢て表現活動とは云え争議行為の結果を招来する活動をなした場合には、限界を逸脱したものとして、その違法性は強いと評価されても止むを得ないかもしれない。
[35] 「あおり」行為をとつてみれば、これは組合の活動としてなされる表現活動であるから、4・2判決同様、争議行為に通常随伴するものと認められるものは不可罰と解すべきである。
[36] 従つてここには、政治ストだからと云う特別扱いは消滅し、そのかわりに表現活動の相当性と、国民生活に重大な支障を及ぼす明白且、現在する危険と云う限界が設定されることになる。
[37] 本件は、警職法改悪反対のための国民的大運動の一環としてなされた職場大会に関するもので、これが争議行為であるとしても、政治的表現活動としての相当性は十分保持しているものであり、国民生活に重大な支障を及ぼす現在、明白な危険もなく、且つ、職場大会がおわつた後に於て検討してみても、国民生活に重大な支障を及ぼした事実もなかつた。
[38] 従つて、かりにこれを政治ストと評価しても無限定的に国公法110条1項17号を適用した原判決ならびに4・2判決の理論に基いてこれを違法性の強い争議行為であるとして、国公法110条1項17号によつて処罰することも同時に、憲法21条の解釈、適用をあやまつたもので、憲法21条の解釈上本件の如き、政治的表現活動に右法条を適用するのは違憲と解せざるを得ない。よつて、原判決は憲法第21条違反を以て破棄せざるを得ない。
[39]一、国公法98条旧5項、110条1項17号と憲法28条の関係に付て、4・2安保6・4事件判決は、
「これらの規定が文字通りに、すべての国家公務員の一切の争議行為を禁止し、これらの争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、あおる等の行為(以下あおり行為等と云う)をすべて処罰する趣旨と解すべきものとすれば、公務員の労働基本権保障の趣旨に反し、必要止むを得ない限度をこえて争議行為を禁止し、かつ、必要最少限度にとどめなければならないとの要請を無視して刑罰の対象としているものとして、これらの規定は、いずれも、違憲の疑を免れない」
と判示しながら、憲法判断を回避して、限定解釈をしている。この限定解釈によつて、違憲判断を回避する方式が果して許されるものであろうか。

[40]二、アメリカの憲法判例を基礎に芦部教授はのべている。
「憲法判断の回避が正当化されるのは……法律の合憲性に関する判断を回避できるような法解釈が合理的に、また十分に可能な場合に限られる。そうして、合理的か否かは……法律の文言と立法目的の2つの面から判定される。従つて、裁判所は、適切な資料から立法目的および法文の意味が明確で、それによれば違憲となり、それ以外に合理的な解釈の成立する余地がない場合には、実質的に法律を書き直すような形で憲法判断を回避してはならない」。
「合憲解釈のアプローチを用いうるのは、法文上広狭二義の解釈が可能であり、かつ、法文外の資料を用いても法目的が明かでない場合、および、法文上ないし法文外の資料から明になつた立法目的に照らしても法文上可能な二義の解釈のうち、いずれが法目的に対し合理的かを特定しえない場合に限られる」(ジユリスト 370号 1967年5月15日号、芦部信喜「違憲審査権と司法消極主義」)
[41] 法文の解釈によつて、違憲判断を回避することが憲法裁判に於て往々採られていることは争がないし、又、法文の解釈によつて違憲判断を回避することができる場合にはそれを採るべきであるとするルール、法律解釈による憲法判断回避のルールすらあるといわれていることも十分承知している。しかし、此の場合に、限定解釈により違憲判断を回避できる場合にあたるであろうか。法律の文言が、限定解釈を許容しているものでないことは4・2判決自体認めている所である。しからば立法目的はどうか。4・2判決は適切な資料により立法目的を合理的にトレースしたのであろうか。4・2判決にはそのようなアプローチの形跡がない。違憲判断を回避するために「法律の規定を可能な限り憲法の精神にそくして合理的に解釈する」と云う方針があるのみである。従つて
「一律禁止や一律処罰は違憲であるといいながら、一律禁止と一律処罰を表現した実定法規定をそのままのこすということは、単にはなはだしい論理的矛盾であるにとどまらず、実定法規の違法性および可罰性限定機能を棚上げするものであつて、それ自体憲法31条に違反するものといわなければならない」(判例タイムズ 234号 中山研一「公務員の争議行為と刑事罰」)
との批判を免れないのである。片岡昇教授(同じ判例タイムズ所載「最高裁4・2判決と公務員の争議権」)野村教授(法律時報1969年6月号、「4・2判決と最高裁の姿勢」)も同趣旨の批判を行つている。
[42] 最高裁はすべからく、一律禁止、一律処罰の右規定に違憲の判断をなすべきである。
[43] 罪刑法定主義の重要な側面として、刑罰法規の明確性があることは、否定できない。刑罰法規の明確性により、国民は、行為時に於て、当該行為の刑罰法規該当性の有無を判断することが出来、そこに該当行為の有責性が生ずるのである。
[44] 処で本件の場合を考えてみよう。地方公務員、或は国家公務員らの争議行為は何れも地公法61条4号、国家公務員法110条1項17号の「あおり」行為等の一律処罰、及び争議行為等の一律全面禁止の違憲無効の確信のもとに行われたもので、各種の地方公務員法違反被告事件、国家公務員法違反被告事件に於て、被告人らの此の点に関する主張、確信に於ては何等の差がない。ただ、その目的、態様、職種に於て当然若干の差があつたにすぎない。
[45] 処が4・2判決の争議行為の限定解釈、及び「あおり」行為等の限定解釈によつて、一部のものが有罪、一部のものが無罪になつたのであるが、この差は行為時に於ては何等意識されなかつたものである。殊に所謂政治スト違法論に至つては、前記国公法、地公法の法律の規定からは、どうしても導き出されるものではない。いわば、最高裁判所が国会にかわつて、新たに政治スト処罰法とも云うべきものを立法したにひとしい。「あおり」の処罰に関する解釈に付ても同様で「第三者処罰法」とも云うべきものを立法したに等しい。これらは、結局憲法31条に照らし、刑罰法規の保障機能を著るしく破るもので違憲と云わざるを得ないであろう。
[46] 処で4・2判決は全逓中郵判決を踏襲して、争議行為の制限に付ての必要、最少限の原則を認め、結局国民全体の利益の保障との比較、衡量と云う立場を採つていることは再三のべた所である。従つて、「あおり」行為の処罰に付ても、原則的に云えば、国民全体の利益の保障との比較衡量によつてその限界が制されることになる。かかる比較衡量は量的なものを質に転化させるのであるから、複雑、微妙であつて本来構成要件の解釈としてはなじまないものである。4・2判決の限定解釈に基いて、「あおり」行為の処罰を決定するとすれば、行為時に於ては明確でなく、裁判を通じ、此の比較衡量が具体化され、はじめて「あおり」行為等の処罰に該当するか否かがきめられることとなる。
[47] これは刑罰法規の明確性を要求する憲法31条の原則と完全に矛盾するものである。此の国民生活全体の利益の保障との比較、衡量すると云う立場は争議行為の一律禁止、あおり行為の一律処罰とは正面から矛盾する立場であつて、労調法35条の2の緊急調整に於て、法文上も明文を以て現れている。調整制度と結びつく立場である。
[48] 以上のべた通り、限定解釈によつて、国公法、地公法の前記条項の合憲性を保持しようとすることは、結局、刑罰法規の明確性、及び保障機能をふみにじることになり、その実質に於て、裁判所による新たな立法にひとしいこととなる。
[49] 争議行為の一律禁止、あおり行為等の一律処罰の違憲性は明白である。最高裁判所は速やかにその違憲判断を下して、憲法の趣旨に合致した新たな立法は国会にゆだねるのが相当である。
[50] 原判決は、国公法98条旧5項と憲法28条との関係について、
「およそ国公法第98条旧第5項……が同法の適用を受ける非現業の国家公務員……の一切の争議行為を禁止していることは明白であり、これは国家公務員の公共的性格上当然と解すべきである」(第二部(一))
と述べ、
最高裁大法廷による全逓中郵事件判決が公労法17条1項が「違憲無効ということはできない旨を判示し、更に国家公務員と右の現業職員とを比較し、前者の方が公共性の強いことは疑いをいれない旨を判示しているのであるから、国家公務員の争議行為を禁止している国公法第98条旧第5項が憲法第28条に適合する点については、いささかも疑問の余地がないといわなければならない」(第四部(一))
とその理由を説明している。
[51] しかしながら右の判断は、憲法28条に違反する。なぜなら、公務員についても憲法28条の適用があること明白である以上、
「実定法規によつて労働基本権の制限を定めている場合にも、労働基本権保障の根本精神にそくしてその制限の意味を考察すべきであり、ことに生存権の保障を基本理念とし、財産権の保障と並んで勤労者の労働権、団結権、団体交渉権、争議権の保障をしている法体制のもとでは、これらの両者の間の調和と均衡が保たれるように、実定法規の適切妥当な法解釈をしなければならない」(全逓中郵判決)
のであつて、その観点を全く欠落しているからである。
[52] 右の観点をとれば、
「公務員の職務の性質・内容は、きわめて多種多様であり……いちがいにその公共性を理由として、これを一律に規制しようとする態度」(東京都教組事件大法廷判決)はきわめて問題である。なぜなら、「公務員の職務は、一般的にいえば、多かれ少なかれ、公共性を有するとはいえ、……公共性の程度は強弱さまざまで、その争議行為が常に直ちに公務の停廃をきたし、ひいては国民生活全体の利益を害するとはいえない」(同右)
からである。この理をわきまえずに、単に、現業か非現業かという合理性のない分類により、かつ、現業に比して非現業公務員の公共性が高いとする根拠のない予断をもつて憲法28条に違反しない旨の結論をみちびき出した原判決の誤まりは明白である。
[53] また、一切の争議行為が禁止されていることを合憲とみる原判決は、
「ひとしく争議行為といつても種々の態様のものがあり、きわめて短時間の同盟罷業または怠業のような単純な不作為のごときは、直ちに国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な支障をもたらすおそれがあるとは必ずしもいえない」(同右判決)
理を看過したものである。この点においてもまた、憲法28条に違反するものであることは明らかである。
[54] 原判決は、国公法110条1項17号について、争議行為の一律全面的禁止が憲法28条に違反しないとする前述の誤つた判断を基礎としながら、次のように判断している。すなわち、
「国家公務員につき争議権の行使が禁止されている現状に照らせば、その発生を防止すべきは当然であるところ、争議行為の共謀、そそのかし行為、あおり行為等の指導的行為は、争議行為の原動力、支柱となり、これを誘発する危険性のあるものであるから、その反社会性、反規範性、有害性において、争議の実行行為そのものよりも違法性が強く、可罰の必要があると解すべきであり、又、かく解しても何ら合理的根拠に欠けるものではない。」
したがつて本件1審判決のように「憲法違反となる結果を回避するため特に『あおる』行為等の概念を縮少解釈しなければならない必然性はない」としている(第二部(二))。
[55] しかしながらこの判断は、争議行為の全面的一律的禁止を合憲とする「現状に徴」して(第二部(一)、第四部(一)は、何れも現状を強調する)のみ成り立つ議論であつて、前述のように、かかる現状が憲法28条に違反することが明白である以上、「あおり」行為等についての右の判断もまた、憲法28条に違反すること明白である。つまり、
争議行為を一律全面的に禁止したうえで、それらの争議行為の「あおり」行為等の「すべてを処罰する趣旨と解すべきものとすれば、それは、前叙の公務員の労働基本権を保障した憲法の趣旨に反し必要やむを得ない限度をこえて争議行為を禁止し、かつ必要最小限度にとどめなければならないとの要請を無視し、その限度をこえて刑罰の対象としているものとしてこれらの規定は、いずれも違憲の疑を免れない」(都教組事件判決)
からである。
[56] 以上の2点のいずれから考察してみても、原審判決が、全逓中郵事件判決を誤解、歪曲したものであり、憲法28条に違反するものであることは明白であつて、破棄を免れないと解する。
[57]一、原判決は「あおり」行為等の概念の不明確性、及び争議行為の実行が不可罰であるのに、その「あおり」等が可罰とされることの刑罰規定上の不合理さに基く、憲法31条違反の主張に対し、「あおり」行為等の概念内容は明確であるのみならず、「あおり」行為等処罰は争議行為の原動力処罰であり、合理性があるとして、憲法31条違反の主張を排斥している。われわれは、再度最高裁判所に対し同趣旨に基く主張をなし、これに対する判断を求めるものである。
[58] 既に4・2安保事件判決は此の点については、国公法110条1項17号に云う「共謀」「そそのかし」「あおり」の解釈をして、これを以て構成要件が「内容が漠然としているとはいいがたい」とのべているが、そのような解釈をしても、不明確性はなくならないことを指摘したい。
[59] 尚右判決は「違法な争議行為につき、その前段階的行為であるあおり行為等のみを独立犯として処罰することは、政策的に妥当といえるかどうかは別論として、必らずしも不合理とはいいがたく」とのべているがこれは争議行為ならびにあおり行為等に付て各々限定解釈をし、それにより、あおり行為の処罰の合理性を導き出そうとしているもののようであるが、かかる限定解釈により、違憲性を回避することが更に憲法31条に反する問題については別にのべることとする。此所では、4・2判決は原判決以後の判決である点に鑑み、全逓中郵判決を基礎とした議論をなさざるを得ない。
(1) 「共謀」
[60] 都教組二審判決は「共謀」について、
争議行為の「企画、立案、討議、決定はそれ自体違法行為の共謀行為として処罰の対象となるものである。ところがそれが組織の中において組織の意思決定という形をとつて民主的になされるために、法律が最も処罰の対象として重視する、これらの共謀行為を犯罪事実として把握することが困難な場合さえありうる」
と述べているだけで、積極的にその解釈を明らかにしていない。しかし争議行為が民主的な組織的意思決定によつてなされるという実態に即して事実を見るとき「共謀」を犯罪事実として把握することが困難であることを認める他はなかつたということだけを指摘しておきたい。それは、「共謀」という罪となるべき行為が、極めて不明確であり、曖昧であることの自認に他ならないからである。
[61] 直接「共謀」の解釈に触れた大教組判決は
「刑法上の所謂共謀共同正犯のそれと別異のものと解すべきものとは考えられない。即ち、それは2人以上の者が……争議行為等を行うため共同意思の下に一体となつて互いに他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をなすこと(昭和33年5月28日最高裁大法廷判決)をいうものであつて、単なる意思の連絡では足りないが、必しも明示的になされる必要はない。」
と解すべきであるとしている。これに対し、和教組一審判決は
「争議行為実行の意思をもつて、その実行方について共通の意思決定を行うことをいう。」
とし、群教組判決も
「2人以上の者の間で違法行為の実行について事前の謀議(協議)を成立させることをいう。」
と、極めて簡単な判示に止つている。他方、福岡教組一審判決は、
「講学上或いは判例上に通常用いられている『共謀』の概念中より、一般参加者たるに止まる者による共謀を除き、それ以外の者による。そして何らかの意味でかかる一般参加者の行為に比しより重要な役割を認められる共謀を意味する。」
として限定的な解釈を行なつていた。この福岡教組一審判決は、「一般参加者たるに止まる者を処罰の対象から除外している趣意に鑑み」て、このような限定を加えたというのであるが、その趣意は、「共謀」以外の「そそのかし」「あおり」「企て」にも及ぶ筈であるのにこの態度を一貫していない。そればかりでなく、「一般参加者とそれ以外の者」を、又、「一般の共謀と、より重要な役割を認められる共謀」を区別する客観的合理的基準を求めることは事実上不可能という他はないのである。
[62] 4・2安保事件判決は、大教組事件判決と同じ解釈をしている。

(2) 「そそのかし」
[63] 都教組二審判決は、「そそのかし」とは、
「違法行為を実行させる目的をもつて人に対し、その行為を実行する決意を新たに生ぜさせるに足りる慫慂行為」
であるといい昭和29年4月27日最高裁第3小法廷判決の判示によつており、爾余の判例も殆ど同様の解釈をとつている。ただ、福岡教組第一審判決のみは、「そそのかし、あおり」が「せん動」であるといい、
「『そそのかし』はせん動のうち実行の決意を新たに生ぜしめる行為を意味し、『あおり』はせん動のうち既に生じている実行の決意を助長する行為を意味する」とし「『せん動』は『勢のある刺激を与える』とか『中正の判断を失して……』」とかいう要素を含むものであるから、相手方の感情に訴える方法により決意を創生もしくは助長せしめることを意味する」
という特殊な解釈をとつている。この福岡教組一審判決は「そそのかし」と「あおり」との区別を明確ならしめようとする解釈態度を示すものとして注目されるのである。4・2安保事件判決は都教組二審判決と同じ解釈をとつている。

(3) 「あおり」
[64] 都教組二審判決は、「あおり」は「煽動」と同議であるとし、
「特定の行為を実行させる目的をもつて、文書、図書または言動によつて、他人に対しその行為を実行する決意を生ぜしめるような、または、すでに生じている決意を助長させるような、勢いのある刺戟を与えることをいう」
と判示している。この点は(2)で触れた福岡教組第一審判決を除くその余の各判決も略々同様である。原判決及び4・2安保事件判決も同じ解釈をとつている。
[65] ところが、「あおり」に関する各定議、特に「勢いのある刺戟」という点について、「あおり」を感情にうつたえる方法による行為であるとする都教組一審判決、群教組判決、京教組判決(福岡教組一審判決も同様)と、必しも感情にうつたえる方法のみに限定されるものではないとする都教組二審判決、和教組一審判決、岩教組判決原判決とが鋭く対立している。しかしこの点に関し4・2安保事件判決は触れる所がない。
[66] この点は、「あおり」を「そそのかし」とどう区別するかという重要な問題にかかわるので、後に項をあらためて詳論することにしたい。

(4) 「企てる」
[67] 大教組判決は、
「共謀し、若しくはそそのかし、又はあおる行為の準備をすることをいい、単にこれらの行為の実行を決意したのみでは足りないが、その決意の存在が実行に向けられた外部的行為によつて認識し得る状態に達すれば足りる」
とし、高知北川教組、群教組の両判決が、「共謀、そそのかし、あおる行為の準備をすることをいう」としているのもおそらく同趣旨であろう。
[68] 以上の3判決の見解は、
「実行行為の準備をすることをいい、実行行為の未遂は勿論予備の段階をも含む。」
という本件一審判決を併せてみると、その趣旨がより徹底するのではなかろうか。原判決も此の解釈に付ては概ね一審判決通りである。
[69] 福岡教組一審判決は、
「そそのかし、若しくはあおりという言論表現活動そのものではなく、それを企てるというさらに間接的な行為まで処罰の対象とする趣旨と解される」
とし「明白且つ現在の危険の基準」に照らし違憲の疑いがあるとさえしている。
[70] ところが、これ程問題を含んでいる「企て」について、4・2安保事件判決は何等の言及もしていない。
[71] 以上、判例を中心に4種の行為の定義を概観したのであるが、裁判所を異にする毎に、その解釈は区々であり、その定義自体がいかに困難であるかということが知られ、これだけからみても構成要件として不明確であるという譏を免れ得ないといい得るのである。
[72] しかし、4種の概念を概念として確定することは、それ自体不可能と断ずることはできないであろうが、その定義に従つて、争議行為が現実に行われる場合に通常生起する事態を正確にその4種の概念を用いて、把握するということ(特に不可罰的な争議行為そのものをとり込まないようにそれらを規定し運用すること)はおそらく不可能であるといつて差支えないと思われる。
[73] 国公法110条1項17号の不明確性を端的に指摘するため、主要な問題の2、3を挙げて検討を加えることにしたい。

[74]三、国公法110条1項17号が、処罰の対象として挙げているのは、国公法第98条旧5項に規定する違法な行為、(争議行為及び怠業的行為の遂行を「共謀し、そそのかし、若しくはあおり、またはこれらの行為を企てる」という4種の行為)に限定されている。
[75] したがつて、争議行為等を現実に行つたということ、いわばその実行行為に対して、刑事罰が加えられることはない。このことは特に論ずるまでもないところであり、全逓東京中郵事件の大法廷判決が「単純に争議行為を行つた者」に対しては刑事制裁を課せられることがないとしたのもその趣旨を明らかにしたものと解される。
[76] この、いわゆる実行行為不可罰は別に論ぜられるように憲法第28条、第18条の要請にもとずくものというべきであるが、構成要件の不明確性を明らかにするためには、必しもその結論に俟つ要はない。
[77] ここでは、国公法第110条1項17号が処罰の対象から除外している争議行為の実行行為者と、争議行為遂行を「共謀、そそのかし、あおり、企てた」者との限界が明確に画されるかどうかということを考察すれば足るからである。
[78] 争議行為は決して個々の労働者(職員)の個別的行為ではなく、労働者の団体=組合の行為である。争議行為をやろうとする組合の意思は、組合の構成員の全員の意思にもとずいて民主的に決定される。
[79] 争議行為が行なわれるときには、必ず事前に争議行為を行なうべきであるという意見が個別的に表明され、組織的な討議を経て、やがて組織としての意思決定がなされる。このように、組織的意思決定がなされるまでの過程は勿論のこと、その決定にもとずいて争議行為が実施され、争議行為が継続されている期間を含めて、争議行為の終結に至るすべての段階において、組合各機関で争議行為に関する討議が反覆され、「争議をやろう」「争議実施に賛成しよう」「争議に加わろう」「争議を続けよう」といつた意見表明がなされ、説得がなされ、慫慂が行われる。組織が民主的であればあるだけ、このような討議は最も広汎にしかも徹底的になされる。この種の討議は、組合の正式な機関においてなされるだけでは決してない。争議は利害の対立する使用者(当局)との間の闘争という異常な場における行動であり、つねに相手方からの攻撃にさらされながら展開されるもので、そこでは最も強固な団結が要請され、組織の構成員はしばしば生活のすべてを闘いに賭けるといつても過言ではない。始業前、終業後、勤務の休憩時、休日といつたあらゆる時間に、そうして、あらゆる機会に争議行為に関する話題がとり上げられ討議、説得、慫慂が繰返えされるのである。このようなあらゆる話合いの中で、或いは対抗する使用者(当局)の非を糾弾し、或いは、労働者としての自覚に愬えるなど、説得、慫慂を効果あらしめるように種々の修飾を加えた表現がなされることはいうまでもない。
[80] 争議行為を実施しようとする程の組織において、組織の構成員の大多数に、積極的な表現活動が見られるのでなければ争議行為は決して現実性をもち得るものではない。
[81] このようにして、争議行為が実行される限り、そこには構成員の全員に争議行為の遂行の「共謀」が存するといつてよいであろうし、少くとも争議行為の実行に加わつた組合員の全員について「共謀」の成立を認めざるを得ないであろう。又「そそのかし」「あおり」に該当する行為を行なわなかつた組合員を見出すことは不可能であるといつて過言ではないのである。
[82] その上、国公法第110条1項17号については、刑法の共犯規定の適用があるという見解(本件においても共謀共同正犯の訴追がなされている)をとれば、それぞれについて、共同正犯、教唆、幇助が問題とされることになる筈であり、処罰の対象は極めて広汎なものとなる。
[83] 結局、国公法第110条1項17号を、字義通り、争議行為の主体である団体の構成員をも含む「何人に」対しても適用されるものと解する限り、それは必ず争議行為参加者の全員に対して処罰をもつて臨むという結果を招来することにならざるを得ない。
[84] これでは、国公法第110条1項17号が、争議行為の実行行為者を処罰しないとする趣旨を全く失われてしまう。
[85] 本件一審判決が「争議行為に通常不可分な随伴行為」を除くとのべ、都教組一審判決が「争議行為に通常随伴する行為」を除き、和教組二審判決が「争議行為に必要不可欠か、または通常随伴するいわばその構成分子と考えられ、広い意味において、争議行為の遂行と同等の評価を受ける行為」を除き、更に、京教組判決が「争議行為の目的完遂のために必要不可欠か、もしくは争議行為に通常随伴する行為であつて、その手段、方法等において、正当性の限界を超えないもの」を除くというやり方で「あおり」の概念を限定し、福岡教組一審判決が「一般参加者たるに止まる者による共謀」を除くというやり方で「共謀」の概念を限定しようとした重要な契機が争議行為の実行行為者を処罰しないとする国公法第110条1項17号の意図を全うせしめようとする点にあつたことは右各判決によつて明らかである。4・2判決も「争議行為に通常随伴する行為」を除くと判示するに至つたのも正に同趣旨である。
[86] しかし、これらの判決の努力にもかかわらず、依然として、構成要件として明確かどうかという問題は解決しない。何をもつて「争議行為に必要不可欠といい、通常随伴というか」ということは不明確であり、何をもつて「一般参加者たるに止まる」と見るかということが明確ではないからである。
[87] 争議行為の実態を踏まえて、国公法第110条1項17号の規定を考えるとき、処罰さるべき「共謀、そそのかし、あおり、企て」行為と、処罰されない争議行為の実行行為の限界を明確に画することはできないのである。
[88] 所詮、国公法第110条1項17号の構成要件は不明確であるという他はないのである。

[89] 次ぎに問題となるのは「企て」である。
[90] 国公法第98条旧5項後段は「何人も、このような違法な行為を企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおつてはならない。」と規定しているが、同法第110条1項17号にいう「企て」は「遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおり」にかかるのであつて、決して、争議行為等を「企て」ることを意味するものではない。
[91] つまり、国公法第98条旧5項と同法第110条1項17号を対比するとき、「争議行為の企て」が処罰の対象から除外されていることは明らかである。
[92] ところが原判決は「あおる等の実行を計画する行為があれば直ちに『企てる』罪が成立する」という。すなわち、原判決は「あおりの計画」は「争議行為等の企て」ではないというらしい。そうすると、原判決は一体、処罰の対象となる筈のない「争議行為等の企て」をどう解釈するというのであろう。原判決の何処にもその解釈は明示されていない。これでは、処罰される争議行為のあおりの計画と処罰されない争議行為等の企てとの限界が明確になされているとはいい難い。
[93] とにかく、「争議行為等の企て」という行為概念を明確にとらえることなしに、国公法第110条1項17号の構成要件を明確ならしめることはできないのである。
[94] 「企て」という概念が、既述の判例のいうとおりであるとすると、「争議行為等の企て」というのは「争議行為等の準備をすることである」ということになると思われるが、これは極めて広汎な、しかも漠然とした概念であり、原判決の右判示からもうかがえるように、争議行為等の遂行の「共謀、そそのかし、あおり」との限界を画することは容易ではない。まして「共謀の企て」「そそのかしの企て」「あおりの企て」との関係をも含めて考慮しなければならないということであつてみれば、論理的な操作自体も極めて困難なことであろう。それよりも、より一層困難なことは、既に前に指摘した争議行為の実態の下で、その概念を適確に駆使することができるかどうかというところにある。ここでは、三において述べた争議行為の実態の外に、争議行為というものは、それを実施しようとする労働者団体にとつて、目的ではなく要求獲得の一手段でしかないという点をも指摘しておかなければならない。というのは「争議行為等の企て」と「争議行為等の遂行の共謀の企て」等を「遂行」ということころに着眼して区別しようとする見解があり得るかも知れないからである。
[95] 元来、争議行為は労働組合等の団体が有利な労働条件の獲得その他の要求を達成(目的)するための手段であつて、争議行為の実施それ自体を目的とするものでは決してない。むしろ、いかなる場合においても争議行為はその相手方たる使用者のみならず、その実施主体にとつても、回避こそが望ましいのである。いいかえれば、争議行為はそれを実施するという態勢を整えることにより、その威力によつて相手を屈伏せしめることができればそれをもつて足るという性質をもつているのであつて、争議行為を発起するものも、その実施に賛成する者も、争議行為に関与するすべての者が本来の要求の実現をこそ願え、何が何でも争議行為を行なわなければと考える者はないのである。更にいえば、争議行為は、それがいよいよ実施に移される迄の間は、つねに「かくかくの条件が充されるのでなければ」という、主として相手方の態度如何という未確定の条件によつて、その実施の如何が決せられるものであり、その条件の内容は争議がある種の取引手段であるところから、外部に明示された条件内容と一致するとは限らない。むしろ、多くの場合、明示された条件とは下廻る内容でもつて争議が妥結に至るというのが通例である。
[96] こういう争議行為の実態をみるとき、争議行為の「遂行」ということを、争議行為の実行という結果から切離して考えようといつても無理である。ところが、国公法第110条1項17号の構成要件は、いわゆる独立犯の規定であり、争議行為が実行されたかどうかということは、犯罪の成否に関係がないというのが通説的見解とされている。この見解に立つて、現実の現象を見る限り「争議行為の準備」と「争議行為の遂行の準備」を区別しようといつても到底区別のできようはない。「遂行」という文言に重要な意味を認めようというような発想は決して客観的合理性をもつことはできないのである。
[97] 「争議行為等の企て」争議行為等の遂行の「共謀」及び「共謀の企て」「そそのかし」及び「そそのかしの企て」「あおり」及び「あおりの企て」という7種の概念を用いて、争議行為が実施される場合のすべての過程に通常見受けられる事象を適確に分類することができるであろうか。おそらく、事実の一側面を断面的にとらえて観念的に事を論ずるのであればいざ知らず、(実はそれさえもできないと思われる)一箇の事実として評価さるべき生の事象をとらえて、「争議行為等の企て」を処罰対象としないという趣旨を生かそうとすれば、「共謀、そそのかし、あおり、企て」を適用する余地は極めて異常な事態でも想定しない限り皆無に近いことになるであろうし、逆に処罰さるべき「共謀、そそのかし、あおり、企て」を広く解するとすれば、罪とならない「争議行為等の企て」と目すべき事実が殆んど皆無ということになるであろう。
[98] (原判決は、「あおり」についての共謀共同正犯を認定しており、国公法第110条1項17号については、刑法総則の共犯規定の適用があるとしている。そうすると、「共謀、そそのかし、あおり、及びそれらの企て」についてそれぞれ共謀共同正犯を含む共同正犯、教唆犯、幇助犯が考えられることになる。しぜん、「共謀の共謀(共同正犯)」とか「そそのかしの教唆」といつた類型が生れるばかりでなく、「共謀の企ての共謀」とか、「そそのかしの企ての教唆」といつた奇妙な類型も生ずる筈であり、とても収拾のつかない事態に陥るに違いない。)
[99] 要するに、処罰の対象とならないことの明らかな「争議行為等の企て」という概念との関係において、地公法第110条1項17号の構成要件は極めて不明確であるといわざるを得ないのである。

[100]四、国公法第120条1項7号の定める4種の行為概念を検討する中で触れたように「そそのかし」と「あおり」の区別の問題を考えることにしよう。
[101] 福岡教組一審判決のように割切れば、「そそのかし」と「あおり」の区別は一応明らかであるといえようが、「あおり」には、犯意のない者に犯意を生ぜしめるいわば教唆類似の場合と、すでに犯意を生じている者についてその犯意を強固ならしめるいわば幇助類似の場合の2種を含むとするのが通説的見解と見られる。
[102] したがつて、問題は、教唆類似の「あおり」と、「そそのかし」との区別如何というところにある。
[103] この両者を区別するため、専ら対象者の数に着目し「そそのかし」は「少数」「特定」「少数又は特定」の者に対する行為であり、「あおり」は「不特定又は多数」の者に対する行為であるとする見解も見受けられるが、こうした見解は、「そそのかし」に関する昭和39年4月27日最高裁第3小法廷判決、「あおり」に関する昭和37年2月21日最高裁大法廷判決の各判示に照らして容れられるべくもない。「不特定、多数」に対する「そそのかし」及び「特定、少数」に対する「あおり」が全くあり得ないというような解釈は到底成り立つものではない。
[104] 「あおり」と「そそのかし」の両者は、控訴審に於て詳論した通り感情にうつたえるか、理性にうつたえるかということによつて区別するほかはないのである。
[105] この点について、原判決は「あおり」について
「刺戟である以上感情に作用することはいうまでもないが、ただ感情を興奮、高揚させることではなく、違法行為実行の決意に影響力のある刺戟であるから、意思作用を動かす面での強い刺戟である。」
という。これでは切角「あおり」の定義に「勢のある刺戟を与える。」という字句を用いた意味が全くなくなつてしまい、「そそのかし」との区別は全く不可能となつてしまうのである。
[106] 岩教組判決が
「あおり」と「そそのかし」の「両者の厳密な区別は、限界的事件については、容易でなく両者を強いて区別することは、かえつて不自然を招くこととなり、むしろ両者は重り合う概念である」
と告白せざるを得なかつたのは当然というべきである。しかし、「重なり合う概念」を認めるということは、それが構成要件としての機能を果し得ないということを承認することに他ならないのである。
[107] 「あおり」と「そそのかし」の両概念の区別は、前者を理性にうつたえるものとし、後者を感情にうつたえるものとしてはじめて可能となるのであり、この差異を無視する解釈がとられる限り、構成要件としての明確性を欠くに至ることは明らかである。

[108]五、最後に国公法第110条1項17号の規定が、極めて不合理であり憲法第31条に違反するという弁護人らの主張に対して、合理的であるということをいうために原判決が原動力論をとり、「争議行為の原動力となる指導的行為を処罰するのであるから合理性に欠ける所はない」とした点について、構成要件の不明確性という観点からの考察を加えておくことにしたい。
[109] この点については、全逓東京中郵事件判決も傍論として、
「その趣旨は、一方でこれらの公務員の争議行為は公共の福祉の要請によつて禁止されるけれども、他方でこれらの公務員も勤労者であり、憲法によつて労働基本権を保障されているから、この要請と保障を適当に調整するために単純に争議行為を行つた者に対しては、民事制裁を課するにとどめ積極的に争議行為を指導した者にかぎつて、さらに刑事制裁を課することにしたものと認められる。」
とし、和教組一審判決も、
争議行為を「企画し、説得し、指示、指令する等、争議行為の原動力となるものは、組合幹部である。」「組合の幹部として、その争議行為を指導したものについては責任を負わせるという考え方」を基底とする
とほぼ同趣旨と見られる判示をしていた。
[110] 一体、国公法第110条1項17号を「積極的に争議行為を指導した者」或いは「組織の幹部として争議行為を指導した者」もしくは「争議行為の原動力となる組織指導者」のみを処罰しようとする規定であると解釈することができるであろうか。(この3つの表現がそれぞれ相違し、その意味内容も異なるのであるが、ここではその点を措いて、以下これらを総称して積極的指導者ということにする。)後に触れるように、元来、国公法第110条1項17号が、この冒頭において「何人たるを問わず」としている点について解釈上の問題があるのであるが、都教組二審判決、和教組一審判決は、これを字義通りに解すべきであつて、地公法第61条4号について、その行為主体について何等の限定も設けていないというのである。もしそうだとすれば、国公法110条1項17号が積極的指導者のみを処罰し、単純に争議行為を行つた者を処罰の対象としていないというためには、そこに挙げられている「共謀し、そそのかし、もしくはあおり、又これらの行為を企てた」という4種の行為類型が、積極的指導者のみに特有なものであるか、或いは、積極的指導行為の類型といえるのでなければならないことはいうまでもなかろう。しかしながら、「共謀、そそのかし、あおり、企て」が、決して積極的指導者のみに特有なものでもなければ、積極的指導行為の類型といい得るものでもないということは、既に前に右処罰規定が、結局争議行為の実行行為者全員を処罰する規定であるということを明らかにしたところによつて明白である。争議行為の遂行を「共謀、そそのかし、あおり、企て」ることは、争議行為の主体となる団体に普遍的な事象であり、組織の指導者ないしは幹部であると、一般構成員であるとを問わず、その全構成員によつてなされるのであり、「共謀、そそのかし、あおり、企て」が積極的指導行為であるというのであれば、「単純に争議行為を行つた者」は皆無となるといつても決して過言ではないのである。
[111] さればこそ、全逓東京中郵事件大法廷判決後になされた群教組、福岡教組二審、佐賀教組二審、和教組二審の各判決が悉く、積極的指導者処罰論に批判を集中するに至つたのである。
[112] とりわけ和教組二審判決は、
「争議行為はほんらい一連の団体行動として、すなわち、それが実行されるに至る過程においては、……、企画、立案にはじまり討論、決定、説得、慫慂、指令、指示の発出、伝達等の諸々の一連の行為の集積の結果行われるのが通例である。(中略)そして、争議行為遂行に至る過程において行うこれらの行為は組合幹部より一般組合員に対してなされるばかりでなく、一般組合員より組合幹部に対しても、また組合員相互間においてもなされるものであり、一般的定義にしたがうと、これらの行為は争議行為等の『共謀』、『そそのかし』、『あおり』あるいは『これらの行為の企て』のいずれかに該当すると認められるから、争議行為等は組合員による民主的決定によつて、実行されることを考慮すると、争議行為等の実行行為者である大多数の組合員がその遂行の『共謀』等のいずれかをしたことになり、これらの者がすべて積極的指導をした者として処罰されることになる。」
として、積極的指導者論を徹底的に排撃し、群教組判決も
「もとより、団体の中枢にある幹部の行為と下部組織の末端構成員の行為とでは、争議行為の全体に対する影響力に相違のあることを看過することはできない。しかし、前記の構成要件上両者を区別することはまつたく不可能である。」
としている。
[113] ともあれ、国公法第110条1項17号を積極的指導者を処罰する規定と解することはできないのであり、もし、その解釈をとろうというのであれば、右規定の構成要件はいよいよ不明確であるという他はないのである。

[114]六、以上によつて国公法第110条1項17号の中心的な論点について、その不明確性を明らかにし得たと信ずるものであるが、問題点は決して上述したところによつて尽くされているのではない。以下、解釈上問題と思われる2点を指摘しておきたい。

(1) 「何人たるを問わず」
[115] 国公法第110条1項17号の行為主体に関して、すべての判例は、同号の冒頭に「何人たるを問わず」と記されているところから、争議行為等の主体となる団体の構成員である職員たると否とを問わないという趣旨であるとし、このことは文理上疑いを容れないところであるとしている。ところが、既述のとおり、争議行為等の遂行を「共謀、そそのかし、あおり、企て」を対象として、争議行為の主体となる団体構成員たる職員をも含めて処罰されるということになると争議行為等の実行行為者であつて処罰の対象とならないものは皆無となり実行行為者を処罰の対象から除外した右規定の趣旨は全く没却されてしまう。
[116] 右規定の立法の経緯は次の通りである。昭和23年12月に制定された国家公務員法第110条17号は、公務員の争議行為の実行行為に対して刑罰をもつて臨むこととした政令第201号を緩和修正するものであつたのである。政令第201号の公布当時、これに反対する労働者が集団的に職場を放棄したため政令違反で訴追されるものが相次いだ。しかし、この政令には、公務員以外の者が、外部からする働きかけを禁止する規定をもつていなかつたため、各地の共産党組織或いは経営内部の党組織の動きを捕捉してこれを訴追し得なかつた。当時、我が国の立法をも含むすべての政治を支配していた占領軍が、共産主義の浸透を懸念し、共産党の動向に注視していたことは公知の事実であり、国公法第110条17号の制定に当つて占領軍の関係者が、公務員自身は処罰できないにしても、公務員の争議行為を煽動する「代々木」の連中を放つておくわけにはゆかぬという示唆を与えたということが伝えられている。
[117] こうした立法経緯は、この処罰規定が、実は、職員に向けられたものではないということを示しているのである。
[118] 争議行為を禁止しようとする国公法は、職員に対しては懲戒権を以て処理できるが懲戒権の及ばない非職員である第三者を取り締るために刑事罰の規定を設けたと解されるのであり、このように解釈するのでなければ、争議行為の実行行為を処罰の対象としていない右の規定を矛盾なく理解することはできないのである。
[119] ちなみに、我が国の敗戦直前まで、効力を有していた労働争議調停法第19条は、「現ニ其ノ争議ニ関係アル使用者及ビ労働者並ニソノ属スル使用者団体及ビ労働者団体ノ役員及ビ事務員」を特に、争議行為を「誘惑モシクハ煽動」したことを理由とする同法第22条の刑事罰の適用から除外していたのであり、これは、地公法第61条4号が、争議集団の構成員たる職員を対象とするものではないとする解釈と、全くその軌を一にするものである。

(2) 違法な争議行為等
[120] 国公法第110条1項17号がひいている同法第98条旧5項前段には、「同盟罷業、怠業、その他の争議行為をし、又は他方公共団体の機関の活動能率を低下させる怠業的行為をしてはならない」と規定されている。ここにいう「争議行為」については、一般労働法におけると同様、労働関係調整法第7条の定義にしたがつて「労働関係の当事者がその主張を貫徹することを目的として行う行為であつて、業務の正常な運営を阻害するものをいう」というのが通説的解釈であるが、「怠業的行為」については、むしろ、怠業と怠業的行為とはともに争議行為といつてよいといわれている。(浅井清著「国家公務員法精義」706頁)くらいであつて、関係の文献を見ても「怠業的行為」を「争議行為」から区別して明確に定義しているものは皆無である。地公法第61条4号や国公法第110条17号に関する多数の判例の中で、この点に言及したものは全く見当らないのであり、ここにも規定の不明確性が見られるのである。
[121] さらにここで注目しなくてはならないのは、国公法第110条1項17号が「第98条旧5項前段に規定する違法な行為の遂行を……」としている点である。もし、この規定が、「争議行為又は怠業的行為の遂行を……」というただそれだけの趣旨であるならば、「第98条第5項前段の規定に違反する行為の遂行を……」と表現すれば足るのであり、わざわざ「違法な」という表現を用いることはあるまい。ここに「違法な」とされているのは、決して、単に「違反」ということを意味すると解すべきではなく、国公法第98条第5項前段の規定に違反する行為のうち、「違法」の評価に値するもののみに限定するという趣旨を示しているものと解すべきであろう。
[122] 福岡教組第二審、佐賀教組第二審、群教組、高知北川村教組の各判決は、憲法第28条、第18条、第31条との関連において、地公法第61条4号にいう争議行為等は、同法第37条1項前段にいう争議行為等のうち、「違法性の強い争議行為」もしくは「可罰的違法性ある争議行為」のみに限定されると解すべきであるとしたのであるが、前記の「違法な」と表現されている文言を根拠として、同様な結論に到達することも充分に可能である。
[123] なぜかといえば、違法性の基準は、結局、憲法に求める他はないからである。
[124] しかし、ここにおいても、国公法第110条1項17号の構成要件としての不明確性は、「違法」の内容をめぐつて再び登場することにならざるを得ないのである。

[125]七、我が国の法規を見馴れた者が虚心に、国公法第110条1項17号、第98条旧5項前段を通読するとき、奇異の感を懐かないものはおそらくなかろう。
[126] ここに、此の規定の構成要件を全体的に考慮することによつて、その不明確性を露わにすることができたと信ずる。その不明確性は、処罰される行為と、処罰されない行為との限界にかかわるものであつて、構成要件として致命的なものであり、争議行為という極めて複雑な社会事象の実態の下で、到底その機能を果し得べくもないことが明らかである。
[127] 同種事案に関する下級審判決の多くは、憲法第31条の要請する刑罰法規としての合理性を貫こうとして、一方には、争議行為の概念を限定的に捉え、他方には、「共謀、そそのかし、あおり、企て」の概念を限定的に捉えるという2つの方向においてすぐれた解釈上の努力を重ねている。
[128] しかし、こうした解釈をとつても、他面、新たに構成要件としての不明確性の要因を加えずにはおかない。
[129] 右規定の解釈をめぐる下級審判決の多様性を生みだしたものは、すべて右規定それ自体に孕まれているのである。
[130] 占領という異常な事態の下に生れでた国公法第110条1項17号は、所詮、その生を全うすることはできないのである。国公法第10条1項17号は、憲法第31条に違反する無効の規定であり、これを適用した原判決は到底破棄を免れないのである。
[131] 原判決は、憲法18条違反の主張に付て、
「国公法110条1項17号はこのような単純な不作為そのものを処罰し、間接的に就労を強制しようとするものではなく、違法な争議行為の遂行をあおることを企て、或いはその遂行をあおる行為の積極的、指導的行為を処罰しこれによつて争議行為の発生を禁圧するに過ぎないものであるばかりでなく、このような積極的、指導的行為を処罰することは客観的に争議行為そのものを刑罰を以て禁止するものであるとはいいがたい」
と判示し弁護人の主張を排斥している。
[132] 憲法18条は犯罪に因る処罰の場合を除いて、その意に反する苦役に服させられないと規定する。そしてここに云う意に反する苦役とは、本人の意志に反して強制される労役をいい、たとえその労役が通常の程度のものであつても本人の自由なる意見に反して強いられる限り苦役と云える。従つて労働者が単に労働契約に違反し、労働力を提供しなかつた場合、これに刑罰を以て臨むことは、本人の意見に反して苦役に服せしめる結果となり、許されない。この理は公務員の場合も原則的には同じで、若は公務員が単なる労務の不提供と云う争議行為を行つた場合に、これに刑罰を科するとすれば、それは憲法18条の上からは違法とすべきである。
[133] ただ、自己の自由意思によつて所定の手続を経れば何時でも退職することができる点を強調し、公務員の争議行為処罰が憲法18条に違反しないとする見解がある。(昭和28年4月8日大法廷判決)たしかに憲法18条は、アメリカ合衆国修正憲法修正13条第1節の規定に由来するものと云われ、右修正13条第1節は、その制定の経過から云えば、自己の意見を以て労働関係から離脱できない、いわゆる奴隷的拘束からの解放を目的としたものであることは明白であるが、しかし我国における雇傭の実体、即ち一旦ある雇傭関係から離脱した場合、他にこれと同等の雇傭関係を自から選択、締結することは特別な場合を除き極めて困難である事実と、憲法18条の理念とを綜合すれば、憲法18条は単に右のような奴隷的拘束からの解放にとどまらず、自由意見による労働関係の場合にあつても労務の不提供を刑罰の対象とすることを禁止したものと解すべきであるから、右主張は支持できない。(此の点は後にものべる)
[134] また国公法第110条1項17号の規定は争議行為そのものを処罰する趣旨ではなく、争議行為の遂行を「共謀し、そそのかし、あおり、又はこれらの行為を企てた」者を処罰するのであるから、憲法18条の規定と直接関係がないと云うが如き原判決の考え方も存在する。しかし争議行為を含め、労働者の団体行為は、その組織体の威力を背景とする一定の統一行動である以上、団体の各機関における討議、具体的事項に関する幹部間の打合せ、上部機関からの指令、説得等、その他下部組織における争議実行に関する協議等は当然行われるべきであり、かかる行為のない争議行為を想定することは不可能である。このように争議行為と密接不可分の「あおり」行為等の処罰を以て、争議行為の処罰ではないと強弁するのは正しくない。従つて争議行為自体に刑罰を科することを禁じた憲法18条の規定は、争議行為と密接不可分な「あおり」行為等の処罰の禁止にまで及ぶものと解さざるを得ないのである。
[135] 公務員のストライキを刑罰化すべきでないということは、すでに、国際常識ともいえるが、日本と同じように、ストライキについて憲法の保障をしている国として、イタリアとフランスがある。
[136] 国際社会法学会の会長の経歴をもち、現在イギリスのオツクスフオード大学教授オー・カーン・フロイント編集のOtto Kahn-Freund, Labor Relations and the Law A comparation Study, 1965は、この種のいちばんあたらしい文献であるが、それによつて、両国の担当の学者の論文から、両国の憲法上の考え方を紹介しておく。
[137] イタリアでは、第二次大戦中、ストライキは、公安の敵とされていたが、1948年の憲法のなかに「イタリアは、労働に基礎をおく民主的共和国である」という宣言(1条)をはじめ、詳しい労働権の規定をおき、1951年以降、裁判所は、憲法第40条の「産〔罷?〕業権は、これを規制する法律の範囲内で行なわれる」という規定の解釈について、「ストライキを抑える従来の古い法律は生きており、この憲法の規定はたんに宣言的なものにすぎない」という考え方を放棄し、それ以前のストライキを禁止、制限する法律を無効とするという態度をとるにいたつている。(Gino Giugni, The Right to Strike and to Lock-Out under Italian Law, P.212)
[138] フランスでは、第二次大戦後、1946年第4共和国憲法が制定され、その前文で、「罷業権は、これを規律する法律の枠内で、行使される」と宣言されるにいたり、事情は、変つてきた。すなわちそれ以前においては、多くの判決は、公務員のストライキは公務員が責任を負つている公務の継続性と両立しないということを理由に違法だという判決をしていた。しかし、右の憲法が制定された後は、フランスの最高行政裁判所は、公務員のストライキが違法だとはいえないという態度をとつてきた。(Andre Brun, The Law of Strikes and Lock-Out in France, P.192)たとえば1950年7月7日のドウエーヌ判決で、公務員の争議権を認めた。それは、1906年にフランスの公務員の組合が公務員が労働者であるという宣言をして以来44年目である。
[139] O・カーン・フロイント教授の自国であるイギリスにおいては、公務員のストライキを刑罰によつて禁止していない。そのストライキを禁止しているのは、ガス、水道、電気だけであるが、しかしこの場合にも、適当な予告をすれば、そのストライキがたとえ生命、健康あるいは財産に深刻な脅威を与えても、(A serious threat to life, health or property)犯罪とはならないと述べ、強制労働compulsory laborを強く否認している(Otto Kahn-Freund, Labor, Law, Law and Opinion in England in the 20th Century, 1959, PP.25-256)。
[140] 4・2安保事件判決は、憲法18条等に違反する旨の弁護人の上告趣意第一点の主張に付て、限定的解釈により、違憲を回避し得ると判示している。此の4・2判決の趣旨から云えば、まず最高裁は前にのべた退職の自由論を展開した、昭和28年4月8日大法廷判決を変更したものと見て差支えないであろう。そこで更に検討をすすめると、なるほど、限定解釈により憲法18条違反を回避し得るとしても、問題は2つある。
[141] その一は、限定解釈により憲法31条違反の問題が生じてくる。この点に付ては憲法28条と31条の関係に付ても同趣旨の問題が生じ、第二点、憲法28条及び憲法31条違反――憲法判断回避に関連して――に於て詳論しているので此処では詳論をさける。
[142] その二は、限定解釈は、各憲法の条項の趣旨に基いてなされなければならないと云うことである。憲法28条の趣旨よりなされた限定解釈をただちに憲法18条の趣旨に流用することは許されないと云うことである。憲法18条の観点からすれば、争議行為の目的が政治的な目的であろうと、経済的目的であろうと、そこに合理的な差はない筈である。労務を提供しないことが処罰される結果になることがおしなべて憲法18条に違反するのである。宜しく国公法110条1項17号の憲法18条違反を宣言し、憲法に従つた新たな立法は国会にゆだねるべきである。
[143]一、即ち、原判決は、判旨第二部、に於て、検察官の法令の解釈、適用に関する主張にこたえて、一審の法令の解釈、適用をあらためて、次の通り判示している。
「しかして犯罪の実行行為そのものよりも、その共謀、そそのかす行為、あおる行為等のほうが指導的であるとして可罰性の強いものと解するべきときは、実行行為よりも指導的行為の方を処罰することは少しも不合理ではなく、前記のとおり国家公務員につき争議権の行使が禁止されている現状に照らせば、その発生を防止すべきは当然であるところ、争議行為の共謀、そそのかし行為、あおり行為等の指導的行為は争議行為の原動力、支柱となり、これを誘発する危険性のあるものであるから、その反社会性、反規範性、有害性において争議の実行行為そのものよりも違法性が強く、可罰の必要があると解すべきであり、かく解しても何ら合理的根拠に欠けるものではない。」
「争議の共謀、そそのかす行為、あおる行為等の指導的行為は争議行為の原動力、支柱となるものであつて、その反社会性、反規範性等において争議の実行行為そのものよりも違法性が強いと解し得るのであるから、原判決の判示するように、憲法違反となる結果を回避するため特に「あおる」行為等の概念を縮小解釈しなければならない必然性はないものというべく、又実行の前段階の行為のみを可罰的とし、違法行為の実行そのものを可罰的としない特殊な立法形式であることを理由に「あおり行為」等の意義を限定的に解すべきであるとする論拠もまた不十分であるといわざるを得ない。」
[144] 即ち、原判決は前記国公法の各法条について無限定解釈が正しいと判示し、これを基礎として右法条を適用しているのである。

[145]二、所が、大阪高等裁判所昭和43年3月29日言渡、昭和38年(う)第2231、2232号地公法違反被告事件判決(通称和教組大阪高裁判決)は地公法61条4号(国公法110条1項17号に相当する法条)の解釈、適用について、論旨第十二に於て次の通り判示している。
「以上の憲法が勤労者に労働基本権を保障した趣旨、これを制限する場合の限度、殊にその制限違反に対しそれが単純なる労務放棄の不作為の場合には民事的な制裁を課せられるに止まり、刑罰を課せられないのが原則であること、争議行為の刑罰からの解放の歴史的経過、さらに争議行為の実態、地公法61条4号が刑罰体系上異例の刑罰法規であること等を彼此考え合せると(右検討の詳細は右判決第十二の一乃至四に於て詳論されているが引用は省略する)、地公法61条4号に於て可罰性のあるものとされるのは、前記一般的意味において、同号に掲げる行為に該当するとみられるものをすべて含む趣旨ではなく、そのうち前説示の如く争議行為に必要不可欠か、または通常随伴するいわばその構成分子と考えられ、広い意味において、争議行為の遂行と同等の評価を受ける行為を除き、それらの行為がその態様、手段等において右の範囲を逸脱し、公共の福祉の見地からもこれを容認し難く、もはや法律上の保護の対象とするに価しないもので、その処罰もやむを得ないと認められる程度に強度の違法性を帯びるものに限ると解するのが相当である」
[146] 此の判旨によれば、地公法61条4号(国公法110条1項17号にあたる)の「あおり」行為等の解釈、適用に於て、争議行為に必要不可欠、または通常随伴する諸行為を除き、強度の違法性を帯びるものに限る旨の所謂制限解釈をとつていることが明白で、前記原判決は此の高裁判例に反することは明かである。

[147]三、福岡高等裁判所昭和42年12月18判決、昭和38年(う)第146号、地公法違反事件(福教組事件と呼ばれている。)右同年判決、昭和37年(う)第893号地公法違反被告事件(佐教組事件と呼ばれている。)の各判決は云う。
「以上の諸点を総合して考慮すると、地公法第61条4号の処罰の対象となる煽動行為等は煽動行為がなされた争議行為が特に違法性の強い場合に限ると解すべきである。違法性の強い争議行為とは何であるかについては立法による解決が望ましいが、その限界は(1)争議行為の目的が公務員の勤務条件の改善の目的ではなく、例えばいわゆる政治的目的のためになされた場合、(2)その公務員の職種からみて国民生活に対し明白かつ重大な障害をもたらす虞がある場合、(3)争議行為の手段方法が暴力を伴いまたは不当に長期にわたるなど相当でない場合に、違法性の強いものであると解するのが相当である。そして具体的には社会通念に照し良識ある判断によつて決すべきものと解する。結局争議行為の実行行為者にも、煽動行為者等にも、民事責任または行政上の責任を問うことはともかく、結局煽動行為者等にも刑事責任を問うには右のように解さない限り憲法18条、21条、28条、31条に違反するものと解するのである。」
[148] この判旨は、結局、憲法右条項に照らして「あおり」行為等の処罰規定があるにせよ、あおり行為等の対象となつた争議行為が特に違法性が強い場合に、はじめて「あおり」行為等の処罰が許容されることになると云うのである。違法性が特に強い場合の例示に関する点は必らずしも賛成しかねるが、いづれにせよ争議行為に付いて強度の違法性を要するとする判旨は、右法条に付いて違憲の判断を避けるとすれば当然採らなければならない解釈である。原判決の判旨は此の点に付いても、右高裁判所と相反するものであり、そのあやまりは明かである。

[149]四、福岡高裁昭和43年4月18日判決、昭和41年(う)第772号国公法違反事件(通称全農林長崎事件)は、
「国家公務員の争議行為等をあおつたとして処罰されるのは、その争議行為等が政治目的のために行われるとか、暴力を伴うようなもの、または国民生活に重大な障害をもたらす具体的危険が明白であるもの、などのように不当性をもつものについて、これをあおつた場合にまづ限定しなければならないと解するのが相当である。」
としてまづ争議行為に付て限定的解釈をしている。
[150] つぎに、あおり行為に付ては
「争議行為等を行うにあたつて団体行動を統一的に行うために通常随伴するような行為は、むしろ右争議行為等と不可分であり、それ故にこそ、その企画指導統制のもとに行われた争議行為等が上記の意味における不当性をもつものであれば、これをあおつた行為の可罰性を肯定しなければならない。しかし、争議行為等の中でも特に非難可能性の微弱なものについては、通常一般の争議行為等に随伴し、不可分的に存在すると認められるようなあおり行為をもつてこれを刺激することがあつても、このようなあおり行為を可罰的なものとはいえないことは上記説示するところから論証しうるところである。」
として違法性の強度でない争議行為の「あおり」に付て限定解釈を施している。
[151] 原判決の国公法110条1項17号に関する解釈が、右判決と相反し、争議行為に付ては勿論、「あおり」行為等に付ても無限定的解釈をなしていることは明かである。
[152] 以上のべた高裁判決に相反する旨の主張に付ては、同じ法令の解釈に付て、正に同じ問題に付て、4・2都教組判決、4・2安保事件判決に於て既に判断が示されている所である。即ち、4・2安保事件判決は、
「すなわち、あおり行為等を処罰するには、争議行為そのものが、職員団体の本来の目的を逸脱してなされるとか、暴力その他これに類する不当な圧力を伴うとか、社会通念に反して不当に長期に及ぶなど国民生活に重大な支障を及ぼすとか等違法性の強いものであることのほか、あおり行為等が争議行為に通常随伴するものと認められるものでないことを要するものと解すべきである。というのは、職員の行なう争議行為そのものが処罰の対象とされていないのに、あおり行為等が安易に処罰の対象とされるときは、結局、争議行為参加者の多くが、処罰の対象とされることになつて、国公法の立前とする争議行為者不処罰の原則と矛盾することになるからである。」
と判示している。
[153] 原判決と前記高裁各判決との国公法110条1項17号、及び98条2項の解釈に関する高裁判例の相反は、既に最高裁の右4・2判決により、実質的には解決ずみである。原判決は国公法110条1項17号及び98条2項に関するあやまれる法令解釈に基き、これを罰条として被告人らに有罪の判決をなしたものであるから、原判決が破棄を免れないことは明白である。
[154] 更に原判決の認定した事実を、右4・2判決の解釈に基き、前記法条に照してみよう。
[155] 第一の事実は、電報指令6号、文書指令6号の発信、又は発送を以て、争議行為の遂行をあおることを企てたものとしているのである。右の争議行為そのものの違法性の強度性を論ずるまでもなく、指令の発出は争議行為に通常随伴する行為であることは論をまたない所であるから、6・4都教組判決同様無罪の判決あるべきものである。
[156] 原判示第二の事実は、被告人らが中央執行委員らと共謀の上、農林省職員らに対し、農林省正面玄関前の警職法改悪反対職場大会に直ちに参加するように反覆して申し向けて説得したのが、あおり行為であるというのであるが、同様に組合役員が組合員に対し職場大会参加方を説得する行為は争議行為に通常随伴する行為であることも又論をまたない所である。従つて原判示第二の事実に付ても前同様、無罪の判決が至当である。
[157] 以上、最高裁4・2判決の国公法110条1項17号等に関する判旨を基礎として本件に対するその適用を略述したが、争議行為そのものの違法性の強度、或いは、原判示第二事実に於けるピケツト等に付て、検察官の若干の攻撃が予想されるので、本件警職法改悪反対の行動が、4・2判決の所謂政治ストにあたるか否かの点、その他若干の問題に付て項をあらためて更に主張するものとする。
[158] 警職法の改訂案が昭和33年10月に、抜き打ちに国会に提案され、その内容が戦前の警察の復活に通ずるものとして、国民各階層、特に労働組合の諸組織の反対運動が強く、広く、急速に展開されたことは、本件一審判決が第二の二に於て判示する通りである。此の点に付ては、一審の弁論、二審答弁書等に於ても弁護人及び被告人が詳論した所であるが、此所に若干補足して、殊に4・2判決に云う「政治スト」問題との関連で検討したい。
[159] 此の法案は突如提案されたので、法律学者等は慎重に本法案を検討し、意見を発表する機会がなかつた。従つて法曹関係の雑誌にも体系的な研究の成果はあげられていないが、此の法案の検討は種々の角度からなされ、法曹会の第一級の人々の見解が表明されているので、以下、それを紹介してみよう。
[160](イ) 戒能通孝氏は
「法案が現行法と異なる最大の点は第6条の立入権の問題である。現行法が警察官をして、他人の土地、建物、船車等に立ち入りを許すのは、第4条の災害、事故、その他の事変、第5条の「犯罪がまさに行われようとする場合」を受けて、「前2条に規定する危険な事態が発生し、人の生命、身体、又は財産に対する危害が切迫した場合」に限つている。ところが法案では緊急の事態にも、犯罪にも関係なく、ただ警察官が「人の生命、身体、若しくは財産、又は公共の安全と秩序に対する危害が切迫した」と認めた場合一般に広くこれを拡大しているのである。
 これは単なる拡大にとどまらない。それは本質的な根本からの変革である。犯罪にも、緊急の災害その他の事変にも関係なく、また人の生命、身体、財産の安全のためでもなしに「公共の安全と秩序」のために、土地、建物、船車はおろか、トンネルであれ、穴ぐらであれ、土地の工作物と認められるもの全体に警察官が立入り、通行することができるとは一体何事なのだろうか。私はこの条文を見た時正直に心からゾツとした。」
とのべ、此の法案は労働運動に対する攻撃が当面の目的であるが、その次に槍玉にあげられるのは新聞、放送の表現の自由であるとのべているのである。(法律時報 30巻11号――ー昭和33年11月号 法律時評)
[161](ロ) 石川吉右衛門、田中二郎、団藤重光等の諸教授が、宮沢俊義教授の司会のもとに、警察庁、法制局の人たちのこもごもの改正案の経過、説明を聞いた上で、団藤教授は犯罪になるかどうかの認定を警察官にまかせることの危険性について力説し、田中教授は公共の安全と秩序の概念があいまいで、権力者の運用によつて如何ようにも運用されることを指摘し、石川教授は労働運動の弾圧になることを指摘し、田中教授もこの意見を支持しているのである。(ジユリスト 166号――昭和33年11月15日号 2頁乃至24頁の座談会)
[162] 尚、巻頭言に於ても「警職法改正に反対する」として、警察官の職務執行、国家権力の行使のあり方を非難している。(ジユリスト同号1頁)
[163](ハ) 更に伊藤正己教授は、「警職法改正案と法の支配」と題して、警職法改正案が法の支配の理念に反する所以をのべ、橋本公亘教授は、アメリカと日本の差を詳論して、警職法改正案が違憲の疑義が多いことを明にし、それに加えて、濫用の危険が頗る大きいことを強調している。(ジユリスト 右同 25頁以下)
[164](ニ) 我妻栄、宮沢俊義、鈴木竹雄、田中二郎、兼子一、石井照久等各教授が座談会で、此の警職法改正案について、本当の狙いは労働、政治運動の抑圧の目的であることを指摘し、部分的修正では駄目だから撤回すべき旨こもごも強調しているのである。殊に国会の抜打ち延長問題に付ては、はげしい批判をし、議会制度の危機を訴えていることは注目に価する。今回の大学法に付て、審理をぬきにした強行採決までなされていることと考えあわせると、議会制度の危機はまさに、政府自からの手によつて、つくり出されて行く経過がはつきり浮び出ているのである。(ジユリスト 168号――33年12月15日号、11頁-16頁)
[165] 以上のように、我が国のトツプレベルの憲法、行政法、民刑法、労働法の各学者がこぞつて、廃案を要請し、労働運動の抑圧を意図した法案であると非難していることに注目しなければならない。これは我が国の良識の発言であり、裁判所もこれを避けて通ることは許されないものと思う。更に一審の松岡洋子証人、岩井章証人、加藤勘十証人の各証言や、大勢の組合員証人の証言をあわせれば、前記学者諸氏の見解が正に国民の運動の中に生きていることを痛感するのである。
[166] 警職法改訂案が、労働運動の抑圧を狙つたものであるとする、組合側の理解が、正に我が国の良識により支持されていることは上述した所で明かであるが、その基礎にあるものは権力行使に対する不信感である。
[167] 此の警察権力に対する不信感に合理的根拠があるかどうか考えてみよう。弁護士、市民、学者、組合活動家、何れも警察権力に対する不信感を前提として、考え、行動をしていたが、それは必らずしも偶然でないことは以下の下級審の判決の事例でも明かである。
(イ) 旅館に宿泊中の弁護士を、指名手配犯人に似ていると即断して警察署への出頭を要求し、前後30分間職務質問を行い、ついに同人の意に反して警察署に出頭せしめた行為。
 (宇都宮地裁 昭和35年5月16日判、昭和33年(ワ)第273号、下級民集11巻5号1078頁)
(ロ) 派出所に同行を求めることのできる場合にあたらないのに同行を求め、これを拒絶されるや相手方のえり元をつかんだまま離さなかつた行為。
 (静岡地、沼津支部、昭和35年12月26日判、下級刑集2巻11、12合併号152頁)
(ハ) 相手方が同行を拒絶する意思を表明しているにも拘わらず、これを納得させる手段に出ずいたずらに押問答を繰り返し、最後にはその右腕をつかむ挙に出た行為。
 (福島地、会津若松支部、昭和38年10月26日判、下級刑集5巻9、10号1073頁)
(ニ) 無免許運転容疑につき職務質問のため同行を求めた際、突如相手方の腹巻に手を差し入れ検査する行為。
 (高松高、昭和40年7月19日判、昭和40年(う)65号、下級刑集7巻7号1348頁)
(ホ) いささか酔つているにすぎない者を、保護を要するでい酔者と即断して同人の手を捕えた行為。
 (福岡高、昭和30年6月9日判、昭和20年(う)741〜743号、高裁刑集8巻5号643頁)
(ヘ) 警察官職務執行法第5条にいう制止は、現に行われようとする行為を阻止するため合理的に必要な方法と範囲において行動の自由を拘束することを認めているにすぎない。その範囲をこえて被制止者の生命、身体に危害を加える結果を生ぜしめるような制止行為。
 (京都地、昭和33年2月12日判、昭和29年(ワ)869号、下級民集9巻2号192頁)
(ト) 警察は私法上の紛争に関与すべきでないのに、一方を援助する目的で他方を排除するがごとき警察活動の乱用行為。
 (高松高、昭和40年4月30日判、39年(う)223号、下級刑集7巻4号560頁)
(チ) 違法なピケを実力で排除する警察官の行為自体は違法でないとしても、一部の警察官が正規の警棒の操法に違反し、又は不必要に警棒を使用してピケ隊員に傷害を負わせた行為。
 (横浜地、昭和34年9月30日判、昭和30年(ワ)第591号、下級民集10巻9号2065頁)
(リ) 測量自体を妨害しようとする行為はあつても、直接人の生命、身体等に対し危険の及ぶおそれある状況が生じないのに、妨害行為を直接実力で排除しようとした警察官の行為。
 (東京地、八王子支部、昭和23年12月16日判、第一・刑集1巻12号2026頁)
[168] これらは、警察官の職務執行行為の適法性が争われた事件の一部にすぎないが、此のように多数の違法な職務執行行為がなされていることに注目しなければならない。その上その大部分は警察官の違法な職務執行行為に抵抗して、公務執行妨害罪に問われ、裁判の中で、その公務の執行の適法性を争つてその結果の判決なのである。又残余のものは違法な職務執行行為に対する損害賠償請求事件の判決なのである。損害賠償の請求をした者は、弁護士であつたり、労働組合の支持をうけた組合員であつたり、或いは学生団体の支持をうけた学生である。これを通覧して伝えることは、違法な職務執行行為があつても、被害者がこれに抵抗しなかつたり、或いは抵抗しても公務執行妨害罪として起訴されなければ、違法な職務執行行為があかるみに出ることはないと云うことである。又、被害者が損害賠償訴訟を提起できるのは特殊な条件、例えばたまたま弁護士であつたとか、大衆団体に属していて、その団体が訴の提起をすすめ、且支援したとか、極めて例外的な場合であることを指摘したい。従つて、警察官の違法な職務執行の大部分は問題が表面化しないで消えて行くのである。前記の条件が表面化した背後には、何千、何万と云う違法或いは不当な職務執行行為が存在すると推認することは十分な合理性がある。
[169] 更に指摘したいのは、前記事例の多くが市民に対する違法な職務執行行為であるが、その違法な職務執行行為が特定の目的のために組織的になされる事例である。
(ヌ) 盗聴器事件
[170] 盗聴器事件とは個人の私宅或いは集会に盗聴器を設置して情報を不正に入手することである。当初は日本共産党の所謂潜行8幹部の捜査のためと云うことで合理化していたが、その後は、合理化の口実がなく、又極めて高性能の機械が開発されたため、誰が設置したかわからない形で盗聴がなされるに至つた。日本弁護士連合会に提訴された事件は、内藤知周提訴事件、及び日本共産党野坂議長提訴事件の2件で、何れも日本弁護士連合会から関係機関に警告等の措置がとられている。その調査の中では、共産党の大会への盗聴は勿論、公会堂(公けに使用されている)の使用そのものが、継続的に設置された盗聴器により看視下にあること、社会党幹部の私宅の電話の盗聴、日本共産党宮本書記長の私宅の電話の盗聴、その他労働組合の会議等の盗聴の事実が明かになり、国会議員の自宅電話や、通信、雑誌社の電話の盗聴が自民党議員から訴えられた事件すらあつたのである。これらの盗聴に、警察、公安調査庁が無関係だと云つても誰も信用するものはいないであろう。(日本弁護士連合会、昭和43年度版 人権白書、114頁以下)
(ル) 特別公務員暴行陵虐致傷罪付審判事件
[171] 仙台中央署の現職公安係警官が、本館弘君を言をかまえて、やぐら荘と称する旅館につれこみ情報の提供を要求し、本館がこれを拒否するや暴行、陵虐行為を行い、致傷の結果を生ぜしめた事件で、証拠も十分あつたにも拘らず、告訴、告発をうけて検察官は「嫌疑なし」として不起訴にしたので、付審判の請求をし、仙台地方裁判所昭和43年(フ)1号を以て、付審判の決定のあつた事件である。警察の違法な職務執行行為が、裁判所の付審判の決定と云うことで明るみに出たのはこれが最初であろう。(右同書 101頁以降)
[172] これらの資料を検討すれば、警職法の改正に付て、国民全体が不安をいだき、その中で全農林労働組合も警職法改悪阻止のために最大限の努力をしようと決意することも十分合理性があり、かえつて、日本の民主主義を守るために正しい行動であり、相当な行動であつたことが理解できるのである。
[173] 原判決が証拠に引用する全農林指令5号をよく検討すれば、その趣旨が明白となる。実施要領(一)に於て明らかなように、指令2号、3号を発して、労働強化反対闘争を計画していたが、突如警職法改悪案が上提されたために「指令第2号、第3号に基く労働強化反対闘争を中心とした闘いに「警職法」反対の目標を投入し、他の闘争目標の中心として設定して行くこと」と位置づけを行い、指令主文もその観点で作成されていることがわかるのである。而して「情勢」、「警職法の内容と問題点」と題して、警職法の提案及び審議の状況、法案の内容等を説明し、云わば「警職法案」に関する宣伝教育活動をなしているのである。ここにも、突如提案された「警職法案」に付て、支部、分会の組合活動家や組合員に急拠その趣旨を教育、宣伝しなければならなかつた中央本部の立場が、如実にうかび出るのである。而して中央本部の闘争の趣旨は、右実施要領の(六)に「全農林中央本部は組合運動の死命を制する此の悪法を阻止するため、今日まで闘つて来た最大限の戦術を行使する決意を固めている。各県本部は法案のもつ意味を十分に徹底し、職場討議の積み重ねと、正午出勤の実力行使について討議を行い、全体の意思をとりまとめ、出来る限り目標に近づけるようその体制を作るため最大限の努力をして行くこと。その結果をまとめ中央本部は決定をする」と云うのである。此の指令5号は準備指令と呼ばれているが、「組合活動の死命を制する」警察法改悪反対の職場討議を訴えているものである。
[174] 此のように警職法改正が、組合活動の死命を制する程のものであると云う認識は、単に全農林の組合の幹部諸君の考え方だけではなく、前述の通り、我が国の良識とも云えるべき学者の諸氏も、組合運動抑圧の目的をもつた法案であると批判しているのである。漸く同年の8月に単一組合として結成され、「組織の統一強化に力を注」(本件一審判決第二の二)いできた全農林としては、此の法案を組織の死命を制するものと理解した事に十分な合理性があつたのである。
[175] 全農林労働組合は規約4条で「この組合は組合員の労働条件の維持、改善と社会的経済的地位の向上をはかることを目的とする」と定め、第5条に於て、組合の事業として、「この組合は、目的達成のために次の事業を行う」として、その4に「農林行政の民主化に関すること」。その5に「組合組織の整備強化に関すること」。その6に「他団体との提携強化に関すること」をあげている。
[176] 前記の通り、警職法改悪反対活動は、全農林に於ては「組合活動の死命を制する法案」に対しこれを排除する意思を以てなされたものである。云わば組合の組織防衛のための行動として認識されていたものである。此の組織防衛のための行動は、法案反対の形式をとつているが、組合の規約上、目的及び事業に照らすと、組合組織の整備強化の業務内容に包摂されることは明白であるし、又総評の意思決定に基く行動である点にかんがみれば他団体との提携強化の一部にもなることである。
[177] 4・2判決は、「争議行為そのものが、職員団体の本来の目的を逸脱してなされる」場合が違法性が強いと判示し、安保闘争に付て「裁判所の職員団体の本来の目的にかんがみれば、使用者たる国に対する経済的地位の維持、改善に直接関係があるとはいえない。このような政治的目的のために争議を行うがごときは争議行為の正当な範囲を逸脱するもの」と判示している。
[178] 右判決は所謂政治スト違法論をのべているが、その理由を明かにしていないことに注目しなければならない。政治スト違法をとなえるものに所謂「そば杖論」がある。即ち使用者の処分し得ない事柄を対象として争議行為を行うのは、使用者としてはこれに対処する方法のない「そば杖」により損害をうけることになり違法だと云う考え方である。
[179] 此の見解は一見合理性があるように見えるが、使用者が階級として政府をうごかし、立法の形式で、労働条件等を規制する場合のことを看過しているのである。むしろ近年の政治と経済との一体化現象、国家独占資本主義と呼ばれる時代に於ては、労働条件が国の施策により左右される場合が多くなつていることは公知の所である。
[180] 此のように、政府の施策により労働条件が左右される場合に、それに対し手をこまねいて黙視せねばならないのか。ここでは、個々の使用者の処分し得る事柄ではないが、労働者の労働条件に直接かかわりあいのある事柄として、政府の施策或いは法律案に対する反対行動も労働組合の正当な行動として容認されなければならない。
[181] 学者の意見も概ね此の見地に立つている。
(「争議権に関する諸家の見解」労働問題と労働法3巻79頁以下。木村亀二「政治ストの合法性」刑法雑事42頁以下。沼田稲次郎「団結権思想の検討」法律時報40巻8号。野村平爾「日本労働法の形成過程と理論」94頁。横井芳弘「政治ストとしての反戦スト、2」法律時報39巻5号44頁等)
[182] 此のようにして素朴なそば杖論はもはや、学界には支持者がない状態である。
[183] 前記の4・2判決の趣旨も、そば杖論に基づく議論ではあるまい。それは「職員団体の本来の目的を逸脱」等と云つているように、労働組合の本来の目的に属するかどうかを標準として論じているものと思われる。即ち、「経済的地位の維持、改善に直接関係あるか否か」が問題なのである。例えば、賃金の規制に関する法律、或いは労働時間に関する特例法等が上提された場合に、個々の企業の処分の範囲外にあるけれども、直接労働条件にかかわるものとして、これに付て反対の争議行為を行つたとしても、それは、右4・2判決の趣旨の上に於ても、労働組合の本来の目的を逸脱したものとならないことは明かといわなければならない。
[184] 処が、労働組合の組織の防衛のための行動は、右のような労働条件に直接関係のある政治的活動に比して更に一層、労働組合の本来の目的に属するものである。全農林の規約の上からも、又労働組合法1条の「その他の団体行動を行うため自主的に労働組合を組織し、団結することを擁護すること」なる労働組合の目的の上から云つても、労働組合の組織をまもり、労働組合の活動を擁護することは組合の重要な目的、事業の一部であることは明白である。
[185] なぜなら、労働条件の維持改善を達成するための前提として、労働組合の団結が確保されていなければならないからである。たとえば公務員労働組合の団結を禁止する立法について、それに反対することが公務員労働組合の本来の目的と無関係であるとどうして云えるだろうか。警職法改正案は労働組合の活動にたいするきびしい制約をもたらすものと考えられていた。そうであれば労働組合がこの法案に反対し、労働組合の活動の自由をまもろうとしたことはまさに、労働組合の本来の目的達成のために不可欠なことであつたのである。
[186] 従つて、本件の警職法闘争は、4・2判決を前提として考えても「職員団体の本来の目的」に属するものであることが明白である。
[187](1) 最高裁判所大法廷の都教組事件判決は、「地公法でいう争議行為等のあおり行為等がすべて一律に処罰の対象とされうべきものであるかどうかについては、慎重な考慮を要する。」とし、次のように判示している。
「しかし、さらに進んで考えると、争議行為そのものに種々の態様があり、その違法性が認められる場合にも、その強弱に程度の差があるように、あおり行為等にもさまざまの態様があり、その違法性が認められる場合にも、その違法性の程度には強弱さまざまのものがありうる。それにもかかわらず、これらのニユアンスを一切否定して一律にあおり行為等を刑事罰をもつてのぞむ違法性があるものと断定することは許されないというべきである。ことに、争議行為そのものを処罰の対象とすることなく、あおり行為等にかぎつて処罰すべきものとしている地公法61条4号の趣旨からいつても、争議行為に通常随伴して行なわれる行為のごときは、処罰の対象とされるべきものではない。それは、争議行為禁止に違反する意味において違法な行為であるということができるとしても、争議行為の一環としての行為にほかならず、これらのあおり行為等をすべて容易に処罰すべきものとすれば、争議行為者不処罰の建前をとる前示地公法の原則に矛盾することにならざるを得ないからである。したがつて、職員団体の構成員たる職員のした行為が、たとえ、あおり行為的な要素をあわせもつとしても、それは、原則として、刑事罰をもつてのぞむ違法性を有するものとはいえないというべきである。」
[188](2) また、最高裁判所大法廷の安保6・4事件判決は、国公法110条1項17号の「あおり」につき、次のように判示している。
「すなわち、あおり行為等を処罰するには、争議行為そのものが……(略)……違法性の強いものであることのほか、あおり行為等が争議行為に通常随伴するものと認められるものでないことを要するものと解すべきである。というのは、職員の行なう争議行為そのものが処罰の対象とされていないのに、あおり行為等が安易に処罰の対象とされるときは、結局、争議行為参加者の多くが処罰の対象とされることになつて、国公法の建前とする争議行為者不処罰の原則と矛盾することになるからである。」
[189](3) なお、松田二郎裁判官は、都教組事件判決の補足意見において、奥野裁判官らの反対意見に反論を加え、その中で、右多数意見を支持して次のように述べている。
「そして、勤労者の争議行為に対して刑事制裁を科することは、必要止むを得ない場合のみに限られるべしとの全逓中郵事件判決……において当裁判所の示した基本的立場に即するとき、多数意見の「あおり」行為についてなした解釈の正当性を理解しうるのである。」
「刑事的制裁の威力を頼みにして、これに刑事的責任以外の責任、たとえば民事的責任追及のための代用品的作用をもあまりに行なわしめるべきではないのである。」
[190](4) つぎに、入江俊郎裁判官は、都教組事件および安保6・4事件の「意見」の中で、「通常随伴」の点にふれ、次のように補足意見を表示している。
二、次に、多数意見があおり行為等を処罰しうるためには、あおり行為等がその対象とされた争議行為に通常随伴するものと認められるものでないことを要件としている点は、私もこれに賛同するが、この点につき若干補足意見を表示する。
 私見によれば、多数意見の右のごとき解釈のよつて来たる所以は、そもそもあおり行為等は争議行為の発案、計画、遂行の過程として、他人に対し、争議行為を実行する決意を生じさせるような、またはすでに生じている決意を助長させるような勢のある刺激を与えることであつて、通常は対象とされる争議行為に従属的ないし附随的な性質のものであるから、勤労者自らが争議行為をした場合は刑罰を科せられないとされているのに、そのような従属的ないし附随的行為につき刑責を認めるとすれば、それはその勤労者が自ら行なう争議行為に実質的に包含されていると解される行為の一部を取り上げて処罰すると同様な結果となり極めて不合理であり、争議行為自体に刑責を負わせない立前と矛盾し、かくては労働基本権を認めた憲法28条の法意にも反することとなるという配慮に出たものに外ならないと考える。それ故、ここに通常随伴するものと認められるものでないというのは、あおり行為等が例えば、組合における争議行為の共同意思に基づかないで争議行為の遂行を煽動するとか、争議行為の際に通常行なわれるような手段、方法、程度をこえた激越なものであるとか、故意に誤つた情報を提供し、欺罔、威力、暴力等の手段、方法を用いるとか等、社会通念上争議行為に伴つて行なわれるものとしては著しく不当と認められるような行為による場合をいうものと解するのが相当である。従つて、このような制限はあおり行為等の行為者が、その者の行なう争議行為自体につき刑事罰を科せられないとされる勤労者ないしそれと同等の立場にある者であつて、本来憲法28条の保障の下に在るものにつき問題とされるのであり、しからざる純然たる第三者のように、全く憲法28条の保障の下にない者については、このような制限は問題とならない。すなわち純然たる第三者のしたあおり行為等については、通常随伴するものか否かを考える余地も必要もなく、憲法28条の要請とも無関係であつて、そのような第三者のあおり行為等がすべて国公法の前記罰条の適用を受けることは、法律の規定によりもとより当然というべきである。また、そのような第三者と共謀した者がたとえ勤労者であつても、独立の犯罪者たる第三者の共犯者である以上、そのあおり行為等の行為は、争議行為に通常随伴すると解する余地も必要もなく、憲法28条の要請とも無関係の事柄であつて、これまた国公法の前記罰条の適用を受けることは、法律の規定により当然というべきものと私は考える。その意味において、本件被告人らに刑責を負わせた原判決の結論は正解である。(なお、あおり行為等の対象とされた争議行為が、公務員の勤務条件の維持改善、経済的立場の向上等労働争議本来の目的達成に関係はあるが、その手段方法、態様等からみて、公共の福祉の要請上許容し得ず違法とされるようなものであれば格別、労働争議本来の目的と全く無関係に、例えば専ら政治的目的達成のための政治運動が、争議行為の形態を採つてなされたような場合には、そのような争議行為は、憲法28条の保障とは無関係なものというべきであろう。しかし、私はそのような争議行為も実定法たる国公法上の争議行為という中には包含されていると思う。そしてたとえそのような場合であつても、そのあおり行為等をした者が勤労者自身であれば、現行国公法が、その者のする右のような争議行為自体に刑罰を科さない立前であるとすれば、それとの均衡上右あおり行為等のみに刑罰をもつて臨むことは、それが右争議行為に通常随伴するものと認められるものである限り、憲法31条の要請から、または現行国公法の妥当な解釈の上から、許されないと解するのが相当ではないかと考える。そして本件は、原審の確定したところによれば、新安保条約に反対するための労働争議に対するあおり行為等に関する事案であるが、本件は、被告人らが本件あおり行為等を第三者と共謀して行なつたというのであるから、右の点は、判決の結果には影響のないことに帰するので、ここではただ問題の所在を指摘するに止め、これ以上の詳述は省略する。)」
[191](5) また、岩田誠裁判官は、前記両事件における「意見」の中で、次のように述べている。
「よつて按ずるに、地公法61条4号は、争議行為自体を行なつた者は処罰しないけれども、争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、あおり、またはこれらの行為を企てた者を処罰する旨定めている。しかし、職員組合の行なう争議行為は、通常組合の役員または組合員から発案され、所定の議決機関の決議を経、これに従つて実行されるものと解されるので、右争議行為の「遂行を共謀し、そそのかし、あおり、企てる」行為(以下「あおり行為等」という。)のような行為が、その組合において本来の目的たる勤務条件の維持改善、経済的地位の向上およびこれと関連する事項を目的とし、自主的に行なう争議行為の発案、計画、遂行の過程として行なわれる場合にこれを刑罰をもつて処罰することは、結局刑罰をもつて、すべての公務員に対し、一切の争議行為を禁止することになり、憲法28条に違反する疑が生ずる。したがつて、地公法によつて認められた地方公務員の職員組合がその本来の目的達成のため自主的に行なう争議行為の発案、計画、遂行の過程として行なわれる「あおり行為等」は(組合の役員または組合員は勿論、それ以外の者であつても、その組合の上部組織若しくは連合体の役員のような者によつて行なわれても)、暴力等を伴わないかぎり、地公法61条4号にいう「第37条第1項前段に規定する違法な行為の遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおり、又はこれらの行為を企てた」場合に当らないものとして処罰の対象にならないと解すべきである。
 これを要するに、組合本来の目的を越えて行われたと認められる地方公務員の争議行為に対する「あおり行為等」、および組合が自主的に行なう争議行為の発案、計画、遂行の過程として行なわれるものでない一切の「あおり行為等」は、本条項に該当し、処罰の対象となるものと解する。何となれば右各行為はいずれも憲法28条が勤労者に保障する労働基本権の行使とはいえないからである。
 以上の考えに立つて本件をみるに、被告人らの本件行為は、被告人らの属する職員団体である都教組がその本来の目的達成のために自主的に発案、計画した争議行為遂行の過程としての指令の配布、その趣旨の伝達等をしたものであつて、地公法61条4号にいうあおり行為にあたらないものとして罪とならないものである。」
[192](6) 以上摘記したのが、「あおり」の一般的解釈基準にかんする最高裁判所大法廷判例および裁判官三氏の意見である。ところで、以上の判例のうち出した国公法、地公法上処罰の対象となるべき「あおり」該当の基準は、結局、その態様において、違法性の強いものに限定されるのである。そして、違法性の強いものとしては、
(i) 職員団体の構成員たる職員でない第三者の行為であること
(ii) 争議行為に通常随伴して行なわれる争議行為の一環としての行為でないこと
を要件としている。

