全逓東京中郵事件
上告審判決


郵便法違反教唆被告事件
昭和39年(あ)第296号
同41年10月26日大法廷判決
上告申立人 被告人 外山彦一 外7名
弁護人 東城守一 外217名
検察官 平出禾川井英良

■ 主 文
■ 理 由
■ 被告人らの上告趣意および弁護人東城守一、同山本博の上告趣意について
■ 裁判官松田次郎の補足意見
■ 裁判官岩田誠の補足意見
■ 裁判官奥野健一、同草鹿浅之介、同石田和外の反対意見
■ 裁判官五鬼上堅磐の反対意見
■ 被告人らの上告趣意

 

■ 主  文


原判決を破棄する。
本件を東京高等裁判所に差し戻す。
■ 理  由



 


[1] 上告趣意は、憲法違反、判例違反等、論旨多岐にわたるが、要するに、公共企業体等労働関係法(以下公労法と略称する。)17条1項は憲法28条に違反する旨の主張と公労法17条1項に違反する争議行為には労働組合法(以下労組法と略称する。)1条2項の規定の適用があると解すべきである旨の主張とを骨子とするものである。これらの点について、当裁判所は、つぎのとおり判断する。

[2]一 憲法28条は、いわゆる労働基本権、すなわち、勤労者の団結する権利および団体交渉その他の団体行動をする権利を保障している。この労働基本権の保障の狙いは、憲法25条に定めるいわゆる生存権の保障を基本理念とし、勤労者に対して人間に値する生存を保障すべきものとする見地に立ち、一方で、憲法27条の定めるところによつて、勤労の権利および勤労条件を保障するとともに、他方で、憲法二八条の定めるところによつて、経済上劣位に立つ勤労者に対して実質的な自由と平等とを確保するための手段として、その団結権、団体交渉権、争議権等を保障しようとするものである。
[3] このように、憲法自体が労働基本権を保障している趣旨にそくして考えれば、実定法規によつて労働基本権の制限を定めている場合にも、労働基本権保障の根本精神にそくしてその制限の意味を考察すべきであり、ことに生存権の保障を基本理念とし、財産権の保障と並んで勤労者の労働権・団結権・団体交渉権・争議権の保障をしている法体制のもとでは、これら両者の間の調和と均衡が保たれるように、実定法規の適切妥当な法解釈をしなければならない。
[4] 右に述べた労働基本権は、たんに私企業の労働者だけについて保障されるのではなく、公共企業体の職員はもとよりのこと、国家公務員や地方公務員も、憲法二八条にいう勤労者にほかならない以上、原則的には、その保障を受けるべきものと解される。「公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」とする憲法15条を根拠として、公務員に対して右の労働基本権をすべて否定するようなことは許されない。ただ、公務員またはこれに準ずる者については、後に述べるように、その担当する職務の内容に応じて、私企業における労働者と異なる制約を内包しているにとどまると解すべきである。
[5] 労働基本権のうちで、団体行動の一つである争議をする権利についていえば、勤労者がする争議行為は、正当な限界をこえないかぎり、憲法の保障する権利の行使にほかならないから、正当な事由に基づくものとして、債務不履行による解雇、損害賠償等の問題を生ずる余地がなく、また、違法性を欠くものとして、不法行為責任を生ずることもない。労組法七条で、労働者が労働組合の正当な行為をしたことの故をもつて、使用者がこれを解雇し、その他これに対して不利益な取扱いをすることを禁止し、また、同八条で、同盟罷業その他の争議行為であつて正当なものによつて損害を受けたことの故をもつて、使用者が労働組合またはその組合員に対して、損害賠償を請求することができない旨を規定しているのは、右に述べた当然のことを明示的にしたものと解される。このような見地からすれば、同盟罷業その他の争議行為であつて労組法の目的を達成するためにした正当なものが刑事制裁の対象とならないことは、当然のことである。労組法1条2項で、刑法三五条の規定は、労働組合の団体交渉その他の行為であつて労組法1条1項に掲げる目的を達成するためにした正当なものについて適用があるとしているのは、この当然のことを注意的に規定したものと解すべきである。また、同条二項但書で、いかなる場合にも、暴力の行使は、労働組合の正当な行為と解釈されてはならないと規定しているが、これは争議行為の正当性の一つの限界を示し、この限界をこえる行為は、もはや刑事免責を受けないことを明らかにしたものというべきである。

[6]二 右に述べたように、勤労者の団結権・団体交渉権・争議権等の労働基本権は、すべての勤労者に通じ、その生存権保障の理念に基づいて憲法28条の保障するところであるが、これらの権利であつても、もとより、何らの制約も許されない絶対的なものではないのであつて、国民生活全体の利益の保障という見地からの制約を当然の内在的制約として内包しているものと解釈しなければならない。しかし、具体的にどのような制約が合憲とされるかについては、諸般の条件、ことに左の諸点を考慮に入れ、慎重に決定する必要がある。
[7](1)労働基本権の制限は、労働基本権を尊重確保する必要と国民生活全体の利益を維持増進する必要とを比較衡量して、両者が適正な均衡を保つことを目途として決定すべきであるが、労働基本権が勤労者の生存権に直結し、それを保障するための重要な手段である点を考慮すれば、その制限は、合理性の認められる必要最小限度のものにとどめなければならない。
[8](2)労働基本権の制限は、勤労者の提供する職務または業務の性質が公共性の強いものであり、したがつてその職務または業務の停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあるものについて、これを避けるために必要やむを得ない場合について考慮されるべきである。
[9](3)労働基本権の制限違反に伴う法律効果、すなわち、違反者に対して課せられる不利益については、必要な限度をこえないように、十分な配慮がなされなければならない。とくに、勤労者の争議行為等に対して刑事制裁を科することは、必要やむを得ない場合に限られるべきであり、同盟罷業、怠業のような単純な不作為を刑罰の対象とするについては、特別に慎重でなければならない。けだし、現行法上、契約上の債務の単なる不履行は、債務不履行の問題として、これに契約の解除、損害賠償責任等の民事的法律効果が伴うにとどまり、刑事上の問題としてこれに刑罰が科せられないのが原則である。このことは、人権尊重の近代的思想からも、刑事制裁は反社会性の強いもののみを対象とすべきであるとの刑事政策の理想からも、当然のことにほかならない。それは債務が雇傭契約ないし労働契約上のものである場合でも異なるところがなく、労務者がたんに労務を供給せず(罷業)もしくは不完全にしか供給しない(怠業)ことがあつても、それだけでは、一般的にいつて、刑事制裁をもつてこれに臨むべき筋合ではない。
[10](4)職務または業務の性質上からして、労働基本権を制限することがやむを得ない場合には、これに見合う代償措置が購ぜられなければならない。
[11] 以上に述べたところは、労働基本権の制限を目的とする法律を制定する際に留意されなければならないばかりでなく、すでに制定されている法律を解釈適用するに際しても、十分に考慮されなければならない。

[12]三 そこで、労働基本権制限の具体的態様についてみるに、法律によつて定めるところがまちまちであり、かつ、幾度かの改廃を経て現在に至つている。すなわち、昭和23年7月31日政令第201号が制定施行されるまでは、国家公務員や地方公務員も、一定の職員を除いて、一般の勤労者と同様に、団結権・団体交渉権・争議権等について制限されることなく、争議行為も許されていた。政令第201号の制定施行によつて、公務員は、国家公務員たると地方公務員たるとを問わず、何人も同盟罷業、怠業はもちろん、国または地方公共団体の業務の運営・能率を阻害する一切の争議行為を禁止され、これに違反した者は、刑罰を科せられることになつた。しかし、昭和23年12月3日改正施行された国家公務員法では、一切の争議行為が禁止されたことは右の政令と同様であるが、たんに争議行為に参加したにすぎない者は処罰されることがなく、争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、もしくはあおり、またはこれらの行為を企てた者だけが処罰されることになつた(昭和四〇年法律第六九号による改正前の国家公務員法98条5項、110条1項17号、なお、地方公務員法37条1項、61条4号参照)。ところが、昭和23年12月20日に公布され、翌24年6月1日から施行された公共企業体労働関係法では、国鉄・専売公社はいわゆる公共企業体と呼ばれ、その職員は、一切の争議行為を禁止されたけれども、その違反に対しては、刑事制裁に関する規定を欠き、同法に違反する行為をしたことそのことを理由として同法によつて刑事責任を問われることはなくなつた。昭和27年7月31日の同法の改正では、被告人ら郵政職員を含むいわゆる五現業の職員の争議行為等について、国家公務員法の規定の適用が排除され、新らしい公共企業体等労働関係法の関係規定が適用されることになつた。したがつて、郵政職員の争議行為は、公労法17条1項によつて禁止されていることが明らかであるが、その違反に対しては、これを共謀、教唆、煽動、企図したものであるといなとを問わず、禁止の違反そのものを理由として同法によつて刑事責任を問われることはなくなつた。
[13] 以上の関係法令の制定改廃の経過に徴すると、公労法適用の職員については、公共企業体の職員であると、いわゆる五現業の職員であるとを問わず、憲法の保障する労働基本権を尊重し、これに対する制限は必要やむを得ない最小限度にとどめるべきであるとの見地から、争議行為禁止違反に対する制裁をしだいに緩和し、刑事制裁は、正当性の限界をこえないかぎり、これを科さない趣旨であると解するのが相当である。

[14]四 右のような経過をたどつてきた現行の公労法の規定について検討するに、その17条1項は、いわゆる五現業および三公社の業務に従事する職員およびその組合は、公共企業体等に対して同盟罷業、怠業、その他業務の正常な運営を阻害する一切の行為をすることができないこと、また、右職員ならびに組合の組合員および役員は、このような禁止された行為を共謀し、そそのかし、もしくはあおつてはならないことを規定している。この規定は、職員等の行為がたんなる債務不履行またはそれをそそのかす等の行為であつても、それが業務の正常な運営を阻害するものであるかぎり、これを違法とするものであつて、その意味で憲法二八条の保障する争議権を制限するものであることは明らかである。
[15] 上告趣意は、公労法17条1項の規定が憲法28条および18条に違反して無効であるという。しかし、右の規定が憲法の右の法条に違反するものでないことは、すでに当裁判所の判例とするところであり(前者については、昭和26年(あ)第1688号同30年6月22日大法廷判決、刑集9巻8号1189頁、後者については、昭和24年(れ)第685号同28年4月8日大法廷判決、刑集7巻4号775頁)、公労法17条1項の規定が違憲でないとする結論そのものについては、今日でも変更の必要を認めない。その理由をすこし詳しく述べると、つぎのとおりである。
[16] 憲法28条の保障する労働基本権は、さきに述べたように、何らの制約も許されない絶対的なものではなく、国民生活全体の利益の保障という見地からの制約を当然に内包しているものと解すべきである。いわゆる五現業および三公社の職員の行なう業務は、多かれ少なかれ、また、直接と間接との相違はあつても、等しく国民生活全体の利益と密接な関連を有するものであり、その業務の停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれがあることは疑いをいれない。他の業務はさておき、本件の郵便業務についていえば、その業務が独占的なものであり、かつ、国民生活全体との関連性がきわめて強いから、業務の停廃は国民生活に重大な障害をもたらすおそれがあるなど、社会公共に及ぼす影響がきわめて大きいことは多言を要しない。それ故に、その業務に従事する郵政職員に対してその争議行為を禁止する規定を設け、その禁止に違反した者に対して不利益を課することにしても、その不利益が前に述べた基準に照らして必要な限度をこえない合理的なものであるかぎり、これを違憲無効ということはできない。
[17] この観点から公労法17条1項の定める争議行為の禁止の違反に対する制裁をみるに、公労法18条は、同17条に違反する行為をした職員は解雇されると規定し、同三条は、公共企業体等の職員に関する労働関係について、労組法の多くの規定を適用することとしながら、労働組合または組合員の損害賠償責任に関する労組法8条の規定をとくに除外するとしている。争議行為禁止違反が違法であるというのは、これらの民事責任を免れないとの意味においてである。そうして、このような意味で争議行為を禁止することについてさえも、その代償として、右の職員については、公共企業体等との紛争に関して、公共企業体等労働委員会によるあつせん、調停および仲裁の制度を設け、ことに、公益委員をもつて構成される仲裁委員会のした仲裁裁定は、労働協約と同一の効力を有し、当事者双方を拘束するとしている。そうしてみれば、公労法17条1項に違反した者に対して、右のような民事責任を伴う争議行為の禁止をすることは、憲法28条、18条に違反するものでないこと疑いをいれない。

[18]五 つぎに、公労法17条1項に違反して争議行為をした者に対する刑事制裁について見るに、さきに法制の沿革について述べたとおり、争議行為禁止の違反に対する制裁はしだいに緩和される方向をとり、現行の公労法は特別の罰則を設けていない。このことは、公労法そのものとしては、争議行為禁止の違反について、刑事制裁はこれを科さない趣旨であると解するのが相当である。公労法3条で、刑事免責に関する労組法1条2項の適用を排除することなく、これを争議行為にも適用することとしているのは、この趣旨を裏づけるものということができる。そのことは、憲法28条の保障する労働基本権尊重の根本精神にのつとり、争議行為の禁止違反に対する効果または制裁は必要最小限度にとどめるべきであるとの見地から、違法な争議行為に関しては、民事責任を負わせるだけで足り、刑事制裁をもつて臨むべきではないとの基本的態度を示したものと解することができる。
[19] この点で参考になるのは、国家公務員法および地方公務員法の適用を受ける非現業の公務員の争議行為に対する刑事制裁との比較である。この制裁としては、争議行為を共謀し、そそのかし、もしくはあおり、またはこれらの行為を企てた者だけを罰することとしている(昭和四〇年法律第六九号による改正前の国家公務員法98条5項、110条1項17号、地方公務員法37条1項、61条4号)。その趣旨は、一方で、これらの公務員の争議行為は公共の福祉の要請によつて禁止されるけれども、他方で、これらの公務員も勤労者であり、憲法によつて労働基本権を保障されているから、この要請と保障を適当に調整するために、単純に争議行為を行なつた者に対しては、民事制裁を課するにとどめ、積極的に争議行為を指導した者にかぎつて、さらに刑事制裁を科することにしたものと認められる。右の公務員と公労法の適用を受ける公共企業体等の現業職員とを比較すれば、右の公務員の職務の方が公共性の強いことは疑いをいれない。その公務員の争議行為に対してさえも、刑事法上の制裁は積極的に争議行為を指導した者だけに科せられ、単純に争議行為を行なつた者には科せられない。そうしてみれば、公共企業体等の現業職員の争議行為には、それより軽い制裁を科するか、制裁を科さないのが当然である。ところで、公労法は刑事制裁に関して、なにも規定していないから、これを科さない趣旨であると解するのが相当である。
[20] このように見てくると、公労法3条が労組法1条2項の適用があるものとしているのは、争議行為が労組法1条1項の目的を達成するためのものであり、かつ、たんなる罷業または怠業等の不作為が存在するにとどまり、暴力の行使その他の不当性を伴わない場合には、刑事制裁の対象とはならないと解するのが相当である。それと同時に、争議行為が刑事制裁の対象とならないのは、右の限度においてであつて、もし争議行為が労組法1条1項の目的のためでなくして政治的目的のために行なわれたような場合であるとか、暴力を伴う場合であるとか、社会通念に照らして不当に長期に及ぶときのように国民生活に重大な障害をもたらす場合には、憲法二八条に保障された争議行為としての正当性の限界をこえるもので、刑事制裁を免れないといわなければならない。これと異なり、公共企業体等の職員のする争議行為について労組法1条2項の適用を否定し、争議行為について正当性の限界のいかんを論ずる余地がないとした当裁判所の判例(昭和三七年(あ)第1803号同38年3月15日第二小法廷判決、刑集17巻2号23頁)は、これを変更すべきものと認める。

[21]六 ところで、郵便法の関係について見るに、その79条1項は、郵便の業務に従事する者がことさらに郵便の取扱をせずまたはこれを遅延させたときは、1年以下の懲役または二万円以下の罰金に処すると規定している。このことは、債務不履行不可罰の原則に対する例外を規定したものとして注目に値することであるが、郵便業務の強い公共性にかんがみれば、右の程度の罰則をもつて臨むことは、合理的な理由があるもので、必要の限度をこえたものということはできない(郵便物運送委託法21条参照)。この罰則は、もつぱら争議行為を対象としたものでないことは明白であるが、その反面で、郵政職員が争議行為として右のような行為をした場合にその適用を排除すべき理由も見出しがたいので、争議行為にも適用があるものと解するほかはない。ただ、争議行為が労組法1条1項の目的のためであり、暴力の行使その他の不当性を伴わないときは、前に述べたように、正当な争議行為として刑事制裁を科せられないものであり、労組法1条2項が明らかにしているとおり、郵便法の罰則は適用されないこととなる。これを逆にいえば、争議行為が労組法1条1項の目的に副わず、または暴力の行使その他の不当性を伴う場合には、右の罰則が適用される。また、その違法な争議を教唆した者は、刑法の定めるところにより、共犯の責を免れない。

