砂川事件
差戻後控訴審判決

刑事特別法第2条違反被告事件
東京高等裁判所 昭和36年(う)第951号
昭和37年2月15日 第6刑事部 判決

■ 主 文
■ 理 由

国鉄職員 椎野徳蔵 外6名

 右の者に対する日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第3条に基く行政協定に伴う刑事特別法第2条違反被告事件について、昭和36年3月27日東京地方裁判所が言渡した判決に対し、検察官及び被告人、弁護人よりそれぞれ控訴の申立があつたので、当裁判所は次のとおり判決する。


 本件各控訴を棄却する。


[1] 本件各控訴の趣意は、検察官岡崎格の提出した控訴趣意書及び弁護人海野晋吉、同佐伯静治、同風早八十二、同大野正男、同西田公一、同石島泰、同植木敬夫、同高橋高男、同内藤功、同加藤庸夫、同上条貞夫、同彦坂敏尚、同芦田浩志連署の控訴趣意書各記載のとおりであるから、これを引用する。
[2] 所論は、原判決は、本件発生の経緯として一連の事実を認定しているのであるが、本件は砂川農民の土地の権利を守る運動と、平和を守り軍事基地に反対する日本国民の運動であるところ、原判決は右土地の権利を守る運動の経過について事実を誤認し、基地の存在による戦争の危険に直面しての日本国民の平和を守る運動の発展の経過、そこにおける運動の指導理念等について何ら究明するところなく、本件被告人らの行為の違法性の判断に不可欠な関連事実の認定を故意にさけているのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認、であり、また理由の不備、くいちがいである。
[3] しかしながら、原判決は本件発生に至るまでの経過として、主としてアメリカ合衆国軍隊が進駐して元陸軍飛行場を接収して以後、同飛行場の拡張のため民有地の接収を重ねたため土地所有者である農民が零細化し生活の支柱を奪われるばかりでなく、砂川町民としても飛行場の拡張により東西に細長く走り砂川町が分断され、行政上、経済上また文教上受ける不便、損失が多大なものありとして町を挙げてこれに反対し、一方国を相手として契約解除、土地明渡請求訴訟を東京地方裁判所に提起して法的手段によつてこれを争うと同時に、これまで労働組合の支援を拒否してきた態度を改め、労働組合その他の各種団体に右反対支援を依頼することとなつたため、その運動の性格も自然発生的な農地擁護運動から政治的な憲法擁護の平和運動へと転化した事実を綿密に認定しているのであつて、右は原判決挙示の各証拠によつて優に認定し得るところであり、かつ本件事件発生に至るまでの経過の事実認定として正当適切なものである。
[4] 所論は、原判決は、土地の権利を守る運動の経過について事実を誤認している、と主張するけれども、原判決は前記の如く土地所有者が国を相手として契約解除、土地明渡請求訴訟を東京地方裁判所に提起して、法的手段として争うに至つた事実を証拠によつて認定しているのであつて所論の如き誤認は認められない。ただ原判決は、弁護人主張の違法性阻却事由についての判断において、立入り禁止の仮処分の申請を却下した決定に対しなした抗告の申立を取下げた事実を指摘し、法的に採るべき手段を尽さなかつたと判断しているところはあるけれども、右は本件事件発生の経過として認定した事実でもなく、これをもつて判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認とすることはできない。また、所論の如く数次に亘る測量がどの土地についてなされ、これについてどのような紛争が行われたかについて原判決は具体的な認定はしていないけれども、そのような事実関係は、本件事件発生の経過として逐一具体的に判示する必要はないのであつて、原判決が摘示する程度をもつて十分となすべきである。原判決がそれぞれの紛議を区別せずゴチヤマゼにして同じような阻止運動が無意義に繰り返えされたという印象を与えているのは不当であると主張する所論は採用の限りでない。また何時の使用認定に基いてどの測量が行われたかというようなことも、本件事件発生に至るまでの経過として必ずしも重要な問題ではない。この点に事実誤認があつて判決に影響を及ぼすことが明らかであるとの所論も理由がない。