[193](7) 右の一般的基準を、具体的事実関係に即し、どのように適用しているか。まず、都教組事件については大法廷判決は、
「一せい休暇闘争は、……その違法性を否定することができないとしても、被告人らは、いずれも都教組の執行委員長その他幹部たる組合員の地位において右指令の配布または趣旨伝達等の行為をしたというのであつて、これらの行為は、本件争議行為の一環として行なわれたものであるから、前示の組合員のする争議行為に通常随伴する行為にあたるものと解すべきであり、……刑事罰をもつてのぞむ違法性を欠くもの」
と判示した。

[194](8) また、安保6・4事件について、大法廷判決は、
「裁判所職員でなく、かつまた、裁判所職員の団体に関係もない第三者である被告人坂根、千葉、手塚の行なつた行為は、裁判所職員の行なう争議行為に通常随伴するものと認めることができないことは明らかである。また、被告人阿部は裁判所職員であり、その団体である全司法労組仙台支部執行委員長の職にあつたものであるから、そのあおり行為等がその態様において異常なものでないかぎり、争議行為に通常随伴するものと認めることができるが、本件の場合、被告人阿部は、第三者である前示被告人らと共謀して前示(ロ)の行為を行なつたものであるというのであるから、右事実関係のもとにおいては、被告人阿部の行為も争議行為に通常随伴する行為と認めることはできないものといわなければならない。」
と判示した。

[195](9) 以上のように最高裁大法廷判例の「あおり」についての解釈の基準は、(i) 職員団体の構成員たる職員以外の第三者の行為か否か。(ii) 争議行為の一環としての通常随伴行為か否か。の2点におかれている。
[196](1) 本件訴因第二の点に関連して、原判決は、次のように、罪となるべき事実を認定している。
「被告人らはいずれも当時農林省職員であつて、被告人鶴園哲夫は全農林労働組合中央執行委員長、同江田虎臣、同中野優はいずれも同組合副中央執行委員長、同西川恵夫は同組合書記長、同国井蒙は同組合中央執行委員であつたところ、昭和33年10月8日内閣が警察官職務執行法の一部を改正する法律案を衆議院に提出するや、これに反対する第4次統一行動の一環として、被告人ら5名は、……
第二、同組合会計長中村喜正及び中央執行委員10数名と共謀のうえ、同年11月5日午前9時頃から同11時40分頃までの間、東京都千代田区霞ケ関2丁目1番地農林省庁舎の各入口に人垣を築いてピケツトを張り、殊に正面玄関の扉を旗竿等をもつて縛りつけ、又裏玄関の内部に机、椅子等を積み重ねるなどした状況のもとに、同省職員約2千5百名を入庁せしめないようにしむけたうえ、同職員らに対し、同省正面玄関前の警職法改悪反対職場大会に直ちに参加するように反覆して申し向けて説得し、勤務時間内2時間を目標として開催される右職場大会(実際の開催時間は午前10時頃から同11時40分頃まで。正規の出勤時間は同9時20分。参加人員は2千名余。)に参加方を慫慂し、もつて傘下組合員である国家公務員なる農林省職員に対し、争議行為の遂行をあおつたものである。」
[197](2) まず、右の認定自体から明らかなように、本件第二の行為は、第三者の行為でもなく、第三者との共謀でもない。まさに、農林省職員であり、その団体である全農林労働組合の中央執行委員長その他中央本部役員の職にあつたものが、その地位において、争議行為の一環として、その遂行の過程において行なつた説得行為そのものである。

[198](3) したがつて、本件説得行為についての問題点は、職員の団体の本部役員たる被告人ら5氏の本件説得行為が、争議行為に通常随伴して行なわれる行為と認められるか否か、という点にしぼられる。
[199] さらに進んで検討すれば、
(i) 庁舎各入口に人垣を築いてピケツトを張り
(ii) 正面玄関の扉を旗竿等をもつて縛りつけ
(iii) 裏玄関の内部に机、椅子等を積み重ねる
などした状況のもとでの、説得行為が、通常随伴行為と認められるかという点が論点になる。
[200] もとより、別の個別で述べているように、原判決は右の点に関し重大な事実誤認をおかし、その点で破棄を免れないと考えられるのである。しかしここでは、その点についての詳述は避け、全体として本件説得行為には「通常随伴性」が認められることについて論述する。

[201](4) この第二事実は、正に、労使関係において古くより行なわれていたピケツテイングにかんする事案である。そしてピケツテイングの必要性、争議行為との不可分性、随伴性、更にその正当性、正当性の限界、その限界の流動性の承認という諸問題は、正に、現在の労働法学、刑法学上における中心課題のひとつなのである。
[202] よつて以下、争議行為とピケツテイングとの密接不可分な関係、ピケツテイングの正当性およびその限界について述べ、そのような基準にてらして、本件行為が、全く正当であり、通常随伴行為と認められるものであつて、決して刑罰の対象とさるべきものでないことを明らかにせんとする。
[203](1) およそ労働組合の役員や組合員が全体としての争議行為の一環として行なう闘争の企画、提案、協議、決定、指令、指示、オルグ、宣伝、財政対策、情報、連絡、官憲対策、防衛、演説、現場での説得、ピケ、職務放棄等々の各構成行為は、分析するとそれぞれ異質のようにみえるけれでも、これはすべてが一体となつて一つの「争議行為全体」を構成し、それらの不可欠の一環、一部分をなしている。更にいえば、争議行為の「参加、遂行」というばあいには、ただ黙つて職場を去りゆくことだけを指すというのは誤りである。みなが各自の役割に応じていろいろな態様で争議行為に「参加」し、「遂行」するのであることを見おとしてはならない。前記各一連の行為は、争議行為の実行行為の一態様である。そして、それらは、正に最高裁判例のいう「通常随伴行為」である。(ヒユツク・ニツパーダイの学説。荘子武雄教授「労働刑法」参照)
[204] 職場大会に参加し、みなと一しよに労働歌を歌い、シユプレヒ・コールをするだけの者も、演説、司会をする者も、入口の前で、来る人に対し参加を呼びかける者も、任務にちがいこそあれみな争議行為に参加遂行していることは共通である。
[205] こうした争議行為の多様性・多面性を無視してはならない。
[206] また争議行為は集団行動である以上、一定の指導、統制の不可欠なことを忘れてはならない。
[207] この点に関連し、宮内裕京都大学教授(故人)は次のように述べている。
「われわれはこれまで、単純に形式化した労務不提供の不可罰性のみを、概観してきた。しかし現実の争議行為は、ストライキという手段をとつた場合であつてすら具体的な態様は様々であるし、争議の場における攻撃防禦の発展から様々な行為が労務不提供を中心として展開してゆくのは、いまさらいうまでもない。たとえば、ピケツト、シツトダウン、デモ等々。労使の対抗関係、換言すれば、争議の場において展開されるこれらの行為の法的評価――可罰性の評価においては、単純な市民法的関係に問題を解消すべきでないことはすでに指摘したところである。たとえば、争議中脱落し(使用者)により組織され、(使用者)の指導下に操業のため入構せんとするストやぶり分子に対して、ピケツト・ラインを設定することがある。
 この場合、スト破り分子の行動を就業の自由としてとらえ、それと争議権と対立せしめ威力業務妨害罪の可罰的違法性を簡単に肯定しようとする見解がある。しかしこの見解はいうまでもなく、争議行為を把握する論理において誤つている。というのはこのスト破り集団は、単純な第三者ではなく、それは労働争議の場に、使用者の組合に対する攻撃手段として登場してきたものである。このような場合に市民的自由を貫徹させることは、実は争議権の否定になる。現象的には市民的自由――無修正の平和的説得論が、労使対抗の場に第三者――国家権力の介入をまねき、結局は労使対等の原則を労働者の不利益に破壊している。この状態は、実は争議行為を不可罰としながら、争議行為の現実的諸態様に、あれこれの罰条を以て処罰し、争議行為の不可罰性そのものを無に帰せしめた、あの歴史的段階に帰することを意味する。
 一般労働組合の場合、まさにこの点において、争議行為の正当性が争われることが多いのだが、官公労においても、同様なことがいえるだろう。原則的には私企業で許されることが、官公労でも亦認められねばならぬ」

(2) 争議権保障の意義
(イ) 中郵判決
[208] 憲法28条が労働基本権を保障していることの意義については、中郵判決が次のように述べている。
「労働基本権の保障の狙いは、憲法25条に定めるいわゆる生存権の保障を基本理念とし、勤労者に対して人間に値する生存を保障すべきものとする見地に立ち、一方で憲法27条の定めるところによつて、勤労の権利および勤労条件を保障するとともに他方で、憲法28条の定めるところによつて経済上劣位に立つ勤労者に対して実質的な自由と平等とを確保するための手段として、その団結権、団体交渉権、争議権等を保障しようとするものである。」(理由一)。
これを少しく敷衍してみると次のとおりである。
(ロ) 争議権と実効性
[209] 争議権を保障する目的は、中郵判決のいうとおり「勤労者に対して実質的な自由と平等とを確保するための手段」を保障するためである。すなわち争議権は労働者に自由と平等とを実質的にもたらすべき手段として権利性を保障されている。したがつて、争議権が権利であるためには、その実効性が保障されなければならない。実効性のない権利は争議権の名に値しない。
[210] もちろん、それは労働者が常に実際に使用者と平等の地位を確保することまで保障するものではないが、一般的には平等を確保する可能性のある争議行為を保障しようとするものでなければならない。実際に常に負ける争議行為を保障してもそれは争議行為の保障とはならない。このような意味で争議権の保障とはその実効性を保障するものでなければならない。
(ハ) 争議行為と業務阻害
[211] 労調法7条は争議行為を定義して「この法律において争議行為とは、同盟罷業、怠業、作業所閉鎖、その他労働関係の当事者が、その主張を貫徹することを目的として行なう行為及びこれに対抗する行為であつて業務の正常な運営を阻害するものをいう。」としている。労調法が争議行為を定義したのは争議行為の社会的機能に着目して、これを調整しようとするためである。したがつてこの定義は争議行為の社会的機能に注目してなされたものであるが、同時にこの定義は争議行為の一般的な定義として一般に承認されている。そうだとすると、争議行為が争議行為として意味があるのは「業務の正常な運営を阻害するもの」であることにあるわけである。したがつて争議行為の本質は何かというならば、それは業務阻害にあるというべきである。
(ニ) 同盟罷業と業務阻害
[212] そこで、このことを典型的な争議行為である同盟罷業についてみてみる。同盟罷業も争議行為、しかも争議行為の典型であるから、その本質、その社会的機能は使用者の「業務の正常な運営を阻害する」ことにある。同盟罷業をその態様でみるならば、それは集団的に労務の提供を拒否することであるが、同盟罷業とそれ自体が威力業務妨害罪に該当するかどうかについては古くから議論があり、有力な説でこれを肯定するものもある。どちらが正しいかは別として、これが問題になるということは、同盟罷業の本質が業務を阻害することにあるからであろう。
[213] 同盟罷業をその態様に着目して、その本質は労務提供拒否であるというようにいうことも、「本質」ということばの一つの使い方であるから、誤りではないし、あえて異を唱え、それが、単に個々の労務提供拒否の複数ではなく、労務提供拒否が団体行動(憲法28条)として、すなわち争議行為としてなされることの意味は、同盟罷業が使用者の業務を阻害することにある。
[214] しかし「同盟罷業は必然的に業務の正常な運営を阻害するものではあるが、その本質は労働者が労働契約上負担する労務供給義務の不履行にあり」(羽幌判決)というように、業務阻害を必然的ではあるが、たんに結果だとしてしまうような考え方は誤りであつて、たんなる修辞の違いではない。同盟罷業が争議行為たるゆえんは業務阻害にあることを銘記しなければならない。
(ホ) 争議権保障の意義
[215] 労働者の争議権が保障されるということの意義は、以上のように、労働者に使用者に対する「自由と平等とを確保するため」に実効性ある業務阻害の手段を保障することにある。これを同盟罷業についてみても同じであつて、同盟罷業が争議行為として保障されるということは、単に労務提供拒否が保障されるということではなくて、業務阻害の実効性ある方法として保障されているのである。

(3) ピケツテイングの意義と正当性
(イ) ピケツテイングの意義
[216] ピケツテイングは同盟罷業に附随して、その実効性を防衛するための補助的争議行為だといわれる。同盟罷業は集団的労務提供拒否であつて、これによつて使用者の業務の正常な運営を阻害し、その圧力によつて労働者が使用者との労働条件その他についての交渉において実質的な対等を確保しようとするものである。これに対して使用者は他の労働者などを、罷業労働者に代置して就労させ操業を継続しようとすることができる。そうなつては同盟罷業の効果がないので、罷業労働者はこのような就労をしようとする労働者を就労させないよう阻止する手段を講じなければならない。このような手段をピケツテイングとよんでいる。したがつてピケツテイングは同盟罷業の実効性を防衛するための附随的な補助的な争議手段である。しかし補助的とはいつても、同盟罷業を実効あらしめるために不可欠の手段であるから、その意味では同盟罷業の本質的な部分だといつてもいいであろう。
(ロ) ピケツテイングと実力の行使
[217] このように、ピケツテイングは、もともと同盟罷業に対抗する使用者の操業に対する労働者の対抗手段であるから、性質上当然に、その態様は多様であり流動的である。説得もその一つの態様であるが、もともと相手方は罷業労働者に代置して就業しようとするのであるから、説得くらいで思い止まるような可能性を大きく考えることはできない。したがつて同盟罷業の実効罷業の実効性を確保するための手段としてのピケツテイングには、当然ある程度の実力の行使が必要とされるのである。

(4) ピケツテイングの正当性の限界についての学説
(イ) はじめに
[218] ピケツテイングは一体どのようなものが正当とされ合法であるのかの問題、すなわちピケツテイングの正当性の限界の問題は、労働法理上最も議論の多いものの一つである。しかしながら、狭義の平和的説得の限度においてのみこれを正当とし団結による示威はそれを認めるが、スクラム、坐り込み等の実力による就労阻止を違法とする見解(以下この見解を狭義の平和的説得論と呼ぼう)は、一部少数を除き、殆んど見当らない。
[219] 学説の大勢は、程度の差こそあれ、あるいはその理論的根拠は別としながらも、狭義の平和的説得論の立場をこえてスクラム、坐り込み等の実力による就労阻止を是認しようとする見解(以下この見解を広義の平和的説得論ないし実力阻止容認論ということにする)を採用している。
[220] ところで、広義の平和的説得論ないし実力阻止容認論の立場に立つ学説の多数は、ピケツテイングの対象となる者が誰であるかによつて許容される実力による阻止との程度に差異があるものと考え、かつ本件におけるような争議から脱落した組合員に対しては最も強い形での実力による阻止を認める。以下に説を登載されている主要著書論文から要点を引用掲記した。
[221] なお、ピケツテイングの正当性の限界についての学説を概観した文献としては、新しいものでは、片岡著「現代労働法の理論」(昭和42年9月、日本評論社)、古いものでは大友・松岡編「労働争議と争議権」(講座労働問題と労働法3)、片岡ほか4名共著「ピケツテイングの研究」、高窪・中村編「学説判例総覧労働法(上)」がある。
(ロ) 狭義の平和的説得論の立場をとる見解
[222](1) 北岡寿逸(国学院大学教授)
  労働法講義(昭33・5、東洋経済社)272頁〜276頁
(2) 神山欣治(弁護士、元最高検公安部検事)
  労働刑法提要(昭29・2、立花書房)150頁〜151頁
(3) 田辺公二(故人、判事)
  「同盟罷業権について」労働紛争と裁判(弘文堂)123頁〜124頁
(4) 千種達夫(元判事、成蹊大教授)
  「ピケツテイングの正当性の限界」刑事法学の基本問題(上)木村博士還暦記念(昭33・7、有斐閣)365頁以下
(5) 三宅正男(名大教授)
  「争議権に関する諸家の見解」講座労働問題と労働法3(昭31・5、弘文堂)109頁〜110頁
(ハ) 広義の平和的説得論ないし実力阻止容認論の立場をとる見解
[223](1) 吾妻光俊(一ツ橋大名誉教授)
  新訂労働法概論(昭42・11、青森書院新社)258頁〜260頁
(2) 青木宗也・秋田成就(ともに法政大教授)
  権利のための労働法(昭40・9、法政大学出版局)319頁〜321頁
(3) 青木宗也・近藤享一(専修大教授)・佐藤進(金沢大教授)・外尾健一(東北大教授)共著
  教材労働法(下巻)(昭36・7、日本評論社)38頁〜41頁
(4) 浅井清信(立命大教授)
  労働法論(昭38・1、有斐閣)191頁以下
(5) 有泉亨(上智大教授、東大名誉教授)
  労働争議権の研究(昭32・5、御茶の水書房)143頁〜148頁
(6) 石井照久(成蹊大教授、東大名誉教授)
  労働法(法律学講座)(昭29・4、弘文堂)135頁
(7) 磯田進(東大教授)
  前掲「争議権に関する諸家の見解」111頁以下
(8) 稲垣正明(日大教授)
  「ピケツテイングに就いて」日本法学20巻5号(昭30・1、日大法学会)462頁以下
(9) 片岡f(京大教授)・本多淳亮(大阪市大教授)・窪田隼人(立命大教授)・正田彬(慶大教授)西村信雄共著
  ピケツテイングの研究(昭30・5、有斐閣)
(10) 菊池勇夫(九大名誉教授)・林迪広(九大教授)共著
  労働組合法(コメンタール)(昭29・11、日本評論社)37頁
(11) 熊倉武(静岡大教授)
  「ピケツテイングをめぐる刑法犯罪」季刊労働法10号(昭和28・12、労働法学研究所)41頁以下
(12) 慶谷淑夫(東京工大助教授)・萩沢清彦(成蹊大教授)・花見忠(上智大教授)共著
  労働法教室(昭39・11、有斐閣)142頁〜147頁(慶谷担当)
(13) 後藤清(福岡大教授)
  (イ) 前掲「争議権に関する諸家の見解」所収119頁〜120頁
  (ロ) 「ピケに関する次官通達」労働法6(昭30・4、有斐閣)150頁以下
(14) 佐伯静治(弁護士)
  「ピケツテイング」労働法講座第3巻(昭32・5、有斐閣)653頁以下
(15) 佐藤昭夫(早大教授)
  ピケツト権の研究(昭36・4、勁草書房)
(16) 島田信義(早大教授)
  「ピケツテイング」労働争議論(浅井教授還暦記念)(昭40・6、法律文化社)107頁以下
(17) 清水兼男(金沢大教授)
  「争議行為の適法性について」労働法、経済法の諸問題(末川先生還暦記念)(昭28・11、有斐閣)188頁〜190頁
(18) 荘子邦雄(東北大教授)
  労働刑法(法律学全集)(昭34・11、有斐閣)
(19) 団藤重光(東大教授)
  「ピケツテイング」団結権の研究(末弘博士還暦記念)(昭25、日本評論社)209頁〜213頁
(20) 津曲蔵之丞(元東北大教授)
  「争議行為と業務妨害」総合判例研究叢書労働法(2)(昭33・2、有斐閣)
(21) 恒藤武二(同志社大教授)
  「ピケツテイング」労働法演習(石井有泉編)(昭36・6、有斐閣)
(22) 中村正(大分大教授)
  「争議行為の法令による制限」労働法大系3(昭38・5、有斐閣)
(23) 中山研一(京大助教授)
  「ピケツテイングの違法性(羽幌炭鉱事件)」刑事訴訟法判例百選(昭40・1、有斐閣)195頁
(24) 沼田稲次郎(都立大教授)
  団結権擁護論(下巻)(昭27・8、勁草書房)78頁〜108頁
(25) 野村平爾(早大教授)
  「ピケツテイングの正当性とその限界」日本労働法の形成過程と理論(昭32・9、岩波書店)120頁以下
(26) 林信義(横浜市大教授)
  改訂労働法概論(昭39・11、三笠書房)248頁〜249頁
(27) 藤木英雄(東大教授)
  「ピケツトと威力業務妨害罪」可罰的違法性の研究(昭42・9、有信堂)
(28) 松岡三郎(明大教授)
  労働法論議案―昭和30年版(昭30・4、弘文堂)174頁〜175頁
(29) 宮内裕(故人、京大教授)
  前掲「争議権に関する諸家の見解」142頁〜143頁
(30) 柳川真佐夫・古山宏・緒方節郎・高島良一・斎藤平伍(判事)
  全訂判例労働法の研究(下巻)(昭34・11、労務行政研究所)
(31) 渡辺吉隆(判事)
  「ピケツテイングの分析」東北法学会誌9月号(昭34・12、東北法学会)

(5) ピケツテイングの正当性の限界についての判例
[224](イ) 判例を検討するにあたつて、特に留意すべきことは、労働基本権の尊重という基本的観点に立つということである。
[225] 昭和41年10月26日、最高裁大法廷は全逓中郵事件について画期的ともいうべき重要な判決を下した。右判決を貫く基本思想は次のように要約される。すなわち
(一) 争議権は生存権の保障を基本理念とし経済上劣位に立つ勤労者に対して、実質的な自由と平等を確保するために、憲法によつてみとめられたものである。
(二) 争議行為は正当な限界をこえない限り憲法の保障する権利の行使にほかならないから民事上、刑事上の責任を問われない。
(三) 争議権に対する制限は勤労者の生存権に直結し、それを保障するための重要な手段である点を考慮すれば、その制限は合理性の認められる必要最低限度のものにとどめなければならない。
(四) 労働基本権の制限違反に伴う法律効果、すなわち違反者に対して課せられる不利益については、必要な限度をこえないように十分な配慮がなされなければならない。とくに勤労者の争議行為に対して刑事制裁を科すことは、必要やむを得ない場合に限られるべきである。
[226] 札幌高裁昭和42年4月27日判決(現在最高裁第3小法廷係属中)が右の最高裁判決をうけて、同盟罷業行為、ピケ行為は憲法上の権利に由来し、そこにはおのずから一定の制約の存することも認めなければならないが、反面これも余りに制約することによつて憲法の保障を有名無実のものとするような解釈もとることも厳重に慎まなければならないところであると述べているのは、右大法廷判決後の下級審裁判所として正当な解釈態度というべきである。本件第二行為の正当性を判断するについては、右の大法廷判決および右札幌高裁の判決に述べられている基本思想は十分に尊重されなければならない。
[227] 前記札幌高裁判決はつぎのように判示している。
「同盟罷業行為が使用者に対する集団的労務提供拒否をその本質とし、憲法の保障する労働基本権に基づく正当な争議行為であることはいうまでもない。これに随伴し、その実効を失わせないためにする補助的手段としてのピケ行為も、その目的において正当と認められることは右にみたとおりである。しかし、たとえそれが憲法上の権利に由来し、その目的が正当であるからといつて、いかなる手段、方法によつてこれを行なつてもつねに違法でないということはできないのであつて、そこにはおのずから一定の制約の存することを認めなければならないが、反面、これを余りに制約することによつて憲法の保障を有名無実のものとするものとするような解釈をとることも厳に慎まなければならないところである。かかる見地からピケ行為の手段、方法につきその許される限界を考えてみるのに、労組法1条2項但書所定の「暴力の行使」を伴う場合、あるいは企業財産に属する機械、設備その他の物件を破壊もしくは奪取する等、ひとしく憲法上の保護を受ける使用者の財産権の直接かつ著しい侵害を伴う場合にこれが違法とされるのは勿論のこと、同盟罷業行為は労働者が団結してほんらい自己に属する労働力を使用者に供給するのを停止するものであるところ、使用者がこれに対抗して自らまたは他に労働力を求めて操業を継続することは(これを不当労働行為として禁止する立法をもたない我国においては、労働協約において制限しないかぎり)経営権の行使として当然許されて然るべきであり(ことに、住民の福祉増進に資することを建前とする地方公営企業にあつては、企業の正常な運営を最大限に確保することの必要性は高い。)、また、これに応じて就労しようとする者の勤務の権利ないし意思活動の自由も保護に値する法益と考えざるを得ないから、たとえ正当な争議行為の実効性を担保する目的を以てするのであつても、これらの権利ないし自由を実力に訴えて一方的かつ完全に排除することは許されないものというべきである。従つて、右目的によるピケ行為の手段、方法は、罷業者に代つて就労しようとする者に対し、争議の趣旨を訴えてその翻意を求めるために説得活動を基調とするものでなければならないと解するのを相当とするが、争議行為は、そのなされるに至つた経緯、状況、対象等において多彩であり、相手方または第三者の態度、行動に即応して流動性に富むものであるから、具体的事例において如何なる範囲の行動が右説得活動として許容されるかは、かかる諸般の事情を綜合してこれを決しなければならない。(最高裁判所昭和33年5月28日判決、刑集12巻8号1694頁)」
[228] 原判決の判旨によると、ピケの正当性の限界は、依然として「平和的説得」の範囲内にあるかのような理論を固執しているようだが、この理論は、終戦直後の労働判例にはみられなかつたもので、昭和24年頃から日本国憲法28条のような規定を持たないアメリカより直輸入された理論であり、もつぱら「言論表現の自由」から導き出されたものである。しかも、組合の争議脱落者に対するピケを一様に平和的説得の限界内におしこめるわけにはいかないのである。
[229] その後いくつかの下級審判例の集積の中でこの理論は変容を余儀なくされ、それが最高裁にも反映し、昭和31年12月11日第3小法廷は三友炭鉱事件(最刑10・12・1605)において、組合員の一部が罷業から離脱して就業したばあい「このような就業を中止させる行為が、違法とみとめられるかどうかは、正当な同盟罷業その他の争議行為が実施されるに際しては、とくに諸般の状況を考慮して慎重に判断されなければならないことは言うまでもない」とし、「判示行為は、いわば同組合内部のできごとであり、しかもすでに多数組合員が……炭車運転行為を阻止しているさい、あとからこれに参加して炭車の前方線路上に赴き、『ここを通るなら自分をひき殺して通れ』と怒号したというにとどまる」のであるから、いまだ違法に威力を用いて人の業務を妨害したものというに足りないとしたのである。
[230] その後、判例は一貫して、この態度をとつており、単に「平和的説得」のみに限るというものはほとんどみられなくなつた。
[231] 昭和42年4月27日の札幌高裁の札幌市労連事件の判決(判例時報491号38頁)は、この点について、市電の線路上のピケについて、諸般の事情から正当性の範囲を逸脱しないと判示しているのである。
[232] これらの判例の趣旨と、今次大法廷判決が下した「暴力を伴う」という限界を併せ考えても、なお本件ピケは「暴力を伴う場合」などとはとうてい言えず、その他諸般の事情からみて可罰性のあるものでもなく、典型的平和的説得の限界内のピケであるといつても少しもさしつかえないものである。
[233](ロ) 以上で明らかにしたように、ピケツテイングの正当性の限界について、最高裁判例は、平和的説得を旨としながらも、実力の行使についても、これを一概に不法とすることなく、それが正当な範囲内にあるかどうかは諸般の事情により判断すべきものとしている。そしてさらに、札幌高裁42・4・27判決はじめ、下級審の諸判決はそれをさらに相関的、流動的に考える傾向を顕著に示しつつある。このように要約することができる。
[234](1) 11月5日の当日の説得がいかに平和的なものであつたかは、次の各証言に照らしても明らかである。
第9回公判 中西一郎証人(当時官房秘書課長)
1 正面玄関から松岡、清野両人が入るとき(組合員は)職大に参加してほしいという説得をしたが、結局入つた。
2 そのあとをついて、自分も中へ入つた。
第10公判 丸山幸一証人(当時経理厚生課長)
1 8時半頃、食堂の女の子が10数名フオークダンスを左側の広場の方で踊つていた。
2 鶴園は、「表へまわつて下さい」と非常に柔かい調子で言つていた。
3 ピケ破りした人たちに対して、国井は「組合員であれば参加するのが当然じやないか」と説得してた。
4 庁務職員(守衛、小使、秘書)など入つていた。
5 ピケを破るときは、一般職員は傍観していた。
第13回公判 伊藤正三証人(当時中執)
1 海上保安庁よりの東口で、6〜7人とともに口頭で説得(職場大会に参加してくれ)した。
第18回公判 後藤久男証人(当時農林省官房経理厚生課庶務班長―当局側)
1 7時45分から50分頃、防衛庁の方の入口から入つた(阻止されず)各階ごと2、3の部屋をみてまわつた。
2 各課の席の20%は入つていた。正面玄関は北側で、寒いので、早く来て中へ入つていないとかぜを引いちやうという人もいた。
第25回公判水野正男証人(当時中執)
1 郵便局前に14、5人いつしよにいて来る人に説得し、集会に参加しようと訴えていた。
2 腕ぐみしてとめたことはない。
3 応じない人はそのまま郵便局入口から入つて行つた。ボイラーマンや電話、エレベーターガール、守衛には多くの力を使わなかつた。
4 業務の阻害というような立場に立たない意思表示であつたから、そういう人の説得に重点をおかなかつた。
5 管理者は放置しておいた。
6 ドアから、2、3メートル前方に、扇形に立つていた。各組合員間にすきまも何もガタガタになつている。
第25回公判見田稔証人(当時中執)
1 海上保安庁口にあり。
2 10人位といつしよに玄関前と敷地入口に二手に分かれていた。
3 呼びかけに応じてくれない人については入りたい人は入れるし、その人の行動まで束ばくしないという形であつた。
4 腕ぐみはしない。
5 海上保安庁の守衛が保安庁以外の人は入れなかつた。
6 そういう人に集会参加を呼びかけた。
7 ほとんど参加した。一部が「白腕章」につれられて行つた。
8 当局側も来ていて、裏にまわつてくれといつていた。
[235](2) 原判決は、本件説得行為は平和的説得の域を逸脱しているとしている。
[236] これは、事実を歪めた判断である。以下具体的に事実を明らかにする。
[237](i) 本件の職場大会以前においても、またその後も本件職場大会と全く同じ態様をもつた玄関前職場大会が、全農林労働組合の組合員の、通常おこなう意思結集、意思表示の一方法として取り組まれてきたことは、第一、二審において、明白となつている。
[238](ii) またその多くの場合、より完全な意思結集、より大きな意思表示ができるよう本部として各級機関の役員を中心に各入口に説得班を配置し、その集会の成功させるための任務を果してきたことも、まぎれもない事実であり、また第一審以来明らかにしてきたところであり、現に明らかになつている。
[239](iii) しかも、本件における職場大会での説得行為とくに裏口におけるそれについてみても、説得班は終始労働歌を斉唱したり思い思いに談笑しあつたり、全く通常となんら異なることのない状態であつた。これまた伊藤、千葉証人らの証言で、余すところなく明らかにされている。
[240](iv) しいて通常と異なつた出来ごとといえば、農林省当局が用意したいわゆる白腕章組であり、彼らによる「力を入れて押分ける(大橋証言)」行為であり、多数の制服警官隊の導入、実力行為であつて、いずれも組合員にとつては青天のヘキレキであつた。
[241] これが、平和的説得行為を妨害しようとした所行だつたとさえいえるであろう。
[242] そうではあるが、白腕章組の責任者、丸山経理厚生課長(当時)と裏口説得班の責任者である国井被告人との間の多くのやりとりは、しばしば笑顔を交えておこなわれた。
[243] また伊藤証人も白腕章組の動きを「狩りだされたらテレくさそうに、ニヤニヤとしていた」とのべていることにあわせてみる場合、その場の雰囲気は、至極平穏であつたことをうかがいしることができるであろう。
[244](v) 机、椅子等をつみ重ねあるいは旗竿等で扉をしばる等したことはもし仮にあつたとしても被告人国井をふくむ説得班はもちろん全被告人の全く関知しないことである。このことも第一審以来明らかにしてきたところであるから多くをふれる必要を認めない。
[245] むしろ問題にしなければならないのは、検察官が申請し採用された検察官と不離一体である警察官松崎証人の証言である。それは「宣伝カーがピケ前に停車し、ピケを補強した」とのべたことである。これは、吉川証人の証言で明らかなように全く事実にないことを「反平和的行為」として描き出してデツチあげる不当不法きわまる内容であり、偽証をさえおこなつてでも罪に陥れようとする悪意にみちたもので断じて許せないものである。

[246](3) 職場集会に「参加して下さい」という説得、これらは原判決に引用してあるのをみても、全く堂々とした品位のある、しかも条理をつくした、穏当は内容ではないか。これは、争議行為に不可欠なものである。また入口の前に「人垣をきずいた」というが、人垣ということばは全く抽象的である。人が各入口にいたことは事実だがそれは人垣というようなものではない。また「入室しないようにしむけた」というが、それはあくまで口頭であり、応じない人は自由に入室できたことは証拠にてらして明らかである。このように、訴因の中のこの部分は決して証明されていない。しかもこのような参加形態はいわゆる「平和的な説得」の典型的なものというべきであり、かかるものは、争議行為に通常附随する手段であること、また労働法上最高裁も含めて「平和的説得」は合法であり不可罰であることは承認されておるのである。
[247] かように、平和的説得行為をしたからといつて、それをもつて、「あおり」ということはできず、これ亦争議行為遂行、参加の一形態とみるべきなのである。
[248] よつて、全農林労組その他各労組が11月5日当日行なつた本省庁舎前のピケは全体として、争議行為参加そのものであり、通常随伴性を有しており、「あおり」にならず罪とならないものである。
[249] この点第一審判決がつぎのように認定判示していることこそ、最高裁大法廷判例の示した解釈にも合致する、正当な法律解釈というべきである。
「被告人らがとつた右職場大会開催の伝達なり参加方の慫慂、あるいは職場大会の司会、警職法改正反対行動に関する趣旨の説明という一連の行動は、いずれも争議行為の一態様として行なわれる職場大会にあつては、これと不可分な随伴的行為とみることができ、かつその手段も通常の方法であつてことさら人の自由の意思活動を誤まらしめるおそれを生ずるような激越なものであつたとは認められない。このことは証拠によつて認められる。農林省裏玄関附近に居合わせた職員のうち、すくなくとも2、30名の者が被告人らの説得、慫慂にもかかわらず職場大会に参加しなかつた事実からも窺えるのである。また農林省の庁舎各入口には、20名ないし50名位づつで2重又は3重に立ち並んでピケツトを張つていたのであるが、しかし証拠によれば右ピケツトも職員の自由意思による通行を阻止するものではなく、現に職場大会に参加しなかつた職員はとり立てた妨害も受けず自由に入口から庁舎内へ出入していた事実が窺われるので、ピケツトを張つたことをとらえて直ちにその手段が、激越であるとはいえない。従つて被告人らのこの行為も前と同様、さきに挙げた強度の違法性を帯びるとされるいずれの範疇にも属せず、同条に規定する争議行為を「あおる」行為には該当しないものといわなければならない。」
[250] 原判決は2つの訴因についてともに無罪とした一審判決を破棄して自判の上、両訴因の事実とも有罪とした。それは一審判決に事実誤認と法令の解釈・適用の誤りがあるとした結果であるが、弁護人はその原判決にこそ事実誤認と法令解釈適用の誤りがあり、これを破棄しなければ著しく正義に反する違法があると主張する。而して他に指摘するとおり第一の指令発出に関する訴因については4・2判決に徹し、事実認定の如何にかかわらず有罪の原判決は破棄を免れないこと明白であるから、さらにすすんで事実誤認の主張をとくにする必要を認めない。そこで本論点としては11月5日農林省前の職場大会の現場におけるあおり行為認定について、その重大な事実誤認を主張する。
[251] 原判決が罪となるべき事実として認定判示する事実は
「……被告人等5名は
第二、同組合会計長中村喜正及び中央執行委員10数名と共謀のうえ、同年11月5日午前9時頃から同11時40分頃までの間、東京都千代田区霞ケ関2丁目1番地農林省庁舎の各入口に人垣を築いてピケツトを張り、殊に正面玄関の扉を旗竿等をもつて縛りつけ、又裏玄関の内部に机、椅子等を積み重ねるなどした状況のもとに、同省職員約2千5百名を入庁せしめないようにしむけたうえ、同職員らに対し、同省正面玄関前の警職法改悪反対職場大会に直ちに参加するように反覆して申し向けて説得し、勤務時間内2時間を目標として開催される右職場大会(実際の開催時間は午前10時前頃から同11時40分頃まで。正規の出勤時間は同9時20分。参加人員は2千名余。)に参加方を慫慂し、もつて傘下組合員である国家公務員なる農林省職員に対し争議行為の遂行をあおつたものである。」
というのである。
[252] しかしながら、原判決全体を通観して明らかなとおり、右の事実認定は原判決の国公法98条旧5項、110条1項17号に関する解釈に導かれ、これに照応するものである。すなわち、原判決は国公法110条1項17号を積極的に争議行為を指導した者に対する処罰規定と解し、
「その指導的行為の違法性は、その目的、規模、手段方法(態様)、その他一切の附随的事情に照らし、刑罰法規一般の予定する違法性、即ち可罰的違法性の程度に達しているものでなければならず、又これらの指導的行為は、刑罰を科するに足る程度の反社会性、反規範性を具有するものに限る。」
とし、このような法令解釈の上に立つた場合、本件第二事実についてみると「指導的行為の違法性」は一連の指令、指示という背景、各入口のピケツトという「人的勢威」、旗竿で扉をしばり、或は机、椅子を積重ねる等を手段とする入庁阻止、これらの情勢情況のもとでの説得、慫慂行為である故に、その態様その他一切の附随的事情に照らして可罰的違法の程度に達しているとの法律的評価を与えられるべきものとしているのである。
[253] このような原判決の国公法の解釈を前提とする観点がその事実認定として「被告人らは……共謀のうえ……各入口に……ピケツトを張り、殊に正面玄関の扉を旗竿等をもつて縛りつけ、又裏玄関の内部に机、椅子等を積み重ねるなどした状況のもとに……」なる判示を必要とし、これを導き出しているものといえる。つまり、右「状況」の事実認定は原判決の独自の法律解釈――可罰的違法の程度は目的、規模、手段方法(態様)、その他一切の附随的事情に照らして決すべきもの――を前提とする限りにおいてのみ必要であるものと認められるのである。たとえば、本件第二事実においてもともとの検察官の起訴事実は「人垣をきずいて……入室しないようにしむけた上……」といういわゆるピケツトのみの記載であり、それ以外は訴因として明示的に主張されていなかつたものであるところ、原判決の如きあおり等解釈によればその目的、規模、手段方法から「その他一切の附随的事情」まで検討の対象となることになる結果として、原判決の状況認定、殊に机、椅子等の判示を必要とするにいたつているのであると思われる。
[254] しかるところ、原判決の右の如き事実認定の前提たるあおり行為等の法律解釈、その処罰の要件についてはその後のいわゆる4・2判決においてこれを否定する判例が確立したから、これに徴すれば原判決の右あおり解釈に関する一連の判示は今日到底これを維持し得ず、これを前提とする事実認定もこれを変更しなければならぬ状態に立ちいたつたものと考える。
[255] われわれは、4・2判決を前提として本件を検討した場合、訴因第二の事実に関しても第一事実とともに被告人らに対し刑事責任を問う何らの理由がないものと確信するのであるが、検察官から4・2判決を前提としてもなお問題とされるのであろう左記諸点について以下原判決の事実認定自体に重大な誤認あることを指摘しつつ、われわれの見解を明らかにし原判決の破棄を求めるものである。
[256] 4・2判決はあおり行為処罰の要件の一つとして「あおり行為等が争議行為に通常随伴するものと認められるものでないこと」(64事件)をあげる。けだし、
「あおり行為等にもさまざまの態様があり、その違法性が認められる場合にも、その違法性の程度には強弱さまざまのものがありうる」。「ことに、争議行為そのものを処罰の対象とすることなく、あおり行為等にかぎつて処罰すべきものとしている規定の趣旨からいつても、争議行為の通常随伴して行なわれる行為のごときは、処罰の対象とされるべきものではない」(都教組事件
からである。

[257] ここで4・2判決が明示しているごとく、争議行為に通常随伴性があるかどうかを判示している対象はあおり行為等自体であり、その状況でも事情的態様でもないのである。
[258] 4・2判決(64事件)中、入江意見が通常随伴性を認められない場合を例示されているが、その場合でも、たとえば「争議行為の際に通常行われるような手段・方法・程度をこえた激越なものである」場合の主体は「あおり行為等」そのものにほかならないこと判文上明白であつて、その状況ではないのである。
[259] したがつて、ここで本件での問題はあおり行為等自体に通常随伴性が認められるか否かにこそあるといわなければならない。

[260] そこで本件についてこれをみると、原判決の認定事実をそのまま肯認するとしても被告人らの訴因第二についての行為は
「イ、被告人鶴園は全農林の宣伝車に乗車し、庁舎裏玄関前附近等に参集していた農林省職員らに対し、マイクにより職場大会へ参加するようくり返し呼びかけて説得、慫慂し、更に同大会の開催に際して、警職法改正に対する総評及び全農林第1回中央委員会の決議の趣旨を説明し、
ロ、被告人江田は庁舎裏側附近において、職員に対し、メガホンを使用して、くり返し職場大会の開催を呼びかけその参加方を説得、慫慂し、更に同大会の開催冒頭において開会の宣言をなし、
ハ、被告人中野は職場大会の開催に際して、各入口においてピケツトを張つていた組合員の責任者と連絡をとりながら、農林省或は警察各当局との間に紛争を生じた場合に備えて各入口を巡視し、又その間北側入口においてはピケツトを張つていた組合員らを指揮し、
ニ、被告人西川は終始右職場大会の司会を行ない、
ホ、被告人国井は裏側入口附近において、ピケツトを張つていた組合員を指揮するとともに、職員に対し、くり返し職場大会の開催を伝達してこれに参加することを説得、慫慂したほか、丸山課長らのピケツト排除行為に対し、ピケツト要員の先頭に立ちこれを妨害するとともに、同課長に従つてピケツト排除を試みた職員らに対しても「とにかく表へ行つて職場大会をやつているのだから参加したらどうか。組合員として参加することは当然ではないか」等と呼びかけて職場大会への参加方を慫慂した」
というのであり、このうち、特に被告人中野、同西川については「両名とも直接農林省職員らに対し職場大会への参加方を説得、慫慂したような形跡は証拠上認め難い」のであり、他の被告人鶴園、同江田、同国井の説得、慫慂行為はその手段、方法、態様においてまさに通常随伴すると認められるものであり、その説得、慫慂行為自体にことさら激越なものは全く含まれていないこと、その他、通常随伴性を否定すべき事実を認められないこと、多く論ずるを要しないほど明白である。
[261] 一審判決がこの点「被告人らがとつた右職場大会開催の伝達なり参加者の慫慂、あるいは職場大会の司会、警職法改正反対行動に関する趣旨の説明という一連の行動は」(傍点弁護人以下同じ)と判示してあおり行為自体の通常随伴性をまず判断の対象としていることは判断の方法としてまことに正当であり、その内容として「いずれも争議行為の一態様として行なわれる職場大会にあつては、これと不可分な随伴的行為と見ることができ」としていること、その上でその手段について言及していることはいずれもまことに正当であるといわなければならない。(なお、被告人らの関与した手段についても違法性のないことは後述)

[262] 4・2判決のうち、安保64事件の確定した事実関係をみると、国鉄労組員、東北大生等により仙台高裁各入口に張られたいわゆるピケツトそのものがあおり行為にあたるとするものであり、右事件の被告人坂根らは右あおり行為であるピケツトとの共謀を認定され、いわゆる共謀共同正犯理論により刑法60条を適用されて有罪とされているものである。ここで注目しなければならぬのは、4・2判決は右の事実関係と理論構成により有罪としたといつても、右あおり行為自体であるピケツトがあおりの手段、方法、程度において通常随伴性を有しないとは一切判示しておらず、右ピケツトそのものをあおり行為とする事実認定に立ちながら、通常随伴性を否認する理由としたのは右事件被告人坂根らが裁判所職員の争議行為にとつて「第三者」にあたるとするが故であること判文上明白であることである。つまり、このことはいわゆるピケツトの存在は「争議行為に通常随伴すると認められるものでない」場合にあたらないこと、すなわちピケツトそのものは通常随伴性を有することを判旨として明示したものといわなければならない。

[263] 本件についてこれをみると公訴事実の記載、原判決の罪となるべき事実の記載のいずれによつたとしても、いわゆるピケツトの記載は右安保6・4事件のように慫慂行為、あおり行為そのものとしてのそれではなく、状況の記載にすぎないことは明らかである。そして前記のとおりあおり行為そのものとしての被告人らの原判決判示の前記説得、慫慂行為は争議行為に通常随伴するものと認めるほかない以上、被告人らに刑事責任を科した原判決の事実誤認、法令解釈適用の誤は明白重大であつて破棄されなければならない。
[264] 原判決の第二事実に関する状況の認定は前述のとおり、原判決のよつて立つ法律解釈を前提とし、これに相応するものであり、かつ、状況記載であつて、あおり行為そのものの認定としての記載ではないこと明らかであるが、われわれはさらにすすんで右の事実認定そのものにも重大な事実誤認あることを次に指摘することとする。

1 旗竿、机、椅子の問題
[265] 原判決はいわゆるピケツトを張つたとの判示につづいて「殊に正面玄関の扉を旗竿等をもつて縛りつけ、又裏玄関の内部に机、椅子等を積み重ねるなどした状況のもとに」被告人らのあおり行為があつたと認定している。
イ 証明なし
[266] しかしながら、まず第一に正面玄関の扉を旗竿等で縛りつけ、或は裏玄関の内側に机、椅子等を積み重ねたという事実が認められるとしても、それが誰によつて、いつなされたものか、その証明がない。のみならず、さらに重要なことはその事実と被告人等との関連は全く証明がないということである。
[267] 証人中西一郎(本件当時農林大臣官房秘書課長)の一審証言によれば、同人は全体として記憶は明瞭ではないのであるが、当日は2、3回庁舎の外を見て廻つたという。第1回目は職場大会のはじまる相当前であつたが、正面玄関には相当の人数がいて、ちよつとごたついたが入れたといい、裏玄関については記憶はなく、第2回目は午前9時20分前後頃であつたが全体の状況は第1回目の頃と同じであつたと思うが、正面玄関および裏玄関についてそれぞれ原判決認定のような状況があつたと証言するが、他方一審証人丸山幸一(本件当時農林大臣官房経理厚生課長)の証言では裏口内側の机、椅子は職場大会がはじまつた午前10時以降であつたと認められる。右状況が現出する時期を推認させる証言は右証言のほかめぼしいものは存在しない。而して、これが誰によつてなされたかを検討するのに、前日の5者協議の結果によれば、いわゆるピケ要員の分担としては、正面玄関は全林野および食堂労組であり、前記証人中西一郎の証言でも、同人の顔見知りの人はそこには見当らなかつたというのであり、一審証人仲沢信吾(本件当時農林省食堂労組委員長)の証言によれば正面玄関の分担は「大体食堂従業員、要するにコツクさん、そういつた人達が中心になつて、私どもはおつたように記憶しています。当日は殆んどあの玄関は農林省の食堂のものだつたと思います」というのであり、これらの証言は他の当局側証人の証言あるいは現場写真の状況と一致する。裏玄関については、5者協議の結果によれば、いわゆるピケ要員の分担としては被告人国井他50名となつていたが、一審証人丸山幸一(本件当時農林大臣官房経理厚生課長)の証言によれば、裏口の状況として「非常に印象に残つておりますのは、食堂の調理をやつている諸君、コツク、ウエイトレスもいたと思いますが、例の白い帽子を被つて参加していたということです」というのであり、右証言によれば本来正面玄関担当の食堂労組員が裏玄関のいわゆるピケに参加している事情が窺われるのであるが、その間の事情として前記一審証人仲沢信吾の証言では「正面と裏門とは何米も離れていなくて、すぐそちらにも行けるわけです。その当日の情況に応じて私達の組合員(食堂労組)は動くというふうに誰か……4日の日に」5者協議で決つていたとの趣旨の答をしているのである。つまり、正面玄関と裏玄関とを内部から往き来し、情況に応じて動いたのは食堂労組員であつたこと、また、被告人国井については当日は裏玄関の外側で説得活動に専ら当つていたことが明らかであるから、右内部の状況に関与していないことが明らかであること、が証明されているものというべきである。
[268] そうとすれば、正面玄関の旗竿等、裏玄関内部の机、椅子等はともにいつ誰によつてなされたものか必ずしも明らかにされているものとはいえないのであり、したがつて被告人等の原判示説得、慫慂行為が右状況事実の現出のあとで、その「状況のもとに」なされたかどうか、証明なきに帰するのである。ことに裏口内側の机、椅子等の積み上げは職場大会開会の午前10時以降であることが、前述のとおり、認められるから、職場大会で司会、開会の辞、決意表明をしていた被告人らについては認識する由もなかつたものであること明らかである。
[269] されば、これらの点においてまず原判決には重大な事実誤認の疑があるというべきである。
[270] さらに右各証拠から、あえて推測するとしても、右状況事実は食堂労組員が関与しているとの疑を認め得るにとどまり、それはもちろん被告人等とは無関係に、現場における偶発的事情に応じてなされたものと認められるのである。その偶発的事情に応じてなされた状況事実について被告人等の明白な認識があつたとの厳格な証明がなく、かえつてそうでないと認められる事実がある以上、その「状況のもとに」被告人等の説得、慫慂行為がなされたと判示する原判決はこの点においてもまた重大な事実誤認の疑の違法を免れないものである。
ロ 被告人らは関知せず
[271] 第二に指摘しなければならないのは、本件各証拠によれば、右状況事実は被告人等の認識の外にあつたものであること、さらに被告人等の認識、意思連絡の内容は争議行為に通常随伴の範囲内にあることが積極的に証明されていることである。
[272] 11月4日のいわゆる5者協議の内容については原判決が判示するところによつても、11月5日各入口の分担にしたがい、出勤してきた職員に職場大会参加方を説得、慫慂するというのであつて、そこには正面玄関、裏玄関における旗竿、机、椅子等のことは全く含まれていないのである。したがつて右5者協議の結果を金辺順炳全農林組織部担当中央執行委員が中央執行委員会の席上、各出席者に伝達したとしてもその内容に机、椅子等のことが含まれていないのはもち論であり、さらに協議の内容、決定事項について予め全農林中央執行委員会が関与した事実もない(一審金辺順炳証言)のであるから結局、右旗竿、机、椅子等のことが被告人等の認識、相互の意思の内容たりうる基礎がもともとないことに帰するのである。
[273] かりに5者協議の結果中に右事項が片鱗でも含まれていたと想定しても、右5者協議の結果を伝達した金辺順炳の11月4日全農林中央執行委員会の席上の発言中にこれを示す何らの証拠がなく、かえつて同人の一審証言によれば、
「同人は声が大きいので一般の場合には書記局の中で叫んで伝達するわけであるが、その後近いうちに中央執行委員会なりが開かれれば、その席上で再び伝達するという方法をとつているところ、本件の場合はまず、5者協議が終つて直ちに書記局に帰つてそこにいた書記ならびに中央執行委員に対し大声をあげて伝達し、そのあと同日夜の中央執行委員会の席上再び時間をもらつて伝達をしたが、その内容は職場大会の式次第、執行委員の配置等であつた」
ことが認められ、一審証人見田稔(当時全農林中執)の証言によれば
「組織部から当日の行動配置について伝達があつて配置についたが、伝達内容は明日の行動については共闘会議で決つたから全農林だけでなくほかのところと一緒に統一してやることがなつたから、その配置についてくれという趣旨であつた」
といい、一審証人吉田武彦(当時全農林中執)の証言によれば
「その名簿(配置に関するものを指す)を読みあげたことはあつたと思いますが、それについて討議したということはありません」
というのであり、さらに一審証人水野正男(当時全農林中執)の証言によれば同人は
「前日の中闘会議の席上で大きな声で「だれだれはどこどこ」というふうにいわれて配置についたのであり、配置については別に討論がなかつた」
というのである。これらの証言によれば伝達内容は事務的に配置場所を伝えるにとどまり、それに要した時間は極めて短時間であつたこと明らかであり、その伝達内容中には何らここで問題となつている状況事実にふれたものがないこともまたきわめて明らかである。したがつて、右伝達を直接、間接きいた被告人らを含む各中央執行委員の認識もしくは意思の中に右状況事実が入りこむ余地がなかつたことは当然なのである。金辺伝達をきいた各中央執行委員会の認識は従前しばしば行われ慣行化した職場大会と同様の配置としてうけとられたことは当然推認しうるところであり、而して従前の慣行化した職場大会には職場大会参加方を説得するためのいわゆるピケツトは存在したが、原判決のいう状況事実の慣行は一切存在せず、かつ、存在したとの証拠は一切ない(証人金辺順炳の一審21回公判における証言等参照)のであるから、被告人等の認識、意思はいわゆるピケのための配置等以上に何ら出るものがなかつたものと認めなければならない。
[274] 而して5者協議の結果の報告事項、これが被告人等に伝達された内容のいずれもが争議行為に通常随伴性を有するものであることはくわしく論ずるまでもなく、したがつてこの伝達をうけて参加した被告人等の認識の点でもまた同様である。
[275] しからば被告人らが判示状況事実を認識していたことを前提とした原判決の認定(原判決は認識がなかつたとは到底認め難いとしている)は明らかに重大な事実誤認をおかしているものといわなければならない。
ハ 証拠の歪曲と不正な推認
[276] 第三に原判決の判断の誤りを指摘しなければならない。
[277] 原判決は事実としては弁護人の右の如き主張を認めざるを得ない。すなわち、原判決はいう。
「なるほど、もともと正面玄関は前記5者協議の結果、全林野及び食堂労組の分担として決定されたことは前記のとおりであり、又右5者協議に出席した全農林中央執行委員金辺順炳が11月4日の中央執行委員会において5者協議の決定事項を伝達した際、旗竿等で縛りつける件及び机、椅子等を積み重ねる件等の詳細についてまで伝達したとは証拠上認め難い」
[278] このように判示するのであるが右のうち「詳細についてまで伝達したとは認め難い」として恰も概ねは伝達したかの如く読める判示の不当については前述したとおりである。
[279] 原判決はさらにつづいて
「したがつて、右中央執行委員会に出席した被告人鶴園、同江田及び同西川その他の役員、又電話或は口頭により伝達を受けた被告人中野及び同国井の11月4日当時の認識としては、前記旗竿等で縛りつける件等についてまでその認識の内容に含まれていたということはできない」
と一応結論するほかないのにかかわらず、一転して
「しかしながら、前記のとおり同中央執行委員会が約2時間にわたつて開かれている事実に徴しても、又その間前記金辺から伝達を受けた5者協議の結果につき出席役員の間に相当討議され、殊にピケツトについては強力な手段をとることが決定されたことは容易に推認される点、更には11月5日当日における被告人5名の前記説得、慫慂を中心とする行動等に照らせば、当日被告人らが右旗竿等で縛りつけてある件等について全然認識がなかつたとは到底認め難く、それ故、論旨のいうようにこれらの件について被告人らに全く責任がないとはいえない」
とするのである。
[280] 右判示は一読してわかるように証拠の歴然たる歪曲とその上に立つた推認によつて構成されているのである。まず、原判決は11月4日の中央執行委員会が約2時間にわたつて開かれている事実をあげ、その「時間」の長さを「推認」の根拠にあげ、次にその間に5者協議の結果について出席役員の間に「相当討議」されたことを判示している。
[281] しかし、問題は単に抽象的な時間の長さではないことは余りにも明らかである。何に費された時間か、が問題である。右11月4日中央執行委員会は5者協議の結果を討議すべく開かれたものではない。一審証人吉田武彦の証言によれば当日は細かい議題もいくつかあつて整理のような恰好であり、組織部の中執の誰かが総評から聞いてきた情勢について報告、それについて質問が出たりしたのであつて、本件5者協議の結果については
「書記長じやなかつたと思うんですけれどもその名簿を読みあげたことはあつたと思いますが、それについて討議したということはありません」
というのであり、一審証人金辺順炳の証言によれば、11月4日の中央執行委員会は5日における全国情勢の分析をし、いろいろ総評全体の闘い方について情勢報告、討論ということをやつたが、5者協議の結果については、その際に時間をもらつて伝達したというのである。その他、前記一審証人水野正男の証言をも合せ考えると、右2時間の会議が恰も5者協議の結果につき出席役員の間で「相当討議」するために費されたとする原判決は余りにもみえすいた証拠の歪曲をあえてなしているものとせざるをえないのである。
[282] 原判決はこのような明白な証拠の歪曲の上に立つて、証拠のないことを自白する如く、「推認」を試みるのである、その推認の内容というのは「右中央執行委員会において殊にピケツトについては強力な手段をとることが決定された」というものであるが、一体何を根拠に、いかなる証拠と事実に基いてかかる勝手な推認をなし得るのであろうか。証拠法則、論理法則を無視した言葉の魔術で言いつくろつているものとしか思えない。原判決は「更には11月5日当日における被告人5名の説得、慫慂行為を中心とする行動に照らせば」「当日被告人らが右旗竿等で縛りつけてある件等について全然認識がなかつたとは到底認め難く」というのであるが、右前段から如何にして後段の結論が導かれるのか、飛躍も甚しく、殊に既にのべたとおり、被告人らが説得等の行為をした際に、その時点で既に右旗竿等があつた旨の証拠もないのであるから、到底、合理性をもつた判断ということはできない。
ニ 理由のくいちがい
[283] 第四に、原判決の理由のくいちがい、事実誤認を指摘しておかねばならない。
[284] 原判決は、検察官が控訴趣意において被告人国井ほか数名が裏玄関において当局職員の写真撮影を発見して写真機をもぎとり、フイルムを抜きとり感光させたという事実がピケツトの内容であり、入庁阻止の手段であると主張したのに対し、
「この事実は被告人国井以外の被告人らの関知しない、又予期しない突発的なものであることが証拠上明らかであるのみならず、検察官主張のように入庁阻止のためのピケツトの内容をなすものとまではいい難く、弁護人の主張するとおりに本件国家公務員法違反事件としてはあおり行為とは関連のないものであるといわなければならない」(傍点弁護人)
と判示しているが、右フイルムの点がそうだとしたらまさに本件机、椅子、旗竿の問題もまた被告人らの関知しない、又予期しない、突発的なもの(のちにのべる当局側の異常な強引さに対応して現場の何ものかがなしたと思われる)であること明らかであり、されば原判決の論法をもつてしても被告人らに対する国家公務員法違反被告事件としては関連のないものとすべきが至当である。これらの事実は本件被告人らのあおり行為の内容として訴追の対象となるべきものではなく、もしそれが例えば威力業務妨害の構成条件に該当する等他の刑法的評価をうけるべきものであれば個別的に当該行為者を特定して訴因を明示して訴追の対象とすればよいのである。
[285] 原判決がフイルム感光の点で弁護人の主張を容れながら、これと法律的評価を同一にすべき机、椅子等について弁護人の主張を斥けて被告人等のあおり行為に関連ありとして責任を認めたことは前後理由にくい違いのある違法があり、これによつて重大な事実誤認に陥つているものといわなくてはならない。

2 いわゆるピケツトに関して
[286] 一審判決は前述のとおり、まず、被告人らのなした一連の行動自体について通常随伴性を判示したのち、その手段についても通常随伴性を指摘して
「その手段も通常の方法であつてことさら人の自由な意思活動を誤らしめるおそれを生ずるような激越なものであつたとは認められない」とし、「このことは証拠によつて認められる農林省玄関附近に居合せた職員のうち、すくなくとも2、30名の者が被告人等の説得、慫慂にもかかわらず職場大会に参加しなかつた事実からも窺えるのである。また農林省の庁舎各入口には20名ないし50名位づつで二重又は三重に立ち並んでピケツトを張つていたのであるが、しかし証拠によれば右ピケツトも職員の自由意思による通行を阻止するものではなく、現に職場大会に参加しなかつた職員はとり立てた妨害も受けず、自由に入口から庁舎へ出入していた事実が窺われるので、ピケツトを張つたことをとらえて直ちにその手段が激越であるとはいえない」
と判示した。
[287] これに対し原判決は
「本件農林省正面玄関前において勤務時間内職場大会の行なわれた際の周囲の様相は、全農林、全林野労働組合(以下全林野と略称する。)農林省食堂労働組合(以下食堂労組と略称する。)の各役員らが、農林省各入口の扉の内外に約20名乃至50名づつ二重、三重、数重のピケツトを張り、或はスクラムを組み、或は労働歌を歌い、或は笛を吹き、殊に正面玄関の扉を旗竿等をもつて縛りつけ、又裏玄関の内部に机、椅子等を積み重ねてその上に人が乗り、各出入口における職員の出入を監視しながらその入庁を阻止し、管理職且つ非組合員なる清野農地局建設部長ほか1、2名をも誰何する等して容易には入庁させず、しかも、右入庁阻止のため登庁できず庁外に集まつている多数の職員を、裏玄関より入庁させるべく企図した当局側の大臣官房経理厚生課長丸山幸一の指揮する職員、守衛ら15乃至20名が再三一団となつて裏玄関の右ピケツトの排除を試みた際にも、スクラムを組んで積極的に抵抗してピケツトを解除せず、やむなく当局側の要請により出勤した警官隊が裏玄関のピケツト排除を行なおうとした際にも容易にこれに応ぜず、警官隊の実力行使によりようやくピケツトが解かれるに至つたが、かくして、約2千5百名の農林省職員のうち、入庁阻止態勢がいまだ手薄であつた午前8時頃に出勤した非組合員なる管理職の者2、3名、エレベーター係等の一部の女子職員、守衛等極めて僅少の職員を除き、その大部分の入庁をほとんど完全に阻止したうえ、その間各出入口にいた説得班と称する組合幹部の者らが、これらの職員に対し職場大会への参加方の説得、慫慂をした事実及び以上のような状況のもとに、午前10時前頃から同11時40分頃に至る間、正面玄関前において農林省職員ら2千名余の参加を得て職場大会が開催された事実が明白に認められるのである。しかして前記のような各入口、特に正面玄関前、裏玄関前における強力なピケツトにより職員のほとんど大部分の入庁を阻止するような行為は、正当性の範囲を逸脱していることは明らかであり、これを手段として被告人らのなした後記説得、慫慂行為は平和的説得、慫慂の域を逸脱しているものというべく」
と判示して一審判決が事実を誤認し、かつ、法令の解釈、適用を誤つたとするのである。
[288] しかしながら、原判決の右認定こそ事実を誤認するものである。
イ 郵便局口は開けてあつた。
[289] 証人水野正男(当時全農林中央執行委員)の証言によれば同人は前日の中央執行委員会における金辺順炳からの伝達により、本件職場大会での配置場所は農林省内郵便局入口と決められ、当日その配置についたものであるが、当日は郵便局入口に配置についたのは14、5名で各入口同様説得活動に従事した、その内容は従来の職場大会の場合と変りなく、呼びかけ説得を行ない、警職法反対の趣意を話して参加してくれませんかと訴えたのである、その中で郵便局入口では庁務職員(ボイラー、エレベーター、電話交換手、守衛等)は従来も職場大会へは部分的に参加するという実情であつたので参加呼びかけの説得も重点をおかず、庁内立入りを自由にし、また、管理者についても説得などせずに放置しておいたのであり、管理者や当局側の人で庁内出入を妨害されたという事例は全然なかつたのである。そして同入口からはほぼ3人に1人の割合に庁内に入つたというのである。
[290] 而して、このように1つの入口を管理者や庁務職員のためにあけておく方式は従前の職場大会でも慣例的に行なわれてきたことでこのことは、多数の証拠上認められるところである。
[291] たしかに、警察官撮影の写真によればその撮影時間が真実とすれば午前9時56分頃から午前10時17分頃までの間に3階以上8階までの庁舎には若干名の守衛以外の職員が入庁していないようであり、それがいわゆるピケツトに因るものと即断しがちであるけれども、事実は決してそうではないのである。
ロ 当局の計画と意図
[292] 証人中西一郎、同丸山幸一、同鈴木茂三郎らの証言によつて証明されるとおり、11月5日の本件当日は警職法改悪反対国民会議のもとで、ほとんどの国家公務員関係の労働組合は同じく勤務時間内にくいこむ職場大会を実施して警職法改悪反対の強い意思を示すことになつていたところ、政府当局はこれを機にひとり被告人らの属する全農林労働組合をねらつて弾圧する計画をたて、その綿密な計画のもとに公安警察と連絡をとりながら、当日は管理職職員らをピケ破りのために管理者の誘導のもとに裏玄関に集中して挑発し、警察力介入の口実をつくつて刑事事件をつくることを協議実行したのである。
[293] すなわち、10月15日に警職法改悪案粉砕のスローガンをかかげて行われた全国的な闘争が全農林の職場大会においても全国的に整然と実施されたことは警職法改定案を急拠成立せしめようとする政府当局を焦慮させ、その頃の閣議や各省事務次官会議では右職場大会や全農林労働組合の活動が論議の対象となり、従来の農林省と全農林との関係について各省から種々の反動的批判の意見や、農林当局が全農林に対して更に強硬な態度措置に出るべきである等の意見が出されるに至つた。この経過は農林当局の全農林に対する急激な弾圧計画の推進と態勢の整備となつて具体化し、一方、各省間の人事課長会議は事務次官会議と平行し総理府の公務員制度調査室が定期的に招集して開催されていたが、10月末頃開催の人事課長会議でもこれに出席した農林省中西秘書課長に対して各省から従来の農林当局の組合対策に対する批判がなされ、強硬的措置が要望されたのである。
[294] 右次官会議の論議の内容、その結論は次官から中西秘書課長に指示伝達され、右人事課長会議の結論と相まつて当局の組合に対する高圧的な姿勢と弾圧態勢の急速な整備確立と推進となつて具体化した。
[295] 而して、10月末頃に至つて、11月5日には総評を中心とする警職法改定反対の意思表示として統一行動が行われ、全農林でもその一環として職場大会を行うことを察知した農林当局はその具体的対策を協議し、更に、それを契機として全農林を弾圧すべく数度にわたり協議を重ねるにいたつた。
[296] 11月初旬、中西秘書課長は各局責任者を招集、11月5日の職場大会対策を協議の結果、官房で白地に農林省と書いた布腕章を作成、これを各局に配布して当日当局側要員につけさせ、職場大会の切り崩しを策することとなつた。
[297] この白腕章は右弾圧計画のために、この時始めて作られたもので、従来幾度にもわたつて行われて来た全農林の職場大会においては見られなかつたものであつた。
[298] 当日は当局側要員は、当日午前8時半まで登庁、庁舎各入口に配置、正面玄関前の職場大会への組合員の参加を妨害、組合員を裏門より誘導することなどの指示をうけていた。
[299] 一方、又、当局は本件職場大会に警察官を導入、弾圧することを企図し、予め中西秘書課長、丸山経理厚生課長などを通じて警視庁と連絡、警視庁側からも農林省に出向いて当日の弾圧を協議したのである。
[300] そして、当局はかねての協議と計画に従い、11月5日に2百名をこえる当局側職員を早朝出勤させた上、これに白腕章をつけさせ、各入口に配置し、説得と称して、組合員の大会への参加を妨害させた。その間も当局の責任者はたえず警察と連絡を保つていたのである。
[301] このように、当局は綿密な計画のもとに白腕章職員に命令して職員を裏玄関に集中誘導することになつていたのであるから、組合側が従前の慣例にしたがつて郵便局入口を解放し、自由に出入りできるようにしていても、これには見向きもしなかつたのである。それは当局側のかねての計画だつたからであり、組合側の「阻止態勢」の故ではなかつたのである。右のように弾圧計画の経過をみてもわかるとおり、当局は職員を誘導して就労させるという目的はなく、専ら職場大会を妨害し、ピケ破りを行い、幾度もピケ破りができないという実績をつくつてみせた上で、予め待機している警察力を導入することこそその目的であり、当局側の行為の内容であつたのである。もう少しくわしくいえば、当局はかねて警視庁と、当日の弾圧計画について連絡協議を重ねていたが、警察当局の方針は、制服警察官は一定時間まで出勤しない、それによつて職場大会を実施させた上で弾圧の口実をつくり、一方その間私服警官を動員して弾圧のため証拠蒐集に当らせることにあつた。
[302] 私服警察官は右に従い、大会の状況、各入口の状況及び庁舎内の写真多数を撮影してのちの弾圧に備えたのであつて、その写真こそが原判決の挙示する警察官桜井重之、同中川喜英及び上妻茂夫の各撮影した写真にほかならぬことを注意しなければならない。右の点を考えないと証拠の評価を誤るのであり、原判決はまさに証拠の評価を誤り、事実を誤認しているのである。
[303] 原判決は
「……右入庁阻止のため登庁できず庁外に集つていた多数の職員を、裏玄関より入庁させるべく企図した当局側の大臣官房経理厚生課長丸山幸一の指揮する職員、守衛ら15名乃至20名が再三一団となつて裏玄関の右ピケツトの排除を試みた際にも、スクラムを組んで積極的に抵抗してピケツトを解除せず、やむなく当局側の要請により出動した警官隊が裏玄関のピケツト排除を行なおうとした際にも容易にこれに応ぜず、警官隊の実力行使によりようやくピケツトが解かれるにいたつた……」
と認定しているが、右判示は本件職場大会における当局側の一連の行動が、のちの警官に対する出動要請、弾圧に至る一連の予め計画されたプログラムに従つたものである事実を無視した事実誤認の違法がある。当局側は、かねての警察側との打合せに基き、午前10時頃警察に対し出動要請をなしたが、警察側はすぐにこれに応ぜず警官隊を最高裁構内に待機させその間写真班私服を動員して庁舎内外の状況を撮影して弾圧資料の蒐集をはかり、重ねての出動要請をしてもこれに応じないという経過事実を作為し、その上で職場大会が平穏に終ろうとする午前11時20分頃、突然、警察は当局側の出動要請があつたとして実力行使に入り、庁舎裏門附近で組合員に対しトンネル、ゴボー抜き等の方法で弾圧を加えたのである。
[304] これら、当局側と警察側との計画に基く意図的に作為された事象についてまでピケツトの態様を示す事実として判示するとしたら、原判決もまた当局、警察の不法不当な意図に左担して事実を誤認するものとの非難を免れない。
ハ 職場大会への職員の自発的参加。
[305] 而して、当局は予め白腕章誘導班を数十名を以て編成し、本件職場大会の弾圧に備えていたことは前述した。右白腕章誘導班は当日午前8時半まで登庁し、正面玄関の職場大会を切りくずし、組合員を裏門より誘導すること、など事前に具体的な指示をうけた上、職場大会に臨んだが、それにも拘らず、組合員の大会への自発的参加の意思は動揺せしめられなかつた事実も重要である。原判決は、被告人らのピケツトによつて「約2千5百名の農林省職員の……大部分の入庁を完全に阻止した」とか「入庁阻止のため登庁できず庁外に集つている多数の職員」とか、と認定し、あたかも、農林省職員の大部分が入庁の意思を有し、現実に試みたが阻止されたため登庁できなかつたの如き認定をしているが、完全に誤りである。事実はまさに組合員の大部分が当局側の圧迫と妨害に拘らず、自発的に本件職場大会に参加したのであり、ピケツトがなければ入庁していたという状況ではないのである。
[306] つまり、職員の大部分が入庁しなかつた事実と本件ピケツトの態様は直接の因果関係はないのであり、この点をみるならば、一審判決の判示する「農林省玄関附近に居合せた職員のうち、すくなくとも2、30名の者が被告人等の説得、慫慂にもかかわらず職場大会に参加しなかつた事実」も重要な意味をもつてくるのである。これを単に「部分的現象」とみる原判決はこと柄の本質を見誤つているものといわなければならない。
ニ ピケツトの態様について
[307] 原判決は各入口に「強力なピケツトにより職員のほとんど大部分の入庁を阻止するような行為」あるいは「各入口に人垣を築いてピケツトを張り」と判示し、ピケツトが強力で、人垣をなし、物理的にも入庁が不可能な状況であつたかの如くいうが、この点は重大な事実の誤認である。
[308] 各入口について分担配置についた各中央執行委員の証人としての供述によつても、各配置についた上で、三々五々立つていて、事前に職場大会開催の連絡もれのあるものが普通で3割ぐらいはあるので、これらの組合員たる職員に対し、職場大会の開催されること並にその趣旨、意義を訴えて、参加を呼びかけたのである。その態様は原判決の表現する如きものではなかつたのである。
[309] 裏玄関についても同様であつて、前述のような当局の計画的なピケ破り行為があつた際にだけこれに対応して、スクラムを組むという行為がなされたにすぎないと認められるのである。
[310] これら当局側の挑発的行為に対応してなされた単なる防衛的かつ一時的・部分的スクラムがあたかも全入口に継続的になされたかの判示をなし、その上で「強力なピケツト」とか「人垣を築いた」などと認定する原判決は明らかに重大な事実誤認をおかしたものといわなくてはならない。
ホ その他の事実誤認と証拠評価の誤り
[311] 原判決は「管理職かつ非組合員なる清野農地局建設部長ほか1、2名を誰何する等した」と判示するが、証人中西一郎の証言でもわかるとおり、右清野らはいくらかのやりとりの末、入庁している事実がある。この点こそ重要なのに、原判決はこの入庁の事実をこと更判示せず、「誰何」を強調するのは意図的でさえあると思われる。
[312] 原判決は被告人国井の原審公判廷の供述、すなわち、丸山課長らが裏玄関におけるピケツト排除を試みた際の状況につき
「丸山課長を中心にして守衛、白腕章の人達(当局側の者)10人前後が来て、『入口を開けてくれ』と言つたので、私は管理者が入ることは拒まないので、『どうぞ』と言つたら、丸山課長は『おれは入らない』と言つて元の位置の中庭の方へさがつて行つた。2度目に管理者が来たときも、丸山課長は前回のときと同じく『入口だから開けろ』と笑いながら言つて私のほうに身体を押しかけて『開けろ、開けろ』と言つたので、私は『無茶をしないで下さい。入るなら入つて下さい』と話をしたが聞き入れてくれなかつた。3回目のときも2回目と同じ状態をくり返していたという状況であつた」
旨の供述につき、
「右供述部分自体極めて不自然、不合理であつて到底首肯できるものではないばかりでなく、証人丸山幸一の供述等に比照しても信用の限りではない」
と判示している。
[313] しかし、裏玄関における当局側の行動は前述の証拠によつて証明されている本件の経過にみられる当局の意図、目的との関連で判断されるべきであり、そうすれば、右国井供述によつて認められる当局の一連の行動、丸山経理厚生課長の言動には何ら不自然、不合理のないことが判然とするのである。証人丸山幸一の証言のこれに対する否定こそ、自己の立場の合理化のためのそれであつて信憑性を否定されるべきものといわなくてはならない。
[314] 原判決にはこの点でも証拠の評価を誤り、事実を誤認した違法がある。
[315] 全逓中郵事件大法廷判決が傍論とはみられるものの国家公務員法のあおり行為等処罰規定について「積極的に争議行為を指導した者にかぎつて、さらに刑事制裁を科することにしたもの」と判示したことは、原判決にも多大の影響をもたらしていることが看取できる。それは直接には原判決の
「……あおり行為等の指導的行為は、争議行為の原動力、支柱となるものであつて、その反社会性、反規範性等において争議の実行行為そのものよりも違法性が強いと解し得る」
とし、あおり行為等の限定解釈を否定した点に現れている。しかしながら、右の如きあおり行為等の無限定合憲論が4・2判決で否定され、とくに
「違法な争議行為に原動力を与える者は、単なる争議に参加した者に比して、反社会性の強いものとして、特別の可罰性を認めるべきであるとの観点から、争議に対し指導的役割をなす煽動者等のみを処罰することにより、違法な争議行為の防止と刑政の目的を達し得るものと考えたのであり」、「集団行動による違法行為について、その原動力となつた煽動行為等の違法性を特に重視することは十分合理性のあること」(都教組事件大法廷判決中の少数意見)
であるとする考え方は少数意見として厳然として排斥されたのである。
[316] かように原判決の本件に関する法令の解釈・適用は今日これを維持するに由ないものであるが、このような原判決の誤つた法令解釈に基く事実の認定は公務員の争議権が労働基本権の制限、ことに刑事罰をもつてのぞむ禁止は必要やむを得ない最少限度にとどめるべきであり、公務員法中、争議のあおり行為等の処罰規定は、対象とされる争議行為およびそのあおり行為の双方の違法性の強度なものである場合にのみ、右規定で処罰できる、との立場からきびしく再検討されなければならぬのは当然である。
[317] その場合、原判決には左のとおりいくつかの事実誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反するのである。