[22]七 具体的に本件についてみるに、第1審判決は、公訴事実に基づいて、石崎民次ら38名の行為を郵便法79条1項前段違反の構成要件に該当すると認定した。原判決は、前述の第2小法廷の判決に従つて、公共企業体等の職員は、公労法17条1項によつて争議行為を禁止され、争議権自体を否定されているのであるから、もし右のような事実関係があるとすれば、その争議行為について正当性の限界いかんを論ずる余地はなく、労組法1条2項の適用はないとしている。
[23] しかし、本件被告人らは、本件の行為を争議行為としてしたものであることは、第1審判決の認定しているとおりであるから、石崎民次らの行為については、さきに述べた憲法28条および公労法17条1項の合理的解釈に従い、労組法1条2項を適用して、はたして同条項にいう正当なものであるかいなかを具体的事実関係に照らして認定判断し、郵便法79条1項の罪責の有無を判断しなければならないところである。したがつて、原判決の右判断は、法令の解釈適用を誤つたもので、その違法は判決に影響を及ぼすこと明らかであり、これを破棄しなければいちじるしく正義に反するものといわなければならない。

[24] 以上の判断に照らせば、公労法17条1項および原判決が憲法11条、14条、18条、
25条、28条、31条、九八条に違反する旨の各論旨は理由なきに帰する。よつて、その余の論旨に対する判断を省略し、原判決を破棄し、さらに審理を尽させるために、本件を東京高等裁判所に差し戻すものとし、刑訴法411条1号、413条本文により、主文のとおり判決する。
[25] この判決は、裁判官松田二郎、同岩田誠の補足意見、裁判官奥野健一、同五鬼上堅磐、同草鹿浅之介、同石田和外の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。


[1] 裁判官松田二郎の補足意見は次のとおりである。
[2] 当裁判所昭和37年(あ)第1803号同38年3月15日第二小法廷判決によれば、公労法17条1項が争議行為を禁止し争議権自体を否定している以上、これに違反してなされた争議行為については正当性の限界いかんを論ずる余地はなく、したがつて労組法1条2項の適用はないというのである。これに対し本判決は、この判例を変更するものであるが、私は多数意見を補足して若干意見を述べたい。
[3](一)前記第二小法廷判決の見解は、ある行為がいずれかの法令により違法とされる以上、刑法上も当然違法であり、従つてそのような行為につき刑法上違法性の阻却されることはありえない、という考えを前提とするものである。なるほど、行為が違法であるか否かは、法秩序全体の観点からする判断であるから、ある行為が1つの法規によつて禁ぜられ違法とされた場合には、それは他の法域においても一応違法なものと考えられよう。しかし、同じ法域、たとえば、同じ民事法の範囲内においてすら、法規違反の行為とされるものの中にも、その効力が否定されて無効となるものとしからざるものとがあり、また行為を無効ならしめる場合の違法性と不法行為の要件としての行為の違法性とは、その反社会性の程度において必ずしも同一でありえない。いわんや、法域を異にする場合、それぞれの法域において問題となる違法性の程度は当該法規の趣旨・目的に照らして決定されるところであり、従つて刑法において違法とされるか否かは、他の法域における違法性とは無関係ではないが、しかし別個独立に考察されるべき問題なのである。この理は、刑法と労組法との間においても全く同様であり、労働法規が争議行為を禁止してこれを違法として解雇などの不利益な効果を与えているからといつて、そのことから直ちにその争議行為が刑罰法規における違法性、すなわちいわゆる可罰的違法性までをも帯びているということはできない。ことに、刑罰がこれを科せられる者に対し強烈な苦痛すら伴う最も不利益な法的効果をもたらす性質上、刑罰法規の要求する違法性は他の法域におけるそれよりも一般に高度の反社会性を帯びたものであるべきである。しかしてこの見地に立つて前記第二小法廷の判決を見るとき、それは、行為の違法性を一義的に解して法域によるその反社会性の段階または程度の差を認めず、公労法上違法とされた争議行為は、当然に刑法上においても違法だとした前提において、既に誤つているものというべきである。
[4](二)本件の問題たる公共企業体等の職員の争議行為についていえば、それは昭和23年政令第201号の施行以来現行の公労法に至るまで禁止されているが、多数意見の説示するように、これに対する刑事制裁はしだいに緩和される方向に向い、現在においては単に争議行為をし、あるいはこれを共謀し、そそのかし、もしくはあおつたことだけのゆえをもつては、これに対し刑罰を科することなく、解雇を認めるにとどまつているのである。しかして、多数意見がその一および二において憲法の定める労働基本権の尊重を説示し、これに対する制約に限度あることを強調することに思をいたし、更に公労法3条が争議行為を含む労働組合の団体交渉その他の行為のいわゆる刑事免責に関する労組法1条2項の適用をあえて排除していないこと(その明文上争議行為の場合を除外していないことは明白である。)に照らせば、公共企業体等の職員の行なう争議行為は、公労法上違法ではあるとしても、争議行為として正当な範囲内にとどまるものと認められるかぎり、右の違法性は刑罰法規一般の予定する違法性、すなわち可罰的違法性の程度には達していないものと解すべきである。従つて、その行為が刑罰法規の構成要件に該当する場合においても、それが争議行為の正当な範囲内にとどまるかぎり、刑罰を科するに足る高度の反社会性を欠くものとしてその違法性は阻却されるものというべきである。このように解するときは、本件被告人らの行為が郵便法79条1項に該当するとしても、労組法1条2項により改めてその正当性の有無を検討しなければならないことになるのである。

[1] 裁判官岩田誠の補足意見は次のとおりである。
[2] 私は、行為の違法性論の見地からする松田裁判官の意見にすべて同調するものであるが、なお、やや異なつた視点から、公共企業体等の職員の争議行為に労組法1条2項の適用を認むべき理由につき、一言意見を述べておきたい。
[3] 公労法は、その17条1項によつて公共企業体等の職員の争議行為を禁止しながら、その禁止違反に対する罰則を置いていない。しかし、一方において郵便法79条1項は「郵便の業務に従事する者がことさらに郵便の取扱をせず、又はこれを遅延させたときは、これを1年以下の懲役又は二万円以下の罰金に処する。」と規定している。この郵便法の規定は、争議行為として行われた行為だけを予定したものではないが、郵政職員が争議行為として同盟罷業または怠業をした場合も一応この構成要件に該当することになるから、もしその行為に労組法1条2項による違法性阻却の余地が全くないのならば、少なくとも郵政職員に関するかぎりは、実質において争議行為そのものを処罰する規定があるのと異ならないことになる(なお、日本電信電話公社の職員については、公衆電気通信法110条1項参照)。しかし、このような結論を認めることがはたして法の趣旨に合致した合理的な解釈だといえるであろうか。以下、私は、この結論が現行法秩序の精神に反するものであることを明らかにして、公労法違反の争議行為に労組法1条2項を適用する余地なしとする見解の誤りであることを指摘してみたいと思う。
[4](イ)第1に、公労法は公共企業体等の職員の労働関係についての基本法ともいうべきものであつて、その争議行為の禁止も同法中に規定されているのであるから、もしその禁止に反する争議行為そのものを処罰しようとするのであれば、本来同法中にその罰則が設けられてしかるべきである。かりに公労法以外の法令に設けるとしても、少なくとも争議行為を予定した労働関係の規定として設けられるべきものである(例えば、自衛隊法64条、119条1項3号、2項、120条1項1号、2項、122条1項1号、2項)。また、そればかりでなく、もし郵便法の前記罰条によつて争議行為が処罰されるのならば、なぜ郵政職員を他の公共企業体等の職員なかんずく日本国有鉄道の職員と区別してその争議行為に刑事制裁を科するのか、その合理的な理由を十分説明することができないであろう(国鉄職員については、郵便法79条1項に相当する規定は存在しない。また、鉄道営業法25条の罰則も、国鉄職員が単なる同盟罷業または怠業をした場合に当然に適用があるものでないことは、その構成要件上明らかであり、争議行為としてなされた行為が同条に該当する場合には、むしろそれは労組法1条2項にいう正当な争議行為とはいえないであろう。)。
[5](ロ)次に立法の沿革からみると、そもそも郵便法の前記罰条は、旧郵便法53条の規定を継承して昭和22年12月12日法律第165号によつて設けられ昭和23年1月1日から施行されたものであるが、この当時は郵政職員を含む一般の国家公務員の争議行為は禁止されておらず、したがつて争議行為としてした行為が同条項に該当した場合、当時の労組法(昭和24年法律第174号による改正前の昭和二〇年法律第51号)1条2項(現行法1条2項と同旨)の適用があるのは当然のことと解されていた。その後昭和23年7月31日政令第201号によつて公務員の争議行為が禁止され、かつその違反に対して刑罰が科せられることとなつたけれども、同令の適用のある間に郵政職員が争議行為として同盟罷業または怠業の挙に出た場合、はたして同令の罰則のほかに郵便法79条1項の適用をも受けたであろうか。当裁判所昭和24年(れ)第1918号同30年10月26日大法廷判決(刑集9巻11号2313頁)の趣旨からすると、これを消極に解せざるをえない。けだし、この判例は、争議行為禁止の違反そのものに対しては右政令の罰則だけを適用し処断すべきものであつて、重ねて他の罰条を適用すべきでないという趣旨のものと解されるからである。そして、その後における国家公務員法の改正による前記政令の適用除外、公労法の制定、郵政職員を含むいわゆる五現業の職員への同法の適用範囲の拡大という争議権の制限緩和の一連の立法経過に照らすときは、本来郵政職員の争議行為を処罰する趣旨のものでなかつた郵便法の前記規定が中途のいずれかの時期にその性格を変じて争議行為を処罰する規定となるべき根拠はいずこにも見いだすことができないのである。
[6] これを要するに、郵政職員が公労法17条1項に違反し争議行為として同盟罷業または怠業をした場合に当然郵便法79条1項を適用してこれに刑事制裁を加えうるとすることは、明らかに現行法秩序の精神に反する解釈だといわなければならない。そして、この誤つた結論は、公共企業体等の職員の争議行為に労組法1条2項の適用の余地なしとの判断を前提としてはじめて理論的に成立するものである。この点から考えても、右の前提たる判断の不当であることは明白だというべきであろう。