[5] また所論は、原判決は、問題の禍根たる政府の強圧方策や警官隊の兇暴残忍な実力行使の実相を見落しあるいは無視している、と主張するけれども、原判決は、本件基地拡張反対運動が労働組合、学生、各種団体員を含む平和運動に転化したため、その運動に参加する者の数が激増して数次に亘る測量が阻止されようとし、ここに警察官の出動を余儀なくされ、その間に乱闘流血の惨事をひき起すに至つた事実を認定しているのであるが、本件事件発生に至るまでの経過として相当適切なものである。記録によるも右は警官隊の一方的兇暴残忍な実力行使でもないしまた、政府の強圧方策がその禍根をなすものと断定することもできない。右の如き事態にあつては双方に負傷者を出しているのであつて、所論の如く警察官のみが暴行陵虐の行為に終始し、反対者側が無抵抗にして消極的姿勢の下に抗議の意思を示したに過ぎないと認定することはできない。
[6] 所論は、原判決は本件被告人らの行為の動機、目的の正当性、その手段、方法の相当性についての判断を誤り、或はこれを遺脱し、また被告人らの行為により保護しようとした法益と、被告人らの行為によって侵害せられたとする法益との均衡についての判断をことさらに回避し、弁護人らが原審において主張した超法規的違法阻却事由について、或は事実を誤認し、審理を尽さず、かつその理由に不備くいちがいがあって、判決に影響を及ぼすことが明らかである、と主張する。
[7] 即ち、本件被告人らの行為は、平和と人権を国民に保障すべき政府が自ら憲法を侵犯し、戦争の危険を国民にもたらす軍事基地を合衆国軍隊に供与し、砂川農民の土地の権利を剥奪するため、平和憲法を守り国民の基本的人権を維持することを、国民自らの運動としてなさざるを得なくなり、事実上多数国民の支持を得て平和国民運動としてこれを展開されたところ、政府は専ら強圧方策をもって強権的にこれを抑圧し、警察官の兇暴残忍な実力行使によつてこれを弾圧したため、被告人らは憲法、平和、人権を守る最後の手段として、米軍事基地内に立入つて測量反対の示威行為に出でざるを得なかつたもので、その動機、目的は正当であり、その手段方法も急迫の事態に則し必要かつ妥当なものであつたし、被告人らの行動によつて防衛しようとした平和憲法と国民の基本的人権の法益に比較すれば、被告人らの本件行為によつて侵害されたという合衆国軍隊の使用する施設または区域内の“場所の平穏”の法益の如きはその法的評価において正に零に近いといわなければならない、というにある。
[8] よつて勘案するのに、本件被告人らの行為が砂川町農民の土地擁護運動と、これを支援する労働組合員、学生、各種団体員による政治的な憲法擁護運動から派生したものであることは、原判決摘示のとおり記録上明瞭である。しかし、日本国政府自らが憲法を侵犯し、戦争の危険を国民にもたらす軍事基地をアメリカ合衆国軍隊に供与したとの所論については、既に最高裁判所が本件破棄差戻の判決において、わが国に駐留するアメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約の前文に示された趣旨において駐留するものであり、同条約第1条の示すように、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、ならびに1または2以上の外国の国による教唆または干渉によつて引き起されたわが国における大規模の内乱及び騒擾を鎮圧するためわが国政府の明示の要請に応じ与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することになつており、その目的は、専らわが国およびわが国を含めた極東の平和と安全を維持し、再び戦争の惨禍が起らないようにすることにあつて、アメリカ合衆国軍隊の駐留は憲法第9条第98条第2項および前文の趣旨に適合こそすれ、これらの条章に反して違憲無効であることが一見極めて明白であることは、到底認められない、としているのである。