1 原判決のいう「指導的立場」
[318] 原判決は右のような指導者処罰論ないし原動力処罰論の上に立ち、本件について被告人ら各人のあおり行為を認定しているのであるが、それでもその各々のあおり行為が他の組合幹部のそれとの関係で当然に問題になり得る、つまり、5者共催の本件職場大会でなに故に全農林中央本部の被告人らのみが訴追され、有罪とされねばならないのか、その合理性をどこに求めるかは指導者処罰論、原動力処罰論の上に立つてもなお残される問題である。原判決はこれに関して
「右職場大会が前記のとおり3者共同主催(厳密には、全農林、全林野、食堂労組の3者)とはいうものの、農林省庁舎内の各所属組合員の人数は全農林が圧倒的に多いこと、又被告人ら全農林役員各自の予め定めた分担、職場大会において果した被告人らの具体的行動等に徴し、更には従前の各種指令、指示が発せられている事実等を総合すれば、全農林の被告人ら役員が前記職場大会の開催につき指導的立場にあつたことは明白であり……」
と判示している。
[319] しかしながら、右のような事実は被告人らの属する全農林労働組合の指導的立場、わけても被告人ら各人の指導的行為の合理的説明にはならない。
[320] 前述のとおり、11月4日、金辺順炳中央執行委員が5者協議の直後、書記局で通常の場合と同じように大声で誰誰はどこどこと言い、さらに中央執行委員会でも同様のことを伝達したにとどまるのである。当日、現場でのピケツトについて協議した等の事実は全く認められない。各中執はじめ被告人らのうけた伝達内容は各人の配置場所にすぎない。このことは後に電話ないし口頭で伝達をうけた被告人鶴園、同中野、同国井の場合(被告人鶴園については後述のとおり原判決の認定は事実誤認の疑がある)を考えても判然する。右3被告人は5者協議の決定内容を詳細にそのまま伝達をうけたのではなく、自己のつくべき配置場所、つまり可罰性のない争議行為の実行行為に参加する態様について、従来のそれと全く異なるところなく、従来の範囲、方法から逸脱しない方法によつて、その伝達をうけたのである。もとより、被告人らはいずれも伝達したのではなく、伝達を受けたのである。伝達をうけて職場大会に参加したことは何ら争うものではないが、それはあおり行為についての意思連絡を意味するものではなく、争議行為の実行行為への参加についての意思連絡の成立に過ぎないのである。この点は厳格に区別して考えなければならない。
[321] いずれの点からみても、被告人らの属する全農林労組中央本部ことに被告人らが本件職場大会に指導的役割をはたしたという一切の事実もなければ、もち論、その証明もないのである。
[322] もともと、本件は前記のとおり、あらかじめ当局と警察・検察側が一体となつて予定して刑事事件にしたのであるが、検察官の本弾圧事件の構想は、本件職場大会を全農林労働組合単一の職場大会として捉え、その中で同労組東京都本部が中央の指令をそのまま実施する様子がないので中央の被告人等が中心になつてこれを実行することになつたものとしたのであり、そこに被告人らの指導性、被告人らのあおり行為の違法性を求めていたのであつた。(検察官の冒頭陳述第五の一参照)
[323] そのような検察官の本件の捉え方が全く事実に反することは、一審における弁護人側の主張立証で動かし難いものとなつた結果、検察官は被告人らの行為の違法性を全農林労組中央の指導的立場にこれを求めることができなくなつたのである。つまり、本件はもともと検察官の重大な事実誤認に基く起訴であつたことが明らかとなつたのであつた。
[324] したがつて、本件の実体は検察官の主張と全く反して5者共催であり、その経過はまず11月1日全農林東京都本部と全林野が連絡協議、全農林東京都本部が2時間職場大会を決め、そこへ食堂労組が共同闘争を申し込んだ結果、11月4日の5者協議にいたつたのであり、被告人等の全農林中央は全く受身の立場であつて、何ら指導的立場も、役割も果していないのが真相であるとすれば、全農林中央のみに焦点をあてた本件訴追の合理性は認め得べくもなく、一審で無罪とされたのはけだし当然であつたといわなければならないのである。
[325] しかるに検察官は自らの主張・構想が根本的に誤りであることを認めざるを得ない立場に追いこまれるや、主張の骨子を変更し、前述の机、椅子の問題やいわゆる第三者論(検察官控訴趣意書63頁、117頁)を控訴趣意としてもち出すにいたつたのである。
[326] 原判決はさすがに右のうち、いわゆる第三者論はとり得ないとしたらしく判示しなかつたが、結局、机、椅子の問題を被告人らに結びつけ(この点については前述した)さらに新たに被告人らの「指導性」を強調判示するにいたつたのである。
[327] このような本件訴追の実体、主張・立証の変せんを検討するならば、被告人らの本件における「指導性」はもともと存在せず、したがつて検察官は全くその証明に失敗しているものであることは明白である。
[328] 原判決は5者、厳密にいえば3者のうち全農林の組合員数が圧倒的に多いことを理由にあげるが、それが本件具体的な職場大会に対する被告人らの具体的「指導行為」の理由たり得ないことは当然である。
[329] 被告人らの職場大会における分担、果した具体的行動についても前述のとおり通常随伴の域を全く出ず、5者のうちの他の組合役員のそれに比して異つた内容をもつとの事実もなければその証明も全くないのである。
[330] さらに指令、指示の発せられている事実をもつて、被告人らが「指導的立場」にあつたとの理由になし得ないことは多く言及する要のないことである。
[331] してみれば、原判決が前摘示の理由を挙示して被告人らが本件職場大会の開催につき指導的立場にあつたと判示してその違法性が強度であるとしたことは明らかに重大な事実誤認、法令の解釈適用を誤つたものといわなくてはならない。

2 被告人西川、同中野について
[332] 被告人西川が本件職場大会において司会を行なつたにとどまり、同中野は庁舎各出入口を巡視する等したのみで、両名とも直接農林省職員らに対し職場大会への参加方を説得、慫慂したような行動に出た形跡のないことは原判決も認めるところである。
[333] このように、被告人西川、同中野については原判決認定どおりとしてもあおり行為そのものがないのに、なおかつ、原判決が刑責を肯定する理由として、意思連絡とその意思連絡の上に立つての実行分担の事実をあげるのであり、その点での事実誤認は先に指摘したとおりであるが、その底には右被告人らが組合で指導的立場にあり、それが本件でも指導的役割をはたしたもの、つまり組合の地位がそのまま違法行為の指導的立場に平行直結する如き飛躍した認定がひそんでいるといわざるを得ない。
[334] このような組合の地位を争議のあおり行為等にそのまま指導的立場として認めて刑責を認める認定の仕方は、4・2判決の趣旨にも反し、かつ、組合における地位と具体的行為の指導性を混同するものであつて、事実を誤認する違法があるものといわなければならない。

3 被告人鶴園と11・4中執会議
[335] 一審判決は、被告人鶴園が11月4日の中央執行委員会に欠席し、当日の決定事項とくに分担はその頃口頭により出席していた他の役員より伝達をうけてこれを了承した旨判示したが、原判決はこれを事実の誤認と判示した。
[336] 原判決はその判断の根拠として一審証人吉田武彦の証言をあげるのである。
[337] たしかに同証言によれば被告人鶴園は11月4日の中央執行委員会には出席しており、したがつてその限りにおいて一審判決の認定は事実を誤認したものといえよう。けれども、問題は伝達のときに被告人鶴園が在席したか否かにある。証拠によれば右中央執行委員会は約2時間を要したのであり、普通ならば中央執行委員長たる被告人鶴園が議長として会議をすすめるべきところ、右証人吉田武彦の証言によれば、被告人鶴園は疲れているので議長をやらなかつたというのである。結局、右2時間の会議の初めの頃に被告人鶴園が在席した事実は認め得るが、伝達のときに在席したという証拠は原判決引用の証人吉田武彦の証言によつてもなく、他にこれを認定する証拠はないのである。むしろ、疲れから途中退席したことも充分考えられる状況にあるのである。
[338] 検察官も被告人鶴園が伝達のときに不在であつた事実を認めていることは注目されなければならない。検察官は一審論告において
「被告人鶴園・同中野・同国井が欠席し被告人江田が議長の職を失なつた。」、「被告人鶴園は5日当日農林省正面玄関前附近で中央執行委員から組合員である職員に対して職場大会参加の説得方を要望されてこれを承知した」(一審論告69頁)
と主張し、これと同旨の一審判決の認定に対しても、その控訴趣意書で全く争つていないのである。
[339] これらの事実を考え合わせると原判決には重大な事実誤認の疑があるといわなければならない。
[340]一、原判決は、いわゆる「政治スト」は憲法28条に保障された行為としての正当性の限界を逸脱するものとして刑事制裁を免れない、と判旨する。そこで、「政治スト」とは何か、争議行為の正当性、とりわけその刑事法上の正当性とは何か、を明らかにしながら、原判決の判旨の誤つていることを明らかにしてみよう。

[341]二、なにを政治ストと呼ぶかについての代表的見解をみてみると、
いわゆる政治ストと経済ストの区別が一般に問題とされている。この限界づけが困難なことは多くの人の指摘するところであるが、法律的な判断の規準としては問題は、そこにあるのではなくして、争議行為が労使の団体交渉によつて解決可能な事項――事実上解決可能かということではなく、その措置しうる利益に関するかということ――の実現のためになされているか否かということが重要である。従つて、それが純然たる政治上の目的実現のためのものでなくても、右の要件に該当しなければ、使用者としては争議行為の結果を甘受しなくてもよいという意味で違法なストとなるわけである。……このように、いわゆる政治ストは違法と考えるが、それが違法であるというのは主として労組法上の民事上の免責を受けえないという意味である。刑事上の免責については、免責を受けえないといつてみても、単に政治ストに参加したというだけで刑罰を課しえないことは当然のことであり、また、不当なピケツテイングでも行なわれなければ、当然に業務妨害罪を構成するともいえない。
と説くのである。
[342] この見解の骨子は、そのストライキの目的とされた事項の社会的、経済的、政治的性格とその目的をあえて掲げることの労働組合活動としての必要性、相当性――すなわち正当性の有無は、あげて捨象してしまつて、労使間の団体交渉事項であるかどうかにしぼつているのである。
註、石井照久、労働法の研究I、223頁以下。
  吾妻光俊、労働法概論、248頁以下。
[343]三、しかし、労働組合がその組織する労働者(その家族をふくめて)たちの「地位の向上」のために活動するとき、その諸活動の分野が、単に経済的分野にかぎらず、ひろく社会的、政治的文化的な領域にまで及ぶ必要のあることは当然のことである。その必要は、人間生活の環境は、これらの各種の領域にわたつて存在しているからである。生存権というのは、このような広汎な人間生活の各種領域とかかわりを有する生活利益=生活諸条件(Conditiones of their lives)の向上をめざす「権利」をいうのであつて、単純な意味での経済的利益をいうのではない。
[344] したがつて、上掲論者も、ストライキがいわゆる政治ストなるゆえに当然に刑罰を課しうると論定するのではなくして、その論者の理解するところにおいての憲法28条の範囲外に在るから、使用者がその結果を甘受しなければならぬような正当な争議行為ではない、というにとどまつているのである(ちなみに、これらの論者も、政治ストを可罰的とみることに反対し、政治ストを理由とする使用者の報復が多く不当労働行為や権利乱用となることを示唆していることは、注目してよい)。
[345]このように、政治ストの合法、違法が論ぜられるのは、それが「労働法上のストライキ」(arbeitsrechtlicher-Streik)なりや否や、したがつて民事責任を生ずるや否やというところに、その論争の焦点があることを、あえて指摘しないわけにはいかないのである。
註、三井美唄公選法事件大法廷判決(昭43・12・4)。
  ウエツブ、労働組合運動史(上)(改訂、荒畑寒村訳)、21頁以下。
  ニツパーダイ、新聞スト事件の意見書(法務資料369号)、57頁以下。
  オーカーン・コイント、イギリス労働法の基礎理論(松岡三郎訳)、95頁以下。
[346]四、原判決が、政治ストは憲法28条の正当性の範囲を逸脱するから刑事制裁を免れないと説くのは、上述の論争の焦点について全くの誤解があるといわねばならない。本件ストライキが、いわゆる「労働法上のストライキ」に該当しないからということから、直ちに可罰的とするわけにはいかないのである。というのは、まず、非「労働法上のストライキ」処罰の実定法の存在を必要とし、しかも、憲法28条が一定の範囲で違法性阻却事由となると同様に、たとえば憲法21条もまたその立法趣旨に則して違法性阻却の理由を形成するものなのである。しかも、そのストライキの目的をみて「労働法上のストライキ」にあたらないからといつて、そのストライキ活動の過程で展開されたすべての言動が憲法28条の次元での刑事法上の合法性を失うと、一直線に結論することができるのか、という問題があるからである。これらの問題が、「可罰的違法性」、「社会的相当行為」といわれる論点なのである。
[347] わが国の実定法規のなかには、政治スト処罰法は、無い。すなわち、政治ストを可罰的違法類型として考える「秩序」も「社会通念」も存在していないということである。したがつて、西ドイツの政治スト論争にみられるような議会強要罪の成否を論ずる余地は、全くないのである。それゆえ、政治ストを刑事法上違法視する余地のないのに、何らかの他の実定法規をしてその代用としての機能を営なましめることは、正当な手続によらないで国民に刑罰を課するものというほかはない。
[348] 政治ストを、法現象として憲法21条の次元で考えてみると、そのストライキがそのかかげる政治的目的の不法のゆえに、あるいはその貫徹のために「公共の困苦」を生じ「国民生活全体の利益」が損なわれるときは、その言動が実定法の構成要件を充足する限度において刑事法上の有責の非難をまぬかれないであろう。しかし、このような非難の余地のないときは、政治活動の自由の理念にもとずく社会的相当行為として、違法性を阻却するものといわねばならない。
[349] また、憲法28条は、労働組合が何らかの意味における政治的諸活動をすることを予定するものであるから、その一活動としてストライキ手段によるからといつて、あえて団結自治に介入し刑事制裁を加える合理的理由を欠くときに、そのストライキに随伴する諸活動に刑罰を課するということは、今日の社会経済の実状にかんがみ、さらに憲法28条の団結自治の理念にてらして、許されないことである。
註、佐伯千仭、可罰的違法序説(権利の乱用上)、238頁以下。
  ニーゼ、同盟罷業と刑法(法務資料348号)、192頁以下。
  タ、ハ法第9条(h)合憲性判決(行政裁判資料第10号)、75頁以下。
  目 次
第一一点 原判決は、「抗議スト」の社会的相当性を看過し、国家公務員法110条1項17号を適用し、被告人らを有罪に処した違法があり、破棄を免れない
 第一、原判決の事実認定および法令適用
 第二、争議行為は社会的相当行為であり社会的相当行為は構成要件該当性を欠くので、罪とならない
   一、違法性の実質
   二、社会的相当行為
   三、争議行為の構成要件該当性阻却
   四、禁止規程違反の争議行為と刑事免責
 第三、国家公務員法違反の争議および通常随伴行為といえども構成要件該当性阻却であり、罪とならないことは大法廷判決があきらかにした
   一、国家公務員法・地方公務員法による争議行為等の禁止の処罰規定
   二、都教組事件に対する大法廷44・4・2判決
   三、安保6・4事件に対する大法廷44・4・2判決
   四、結論
 第四、抗議ストの社会的相当性
   一、政治ストの歴史
   二、政治ストに関する学説
   三、西独の新聞スト判例
   四、わが下級審判例
   五、抗議ストの社会的相当性
 第五、「表現の自由」権の行使の観点からみた本件抗議ストの社会的相当性
   一、抗議ストの社会的相当性の根拠の複合性
   二、「表現の自由」権の行使の観点からみた本件抗議ストの社会的相当性
   三、煽動罪の憲法適合性の審査
   四、国公法110条1項17号の罰則は、本件被告人らの行動に適用される限度において憲法31条および21条に違反し、無効である
   五、裁判所に対する要請
[1] 原判決は、検察官の控訴趣意(イ、事実誤認、ロ、法令の解釈適用の誤)を採用し、弁護人被告人らの一審判決擁護論をことごとく排斥した上、一審判決(無罪)を破棄し、つぎのとおり自判して、全被告人を有罪(罰金)に処した。
(罪となるべき事実)
 被告人らはいずれも当時農林省職員であつて、被告人鶴園哲夫は全農林労働組合中央執行委員長、同江田虎臣、同中野優はいずれも同組合副中央執行委員長、同西川恵夫は同組合書記長同国井豪は同組合中央執行委員であつたところ、昭和33年10月8日内閣が警察官職務執行法の一部を改正する法律案を衆議院に提出するや、これに反対する第4次統一行動の一環として、被告人ら5名は
第一、同組合会計長中村喜正ほか中央執行委員全員及び中央委員40数名と共謀のうえ、同年10月30日の深夜から同年11月2日にかけ、同組合総務部長黛次男をして、東京都内より、同組合各県(大阪府及び北海道を含む。)本部宛てに、同組合員は警職法改悪反対のため所属長の承認なくとも、11月5日は正午出勤の行動に入れ(但し、一部の特殊職場は勤務時間内1時間以上の職場大会を実施せよ)なる趣旨の全農林名義の電報指令第6号並びに各県本部(大阪府及び北海道のほか東京都を含む。)支部、分会各委員宛てに、右と同趣旨の全農林労働組合中央闘争委員長鶴園哲夫名義の文書指令第6号を発信又は速達便をもつて発送せしめ、もつて全国の傘下組合員である国家公務員なる農林省職員に対し、争議行為の遂行をあおることを企てた。
第二、同組合会計長中村喜正及び中央執行委員10数名と共謀のうえ、同年11月5日午前9時頃から同11時40分頃までの間、東京都千代田区霞ケ関2丁目1番地農林省庁舎の各入口に人垣を築いてピケツトを張り、殊に正面玄関の扉を旗竿等をもつて縛りつけ、又裏玄関の内部に机、椅子等を積み重ねるなどした状況のもとに、同省職員約2千5百名を入庁せしめないようにしむけたうえ、同職員らに対し、同省正面玄関前の警職法改悪反対職場大会に直ちに参加するように反覆して申し向けて説得し、勤務時間内2時間を目標として開催される右職場大会(実際の開催時間は午前10時頃から同11時40分頃まで。正規の出勤時間は同9時20分。参加人員は2千名余。)に参加方を慫慂し、もつて傘下組合員である国家公務員なる農林省職員に対し、争議行為の遂行をあおつたものである。
(証拠の標目)(略)
(法令の適用)
 被告人らの判示第一、第二の各所為は、いずれも昭和40年法律第69号附則第2条第6項により同法律による改正前の国家公務員法第98条第5項、第110条第1項第17号、刑法第60条、罰金等臨時措置法第2条に該当するところ、各被告人の以上の所為は、それぞれ警職法改正案に対する反対闘争のための第4次統一行動の一環という目的に出たものであるから、包括して右国家公務員法第110条第1項第17号違反罪の一罪として処断すべく、なお記録上認められる一切の犯情のほか、被告人らに有利な情状、特に被告人らは当時いずれも真面目な国家公務員であつた点等を考慮し、所定刑中、罰金刑を選択し、その所定罰金額の範囲内において被告人5名を各罰金5万円に処し、なお、右罰金不完納の場合の労役場留置処分につき刑法第18条を、原審及び当審における訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第182条、第181条第1項本文を各適用し、主文のとおり判決する。
[2] すなわち、原判決の基調は、国家公務員法110条1項17号の規定の無限定無差別適用論と言えるものである。
[3] 一審判決は、
「通常の争議行為における討議、説得、慫慂、指令の発出という一連の行為は、一般的な定義に従う限り、争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、又はあおるといわざるを得ないであろうが、」「しかし、これらの各行為は争議行為の実態にてらし、その実行行為と同等の評価を与えるのが相当であつて、特にこれを刑罰体系上の原則に反し実行行為と区別し、別個の評価をしなければならない合理的かつ実質的な理由は存在しないと認められる。従つて、争議行為の単なる実行者にすぎないものを処罰することが許されない以上、右のような理由によりこれと通常不可分な随伴的行為に出たに止まる者を処罰することも許されないものというべきである。」
旨判示し、更に
「……国公法第110条第1項第17号のような規定が公益上真にやむを得ないとされる合理的な根拠を持つことができるのは、そこに規定されている各種行為の態様が強度の違法性を帯びることにより、その手段自体から可罰的評価を可能とする程度のものに限ると解するのが相当である。この場合国公法第98条第5項の禁止規定に違反する争議行為の遂行を『共謀し』、『あおり』又は『これらの行為を企てた』ものは当然に強度の違法性を帯びると速断することはできない。」
旨判示し、国公法第110条第1項第17号が可罰性を認めている類型的行為について、憲法第18条、第31条等の違反となる結果を回避するためには、争議行為と通常不可分な随伴的行為については可罰性を認むべきではないとし、更に右類型的行為を違法性の強度なものと通常のものとに分け、前者についてのみ可罰性を認むべきであるとの見解に立つていたのである。
[4] この一審判決の限定的解釈論は、奇しくも、昭和44年4月2日大法廷判決(都教組事件)の判旨とも合致している。
[5] しかるに、原判決は、
「争議の共謀、そそのかす行為、あおる行為等の指導的行為は、争議行為の原動力、支柱となるものであつて、その反社会性、反規範性等において争議の実行行為そのものよりも違法性が強いと解し得るのであるから、原判決の判示するように、憲法違反となる結果を回避するため特に「あおる」行為等の概念を縮小解釈しなければならない必然性はないものというべく、又実行の前段階の行為のみを可罰的とし、違法行為の実行そのものを可罰的としない特殊な立法形式であることを理由に「あおる」行為等の意義を限定的に解すべきであるとする論拠もまた不十分であるといわざるを得ない。」
と判示し、憲法適合性を問題とせず、勇敢なる無限定無差別適用論の立場を執つたものである。
一、違法性の実質
[6] 違法阻却事由として法典にかかげられているのは、刑法35条の法令による行為および正当業務行為、刑法36条の正当防衛、刑法37条の緊急避難の3者である。このうち正当防衛・緊急避難の両者は、いずれも緊迫した状態の下でなされた法益侵害行為の違法性を否定するものであり、当該行為が通常の状況の下においてなされた場合は違法であることの疑いないものであつて、構成要件該当性は認められるが違法性を欠くのである。例えば人の生命を奪う行為は、通常の状況の下では違法であり殺人罪の構成要件に該当するが、とくにそれが急迫不正の侵害に対する反撃としてやむをえずなした行為であるため違法性を阻却され罪とならないのである。正当防衛であることがあきらかにされても、その行為は通常の事情の下でなされた場合には違法なのであるからそれが殺人罪の構成要件を充足することはいうまでもない。
[7] しかし刑法35条の正当業務行為について考えるとき、文理上は業務行為にかぎつて違法性の阻却を認めているけれども、それが狭きに失することが学者によつて指摘され――例えば力士の相撲は当然正当業務行為として違法性が阻却されるのに学生の競技としての相撲が違法性を阻却されないというのは根拠のないことである――そこから、正当業務行為が違法性を阻却されるのはそれが業務行為だからではなく「正当な」業務行為すなわち反社会性のない行為だからであるということが認識され、業務行為にかぎらずひろく社会通念上正当な行為と認められるものは違法性を有しないことが確認された。すなわち刑法35条は単に業務行為だけではなく、ひろく正当な行為一般について罪とならない趣旨を含むものと拡張解釈されることになつた(1)
[8] けだし、違法性の実質は、通説として承認されているところによれば、行為が社会的に有害なものであること、すなわち法秩序によつて保護された私人あるいは公共の生活利益――法益を侵害し、あるいはこれに危険を及ぼすところにある。しかし法益侵害を惹起し、あるいはそれに危険を及ぼす行為がすべて社会的に有害であるということはできない。けだし社会生活は、多くの分野において各種の法益の対立衝突の場となつているが、社会生活を円滑に運行させ、その向上発展をはかるためには、各法益の保護を絶対的なものとすることはできず、ある場合には高度の利益のために低度の利益に対する保護が否定されなければならないからである。かような原理は、まず過失犯におけるいわゆる「許された危険」の理論として展開され、過失犯においては結果の発生の危険性を認識・予見し、あるいはこれを予見することが可能であるにかかわらず刑事責任の否定されること、実はこの場合には行為の責任がなくなるのではなく、違法性がなくなるということすなわち危険な行為をすること自体が合法的な行為であることが認められるところとなつたが、違法性の一般理論としても、「法益較量の原理」として、国家の法秩序によつて承認された目的を達成するための相当な手段と認められる行為は違法性を欠くことが承認されるようになつた。すなわち法益に対する保護は、その法益に向けられたあらゆる侵害に対して与えられるのではなく、社会の常規を逸脱した、社会倫理的な見地から容認しえない侵害行為に対してのみ与えられるのである。すなわち正当行為が違法でないのは、それが法益侵害を内容とするけれども、その侵害が社会の常規を逸脱せず、社会倫理的見地から相当と認められるからである。かようにして違法性の実質の面から論旨を堀り下げ、違法の実体が社会の常規を逸脱した法益侵害にあることが帰結され、かつこれが刑法35条の拡張適用される理論的基礎を提供しているのである。
(1) 牧野・日本刑法、上巻338-343頁。木村・新刑法読本(5版昭和27年)177頁。団藤・刑法(改訂版昭和30年)75頁。
二、社会的相当行為
[9] 具体的にどのような行為が刑法35条の適用をうける正当行為に該当するかについては、種々の見地から論じられているけれども、これを大きくわけるならば、行為がある種の社会的な類型に属し、その類型に属する行為は通常の社会生活上の過程において正当なものと認められる場合と、行為が特殊な情況の下においてのみ正当なものと認められる場合との2つの類型を認めることができるであろう。前者の例としては、医療行為、運動競技――これらはしばしば業として行われ、正当業務行為とされる――などのほか、学術的な研究、各種の危険をともなう企業、交通、鉱工業等が考えられる。また正常な商取引にともなう行為、あるいは労働争議手段としての同盟罷業等も、社会的類型としてとらえた場合には一般に正当行為に属するものと考えられる。これを行為類型としてとらえた場合に、「社会的相当行為」と呼ぶことができよう(1)。これに対し、後者の例としては、被害者の承諾、自救行為等をあげることができよう。
[10] ところでこの後者に属するものは、正当防衛、緊急避難などと同様に、その行為が通常の情況の下で行われた場合には違法であるけれども、例えば被害者の承諾があつたという特別の事情があるために例外的に合法化されるのである。しかしながら、前者すなわち社会的相当行為として類型化されたものについてはこれと趣を異にする。それらは一般に、日常生活において平穏な情況の下で行われ、一面で他の法益に対する侵害行為としての性格をそなえているにかかわらず、通常の事情の下では社会通念上相当な、常規を逸脱しない正当な行為と認めることのできるものである。社会的相当行為として類型化された行為例えば医療行為、スポーツ等は、それが正常な態様で行われるときは違法性を有しないのがむしろ原則であるといいうる。しかしそれらは一面同時に法益侵害行為としての定型性をそなえる余地がある。そこで刑法上、社会的相当行為が罪にならないという結論がどのような論理過程を経て導き出されるかが問題となつてくる。つまりこれらの行為が罪とならないのは、行為は一応刑法各本条の構成要件に該当するけれども正当行為と認められるから違法性を阻却されることによると考えるべきか、それとも、これらの行為は刑法上はじめから問題外におかれる――すなわち構成要件該当性がない、または社会的相当行為であることによつて、違法性だけでなく構成要件該当性そのものが否定されることによると考えるべきかが問題となつてくるのである。
[11] これを具体的事例について考えてみよう。
[12] まず、しばしば問題とされたのは、医療行為就中外科手術である。手術によつて腕・脚などを切断したり、あるいは身体のその他の部分に損傷を与えることが身体の完全性を損う行為であることについては疑いない。しかしながら、それが患者の疾患の治療を目的とし、且つ今日の医学上一般に承認されている妥当な方法でなされた場合、要するに通常の手術の場合には正当行為として罪とならないが、そこで罪とならない理由を考えるとき、医師の手術そのものは一応身体の完全性を損う行為として傷害罪の構成要件にあたるがしかし医師としての正当業務行為だから違法性が阻却されるということによるのか、それとも正当な医療行為であるからはじめから傷害罪の構成要件にあたらないということによるのかが問題となる。
[13] またスポーツことに相手方に対する有形力の行使がその本来の内容をなす相闘的行為――例えば相撲、柔、剣道、ボクシング、レスリング等――についても、それらの行為が相手方に対する有形力の行使でありながら通常の場合には暴行罪にも傷害罪にもならないのは当然であるが、これらの行為が罪にならない理由が、これらの行為はそれぞれ暴行罪、あるいは傷害罪の構成要件にあたるけれども、相撲等が正当な行為であるから違法性を阻却されるということであるのか、あるいはこれらの行為は何ら反社会性を帯びないものとして、はじめから構成要件に該当しないということであるのかが問題となろう。
[14] また労働関係における通常の争議手段としての同盟罷業を考えてみても、それは、労働者が使用者に対して経済的要求の貫徹のために、団結して労働力の供給の停止とそれにより使用者側に莫大な経済的損失が帰すべき旨の示威を行うものであるが、それ自体としては脅迫罪あるいは威力業務妨害罪としての刑事責任を問われないことは当然である。しかしこの場合にも、行為が一応脅迫罪ないしは威力業務妨害罪の構成要件に該当することを認めた上で、憲法に保障された基本的人権である団結権の行使としての正当な行為として違法性を阻却されることによるのか、あるいは類型的に当然正当な行為であるとして構成要件にも該当しないとすべきかについて問題を生ずる。
[15] 商取引においても、信義誠実の原則をいちじるしく逸脱しない程度のかけひきは、虚偽が介在しても、詐欺罪として処罰されることはないが、これについても、行為はいちおう詐欺罪の構成要件を充足するけれども違法性が阻却されるということになるのか、それともはじめから詐欺罪としての構成要件該当性を欠くのかが問題となる。
[16] そのほかにも医学書がわいせつ文書に該当するかどうか、公正な評論が名誉毀損罪の構成要件に該当するものか等問題となりうる事例がすくなくない。また「法令による行為」のうちにも、国家による一種の「社会的相当行為」とみられるものについて同様の問題が生ずることが考えられる。例えば、適法な死刑の執行、適法な令状による被疑者の逮捕勾留等が犯罪にならないのは当然であるが、その行為が一応殺人罪あるいは逮捕監禁罪の構成要件に該当しながら法令による行為ということで違法性を阻却されるのか、それともはじめから構成要件該当性を欠くのかが問題となりうる。
[17] これらの行為のうち、医療行為とりわけ外科手術について、それが傷害罪の構成要件にあたるかどうかは、ドイツで、刑法改正問題と関連して大いに議論された。はじめは手術が傷害にあることを肯定し、その上で「被害者の承諾」により違法性が阻却されるという見解がとられていたが、しだいに構成要件該当性のわく外におこうとする見解が強くなつてきた。例えば1927年の草案では、その263条で、「手術および治療は、誠実な医師の慣習により、且つ医学上の法則を遵守してなされた場合には本法の意味における傷害とはならない」と規定し、また学説でも、フランクは註釈書の初版以来ずつとこの立場をとり、またビインデイングも医師の適切な処置は、国民の常識からもまた法的見解からも決して健康の侵害という概念の下に属しない。それはむしろ健康を増進せしめる行為であるとし、多くの学説もこれに賛同しているが、これらは、正当な手術による身体の損傷が単に行為の違法性を阻却されるだけでなくそもそも傷害罪の構成要件にあたらないのだという見解を示したものだといえよう。ここで示された解決は、他の社会的相当行為たるスポーツ、同盟罷業、適法な逮捕勾留等にも及ぼすことができる。このように、社会的相当行為は構成要件該当性を問うまでもなくはじめから刑法上問題とならないとすることは、常識的かつ妥当な見解のように思われる。
[18] 構成要件に関する学説を、構成要件と違法性との関係という観点から大別すると、これを行為類型と解するものと、違法(ないし違法・有責)類型と解するものとに二分できる。
[19] まず、構成要件を行為類型と解する立場を考えてみよう。
[20] 平場教授見解である。構成要件は、可罰的な行為を事実的具体的に記述した純粋な観念形象であつて、すべての価値判断、なかんずく違法性、有責性の判断とはきりはなされたものとして把握される。行為に対する価値判断をはなれいやしくも構成要件に記述された行為の定型性を具えているものはすべて構成要件に該当する。もちろん構成要件に規範的要素すなわち裁判官の解釈によつてはじめてその具体的内容があきらかにされるような構成要件要素が存在することは否定できないけれども、このような要素も、それが禁止された行為を事実的に記述するものであるかぎりにおいて構成要件に属するのである。違法判断に属するものは構成要件には属しない。
[21] ここでは構成要件と違法とは完全に切りはなされたものとして考えられるのである。このような立場に立つと、行為の社会的相当性とは違法性の問題に他ならないのであるから、これを構成要件の段階で問題とすることは認められないと考えられよう。
[22] けだしそれは、社会的に相当性を有するという価値的要素をはなれ純事実的観点から記述するときには、法益を侵害する行為としての構成要件的定型性をそなえているからである。それにもかかわらず、平場教授は、社会的相当性あること疑いない行為については、構成要件該当性を否定する立場をとられるのである。このことは、学説にとつては矛盾であるが、社会的相当行為には実質的違法性を認めることができないという事実の重みがそうさせるのであろう(3)
[23] 次に構成要件を違法類型と解する通説の立場について検討を試みよう。講成要件は定型化された違法である。それは禁止された行為を単に形式的に記述するだけでなく、より実質的な価値的な要素を含む。すなわち行為の違法性を規定する要素も構成要件に含まれる(4)。しかし構成要件はあくまで違法の定型化であるから、行為の定型的な違法性に関する要素のみが構成要件に属する。具体的・個別的に行為の違法性に影響する要素は構成要件には属しない。例えば正当防衛・緊急避難等の違法性阻却事由の存在があきらかにされても、行為の構成要件該当性そのものは否定されない。
[24] 社会的相当性は行為の違法性の問題であるから、構成要件要素となりうるが、構成要件は定型化された違法であるから、社会的相当性が構成要件に属しうるとすれば、それは、前述のごとく、違法性を欠く行為の定型化ということから理論的に可能となる。この立場では、定型化された社会的相当行為については、すべてその具体的な違法性の有無を問わず構成要件から除外される。すなわち社会的相当行為は社会的に相当性のある行為の定型化であるから、具体的な相当性を問題とするまでもなく構成要件該当性を欠くものと解せられることになる。
[25] 常識的にいつても通常の医療行為を傷害であるとし、同盟罷業を脅迫であるとし、相撲を暴行・傷害であるとすることは極めて形式的な皮相な見解であつて妥当性を欠くように思われる。けだしこれらの行為が正常な態様でなされるかぎり可罰性がないことについては今日の社会通念上明白だからである。
(1) 団藤・前掲書75頁
(2) 平場「構成要件理論の再構成」(滝川還暦)、現代刑法学の課題(昭和30年)、537頁
(3) 平場教授は社会的相当性あること疑いない行為については構成要件該当を否定する立場をとられる。
(4) 小野・犯罪構成要件の理論、35頁、団藤・前掲書、36頁
三、争議行為の構成要件該当性阻却
[26] ストライキは、形式的には威力業務妨害罪等の構成要件を充足するように見えるが、今日の社会通念は、もはや経済的要求貫徹の手段として用いられるかぎり、それは不法な勢威ではなく、経済取引に関しての合法的な社会的経済的勢力と認めるにいたつている。これをいちいち業務妨害罪の構成要件に該当するが労働組合の正当な争議権の行使として違法性を阻却されるとするのは無意味である。そのほかにも、威力あるいは脅迫等の構成要件の解釈に関して、通常の一般市民間でなされた場合には威力ないし脅迫にあたる行為であつても、労働争議という実力闘争の場において常態を逸脱しないと認められるにいたつた程度の行為については、同様に、端的にこれらが威力あるいは脅迫にあたらないとして構成要件該当性を否認することにより問題を処理することが許されよう。かように違法性の問題から出発して、結局構成要件該当性そのものが阻却されるものと解すべき事例は、刑法35条の関係でしばしば見られるが(例えば正当な医療行為としての手術は傷害にあたらずまた相撲・ボクシング等が暴行にあたらないと考えられているがごとし)、労働犯罪についても同様のことが認められるであろう。現に判例は、労働刑事事件で無罪を言い渡した多くの場合に、違法性が阻却されるものとせず構成要件該当性を欠くものであることをその理由づけとしている。
[27] 判例において、構成要件該当性なしとの理由で争議行為に対する刑事免責が認められ、あるいは示唆された事例の代表的なものとしては、次の3例をあげることができよう。
[28] 第一は、ピケツテイングの合法性に関する三友炭鉱事件(最判昭31年12月11日刑集10巻12号1605頁)である。この事件において、判例は、罷業中の労働組合が事実上分裂し、一部組合員が就業を開始した場合に、組合側が、就業者に対して平和的説得の限度を超えて暴行・脅迫・威力をもつて就業を中止させることは一般的には違法であるとしながら、このような就業を中止させる行為が違法と認められるかどうかは、正当な同盟罷業その他の争議行為が実施されるに際しては特に諸般の事情を考慮して慎重に判断されなければならないとし、炭車阻止の現場に参加して、炭車の運転士らに対して怒号を浴びせた労組婦人部長の行為について、
「……被告人の判示所為はいわば同組合内部の出来事であり、しかもすでに多数組合員が判示Kらの炭車運転行為を阻止しているあとからこれに参加して炭車の前方線路上に赴き判示のように怒号し炭車の運転を妨害したというのに止まるのであるから、かかる情況の下に行われた被告人の判示所為は、いまだ違法に刑法234条にいう威力を用いて人の業務を妨害したものというに足りず、それゆえ被告人の所為について罪責なしとして無罪の言渡をした原判決は、結局において正当である。」
としている。
[29] 第二は、組合幹部が、罷業中、罷業反対の分派活動を行なつていた組合幹部を、組合側の闘争拠点として用いられていた旅館に強いて連行したとして不法逮捕が問題となつた長崎相互銀行事件(最判昭和39年3月10日)であつて、当該行為はいまだ不法に人を逮捕したものとはいえないとした第二審の判決が維持されたものであり、最高裁判所(第3小法廷)自体としてはとくに積極的な判断を加えたものではないが、最高裁によつて是認された第二審福岡高裁判決は、
「……これを要するに、……被告人等の本件所為が争議中の組合内部における出来事であり、しかも被害者Iは組合の重責ある地位にありながら分派活動に参加し裏切的行為をしている疑があるとして派遣中央闘争委員会において事情聴取と説得のため召喚決定がなされ、その決定伝達に関連して惹起されたものであり、而も被告人等に於て予めIに対し逮捕行為その他の強制力を行使すべき意図は全くなかつたのであつて、……而して被告人等の所為は、Iの左右からスクラムを組んだようにしてその両腕を組み、又前から肩を一時押えて数分間その束縛を続けて自由を拘束したに止まり、その間右束縛から逃れようとしてもがき騒ぐ同人に対しこれを制止すると共に静かに話合うのだと申向けて結局同人の承諾を得、旅館牡丹荘に同行したのであつて、他に何等の暴行ないし脅迫も行われていないのであるから、かかる情況の下に行われた被告人等の本件所為は、いまだ以つて違法に人を逮捕したものというに足りず、これと結局同趣旨に出でて被告人等に対して無罪の言渡をした原判決は相当である。」
とした。ちなみに、第一審は、被告人等の行為は刑法220条1項所定の不法逮捕罪の構成要件に該当するとしながら、諸般の事情を考慮すれば本件所為は社会通念上公序良俗に反したものというをえず、実質的違法性を欠くものとの理由で無罪としたものである。
[30] 第三は、納金ストに関する2つの判例である。(最判昭和33年9月19日刑集12巻13号3127頁―態野分会事件、同日判決刑集12巻13号3047頁―湊川分会事件)。
[31] このうち、湊川分会事件のほうは、第一審から、問題は不法領得の意思の有無という横領罪の成立要件をめぐる純刑法的議論にしぼられていたが、熊野分会事件については、最高裁判所は、一方において、納金ストにおける熊野分会が実施した程度の金銭抑留行為は争議行為の正当性の限界を逸脱するものであつて違法であるとしながら、金銭の抑留をもつて直ちに不法領得の意思の実現ありと断じたのには理由不備の違法があるとしたものである。すなわち、
「……被告人は前争議行為における職場放棄中の賃金1人あたり金26円余、85名分2千余円を給料中から控除することに反対するため使用者所有の金銭利用を阻止しようとし、その意に反し9百余万円を抑留して、これを引渡さないのみならず、被告人名義の預金としたのであつて、右主張貫徹手段として採用した金銭抑留については使用者に与える不利益の程度、すなわち抑留限度等に関し当初から何ら顧慮した形跡なく全く無制限であつて、しかも抑留金額、抑留日数の相当部分は使用者の要求屈服後において漫然継続したような事実関係にあり、他に特別の事情の認め得ない限り使用者の負うべき危険及びその失うことあるべき利益と労働者の主張貫徹により得べき利益との間には利会通念上権衡を失すること甚だしいものありというべく、かくのごときは法の期待する労使対等交渉担保のため使用者の犠牲において労働者を保護すべき範囲内とはとうてい認め難いから、右行為は全体として労働組合法1条2項に規定する正当な行為の限界を逸脱するものというべく、同条項による保護を受け得ないこと当然である。……」
としながら、
「……しかし労働争議の手段として集金した電気料金につき一時自己の下に保管し、しかもその保管の方法が会社のため安全且つ確実なものであり、そして毫も自らこれを利用又は処分する意思はなく、争議解決まで、専ら会社のための一時保管の意味で、単に形式上自己名義の預金となしたに過ぎないと認められる場合においては、これを以て直ちに横領罪の成立を認むべきものではない。……」
として、抑留行為が本件のごとき特殊な事実関係の下で直ちに不法領得の意思の発現と認められるとした判断を誤りとしたものである。
[32] これらの判例においては、いずれも、何らかの意味で行為が実質的に違法性を有することを肯定しつつ、それが構成要件の予想する程度の可罰的違法性の程度に達しないことを基底として構成要件該当性なしとした点において共通性をもつが、実は、かような問題処理の方式は、いわゆる一厘事件(大判明治43年10月11日刑録16輯1620頁)以来の裁判所の伝統的な思惟方式に従つたものと考えられるのである。(なお、旅館主が客の需要に応ずるためその都度女中に命じて指定小売人からたばこを購入せしめるのに代えてあらかじめ買いおく行為の罪責に関して、最判昭和32年3月28日刑集11巻3号1275頁参照)。

四、禁止規定違反の争議行為と刑事免責
[33] 次に、政策上の必要から争議行為の制限・禁止を規定した特別法の存する場合について考えよう。例えば、国又は地方公共団体の公務員、公共企業体および地方公営企業の職員については、争議行為の実行を企て、または、共謀、煽動する行為が禁止されており(国家公務員法98条5項・110条17号、地方公務員法37条1項・61条4号、公共企業体労働関係法17条1項、地方公営企業労働関係法11条1項)、民間企業では、電気産業および石炭鉱業についてそれぞれ、電気の正常な供給を停止しまたは電気の供給に直接に障碍を生ぜしめる行為(停電スト・電源スト)、炭鉱の保安放棄が禁止され(電気事業及び石炭鉱業における争議行為の方法の規制に関する法律2条・3条)そのほか、船員について、船舶が外国の港にあるとき、または争議行為により人命もしくは船舶に危険が及ぶときの争議行為の禁止(船員法30条)、また一般的に、工場事業場における安全保持の施設の正常な維持又は運行を停廃し、又はこれを妨げる行為の禁止(労働関係調整法36条)、公益事業における抜打争議行為、緊急調整中の争議行為の禁止(同法37条・38条)等の規定を数えあげることができる。
[34] これら諸規定に違反してなされた争議行為は、当該規定の法域における違法であることはもちろんであるが、問題は、これらの法律違反の争議行為については刑法35条の適用が全く排除され、それが刑法等の犯罪構成要件を充足する場合には刑法上も犯罪を構成することになるかということである。
[35] この問題を考えるについては、一方、違法性の概念の相対性、多面性ということに着目しなければならない。宮本博士が指摘されるように(1)、1個の行為に対しても、価値観察の基準を異にするときは、その数だけ重畳的に法的評価が可能となるのである。例えば非医師が医療行為として外科手術を行つた場合に、当該行為は無免許という点では違法であるが、医療行為としての性質を失わないかぎり合法的行為であつて、傷害罪に問われることはない。労働犯罪の場合にも同様の原理が妥当する。われわれはまず当該の禁止規定のもつ違法性の実質的内容と、刑法ないし特別刑法の当該規定のもつ違法性の内容とが同一の性質のものであるかどうか――要するに両者の保護法益いかん――を考えなければならない。両者がくいちがつている場合には、特別の禁止規定によつて違法とされる行為であつても、刑法の当該規定に対する関係では合法であつて、刑法上の犯罪を構成しないものと考えられる。
[36] 例えば国鉄職員が賃金増額を要求してストライキを実行した場合、公労法17条に違反して違法であるが、当該行為が刑法により業務妨害罪として処罰されることになるかというと別問題である。公労法の趣旨は、一般利用者公衆の保護にあり、また刑法業務妨害罪の規定は、企業主体の企業活動の保護を主眼としているから、公労法違反の効果は公労法のわく内に止まり、刑法によつて業務妨害罪として処罰されるものと解すべきではない。学説はもちろん(2)、判例も例えば最高裁昭和30年10月26日判決(刑集9巻11号2313頁)は、政令201号違反の国鉄職員の職場離脱行為について、
「……もし本件昭和23年政令201号が制定施行されなかつたとすれば、右鉄道職員が、右判示の如く何ら暴力等を用うることなく、単に同盟罷業として、多数共同してその職場を去りこれを放棄し、その結果国有鉄道の業務を妨害するに至つたとしても、それは正当な行為として何ら罪となることはないのである。しかるに昭和23年7月31日、本件昭和23年政令201号が制定公布され即日施行され、公務員が『国又は地方公共団体の業務の運営能率を阻害する争議行為』をすることを禁止し処罰することとしたため、本来ならば処罰されることのない前記の如き共同職場放棄が右政令の禁止する『国又は地方公共団体の業務の運営能率を阻害する争議行為』にあたるものとして処罰されるに至つたのである。そして右の如き争議行為をすれば、その国又は公共団体の業務が妨害され妨害される虞のあることは言を俟たないところであるから、公務員が右の如き争議行為をなし、因つて国又は地方公共団体の業務を現に妨害した場合であつても、その公務員に対しては、本件政令201号3条、2条1項だけを適用し処断すれば足るのであつて、すなわち右政令第201号は刑法234条に対する特別法と解すべく、更に刑法234条を適用処断すべきものではない……。」
としており、その趣旨は必ずしもあきらかではないが、判例が一般法、特別法の観念を用いているその実体は、違法性の質的な相違に着目しているものと考えることができよう。
[37] 他方、禁止規定の保護法益と刑法各罪の保護法益との異にも着目しなければならない。禁止規定が理論上当然刑法で処罰されるに値いする行為について、その違法性を確認するに止まる場合には問題はないが、すべての場合にそう解しうるわけではない。本来刑法35条の適用を認むべき場合に、さらに別個の見地からこれを禁止する事例が存するからである。
[38] まず、労働関係調整法36条の安全保持の施設に関する争議行為の規定は、本来当然に刑法上も違法である行為についてその違法性を確認したもの、とされているから(3)、この規定に違反した行為については、それが主として人命の安全を保護する趣旨のものであることに鑑み、当該行為により具体的に人命の安全が損われるような事態を招いたときにそれに相応する刑法の規定によつて処罰されるものと解せられる。また例えば炭鉱の保安放棄ストライキは、スト規制法により禁止されているが、スト規制法は政策立法であり、この場合の保護目的は、炭鉱の荒廃の防止にあるから、刑法における違法性は、直接炭鉱の爆発、浸害等の事態の発生をみてはじめて問題とされるべきものとなる。なおいずれの場合も、このために、当該行為が直ちに業務妨害罪として処罰されることにならぬことは当然である。
[39] つぎに問題を提供するのは、郵政事業職員が公労法17条に違反してストライキを行い、また電気事業の従業員がスト規制法第2条に違反していわゆる停電スト、電源ストを実行するとき、当該行為は郵便法79条、公益事業令85条(現行電気事業法115条)に該当するが、公労法、スト規制法違反の故をもつて、直ちに前記法条で罰せられるかという点である。これらの罰条では、刑法の業務妨害罪とは異なり、企業主体の利益よりはむしろ利用者一般公衆の利益の保護に重点がおかれているものと考えられる。そしてこれらの事業についてストライキが制限あるいは禁止されているのは主として公共の福祉の保護ということにあるから、形式的には、ストライキにより郵便物を遅延させ、あるいは、電気の供給を停止する行為に対しては、当然それぞれの罰則が適用されてくるものと解せないことはない。
[40] しかし立法の経緯からみると、郵便法制定当時は未だ国家公務員も争議権を認められていたから、郵便物の遅延をもたらすストライキについては当然社会的相当行為として構成要件該当性が阻却されるものと考えられていたわけであり、またスト規制法施行以前においては、下級審の判例は停電スト、電源ストについても当然には電気供給停止の罪を構成するものではなく、その規模、具体的実施方法によつては正当な争議行為と認められるもの、としていたのであるから(4)、簡単にそう解することは早計である。そこで公労法、あるいはスト現制法が、公共の利益に対する関係で、争議権の正当性に関する在来の「社会通念」の根本的な変化――例えば、郵便の遅延をもたらすようなストライキは郵便法の刑事罰を科するに値いするとし、また停電スト、電源ストはいかなる規模・方法のものであつてもすべて公益事業令による刑事罰を科するに値すると評価するような――を背景として成立したものであるか、それとも政策的必要から、社会通念上基本的には正当であるストライキをとくに禁止するものかを考えねばならない。公労法の場合には、それが政令201号、国家公務員法をうけつぎつつ、その違反に直接刑事罰を科しない方針に変つてきていることから考えて、罰則を郵便法に譲る趣旨とは解せないし、またスト規制法についても、昭和27年の電産争議以降、停電スト、電源ストの正当性に関する社会通念にある程度の変化がもたらされたことは否定できないけれども、これを直接公益事業令85条(電気事業法115条)違反として処罰すべしとするところまで達しているかどうかは疑わしい。かような意味で、これらの規定は、憲法が保障して正当になしうる争議行為をとくに政策上制限・禁止したもので、その違反の実質的違法性は刑法の意味における違法性と性格を異にするとみるべく、その違反の効果は、当然刑事免責を失わず当該法規の限度において民事的制裁を受けることがある段階に止まるものと解すべきであろう。国公法違反の争議行為の効果については項をあらためて述べる。
(1) 宮本・刑法大綱55、90頁、牧野・刑法研究8巻75頁以下。
(2) 石井・労働法139頁、吾妻・概論231-232頁。
(3) 註釈労働関係調整法123頁以下。
(4) 東京高判昭和31年7月19日(高刑集9巻7号776頁)、同昭和27年7月3日(資料102号295頁)、福岡高判昭和26年7月30日(資料102号465頁)。
一、国家公務員法・地方公務員法による争議行為等禁止の処罰規定
[41] 国家公務員法および地方公務員法は、職員が「同盟罷業、怠業その他の争議行為」又は「政府」「地方公共団体の機関」の「活動能率を低下させる怠業的行為」をすることを禁止している(国公法98条5項前段、地公法37条1項前段)。この国家公務員・地方公務員に対する争議行為・怠業的行為の禁止規定が中軸となり、罰則が設けられている(国公法110条1項17号、地公法61条4号)。この罰則規定の様式は、「何人たるを問わず」、争議行為・怠業的行為を「共謀し、そそのかし、若しくはあおり、又はこれらの行為を企てた」ばあいには、刑罰に処するというものである。
[42] 公務員の争議行為自体は、構成要件から外されており、罰則規定の対象とならないのに、いわゆるあおり行為には、公務員たると否とを問わず、罰則が適用される、きわめて包括的な罰則規定であり、しかも、実行行為が不可罰行為であるのにその準備段階の行為だけを捕えて処罰の対象とする点において、憲法31条、28条、18条および21条等の適否が問題とならざるを得ないのである。
[43] 右の憲法適合性の審査にもとずいて、一審判決は、いわゆる合憲的限定解釈論に立ち、被告人らを無罪とし、原判決は、検察官の無限定無差別適用論を採用し、一審判決を破棄して被告人らを有罪としたのである。

二、都教組事件に対する大法廷44・4・2判決
[44] しかし、原判決がなされた後、すでに、東京都教組事件(地方公務員法違反)について、昭和44年4月2日、大法廷判決がなされ、奇しくも、一審判決の合憲的限定解釈論の立場が支持され、原判決の無限定無差別適用論の立場は否定された。
大法廷44・4・2判決・昭和41年(あ)第401号地方公務員法違反事件・刑集未登載
[45] これらの規定が、文字どおりに、すべての地方公務員の一切の争議行為を禁止し、これらの争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、あおる等の行為(以下、あおり行為という。)をすべて処罰する趣旨と解すべきものとすれば、それは、前叙の公務員の労働基本権を保障した憲法の趣旨に反し、必要やむをえない限度をこえて争議行為を禁止し、かつ、必要最小限度にとどめなければならないとの要請を無視し、その限度をこえて刑罰の対象としているものとして、これらの規定は、いずれも、違憲の疑を免れないであろう。
[46] しかし、法律の規定は、可能なかぎり、憲法の精神にそくし、これと調和しうるよう、合理的に解釈されるべきものであつて、この見地からすれば、これらの規定の表現にのみ拘泥して、直ちに違憲と断定する見解は採ることができない。
[47] すなわち、地公法は地方公務員の争議行為を一般的に禁止し、かつ、あおり行為等を一律的に処罰すべきものと定めているのであるが、これらの規定についても、その元来のねらいを洞察し労働基本権を尊重し保障している憲法の趣旨と調和しうるように解釈するときは、これらの規定の表現にかかわらず、禁止されるべき争議行為の種類や態様についても、さらにまた、処罰の対象とされるべきあおり行為等の態様や範囲についても、おのずから合理的な限界の存することが承認されるはずである。
[48] つぎに、地方公務員の争議行為についてみるに、地公法37条1項は、すべての地方公務員の一切の争議行為を禁止しているから、これに違反していた争議行為は、右条項の法文にそくして解釈するかぎり、違法といわざるをえないであろう。しかし、右条項の元来の趣旨は、地方公務員の職務の公共性にかんがみ、地方公務員の争議行為が公共性の強い公務の停廃をきたし、ひいては国民生活全体の利益を害し、国民生活にも重大な支障をもたらすおそれがあるので、これを避けるためのやむをえない措置として、地方公務員の争議行為を禁止したものにほかならない。ところが、地方公務員の職務は、一般的にいえば、多かれ少なかれ、公共性を有するとはいえ、さきに説示したとおり、公共性の程度は強弱さまざまで、その争議行為が常に直ちに公務の停廃をきたし、ひいて国民生活全体の利益を害するとはいえないのみならず、ひとしく争議行為といつても、種々の態様のものがあり、きわめて短時間の同盟罷業または怠業のような単純な不作為のごときは、直ちに国民全体の利益を害し、国民生活に重大な支障をもたらすおそれがあるとは必ずしもいえない。地方公務員の具体的な行為が禁止の対象たる争議行為に該当するかどうかは、争議行為を禁止することによつて保護しようとする法益と、労働基本権を尊重し保障することによつて実現しようとする法益との比較較量により、両者の要請を適切に調整する見地から判断することが必要である。そして、その結果は、地方公務員の行為が地公法37条1項に禁止する争議行為に該当し、しかも、その違法性の強い場合も勿論あるであろうが、争議行為の態様からいつて、違法性の比較的弱い場合もあり、また、実質的には右条項にいう争議行為に該当しないと判断すべき場合もあるであろう。
[49] 地公法でいう争議行為のあおり行為等がすべて一律に処罰の対象とされうべきものであるかどうかについては、慎重な考慮を要する。
[50] 問題は、結局、公務員についても、その労働基本権を尊重し保障しようとする憲法上の要請と、公務員については、その職務の公共性にかんがみ、争議行為を禁止すべきものとする要請との2つの相矛盾する要請を、現行法の解釈のうえで、どのように調整すべきかの点にあり、労働基本権尊重の憲法の精神からいつて、争議行為禁止違反に対する制裁、とくに刑事罰をもつてする制裁は、極力限定されるべきであつて、この趣旨は、法律の解釈適用にあたつても、十分尊重されなければならない。そして、地公法自体は、地方公務員の争議行為そのものは禁止しながら、右禁止に違反して争議行為をした者を処罰の対象とすることなく、争議行為のあおり行為等にかぎつて、これを処罰すべきものとしているのであるが、これらの規定の中にも、すでに前叙の調整的な考え方が現われているということができる。しかし、さらに進んで考えると、争議行為そのものに種々の態様があり、その違法性が認められる場合にも、その強弱に程度の差があるように、あおり行為等にもさまざまのものがありうる。それにもかかわらず、これらのニユアンスを一切否定して一律にあおり行為等を刑事罰をもつてのぞむ違法性があるものと断定することは許されないというべきである。ことに、争議行為そのものを処罰の対象とすることなく、あおり行為等にかぎつて処罰すべきものとしている地公法61条4号の趣旨からいつても、争議行為に通常随伴して行なわれる行為のごときは、処罰の対象とされるべきものではない。それは、争議行為禁止に違反する意味において違法な行為であるということができるとしても、争議行為の一環としての行為にほかならず、これらのあおり行為等をすべて安易に処罰すべきものとすれば、争議行為者不処罰の建前をとる前示地公法の原則に矛盾することにならざるをえないからである。
[51] 右大法廷判決により、地公法61条4号の罰則規定は、これを無限定無差別に適用すれば違憲無効のものとなるが、これを合憲的限定解釈することにより適法のものとなることが確定されたのである。すなわち、公務員が組合役員として争議行為について「協議」し「機関決定」し「指令」し「ピケツトを張る」等の通常随伴行為を含めて争議行為実行行為は構成要件該当性を欠き、不可罰行為である旨判示されたのである。

三、安保6・4事件に対する大法廷44・4・2判決
[52] なお、前記大法廷判決と時を同じくして、仙台高裁構内で司法職員等によつて昭和35年6月4日行われた安保闘争のためにする職場集会事件(国家公務員法違反)に対する大法廷判決がなされた。
[53] この判決は、有罪であつたが、その理由は、(イ)司法職員であること、(ロ)通常随伴行為と認められないこと、の2点であつた。
大法廷44・4・2判決・昭和41年(あ)第1129号国家公務員法違反等被告事件・刑集未登載
[54] これらの規定が、文字どおりに、すべての国家公務員の一切の争議行為を禁止し、これらの争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、あおる等の行為(以下、あおり行為等という。)をすべて処罰する趣旨と解すべきものとすれば、公務員の労働基本権保障の趣旨に反し、必要やむをえない限度をこえて争議行為を禁止し、かつ、必要最少限度にとどめなければならないとの要請を無視して刑罰の対象としているものとして、これらの規定は、いずれも、違憲の疑いを免れない。しかし、法律の規定は、可能なかぎり、憲法の精神に即し、これと調和しうるよう合理的に解釈されるべきものであつて、この見地からすれば、これらの規定の表現にのみ拘泥して、直ちにこれを違憲と断定する見解は採ることができない。
[55] そこで、被告人らの右行為が、裁判所職員の行なう争議行為に通常随伴するものと認められるかどうかについて考えてみるに、被告人らのうち、裁判所職員でなく、かつまた、裁判所職員の団体に関係もない第三者である被告人坂根、千葉、手塚の行なつた行為は、裁判所職員の行なう争議行為に通常随伴するものと認めることができないことは明らかである。また、被告人阿部は裁判所職員であり、その団体である全司法労働仙台支部執行委員長の職にあつたものであるから、そのあおり行為等がその態様において異常なものでないかぎり、争議行為に通常随伴するものと認めることができるが、本件の場合、被告人阿部は、第三者である前示被告人らと共謀して前示(ロ)の行為を行なつたものであるというのであるから、右事実関係のもとにおいては、被告人阿部の行為も争議行為に通常随伴する行為と認めることはできないものといわなければならない。
[56] してみれば、原審が被告人らの前示行為につき国公法110条1項17号を適用したことは、その理由において当裁判所の見解と異なるところがあるが、結局、正当であるに帰し、以上と異なる見解のもとに原判決に法令違反の違法があるとする所論は、採用することはできない。
[57] 前記のとおり、この大法廷判決も、いわゆる合憲的限定解釈論の立場を支持されたものであり、被告人らがもし司法部職員でなく、又、行為が争議行為の通常随伴行為にとどまつたものであつたなら、構成要件該当性を欠く行為として、無罪とされたであろうことはあきらかであると言える。
[58] つぎの2人の裁判官の少数意見は、右の趣旨を一層あきらかにしたものとして割愛するに忍びないものがある。
裁判官入江俊郎の意見
(前略)
 労働争議本来の目的と全く無関係に、例えば専ら政治的目的達成のための政治運動が、争議行為の形態を採つてなされたような場合には、そのような争議行為は、憲法28条の保障とは無関係なものというべきであろう。しかし、私はそのような争議行為も実定法たる国公法上の争議行為という中には包含されていると思う。そしてたとえそのような場合であつても、そのあおり行為等をした者が勤労者自身であれば、現行国公法が、その者のする右のような争議行為自体に刑罰を科さない立前であるとすれば、それとの均衡上、右あおり行為等のみに刑罰をもつて臨むことは、それが右争議行為に通常随伴するものと認められるものである限り、憲法31条の要請から、または現行国公法の妥当な解釈の上から、許されないと解するのが相当ではないかと考える。
裁判官色川幸太郎の反対意見
(前略)
八、本件職場大会は、新安保条約に反対する純然たる政治活動である。「ストライキ」という言葉は日常的な慣用語であるから、これを政治ストとよぶことは自由であるが、それは学生の安保反対のための一斉休学をストライキとよぶことと多く異なるところはないのであつて、国公法98条にいう「同盟罷業」は、これと厳密に区別されなければならない。けだし、同条の「同盟罷業」は、同条にいう「争議行為」の下位概念であり、上述した「争議行為」の定義はすべて「同盟罷業」に当てはめられなければならないからである。
 ところで、前示全逓中郵事件判決は、公共企業体等労働関係法17条1項に違反した争議行為であつても、それが労組法1条1項の目的を達成するためのものであり、かつ単なる罷業または怠業等の不作為が存在するにとどまり、暴力の行使その他の不当性を伴わない場合には、刑事制裁の対象とはならないが、「もし争議行為が労組法1条1項の目的のためではなくして政治的目的のために行われた場合」等においては、「争議行為としての限界性をこえるもので、刑事制裁を免れない」と説示している。人あるいはこれを目して、当裁判所は一般的に公務員等によるいわゆる政治ストの可罰性を認めたものとするかも知れない。しかし、全逓中郵事件は、公共企業体等労働関係法(これは、いうまでもなく、争議行為に対する刑罰規定をもたない。)の適用下にある郵政職員について、郵便法の罰則規定である同法79条1項の適用があるか否かを論じたものに過ぎず、さらに進んで、一般に、公共企業体等の職員によるいわゆる政治ストが刑罰の対象となるかどうかは右の事件では全く問題外であつたのである。のみならず、いわゆる政治ストが国公法98条にいう「争議行為」でないことは、既に論じたとおりであるから、国家公務員による政治的目的のための本件行為が可罰的であるかどうかは、国公法110条1項17号違反として起訴された本件においては、全く問題にならないのである。(この点については、憲法15条2項に定める公務員の中立性と憲法21条による市民としての表現の自由との関連において、国公法102条、110条1項19号及び人事院規則14-7の合憲性もしくはその適用の範囲が判断されなければならないのであるが、それは別途検討さるべきものであつて、今これを論ずる限りではない。)
四、結論
[59] 原判決の立場である国家公務員法110条1項17号の罰則規定の無限定無差別適用論は、大法廷判決44・4・2があきらかにしたとおり、違憲(憲法31条、28条、18条、21条)であるので、原判決は、すでに、この点において破棄を免れない。
一、政治ストの歴史
[60] 政治ストの第一陣は昭和21年の10月闘争であるが、これは、同年6月13日発せられた「社会秩序保持に関する声明」が反動政策の現われなりとして、同日の読売新聞の争議を契機とし、政治的ゼネストを展開せんとの動きが現われ、8月5日の全日本鋼鉄労組によつて実施された労働関係調整法反対のための24時間ストを経て、8月29日には「ゼネスト共同闘争委員会」が結成され、9月10日から海員組合がゼネストに入り、同13日産別会議では全国加盟各組合に対し、国鉄(但し、結局ストに入らなかつた)海員のストに応じて即時共同闘争に入り、全国的に一大階級戦の雰囲気に持つてゆくこと等を指令し、9月18日〜19日には産別会議の臨時執行委員会は、(1)くび切り絶対反対、完全雇用の実現、(2)生産復興は人民の手で、(3)産業別統一的団体協約の確立、(4)労調法の撤回、罷業権の確立、(5)吉田首切内閣即時打倒の基本的スローガンを定め、あわせて、(1)最低賃金制の確立、5百円の枠を外せ、(2)最高拘束8時間、(3)労働権の確立、(4)勤労所得税撤廃、(5)失業・社会保険の確立、(6)暴力団、官憲のスト破り反対などの付帯スローガンを決定し、かくして昭和21年10月31日現在の状況は、合計スト件数257件、参加人員319,291名、生産管理件数14件、同参加人員7,975名であつた。そして、この10月闘争のころから「政治スト」に対する論議は漸く盛んとなつてきた。
[61] 昭和21年10月12日総同盟在京中央委員会は「政治的ゼネストに対する声明書」を発表し、「資本家階級の擁護に重きをおき、労働大衆の生活は窮乏においやられているのを放置している吉田内閣の退陣と、民主政府の成立を要望せざるを得ない……」とし、しかしながら暴力的革命手段は客観的、主観的条件を甚しく誤解したもので、却つて国民より遊離して反動勢力の抬頭を促すから戒心すべきであると述べ、同年10月11日吉田茂首相は衆議院本会議で
「労組が一部少数者の指導により、組合運動と政治運動を混同し、争議を政治目的のため利用するが如きことは決して組合運動の健全な発達を期する所以ではない。政府はこれを遺憾とするものである。労組は労組法に規定してある通り、労働条件の維持改善その他経済的地位の向上をはかることを主たる目的とするものである。しかして政治運動を目的とするものは労働組合とはいい難いのである。(現下の産業・経済事情を無視し)……政治ゼネストを宣言するが如きは明らかに組合運動の範囲をこえるものである。経済的社会的混乱を惹起し、一部のものがこれに乗じこれを利用せんとする如きものと断定せざるを得ない。かくの如きことは基本権の明白なる濫用であつて、健全なる民主政治は議会を通じて行なわるべきである。……」(資料労働運動史昭和20年〜21年288頁)
と述べ、社会党も客観的、主観的条件を顧みないで祖国を強引に政治的ゼネストの渦中に投ぜんとする産別会議の政策に断乎反対すると主張し、共産党は政治的ゼネストの必要性を肯定しながらも今はその時期でないとの見解に同調し、各新聞もそれぞれ意見を述べたが、昭和20年10月13日読売新聞社説は、労組の任務と政党の任務を区別し、10月闘争で産別会議自ら労組でないことを明示したもので政治活動を主とする労組は自殺行為をなすものであると反対し、同月12日朝日新聞社説は、かかる重要な争議は組合内部の民主的な討議によつて決すべしとし、産別が要求貫徹のためにゼネスト以外になしとの態度をとることについて、政府と政党は責任を感ずべきで、真剣に争議の解決に当たれ、と論じてやや労組に同情的な見方を示した。
[62] ところで、10月闘争に続いて、諸官庁の組合を中心とした各労組は賃金値上げ要求を掲げて立ち上り、当初は経済的な動きであつたが、インフレや食糧不足に対する政府の施策に対する反対という政治ストの形を採るに至り、結局その要求には、労調法撤廃、勤労所得税撤廃、綜合所得税免税額引上げ、暴圧的勅令591号撤廃、官憲弾圧反対、首相年頭の辞(不逞の輩)の取消及び陳謝等合計13項目が含まれていたが、当時は政治ストとしてよりも、ゼネストとしての性格が問題とされた。かくして、昭和22年1月31日最後の交渉は決裂し、260万人によるいわゆる2・1ゼネストは目前に迫り、緊迫した空気が漲つたが、マツカーサー元帥=(マ元帥)の、「敗戦によつて都市は荒廃し、産業は停頓し、国民の大部分が飢餓戦上を彷徨している現状でこのゼネストを行なうのは、日本を災禍の中に投ずるものとして禁止せざるを得ない」との趣旨の声明により、ゼネストは不発に終つた。
[63] 昭和23年に入つて、生産復興、ヤミ撲滅、争議の平和的解決を図るため、その根本理念たる組合健全化を眼目とし、クローズド・シヨツプの禁止、組合専従者給与の組合負担、争議の禁止制限のための公益事業指定の簡易化等を指向する米窪試案に対し、産別の主導する共闘委員会は人民大会、署名運動をはじめ、全官公の3月1日の一斉賜暇戦術を決定するなど企業整備、最低賃金獲得等の目的と結びついて、労働法規改悪反対闘争を押し進め、全官公の「3月攻勢」(参加人員230万)においてその頂点に達した。また7月22日公務員法の早急な改定を命令したマ元帥の書簡(これは、直接には公務員のストについて述べたものであるが、一般の労組の政治活動についての考え方を示すものとしても注目される。「組合の判断を立法並びに行政面に進出せしめ、労働組合が国民全般の正しく選ばれた代表者の機能を侵害することは、民主主義理念に違反するものである」との箇所がそれである)が発表され、その趣旨にそつて政令第201号が公布された。これに対し、官業労組は罷業権を奪われまいとして活動を開始し、特に全逓は4月24日闘争指令を出し、30日非常事態を宣言し、23日には産別系労組も公務員法の改定は全労働者の問題であり、改定後は民間労組への圧迫は必至であるとして、8月5日から各地で24時間ストを始めた。その後反対運動は活発に展開したが、11月30日改正国家公務員法は成立し、同日全金属は1時間の抗議ストを行なつた。
[64] 昭和24年に入り、1月29日中立系及び総同盟系の一部を含めた40数組合参加のもとに全国労働組合法規対策協議会(全法協)が組織され、入手された第3次労働省試案を研究した結果、これに反対することとなり、4月中旬から第5国会への上程期日たる4月30日にかけて、全日化、印刷出版、私鉄等30万人に及ぶ抗議ストが波状的に打たれたが、5月22日労組法改正法、労調法改正法が成立した。また5月31日公安条例に反対するため東交の24時間スト、6月9日行政整理反対のための国電ストが行なわれ、10日には「人民電車」が発車した。
[65] 昭和25年6月25日朝鮮動乱が勃発し、新聞放送会社がGHQの示唆により、共産党員及びその同調者の追放に乗り出したのを皮切りに、電気産業全般にエーミス労働課長から共産分子追放の示唆を受けるに至り、レツド・パージは全産業に波及し、民間約1万1千、官公庁約千2百名が解雇された。これに対し、総評ら諸組合は直ちに反対運動に入り、反税闘争、ベースアツプ及び越年資金獲得の要求を結びつけ、漸次政治闘争化せんとし、一方朝鮮動乱に伴い我国の再軍備計画も次第に明白な形をとるに至り、翌26年からは単独講和か全面講和かに関して活発な議論を呼び起こしたが、労組の「再軍備反対」「中立堅持」「軍事基地提供反対」「全面講和」のいわゆる平和4原則に基づく平和闘争は、その後現在に至るまで長くその運動を支配しきたり、総評系労組の総会等においては、殆ど常に平和闘争をスローガンの一つとして掲げている(総同盟は後に、単独講和を支持した)。
[66] また、昭和26年の秋季闘争に際し、それより前から吉田政府が労働攻勢激化にそなえて企てた治安法規の制定、労働法規改定の動きに対し、総評傘下の諸組合は積極的に反対することとし、全国的に職場大会を開き、26年11月6日非常事態宣言を発して厳重に抗議し、政府の右意図は憲法所定の基本的労働権を蹂躪するばかりか、独占資本をこやす低賃金をもたらすものであるとし、日経連は11月8日有名な「政治ストの法律的意味とその責任」と題する意見書(蓼沼II32頁以下、労働年鑑25集747頁以下)を出して、政治スト違法論を展開した。これに対し、総評法規対策部は、11月12日「弾圧法規反対闘争は政治闘争か経済闘争か」と題する反駁書(蓼沼II33頁)を出した。
[67] 翌27年に入り、破壊活動防止法案、ゼネスト禁止法案、労働法規改悪法案反対のため3波にわたる「労闘スト」が打たれた。
[68] 即ち、4月12日第1波が28万人を動員して行なわれたが、比較的小規模に終わつたことに気をよくした政府は態度を硬化し、同月18日に予定の第2波を行なえば政治ストとして容赦なく弾圧すると警告したが、18日には政府の右態度を不満として予定通り民間労組の殆ど全部が加わり、総数は炭労27万を含め約百万に達したが、立法反対のみを目的としてストに入つた組合は少数で、多くは賃上げなどの目的をからませた。その他、賜暇、超勤拒否、職場抗議大会に参加した者は2百万を超えたといわれる。その後、これに力を得た各単産は「再軍備反対」「低賃金打破」等のスローガンを掲げて全国で90万、東京で40万がメーデーに参加したが、デモ参加者の一部は宮城前広場で警官隊と衝突、いわゆる「血のメーデー事件」が起こつた。第3波は、6月に入つて3回に分断されて行なわれたが大した成果はなかつた。この「労闘スト」は、日本最初の大規模な政治的ストといえる。
[69] 法規反対闘争はその後も継続し、昭和28年7月のスト規制法反対のため3回にわたる職場大会、24時間スト、30年6月から7月にかけての石炭鉱業合理化臨時措置法案反対闘争、31年12月の炭労によつて行なわれたスト規制法存続反対のための1時間50分の抗議スト、総評のみならず全労、新産別、中立系の各単産の行なつた33年11月の警察官等職務執行法改定案に対する全国的な抗議ストなどが行われた。
[70] そして35年には日米安全保障条約(安保条約)の改定に伴う最大の政治的ストが行なわれた。
[71] 25年ころから、米国、ソ連間の冷戦の激化とともに、なしくずしに再軍備がなされるに至り、特に26年のいわゆる単独講和の時から、労組の平和闘争は明確な形をとつたことは前述の如くであるが、34年ごろ安保条約の改定が日程に上るや、防衛義務、事前協議、条約適用範囲、自衛力漸増義務などの諸点につき、憲法の平和主義に反するとし、34年3月28日安保改定阻止国民会議が結成され、同年末までに10次にわたる統一行動がとられたが、35年に入り愈々反対の気運は高まつた。かくして、5月19日遂に法案は国会議場の大混乱のなかに衆議院を通過したが、これに対し、新聞、学者らの多数が政府、与党の非民主的行動を非難し、1960年5月19日をもつて、「民主主義に対する政治的な奇襲攻撃がかけられた」日となす者もあつた(日高六郎編「1960年5月19日」(岩波新書)46頁)。
[72] こうして、6月4日、15日、22日の3回にわたり、大規模なストが行なわれた。第1次は460万、第2次は580万、第3次は620万人がそれぞれ参加したといわれ、我国労働史上最大の規模のストであり、民間労組が政治的目標のみを掲げてストに入つたのは、労闘スト、警職法反対スト以来3回目であつたこと、市民のかなり強い支持があつたことの3点で画期的なものであつた。
[73] その後は、昭和40年12月、日韓条約強行採決に抗議して、国鉄労組等の抗議時限ストが行なわれた。
[74] 以上が我国における政治的ストの概略である。