[1] 裁判官奥野健一、同草鹿浅之介、同石田和外の反対意見は次のとおりである。
[2] 公共企業体等労働関係法(以下公労法と略称する。)17条1項は憲法28条に違反する旨及び公労法17条1項に違反する争議行為には労働組合法(以下労組法と略称する。)1条2項の適用がある旨主張する上告論旨について。
[3] 憲法28条の保障する労働基本権といえども、絶対無制限なものではなく、公共の福祉のため、特に、必要があるときは、合理的制限をすることができるものであり、このことは既に当裁判所の判例とするところである(昭和24年(れ)第685号同28年4月8日大法廷判決、刑集7巻4号775頁)。
[4] 公労法1条は、「この法律は……公共企業体及び国の経営する企業の正常な運営を最大限に確保し、もつて公共の福祉を増進し、擁護することを目的とする。」旨規定し、その目的を達成するため、同法17条において、かかる企業に従事する公共企業体等の職員及びその組合は、同盟罷業、怠業、その他業務の正常な運営を阻害する一切の行為をすることができない旨を規定して、これら職員につき、業務の正常な運営を阻害する一切の争議行為を禁止しているのである。これは公共企業体等の事業が国民経済に重要な関係を有する公共性の強いものであり、その企業の正常な運営はいささかも阻害されることが許されないものであり、従つてその職員の職務は、広く国民全体の利益と緊密な関係を有し、一般私企業における勤労者の職務とその性質を著しく異にすることにかんがみ、その職員を全体の奉仕者である国家公務員、またはこれに準ずる者として、公共の福祉の要請に基づいて、右の如くその争議行為を禁止したものであり、他面その代償保障として、公共企業体等とその職員との紛争につき、あつせん、調停及び仲裁を行うため、公平な公共企業体等労働委員会を設け、殊に同会のなした仲裁裁定は、労働協約と同一の効力を有し、当事者双方とも、最終的決定として、これに拘束される(同法35条)ものとしているのである。
[5] すなわち、公共企業体等の企業の公益性にかんがみ、公共の福祉のため、その業務に従事する職員につき一切の争議行為を禁止するが、他面その代償措置として、あつせん、調停及び仲裁の制度を設けて、その職員の利益を保障しているのであつて、かくの如き労働権の規制は公共の福祉のためにする合理的な制限として是認することができ、憲法28条に違反するものではない。そして公労法17条の違憲でないことは、夙に当裁判所の判例(昭和26年(あ)第1688号同30年6月22日大法廷判決、刑集9巻8号1189頁)とするところでもある。今これを変更する必要を認めない。
[6] 右の如く、公共企業体等の職員は、業務の正常な運営を阻害する一切の争議行為を、法律により、禁止されているのであつて、これに違反してなす争議はすべて違法なものであり、従つて正当な争議行為とはいい得ないことは極めて明白である。換言すれば、争議行為の内容が、単に職場放棄の如き消極的な不作為であつても、前記17条の同盟罷業または怠業等に該当する限り、その争議行為は違法であり、従つて正当性を有しないものといわざるを得ないのである。
[7] 苟もある法律によつて一切の争議行為が禁止せられ、違法なものとされている以上、他の法域において、それが適法であるということは許されない。けだし行為の違法性はすべての法域を通じて一義的に決せらるべきものであり、公労法上違法とされた行為が刑事法上違法性を欠くというがごときは理論上あり得ないからである。そして、その禁止に違反する行為につき何ら制裁規定を設けていない場合であると、自衛隊法64条2項、119条1項3号の如く、刑事上の制裁を科している場合であると、将又公労法17条、18条の如く民事上の解雇の制裁のみを定めている場合であるとを問わず、すべての法域において、等しく違法、不当であることには変りはない。従つて、公労法17条違反の場合につき、同法が刑事上の制裁を科せず、民事上の解雇の制裁のみを規定しているからといつて、右17条は、その禁止に違反して争議をしても、単に解雇の制裁を科し得るだけで、刑事法上は適法、正当なものとして、これを許容しているものとは到底解し得られないのである。すなわち、公共企業体等の職員に対して一切の争議行為を禁止している所以は、前述の如く、公共企業体等の業務の正常な運営を阻害することは、国民経済に重大な影響を与えることにかんがみ、公共の福祉の要請上、その争議を全面的に禁止しているのであつて、単に労使間における労務不提供という債務不履行を禁止しているのではなく、従つて、刑法その他一般の法律秩序の上において、かかる争議を違法と評価しているものというべきである。
[8] かように、公共企業体等の職員は、その争議行為が禁止され、争議権自体法律上否定されている以上、これに違反してなす争議行為につき、労組法1条2項の刑事上の免責規定の適用の余地はないものと解する。けだし、労組法1条2項の刑事上の免責規定は、争議行為についてみると、本来適法に争議権を認められている労働組合の争議行為において、その行為が労組法1条1項の目的を達成するためにした正当なものである場合に限つて、たとえ、その行為が犯罪構成要件に該当していても、その違法性が阻却さるべきことを規定したものであつて、当初より争議権を有しない者の違法、不当な争議行為については、その適用の余地はないものというべく、また当初より正当性のない争議行為につき、その正当性の限界如何を論ずる余地もないからである。すなわち、労組法1条2項の「……団体交渉その他の行為」という「その他の行為」のうちには、公共企業体等の職員については、そもそも争議権がないのであるから、争議行為は除外されているものと解すべきであることは、公労法17条と対比して明白であるからである(若し公共企業体等の職員の争議にも、労組法1条2項の適用があるとすれば、結局一般私企業に従事する労働者の争議と大差のない刑事法的保護を受けることになり、公労法が、同法17条により争議を一切禁止した代償保障として公共企業体等の職員のためにあつせん、調停及び仲裁の制度を、特に設けた立法趣旨に反することになる。)。
[9] もつとも、公労法3条は、労組法1条2項の適用を除外する旨の明文を設けていないけれども、公共企業体等の職員は、争議権は否定されているものの、なお、団結権及び団体交渉権は有するのであつて、例えば団体交渉に当たり右労組法1条2項の適用を受ける余地は十分あるのであるから、同条項の全面的適用除外は許されないのである。そのうち争議行為の場合を除外する趣旨の規定を特に置かなかつたのは、元来争議権を有しない者の争議行為について同条項の適用の余地のないことは理論上自明の理であるため、あえてその点まで規定するほどの必要を認めなかつたからに外ならない。これに対し、公労法3条が労組法8条の適用除外を明定したのは、同条が争議行為のみに関する規定であり、公共企業体等の職員の争議行為については正当なものという観念があり得ないのであるから、その適用の余地が全くないためである。それ故、公労法3条が特に労組法8条の適用を除外しながら、同法1条2項の適用を除外しなかつたことを理由として、公共企業体等の職員の争議につき右1条2項の適用があるものと解することは失当だといわなければならない。
[10] また論旨は、争議行為については憲法二八条自体から当然に刑事上の免責が生ずるのであつて、労組法1条2項はこれを受けて訓示的に刑事免責を法定したものであり、他方公労法は、最高規範たる憲法の下位規範で、これに優先することはできないから、公労法17条のあることを理由として労組法1条2項の適用を排斥することはできない、とも主張する。しかし、例えば、警察職員、消防職員の如き極度に公共性の強い業務に従事する者につき争議の正当性を認める余地のないことは疑を容れないところであり、憲法二八条と雖も右の如き職員の争議権まで保障しているものとは考えられない。そして業務の公共性を如何に評価し、これに従事する者の争議をどの程度制限するかは立法政策の問題であつて、その立法が不合理でない限り、違憲ということはできない。すなわち、憲法二八条が当然にすべての争議について刑事免責を保障しているとはいえないのであるから、このことを前提として公労法17条違反の争議行為に労組法1条2項の適用があるとする所論は採るを得ない。
[11] なお公労法17条制定の結果、公共企業体等の職員の争議行為につき、労組法1条2項の適用の余地がなくなつたことについては、公労法制定当時における国会の審議において、屡々政府委員より、その旨の説明(昭和23年12月8日第4回国会参議院労働委員会議録第3号、昭和23年11月29日第三回国会衆議院労働委員会議録12号)があり、そのうえ、可決されたのであるから、立法当局の意思も、同様であつたものと推測されるのである。かかる立法者の意思も十分尊重されるべきである。
[12] 従つて、公労法17条が憲法28条に違反し、右17条違反の争議に対し労組法1条2項の適用がある旨を主張し、原判決は憲法28条に違反するとの論旨は採るを得ない。
[13] 最後に多数意見について一言する。
[14] 多数意見は要するに、(一)公共企業体等の職員はもとより、国家公務員や地方公務員も憲法二八条にいう勤労者に外ならない以上、原則的には争議権が保障されており、その争議行為が正当な範囲をこえない限り、刑事制裁の対象とならないのであり、労組法1条2項はこの当然のことを注意的に規定したものである。(二)公労法17条は公共企業体等の職員の争議行為を禁止しているが、その違法行為について刑罰規定を設けることなく、同法18条がこれに対して解雇の制裁のみを規定し、かつ、同法三条は、損害賠償責任に関する労組法八条を除外しているに過ぎないのであるから、争議行為禁止違反が違法であるというのは、民事責任を免れないとの意味においてである。(三)公労法は、労組法1条2項の規定の適用を排除していないのであるから、当然その適用があるものというべく、公共企業体等の職員の争議行為が正当な範囲をこえない限り、同条により刑事免責される、というのである。
しかし、
[15](一)憲法28条は勤労者に給与その他の勤労条件の改善、向上を得せしめる手段として、いわゆる労働基本権を保障しているのであるが、争議行為により、国民大衆の利益を著しく害し、国民経済に重大な障害を与えるような場合には、彼我の法益の均衡を考慮し、公共の福祉の要請に基づき、これが争議権を制限、禁止することも、やむを得ないのであつて、憲法13条の趣旨に徴しても肯認できるところであり、これをもつて違憲ということはできない(他面、適当な代償措置を講ずべきである。)。公労法17条は、正にかくの如き公共の福祉の要請に基づき設けられた争議行為禁止の規定である(他面、代償措置として公共企業体等労働委員会を設けて、職員のために、あつせん、調停、仲裁を行わしめることとしている。)。従つて、公共企業体等の職員は一切の争議行為が禁止され、争議権は法律上否定されているものというべきであるから、争議権あることを前提とする議論はすべて前提を欠く。
[16](二)右の如く、公共企業体等の職員は、公労法17条により一切の争議行為が禁止されているのであつて、その違反行為について同法が直接刑罰を科していないことや、また、その違反行為について解雇の制裁のみを規定していることは、右争議行為禁止の絶対的効力に何ら消長を来たすものではない。それ故、右争議行為禁止の法規違反は、単なる民事法的違法に過ぎないというのは正当ではない。
[17](三)右の如く、法律上争議権を否定された公共企業体等の職員は、当然「正当な争議行為」をすることができないのであるから、争議行為として「正当なもの」について、刑事免責を規定した労組法1条二項の規定は、公共企業体等の職員の争議行為に適用の余地のないことは明白である。
[18] 裁判官草鹿浅之介は、右の反対意見に次の意見を附加する。
[19] 労組法1条2項本文が「刑法第三十五条の規定は、労働組合の団体交渉その他の行為であつて前項に掲げる目的を達成するためにした正当なものについて適用があるものとする。」と規定しているのは、いわば当然の事理を注意的に規定したものであつて、憲法28条に基礎を有するこれらの行為がもし正当な範囲内のものであれば、本来は労組法の右の規定をまつまでもなく刑法35条によつて犯罪としての違法性が阻却されるのである。その意味で、争議行為の犯罪としての違法性(もとより、それはその行為がなんらかの刑罰法令に触れる場合であること、すなわちその行為を罰する刑罰法令が存在することを前提とする。本件でいえば、郵便法79条1項がこれに当たる。)が阻却されるかどうかは、ひつきようその行為が刑法35条の正当行為に該当するかどうかによつて決せられるといわなければならない。
[20] ところで、刑法35条の正当行為といえるかどうかは、刑法だけでなく、すべての法体系を総合した法秩序全体の見地から決せらるべきものであることは当然である。ここで問題となつている争議行為についていえば、それが正当行為であるためには、労働法関係においても正当行為すなわち違法でない行為でなければならない。しかるに、本件におけるがごとき公共企業体等の職員の争議行為は公労法17条1項の禁止するところであり、多数意見もまたこの規定の合憲性を認めた上で本件争議行為が違法であることを明らかに認めている。いいかえれば、労働法関係においてそれが正当行為でないことは、多数意見の承認するところだといわざるをえない。しかし、労働法関係において違法行為であることを肯定しながら、刑事法関係においてそれが正当行為になる余地があるとするのは、いかなる理由によるものであるのか。公労法17条1項の合憲性を否定するか、あるいはなんらかの合理的な理由によつて本件の争議行為が労働法上も適法な行為だとするのであれば格別、同一の行為が労働法上は違法であるが刑事法上は正当行為ないし適法行為になるというごとくその評価を異にすることは、少なくとも刑法三五条の正当行為の解釈としては到底首肯しえないところである。それにもかかわらず本件行為が刑法三五条の適用上正当行為と見られる余地があるとする多数意見は全く理解し難い(もつとも、本件の所為がなんらかの理由で可罰価値を欠くというのならば、それは別論である。)。
[21] ことに、本件では、次の点に注意すべきである。そもそも公労法17条1項が公共企業体等の職員の争議行為を禁止している理由がその業務の高度の公共性にあることは明らかで、他方郵便法79条1項の罰則もまた郵便事業の高度の公共性に由来するものであることは、同1条が公共の福祉の増進を同法の目的として掲げていることに徴しても疑いがない。すなわち、公労法17条1項が争議行為を禁止した趣旨と郵便法79条1項所定の行為を違法とした理由とは全く同一なのであつて、この点から考えても、公労法が禁止し違法とした行為が郵便法79条1項の適用上違法性を阻却するというがごときことはありえないといわざるをえないのである。
[22] 多数意見は、公労法が争議行為禁止違反に対し罰則を設けていないことをもつてその争議行為の違法性阻却を認める論拠の1つとしているように見える。しかし、公労法が争議行為そのものを処罰する規定を有していないということと、その行為が他の刑罰法令に触れた場合にこれを処罰するかどうかということとは全く別の問題であつて、公労法における罰則の欠如が他の刑罰法令における違法性阻却の論拠に直ちになりうるものとは考えられない。のみならず、本件の場合についていえば、郵便法79条1項が争議行為としてした行為をその構成要件上あえて除外していないことは明白であるし、前述したようにこの罰則が公共の利益を保護するためのものであり、かつ他方同じ目的のために郵政職員の争議行為が公労法によつて禁止されていることをあわせ考えれば、郵政職員が争議行為としてした行為についても郵便法の右の罰則の適用があると解すべきは当然である。いいかえるならば、少なくとも郵政職員の同盟罷業または怠業に関する限り、その争議行為に対する罰則は存在するといわなければならない。もつとも、その罰則は公労法以外の他の法規中に存するものではあるが、すでに説明したところから明らかなように、その処罰の趣旨は国家公務員法が争議行為について罰則(同110条1項17号)を設けた理由と同一であつて、この種の罰則が公労法中に規定されたのと実質においてなんら区別すべき合理的な理由はないのである。もしそれ当該罰則の実質に目を覆い、それが労働法規中に規定されているか他の法規中に規定されているかという形式の差のみによつて解釈を異にするというのであれば、その理由のないことはほとんど言を待たないであろう。
[23] 以上の次第で、わたくしは多数意見には到底賛成することができない。

[24] 裁判官五鬼上堅磐の反対意見は次のとおりである。
[25] 公共企業体等労働関係法(以下公労法と略称する。)17条1項は、職員およびその組合は同盟罷業、怠業、その他業務の正常な運営を阻害する一切の行為をすることができない旨を規定して、凡ての争議行為を禁止しているのであるから、これに違反してなされる争議行為は違法なものであつて、たとえ消極的に職場放棄をなすようないわゆる不作為の行為であつても、その正当性は認められない。そうして、正当性のない違法な争議行為に労働組合法(以下労組法と略称する。)1条2項の適用ありとすることはできないものといわねばならない。昭和38年3月15日当裁判所第二小法廷判決の、争議行為について正当性の限界いかんを論ずる余地がないという判断は、今日においても何等変更の必要がない。この点について多数意見は、公共企業体の職員およびその組合が前記公労法17条1項に違反し争議行為をしたからといつて、その一事をもつて労組法1条2項をこれに適用する余地なしとすることはできないのであつて、労組法および公労法の目的に照らし、公労法一七条一項違反の争議行為についても労組法一条二項の適用の余地ありとする見解をとるのであるが、この意見に私は賛成することはできない。
[26] すなわち、公労法17条は、同法所定の国営ないしこれに準ずる公有企業に属する職員については、団体行動としての争議行為を一般に違法として禁止し、反社会的行為として評価しているのである。これら違法行為に対して刑事的制裁を科することもありうるのであり、したがつて、郵便法七九条の適用に関して労働争議による場合とそうでない場合を区別して解釈を異にすることはできない。
[27] また、公労法自体に罰則規定が設けられていないことを理由にして、労組法1条2項の刑事免責の規定の適用があると解することはできない。このことは公労法の制定されるに至つた歴史的事実ならびにその立法の趣旨から見ても上記のように解しうることである。すなわち、昭和23年政令第201号が制定され、一切の公務員について争議行為が禁止され、かつこれに刑罰を科したのであるが、その後国家公務員法の一部が改正されて国家公務員の争議行為の禁止は同法によることとなり、さらに昭和24年6月1日施行の公共企業体労働関係法によつて、一般公務員のなかから、国鉄職員と専売職員とを抽出して、これを公共企業体の職員とし、さらに昭和27年8月1日施行の公労法の改正を経て、順次五現業、三公社の職員が公労法の適用を受けることとなつたのである。すなわち、政令第201号の廃止とともに、国鉄等の職員がその他の国家公務員と区別されて、公労法の適用を受けることとなつたのではなく、一旦すべての現業、非現業の国家公務員は、現行のような国家公務員法の規制を受けた後、順次、公労法の規制を受けることとされたものである。このような立法の変遷を支えた立法政策が、国営五現業および三公社の職員の争議行為を、刑事罰から解放することにあつたものでないことは、政令第201号の罰則に関する経過規定をみても明らかである。昭和二三年法律第二二二号によつて国家公務員法が改正された際、その附則8条1項において、政令第201号は「国家公務員に関して、その効力を失う。」とされつつも、同条2項においては、この「政令がその効力を失う前になした同令第2条第1項の規定に違反する行為に関する罰則の適用については、なお従前の例による。」と規定し、同令の適用が排除された後も、排除前に違反した行為の可罰性はなお失わせないとしているのである。この国家公務員法の改正にひき続いて制定された公労法およびその関係法令には、右のような経過規定は存在しないが、これは前記国家公務員法第1次改正附則8条2項によつて政令第201号が一旦限時法としての効力を認められた以上、あらためて同旨の規定をおく必要を認めなかつたからにすぎないのであつて、もし、公労法がその職員の争議行為を刑事罰から解放する趣旨で制定されたものとすれば、制定前の行為について経過規定を設けることは首尾一貫しないこととなる。したがつて、前記のような経過規定をあえて設けたことは、一切の刑事罰から解放するとの立法意思ではない。この経過から見ても、公労法17条違反の行為について、労組法1条2項の適用があるという見解は、誤りであるといわなければならない。なお、昭和23年12月8日第4回国会参議院労働委員会議事録によれば、提案者たる政府の答弁として、公労法17条違反行為には、労組法1条2項の適用がない云々とあり、立法に際してもその適用を排除することが考慮されていたものと解することができる。
[28] したがつて、原判決の判断に何等法令の解釈、適用を誤つた違法はなく、況んや公労法17条が憲法28条に違反するものでないことは、多数意見に述べられたところにより明らかであり、結局本件上告は棄却さるべきものである。
裁判官石坂修一、同山田作之助は、退官のため評議に関与しない。
(裁判長裁判官 横田喜三郎 裁判官 入江俊郎 裁判官 奥野健一 裁判官 五鬼上堅磐 裁判官 横田正俊 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外 裁判官 柏原語六 裁判官 田中二郎 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠)




一、東京高裁判決は不当である。

憲法は〔基本的人権の保障〕を明記しています。その中で〔法の下における平等〕の権利と〔被告人の諸権利〕を保障しています。ところが、東京高裁は、本件の主題である〔労働基本権〕問題が、国際的(ILO理事会の日本政府に対する勧告)にも、国内的(ILO87号、105五号の批准問題)にも大きく問題となつています。そして、地方裁判所、高等裁判所においても、刑事免責を保障した判決が今日出されています。また、多くの学者の学説も、刑事免責の保障が今日の労働慣行の常識であることを明らかにしています。このような情勢の中で、私たち被告団は、より真実を明らかにしようと、私たちの主張、弁論、さらには学識経験者の証言を、高裁を通じて明らかにしようとしたところ、東京高裁は、これを拒否し、判決を下しました。このことは、現行憲法で保障されている〔基本的人権〕〔法の下に何人も平等である〕〔被告人の諸権利〕すらふみにじるものであり、治安維持法時代の暗黒裁判への逆行の道であり、絶対に許されるべきものではない。
さらに、東京高裁判決は、〔昭和38年3月15日最高裁第二小法廷判決〕に全く追従し、東京高裁としての自らの司法権を放棄しています。その上、判決の根本要旨は、昭和38年3月15日、最高裁第二小法廷判決そのものであり、これこそ憲法で保障されている〔労働基本権〕そのものをふみにじり、否定するものであります。したがつて、私たちは、私たちの職場、生活、そして闘いの歴史から、東京高裁判決、3・15判決が、いかに不当であり、憲法違反であるかを明らかにします。