即ちアメリカ合衆国軍隊の駐留は、わが国およびわが国を含めた極東の平和と安全を維持し、再び戦争の惨禍を招かないことをその趣旨とするものであつて、その軍隊に軍事基地を供与することは、所論の如く戦争の危険を招き平和憲法を侵犯するものと断定することはできないのである。したがつて、被告人らが政府の行為による侵害とその危険から憲法、平和を守るため急迫必要な措置として本件行動にでたものとして、その動機、目的、手段方法の正当性或は緊急性を主張する所論および法益均衡についての所論はすべてこれを採用することができない。
[9] また所論砂川町農民の土地の収用、使用については、各土地所有者から国を相手方としてそれぞれ民事訴訟、行政訴訟が提起され、これに附随する各争訟を含めて、司法審査の対象となつているのであつて、所論農地に関する権利の救済はあくまで純法的措置によつてこれを達成すべきであつて、実力行使等による自力救済の許されないことは多言を要しない。
[10] 所論は、原判決が本件民有地についての立入り禁止仮処分申請の却下決定に対する抗告が取下げられた事実や行政事件訴訟特例法第10条による執行停止の申立がなされなかつた事実について、右法的救済として採るべき手段を尽さなかつた旨説示した点をとらえて、右は仮処分の必要が事実上消滅したものであり、また執行停止の申立はその実効のないことが明瞭であつたからこれをしなかつただけであつてその申請申立を放棄し相手方の主張を容認したものではない。原判決は右土地問題についても事実を誤認し、法令の解釈適用を誤り、延いては被告人らの行為の前記正当性に関する判断を誤る違法を犯したと主張するのであるが、原判決の趣旨とするところは本件土地問題についての紛争は飽くまで法的措置によつて解決すべきであつて、いやしくも実力行使等による自力救済的所為は法秩序の域を超えたものであつて、正当性の事由として認め得ないという趣旨であることはその判文によつて明瞭であり、所論の如き違法は存在しない。
[11] また所論は、原判決は被告人らの本件行為の手段、方法の相当性について、健全な社会通念に照して検討しないで、単なる法規内の形式に拘泥してこれを相当でないと論断しているのは不当である、と主張するのである。即ち原判決は本件基地内に入ることを禁止した立札があつたこと、立入は違法であることを警察官がマイクで警告していたこと等を挙げこれを無視して立入つたのだから違法であるというのであるが、そのようなことは当り前のことである。このことがあるからこそ形式的に法規違反が成立するのであつて、このような法規違反が成立してもなお、超法規的に行為の形式的違法を打破するのが違法阻却事由なのであるから、このような形式的違法事実を挙げて被告人らの行為の社会的相当性を論ずるのは的外れである、というのである。
[12] 併しながら所論が当り前のこととして斥けようとすることは決して形式的なものではない。正当の事由なく禁止区域内に立入ることによつて法規違反の構成要件事実は成立するのである。このような構成要件該当の法規違反の成立した場合においてもなお、健全な社会通念に照し、行為全体として社会共同生活における法秩序と社会正義の理念に違背しない限り刑法第35条の法意に基いて超法規的に行為の違法性を打破し、犯罪の成立を阻却するのが実質的違法阻却事由なのである。
[13] 基地内立入の禁止が表示され、しかもこれに関する警告がなされているのにこれを無視して立入り、立入り後の活動も活発で指導的かつ積極的であつたこと、当日の基地闘争方針は、飽くまで合法的に基地柵外において行動するということであつて、基地内に立入るということは考慮されておらず、それは当日の闘争方針からも逸脱したものであつたこと等を挙げて、原判決は、被告人らの本件行為は、社会共同生活の秩序と社会正義の理念に違背し、法秩序の精神に照らして容認し得ないものとして、実質的違法阻却についての弁護人の主張を斥けたのである。