二、政治的ストに関する学説
(一) 政治スト違法論
[75] 学説では、政治スト違法論は、むしろ少数説である。政治スト違法論者の論拠は、政治ストと経済ストを峻別することを前提として、
(1) 政治ストは、政府、国会を強要するので、議会主義、民主主義と矛盾する。
(2) 政治ストは、労使の団交によつて解決可能な事項の実現のためになされていないのであつて、使用者は不当な側づえを食うこと(側づえ論)憲法第28条の団体行動権の保障は、団結権、団体交渉権とはなれて観念的に保障されるものではない。
(3) 労使間の意見不一致にもとづく具体的な労働条件の維持改善を直接目的としないものであるから、労働法上の争議行為とはいえない。
(4) 政治ストを合法と認めるならば、個人の政治的平等という近代法原則に矛盾し、法律概念として認め得ない労働者の階級連帯に法律的保障を与えることになる。
(5) ストを独占的な労働力取引上の現象と理解し、また政治ストは個々の労働者に特定の政治的見解を強制し、労働の自由の侵害になるから違法である。
などの諸点にもとめられている。
[76] 以下、違法論の立場に立つ学説を紹介する。
(1) 労働省の行政解釈
(労闘ストに際して出された、東京都知事に対する労政局長回答 昭和27・6・5)
[77] 労働省は、
「国会における立法に反対する如きストライキは、一般にいわゆる政治ストに該当するものであつて、憲法第28条で保障する団体行動権の範囲を逸脱した行為である。従つて、かかる政治ストには労働法上の不当労働行為、刑、民事上の免責等の保護は与えられない」「政治ストを行つた者又は責任者に対して使用者は解雇その他相当の処分を行い又は組合その他の者に対して損害賠償の請求をする事ができ、また、その行為が刑法その他の刑罰法規の規定に該当する場合には処罰を免れ得ない」
とする。そして、
「政治ストか、経済ストかは、その実体によつて判断されるべきであつて、政治目的が主体であるならば、これに仮装的に、又はつけ足りとして経済的目的を加えても、それは政治ストと解されるべきである」
という見解を示した。
(2) 日経連の見解
(昭和27年11月8日・日経連「政治ストの法律的意味とその責任」)
[78] 右の意見書に示されている日経連の政治ストは違法とする主張の要旨は、
(一) 立法反対ストのような政治ストは、労使間の意見の不一致によるものではないから労働法上の争議行為ではない。
(二) また、政治ストの目的となつている事項が、労働者の地位と何等かの関連をもつものであつても具体的な労働条件の維持改善をその直接の目的としない以上労働法上の保護をうけ得ない。何故なら争議権は団体交渉権を効果あらしめんがためのものとしてのみ認められており、団体交渉権の直接の目的は労組法2条及び1条に徴して具体的な労働条件の維持改善に限られているからである。
(三) かりに政治的要求も労働条件の維持改善と関連をもつ限り労働組合の副次的な目的事項となりうるとしても、これを達成する手段として、争議行為に訴えることは議会主義の否認となり到底許されない。
(四) またかりに具体的な労働条件に関する要求を同時に提出して経済ストの如く装つても、真実の意図が政治的目的の完遂にある限り争議権の乱用と断定することも可能であろう。
(五) さらに政治ストがかりに争議行為であると仮定し、その目的が労働条件の維持改善と何らかの間接的な関連をもつとしても、その手段は必要やむを得ざるに出たものとはいえないから、補充の原則に反し権利乱用として違法な争議行為となる。
(六) 以上のように、政治ストは労働法上の争議行為とはいえないから労働法上の争議行為に対して与えられる法的効果は、政治ストには認められない。かりに百歩譲つてそれが争議行為だとしても違法な争議行為として、正当な争議行為についてのみ認められる刑事、民事の免責、不当労働行為制度による保護は与えられない。
と主張したのである。
(3) 吾妻光俊教授
[79] 現代法学全書・労働法175頁
「政治スト……の場合には、争議行為の行われる理由は労働条件その他の労使関係とは関係のない事由に存するのであり、従つて当事者間において解決すべき余地のない紛争として、行政機関の関与によつて解決に導くことをも不可能とする紛争であるから、労働関係に関する主張の不一致を理由としないものとして、労働争議にあらずとすべきである。」
 右同216頁以下
「これらの同盟罷業の形態は労使の対抗関係を規整する労働法の対象たる性格を有せず、またこの種の行動を特に労働組合に保障すべき社会的合理性も存せず、もし、これに市民法上の免責を認めるならば、反つて、個人の政治的平等の近代法原則と矛盾し、また法律概念として認め得ない労働者の階級的連帯に法律的保障を与えることとなる。従つて、この種の同盟罷業は、憲法第28条の保障する争議権の行使としての性格を有せず、従つて、市民法の評価にさらされざるを得ない。而して、これらの同盟罷業は、その影響を受ける使用者との関係において、原則として損害賠償責任を発生せしめ、かつ威力業務妨害として刑事責任を発生せしめることとなる。」
という見解を表明しておられる。右の点は、別の表現としては、次のとおりにいわれている。
 講座労働問題と労働法3「労働争議と争議権」84頁
「刑事民事の責任については各本条に照して、犯罪、不法行為等の構成要件を充足するか否かを判断すべきに止まる」
[80] ところが他方では、
 演習講座「労働法」84頁
「政治スト……といつても、その純粋な形態のみについて右の如き取扱い(法律的責任に関する評価において一般の同盟罷業と区別すること……注)が行われるべきであり、同時にいわゆる経済要求を含んでいる場合には、それが完全な名目に過ぎない場合を除き、その全体を一般の同盟罷業と同視すべきである。右両者を分離して、法律的に評価することは不可能だからである。」
と説かれ、そのような経済要求を含んだストの場合には正当だと解されているようである。
(4) 石井照久教授
[81] 法律学全集・労働法総論338頁以下
「団結権、団体交渉権及び争議権は、密接な相互的関連において保障されたものであり、且つその相互の間においては、団体交渉ということを目的とするものであるから、争議権は団体交渉という目的との関係において、その限りで保障されたものというべく、労働組合法は、この趣旨を確認したものと解すべきである。
 この意味において、憲法は争議権を、労働者が対使用者との関係を通して、その経済的地位を向上するための基本的手段として保障したものというべく、この点に、労働法における争議権保障の限界、換言すれば、争議行為の正当性の限界即ち刑事上の免責をうけるか否かということを判断するについての法的基準を示しているといわねばならぬ。そしてまたこのように解することは、争議権の保障のうちに、とくに民事上の免責として、労働者が、労働契約上の債務を履行しないにかかわらず、使用者に対する債務不履行による損害賠償の責任を免れうること、換言すれば、使用者に「損害の甘受」をなさしめるものであることとの間に調和をみいだすものであるといえる。即ち労働法における争議行為の正当性の問題は、争議行為として展開されている行為が「一般的」に正当であるかどうかというような価値評価の問題(例えば、労働組合が、どの程度に政治的活動をなしうるかというようなこと)ではなくして、「対使用者との関係」として使用者に、当該の争議行為の結果を甘受せしむべきであるか否かの問題にすぎないことを注目すべきである。従つて争議権は、使用者との関係においては、団体交渉権についても指摘したように、労働者の団体がその目的として実現せんとするところのものが、一般的な意味において使用者として法律的ないし事実的に処理しうるような事項に属する限りにおいて、憲法上保障されていると解すべきである。この意味から、例えば特定の政府の退陣を主張し、或は特定の労働法規の制定などに反対してなされる争議行為、いわゆる「政治スト」は正当な争議行為ではない。……しかし、労働者の経済的地位の向上も社会的ないし政治的地位の向上と密接に関連するものであるから、なにが、「経済的地位」であるか、その区別をつけがたいものが少くなく、労働者の主張のうちに若干政治的なものが加味されることがあることは当然に予想しうるところであり、それゆえに当然に、その争議行為を違法とみるべきではない。」
(5) 田辺公二氏
[82] 司法研究報告 7輯4号「同盟罷業権について」127頁以下
「罷業を使用者との独占的労働取引上の現象として捉え、かつ一個の独占活動として個別的取引停止の場合と異なり、当然に一定の法的規制に服すべきものと考える以上、もともとかような罷業法理の予想していない、経済目的以外の目的の達成のために、使用者を労働市場から排除することは、到底適法とはいい難い。」
[83] また政治ストを行なうことは、
「その強い統制力を行使して、組合員に特定の政治的見解の表明を強いるのと同一の意味をもつから」それ故に「独占力の乱用による個々の労働者の「労働の自由」……の侵害を意味する……。」
とされている。

(二) 政治スト合法論
[84] 政治スト違法論にたいして、わが国の労働法学者の多くは、一般的に政治ストも労組法上の保護を受くべき正当な行為である、とする見解を示している。合法論の論拠としては
(1) 経済と政治の密着性、従つて経済ストと政治ストの区別の困難なこと。
(2) 使用者と国家ないし政府の一体性(側づえ論に対する反論)。
(3) 争議権が保障されるに至つた歴史的性格
(4) ストライキの目的がもつている大衆的意思表現という性格
(5) 政治ストは、労組に圧力団体としての機能を果させ、資本家―使用者の団体の政府に対する圧力と均衡を保たしめ議会主義と矛盾しないのみでなく、却つてこの精神にそうものであること。
(6) 憲法28条は労働者の集団的行動を包括的に保障したものであるから政治ストもこの中に含まれる
(1) 野村平爾教授
 日本労働法の形成過程と理論 89頁以下
[85] 同教授は、右書において、まず
「ストライキの合法性を判断する場合に……その目的と目的実現のためにとる手段の類型をあげて、両面から検討を進めるのが普通である」が、「ある目的だけが正当性をもち、他のそれは不正だということは、頭から一定範囲のストライキを違法視する」ことになるので争議目的からの正当性の判断は「沿革的にはストライキを弾圧するための理論としてあらわれてきた」
と指摘され
「ストライキは法律以前に存する社会的現象なのであるから、変化する社会的現象そのものに即して争議の目的に基く性格を観察するということは、何よりも大切」で、「単にストライキの頭に政治をつけたり、経済をつけたりすることでそれが合法になつたり非合法になつたりするものではない」
とされている。そして、政治ストの正当性を次のような3つの観点から主張されている。
[86] 第一には、
「労働組合運動は、すでに150年の歴史をもつている。だから労働階級が歴史をかけて主張し犠牲をかさねつつ実践してきたところを基準として団体行動権のもつ意味も考えなくてはならない。」のであつて、憲法28条が、「団体行動権の保障を、団結権の保障の他に敢て規定したというのは、政治的ゼネストによつて獲得したワイマール憲法のうちに、団結権の保障のみしか記させなかつたという労働階級の苦しい経験の上にあらわれたもの」であること、さらに「第一次大戦から第二次大戦に至る間を例にとつてもいくつかの政治ストや政治的性格をもつとみられるストライキを経験しているという……国際的経験」
などから考えると政治ストは正当である。いいかえれば
「歴史的に団体行動権の意義を理解するならば、このようなストライキも憲法のいう団体行動なのだと考えざるを得ない」
と説かれる。
[87] 第二に、
「団結はその副次的目的として政治的目的を持つことも可能だし、また経済的目的を達するために政治的団体行動をとることの必要ももとより少くない。しかし、このような明確な政治的団体行動に出ない通常の経済ストの場合でも、凡そストライキというものには、何ほどかの労働者一般としてのプロテスト或は労働者階級としての意思表示に当るものが含まれている」のであつて、「集団としてしか「抗議」しえない労働者がとるところの大衆的意思表現のもつとも高度な仕方がストライキという形になるのである」
そして
「このような意味のストライキの目的の性格は、資本主義の発展に従つて、在化し……労働組合の組織が拡大し、独占資本のもつ政策に対決するようになればなるほどストライキの性質も不可避的に政治的な形をとらざるをえない」
こととなる。また
「資本制世界は今日いつでもフアシズム的政策を実現する可能性を抱いている」ので、「労働組合がこのようなフアシズム労働政策に抗議する行動をば、組合の団体行動として保障するというのでなければ団体行動権の存在を確保することはできない」
このような意味から政治ストは正当であると説かれるのである。 [88] 第三には、
「発展した資本制社会においては、労働組合は一つの圧力団体でありその圧力作用の一つとして政治ストは肯定されなければならない」
と主張される。すなわち、
「資本主義が独占段階にすすむと、巨大資本と政府との癒着がはつきりし……政府と資本家団体が一おう形式的には別だとしても、いわゆる圧力団体としての資本家団体……巨大資本が事実上一切の政策を支配するようになることは、政治経済学的な分析が示すところである。従つて、労働者の生活に直接ひびく経済政策や、労働政策と闘うことなしには労働者の経済的地位の向上という組合の目的は達せられない。そしてこのような政策に対する反対は、大衆的行動を通しての教育宣伝なしに大衆のものとならないから……立法政策の推進や阻止のための示威行動としての政治的ストライキはその必要があつて生れたし、また是認せざるを得ない理由をもつてくる。」
[89] そこで政治ストは「憲法第28条の団体行動権の一つの内容だと考える」といわれるのである。野村教授はこのような3つの観点から政治スト合法論を主張されるのであるが、さらに
「労働者が自己の利益のためにストライキを行いうるならば自己を含めて国民一般の利益になる場合の権利行使があつた場合は尚更正当性を認めていい筈ではなかろうか」
と説いておられる点から考えると、その正当性は純粋政治ストの場合についてまでも認めておられるようである。
(2) 沼田稲次郎教授
[90] 団結権擁護論 144頁以下
「然しながら、憲法28条の保障する権利は右のような主なる目的(団結による労資の実質的不平等の克服と強い団結力や争議力を背景とした真の自由平等の立場で作られる協約秩序の形成―著者註)をもつものにつきると解してはならない。このように解釈して労働法改悪反対のストライキが“政治スト”であつて違法であるという風に考えるのは間違いである。というのは我国の憲法の出来たのは20世紀の中葉であるということによる。即ち、世界各国の労働運動はもう既に幾多の立法闘争や国家の政策を要求する闘争を重ねて来ており、かかる闘争も団結と争議とによつて実現せられていてかかる闘争を除いて団結権や争議権を保護するには、特にその旨を憲法自体において規定しておかねばならない。特に、除外規定がない限りは、団結権、争議権の歴史的内容においてこれを保障したものと解釈するより他ないといわねばなるまい。」
とされ、憲法28条は、少くも
「労働立法に関する要求や今日の経済常識上労働者の生存権に深い影響を与える国家の政策に関する要求をかかげる争議の権利を保障していると解するのが正しい」
とされている。
[91] そして、
「共産党弾圧反対とか不平等条約廃止とかいう要求をかかげるものは憲法第21条の問題である」
と主張しておられる。
(3) 後藤清教授
[92] 講座労働問題と労働法3「労働争議と争議権」119頁
「争議権は、団体交渉の支柱をなすものとしてみとめられたものであるとはいえ、ただ賃金その他の労働条件の維持改善を直接の目的とする場合に限つて合法であると狭くすべきではない。団体交渉は労働運動の結果現象にすぎないのであり、労働者としては団結を維持し、さらにその基盤としての三大基本権を擁護することが、労働運動の根本的出発点であるから団結を維持する必要のある場合もしくは三大基本権がおびやかされたときにこれに抗議する場合に、ここ政治ストなどの形をとつて行われることがあつてもやむを得ない場合がある。もとより労働組合は政治運動を主たる目的とする団体ではないから政府の政策の変更を余儀なくせしめるまで圧力の手をゆるめないようなストライキは、限度を超えたものとなるが、労働者の抗議を表明するための方法として行われる限りは、憲法にいわゆる団体行動の一方法であり、合法な政治ストである」
と説いておられる。
[93] この見解は、純粋政治ストについても団体行動権の一内容として正当性を認められるかどうか判然としないが、「抗議を表明するための方法として行われる限り」政治ストの正当性を認められることからおしおよぼせば、すくなくとも憲法第21条の表現の自由という観点から純粋政治ストの正当性を認められるものであろうか。
(4) 松岡三郎教授
[94] 講座労働問題と労働法3「労働争議と争議権」153頁
「いわゆる政治スト或は同情スト更にいかなる目的をもつたストライキにせよ、それを処罰することは強制労働に該当する(憲法第18条―著者註)。従つてこれらのストライキの合法性は民事責任の問題との関連において重要である」とされ、「労働条件の維持改善のためのストが労働法の保護の枠内にあるなら、その基盤となる団体交渉力の維持改善のためのストも、その保護の枠内にあると解すべきで」とくに、「わが国の如く労働者の団体交渉力、その経済的地位が他の産業内の労働関係の動き及び政治の動向に密接な関係をもつ国においては……解釈論としては、同情スト更に労働法改悪反対ストも可成り大幅に認めざるを得ないであろう」
とされている。この見解も、純粋政治ストについて言及してはいないが、「いかなる目的をもつたストライキにせよ、それを処罰することは強制労働に該当する」というのであるから、すくなくとも刑事上の免責があるという点においてその正当性を認める立場に立たれるものであろう。
(5) 磯田進教授
[95] 講座労働問題と労働法3「労働争議と争議権」110頁以下
「単なる労務提供拒否の意味におけるストライキそれ自体――すなわちピケツテイング等の随伴行為の問題をはなれて――に対して刑事罰を課することが、憲法18条のいわゆる強制労働の禁止にふれることはいうまでもないが、これに対して民事責任を追求することもまた同様である。」
[96] これは政治ストの場合でも同じに解すべきである。従つて政治ストは合法でたゞ「乱用」の問題が生じ得るだけであると説いておられる。この見解も純粋政治ストについては言及しておられないが強制労働という観点から民刑事上の免責を認められる考えを推しすすめるならばその正当性を認める立場に立つと考えられる。
[97] しかし、磯田教授が、憲法18条を根拠に民事免責を認められていることに対しては、「苦役の禁止は、刑事免責の根拠としては理由があるが、民事免責の根拠としては合法性に乏しいように思われる。例えば、婚姻自由の原則は、婚姻予約或は真の婚約不履行に対する損害賠償請求を排斥するものでないと、少なくとも日本で考えられていることは参考になる」(古田時博司法研究報告第16輯第1号144頁)との批判がある。
(6) 蓼沼謙一助教授
[98] 月刊労働問題12号「政治ストの構造と法律関係」135頁
「憲法上の争議権の保障は、労働組合が現に資本主義社会のなかにおかれている労働者の日常的生活利益の擁護という第一次目的そのものの実現のためにも展開せざるをえない政治スト、しかも暴力革命武装蜂起の前段階でなしに、組織労働者の平和的な統一的意思の示威的表明という性格においてとられるデモ・ストないし抗議ストとしての政治ストについては、争議権の行使という性格を認める趣旨であると解して」
民刑事上の免責が認められるという意味での「正当性」を有するとされておられる。
(7) 山中康雄教授
[99] 法学理論篇「労働争議」84頁以下
「なにが正当なる争議行為であるかは、資本主義国家における争議行為なるが故に当然おわねばならぬところの制約の範囲内の争議行為をいうと解すべき」であるとされ「資本主義国家における争議行為は、資本主義国家を顛覆させること、あるいは革命を促進させることを直接の目的としたり、あるいは、これに類することを直接主要の目的とするものであつてはならない。
 たゞし第二次的に政治目的をともなうにすぎぬときは、違法ではない。たとえば、資本家階級を階級敵とみ、搾取する資本家階級すなわち使用者たちにたいする労働者たちの闘争を組織し、熾烈ならしめようとする政党が存在し、その政治活動に指導せられて労働争議が発生し、争議行為がなされたとしても、争議労働者たちが、その労働条件の向上を直接の目的として、争議行為をしている限り、違法ではない」
と説かれる。そして、ただ
「純然たる政治ストのごときは……正当なる団体行動ということになつて刑事上の免責をつくるというようなことはありえても(労組法1条1項)、使用者にたいする関係で債務不履行の責を免れしめるものではないと思う」
と述べておられる。
(8) 峯村光郎教授
[100] 講座労働問題と労働法3「労働争議と争議権」101頁
「憲法第28条および労組法第1条第2項、第7条、第8条などによつて保障されている争議行為であるかぎり、それが……労働法規改悪反対のためになされる労働者の団体行動による意思表示としての政治ストであろうと法上許されることは当然である。但し労働者および労組と直接関係のある労働法規改悪反対という問題と異なり、直接関係のない再軍備反対のための政治ストのようなものは、労働法上は認められない」
(9) 津田蔵之丞教授
[101] 前同書 89頁以下
「立法反対又は法律改正反対の政治スト……の正当性の判定基準としては、その立法が、労働条件について直接に規制しているか、間接的であるかによつて判断するほかなく、直接的な立法例えば労働基準法の改正反対の政治ストは正当であるが、間接的な立法例えば再軍備関係の立法反対のストは正当ではない」
と説いておられる。
[102] 右の峯村、津田両教授の見解は純粋政治ストについては論及されていない。しかし、それが労働法上正当でないとしても、市民法上もまた正当でないと解されるものではないようである。
(10) 有泉享教授
[103] 前同書 124頁
「政治ストは、政治目的そのものの面からは、一応労働法の保護の外にある。それが、労働者の基本権を守り、労働条件の向上と結合している限りにおいて、労働争議となり得、その合法性の判断は、労働法の基準によつて下さるべきである。」
と説いておられる。換言すれば次のとおりである。
[104] 労働争議の法理 130頁以下
「それが、直接には政治的目的であつても、究極において労働者の地位を目ざすものである限り……労組法1条2項の適用をうけ……争議手段も通常の範囲を出ない限り――ことに罷業であれば原則として――そこに違法性は存しない、具体的な政治争議が違法であるかどうかは、それが「公共の福祉」に反し争議権の乱用であるかどうかという憲法第28条、第12条の適用の問題に帰着する」
とされるのである。そして
「政治争議がゼネストの形をとつて、単なる政策の要求ではなく倒閣運動を展開する場合は、議会制度によつて民主主義が実現されるという立前をとる限り、争議目的としては容易には適法のものたり得ない。そこまで行けば「労働者の地位の向上」との近親性はかなりうすくなる」
「しかし目的が適法でないことは直ちに争議を犯罪たらしめるものでないことは言うまでもない。単にかかる争議行為は労組法第1条2項や第12条にいう「正当のもの」でなくなり、従つてその手段が一般の刑罰法規に触れる場合にはその限りにおいて犯罪を構成するというにすぎない」
だけであると主張しておられる。
(11) 三宅正男教授
[105] 前同書 108頁以下
「労働力は個人労働者のものであり、彼が労働力を売らないこと……は理由や目的のいかんを問わず合法的である」から、「政治ストも……手段がさきに述べた近代法のルールに反しない限り、もちろん合法的であつて民事上刑事上何らの責任も生じません。そして現在のところそれらのストを禁止する立法もありません。」
とされている。ただ、
「そのようなストライキに対して資本家側が(本来合法的な、解雇すなわち「買わない」という手段で)差別的取扱をすることを労組法の不当労働行為制度が禁止しているかどうかは全く別の問題です」とされたうえ、「政治ストが、団体交渉の権力的擁護助成を目的とする(労組法によつて「正当な行為」として権力的に擁護助成される)と考えるのは非常識です」
といわれるのである。
(12) 横井芳弘教授
[106] 討論労働法63号「憲法28条と組合の政治活動」35頁
「労働法規改悪反対ストは労働法上の保護を受け得るが、純粋政治ストは受けない。しかし、それは保護を与えられないというだけで市民法の平面でも違法だというのではない」
三、西独の新聞スト判例
[107] ドイツにおける政治ストは、1920年3月13日のカツプの反乱に対するゼネスト、1922年6月24日の外務大臣ラーテナウ暗殺に対する抗議スト、1923年仏軍ルール占領反対のスト、1948年11月12日連合国軍経済地域において行われた1日ストなどのほか、1951年共同決定法の成立にさきがけ、1950年暮より翌年初頭にかけ、金属産業及び鉱山業両労働組合のとつたゼネスト態勢の確立などがあるが、最近もつとも著名で、それを契機として、政治ストの民刑事責任をめぐる論争が活溌に展開され、多数の判例、論文などが出されたのは、1952年5月下旬の新聞ストであつた。ドイツにおける右の新聞ストについての判例、学説などは、「政治スト及び同情ストの法理」(古田時博、司法研究報告第16輯第1号)に詳しくまとめられている。
[108] 新聞スト及びそれに関する裁判の要点は次のとおりである。なお新聞ストの経緯については、ニツパーダイ鑑定書(法務資料369号)の前編「事実関係」の項に詳しい。
[109] 1952年経営組織法の法案が、連邦議会に上程されると、ドイツ労働組合総同盟(DGB)は、右法案をもつて(当時)経営関係法規を改悪し、1920年の経営協議会法の線よりさらに後退するものであり、被用者と使用者が真に共同決定することを妨げ統一ある労働運動を切り崩す意図を有するものであるとして反対し、闘争に入ることを宣言し、アデナウアー首相、使用者団体等の反対にも拘らず、遂にDGB傘下の印刷用紙労働組合が、1952年5月27日正午から丸2日間、新聞部門の労働を放棄し、日刊新聞は休刊となつた。
[110] 同スト終結後、印刷工場や新聞発行所は、右ストによる損害賠償請求権を、その加盟使用者団体に、債権譲渡し、使用者団体が原告となり、DGB、印刷用紙労働組合及び、その組合役員らを被告として、損害賠償請求訴訟を労働裁判所(ごく一部は普通裁判所)に提起し、大部分の裁判所が、原告勝訴の判決を下した。その過程において、鑑定がなされ、使用者側の鑑定書として、ニツパーダイ、フツク、フオルストホツフ、労働組合側の鑑定書としてアーベントロート、フオン・カロルスフエルトの各鑑定書が出された。
[111] そして、右訴訟の争点は多岐にわたつており、管轄権(普通裁判所かいずれの管轄か)、損害賠償請求権の根拠法案はBGB第823条第1項か、第826条か、憲法上の違法性は直ちに、民事上の違法即ち不法行為を構成するか、労働協約の解釈と効力仮定的原因の理論――即ち、被告らが政治ストを行なわなかつたとしても、もし被告らが、彼らの要求にそう経営組織を労働協約で決めるよう要求してストに入つたと仮定すれば同じ損害が原告側に生じたであろうから、原告の請求は理由がないという理論――の当否などであつた。
新聞ストに関する判例
(第一類型)新聞ストを民事上完全に合法であるとした裁判例。これはその理由からして、刑事上の合法を推測せしめる。
[111] ベルリン地方労働裁判所(1953・8・17判決ベルリン労働裁判所控訴審)
要旨 ストは、示威運動でありうるが、ストが具体的闘争目標をもたず、労働者階級の意見を強力に表明することにある場合には常に示威運動である。新聞ストは労働者に不利益な活動をしている連邦議会に対し、注意を喚起し労働者がこれを是認していないことを表わすためのデモであつて、被告印刷用紙労組の労働協約第14条第2項(協約違反のストやロツクアウトを援助しないこと。但し、協約の相手方のみを目標とするものではないゼネストやデモはこの限りでない旨の規定)によつて、平和義務に違反しない。
 ストが単に議会に向けられているというのみの理由で、政治ストを評価することは適当でなく、むしろ、(イ)議会が何を規制しようとしているか、及び、(ロ)議会の決議に対し影響を及ぼすことについて、ストが許さるべき手段であると認められるか否かが決定的な重要性を持つとし、(イ)について、経営組織法は労働協約法第1条により、労働協約によつて規制しうる問題を取り扱うもので、本来社会的当事者の自治に委ねられた問題は、立法者が協約当事者からこれを取り上げて立法の問題とすることによつて、自治的な組織に関する法に従うものであるとの制格を変えるものではない。この問題を協約によつて規制し、使用者の同意をストによつて強制することは(労働協約が適用される場合は同第14条所定の調停手続を経た後)、全く合法的である。また(ロ)については、ストの態様から見ても、新聞ストは国会は国会議員の議決の自由を脅かすに足るものとは認められない。労組の意思表明のための示威運動としての短期間のストは、ペンジン税反対のため自動車所有者が議会に圧力をかけるため、各地からボンに向つて行進した星形行進(Sternfahrt)と違つた効果を及ぼすものではない。両者の行動はともに、民主主義国において議会が計画している手段によつて影響を受ける者に許された行動で、基本法第38条に全く合致したものである。同第21条は政党以外の他の組織に、政治的意思形成について協力することを排斥していない。
 国会等に不法な強制を加えない限り、政党以外の組織は、その意義に応じ、国家、経済生活において、政治的意思の形成に協力する完全な権能がある。但し、国会に対し一定の目標達成の目的をもつてなす不定期間のストが、違法な強制となるかは疑問である。ベルリン州憲法第18条第3項は、「スト権は保障される」と規定するが、該憲法は、労組のスト権を、それが使用者以外の者に対する目標をもつものでも、純粋な基本権として、保障している。そして、基本法ではスト権について何ら特別な規定を設けていないので、州としては、独立の立法をなしえ、右ベルリン憲法の規定は有効である。また、告知のないストは、実務上の必要性からきており慣習となつている。そして正当化理由のない限り開店開業中の営業(eingerichteter und ausgeubter Gewerbebetried)に対する侵害はBGB第823条第1項違反の不法行為になることは、通説と同意見であるが、本件では以上述べた理由により、違法性がなく、故意に良俗に反して損害を加えたものとも認められぬから同826条違反ともならない。
[112] この裁判例は、まず政治ストを具体的闘争目標をもつもの(いわゆる政治闘争スト)と、意見を強力に表明することだけのもの(いわゆる抗議スト)にわけ、後者を示威運動として認めていることは、高く評価されるべきである。
[113] そして、新聞ストの事案においても、議会に対し意思表明をするためのデモであるとみて、民主主義国において議会が計画している手段によつて影響を受ける者に許された行動であるとし、その根拠を、ベルリン州憲法第18条3項の「スト権は保障される」との規定にもとめている点は注目に値する。右条項は、日本国憲法第28条に相当するものである。そして、右裁判例は、ストの態様として、丸2日間にわたるストを「短時間」のストとして容認していることも、わずか1時間のストでも公共の福祉云々を金科玉条のごとくかかげて違法視する日本の裁判所との意識のひらきを示しているものである。もちろん「示威運動としてのスト」を認容する、かかる裁判例は、ドイツにおいても異例に属することはいうまでもない。しかし、日本においては、この程度の意識水準の裁判例は、おそらく1つもないといつてよいであろう。現実の裁判例としてかかる裁判が存在しうる西ドイツの裁判所の雰囲気は貴重といわなければならない。しかも、この裁判例は、控訴審判決なのである。
[114] そして、この裁判例の論理に従えば、新聞ストは、議会強要罪(ドイツ刑法105条)を構成しないことはもとより、一切の刑事免責をうけるものと考えてよいであろう。民事事件であるため、刑事上の判断を明示してはいないけれども、右裁判例は、新聞ストに関する多数の裁判中、最も明確に新聞ストの民刑事上の免責を根拠づけているものといつてまちがいない。
[115] 新聞ストに関しては、刑事事件として起訴された例はなかつたようである。この点は特筆すべきことである。鉄道ほどではないにしても、公共性の大きい新聞ストが、2日間行われ、しかも使用者団体が、債権譲渡をうけてまで法廷闘争を展開するほど力をいれているのに、ストに対する刑事弾圧は行われていないのである。
[116] その他、新聞ストを、民事上合法であるとして、原告の損害賠償の請求の主張を排斥した裁判例は、オツフエンバツハ、ウツベルタール、アウグスブルク等の各労働裁判所のものである。
(第二類型) 新聞ストを民事上違法であるとしたが、刑事上合法であることを明示した裁判例
[117] フライブルク地方労働裁判所 LAG Freiburg v. 13.4.1953, NJW 1953 S.1278
要旨 基本法も州憲法もいずれも、政治ストについて規定を欠いているので、制度としての政治ストは、基本的には、憲法違反ではなく、憲法上価値判断がなされていないことになる。従つて、個々の政治ストが憲法の原則に反するか否かが検討されなければならないのであつて、戦犯の釈放要求、或は物価騰貴、高い占領費に反対するため等の一時的労働停止による示威運動は憲法違反ではない。
 新聞ストは、本来2日間と期限が制限されていて、かかる短い期限付のストは、通常デモと看做さるべきである。ラジオは、ニユースの伝達上新聞と殆ど同価値であるが、これはストによつて影響されなかつたので、新聞ストはごく限られた範囲でのニユースの締出しで、使用者に与えた損害も比較的軽微であつて、国民経済上も重要な意義のあるものではない。被告労組は新聞スト当日議会で、経営組織法が確定的に議決されるのでないことを知つており、議員は、後日のストの脅威を感じないで議決し得たこと等の諸事情により、被告は、彼が、右法案の変更を希望していることを知らせることのみを欲していたものと認められるのであつて、被告が社会的に相当な方法で自己の見解を、立法機関に表明する権利を有することは明白である。被告は激しい言葉を用いて、それ以上の有力な闘争手段に出ることを表明していたが、経験上それを実行する気持がなかつたと認められるものであり、農民の抗議集会、家屋所有者、借家人らのデモ行進が、関係法案の議会での審議に当たり、全国的に行なわれ議員に影響を及ぼすことは、労組の活動と同様で、それらの行動が大規模に実施されない限り議会強要罪にはならぬ。かくの如き次第で、新聞ストは、憲法上刑法上違法ではない。
としているが、
 これをもつて民法上の合法性が証明されたわけではなく、BGB第823条第1項の「その他の権利」を侵害したものであるから損害賠償義務がある。
として、民事上の損害賠償義務の根拠を次の点に求めている。
「いかなる前提のもとに、ストが私法上許容されるかについて、法律上の規定はないが、凡ゆるストライキが無制限に法律秩序により是認されていると解さるべきではない。私法的にはストは、単に労働争議の制度(Einrichtung des Arbeits Kampfs)としてのみ許される。即ち、ストが使用者に向けられ、ストの目標の実現が使用者と被用者との間の私法的な労働法上の合意によつて達成しうるときにのみ、換言すれば、最も広い意味における、労働条件に関する場合に限り、労働者は労働契約に違反することなく就労義務に従わないことができる……と、ニツパーダイ鑑定書を引用し、新聞ストはこの限界を守らず、第一次的に立法者に向けられていて、社会的当事者間の合意は、当時全く不可能な状態であつた。被告らの行為の違法性は、労働者をしてその労働契約に反して違法なストライキを実行させ、直接出版業者らに損害を与えた点に求められる。」
[118] この裁判例も、前記ベルリン地方労働裁判所のそれと同じように、政治目的をもつてする一時的労働停止(スト)行為を示威運動として憲法違反でないと認容している点は非常に価値がある。
[119] そして、ここでも、丸2日間の新聞ストを、「短期間」のストとして、その短期間の故にデモと看なすべきであること、新聞がなくてもラジオにより代替しうるものであること、議会に強い影響を与えたものでないことなどから、新聞ストが社会的に相当な範囲内にあると断定している。
[120] この裁判例は、違法について刑事上の違法と民事上の違法を別個に考えている。示威運動としてのストならば、その態様において社会的に相当である限り、刑事上は合法であるとする。しかし、刑事上合法である示威運動としてのストも私法上合法とはならない。私法上合法であるためには、労働争議(ストが使用者に向けられ、ストの目標の実現が使用者と被用者との間の私法的な労働法上の合意によつて達成しうるとき)でなければならないとするのである。従つて、逆に私法上、合法であるとするためにストが、労働争議でなければならないとしても、労働争議でないこと(政治スト)が、刑事上の問責の根拠とはなりえないことを暗示している。
(第三類型) 新聞ストを、刑事上も民事上も違法であるとした裁判例
[121] フランクフルト地方労働裁判所 LAG Frankfurt a.M. Urt. v. 20.2.1953 A 195 195
要旨 政治ストは、社会的ストの対立物であり、労働条件の改善を使用者以外の者、即ち官公庁に要求するストであつて、ストを受ける使用者が、ストによつて要求されているものを満足させ得ない地位にあるという点で、本質的に社会的ストと区別される。従つて、労働法をめぐるストは、より良い労働条件を獲得するため行なわれることは、社会的ストと同様であるがやはり政治ストである。本件ストは、使用者にできるだけ損害を与えないよう代替労働者の手配をしたこと、DGBの経営組織法反対のための計画的行動の一環としてなされたことなどの諸事実から、使用者を相手取つたものでなく連邦議会に対してなされたものと認められる。
 立法は、完全に独立した最高の国家機能であり、立法者は利害関係ある社会的当事者間の調停者として扱われているものではない。従つて、争いある労働関係法制定に当つて、立法機関は、労使の仲裁人たる地位に立ち、この際起こる争議は、社会的当事者が労働協約により、労働条件を規制しようとするストと同一のものであり、従つて社会的相当性があるとするアーベントロート等の見解に与することはできない。また被告は、本件は、社会的相当性ある同情ストであると主張するが、使用者が第1次ストを受けている使用者に、その連帯性の枠内で働きかけて、ストを避けうる地位になかつたので、同情ストとはいえない。
 政治ストが、労働法上、民法上違法なことは通説的見解である。ところで、憲法上ストが権利として承認されている例えばヘツセン州においても社会的ストのみが保障されているので政治ストは憲法上違法であるが、たとえ憲法上合法であるとしても、民事上の合法性とは無関係であり、また議会強要罪を構成するか否かも私法上の違法性と直接の関連性はない。違法性は、当該法領域の固有の観点から判断さるべきものである。開店開業中の営業の存立がBGB第823条第1項の保護法益と考えられてきたことは、学説、判例の承認するところであるが、1951年10月26日の連邦最高裁判決は、営業の存立に対する直接的侵害のみならず、営業活動の直接的阻害も同法の保護するところであることを明らかにした。このように、法益が拡張されたので違法なストに対し、同条項が適用されることになる。違法性は社会的相当性の有無によつて決せられるのであり、相当性ありとされるためにはストの相手方が使用者であること、及びその目的が労働条件に関する場合に限るのであるが、新聞ストの如きは、社会的相当性なきものとしてBGB第823条第1項の損害賠償責任を生ぜしめる。また、被告組合は権利能力なき社団であるが、その責任は同第831条から、また組合役員の責任は同第830条第2項から生ずる。
[122] この判決は、全面的に、本件ストの民事上の違法性を、社会的相当性の欠如に求めている。

四、わが下級審判例
[123] 新潟・東三条併合事件
新潟地裁昭和39年10月26日判決
公務執行妨害、暴行、暴力行為等法律違反脅迫被告事件
国労関係裁判例集第4巻 250頁
要旨 一、政治ストは使用者への経済要求ではないから通常労働法上違法とされるが、現憲法秩序を侵害する虞のある公権力(政府与党の政治権力)の行使という緊急事態のもとで敢行された場合は、超法規的違法阻却事由となることがある。
二、警職法改定案は、労働運動、言論、集会の自由等基本的人権を侵害する虞のあるものであり、その反対意見表明は何ら非難されないが、てんてつ器を占拠するなど列車の正常の運営を阻害するのは、高度の良俗違反で違法である。
[124] 弁護人らが、
「公共企業体等労働関係法(以下公労法という)17条は、公共企業体等の職員の組合から争議権を剥奪しているが、右規定は日本国憲法(以下憲法という)28条に違反し無効な規定である。従つて、公共企業体等の職員組合が公労法17条に違反して争議行為を行つても違法な争議となるものではない。仮に同法条の違憲論を別としても、右のごとき争議行為の刑事責任については、労働組合法(以下労組法という)1条2項の刑事免責の適用をうけるものである。
 本件被告人らの所為は、国労本部の指令に基き警職法改正反対とその他当面する諸要求についての抗議の集団的意思表明を目的とし、新潟地本の組合活動として行われたものであるから、刑事上も正当である。
 また政府与党が絶対多数の議席を利用し、権力をもつて憲法の精神を侵害し、憲法を危険にさらすような虞れのある場合、それを阻止するための抵抗は、破壊的な抵抗でない限りむしろ国民としての憲法を守る義務に基くものでかかる場合は政治ストと雖も違法ではない。」
旨を主張したのにたいし、裁判所は次のとおり判断をしたものである。
「1 まず、被告人桑原時男、同北沢勝、同渡辺栄次郎の判示Aの第二の二の(1)ないし(3)の行為が、前判示のとおりいずれも警職法改正反対抗議を主目的とし、これに賃金改正については仲裁裁定の完全実施、年末手当に関する要求をも含め、これが意思表示のため、国労本部の決議、国労新潟地本の指令に基いてなされた3時間の勤務時間内職場集会、および右集会を効果あらしめるための弥彦線南部28号転換器附近のピケツテイングに附随して生じた事件であつて、右勤務時間内職場集会という統一行動は、国労の組織行動として国鉄当局側の管理意思に反して職員が職場を離脱し、所定の執務をせず、国鉄の正常な運営を阻害するものであるから、所謂争議行為に該当するものであり、右争議行為は警職法改正反対という国家機関に対する法律案通過反対の意思表示に向けられた所謂政治的抗議ストと認めざるを得ない。国労においては右第4次統一行動に際し仲裁裁定の完全実施、年末手当要求等経済目的をも掲げていたが、この要求は右のような警職法改正反対第4次統一行動という主目的が決定され、その行動の実行に際して全く附随的になされ、その比重は極めて小さかつたものと認められるものであるから、これをもつて使用者に対する主張要求をめぐつてなされる一般の争議行為(所謂経済スト)と同一視することはできず、本件争議行為は警職法改正反対という政治的意思の表示を目的とする政治的抗議ストと評価せざるを得ない。
2 ところで、公労法17条は、公共企業体等の職員およびその組合に対し、目的の如何を問わず同盟罷業、怠業、その他業務の正常な運営を阻害する一切の行為を禁止しているから、同法条に違反してなされた争議行為について労組法1条2項の適用があるかどうかがまず問題となるが、労働組合の団体交渉その他の行為が労働法上の保護をうけ得るためには、その目的において、労組法1条1項、2条、公共企業体等の場合には更に公労法8条等の規定により、労働者の経済的地位の向上を主目的とし、使用者において法律的ないし事実的に処理し得る事項に属する限度のものでなければならないところ、所謂政治ストの場合には右の目的を欠くから、労組法1条2項、従つて刑法35条の適用はないといわざるを得ない(この点では国労も一般労組の場合と同一であり、国労の場合には特に公労法17条をその理由とするものではないから、同法条が憲法28条に違反するかどうかについて、また同法条違反の経済ストの場合に労組法1条2項の適用があるかどうかについては、本件に関係がないので特に判断をしない。)
 しかしながら、所謂政治ストは、通常目的が政治的措置要求か、政治的抗議ないし示威であるか、強制の強度が継続的な集団就労放棄か、一時的な就労放棄かにより、所謂政治闘争スト(真正政治スト)と政治的抗議(示威)ストに区別されているが、いずれにせよそれが労使の団体交渉によつては解決できない事項の実現のためになされ、使用者に対し、右争議行為から生じる結果の甘受を強いるという点で明確に一般の経済ストと異り、通常労働法上違法とされ、従つて労組法1条2項等の労働法上の保護はうけ得ず、刑法36条による刑事免責をもうけ得ないものであること前説示のとおりであるが、政治ストであることを理由に、かかる争議行為(としてなされた犯罪構成要件充足行為)をすべて刑事上においても当然可罰的行為であると評価しなければならない理由は存しない。すなわち、労働組合の争議行為等の団体行動が労働法上の規範に違反することにより労働法上違法とされる場合であつても、この違法は当該労働法規範の範囲内で違法とされるにすぎず、労働法秩序を含めて、社会一般の法秩序全般から、争議行為の全体としての違法性(行為の実質的違法性)を問題とする刑法上の違法判断からは、なお適法の判断を加える余地は存すると言わねばならない。特に弁護人主張のごとく、本件政治ストが現憲法秩序を侵害する虞れのある公権力(政府与党の政治権力)の行使と言う緊急状態のもとで、これに対する抗議として敢行された場合には、(イ) その理由の当否のほか、(ロ) 憲法12条に所謂国民の憲法保持義務(弁護人の主張する「抵抗権」)、(ハ) 民主主義体制下における三権分立および議会主義の理念に対する充分なる理解と配慮のもとに、緊急状態の態様程度と対比し、問題の政治ストの態様程度が、民主主義的法治国家として許容し難い高度の良俗違反としての非難に価すると認められない限り、刑事上、自救行為、正当防衛、緊急避難等の要件を具有しない場合であつても、なお社会的相当な行為として適法の判断を加える余地は存すると言わねばならない(なお、附言すると、前記(イ)の理由の当否については、三権分立に基く司法権の限界から、現在審議中の法案の場合にはその当否の判断は問題となるが、警職法改正案は既に廃案となつていること公知の事実であるから、かかる場合には必ずしも三権分立の理念に反するものではないと考える。)
3 これを本件について考察するに、被告人らが本件統一行動をとるに至つた窮極の動機、目的は、右のとおり、政府提出の警職法改正案に対する反対、抗議であつたが、我国の過去の労働運動の歴史、行政機関における労働運動に対する無理解、改正案の内容を顧慮するとき、改正案の内容そのものが直接労働運動の弾圧や基本的人権の侵害を規定したものではなかつたにしても、その運用如何によつては現行警職法に比し労働運動、言論、集会の自由等基本的人権を侵害するに至る危険が生じ得る虞れのあつたことは否めないところであり、また右改正案成立に対する政府の態度、国会における審議状況等を綜合勘案するとき、被告人らが右改正案に対し反対意思の表明を意図したことは何等非難されることではない。
 しかしながら、前判示の警職法改正反対示威行動は、単なる自由な職場集会或は示威行動に止まらず、たとえ右示威の意思を内外に強く表明するためとは言え前認定のとおり、国鉄東三条駅の転換器を数十名の集団の力で次々と占拠して国鉄当局の列車の正常な運行を一時的にせよ不能に陥れ、当局側の排除行為に対し実力を以て対抗したもので、前記改正法案が未だ法案審議の段階で、その違法性も将来における運用上のもので、必ずしも客観的に明白であるとは言難いことと対比し、右統一行動(政治スト)は少くとも結果的には民主主義的法治国家として許容し難い高度の良俗違反としての非難を免れないと言わねばならない。ところで被告人らの本件各所為は、右統一行動における前判示弥彦線第28号転換器の占拠のためにする意図を以てなされたものであること明白であり、刑事上違法性を阻却さるべき行為には該当しないものと解すべきであるから、弁護人らの右主張は採用しない。」
[125] この裁判例は、本件政治ストが、公労法違反の争議行為であつても、
「現憲法秩序を侵害する虞れのある公権力(政府与党の政治権力)の行使と言う緊急状態のもとで」「これに対する抗議」として敢行された場合には
(イ) その理由の当否
(ロ) 憲法12条に所謂国民の憲法保持義務
(ハ) 民主主義体制下における三権分立および議会主義の理念
に対する充分なる理解と配慮のもとに
「緊急状態の態様程度と対比し、問題の政治ストの態様程度が、民主主義的法治国家として許容し難い高度の良俗違反としての非難に価すると認められない限り」政治ストも「刑事上、自救行為、正当防衛、緊急避難等の要件を具有しない場合であつてもなお社会的相当な行為として適法の判断を加える余地は存すると言わねばならない」
と明言している。ここでは「社会的相当な行為」という表現を用いていることが特に興味をひく。政治ストが、事案における偶然的事情により違法性を阻却するというのではなく、一定の要件のもとに――それは「民主主義的法治国家として許容し難い高度の良俗違反としての非難に価すると認められないこと」の解釈により相当厳しくもなるわけであるが――「抗議スト」という類型をみとめ、これを構成要件該当性阻却のパターンとしようとする努力とみられるのである。

五、抗議ストの社会的相当性
[126] すでにあきらかにしたように、わがくにの労働組合は、多数の政治的目的による争議行為を行つてきた。これに対して、労働法学の多数説は、合法説であり、限られた少数の学者の違法説があるのみである。判例は、西独労働裁判所の判例には、新聞スト、すなわち、西独の新聞印刷労働者が1952年経営組織法案の上程を労働関係法規改悪であり1920年経営協議会法による労使の共同決定の既得権を侵害するものであるとしてなした2日間の抗議ゼネストに対して、民事上合法であるとし、したがつて、刑事上はもちろん合法であることをあきらかにしたものがあり、わがくにの下級審判例には、少数ながら、その理由中に政治的目的による争議行為のうち、抗議ストについては、法益衡量の上正当性を認め得る場合があるとしたものがある。
[127] 全逓中郵判決(大法廷41・10・26)は、傍論において、
「争議行為が刑事制裁の対象とならないのは、右の限度においてであつて、もし争議行為が労組法1条1項の目的のためでなくして政治的目的のために行われたような場合であるとか、暴力を伴う場合であるとか、社会の通念に照らして不当に長期に及ぶときのように国民生活に重大な障害をもたらす場合には、憲法28条に保障された争議行為としての正当性の限界をこえるもので、刑事制裁を免れないといわなければならない。」
と判示した。
[128] この判示部分は、全逓中郵判決の理由のうちで、最も、学界の論議を呼びかつ、差戻審からも、右基準の意味内容を明確にすることは困難であつた旨違例の告白を表明された箇所である。(註1)
[129] 考えてみれば、最高裁の前記基準の如きものを、実定法上の根拠もなく定立することは、きわめて疑問としなければならない。また、かりにこれを定立する必要があるばあいには、もつと限定された明確な基準を定立するのでなければ、それ自体憲法31条に違背することとなろう。
[130] 第28条の労働者の権利が、労働者の労働条件の維持や改善、労働者の経済的地位の向上を直接の目的として認められたものであることは、一応は明らかであろう。しかし、経済的地位の向上ということは、単に経済という狭い範囲のみでは実現できるものではなく、現代において、経済と政治との関連は不可分であるともいえよう。そこに労働者のストライキが、いわゆる政治ストの面を持つという現象も生ずるのである。
[131] 判例によれば、
「勤労者の労働条件を適正に維持しこれを改善することは、勤労者自身に対して一層健康で文化的な生活への途を開くばかりでなく、その勤労意欲を高め一国産業の興隆に寄与する所以である。然るに勤労者がその労働条件を適正に維持改善しようとしても、個別的にその使用者である企業者に対立していたのでは、一般に企業者の有する経済的実力に圧倒せられ対等の立場においてその利益を主張しこれを貫徹することは困難なのである。されば勤労者は公共の福祉に反しない限度において、多数団結して労働組合等を結成し、その団結の威力を利用し必要な団体行動をなすことによつて適正な労働条件の維持改善を計らなければならない必要があるのである。
 憲法第28条はこの趣旨において、企業者対勤労者すなわち使用者対被使用者というような関係に立つものの間において、経済上の弱者である勤労者のために団結権乃至団体行動権を保障したものに外ならない」(最判昭和24・5・18刑集3巻6号772頁)。
[132] 右の判例では、経済的実力者である企業者にたいする経済上の弱者である勤労者の労働条件の改善が目的とされ、しかもその勤労者は、使用者対被使用者という関係にあるものに限定されているから、これを厳格に解すれば、勤労者の団体行動権の範囲も、当然、企業内の経済的なものにかぎられ、企業の枠をこえ、経済的以外の目的をもつたストライキは、憲法第28条の範囲を逸脱するということになる。
[133] しかしながら、第28条の制定の趣旨が、勤労者の経済的な弱さだけを救うものであり、しかも、それが一企業内に限定して考えられるべきであるという立論の根拠はあいまいである。判例はそのようにも解釈できるが、そう理解しなければならないほど、きゆうくつではないとも解釈しうる。資本主義社会において、生産手段をもたず、自らの唯一の財産である労働力を提供し、その対価として賃金をえて生活している勤労者は、「一般に企業者の有する経済的実力に圧倒せられ」経済的に弱者であることはもちろんであるが、政治的にも弱者であり、文化的にめぐまれていないことも否定できない。国民一般ではなく、その一部である勤労者だけに憲法第28条の諸権利がみとめられているということは、憲法第25条が国民一般にみとめているいわゆる生存権の具体化として、とくに「勤労者自身に対して一層健康で文化的な生活への途を開」いているだけでなく、第29条で、財産権の不可侵をみとめながらも、「財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める」(第2項)とし、「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のため用いることができる」(第3項)と規定されていることによつて、現実的な保障をえているのである。すなわち、勤労者に団結権、団体行動権等をみとめることによつて、現実にもつとも激しく衝突するのは、資本家の財産権である。第29条で制限された財産権の社会的意義は、けつして私有財産一般ではなく、私有財産制度、およびそれを動かしている資本家階級の活動一般の制限にある。だから第29条の制限の理由とされる、「公共の福祉」にせよ、「正当」の判断にせよ、けつして経済的理由にかぎられるものではない。
[134] 資本家・企業者と勤労者・労働者の対抗関係は、基本的には経済関係であるが、それにとどまるものではない。このことは、イギリス、フランス等資本主義的先進諸国の労働運動の歴史がわれわれにはつきりと示している。憲法で、あるいは、法律で勤労者の団体行動権等がみとめられるためには、立法改革、社会改革を目指した、すなわち、経済目的に限定されない労働運動がつねに先行している。日本でも、戦前の労働運動を考えにいれるなら、このことは例外ではない。憲法は、資本家と勤労者の不平等な地位に着目し、勤労者の経済的・政治的・文化的等の劣悪な状態を改善するために、団結および団体行動権等の諸権利をみとめたと解せられる。これらの諸権利なしでは、勤労者はその地位を改善するどころか、その生存さえ維持することができなかつた。第28条を、勤労者の生存権を保障するための手段とみる学説があるのはそのためである。
[135] このような立場から、前記判例を読み直してみると、使用者対被使用者という関係にある勤労者には、通常の企業内の勤労者――工場労働者、事務職員等――だけでなく、農業労働者はもちろん、地主との関係における小作農、船主にたいする漁民、国・地方公共団体にたいする公務員等、要するになんらかの労働条件の改善を要求しうる相手方をもつ一切の勤労者が入りうるとも考えられる。団体行動権を行使する主体である勤労者を、判例が示すように団結した団体としてみると、その団体の構成員として、使用者対被使用者の関係にないものが一部存在しても、それによつて他の勤労者がすべて第28条の「勤労者」のあつかいをうけなくなるというようなことは考えられない。団体の構成は団体自身がきめるべきことであり、第三者がこれに干渉することは原則として許されないし、まして相手方がこれに干渉することは絶対に許せないのである。
[136] そしてさらに、使用者対被使用者という関係を、労働運動等との関係で考えると、日本では企業別組合が多いから、一企業内の使用者対被使用者に限定されがちであるけれども、産業別組合が原則である場合には、個々の企業別労働組合ではなく、同種産業別の組合連合体が使用者の団体と対決しており、さらに、労働組合の企業、産業を超えた全国的統一が成功するならば、それは資本家の全国的組織に対決することになる。このような労働運動の現実のあり方に応じて、ストライキの形態は変化せざるをえない。そうでなければ、勤労者のいかなる要求も実現しはしないであろう。したがつて、中心においては経済的な要求といえども、それを達成するためには、政治的手段をとらざるをえなくなる場合がありうるのである。とくに、政府が、資本家階級を代表して、立法的・行政的手段をつうじて勤労者を圧迫し、その生活状態を劣悪にしているというようなことがおそれば、労働運動の政治化は必然的である。したがつて、ストライキのスローガンに、「警職法反対」とか「再軍備反対」という1項目が入つていても、それだけでそのストライキが全体として憲法第28条の範囲を逸脱しているというわけにはいかなくなる。それらが主目的であつても、第28条の範囲内だということもありうるのである。
[137] 憲法第28条がみとめている勤労者の諸権利は、いわゆる社会的権利であつて、いわゆる自由権的基本権とはちがうし、また、社会主義的権利でもありえない。というのは、勤労者の諸権利がみとめられているのは、国民個人としてよりも、勤労者個人として、および、勤労者の団結体としてであり、古典的な資本主義のあり方に大きな修正をほどこすものではあるが、結局は資本主義の枠内で、しかも資本家と対等の地位に団結した勤労者が達するまでであつて、それらの権利は、国民的基盤にたつ(勤労者の特権はみとめない)議会主義そのものを無視したり、資本主義制度を打倒する手段としてみとめられているわけではない。したがつて、ストライキがもつぱら政治的・社会的革命の手段として用いられるならば、それは、憲法第28条の範囲を逸脱しているということができる。しかし、憲法上の諸原則・諸制度に矛盾しない範囲でならば、ストライキがかりに政治的になつても、それが政治的であるという理由だけで悪いということになるはずはない。
[138] さらに言えることは、何が政治ストであるかは、ボーダーラインに近ずくと決して明確でないということである。
[139] 労働組合が、かつて、8時間労働制のために闘つたこと、今日、週2日休日制確立のため闘うこと、日の当らない低辺労働者を浮上させる最低賃金法のために闘うこと、ILO87号条約批准のために闘い成果をあげ、ついで105号条約批准のために闘つていること、労働組合法・労働関係調整法・労働基準法等改悪反対のために闘つてき、今後も闘うこと、組合活動の自由を規制する警察官職務執行法改悪反対のために闘つたこと等についてはいずれも労働組合の団体行動として何人も是認できること、もつとわかりやすい例をあげると、炭労が昨今石炭産業政策の確立を求めて闘つていることについては、資本家側でも共感の風すらあるほどに是認されてるのに、これらを十巴一からげに、政治スト違法論の枠の中に入れることが妥当であろうか。以上列挙の目的を有する争議行為は経済目的と不離一体でありこれを違法視することが不可能であることは、国際世論であり(西独新聞ストの例をみよ)わがくにとしても、憲法28条の労働基本権の法制のもとで、勤労国民に浸透している社会通念であると言えよう。すなわち、前記列挙の争議行為は、現在のわがくににおいて、社会的相当行為として、構成要件該当性を欠くものであり、不可罰行為として世論の承認を得ていると断定せざるを得ない。
[140] 政治的ストライキのうちには、現在の憲法秩序の破壊を目的とし、政府のてんぷくを目的とし、革命手段としてなす高度の政治的ゼネストも含まれる。このような革命的政治行動そのものである政治的ゼネストが、憲法28条の保障の範囲外であることについては、いささかの異論もない。
[141] それと異り、前記列挙の争議行為の類型は、個々の企業の枠を超えたものであるとはいえ、ほんらいの経済目的を実現するための前提として、必然的に関連する不可分一体の政治的経済的問題の解決を目的とする行為であり、体制の枠内の合理的な団体行動である。
[142] 講学上、この範疇に属する争議行為は「抗議スト」と呼ばれている。示威ストとも呼ばれることがある。
[143] 労働組合員は、最低賃金法獲得闘争や労働法規改悪反対闘争および警職法改悪反対闘争のばあい、これらが企業の枠を越えていることは承知しているのであるが、企業の内外の全労働者の福祉のために、保守政権の最低賃金法案や労働法規等改悪法案に反対し、保守反動の政府・資本家に抗議の意思表示をなす目的でこれを行うことに規範意識を燃やし、その社会的相当性を実感するものである。
[144] 現在の日本国憲法が施行された昭和22年5月3日当時、労使間を規律していた旧労働組合法(昭和20年法律51号)には、
第1条 (法の目的、刑罰法令濫用の禁止)
[1] 本法ハ団結権ノ保障及団体交渉権ノ保護助成ニ依リ労働者ノ地位ノ向上ヲ図リ経済ノ興隆ニ寄与スルコトヲ以テ目的トス
[2] 刑法第35条ノ目的ハ労働組合ノ団体交渉其ノ他ノ行為ニシテ前項ニ掲ゲル目的ヲ達成スル為為シタル正当ナルモノニ付適用アルモノトス
と規定されていた。当時、同法第4条に列挙された「警察官吏」「消防職員」「監獄ニ於テ勤務スル者」を除き、それ以外の勤労者には、団結権および団体行動権の制限がなかつた。したがつて、公務員労働者は、民間労働者同様、「労働者ノ地位ノ向上」のため、前記列挙の抗議スト、示威ストを自由に行い得たのであつた。そして、日本国憲法が施行されたことにより、28条によつて、これら労働者の既得権たる団体行動が保障されたものであることは、疑を容れる余地がない。
[145] したがつて、憲法28条のもとにおいて、この類型の抗議ストは、ほんらい、社会的相当行為として承認され、保障されていたと言える。
[146] その後の労働基本権制限の具体的態様についてみると、昭和23年7月31日政令第201号が制定施行されるまでは、国家公務員や地方公務員も、一定の職員を除いて、一般の勤労者と同様に、団結権・団体交渉権・争議権等について制限されることなく、争議行為も許されていた。政令第201号の制定施行によつて、公務員は、国家公務員たると地方公務員たるとを問わず、何人も同盟罷業、怠業はもちろん、国または地方公共団体の業務の運営・能率を阻害する一切の争議行為を禁止され、これに違反した者は、刑罰を科せられることになつた。しかし、昭和23年12月3日改正施行された国家公務員法では、一切の争議行為が禁止されたことは右の政令と同様であるが、たんに争議行為に参加したにすぎない者は処罰されることがなく、争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、もしくはあおり、またはこれらの行為を企てた者だけが処罰されることになつた(昭和40年法律第69号による改正前の国家公務員法98条5項、110条1項17号、なお、地方公務員法37条1項、61条4号参照)。
[147] 以上の関係法令の制定改廃の経過に徴すると、国家公務員改定のばあい、争議行為不可罰の原則が貫かれておるので、可罰性の認められる「あおり」行為等については、すでに大法廷判例(44・4・2)で示された合憲的制限解釈をほどこし、国家公務員の組合の役員が争議行為の通常随伴行為としての「あおり」行為等の類型行為をしても、これには争議行為不可罰の原則を適用し、その社会的相当性を認めることが法の趣旨であると言える。
(註1) 中郵判決のうちで、この部分が最も理解困難の箇所であり、最高裁は立法したと批難される箇所でもある。現に、右上告判決で差戻された東京高裁差戻判決(東京高刑11部42・9・6判決・昭和41年(う)第2605号)は、つぎのとおり、悪戦苦闘を表明し、右基準の意味内容を全面的に明確にすることは困難であつた旨告白している。
「四、そこで、先ず、本件の右争議行為が前記(イ)のような「労組法1条1項の目的のためでなくして政治的目的のために行なわれたような場合」に該当するかどうかについて、考察する。
 前記大法廷判決が労組法第1条第2項の適用を排除すべき場合に関する基準の1つとして掲げる右(イ)の「……政治的目的のために行なわれたような場合」というのは、必ずしも弁護人所論のように当該争議行為が日本国憲法の予定する政治機構即ち議会制民主主義を破壊する目的で行なわれるというような場合に限定されるべきものではないが、さればといつて、その争議行為の掲げる要求項目の中に苟しくも政治にわたる事項があればこれに該当するというわけのものではなく、たとえ経済的な要求事項と併せて政治的な要求事項を掲げているときであつても、右政治的な事項が争議行為の主たる目的ではなく、単に争議行為の機会を利用して政治的な意見ないし要求を表明しているに過ぎないような場合、さらに言葉を換えていえば、右政治的な事項も主張はするが、それが全面的若しくは部分的にでも容れられない限り争議行為を中止しないというほどの強大な比重を占めていないような場合は、これに該当しないものと解するのが相当である。
 本件の場合について観ると、押収にかかる「指令指示集」(当庁昭和37年押第687号の10)等の中に存する「指令第37号」によれば、昭和33年春季闘争の目標は全逓第16回中央委員会の決定に基づく要求事項の解決を図ることにあるとされており、そして、押収にかかる「第16回中央委員会速報」「第16回中央委員会議案報告書」「闘いの旗の下に」(同押号の21、22、28)及び当審証人下村義美(当時全逓中央本部企画部長、現在全逓副委員長)の供述等によれば、右第16回中央委員会で決定された要求事項は(一)新賃金2,400円増額の闘い(二)最低賃金法制定の闘い(三)不当処分撤回、スト権奪還の闘い(四)特定局制度撤廃の闘い等7項目に及んでいることが明らかであつて、右のうち純粋に経済的なものと認められるのは(一)のみであり、他は多かれ少かれ政治的なかかわりあいを持ち、殊に(三)は純粋に政治的な要求事項と認めることができる。しかし、右証人下村義美の供述に徴すれば、右春季闘争の一環として行なわれた本件争議行為の中心的な目標とされていたのは右(一)の2,400円の賃金引上げという事項であり、現に公労委(公共企業体等労働委員会)に対し調停の申請がなされたのも同事項のみについてであり、他の事項は、右争議行為の当時においては、すでに一応解決され(例えば(四)の問題)或いは将来の交渉に持ち込むということ(例えば(二)の問題その他結婚資金、退職年金制等の問題)で、いずれもこれを闘争目標から除外し得る情勢にあつたのであつて、結局右争議行為にかけられていた要求事項は右(一)の2,400円の賃上げという経済的なもののみであつたと認めることができる。
 他方、押収にかかる「事前警告文」大、小各1部(同押号の39)によれば、使用者側たる東京郵政局長等においても、本件争議行為の主たる目的は右(一)の賃上げという事項に存するものと受け取つていたこと、が窺われる。以上考察したとおり、本件争議行為は、経済的な要求事項のほか、多かれ少かれ政治にわたるいろいろな要求事項を掲げてはいるが、後者は争議行為の命運を決するほどの切実重大な意味あいを持つものではなかつたと認められるから、前段説示の見解に照らし右争議行為は前記(イ)にいわゆる「……政治的目的のために行なわれたような場合」に該当しないものというべきである。」(五、省略)
「六、最後に、本件争議行為が前記(ハ)の「社会の通念に照らして不当に長期に及ぶときのように国民生活に重大な障害をもたらす場合」に該当するかどうかについて、考察する。
 先に、四、五で論じた前記(イ)(ロ)の基準は、その内容に関して意見の対立が見られるほか、それ自体としては今日の通説的見解上当然のこととされているところであり、特に疑義を挿む余地も存しないが、右(ハ)の「……国民生活に重大な障害をもたらす」か否かを公労法第3条、労組法第1条第2項の適用基準とすることは、右大法廷判決によつて初めて打ち出された見解であつて、その内容自体も、概括的抽象的であるため、その明確な意味を把握することが困難である。又、このような基準を新たに提示するに至つた論拠も、関係部分(理由の五)は勿論、全体の判文上からも明らかでないため、この面からその意味内容を確定するための手がかりを得ることも困難である。
 このようなわけで、当裁判所としては、先ず、刑事法規の適用基準として本来厳格性を要求される右(ハ)の基準の意味内容を明らかにするため、判文を各方面から仔細に検討し、そのよつて立つ論拠を探究し、或いは問題点を吟味しつつ、何らかの手がかりを見出すよう努力を重ねたのであるが、結局において、その明確な意味内容を把握するのに大きな困惑を感ぜざるを得なかつた。
 しかし、それはそれとして、本件の差戻を受けた当裁判所は、その立場上、右大法廷判決の示すところに従い、ともかくも右(ハ)の基準の意味内容を探り、同基準に照らして本件犯罪の成否を判定しなければならない。少くとも、同判決のいうところに従えば、刑事法上から職員に許される争議行為は、「その義務の停廃が……国民生活に重大な障害をもたらすおそれがある」ものとしてある程度の効果を伴うものであつてもよろしいが(そうでなければ、効果のない争議行為だけしか許されないというおかしなことになる)、現実に「国民生活に重大な障害をもたらす」程度に達してはならないという、極めて微妙なものとならざるを得ない。これでは、刑事法上このような争議行為を許されることになつた公企体職員自身が、その程度の選択に迷わざるを得ないであろう。当裁判所も亦、同判決の真意が何処に存するかを、的確には補捉することができない。ただ、わずかに、右基準が、公企体職員の争議行為に刑事免責を与えるという原則に対する例外の場合に関するものであつて、実質的に右原則の内容を減縮するものではあつても、これを空洞化してしまうほどのものではあり得ないという常識的な考え方、即ち、これら職員が右原則に従い刑事制裁を受けないで争議行為をなし得べき領域も、ある程度の幅をもつて保留されているとの考え方を、拠り所の一つとして、本件犯罪の成否を判定することにしたい。
 次に、右基準の意味内容を、その「国民生活に重大な障害をもたらす場合」という字義そのものについて考えてみると、その例示として「社会の通念に照らして不当に長期に及ぶとき」ということが挙げられているが、その他の例として、その争議行為が全国一斉若しくはこれと同じような規模において行なわれるときとか、或いはそうでなくても広範囲にわたり且つ長期に及ぶ(必ずしも社会通念上不当に長期に及ばないときも含む)ときとか、或いは広範囲且つ長期にわたらなくても国民の一部に私生活上取り返しのつかないような深刻な障害を与えるときなどが、考えられる。さらに、国政(外交、防衛、治安等を含む)、地方行政、国民生活上重要な国際若しくは国内の経済取引等に対する障害が、ときによつてはこれに該当することも、考慮されるべきであろう。
 先にも述べたとおり、右基準の意味内容を全面的に明確にすることは困難である。」
一、抗議ストの社会的相当性の根拠の複合性
[148] 大法廷は、都教組勤評事件判決(44・4・2)において
「被告人らは、いずれも都教組の執行委員長その他幹部たる組合員の地位において右指令の配布または趣旨伝達等の行為をしたというのであつて、これらの行為は、本件争議行為の一環として行われたものであるから、前示の組合員のする争議行為に通常随伴する行為にあたるものと解すべきであり、」
「これら被告人のした行為は、刑事罰をもつてのぞむ違法性を欠くものといわざるをえない。」
と判示しながら、同日行われた仙台安保6・4事件、判決(44・4・2)においては、
「本件職場大会についてみるに、当時、新安保条約に対する反対運動が憲法擁護のための国民運動として広く行われ、労働組合その他諸種の団体によつてもその運動が活発に行われており、本件職場大会も右運動の一環として行われたものであること所論のとおりである。」
事実を認定しながら、
「裁判所の職員団体の本来の目的にかんがみれば、使用者たる国に対する経済的地位の維持、改善に直接関係があるとはいえない、このような政治的目的のために争議を行うが如きは、争議行為の正当な範囲を逸脱するものとして許されるべきではなく、かつ、それが短時間のものであり、また、かりに暴力等を伴わないものとしても、裁判事務に従事する裁判所職員の職務の停廃をきたし、国民生活に重大な障碍をもたらすおそれのあるものであつて、かような争議行為は、違法性の強いものといわなければならない。」(上告趣意書第五点についての判断)
と判示した。
[149] 両判決は、おなじく公務員として、争議行為禁止の法制のもとで、争議行為を実行指導した者の、一方には、争議行為及通常随伴行為不可罰の原則を適用し、その者の行為を社会的相当行為と評価し、他方には、政治的目的を具有するのゆえに、通常随伴行為性を否定して、その者の行為を可罰的違法行為と評価し、客観的には、いずれも、公務員組合の役員のなす通常類型の争議随伴行為であるものを区別して、一方には構成要件該当性阻却をみとめ、他方には構成要件該当性をみとめるという、極端な結論をくだしたものである。
[150] この判断は、国民の健全な常識に照して理解困難であり、そのために、2人の裁判官の少数意見が附加され、いずれも国公法98条「争議行為」の趣旨および110条1項17号の構成要件該当性の縮少解釈について、多数意見未解明の領域をあきらかにすると共に、政治ストの構成要件該当性阻却の点をあきらかにした。
[151] さきにすでに引用したが、裁判官入江俊郎の補足意見によれば、
「例えば専ら政治的目的達成のための政治運動が、争議行為の形態を採つてなされたような場合には、そのような争議行為は、憲法28条の保障とは無関係なものというべきであろう。しかし、私はそのような争議行為も実定法たる国公法上の争議行為という中には包含されていると思う。そしてたとえそのような場合であつても、そのあおり行為をした者が勤労者自身であれば、現行国公法が、その者のする右のような争議行為自体に刑罰を科さない立前であるとすれば、それとの均衡上、右あおり行為等のみに刑罰をもつて臨むことは、それが右争議行為に通常随伴するものである限り、現行国公法の妥当な解釈の上から、許されないと解するのが相当ではないかと考える。」
との判断を示され、
[152] 裁判官色川幸太郎の反対意見によれば、国公法98条における「争議行為」の概念を問題とし、労働関係調整法7条の規定する「争議行為」の趣旨であるとして、精しく検討した上、
「いわゆる政治ストが国公法98条にいう争議行為でないことは、既に論じたとおりであるから、国家公務員による政治的目的のための本件行為が可罰的であるかどうかは、国公法110条1項17号違反として起訴された本件においては、全く問題にならないのである。(この点については、憲法15条2項に定める公務員の中立性と憲法21条による市民としての表現の自由との関連において、国公法102条、110条1項19号及び人事院規則14-7の合憲性もしくはその適用の範囲が判断されなければならないのであるが、それは別途検討さるべきものであつて、今これを論ずる限りではない。(以上要するに、国公法98条の「争議行為」に属しない本件職場大会のあおり行為に対し、同法110条1項17号の適用を是認した原審判決には、法律の解釈を誤つた違法があり、破棄を免れない。」
との判断を示された。
[153] 両裁判官の意見は、貴重な教訓を含んでいる。即ち色川裁判官は、政治的目的の職場集合は、本来、同法上の「争議行為」範疇に入らないから、憲法21条「表現の自由」権の行使として、検討されるべきであることを主張され、入江裁判官は、政治的目的の職場集会も、ほんらい、同法条にいう「争議行為」に該当するとして解決された。
[154] 両裁判官の意見は、それぞれ、国公法事件を検討し抜いて到達した、集会不可罰の原則の発見であるが、とくに、貴重な収穫は、抗議ストの社会的相当性の根拠の複合性とも言うべき側面の発見である。
[155] 抗議ストは、集会である。これを、抗議ストとして、あくまで、古典的に、憲法28条の保障を求めて進めば、その到達点の一は、入江説であろう。
[156] しかし、「抗議スト」は単純なスト的構造ではない。それには、必らず、もう1つの側面である、国民の「表現の自由」権の行使としての集会の性格が複合する。したがつて、集会を行う者が、憲法21条にもとずく「表現の自由」権の行使として、正当に行つたものであれば、それは権利の行使に外ならず、不可罰行為であり、社会的相当性を有することはあきらかであると言えよう。
[157] 多数説のように、政治ストの通常随伴行為を、たんに憲法28条の保障が及ばないと解するだけでなく、さらにこれを可罰的違法行為として断定することは、抗議ストの有するもう1つの側面「集会」の構造を分析し、憲法21条「表現の自由」権の行使として社会的相当性を具えているか否かを検討した後でなければ、許されないと考える。
[158] これを昭和33年警職法改定反対の抗議ストの全貌についてみると、公知の資料である朝日新聞の特輯記事(33・11・23)によれば、昭和33年秋、自民党政府が、抜討ち的に警察官職務執行法の改定を企図したとき、憲法の保障する自由権および労働基本権がこれによつて空洞化されてゆくことを憂え、心ある全国多数国民の反対運動がもり上り、その中核として労働者の抗議ストが行われ、かかる世論の影響で、同法改悪の企図が中止された経過が刻明に報道されている。
[159] 被告人らの指導によつて為された抗議集会は、右報道にかかる全国的国民運動の一環であり、攻防50日の焦点の日である11月5日に農林省構内の屋外でなされた集会であり、同省に勤務する全農林組合員らによつて為された国民の声たる「表現の自由」権の行使であつたと言えよう。
[160] そして、攻防50日経過後、絶対多数をバツクとし国民を無視した岸内閣の独走は、名もなき全国の国民の真実の声の前に屈したのである。そうしてみると、被告人らの集会と抗議の意思表示は、国民世論の承認のもとになされた義挙であつたと言えるのである。心ある多数国民の期待を双肩に担つた全農林労働組合員らの本件抗議集会は、本人らの規範意識の点から申しても、世論の支持承認の点から申しても、国民の「表現の自由」権の行使として、社会的相当行為であることを、疑う余地がない。

二、「表現の自由」権の行使の観点からみた本件抗議ストの社会的相当性
[161] 昭和33年暮、警察官職務執行法改正案問題が、稀にみる大規模な論議をまき起した。その際、焦点をあてられた主要な問題が、表現の自由とくに集会の自由に関する問題であつた。
[162] 現代日本においては、集会・集団行進等は、少数者の、政治的な目的達成のための適法なしかも重要な意思表現手段であることは否定できない。
[163] 集会・結社の自由は、明治憲法においてもその29条によつて保障されていたが、他の基本的人権同様に、右憲法上の保障が法律の留保をともなつていたが故に、例えば、治安警察法、治安維持法、言論・出版・集会・結社等臨時取締法、同施行規則などの制定によつて全く有名無実のものになつてしまつていたことは周知のとおりである。
[164] 日本国憲法は「集会、結社……の自由は、これを保障する」と定め(21条)、表現の自由といつしよに、集会・結社の自由を保障した、その自由は、旧憲法とは異り、法律の留保を許さない。集会の自由を保障するとは、公権力によつて、集会の自由に対して、制限を加えることを禁止する意である。憲法21条の保障する集会の自由は、第一に多数人が集会・結合する行為それ自体につき国家権力の介入が排除されることを意味すること疑いない。第二にさらに、この集合を通じて団体としての意思を形成する自由、かくて形成された意思を表現し、その貫徹のために活動する自由をも含むものといわなければならない。つまり集団行動・集団示威運動の自由がこれである。判例はすべて、集会の自由の中に集団行進・集団示威運動の自由が含まれることを疑わない。
[165] 最高判昭和29年11月24日刑集8巻11号1866頁
「行列行進または公衆の示威運動は、公共の福祉に反するような不当な目的又は方法によらないかぎり、本来国民の自由とするところであるから、条例においてこれらの行動につき単なる届出制を定めることは格別、そうでなく、一般的な許可制を定めてこれを事前に抑制することは、憲法の趣旨に反し許されないと解するを相当とする。」
[166] 昭和33年5月6日東京地裁刑事10部判決、判例時報148号。
「表現の自由はその本質上専ら他人の存在を前提とし、その手段方法の如何によつては他人の基本的人権と衝突する可能性を調整する原理としての公共の福祉の見地からの制約を免れないものであつて、憲法第13条の規定に照し右の観点からこれを規制することも亦可能としなければならない。……
 これらの〔集団行進的〕行動につき、公共の福祉に反するような不当な目的又は方法により、これを濫用するものでないかぎり、地方自治体が条例において一般的な許可制を定めてこれを事前に抑制することは憲法の趣旨に反して許されないものと解せられる。」
[167] 本件抗議ストは、道路上や公共施設内でなされず、農林省職員たる全農林組合員により、構内で屋外で為されたので、かかる非公共集会については、一般公共になんらかの影響をおよぼす可能性は少いから、公権力による制限をみとめる余地はほんらい無く、不可罰性の行為であることは自明であり、社会的相当行為に該当するのである。
[168] 現に、同日、国鉄労組員が新潟県東三条駅構内で行つた抗議ストについて、前掲の新潟地裁判決(39・10・26)は、
「被告人らが本件統一行動をとるに至つた窮極の動機、目的は、右のとおり、政府提出の警職法改正案に対する反対、抗議であつたが、我国の過去の労働運動の歴史、行政機関における労働運動に対する無理解、改正案の内容を顧慮するとき、改正案の内容そのものが直接労働運動の弾圧や基本的人権の侵害を規定したものではなかつたにしても、その運用如何によつては現行警職法に比し労働運動、言論、集会の自由等基本的人権を侵害するに至る危険が生じ得る虞れのあつたことは否めないところであり、また右改正案成立に対する政府の態度、国会における審議状況等を綜合勘案するとき、被告人らが右改正案に対し反対意見の表明を意図したことは何等非難されることではない。」
と判示し、本件抗議ストと目的を同じくする集会の社会的相当性を是認したところである。

三、煽動罪の憲法適合性の審査
[169] 原判決の適用法条たる国公法110条1項17号の構造は、独立罪たる煽動罪である。
[170] しかも、憲法21条が保障する「表現の自由」である「集会」という適法行為を「あおり」等することを罰することを目的とする罰則である。したがつて、かかる罰則は、憲法31条および21条にもとずいて、その憲法適合性が審査されなければならない。
[171] さて、煽動は、「人ヲ教唆シテ犯罪ヲ実行セシメタル」(刑法61条1項)ことを要件とする教唆とちがつて、古典刑法にみられない犯罪類型である。煽動罪規定の源流である治安警察法、新聞紙法、国防保安法、治安維持法、労働争議調停法などは、廃止されている。特別刑法によつて煽動を処罰する規定をうけているものに、食糧緊急措置令11条、爆発物取締規則4条、公職選挙法234条、国家公務員法98条2項、同110条1項17号、地方公務員法37条1項、同61条4号があり、破壊活動防止法38・39・40条がある。
[172] 煽動の定義如何は、治安維持法にかんする次のような大審院判決を暗黙のうちに承認し、前提しているのであろう。
「……煽動トハ他人ニ対シテ中正ノ判断ヲ失シテ実行ノ決意ヲ創造セシメ又ハ既存ノ決意ヲ助長セシムヘキ勢力ヲ有スル刺戟ヲ与フルコトヲ指称シ其ノ煽動罪ハ煽動行為アルニヨリ成立シ必ラスシモ相手方ニ於テ其ノ結果ヲ惹起スルヲ用セサルモノトス」(大判昭和5・11・4新聞3210号14頁)(最高昭和29・4・27刑集8巻4号555頁)
[173] 煽動罪は――独立教唆罪とともに――現代法に特有な犯罪類型であり卒直にいつて治安立法的な性格を具有するものと思われる。煽動罪の成立を限定する作業は、憲法の要請するところなのであつて、それと離れた当該法規の解釈・適用それじたいの次元のものではない。このことは具体的に犯罪実行行為の危険性が全くない状況のもとでも犯罪煽動罪の成立を認めるような法規が、合憲たりうるかどうかを問題にしてみれば、わかるであろう。
[174] 煽動罪の違憲審査は、まず、食糧緊急措置令11条の規定の憲法適否の判例によつて行われた。最近までこれがリーデイングケースとされてきた。
最高裁昭和24年5月18日大法廷判決、刑集3巻6号839頁
「新憲法の保障する言論の自由は、旧憲法の下において、日本臣民が『法律ノ範囲内ニ於テ』有した言論の自由とは異なり、立法によつても妄りに制限されないものであることは言うまでもない。しかしながら国民はまた、新憲法が国民に保障する基本的人権を濫用してはならないのであつて常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負うのである(憲法12条)。それ故新憲法下における言論の自由といえども、国民の無制約な恣意のままに許されるものではなく常に公共の福祉によつて調整されなければならぬのである。」
「所論のように、国民が政府の政策を批判し、その失政を攻撃することはその方法が公安を害せざる限り、言論その他一切の表現の自由に属するであろう。しかしながら、現今における貧困なる食糧事情の下に国家が国民全体の主要食糧確保するために制定した食糧管理法所期の目的の遂行を期するために定められたる同法の規定に基づく命令による主要食糧の政府に対する売渡しに関し、これを為さざることを煽動するが如きは、所論のように、政府の政策を批判し、その失政を攻撃するに止るものではなく、国民として負担する法律上の重要な義務の不履行を慫慂し、公共の福祉を害するものである。されば、かゝる所為は、新憲法の保障する言論の自由の限界を逸脱し、社会生活において道義的に責むべきものであるから、これを犯罪として処罰する法規は新憲法第21条の条規に反するものではない。」
[175] 昭和37年にいたり、地方公務員法61条4号の煽動罪の憲法適否が問題とされた。
最高昭和27・8・29(小法廷)刑集6巻8号1053頁
 地方公務員法37条1項が、何人も地方公務員に対し怠業的行為を「そそのかし、若しくはあおつてはならない」と定め、同61条4号がこれを罰則によつて担保していることが問題になつたばあい、最高裁判所は同法条の合憲性について、本判決を引用しながら
「地方警察吏が怠業を行うことは法の禁ずるところであつて、かかる行為を慫慂するがごときは、憲法の保障する言論の自由の範囲を逸脱するものであることは前示大法廷の判例〔前記判決――引用者〕の趣旨に徴して明瞭であるといわなければならない。」
「尤もかかる慫慂によつても、怠業的行為の起る危険が全くないような場合には、犯罪を構成しないといわなければならない。」
[176] 栗山茂裁判官は補足意見で「少くとも表現された言論が社会に対し実害を与える危険が充分に認められる程度」に達した場合のみ言論の自由の濫用として禁止さるべく「裁判所としては実害を与える危険が充分に認められるかどうかは、具体的事案において証拠によつて判断すべきものである」とのべ、さらに危険の有無は裁判所の職権証拠調によつてでなく、検察官の立証によつて、判断されるべきであると指摘している。
[177] その後は、地公法61条4号の煽動罪が、日教組勤評反対闘争に適用されるにいたり、多くの下級審判決で、憲法28条による憲法適合性の審査が行われ、最終的には、大法廷判決(44・4・2)において、憲法31条、28条の観点から、いわゆる合憲的限定解釈に統一された。
[178] しかし、地公法61条4号およびこれと同種の国公法110条1項17号の煽動罪を、憲法31条21条の観点から違憲審査する仕事は、今日に残されているのである。