二、私たちの職場と生活

郵便事業のそもそもの起源は、明治4年3月1日初めて、東京、大阪、京都および東海道旧線を中心とする各駅相互間に実施されたときからです。当時の局長は、地主、郷士、庄屋など、その地方、地域の有力者がなり、世襲制がうけつがれ、局長と従業員との関係は、非近代的な身分関係のもとにあり、局舎も局長の私有であり、現在も特定局制度としてうけつがれ、他産業にみられない前時代的な労使関係の根が残つていることも特徴的なことです。
郵便局は、東京中央郵便局のように、3500名余の職場から、わずか5~6名の特定局もあるように、大企業から零細企業的な条件もあり、都市から農、漁、山村と全国的に存在し、伊豆七島のようにしけにあうと1週間、1カ月も本州から隔離されるという島々の郵便局、最南端奄美大島の島々、あるいは雪ぞりだけが唯一の交通機関であるような積雪地、豪雪地にも私たちの仲間は働いています。局舎は、鉄筋ビルから農家の土間に板ばりというような状態であります。特に、特定郵便局が全国に14000局余がありますが、その大部分が農家の土間に板張りを思わせるような局舎なのです。そして、冷暖房、換気、通風、採光、防じん、休憩室、食堂、寝室、便所(男女別)等々の施設が完備している局舎は、全国で1ケ所もない状態です。
このような状況の中で、全国で約25万余の仲間たちが、郵便、貯金、保険の〔国営事業〕をしているのです。
そして、〔公共の福祉〕のための事業として運営されていますが、その現状はどうでしようか。
年々郵便物数はうなぎのぼりにふくれあがり、局舎は狭く、定員は不足し、郵便遅配はマンエン化しています。それは次の表からも明らかです。
      郵便物数       予算定員    年度必要定員
昭和29年 45億87964千通 73585名 73584名
  31年 51億78539千通 74919名 83003名
  33年 57億82640千通 76682名 92717名
また、年間郵便物増加率と定員増加率は、
   昭和29年 30年  31年  32年  33年
物数    0 6・1% 6・7% 6・6% 6・6%
定員    0 0・7% 1・1% 0・9% 1・5%
以上で明らかなように、このように郵便物数が激増しているにもかかわらず、定員は増員されず、局舎施設は改善されず、そのしわよせは、私たち郵便労働者に耐えがたい労働強化と、国民サービスの低下によつて〔公共の福祉〕に事業は奉仕しているのです。たとえば、郵便事業犯罪を担当する郵政監察官、監察事務官を総動員し、ストツプウオツチをもち、便所に行く時間まで監視するという前近代的な監視労働を強制しています。さらに最近においては、管理者教育をし、〔新しい管理者〕は、〔反動と呼ばれれば1人前〕として、不当労働行為、団交拒否などをやつてきているのが現状であります。その上、郵政当局は、最近、都市近郊の交通事情を理由に、郵便の輸送、取集、配達便の改善をしようと提案しています。しかし、この〔改善〕は、国民の基本的権利である親書(ハガキ、手紙〕を〔あまねく公平に迅速に正確に〕配達するものでなく、都内の場合、当日朝、差出しのものは当日午後の配達になつているものが、翌日配達となるのです。反面、会社、独占等の商業通信、印刷物が早くなるという結果をまねくものです。
国民の1人々々の利益のために信託を受けて、郵政事業は〔公共の福祉〕のために、とよく当局は言明しますが、いま行なわれ、今後さらに行なわれようとしている郵政事業運営の本質は、決して国民1人々々の利益と権利を守るために行なわれるものではなく、〔公共の福祉〕のためにという大義名分をかかげ、実は独占会社、大口利用者等のための通信機関であるのです。そのために、さらに郵便労働者の労働条件を改悪し、戦時中を思わせるような深夜労働、交替制勤務を拡大、強化しようというのである。このような状態の中で、私たちの生活はどうかと申しますと、全逓労組東京地区本部が、昭和38年9月、50才以上の高令者を対象に調査したところ、次のような点が明らかになりました。
50才以上になると在職中死亡するものが 56%
50才以上で退職後死亡するものが    44%
であることです。
このことは、物数増に定員不足、交替制勤務、労働強化、さらには局舎環境施設の不備から、いかにも他産業労働者に比較して、郵便労働者が酷使され、早期死亡しているかが明らかです。全生涯を郵政事業にささげつくし、退職後の余生を楽しむことの1日すら得られない文字通り〔事業にささげ事業に死んだ〕のです。
仲間たちは、何を訴えようとしていたのであろうか。
遺族はこう語つています。
〔亡夫は昭和30年在職中62才で死亡しました。保険外務に勤務し、朝に晩に局長、課長から馬車馬のごとく尻をたたかれ、大臣賞だ、局長賞だといわれて、毎日のようにヘトヘトに疲れて帰宅しました。故人は奴隷になつても郵政事業にたずさわるなと申していました。〕 H夫人
〔郵便内勤で昭和33年、57才で死亡しました。当人は郵政事業に誇りをもつていました。しかし聞くところによれば、職場環境、労働条件、労務管理等は非近代的な職場であつたように思います。〕 K夫人
〔郵便外勤に在職中、昭和30年、50才で死亡しました。人手不足で休みもとれず過労で倒れました。出勤時間は早く、帰りはおそく、睡眠時間が不足していたことが原因です。
〕 長男T氏
さらに、退職後はどうでしようか。
退職後 1年以内に死亡するもの  27%
    2年   〃       14%
    3年   〃       17%
    4年   〃       20%
    5年   〃      0・5%
以上のように、5年目以内で退職者の80%は死亡しているのです。これが、私たち労働者の〔退職後の楽しい余生〕であり、憲法で保障されている〔健康で文化的な最低生活を営む権利〕の実態なのです。
では賃金はどうでしようか。私たち東京中央郵便局労働者の賃金実態は次のとおりです。

(A)厚生省の生活保護基準13470円に満たないものは、3000名の労働者のうち1148名もおります。この中には30才以上が60名以上もいるのです。
(B)賃金階層別分布は、
10000円未満          97名
10000円~14999円 1166名
15000円~19999円   512名
20000円~24999円   467名
25000円~29999円   211名
30000円~34999円   282名
35000円~39999円   160名
(C)年令と賃金
25才以下で 15000円以下   864名
30才 〃  20000 〃  1585名
35才 〃  25000 〃  1984名
以上のような低賃金の上に、住宅費、交通費は完全に支給されていないので、自己負担をしているのです。したがつて、被服、家具調度品は、大半が月賦購入なのであり、年間1人当り8万~10万円の負担生活をしているのが現状です。これも憲法で保障されている〔健康で文化的な最低生活〕なのです。

三、労働基本権は、生活と権利を守る長い歴史的な闘いの中からきずかれたものである。

私たちの職場は前述したように古い封建的な労使関係と、低賃金生活でありましたので、これを改善するために、他産業にみられないほど長い闘いの歴史をもつています。わが国最初の郵便労働者の闘いは、明治29年9月13日~14日、神戸郵便集配人のスト、明治31年8月2日、横浜郵便集配人ストというように、このころからすでに労働条件、職場の民主化、賃金などの要求で闘われてきているのです。そして、大正初期における東京市電スト、友愛会の結成、米騒動、鉱山ストと、日本の労働者、農民の運動の高まりと弾圧の中からも、郵便労働者の闘いも、大正8年ごろから全国的になり、大正14年に郵便労働者の全国組繊〔逓友同志会〕を結成したものでありますが、その後、日本帝国主義の海外侵略、弾圧の中で、闘い続けてきたが、解体され、〔産報〕のもとに〔戦時体制〕の中に強制されていつたのであります。
しかし、第二次大戦は、全世界の反フアツシヨ進歩勢力の前に、日本帝国主義はポツダムを妥結し、終結しました。そして、全世界の民主、進歩勢力と、日本労働者階級と人民の長い苦難な闘いの中で〔戦争の放棄〕〔国民の基本的人権〕をはじめ、民主的諸権利の保障が現行憲法の中に明記されたのであります。とりわけ、世界にその類例をみない治安維持法で、労働者階級の基本的権利、生存権すらおびやかす弾圧をしてきた歴史的過程の中から、特に〔労働者階級の基本的権利〕である団結権、団交権、争議権を、憲法第28条で、その保障を内外に明らかにするとともに、〔強制労働の禁止〕18条、〔思想及び良心の自由〕19条、〔集会・結社・表現の自由〕21条、〔国民の生存権〕25条、〔基本的人権〕11条等の諸権利を具体的に保障することを明らかにしたのであります。したがつて、戦後、いち早く労働組合法(昭和二十年十二月)で争議行為に対する刑事上、民事上の責任を排除し、ようやくにして争議権の確立を実現したのであります。しかも、それは、警察官、消防職員、監獄職員を除く公務員に対しても、一般労働者と同様に争議権を保障しているのであります。

四、憲法に違反し、〔労働基本権〕をハク奪し、制限し、弾圧しているものはだれか。

第二次大戦後、昭和20年12月17日、私たちは全逓信労働組合を結成し、戦前からの歴史的な闘いをうけつぎ、戦争の惨禍から祖国の平和、民主的再建と、自らの生活と権利を守るために立ちあがつたのです。ところが、昭和22年、2・21ストに対し、時の占領軍マツカーサーと政府により禁止、さらに昭和23年7月には、マツカーサー書簡と吉田内閣の政令201号によつて、私たち公務員の争議権が一挙に奪われる措置をとられたのであります。
長い歴史的な闘いの中できずかれ、保障された〔争議権〕も、アメリカ帝国主義者の一片の書簡と、吉田内閣の〔政令〕でハク奪されてしまつたのです。これを出発点に、〔国公法改悪〕〔公労法制定〕〔スト規制法〕〔破防法〕そして〔レツド・パージ〕〔朝鮮戦争〕そして〔日本軍の創設〕〔安保条約〕〔日本軍の核武装〕さらには〔政暴法〕の提出と、次々に憲法をじゆうりんし、違反してきているのは他でもないアメリカ帝国主義に従属し、反動政策を進めている日本独占、政府当局であり、憲法の平和的、民主的権利を守り闘つているのは、日本の労働者階級であり人民であることは、日本の歴史が明らかに示しています。

五、スト権のハク奪により私たちの生活は保障されているか。

私たちの要求に対し、当局が要求を満たしたことはなく、毎年、賃金引上げについては10数年間も0回答をしてきています。調停仲裁機関も、私たちの要求に満足な回答は1回もせず、回答が出された場合には、当局は完全実施をしないというのが、今日までの悪い慣行にすらなつているのが現状であります。以下年度別に示しますと、
昭和28年4月より、18542円ベースを要求、当局はこれを拒否、仲裁裁定は28年8月以降、平均14200円の裁定を出す。当局これを拒否し、29年1月1日より14200円を実施。
昭和29年4月より、19102円ベースを要求、当局はこれを拒否、調停委員会も賃上げを拒否し、賃金体系の改訂を呈示、当局と団交、30年4月よりようやく実施。
昭和30年10月より、1人2300円要求、当局拒否、調停委員会も賃上げを拒否し、一時金2500円のごとくであります。
31年以降の表
スト権剥奪前後の賃金(月収)(図一)
上記の表では民間企業も含まれてはいるが、それにしても通信、運輸産業は(全逓、全電通は通信産業、国鉄労組、動力車労組)他産業の上昇率に比べて、ぐつとおちていることが明らかになつてきています。
さらに、私たちの場合は、実力行使を行なつたというだけで、解雇、その他の処分が不当にもやられています。これによつて、生活のかてを失うか、昇給延伸になつたりして、一般産業労働者より実質的な生活が切り下げられます。その上、組合財政負担も大きくかかるのです。次の表は公労協各組合弾圧一覧表です。
(38・3・1現在)(図二)
(国労の犠牲者救援資金の場合)
      一般予算     救援資金       %
1948年 25,571万円     10.9万円  0.04
1950年 41,099万円    537.2万円  1.30
1955年 67,698万円  3,213.9万円  4.74
1958年 90,434万円 13,613.8万円 15.05
1960年 94,188万円 29,584.6万円 31.40
以上でも明らかになりましたように、スト権ハク奪後、いかにも私たちは苦しめられ、弾圧をされてきています。また〔健康で文化的な最低生活〕の保障とか、〔強制労働の禁止〕とか、〔基本的人権〕の保障とか、憲法で明らかに示されていますが、政府・当局と〔公労法〕によりふみにじられているのが現状であります。
しかし、このような政府・当局の政策と現状に甘んじてはいません。38年春闘、前のアンケートは次のようにそのことを示しています。(全逓労組東京地区本部調査)
(イ)5000円以上の賃上げを要求するものが 68%
(ロ)ストライキで 〃    闘うもの     65%
というように、組合機構、組合役員からの話しも聞かず、白紙の状態のときにこれだけ意思表示しているのです。

六、争議行為に郵便法79条適用と公労法の争議禁止は憲法違反である。

現行郵便法が成立したのは昭和22年12月に成立したものです。本法審議にあたつて79条の〔ことさらに〕という表現の解釈について疑問が提起されていますが、その際本条が労働運動に適用されるか、どうかで論議され、政府答弁はこれを否定し、労組法1条2項の刑事免責を認めています。その上、逓信従業員の待遇改善と生活の安定に意を用いてやることが確認されています。もつとも、この時期は、公務員争議権は保障されていましたから、当然の答弁といえば当然の答弁です。
しかし、争議権をハク奪させられた今日といえども、間題は簡単に解決されるものではない。第一に、争議行為を禁止する公労法は違憲であります。すなわち、公労法17条が合憲とされる根拠は〔公共の福祉〕13条をもつて争議行為の禁止を主張しています。
しかし、〔公共の福祉〕について、憲法の条文自体で制限しているのは、第22条の居住、移転、職業選択の自由等の権利と、第29条の財産権の保障のみであります。したがつて、〔基本的人権の保障と享有は、永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられ〕〔公共の福祉のためにこれを利用する〕ということは、全体の利益のために繁栄のためであり、基本的人権が完全に保障されいきわたり享有することであります。したがつて、憲法25条によるすべての労働者の労働基本権を保障し、実現するということが〔公共の福祉〕のために労働権が守られたということになるのです。そして、〔すべての国民は法の下に平等〕の権利が保障されています。しかし、同じ通信産業に働く労働者でも、郵便、電信・電話の労働者は、公労法17条により争議行為が禁止され、同じ郵便事業に働く日本逓送の労働者、国際電信電話等、民間産業労働者には争議権が保障されているのです。
 運輸産業も同様です。国鉄は禁止されているが、すべての私鉄関係労働者は争議権が保障されています。
このように〔公共の福祉〕ということで、〔基本的人権の享有〕第11条はもとより、労働者の生存権(第25条)を実質的に保障すべき、〔労働基本権〕第28条を禁止し、弾圧と処分で〔強制労働〕18条を行なわせ、〔公務員〕なるが故に〔他の国民、労働者と差別する〕十四条、公労法は明らかに憲法違反であります。
したがつて、郵便法79条を争議行為に適用するということは、立法の精神に反するばかりでなく、憲法第28条に違反し、郵便法を違憲立法たらしめることになります。
第二に、公労法の違憲論を別としても、公労法十七条は〔争議行為禁止〕を規定し、十八条によると〔解雇されるものとする〕と定め、公労法3条によると、労組8条の損害賠償の免責の規定の適用を排除しています。
しかし、刑事上免責について公労法は、労働組合の賠償責任の免除を定めた労働組合法第八条の適用を除外しているけれども、労働組合の刑事上の正当性を保障した労組法第1条第2項の適用を規定しているから(第3条)、争議行為については刑事免責は認められています。したがつて、刑事上正当なる行為であり、本件のごとき郵便法79条をもつて訴追されるべきなにものもないのです。
第三に、郵便法79条の問題として、〔ことさらに〕という言葉でありますが、〔ことさらに〕とは〔わざわざ〕という意味であり、単純なる犯意でなく、〔悪意をもつて〕〔差別的な意思をもつて〕ということになります。
ところが本件は労働争議として行なわれたものであり、そのような意図は全然ありません。
そして、本件、争議行為とされている職場大会は、組合員の総意に基づき、賃上げ2400円、最低賃金制の確立、特定局制度撤廃、要員獲得などの要求を、組合決議機関決定により実施したものであります。
したがつて、〔教サ〕などはあり得ません。(具体的に私の第1審最終陳述で明らかにしています。)
本件は郵便物の取り扱いをしなかつたことを責任追求し、正犯とされている労働者38名がいます。これを教サしたとして8名を起訴しています。ところが38名の正犯が成立しないで、教サが成立するはずがない。また38名の正犯の取り扱いをしなかつた。郵便物を各正犯ごとに具体的にどの郵便物を取り扱わなかつたか特定したときに郵便法79条違反が成立するというのが条文であります。したがつて、公訴事実、第1審公判の中でも、この点は明らかに成立しないことになつています。したがつて、郵便法79条違反教サは適用できず、問題の本質は、私たち労働者に対する弾圧以外のなにものでもなかつたのです。

七、最高裁は、労働者階級の基本的権利と憲法を守る立場を貫き、公労法の違憲を内外に表明すべきである。

再三述べてきましたように、労働者の労働基本権を保障し、刑事免責を認めることは、国際的な非難と勧告がILO理事会から日本政府になされているし、国内においては、安保闘争以降、地方裁判所や高等裁判所も、本件第1審をはじめ、次々に無罪判決を下してきています。労働法学会においても、今や常識となつてきています。
このような情勢にあるとき、アメリカ帝国主義者の侵略政策に追従する日本政府、当局は、1970年の安保再改定をめざし、新暴力法をはじめ、ILO87号条約の批准とひきかえに労働関係法規の改悪、さらには公安条令の改要求で、一連の弾圧、反動政策を進め、労働基本権はもとより、憲法で保障されている民主的諸権を次々にハクダツ、じゆうりんし、憲法改悪の体制確立を意図しています。
このような事態に対し、私たちは、強いいきどおりをもつて、このような反動政策と意図を粉砕し、自らの権利と憲法の民主的条項の完全実施を守るため、決意あらたに、このような憲法をじゆうりんし、犯罪を犯すものを国民とともに闘いの中で裁くことを明らかに表明します。
したがつて、このような情勢にあるとき、最高裁こそ、憲法を守り、労働基本権はもとより、民主的諸権利を守るために、勇気をもつて、国の内外に判断を下すべきであることをあらためて要請します。