[14] 所論の如く被告人らの行為が真に国の平和という最高度の理念に基づくものであれば一層、社会共同生活における法秩序と社会正義の理念に違背することのないように厳粛に行われなければならないのである。所論は、大衆運動の闘争方針を予め具体的に一定不変なものとして決定することはあり得ないことであり、相手方のある闘争作戦において、そのようなことは常識に反する、と主張するのであるが、勿論闘争示威の具体的行動を一定不変のものとして規定することはあり得ないにしても、その行為が全体として社会共同生活における法秩序の精神を無視したり、健全な社会通念に照し社会正義の理念に違背することのないよう留意することは極めて必要なことであつて、特に大規模な集団行動においては一層この点が強調されなければならないのである。
[15] 原判決が、被告人らにおいて故意に警告を無視して基地内に立入り、その最前線にあつて指導的、積極的に行動したこと等を証拠によつて認定し、その行為の手段、方法において相当性を認め難いとしたのは、単に所論の如くこれを形式的に法規違反としたものではなく、その行為全体として国民運動のあるべき限界を逸脱し、社会共同生活における法秩序を積極的に紊すものであり、社会正義の理念に照し容認し得ないものとして、その実質的違法阻却事由の存在を否定したものであつて、判示まことに正当である。
[16] また、所論は、原判決が数次の選挙により国民の総意が政府の施策を支持したことを理由に被告人らの慎重な態度を要求した点を非難し、多数党及び政府が憲法のなし崩し再軍備軍事基地の政策を強行するため、平和と人権を守る運動として緊急必要な手段として本件行動に出ざるを得なかつたと主張するのである。勿論政府の施策に反対するものが、その反対の意思を表明、主張することは政治的表現の自由として許されるけれども、それは常に民主的な政治秩序の確立を目ざし責任のあるものでなければならない。殊に複雑な国際情勢のもとにおいて、わが国がいかにしてその国際的地位の安定を得るかについて建設的な主張でなければならない。所論の如く多数党を擁する政府自らが平和憲法を侵犯し再軍備基地拡張の政策を強行して戦争の危険をもたらすものと断定し、その施策を実力をもつて阻止する如き行動に出ることは民主主義国家における政治秩序を無視し、自己の立場に偏向して、社会共同生活における法秩序をも蹂躙するものであつて、健全な社会通念に照し容認し得ないところである。原判決が被告人らに慎重な態度を要求したことは当然である。
[17] また所論は、原判決は、被告人らが本件行動によつて達成しようとした平和と憲法を守るための運動の真義を日常茶飯の民事紛争と混同し、被告人らの本件行為の必要性、緊急性の判断を、平和と人権のための国民運動の観点よりしないで、これを土地の権利侵害に対する自力救済の必要性、緊急性の問題とすりかえていると非難するのであるが、本件砂川における土地問題は、砂川農民の生活に直結した極めて重要な課題であつて、これに関する各種争訟事件については特に慎重、かつ公正妥当な司法審査が要求されるのであり、それはいやしくも所論の如き単なる日常茶飯の問題ではないのである。したがつてこの土地問題については飽くまで冷静に法的秩序ある方法によつて最も適切妥当な解決をはからなければならないのである。原判決は右土地擁護運動と被告人らが主張する憲法擁護運動のあり方として、被告人らのとつた行為の態様が、その行為全体として社会共同生活における法秩序維持の立場からこれを容認し得ないものとしているのであつて、所論の如く問題を混同したり、問題点をすりかえているものではないのである。