四、国公法110条1項17号の罰則は、本件被告人らの行動に適用される限度において、憲法31条および21条に違反し、無効である。
[179] この種の煽動罪は、その規定形式からみれば、全農林組合員たる職員が、憲法で保障されている「表現の自由」を行使したことを理由として、(イ)事前抑制の方法で、(ロ)すべての地位の公務員について一律に、(ハ)行為の効果としては公務員の身分保障を剥奪するだけでなく、さらに、これに刑罰を加える趣旨のものである。
[180] しかし、「表現の自由」権は、いわゆる精神的自由権に属し、いわゆる経済的自由権に比して優越的地位を占め、その制限基準は一段と厳格であることを要し、たとえこれを制限する必要が存在するばあいにおいても、合理性の認められる必要最少限の範囲内にとどめることが要請され、憲法31条および21条の趣旨にもとずき、
(イ) 表現の自由に対する事前の制限は許されない。
(ロ) 表現の実質を考慮し、対立する社会的価値を衡量し、優越価値について「明白にして現在の危険」が認められるばあいに限り制限は許される。
(ハ) 制限の方法は、合理性の認められる必要最少限の範囲内にとどめられるので、より尠い制限の方法で優越価値保持の目的を達成し得るばあいには、これを超過する制限方法は許されない等の制限基準を挙げることができよう。
[181] 右の基準に照すと、この種の煽動罪の規定形式は、憲法31条および21条の趣旨に牴触し、違憲無効と判断せざるを得ない。
[182] そこで、進んで、国家公務員法110条1項17号の立法事実を検討すると、この法条は、昭和23年7月23日付占領軍最高司令官の書簡の趣旨を実施するため、政令201号が施行され、公共労働者の労働基本権が剥奪されたことに由来し、右書簡の趣旨を実現するため、昭和23年法律222号の改正による条文であり、占領軍総司令部の強い示唆により、国会による独自の審議の許されない状況下に作られたのである。昭和27年4月28日講和条約が発効し、占領統治が終り、わが国が自主性を回復後、占領管理法令について、廃止存続の措置が講じられたが、国公法については、法律の形式を採つていたため看過され、右法条についても検討がえられず、改廃の措置を講ぜられないまま、今日に至つた。
[183] そこで、つぎのことが言える。右条文の立法事実は、占領軍総司令部が、終戦後の飢餓社会の窮乏とインフレの社会事情を背景とし、占領統治の治安維持のために日本国に立法させた法律であり、占領統治の必要から、(イ)事前抑制の方法で、(ロ)すべての地位の公務員について一律に、(ハ)行為の効果としては公務員の身分保障を剥奪するだけでなく、さらに、これに刑罰を加えた、極端な治安立法である。換言すれば、占領過程の治安対策こそ、この条文の存在理由であり、主たる立法事実であるのである。
[184] 被告人らが本件行為をした昭和33年11月5日は、立法事実の年(昭和23年7月)から満10年を経過しており、講和発効(27・4・28)からでも満6年を超過しており、それから今日までに、また、11年が加わつた。
[185] 現今の日本は、日本国憲法の自主性回復期からすでに17年を閲みし、立法事実が前提した「窮乏」社会をはるか以前に浮上し、今や、自由国家群中国民生産2位の実力に到達し、治安の安定度においても、イタリヤ・イギリス・西独を抜き、米国社会を目標として前進を続けている富める社会である。
[186] かつての立法事実は、はるか以前に、完全に解消し去つたのに、消滅した立法事実を存在理由として、治安立法たる煽動罪が、合理性もないのに、依然として、その効力を主張している姿であると言える。
[187] ここで、思をあらたにして、最高裁に期待したい。
[188] 最高裁は、占領中に占領管理の必要で施行された、国公法110条1項17号の煽動罪その他のいわゆる独立罪たる煽動罪の違憲審査権の行使について、過去において、いかなる実績を挙げておられるかを問いたい。
[189] 煽動罪の違憲審査のリーデイングケースとされた大法廷判決(24・5・18)は、食糧緊急措置令11条の規定する煽動罪について、占領下の窮乏社会の致命的食糧危機において供出米の拒否を煽動した行為に適用する限度において、同煽動罪の合憲判断をしたものである。その判文は、簡に過ぎるが、全国民が飢餓に直面しているばあいにおける被告人の煽動行為には、「明白にして現在の危険」の存在を感じ取つたものであり、判決の結果には、その限度で、合理性が認められる。
[190] しかし、現在の事件として考え直したばあい、すでに往時の立法事実が消滅し繁栄社会に移行を遂げた現状において、裁判所は、果して、この種の煽動罪に対して、再び、合憲判断をなすべきであろうか、疑なきを得ない。つぎに、小法廷判決(27・8・29)は、地公法61条4号の規定する煽動罪について、敗戦による窮乏インフレ進行過程の治安維持を焦眉の急務とする社会事情のもとにおいて治安維持に専念していた地方警察吏に怠業的行為を煽動した行為に適用する限度において、同煽動罪の合憲判断をしたものである。判文のうちには、そのような煽動行為によつても被煽動者において、実行々為に出る可能性の全く存在しないばあいには罪とならない旨があきらかにされ、煽動行為が無害のばあいにおける同罪構成要件該当性の縮少解釈が行われ、合憲的制限解釈の先駆的判断となつた。
[191] 思うに、判旨は、我国の法制では、旧労働組合法のはじめから、警察・消防・監獄の公務員に限り、集団的労働関係を否定してきた伝統があることにかんがみ、これらの公務員が怠業的行為をすれば社会の存立自体を危くするとの法益衡量の上に立ち、この種の煽動行為に優越法益に対する「明白にして現在の危険」の実現力を認めた結果、その限度で、同煽動罪の合憲性を承認したものであろう。
[192] しかし、判旨が煽動行為無害のばあいにおける煽動罪構成要件該当性の縮少解釈を承認したことは、先駆的な判断として貴重であつても、これは、「明白にして現在の危険」の要件の萠芽形態にすぎず、さらに、この判旨を深めることを要するものである。
[193] その後において、最高裁判所が最近なしたことは、すでに述べたとおり、地公法61条4号および国公法110条1項17号等の煽動罪を憲法28条の観点から合憲的縮少解釈を為しとげたことである(大法廷44・4・2判決)。
[194] さて、今後の最高裁に何を期待するかについて、述べよう。
[195] 以上の概観によつてわかるとおり、最高裁は、国公法110条1項17号の煽動罪の違憲審査について、いまだ大きな空白法域を残している。
[196] なかんずく、憲法31条および21条の観点から、同煽動罪は、被告人らに適用する限度において、違憲無効であることの違憲審査を求める。
[197] 同煽動罪は、立法事実がすでに消滅し去つていることにかんがみ、(イ)表現の自由を独立の煽動罪という事前抑制形式で制限する点、(ロ)公務員のうちには、我国の法制上[1]警察・消防・監獄の公務員および[2]いわゆる行政過程を担当する管理職公務員[3]行政過程に随伴する補助的事務を担当する一般職の公務員[4]現業公務員[5]単純労務職員等の段階があり、その者の勤務放棄が社会の存立に与える影響には段層があり、[1]、[2]の者がこれをなすときは重大な影響があるのに、[4]、[5]の者が為しても行政過程に何らの影響もなく、[3]の者がなすばあいには、軽微な代替可能の程度の影響しかなく、短時間のばあいは全く影響がないか、あつても事後短時間に回復可能であることが認められるのに、同煽動罪は一律にこれを禁止するものである点、(ハ)[3]の者がなしたばあいの行為の効果は、現行国公法により、その者の身分保障を剥奪され、要すれば、免職又は懲戒免職され、その地位を去らしめられることにより、完全に隔離防衛の目的を達し得るのに、この必要最少限の合理的制限を越えて刑事処分を行う点において、同煽動罪の違憲審査を求めるものである。

五、裁判所に対する要請
[198] 憲法事件の多くは、当事者双方の主張に含まれた社会的利益と無関係ではない。
[199] 「実際には、2つの社会的希望の間の衝突だ」(ホームズ判事)と言われている。
[200] したがつて、どちらの希望が衝突の時点において、妥当かという社会問題と不可分である。
[201] この司法過程は、論理的形式をとりながら、実際は、相争う政策考慮の選択を意味し、事件の解決のために、裁判所は、事実・社会関係の分析にもとづいて、選択の主権的特権を行使することが要請される。
[202] 摩擦を回避することなく、むしろ、権力分立に随伴する不可避の摩擦によつて、憲法の精神を護持し、被告人らの人権を守護することに徹底されたい。
[1] 上告審の審理にあたり、私達被告人の立場から若干の意見を申し上げ、裁判官各位の十分なる理解のもとに公正でしかも、適切なる審理が行なわれますよう心から期待するものであります。
[2] まず最初に、裁判官の皆さん方に、全農林の組織と運動を正しく理解して戴くために、全農林の組織の沿革と運動の歴史的経過について申しあげたいと思います。
[3] 全農林労働組合は、終戦後まもない昭和21年1月に、農林省に働く全職員で組織する全国的な職員団体として発足し、その後労働組合法、国家公務員法の制定等、労働関係法の定めるところにもとづいて、常に適法な労働組合として、組合員の労働条件の改善と経済的、社会的地位の向上をはかるとともに団結を保持し、平和憲法を遵守し、日本の平和と民主主義を守り、官庁の民主化をはかり、常に民主的な労働組合運動を推進してきました。
[4] とくに全農林が、戦後の荒廃の中で他の官庁の職員に先がけて、いち早く職員団体を結成した最大の目標は、敗戦によつて崩壊し去つた軍閥、財閥のあとに残る唯一の封建的戦争指導者群であつた上級官僚の戦争責任を徹底的に究明し、官庁における封建性を打破し、真に国民大衆のための官庁を実現するために、全職員が固く団結して新生日本の建設に努力しようとする意欲にもとづくものでありました。
[5] そのことは組織結成後間もない昭和21年1月に、農林省職員労働組合が、「国民に訴う」と題する文書を発表し、官庁民主化闘争に対する国民の広範な支持を求めていることでも明かであります。
[6] この文書は次のようにのべています。
「かえりみれば、昭和6年以来、軍閥一派の策動に乗ぜられ、あるいはこれに便乗、迎合し、もつて今日国民をして史上未曾有の悲運に落ち入らしめたる我々官僚の過誤、罪悪については、国民大衆の前にただおわび申し上げる以外はないのであります。
 しかも終戦後のほうはいたる国民世論の批難攻撃に対しても、依然、黙殺を続けた厚顔無恥なる態度に至つては、ほとんど面をかかげ得ない次第であります。
 しかるに最近においては、内閣より我らに与えられたる官庁刷新運動の指導標語は、戦時中かかげられてきた吏道の刷新なる空語のむし返しであつて、その無責任たるや我々のただあ然とする外なかつたのであります。今や食糧の危機は、寒気とともに到来し、国民はまさに生死の境にたつているにもかかわらず、封建的専制勢力は、牢固として官庁に盤踞し、内、国民の信頼を失い、外、連合軍指令部の不信をかいつつあります。
 ここにおいて、我々は黙視する能わず、決然立つて、省内の刷新を志し、一部反動的分子の陰険なる妨害を排除し、旧ろうの農林省職員会を結成するに至つたのであります。
 而して、ここに新春を期して展開すべき官庁民主化運動の目標は、次の如く定めたのであります。
1 官庁における封建制の打破
2 民衆の官庁の実現
3 当面せる食糧危機の国民的解決
4 農業生産力発展のための農民の解放
(以下省略、全農林20年史草稿より)」
[7] 以上のような全農林の運動史によつても明かなように、全農林労働組合は、一貫して軍国主義に反対し、日本の平和と民主主義を守るとともに、真に国民に奉仕する国民のための官庁の確立、官庁民主化の闘いを運動の主要な柱として推進してきました。
[8] これらの運動はさらに、戦後の食糧危機の中で、国民の生命と生活を守るために、国民食糧確保に献身的な役割を果し、農地改革を推進することによつて、農民の解放と農村の民主化のために大きな功績を残したものと確信するものであります。
[9] 爾来、20数年間にわたつて、全農林労働組合は、年々強まる政治反動と農民不在・国民疎外の政治や、農林政策・行政の反動化に反対し、常に働く農民、国民大衆のための政治と民主的な農林行政の推進をはかるために強力な運動を展開してきました。
[10] これらの運動は全て、公務員労働者として国民の立場にたつた当然で、しかも、適切な運動であつたと確信するものであります。
[11] 以上簡単に、全農林の組織の沿革と運動の歴史的経過を申し上げ、全農林労働組合に対する正しい認識と私達が進めてきた運動の正当性についてご理解戴いたことと思いますが、とくに本件訴追の原因となつた警職法改悪反対闘争についても十分なるご理解が戴けるものと確信いたします。
[12] 警職法の改悪という問題は、国民の基本的人権を侵害し、民主主義を抑圧し、ひいては日本の平和さえもおびやかすおそれのある悪法であります。さらに警職法改悪が、戦前の暗黒時代に、一切の労働組合とその運動を否定する法的根拠とされた治安維持法の再来を企図した内容であり、戦後の平和憲法体制のもとで確立された、勤労国民大衆の民主的諸権利を剥奪するものであり、労働者の労働基本権をも侵害しようとする反動立法でありました。このような反労働者、反国民的な反動立法に対して、労働者、国民大衆の広範な反対運動が、発展したことも極めて当然なことであると思います。
[13] 全農林労働組合が警職法改悪に反対し、強力な反対運動を展開した理由も又、そこにあつたわけでありますし、戦前の暗くて、貧しい労働者の時代を二度と再現してはならないという労働者としての当然の要求に基づく行動であり、憲法で保障された労働組合の団結権、団体行動権を擁護するための正当な行動でありました。労働組合の目的は、組合員の労働条件を維持し、改善することにあることはいうまでもないことでありますが、これらの諸要求を解決し、前進させるためには憲法で保障された労働者の団結権が完全に保障されていることが前提であります。労働基本権を侵害しようとする反動立法に反対し、これを粉砕しこれを粉砕しようとする行動は、労働組合運動そのものでありますし、労働組合の本来の目的にそつた行動であると確信いたします。
[14] したがつて、本件における警職法改悪反対闘争は、いわゆる政治闘争ではなく、労働者としての生活と権利を守るための労働組合本来の目的にそつた、正当な組合運動にもとづく行動であつたということを強く訴える次第であります。
[15] 岸内閣は昭和33年10月8日、突如として警職法改悪案を国会に提出しました。第30回臨時国会は、9月29日招集され、翌30日に行われた岸首相の施政方針演説においても、この警職法案については一言半句もふれられておらず、また政府提出予定法律案件にも含まれていない闇打ち的法律案でありました。
[16] この法案に対し政府の態度は、あくまでも臨時国会で強行成立させるという強行態度を打出していました。これに対し大多数の国民は、警職法は国民の民主的諸権利に重大な制限を加えるおそれのある極めて反動的、反民主的、反憲法的法案であるとし、国会に提案されるやいなや、言論界、労働諸団体、宗教団体等をはじめ一般国民世論から極めて激しい批判をうけたのであります。勿論、全農林の上部組織である日本労働組合総評議会(略称・総評)もいち早く国民の民主的権利の抑圧、労働運動の弾圧と否定を狙つたものであり、これを粉砕するという態度を決定し、反対闘争を推進したのであります。この法案反対闘争は、国民の立場からいえば正しい政治行動であつたし、労働組合の立場からいえば、団結権擁護の闘いであつたのであります。
[17] 何故、警職法改定反対の闘争が国民の立場でいえば正しい政治活動であり労働組合の立場からいえば正当な労働組合活動の一部であつたのかは、次の警職法改悪の意図と狙いについての諸点を明らかにすることによつて御察しいただけると思います。
[18] 第一は、政府の憲法運用に対して永年にわたつて蓄積された国民の不信が警職法闘争に爆発したということです。平和憲法が施行されてから、永年にわたる保守党政府は、憲法の運用にあたつて特にその第2章(戦争放棄)、第3章(国民の権利及び義務)の条項について、その解釈を歪め、憲法の趣旨に反すると思われる数多くの政策、たとえば、日米安保条約の締結、自衛隊の設置、防衛法、スト規制法、地方公安条例の制定・教育に対する国家の干渉、警察の中央集権化などを強行し、大きく国民の不信を招いてきたことであります。
[19] しかも警職法の改正が問題となつた昭和33年という年の国際情勢は、7月にはイラクの革命によるCATOの崩壊、米国のレバノン進駐、英軍のヨルダン進駐、8月には中共の金門、馬祖砲撃開始と緊張した状態にあり、アメリカの極東における日本の役割、特に軍事力増強の要請は一段と強まつていました。昭和33年9月、岸内閣は、藤山外相を渡米させ日米安保条約の改訂交渉をはじめており、これをうけて岸首相は10月の国会で、「新安保条約は、アメリカと双務的なものとし、その適用範囲は西太平洋全域とすべきである。」と答弁し、その後、さらにアメリカのNBC放送記者ブラウンとの会見で、「今や日本の海外派兵を可能にするため、憲法第9条を廃止すべき時がきた」とアメリカの要請にこたえるため日本の軍備拡充、武力進出、軍事同盟強化を公然とうち出したのであります。
[20] このような状況のなかで10月8日、その岸内閣によつて警察官職務執行法の改正案が闇撃ち的に突如、国会に提出されたのですから、政府の憲法運用にたいする国民の不信感が爆発したのは、当然であつたといわねばなりません。いわゆる政府への不信感、憲法の危機感、市民権の抑圧等の爆発が、警職法闘争の第一の要因であります。
[21] 第二には、警職法の改正によつて戦前のあの暗い警察国家が再現するのではないかという国民の危惧であります。しかも、この法案の提案者が岸内閣であつたことが、国民の不安と危惧を増大させたのであります。
[22] 警職法改悪案の上提は、国民の前には突如とした印象でありましたが、岸内閣にとつてはかねてからの計画であり、国民の眼のとどかぬうちに、多数暴力をもつて、強行成立をはかろうとしたものといえます。このことは、
「岸内閣は32年において、警察権力を国家に集中させるため、自治体の警察権を国家権力に集中させる法案を成立させました。これを執行の場で具体的に生かそうとしたのがこの法律案のねらいであることは明らかであります。これが成立すれば、憲法で定められた基本的人権の上に、大きな制約が加わる恐れがあり、党としては絶対に阻止せねばならない。」(一審23回公判の加藤勘十氏証言)
とのべているように、日本の軍国主義体制強化の布石をうつてきたというべきであります。
[23] 当時の岸首相は、戦時中の閣僚であり、国民を戦争にかりたてた戦犯者であります。この岸内閣が発足とともに、憲法調査会を強行発足させ、昭和32年の国会では、「自衛のためならばミサイル兵器の核兵器の保持も違憲ではない。」と、憲法第9条に真向から挑戦し、軍国主義化の方向を露骨に打ち出してきました。
[24] これら一連の岸内閣の動きは、当時の日米関係、国際政治、経済動向と密接な関係があり、資本主義体制の維持のため、労働者を中心とした民主的諸団体を、権力によつて支配し、われわれ国公労働者を政府の都合のいいように盲従せしめ、搾取と収奪を一段と強めようとする意図にほかありません。
[25] 第三には、労働運動に対する岸内閣の弾圧政策を見逃すわけにはまいりません。
[26] 総評を中心とした日本の労働者の反戦・平和の要求行動は非常に高まつていました。戦争反対、軍事基地反対の闘いが、朝鮮戦争のあとをうけて急激にたかまり、内灘から砂川へと、量、質ともに強力に盛り上つてきました。特に砂川基地拡張反対に対する闘いは、地元農民の身体をとしての抵抗と、労働者の支援共闘によつて、政府の計画が進まず、機動隊の出動によつて弾圧排除をこころみましたが、激しい世論の反撃にあい、目的は達成出来ませんでした。このため岸内閣は、これら民主主義と平和を守ろうとする労働組合、民主諸団体を弾圧するため、警察権力の強化拡大をはかり、労働組合に直接介入し、労働運動を抑圧する体制を作る必要にせまられていたのであります。
[27] 当時、日本の資本家は、朝鮮戦争によつて、資本蓄積を行い、その地位を回復しましたが、資本主義経済市場の狭隘化と共に、貿易、為替の自由化は、日本の資本家にとつては至上命令であり、それに対応する体制をとらざるを得ない情勢にせまられていました。
[28] このため、労働者に対する犠牲と損失を強要する政策を矢つぎ早にうち出し、とくに、全農林労働者をはじめとする公務員労働者には、人員の削減を行う一方、身分不安定な定員外職員の雇用、低賃金と劣悪な労働条件に据え置くなど公務員労働者の不満は爆発点に達しようという状態でありました。
[29] このように、警職法改悪は、独立資本と岸内閣が、利潤拡大を追求するために狙つたものであり、その最大の障害となる労働組合を弱めるためにはこの法案を出し、直接的に弾圧・介入のできる体制を確立し、一段と利潤追求を行ない、日米安保条約の改訂・軍事同盟の強化を図ろうと企図したことは明白であります。
[30] 警職法改悪は、「オイコラ警察」の再現でありまさに日本を再びフアシズムの道においやり、民主勢力を弾圧し、基本的人権を侵害するものであります。したがつて、国民大衆はひとしく、警職法が改悪されたら、すべてが終りだという大きな不安を抱き、何んとしても、これを阻止しようとしたのであつて、この反対運動は、まさしく基本的人権を守るための権力に対する国民の正当な政治活動であつたのであり、われわれ労働者にとつては団結体としての労働組合を権力による破壊のおそれから守るための必要不可欠の闘いであつたのであります。
[31] 労働組合にとつて最大の問題は、警職法改悪案が成立した場合、労働者の基本的権利はどのように侵害されるかという組合運動の基本に関する問題が、組合員の最も関心の深いところであります。
[32] 第一に警職法改悪案を組合員は労働運動に対する弾圧、労働基本権の否定としてとらえたのであります。
[33] 警職法改悪案が国会に突如として提案された昭和33年以前より、岸内閣の政策、とくに労働政策は反動化し、総評の春闘に対し、警察官を動員して弾圧するなど労働運動に対する警察権力の介入は顕著となり労働者に多くの不安を与えていたのは事実であります。このうえ、警職法が改悪されたならば、労働組合・労働運動は根底からくつがえされ、労働者の生活と権利は否定されてしまうという危機感を、組合員は強くもつたのであります。
[34] 労働者は自らの賃金、労働条件を改善するためには、労働組合に結集し、その組織力の強化と、組合を通じての行動による以外に解決の道はないのであります。労働者の生命ともいうべき労働組合の組織が、又その構成員である組合員個々が、警察権力によつてその行動力を規制されるということは、まさしく労働者の経済要求、労働条件改善の要求に大きく影響を与えてくることは当然であります。政府や、資本家が、その地位と、利潤拡大をねらつて、支配機構の一環である警察権力を強化するならば、これに比例して、必然的に労働者、労働組合、労働運動を弾圧することになり、労働者の経済要求を抑圧するという結果を招来することは諸外国の例をみるまでもありません。
[35] 従来、官公庁労働者の職場大会、遵法闘争などは、刑事事件として取扱うことはなかつたのでありますが、岸内閣はこれからの行動を犯罪視し、刑事事件として大がかりな捜査をし、幹部のネライ打ち逮捕、一般組合員の警察への大量呼出しをおこなうなど組合運動の弾圧にのり出してきました。
[36] 昭和31年の砂川事件のこん棒の濫用をはじめ、労働者の権利であるデモ、集会などの大衆的な行動に対して、警察官が実力行使をおこない、労働運動に対する直接の弾圧がおこなわれるようになりました。例えば、道徳教育講習反対の大衆動員が、会場の手前で実力阻止され、予定集結地への参加が不可能になつたり、王子製紙東京本社前の通常一般的なピケが警察官により実力で排除されるという従来にはみられなかつた警察権力の組合運動への不当介入がしばしばおこなわれるようになりました。
[37] このような情勢のなかで、警察官の権限を強め、基本的人権の侵害を狙つた警職法の改悪案が秘密裡に検討され、突如として国会に提案されたのでありますから、職場では大変な論議がまき起りました。何故ならば、この改悪案は労働運動・民主的な運動に対して今までおこなつてきた警官の職権濫用を合法化し、より弾圧を強めようという意図を見抜いていたからであります。このことは、岸内閣が国民の反対行動がもりあがるのを恐れて一挙に改悪案を成立させるべく姑息な手段を用いて国会に上提しても、直ちに国民の反撃にあい、全国津々浦々にいたるまで反対闘争がもりあがり、遂に改悪案は廃案、衆院の正副議長も責任をとつて辞任するというほどに闘いはもりあがり、岸内閣を窮地に追いこむことに成功したことからも明らかであります。
[38] 第二には、組合員は、自発的に闘争に参加し、整然と統一行動がおこなわれたことであります。
[39] 職場においては、警職法改悪案について、自発的に学習会、研究会がおこなわれ、改悪案に対する意志の統一がおこなわれ、反対運動は職場からもりあがつてきました。この結果、「東京都本部農経分会においては、反対行動に積極的にはいれという意見が予想に反して82.3%までの組合員が警職法改悪反対の統一行動に賛成していた。」(坂野太郎証言)をみても明らかであります。また一審における黒沢証言によれば、警職法改悪反対については、平素組合運動に消極的な官立大学卒業の人達にとくに強かつたといわれる位、全組合員の中に根強く浸透しており、下からの大きな盛り上がりがあつたのであります。
[40] 大衆団体である労働組合の大衆行動は、権力をもつて組合員を行動に参加させるものでなく、組織に結集する組合員一人一人の自覚と自発性、その意志の結集によつてのみ可能であることを深く認識して戴きたいと思います。この警職法改悪反対闘争においては、従来の闘争と比較して闘争準備期間がきわめて短かかつたにもかかわらず、組合員の自発的な意欲によつて大きなもりあがりをみせました。このことは、統一行動日はもとより、前もつて当局と警察が一体となつて統一行動の妨害をおこなつたにもかかわらず正門前に分会の赤旗を先頭に組合員が整然と集結し、抗議の意思をあらわしたことが何よりの証拠であります。
[41] 第三には、職場において問題にされた改悪案の内容であります。
[42] 警職法改悪案のうち、特に職場において論議されたことは「オイコラ警官の復活」ということで、第5条の警告と制止、第6条の立入、第4条の避難、第3条の保護などがとくに問題となりました。
[43] 第2条の「職務質問」の場合、挙動不審者に対し質問することができるし、この場合所持品を提出させ、身体検査ができることになり、このことにより警察官の職務権限の拡大、職権濫用の合法化、組合運動の弾圧、民主的行動に対する抑圧としてとらえられたのです。 [44] 第5条の警告と制止、第6条の立入では、現行法の「犯罪がまさに行なわれようとするのを認めたとき」というのを「犯罪が行なわれることが明らかであると認めたとき」と改悪し、さらに「人の生命・身体・財産に危害が及ぶおそれがあるとき」という現行法を「公共の安全と秩序が著しく乱されるおそれのあることが明らかな場合」と改悪して、大衆運動の解散、中止命令、実力行使など警察権力の介入を容易にし、警察官の立入権を拡大し、また「公共の安全と秩序」というばく然とした表現で警察官の一方的認定によつて労働運動、民主的運動が弾圧され、戦前の治安警察法の復活になること。
[45] 第4条の避難措置では、大衆集会が「過度の人員の収容による混乱」という口実で参加者を追い返えし、また第3条の保護という名目で組合幹部を逮捕状なしにいきなりつかまえることが出来るようにする。
[46] 以上だけを取り上げても警職法改悪案は、末端警察官の裁量権を拡大し、組合運動、社会運動を封殺しようとする内容のものであり、組合運動にとつては、死活の問題であります。それだけではなく、言論の自由、集会、結社の自由、思想の自由に及ぼす害は非常に大きく、まさしく警察国家の再現を意味しております。したがつて、オイコラ警察はイヤだというのが国民全体の声であり、この法案は基本的人権を侵すものであり、憲法違反であります。
[47] 第四に、警職法改悪反対闘争は、いわゆる政治ストではなく、労働基本権の侵害に対する闘いであるということであります。
[48] 全農林中央本部は、警職法改悪反対闘争の指導にあたつては、団結権の侵害を排除するという立場で組合員に対する教宣活動を行ない、労働組合の死活の問題として警職法改悪反対闘争を組織したのであります。
[49] 憲法11条は、国民の基本的人権を保障し、同法28条は労働者に所謂労働三権を保障しました。
[50] 労働者が団結するのは、労働者が人間として生存するうえにおいて、唯一・不可欠の権利として、歴史的・社会的に形成され確立されてきた権利であります。労働者の団結権は、その団結の力で使用者と対等の立場に立ち、適正な労働条件を確保し、経済的諸要求を実現して生活の向上を図り、社会的地位を向上させるという生存権的基本権であります。
[51] このように、労働者・労働組合・労働運動の生存権的基本権である団結権に対し、警職法改悪案は、前述したように基本的人権を大きく侵害しようとしているばかりでなく、当面の目標が労働運動の抑圧にありましたから、労働組合にとつては、まさしく「労働組合の死活問題」として受けとめ、反対闘争が推進されたのであります。
[52] このことは、一審・二審における被告の答弁、全農林指示34号および本件の東京高裁判決で述べられているように「……全農林中央本部は、組合運動の死命を制するこの悪法を阻止するため、今日まで闘つてきた最大限の戦術を行使する決意を固めている……」と、組合運動に対する弾圧強化労働基本権侵害として、これの反対闘争を進めてきたことは、御賢察いただけるものと思います。
[53] ときあたかも全農林は、改悪案が国会に上提された年の33年8月に組織改変をおこない、従来の局別組織(食糧庁職員は全食糧労働組合を、統計調査部職員は全統計労働組合を、農地局職員は全農地労働組合等)の連合体から単一組織に発展的に統合した直後であり、各県段階においては組織整備の真最中であつたのであります。
[54] このようなときに、労働運動の弾圧立法として警職法改悪案が提案されたのでありますから、末端組合員までが組織の重大な危機としてこれを受けとめ、警職法改悪案を粉砕しなければ、今後の組合組織の運営は極めて困難となり、勿論、労働者の経済的諸要求の実現は図ることができなくなるという危機感をより強く感じたのであります。
[55] また、この時期は、秋季年末闘争に突入する時期であり、全農林は、人事院のゴマカシ給与勧告に反対し、大幅賃上げ、労働強化反対、臨時職員の定員化などの諸要求をかかげて闘争を組織しており、この秋季年末闘争に警職法改悪反対闘争が加わり、全労働者、全国民的な闘いへと発展していつたのであります。
[56] この法案は、前述いたしましたように警察権力の行使について、警告・制止・立入・所持品の調査を取り上げ、保護拘束、職務質問等その全般にわたり警察官の直接強制の裁量権の範囲を拡大したものであります。このことは、労働組合運動民主運動にとつて死活の問題であり、言論の自由、集会、結社の自由、思想の自由に及ぼす影響はきわめて大きく、わが国の平和と民主主義を根底からくつがえす憲法違反であり、警察国家の再現をもくろんだものであります。
[57] かつてわが国においては、行政執行法、治安警察法その他の弾圧法規によつてきわめて強大な警察権力が国民の上に行使され、保護検束、個人住宅への立入り、臨検、集会の禁止解散、政見演説の中止、タライまわし拘留等々の手段のもとに、国民の人権は極端に抑圧され、民主的自由を主張するものはすべて陰惨な弾圧をうけました。こうして侵略政策は強行され、国民はやがて戦禍の渕に沈んでいつたことは、いまだ記憶にあたらしいのであります。
[58] 現行警察官職務執行法のもとにおいてさえ、職務質問その他各条項の全部にわたり、警察官の権限濫用や逸脱によつて国民の基本的人権が侵犯された事例は枚挙にいとまがないほどでありますから、いわんや、改悪案が制定されたならば、言論、集会の自由などをはじめ憲法上の基本的人権と民主主義の原則に重大な制限が加えられることは明らかであります。とくに労働組合にとつてはこれらのほか、憲法上保障されている団体交渉その他団体行動権が侵害されるのであります。
[59] このような改悪案にたいし当然のように広く国民各層は、重大な衝撃をうけ、ただちに猛烈な反対運動が展開されました。
[60] 日本労働組合総評議会(総評)全日本労働組合会議(全労=今日の同盟の前身)中立労組合連絡会議(総評、全労のいずれにも加入していない労働組合)その他あらゆる労働団体をはじめとして、学者、文化人、婦人団体その他多数の民主団体は、それぞれ独自の立場から続々と反対決議をおこない、同年10月16日には、すべての労働団体および全日本農民組合(全日農)、憲法擁護国民連合(護憲連合)、社会党を中心とし、上記多数の団体の参加のもとに憲職法改悪反対国民会議(議長加藤勘十氏)が結成され、その下部組織として各都道府県や主要な地域に警職法改悪反対共闘会議がつぎつぎと結成され、反対運動は一段と大規模に統一して推進されたのであります。
[61] さらに同月末頃までには、YMCA、YWCA、自由人権協会、青年法律家協会、護憲弁護士団、日本学術会議、学問思想の自由委員会、各大学教授会や教授団、日本政治学会、文芸家協会、日本ペンクラブ、消費者団体全国代表者会議、主婦連、婦団連その他多数の団体が、相次いで反対声明を発表し、警察官職務執行法改悪反対国民会議は、4百団体をこえる団体を結集して、かつて前例をみない広範な全国民的な規模における反対運動として、爆発的に全国にひろがつていきました。
[62] このような労働者、一般国民の動向を反映し、また国民世論を喚起するため、新聞など報道機関の果した役割も決して見過せないものがありました。毎日新聞は、10月5日「警察官職務執行法改訂法案には反対」という社説をかかげ、ひきつづき12日、18日にも社説で反対の論陣をはり、朝日新聞は10月5日の社説で「警察官の権限強化にひそむ危険」、9日には「白紙委任はできぬ警職法の改正」、10日には「警職法改正案はタナ上げせよ」、12日には「自民党はやりすぎではないか」、17日には「岸首相に直言する」等々矢つぎばやに警職法改悪を強行しようとする政府・自民党の態度に強い抗議と激しい批判を加え、その撤回をもとめていつたのであります。
「また日頃デモに出たがらない婦人が『母と娘の大行進(11月5日)』というような形で積極的に街頭に出て世論に訴えた(第一審松岡洋子証人の証言)」
「特にめだつたのは婦人団体の参加が非常に多かつたということである。また宿屋の主人等も参加したことを記憶している。普通国民会議などというと、えてして左がかつたという者だけが集まるのだが警職法のときは非常に広い層が参加した」
と第一審で総評事務局長岩井章氏が証言している。など、どのような組織にも所属しない民衆の間にも続々と反対の声があがつたのであります。
[63] 総評は、警職法改悪反対国民会議の主柱として、国会に対する請願をおこない、街頭デモ行進も果敢におこないました。
[64] この間、国会においては、かつての治安警察法下の弾圧が再現される危険や圧倒的多数の国民がもつている危惧にたいして、これを除去する努力が払われたでしようか。否、払うどころか政府と多数党たる自民党は、一方的に、地方行政委員会に付託したことをはじめ、強行成立の態度をいささかも改めず、慎重審議の余地もなく、遂に同年11月4日、国会史上ほとんど前例をみない国会会期の『ぬき打ち延長』議決を強引におこない、議会制度民主主義自体を危機に陥しいれたのであります。これに先だつ総選挙において自民党は、警職法改悪案については一言半句もふれず、しかもこの国会冒頭における岸首相の施政方針演説でも、その片鱗さえも示しておらず、全く国民の多くの意志を理不尽にふみにじり、闇打ち的に法案を提出したのであります。
[65] このことも加えて、総評を主柱とする警職法改悪反対国民会議の指導で警職法改悪に反対する国民全体の反対運動は、爆原の火のごとく燃えひろがり、この反対運動全体の幅と深さ、激しさは日本の労働運動、民主運動史上空前のものとなりました。(第一審証人加藤勘十氏、松岡洋子氏、岩井章氏の証言)。
[66] 全農林労働組合は、総評加盟の労働組合として、警職法改悪反対国民会議にいち早く参加し、独自の行動のほか、地域において、また全国的な統一行動に積極的な役割を果しました。
[67] それは、賃金引上げ、首切り合理化反対、労働諸条件改善など労働組合の闘いが組合員一人ひとりの自覚と理解の上にはじめて発展するのと同様に、警職法改悪案の内容について自らが理解を深める努力の積重ねによつて、きわめて短期間に他の闘争にみられないもり上りをみせて発展したのであります。
「ただ抽象的にどうもあぶなかしい法案のようだということでなく、確信をもつて本当に悪い改正案だというような理解を一段と深める意味から学習会をもつた」「10月中旬頃森長弁護士をまねいて学習をし、各職場班では一人ひとりにパンフレツトを渡して小さい職場集会を随時開催をし……何とか抗議するなり阻止するなりしなければまずいという意見が圧倒的であつた」(第一審松崎光夫証人の証言)
「組合に関心を示していないような人からも、こういうときだから警職法粉粋に全力を尽せばいいじやないかと激励された。(坂野太郎証人の証言)」
「当時新聞、週刊雑誌等で、かなりその内容がのつていたので、われわれがオルグする前から組合員自身がそれらから知り、内容がかなり浸透しておつた。……これが改悪されたら、全く暗い警察国家の出現という方向をたどるのではないか。したがつて内容を討議するだけでなく、なんらかの形で抗議行動をとつて警職法改悪を阻止し、政府に撤回させる闘いをしなければならないという空気が非常にもりあがつていた(竹田生潤証人の証言)」
「むしろ若い人たちよりも課長補佐クラス、要するに戦前派というふうに言われる人たち、普段の組合運動には積極的に関心を示さないような人たちのほうが警職法問題にたいする関心は強かつたわけです。……『委員長しつかりやれ』とどこへ行つても激励された記憶があります(山崎修証人の証言)。」
「私たちのところには戦前の治安維持法でひつぱられたりした人たちが2・3人おるわけです。そういう人たちから、これは大切な問題であるという声がでて、組合でも早速とりあげてこれに対する何らかの抗議の態度をとらなきやいかん、という声が、とくに中年の人からおこつたんです(森鳰証人の証言)」
などでも明白なように、まさに本件においては、一般組合員からのもり上りが大きな原動力となつたのであります。
[68] こうした下部からのもり上りは、大会に次ぐ議決機関である中央委員会に反映して、その討論は、民主的に白熱的なものであつたことも事実であります。
「11・5の戦術の具体的内容について中央委員会は民主的に徹底的に討論をした(吉田武彦証人の証言)」
「相当白熱した論議が闘わされていた(田口三樹夫証人の証言)」
「緊急動議のさい『早くきめなければ間に合わないじやないか』『執行部は闘う気があるのか』というきつい発言もあつた(黛次男証人の証言)」
などをもつても明らかであります。
[69] 全農林労働組合の組合員は、組合員であると同時に国民の一員であり、労働者階級の一員でもあります。各組合員は、新聞の報道、世論の動向(本件の場合「おいこら警察反対」で)によつて、自らの意志決定をおこない、共通の意志を組合員相互に理解し、統一し、共同の行動を展開するのであつて、組合員相互に、また組合員と幹部との間に「あおつたり」「あおられたり」する関係には全くありませんでした。また組合員は、各地域毎の地区労、あるいは県単位の県労評等の、地域毎の労働組合の集団のなかで、労働者階級の一員として、警職法改悪に関する問題の理解や、国民会議の影響をうけ反対闘争に対する意識の高揚に努めたのであります。
[70] まさしく本件においては、「あおられた」のはかえつて被告人ら組合幹部であり、「あおつた」のは一般組合員であるといえましよう。
[71] このような圧倒的多数の一般組合員の大きなもり上りのもとで、全農林労働組合は、警職法改悪反対国民会議、総評に結集したなかで多数の国民とともに、他のあらゆる可能な意志表示の方法をすべてくり返し、全国的な行動として盛り上げていきました。しかし、これだけでは十分政府、自民党を反省せしむるに足りないことが明らかとなり、かつ国会会期末が同年11月7日にせまり、改悪法案の廃止または延長の中止を求める最後の機会として、同年11月5日の警職法改悪反対第4次全国統一行動に、正午出勤の戦術を行使して整然と参加したのであります。
[72] 警職法改悪案撤回を要求したこの第4次全国統一行動は、労働基本権、とくに団結権にたいして、今まで以上の制約が加えられることにたいする団結権を守る闘いであり、不断の努力によつて憲法で保障された権利を保持しなければならない国民としての義務履行の行為であつたのです。いわんや国家公務員労働者のみをもつて組織している全農林労働組合は、憲法で定められた労働基本権・言論・集会・結社・表現の自由などが侵害される危険にみちた法案が、国会に上程されたとき、これに反対し、憲法を守るために最大限の努力をすることこそ、憲法に規定された国民全体の奉仕者としての立場に立つた運動であり、国民生活の向上と社会発展のために大きく寄与するものであると確信するものであります。
[73] 政府・自民党による警職法改悪案の強行成立をめざしての無暴きわまりない策動にもかかわらず、労働者階級を中心とする国民のかつてみない圧倒的な反対運動の前に、同法案は、同年11月22日廃案となり、政党、自民党の警察国家再現、憲法第9条改正、海外派兵という戦争準備、軍国主義復活の意図を挫折せしめたのであります。
[74] 国民こぞつて、いみ嫌う警察国家の復活をたくらむ警職法改悪案の成立阻止のため、真剣に闘つてきた労働者をはじめすべての国民は、運動の成功にひとしく安堵しました。
[75] 全農林労働組合とその労働者は、わが国、政治の反動化を阻止するために積極的に活動し、きわめて大きな役割を果した歴史的事実を残したことを大きな誇りとするものであります。
[76] 最後に申し上げたいことは、本件職場大会に対する原判決が、全逓中郵事件判決(昭和41年10月26日)都教組地公法判決(昭和44年2月4日)で判示された最高裁判決からみて、極めて不当であるということであります。
[77] 原判決はその(判決文)第二部、及び第三部の中で
「被告人らの行為は、目的・規模・手段方法(態様)のいずれの点から考慮しても、その違法性は、刑罰法規一般の予定する可罰的違法性の程度に達しているものというべく、又刑罰を科するに足る程度の反社会性、反規範性を共有しているものといわなければならない。」又、「原判決(第一審判決)は事実を誤認しかつ法令の解釈、適用を誤つた結果、無罪を言い渡したことに帰着するものというべく、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明かであるから、原判決(第一審判決)は破棄を免れない。結局において検察官の論旨は理由あるに帰する。」
とのべていますが、この原判決こそ、事実を誤認し、かつ法令の解釈・適用を誤つたものといわざるを得ません。
[78] 原判決は、本件の職場大会について控訴審における検察官の論旨を全面的に認めていますが、それでは本件職場大会が国民生活に果してどのような影響を与えたのでしようか。
[79] 一、二審の審理を通じて検察官は、何ら具体的な立証をしていないのであります。
[80] 原判決が検察官の主張を認めるならば、少くとも公判廷においてその事実について具体的に立証さすべきであり、抽象的、観念的な論理だけで本件職場大会が、国民生活に重大な支障があつたとする論旨は、極めて一方的な主張であり、全くの事実認識の誤りであります。
[81] 最高裁判決でのべられているとおり、
「公務員の職場の性質、内容はきわめて多種・多様であり、公務員の職務に固有の、公共性のきわめて強いものから、私企業のそれとほとんど変わるところがない公共性の比較的弱いものに至るまで、きわめて多岐にわたつている。」
のであります。
[82] いうまでもなく、農林省は国家行政機関の一つとして、農林行政を推進する経済官庁であります。その業務の内容は法令、規則、予算の定めるところにしたがつて、一定の行政事務を推進しています。
[83] 私達全農林に結集する組合員は、夫々の部署において、これらの業務の一部を分担し、推進していますが、夫々の業務の内容、職場の性質によつて、公共性の強いものと弱いものがあります。又夫々の業務によつて勤務実態に時期的な繁閑があるのであります。しかも、これらの業務に従事する私達公務員労働者は、民間、公企体の労働者と違つて、包括無定量の労働条件のもとで働かされており、勤務の態様は極めて柔軟なものであります。
[84] 例えば年末・年始の予算編成期においては、超過労働に対する十分な保障がないにもかかわらず、本人の意志に反して、数十日にわたる深夜勤務にも従事しますし、日常においても、又同様であります。
[85] 私達公務員労働者は、業務の内容・実態に応じて、所定の勤務時間の内外を問わず、勤務に従事するとともに、その業務は常に完全に遂行しているのであります。
[86] 従つて日常においても、冠婚・葬祭や、転勤者の見送りなど、勤務時間中といえども、局、あるいは部、係毎に参加することは慣例となつており、そのことによつて、業務が停滞し、国民生活全体に重大な支障を与えたということは1度も聞いていないのであります。
[87] しかも当時における勤務時間は、午前8時30分が正規の出勤時間であるにもかかわらず、午前9時30分まで、慣行出勤時間として認めていたのであります。
[88] このような勤務実態は、民間や公共企業体と違つて、規定時間内における時間単位の勤務条件が、業務の遂行に重大な要素となつているとはいい得ない証左であると思います。
[89] さらにこのことを立証する意味において、とくに申しあげたいことは、さきに政府は、元首相の吉田茂氏が死去した際、憲法違反の疑いがある国葬にしたばかりか、国民の意志に反して、一方的に午後から半日の特別休暇を実施したのであります。
[90] 過去において功績があつたとはいえ、吉田茂元首相、一個人の葬儀のため、多額の国費を消費し、国家行政事務全体を半日にわたつて停止したのであります。この半日休暇が国民生活に重大な支障がなかつたとするならば、本件における2時間の職場大会は国民生活に対して、全く影響がなかつたと断言できると思います。
[91] 裁判官の皆さんも、つい最近(昭和44年8月4日、20時45分〜21時30分)放映された、NHKTV「につぽん診断」をご覧になつたと思いますが、この放送の中で、次のようなことを明かにしています。
[92] まず
「この番組は中央官庁(1府12省)の課長1600人の中から100人を(各省の課長のポスト数に応じて)スタジオに招き、彼等の政治、議会に対する考え方、人生についての感じ方などを数量化してとらえようとしたもの」
であるといつています。
[93] この番組でNHKには、本省課長100人に対して、29の質問を行つていますが、その質問の中で、「あなたは毎日、役所を定時の終業時間に退庁していますか?」というものがありますが、その答えとして[1]ほとんど毎日3人[2]しない方が多い16人[3]ほとんどしない76人、答えなかつた人5人、といつています。
[94] 次に「もしかりに、あなたがた100人が一斉に明日から1週間の休暇をとつたとしたら、政府の機能はマヒすると思いますか?」というのがありますが、これに対して、[1]マヒする11人[2]マヒしない83人、答えなし、6人、といつています。
[95] この放送を通じても明かなように、国家公務員は日常の業務を遂行するためにほとんど全ての人が、時間外の超過労働を行つていますが、反面100人の課長が一斉に1週間休暇をとつても政府の機能はマヒしないということであります。しかも本省課長は私達公務員労働者と違つて管理職であり、行政事務の断片にあたつては、所掌する各セクシヨンの総括責任者であります。これらの責任者が一斉に1週間休暇をとつても政府の機能がマヒしないということは、行政機関における業務と勤務の実態は極めて弾力的であり、柔軟性に富んだものであるということを立証すると同時に、公務員の職場の公共性と国民生活全体の利益は、直ちに直結していないということを、極めて明確にしたものであると思います。
[96] 以上、いくつかの事実にもとずく具体例を申し上げ、本件職場大会が原判決で判示するような公務の停廃をきたしたり、国民生活全体の利益を害したということは全くなかつたということを強く訴えるとともに、原判決こそ、事実を歪曲し、最高裁判所が説示する法令の解釈、適用を誤つた判決であるといわざるを得ません。
[97] 以上5項目にわたつて意見を申し上げましたが、裁判官の皆さん方の十分なる理解と認識をたまわり、公正なる判断にもとづいて、直ちに原判決を破棄され、全員無罪の判決を下されるよう心からお願い申し上げる次第であります。

上告趣意補充書(一)(省略)
  目 次
はじめに
第一、憲法28条と国公法98条5項等について
第二、憲法18条と国公法110条1項17号について
第三、憲法28条、21条と本件事実について
第四、判例違反の論旨について
第五、法令違反、事実誤認の論旨について
むすび
[1] 本件上告趣意は、憲法違反、判例違反、法令違反その他きわめて多岐にわたるが、要するに、国家公務員法(昭和40年法律第69号による改正前のもの。以下国公法という。)98条5項、110条1項17号は、労働基本権を保障した憲法の趣旨に反して、必要最少限度を越えて公務員の争議行為を禁止し、かつ、概念の不明確な「あおり」行為等の可罰性を認めていることから憲法28条、31条に違反し、争議行為と密接不可分な「あおり」行為等を可罰的なものとしていることは憲法18条に違反するものであり、憲法21条、28条の保障を受けるべき本件被告人らの行為につき刑罰を科した原判決は、憲法21条、28条、31条に違反し、また原判決には、判例違反、国公法98条5項、110条1項17号の解釈適用の誤り、事実誤認があるというものである。
[2] 検察官は、以上いずれの論旨も理由がなく、本件上告は棄却せられるべきものと思料するので以下右の論旨に対する見解を述べる。
[3] 所論は、国公法98条5項、同法110条1項17号は、労働基本権を保障した憲法の趣旨に反し、必要最少限度を越えて公務員の争議行為を禁止し、かつ、争議行為等に通常随伴し不可分一体である「あおり」行為等に刑事制裁を科するものとしていることから違憲であることが明らかであるのに、原判決が、国家公務員の公共性を理由として、その争議行為の禁止を是認し、その「共謀」「そそのかし」「あおり」行為等を可罰的なものとすることも、その積極的指導性のゆえに必要やむを得ない限度を越えない合理的なものであると認めて、右の罰則を適用しているのは、憲法28条、31条の解釈、適用を誤つた違法があるというにある。

[4]一、仙台全司法事件最高裁判決(昭和44年4月2日大法廷判決、刑集23巻5号685頁、以下仙台全司法判決という。)等のいわゆる限定解釈を憲法31条に違反するとして批難する論旨はこれと判断を異にする原判決とは関係がない。

[5]二、原判決の国公法98条5項、110条1項17号の規定を合憲とする解釈を争う論旨は、いわゆる政治ストであつても憲法28条の保障を受けることを前提とするものであるが、そのしからざることは後述のとおり累次の最高裁判例に徴して明らかであるから所論はすでにその前提を欠くものである。

[6]三、右国公法98条5項、110条1項17号の合憲性については長崎全農林事件についての検察側の弁論を引用し、さらに若干の付言をする。
[7] 元来同盟罷業は、労働組合の独占的な労働力提供の停止によつて使用者を労働市場から閉め出すものであるが、当該企業が代替性のない業種である場合には、組合による独占的閉め出しの程度が強まるに従つて市民の公共生活に及ぼす影響もまた強まつて来るため、ある程度の規制が必要となることも当然であつて、公益事業、公共企業体の勤労者や公務員の争議行為の規制が合理性を持つのもこの点にひとつの根拠があり、公務員法と公労法において、争議行為の規制の程度が異なることも、公務員である勤労者の提供するサーヴイスと公共企業体の勤労者の提供するサーヴイスについての代替性の程度の相異から容易に理解できるわけである。
[8] 公務員に保障される労働基本権が私企業の労働者と異なる内在的制約を持つ根拠は、まさに公務員の「担当する職務の内容」すなわち公務員である勤労者が提供する労務の本質に存するものであるが、およそ公務員である勤労者の提供する労務は、そのまま当該公務員の職務権限に基づく公務であつて、その特徴は代替性がないという点にあるのである。
[9] したがつて、私企業の労働者の提供する労務との相異をいうならば、それは市民社会における日常の住民生活に対する具体的な影響という側面からとらえた公共性の強弱という量的な差ではなくして国家社会における国民生活全体の利益の保障というものであるからすでに質的な差といえるのである。
[10] たとえば、国民は税関が争議中だからといつて海上保安庁で税関の権限に属するサーヴイスを受けることができず、ある裁判所が争議中だからといつて他の好みの裁判所を選ぶことはできないのである。
[11] 国家社会においてはこのような公務員の扱う代替性のない公務の停廃こそ、そのまま国民生活全体の利益を害するおそれがあるものといえることは明らかで、すなわち正常な公務の遂行は国民生活全体の利益の保障のためのものであるから、その停廃は、国民生活全体の利益を害するおそれがあるということになるわけである。
[12] このようなわけで、国公法などの一連の法体系は一方においてこのような公務の停廃を来す行為が中郵判決のいうところの『国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあるもの』であるところから必要やむを得ない場合として制限を加えることにより公共の福祉の要請に応え、全体の奉仕者としての公務員の責務を完遂させながら他方において公務員である勤労者についても労働基本権の保障を全うすることをめざして両者の調和と均衡のうえに成り立つているものと考えられるので前記規定を合憲としている原判決の判断に誤りはなく所論は理由がない。
[13] 所論の要旨は、憲法18条の規定は、争議行為のみならずこれと密接不可分な「あおり」行為等の処罰の禁止にまで及ぶものであるから国公法110条1項17号の規定は違憲というべきであり、また、公務員に退職の自由があることのゆえをもつて合憲とする見解も誤りである。したがつて右の規定を合憲とする原判決は憲法18条に違反するというものである。
[14] 憲法18条は、米国連邦憲法修正13条を採り入れたもので同条項は、もともと自然法的な人間の自由と平等の思想に基づく個人の自由を保障するものであるが、後に同盟罷業の禁止がこれに違反するかどうかが争われたことは周知のとおりである。しかし米国判例法のうえでは、同盟罷業の禁止が、当然には修正13条に違反するものではないとする見解が、すでに、定着したものとなつているし、わが国においても憲法18条に関して、最高裁は、公務員の争議行為禁止を憲法18条に反するものでないとし(昭和28年4月8日大法廷判決、刑集7巻4号775頁)全逓中郵事件最高裁判決(昭和41年10月26日大法廷判決、刑集20巻8号901頁、以下中郵判決という。)もこれを支持している。もともと、このような労働者の集団的行動としての罷業の権利は、勤労者の団結権及び団体行動権を保障した憲法28条に関して論じられるべき事柄であつて憲法18条に関する問題ではないと考えられるのであるから原判決に憲法18条の違反はない。
[15] 所論は、本件は、警職法反対闘争の一環として行なわれた職場大会に参加を呼びかけた行為に関するもので、右の職場大会の開催が国公法98条5項の争議行為であるとしても、呼びかけ行為は言論活動で、職場大会も組合としての表現活動であり、それは全農林労働組合の団結権擁護、組織防衛の目的に出たものであるから労働組合本来の目的を逸脱していないので憲法28条の保障を受けるべきものであり、また、それは政治的表現活動として憲法21条の保障を受けるべきものである。しかるに原判決が、右の職場大会を、争議行為の正当性の限界を逸脱した「政治スト」と認め、被告人らが、その遂行を「あおることを企て」または「あおつた」ものとして国公法110条1項17号を適用したことは、憲法28条、21条の解釈適用を誤つたものであるというのである。

[16]一、1 本件職場大会およびそれに伴う集団的職務放棄は、使用者たる国に対して労働条件の維持改善等労働者の経済的地位の向上を求めることを目的としたものでなく、警職法の改正に反対する運動の一環として政治的目的のために行なわれたものであつていわゆる政治ストであることは明らかである。
[17] ところで、憲法28条が労働基本権を保障した趣旨は、勤労者の労働条件を適正に維持しこれを改善することは、勤労者に対して一層健康で文化的な生活への途を開き、人間に値する生存を保障する所以であるとの見地に立つたうえ、勤労者がその労働条件を適正に維持改善しようとしても、個別的にその使用者に対立していては、一般に使用者の有する経済的実力に圧倒せられ対等の立場においてその利益を主張しこれを貫徹することは困難であるので、このように経済上劣位に立つ勤労者に対して対使用者との交渉において対等の立場に立たせるために団結権、団体交渉権、争議権を保障しようとしたものである。したがつて、たとえば立法機関における法律案、予算案の可決、否決、司法機関の特定の措置あるいは外交上または国内行政に関する政府の措置などを要求してなされる争議行為は、対使用者関係における経済的地位の維持改善ということと直接関係なく、使用者においてその要求を入れて交渉に応じることが不可能な事柄を求めるものであるから、前記のごとき憲法が労働基本権を保障した趣旨を逸脱するものであり、憲法28条に保障された正当な争議権の範囲外にあるといえる。
[18] もし、右のような政治的目的のために行なわれる争議行為に正当性を認めるならば、労働者以外の他の市民に比して労働者なるが故に当然にその政治活動の特権を認めることになり、これは憲法が建前とする議会制民主主義の前提として、すべての市民に対して表現の自由の一つとしての政治活動を平等に保障するという原則と矛盾するものである。たとえば、農民、漁民その他の自家営業者等は自己の労働力に依存して生活する者であつても、その労働力を特定の使用者に売つて賃金、給料その他これに準ずる対価を受けるわけでないところから、対使用者との関係で対等の力を保持させる必要がないため、憲法28条の勤労者には含まれていない。しかしこれらの者が憲法25条の生存権の保障を受け、27条1項の勤労の権利義務の主体である点においては28条の保障を受ける勤労者と何ら異なるものではない。
[19] しかるに両者の間に政治活動の自由の範囲について差があるというならば、その不合理なことはいうを俟たないものと思うのである。ましてやこのような政治ストは当該使用者に対してその要求事項の実現を求めるわけでなく、集団的な労務放棄によつて社会的経済的混乱状態を引き起して国民生活に障害を生ぜしめ、これを圧力として政府や立法、司法の国家機関に対して一定の措置を執らしめようとする性格を持つものであるがゆえに、これを容認することは、議会制民主主義の破壊に通じることとなる。
[20] 判例は、板橋造兵廠事件最高裁判決が
「憲法28条は、………企業者対勤労者すなわち使用者対被使用者というような関係に立つものの間において、経済上の弱者たる勤労者のために団結権乃至団体行動権を保障したものに外ならない。」(昭和24年5月18日大法廷判決、刑集3巻6号772頁)
と判示して、争議権は対使用者との交渉の関係においてのみ保障されるものであるとし、また中郵判決は、憲法28条に保障された争議行為としての正当性の限界をこえる場合のひとつとして
「争議行為が労組法1条1項の目的のためでなくして政治的目的のために行なわれたような場合」
をあげ、仙台全司法判決は、新安保条約に反対するため行なわれた職場大会について、
「使用者たる国に対する経済的地位の維持、改善に直接関係があるとはいえない、このような政治的目的のために争議を行なうがごときは、争議行為の正当な範囲を逸脱するものとして許されるべきでなく」
と判示し、いずれもいわゆる政治ストについては憲法28条の保障を受け得ないものとしているのである。
[21] 次に、所論は、職場放棄を伴う本件職場大会は政治的活動として憲法21条の保障を受けるべきものであると主張する。
[22] なるほど労働組合は社会的存在として他の団体と同様その目的達成に必要な政治活動や社会活動を行なうことを妨げられるものではなく、それは一定の範囲内においては、法的保障を受け得るものでもある。しかし、憲法21条に保障された表現の自由といえども絶対無制限でなく、公共の福祉のために制約を受けることは当然であり、これは最高裁判所判例のつとに示すところである。しからば、労働組合の政治活動としてであつても国民生活に重大な障害をもたらすおそれがあるものとして国公法が禁止している集団的職務放棄を行なうがごときは、公共の福祉の要請から許されないものといわねばならず、憲法21条によつて正当性を認められるものではない。憲法21条は、労働者であると否とを問わずすべての国民に対して平等に表現の自由、あるいは政治的活動の自由を保障するものであり、労働組合なるが故に政治的活動として職務放棄が許容されるというように優遇されるいわれはないのである。
[23] よつて所論は理由がない。

[24]二、また所論は、「あおり」行為等が憲法の保障する言論活動である旨主張するのであるが、すでに述べたとおり、本件のような政治目的の争議行為が憲法28条の保障外にあり21条の保障も受けない違法なものである以上、違法な行為の遂行を「あおる」行為等もまた憲法の保障を受けえないことは当然で国公法110条1項17号が、「あおり」行為等の構成要件にあてはまる表現活動を可罰的なものとしていることが、憲法21条に違反しないことについては、最高裁が、昭和30年11月30日大法廷判決(刑集9巻12号2545頁)において認めているところであり仙台全司法判決もこれを引用して合憲の判断をしている。

[25]三、したがつて原判決が、本件争議行為をその目的からみて憲法28条の保障する範囲を逸脱したものであり、21条の保障をも受けえないものと認め、また右争議行為とその遂行を「あおる」行為等とを区別し、国家公務員に対し、その国民全体の奉仕者としての重大な責務に背反するところの争議行為等の遂行を「あおる」行為等が憲法21条、28条の保障を受けえないものであるとして、被告人らの刑責を認めたことは正当であり、所論は理由がない。

[26] なお弁護人の主張に関連して若干付け加えたい。
[27] そのひとつは西ドイツにおける新聞ストの問題である。この争議はドイツ労働総同盟とこれに加盟する民間の印刷、用紙労組が行なつたもので単なる集団的労務提供拒否であつて刑罰法令に触れるものではないから刑事事件として採り上げられなかつたのは当然である。そしてこの事件の損害賠償請求訴訟において大多数の裁判所は労組側に賠償責任のあることを認め、多くの学者がこれを支持しているのであつて、その理由において、いわゆる闘争ストであれ、示威ストであれ、すべて政治ストは『法的保護を受けるものではなく』『憲法及び公共の安全と秩序を危険ならしめるもの』であり、およそストによつて『議会をして決議を為さしめ又は決議を為さしめないよう強要することは違法である』としていることを指摘しておきたい。
[28] また弁護人は、安保反対、日韓条約反対等の政治目的のストについても、労働者の地位の向上や労働組合の団結権擁護等とのかかわりにおいて合法を主張されるのであるが、その理由は合理性がなく、その主張を推し進めて行くならばストが合法か違法かということが客観的普遍的なものでなく、専らストを行なう労組側の主観的、恣意的な判断に左右されることになるわけで、その妥当ならざることは明らかであると思う。
[29] 所論は、原判決が、争議行為遂行の共謀、そそのかし、あおり等の指導的行為は争議行為の原動力、支柱となるものであつて、その反社会性、反規範性等において争議の実行行為そのものよりも違法性が強いと解し得るとの立場から、国公法98条5項、同法110条1項17号の「あおり」行為等の概念を縮小解釈しなければならない必然性はないものとして本件にこれを適用しているのは、大阪高裁その他の高裁判例に違反し、右法令の解釈適用を誤つているものであるというのである。

[30]一、上告趣意の指摘する各高等裁判所判決のうち、和教組事件大阪高裁判決が前記国公法98条5項、110条1項17号と同趣旨の地方公務員法37条1項、61条4号の解釈につき、これらの規定が禁止する争議行為の遂行を「あおる」行為等の意義を、福教組事件および佐教組事件の各福岡高裁判決が争議行為の意義を、長崎全農林事件福岡高裁判決が右国公法の規定の解釈につき双方の意義を、それぞれ限定的に解していることおよび原判決後の都教組判決が地公法の解釈につき、仙台全司法判決が国公法の解釈につき、それぞれ争議行為等と「あおる」行為等の意義を限定的に解していることは所論のとおりである。たとえば、都教組判決は、右の地公法37条1項、61条4号の規定につき
「禁止されるべき争議行為の種類や態様についても、さらにまた、処罰の対象とされるべきあおり行為等の態様や範囲についても、おのずから合理的な限界の存することが承認されるはずである。」
として限定的に解釈することによつて合憲とし、争議行為については
「地方公務員の具体的な行為が禁止の対象たる争議行為に該当するかどうかは、争議行為を禁止することによつて保護しようとする法益と、労働基本権を尊重し保障することによつて実現しようとする法益との比較較量により、両者の要請を適切に調整する見地から判断することが必要である。そして、その結果は、地方公務員の行為が地公法37条1項に禁止する争議行為に該当し、しかも、その違法性の強い場合も勿論あるであろうが、争議行為の態様からいつて、違法性の比較的弱い場合もあり、また、実質的には、右条項にいう争議行為に該当しないと判断すべき場合もあるであろう。」
とし、「あおり」の意義については、
「違法行為を実行させる目的で、文書、図画、言動により、他人に対し、その実行を決意させ、またはすでに生じている決意を助長させるような勢のある刺激を与えることをいうと解してよいであろう(昭和33年(あ)第1413号、同37年2月21日大法廷判決、刑集16巻2号107頁参照)」
としたうえで、あおり行為等を処罰するには、
「争議行為自体が違法性の強いものであることを前提とし、そのような争議行為等のあおり行為等であつてはじめて、刑事罰をもつてのぞむ違法性を認めようとする趣旨と解すべきで」「ことに、争議行為そのものを処罰の対象とすることなく、あおり行為等にかぎつて処罰すべきものとしている地公法61条4号の趣旨からいつても、争議行為に通常随伴して行なわれる行為のごときは、処罰の対象とされるべきものではない。それは、争議行為禁止に違反する意味において違法な行為であるということができるとしても、争議行為の一環としての行為にほかならず、これらのあおり行為等をすべて安易に処罰すべきものとすれば、争議行為者不処罰の建前をとる前示地公法の原則に矛盾することにならざるをえないからである。したがつて、職員団体の構成員たる職員のした行為が、たとえ、あおり行為的な要素をあわせもつとしても、それは、原則として、刑事罰をもつてのぞむ違法性を有するものとはいえないというべきである。」
としている。

[31]二、これに反し原判決は、国公法98条5項、110条1項17号につき、この罰則が必要やむを得ない限度を越えない合理的なものであることを認めたうえ、
「…………犯罪の実行行為そのものよりも、その共謀、そそのかす行為、あおる行為等の方が指導的であるとして可罰的の強いものと解すべきときは、実行行為よりも指導的行為の方を処罰することは少しも不合理ではなく、前記のとおり国家公務員につき争議権の行使が禁止されている現状に照らせば、その発生を防止すべきは当然であるところ、争議行為の共謀、そそのかし行為、あおり行為等の指導的行為は、争議行為の原動力、支柱となり、これを誘発する危険性のあるものであるから、その反社会性、反規範性、有害性において争議の実行行為そのものよりも違法性が強く、可罰の必要があると解すべきであり、又かく解しても何ら合理的根拠に欠けるものはない。国公法においては………同法第98条旧5項に違反する争議自体ではなく、これを『あおる』等の指導的行為を特に違法性の強い行為として類型的にとらえ、これに可罰性を認めているのである。」
との見解に立ち、「原判決(本件第一審判決)の判示するように、憲法違反となる結果を回避するため特に『あおる』行為等の概念を縮小解釈しなければならない必然性はない」し実行の前段階の行為のみを可罰的とし、違法行為の実行そのものを可罰的としない特殊な立法形式であることを理由に「あおる」行為等の意義を限定的に解すべきだとする論拠も不十分であるとし
国公法が「国家公務員に対し一切の争議行為を禁止する一方、単純に争議行為に参加したに過ぎない者に対しては民事的制裁を課するにとどめ、積極的に争議行為を指導した者に限り更に刑事制裁を科している同法の建前に照らし、又勤労者の行なう争議行為は、憲法第25条の保障するいわゆる生存権に直結するものであつて、正当な限界を超えない限り憲法の保障する権利行使にほかならない点をも勘案すれば、前記同法第110条第1項第17号所定の指導的行為の違法性は、その目的、規模、手段方法(態様)、その他一切の附随的事情に照らし、刑罰法規一般の予定する違法性、即ち可罰的違法性の程度に達しているものでなければならず、又これらの指導的行為は、刑罰を科するに足る程度の反社会性、反規範性を具有するものに限ることは当然であるといわなければならない。」
と判示しているのである。
[32] したがつて本件原判決の判示は、前記各判決の考え方との間に相異があることは否めない。

[33]三、しかしながら右の各教組関係事件の判決は、各都県教職員組合の役員である被告人らが傘下組合員である教職員らに対し、当該組合の目的の範囲内の要求事項に関して年次有給休暇の名のもとに一斉就業放棄すべき旨の指令を伝達するなどの行為により同盟罷業の遂行をあおつたものとされた地方公務員法違反の事案に関するものであり、本件とは行為の目的、規模、手段、方法(態様)が異なるもので適切でない。
[34] 原判決認定にかかる本件被告人らの行為は、その対象である争議行為が職員団体本来の目的を逸脱した違法なものであること、その規模が農林行政の中枢機構である農林本省をはじめ全国都道府県に及ぶ広範囲の傘下組合員に対する指令の発出行為である第一の事実、民間労組の場合であつたとしても威力業務妨害罪に問われるであろうところの暴力的なマスピケによる職員多数の登庁阻止などの第二の事実のいずれも、手段、方法(態様)からみて、かりに右都教組判決の判示するところに従つて判断したとしても本件被告人らの行為は後に詳述するように争議行為に通常随伴するものではなく、可罰的なものと評価されることは明らかであると信ずる。
[35] 従つて、判決に影響を及ぼすべき判例違反は存しない。
[36] 所論は、都教組判決、仙台全司法判決を拠りどころとして、国公法98条5項中のあおり行為等に関し、争議行為に通常随伴する行為は不可罰的なものと解すべきであるのに、原判決が、これに反し、争議行為に通常随伴するものと認められるか、争議行為の参加そのものであることの明らかな被告人らの行為に対し刑責を認めたことは、同条及び同法110条1項17号の解釈適用を誤つたものであり、また事実の誤認があるというものである。

[37]一、原判決に事実誤認ありとの主張は、適法な上告理由でないばかりか実質的にも理由がない。

[38]二、1 国公法は一方において国家公務員の一切の争議行為を禁止しながら、他方において単に争議行為に参加したに過ぎない者を処罰することなく、争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおり、又はこれらの行為を企てた者だけを処罰することにしている。これは立法者において、国家公務員は国政の運営をつかさどり国民生活全体の利益の維持増進をその職務とするものであるから、その職務の停廃は直接、間接に国政の円滑な運営を阻害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれがあるので、国家公務員の争議行為は禁止されるべきであるが、他方、これら公務員も勤労者であつて憲法によつて労働基本権を保障されており、労働基本権の制限違反に対する不利益、ことに刑事制裁は必要やむを得ない場合に限らなければならないので、この要請と保障を適当に調整するという見地に立つたうえ、争議行為に加わるという個々の労働者にとつては労務不提供という単なる債務不履行に過ぎないものと、集団的な労務放棄の因となり、その支柱となつてそれを誘発、助長し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれのある事態発生の原動力となるあおり行為等との間に存する国民生活に対する脅威、反社会性、有害性の相異に注目し、前者に対しては民事制裁を課するにとどめるかたわら、争議行為の発生を防止するためにまさに必要やむを得ない措置として、後者に対してのみさらに刑事制裁を科することにしたものである。
[39] しかして、労働基本権の制限およびそれに伴う効果は、労働基本権の保障と公共の福祉の要請とが適正な均衡を保つことを目的として決定さるべきであるが、国公法110条1項17号は、その適正な調和に十分な配慮をめぐらした規定であつて、両者が著しく均衡を失しているとは到底認められず、同条項をさらに制限的に解釈せねばならない必要性は認められない。
[40] 集団行動による違法行為の場合、参加者の個々の行為を個別的にみてその反社会性、危険性、有害性に応じて刑責を区別し、ある者は重く処罰し、ある者は刑を軽くあるいは刑罰を科さないこととし、その際集団違法行為の原動力となつた発起者たる教唆、煽動行為者の違法性をとくに重視する処罰方式は、たとえば、刑法の内乱罪、騒擾罪や各地の公安条例における集団示威運動等の指揮者、煽動者の処罰規定など各種の立法に見られ、それが集団犯罪の実態に照して肯定せられる十分な合理性をもつたものであることは、右の例からも明らかといえる。
[41] 以上のように、国公法110条1項17号が争議行為に通常随伴するものと否とを問わず争議行為をあおる行為等すべてを処罰するものであると解釈することは十分な合理性があり、労働基本権を保障した憲法28条に違反するものでなく、国公法の右条項を制限的に解釈し、争議行為に通常随伴するあおり行為等は不処罰と解すべきであるとする見解は、あおり行為等の意義の考察に欠け、争議行為の実行行為とそのあおり行為等の差異を看過し、同条項の解釈を誤つたものといえる。
[42] 次に、集団行動としての争議行為にはあおり行為等が必然的に随伴するものであり、それらの行為は争議行為の一環としての行為にほかならないので、国公法の争議行為者不処罰の建前から、争議行為に通常随伴して行なわれるあおり行為等は処罰の対象とすべきでないとする見解を検討する。
[43] 中郵判決都教組判決によれば、争議行為が不処罰とされるのは、それが憲法上保障された正当な争議権の行使にほかならないからであり、争議行為に通常随伴してそれと不可分の一体をなすあおり行為等が不処罰とされるのも、右の争議権保障の効果を受けるがためであると解される。それならば、争議行為が、本件におけるがごとく政治的目的のために行なわれるなど、憲法に保障された正当な争議権行使の範囲を逸脱するときは、もはや憲法28条の保障を受け得ず、もし必要とあらばこれに刑事罰を科すことは、何ら争議権保障との抵触の問題を生じないのであり、これら争議権保障の限界をこえた争議行為をあおる行為等も争議権保障の効果を受けず、通常随伴するものであろうとなかろうとこれを処罰することは、争議行為者不処罰の建前に矛盾するものではない。
[44] これは中郵判決が
「争議行為が労組法1条1項の目的に副わず、また暴力の行使その他の不当性を伴う場合には、右の罰則が適用される。また、その違法な争議を教唆した者は、刑法の定めるところにより、共犯の責を免れない。」
と判示し、争議行為が労組法1条1項に定める以外の目的のため行なわれるなどしたときは、もはや正当な争議行為として労組法1条2項の免責を受け得ず、争議行為自体が処罰の対象とされるのは勿論、それをあおる等教唆した者も処罰されるのは当然としているところである。
[45] また、仙台全司法判決における岩田裁判官の補足意見は
「『あおり行為等』の対象となつた争議行為が、国家公務員の勤務条件の維持改善、経済的地位の向上およびこれと関連する事項を目的とするものではなく、例えば政治的意図の達成を目的とするものであるときは、かかる争議行為は憲法28条の保障するところではないから、かかる争議行為を対象とする『あおり行為等』は、それが争議行為に通常随伴するものであると否とを問わず、憲法28条の保障する労働基本権の行使とはいえない。」
と述べ、裁判所職員に対し、新安保条約反対のため行なわれる職場大会は争議行為であるが、憲法28条の保障するところではないから、右職場大会への参加を慫慂する行為は、国公法110条1項17号にいわゆるあおり行為にあたることが明らかであつて、被告人らの右行為が争議行為に通常随伴するものであるか否かを問うまでもないとしているのである。
[46] このように、争議行為不処罰の原則から争議行為に通常随伴するあおり行為等も不可罰と解すべきであるとの見解は、争議行為が憲法に保障された争議権の範囲内にあるときはいえるとしても、争議行為が右の範囲をこえるとき、すなわち違法性の強い争議行為にあつては右の見解は妥当しないというべきである。したがつて、本件における争議行為は警職法反対という政治的目的のため行なわれたのであり、明らかに争議行為の正当な範囲をこえるものであるから、これをあおる等した被告人らの判示第一および第二の行為は、争議行為に通常随伴するものか否かを問うまでもなく、刑事罰を免れ得ないものといわねばならない。
[47] かりに、都教組判決や仙台全司法判決の判示するように、国公法110条1項17号の処罰の対象となるためには、争議行為が強度の違法性を有するほか、あおり行為等が争議行為に通常随伴するものでないことを要するとの立場に立つとしても、本件第一のあおりの企て、第二のあおり行為はいずれも争議行為に通常随伴するものとは認められない。
[48] すなわち、判示第一の指令発出行為は、原判決認定のとおり
「警職法は直接自分と関係がないと思つている組合員が非常に多い」「反対の意思表示をするにしても、その具体的内容としては、3割休暇とか職場大会を含め『実力行使』が全体の3割程度(一番多かつたのは署名運動)であつた」「ある職場においては11月4日半日ストのアンケートをとつたところ、賛成20、反対23であつた」
ことなど、本件のような警職法改正法案に反対するために争議行為をするについては、一般組合員中に消極的な者もすくなくなかつた現状にあつて、すでに発せられている指令第5号、指示第34号と相俟つて、これに続く本件指令第6号の内容が、全国都道府県の農林職員らに対しきわめて影響力の強い権威のあるものとして争議行為を実行する決意を生じさせ、またはすでに生じている決意を助長させるような勢のある刺激を与えるに十分なものであつたことは明らかであるから争議行為に通常随伴する程度のものではない。
[49] また農林省庁舎入口にピケを張つて、職員らの入庁を阻止し職務を放棄して職場大会に参加するという違法な「争議行為の遂行をあおつた」判示第二の事実は、被告人らの属する全農林労働組合の構成員でない第三者である全林野労働組合、農林省食堂労働組合の役員らと順次意思を通じて行なつたものであり、そのピケの態様は原判決が詳細認定しているとおり、表裏の入口にバリケードを設けた二重、三重の暴力的なマスピケであつて管理者、非組合員らの入庁を実力で阻止し、やむなく当局側の要請により出動した警官隊の実力行使に到るまでの2時間余の長きにわたり2千人余の職員らに対し、職場を離脱して職場大会に参加するよう執拗に呼びかけたというものであるから、その態様だけからみてもすでに正当性の範囲を逸脱していることが明らかであり、それが職員に対し、争議行為を実行する決意を生じさせ、または、すでに生じている決意を助長させるような勢のある刺激を与えるに十分なものであつたことはきわめて明白でその態様は暴力またはこれに準ずる不当性を帯び、争議行為に通常随伴するものとは到底いえないものである。
[50] 右のように本件被告人らの行為は、都教組、仙台全司法各判決の立場からみても到底容認されえないことが明らかであるから原判決には所論の批難するような判決に影響を及ぼすべき法令の違反はないといえるので所論は理由がない。
[51] 以上に述べたとおり、論旨はいずれも理由がないので、本件上告は棄却せられるべきものと思料する。
■ 弁護人佐藤義弥の弁論要旨
  警職法事件の概要、問題点及び憲法21条と警職法事件
  目 次
一、はじめに
二、警職法事件
 (1) 手続きの不当性
 (2) 法案の内容の違法、不当
 (3) 労働運動に対する抑圧を意図したものであること
 (4) 労働界及び国民一般の反撃
 (5) 議会制民主々義の問題に転化
三、本件行為
 (1) 公訴事実
 (2) 一審判決
 (3) 原判決
四、本件の問題点
五、政治ストとは何か
  ――本件は所謂政治ストではない――
六、4・2判決と政治スト
 (1) 本件が表現行動であること
 (2) 4・2安保事件判決の色川意見
 (3) 4・2判決と政治スト
七、表現活動保障の優越的意義
八、表現活動たる「政治スト」の特徴
九、表現活動たる政治ストの憲法21条よりみた正当性
十、八幡製鉄政治献金事件とその対比
十一、結論
[1] 本件について、各弁護人連名の上告趣意書及び、小林弁護人名儀の上告趣意書(二)被告人ら連名作成の上告趣意書ならびに弁護人佐藤他6名の上告趣意補充書(一)をそれぞれ陳述する。尚長崎事件でのべた通り、国労久留米事件、長崎事件の弁論を本件に採用する。
[2] 本件については検察官の答弁書が提出されていないことに御留意願いたい。刑事訴訟規則243条、266条によれば、上告趣意書謄本の送達を受けた日から7日以内に答弁書を提出することができる。検察官が相手方であるときは、重要と認める上告の理由については答弁書を出さなければならない。裁判所は必要と認めるときは答弁書の提出を命ずることができる。との規定がある。本件は、最高裁の大法廷に回付され、口頭弁論を開くに至つた極めて重要な事件である。本件に対しては、上告の理由が多岐にわたり、極めて重要な憲法問題を含んでいることは、裁判所自体認めている。所が、検察官は規則上義務づけられている答弁書の提出を怠り、裁判所もついに答弁書の提出を命ずることなく本弁論に至つたのである。そもそも、最高裁の弁論というのは検察官側と、弁護人側との争点がかみあい、それぞれ論点をしぼつて、議論を展開し、それについて、裁判所が判断するのが正しいあり方である。答弁書の提出ということは、この論点整理、弁論のかみあわせのための一手段である。主任裁判官が両当事者を集め、弁論の前に争点を整理して、かみあわせることもできる筈である。しかし最高裁裁判官は一切弁護人には事件の関係では会わないという鉄則が出来ているとのことで、そのような作業は事実上不可能である。とすればせめて、答弁書の提出というささやかな手続をきちんと履行して、論点整理の一助にし、貴重な時間を費して行う弁論だから、お互いに言い放し、聞き放しのやり方を是正したいと希望するのは当然のことである。上告趣意書提出後3年も経過していることだから時間がなくて答弁書の提出ができなかつたという弁解はできない筈である。
[3] 所で、長崎事件弁論でのべた通り、上告審にあたり、検察官は4・2判決尊重の低姿勢から、4・2判決に対する間接攻撃、ついで弁論に於ては名指しの直接攻撃という具合に、故なく裁判制度を無視して大法廷判決を攻撃する高姿勢をとつている。これと関連して、検察官出身の岡原裁判官及び天野裁判官に対する回避勧告及び忌避の問題について一言しておきたい。岡原裁判官は、長崎事件で上告趣意書を作成された方である。長崎事件で回避されたのは当然のことながら、右事件と同じ憲法上の問題点が論議され、セツトで弁論される本件についてもその見解は既に長崎事件上告趣意書の線できまつていると見ることができる。到底、公平に裁判にあたると期待するわけには行かない。又天野裁判官は、長崎事件、及び本件が、最高裁に係属中に最高検次長検事の職にあつたもので、長崎事件において、弁護人が提出した答弁補充書を受理した際の次長検事であるから、その応答等の処理の実務上の責任者でもあるし、本件について検察官が答弁書不提出という違法を行なつているが、その不作為の責任の一端をも負うべき立場であり、同裁判官が本件及び長崎事件について、検察官の主張に同調するであろうことは、明白といわなければならない。比喩的にいえば、野球の際に、相手方のチームの監督が、「俺は選手でないのだから」といつてアンパイヤになつたようなもので、通常の国民の感覚からいつて到底是認できることではない。私はここで、松川事件の第1回上告審における石坂裁判官の回避の問題を想起する。石坂氏は原審仙台高裁の長官をしておられたが、原審の裁判そのものに関与されていないことは明白である。
[4] しかし所謂石坂書簡問題より、同裁判官の松川事件審理の公正さについて論議されるや同裁判官は、松川事件の審理を回避したのである。裁判所の「公平らしさ」の保持は、石坂裁判官以来、最高裁の伝統であつたし、又長官が屡々意見表明している所でもある。所が今回は右伝統を破つて、検察官出身の右2裁判官が回避されなかつたのはなぜか。石坂裁判官の場合をはるかにこえて、「不公平な裁判」をするおそれがあると誰れからも客観的に疑惑をもたれながら回避されないのはなぜか。検察官が上述した通り異常なまでに高姿勢をとり、大法廷判決に直接攻撃を加えている状況と果して無関係なのか。私はこの点に関する疑問を提示すると共に、2裁判官が回避勧告に応じなかつたことにつき深く遺憾の意を表明する。
[5]本件は、通称警職法事件と呼ばれている通り、昭和33年秋警職法改訂案が政府の手により、突如国会に提出されたことに端を発し、2ケ月間、政府自民党と、野党、労働組合、市民団体、学者文化人団体、言論機関との間で攻防戦が展開され、結局良識の勝利としてこの改訂案が廃案となつたが、その間の警職法改悪反対運動の一こまの出来事であつた。