一、現代の資本主義社会において労働者が資本家と労働契約を結ぶ場合、形式的には対等であり、自由である。雇用条件に不満であれば契約を解除して立去ることは全く自由である。しかし、この自由は実質的なものであり得ない。労働者が労働力の売買契約に同意しようとするのは、自らが自己のもつ労働力を売ることによつてしか生活の糧を得られないからである。他に生産手段や特定の資産をもたない地位にあるからにほかならない。つまり家族の生活を支えるための賃金を得るためには好むと好まざるとにかかわらず、労働力を売らざるを得ない。つまり経済的強制力が働いているのである。一方、資本家側のほうでは、購入した労働力を使つて物を生産し、利潤を得たいと願つている。利潤を最大限追求することが資本家にとつて最高至上のものであるとすれば、この労働者を長時間働かせ、労働密度を高め、また、できるだけ低賃金を支払いたいと願うことは当然のことといえる。この場合、資本家の示す賃金、労働条件に不満であれば他の職業へかわる自由は確かにあるが、他のところへ行つたとしても大同小異の条件しか得られないに決まつている。賃金等が経済的な原則、すなわち需要供給の原則によつて決まるとすれば、現代のように多くの失業者が半失業者がいるとき(資本主義社会では常に多くの失業者が存在する)この労働力の需供のバランスは常に供給過剰である。このとき、賃金が安いからと文句をいえば他の労働者を雇用することは自明のことである。文句をいうことは自己の生活を否定せざるを得ないことと全く同一である。
労働組合はこのような個々の労働契約にかわつて団体交渉によつて統一的に賃金、労働条件を資本家ときめようとするものである。しかし、この場合であつても平和裡に交渉するだけでは、賃金や労働条件は本質的に改善されない。というのは資本家が労働組合の要求に譲歩する気になるのは、労働組合が団体行動権、つまりストライキという強力な武器をもつているからである。このストの背景によつて資本家は利潤の減少をおそれ、相対的に労働組合の「取引力」が高まるからである。
ストライキは経済的機能に限定して考えれば労働力の集団的な「一時的売り止め」の意味である。賃金が安いから高くしてくれ、もし資本家が不満なら売りませんという行為である。これは通常の一般商品の取引にみられるところの経済行為と同様である。一般商品の場合、生産ー卸売ー小売ー消費者への流通過程の取引にあつては普通の場合、売手市場である。特に小売段階では、商人のつけた値段(正札)に買手は盲従せざるを得ない立場におかれている。正札に不満であつても買わざるを得ない。これを逆にいえば、その価格以下では売り止めであるという意志表示とみることができる。しかし、労働力の売買にはこれとは逆に買手市場なので、売手である労働者は一時的売り止め行為、つまりストによつて労働力の不当な低価格を幾分ででも引上げようとすることであり、このこと自体当然の行為である。労働組合がストに入るのは資本家が労働者の要求を拒否したときには、資本の本来の目的である利潤追求が一時的に中絶せざるを得ないことを思い知らせ、その損害をさけようとすれば、労働者の要求を受けざるを得ないという立場におちいらせるだけである。
これに対し、ストという武器をもたない労働組合は、まことにみじめである。それは、資本家の最もおそれる利潤の中断が決して起らないからである。

二、現在われわれは公労法の適用を受けている。この法律は1948年に成立した、反労働者立法であるが、これまで特に強い制限がなかつたものが一挙にスト権剥奪を含む多くの事項について制限が実施されてる。この仕組みは次のとおりである。
団体交渉による協約の締結権は一応認められているが、労使間の紛争を処理するため公共企業体等労働委員会(公労委)なるものが設置され、ここで斡旋、調停、仲裁が行なわれる。つまりスト禁止の尻ぬぐいとしての機能にほかならない。
加えるに、自主的団交、斡旋、調停、仲裁をとわず、そこで締結され、あるいは決定された賃金については、それが最終的決定ではない。「公企体等の予算費または資金上不可能な資金の支出を内容とする、いかなる協定も政府を拘束するものでない」として政府は独自の決定権をもつているものである。これでは、自主的団交も仲裁も無意味であり、権威をもたないこととなつている。イギリスにおいては国有企業の場合、管理委員会に全権が委任されているのと非常に違つている点である。この公労委の中心的機能は仲裁にある。仲裁を最終機能とする公労委の中心はいわゆる公益委員である。この委員の選衡方法は労使委員の意見をきいて作成した候補者の中から国会の同意を得て、任命することとなつているが、ここでは労働代表の意見をきくだけで同意を必要としない。国会の同意を得るということは保守政党の同意ということと同義である。したがつて労働者の立場に理解ある人が委員の候補に推される可能性は皆無に等しい。また、若干おつたとしても、ごく一部であり、全体を支配し得ないように配置されておるわけで、要約すれば決して政府にとつて不利益な結論がでないように仕組まれているのである。
次に、われわれと同様の国家公務員であるが、公労法の適用を受けない公務員について、労働基本権の関係はどうなつているかというと、公労法適用職員よりも一層厳しい規制を受けているのである。
戦後の民主化の過程にあつては、一定の手続きをとることによりスト遂行の権利があつたのであるが、国家公務員法の改悪によりスト権はおろか団体交渉権すら剥奪したのである。したがつて調停や仲裁はない始末である。スト権や団交権の否認の代替機関として誕生したのが人事院である。しかしながら人事院はこの機能を十分果せない仕組みとなつているのである。何故なら人事院は本質的に政府機関であるからである。人事院総裁を含む人事官3人は国会の同意のもとに内閣で任命される認証官であるからである。この人事院は、賃金、労働条件等について「社会一般の情勢に適応するように随時これを変更することができる。この変更に関しては」人事院は勧告を怠つてはならないし、毎年1回以上、内閣と国会に対して同時に俸給表が適当か否かについて報告し「給与を決定する諸条件の変化により、俸給表に定める給与を100分の5以上増減する必要が生じたときは、人事院はその報告にあわせて国会及び内閣に適当な勧告をせねばならない」としている。毎年の人事院勧告はこれに従つたものなのである。
この人事院の勧告は、原則として50人以上の企業についての賃金調査を行ない、公務員の賃金をきめるたてまえをとつている。しかし、この賃金調査資料は結論だけで詳細は発表されないのである。この資料の正確さ、客観性の検討は許されていないのである。もし誠意があるなら、少なくとも労働者の賃金調査とくらべて検討し、その結果をも併せ公表すべきなのであるが、何故かそれもしない。更に50人以上の企業をとつて調査するということは、一応、一般民間賃金との均衡を考えてのことだろうが、大企業と中小企業との賃金格差が驚くほど大きい現況、さらにまた公務員と中小企業との労働市場が異なつている現在においては、少なくとも労働市場を同一とする大企業、すなわち1000人以上の企業との比較調査を行ない、そのうえで均衡をはかるようにするのが常織的にみて妥当なところと思う。しかるに人事院は、このような方法とは逆に意識的にできるだけ低い賃金しか勧告しないように努力しているのである。1954年、55年は改訂の必要なしと勧告したが53~55年の二年間では勤労統計による30人以上の時間当り賃金は9%あまり上昇している。定期昇給を差し引いても5%程度は上昇したにもかかわらず、これでも勧告はベース改訂の要なしとしているのである。1962年の勧告では民間の給与が9・3%高いことがわかつたとしながらも、勧告に示された俸給表では「勧告の実施日における引上げは純引上分、6・6%を含み7・1%になる」。そして逐次切替えて年度末の最後に7・9%の引上げになるとしているにすぎない。何故9・3%をとらないか。これは政府からの圧力か、人事院の縮少をおそれたかのいずれかであり、結果的には独占資本の低賃金政策の企図に忠実にそつたとしか判断できない。加えるに、これらの勧告が行なわれても政府は予算のないことを理由に勧告を無視したり、実施期日をずらしたり金額を値切つたりしている状態である。いわば、二重三重に安い賃金に仕組んでいるのである。
われわれ公企体の労働者の賃金は、この人事院の勧告の影響を最も強く受ける。公企体労働者は、一応団交権をもつているものの、スト権なき団交権は所詮画餅にすぎない。仲裁機関の公益委員が政府の認証官より若干の相対的自性をもつているとはいえ、時間的にみて前年の勧告に近い線で公労委の裁定が行なわれるからである。勧告と公労委の裁定を対比してみると、1957年以降は6・2%対7%、1%対1%、2%対1・3%、4%対4%、12・4%対10%、7・1%対六%、7・1%対5・9%となつておる。つまり公企体労働者のもつ団交権の確保は人事院勧告を上回るほどの影響力をもつていない証拠となるであろう。
次に通信労働者の賃金がスト権剥奪の前後でどのように変化したかという点について調べてみると、1947年(昭22年)にあつては通信労働者の賃金は金属、機器、化学の水準を上回り、紡織の2倍を超えていた。しかるにスト権を奪われたあとの1949年(昭24年)の水準は他の産業が4~5倍以上に上昇しているのに通信はわずかに3・46倍にすぎず、他産業においぬかれているという事実がある。
以上の諸点から総合して言えることは、スト権の剥奪と仲裁がいかに賃金に対して著しい悪影響をもつているかがわかろうと思う。
以上、経済的要求の解決のためにいかに団体行動権が大切なものであり、労働組合にとつて不可欠のものであるかという点、さらに現在のわれわれの賃金を決定するそのメカニズムについて論じ、スト権の剥奪がいかにわれわれの生活の向上を阻みつづけてきたか、また、公労委の仲裁機関や人事院の存在が誰のための利益につながつているかについて論じてきた。加えて、団体行動権の裏づけなくして団結権や、団体交渉権が認められていても、そのことが経済的要求を解決するために無意味なものであるかが結果として理解されたことと思う。元来、労働基本権はそれぞれが孤立して、それだけの意味をもつものでなく、三権が一体となつて始めて意味をもつ特長がある点はすでに常識となつて久しいことである。われわれからスト権を剥奪した理由は、その社会的影響および国民生活の侵害が公共の福祉と背反するからであるといわれる。しかしながら、日本国憲法第28条にあつては、公共の福祉云々という条件、制約は一切なく、ただ、第13条、22条および29条についているにすぎない。なるほど第12条にあつては、あらゆる基本的人権の濫用を禁じ、その行使が公共の福祉のためになさるべきことを明らかにしているが、これはあくまでも権利の行使の面のみについてであり、権利そのものを否定しているとは文理上どうしても理解し得ないものである。さらにこの公共の福祉という観念は極めて不明確なものであり、時の権力者によりその解釈が濫用されるとき、基本的人権の侵害が不当に行なわれる危険があることが通説となつているところであり、われわれの手からスト権を剥奪したことは、まさにこの具体的事例であると考える。
現在、日本における労働者の人数はその組織された意味において900万未組織を含めると2千5百万(1962年)といわれる。これでみると組織率は全体の約36%といえる。しかるに、公務員および公企体労働者の組織率は90%から80%であるから、これらを除いた、主とした民間企業での組織率は25%前後に落ちるものと思われる。このような実質的に組織率の低い段階にあつて、われわれからスト権を奪い、不当に安い賃金に据置くことの意味は日本全体の労働者の生活を健康にして文化的なものから無縁のものにする意味をもつことは自明であるし、これにより利益を独占するものが誰であるか明らかである。
われわれの手にスト権を返し、賃金を引上げることが国民全体の利益につながり、公共の福祉に合致するものと考える次第である。

三、日本国憲法第二十八条は「勤労者の団結する権利および団体交渉その他の団体行動をする権利はこれを保障する」と定めている。本条は第3章、国民の権利および義務の中の1条であり、他の権利保障が多く国民の権利についての保障であるのに対し、特に「勤労者」に対しての保障である。
勤労者とは自己の労働力を他人に売ることによつて生活せんとするものであり、郵政省の仕事場に働く、全逓信労働組合員はすべてこれにあたるものである。
憲法第25条は、すべての国民に対して生存権を保障し、その具体化にあたつては財産をもつている者にとつては第29条の保障があるに対し、勤労者すなわち自己の労働による以外に生計の道のないものにとつては、第27条および第28条の本条があり、その権利を保障するところである。
資本主義社会における勤労者が、私有財産の保障、職業の自由、契約の自由の保障のみでは、とうてい自己の生存すらも全うし得ないという歴史的な事実、さらに今日においては勤労者のおかれている地位から、その生存を全うするための条件を保つためには、団結を必要とするだけでなく、ひろく人間としての基本権を享有するためには団結をすることは欠くことができない事態に立ちいたつている。勤労者自身にとつてはこの権利が基本であり、団結し団体交渉をし、その他団体行動として、ストライキ、デモンストレーシヨンなどをなすことは当然のことであり、この否定することのできない権利が日本のみならずひろく諸国の法上の承認を受けているのが現実の姿である。
日本国憲法第28条における労働基本権の保障は、戦争に対する反省のなかから生まれたものである。第二次世界大戦は自国の国民に対し、勤労者に対する無権利と抑圧の上に強行され、語りつくすことのできない悲惨な結果をもたらして終つた。
ポツダム宣言はその第10項目で「日本国政府は日本国国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべし、言論、宗教および思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立せらるべし」とし、さらに極東委員会は「日本労働組合に関する十六原則」を明らかにしたが、日本国憲法はこの思想の上にたつて「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は過去幾多の試練に堪え、現在および将来の国民に対し侵すことのできない永久の権利として」保障したものであつた。
そして更に「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅および国務に関するその他の行為の全部または一部はその効力を有しない」ものとして保障しているのである。(第98条第1項)以上の解釈からすれば、われわれ勤労者にとつては、自主的に労働組合に団結する権利、その団結と争議権を背景にして自らの人間的存在を保つための要求を、団体交渉を制限されることなく行なう権利、さらに使用者が要求を入れない場合には争議を行なう権利が保障されていなければならない。もとより、この三つの権利は一つずつ切り離すことはできず、切り離すことは労働者の人間的存在そのものに対する否定に通じることは明らかである。
しかるに今、わが国のおかれている状態はどのようなものであろうか、われわれは戦後の労働立法における三権保障のなかで自らの要求を闘いとるべく努力してきたが、昭和24年、芦田内閣による政令201号により、団体交渉権、争議権を奪われ、ほとんど無権利状態におとしいれられてしまつた。そして昭和28年1月より公労法適用となつたものの団体交渉権が復活したのみで、悪名高い公労法第十七条により、争議権が否認せられ、長い間苦しい権利状態の中に止まらしめられていた。公務員法適用であれ、公労法適用であれ、先にのべたように、三権が保障されないというなかにあつては、われわれの人間的存在ーーその具体的実現を求めるものが要求であつたが、ーーつねに否定され続けてきたのであつた。そして本件の如く、昭和33年春闘において、賃上げ要求2400円に対し、省側は、またまたゼロ回答を行なつたため、要求獲得の一手段として実施した、単純なる職場退去、職場大会が官憲からの弾圧をうけ、郵便法違反教唆ということで公訴の提起をうけた。
われわれは、日本国憲法を正しく理解するならば、勤労者にはその生存権を守るために団結権、団体行動権、争議権が保障されるべきであり、正当な争議行為に対しては、労働組合法第1条2項による刑事免責があるのが当然であり、これらの権利保障を妨げる一切の「法律、命令、詔勅および国務に関するその他の行為の全部または一部は、その効力を有しない」し、憲法違反であると思う。
右の点からみるならば、東京高等裁判所が本件について下した判決は憲法の適用および解釈について誤りを犯している。さらにその東京高等裁判所判決が弁解を求めたところの、昭和38年3月15五日、最高裁判所第二小法廷言渡し判決も同様、日本国憲法の適用および解釈を誤つているものである。国民の基本的人権がおかされない、享有を妨げられないということは、国家権力が基本的人権をおかさないことであり、国家権力は普通三権にわけられるが、行政権によつても、立法権によつても、司法権によつても人権がおかされず、勤労者たる実態をもつものから、その権利を剥奪することは許されない。