[18] 所論は、原判決は、裁判所法第4条の解釈を誤り、最高裁判所判決の拘束力を誤つて解釈し、弁護人申請の証人の取調べを行わず審理を尽さない違法があると主張するので、この点について勘案するのに、原判決は、最高裁判所が本件破棄差戻の判決においてアメリカ合衆国軍隊の駐留は違憲無効であることが一見極めて明白であるとは認められない、としたのは、米軍駐留に伴う基地の存在についての事実を前提とするものと解せられるから、右最高裁判所の判断は裁判所法第4条により下級裁判所たる原裁判所を拘束するものである、と判示しているのであつて、右裁判所法第4条の解釈として正当である。
[19] 所論は、一定の事実につきなされた上級審の法令適用の拘束性は、一定の証拠に基づきなされた上級審の事実認定の拘束力を意味するものであって、新たな証拠により他の事実を認定してこれを基礎として他の法令を適用することは妨げなく、また他の新たな証拠により異つた事実を認定することは右拘束性に牴触するものでない、と主張するのであるが、最高裁判所はわが国に駐留するアメリカ合衆国軍隊は、専らわが国およびわが国を含めた極東の平和と安全を維持し、再び戦争の惨禍が起らないようにすることを目的とし、わが国がその駐留を許容したのは、わが国の防衛力の不足を、平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼して補なおうとしたものに外ならないことが窺えるので、かようなアメリカ合衆国軍隊の駐留は憲法第9条、第98条2項等の趣旨に適合こそすれ、違憲無効であることが一見極めて明瞭であるとは、到底認められない、としているのである。即ち最高裁判所は、本件基地の存在を前提として、アメリカ合衆国軍隊の駐留という事実を、その目的、意義およびその性格、実体等からみて、憲法の条章に違背するものなりや否やを判断しているのである。右の如き違憲判断は、通常の裁判にみられるような、証拠によって事実を認定し、これに法令を適用するものと異つて、右最高裁判所の判断の対象となつた事柄自体に変更がない限り、所論の如く別の新らしい証拠によつて別個の事実が認定され、その判断に変更が加えられるという筋合のものではないのである。右判断はこの意味において、最高裁判所自体を拘束すると同時に、裁判所法第4条によつて下級裁判所をも拘束するものであり、同一見解に出た原判決は正当であり、この点に関する弁護人の証拠請求を却下した原審の措置も相当であつて、所論の如き審理不尽の違法は存在しない。論旨はとるを得ない。
[20] 所論は原判決には次の諸点に事実の誤認があつて、判決に影響を及ぼすことが明らかである、と主張するのである。即ち、原判決は、砂川町基地反対同盟員及びこれを支援する各種労働組合員等千余名の集団は、同日早朝から右飛行場北側境界柵外に集合して反対の気勢をあげ、その中の一部の者により滑走路北端附近の境柵は数十に亘つて破壊された、とし、被告人坂田茂、同菅野勝之、同高野保太郎、同江田文雄、同土屋源太郎、同武藤軍一郎は右集団に参加していた者である、と判示して、被告人らがいずれも同日早朝から柵外に集合して反対の気勢をあげた集団に参加していたものと認定し、また暗に右柵を破壊した一部のものの中に被告人らが含まれているように認定しているのは事実の誤認である、と主張するのであるが、原判決は被告人らが所論の如き集団に当初より参加していたものと認定しているのではない。被告人らが右集団に参加した時刻について原判決は特にこれを判示せず、被告人らは同日午前10時30分頃から立川飛行場内に立入つた事実を認定し、それ以前に右集団に参加していた旨判示するに過ぎないのである。原判決の「右集団に参加していた」という表現をとらえて直ちに被告人らが当初より右集団に参加していたとの趣旨に曲解し、原判決には事実の誤認ありとする所論は正当でない。また原判決は集団の一部の者によつて境柵が破壊された旨判示するだけであつて、被告人らがその一部に含まれていたものと暗に認定しているものでないことは、原判文を通読すれば明瞭である。この点の論旨も理由がない。