(1) 手続きの不当性
[6] 33年9月25日に国家公安委員会は警職法改訂案の国会提出をきめ、内部接衝をはじめたが、国民には一切秘密とし、10月1日国会の委員会で原田警察庁官房長は「警察庁は風俗営業取締法改正案以外には、提出法案を予定していない」と食言したり政府が臨時国会冒頭に提示した提出予定法案の中にはこの法案を含ましめなかつたり、いわば、国民をつんぼ座敷におき、国会でもうそをいつておいて、準備をととのえ、一挙に国会に提出して、数をたよりに押しきる戦術をとつた。従つて、10月4日に至つて、はじめてこの改訂案の提出が報ぜられ、その内容は7日に国会提出と共にやつと国民の目にふれることとなつた。この法案の成立の過程からいつても、取締る側での検討は十分なされたとしても、学識経験者、市民、労働団体等取締られる側の意見は全然反映する機会を奪われていたため、その内容も極めて不当なものとなつていた。新聞の社説でもこの法案の作成過程及び提出過程の不当な所以を鋭くついている。

(2) 法案の内容の違法、不当
[7] この法案が違法、不当に国民の権利を侵害するおそれにみちたものである所以は、既に上告趣意書等の書面でるるのべた所であるが(弁護人連名上告趣意書第七点、上告趣意補充書(一)、及び右各書面に引用する「世界」昭和33年12月号、鵜飼信成「警職法改正と国民の自由」海野晋吉、真野毅、森川金寿、宮内裕の座談会、同年同号、中央公論、広中俊雄「警察民主化は全面的に崩壊する」、同年同号文芸春秋、植松正「法律は曲解できる」、法律時報同年11月号、戒能通孝「法律時評」、ジユリスト、同年11月15日号、石川吉右衛門氏ら座談会、同年12月15日号、我妻栄氏ら座談会、参照)
[8] 一口に言えば、警察官の職務執行の要件を、「公開の施設または場所」とか「公共の安全と秩序」というように抽象的表現に緩和し、いわば歯止めをはづして、その認定をあげて現場の警察官の裁量にゆだねていることである。而してこれに反対する国民の側にはその根底には戦前の警察国家における苦しい思い出と警察権力により戦争にまでもつて行かれたことに対するはげしい憤り、及び戦後民主化されたという警察権の行使に対するぬぐうことのできない不信感がある。戦後、警察権の行使が判決で違法とされた事例も数多い。その他盗聴器設置事件、特別公務員暴行凌虐致傷付審判事件等もあり、これらは全体の氷山の一角にすぎない(前記上告趣意書記載)。これらの実体の上にたてば国民が警察官の職権行使に不信感を抱かざるを得ないのはまことに当然のことである。

(3) 労働運動に対する抑圧を意図したものであること
[9] 警職法改訂案は国民全体の基本的人権を規制するものであると同時に、労働運動に対する抑圧を意図したものであつた。これは前記ジユリストの座談会に於て、石川吉右衛門氏や石井照久氏ら国のトツプレベルの法律家たちも指摘している所であり、又立案に参加した当局者が大衆運動取締の経験に照らして立案の必要性を認めた旨「自白」している所でもあり、当時の新聞報道における各方面の意見でも、はつきりこれを指摘している所であり、概ね公知といつてもよい所である。

(4) 労働界及び国民一般の反撃
[10] 警職法改訂案の本質がそのようなものである以上、左右を問わず労働団体の立ちあがりを最初に、YMCA等の宗教団体、日本文芸家協会等の作家団体、婦人有権者同盟等の婦人団体、政治学会、素粒子学会等の各学会、学術会議、東京大学をはじめ各大学の教官、学生自治会、消費者団体連絡会等の市民の団体等がぞくぞくと反対運動に立ちあがつた。その結果66団体が参加した警職法反対国民会議が結成され、今はなき加藤勘十氏が議長にえらばれ全国的な反対運動を活発にすすめるに至つた。秘密裡に準備して、不意打ちに国会に提出し、反対運動がもりあがらないうちに数に物をいわせて通そうとする政府の意図はこのすみやかな国民の側の立ちあがりにより緒戦において失敗したのである。

(5) 議会制民主主義の問題に転化
[11] 本法案の審理の中で発生した自民党の国会抜うち延長(11月4日)ひきつづき変則国会、即ち、社会党は国会の会期が終了したとし、自民党は延長されたとし、延長そのものが争われているため国会の審議がストツプしている状態の継続という事態に於て、問題は議会制民主主義を如何にしてまもるかというところにまで発展した。新聞の社説は、政府はいさぎよく警職法案を廃案にする方針をきめ、その上で議会制民主主義をまもるために与野党の話しあいをするべきだと主張した。結局事態は、11月22日に警職法改訂案廃案等の取りきめが党首会談に於てなされ、事態は一応終始符をうつたのである。
[12] 本件は総評を中心として、警職法反対国民会議の第4次統一行動としてなされた行動の一小部分である。この統一行動は10月15日頃の総評拡大幹事会、10月24日の総評臨時大会の決議に基くもので民間単産は24時間スト、官公労は正午出勤の統一行動を行つて、警職法改悪に反対の意志を表明するというものであつた。これと共に全労会議等の右翼組合も抗議行動を決定し、市民団体、婦人団体等も街頭行進等の抗議行動をなしたものである。全農林は10月30日自治労会館で開かれた第1回中央委員会に於て、右総評、国民会議の決議に基いてその趣旨の決議をなしその決議の実行として11月5日の統一行動に参加した。全国で4百万にのぼると言うこの統一行動の中で、争議行為の「あおり」等をもつて起訴されたのは、本件のみである。そこに本件の特徴がある。

(1) 公訴事実
[13] 本件の公訴事実は2つある。その一は、昭和33年10月30日頃、11月5日は警職法改悪反対のため正午出勤の行動に入れという趣旨の指令を出したのが争議行為の遂行の「あおり」を「企て」たというのである。
[14] その二は、11月5日午前9時頃から11時30分頃までの間、農林省庁舎に於て、組合員に対し、正門前の警職法改悪反対職場大会にただちに参加するよう反覆申向けて、参加方を慫慂して争議行為の遂行を「あおつた」というのである。

(2) 一審判決
[15] 一審判決は昭和38年4月になされた。それは「あおり」の処罰については争議行為の実行に通常随伴する程度をこえた、違法性の強い場合にはじめてこれを可罰性ありとし得るという「あおり」の限定解釈をとつたもので、これにより本件「あおり」等の行為は国公法上の可罰的な「あおり」行為には該当しないとして無罪の判決をしたものである。その中で判決は
「同法が争議行為を実行したにすぎない者を処罰する規定を設けなかつたのは単なる立法政策上の問題にすぎないと見るべきではなく、これを処罰することは本人の意に反した苦役を科することを禁止した憲法18条ならびに法の正当な手続を保障した同31条の趣旨に反し許されないからである」
と判示し、争議行為そのものの不可罰の根拠を憲法次元のものとしていることに注意すべきである。

(3) 原判決
[16] 本件の二審判決は4・2判決の半年前43年9月になされた。その内容は既に下級審の各判決で批判ずみであり、後に4・2判決で粉砕された原動力論に立つて、「あおり」行為の可罰性について無限定的解釈をとり、更に中郵判決を引用して、本件は所謂政治ストだから刑事制裁を免れないと突かい棒をおいている。更に右判決は訴因にも記載されず、冒頭陳述にも記載されず、罪となるべき事実として立証の対象とならず、攻撃、防禦の対象となつていないにも拘らず正面玄関の扉を旗竿をもつてしばりつけたとか、裏玄関の内部に机、椅子を置いたとか等の情況を判示した。
[17] そこで、本件特有の問題点は次の諸点にある。
[18] 本件の「あおり」の「企て」或いは「あおり」とされる、第一訴因の指令の発出、第二訴因の職場大会参加勧誘行為は何れも争議行為に通常随伴するものである。だから違法性の強い「あおり」行為とはならず、可罰性をもたないことは4・2判決に照らし自明のことである。検察官も指令の発出行為の通常随伴性を争そう余地はないであろう。第二訴因の現場のあおり行為についても、本件のあおり行為が争議行為に通常随伴する程度のものであつたこととの論証等については、別に後に内藤弁護人、竹沢弁護人が評論する所である。
[19] 従つて本件については、政治スト問題に立入るまでもなく、原判決の破棄、被告人の無罪は動かない所であるが、我々は中郵判決、4・2判決の前進のために、政治ストの問題に大きな比重をおいてのべるつもりである。これは、憲法21条、28条等に広くかかわる問題であり、当弁護人は21条の面よりアプローチし、内藤弁護人は主として28条の面からのアプローチをする予定である。
[20] 現行法上政治ストに関する定義的規定はない。あるのは判例の表現だけである。中郵判決は、「もし争議行為が労組法1条1項の目的のためでなくして政治的目的のために行なわれたような場合」とのべている。これに対して、4・2安保事件判決は、「使用者たる国に対する経済的地位の維持、改善に直接関係があるとはいえないこのような政治的目的のために争議行為を行う」という表現になつている。一見すると同じような趣旨にも見えるが、しさいに検討すれば、前者は「労組法1条1項の目的」と「政治的目的」とを対抗的にとらえ、「政治的目的」であれば、その内容、性質にかかわりなく政治ストと評価するのに対し、後者は、政治的目的の中にも経済的地位の維持、改善に直接関係があるものと、関係がないものの2種類があり、「経済的地位の維持、改善に直接関係のない政治的目的」を政治的ストと評価するものである。しからば労働条件の基準を定める最低賃金制等の法規についてはどうか。これは後者の判旨によれば経済的地位の維持、改善に直接関係があることが明かであるから、これに関する争議行為は政治ストと評価されないことになる。これは学界の意見とも合致するものである。政府が立法によつて労働条件の低下をはかる場合にそれに対し労働組合が闘うことは、勿論憲法28条の予定することであるし、又それに対し手をこまねいて、黙視しなければならないというのでは、勤労者の労働条件の維持、向上は、はかれないからである。
[21] しからば労働組合の団結権、団体行動権擁護のための行動は果して如何。これは労働条件に直接関係のある政治的行動に比してより一層労働組合の本来の目的に属するものである。労働組合がその団結力を弱められ、行動力を弱められたら、労使対等の立場での労働条件の決定、勤労者の生存権の保障という憲法28条の趣旨が画餅に帰すからである。三井美唄事件判決(昭和38年(あ)974号、昭和43年12月4日大法廷判決)も「労働組合がその目的をより十分に達成するための手段として必要な政治的活動をする」ことを認め、そのための統制活動をも一定の限界内において認めているのも、この考え方につながるものである。
[22] 此の見地にたつて本件を見た場合、全農林の本件行動は主観的には労働組合の組織防衛のためのものであつた。それは指令5号(準備指令と呼ばれる)に於て「組合運動の死命を制するこの悪法を阻止するため」とのべている通り、労働組合の組織及び活動をまもるために本件行動がなされたものであることは疑う余地がない。又客観的にも、既にのべた通りトツプレベルのわが国の法学者が口を揃えて、本法案を労働運動に対する弾圧の目的であるとのべ、又、新聞報道でも明かな通り、各方面の識者がこぞつて、本法案はまづ、労働運動、大衆活動の規制のためのものとのべていることによつても明かな通り、本法案が客観的に右のような狙いをもつていたことは常時の社会の共通の認識となつていたことも又否定する余地のない事実である。
[23] 憲法28条が勤労者の「団結権」「団体交渉その他団体行動権」を保障し、団体交渉権は団体行動権の一態様と考えていること。政治スト禁止に類する制約を設けていないこと。その趣旨はひとえに勤労者の団結権と団体行動権の保障により使用者と対等の立場を維持、確保することにあることを考えれば、労働組合の組織防衛のための本件行動が憲法28条の保障の範囲外にあるとの見解を採ることは到底できない。原判決が本件行動を所謂「政治スト」と判示し、憲法28条の保障の限界をこえ、刑事制裁を免れない旨のべているのは、明かに、憲法28条の解釈、適用をあやまつたものとして破棄を免れないのである。
(1) 本件が表現行動であること
[24] 本件が表現行動であることは今さらいうまでもない。所謂政治ストの中には、学者のいう政治的貫徹スト。即ち争議行為によつて政治的主張の貫徹を図るものがある。本件はこれにはあたらない。表現行動として本件をとらえれば、「あおり」行為自体本来的に表現行動であるのみならず、ストライキ自身が社会的存在としてみた全農林労働組合自体の表現活動なのである。此の面で、本件行動は憲法21条とのかかわりあいをもつものである。他面本件行動が団結体としての全農林労働組合の組織的、統一的行動としてなされていることに着目すれば、これは憲法28条とのかかわりあいをもつことになるのである。

(2) 4・2安保事件判決の色川意見
[25] 4・2安保事件判決に於て、色川裁判官は反対意見を書いておられる。その趣旨は、旧労調法以降の立法の沿革、趣旨を順次検討のうえ、本件のような表現活動に伴う業務の停廃は、使用者としての政府との間の対抗関係に基く争議行為ではないから、国公法にいう争議禁止に該当せず、又、「あおり」の処罰規定にも該当しないというのである。極めて精ち且、説得力ある理論で、これを全面的に支持するものである。しかし、本弁論に於ては一応、4・2判決の多数説を前提にして考察を推めることとする。

(3) 4・2判決と政治スト
[26] 4・2判決の多数意見は、争議行為の権利性と不可罰性の承認を基礎として構築される。争議行為の権利性というのは、争議行為が憲法28条の保障のもとにある限り、憲法上の権利であり、権利である限りは、可罰性とは結びつかないということである。従つて、争議行為が正当性の限界をこえ、いわば権利のらん用に至つてはじめて、強度の違法性ということで、可罰性と結びつけられるようになるというのである。この発想から争議行為の目的、態様等に鑑み、国公法上の争議行為の違法性は次の3段階にわかれる。即ち、国公法上の禁止された争議行為にあたらないもの、国公法上の禁止された争議行為にはあたるが、争議行為の正当性の限界内のもの、(違法性の弱いもの)、及び、争議行為の正当性の限界をこえ、権利性を失つたものの3段階で、一番最後の段階が可罰性と関連する可能性をもつというのである。
[27] もう一つの柱である争議行為そのものの不可罰性――これは実定法上争議行為の処罰規定がないことを憲法上の関係で意味づけ――である。本件一審判決は前述したようにこれを憲法18条、31条に基くものと論じているし、4・2判決は憲法28条に基くものと考えていると論じられている。しかし4・2安保事件判決をみると憲法18条違反の主張について「国公法110条1項17号は公務員の争議行為そのものを処罰の対象にしているものでない」ことを、18条違反でない論拠の一にあげている。これよりみると争議行為そのものの不可罰は、憲法18条の要請にも基くものと考えているようにも見える。何れにせよ、憲法上の要請に基く争議行為不可罰或いは実定法上の争議行為不処罰に基き、争議行為の実行と同一に評価さるべき「あおり」行為の不可罰、或いは不処罰が結論づけられる。これは憲法31条に基くもの――下級審判決で数多くあるが――とする議論が多い。しかし憲法28条の団結権擁護に基くものと考えることもできる。つまり、討議、機関決定、指令、その指導。宣伝活動等は労働組合の団結活動そのもので、それを取りあげて処罰の対象とすることは、基本である団結権自体を破かいすることになるからである。従つて、随伴的「あおり」の不処罰は、争議行為自体の違法性の強弱とは別の次元の問題であり、争議行為が組合の団結権の行使として行われる限り貫徹するもので、争議行為が政治的目的であろうと経済的な目的であるとを問わないのである。先に、本件は政治スト論に立入るまでもなく無罪たるべきものとのべたのはこの理由からである。(尾山弁護人が評論しているのでこれ以上はのべない。)この関係を図示すれば次の通りである。
第一図
争議行為の権利性・違法性と、「あおり」行為の可罰性・不可罰性
[28] 然らば、争議行為の正当性の限界をこえることを政治ストと置かえて4・2判決の構造を考えてみよう。勿論何が政治ストであるか、政治ストとして憲法28条の保障の枠外とされるものは何かということについて大きな争があることはるるのべた通りである。此所で問題にするのはとにかく、4・2判決のいう政治ストに該当した場合ということで論議をすすめる。此の場合は4・2判決では争議行為が憲法28条の争議権の行使としての権利性をもたないとされる。従つて、争議行為が国公法上の禁止された争議行為に該当するや否やこれと同時に、争議行為の正当性の限界をこえたとして、可罰性との関連が生ずるものとされる。
[29] しかし、「あおり」行為の争議行為に通常随伴する限りでの不可罰性は此の場合にも、貫徹することは前述の通りである。この関係を図示すれば次の通りである。
第二図
争議行為の権利性・違法性と、「あおり」行為の可罰性・不可罰性
[30] 憲法21条よりの政治ストに対するアプローチを考えると、4・2判決は前述の通り、争議行為の権利性の側面では政治ストの場合は国公法上禁止された争議行為、即正当性の限界を逸脱した争議行為と評価し、可罰性へ関係づけている。
[31] しかし、憲法28条で右のように評価される争議行為であつても、憲法21条の面からは正当性を主張し得る争議行為が考えられる。その限界をどこにおくかが本弁論の趣旨である。これを図示すれば次の通りである。
第三図
争議行為の権利性・違法性・正当性と、「あおり」行為の可罰性・不可罰性
[32]表現活動の自由は、政治活動の自由、結社の自由等々と共に、憲法21条の保障のもとにある。これらの自由は憲法の構造である代議制民主主義の基礎をなすもので、日本国民の権利の中でも特に優越的地位をしめるものであることは既にのべた所である。憲法28条の労働基本権の保障に比較してより劣位にあるとは到底いうことができない。争議権の制約は、国家公務員の場合にあつても、使用者たる政府の利益のためと理解することはできない。公務員の争議権の規制は使用者たる政府の利益の保障のためではなく、国民生活全体の利益――公衆の困苦を防ぐ――のためと解すべきことは、中郵判決、4・2判決が労働基本権制約のための原則―4条件を判示したことにより明かである。表現活動としての職場大会―それに伴う職務の放棄等の争議行為も又、専ら国民生活全体の利益の保障の観点からその間の比較衡量により、必要最小限に限つて是認されるべきものである。表現活動を規制する諸法規は、表現活動自体を規制の対象とする場合と、他の一般的な規制を表現活動に適用する場合とがある。本件は後者の場合である。いずれにせよ、その憲法審査に於ては、事前抑制禁止、莫然不明確の故の無効、或いは明白かつ現在の危険、L・R・A等の諸基準が日本の場合にも考えられるところである。
[33] 従つて、かりに政治ストが憲法28条の保障のもとにないとした所で、それは憲法28条の保護がないというにとどまり、いわば権利行為ではない放任行為になるにすぎない。右の行為は別の次元で、憲法21条の立場での審査、即ち、右行為を禁止し、或いは処罰することが憲法21条のうえで許されるかという問題を生ずることになる。
[34] 我が判例のうえでも、中郵判決は公労法17条1項が憲法28条及び18条に違反しないと判断するにあたり、昭和30年6月22日大法廷判決(三鷹事件判決)及び昭和28年4月8日大法廷判決(弘前機関区事件判決)を引用している。
[35] これらの旧来のリーデイグケースは「公共の福祉」からストレートに限定的に規制を合憲とする手法であつた。所が4・2判決に於ては、これらの古い大法廷判決の引用は姿を消しているのである。検察官が、長崎事件弁論に於て自から認めかつ泣き事をいつていた通り、46年3月23日の福教組事件、佐教組事件第3小法廷判決は、右の古い弘前機関区内事件判決は、中郵判決、及び4・2判決により実質上変更されたものと解しているのである。つまり、憲法28条については、最高裁は少くとも4・2判決に於て、古い「公共の福祉」論と袂別したのである。(此の点については長崎事件で佐伯弁護人が評論した通りである。)所が4・2安保事件大法廷判決は、憲法21条違反の主張に対し、昭和30年11月30日の大法廷判決を引用して合憲の判断をしている。右判決は警察官に対する怠業行為をあおつたビラを配布した事実について、「憲法における言論の自由といえども、公共の福祉のために調整されなければならない場合がある」とし、本件は「公共の福祉に反し、憲法の保障する言論の自由の限界を逸脱するもので」その処罰規定は合憲だとするものである。公共の福祉からストレートに規制立法の合憲性を結論づけるもので、古い「公共の福祉」判決といえよう。
[36] 古い公共の福祉論の残骸が、憲法28条の分野では揚棄され、憲法21条の分野では大手を振つて横行しなければならない理由はない。両者の憲法上の位置に優劣はない筈だからである。かくて憲法21条の分野における、古い「公共の福祉論」の揚棄が日程にのぼるのである。
[37]表現活動たる政治ストの特徴の最たるものは、その目的に於て国民の大多数の支持をうける表現活動たるところにある。本件もまさに然りであつて、言論機関をはじめ多くの労働者、市民、学者、文化人等国民の圧倒的部分の支持協力のもとに行われたのであることは既にのべた通りである。
[38] ついで、労働組合の表現活動は手段として国民の多くの統一と団結を強める観点に於て、冷静な規律と、国民生活を不必要に混乱させない配慮のもとになされるものであることに特徴がある。所謂経済ストの場合もこの観点がないわけではないが、表現活動の場合には特にこの点が留意されるのである。従つて表現活動として行われるストライキは、数十分から精々数時間程度が最も多いのである。数日間にわたるものは見られない。従つて、要求貫徹まで継続するというものでもない。本件に於ては、指令6号は、正午出勤の指令であつたし、農林省玄関前の職場集会は午前9時頃から11時30分頃までの、僅か2時間半である。
[39] 第三に表現行動の内容であるが、概ね政府の施策等の政治問題に関するものである。従つて政府等の権力者からは嫌忌されるが、有力な表現方法をもたない国民の多くからは支持されるのである。
[40] 従つて、国民の側からみれば、自分たちの同じ見解の表明のためになされた政治ストがたとえ小時間でも、違法性が強いと評価されること、殊に可罰的違法性ありとされることについては、所謂経済ストとの対比に照らしてどうしても納得がゆかないのである。これは国民全体の感覚である。この国民の感覚は憲法21条の解釈、適用の上で生かさなければならない。
[41]表現活動として、政治ストがなされた場合憲法21条の面より審査するとなればまづ「あおり」行為自体の表現性を論ずることにする。
[42] 「あおり」行為そのものの可罰性に関する憲法上のテストとして、事前抑制等々の基準の適用が考えられることは前にのべた通りである。これは、4・2判決において、「あおり」行為そのものの非通常随伴性を可罰性の要件とすることによつて概ね解決ずみとなるので、此所では深く触れる必要がない。ただ、莫然不明確の故の無効の原則、わが憲法31条にてらして、「あおり」行為、「企て行為」等の構成要件が莫然不明確とならないかについては、当弁護人は非常な疑問を抱くものである。本件起訴状でも第一訴因の指令の発出については「中央執行委員全員と中央委員のうち当時議長の職務を執行していた2名及び反対留保の意見のものを除いた40数名の中央委員と共謀のうえ」とのべている通り、中央委員会が謀議の場とされ、特に反対意見を表明しなかつたものはすべて、「あおり」の「くわだて」の共謀をしたものとされる。これが大会で、きめられたとすれば、大会出席者が皆その立場に立たされる。更に本件が総評大会、総評拡大幹事会のとりきめに基いてなされたものであるからその拡大幹事会や総評大会も共謀の場とされ、その決議に参加した大多数のものも「共謀」してあおることを企てたものとされ得るのである。結局争議行為があれば、警察や検察官は何時でも、どこでも、誰でも任意に選択し、或いは個々的に活動家を狙いうちにして被疑者にし、起訴することができる。このような構成要件の定めが一体容認し得るであろうか。あおりの定義はしかじか、そそのかしの定義はしかじかと空虚な説明をし、従つてその構成要件の内容は一応明確であるなどと空虚の議論をしてみても少しも問題の解決にならないのである。
[43] 憲法31条に照らして疑問は少しも解決されないのである。しかし、此の点も非随伴的な「あおり」行為のみ可罰性と結びつくという4・2判決の手法により、一応は解決されると考えてこれ以上は申しのべない。
[44] 次に社会的存在としての労働組合の表現活動として、政治ストを検討してみよう。

[45](1) まず、労働組合の表現活動は憲法上の保護を受けるかという問題である。これについては、「法人の活動は結局はその効果が自然人に帰するものであるから人権宣言の各規定は性質上可能である限り法人にも適用される」。特に「財産法上の権利義務に関しては法人にも適用される」(宮沢、憲法II240頁)と論じられている通り、会社がそうである以上、法人格の有無にかかわらず、社会的存在としての労働組合が憲法上の保障下にあることは争そう余地はないであろう。

[46](2) ついで、表現活動としての労働組合の争議行為を禁止できるのは、国民生活全体の利益に対する障害を防ぐため必要最小限度に限らなければならないということである。
[47] そうしてみると、公務員の表現活動たる争議行為について、その職務の内容、争議行為の態様如何に拘らず、一件全面的に禁止することは、必要最小限を超えるものであつて、憲法21条にてらしても違憲の疑を免れないのである。

[48](3) 公務員の表現活動たる争議行為について、規制が許される必要最小限はどこに求められるべきか。これは、いうまでもなく、表現活動の必要性、重要性に比較し争議行為による国民生活の利益の損傷が多いということに求められなければならない。その線は結局、明白かつ現在の危険に求められる。
[49] 即ち、国民生活全体の利益を明かに侵害する危険が現存するということが、その規制を正当化し得るものである。しかも右明白、かつ現在の危険の立証責任はこれを規制する側にあるものといわれなければならない。

(4) 表現活動の正当性の法的効果
[50] 中郵判決、4・2判決の論旨によれば、所謂政治的争議行為は、憲法28条の枠外にあるという。これは民事免責、刑事免責がないということである。つまり、その争議行為による市民法上の損害について、使用者に受忍義務は当然には発生しない。というようなことを意味するにすぎない。契約上の債務不履行の責任、或いは、債務不履行に基く損害賠償等は、市民法上の一般原則と憲法の理念に基いて解決されるということになる。検察官は弁論に於て、政治ストの正当性を認めることは市民に比して労働者の政治活動に特権を与えることになるという。しかし上述した所から明かなように政治ストの場合の民事刑事の問題は市民法上の問題として他と同様に取扱われるのであつて、特権を云々する余地はない。ただ勤労者であるが故に特に劣位に取扱われ、政治ストそのものを可罰性と結びつけられるのが正しいかどうかということなのである。右の表現活動たるストライキ自体は、その正当性の範囲内に於ては民事責任はともかくとして、その表現行為たる争議行為そのものを可罰的であるとすることはできないということに注意すべきである。そこで、公務員の争議禁止規定に該当する争議行為であり、かつ政治的目的であるためただちに憲法28条の保障の範囲外にあるとされるものについて、憲法21条の観点より、国民生活全体の利益に「明白かつ現在の危険がない」として正当化されるものについては憲法21条の保障に基きストレートにその争議行為自体を違法性が強いとして可罰的違法性と結びつけることはできないのである。そこで本件をみると、当時の新聞をいかに丹念にみても農林省の職務停廃による国民生活への侵害のおそれを論じたものもなく、又、結果的に、侵害されたという記事もない。本件の職務の停廃は4百万人の抗議活動に完全に埋没しているのである。かく考えてみると本件行動により、国民生活全体の利益に明白、かつ現在の危険があつたとは到底いうことができず、本件は表現行動としての正当性の範囲内にあることは明白である。
[51]45年6月24日に最高裁大法廷は八幡製鉄政治献金事件に付、政治献金を是認する判決をした。
[52] この判決は
「会社は自然人たる国民と同様国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対するなどの政治的な行為をなす自由を有する。政治資金の寄付もまさにその自由の一環である。」
と判示し、更に
「取締役が会社を代表して政治資金の寄附をなすにあたつては、その会社の規模、経営実績、その他社会的経済的地位および寄附の相手方など諸般の事情を考慮して合理的な範囲内において、その金額を決すべきであり、右の範囲をこえ、不相当な寄附をなすが如きは、取締役の忠実義務に違反する。」「本件寄附が右合理的範囲を越えたとすることはできない」
とのべている。この献金事件では、昭和35年3月に寄附した350万円という金額は当時の物価の中ではいかに巨額であるか、又右の政治献金は、政党全般に対するものではなく自民党一党にあてられたものであること等々の問題があるが此の際考慮外においても、寄附金というのは本来対価がないもので、それだけ資産の減少をきたす行為であることは明白な所である。無償行為である寄附金を350万円も一政党に対してなすことは、取締役がその任務に背いたとすることも十分できる筋合である。しかし、最高裁は1人の反対意見もなく、これは社会的存在としての会社がなす通常の政治活動の範囲内であるとしてその正当性を公認したのである。一方に於て会社の自民党に対する政治献金にはこのように寛大に正当性の範囲を広く公認し、他方に於て社会的存在としての労働組合の表現活動たるストライキには、表現活動としての正当性の範囲を一切認めないということが一体許されるであろうか。社会的存在としてみれば、一方は資本、一方は労働を表現するもので、会社は金、労働組合は大衆的な活動にそれぞれ、存在の特徴をもつているものである。
[53] これを、右のように差別して取扱つて公平な裁判といえるだろうか。階級的裁判という非難を免れることができるだろうか。矢張り社会的存在たる労働組合についても八幡製鉄の場合と同様表現活動たる争議行為の正当性を上述した通り公認せざるを得ないものと考える。
[54] 上述した通り、今や、4・2安保事件判決に於て引用された、昭和30年11月30日の大法廷判決(昭和41年(あ)第229号、44年4月2日大法廷判決 理由 大川ほか6名の上告趣意第二点について中に引用)の趣旨は変更されなければならない。
[55] 尚右4・2安保事件判決は憲法21条違反の主張に対し右判決を引用するほか
「右罰則はこれを限定的に解釈して適用するかぎりにおいて右規定が憲法21条に違反するものでないことは更に明である」
とし、昭和30年の右大法廷判決から既に半歩ふみ出した観を呈している。今や明かにこの古い公共の福祉論、全体の奉仕者論に基く憲法21条に関する判断に袂別すべき時である。
[56] 更に憲法21条の立場で国公法旧95条5項、110条1項17号について限定解釈をするとすれば、それは憲法28条に基く限定解釈をもつて流用することはできないことを指摘しておきたい。28条について、政治的目的の争議行為はその保障の範囲外だという見解があり得るとしても、憲法21条の観点からみれば、政治的表現行為だからこそ、まさに21条により保障されなければならないからである。
[57] 同様なことは憲法18条についてもいえる。4・2安保事件判決は退職の自由があるから公務員の争議行為禁止は憲法18条に反しないとした昭和28年4月8日大法廷判決(弘前機関区事件)の引用をやめ、「あおり」行為等の限定解釈をすれば、前記諸規定が憲法18条に違反するものといえないと判示している。しかし、ここでも憲法28条に基く限定解釈をそのまま憲法18条に基く限定解釈に流用することは許されない。何となれば、憲法18条の立場よりみれば、所謂政治ストであろうと経済ストであろうと、争議行為に基いて処罰されることに於ては、価値の差がないからである。
[58] かくて、憲法21条よりのアプローチによつても、又憲法18条による見解もこれを補強するものというべきであるが、所謂政治ストがストレートに可罰性と結びつくことはない。国民生活全体の利益に明白、現在の危険があるという程度に達し、表現活動としてみても、その争議行為が正当性の限界をこえる域に達するまでは、未だ、少くとも争議行為そのものとしては可罰性に結びつくことを明にすべきである。
[59] この意味で、被告諸君の行為は、争議行為自体をとつても違法性の強いものということはできず、遂に原判決を破棄して被告らに無罪の宣告をせられたい。
  目 次
一、西ドイツにおける政治スト論争
二、憲法28条と政治スト
三、原判決及び中郵判決の判旨
四、労組法1条1項と2条4号
五、大浜鉱業所事件と三井美唄事件の判旨
六、仙台全司法事件の判旨
七、下級審判例の動向
八、本件行動の目的の正当性
九、結語
[1](一) 1952年、ドイツ労働組合総同盟(DGB)、印刷用紙労働組合は、経営組織法案に反対し、5月27、28の2日間、新聞部門の労働を放棄し、日刊新聞が休刊しました。各社は、使用者団体に損害賠償請求権を債権譲渡し、使用者団体は、DGB、単組及び役員を被告とし、損害賠償訴訟を提起しました。主な論点は法案反対ストは憲法に適合するか。憲法に適合しないとすれば、民事上違法となるか。その根拠法条は民法823条1項か826条か、という点にありました。しかし、本件ストではわが日本と異なり、1件も刑事事件で起訴されなかつたのです。ベルリン地方労働裁判所や、オツフエンバツハ、ウツペルタール、アウグスブルグの各労働裁判所では使用者の損害賠償請求をしりぞけている。ブライブルグ労働裁判所その他多くの裁判所では、民事上違法として、原告の請求を認容したが、刑事上は違法ではないと判示しています。
[2](1) すなわち、ベルリン地方労働裁判所判決(1953・8・17)は、
「本件ストは労働者に不利益な活動をしている連邦議会に対し、注意を喚起し、労働者がこれを是認していないことを表わすためのデモンストレーシヨンである。ベルリン州憲法18条3項は「ストライキ権は保障される」と規定するが、憲法は、ストライキが、使用者以外の者に対して目標をもつばあいでも、純粋な基本権として保障している。」
旨判示しています。
[3] また、フライブルグ地方労働裁判所判決(1953・4・13)は、民事上は違法としたが、刑事上違法でないとし、その理由として、
「2日間という短い期限付のストはデモとみなすべきである。ラジオは影響されなかつたから、ごく限られた範囲のニユースのしめ出しで、使用者の損害も比較的軽微で、国民経済上も重要な意義のあるものではない。被告は、右法案の変更を希望していることを知らせることのみを欲していたと認められる。被告は、社会的に相当な方法で自己の見解を、立法機関に表明する権利を有する。被告は激しいことばで、それ以上の有力な闘争手段に出ることを表明していたが、経験上実行する気持はなかつたと認められる。農民の抗議集会、家主や借家人のデモ行進が、関係法案の議会での審議に当り全国的に行なわれ議員に影響を及ぼすのと同じことである。」
旨判示しています。

[4](二) このように、西ドイツの1952年政治ストをめぐる論争は、全く民事上の次元で問題となつているのであつて、刑事制裁の面では、全く問題にされていないのであります。しかも、西ドイツ憲法は「労働条件および経済的条件の維持改善」という目的のために労働基本権が認められることが明記されています。そのような目的の限定された憲法の基本権条項のもとでさえ、そうなつているのだということを深く考える必要があります。わが憲法28条の規定のもとで、政治ストに刑事制裁を科する如きことが全く不当極まることであるのだということは、この西ドイツの事例からも明らかであります。
(佐藤昭夫、政治スト論。
 古田時博、「政治スト及び同情ストの法理」司法研究報告第16輯第1号)
[5] わが国憲法のもとにおいて、労働組合の政治ストは、憲法28条で保障された団体行動権の一内容であります。憲法28条は「勤労者の団体行動をする権利は、これを保障する」旨規定しています。ここでいう団体行動とは、ストライキ、ピケツテイングを含めた団体行動全般でありますが、その目的については、ワイマール憲法159条やドイツ連邦共和国憲法9条3項のように、「労働条件および経済条件の維持および改善」のためというような目的制限を付しておらず、また、労使の団交に親しむ事項についてのみ団体行動を限定するとも読めません。この点からも同条は、単に経済的目的のみならず政治的目的の団体行動をも保障していることは明らかであります。
[6] 憲法28条の、この権利は、公務員も勤労者であり、かつ、「全体の奉仕者であるとの憲法15条を根拠として、労働基本権をすべて否定することが許されない」(中郵判決)以上、私企業労働組合も公務員労働組合も、ひとしく同様に保障されるのであります。
[7] また、右28条にいう「保障する」とは、第一に、刑事免責、第二に、民事免責、第三に不当労働行為の禁止という3つの内容をいう(中郵判決)のであります。中でも、団体行動をしたことに対して刑事制裁をうけることがないという刑事免責の保障こそは、最もきびしく守るべき大原則であります。
[8] したがつて、労働組合の政治ストを、その目的が政治的なるのゆえをもつて、可罰的違法性ありとし、あるいは、違法性の強度なものなりとするが如き態度は、憲法28条と全く無縁の議論というべきです。

[9](1) 憲法草案審議の議会において、政府もつぎのような答弁をしています。
厚生大臣 河合良成「只今の現行組合法ではやはり労働組合は主として経済の振興を目標とすべきことになつて居りまして、大体の線は経済問題と云うことになつて居りますけれども、絶対的に政治に関与する運動をしてはいかぬと云うことにはなつておりませぬ」(衆議院帝国憲法改正案委員会 21・7・5)
[10](2) 1946年12月の極東委員会「日本労働組合に関する原則」いわゆる16原則は、連合国の対日労働政策の文書ですが、この第5原則によるも
「ストライキそのほかの就業停止は、占領軍当局が占領の目的ないし必要に直接不利益をもたらすと考えた場合のみ禁止されること」
とあつたのみで政治スト禁止の考え方の片りんもありませんでした。

[11](3) 憲法とそれに基づく旧労働組合法の制定に参画された、末広厳太郎博士は、次のように述べております。
「此等(弁護人、註―労働者の政治行動)は何れも労働者の解放、其地位の向上を目的とする行動たるの点に於てすべて之を労働組合当然の活動なりと認めなければならぬ。それが合理的なる範囲を守る限り、法律はその何れをも組合に向かつて禁止することはできない。」(労働法研究51-2頁。大正15年)
[12] また「労働組合法(立法)に関する意見書」では「罷業目的は原則として之を制限せざること」と提案しております。
[13] そして、経済目的外の行動は組合本来の目的から逸脱した行き過ぎの行動だとする非難に対して、
「元来労働組合は労働者の生活欲求から本能的に生れた自動的活動に外ならないのであつて、その目的達成のため彼等のなす行動は情勢に応じて如何ようにも変化すべきが当然であつて、何等の本則的制限はあり得ないのである」「この際の労働者が彼等の生命を守るために政治行動に出で、これによつて問題の解決を図ろうとするのは当然であり、彼等の行動を対使用者の経済行動に限局し得ないのも当然である」(労働法問答、昭和24、61-4頁)
と主張されています。
[14] 末弘博士は、わが労働法の実質的立案者というべき人であり、それなるが故に右の見解は、憲法・労働法の真の趣旨を正しく理解する上での重要な資料である。ここでもいわれているように、労働組合が労働者の生活を守るため、その地位向上のため、情勢に応じて政治スト、政治活動を行なうことも、手段において、合理的な範囲を守る限り当然であり、目的において政治的なるがゆえをもつてそれを禁止制限しえない。これが憲法28条からするきわめて自然な論理の帰結なのであります。
[15] 原判決が、政治ストについて、刑事制裁を免れないという理論づけは、次の1カ所だけで、殆んど理由らしい理由がありません。
「『政治スト』については、既に中郵判決が公労法の適用を受ける公共企業体等の現業職員に対してさえ、憲法28条に保障された争議行為としての正当性の限界を逸脱するものとして刑事制裁を免れないとしているのであるから、いわんや、これらの職員に比しその職務が公共性の強いと認められる国家公務員について、『政治スト』が刑事制裁を免れないのは理の当然である」(原判決第二部(二))。
 本件行為は「給与その他の勤務条件の改善、向上等の経済的なものではなく、警職法改正案に対する反対闘争という政治的なもの」だから正当性の限界を逸脱している
というのであります。(原判決第二部(四))。
[16] そこで、原判決の引用する中郵判決についてみると、中郵判決は、政治的目的にかんしては、次のように判示しています。
「労組法1条2項の適用があるものとしているのは、争議行為が労組法1条1項の目的を達成するためのものであり、……もし争議行為が労組法1条1項の目的のためでなくして政治的目的のために行なわれるような場合……には、憲法28条に保障された争議行為としての正当性の限界をこえるもので、刑事制裁を免れない」
というのです。
[17] しかし、労組法1条1項が「労働者がその労働条件について交渉するために自ら代表者を選出することその他の団体行動を行なうために自主的に労働組合を組織し、団結することを擁護すること」(中段)と規定しているのをとりあげて、同条項は労働条件の維持改善のための団体行動のみを合法とした趣旨だとするのは誤れる議論であります。

[18](1) 第一に、法律の解釈は、憲法と調和しうるよう合理的に解釈さるべきもの(都教組判決)です。そして前述のように憲法28条は労働組合の政治的目的をもつた団体行動も含めて権利として保障している以上、これに反する解釈はできません。

[19](2) 第二に、同条項には政治ストはその目的のゆえをもつて違法とみるべき文言はなく、かえつて「その他の団体行動(「その他の」とは、団体交渉の他の、という意味に理解される。憲法28条の団体交渉「その他の」団体行動、と同義である。)を行なうために自主的に労働組合を組織し、団結することを擁護すること」とあり、ひろく団体行動一般の保護助長が明記されています。
[20] また、1条1項中段には「団結することを擁護すること」が掲げられており、本件警職法案のような国家権力からの侵害に対して団結を擁護することも労組法1条1項の内容となつているというべきです。

[21](3) 第三に、労組法2条4号は、「主として政治運動を目的とする」団体は、労組法上の(労委に対する不当労働行為救済申立権、法人資格取得権、労働者側委員推せん権、協約の地域拡張効力享受権の4つ)を取得しうる法内組合にはなれないとしています。しかし、反面解釈として、「主として」政治運動を目的としない組合、つまり、「主として」経済要求を目的とし、「副として」政治運動を目的とする組合であれば、法内組合として通用するのであります。したがつて、かえつて、労組法は政治的目的の団体行動は容認する立場でつくられているといえるのであります。

[22](4) 第四に、1条1項の字句の変遷も決してその趣旨が変化したことを意味しません。旧労組法制定の際の労務法制審議会の労働組合法案(20・11・25)では、
 本法は団結権の保障により労働者の経済的社会的並政治的地位の向上を助け経済の興隆と文化の進展とに寄与を与うることを目的とす(1条)
となつていました。
[23] 旧労組法(昭和20・12・22法51号)では、
 本法は団結権の保障及団体交渉権の保護助成に依り労働者の地位の向上を図り経済の興隆に寄与することを以て目的とす(1条)
となりました。
[24] しかし、芦田厚生大臣の説明は
「労働組合と雖其の経済上の地位の増進を図る為に或る程度の政治活動をすることは、各国共通の事態であり、又これを労働組合法に依つて禁止する必要もない、併しながら経済的政治的社会的地位の向上と3つこれを並べて書いて置けば、労働組合の本来の目的が甚だ曖昧になつて来る、だから条文としては寧ろ労働者の地位の向上と書いて、其の中には経済的地位の向上と書いて、其の中には経済的地位の向上以外にも従属の目的を持つて居ることを明らかにする方が適当である、斯う考えて本案には簡明な字句を用いた次第であります、此の法案が労働組合の事業として認めて居るものは、主たる目的と従属の事業とを含んで居るのでありまして、決して政治上の運動一切を禁止すると云う趣旨で出来たものではないのであります」(第89回帝国議会、衆院労働組合法案委員会、20・12・11)
[25] その后、24年、現行労組法(24・6・1法174号)で1条1項が現在のようになつたがそのさいの第5回国会衆院労働委員会での鈴木労働大臣の説明によると、旧労組法は旧憲法下に制定されたものであつたから、団結権等の保障の規定が必要であつたが、憲法28条に団結権等の保障の規定が設けられたため、重複をさけ、労働者の団結権等の保障をより具体的に規定し、明確化するために、改正したいというのであります。
[26] したがつて、旧法1条も、現行労組法1条1項もいずれも政治的目的の団体行動について違法視したりいわんや刑事制裁の対象とするような趣旨を含む規定ではないことが明らかであります。
[27](1) しかも、忘れてならぬことは、最高裁の判例の現在の到達点は、決して政治的ストの全面禁止に至つておらず、不明確な点を残しつつも、経済的地位の向上に関連あるものにつき正当性をみとめようとしているのであります。
[28] 最高裁は、大浜鉱業所事件判決において、
「鉱業所長の追放を主張して労働争議をなす場合においても、それが専ら同所長の追放自体を直接の目的とするものではなく、労働者の労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図るための必要的手段としてこれを主張する場合には、かかる行為は必らずしも労働組合運動として正当な範囲を逸脱するものということを得ないものと解すべきである。」(最判24・4・23・刑集3巻5号592頁)
と判示していることです。
[29] もとより、この判例は政治ストについての正面からの判例ではありません。しかし争議目的に関する基本判例として重要です。この判例は、経済的地位の向上を図るための「必要的手段」として行なわれる以上、経済目的以外の目的を掲げても違法目的とはいえない旨判断したのであります。本判例にしたがえば、本件のような労働運動抑圧法案に反対するストについても経済的地位の向上のため必要であるならば正当という結論に到達するのであります。

[30](2) そして、43年12月4日の三井美唄事件における最高裁大法廷判例はこの点を更に一層、明確にしたといえます。
「労働組合は、元来、「労働者が主体となつて自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体又はその連合体」である(労働組合法2条)。そして、このような労働組合の結成を憲法および労働組合法で保障しているのは、社会的・経済的弱者である個々の労働者をして、その強者である使用者との交渉において、対等の立場に立たせることにより、労働者の地位を向上させることを目的とするものであることは、さきに説示したとおりである。しかし、現実の政治・経済・社会機構のもとにおいて、労働者がその経済的地位の向上を図るにあたつては、単に対使用者との交渉においてのみこれを求めても、十分にはその目的を達成することができず、労働組合が右の目的をより十分に達成するための手段として、その目的達成に必要な政治活動を行なうことも妨げられるものではない。」(最大判43・12・4。三井美唄事件)
[31] したがつて、政治ストの名のもとに、違法のレツテルを貼ることはできず、それが経済的地位の向上という目的を、達成するに必要な限りにおいて、正当とみるべきであるという判旨であります。
[32](1) このような判例ののちになされた、44年4月2日の仙台全司法事件判決は、
「あおり行為等を処罰するには、争議行為そのものが、職員団体の本来の目的を逸脱してなされるとか、……違法性の強いものであることのほか、あおり行為等が争議行為に通常随伴するものと認められるものでないことを要するものと解すべきである。」とし、
安保条約反対の職場大会については、「裁判所の職員団体の本来の目的にかんがみれば、使用者たる国に対する経済的地位の維持、改善に直接関係があるとはいえない、このような政治的目的のために争議を行なうがごときは、争議行為の正当な範囲を逸脱するものとして許されるべきではなく、かつ、……裁判事務に従事する裁判所職員の職務の停廃をきたし、国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあるものであつて、かような争議行為は、違法性の強いものといわなければならない。」
と判示しました。

[33](2) また、同判決の岩田裁判官の意見では、
「国家公務員の勤務条件の維持改善、経済的地位の向上およびこれと関連する事項を目的とするものではなく、例えば政治的意図の達成を目的とする」争議行為は、「憲法28条の保障するところではない」
というのであります。

[34](3) 最高裁がこの判決の中で、安保条約反対の目的について、労働者の労働条件や経済的地位と何ら関連のないことだとしていることについては、なぜそうなのかの理由は示されておらず、到底、同意できませんが、今しばらく、それはおくとしても、
このように仙台全司法判決は、政治的目的のみをもつて違法性が強いといつているのではない。「かつ」というのは、政治的目的という1点だけでは直ちに国民生活に対する重大な支障を論証しえないので違法性強度のストと断定しきれず、裁判所職員の行なうストで国民生活に重大な障害をもたらすという理由を加え、むしろ、これに重きをおいて、ようやく「強度の違法性」をみとめたものと理解すべきです。

[35](4) このように、三井美唄判決と仙台全司法判決とを合わせて読むならば、政治的目的の争議行為をすべて、正当性の範囲外とすることはできなくなつていると思うのです。経済的地位の向上と関連あるかぎり、政治的目的の争議行為をも憲法28条の範囲内とする説をとるに至つたと評価できます。ようやく、ここに至つたといえます。しかし、判文必らずしも明快とはいえ難く、本件で、その点を明確にすべきであります。そして、もう一歩すすんで、少くとも、刑事制裁の面では、いわゆる純粋政治スト(安保反対ストなど)についても、違法性のないことを明確にすべきものです。それこそが憲法28条の正しい解釈であります。
[36](1) このような、中郵判決、三井美唄判決、都教組判決、仙台全司法判決の最高裁の考え方をうけて多くの下級審判決は注目すべき判決を出しております。
[37] まず、いわゆる政治的暴力行為防止法(政暴法)反対闘争について、仙台地裁の判決は
「労働者の人たるに値する生活の確保は、単に労働条件の維持改善のみでなく、労働者の社会的一般的地位の向上にまたねばならないので、労働条件以外の一般的経済的条件、たとえば労働法上もしくは社会政策上の現在または将来の労働者の利益の擁護等およそ労働者の社会的経済的な生活上の地位を向上せしめるために必要な行為は、たとえそれが政治的領域に属するものであつても、すべて団結ないし団体行動の目的となりうるものと解さねばならない」(仙台地判45・5・29・労民集21巻2号689頁。七十七銀行事件)
[38] 政暴法案反対の目的の点にかんしては、
「政暴法は、特に濫用をいましめる旨の規定を設けてはいるが、濫用防止の点について手続上必らずしも充分な配慮がなされておらず、関係機関の運用如何によつては、労働者の正当な団結ないし団体活動が不当に制限される結果を生ずる虞れがないとはいえない。そこで労働者がこのようにその成立によつて自己の団結ないし団体行動権を不当に制限される結果が生じないともかぎらない法案に反対することは労働者としての利益擁護の目的内の行為といわねばならず、したがつて、本件政暴法反対闘争がその目的において違法ということはできないのである。」
[39](2) また、大阪地裁の国鉄宮原操車場事件の判決は、
「勤労者に関係のある事項について、国家機関の処置または非難すべき状態に対し抗議する目的のもとに、抗議にふさわしく短時間で、かつ使用者に与える損害が比較的軽微な態様でなされる、いわゆる政治的抗議ストは憲法第28条の保障する団結権または団体行動権に含まれると解し得ないものではないが、仮りに使用者の処理し得ない事項に関してなされた右態様の争議行為による損害を使用者において受忍すべき理由がないものとして、争議行為者に民事上の責任を認むべきであるとしても、その争議行為が現行憲法のもとにおける民主的法秩序を根底から破壊する目的で不法ないし不当な手段で行なわれたものでない限り、その違法性は右の限度にとどまり、社会倫理的規範を根底に有する刑法上の違法性の評価において、直ちに高度の非難に値する法秩序違反として可罰的違法性を具備するに至るというべきではなく、使用者において受忍すべき理由のない損害を与えるという点を含めて、当該争議行為の目的、態様および法益侵害の程度等を全体的に評価して、その可罰的違法性の有無を判断すべきである。」(大阪地判47・4・11。判例時報665号)
[40](3) これに反して、よく引用される名古屋高裁の、全日本検数協会名古屋支部事件判決は、日韓条約反対の時間外就労拒否闘争につき、正当性の限界をこえると判断したが、ここで注意すべきは、同判決が、「少なくとも使用者に対する関係において」正当性の限界をこえる(名高判46・4・10)といつているだけだということです。ここでは刑事上可罰的違法性があるといつているわけではないのです。
[41](一) 以上のような最高裁判例及び最近の下級審判例の到達した現状に立つて本件警職法反対ストについて考えてみましよう。
[42] 警職法改正案の内容は、「かなり広範囲に亘るものであるところ、これらの改正案は規制の基準が明確でなく、警察官による濫用のおそれがあり延いては労働者の団体運動を抑圧する危険が大きいという見地から」反対運動が展開されたのであります(第一審判決 第二、二)。
[43] 全農林中央本部は「組合運動の死命を制する」悪法として、その反対の行動をとつたのであります(指令5号)。
[44] 全農林労働組合は規約4条で「この組合は組合員の労働条件の維持、改善と社会的経済的地位の向上をはかることを目的とする」と定め、5条で、組合の事業として、「この組合は、目的達成のために次の事業を行なう」として、その5号に「組合組織の整備強化に関すること」とある。組合組織の整備強化は、労働条件維持改善のための不可欠的な手段である。ところが警職法改正案は、全農林労組を含む各組合にとつて、「組合活動の死命を制する」ものでありました。これに反対する行動は、正に全農林労働組合規約の定める本来の目的に沿つた行動であります。

[45](二) 改正案をめぐる論議の中で、最大の論点は5条と6条の改正点にありました。5条では制止の要件として、「公共の安全と秩序が著しく乱されるおそれのあることが明らかであつて急を要する場合」を新たに入れようとした。6条では、立入の要件として、「公共の安全と秩序に対する危害が切迫した場合」を新たに入れようとした。「公共の安全と秩序」を警察官の制止・立入れなどの即時強制の要件の中核におこうとしたのです。ところでこの「公共の安全と秩序」概念は、いうまでもなく、「一般条項」であつてすでに日本国民は、旧憲法下において、これに類する「安寧秩序」という名の一般条項による警察官の労働運動抑圧、権利侵害の実例を体験している。たとえば、治安警察法8条は、「安寧秩序を保持するため必要なる場合」に、警察官による集会、多衆運動の制限、禁止、解散することを認めた。同法10条によれば集会における論議が安寧秩序をみだすおそれありと認めれば警察官は論議中止ができた。行政執行法1条は、暴行、闘争その他公安を害するおそれある者に対し予防のため検束を加えることができた。
[46] 出版法19条によれば、安寧秩序を妨害すると認める文書を出版したときは発売頒布を禁じることができた。新聞紙法23条によれば、安寧秩序をみだすと認める新聞に対しては発売禁止差押ができた。これらの条項により、労働運動抑圧、戦争とフアシズムへの歴史がつくられた。
[47] こうした深刻な経験から、「犯罪」とか、「公共の安全と秩序」などの判断権を警察官にまかせたならば、治安警察法の暗黒時代の復活、いわゆる、オイコラ警察の復活をもたらすのではないかと憂えたのは当然であると思います。(この点について、宮内裕、戦後治安立法の基本的性格82頁。)

[48](三) 石川吉右衛門、田中二郎、団藤重光の諸教授が、宮沢俊義教授の司会のもとに、警察庁、法制局の人たちの改正案の経過、説明をきいた上で、団藤教授は、犯罪になるかどうかの認定を警察官にまかせることの危険性について力説し、田中教授は公共と秩序の概念があいまいで、権力者の運用によつて如何ようにも運用されることを指摘し、石川教授は労働運動の弾圧になることを指摘し、田中教授もこの意見を支持しておられるのであります(ジユリスト166号・33・11・15号、2〜24頁の座談会)。
[49] また、ひきつづいて、我妻栄、宮沢俊義、鈴木竹雄、田中二郎、兼子一、石井照久の各教授が、ふたたび座談会で、この警職法改正案の本当のねらいは労働、政治運動の抑圧の目的であることを指摘し、部分的修正では駄目だから撤回すべき旨強調しているのであります(ジユリスト168号、33・12・15号、11〜16頁)。
[50] このように警職法改正案は、わが国トツプレベルの法学者が、労働運動抑圧の法案と指摘し、その廃案を要求していたのです。
[51] 労働条件の維持改善、労働者の地位の向上を達成するためには、労働者が団結し、団体交渉その他の団体行動をすることが不可欠です。したがつて、労働組合の団結活動、団体行動を抑圧する法案に対して反対することは、すなわち、労働条件維持改善のための活動です。これこそ労働組合の本来の目的のための当然の行動であります。
[52] もとより、スト以外のいろいろな方法があります。請願、署名、集会、デモ、国会の会議での質問等他のすべての手段を尽すも、政府、与党が多数をたのみ、強行採決をはかろうとしているのに対して、最后にのこされた手段たるストライキを、自らの賃金を失う不利益とスト資金の徴収をされる損失をも敢えて覚悟の上で、行なうことは、全く憲法28条の保障する範囲内の正当な行為であります。
[53] 決してそれに対して刑罰を以つて制裁すべき可罰的違法行為ないし、違法性の強度な行為ではありません。これと異なる判断をした原判決は、この点で破棄さるべきです。
■ 弁護人高橋清一の弁論要旨
  中郵4・2判決と国際労働常識
  目 次
一、はじめに
二、ILOと国際労働常識
 (一) ILOの歴史と労働組合権
 (二) 日本とILO
 (三) ILOと国際労働常識
三、ILOにおける労働組合権の保障と争議権
 (一) ILOにおける労働組合権の保障とその発展
 (二) ILOにおける争議権
四、先進国の労使関係と国際労働常識
五、中郵、4・2判決と国際労働常識
[1]私は、ILOなどを中心としてみられる国際労働常識と、そこにおける労働組合権の保障、就中、公務員の争議権についてふれ、最高裁判所大法廷の中郵、4・2判決がこれらといかなるかかわりがあるかを明らかにし、検察官の主張が国際労働常識に逆行するものであることを示したいと考える。
(一) ILOの歴史と労働組合権
[2] ILOの半世紀をこえる歴史のなかで、第二次大戦前と後では、重要な変化がある。1919年にILOが、ヴエルサイユ条約第12篇「労働」に基いてできてから、第二次大戦が勃発するまでの間、ILOが採決した条約・勧告は、すべて、労働条件乃至労働基準についてのものであつた。これに対し、第二次大戦后には、それに外にも労働組合権に関する条約や勧告を採択し、またその適用状況の監視や労働組合権の保障のための機関を積極的につくりだしていつた。
[3] もともとILOは、「世界の永続する平和は、社会正義を基礎としてのみ確立することができる」(国際労働機関憲章前文)という認識のもとに、普遍性の原則(門戸開放主義)と三者構成(政府・使用者・労働者)の原則を基本原則として活動してきた。
[4] しかし、第二次大戦前には、おびただしい国際労働保護基準を採択しながら、フアツシズムの嵐を防ぐことができなかつた。
[5] この反省は、1944年のフイラデルフイア宣言のなかで、
「表現及び結社の自由は、不断の進歩のために欠くことができない」
「一部の貧困は、全体の繁栄にとつて危険である」
という根本原則を再確認した上で、
「永続する平和は、社会正義を基礎としてのみ確立することができるという国際労働機関憲章の宣言の真実性が経験上充分に証明されている」
とうたわれている中に反映している。このフイラデルフイア総会を主催したアメリカのルーズヴエルト大統領の言葉をかりれば、まさに時代のあこがれを要約したという、格調の高いこの宣言は、国際労働機関憲章の附属文書となつている。
[6] こうして、第二次大戦后には、ILOは、労働組合権保障との関連で、87号条約、98号条約、105号条約、91号勧告、92号勧告を採択し、国連との協力のもとに、結社の自由に関する事実調査調停委員会を設定するなど労働組合権保障のための努力をはらうに至つたのである。

(二) 日本とILO
[7] ここで、わが国とILOの関係についてふりかえつてみよう。
[8] わが国は、第一次世界大戦の戦勝国であり、ヴエルサイユ平和条約を批准し、国際連盟の原連盟国であつて、同条約387条2項によつて当然ILOの締盟国であつた。しかし、国内では労働組合は、治安警察法、治安維持法などのもとで極度に弾圧されており、したがつて当然ILOに対してもこれを軽視する態度をとつていたことはいうまでもない(戦前のこの弾圧立法の警察による運用の思い出は、本件警職法反対闘争の性格を考える上で重要である)。
[9] ILO第1回総会は、1919年に、1号条約(「工業的企業における労働時間を1日8時間且1週48時間に制限する条約」)を採択したが、わが国は、その特殊性を主張し、その9条で、「本条約の日本国に対する適用に付ては、左の変更及び条件を加えられるべし」として、(a)から(h)まで、詳細にわたる適用の変更および条件を規定させておきながら、この条約を批准せず、ついに今日まで批准しなかつた(このような適用の一部または全部の除外は、日本のほかには、英領インド、支那、ポルトガル、ギリシヤにみとめられた)。
[10] わが国は、1940年には、ILOを脱退し、翌41年12月8日には、真珠湾の奇襲攻撃を契機に太平洋戦争に突入していつた。
[11] わが国は、戦后、1951年にILOに再加盟を認められた。その審議をした国際労働総会で、イギリスの労働者代表アルフレツド・G・ロバーツ氏は、日本政府に、憲章の精神を誠実に実行する意思があるかないかが問題であるとした上で、次のように述べている。
「日本の労働者は、今日、現行日本憲法の下にあつて、日本歴史上いかなる時代よりも、より大きな自由と、よりよい社会条件とを享受しているということである。われわれは、これらの自由と社会水準が単に維持されるだけでなく将来拡張されるのを見たいと願うものであり、そしてまた、この機関が、これらの目的の達成を助力できると確信するが故に、全世界から集つた労働者として、われわれは、この機関に加盟を申出た日本政府の申請書に含まれている宣言と厳粛な保障とを、誠実をもつて受け容れるものである。」
[12] またフランス政府代表ポール・ラマジエ氏(前首相)は、次のように述べている。
「フランス政府は、日本のILOの再加盟に対し賛成投票をする。フランス政府は多くのフランス人によつて、非常に苦痛であつた過去の記憶を、くどくどしく申立てることなく、この提案に賛成するものである。投獄の長期の苦痛、竹の棒による苔打、古い型に加えるに新らしい型の拷問を記憶しているのは、単に、われわれのアジアの友人ばかりではない。もし、われわれに、心のままをいわせるならば、われわれの記憶と悲しみのために、この提案を前にして賛成し兼ねる理由を持つにちがいない。
 しかしながら、この提案は、そのような目を以て見るべきではない、過去を審判するのは、われわれの仕事ではない、歴史がそれを審判するであろう。われわれが此処に会合したのは、過去をふり返えるためではなく、将来を期待するためである。……日本では資本主義は強いであろう。しかし、それが、却つて益々、日本をILOの仲間に引入れねばならない理由である。」……「われわれは、この機関の普遍的性格と、社会進歩の偉大な運動に、すべての国、特に国際市場に近接する手段を相当に持つ国を包含する必要があることを忘れてはならない。昨日の日本は、輸出国としてわれわれの間に知られていた、その時代においても、ILOの会議に日本が欠席することは、単に日本にとつてのみならず他の国々にとつても不幸であると、われわれは、時々感じたのであつた。
 それ故、われわれは、この放蕩息子の帰宅を迎えよう。そして、非常に特異な経験を経てきた日本が、最も秀れた経験とは社会福祉をより高い段階に導くことにあると、将来、同意するであろうことを、われわれは希望しよう。」(註1)
[13] ILO再加盟後、わが国は、労働組合権に関連する条約については、1958年に98号条約を批准したが、87号条約はILOの度々の勧告にもかかわらず長くこれを批准せず、結社の自由委員会の十数次いわゆる報告、結社の自由に関する事実調査調停委員会(いわゆるドライヤー委員会)の来日をへて、ようやく1965年に批准した。しかし、105号条約はまだ批准していない。
(註1) 「ILO問題と自民党政府――ILO第87号条約批准問題をめぐる政府、自民党の動向を示す資料――」労働法律旬報474号所収12頁。
(三) ILOと国際労働常識
[14] ILOの条約や勧告は、「全世界のすべての人民に充分に適用できること」(国際労働機関の目的に関する宣言5)を前提にしており、しかも、総会の3分の2の多数で採択されるものであり、国際的労働常識を反映している反面、ゆるやかな最低の基準を示していると考えられる。憲章19条8項が、「いかなる場合にも、総会による条約若しくは勧告の採択又は加盟国による条約の批准は、条約又は勧告に規定された条件よりも関係労働者にとつて有利な条件を確保している法律、裁定、慣行又は協約に影響を及ぼすものとみなされてはならない」と規定して、このことを明らかにしている。また、87号、98号条約は、軍隊及び警察に対する適用除外を定めているが(9条1項、5条1項)、その際にも「加盟国によるこの条約の批准は、この条約の保障する権利を軍隊又は警察の構成員に与えている既存の法律、裁定又は慣行に影響を及ぼすものとみなされてはならない」(9条2項、5条2項)として、このことを明らかにしている。
[15] 条約や勧告に基いてなされるILO諸機関――結社の自由委員会、結社の自由に関する事実調査調停委員会、条約勧告適用専門家委員会など――の報告・勧告も同様である。
[16] また、国連やユネスコがILOに協力していることも、ILOの諸論議が国際労働常識を反映することに一層役立つているといえる。
[17] とくに労働組合権については、わが国のように憲法上の保障をもつている国は少いことを考えあわせれば、それらの中で形成される基準が最低のものであることは一層明瞭となる。
(一) ILOにおける労働組合権の保障とその発展
[18] ILOの歴史において、労働組合権の保障に努力をはらうようになつたのが、第二次大戦后の重要な特徴であることは前述したところである。ILOにおける労働組合権の保障は、条約、勧告の採択、その適用状況の監視機構、労働組合権侵害の申立の審理機構の3つをあげることができる。第一に、ILOは、1948年に、87号条約(結社の自由と団結権の保護に関する条約)、1949年に98号条約(団結権および団体交渉権についての原則の適用に関する条約)、1951年に、91号勧告(労働協約に関する勧告)および92号勧告(任意調停及び任意仲裁に関する勧告)1957年に105号条約(強制労働廃止に関する条約)を採択し、同年「ILO加盟国における反組合法の廃止に関する決議」をおこなつた。
[19] また1966年にILO第50回議会は、国際人権年に対するILOの寄与に関する決議を採択した。その中で、人権7条約をあげ、これらの条約を批准している国はその完全な適用を、まだ批准していない国は1968年(国際人権年)末までに批准することを要請したが、その7条約の中には、87号条約、105号条約がふくまれている。
[20] 第二に、ILOの条約や勧告の適用状況を監視する機構としては次のようになつている。
[21] まず批准した条約については、各当事国は、毎年その適用状況をILO事務局に報告する(憲章22条)。理事会には、この報告を審議し、条約がこれを批准した当事国において完全に適用されているかどうかの意見を理事会に通知するため、条約勧告適用専門家委員会が置かれている。また、加盟国は、条約を批准しなかつた場合にも、条約で取扱われている事項に関する自国の法律および慣行の現況を、理事会が要請する適当な間隔をおいて、ILO事務局長に報告する義務を憲章19条5項(e)で受諾している。この報告についても、条約勧告適用専門家委員会の審議を経て、最終的には承認のため総会に付託される。右の条約勧告適用専門家委員会の機能からすれば、同委員会は、総会の承認を条件として、ILO条約について有権的に解釈する権限をもつことは明らかである。
[22] 条約勧告適用専門家委員会の1959年、1962年、1968年の一般意見(ジエネラル・リユークス)は、とくに重要である。
[23] 第三に、ILOでは、さらに、労働組合権侵害の申立に対拠するために、結社の自由に関する事実調査調停委員会、結社の自由委員会が設置されている。
[24] 結社の自由に関する事実調査調停委員会は、国連との協議により、1950年1月の理事会で、ILOに設立することが決定され、同年2月の国連経済社会理事会で承認されたものである。
[25] 国連の経済社会理事会は、1947年、AFTUとAFLの要請により、「労働組合権の行使および発展に対する保障」の問題を審議した。経済社会理事会は、審議のうえ、ILOに対して、労働組合権の問題を次回総会の議題とするとともに、その審議結果を報告するよう要請する決議を採択した。ILOは、1948年の総会で、87号条約を、49年の総会で98号条約を採決するとともに、「結社の自由を保障するための国際的機構に関する決議」を総会で採択し、これが、結社の自由に関する事実調査調停委員会として結実したのである。結社の自由に関する事実調査調停委員会は、国連との合意に基づき、付託される労働組合権侵害に関する申立事件を調査し、申立事実を確認し、合意により困難の調整をはかることを目的として関係政府とその事態を討議するため、ILOに設置されたものである。
[26] 結社の自由委員会は、右の事実調査調停委員会があまり多くの申立をうけて審理が混乱しては困るという配慮から、そのいわば予審を担当するものとして、1951年11月に、理事会に設置されたものである。
[27] 結社の自由委員会は、このように予審的なものとして設けられたが、申立事件解決のための調停的機能を認められているので、多くの申立事件を解決してきたことは周知のところである。
[28] その際には、「労働組合の諸権利に対する侵害の事実」が審理の対象となつており、必ずしも、特定の条約の解決や適用に限られておらず、また87、98号条約を批准しているといないを問わず、はたまたILOに加盟しているか否かを問わず、世界中の労使団体からの申立を審理できる道をひらいていることが大いに注目されるところである。
[29] このように、ILOでは、労働組合権の保障は、関連する条約・勧告・決議の採択のみならず、その適用を監視する機構、またひろく労働組合権侵害を審理する独自の機関を設置することによつて大いに発展してきている。
[30] このような中で、争議権についてはどう考えられているか、就中公務員の争議権についてはどうかを次に考察してみたい。