四、思うに、公労法第17条の争議行為の禁止が憲法第28条に違反するものであるとする解釈は、学説上も多数の支持を得ているところであるが、ILO条約87号、105号条約によつてその違憲性はさらに明らかになつているところである。しかも、労働者の団体行動権が、まず刑事責任から解放され、続いて民事責任を問われなくなり、最後に使用者の不当労働行為から保護されるにいたる歴史的過程を見ても、公労法第17条による争議権の禁止は、同法17条を違憲立法でないとする場合にたとうとも、なお同法17条違反の行為は、単に同法18条によつて解雇されるにすぎないとする解釈こそ正しいものとすべきであろう。
原判決は、公労法第17条の解釈にあたつて、争議権を禁止されているも、団体行動に対して刑事罰を加える規定は何ら見あたらないし、同法は憲法で保障された労働者の団体行動権を公共の福祉のためやむを得ず制限したのであつて、その違反の効果に対して公労法の明文の規定をはなれて、みだりに拡張解釈することは許されないとしている。いわば労働者の団体行動権に対する刑事免責をうばつてはならないとする歴史的過程を一歩進めたものといえよう。
いずれにしても、現在国会においてもILO条約87号の批准間題が最終段階にきており、105号条約や98号条約の規定からみてもすでに3・15最高裁判決は、その生存を否定されたというべきであるし、さらにILOからの再三にわたる日本政府への勧告、決議等をみても、特に、いわゆる下項は「条約批准までの間、刑事罰や行政罰を加えてはならない」とまで言つているのであり、この面からみても最高裁判決は国際的にもその支持を受け得ないものである。勤労者の団結権、団体交渉権また争議権は憲法第28条で基本的人権として認められていることは明らかな事実である。さらには国際労働機構の場においてもその正当性が是認されているところである。
しかるに政府は、国内世論、国際世論を無視して、未だにILO条約を批准しようとせず、国際労働機構の総会で強く指弾され、4月には調査団まで派遣されるという醜態まで世界に示し、日本の国際信用を失墜している事実からも公労法17条が憲法28条に違反することは、明白なことと断ぜざるを得ないものである。
なおまた、われわれ公共企業体職員として、公労法制定以来、政府の低賃金政策強行の犠牲として当局側の不誠意と仲裁裁定不履行という事態に直面し、その自衛の手段として闘いを組織してきたものである。このような国内の事情に対して、昨年のILO理事会は日本政府に対して争議行為を理由として組合員の逮捕免職等を止めるよう勧告を発したことは、われわれの行為の正しさを世界的に認められたことを明らかにするものである。
このような事実からもわれわれは三月十五日の最高裁判決に対して何等の拘束を認めるものでないことから、判決破棄のため最後まで訴え続けるものである。

一、郵便物は郵便局での区分作業と各家庭等への配達作業は郵政省の職員の手によつて行なわれますが、ポストから局へ、局から他局へと輸送される作業は、ほとんど郵政省の職員以外の人々の手によつて行なわれています。
自動車による輸送は、その多くが日本郵便逓送株式会社(赤い自動車)の手により、地方ではバス会社などに委託されています。列車、電車による輸送は、国有鉄道や私鉄によつています。空路、水路はそれぞれの民間機関の手によつて行なわれています。
外国郵便の場合は航路、水路とも社会主義国をのぞき民間機関の手によつて輸送されています。郵政省の職員からは、ストライキ権が剥奪されていますが、他の郵便事業に従業する人々には(国鉄の職員を除いて)ストライキ権が保障されています。ですから、郵政省の職員(全逓労組の組合員)がストライキをしなくても、日本郵便逓送株式会社の職員(日逓労組の組合員)らがストライキをすれば、郵便物は動かなくなります。航空会社の職員(日航、全日空労組や、外国航空の労組の組合員)や船舶会社の労組員がストライキをやれば外国郵便はまつたくなくなるでしよう。それなのに郵政省の職員(全逓労組の組合員)からは「郵便がとまると公共の福祉に反するから」という理由でストライキ権を奪つて、ストライキができないことをいいことにして、高校卒、勤続12年、扶養家族2人で、月額23670円(本俸20400円、暫定勤務地手当2070円、扶養手当1200円)という低賃金におさえておくことは、憲法第11条(基本的人権の享有)、第25条(生存権)、第28条(勤労者の団結権)、第14条(法の下の平等)に違反すると考えます。
公共の福祉というのは、すべての人々の権利の保障が前提になつて考えられるべきもので、片方のため他の片方が無視されてよいというものではないでしよう。また公共の福祉のために労働基本権を制限したり、否認したりすることは公益のために私益を否定するフアシズムの考えで憲法の精神に反すると考えます。

二、イギリスでもドイツでもイタリアでも、その他、ほとんどの国で郵便労働者はストライキ権をもつています。ILOでも雇用主体が国か公的な性格をもつているということだけで一律に争議行為を禁止するのはいけないとして、1962年6月には、ILO87号条約批准までの間「この条約に含まれる諸原則に逆行するような一切の措置をとることをさけ、とくに労働組合活動に対する一切の逮捕、解雇、あるいは懲戒処分をさけるよう努力すること」を日本政府に要求しています。またILO第105号条約は、ストライキに関与したことによつて刑罰を加えることを禁止しています。
日本の憲法ができてからしばらくの間は、諸外国なみに郵政省の職員にもストライキ権は保障されていました。そのことは当然であり、正しかつたからで、それを禁止したマツカーサーの指令は占領政策上の必要から行なわれたもので、それをひきついでいる国家公務員法、公労法のストライキ禁止規定は明らかに憲法第98条違反だと考えます。

主として郵政省の職員をもつて結成している全逓信労働組合は郵政省の職員でない組合員を除いて、組合活動に関しては、現在は公労法の適用をうけています。郵便関係の職員も、貯金、保険、電信電話関係の職員も同じです。ですからもし、ストライキが違法だとして処罰をうけるならば、公労法適用の郵政省職員として平等に扱われるべきものと考えます。
ですが、解雇や懲戒処分を一般的にうける以外に、郵便関係の職員は郵便法第79条違反に、電信電話関係の職員は、公衆電気通信法第110条違反に問われ、他の職員はそのような刑事罰には問われないという不平等があります。
現にここで〃事件〃として取扱われている、昭和33年3月20日の東京中央郵便局の勤務時間内職場大会も、前日の19日からの宿直勤務者約400百名と、当日朝からの出勤者約1000名が参加をしています。それなのに、宿直者38名だけを郵便法第79条違反の本犯として役員を教唆犯として刑事罰を科そうとするのは、これまた憲法第14条(法の下に平等)に違反すると考えます。

三、公労法第3条には、労組法の適用範囲が定められており、そのなかで同法の第7条、第8条と第18条から第33条までを除いて、他の規定は、公企体等の労働組合に適用すると明記されています。したがつて、労組法第1条2項(刑事免責)は適用されるものと考えます。ですから、公労法第17条違反の争議行為だからとして、公労法第3条に違反して郵便法第79条を適用させ、刑事罰を科そうとする第2審判決は、憲法第31条(法定の手続の保障)に違反すると考えます。

四、日本国憲法第25条は、国民の生存権を保障するとして、その第1項に「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定している。
本条は生存権を規定したものとして、他の第27条、第28条等と相まつて、20世紀憲法としての色彩を明らかにしている。
憲法はその前文で、全世界の国民が等しく恐怖と欠乏から免れて、平和のうちに生存する権利を有することを確認し、またすべての国民が「生命、自由および幸福追求に対する権利(第13条)を有することを規定した。人間としては何よりも大切なことは生きるということであり、それは自由に、安全に、幸福に生きることでなければならない。
われわれ勤労者にとつて生きるということは、資本主義社会、生産手段の私有制の上に成立つ社会にあつては、決して簡単なことではない。したがつて、われわれのこの生きること「健康で文化的な最低限度の生活」を営むための要求がいかに切実なものであるか。われわれは本件第1審公判における冒頭陳述(菊地重悦、井上章被告)でもくわしくのべた。しかしその事態は今に至るも改善されず、戦後10数年間組合からの賃上げ要求に対して常に一貫してゼロ回答のみを行ないつづけてきた郵政省側は、昨年よりゼロ回答の形を変えたものとしか受けとれない初任給等の調整600円以下という回答を出し、全く誠意を見せていない。
われわれはこの切実な生きることの要求を中心に団結してかちとろうとした。しかしそこには、勤労者が団結をすること、その団結を背景に団体交渉をすることまでは容認はしても、それをさらに一歩すすめて、生きることのためにストライキをかけても要求をとろうとすると、それを容認しない公労法第17条という憲法違反の法律があり、それを阻んでしまつた。公労法が阻んだのみでなく、労働三権を保障した憲法を守るべき責務を負つた行政機関である郵政省や政府までが阻み、さらに、警察権力までがこれに手をかしている実態があつた。さらに、昭和38年3月15日には、司法の最高機関であるところの、そして違憲立法審査権をもつところの最高裁判所第2小法廷までもが、この切実な生きることの要求のためになした団体行動に対し「公労法違反の争議行為に対しては刑事責任は免れない」とする判決を下す結果になつた。
憲法第25条にいう、健康にして文化的な生活がある国民に対して、特に賃金その他の労働条件等によつてのみそれが保障されるべき勤労者に対して、行政、司法の権力を通じて、権利の抑圧が図られるとは何事であろうか。
われわれは、人が人たるに値する労働条件を保障し、(労基法第1条)健康で文化的な生活を営むために、「不断の努力」(憲法第12条)をはらう勤労者の団体行動に対して下された、本件高等裁判所の判決は、この意味から、憲法第25条にも明らかに反するものと断ぜざるを得ない。
五、判決は憲法第18条に違反する。

われわれは、第1審公判以来、われわれの行なつた行為が、日本国憲法の保障する団体行動権の行為であり、その当然の結果、労働組合法の第1条2項が適用され、刑事責任について問われる筋合いのないことを主張してきた。そして、それは明文規定によつても明らかなところである。
しかるに高等裁判所判決は、3・15判決の「かように公共企業体等の職員は、争議行為を禁止され、争議権自体を否定されている以上、その争議行為について、正当性の如何を論ずる余地はなく、したがつて労働組合法第1条2項の適用はないものと解するのが相当である。」の趣旨をとり、第1審判決の刑事免責があり無罪であるとの判決を破棄した。
公労法違反の争議行為に対して刑事責任は免れることができないとする主張について、われわれは第1審の検察官論告および検察官の控訴趣意書でその主張を十分に聞いた。しかし、最高法規であるところの憲法が、その第28条をもつて保障している労働基本権の行使に対し、労働組合法が明らかに刑事責任を免れるものとしており、さらに公労法が明文をもつて、それを規定している刑事免責について、さらにいかようにその理由を説明しようとも、法を正しく適用し、正義の主張をしようとする立場からは聞きいれることのできない論である。
第1審判決の中では、それらについて、「明主を離れ」、「みだりに拡張的」に解釈すると指摘されているが、正しくそのとおりであると思う。
そして刑事責任は免れないとする高等裁判所の判決は、憲法第18条の規定する「犯罪による処罰を除いては、その意に反する苦役に服させられない」に明らかに反するものである。
その理由は、最高法規である憲法第28条の保障する団体行動権の正しい行使に対し、明文を離れ、みだりに拡張した解釈を行ない、刑事免責なしとし、郵便法違反教唆として懲役(検事求刑)にしようとしているからである。

六、判決は憲法第31条に違反する。
本件の争点は、公労法違反の争議行為が刑事罰を免れるべきか否かにあることは、すでに公判の中で明らかになつていることであるが、第1審判決は正しくも刑事責任は免れるとの判決をなし、控訴審判決は3・15判決により、刑事責任は免れ得ないものとした。
われわれはもとより、憲法にもとづく権利行使である点は別論としても、公労法違反の争議行為であるとしても、明文をもつて、労組法第1条2項の適用が定められている以上、如何なる論理の展開あろうとも、法の正しい適用、労働者の生存権、基本権確認の上に立つならば、刑事責任を免れないとの判決を納得することができない。
納得し得ないのみならず、この判決こそ、憲法第31条に反するものであると思料する。憲法第31条は、「何人も法律の定める手続きによらなければ、その生命もしくは自由を奪われ、またはその他の刑罰を科せられない」と規定している。
高裁判決は刑事責任を免れないとするものであるが、公労法がその第三条でもつて、明文をもつて、労働組合法第1条2項の定めを適用し、刑事免責を認めているにもかかわらず、刑法第35条を正しく適用しないで、郵便法違反の教唆をもつて有罪としようとしていることは、やはり、憲法第31条にいう、法律に定めた手続によらないで処罰するものであり、憲法に違反する。

七、判決は憲法第11条に違反している。
憲法第11条は、国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられないと定めている。しかし、前述のように、われわれは憲法28条に定められた労働基本権が妨げられ、それにより労働3権が有効な権利として行使することができず、憲法第25条にて明らかにされている。健康で文化的な生活にほど遠い、生活、賃金、労働条件を強いられている。これは明らかに憲法第11条に違反する。

弁護人東城守一、同山本博の上告趣意


一、公共企業体等労働関係法(以下公労法という)の17条は、いわゆる公共企業体等(以下公企体という)に勤務する労働者の争議行為を禁止しているが、その禁止は憲法28条に違反する。
原判決は、その理由として公労法17条で争議行為を禁止された労働者はもはや労働組合法1条2項の適用の余地はない、とのべている。したがつて、公労法17条が合憲有効なものであることを前提としていることは、言うまでもない。そして、公労法17条が憲法に違反し無効であるときは、被告人等が無罪であることは、憲法28条とそれを確認する労働組合法1条2項により明白である。

二、憲法28条は、勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障すると明言している。
公企体に勤務する者が憲法28条の勤労者であることは、改めて言うまでもないと思うが、検察官はしばしばこれを否定するのでここでくりかえしておきたい。
憲法28条じしんは勤労者とは何かをのべていないが、たとえば労働組合法3条は、この法律で「労働者」とは、職業の種類を問わず、賃金・給料その他これに準ずる収入によつて生活する者をいう。また労働基準法9条は、この法律で労働者とは職業の種類を問わず、前条の事業又は事業所に使用される者で、賃金を支払われる者をいう(註・同法8条11号は「郵便、電信又は電話の事業」をあげている)などとうたつて、職業の種類を問わず、すべての賃金生活者を労働者とよんでいる。
憲法28条の勤労者は、労働者と同意語である。憲法28条にふくまれない「特殊な勤労者」を考えることは、憲法14条の法の下の平等の原則にもふれてくることになろう。

三、憲法28条の団体行動をする権利のなかに、同盟罷業すなわちストライキをする権利があることは、これまた改めて説く必要はない。
もともと団結権と呼ぶときは、その権利の内容として労働者が使用者に対して一体となつて団体行動を行ないながらその要求を提出し要求を果してゆく全体の活動を法益として保障していることを意味する。したがつて、労働者が対使用者との関係で行う諸活動のうちその一部のみ認め、その余を禁止するにおいては、そこに労働者の団結権が存在するということはできない。もつと正確にいえば、ストライキを行う自由と権利を基礎として近代労働法の歴史は展開されているのである。はじめにストライキありき、というのが近代労働運動の歴史なのである。これは全く自明のことであつて、とくに証明を要しない。事実としての歴史を認めるか認めないかの問題であり、物の考え方によつて異つてくることではない。

四、1921年ブランダイス判事はつぎのようにのべたことがある。
イギリスにおいては、一労働者が単独で行動する場合においてすら、彼らの状態を改善しようとする努力は1813年まで労働者の要求し得る賃金の額を制限する法律によつて対抗されていた。1824年まで同僚と協同して賃金を引上げ、労働時間を短縮し、その他何らかの方法で事業に影響を与えようとする団結は、ストライキに訴えない場合でも犯罪行為として処罰された。1871年まで組合員は被傭者がその職場を離れるよう説得すれば、その被傭者が永続的雇傭契約によるものでなく、また説得が平和的であつて、ピケツチングを伴わない場合でも刑事的責任を負担させられていた。1875年にいたるまでの労働者がその目的を達するために団結する権利は承認されていなかつた。その年議会は労働者が就業上の争いを有利にするために団結することは、その行為を1人でやつたとしても犯罪になる場合を除き刑事的共同謀議罪を構成しないと宣言したのである。この法律が制定されて以来、ストライキによつて通常の目的を達するための労働者の団結は、刑事的犯罪ではなくなつた。しかしストライキの場合におけるピケツチングは平和的である場合でも、違法的行為であつた。ボイコツトも然りであつた。1906年まで平和的ピケツチングならびに同情ストもしくはボイコツトにより使用者に圧力を加えることは禁止されていた。1906年にいたり労働者を誘つて雇傭契約に違反せしめることは(それまで訴え得べき不法行為であつたが)、明文を以つて合法的行為にされた。イギリスにおいては最近では、労働者の状態を改善することならびに彼らの解効が最高の公共的必要事になつているようである。
これが労働法というものである。
かつての治安警察法17条は奇しくも公労法17条と同じ17条であるが、治安警察法17条の撤廃はその頃の日本の労働者運動の悲願であつたのである。
憲法九七条が「基本的人権は人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」とわざわざうたつているのはこのことに注目しているからである。
五、公労法17条を憲法28条に違反しないとする判例は、もはや改められなくてはならない。最高裁判所昭和30年6月22日の大法廷判決がある。
しかし、このような「公共の福祉」の名の下にストライキを禁止することの合理性は全くない。「特別な取扱い」・「制限」とよぶ言葉は、文言解釈としてみれば、その権利はあるがその行使について若干の制約があるときのみ使われる趣旨のものであつて、全面的な不存在の権利について用いられる言葉ではない。戦後の最初のストライキ権の制約についての立法である労働関係調整法(昭和21・9・27法律第25号)がその八条で「公益事業」を指定して37条でストライキの予告義務を課しているのは「制約」である。また同法36条が「争議行為としてでもなすことができない」として禁止しているのは「安全施設」についてそのストライキは人の生命・身体を殺傷するおそれがあるからだ、と解さているが、これは「人の生命・身体」という法益を尊重するからであつて、日常の社会生活の不便を理由とするものではない。「公共の福祉」とよぶ言葉を「日常の社会生活の不便さ」と同意語だと解するに至れば、それは私有財産制度と契約の自由を否定する論理となる。それはかの忌むべき国家権力による統制の論理とおなじだからである。「公益優先」とか「ホシガリマセンカツマデハ」と叫んだこととおなじだからである。