[21] また所論は、原判決が被告人らの行為の違法性の判断の事由として、被告人らが基地立入禁止の立札を見ながら、また、警察官の警告を聞きながら、これを無視して基地内に立入り、立入り後もその行動が活発で指導的であつたとし、また、当日の闘争方針から逸脱して行動したと認定しているのは、証拠を一面的に曲解したことによる事実の誤認である、と主張するのであるが、原判決挙示の各証拠を検討し、更に当審において事実の取調べをした結果を綜合してみれば、当日は既に飛行場中央滑走路を中心として左右の柵添いに、合衆国軍隊の許可なく立入るときは処罰される旨の立札が立てられ、また警察官の宣伝カーも右基地内に立入ることは法規違反である旨を警告していたに拘らず、境柵の一部が破壊され同所より侵入される形勢にあつたので、これを阻止するため同所にバリケードを設けたところこれも押し倒され、被告人らはいずれも同所より基地内に立入り、而も最前線において活発、指導的かつ積極的に行動した事実が認められるのである。また当日の闘争方針としても、右基地内に立入ることは考慮されておらず、被告人らの行動が右方針より逸脱していた事実も明瞭であつて、原判決には所論の如き事実誤認は存しない。論旨は採用の限りではない。
[22] 所論は、被告人らに対する原判決の刑の量定が軽きに失する、と主張するので、この点について勘案する。
[23] 先づ、本件犯罪事実の内容は、東京調達局が原判示立川飛行場内民有地の測量をなした際、砂川町基地拡張反対同盟員、支援労働組合員および学生団体員等が、右飛行場柵外において基地反対の集団示威運動を行い、右集団に参加した被告人らを含む3百数十名のものが正当の理由なく、アメリカ合衆国軍隊が使用する区域で、入ることを禁止されていた場所である飛行場内に、30分ないし1時間にわたつて、ある者は深さ2、3米、またあるものは、約4、5米立入つた、という事案である。
[24] 被告人らが右基地内に立入つた集団の先頭にあつてその行動が指導的、積極的であつたことは既に認定したとおりこれを否定し得ないところである。また所論の如く、当日早朝より前記柵外に集合して反対の気勢を挙げていた集団の一部の者により滑走路北端附近の境柵が数十米に亘つて破壊され、集団の侵入を阻止するためバリケードが設けられたがこれも排除され、警備の警察官等に対し罵詈雑言が浴びせられ、投石や花火の投入等の暴行がなされたことも証拠上明瞭なところである。そして被告人らの本件基地立入りという行為が、基地反対闘争という集団示威運動の中において行われたために、右の如き数々の集団暴行を、恰もその背景としてなされたかの観も否定し得ないのであるが、被告人らが直接右の如き暴力的行動にでたという証左はもとよりなく、意思の連絡等共同の責任を問うべき根拠も存在しないのであつて、純粋に被告人らの刑事責任を評価するに当つて、右の如き集団行動の行き過ぎを直ちに被告人らに不利な犯情として加重することは失当である。
[25] 所論は、前夜開催された砂川基地反対支援協議会常任闘争委員会の会議において、土地の原所有者である農民およびこれを支援する同協議会傘下の支援者たちは基地内に立入つて測量に反対抗議する権利を当然に有するものとの確認がなされたこと、そして情勢次第では基地内に侵入して測量反対の示威行動に出るのも已むを得ないなどの協議がなされ、そのような意識が、被告人ら3百数十名の基地侵入をもたらしたものであるとして、本件犯行は組織的、意図的に敢行されたものである、と主張するのであるが、既に認定した如く、本件当日の闘争方針として基地内に立入るということは考慮されておらず被告人らが基地立入りを当然の権利とする確認に基いて組織的に右立入りを企画したと認むべき何らの証左はなく、寧ろ前記集団示威運動の中において、勢の赴くまま3百数十名の集団と共に基地内に侵入し、被告人らがその先頭にあつてその行動が他の者に比較して積極的、活発であつたためその刑事責任を問われるに至つたものである。要するに本件は農地擁護と平和運動として行われた基地反対示威行動の中において偶々発生した集団行動の一部の行き過ぎと見るべきものである。