(二) ILOにおける争議権
[31] 87号条約では、その文言上、直接には、争議権の言葉はみられないが、10条は、労働者団体とは、「労働者の利益を増進し且つ保護することを目的とした」ものすべてをいうとし、3条で、「労働者団体は、……その規約及び規則を作成し、完全な自由の下にその代表者を選び、その管理及び活動を定め、並びにその計画を立案する権利を有する」と定めている。
[32] 結社の自由委員会は、「ストライキ権は、労働組合権の本質的な要素である」「労働者及び労働者団体のストライキ権は、それらの職業上の利益を増進し、かつ擁護する不可欠の手段である」(註2)であることをくり返し明らかにしている。
[33] 結社の自由委員会は、ストライキ権が右のようなものであるから、その制限・禁止は、労働者団体がすべての段階で参加することができ、不偏不党の且つ一たん決定が下されたとき両当事者を拘束する適切且迅速な調停・仲裁手続という代償手段をともなわなければならないこと、さらにはその業務の中断が公共の困苦を生ずるがゆえに基幹的なものと然らざるものとを一律に取扱うべきではないことを明らかにするに至つた(註3)
[34] 条約勧告適用専門家委員会は、1959年の87号条約に関する一般意見のなかで、
「68、公権力の名において行動する公務員以外の労働者によるストライキの禁止の問題は、しばしば複雑かつデリケートな問題を提起する。かかる禁止が、時として労働組合の活動可能性を相当に制限することは確かである。これが若干の国において、若干の場合においては、性格的には暫定的なものに過ぎず、かつすべての調停手段がつくされることを目的とする。この禁止が、不可欠の業務に対してのみ適用される理由である。しかし、不可欠の業務の概念の範囲は、若干の国においては著しく制限されている一方、他の国においては、それは時としては農業をさえ含む、多数の経済活動を包含するように思われる。他の国においては、ストライキ開始前につくさなければならない強制的調停手続きは、すべての経済活動の分野に適用される。最後に若干の国では、団体はストライキの武器を使用する権利を有せず、3カ国においては、この禁止は一定の労働者に対してのみ適用され、他の3カ国においては、この禁止はすべての労働者に対して適用されるように思われる。
 いずれにせよ、この禁止は結社の自由および団結権擁護条約(1948年、第87号)の第8条第2項に反する可能性がある(第8条第2項によれば「その国の法律は、この条約に規定する保障上特に職業上の利益を防衛するための労働組合の行動の自由を阻害するようなものであつてはならず、またこれを阻害するような方法で適用してはならない」)。」
[35] こうして、1959年に至つて、ILOは、87号条約自体の解決として、右条約がストライキ権の保障をふくむことを明らかにしたのであつた(検察官が、87号条約は、争議権を保障していないと主張することの誤りは以上によつて明白である)。
[36] ところで、公務員の争議権についてさらにみてみよう。
[37] ILOの労働組合権に関する条約、勧告、決議で、公務員一般に特例をもうけていないのは、87号条約、105号条約、91号勧告、92号勧告、1957年決議で多岐にわたつている。
[38] 92号勧告は、任意調停、任意仲裁に関するものであるが、そこでいう「任意」とは、調停・仲裁が当事者の意思を媒介とする意味ではなく、争議行為を行いうる状態においての調停・仲裁という意味で用いられており、換言すれば争議権を前提にしている。なお、この勧告には、「この勧告の規定は、争議権をいかなる方法でも制限するものと解してはならない」と規定されている。
[39] 91号勧告は、団体交渉と労働協約に関するものである。
[40] 91号勧告も92号勧告も、労働組合権保障の一環として、87号条約、98号条約と同時に提案され、審議のための時間確保の必要上、2つの条約よりおくれて採択されたものである。
[41] 105号条約は、「労働規律の手段」および「ストライキに関与したことに対する制裁」としての「すべての種類の強制労働」を禁止している。
[42] また「ILO加盟国における反組合立法の廃止に関する決議」は「争議権をふくむ組合の諸権利の労働者による実効的かつ無制限な行使を確保する」ために、既存の反組合法を廃止し、確保するに足る法律を制定することを要請している。
[43] 地方公務員についての特例を設けているのは98号条約のみである。それも「国の行政に従事する公務員」であり、それについてすら、後述するように、削除が示唆されるに至つており、少くともその範囲についてはさらに限定して解釈される方向に向つているのである。
[44] ところで、公務員の地位について、注目すべきものは1963年に理事会の決定でジユネーブで開かれた公務員専門家会議(「公務員の労働および勤務条件に関する専門家会議」)である。
[45] この報告にあらわれた専門家の意見の意義は、第一に、87号条約に規定する保障が、公共労働に従事する労働者に差別なしに(87号条約9条1項が、この条約に規定する保障を軍隊及び警察に適用する範囲は、国内法令で定める、とすることを唯一の例外として)適用されることを明言したことである(報告書、結論3項)。そして、ここにいう「公共労働に従事する職員」に限定して考察されていることである。第二は、右の意味での公務員に、87号条約に規定する保障が差別なく適用されることの論理的帰結として、公務員専門家会議が、条約勧告適用専門家委員会が1959年の「一般意見」で87号条約2項の解釈基準を示したことを注目し、とくにその69項が、右の意味での公務員(公権力の名において行動する公務員)について、87号条約の適用上若干の差別をしているとも解する余地のあることを考慮し、理事会に対し、憲章19条5項および22条の報告を87号条約について求めるよう、また、その報告を審議する機会に87号条約が公務員に無差別に適用されることが強調されるよう、また、右「一般意見」66項におけるような疑義が生ずることを防ぐため国際文書の修正、とくに98号条約6条の削除が考慮されるよう、示唆した点にある(6項ないし9項参照)。公務員専門家委員会の報告にあらわれた意見の意義の第三は、一定の制約のもとで92号勧告に定義されたような任意的調停仲裁制度を右の意味での公務員の労働関係に確立すべきことを明らかにしたことである(報告書、決論39項参照)。
[46] この公務員専門家会議に、専門家の1人として出席した早稲田大学の中山和久教授は、現地から日本によせた便りの中で次のように述べている。
「その討論の充実したありさまは、これが国際会議かと目をみはる思いがしました。儀礼的なことは一切ぬきにして、直接問題の核心にぶつつかり、論じあうこと、それも論理的にどうかということよりも常に実際的(プラクテイカル)にどうかということが常に問題にされました。日本でいえば、公共の福祉論とか、全体の奉仕者論とかいつた飾り文句は、一度たりとも顔を出すすきがありませんでした。そればかりか、議会が立法、財政権をにぎつているということも討論の主題にはなり得なかつたのです。協議の結果到達した合意や団体交渉の結果締結した協約(その両者の区別すら明確につけなかつたことは前述のとおりです)が、それらの議会の権能とぶつつかる場合のあることは当然意識されているのですけれども、そのことは実際上協議と団体交渉を奨励し促進していく上に、障害にならないーないしはなつてはならないと考えられていました。
 東方の「法治国」から訪れた私にとつて、そのことは全くとまどわせられました。」……「やれ法定事項だ、専権事項だ、管理運営事項だ、あるいは施設管理権だといつた法理論が横行し、公務員の団結とその機能が二次的な取扱いしか受けていない国から来たものについて、それはまるで次元が異るかのような錯覚すら覚える新鮮な驚きでした。
 スイスに来てみると、日本はいろんな面で高く評価されています。ドイツ人すらもが日本のカメラをもつて良いカメラとほめたり、工業水準の高いことを賞讃したりします。そうしたなかで、なぜ労使関係について、アフリカの新興諸国にまで呆れられるほどの後進性をもつていなければならないのか、夕闇みのせまるレマン湖の水面をみつめながらしみじみと考えています。」(註4)
[47] この公務員専門家会議以後、理事会の結社自由委員会は、この会議の意見を考慮し、結社の自由についての87号条約の規定の適用については、公務員を区別しなくなつた。
[48] これは、日本についての54次、58次、64次報告にみられるところであるし、またドライヤー報告にもあらわれているところがある。
[49] なお、検察官は、ドライヤー報告は、重要な経済分野に関するもので、公共企業体、国有企業、地方公営企業を対象にしているのであつて、一般職の非現業国家公務員に推し及ぼすべきでないと述べているが、このことは明白に誤つている。1963年の公務員専門家会議は、既に述べたように公務員につき幅の広い概念を用いているし、ドライヤー報告はこの2つをうけている。かえつて、日本の現業公務員、非現業公務員という概念は記して一般的なものではない。またドライヤー報告自体からも、検察官の主張の誤りは明らかである。
[50] さらに、1962年と1968年の105号条約に関する条約勧告適用専門家委員会の一般意見が注目される。前者は、中間的なものであつたので、後者を主としてみてみたい。これには、2人の少数意見があり、残りは多数意見であるが、その多数意見の中には、横田喜三郎元最高裁長官がふくまれている。
[51] この一般意見の126項は、
「非常事態におけるストライキ権の一時的な中止について触れた評価基準――つまり住民の生存および生活を保護する必要性――はまた、1957年(105号)条約で、公務またはその他の不可欠な役務におけるストライキを禁止する法規の適合性を審議するばあいの基礎となるものである」
と述べた上で、
「いくつかの国々で、この点について設けられている禁止は、条約と適合するというにはあまりにも一般的な範囲におよんでいるように思われる。たとえば、その業務の性質にかかわりなくすべての公的庸用に従事する者に適用される場合」
として註をあげ、ここでは、ギリシヤ公の被用者の団体に関する法律3、6条、日本・国家公務員法98条・110条17号、地方公務員法37条・61条、結社の自由に関する事実調査調停委員会報告2134項、―2139項、東パキスタン公務員、アラブ連合刑法があげられている。さらに同項は、
「または――厳格な意味での不可欠な役務に加える――通常の状況下では、その中断が必然的に住民の生存または生活をあやうくするものでないような、産業および役務をカバーするばあいがそれである。いくつかの事例では、不可欠な役務におけるストライキが禁止される場合、常識の解決のための代償的手続が常に設けられてはいないようである」
と述べている。この後の部分の註であげられている国名のみをあげれば、ドミニカ、ケニヤ、オランダ、トリニダツド・トバコ、トルコ、マレーシヤである。
[52] この報告書は、政治ストについても次のように述べている。
「いくつかの国々では、労働逐行義務をふくむ制裁のもとに、政治的目的のためによびかけられたストライキ、そのストライキ労働者たちが関係している職業または産業における労働争議の促進以外の目的、またはかかる目的に付加する目的をもつストライキ、あるいは同情または連帯ストライキを禁止する法則がある。このような禁止は、広汎な、変つた状況をカバーしうるものであるので、1957年(105号)条約の遵守についての精密な効果は、したがつて、問題とされている法制の具体的適用にかかつているようにみえる」(128項)。
[53] つまり、政治ストを禁止する法律については、抽象的によい悪いを論ずるのではなく、これがストライキに具体的にどう適用されるかによつて105号条約に違反するか否かが明らかとなつてくるというのである。因みに、政治ストに対して刑罰を課する例として右報告書にあげられているのは、バハマ、ブラジル、トルコといつた後進国であることも注目される。
[54] なお、この間に、教師については、1958年と1963年の2度にわたつて専門家会議が開かれ、1966年には、ILOとユネスコの教員の地位に関する勧告が採択された。その84項は、公務員たる教師についても争議権を保障している。この点につき、日本の文部省側は、当時、84項の意味を異なつて解しようと強弁したが、1970年のILO・ユネスコ合同専門家会議は、
「『勧告』の規定は、ストライキ権が教師にも与えられるべきであるということを想定している。……また多くの国では、公務員の身分をもつ教師は、公務員全般に適用される規定の下にストライキ権を否認されているようにみえる。『勧告』の84項に公務員の身分をもつ教師とその他の人びとの区別をしていないので、当委員会は、このような制約は『勧告』の条項と両立しないものと結論する」(42項)。
[55] 1971年にILO第1回公務合同委員会が開かれた。これは、ILOの歴史のなかではじめてのことである。ここで「合同」というのは「労使同数」という意味である。元来、ILOは三者構成の原則をとりつづけてきた。そして、それは一般的にはそれなりの意味があつた。しかし、公務員の場合には、政府は使用者そのものである。三者構成では調和をはかることはできない。その意味で、このはじめて開かれた同数委員会は非常に注目される。
[56] この会議に先立つてILOで準備した質問書に対する回答をまとめた報告書は、次のようにのべている。
「公務員の要求を押し通すためのストライキ行動は、違法とは考えられなくなつたかあるいは、単に禁止するだけでは防止できない社会的事実であると政府が受けとつている例がますます多くなつた」。
[57] ILOのジエンクス事務総長は、開会演説の中で次のような趣旨の発言をしている。
「当局者が雇用条件を一方的に決定するという時代から対話によつて到達した決定を行なうというトレンドが支配的になつている。団結権の制限、協議や団交の限界、不満足な紛争解決方法などは姿を消す傾向にある。国家の主張と模範的使用者としての承認された慣行の調和を図ろうという方向にますます向つている。多くの国の公務員が民間部門の労働者と同じ権利を要求するようにますますなつていることが、この状態の中での重要なフアクターである。」
[58] 会議は、2つの決議を採択したが、そのうち「公務員の結社の自由及び雇用条件決定にあたつての職員参加の手続」は次のように述べている。
「公務員合同委員会は、……1963年公務員の労働および勤労条件にかんする専門家委員会の結論の適用を勧告し、公務員の団体及びその代表がその職務遂行のために便宜を与えるべきと言う専門家委によつて強調された要望を特に参照し、ILO条約87号は完全に公務員に適用されることを考慮し、1949年団結権、団体交渉権条約(98号)が、「国の行政に従事する公務員の地位を取扱うものでない。」としているにもかかわらず、いくつかの国々でそれらの公務員がこの条約の規定の全部または一部の適用をうけていることを認めた。
 公務員が、98号条約にしたがつて、労働組合の自由を妨げるおそれのあるすべての行為から、適当な保護をうけるべきであることを考慮し、
 給与および社会福祉をふくむすべての雇用・労働条件の決定に関する決定が、それらの決定の形成にあたつて公務員の参加をゆるすような団体交渉または、その他の方法を通じておこなわれるべきことを勧告し……他の労働者の団体が、その正当な利益を守るために、通常用いる他の諸手段にうつたえることを、公務員の団体について不必要なものとすることを目的として、雇用条件等から生ずる紛争の解決をとりあつかう、あつせん、調停ならびに任意仲裁のような適当な合同の機構のもつ重要性を強調し、……」。
[59] この会議に出席した名古屋大学の室井力教授は、朝日新聞に次のような感想をよせている。
「今回の会議に出席して、著しく印象的だつたのは、GNP世界3位を誇る「大国」日本の政府の立場が、国際議場でほとんど孤立している感さえあつたこと、2〜3の労働側代表が、日本政府の発言を聞きながら、日本政府は「中世的」だとすら筆者に語つていたことであつた。労働組合の側からは全く不満足な、妥協的な国際的最低基準にすら達しない公務員法制を堅持しつつ、公務員労働運動を敵視する日本政府の公務員政策に破綻のくる日もさして遠くはないであろう。」(昭和46年6月19日夕刊)。
[60] なお、争議行為について、一般組合員による争議行為への参加と、組合役員による煽動行為とを区別するわが公務員法のような考え方は、ILOにはなじまないことを一言しておきたい。
[61] それは、ひとしく、ILO105号条約1条(d)項のストライキの「関与」のなかに含まれるものである。
[62] さらに、前述のような2分した考えにたつて後者に刑罰を科することは、それ自体、組合の結社の自由を侵害するものであり、まさにILO87号条約に違反するものである。
[63] 結社の自由委員会の12号事件(アルゼンチン)についての第6次報告書は、このことをはつきりと言明している。
281、ないし284(要旨)、アルゼンチンでは、「国家の安全に反する犯罪阻止に関する1945年1月15日法」によつて、(1)政治的争議行為、(2)公共事業における争議行為、(3)当局によつて違法と判断された争議行為の教唆、せん動が犯罪とされ、体刑を科される。
286、ないし288(要旨)、以上の規定は、「スパイ、怠業および反逆抑止に関する1950年10月11日法」の規定によつて、さらに強化される。
296、委員会は、公安にかんする法規に含まれているストライキにたいしこれらの規定を適用する必要性を、これまで見出せなかつた旨の政府陳述に留意するとともに、これら規定を、職業上の利益を増進擁護するため労働組合の指導者が自己の通常の任務を遂行した場合に、これに対しては適用することができないような態様で上記諸規定を改正することが望ましい旨、政府の注意を喚起するよう、理事会に勧告する。
(註2) 2次報告イギリス、ジヤマイカ28号事件、25次報告ドミニカ191号事件、28次報告チリー134・141・153・154号事件等。
(註3) 6次報告インド5号事件、6次報告トルコ50号事件、54次報告日本179号事件等。
(註4) 中山和久「公務員の労働条件について――公務員専門家会議に出席して」労働法律旬報512号6頁。
[64] 先進諸国における公務員の労働基本権については、既に答弁補充書(二)(長崎事件)で述べたところである。
[65] 検察官は、ニユーヨーク州では、ストライキに対する罰則が強化されたと述べている。しかし、逆に、1970年にハワイ州、ペンシルバニア州で成立したハワイ公法、ペンシルバニア公務員労使関係法では、仲裁付託を争議権と並んで選択的に認めている。前者では、ストの制約は、公衆の健康もしくは安全を、緊急もしくは現在の危険に影響する場合のみであり、後者では、公衆の健康もしくは安全及び福祉を現在かつ明白の危険の程度にまで害される場合である。適用除外は、前者にはなく、後者には警官、消防夫、交通局職員、精神病院職員、監護職員のみである。
[66] カナダでは、1967年に加連邦公務職員関係法が成立したが、ここでは調停手続の前置と、仲裁手続選択を条件に争議権が保障されている。
[67] 英国では、1971年に、労使関係法が成立したが、ここでは争議権保障を一般規定に定めた。この法律の特徴は、山描ストを非合法とした点にある。また重要公務の制限は、60日間の緊急調整としてあるのみである(註5)
[68] 先進国における労使関係について考える上で、ここでは、イギリスのドナヴアン・レポートにふれてみたい。ドナヴアン卿を議長とする「労働組合と使用者団体に関する王立委員会」は、1968年に厖大な報告書を発表した。この報告は、労使関係の改革は、ストライキに対する罰則や規制にはあらずして、団体交渉制度を構成しなおすことにあるとしたのであつた。この報告は、労働党内閣から保守党内閣に変つたなどの事情のため、そのまま採用されてはいないが、多くの示唆するものをふくんでいる。
[69] 検察官は、西ドイツのカイザー教授の1959年の著書を引用しているが、同教授の所説は、検察官引用の部分のみからみても、「階級戦争」などという用語をつかつている点からみても相当程度、公務員労使関係の実情の認識がかたよつていることがうかがわれる。
[70] かえつて、ブレーメン大学教授、ヴオルフガング・ドライブラーの近著「公共的職務におけるストライキ」(1970年)によれば、1949年ドイツ連邦共和国創設当時からすでに官吏のストライキを肯定する見解として、ニツパーダイ(ケルン大学教授。連邦労働裁判所初代長官)、エンダーレをあげ(28頁)、さらに1965年頃からは、ズアマン、ロイス、メスナー、ラム、ヴイトヘルター、ベンツ、マウンツ、メンツエル、ホフマン等の官吏スト禁止に対する批判的見解があらわれている(29頁)。また官吏ストの実例としては、1962年の鉄道・郵便の遵法闘争、68年の郵便の遵法闘争、68年末のヘツセン州の教員の10時半の授業打切り、ヘツセン州の裁判官が法廷を30分間中断したことをあげている。しかしこれらはいずれも裁判所の問題にはまつたくなつていないのである(4、24頁)。
[71] 西ドイツでは、官吏、雇員、労務者という3区分があるが、これについてもその質的差異の実体が崩壊しつつあり、1970年連邦政府による「公勤務法改革のための調査会」が設置されるに至つた。なお、西ドイツでは公務員の政府との間の協約締結と、国会の権能との関連についてはまつたく問題とされていないことも大いに注目されるところである(註6)
(註5) 桑原昌宏「外国官公労働法の最近の動向」日本労働法学会誌39号
(註6) 塩野宏「西ドイツ公勤務法の改革問題」ジユリスト505号
[72] 中郵、4・2判決が、労働基本権の本質と、これに対する制約が合意とされるための4条件を明らかにし、実定公務員法のストライキ禁止・処罰規定に合憲的限定解釈を施し、実行行為と通常随伴行為の不処罰を明らかにしたのは、まさに前述の国際労働常識に合致するものをふくんでいる。
[73] 私は、最高裁判所大法廷が、本件においても右の点を貫徹しつつ、国際的にみても、歴史的にみても恥じない判断をされることを要望して弁論をおわる。
■ 弁護人新井章の弁論要旨
  農林省職員の争議行為と「国民生活全体の利益」
  目 次
第一、はじめに――問題の所在
第二、「非現業」国家公務員の争議行為と「国民生活全体の利益」
  一、「非現業」国家公務員の争議行為と「国民生活全体の利益」
  二、「非現業」国家公務員の争議行為に関する仙台安保事件の最高裁大法廷判決の意義
   (一) 「非現業」国家公務員の争議行為を全面一律に禁止・処罰する国公法98条旧5項、
      110条1項17号の違憲性の指摘とその意義
    1 右仙台安保事件の最高裁判決の判示
    2 右判示を支える客観的根拠――公務員事情の歴史的変化
    3 立法の沿革
     (1) 旧労組法の場合
     (2) 旧労調法の場合
     (3) 政令201号以後
    4 まとめ
   (二) 「たとえ短時間のものでも、その職務の停廃が国民生活に重大な支障をもたらす
      おそれのある公共性の強い職務」に従事する公務員の争議制限についての指摘と
      その意議
    1 仙台事件判決の判示
    2 右にそう考え方の系譜とその論拠
    3 仙台事件判決の判示に対する批判
第三、農林省職員の争議行為と「国民生活全体の利益」
  一、農林省職員の職務および責任の多様性と争議全面禁止(国公法98条旧5項)の不合理性
   (一) 農林省の組織、任務、職員構成
    1 農林省の組織、機構
    2 農林省の任務、権限
    3 農林省の職員構成
   (二) 農林省職員の職務および責任の多様性と争議全面禁止の不合理性
  二、農林省職員の公共性とその争議行為が「国民生活全体の利益を害するおそれ」の有無、程度
  三、(とくに警職法事件に関して)
  四、(とくに長崎事件に関して)
[1] 周知のように警職法事件の原判決は、国家公務員の争議制限法規である国公法98条旧5項について、
「およそ国公法第98条旧第5項、第110条1項17号の規定する争議行為とは、国家公務員の組織する団体乃至組合として、当局側の管理意思に反し、国の業務の正常な運営を阻害する一切の争議行為を指称する。」
と判示した上、右事件における全農林労働組合の半日ストについては、
「従つて、正午出勤といい、勤務時間内の職場大会というも、それが当局側の管理意思に反し、団体乃至組合の統一的行動として行なわれ且つ国の正常な運営を阻害する行為として行なわれる以上、争議行為であることに変りはない」
としてこれを同条項等の禁圧する違法な争議であると認定し、さらに、
「その規模、手段方法(態様)は、電報を含む指令第6号の宛先が全国的にわたるという大規模なものであり、且つその指令内容は全国の下部組織に対し一斉に当局側の管理意思に反する勤務時間内の職場大会の開催を指令するという態様のものであつた」がゆえに、「その違法性は、刑罰法規一般の予定する可罰的違法性の程度に達している」
と断じている。
[2] 右の判示は、国公法98条旧5項等を文字通りに国家公務員の争議行為をすべて禁止し処罰するものと解している点において、すでにさきの仙台安保事件の最高裁4・2判決に違反し、ひいて憲法28条の趣意を誤るものであることは明らかであるが、なお右最高裁判決に従つて同条項を合憲的に限定解釈した場合に、前記のような農林省職員組合の半日ストが「国民生活全体の利益」を著しく害するおそれを生じ、同条項違反の評価を受け同法110条1項17号の刑事制裁を受けるとされる余地ありやという問題が残されている(右半日ストが政治目的を掲げてなされたという理由で、争議行為としての正当性を失うか否かの問題は、他の弁護人の弁論で取扱われる)。
[3] また長崎統計事務所事件においても、検察官は、原判決が右事務所の職員らの当該争議行為によつて「国政の停廃を生じ国民生活に重大な障害をもたらす具体的危険が明白であつたとは認められず」と判示した点を把えて、さまざまな理由から右判示を非難攻撃しており、ここでも農林省職員の争議による(統計調査)事務の停廃が国民生活全体の利益に重大な障害をもたらすおそれを生ずると解されるや否やが主要な問題となつているのである。そこで本節では、農林省職員の争議による職務の停廃が国民生活全体の利益を著しく支障するおそれをもたらすか否か、とくに刑罰をもつて禁圧されるもやむを得ない程度に重大な支障をもたらす場合とはいかなる場合か等の問題につき検討することとしたい。
[4] そこで農林省職員の争議行為と「国民生活全体の利益」とのかかわり、すなわち同省職員の争議制限の問題を論ずるに先立つて、右職員をふくむいわゆる「非現業」国家公務員――換言すれば国公法の適用をうける一般職の国家公務員のうち同法98条旧5項等の適用下におかれているもの――の争議行為と国民生活全体の利益との関わりについて検討を加えることとする。

一、「非現業」国家公務員の争議行為と「国民生活全体の利益」
[5](一) 弁護人は、すでに別項において、「中郵判決、4・2判決と公共労働者の争議権保障の法理」について論述し、そのなかで公務員ら公共労働者も憲法28条にいう勤労者であり、私企業の労働者と同じく同条による労働基本権の保障をうけること、公務員のする争議行為は正当な限界をこえないかぎり同条の保障する権利の行使にほかならず、民、刑事免責等の保障を与えられること、しかし同時にまた、これらの権利は国民生活全体の利益の確保という見地からの内在的制約を内包し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれあるときに一定の制限をうけることなどを指摘した。この理がいわゆる「非現業」の国家公務員たる労働者にも妥当することは更めて言うまでもない。
[6] なかでも公務員ら公共労働者の争議権を制限しうる根拠としての「国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれ」という概念について、[1]これが労働者の生存権に直結する重要な手段的権利を制約する基準であることを考慮すれば、形式的抽象的にでなく、実質的、具体的に把えるべきものであり、[2]したがつて右の概念ではより具体的明確に、「国民の生命、身体の安全と健康、重要な基本財産」という、他の国民の生存権ないし生存的利益にしぼつて理解されるべきであること、[3]したがつてまた右にいう「おそれ」の意も、具体的な危険、すなわち右の憲法的法益に対する明白でかつ差迫つた侵害の危険と解されるべきことなどの指摘は、この際とくに留意されなければならない。
[7](二) なおここで、中郵判決が、
「労働基本権の制限は、勤労者の提供する職務または業務の性質が公共性の強いものであり、したがつてその職務または業務の停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあるものについて、………考慮されるべきである」(いわゆる第2条件)
と述べている点について、一言しておこう。
[8] もともと「公共性」とは公共的性格の謂で、社会公共への関連性、公衆生活とのかかわりを意味し、「公的性格」とは厳密には異る観念であるから、右にいう「職務・業務の公共性」は当該職務等のもつ社会公共との関連性を指すものであり、いいかえれば国民生活全体の利益への関連性・影響性をいうものと解される。したがつて右の判示が「職務または業務の性質が公共性の強いものであり」「したがつてその職務または業務の停廃が……国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあるもの」というのは、いわば同義反覆であつて、両者が別異のことを意味したり、とくに前者が後者とはきり離された独自の要件として抽象的な考察の対象となるものではない。たかだかそこでいわれる労働基本権の制限が立法的制限を意味する場合に、事柄の性質上一定の画一的取扱を避けられないところから、公共性の強弱、すなわち国民生活への支障性の強度をある程度類型的にとらえることが意味をもつに過ぎない。いずれにせよ、この際留意されるべきことは、労働基本権の制限を考える場合に、職務・業務の「公共性」の強弱を抽象的観念的にとらえるのではなく、その職務等の停廃が現実に「国民生活に重大な障害をもたらすおそれ」を生ずる性質のものか否かを具体的実際的に検討すべきだということである。

二、「非現業」国家公務員の争議行為に関する仙台安保事件最高裁大法廷判決の意義
[9] ところでわが最高裁大法廷は、すでに「現業」の国家公務員の争議行為についてさきの中郵判決を示し、また「非現業」の国家公務員のそれについては、仙台安保事件判決でその見解をうち出している。もつとも後者は、直接には裁判所職員の争議行為に関するものであるが、本件農林省職員のそれにも関連するところ多大であるので、この判決の判旨を顧みることとしたい。
(一) 「非現業」国家公務員の争議を全面一律に禁止・処罰する国公法98条旧5項、110条1項17号の違憲性の指摘とその意義
 右仙台安保事件最高裁判決の判示
[10] 右条項等の憲法適否ならびに合憲的解釈について、右事件の最高裁大法廷判決は次のように判示している。
「よつて案ずるに、国公法98条5項は、「職員は、政府が代表する使用者としての公衆に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をなし、又は政府の活動能率を低下させる怠業的行為をしてはならない。又、何人も、このような違法な行為を企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおつてはならない。」と規定し、同法110条1項17号は、「何人たるを問わず第98条第5項前段に規定する違法な行為の遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおり、又はこれらの行為を企てた者」は、3年以下の懲役または10万円以下の罰金に処すべき旨を規定している。これらの規定が、文字どおりに、すべての国家公務員の一切の争議行為を禁止し、これらの争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、あおる等の行為(以下、あおり行為等という。)をすべて処罰する趣旨と解すべきものとすれば、公務員の労働基本権保障の趣旨に反し、必要やむをえない限度をこえて争議行為を禁止し、かつ、必要最少限度にとどめなければならないとの要請を無視して刑罰の対象としているものとして、これらの規定は、いずれも、違憲の疑いを免れない。しかし、法律の規定は、可能なかぎり、憲法の精神に即し、これと調和しうるよう合理的に解釈されるべきものであつて、この見地からすれば、これらの規定の表現のみ拘泥して、直ちにこれを違憲と断定する見解は採ることができない。」
[11] 右のように限定的に解釈するかぎり、前示国公法98条5項はもとより、同法110条1項17号も、憲法28条に違反するものということができず、そしてこれに続く判示の趣旨を同じ昭和44年4月2日に言渡された都教組事件の大法廷判決になぞらえていえば、次のごとくなる。
「すなわち、国公法は国家公務員の争議行為を一般的に禁止し、かつ、あおり行為等を一律的に処罰すべきものと定めているのであるが、これらの規定についても、その元来の狙いを洞察し労働基本権を尊重し保障している憲法の趣旨と調和しうるように解釈するときは、これらの規定の表現にかかわらず、禁止されるべき争議行為の種類や態様についても、さらにまた、処罰の対象とされるべきあおり行為等の態様や範囲についても、おのずから合理的な限界の存することが承認されるはずである。
 つぎに、公務員の争議行為についてみるに、国公法98条5項は、すべての国家公務員の一切の争議行為を禁止しているから、これに違反してした争議行為は、右条項の法文にそくして解釈する限り、違法といわざるをえないであろう。しかし、右条項の元来の趣旨は、国家公務員の職務の公共性にかんがみ、国家公務員の争議行為が公共性の強い公務の停廃をきたし、ひいては国民生活全体の利益を害し、国民生活にも重大な支障をもたらすおそれがあるので、これを避けるためのやむをえない措置として、国家公務員の争議行為を禁止したものにほかならない。ところが国家公務員の職務は、一般的にいえば、多かれ少なかれ、公共性を有するとはいえ、さきに説示したとおり、公共性の程度は強弱さまざまで、その争議行為が常に直ちに公務の停廃をきたし、ひいて国民生活全体の利益を害するとはいえないのみならず、ひとしく争議行為といつても、種々の態様のものがあり、きわめて短時間の同盟罷業または怠業のような単純な不作為のごときは、直ちに国民全体の利益を害し、国民生活に重大な支障をもたらすおそれがあるとは必ずしもいえない。国家公務員の具体的な行為が禁止の対象たる争議行為に該当するかどうかは、争議行為を禁止することによつて保護しようとする法益と、労働基本権を尊重し保障することによつて実現しようとする法益との比較較量により両者の要請を適切に調整する見地から判断することが必要である。そして、その結果は、国家公務員の行為が国公法98条5項に禁止する争議行為に該当し、しかも、その違法性の強い場合も勿論あるであろうが、争議行為の態様からいつて、違法性の比較的弱い場合もあり、また、実質的には、右条項にいう争議行為に該当しないと判断すべき場合もあるであろう。」
 右判示を支える客観的根拠――公務員事情の歴史的変化
[12](1) ところでこの大法廷判決が右のような見解をうちだしたことは、決して単なる偶然的結果でも、また裁判官の論理的興味の結末でもなく、戦後における国際的な行政制度や公務員事情の変化という客観的現実を忠実に反映したものであり、またそれゆえに右判示は、今日の公務員制度の実際に見合つた客観的合理性を有しているということができる。
[13] すなわち一つには、戦後における行政の量的および質的な複雑膨大化が挙げられねばならない。多くの識者が指摘するように、第二次大戦前後を通じ、またとくに戦後においては、国民生活が多様化する一方、社会的矛盾も一層深刻化して国民の行政需要が急激に増大、複雑化し、国家や公共団体等の行政主体は好むと好まざるとに拘らず、不可避的にこれらの行政需要に適切に対処していかざるを得なくなつた。すなわち公的扶助をはじめ各種の社会保障の充実、社会福祉や公衆衛生の向上発展、住宅の供給や住宅環境の整備、交通災害その他いわゆる公害の除去、都市開発や農業構造の改善、教育・文化面での充実向上等々……、多くのしかも切実な行政需要が生じて、国や行政主体はいや応なしに「福祉国家」「奉仕国家」を目ざさざるをえなくなつている。したがつて当然のことながら、行政機構も質および量の面において肥大化を避けられず、固有の行政組織自体の肥大化はもとより、別個の機関――公庫、公団、事業団や私法人など――に事務を委任するなどの現象をきたしているのである。
[14] 二つには、以上のような行政ないし行政機構の複雑膨大化に伴つて、これに従事する公務員の数や階層にも大きな変化が起つている。今日公務員と呼ばれる労働者の数が戦前に比して飛躍的に増大していることは、ILOの報告文書にも指摘されているように国際的な共通現象であり、またその職階も膨大化して階層的にも、行政施策の方針決定に直接関与する高級な管理職員(西ドイツでいえば、Dienst又はBeamten英米流にいえばofficialsから、ある程度の管理権限をもつて右を補助する中級職員(mittel Arbeiter, public servant)さらには最も現業的な下級職員(Arbeiter, government employees)への分化が次第に顕著になつている。
[15](2) このように一概に公務員といつても、今日ではその担当する職務はたんなる国家秩序の維持というものから国民への福祉の供与までまことに区々に分れ、またその責任の内容、程度も分化していて、それらの者の職務の停廃によりもたらされる「国民生活全体の利益」への障害は到底一律に論じられるものではない。しかも事柄を複雑にしているのは、さきに挙げた公団、公庫等に勤務して政府関係の行政事務を担当する職員――たとえば日本住宅公団、日本道路公団、国民金融公庫、住宅金融公庫、商工組合中央金庫、日本銀行、日本輸出入銀行、公害防止事業団、雇用促進事業団等の職員――の存在で、これらの者にはもとより公務員法による争議制限は適用なく、それ以外にもなんら争議権に対して法的制約を課されていないのである。このような法制事情のもとで、たまたま国家公務員法の適用下におかれた「非現業」職員であるという理由からその争議行為を全面一律に(しかも刑罰をもつて)禁圧してしまう見解や法令には、合理性を見出すことは甚しく困難である。
 立法の沿革
[16] このことはまた「非現業」公務員の争議権をめぐる立法の沿革に徴しても(ある程度)窺うことができる。
(1) 旧労組法の場合
[17] 昭和20年12月22日に制定された労働組合法(旧労組法という)は、次のように定めていた。
第3条 本法において労働者とは職業の種類を問わず、賃金、給料、其の他之に準ずる収入に依り生活するものを謂う。
第4条 警察官吏、消防職員及監獄に於て勤務する者は労働組合を結成し又は労働組合に加入することを得ず。
 前項に規定するものの外、官吏、待遇官吏及其の他国又は公共団体に使用せらるる者に関しては本法の適用に付命令を以て別段の定を為すことを得、但し労働組合の結成及之に加入することの禁止又は制限に付ては此の限に在らず。
[18] しかしながら、右第4条にもとづく「別段の定」はついに制定されず、したがつて、警察官等をのぞく一般官公吏の争議権はなんら立法上の制約を受けることはなかつた。
(2) 旧労調法の場合
[19] ついで昭和21年9月5日制定された労働関係調整法(旧労調法という)は、官公吏の争議権について次のような制限法規を定めた。
第38条 警察官吏、消防職員、監獄において勤務する者その他国又は公共団体の現業以外の行政又は司法の事務に従事する官吏その他の者は、争議行為をなすことはできない。
第39条 前2条の規定の違反があつた場合においては、その違反行為について責任のある使用者若しくはその団体、労働者の団体又はその他の者若しくはその団体は、これを1万円以下の罰金に処する。……(2項以下は略)……
[20] そして右38条の適用範囲については、翌年1月26日発表の中央労働委員会の解釈に基づき、厚生省労政局長名の「労働関係調整法解釈例規第1号」が発せられたが、その内容を摘記すると、左のごとくである。
労働関係調整法第38条の適用範囲の認定基準
 第38条の適用範囲の認定は左の基準によるものとする。
一、本来の行政及び司法の事務の遂行に不可欠の補助事務に従事する者は適用を受けるものとする。
二、国又は公共団体の行う企業の中、同種のものが現に民間企業として行われているもの、及び企業の性質上民間においても行うことのできる事業に従事する者は適用を受けないものとする。
三、右により第38条の適用の有無の認定が困難なものについては、国又は公共団体の行政又は司法の事務に従事する官公吏その他の者の争議行為により国政の停廃することを防ぐ労働関係調整法の立法趣旨と勤労者の団体行動を保障する憲法28条の精神とに基いて、その認定を行うものとする。

 右の基準により大体左の者が第38条の適用がないものとする。
(一) 左に掲げる官公署及び官公署所属施設
 (1) 官公署
  (イ) 運輸省関係、左のものを除く全部
   大臣官房、海運総局、陸運管理局(……)、高等海員審判所、海運局、
   同支局および出張所、海運管理部製作監督事務所
  (ロ) 逓信省関係 左のものを除く全部
   大臣官房、電波局、航空保安部並び逓信管理部における電波に関する
   監督事務相当の課又は係
  (ハ) 大蔵省関係
   専売局、地方専売局同支局及び出張所、印刷局、造幣局、同支局
  (ニ) 都道府県市町村関係
   交通、電気、水道、ガス事業の経営を専管する局、部、課
 (2) 官公署付属施設
  (イ) 試験所、研究所その他調査研究施設
  (ロ) 学校、講習所その他の教員養成施設
  (ハ) 工場、事業場その他作業場及び倉庫
  (ニ) 公園、運動場、病院、療養所、保健所その他の公共保健衛生施設
  (ホ) 図書館、博物館その他の公共事業施設
  (ヘ) 市場、食堂、浴場その他の社会事業施設
  (ト) 養老院その他の社会事業施設
  (チ) 職員の共済福利施設

(二) (一)以外の官公署及び官公署付属施設の業務に従事する者の中左に掲げるもの及びこれに準ずるもの。
 (1) 給仕、小使、掃除婦その他雑役従事者
 (2) 門衛、巡視
 (3) 昇降機、自動車の運転手
[21] この法律の制定には当然のことながら当時の労働組合勢力の強い反対があり、また労組法で争議権を認められた一般官公吏のうち非現業公務員のそれを労働関係「調整」の名の下に「禁止」するという矛盾をはじめ多くの問題を残したが、それでもなお[1]右に掲げた現業公務員については公益事業の労働者の場合とも違つて争議権の行使になんらの制約をも課されなかつたこと(その中には、運輸省や逓信省の本省官吏も含まれていたこと)、[2]非現業の公務員の禁止違反の争議についても、団体罰が科されるに止まり、個々の参加公務員にはなんらの制裁も科されていないことなどの点で、注目すべき特色をもつていた。
(3) 政令201号以後
[22] これらの状態を一挙に覆えし、すべての公共労働者から争議権を剥奪して厳しい刑事制裁を科することとしたのが、昭和12年7月のマツカーサー書簡であり、これに基く政令201号であつたが、このことは裏をかえせば、公務員らからその争議権を全面的に奪い去るには、超憲法的な占領権力をもつてする以外になかつたということを物語つている。さきの中郵判決や仙台安保事件判決で違憲審査にさらされた国公法98条5項その他の争議禁止立法は、いずれもこの系譜に立つものであり、憲法の権威が回復された暁には、早晩厳しい法令審査にさらされるべき運命にあつたのである。
 まとめ
[23] かくして仙台安保事件の最高裁判決はまさに出さるべくして出されたのであり、その判示は、国家公務員の争議権取扱について「現業」「非現業」の区別をとり払い、「非現業」の公務員にも国民生活全体の利益を著しく害さない限りにおいて争議行為を合法的に実施する余地あることを認めた点で、わが国公務員の争議権史上画期的な意義をもつということができる。
(二) 「たとえば短時間のものでも、その職務の停廃が国民生活に重大な支障をもたらすおそれのある、公共性の強い職務」に従事する公務員の争議制限についての指摘とその意義
 仙台事件判決の判示
[24] ところで右判決は、裁判所職員に関してではあるが、非現業国家公務員の争議行為と国民生活全体の利益との関わりについて、次のように判示している。
「ところで、裁判所職員の争議行為の制限について考えてみるに、すべて司法権は裁判所に属するものとされ、裁判所は、この国家に固有の権能に基づき、国民の権利と自由を擁護するとともに、国家社会の秩序を維持することをその使命とするものであることにかんがみると、このような裁判所の行なう裁判事務に従事する職員の職務は、一般的に、公共性の強いものであり、その職務の停廃は、その使命の達成を妨げ、ひいては、国民生活に重大な障害をもたらすおそれがあるものといわなければならない。
………………(したがつて)それが短時間のものであり、また、かりに暴力等を伴わないものとしても、裁判事務に従事する裁判所職員の職務の停廃をきたし、国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあるものであつて、かような争議行為は、違法性の強いものといわなければならない。」
 右にそう考え方の系譜とその論拠
[25] 右に示されたような見解は、必ずしも同判決に初めて現れたものではなく、実定法令や学説、判例の中にも、これと同旨のものがなかつたわけではない。
[26] たとえば、前掲の旧労調法38条もある意味ではこの系譜に立つものであり、その場合の論拠としては、「国政の停廃を防ぐ」ということが明言されていること前引の解釈例規によつて明らかである。
[27] 学説中では、きわめて乏しい例ながら、
「労働者の従事する職務の性質からみて、その職務が、国家または公共団体の権力の発動による公共の福祉の増進・社会秩序の維持など、公共的使命を内容とし、それゆえその服務関係ないし待遇が、国家または公共団体の総合的観点から決定せらるべく、その職務の停廃が、社会秩序をいちじるしい混乱に導き、社会の成員一般に回復すべからざる損害を与えるという意味で、公共の権益と関連をもつもの」
として、警察・消防・監獄等の職員および非現業公務員の争議制限を肯定するものであり(柳川真佐夫他「全訂判例労働法の研究」下巻1674ないし1675頁)
[28] また下級審判例の中にも、
「そこで、先ず、地方公務員の争議行為の態様を考察するに、争議の目的手段方法により、又その職務の種類により、その地区或は社会一般に与える影響は、その範囲においても、また、その程度においても極めて、区々たるものがあり、一概に評価することはできない。これを例えば、職務の内容が主として労力の提供をするにすぎない特定の職場の雇傭員の組合が、争議行為をしたとしても、その与える影響と職務の代替性の容易なること等を考慮すれば、その争議行為の違法性は比較的軽微なものと認めざるを得ない。
 又一方警察職員や消防職員らのように直接社会公共の秩序維持に専念すべき職員が、その職務を一斉に放棄する争議行為をするにおいては、その結果は住民の生命身体財産等に対し現実明白な危険が発生するので、かかる争議行為の違法性は顕著であつて、この種争議行為を禁遏し、これに違反する職員に対し刑罰を科することは公共の福祉を維持することからして、合理的な根拠があるものと認められる。
 その他地方公務員の争議行為の中には、その職務の性質上、地方行政ひいては国家の行政を麻痺させ地方及び国家秩序を破壊する危険性を有し公共の福祉に反する違法なものがあり、これらの争議行為については、その行為者に対し公務員としての資格を剥奪するだけでは足りず、これに対し刑罰をもつて取締る必要がある。このように住民の生命身体に直接危険を及ぼし又地方行政を甚だしく攪乱させて住民の福祉に重大な侵害を加え、住民全体の奉仕者たるべき公務員がその住民の信託関係をいちじるしく破壊することがごとき争議行為は、その行為自体に可罰的違法性があるので刑罰をもつてこれを禁止せざるを得ないといわねばならない。」
とするもの(高知地裁昭39・11・28北川村事件判決、労働旬報578号、同旨前橋地裁昭42・7・26群馬教組事件判決、労旬645号)や、
「次に、右基準の意味内容を、その「国民生活に重大な障害をもたらす場合」という字義そのものについて考えてみると、その例示として「社会の通念に照らして不当に長期に及ぶとき」ということが挙げられているが、その他の例として、その争議行為が全国一斉若しくはこれと同じような規模において行なわれるときとか、或いはそうでなくても広範囲にわたり且つ長期に及ぶ(必ずしも社会通念上不当に長期に及ばないときも含む)ときとか、或いは広範囲且つ長期にわたらなくても国民の一部に私生活上取り返しのつかないような深刻な障害を与えるときなどが、考えられる。さらに、国政(外交、防衛、治安等を含む)、地方行政、国民生活上重要な国際若しくは国内の経済取引等に対する障害が、ときによつてはこれに該当することも、考慮されるべきであろう。」
とするもの(東京高裁昭42・9・6全逓中郵差戻審判決、労旬651号)
「そこで、税関職員の争議行為の制限について考えてみるに、税関は、輸出入の通関業務、密輸出入の取締などを主たる職務とし、関税法の定めるところにより関税の確定、納付、徴収及び還付ならびに貨物の輸出及び輸入についての税関手続を適正迅速に処理すべき職務権限を有するものであるから、その業務の正常な運営は、輸出入に関係する業者のみならず国民の経済生活や輸出入による我が国の経済の発展にも影響があり、ひいては国際信用の面からも是非必要である。関税法98条は、『[1]日曜日、休日又はこれらの日以外の日の税関の執務時間外において、税関の政令で定める臨時の執務を求めようとする者は、税関長の承認を受けなければならない。[2]税関長は、税関の事務の執行上支障がないと認めるときは、前項の承認をしなければならない。』と規定し、他の官庁においては殆んどその例をみないいわゆる臨時開庁の制度が設けられており、右規定の趣旨から考えると、税関長は、臨時開庁の請求があつた場合には、執務上支障のない限り右請求を承認し、臨時開庁をする義務があるものと解すべきである。右のような制度は、税関における輸出入の通関業務が他の一般行政庁におけるより以上にその業務の運営の適正迅速が要求され、これに対応するために設けられているものと解すべきである。密輸出入の取締等を主たる職務とする監視部の職員はもとより、輸出又は輸入の税関業務を主たる職務とする業務部(輸出業務課、輸入業務課)、輸出輸入に関する鑑査をする鑑査部(右業務を取扱う部課については、原審証人滝野輝雄の証言により認める)その他の業務を担当する税関職員の職務の公共性は、かなり強いものであつて、以上の諸点を併せ考えると、税関の職務の停廃は、仮りに短時間であつても、国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な支障をもたらすおそれがあるものと解するを相当とする。」
とするもの(大阪高裁昭47・2・16全税関神戸事件判決、労旬806号)などがみられる。
 仙台事件判決の判示に対する批判
[29] たしかに国家公務員が担当する国家行政のうちには、国民に対して直接に生活上の福祉に供与(サービス)する福祉行政の分野が拡大してきているとはいえ、他方で外交・治安・国防・財政など国家の存立維持や市民生活の秩序と安全保持等を任務とする分野が存在することは否めないところである。もとよりそのいずれも、今日の民主国家の下では、窮極において主権者たる国民の生活と幸福に資するものでなければならないが、かかる意味での「国民生活全体の利益」への関わり方において両者の間に差異があることもまた事実である。すなわち前者に比べて後者は国民生活全体の利益への関わりがより直接的ないし直線的であるがゆえに、その職務の停廃による右の利益の支障の危険性がより差し迫つてあらわれ易いわけである。わが国の場合に警察・消防・監獄の職員の争議権をはじめとする労働三権が、また諸外国において警察や軍隊の職員の争議権等が久しく剥奪されてきたのも、そのゆえに外なるまい。
[30] しかしながら、この際忘られてならないことは、たとえいかなる職務の公務員であれ、その労働基本権たる争議権を制限しうるためには、その職務の停廃がたんに国民生活全体の利益を支障すべき一般的可能性をもつというだけでは足りず、その支障の可能性が具体的に明白でさし迫つたものでなければならないということである。この理は、中郵判決の基本見解、ひいては憲法28条の趣意から当然に導かれるところであつて、争議制限の法理の必須の要請である。
[31] この点からみると、さきに掲記した学説・判例は、一面において正しい指摘をふくみながら、この重要な点において誤つているといわざるをえない。
[32] 仙台安保事件の最高裁判決の場合も同様であつて、同判決が裁判所職員の職務の社会公共への関連性について、
「裁判所は、この国家に固有の権能に基づき、国民の権利と自由を擁護するとともに、国家社会の秩序を維持することをその使命とするものであることにかんがみると、このような裁判所の行なう裁判事務に従事する職員の職務は、一般的に公共性の強いもの」
と述べるまでは理解しうるとして、かかる裁判所職員の職務の停廃が国民の権利と自由や国家社会の秩序、ひいては国民生活全体の利益に対する明白かつ差迫つた侵害の危険を常に必らず生ぜしめるか否か、いかなる場合にかかる危険を生ぜしめるかについて慎重かつ具体的な検討を施すことなく、直ちに
「その職務の停廃は、その使命の達成を妨げ、ひいては国民生活に重大な障害をもたらすおそれがあるもの」
と結論してしまつたのは、論理の飛躍といわなければならない。事実、先進諸外国においては、警察および軍隊の職員の争議権を否定することはあつても、裁判所職員や消防職員等について争議権を剥奪する例はきわめて少なく、それどころか警察職員や軍隊に属する者についても団結権等を承認しているものが存在するのである(三島宗彦「国際労働法の観点から見た公共労働」季刊法律学29号28頁〜29頁ほか)。これらの諸国において裁判所職員の争議のため国家社会の秩序が危険に陥られ、国民の権利、自由が現実に脅かされたという事例はいまだこれを聞かないし、また、わが国の場合ですら国葬や暴風雨、交通スト等のため半日もしくはそれ以上の臨時休廷を実施することは決して稀なことではないが、そのために国家の秩序が脅かされるおそれを生ずるなどの結果を招いたことがないことは公知の事実である。
[33] 以上によつて明らかなごとく、警察や軍隊などはともかくとして、「国民生活全体の利益を支障するおそれ」の概念を抽象的かつ緩やかに解し、安易に(非現業)公務員の職務を「公共性の強い」ものとして、その争議に対する絶対的、全面的禁止を肯認するがごときは、憲法28条の趣意に照らして許されないといわなければならない。
[34] 以上に述べたところをふまえて農林省職員の争議行為と「国民生活全体の利益」との関連を具体的に検討してみよう。

一、農林省職員の職務および責任の多様性と争議全面禁止(国公法98条旧5項)の不合理性
(一) 農林省の組織、任務、職員構成
 農林省の組織・機構
[35] 農林省設置法によれば、同省の組織・機構は、おおむね次のとおりとなつている。
本省
内部部局  大臣官房
      農林経済局――企業流通部、国際部、統計調査部
      農政局――普及部
      農地局――管理部、計画部、建設部
      畜産部
      蚕糸園芸局
附属機関  農林水産技術会議  肥飼料検査所
      農業技術研究所   農薬検査所
      農事試験場     輸出品検査所
      畜産試験場     生糸検査所
      草地試験場     動物医薬品検査所
      園芸試験場     植物防疫所
      茶業試験場     動物検疫所
      農業土木試験場   馬鈴薯原原種農場
      農業試験場     茶原種農場
      農業総合研究所   さとうきび原原種農場
      蚕糸試験場     種畜牧場
      家畜衛生試験場   農林研習所
      食糧研究所     農業者大学校
      植物ウイルス研究所 各種審議会等
      熱帯農業研究センター
地方農政局――統計調査事務所
北海道統計調査事務所

外局
食糧庁
内部部局――総務部、経理部、業務部
附属機関――食糧管理講習所、米価審議会
地方支分部局――食糧事務所
林野庁
内部部局――林政部、職員部、指導部、業務部
附属機関――林業試験場、材木育種場、林業講習所、各種審議会
地方支分部局――営林局、営林署
水産庁
内部部局――長官官房、漁政部、生産部、漁港部、調査研究部
附属機関――水産研究所、北海道さけ・ますふ化場、水産大学校
      真珠研究所、真珠検査所、各種審議会等
地方支分部局――漁業調整事務局、漁業調整事務所
 農林省の任務・権限
[36] 同法3条によれば、農林省の任務は左のとおりである。
第3条 農林省は、農林畜水産業の改良発達及び農山漁家の福祉の増進を図り、もつて国民経済の興隆に寄与することを目的として左に掲げる行政事務及び事業を一体的に遂行する責任を負う行政機関とする。
1 農林畜水産物、飲食料品、油脂及び農林畜水産業専用物品の生産の増進を図ること。
2 農林畜水産物、飲食料品、油脂及び農林畜水産業専用物品の流通及び消費を規制すること。
3 農林畜水産物、飲食料品、油脂及び農林畜水産業専用物品の品質の向上を図ること。
4 農林畜水産業に関する試験研究を実施し、指導し、及びその普及を図ること。
5 農林畜水産業及び農山漁家に関する調査を行い、及び統計を作成すること。
6 農山漁家の生活の改善及びその社会的経済的地位の向上を図ること。
7 土地改良事業(かんがい排水、開墾、干拓、農地又はその保全若しくは利用上必要な施設の災害復旧その他土地の農業上の利用を維持増進するのに必要な事業をいう。以下同じ。)を行うこと。
8 農業共済再保険事業、漁船再保険事業、中小漁業融資保証保険事業、漁業共済保険事業及び森林保険事業を行うこと。
9 国有林野事業を行うこと。
10 中央競馬及び地方競馬を監督すること。
[37] そして、これらの任務を遂行するため、農林省に与えられる権限は次のとおりとされている(同法4条)
1 予算の範囲内で所掌事務の遂行に必要な支出負担行為をすること。
2 収入金を徴収し、所掌事務の遂行に必要な支払をすること。
3 所掌事務遂行に直接必要な事務所等の施設を設置し、及び管理すること。
4 所掌事務遂行に直接必要な業務用資材、事務用品、研究用資材等を調達すること。
5 不用財産を処分すること。
6 職員の任免及び賞罰を行い、その他職員の人事を管理すること。
7 職員の厚生及び保健のため必要な施設をし、及び管理すること。
8 職員に貸与する宿舎を設置し、及び管理すること。
9 所掌事務に関する統計及び調査資料を作成し、頒布し、又は刊行すること。
10 所掌事務の監察を行い、法令の定めるところに従い、必要な措置をとること。
11 所掌事務の周知宣伝を行うこと。
12 農林省の公印を制定すること。
13 農林畜水産業に関する総合計画についての調査及び立案に関する事務を行うこと。
14 所掌事務に係る物資の生産、配給及び消費の基本的施策につき企画立案をすること。
15 所掌事務に係る物資に関する価格等の統制を行うこと。
15の2 所掌事務に係る賠償及び国際協力に関する事務を行うこと。
16 主要食糧の割当を行い、又は配給を規制すること。
16の2 主要食糧の使用、加工、譲渡、譲受又は引渡を制限し、又は禁止すること。
16の3 主要食料の加工、譲渡、譲受又は引渡を命ずること。
16の4 削除
16の5 所掌事務に係る事業に関し、外国投資家に係る技術援助契約の締結若しくは更新又は外国投資家の株式等の取得に関し認可を与えること。
16の6 所掌事務に係る物資の生産業者又は販売業者の締結する輸出すべきその物資の国内取引における価格、数量、品質その他の事項についての協定を認可し、及びその物資に係る指定機関を監督すること。
17 農業協同組合、農林中央金庫、農林漁業金融公庫その他本省の所掌事務に係る団体につき許可又は認可を与えること。
17の2 所掌事務に係る物資の売買取引を行なうために必要な商品市場を開設することを目的とする商品取引所につき許可又は認可を与え、及びその物資の売買取引の委託を受ける商品取引員につき許可を与え、並びにこれらを監督すること。
18 所掌事務に係る事業の再建整備計画につき認可を与えること。
19 所掌事務に係る指定貨物について、輸出検査の基準を定め、輸出検査を行い、指定検査機関を指定し及び監督し、並びに検査の特例となる品目を定めること。
20 日本農林規格を定めること。
21 農業災害に関する再保険事業を行うこと。
22 削除
23 農薬、農産種苗及び肥料の登録並びに肥料の仮登録を行うこと。
24 農畜産物及び肥料、農薬その他農畜産業用物品の検査を行うこと。
24の2 動植物の病菌害虫等を駆除し、及びそのまん延を防止するために必要な措置を行うこと。
24の3 動植物の病菌害虫等の防除に関し、都道府県及び防除を行う者に対し、補助金を交付すること。
25 輸出入動植物を検疫し、消毒し、廃棄し、その収受を禁止し、又はその輸入場所を制限すること。
26 中央卸売市場につき認可を与えること。
27 自作農を創設するため、農地等を取得し、管理し、及び処分すること。
28 小作関係その他の農地の利用関係の争議の調停に関与すること。
29 農地の移動廃用及び小作料を統制すること。
30 開拓適地を選定すること。
31 開拓者に資金を貸し付けること。
32 開拓及び土地改良事業(農地及び農業用施設の災害復旧事業を含む。以下同じ。)に用いる機械器具及び資材を取得し、管理し、及び処分すること。
33 国営の開墾建設工事若しくは土地改良事業を実施し、又はこれを都道府県に委託すること。
33の2 委託に基き、国営の開墾建設工事若しくは土地改良事業の施行に伴い必要を生じた工事又は国営の開墾建設工事若しくは土地改良事業の施行と工事施行上密接な関連のある工事を行うこと。
34 開拓又は土地改良事業を行う者に対し補助金を交付すること。
34の2 農地の保全に係る海岸保全施設に関する事業を実施すること。
34の3 地すべり等防止法(昭和33年法律第30号)に基き、地すべり防止に関する事業を実施し、並びに地すべり及びぼた山の崩壊の防止に関する事業を助成し、及び監督すること。
35 耕地面積及び農作物の作況その他農林畜水産業に関する報告を徴すること。
36 農業改良助長法(昭和23年法律第165号)に基き、都道府県その他試験研究機関に対し補助金及び委託金を交付すること。
36の2 農業機械化促進法(昭和28年法律第252号)に基き都道府県に対し、補助金を交付すること。
36の3 畜産物の価格安定等に関する法律(昭和36年法律第183号)に基づき主要な畜産物について安定価格を定めること。
37 種畜の検査を行うこと。
38 家畜、家きん及びみつばちの移動及びと殺を制限すること。
38の2 飼料需給安定法(昭和27年法律第356号)に基き飼料需給計画を定めること。
38の3 飼料の登録及び検査を行うこと。
39 獣医師の免許をすること。
40 日本中央競馬会に対し、中央競馬の停止を命じ、その他これを監督すること。
41 地方競馬の実施に必要な規程を認可し、又は地方競馬の停止を命ずること。
42 生糸の検査を行うこと。
43 蚕種製造業、製糸業、輸出生糸問屋業及び生糸販売業を許可すること。
44 蚕病の予防駆除又は桑苗の検査のために必要な措置を命ずること。
45 主要食糧の供出割当を行うこと。
46 食糧を買い入れ、売り渡し、加工し、交換し、交付し、又は貯蔵すること。(輸入のための買入及び輸出のための売渡を含む。)
47 主要食糧の買入及び売渡の価格を決定すること。
47の2 輸入飼料の買入、保管及び売渡を行うこと。
47の3 農産物等(農産物価格安定法(昭和28年法律第225号)第2条第1項の農産物等をいう。以下同じ。)の買入、保管及び売渡を行うこと。
47の4 大豆なたね交付金暫定措置法(昭和36年法律第201号)により交付金を交付すること。
48 食糧庁の所掌事務に係る団体につき許可又は認可を与えること。
49 主要食糧及び飲食料品(酒類を除く。以下同じ。)の検査を行うこと。
49の2 農産物検査印紙を製造し、発行し、及び売りさばくこと。
50 森林法(昭和26年法律第249号)に基づく全国森林計画をたてること。
51 国有林野の処分を行うこと。
52 削除
53 木材、薪炭その他の林産物及び加工炭を検査すること。
54 森林組合その他林野庁の所掌事務に係る団体につき許可又は認可を与えること。
55 民有林の森林治水事業を行うこと。
56 保安林の指定及び解除を行うこと。
57 森林保険事業を行うこと。
58 削除
59 国有林野及び公有林野等官行造林地の造林、営林、治水及び地すべり防止事業を実施すること。
59の2 委託に基づき、林野の保全に係る地すべり防止に関する事業の施行と工事施行上密接な関連のある工事を行うこと。
60 国有林野及び公有林野等官行造林地の産物及び製品を処分すること。
61 立木を買い入れて木材又は薪炭を生産し、これを売り渡すこと。
62 漁業法(昭和24年法律第267号)に基づき漁業の免許又は許可を与えること。
63 水産業協同組合その他水産庁の所掌事務に係る団体につき許可又は認可を与えること。
64 輸出水産業の振興に関する法律(昭和29年法律第154号)に基づき指定機関を指導監督すること。
65 水産物及び水産業専用物品(漁船を含む。)の検査を行うこと。
66 漁船保険及び漁船乗組員給与保険の再保険事業、中小漁業融資保証保険事業並びに漁業共済保険事業を行なうこと。
67 漁船の建造、改造又は転用の許可を与えること。
68 漁港の修築、維持管理及び災害復旧に関し指導監督及び助成を行ない、並びに漁港修築事業及び漁港災害復旧事業を行なうこと。
69 漁港の区域に係る海岸保全区域内における海岸保全施設の新設、改良及び災害復旧の事業(以下「漁港海岸保全事業」という。)並びに当該海岸保全区域の管理につき指導監督及び助成を行ない、並びに漁港海岸保全事業を行なうこと。
70 漁港の区域における公有水面の埋立てに関する認可を与えること。
71 所掌事務に係る事項の試験研究及び調査を委託し、並びに依頼を受けて試験及び検査を行い、その手数料を徴収すること。
72 前各号に掲げるものの外、法律(これに基く命令を含む。)に基き農林省に属させられた権限。
[37] 右のほか、各部局等の任務・権限は、同法、農林省組織令、農林省組織規程等に詳しいが、ここに一々を紹介することは必ずしも必要でなく適切とも思われないので、省略する。
 農林省の職員構成
[38](1) ついで農林省の職員構成をみると、まずその定員は同省定員規制(昭44省令29号)によつて次のように定められ、
区分 定員 備考
本省 28,457人  
食糧庁 25,960人  
林野庁 40,158人 うち、39,091人は、行政機関職員定員令第3条に定める
公共企業体等労働関係法(昭和23年法律第257号)第2条
第1項第2号ロの事業を行う企業の職員の定員とする。
水産庁 1,895人  
合計 96,470人  
[39] さらに、これをうけて同省定員規定(昭44・農林省訓令17号)が、左のように詳細を定めている。
農林省定員規定
1 農林省の本省及び各外局の外部部局、各附属機関及び各地方支分部局別の定員は、次の表のとおりとする。
 本省
区分 定員 備考
内部部局 大臣官房 563人 事務次官1人を含む。
農林経済局 864人 うち、各部の定員は、次のとおりとする。
企業流通部  117人
国際部    102人
統計調査部  434人
統計調査部の定員のうち、14人は、国立国会図書館支部
農林省図書館の定員とする。
農政局 276人 うち、53人は、普及部の定員とする。
農地局 499人 うち、各部の定員は、次のとおりとする。
管理部  135人
計画部   98人
建設部  158人
畜産局 255人
蚕糸園芸局 275人
2,732人
附属機関 農林水産技術会議 126人
農業技術研究所 461人
農事試験場 254人
畜産試験場 231人
草地試験場 213人
園芸試験場 284人
茶業試験場 107人
農業土木試験場 126人
農業試験場 1,819人 各農業試験場を通じ点の定員とする。
農業総合研究所 104人
蚕糸試験場 732人
家畜衛生試験場 369人
食料研究所 129人
植物ウイルス研究所 46人
熱帯農業研究センタ 63人
肥飼料検査所 127人 各肥飼料検査所を通じての定員とする。
農薬検査所 49人
輸出品検査所 301人 各輸出品検査所を通じての定員とする。
生糸検査所 715人 各生糸検査所を通じての定員とする。
動物医薬品検査所 78人
植物防疫所 520人 各植物防疫所を通じての定員とする。
動物検疫所 156人
馬鈴しよ原原種農場 290人 各馬鈴しよ原原種農場を通じての定員とする。
茶原種農場 14人 各茶原種農場を通じての定員とする。
さとうきび原原種農場 12人
種畜牧場 1,178人 各種畜牧場を通じての定員とする。
農林研修所 14人
農業者大学校 18人
8,536人
地方支分部局 地方農政局 16,321人 各地方農政局を通じての定員とする。
北海道統計調査事務所 891人 各北海道統計調査事務所を通じての定員とする。
17,212人
合計 28,480人
 食糧庁
区分 定員 備考
内部部局 総務部 188人 長官及び次長各1人を含む。
経理部 140人
業務部 162人
490人
附属機関 食糧管理講習所 27人
27人
地方支分部局 食糧事務所 25,443人 各食糧事務所を通じての定員とする。
25,443人
合計 25,960人
 林野庁
区分 定員 備考
内部部局 林政部 246人 長官1人を含む。
職員部 142人
指導部 204人
業務部 179人
771人
附属機関 林業試験場 821人
林木育種場 235人 各林木育種場を通じての定員とする。
林業講習所 86人
1,142人
地方支分部局 営林局 6,480人 各営林局を通じての定員とする。
営林署 31,765人 各営林署を通じての定員とする。
38,245人
合計 40,158人
 水産庁
区分 定員 備考
内部部局 長官官房 75人 長官及び次長各1人を含む。
漁政部 292人
生産部 162人
漁港部 51人
調査研究部 127人
707人
附属機関 水産研究所 719人 各水産研究所を通じての定員とする。
北海道さけ・ますふ化場 156人
水産大学校 201人
真珠検査所 17人 各真珠検査所を通じての定員とする。
真珠研究所 23人
1,116人
地方支分部局 漁業調整事務局及び
漁業調整事務所
72人 各漁業調整事務局及び漁業調整事務所を
通じての定員とする。
72人
合計 1,895人
2 各農業試験場、各肥飼料検査所、各輸出品検査所、各生糸検査所、各植物防疫所、各馬鈴しよ原原種農場、各茶原種農場、各種畜牧場、各地方農政局、各北海道統計調査事務所、各食糧事務所、各林木育種場、各営林局、各営林署、各水産研究所、各真珠検査所並びに各漁業調整事務局及び各漁業調整事務所別の定員は、前項に規定する当該附属機関又は地方支分部局別の定員の範囲内において、農林大臣又は各外局の長が別に定める。
[40](2) また農林省の職員をその職務上の地位別にみると、左のとおりとなる。
(昭和47年7月現在)
本省
(地方局を除く)
附属機関 食糧庁 林野庁 水産庁
長官又は事務次官 1 1 1 1 4
局長(含官房長) 6 1 7
部長 7 3 4 4 18
参事官 6 2 8
調査官 15 2 1 4 22
課長 65 6 11 17 14 113
100 9 17 23 23 172

(二) 農林省職員の職務および責任の多様性と争議全面禁止の不合理性
[41] 右を一瞥して気がつくことは、農林省職員の担当する職務の多様性である。その中には、本省内部部局の職員のように本来の行政事務の遂行に不可欠の補助事務に従事する、いわゆる非現業の職員もいれば、各種附属機関に従事する現業職員もおり、このほか現行法制下で現業とされている林野庁に、ほぼこれと等しい現業性をもつ食糧庁、水産庁の各職員をあわせると、農林省全職員(96,493名、昭和46年10月現在、以下同じ)のうち非現業とみられる職員(19,944名)が20.7%、現業もしくは現業的な職員(76,549名)は実にその79.3%に達する。(因に、林野庁の所掌する職務(農林省設置法第3章第2節)と食糧庁(同章第1節)および水産庁(同章第3節)のそれを対比しても、それぞれの職務の現業性――すなわち職務の性質上民間においても行うことのできる事業という性格――には格別の差異はみられないのである。)
[42] また、その職務上の責任の多様性についてみると、前掲図表によつて明らかなように、農林行政の方針決定等に直接関与する高級職員(本省課長以上)は全職員96,493名中わずかに172名(全体比0.002%弱)にすぎず、その余の中、下級職員が実に全職員の99%以上を占めるという状況である。
[43] しかるに、国公法98条旧5項は、これら職務や責任の多様な、したがつてその職務の停廃の国民生活への影響も多様である農林省職員を、かれが「非現業」の公務員であるというだけで、全面かつ一律にその争議権を剥奪するものであり、あまつさえ同法110条1項17号はその違反に刑罰を科するというのであるから、その不合理性、ひいて違憲性はもはや疑いの余地なく明白といわねばならない。

二、農林省職員の職務の公共性とその争議行為が「国民生活全体の利益を害するおそれ」の有無、程度
[44] まず、前記の現業的グループについていえば、農業技術研究所や畜産試験場、農業者大学校はもとより、農薬検査所や生糸検査所、動物検疫所の場合でも、それぞれ国民生活ないし国民の健康や安全に関連があるとはいえ、これに明白で差し迫つた危険を生ずるためには、相当長期の職務の停廃がなければならず、それも保安要員等を配置しさえすれば、いかに長期にわたる争議行為の場合であつてもかかる具体的危険はほとんど防止しうると考えられる。食糧庁や水産庁の職員の争議についても同様である。
[45] つきに本省に勤務する非現業グループについてみれば、前掲の任務・権限の内容を一見して明らかなように、その担当する職務はいわゆる公共の秩序や安全に関わるものでなくして、国の資産の保全、開発や国民への生活福祉の供与を内容とするものであり、しかも職務の性質からすれば、同じ農林行政のうちでもさきの現業的グループに比べて国民生活全体の利益への関わりはより全面的ではあるが、間接的ということができる。したがつてその職務の停廃が国民生活全体の利益ないし国民の健康と安全等に及ぼす影響もまた、全般的ではあつても間接的ないし迂遠にあらわれ、国民生活に重大な支障をもたらすおそれが具体的、明白となるには、相当広範囲かつ長期の争議行為であることを要しよう。
[46] このようにみてくると農林省職員の争議行為が合憲的に制限されるためには、それが相当長期かつ大規模な場合に限られるから、むしろ「禁止」という措置よりは「調整」が適当であり、かりに禁止措置がとられるとすれば、高級職員に対象を限定すべきものと思われる。

三、(とくに警職法事件に関して)
[47] 以上に述べきつたところをふまえて考えると、本件原判決は、第一に、冒頭に引用したごとく、本件罰条たる国公法98条旧5項を文字通りに解してこれを非現業国家公務員の争議行為をすべて禁止する趣旨のものとしている点において、仙台安保事件大法廷判決に明瞭に違反し、ひいて憲法28条の解釈を誤るものであり、第二に、本件半日ストをその規模が全国的であるというだけで、具体的にこの半日ストが国民生活全体の利益を害する明白なおそれを生じたか否かについて何ら顧慮することなく、国公法98条旧5項に違反するとし、あまつさえ可罰的違法性ありと断定している点において、中郵判決の基本見解の理解を誤り、さらには仙台事件判決の示す右条項の(合憲的)限定解釈にも反するものであり、第三に争議行為の正当性の法理と争議制限の法理とを混同し、結局において右98条旧5項や110条1項17号の解釈を誤つたものであることが明らかである。少なくとも右判決は農林省本省職員の半日ストによつて、「国民生活全体の利益」を害するおそれが生じたか否かを具体的に審理判断していないことは確かである。