六、ストライキの禁止は、公企体の労働者にとつてのみ不利益をもたらしている事実をみてみよう。
公労法によつて規制をうけるのは三公社五現業である。その17条がストライキを禁止し、団体交渉による協約の締結は一応みとめられているが、紛争を処理するために公共企業体等労働委員会(公労委)なるものが設置され、そこにおいて斡旋、調停、仲裁が行なわれる。とくに仲裁が職権をもつて行なわれるところに特色がある。委員会の決議によるものの他、主務大臣が委員会に仲裁を申請したときにも行なわれる。つまりスト禁止の尻ぬぐいとしての仲裁である。
ところで自主的団交、斡旋、調停、仲裁をとわず、そこで締結あるいは決定された賃金については、それが最終決定ではない。第16条の規定により「公共企業体等の予算上又は資金上、不可能な資金の支出を内容とするいかなる協定も、政府を拘束するものではない」
として、政府は独自の決定権を保持している。これでは団交も無意味であり、仲裁自体も権威をもたないこととなる。イギリスの国有企業の場合、公共企業体の管理委員会に全権が委任されているのと大変なちがいであり、ILO結社の自由委員会も問題にしている点の一つである。
このような仕組のなかで通信労働者の賃金がスト権剥奪の前後で他に比べどのように変化したかを示したものが第1表である
第1表スト権剥奪前後の賃金(月収)
昭和22年には、通信労働者の賃金は金属、機器、化学の水準さえ上回り、紡織の2倍をこえていた。しかるにスト権を奪われたあとの49年の水準は、他の産業が4ー5倍以上に上昇しているのに、通信は3・46倍にすぎず、紡織を除いた他の三つの産業によつて追いぬかれてしまつている。また民間ではげしい斗いがつづき若干の成果をえたのに対して、戦後かがやかしい斗争の歴史を残した全逓労組はストライキの武器を失つて、他の産業のあとから賃金がわずかに引上げられたにとどまる。運輸業の賃金には国鉄の他、私鉄、運送業が含まれているのではつきりしたことはいえないが、国鉄の賃金の上昇テンポはこの4・53倍の上昇率よりも低い。つまり、強力な戦斗性によつて比較的高い賃金(他の産業に比べて)をえていたところでは、スト権の喪失によつて、てき面に賃金を低めることとなつたわけである。

七、また、スト権喪失後まもなく、労働時間の改訂も行なわれてもいる。全官公庁共同斗争委員会に結集した各組合は、戦後の激しい運動のなかで1日7時間、週42時間制を獲得したが、スト権を失つたあとしごく簡単に所定労働時間は48時間に延長されてしまつた。もし、彼らがストライキの自由を確保していたとしたならば、こういつた改悪は絶対生じなかつたにちがいない。
また、スト権の喪失は、これら組合への資本攻撃を他の面でも容易にした。1949年の大量馘首は全産業的ではあつたが、国鉄ではその馘首者の数は10万に達し、この他、全逓その他で数万の馘首が強行されたのであつた。むろん、このなかにはレツドパージも含まれ、戦争直後の労働運動をリードしてきた諸組合の弱体化が強められて行つたのである。もし、ストライキ権を確保していたならば、こんなみじめな敗北はありえなかつたにちがいない。
民間大企業は大体、1日7時間週42時間の実働制をとつている。ただ、繊維など婦人の多い穏健組合は7時間45分で長いが、重化学工業は殆ど大部分が7時間である。5千人以上規模の企業の所定労働時間の分布をみると、7時間以下は石油石炭製品で85%、窯業土石加工92%、鉄鋼73%、輸送用機器85%、印刷出版の如きは7時間未満が31%を占め、7時間を合わせると96・8%で圧倒的である。私鉄の大企業は1日7時間週42時間が殆ど全部で、中規模でも大分これがふえてきている。
これらに対し、公企体では苦しい斗争をしてやつと週44時間ないし43・5時間、国鉄の所定時間は複雑で、常日勤の場合で週44時間、特殊勤務の場合には60時間である。しかも外国では余りみられない24時間交替勤務という非人間的な勤務が27%を占めているのである。

八、賃金について比較し易い国鉄と私鉄とを比べてみよう。
第2表 鉄道業労働者の時間当り賃金対比(国鉄と民間大企業)
昭和36年の毎月勤労統計によると、月収は国鉄34334円、私鉄33412円、1時間当りは178・2円と170・9円で、国鉄の給与の方がやや高い。率にして4・3%すぐれている。しかしこれは30人以上事業所の統計であるから、そのなかの大企業と対比する必要があるし、労働力構成もちがうので、次に1860年の千人以上企業と58年の5千人以上企業との学歴別、年令別、時間当り賃金を比較する。第2表によると、千人以上との対比では、旧小学、新中卒は大差ないが、新高卒になると10%前後おち、大学卒では35才以上で15%程度劣つている。ところが5千人以上と比べると新中卒で10%近い格差が、新高卒では10ー20%、大学卒では7ー27%という大きな格差がみられる。月収での対比では、前述のように国鉄労働者の労働時間が長いのでその分だけ格差はちぢまつているにすぎない。
このような事実をみるとき、われわれは公労法17条はもはや憲法28条に違反すると叫ばないわけにはゆかない。

一、郵政省職員が郵便局においてその所定の労務の提供をなすべき義務を生じているのは、国と労働契約が存在するからであり、それ以外の何ものでもない。郵政省職員については労働基準法が適用され(同法第8条第11条参照)、同法の労働契約の定が存在している。これが基本となつて、国家公務員としての地位が生れているのである。
郵政省職員が、国家公務員としての地位は、内閣の行政権にもとづいて国家公務員法所定の任命権者の任命行為によつてこれを得ると解し、その任命行為は内閣の(任命権者の)単独行為ではあるが、それは任命をうける者の承諾を条件として効力を生ずると解するのが、いわば旧来の行政法学の考え方であつた。
しかし、右のように労働基準法の法制下において「労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきものである」(同法第2条)、「使用者は暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によつて、労働者の意思に反して労働を強制してはならない」
(同法第5条)と明言するとき、従来の任命行為についての考え方は、その根本から反省され変更されなければならない。すなわち、郵政省職員たる地位は、労働契約によつて生ずるものであり、任命行為なるものは、その労働契約なしにもともと発動しえないものであつて、その任命行為は、それじたい労使関係においては(労働法令の上では)意味のない爾後の形式的行為にすぎない、ということである。

二、検察官の云うところは、公務員は、「全体の奉仕者」であり、その争議行為の禁止は「(公労法)第17条に違反するからはじめて正当でないとされるべきものではない」ということにある。
その云わんとするところは、究極において、憲法第28条の勤労者」に、公務員は、現業公務員も、これに当らないと云うことになるのであろう。
しかしこの点については次の最高裁判決、即ちー昭23・8・31ーにおいては、国有鉄道の職員たる機関士、機関助手らは国家公務員であつたのであるが、右のごとき現業公務職員たる公務員らも旧労働組合法第三条にいわゆる労働者として(現行同法第3条、公労法第3条参照)団結権、団体交渉権その他の団体行動をする権利(憲法28条と同文)を有するものとされていたのであるから、もし本件昭和23年政令201号が制定実施されなかつたとすれば、右鉄道職員が、右判示の如く何ら暴力等を用いることなく、単に同盟罷業として、多数共同してその職場を去りこれを放棄し、その結果国有鉄道の業務を妨害するに至つたとしても、それは正当な行為として何ら罪となることはないのである」(昭30・10・26大法廷判決)に述べる論旨に明白なごとく公労法適用公務員が、労働者としての地位を有することを、どうして否定することができるのだろうか。
本件において、右判旨に云うところの「単に多数共同してその職場を去りこれを放棄することは政令第201号なかりせば正当な行為で罪とならない」とする本件行為を、いま可罰的違法性ありとする論難は、すでに全く破れ去つたと云わなければならない。

三、かつて、末弘博士は、次のように説いたことがある。いわくーー
「労働組合が発達の過程上すべての国々において先ず第一に遭遇する障害は『刑罰』である。そうして労働組合立法発達の歴史上先ず第一に行なわるるものも亦此種『刑罰』の除去である」と、
「所が『刑罰』の時代が去ると共に、次に来るものは資本家の自力救済である。……一度『刑罰』の時代が去るとき、資本家は最早国家の積極的行動に信頼して安息することができない。
必ずや其実力によつて組合を圧迫し又之を破壊せむと企てるにきまつて居る。或は組合乃至其幹部に対し同盟罷業を理由として巨額の損害賠償を請求するが如き、又或は……其雇入を拒絶し又は之を解雇するが如き(これである)」。
しかし「英国に於ては1906年の労働争議法の制定によつて労働組合は最早此脅威からも免かれるに至つた。即ち資本家自力救済の時代も亦去つたのである」と。
ここに、要をえて、国家法と労働組合との関係が明示されている、と考えるのは、果してわれわれだけであろうか。
四、憲法第28条は、団結権・団体交渉権その他団体行動をする権利を保障しているが、それは団結権・団体交渉権・争議権の謂である。そして、右労働三権(あるいは労働基本権)の保障は、単にこれをいわゆる自由権として保障したものではなくて、より積極的な意味をもつたもの、言葉をかえて言えば、生存権的基本権として保障したものである。
ここに、労働三権(労働基本権)の保障は、単に国について言うのみならず、当然に使用者との関係においても法的拘束力を有するものであり、「公序」(民法第90条)と呼ばれるべきものである。このように生存権的基本権としての憲法第28条をみてゆくと、これを「公序」としてとらえるとき、そこに当然に、刑事上、民事上の免責が予定されていることを考えなければならない。
憲法第28条の法定は、他のいわゆる自由権と異つて、国家の積極的な関与・助力によつて実現すべきもので、国家にその責務を生ぜしめるものであり、その責務の第一が刑事免責であり、第二に民事免責である。したがつて、憲法第28条が違法性阻却事由となつて、それじたいから当然にこの免責が生ずるのである。
五、検察官は、その論旨で本件公訴事実が全逓労組の活動であることを認めつつ、同労組の決議又は指令は公労法第17条が強行法規であり「公序」であるから無効である、と主張する。そしてこの点が、検察官主張論旨ならびにその引用判例の骨格である、とおもう。けれども、検察官も引用判例関与の裁判官も、右にのべた憲法第二八条の公序たることを疑うものはあるまい。これを否認するとすれば、それは、前掲各最高裁判例を否認してはじめて可能なのである。
果してそうだとすると、憲法第28条の公序と公労法第17条とは、全法律秩序のなかでどのようにとらえるべきであろうか。われわれは次節にのべるように、刑事免責と民事免責という異質の多元的違法性こそ労働法制の発展のなかで正しいと考えるが、いまここで、「全法律秩序」なる論法を分析してみよう。

六、すなわち、憲法第28条公序論を肯定するかぎり、公労法は、公共企業体等の特殊性に基づく政策的目的を以て立法されたものと考えて、同じく法秩序と総称されながらも最高規範(憲法)と次位規範(公労法)との次元の差のあることを認め、憲法秩序にこそその公序たる性格を留保し、公労法を政策に基づいてそれが基本法(憲法とその確認立法たる労組法)のどの条章を不適用としているかをみながら、それらが全法律秩序を形成すると解しているのが、学説の説くところである。試みに考えてみれば、憲法第28条(したがつて労組法も)は公序、公労法も公序とするとき、そのいずれが優先するのであるか、そこには厳として上位規範と下位規範の区別が存在し、一般法と特別法の区別ではないことは、注意すべき点である。そのいずれもが公序であることは、できない。してみれば、上位規範を公序とし、他は公序に反しないかぎりにおいて(違憲でない範囲において)、その時々の政策によるものとしてその法としての生命を保ちうるにすぎない、と言うべきである。このように考えることこそが、全法律秩序という思考の正しい結論ではあるまいか。検察官の論旨は、公労法第17条が違憲でないとすることのみをその論拠として、それが直ちに憲法第二八条を全面的に排斥するとの飛躍を敢てなしているもので、樹(公労法)を見て森(憲法とその下における法秩序)を見ない疑をいだかざるをえない。以上のような次第であるから、労組法第1条第二項は、憲法第28条の下位規範として訓示的に刑事免責を法定したものであつて、とくに同条項によつて創設されたものではない。また労組法第1条第2項が引用する刑法第35条も、労組法第1条第2項によつてとくに附与されたものではなくこれも訓示的な規定であつて、もともと憲法第28条の法意により刑法第35五条によつて違法性を阻却されるもののうち、組合法上の「正当な」という規定によつてこれを制限する趣旨でないことも、とくに留意しなければならないところである。


七、そこで、いわゆる労働刑事々件において判例が「正当な」組合活動についてどんな角度から判示しているかをみてみると、単純な労務不提供についてその可罰性を否定していることが一目して明白なことを看取することができる。
(一)労働争議の正当性について、判例の上でまた学界の論争において多くの論議を生んだものとして、「生産管理」がある。昭和25、11、15最高裁大法廷判決(最高裁判例集第4巻第11号第2257頁以下)によると(論旨第三点)、「生産管理が同盟罷業と性質を異にするものでないということを理由として、生産管理も同盟罷業と同様に違法性を阻却される争議行為であると主張する。しかしわが国現行の法律秩序は私有財産制度を基幹として成り立つており、企業の利益と損失とは資本家に帰する。従つて企業の経営、生産行程の指揮命令は、資本家又はその代理人たる経営担当者の権限に属する。労働者が所論のように企業者と並んで企業の担当者であるとしても、その故に当然に労働者が企業の使用収益権を有するのでもなく、経営権に対する権限を有するのでもない。従つて労働者側が企業者側の私有財産の基幹を揺がすような争議手段は許されない。なるほど同盟罷業も財産権の侵害を生ずるけれども、それは労働力の給付が債務不履行になるに過ぎない。然るに本件のようないわゆる生産管理に於ては、企業経営の権能を権利者の意思を排除して非権利者が行なうのである。それ故に同盟罷業も生産管理も財産権の侵害である点において同様であるからとて、その相違点を無視するわけにはゆかない。前者において違法性が阻却されるからとて、後者においてもそうだという理由はない」と。
ここで同右判例は、労働者の争議手段がその労務の給付の不履行に止るかぎり違法性が阻却される、と論じていることは明白であろう。
(二)つぎに、いわゆるピケツチングについて判例は、たとえば昭33・5・28最高裁大法廷判決(刑集12巻8号1694頁)は、
「同盟罷業は必然的に業務の正常な運営を阻害するものではあるが、その本質は労働者が労働契約上負担する労務供給義務の不履行にあり、その手段方法は労働者が団結してその持つ労働力を使用者に利用させないことにあるのであつて、これに対し使用者側がその対抗手段の一種として自らなさんとする業務の遂行行為に対し暴行脅迫をもつてこれを妨害するが如き行為はもちろん、不法に、使用者側の自由意思を抑圧し或はその財産に対する支配を阻止するような行為をすることは許されないものといわなければならない。……されば労働争議に際し、使用者側の遂行しようとする業務行為を阻止するため執られた労働者側の威力行使の手段が、諸般の事情からみて正当な範囲を逸脱したものと認められる場合には刑法上の威力による業務妨害罪の成立を妨げるものではない」、と。
同右判旨は、単純な債務不履行に限定されるのみではなくて、「諸般の事情」により威力行使が罪とならない場合のあることを判示していることに注目する必要があるが、昭31・12・11判決(刑集10巻12号1605頁)の三友炭鉱事件はその趣旨で無罪としている。
(三)このように労働刑事判例が示している「正当性」についての判示の傾向は、単純な労務給付義務の不履行に止るかぎり、これに全面的に合法性を確認し、それが業務阻害の結果を招来するとしても罪とならないと言つているのである。しかも、その単純債務不履行の成果をさらに効果的にするために附随する各種の斗争手段が「暴力」(労組法第1条第2項但書)にあたるかどうかをめぐつて多くの労働刑事々件がおこつているのが、今日の実際であり、その際にも一応刑法の各本条にはあたるが「諸般の事情」により正当性が附与されることありとされているのである。
したがつて、なにが正当性を有するかについて、判例の傾向は、単純な債務不履行プラス・アルフアーをめぐつて今日まで集積されてきているのであつて、ここにこそいわゆる労働刑法の今日的な問題点があるのである。
だから、しばしば旧電気事業法第33条、旧公益事業令についての判例がいわゆる停電ストについて労組法第1条第2項により無罪としていることも、この傾向に基づくものなのである。(たとえば、昭26・1・26札幌高裁判決・刑事裁判資料102号550頁、昭26・4・26福岡高裁判決・同上497頁、昭27・7・3東京高裁判決・同上295頁など。なお各本件については公益事業令がポツダム政令として廃止された為最高裁の判例はない)。