[26] また所論の如く、昭和30年以来の砂川基地拡張反対闘争の本件に至るまでの過程も、本件事案の背景的事実関係として度外視することはできない。そしてその闘争の様相が執拗に深刻の度を加えてきたことも否定し得ない。併しながら今被告人らの本件事犯をとり上げてその刑事責任の軽重を論ずるに当つて、従来の闘争において行われた数々の集団的実力行使の態様をあげて、それが恰も本件被告人らの行動と不可分的なつながりにあるものと見て、その量刑上の加重事由とすることは相当でない。寧ろこれまでの闘争において屡々なされた如き、測量係員または警察官に対し直接暴行を加える等の測量阻止の暴力的事犯に比較すれば、本件は不法に基地内に立入り場域の平穏をみだした程度の、遥かに軽微な違反行為であるに過ぎないのである。
[27] 本件差戻前第一審裁判所が、日米安全保障条約に基くアメリカ合衆国軍隊の駐留を憲法違反と判断したために、本件を契機として国の最高法規をめぐる極めて重要な法律問題が提起され、そのため本件は近時稀に見る重大案件として世論注目の対象となつたのである。これだけ世論を浴びた重大事件において罰金2000円という科刑は余りにも軽きに失する、という見方もあるのであるが、本件における法律点の重要性は否定し得ないにしても、これによつて被告人らの純粋な意味における司法的刑事責任が不当に過大に評価されることがあつてはならないのである。
[28] また所論は、法秩序を無視する如き基地反対闘争は今後も執拗に持続されることの予測される現状において、罰金2000円の科刑は、刑罰の一本質たる一般警戒の目的を忘却したもので失当である、と主張するのであるが、刑罰は特定の犯罪行為の実態に即応して適正妥当な限度をもつて科刑せられてこそ、一般警戒の目的を達し得るものである。所論は厳罰をもつて臨むにあらざれば法秩序無視の基地反対闘争を抜本的に阻止し得ないものの如くいうのであるが、個々の事犯の実態を度外視して政策的意図のもとに、過当な責任を追及することは、却つて法の威信を傷つけ、刑罰の真の目的を達し得ないものである。いやしくも法秩序を紊す如き行為に対しては、社会正義の立場より、厳正、妥当な法的制裁を加えることによつて、公共の秩序を維持すべき司法の使命は果され、刑罰の一般警戒の目的も達成し得るのである。
[29] 被告人および弁護人らは、本件被告人らの行為の正当性を主張するために、政府自らが平和憲法を侵犯し、基地の存在が戦争の危険をもたらすものと断定し、その非を反省しないことは、所論も指摘するとおり、正に厳戒を必要とするところである。しかしながら被告人らの行為が法秩序維持の立場より容認し得ないものとして、これに法的制裁を加えるに当つて、被告人らも等しく平和を求めるものであるという点は諒としなければならない。事実外国軍隊の駐留をなくして、わが国の安全と極東の平和が確保されることを希求しない国民は一人も存在しないのである。内に民主的な秩序を確立し、外にはいかなる国をも敵視せず、その信義と公正に信頼して、平和共存の国際社会において真に名誉ある地位を得ることがわれわれの念願であることはいうまでもない。
[30] 右のような観点において本件犯罪の発生経過、違反事実の具体的実態その他諸般の情状を綜合して考察するとき、原判決の被告人らに対する科刑を不当に軽きに失するとなすことはできない。よつて検察官の論旨もまた採用しない。

[31] 以上本件各控訴はいずれもその理由がないから、刑事訴訟法第396条によりこれを棄却すべきものとし、当審における訴訟費用は、刑事訴訟法第181条第1項但書の規定により被告人らに負担せしめないこととして主文のとおり判決した。

      検察官 高橋道玄関与
  昭和37年2月15日
      東京高等裁判所 第6刑事部
        裁判長判事 兼平慶之助
           判事 斎藤孝次 

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