四、(とくに長崎事件に関して)
[48] また同様の見地から長崎事件の原判決をみると、同判決がまず国公法110条1項17号の解釈について、
「国家公務員といつても、その職務内容は多種多様であつて、国民生活に対する密着の度合、影響力には差異があるので、一般的にはその職務が国民生活に重大な影響をもつとはいえ、一時的に職務の停滞があつても、直ちに国民生活に重大な障害をもたらすおそれのない場合もあつて、このようなものについては争議行為を禁止されているからといつて、これを特に非難すべきものとはいえないのであろうし、このような行為をあおつても、労働法域における可罰性を論ずるうえからいえば、これに刑事制裁を科するものと解することは妥当を欠き、合理性にも乏しい。従つて国家公務員の争議行為をあおつたとして処罰されるのは、その争議行為等が政治目的のために行われるとか、暴力を伴うようなもの、または国民生活に重大な障害をもたらす具体的危険が明白であるもの、などのように不当性をもつものについて、これをあおつた場合にまず限定しなければならないと解するのが相当である。」
と述べているのは、叙上の理からしてまことに適確な判示というべく、さらにこれをふまえて、本件長崎統計調査事務所の職員の職務の停廃と「国民生活全体の利益」との関わりにつき、
「しかして、本件農林省長崎統計調査事務所は、原判示のとおり、同省統計調査部に直属する下級機関として設置され、長崎県下における耕地面積及び農作物の作況調査、農山漁村の統計的経済調査その他農林畜水産業に関する統計調査等の業務を掌り、長崎市内に本所をおき、本所には作況調査、面積調査、経済調査、農林統計、水産統計及び庶務の6課があり、県下に22の出張所と1つの試験地を有し、本所各課においては各出張所の上記各種の調査報告を集計し、これを定められた期限までに本省に報告する職務を執行していたもので、それは政府部内において農林行政の企画運営のために必要な統計調査資料を提供するものであるにとどまらず、かなりの数のものが一般に公表され我国における農林部門の情勢を国民に周知せしめるとともに国の施策を検討する資料ともなつているのであるから、これら資料の収集報告は農林行政の基幹として国政に関する重要な業務であることは明らかである。
 けれども長崎統計調査事務所の前記のような業務結果は直接に国民生活に密着したものではなく、第一義的には国の農林行政に奉仕するものであり、また調査と資料の収集という業務の性質上継続的なものではあるが、1回1回の報告の定期性は一応本省におけるとりまとめの必要からの要請に基くものであつて、若干の遅延があつても、終局的に本省における事務に影響がない限り国政に支障を来すものではない。
 ところで、右のように批判しても、前示のとおり本件争議に基因して現実に報告が遅延し、あるいは調査の対象を縮少せざるをえなかつた事実のあることも否定しえられないところといわねばならないが、その中でも本件長崎統計調査事務所内だけでの書類提出や指導の遅延のごときは、国民生活に重大な障害をもたらすものとはなりえないし、本省に対する報告関係においても、原審における証人角桂策の供述記載によれば、本件争議による業務遅滞に関してはあらかじめ長崎統計調査事務所から連絡もしてあり、本省における業務が、そのために重大な支障を来したことはなかつた事実を認めることができるのであつて、右のような業務の停滞遅延の程度では未だ国政の停廃を招いたとは到底認められず、ひいて国民生活に重大な障害をもたらしたものというをえない。」
と説示しているところも、一面において農林統計調査の国政上の重要性を認めつつ、他面、農林統計調査事務の停廃の「国民生活全体の利益」との関わりが間接的であり、直ちに、それに明白で差迫つた危険をもたらすものでないことを適確に指摘しており、間然する余地はない。
■ 弁護人内藤功の弁論要旨
  争議手段の相当性、ピケツト論
  ――上告趣意書第八点・ピケツトが争議行為に通常随伴するものであることについて――
[1] 弁護人上告趣意書第八点、「ピケツトが争議行為に通常随伴するものであること」について意見を申し述べます。
[2] ピケツトは、同盟罷業の実効性を防衛するため、附随的、随伴的な争議手段であります。同盟罷業と不可分関係にあります。これこそ争議行為に通常随伴する行為の最も典型的なものといえます。
[3] 本件では、各被告人の職場大会参加説得行為が、「あおり」として可罰的違法か否かが審理の対象であります。したがつて全体としてのピケツトの合理性は直接の訴追の対象ではありません。しかし原判決は、ことさら、針小棒大に、ピケツト全体を違法なものにえがこうとしています。そのために原判決のピケツトについての事実認定には、重大な誤認があります。この点は、別に竹沢弁護人の弁論で指摘される筈ですが、本弁護人は、かりに原判決の認定どおりにしたがつても正当なピケツトの範囲内であり、到底起訴すべからざるものを起訴したというほかないのです。原判決に従えばピケツト全体の態様は、(1)庁舎各入口に人垣を築いて、(2)正面玄関の扉を旗竿等でしばり、(3)裏玄関の内部に机、椅子等を積み重ねるなどした状況のもとで、職場大会参加を説得した、というのであります。
[4] この事実自体からも、暴行・脅迫、器物損壊などの暴力行使のないこと一見して明らかであります。それは、同盟罷業に通常みられるピケツトの典型そのものであります。
[5] ところが、原判決は、このこと自体が、「可罰的違法性の程度に達し」、「刑罰を科するに足る程度の反社会性、反規範性を具有する」というのでありますが、ゆきすぎの感は拭えません。
[6] このような説得を中心としたピケツトを可罰的とすることは全く不当であります。まず、争議行為の本質は労働者の労務提供拒否だという考え方をとるとすれば、これは大きな誤りであります。同盟罷業の本質が労務提供の拒否にあるということなら判るけれども、同盟罷業だけが争議行為ではありません。争議行為には同盟罷業のほか、ピケツトなどの積極的行為も入つています。これらを含めて争議行為の本質は、その主張貫徹のために使用者の正常な業務を阻害するという点にある(労調法7条)ので、その業務阻害行為の限界いかんが労働法上の課題です。労務提供の拒否以上だからということで、ピケツトを違法視する考え方は、「労働法以前の考え方」(色川幸太郎、「職場占拠」労働法大系3巻 38頁)といわなければなりません。
[7] また、もし、平和的説得論の立場で本件ピケツトを違法なものと断定するとすれば、これも誤りであります。
[8] もとより平和的説得は望ましい理想型ですが、相手方の出方も千変万化な争議のさいの判断にあたり、限界をそのように固定化する見方は、往々にして一面的な結論を導きます。その上、この考え方は、主としてアメリカの考え方を無批判的に、機械的に、導入したものです。アメリカ憲法には日本のような団結権団体行動権の規定はなく、修正憲法14条の言論の自由を根拠にピケツトの合法性が説明されており、そのため平和的説得が限界といわざるをえないものです。この憲法のちがいを無視してはなりません。その上、アメリカ労働運動の中では、歴史的に育てられてきたピケライン尊重の慣行があります。
[9] このことが、ピケツトを平和的説得の範囲にとどめておける背景であります。もつとも一部の使用者は、ピケラインを尊重してそれを突破しなかつた労働者を解雇するケースもおき、多くの判例や裁定が出ています。L・Aヤング事件(1946年、全国労働関係局)裁定は「労働組合にとつて、他組合の設けたピケツトラインの尊重は、労働組合倫理の一ルールである」といつております。
[10] イリノイ電話事件(1950年、全国労働関係局)で、ピケラインをこえることを拒否して格下げされた電話局の労働者はこう証言しています。「組合の一員として、そしてまたアメリカの一市民として、私は申しました。ピケツト・ラインを尊重するのは私の義務だと思つています。」(佐藤昭夫、ピケツト権の研究 112頁。)
[11] このようなピケライン尊重、団結権尊重の気運が、未だ、見られず、本件でも見られるような、実力による強引なピケライン突破や排除が公然と行なわれる状況下では、平和的説得論を固定化させ、これをこえたら刑事上違法というように画一化することはできません。
[12] 最高裁も、三友炭鉱事件(31・12・11 第3小法廷)の判決ではじめて「諸般の情況」を考慮してピケツトの合法・違法を判断すべきことを判示し、平和的説得論を克服したのであります。そして羽幌炭鉱事件の判決(33・5・28)では「労働争議に際し業務行為を阻止するためとられた威力行使の手段が諸般の事情からみて正当な範囲を逸脱した」かどうかを判断基準とすることを大法廷判例として確認したのであります。
[13] とくに、札幌市電事件(45・6・23)の最高裁第3小法廷の決定は、この諸般の事情論を最も詳細に展開した点で重要であります。この決定がとりあげた事情、とくに[1]行為に出たいきさつおよび目的が人をなつとくさせるに足りるものであつたこと。[2]直接暴力に訴えることはなかつたこと。[3]必ならずしも不当に長時間にわたるものでなかつたこと。などは、本件にも全く同様にあてはまるものであります。
[14] なお、右決定に対する松本正雄裁判官の反対意見の中で、「わたくしはピケの正当性は、口頭または文書による、いわゆる平和的説得の程度にのみ限られるべきだとは必らずしも思わないが……」との部分は極めて意味深いものであり、平和的説得論をとらないことは、最高裁の確定した考え方とみられるのであります。
[15] そこで、以上のような諸般の事情により、本件ピケツトをみるという前提に立つて、つぎの諸点を指摘しておきます。
[16] まず、「人垣」についてです。「人垣」というと大変なようにきこえますが、ピケツトには、入口に何人かが並んで立つて見張りや防衛にあたることはつきものです。団結の威力を示す上でも、不可欠の方法です。諸外国では、むしろスト防衛以外に、ピケ隊によるデモンストレーシヨンの効果を期待していることもあるようです。一例として、日本労働法学会誌(31号78頁)に久保敬治教授が報告している西ドイツの、マンハイムのベンツ工場のピケの実情を紹介します。「4月29日午前0時よりストが開始されるや、早朝から、他会社の従業員をふくめて約1千人のピケツトが工場出入口に集合した。それはすぐれてデモ的効果を意図したものといえよう」。ヴエストフアーレン地域の被服製造業ストの先端をきつた従業員1千人以上の5企業に対するストでも、同様であつた。雪の中でブーツをはいたニユー・フアツシヨン、スタイルの若年女子組合員がプラカードをかつぎ、門前に雪だるまにスローガンを書いたピケツトを配置しているという申し分のないデモンストレーシヨンであろう。ピケをそれが多人数なるがゆえに違法とするのは、大きな誤りであります。また、正面玄関、裏玄関の、旗竿や机、椅子の問題も、これで出入が完全に絶対的に阻止されるということはなく、農林省の出入口は、正面玄関だけではないのであつて他の出入口、すなわち、郵便局口と海上保安庁口とは、出入が自由であつたのですから、問題になりません。(この点の詳細は竹沢弁護人が陳述する。)
[17] 次に、管理者らのピケラインへの突入とこれに対抗する行為の相当性にふれておきます。
[18] まず管理者らが、真に入庁して執務する意図をもつて突入してきたかどうかをよく吟味する必要があります。これは入庁の意図でなく、もつぱらピケツトの排除を目的としたこれこそ攻撃的な暴力行為であることは、原判決からもうかがえます。そのようなピケ・ライン排除はゆるされないことです。なぜなら、もし、真に入庁して執務するのならば、郵便局入口は通行可能なのですから、そこに行き、一定の説得をうけたのち、入庁することは全く可能であつたのです。すべての出入口が、みな閉鎖されていたのならともかく、他に出入口があるのに、あえて裏玄関のピケ隊排除をはかることは違法な職務執行です。これは暴力行為にほかなりません。また、職場大会は、長時間やるわけではなく、あともうすぐで、終了するわけです。それをまつて入庁すればよいわけです。なぜ、まてないのか。農林省だけでなく、どこの官庁、企業でも全員がそろつてはじめて仕事が回転し動くのです。どうして、職場大会が、もうすぐおわるという時間になつて緊急にピケツトラインを実力を行使してまで排除すべき必要があつたのか。全くその必要は認められません。しいていえば警察当局と相通じ、機動隊の実力行使をさせ、職場大会を混乱させ、団結に対し妨害をしさらに、本件を刑事事件として弾圧する口実をつくるための排発をしたとみるほかないでありましよう。
[19] このような当局のたいどには、アメリカその他先進国労働運動の歴史の中でつくられたピケライン尊重すなわち団結権尊重の一かけらもみられないことはまことにいかんの極みであります。
[20] これに対し、対抗する組合ピケ隊のなすべき態度は何でありましようか。暴力をひかえ、さらに説得をつづけること、説得のためにスクラムをくんで消極的に防衛するのは最低限許された方法でありましよう。原判決認定によるも現場の指揮者は、「とにかく表へ行つて職場大会をやつているのだから参加したらどうか。組合員として参加することは当然ではないか。」とよびかけたというのです。つまり、相手方の暴力に対しても、暴力を以てむくいることなく、言論による説得で応対していることが明らかであります。
[21] 相手方の出方に応じ、最少限の抵抗を認める判例は、さきの札幌市電事件の最高裁第3小法廷決定のほか、高裁、地裁段階では、むしろ主流となつてきています。たとえばさきの札幌市電事件の高裁判決(42・4・27)は全逓中郵事件の基本的な考え方をうけて、
「ピケは憲法上の権利に由来し、そこにはおのずから一定の制約の存することも認めなければならないが、反面これを余りに制約することによつて憲法の保障を有名無実のものとするような解釈をとることも厳重に慎まなければならない」
と述べています。大阪高裁の新聞印刷事件の決定(33・7・30労民集9巻4号540頁)は
「使用者側のスト破り又はピケ突破の排発行為があり、これに対抗してピケラインを防衛する限度において必要な最少限度の実力行使は、やむをえないものとして許容され、違法性がない」
と判示しています。とくに全逓中郵判決以降、この趣旨の判決は、続出しており、今や大きな流れとなるに至つています。したがつて、本件の如きピケツトは、いかなる意味においても、平和的説得ないし団結力の示威の範囲内の正当な争議行為とみられるものであります。
[22] 以上のように、本件ピケは全体として、正当な争議行為の範囲に入り、少なくとも刑罰を科すべき反社会性の強度な行為といえないことは極めて明らかであります。
[23] そして、誤解ないように申し上げたいのは本件では右の如きピケそのものが起訴されているのではないのであつて、以上のような状況のもとに、説得した5人の行動が起訴されているのです。「被告人らの前記一連の行動そのものは、激越でない」と原判決も認めている以上、争議行為に通常随伴する行為として罪とならないことは当然であります。
[24] さいごに一言。本件の如き秩序正しく節度あるピケツトを起訴したのは、暴力的とか多人数とかいうようなことではない。それは、あとでつけた理由です。平和的説得自体が、「煽動」という考えでやつたのです。その根拠は、昭和30年12月3日官房長会議決定「国家公務員及び公共企業体職員の争議行為について」及び32年9月27日の閣議了解である。これらは、「共謀、あおり、そそのかし」とは何かについて左のとおり、具体的に書いていました。
[25] 「業務の正常な運営を阻害する行為をなすこと」の決議、指令、指令伝達、演説、説得、アジビラの配布、貼布」、そして「ピケツテイングとして平和的に行なわれる説得」であります。この「見解」に対して、批判が出たけれども、まさか、実際に平和的なピケを逮捕起訴することはあるまいと労働法学者もみていた。ところが、まもなく実行にうつしたのである。その第一着手が東京中郵事件、「職場大会に参加するよう説得」「仕事をやめ東京駅降車口前附近に集合するよう説得」という起訴状であつた。その第二弾がこの警職法事件なのです。つまり、本件訴追は、平和的説得であること、換言すれば、民間労組のピケなら到底有罪にできないようなピケであることは充分承知の上で、ただ公務員法の争議禁止処罰規定と政府見解のみをたよりになされた無暴極まるものだということを指摘したい。かかる無暴な起訴及びそれを容認した原判決を破棄し速かに無罪の判決を確定させ、再びかかる暴挙に出ないよう検察権の不当な行使を戒められたい。
■ 弁護人竹沢哲夫の弁論要旨
  警職法事件あおりの適法性等について
  ――上告趣意第九点に基き――
  目 次
はじめに
一、訴因外の事実であること
二、本件「あおり」の通常随伴性
三、「あおり」の通常随伴性と4・2判決
おわりに
[1] 私は、一審の無罪判決を破棄して有罪とした原判決のうち、第二の事実、つまり、昭和33年11月5日の農林省前の職場大会に関し被告人らがあおりの罪にとわれている事件について、上告趣意九点に関連して弁論する。
[2] 原判決は第二事実において「あおり」の状況事実として各入口のいわゆるピケのほかに「殊に正面玄関の扉を旗竿等をもつて縛りつけ、又裏玄関の内部に机、椅子を積み重ねるなどした状況のもとに」という認定をつけ加えている。
[3] 4・2判決の具体的適用の問題として、先に弁論されたピケツトの問題とこの旗竿等の問題とか、あるいは本件職場大会に農林省地下の食堂従業員をもつて組織される食堂労組等が加わつていることをいわゆる第三者論にむすびつけるなどによつて、「あおり」の通常随伴性を否定しようとする議論が出る可能性なしとしない考え、弁護人は本問題について意見をのべておきたいと考える。
[4] まず、指摘しなければならぬのは、旗竿等の問題、あるいは食堂労組等が「あおり」に参加したという問題は、当初から検察官によつて訴因の内容から意識的に外され、当事者の攻撃防禦の対象ではなかつたことである。
[5] 本件の公訴事実の概要と構成をみて頂きたい。公訴事実は第一事実と第二事実にわかれ、第一事実には10月30日の全農林労働組合中央委員会で共謀の上11月5日には正午出勤の行動に入れという指令を全国に発出したことがあおりの企てになるとするものであり、第二事実は、右指令にもとづく行動の、農林省前の具体化として行われたものとして構成されているのである。
[6] このように本件全体の流れを、検察官は全農林労働組合中央執行委員長名義の指令の発出、それにもとづく農林省前の全豊林労働組合としての行動の具体化としてとらえている結果、農林省前で11月5日、行われた集会、つまり本件職場大会について、
(1) 本件職場大会の性格は全農林労組単独の職場大会
(2) そのあおりの主体は全農林労組の被告人ら幹部
(3) あおりの対象は農林省庁舎に勤務する農林省職員3千余名
と構成していたし、この公訴事実の構成についての主張は一審求釈明でも確認されているし、冒頭陳述でも明記されたものであり終始変つていないのである。
[7] 検察官は、事実がわからなかつたから、このような全農林単独の職場大会として構成したのか、そうではないのである。
[8] 警視庁の公安や丸の内署は本件職場大会に当初から準備して介入し、職場大会の模様の写真を多数撮影している。その写真の中に、農林省正面入口に立つている、白い帽子のコツクさんが何人か写つており、これが農林省職員でなく、食堂従業員であることは一見して認識しえたはずであるし、旗竿などの写真も当初からあつたのである。また、農林省庁舎内には林野庁があり、その職員がいることなどは当然わかりきつていたはずである。
[9] 思うに検察官は、本件第二事実の構成を第一事実の指令の延長としてとらえたことつぎに、国公法の「あおり」の罪を被告人らに問うには、全農林労組の職場大会として単純化してつまりスマートな形に構成し、「あおり」の主体を全農林幹部、「あおり」の対象を農林省職員とすることによつて、訴訟遂行上の夾雑物をとり除いておこうとの意図があつたと思われること、これらの結果として、第二事実が構成されているのであつて、検察官はこれをもつて国公法の「あおり」事件としては必要にして充分としてきたものと思われる。
[10] この点、もう少し立ちいつてみると、
[11](1) まず、公訴事実第二の事実をみて頂きたい。
[12] 「被告人等は……と共謀のうえ、……農林省庁舎の各入口に人垣を築いて、出勤してくる同省職員3,000余名に……」としている。つまり、「人垣を築いて」と書いて、その余の主張を一切していないのである。もし、その余の主張として、旗竿、机、椅子の積み重ね等を主張するのなら、法律家の常識としてせめて「人垣を築くなどして」と記載するはずのものである。検察官はそれをあえてしていないのである。
[13](2) 検察官が「人垣」つまりピケツト以外は主張していないことは、一審における検察官の起訴状に対する釈明と冒頭陳述によつて、さらに明らかになる。
一審における検察官の釈明
「各入口に人垣を築いて、出勤して来る農林省職員3千余名に入庁しないようしむけた上、同人等に対し、同省正門前の職場大会に直ちに参加するよう反覆して申向け、勤務時間内に開催される右職場大会に参加方を慫慂したことである。」
一審検察官の冒頭陳述第五の二
「11月5日は、右中闘会議の決定にしたがつて、それぞれ分担の配置につき、午前8時頃から庁舎各入口にピケをはり、出勤してきた約3千余名の農林省職員に対して被告人等がそれぞれ口頭、又はマイク、メガホン等を使用して「庁舎に入らず、職場大会に参加せよ」の旨呼びかけて庁舎への入室を阻止して争議行為の遂行をあおつた」。
[14] 右のとおり、ピケ以外の主張は判然と一切されていないのである。
[15] 人垣以外の問題が訴因の中にふくまれないことは、何度も念を押してたしかめられたことであり、攻撃防禦の対象から外れたこと柄であることは、検察官、弁護人とも何ら疑わず、推移してきたのである。
[16](3) 検察官が一審以来、人垣つまりピケの問題以外には、食堂労組等の参加(第三者論)とか旗竿等の主張をしなかつた理由としては、本件職場大会を全農林単独の職場大会として構成することにより「あおり」事件としては必要にして充分であるとしていたことがまず考えられることは前述した。
[17] さらに旗竿のしばりつけ、机、椅子の積み重ね問題を検察官はなぜ外したのか。それは、原判決が「正面玄関の扉を旗竿等をもつて縛りつけ」と判示している正面玄関は、全林野労働組合および食堂労働組合の分担であつて全農林労組は関係ないこと、裏玄関内部の机、椅子は職場大会がはじまつた午前10時以降、当局側の出方に対抗して一時的、突発的に何ものかによつて積まれたと認められるのであるが、それは裏玄関に通ずる正面玄関担当者、つまり食堂労組、全林野など組合員によるものとするのが、もつとも可能性としてはつよく、全農林労働組合が関与したとみるべき証拠はなく、可能性としてもきわめてうすいこと、そのため、本件を全農林労働組合単独の職場大会としてとらえ、全農林幹部の農林省職員に対する参加よびかけとして構成し、それ以外をはずすという、検察官の基本方針からすれば、全農林とのかかわりの証明されにくいようなこれらの問題を主張しないというのは自然のなりゆきであつたとみられるのである。
[18] このような事実ならびに経緯に従つて考察すると、一審裁判所が検察官の請求訴因に対する判断として、人垣以外の問題に直接ふれなかつたのは、訴訟法上きわめて至当であるといわなければならないのである。
[19] ところが原判決は「説得、慫慂行為等の法律的評価」は「附随的事情」を加えた観点からこれをなすべきものとの独自の解釈をうち出し、そのため、一審では厳格にまもられ限定されていた訴因のワクを右法律解釈のもとに一方的に不意打的にとり外した上、あえて原判決の如き認定を行つたのである。
[20] 新島事件に対する大法廷決定(昭和41年(あ)第2101号、昭和46年3月24日附)のいうとおり
「現行刑訴法においては、いわゆる当事者主義が基本原則とされ、職権主義はその補充的、後見的なものとされ」「審判の対象設定を原則として当事者の手に委ね、被告人に対する不意打を防止し、当事者の公正な訴訟活動を期待した第一審の訴訟構造のうえに立つて、刑訴法はさらに控訴審の性格を原則として事後審たるべきものとしている」
のである。
[21] 本件原判決の認定はしたがつて、当事者間において攻防の対象からはずされたものを、独自な法律解釈(その法律解釈が4・2判決と全く相反し、今日維持しうるものでないことは明らかである)のもとに、被告人に不意打を与える態様で認定したものであつて、現行刑事訴訟の基本構造にもとるものであつて違法なものとしなければならないのである。
[22] 本件訴因において、検察官が主張した「あおり」の内容というのは、公訴事実あるいは先に引用の検察官の釈明、同冒頭陳述によつて明らかなように「職場大会に直ちに参加するよう反覆して申し向け」たこと(公訴事実)、これをより具体化すれば「農林省の職員に対し、口頭又はマイク、メガホン等使用して庁舎に入らず、職場大会に参加せよ、の旨反覆して呼びかけた」(検察官冒頭陳述)ということである。
[23] 原判決の認定事実をそのまま肯認する場合、被告人ごとの「あおり」行為というのは、簡けつに表現すると
「鶴園―マイクによる参加よびかけと趣旨説明
 江田―メガホンによる参加よびかけと大会における開会宣言
 中野―各入口のピケ巡視と北側入口ピケ指揮
 西川―大会における司会
 国井―裏側入口ピケ指揮とピケ排除に対する妨害並びに参加よびかけ」
というのである。
[24] このうち、西川被告は職場大会の司会を行つたにすぎず、中野被告はピケの巡視と指揮をしたというのであつて、原判決でさえ「あおり」とは「証拠上認め難い」といわざるをえなかつたのである。その他の被告人らの行為は、全農林労働組合幹部として農林省職員に対して、職場大会参加方をよびかけたという以外のなにものでもなく(国井被告のピケ排除に対する妨害というのは職場大会の終りごろ一時的に局部的事態として、当局、警察一体となつた不当排除に対する最少限の抵抗であり、この点は同被告の再三の陳述等を検討すれば明白である)もつとも典型的に争議行為に通常随伴する、組合幹部の組合員に対する指導行為である。この通常随伴性を否定すべき、他のなんらの事実も認められないのである。
[25] ここで、とくに裁判所に留意して頂きたいことがある。それはつぎのとおりである。
[26] 原判決によると
「被告人西川は職場大会の司会を行なつたに止まり、又被告人中野は庁舎の各出入口を巡視したほか、北口入口においてピケツト要員を指揮していたのみで、両名とも直接農林省職員らに対し職場大会への参加方を説得、慫慂したような行動に出た形跡は証拠上認め難い」
としている。つまり、西川、中野については「あおり」に該当する事実が原判決によつてもないのである。「あおり」がなく、争議参加行為しかなくて、どうして両被告は有罪にされているのか。
[27] 原判決はいう。
「しかし、これは11月4日の各自の分担決定の結果、職場大会の司会或は巡視等を分担することになつたからであつて、……相互に意思の連絡があり、しかも各自職場大会の実施を効果あらしめるための一分野をそれぞれ実行している以上、被告人西川及び同中野としても、被告人鶴園、同江田及び同国井らの職員に対する職場大会への参加方の説得、慫慂行為に関与したものとしての責任を負うべきものといわなければならない」。
この論法でいけば、分担に従つて行動している組合員―つまり、職場大会参加者の多くが「意思の連絡」を認定され、職場大会の「一分野をそれぞれ実行している」とされれば、「あおり」行為がなくても、「あおり」に関与したとして刑事罰の対象にされるということである。
[28] 「あおり」を限定すべき理由の一つに、争議行為そのものは刑事罰の対象になつておらない法の建前を、「あおり」等の安易な解釈、適用によつておかすことになることがあげられている。4・2判決もまた、この建前に立つて「あおり」等の可罰要件として「あおり」等が争議行為に通常随伴すると認められるものでないことをあげて限定すべきものとしたことはいうまでもないのであるが、原判決の右の認定こそはまさに限定しない場合のおそろしさ、つまり、無限定合憲論が刑法60条の共謀と野合して、争議行為不処罰の原則を完全にじゆうりんし、その趣旨を没却している姿を示している。このやり方でやられると争議行為に関与し、参加した者の大部分について官憲のねらつた任意の相手方(労組員)、任意の態様の行為をとらえて、刑事罰を科しうることになる、そのおそろしさを示しているものといわなければならない。したがつて、この原判決の西川、中野両被告に対するおどろくべき判示こそ、あおり限定解釈の必要性をもつともよい実例としてここに示しているのである。
[29] 4・2判決があおり行為等処罰の要件の一つとして「あおり行為等が争議行為に通常随伴するものと認められるものでないこと」(安保6・4事件)をあげていることは先述した。
[30] ここで、争議行為に通常随伴性を有するかどうか、問題にすべき対象はあおり行為自体であつて、そのおかれた状況でも附随的事情でもないことを留意しなければならない。
[31] 本件の場合でいえば、「あおり」とされているのは被告人ら組合幹部の農林省職員に対する、職場大会参加よびかけ行為であつて、それ以外のものではない。あるいは、脅迫的言辞を弄するとか、兇器を用いて参加しようとしたとか、いう場合が、あおり自体に通常随伴性を否定される場合に当たろう。
[32] しかし、本件ではピケツト(人垣)はもともと「あおり」として主張されていないことは公訴事実の記載自体に明らかであり、さらに原判決のいう附随的事情としての旗竿等の問題も、前述のとおり訴因に含まれず、「あおり」の内容をなすものでもないことは明らかである。したがつて、ピケツトとか、旗竿等について、かりに原判決どおり認定するとしても、それが「あおり」の通常随伴性の認定を左右する性質のものではないのである。
[33] この点、ピケ自体を「あおり」として訴因をたてていた安保6・4事件の場合と本件とは、訴因のたて方自体が異つていることに注目しなければならない。
[34] 安保6・4事件の確定した事実関係をみると、国鉄労組員、東北大生等により仙台高裁入口にいわゆるピケがはられた、とするのであるが、検察官の主張はその国鉄労組員、学生らのピケが裁判所職員に対する「あおり」であると構成され、被告人らはその国鉄労組員らとの共謀による「あおり」の責任をとわれたのである。つまり、同事件の場合は、同事件のたとえば坂根茂被告が右ピケを前提として、「参加してくれ」としようようしたというのではなく、同被告が直接参加していない。国鉄労組員らのピケツトがあおりそのものの内容として主張されていたのであり、本件のようにピケツトをはつたうえで被告らが職員に呼びかけた、という構成とは全くちがつているのである。
[35] ここで、指摘したいのは安保6・4事件の場合、ピケツトがあおりの内容そのものであると検察官によつて主張され、判決はこれを肯認したが、それでもそのあおりの違法性の根拠をそれがピケだからというところにおいていない、ということである。つまり、ピケが存在したことは認定され、かつ、それがあおりであると認定されながら、そのピケがピケだから通常随伴性がない、との認定は一切ないことに注目したいのである。いうまでもなく、同事件があおりに強度の違法性を認めたのは、いわゆる第三者論であり、第三者との共謀論であつたのであつて、ピケではなかつたのである。
[36] 本件についてこれをみると、公訴事実の記載、原判決の罪となるべき事実の記載のいずれによつたとしても、いわゆるピケの記載は安保6・4事件のようにあおりそのものとしてではなくよびかけ行為に伴う状況もしくはよびかけ行為の前提の記載にすぎないのである。
[37] そうとすれば右安保6・4判決の例によつても本件はピケなるが故に通常随伴性がないと評価することはできないのであり、被告らの参加しようよう行為自体に違法を云々すべき何ものもないことが明らかである。
[38] その他、原判決が、今日の特点では到底維持しえないことが明らかな独自な法解釈を前提として、前述のように当事者の争点ともなつていない、訴因外の事実をも混じえて、事実を構成し、重大な事実認識をおかしている点については、上告趣意書第九点に詳しく記載したので省略する。原判決の重大な事実誤認が原判決の法令解釈に導かれ、これに照応するものである、と弁護人は右第九点で主張しているのである。第九点の表題が「原判決の重大な事実誤認と証拠に基づかない事実認定に付いて」のみ、主張しているかにみえるが、そうではなく、法令解釈、適用上の重大な誤りの主張もその中にふくむことを御諒解頂きたい。
[39] 第二事実において被告人らが「あおり」の罪として訴追されている事実というのは、組合幹部として組合員に対して職場大会に参加するよう呼びかけた行為、それだけであり、それに限定されてきているものである。そうとすれば、そのよびかけ行為は、争議行為に通常随伴する最も典型的なものであるから違法性は全くないのである。
[40] いわゆるピケツトは争議行為に通常随伴性を有するのみならず、本件はピケを「あおり」の内容として起訴された事件ではない。また、正面玄関に旗竿を縛りつけたとか、裏玄関内側に机・椅子を積んだ等の行為は被告人を含む全農林労組とは関係ないものであり、被告人らの認識の外の局部的できごとである。されば、これらの事実は食堂労組ら関与のことなど(いわゆる第三者論にむすびつけられるような事実)とともに、検察官は当初から意識して主張からはずしていたものであり、もともと攻撃防禦の対象とはなつていないものである。これを不意打に認定した原判決は、そのこと自体違法であるが、もともと旗竿等の事実は「あおり」の内容としても、あるいはその状況としても主張されておらず、本件「あおり」事件とは関係のない事実関係であるといわなければならない。
[41] 本件訴因の構成を前提とし、4・2判決にてらして右ピケや旗竿等の問題を考えるならば、これらすべてについて原判決認定事実を肯認したうえでも、違法性のつよいあおりに結びつけることはできないのである。
[42] 政治スト違法論自体が誤りであり、さらに政治スト違法論によつて本件警職法闘争としての職場大会を違法視することが許されるべきでないことが、さきの弁論で明らかになつている以上、本件は4・2判決のかかげた諸原則がそのまま通用する事件であるというべきである。本件原判決は破棄され、ただちに無罪の判決をされてしかるべきものと信ずる。
[43] 最後に付言しておきたい。
[44] 本件警職法闘争としての職場大会のおこなわれたのが昭和33年11月5日。それはわたくしにとつても忘れることのできない日である。当日、農林省前で本件職場大会が行なわれていた。その隣の最高裁判所大法廷では松川事件10回にわたる弁論の第1日目が開かれており、わたくしたちはこの法廷にいた。いまはなき広津和郎先生はそのときこの傍聴席におられた。その弁論の最終日は11月24日であつた。その間、本件職場大会にみられるような、警職法改悪反対の闘争は急速にひろまり、広大な国民の与論をかたちづくることとなつた結果として、11月22日にはついに廃案、そのことによつて本件職場大会をふくむすべての警職法改悪反対の闘争の正しさをも証明することとなつたのであつた。ところが、廃案になつた、その翌日、ちようど休日であつた23日早朝を期して一せいに、被告人らをふくむ全農林幹部21名をつぎつぎ逮捕、組合事務所等から大量の書類をもち去り、組合機能に一時、壊滅的打撃を与えた、弾圧となつたのが本件である。警察官の職務権限の拡大をねらつた警職法改悪案が廃案となつたことに対する、警察側の反対運動に向けた報復であるといわれたのである。
[45] 松川事件はその10回の弁論をつうじて死刑有罪の判決が破棄され、ついにのちに無罪が確定することとなつた。その弁論1日目に隣の農林省前で実施された本件職場大会、その際の警職法改悪案はまもなく廃案となつてしまつたのだが、ひとり刑事事件としての国公法違反をとわれた本件が、いま、ここに最高裁大法廷に、10数年を経てきているのである。あれを思い、これを想い、10数年の時の流れにいささかの感慨をもよおすのであるが、どうか、その間にも発展してやまなかつた官公労争議にからむ裁判の流れにてらし、本件について、歴史の審判をたえうる裁判をされるよう、つよくもとめるのである。
■ 弁護人佐伯静治の弁論要旨
  検察官弁論に対する反論 その一
  ――政治スト論について――
  目 次
はじめに
(一) 政治ストはいわゆる違法性の強い争議行為に当らない
(二) 政治ストが違法だというのはどういう意味なのか
(三) 違法性の強い争議行為とは何か
  1、判決の文理から
  2、判決の理論から
  3、以上のことは次のような一般に承認されている法解釈の原則によつても支持される
  4、小括
(四) 判決の誤りの原因
(五) 結論
[1] 検察官が、本件についてもつとも強調するのは、本件が政治目的の争議行為―政治ストだという点である。これに対して、佐藤、内藤両弁護人から、本件争議行為はいわゆる政治スト、すなわち労働組合の目的を逸脱するという意味での政治ストではないこと、また政治ストも憲法28条によつて保障されることを述べられた。また本件争議行為が政治ストであつても、あおりが争議行為に通常随伴するものにとどまるかぎり、国公法110条1項17号によつて処罰されることはない。これも尾山弁護人によつて述べられた。そこで私はこの点はさておいて別の面から、仮に、本件争議行為が政治ストであり、かつ、政治ストが争議行為の正当な範囲を逸脱するものであるとしても、なおかつ、本件争議行為は罰条である国公法110条1項17号の争議行為に該当しないということを明らかにしたいと思う。この点もまた、おおむね、新井、尾山両弁護人によつて述べられたはずであるが、両弁護人の所論は基礎理論からの解明を目的とされている。私は、中郵、4・2判決に即して、いわば、この3判決の正しい解釈とでもいうべき立場から、この問題を述べてみようと思う。私はさきの長崎事件の弁論において、3判決の基本的立場を強く支持しつつ、その具体的適用についてはなお今後の発展にまたなければならない点があると述べたのであるが、この問題もまたその一つである。
[2] なお以下に述べるところは、直接には4・2判決の多数意見を対象としているが、基本的には岩田裁判官の意見に対してもそのまま当てはまる。
[3] すでに述べたように、全司法判決は、国公法110条1項17号によつてあおりが処罰されるためには、あおりの対象となる争議行為が違法性の強いものであることが必要であるとし、その違法性の強い争議行為の典型として政治ストをあげているのであるが、これは誤りであつて、仮に政治ストが正当な争議行為の範囲を逸脱するものであつても、右にいう違法性の強い争議行為には当らない。私がいいたいのは、このことである。以下にその理由を述べる。
[4] まずこのことから明らかにする必要がある。しばしば、政治ストは違法だといわれる。たとえば、全司法判決をみても、弁護人の上告趣意第五点についての判断の中で、
「使用者たる国に対する経済的地位の維持、改善に直接関係があるとはいえない、このような政治的目的のために争議を行なうがごときは、争議行為の正当な範囲を逸脱するものとして許されるべきではなく」
といつている。このような表現をみると、政治ストは、いかにも悪いことであり、処罰されるのは当り前だというように見える。しかし実は、これらの表現がきつすぎるのであつて、政治ストは悪いこと、一般にいわれる意味での違法なものではない。
[5] 全司法判決は、いま引用したように、政治ストを「争議行為の正当な範囲を逸脱するもの」としている(いまの私の弁論は政治ストが正当な争議行為の範囲を逸脱しても、という議論であるから、当然政治ストが正当な争議行為の範囲を逸脱するものであることを仮定している)。そうだとすると、「争議行為の正当範囲を逸脱する」とはどういうことだろうか。憲法28条は労働者の争議権を保障している。そのことは、争議行為を権利として保障するということであり、その保障を労働組合法は具体化して、正当な争議行為には、刑事(労組法1条2項)民事(同8条)の免責があり、正当な争議行為を理由に使用者から不利益取扱いを受けることがない(同7条)と定めている。いま本件での争点である刑罰との関係でいえば、正当な争議行為には刑事免責があるということである。そうして刑事免責があるというのは、争議行為としてでなく、他の目的でなされたならば、刑罰法規によって処罰されるような行為であつても、それが争議行為として正当なものであるならば、処罰されることはないという意味である。すなわち、争議行為は、普通なら処罰されるような場合でも争議行為としてなら処罰されないという特別の保障があるということである。争議行為が正当な範囲を逸脱すると、このような特別の保障を受けられなくなるということになる。すなわち、一般市民としての行為なみの扱いを受けることになるということである。政治ストが正当な争議行為でないというのは、まさにこの意味であつて、決して政治ストが悪いこと、一般のことばの用例での違法なことを意味するわけではない。そうだとすると、政治ストを「違法性の強いもの」としたり「許されるべきでない」とするのは、そもそも誤りだといわなければならないのである。まして、政治ストは処罰されるのは当然などという考えがあるとしたら全くの誤りである。以上のことは、誰にもわかりきつたことであるはずだが、まず、このことをはつきりしておくことが必要である。
1、判決の文理から
[6] それでは、判決のいう、「争議行為自体が違法性の強いもの」とは、どういうことをいうのだろうか。どういうことをいうと解するのが4・2判決の趣旨に適合するのだろうか。このことをここで明らかにしよう。
[7] 4・2判決は、すでに他の場所で、争議行為が違法性の強弱ということを論じている。都教組判決は、その理由の二の第1段(最刑集311-2頁)において、まず、公務員の争議行為を禁止した趣旨は、公務員の争議行為が「国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な支障をもたらすおそれがあるので、これを避けるためのやむをえない措置として、地方公務員の争議行為を禁止したものにほかならない。」とし、続いて、
「ところが地方公務員の職務は、一般的にいえば、多かれ少なかれ、公共性を有するとはいえ、さきに説示したとおり、公共性の程度は強弱さまざまで、その争議行為が常に直ちに公務の停廃をきたし、ひいて国民生活全体の利益を害するとはいえないのみならず、ひとしく争議行為といつても、種々の態様のものがあり、きわめて短時間の同盟罷業または怠業のような単純な不作為のごときは、直ちに国民全体の利益を害し、国民生活に重大な支障をもたらすそおれあがるとは必ずしもいえない。」そこで「地方公務員の行為が地公法37条1項に禁止する争議行為に該当し、しかも、その違法性の強い合場も勿論あるであろうが、争議行為の態様からいつて、違法性の比較的弱い場合もあり、また、実質的には、右条項にいう争議行為に該当しないと判断すべき場合もあるであろう。」
といつている。これをみれば、ここでいう「違法性の強い場合」とは、国民全体の利益を害し、国民生活に支障をもたらす度合いの強い場合をさしていつているのであることは明らかであろう。
[8] そうだとすると、さきに引用した「争議行為自体が違法性の強いものであることを前提とし」(都教組判決)とか、「争議行為そのものが……違法性の強いものであることのほか」
(全司法判決)とかいつている場合の「違法性の強い」ということばも、同じ意味に解すべきであろう。すなわち、あおり行為等処罰の前提としての「争議行為そのものの違法性が強い」というのも、国民生活に対する支障の程度をさすと考えなければ、一貫しない。

2、判決の理論から
[9] 以上は、判決の文言から意味を確かめたのであるが、判決の基本的な考え方からいつても、そうあるべきものである。
[10](1) なぜなら、公務員法が公務員の争議行為を禁止するのは、さきに述べたように、公務員の争議行為が「国民全体の利益を害し、国民生活全体に重大な支障をもたらすおそれのある場合」なのであるから、公務員の争議行為が違法であるということの実質は、このような国民生活に対する支障にあるからである。争議行為がどの程度国民生活に支障をもたらすかは、争議行為をする公務員の職務と争議行為の態様によるものであつて、政治ストであるか否かは関係がない。
[11] これをもう少し法則化した言い方をすれば、公務員の争議行為が違法だとされるのは、争議行為禁止規定に違反するからであつて、それ以外の理由はない。したがつて、公務員の争議行為の違法性の強い弱いがいわれるとすれば、この禁止違反の程度の強弱以外にはありえないのである。
[12](2) 「違法性が強い」ということをこのように解すべきことは、また、中郵判決からの当然の結論でもある。
[13] 中郵判決の示した労働基本権制限が合憲であるための4条件の(3)(最刑集907頁)は
「労働基本権の制限違反に伴う法律効果、すなわち、違反者に対して課せられる不利益については、必要な限度をこえないように、十分な配慮がなされなければならない。とくに、勤労者の争議行為に対して刑事制裁を科することは、必要やむを得ない場合に限られるべきであり、同盟罷業、怠業のような単純な不作為を刑罰の対象とするについては、特別に慎重でなければならない。」
とされているが、ここにいう刑事制裁を科する「必要」とは4条件の(2)と対照するならば、
「職務または業務の停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあるものについて、これを避けるために必要やむをえない場合」
をいうのであるから、刑事制裁を科してまで制限する必要の根拠は国民生活に対する支障なのである。

3、以上のことは次のような一般に承認されている法解釈の原則によつても支持される。
[14] 形式的にみれば刑罰法規の構成要件にあたるような行為であつても、その法が保護しようとする法益に照し、類型的に構成要件に当らない行為がある。たとえば社会上の儀礼の範囲にとどまるものは賄賂にあたらない。したがつて公務員法が争議行為をすべて禁止しているように見えても、国民生活に重大な支障をもたらすおそれのないものは禁止された争議行為にあたらない。

4、小括
[15] このように、公務員法の争議禁止の趣旨から見ても、政治スト違法だといわれる趣旨からみても、あおり行為等処罰の前提としての「争議行為自体が違法性の強い場合」として、政治ストをあげることは、明らかに誤りであるといわなければならない。
[16] それではどうしてこのような誤りが生じたのであろか。念のためにこれを明らかにしておこう。それを明らかにすることによつて、政治ストを違法性の強い場合としたことの誤りが、さらに明らかになるだろうからである。
[17] 全司法判決が、争議行為が職員団体の本来の目的を逸脱してなされる場合など3つの場合を違法性の強い場合としてあげたのは、中郵判決に由来するものであることは推定するに難くない。中郵判決はさきにも引用したように理由五項末段で(最刑集913頁)
「もし争議行為が労組法1条1項の目的のためでなくして政治目的のために行なわれたような場合であるとか……場合には、憲法28条に保障された争議行為としての正当性の限界をこえるもので、刑事制裁を免れないといわなければならない。」
といつているので、全司法判決はこれに由来するものであろう。
[18] しかし、同じく正当性の限界をこえる3つの場合をあげていても、中郵判決の場合と全司法判決の場合とでは、全然場合が違うのである。中郵判決の場合は、労組法1条2項による刑事免責がない場合とはどういう場合かを示しているのであつて、それは争議行為が正当性の限界をこえる場合だといつているのである。政治ストが正当性の限界をこえるものであるか否かについては争があるけれども、これを肯定する説があることは顕著であつて、これを正当性をこえる場合の例示とすることはこれを形式的にいえば、中郵判決の場合は刑罰法規の構成要件に該当しても刑事免責があるかどうかの問題であり、全司法判決の場合は刑罰法規の構成要件それ自体の問題、構成要件それ自体の(限定)解釈の問題である。全司法判決は、中郵判決とのこの違いを十分に考えないで、刑事免責についての考え方を、罰条の解釈に誤まつてとり入れてしまつたものと思われる。新井弁護人のいうところの争議行為の正当性の原理を適用すべき場合と、争議行為制限の法理を適用すべき場合とを混同してしまつたのである。
[19] このように、国公法110条1項17号による処罰ができるかどうかの問題としては、政治ストが違法であるかどうかということは、もともとかかわりのないことなのである。そうしてまた、政治ストは許されないとかか、禁じられているとかいうこともないのである。政治ストであるということは、そのために、たとえばピケツテイングが刑事免責を受けられない場合があつたり、民事制裁を受ける場合があつたりするかもしれないということなのである。
[20] 国公法110条1項17号に該当するかどうかは、その争議行為がそれをあおる等をした者に刑罰を科さなければならないほど国民生活に重大な障害を与えたかどうかということと、そのあおる等の行為が争議行為に通常随伴するものであつたかどうか、によるのである。政治ストかどうかは全く関係ない。
■ 弁護人東城守一の弁論要旨
  ストライキ権理論とその司法審査
  目 次
大要
第一 公共労働職員(Public Servant)の「労働者」性(Public Employee)について
第二 争議権保障の意義
第三 ストライキ権とその司法審査
第四 補論(検察官論旨への反論)
一、公共労働職員の「労働者」性
二、争議権保障の意義
三、ストライキ権とその司法審査
四、補論(検察官論旨への反論)
[1]一、今日、国公法・地公法・公労法・地公労法などいわゆる公共労働についての実定法が形成する法制度のなかで、そこで勤務する労働者の法的地位をどのように把握するかということが、これらの法制をめぐる争訟の上で重要な問題となつている。そこで、その法律上の解明をするにあたつて次のような接近法をとることが正しいと考える。
1 私企業に勤務する労働者と、公共労働に勤務する労働者と、その労働者が所有する労働力商品の売買という法次元(従属労働)において、法律上の性格の差異をみとめうるか。
2 国公法と地公法を立法府が法制化し、その運用を行政府に指示した目的はなにか。この法制化とその運用の合理的範囲はどのように考えられるか。
3 公労法と地公労法を、国公法や地公法と区別する基準はどこにあるのか。
という諸点についての解明である。
[2] この1ないし3の論究をすすめる上で次のような事情を考慮しないわけにはいかない。どの法令においてもそうであるがとりわけ公共労働の現行法において、これら実定法はその時々の立法府の多数を占める勢力がその恣意的な利益のために制定してきたために、全体としての法体系としては相互に矛盾する条項がしばしば存在し、相互に矛盾する法理念もそれぞれの法令のなかに横たわつている、ということである。しかし、このような事情はどんな法令においても不可避なことである。どんな法令も、その制定と運用は、もろもろの社会的・経済的・政治的な利害の対立のなかで、あるいはその一方に優越的地位を与えたり、あるいはその調節弁として機能するように産みだされるものだからである。
[3] しかし、このように矛盾し衝突する法令の条項や法理念を、法の解釈の上で安定させる方法がないわけではない。それは、その国の憲法秩序を貫く法理念にその優越性を保障し、この憲法秩序の下位法としてそれぞれの下位実定法の守備範囲を限定し確立することである。合憲的解釈の原則とよばれるものはこのような手法である。そしてこの手法をもつてしても及びえない憲法秩序の理念への背反を生ずるときは、その法令は違憲無効なものと判断されなければならない。司法判断の基本姿勢はこのようなものとして予定されている。
(註) 芦部信喜・司法審査制の理念と機能(岩波・現代法講座3巻293頁以下)。同・憲法判断の回避と裁判所の憲法保障機能(宮沢古稀記念「憲法の現代的課題」311頁以下)。
   R.C.Cortne & C.M.Lytle: Modern Constitutional Law, The Free Press, New York, 1971, 19-32.
[4]二、労働者がその所有する労働力商品をその雇用主に売渡してその代価としての賃金によつて自己とその家族の生計を維持しようとする社会的・経済的事実は、私企業においても公共労働においてもその差異を発見することはできない。憲法28条が「勤労者」と呼称するのは、このような社会的・経済的な事実によつて確認される労働者のことである。
[5] 私企業における労働者の勤務関係の発生は労働契約の締結である。国公法・地公法にいう公務員とよばれる勤務関係の発生は、この労働契約とは異質な意味での「任命」であるのか。公務員となろうとする市民の申込みは、私企業における労働契約の申入れをする労働者と差異はない。ところで国公法・地公法においては、「任命権者」の「任用」によつて公務員の地位が発生する、としている。この法定によつてその労務提供をうける側の法体系が公法秩序であるからということで、公務員の勤務関係は私企業の労働契約の締結とは異質な法次元におかれることになつたといい切れるであろうか。
[6] われわれが私企業におけると公共労働におけるとその労働者にとつてその労働力商品の所有者としての地位に差異をみいだすことができないとした社会的・経済的事実を、国公法・地公法はその立法によつて捨象し切つてしまつたと結論することができるであろうか。
[7] 私企業の労働者の賃金に対応する公務員の「給与」について、国公法・地公法はつぎのようにうたつている。「(給与準則に規定する)俸給表は、生計費、民間における賃金その他……を考慮して定められ」る(国公法65条2項)、「職員の給与は、生計費ならびに国及び他の地方公共団体の職員並びに民間事業の従業員の給与その他……を考慮して定められなければならない」とともに、「時間外勤務、夜間勤務及び休日勤務に対する給与、特別地域勤務、特殊勤務手当、扶養親族手当」(国公法65条1項、地公法25条3項)の支払を規定している。これらの法の定は、どうみても旧官吏法的思考における「俸給」・「年金」の「特権」を法定したものではなくて、反つて公務員の「給与」が、その公務員の提供する労務(労働力商品)の反対給付であることを確認したものである。そして私企業における賃金と同趣旨のものとしての「給与」を認めることこそ、いわゆる官吏関係の封建関係的把握から現代私企業的雇用関係把握への脱皮を意味するものである。
[8] ついで、公務員の勤務関係の発生について、「任命権者」の「任用」を決定した所以を考察する。国家公務員法の法源はいうまでもなく憲法73条の「内閣が、法律の定める基準に従い官吏に関する事項を掌理すること」とする基本的規定である。地方公務員法の法源は憲法94条、地方自治法2条2項などにみいだされる。これらの憲法条項は、公務員についての人事行政事務について「法律の定める基準」をおくことによつて、明治憲法が官吏について天皇の勅令に一任していたのとちがつて、内閣の人事行政事務を国会のコントロオルの下におこうとする。それによつて、いわゆる「民主的・能率的な公務の運営」を担保しようとするのである。したがつて、「任命権者」と「任用の基準」を決定したのは、人事行政事務を国会のコントロオルの下におくことによつて、内閣のこの事務の恣意的な運用を阻止するところにその立法目的が存在するのであつて、公務員の勤務関係を封建的身分関係あるいは特別権力関係とするところにその立法目的が存すると解すべきではない。この趣旨は地方公務員法においても同様である。
[9] それゆえ、「使用者としての政府」と公務員労働者との法律関係は、国公法・地公法によつて「使用者としての政府」が規律された労働契約関係である。「任命」の性質について公法上の契約説が有力にとなえられたのは、本人の同意(受諾)にもとづく単独行政行為という擬制があまりにそらぞらしく封建的・高権的であつたからである。「任命」の法律的性質は、なるほど公法上の権利関係の発生にかかるものであるから、公法上の法律行為としてその性格をすてさせることはできないが、その行政行為のよつて立つ基礎が労働契約関係であることを否定することはできない。「任命権者の任命」という概念は、上記の国公法・地公法の立法趣旨と公務員関係の発生が公法関係として実定法上存在することのみに由来し、それ以上のものではないことに留意すべきである。したがつて、実定法が公法関係としてとらえられない分野については私法上の労働契約関係の法理が妥当することとなるのである。
(註) 宮沢俊義・日本国憲法コンメンタール・563頁以下。
  塩野宏・オツトーマイヤー行政法学の構造・218頁以下。
  山田幸男・行政法の展開と市民法・340頁以下。
[10]三、近時の判例の展開において提示される「国民生活全体の利益の保障」という概念は、次のような法理念として正しく説明することができる。われわれ国民は、民間私企業であろうと公共企業であろうと、雇用主と労働者というその社会的・経済的利害が衝突する者たちによつてそれぞれの企業運営が為されていることを、認めなければならない。このように、その企業体内部に相対立する利害関係をもつ当事者が存在していることを認めた上で、その企業体の生産物や便益の供与の買手としての国民が存在するのである。しかも、この利害関係の一方の当事者である労働者のその利益よう護の諸活動は、憲法28条の基本的人権として憲法秩序の上で保障されているのである。すなわち、公務員の労働基本権保障こそが、公共労働法における第1次法規範とされるのである。
[11] したがつて国民が――国民の「代表」としての立法府、法の執行者としての行政府、法の判断者としての司法府が――この相対立する当事者の紛争に権力的介入しうるのは(それは事理の当然として労働基本権の制限禁止となる)、国民がその国家形成の基本原理(わが国における代議制民主政)が侵犯されると判断する合理的な理由の存するとき(「政治スト」の合否のメルクマールはこの点に存することに注意)、またその紛争の継続によつてその企業体の企業運営による便益を享受することが到底期待しえないような状況の発生したとき、このような場合のみ許される(しかもこのような場合、そこで働く労働者の意に反する労働を強制するよりも、国家が自らの手によつてその便益の供与をすることが、よりよい手段であることを留意しておく必要があろう)。おもうに、少しの停廃も許されない公共役務の性格をもつものは、国民の生命・身体・財産にたいする危迫な侵害(Imperil the National Healthy and Safety)の除去に関するものであつて、国民の日常生活の不便ということとは区別されなければならない。換言すれば、「国民生活全体の利益の保障」という概念は、その「全体」のなかに公共役務のなかの基本的人権としての労働者の個別的利益をふくみ、その個別的利益の保障を奪い去るに必要にして十分な合理的な国民生活の利益を総称したものである。そして、このような考え方は、個別的利害の衝突を承認し、その相対主義的妥協的解決を、基本的人権の承認とその相互不可侵を原則とした代議制民主政治にもとめる憲法の法理念なのである。
[12] そこで、国公法・地公法・公労法・地公労法の争議行為禁止規定は、その公務員あるいは職員についてその労働力商品の売り手としての地位を承認しながら、憲法秩序に抵触しないで作用しうる範囲の解釈を求められることとなるのである。公務員の法令上の職務の性質や労働立法の適用の有無などを手がかりとして実定法の合理的解釈の必要が生ずる所以である。
(註) Charles O. Gregory: Labor and the Law, W.W. Norton Company, Ner York, 1961,497P- (The Strike and the Community)
   A. Anderson: Strike and Impasses Resolution, Conclusion, Michigan Law Review, Vol.67, No.5, 969.
[13] なお、西ドイツにおいては、Beamte(官吏)とAngestellte(職員)とArbeiter(労務者)を区別し、後2者についてはストライキ権をみとめられている。国公法の職員団体に加入するのはこの2者にあたることに注意。
一、労働基本権についてのブランダイスの要約にみるイギリスの法理
[14] 1921年12月19日の判決(257 U.S. 312)において、ブランダイスは、イギリスの労働基本権について次のように要約している。
[15] イギリスにおいては、1労働者が単独で行動する場合においてすら、彼の状態を改善しようとする努力は、1813年まで、労働者の要求しうる賃金の額を制限する法律によつて対抗されていた。1824年まで、同僚と協議して賃金を引上げ、労働時間を短縮し、その他何らかの方法で事業に影響を与えようとする団結は、ストライキに訴えない場合でも、犯罪行為として処罰された。1871年まで、組合員は被用者がその職場を離れるよう説得すれば、その被用者が永続的訃用契約によるものでなく、また説得が平和的であつて、ピケツトを伴わない場合でも、刑事責任を負担させられていた。1875年にいたるまで、労働者がその目的を達するために団結する権利は、承認されていなかつた。その年、議会は、労働者が就業上の争いを有利にするために(1)団結することは、その行為を1人でやつたとしても犯罪になる場合を除き、刑事的共同謀議罪を構成しないと宣言したのである。この法律が制定されて以来、ストライキによつて通常の目的(2)を達するための労働者の団結は、刑事的犯罪ではなくなつた。しかしストライキの場合におけるピケツトは平和的である場合でも、違法的行為であつた。ボイコツトもそうであつた。1906年まで、平和的ピケツトならびに同情ストもしくはボイコツトにより使用者に圧力を加えることは、禁止されていた。1906年にいたり、労働者を誘つて雇用契約に違反せしめることは――それまでは訴求しうる不法行為であつたが、――明文を以て合法的行為にされた。イギリスにおいては最近では、労働者の状態を改善することならびに彼等の解放が、最高の公共的必要事になつているようである、と。
註(1) シドニー、ビアアトリス・ウエツブが、労働者の団結が「雇用条件」を目的とすると書いたことを改めて「生活諸条件」としたのは、その著Trade-Unionism第2版(1921)であることに注意。
註(2) 同右参照。
[16]1、イギリス1875年の共謀罪・財産保護法(Conspiracy and Protection of Property Act, 1875)は、
 労働争議の企画または遂行のためにある行為をなしまたはなさしめようとする2人またはそれ以上の者の合意または結合は、その行為が1人によつてなされた場合にも犯罪として処罰されうる行為でなければ、共謀罪として訴追されない、と。
[17]2、イギリス1906年の労働争議法(Trade Disputes Act, 1906)は、
 組合によりまたは組合のために行なわれたと主張される不法行為による組合に対し提起された訴訟、又は、その組合員たちに対し彼等自身およびその他のすべての組合員のために提起された訴訟は、いかなる裁判所もこれを受理しない。……ただし、労働争議の企図または遂行において組合によりまたは組合のためになされた不法行為についてはこの限りにあらず、と。
[18] 1が労働者の団結にたいして猛威をふるつていたCommon LawのCriminal Conspiracyを労働争議から追放する宣言であり、2がCivil Conspiracyの免責の確認である。この間において、1875年法7条がピケツト活動を対象として、
 他の者に対して、その者のなす権利またはなさない権利のある行為を、なさしめないようにまたはなさしめるように強制する目的をもつて、違法にかつ法的権限なしに、
(1) かかる他の者または妻子に、暴行を加え、脅迫した(以下略)
者は、200ポンド以下の罰金または3月以下の懲役もしくは禁錮に処す、と。
[19]1891年の判例(Gibson v. Lawson, Curran v. Treleaven)は、「脅迫」(Intimidation)とは身体への暴力を加える旨の脅迫行為に限られると判旨してA Ahreat to Strike(ストライキのおどし行為)を除外したことは注目に値する。
[20]かくて、イギリスにおける労働基本権の承認は、労働組合が労働争議を企画し遂行するために行う労組運営のための諸活動を、コンモンロー上の刑・民の違法責任からすべて解放したのである。

二、西ドイツ連邦労働裁判所の1959年1月28日大法廷決定
[21] ワイマール時代においては、ストライキについての判例・学説は、民法826条「良俗違反」のカテゴリーによつて処理され、
「争議行為は、その目的または手段が労働生活の領域(1)で、正当かつ公正に思考するすべての人の道徳感情に反するか、または、目的と手段との間に著しい不均衡がある場合には『良俗違反』となる」
と定式化されて容認された。
[22] したがつて、シユレーダー(Schroeder)が
「ストライキにおいて、労働者は、就労を抛棄すべき旨の威かくにより、又は同盟罷業を続行すべき旨の威かくによつて、自分たちに有利に使用者が態度を改めることを強制しようとするものである。それは、使用者にとつては感知しうる害悪にあたり、且つ疑なく強要罪の要件をみたす一種の不作為をもつてする威かくである」
と考えた論旨は、
「適法に解約告知がなされた同盟罷業においては、すでに一切の労働契約関係が解消してしまつているから――ストライカーには就労義務はないから――もともと刑法240条違反とならない」
とされてきた。
[23] 1959年1月28日連邦労裁大法廷決定は、解約告知義務とストライキ実施をめぐる法技術的衝突を、ニツパーダイの「新スト鑑定書(1953)にのべる「社会的相当性」(Sozial Adaequanz)の論理を採用して次のように結着をつけた。
1、ストライキおよび労働争議の法的評価は、一般に、統一的に行なわれ(Der Arbeitskampf im Ganzen)、かつ集団法の本質に従つて行なわるべきである。
2、正当な、労働組合によるストライキについては、その正当性がすべての活動に決定的な法的性質を賦与し、ストライキを指令した組合だけでなく、それに応じて解約告知をしないで職場を拗棄した被用者も、契約違反および違法行為をしたものと取扱わるべきではない。
3、組合によつて決議され、告知期間を守つた解約告知をしないで行なわれた合法的な、労働条件の維持改善のためのストライキは、ストライキをされた使用者に、被用者を契約違反の理由で即時に個別解雇する権利を与えるものではない。 (以下略)
[24] この判旨は、一方ではストライキを契約法上の拘束から解放しその権利性を承認して、ストライキ行動の企画運営とこれへの参加を刑・民法責任追及から解放しながら、他方では「社会的相当性」概念があまりに主観的・倫理的で不明確であること、ならびに「労働法上のストライキ」と「政治スト」をことさらに対立させることによつて、新たな論争を提起することとなつた。後者についていうと、つまり、「共同体生活の歴史的に生成した社会倫理的秩序の完全なる枠内で行なわれ、それによつて許された行為」(Hndlungen, die sich voellig innerhalb des Rahmens der geschichtlich gewroden sozialethischen Ordnung des Gemeinschaftslebens bewegen und von ihr gestatten werden)とWelzelは規定し、Nipperdeyを援用するが、この「規範的性格をともなつた不確定概念」をもつて争議権の質と幅を左右させることは適当ではない。むしろ、民・刑実定法の解釈を確定しながら、Fact of Caseに則して、そこに社会的・経済的競争者の実在を発見しそれに権利性を承認することこそ近代労働法のすぐれた、不可譲の原理だつた筈である。
[25] Holmesがのべるように、
「もし、われわれの法律がその意図するところが『自由競争』(Free Competition)という言葉ではあまりにせまいというならば、われわれは『人生のための自由な闘争』(Free Struggle for Life)という言葉をえらびたい。法の目的は、同じ階級の人々がおなじ目あてのために競争することに限定されてはならない。法は、現実に種々の利益を求めて行なわれるすべての闘争に適合されていなくてはなるまい」
という彼の労働基本権の論理の方がはるかにすぐれている。Webbが、生活諸条件Conditiones in Lifeというのも同じ理由からである。
三、アメリカ1937年4月12日連邦最高裁のジヨン・ラフリン判決(301. U.S. 1)
[26] ワグナー法の合憲性(1)を確認したジヨン・ラウフリン・ケースをみる場合には、なぜこの判決が「憲法革命」(Constitutional Revolution)とよばれるのか、その序曲を聴くことが不可欠である。
[27]i 1898年Erdman Act(鉄道労働に関する法律、組合への所属を理由に労働者を解雇することを刑事犯罪とする)は、「契約の自由」にたいする「恣意的干渉」で違憲と判決される(208 U.S. 1908)。
[28]ii 「黄犬契約」(Yellow dog contract)の利用によつて労働組合運動の発展を阻止する使用者の権利を確認し、組合オルグにたいする差止命令を発する根拠としたヒツチマン・ケース(245 U.S. 229, 1917)。13州の黄犬契約の利用を刑事犯罪とする法律を違憲とするコツペイジ・ケース(236 U.S. 1, 1915)。
[29]iii 御用組合(Company Union)を組織することを禁止する全国産業復興法(N.I.R.A, 1933)7条A項はシエクター・ケースにおいて違憲とされた(295 U.S. 495, 1935)。
[30]iv 1926年鉄道労働法(Railway Labor Act)は使用者の会社組合(御用組合Company Union)を組織する権利を制限し、連邦最高裁は「使用者のCompany Unionを組織する行為は、従業員が団体交渉目的のためみずからの代表者を自由に選出することを妨害する」からこの制限は妥当であるとした(Texas & N.O.R.Co. v. B.R. SC, 281 U.S. 584, 1930)のが、唯一の例外である。判旨にいう、
「従業員が苦情の救済をうる目的で団結し、賃金率・労働条件に関する使用者との協約の締結を促進する権利を有することは、早くから是認せられてきたところである。……連邦議会は、かかる従業員の権利を無視するように要請されたのではなくて、この権利を保護することが可能な裁量であつたのである。……もし、代表者選出の自由を妨げることによつて、代表者の選挙が無意味なものにされるならば、団体交渉は馬鹿げたサル芝居になつてしまう……」
と。ここに、アメリカ型不当労働行為制度の考え方の原型―すなはち自主的団結保障の思考をつけることができる。
[31] さて、N.L.R.B. v. Jones & Laughlin Steel Corpのケースは、ジョーンズ=ラフリン鉄鋼会社が、労働組合員である被用者を解雇するなどの差別的取扱いを行つたことが「州際通商に影響を与える」不当労働行為の禁止にふれるとして全国労働関係局(N.L.R.B.)は差別的取扱いの中止と被解雇者の復職を命じた。会社がこれに応じないので、執行命令を求めたところ、巡回控訴裁判所は、「N.L.R.B.の命令は連邦政府の憲法上の機能に属さない権限外事項だから棄却する」と判決した。連邦最高裁は上告審として審理して控訴審判決を破棄し、ワグナー法を合憲とした。その合憲判決のアプローチは、
1、違憲だと攻撃された法律に、限定解釈ないし厳格解釈を加えて、その法律じたいは合憲であるとする手法をとつたこと。
2、その大前提として、労働者が団結し・自主的に代表を選出し・団体交渉手続によつて・使用者と合意に達する闘争手段は、ストライキ行動をふくめて、労働者の基本的権利(Foundamental Right)としたこと
による。
[32] 1のような問題を生じたのは、Interstate Commercial Clauseのなかに鉄鋼製造業がふくまれるかどうかが問題とされたからである。これについて判旨は、
「すべての産業についての規制の権能をワグナー法を定立したのではなくて鉄鋼生産とその流通の現実に着目しながら、且、会社のとつた組合加入・非加入による差別と労働者達にたいする解雇処分という事実の発生を認定して、この範囲の権能を合憲」
としている。この判例が、合憲的解釈のアプローチの典型といわれる所以である。
[33] 「憲法革命」とよばれるのは、この1と2についての判旨が、連邦議会のPolice Powerを労働基本権の助長の方向へすすめるにあたつてこの権能の積極性を承認し、「契約の自由」について重大な修正を試みたからである。
[34](この判決において示されている「限定解釈」・「厳格解釈」のアプローチにふれておこう。まず前提とされるのは、次の考え方である。右判旨において、ヒユーズ長官法廷意見はいう、法律解釈の基本原則は、それを救済することであり、無効にすることではない。われわれは、法律についての2つの可能な解釈、その1つによれば違憲となり他の1つによれば有効となるであろう解釈の間では、法律を救済するような解釈を採用するのがわれわれの明らかな義務であることを、繰り返し判示してきた。重大な疑を回避するためにも、そのルールはおなじである)。
[35]一、すでにみたように、憲法28条の法理念は、労働者の労働組合諸活動にたいする法的抑圧の諸契機(刑・民法上の正当性の否認)からの解放であるから、この憲法28条を上位規範としてその下位法としての公共労働関係のストライキ規制法の審査を考えることが司法審査の守備範囲である。そして、ストライキ活動を労働基本権として保障する日本国憲法の下では、この司法審査は、人権にたいする司法審査として機能しなければならない。
[36] 人権にたいする司法審査の基準は、著名な「二重の基準」である。私的経済的、社会的諸活動の判定者としての専門的裁量権限は立法府であるが、人権の制限の可否の専門的判定の権限は人権の府としての裁判所に属する。立法が人権を制限するとき、そのすべての合理性・相当性の主張立証の全責任は「政府としての政府」の責任にかかわる。しかも、社会的事実にもとづいて客観的に論証されなくてはならないこと勿論である。
[37] そこで、「事前抑制の禁止」、「明日にして現存する危険」、「不明確基準の無効」、「L.R.A.の原則」などがこのアプローチの手法として連邦最高裁判例のなかでつくられてきたのであるが、この手法がストライキ権とその司法審査においても適合するのは、スト権が基本的人権として定立された日本国憲法体制による。

[38]二、つぎに指摘しておきたいことは、都教組判決にたいする論評のなかで見落されている、この判旨の展開にみられる司法審査の手法についてである。それはAshwander rulesとよびれる「制限解釈」、「合憲解釈」のアプローチである(297 U.S. 346)。ブランダイスによる7つの基準とはつぎのごとくである。
1、裁判所は、談合的な非対立的な訴訟手続においては、立法の合憲性について判断をしない。
2、裁判所は、憲法問題を、それを決定する必要が生ずる前に、前もつて取りあげない。
3、裁判所は、憲法に関する準則(A rule of constitutional law)を、それが適用される明確な事実が要求する以上に広く公式化しない(Will not formulate…………broader than is required by the precise facts to whitch it is to bo applied)。
4、裁判所は、憲法問題が記録によつて適切に提出されていても、もし事件を処理することができる他の理由が存する場合は、(If there is also present some other ground upon which the case may be disposed of)その憲法問題には判断を与えない。
 このルールは、きわめて多様な適用を見出している。そこで、もし事件が、1つは憲法問題を含み他の1つは法律解釈または一般的法原則の問題を含む2つの理由のうち、いずれによつても解決できるなら、裁判所は後者だけを決定する。(If a case can be decided on either of two grounds, one involving a constitutional Question, the other a question of statutory construction or general law, the court will deside only the latter)
5、裁判所は、法律の施行によつて侵害をうけたことを証明しない人の申立にもとづいて、その法律の効力に判断をくださない。
6、裁判所は、法律の利益を利用した人の依頼で、その法律の合憲性に判断をくださない。
7、国会の法律の効力が問題になつた場合は、合憲性について重大な疑が提起されても(Even if a serious doubt of constitutionalty is raesed)、裁判所が憲法問題を避けることができるような法律の解釈が可能かどうかを最初に確めることは(this court will first ascertain whether a construction of the statute is fairly possible by which the question may be avoided)、基本的な原則(cardinal principle)である。
[39] このルールを、ストライキをふくむ労働基本権の保障を上位規範とすることによつて、すなわち、労働組合の通例とおもわれる運営については、その可罰的違法性を追及しないという法理念をその下敷きにおいて、国公法などの処罰規定の法解釈を試みたのが、都教組判決なのである。このアプローチは、全く突然にとび出してきたものではなくて、連邦最高裁判例史上の先例の整理としてブランダイスの指摘するものであり、とりわけUnited State v. CIO(335 U.S. 612, 横田喜三郎・違憲審査764頁以下)において顕著であつて、「産別会議(CIO)とその議長の「労働組合の選挙についての運営資金の支出」をターハ法の制限解釈によつてその禁止「支出」条項から解き放したのである。
[40] したがつて、事実審において確定された事実(Fact of the case)を前にして、その事実が今日の社会通念と通例において労働組合の正常な運営と評価しうるかぎり、まことの意味の社会的相当行為として、これを形罰の対象としないという思考方法にこそ、この手法の司法審査の手法としての確固たる基盤があるといつてよい。
[41]一、国公法のストライキ処罰規定(法110条1項17号)は特殊な「共謀」、「せん動」罪である。検察官の論旨は、法は単純スト参加者は不処罰であるが、「違法な」ストライキの原動力を抑止するのがこの規定の任務である、と説く。しかし、今日の社会通念の承認する通例としての労働組合の運営についてこの規定を適用するならば、「共謀」・「あおり」・「そそのかし」は、すべてのストライキ参加者をその処罰対象とすることになつてしまわざるをえない。ストライキは集団的共同行動であるのだから、その集団性がつよくなればなるほどにストライキ共謀と相互の意思確認はつよくなり、積極的団結権保障をめざす法の目的と真向から対立することになつてくる。したがつて、この原動力「論」が可能なのは、ストライキそのものが可罰的違法性を有するけれども、法はそれを刑罰の対象としないで「せん動」のみを対象として選択した、とする立論の成立したときのみであることに気付くのである。到底、合憲性を付与しうるものではない。

[42]二、公務員の「職務」と「代替性」について考えてみると、その問題は、C.O. Gregoryの指摘するように、
a. Imperil the national healthy or safety
b. when strikes do result in crippling the economy and imposing gemeral inconvenience
に該当するかどうかがメルクマールとなるのである。このメルクマールは、つぎの4つのカテゴリーに分けて考察することができる。
1、もつとも重要な役務は、それが中断されることなく継続的に供務されるべき役務
  警官のパトロール、消防の消火活動、水道の供給、下水道の管理
2、もつとも重要な役務をバツクアツプする仕事
  これは数時間の活動中断を認めても差支ないが、長期の中断は公衆の安全と秩序に影響する。
  警察の記録、調査活動、消防の警報装置や消火器具の管理
3、1と2の活動を支えるものであるが、必ずしもessencialでないもの
  建築物の検査、技術役務、会計役務、データプロセス役務
  これらは中断が数日つずいても社会の安全に影響なし。
4、公共の衛生や安全に関連ないもの
  レクリエーシヨン、図書館、会計検査、許認可事務、駐車メーター、都市計画、研修
[43] すなわち、「職務の代替性」とは、その公共役務が国民生活にとつてessencial or nonessencialなりや否やによつて判断されなければならないのである。そして、当該ストライキの可罰的違法性の有無の発見は右の基準に従つての司法審査の任務となつてくる。A. Andersonによると、ニユー・ヨーク州テーラー法の仕組みにしたがうと、スト禁止規定はあるが、その禁止にふれたのみでは可罰的違法ではなくて、当局の申立によつて、裁判所がスト差止命令を発したのちもストが維持されるときに、罰金又は留置となるのであるが、
……continue the strike ban, bat allow the court and labor board discretion to fashion remedies for viorations
とするように、裁判所の「自由裁量」(discretion)を選択しておかなければならないのである。
[44] この分野における基準はまえの4つにあたるが、そこでは「職務執行に当つての忠誠義務」とはその質と次元を異にする。忠誠義務とは職員のPublic Servantとしての対応であつて、公共労働法は、たとえばいわゆるテーラー法がその正式の名称Public Employee Fair Employment Actといみじくもいうように「公共被用者」を対象とする。この相異を欠落しておくわけにはいかない。

[45]三、警職法改正反対ストの事件事実は、最初から期限を付した警告的・デモスト(zeitlich befristete Warnstreik)であるから、それに則して可罰的違法性の有無を論究しなければならない。ニツパーダイの考え方は、「労働協約締結目的の存否」を基準として論ずるけれども、彼の論旨は対使用者との労働契約法次元における民事的「社会的相当性」についてであつて、ここでの問題ではない(Huech, Nipperdey: Lehrbuch des Arbeitsrechts, 7 Auf., 1970, 897ff)。
[46] われわれの考え方は、労働組合のWillenskundgeburgとしての自由は憲法上の権利(21条・28条)なのであるから、それが刑事法上の正当性として社会通念上の許容範囲をこえないかぎり、これを処罰することはできない。そして、この許容範囲を画するものは、「明白・現存の危険」と「L.R.Aの原則」と、Essencial or Non-essencialについての前掲の4つの基準と、労働組合の通例的運営事項なりや否やなのである。おもうに、政治的目的強要スト罪を実定法としてもたず、その必要性についての合理的社会通念思考の存在しないわが国において、国公法110条1項17号をもつてこれに代置しうるためには、如上の吟味を必要とする。もしそうでないと、裁判所がその権限をとびこえて、新しいジヤンルの立法を強引にしてしまうこととなるからである。タ・ハ法9条H項の合憲性についての連邦最高裁の判決(339 U.S. 382, 行政裁判資料10号)が州際通商が「政治的目的」によつて阻害されうることをその合憲性の理由とする判旨は、現行の実定法について為しえたのであつて、これを援用しうるものではない。
註 75, Harverd L.R. 1961: Note, Labor Relation in the Public Service
  58, Yale L.J. 1948: Emerson and Helfeld: Loyality among Government Emproyee
  園部逸夫・公務員制度の変容(法学論叢83巻1号44頁以下)。
  目 次
はじめに
第一、憲法28条の争議権保障
第二、国家公務員法110条1項17号の罰則の違憲審査(その一)
  一、(立法事実の消滅)
  二、(公務員労働者の争議行為直罰規定の違憲性)
第三、国家公務員法110条1項17号の罰則の違憲審査(その二)
  一、(被告人らの行為は抗議集会でもある)
  二、(煽動罪の憲法適合性の審査)
第四、結論
[1] わたくしは、全農林警職法事件について、大法廷弁論のむすびとして、所信を披瀝したい。
[2] 全逓中郵判決には
「労働基本権のうち、団体行動の一つである争議をする権利についていえば、勤労者がする争議行為は、正当な限界をこえないかぎり、憲法の保障する権利の行使にほかならない」
「労組法1条2項で、刑法35条の規定は、労働組合の団体交渉その他の行為であつて労組法1条1項に掲げる目的を達成するためにした正当なものについて適用があるとしているのは、この当然のことを注意的に規定したものと解すべきである。」
と判示した。
[3] これによつて、現行労組法1条2項に規定された行為は、憲法28条の保障を受けていることがあきらかにされているが、憲法28条の争議権保障条項は、現行労組法1条2項の範囲にとどまるのか、それ以上の広がりをもつているか、という問題を残しているのである。
[4] そして、この点こそ、全逓中郵判決が未解決に残された箇所であると言える。この点について、弁護人は、つぎのとおり、考える。
[5] 現在の日本国憲法が施行された昭和22年5月3日当時、労使間を規律していた旧労働組合法(昭和20年法律51号)には、
第1条(法の目的、刑罰法令濫用の禁止)
[1] 本法ハ団結権ノ保障及団体交渉権ノ保護助成ニ依リ労働者ノ地位ノ向上ヲ図リ経済ノ興隆ニ寄与スルコトヲ以テ目的トス
[2] 刑法第35条ノ規定ハ労働組合ノ団体交渉其ノ他ノ行為ニシテ前項ニ掲ゲル目的ヲ達成スル為為シタル正当ナルモノニ付適用アルモノトス
と規定されていた。当時、同法第4条に列挙された「警察官吏」「消防職員」「監獄ニ於テ勤務スル者」を除き、それ以外の勤労者には、団結権および団体行動権の制限がなかつた。したがつて、公務員労働者は、民間労働者同様、「労働者ノ地位ノ向上」のために必要とする団体行動すなわち企業の枠を越えた抗議スト、示威ストを自由に行ない得たのであつた。そして、日本国憲法が施行されたことにより、28条によつて、これら労働者の既得権たる団体行動が保障されたものであることは、疑を容れる余地がない。
[6] その後、労組法には改訂が行われたが、憲法は不動である。したがつて、憲法28条の争議権保障条項も不動であると考えられるのである。
[7] 以上のことを前提して、全逓中郵判決が
「もし争議行為が労組法1条1項の目的のためでなくして政治的目的のために行われたような場合」
には、憲法28条に保障された争議行為の限界をこえると判断された部分を問題とする。
[8] 右判示は、新旧労組法の改訂に触れていないので、それだけ正確性を欠いた判文となつているのである。判例の趣旨は、争議行為が「旧労組法1条1項の目的」の範囲内であれば、当然、憲法28条の保障を受けるが、旧労組法1条1項の目的を超えた「政治的目的」のために行われたような場合には正当性の限界をこえると言いたかつたのであろう。そう判示すべきであつたのである。
[9] 欧米の労働組合は、原則として、クラフト・ユニオンであり、企業の枠を超えた存在である。わがくにの労働組合が企業別に組織されておることは、労働組合の発達段階が低いことを示すにすぎず、世界水準にくらべて、例外的な、過渡的な、流動的な、一時期的な現象にすぎない。したがつて、企業別労働組合の弱点を補うために、産業別に連合体をつくつたり、さらに、合同して全国単一組織をつくつたりして、企業別の枠を超えることにつとめているのである。
[10] そこで、憲法28条の労働基本権保障条項の趣旨について考えると、団結権についても、一企業内労働者のそれではなく、企業の枠を超えた労働組合づくり、企業内労使の枠を超えた使用者団体と労働組合団体間の団体交渉の設定を、勤労者の権利として保障したものであることは、疑を容れる余地がない。それに伴つて、企業別の枠を超えた労働組合の経済的要求について、企業別の枠を超えた争議行為が行われることについても、同じく憲法28条の争議権保障の範囲内であることは、何人も異論を容れる余地のないことであろう。
[11] そこで、百尺竿頭一歩を進めて考えてほしい。
[12] 労働組合が、かつて、8時間労働制のために闘つたこと、今日、週2日休日制確立のため闘うこと、日の当らない底辺労働者を浮上させる最低賃金法のため闘うこと、ILO89号条約批准のために闘い成果をあげ、ついで105号条約批准のために闘つていること、労働組合法・労働関係調整法・労働基準法等改悪反対のために闘つてき、今後も闘うこと、組合活動の自由を規制する警察官職務執行法改悪反対のために闘つたこと等についてはいずれも労働組合の団体行動として是認できる。もつとわかりやすい例をあげると、炭労が昨今石炭産業政策の確立を求めて闘つていることについては、資本家側でも共感の風すらある。
[13] 何よりも明白な例証となると思われるのは、例年行われるメーデーの行動である。メーデーの起源は、1886年5月1日に、アメリカ全土の労働者が総罷業し、かつ、示威運動を決行したことに由来し、1889年パリ宣言を経て、全世界労働者の闘争日と定められ、大正9年(1920年)以降はわがくにの労働者もこれに加わり、毎年、5月1日には、その年の共通の要求を掲げて罷業と示威行進を決行して今年に至つているが、今日誰も、メーデーの正当性について、疑うものはいない。むしろ、全世界の世論に承認させて、合法的に挙行されている。
[14] このようにわが国の世論の承認が得られるのは、なぜか。それは、憲法28条の争議権保障の範囲内であるからではないか。
[15] 以上列挙の目的を有する争議行為は経済目的と不離一体でありこれを違法視することが不可能であることは、国際世論であり(西独新聞ストの例をみよ)わがくにとしても、憲法28条の労働基本権の法制のもとで、勤労国民に浸透している社会通念であると言えよう。すなわち、前記列挙の争議行為は、現在のわがくににおいて、社会的相当行為として、構成要件該当性を欠くものであり、不可罰行為として世論の承認を得ていると断定せざるを得ない。
[16] 講学上、この範疇に属する争議行為は「抗議スト」と呼ばれている。示威ストとも呼ばれることがある。労働組合員は、最低賃金法獲得闘争や労働法規改悪反対闘争および警職法改悪反対闘争のばあい、これらが企業の枠を越えていることは承知しているのであるが、企業の内外の全労働者の福祉のために、保守政権の最低賃金法案や労働法規等改悪法案に反対し、保守反動の政府・資本家に抗議の意思表示をなす目的でこれを行なうことに規範意識を燃やし、その社会的相当性を確信するものである。
[17] ことわつておくが、憲法秩序の破壊を目的とし、政府のてんぷくを目的とし、ないしは国会の立法権に干渉するような不法目的を有する政治ストが、憲法28条の保障の範囲内に含まれないことについては、弁護人は、全く異論がない。
[18] まず、憲法28条による憲法適合性について、審査されたい。

一、(立法事実の消滅)
[19] そこで、進んで、国家公務員法110条1項17号の立法事実を検討すると、この法案は、昭和23年7月23日付占領軍最高司令官の書簡の趣旨を実施するため、政令201号が施行され、公共労働者の労働基本権が剥奪されたことに由来し、右書簡の趣旨を実現するため、昭和23年法律222号の改正による条文であり、占領軍総司令部の強い示唆により、国会による独自の審議の許されない状況下に作られたのである。昭和27年4月28日講和条約が発効し、占領統治が終り、わが国が自主性を回復後、占領管理法令について、廃止存続の措置が講じられたが、国公法については、法律の形式を採つていたため看過され、右法条についても検討がえられず、改廃の措置を講ぜられないまま、今日に至つた。

二、(公務員労働者の争議行為直罰規定の違憲性)
[20] 公務員労働者の労働基本権制限の具体的態様についてみると、昭和23年7月31日政令第201号が制定施行されるまでは、国家公務員や地方公務員も、一定の職員を除いて、一般の勤労者と同様に、団結権・団体交渉権・争議権等について制限されることなく、争議行為も許されていた。政令第201号の制定施行によつて、公務員は、国家公務員たると地方公務員たるとを問わず、何人も同盟罷業、怠業はもちろん、国または地方公共団体の業務の運営・能率を阻害する一切の争議行為を禁止され、これに違反した者は、刑罰を科せられることになつた。しかし、昭和23年12月3日改正施行された国家公務員法では、一切の争議行為が禁止されたことは右の政令と同様であるが、たんに争議行為に参加したにすぎない者は処罰されることがなく、争議行為の遂行に共謀し、そそのかし、もしくはあおり、またはこれらの行為を企てた者だけが処罰されることになつた(昭和40年法律第69号による改正前の国家公務員法98条5項、110条1項17号、なお、地方公務員法37条1項、61条4号参照)。
[21] 以上の関係法令の制定改廃の経過に徴すると、国家公務員法改定のばあい、占領統治の必要上一旦剥奪された争議行為不可罰の原則が不充分にしか回復されておらないので、可罰性のまま残されている「あおり」行為等については、すでに大法廷判例(44・4・2)で示された合憲的制限解釈をほどこし、国家公務員の組合の役員が争議行為の通常随伴行為としての「あおり」行為等の類型行為をしても、これには争議行為不可罰の原則を適用し、その社会的相当性を認めることが憲法の趣旨であると言える。
[22] つぎに、憲法21条による憲法適合性についても、審査されたい。
一、(被告人らの行為は抗議集会でもある)
[23] これを昭和33年警職法改定反対のストの全貌についてみると、公知の資料である朝日新聞の特輯記事(33・11・23)によれば、昭和33年秋、自民党政府が、抜討ち的に警察官職務執行法の改定を企図したとき、憲法の保障する自由権および労働基本権がこれによつて空洞化されてゆくことを憂え、心ある全国多数国民の反対運動がもり上り、その中核として労働者の抗議ストが行なわれ、かかる世論の影響で、同法改悪の企図が中止された経過が刻明に報道されている。
[24] 被告人らの指導によつて為された抗議集会は、右報道にかかる全国的国民運動の一環であり、攻防50日の焦点の日である11月5日に農林省構内の屋外でなされた集会であり、同省に勤務する全農林組合員らによつて為された国民の声たる「表現の自由」権の行使であつたと言えよう。
[25] そして、攻防50日経過後、絶対多数をバツクとして国民の声を無視した岸内閣の独走は、名もなき全国の国民の真実の声の前に屈したのである。そうしてみると、被告人らの集会と抗議の意思表示は、国民世論の承認のもとになされた義挙であつたと言えるのである。心ある多数国民の期待を双肩に担つた全農林労働組合員らの本件抗議集会は、本人らの規範意識の点から申しても、世論の支持承認の点から申しても、国民の「表現の自由」権の行使として、社会的行為であることを、疑う余地がない。
[26] したがつて、司法労組仙台支部大法廷判決(44・4・2)の多数説のように抗議ストの通常随伴行為を、たんに憲法28条の保障が及ばないと解するだけでなく、さらにこれを可罰的違法行為として断定することは、抗議ストの有するもう一つの側面「集会」の構造を分析し、憲法21条「表現の自由」権の行使として社会的相当性を具えているか否かを検討した後でなければ、許されないと考える。
[27] 日本国憲法は「集会、結社……の自由は、これを保障する」と定め(21条)、表現の自由といつしよに、集会・結社の自由を保障した、その自由は、旧憲法とは異り、法律の留保を許さない。集会の自由を保障するとは、公権力によつて集会の自由に対して、制限を加えることを禁止する意である。憲法21条の保障する集会の自由は、第一に多数人が集合・結合する行為それ自体につき国家権力の介入が排除されることを意味すること疑いない。第二にさらに、この集合を通じて団体としての意思を形成する自由、かくて形成された意思を表現し、その貫徹のために活動する自由をも含むものといわなければならない。(最高刑29・11・24判決・刑集8巻11号186頁)
[28] 本件抗議ストは、道路上や公共施設内でなされず、農林省職員たる全農林組合員により構内で屋外で為されたので、かかる非公共集会については、一般公共になんらかの影響をおよぼす可能性は少いから、公権力による制限をみとめる余地はほんらい無く、不可罰性の行為であることは自明であり、社会的相当行為に該当するのである。

二、(煽動罪の憲法適合性の審査)
[29] 原判決の適用法条たる国公法110条1項17号の構造は、独立罪たる煽動罪である。
[30] しかも、憲法21条が保障する「表現の自由」である「集会」という適法行為を「あおり」等することを罰することを目的とする罰則である。したがつて、かかる罰則は、憲法31条および21条にもとづいて、その憲法適合性が審査されなければならない。
[31] さて、煽動は、「人ヲ教唆シテ犯罪ヲ実行セシメタル」(刑法61条1項)ことを要件とする教唆とちがつて、古典刑法にみられない犯罪類型である。煽動罪規定の源流である治安警察法、新聞紙法、国防保安法、治安維持法、労働争議調停法などは、廃止されている。特別刑法によつて、煽動を処罰する規定をもうけているものに、食糧緊急措置令11条、爆発物取締規則4条、公職選挙法234条、国家公務員法98条2項、同110条1項17号、地方公務員法37条1項、同61条4号があり、破壊活動防止法38・39・40条がある。
[32] 煽動罪は――独立教唆罪とともに――現代法に特有な犯罪類型であり率直にいつて治安立法的な性格を具有するものと思われる。煽動罪の成立を限定する作業は、憲法の要請するところなのであつて、それと離れた当該法規の解釈・適用それじたいの次元のものではない。このことは具体的に犯罪実行行為の危険性が全くない状況のもとでも犯罪煽動罪の成立を認めるような法規が、合憲たりうるかどうかを問題にしてみれば、わかるであろう。
[33] 煽動罪の違憲審査は、まず、食糧緊急措置令11条の規定の憲法適否の判例によつて行なわれた。最近までこれがリーデイングケースとされてきた(最高大法廷24・5・18判決・刑集3・6・839)。
[34] つぎに、地方公務員法61条4号の煽動罪の憲法適否が問題とされた(最高刑27・8・29判決・刑集6・8・1053)。
[35] その後は、地公法61条4号の煽動罪が、日教組勤評反対闘争に適用されるに至り、多くの下級審判決で、憲法28条による憲法適合性の審査が行なわれ、最終的には、大法廷判決(44・4・2)において、憲法31条、28条の観点から、いわゆる合憲的限定解釈に統一された。
[36] しかし、地公法61条4号およびこれと同種の国公法110条1項17号の煽動罪を、憲法31条21条の観点から違憲審査する仕事は、今日に残されているのである。
[37] 最高裁は、占領中に占領管理の必要で施行された、国公法110条1項17号の煽動罪その他のいわゆる独立罪たる煽動罪の違憲審査権の行使について、過去において、いかなる実績を挙げておられるかを問いたい。
[38] 煽動罪の違憲審査のリーデイングケースとされた大法廷判決(25・5・18)は、食糧緊急措置令11条の規定する煽動罪について、占領下の窮乏社会の致命的食糧危機において供出米の拒否を煽動した行為に適用する限度において、同煽動罪の合憲判断をしたものである。その判文は、簡に過ぎるが、全国民が飢餓に直面しているばあいにおける被告人の煽動行為には、「明白にして現在の危険」の存在を感じ取つたものであり、判決の結果には、その限度で、合理性が認められる。
[39] しかし、現在の事件として考え直したばあい、すでに往時の立法事実が消滅し繁栄社会に移行を遂げた現状において、裁判所は、果して、この種の煽動罪に対して、再び、合憲判断をなすべきであろうか、疑なきを得ない。
[40] つぎに、小法廷判決(27・8・29)は、地公法61条4号の規定する煽動罪について、敗戦による窮乏インフレ進行過程の治安維持を焦眉の急務とする社会事情のもとにおいて治安維持に専念していた地方警察吏に怠業的行為を煽動した行為に適用する限度において、同煽動罪の合憲判断をしたものである。判文のうちには、そのような煽動行為によつても被煽動者において、実行行為に出る可能性の全く存在しないばあいには罪とならない旨があきらかにされ、煽動行為が無害のばあいにおける同罪構成要件該当性の縮少解釈が行なわれ、合憲的制限解釈の先駆的判断となつた。
[41] 思うに、判旨は、我国の法制では、旧労働組合法のはじめから、警察・消防・監獄の公務員に限り、集団的労働関係を否定してきた伝統があることにかんがみ、これらの公務員が怠業的行為をすれば社会の存立自体を危くするとの法益衡量の上に立ち、この種の煽動行為に優越法益に対する「明白にして現在の危険」の実現力を認めた結果、その限度で、同煽動罪の合憲性を承認したことは、先駆的な判断として貴重であつても、これは、「明白にして現在の危険」の要件の萠芽形態にすぎず、さらに、この判旨を深めることを要するものである。
[42] その後において、最高裁判所が最近なしたことは、すでに述べたとおり、地公法61条4号および国公法110条1項17号等の煽動罪を憲法28条の観点から合憲的縮少解釈を為しとげたことである(大法廷44・4・2判決)。
[43] さて、今後の最高裁に何を期待するかについて、述べよう。
[44] 以上の概観によつてわかるとおり、最高裁は、国公法110条1項17号の煽動罪の違憲審査について、いまだ大きな空白法域を残している。
[45] なかんずく、憲法31条および21条の観点から、同煽動罪は、被告人らに適用する限度において、違憲無効であることの違憲審査を求める。
[46] 同煽動罪は、立法事実がすでに消滅し去つていることにかんがみ(イ)表現の自由を独立の煽動罪という事前抑制形式で制限する点、(ロ)公務員のうちには、我国の法制上[1]警察・消防・監獄の公務員[2]およびいわゆる行政過程を担当する管理職公務員[3]行政過程に随伴する補助的事務を担当する一般職の公務員[4]現業公務員[5]単純労務職員等の段階があり、その者の勤務放棄が社会の存立に与える影響には段層があり、[1][2]の者がこれをなすときは重大な影響があるのに、[4][5]の者が為しても行政過程に何らの影響もなく、[3]の者がなすばあいには、軽微な代替可能の程度の影響しかなく、短時間のばあいは全く影響がないか、あつても事後短時間に回復可能であることが認められるのに、同煽動罪は一律にこれを禁止するものである点、(ハ)[3]の者がなしたばあいの行為の効果は、現行国公法により、その者の身分保障を剥奪され、要すれば、免職又は懲戒免職され、その地位を去らしめられることにより、完全に隔離防衛の目的を達し得るのに、この必要最少限の合理的制限を越えて刑事処分を行なう点において、同煽動罪の違憲審査を求めるものである。
[47] 前記所論にもとづいて、国公法110条1項17号の罰則は、本件被告人らの行為に適用される限度において、憲法31条および21条の趣旨に違反し、無効である。
[48] よつて、すみやかに原判決を破棄し、被告人らを無罪とされたい。

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