八、以上を要約して言えば、憲法第28条を公序とする法制の下においてこそ、その労働組合の活動の正当性をとらえるべきで、本件のような単純な債務不履行を犯罪視することは許されない、と言うことである。
しかも、このような考え方は、今日の労使関係において「社会通念」であると言うことができる。労働者が労働力を提供しないでその使用者から懲戒されることはしばしばおこるのであるが、その際にどのような体様の不提供について懲戒の対象とされているかと云うと、例えば「就業時間中上長の許可なく、しばしば職場を離れたとき」は「譴責」、「その情状が重いとき」は「減給」、「無断欠勤が30日間を通じ、14日以上に及ぶとき」は「懲戒解雇」とされるなどが通例みられるところである。すなわち、労務の不提供が労働組合の争議として正当性を附与されないときにおいても、上記の程度の処分に止ることが健全な社会通念として今日確立されたものと云うことができる。このように考えるときその正当性を支える健全な労使の社会通念にてらしてみても、本件を可罰的なりとみることは誤りであると云わなければならない。
(因みに、本件について公労法第18条の解雇が行われたのは東京の組合本部幹部数名のみで本件被告人を含め他はいずれも停職又は減給に止つていることは、政府じしんがこれを以て解雇相当と考えていないことを示すものであり、体刑であるかぎり執行猶予となつても欠格条項に当る公務員法制度の下で、当の使用者がこのような処分に止めていることは、上記社会通念のとらえ方が正しいことの証左であろう)。

九、労働組合運動がはじまつたとき、まず刑罰がこれに加えられることにはじまる労働法制の推移は、さきに第一の章でのべたところであるが、ここでは、なぜ国家法が刑事上の責任と民事上の責任とに二分して法秩序の労働運動に対する態度を持するのかを、その今日的な姿においてとらえてみたいとおもう。
ともすると、戦後の労働法制が一挙に民・刑双方の責任を解除したために、その相互の関連は一体化したものであると幻惑されてその目的ならびに立法の歴史が異つている点を看過することは、全く誤である。そこで、試みに英国の法制をみてみると
1  1799年団結禁止法
2  1800年団結禁止法
3  1824年団結禁止法廃止法
4  1825年団結法
5  1859年労働者妨害法
6  1869年★盗及費消に関する法律
7  1871年労働組合法
8  1871年刑法修正法
9  1875年共謀罪及財産保護法
10 1875年雇主労働者法
11 1876年労働組合法(1871年)改正法
12 1906年労働争議法
13 1913年労働組合法
14 1917年労働組合(会併)法
15 1920年緊急時権力法
16 1927年労働争議及労働組合法
のごとくである。そして、1875年において刑事免責が確保され、それよりさらに30年を閲して、はじめて民事免責が1906に確立されるに至つたのだという史実のみをここに指摘しておきたい。
さて労使紛争について、労働関係調整法は「労働関係の当事者は……労働争議が発生したときは、誠意をもつて自主的にこれを解決するように、特に努力しなければならない」(第2条)、「政府は、労働関係に関する主張が一致しない場合に労働関係の当事者がこれを自主的に調整することに対し助力を与え、これによつて争議行為をできるだけ防止することに努めなければならない」(第三条)とのべて、労使紛争についての自主解決の原則と国家(政府)はその原則の下でその原則に奉仕することがその任務であることを高らかにうたいあげている。そこで、国家(政府)が労使紛争に対して「中立」であることがつよく要請されているのである。
すなわち、労働組合法における労働委員会の制度、公労法における公共企業体等労働委員会の制度に関する法令の定め方は、労・使委員の他に公益委員としてその資格を厳正中立たらしめようとし、また国際労働条約第87号・同第98号などが団結の自治についてのべているのも、いずれも国家の中立性をその基本においているからである。
したがつて、国家(政府)が労使紛争の自主解決に助力することはあつても、これに介入することは禁じられなければならないとする思想こそが、実は刑罰権を行使しないとする刑事免責を導き出す実定法の根底に存在していることを発見することができる。ところで郵便法第79条は、云つてみれば、郵便関係職員の服務についての規範であつて、それは民間企業における労働協約あるいは、就業規則と同列のものであつて、それ以上のものではない。だから、それはもともとこれに刑事罰が法定されているからと云つて、国家が労使紛争に介入するようなやり方でこれを運用することは、固く禁じられなければならず、また元来労使紛争を予定していないものと解すべきなのである。
他方、民事免責は労使相互間のことであるから刑事罰と異質なものとして存在しうる法体系であつて、この両者を堅く分別することの意義はここにあると云わなければならない。
したがつて、公労法17条を理由として組合法1条2項の適用を排斥することは、憲法18条と同28条に違反するといわなければならない。

一、最高裁判所大法廷は昭和30年10月26日、当時の法令の下で国家公務員となつていた国鉄職員の争議行為について次のように判決している。
……本件当時(昭和23年8月31日)においては、国有鉄道の職員たる機関士、機関助手らは国家公務員であつたのであるが、右のごとき現業公務職員たる公務員等も旧労働組合法第3条にいわゆる労働者として団結権、団体交渉権、その他の団体行動をする権利を有するものとされていたのであるから、もし本件昭和23年政令201号が制定実施されなかつたとすれば、右鉄道職員が、右判示の如く何ら暴力等を用いることなく単に同盟罷業として多数共同してその職場を去りこれを放棄しその結果国有鉄道の業務を妨害するに至つたとしても、それは正当な行為として何ら罪となることはないのである。

二、この大法廷判決は、きわめて明快である。
言うところは、右政令201号なる刑罰法規がなければ、現業公務員の争議行為としての同盟罷業は、憲法28条の正当な行為として何ら罪とならない、とするのである。
ここで、政令201号が刑罰法規であることに注意を払う必要がある。すなわち、それは争議行為が犯罪であることを法定しているのである。その前提にたつて、右判決は刑罰法規がなければ犯罪とならないと、明々白々な法の基礎的な論理をのべているのである。

三、ところで公労法17条は、誰が何といつても、刑罰法規ではない。公労法はその17条違反の効果をその18条に限つている。しかも18条の解雇は国家公務員法82条の懲戒免職とは異つて、単なる労働契約の解除権の留保にすぎないと通説がのべていることもみおとしてはならないことである。
すなわち、公労法17条を以て刑罰法規でないとするかぎり、右大法廷判決の言うとおり罪とはならないというわけである。

四、最高裁判所昭和38年3月15日第二小法廷判決は
公共企業体等の職員は、争議行為を禁止され争議自体を否定されている以上、その争議行為について正当性の限界如何を論ずる余地はなく、したがつて労働組合法1条2項の適用はない。
とする。
この判旨には、重大な法の誤解があることに気がつく。公労法17条は、なるほど争議行為を禁じている。しかし、その禁止が刑罰を以て禁止するのか可罰的違法であるのか、それとも単純な不作為を命ずるに止るのかをみきわめなければならないのである。まさしく問題はここにあるのである。
そして憲法28条は労働者の権利について、民事的・刑事的免責をうたいあげたものと解するかぎり、公労法17条の禁止を可罰的違法を含まぬ禁止と解さねばならないのである。

五、右の第2小法廷の判決の誤は、いとも簡単に証明することができる。
いまの労働法令のなかで、公労法17条の禁止の法条が無くなれば、いかに郵便法79条があつても、争議行為を同条違反として有罪とすることはできないこと、明らかである。それは、憲法28条の趣旨によるものであり、かつ労働組合法1条2項の趣旨にもとづくものである。
さて、刑事訴訟法337条2号は、「犯罪後の法令により刑が廃止されたとき」は、被告人は判決で免訴の言渡をうけることになる。公労法17条が廃止されたときに、本件被告人等は、右刑事訴訟法により免訴となることができるであろうか。
刑事訴訟法に言う「刑の廃止」とは、あきらかに刑罰法規の廃止である。したがつて公労法17条は廃止されても「刑の廃止」とはならない。本件被告人等は免訴とされない。しかし公労法17条が無いかぎり訴追されることのないこと、刑の廃止と同様なのである。


六、このような矛盾撞着は、公労法17条が刑罰法規でないのに、無理を重ねて刑罰法規と同様の働きをさせる結果自ら招来する自己矛盾である。
もつと明白な例をひこう。公企体の職員が、争議行為実施の目的で公企体の庁舎内に入つた事案を、争議という違法目的のためにする建造物侵入罪が成立するとする例が多い(例えばこの件と同じ郵便法違反の名古屋地裁昭和39年2月20日判決)。その趣旨は、公労法17条違反には刑事免責がないから、刑法130条の構成要件を充たすかぎり有罪だ、というのである。
このような事例で、公労法17条が廃止されたとき、裁判所は刑事訴訟法337条2号による刑の廃止があつたとして免訴を言い渡すことができるであろうか。裁判所は決して免訴としない。この場合に、刑の廃止とは、刑法130条の廃止であるからである。しかし、この場合でも公労法17条の廃止によつて、このような刑法130条違反の非難はもはや行いえなくなるのである。

七、すでに公労法17条を以て、冒頭引用の最高裁大法廷判決にいわゆる政令201号刑罰法規の代用品とすることの誤りは、論証されたと考える。
ちなみに、沖縄の中央巡回裁判所の昭和38年12月19日言渡の判決が、本件第1審判決と同様の趣旨をしながら、沖縄の法令を引用して
公労法9条、琉球政府公務員法(以下公務員法と略称)45条はいずれもその職員の争議行為を禁止しているが、その禁止は本来的禁止ではなく、職員の公共性、社会性に鑑み政策的必要から許容されたやむを得ない制限であるから、この制限によつて受ける不利益は労働基本権の保障の見地から、政策的になんらかの代償の提供を要請される。公労法、公務員法が刑事処罰の規定を欠いているのはまさに政策的に右の要請にこたえているということができる。即ち公務員法45条が職員全般について争議行為が禁止しつつ同法第70条第4号により右争議行為をそそのかした者など(以下争議行為の教唆等という)のみを処罰するのに対し(日本の公労法は同じく争議行為の教唆等を禁止している。然しそもそも同条といい、公務員法に於ける当該規定といい刑事立法上かかる予備的段階のものを処罰すること自体疑義があるのであり、わが公労法が該禁止を排除したのは基本権保障の見地に因つたものと解する。)公労法9条は単に職員の争議行為を禁止するのみでその教唆等については言及せず、且つ同条違反に対する処罰規定を欠き、かえつて同10条は右違反者に対して解雇することのできる旨規定し、更に同3条は所謂争議行為の民事免責に関する労組法8条の適用を排除しながら刑事免責に関する労組法1条2項の適用を別段排除していないのである。
いま争議権法論の歴史が刑事罰からの解放、民事上の損害賠償責任からの解放、不当労働行為制度の確立による労働協約上の身分保障によつて形成された経緯に鑑みると争議行為に対し刑罰を科するのは民事上、行政上の制裁にくらべ、より高度の公益上の必要性がある場合に限られるのは当然であつて、公労法は公企業体等の職員(以下公企体等の職員と略称)の争議行為についてそのような必要性が認められないものとして右のような規定をおいたものと解され、これを換言すれば右職員に対しては争議権を制限したその代償として争議行為禁止に違反しても刑事処罰にまで及ぼさない趣旨のものと思われるのである。そしてそれは公企体等の職員は公務員の身分を有する者もあるが、その業務の内容が一般行政事務に従事する公務員とは本質的に異なり、むしろ実質的には私企業における労働者と変らないことを考慮し、争議権禁止について一般公務員とは異なつた取扱いーーそれは反面一般労働者とも異なつた取扱いであるので結局、段階的取扱いと言えようーーをしようとする公労法の意図の一つの現われとしてみる時、一層明瞭に右のことが理解されるのである。いま国際労働機関(ILO)第87号条約(結社の自由と団結権の保護に関する条約)ILO105号条約(強制労働の廃止に関する条約)は未だこれに加盟するところではないが、労働関係に関する国際的趨勢としては高く評価さるべきであつて、これによれば争議行為の禁止が容認されるのは基幹的事業と立法によつて待遇を規制される公務員に限られ、前者については労働者の権利を完全に保護するための適当な保障を確保することが条件とされ、後者については争議権に代るだけの立法的保障がないかぎり、その争議行為について行政罰はとも角、刑事罰を科することは許されないことが示され、アメリカのタフトハートレー法(1947年)が公務員の同盟罷業参加者に対し解雇及び再雇傭資格の剥奪を規定するのみで刑事罰を予定していないことも要するに右に述べた争議権禁止には相応の代償が支払わるべきことを物語つているものと言えよう。
検察官は昭和38年3月15日最高裁判所判決を引用し、公企体等職員は争議行為を全面的に禁止されているのであるから労組法1条2項適用の余地はない旨主張するが、その立場は、右に述べてきた争議権禁止の本質及びその代償の必要性に全く考慮を払われない平面的、形式的解釈であり、且つ明文の規定にそぐわない解釈であり、之を採用する訳にはいかないものである。
しかも日本における公労法は昭和23年政令201号の廃止に伴い之に代つて制定されたものであるところ、政令201号において争議行為禁止規定に対し処罰していたものを公労法17条は殊更に単に禁止するのみで処罰規定を設けなかつた事情及び201号制定まで公企体等職員は所謂労働三権を享有していたものである事情を考慮すれば、当然右17条の性格も明らかになるのであり、このことはわが公労法9条の解釈においても一つの指針となるのである。
とのべていることをここに加言するものである。

一、国際労働条約第87号・結社の自由及び団結権の保護に関する条約は
労働者団体及び使用者団体は、その規約及び規則を作成し、自由にその代表者を選び、その管理及び活動について定め、並びにその計画を策定する権利を有する。
公の機関は、この権利を制限し又はこの権利の合法的な行使を妨げるようないかなる干渉をも差し控えなければならない。(同第3条)
と定めている。ここで「労働者団体の活動と計画策定についての自由」とよぶ権利のなかに、労働組合のストライキの自由と権利を含むと考えることは、すでに上述した労働基本権の歴史にかんがみて当然のことである。

二、憲法98条2項は
日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
とうたつている。
国際労働条約第87号が、右にいわゆる確立された国際法規と理解すべきことは、理の当然である。なぜならばとくに国際労働条約機関に加盟していないならば格別、その理事国としての地位を有する日本国が労働基本権の保障規定の重要な骨格をなすこの条約についてこれを否定する態度をとることは正しくないからである。

三、つぎに、国際労働条約第105号・強制労働の廃止に関する条約は
この条約を批准する国際労働機関の各加盟国は、次に掲げる手段、制裁又は方法としてすべての種類の強制労働を禁止し、かつ、これを利用しないことを約束する。
(a)・(b)略
(c)労働規律の手段
(d)同盟罷業に参加したことに対する制裁
(e)人種的、社会的、国民的又は宗教的差別待遇の手段
と定めている。
すなわち、労働者がその職務をどのように遂行するかについての定をするとき(労働規律)、ストライキに参加するとき、労働者の公務員あるいは公企体の職員の身分の故に(社会的身分)、刑罰を加えることを非難しているのである。
前項にのべたように、この第105号条約も確立された国際法規と解すべきである。
したがつて、公労法17条の故を以て可罰的違法性ありとすることは、結局において憲法98条に違反することになるのである。

一、札幌高等裁判所函館支部は、昭和36年2月21日言渡・昭和35年(う)第29号事件において
公労法が公共企業体等の職員に対し労働組合法の適用あることを明示しながら特に争議行為については右労組法第1条第2項の適用を排除することを明確にしていないし、他にこの点に関連し争議行為についての直接の罰則規定を設けていない以上、たとえ同法第17条が全面的な争議行為の禁止を規定していてもその違反の効果は同法第18条による解雇に止まるものと解すべきであつて(なお別に民事上の免責が与えられないで損害賠償義務の発生することは前記の如く労組法第8条の適用を排除する第3条の規定に基くものであるが)、公共企業体等の職員の行つた争議行為の処罰については労組法第1条第二項の適用によつて一般私企業の従業員と同様犯罪の構成要件に該当すると共に争議の目的、手段方法等の点において労働組合法所定の正当性の限界を超えるものに限られるものと解するのが相当である。
と判示している。

二、この事件は、いま最高裁判所に係属中であるが、原判決がこの判例に違反することは明白である。

■第一審判決 ■控訴審判決 ■上告審判決   ■トップページに戻る