徳島市公安条例事件
控訴審判決

集団行進及び集団示威運動に関する徳島市条例違反、道路交通法違反被告事件
高松高等裁判所 昭和47年(う)第172号
昭和48年2月19日 第3部 判決

被告人 甲野学

■ 主 文
■ 理 由


 本件控訴を棄却する。


[1] 本件控訴の趣意は、記録に編綴してある徳島地方検察庁検察官検事中村信仁作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人杉本昌純作成名義の答弁書および昭和47年2月14日付弁論要旨に各記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

[2] 所論は、原判決が昭和27年1月24日改正施行にかかる徳島市条例第3号「集団行進及び集団示威運動に関する条例」3条3号、5条の規定が刑罰法令として明確性を欠き無効であると認定したことにつき、法令の解釈適用に誤りがあると主張し、
同条例の目的とするところは、平穏に秩序を重んじてなさるべき集団行動が、ややもするとその限度を逸脱して、静ひつを乱し暴力に発展する危険な物理的力を内包することにかんがみ、集団行動が危険な物理的暴力に転化するのを規制しようとするものであるが、一方集団行動は表現の自由として憲法21条により保障された基本的人権であるところから、本条例3条本文に「集団行進又は集団示威運動を行なおうとする者は、集団行進又は集団示威運動の秩序を保ち、公共の安寧を保持するため、次の事項を守らなければならない」と前置して、同条3号に「交通秩序を維持すること」と規定されているのである。してみると右のような本条の目的と、その文言自体からその意味内容は、平穏な集団行動が必然的にもたらす交通秩序阻害の程度をこえて、ことさらに交通秩序をみだすおそれのある、即ち交通秩序に具体的な危険を生ぜしめる行為を一切しないことというものであることが解釈上、明らかであり、又本条例3条3号の「交通秩序を維持すること」という遵守事項には、だ行進、ことさらなかけ足行進等の例示はないが、右のような交通秩序を乱す典型的な行為はあえて例示をまつまでもなく社会通念上明らかであるから、犯罪の構成要件規定として明確性に欠けるところはない。よつて、本条例違反につき被告人を無罪とした原判決は破棄を免れない、
というのである。
[3] そこで記録を調査して検討するに、本条例は徳島市において地方自治法14条1項にもとづき同法2条2項の事務に関し、同法14条5項の罰則に関する規定の委任を受けて制定されたものであることが明らかであつて、集団行進又は集団示威運動につきいわゆる届出制を採用し、これらの集団行動参加者らに対し同条例3条本文において集団行進又は集団示威運動の秩序を保ち、公共の安寧を保持するため次の事項を守らなければならないと前置して、その遵守事項の1つとして3号に「交通秩序を維持すること」と規定し、5条により右遵守事項に違反して行なわれた集団行進等の主催者、指導者、せん動者らに対し1年以下の懲役もしくは禁錮又は5万円以下の罰金を科することとしている。ところで本条例が集団行動参加者らに対し遵守事項を定める根拠として、前記のとおり集団行動の秩序を保ち、公共の安寧を保持するためと明示していること、集団行動とくに集団示威運動は第三者に対する何らかの働きかけを必然的に伴うところから、平穏に秩序を保つてなさるべき純粋な表現の自由の行使の範囲を逸脱し、集団的な暴力に転化する危険性を内容するので、地方公共団体において法と秩序を維持するため必要かつ最小限度の法的規制を設けることが不必要とはいえないこと、道路における危険防止その他、交通の安全と円滑を図るだけであれば道路交通法77条1項4号、3項、徳島県道路交通施行細則11条により徳島県公安委員会は道路における集団行進等につきこれを所轄警察署長の許可にかからしめ、警察署長は必要な条件を付することができると規定されていることにかんがみると、本条例3条3号の「交通秩序を維持すること」との規定の趣旨は、単なる道路における交通秩序の保持のみでなく、これを超えた当該地域における社会公共の安寧保持の目的に出たものであつて、それは同条1、2、4号の遵守事項(1号、官公署の事務の妨害とならないこと。2号、刃物棍棒その他、人の生命及び身体に危害を加えるに使用される様な器具を携帯しないこと。4号、夜間の静穏を害しないこと)がかかる目的に立つ規定と解せられるのと同様である。そうすると、本条例3条3号の規定を目して「平穏な集団行動が必然的にもたらす交通秩序阻害の程度をこえて、ことさらに交通秩序をみだすおそれのある、すなわち交通秩序に具体的な危険を生ぜしめる行為を一切しないこと」という意味内容をもつものとして、制限的に解釈すべきものであり、かつそのように解釈できるとの検察官の主張は、その限りでは一応、理解できる。しかし、それにもかかわらず、同号の「交通秩序を維持すること」という規定の意味内容は依然不明確といわなければならない。すなわち「平穏な集団行動が必然的にもたらす交通秩序阻害の程度をこえて」といつてもその程度がはつきりしないし、「ことさらに交通秩序をみだすおそれのある行為」といつてもいかなる行為がそれに当るか明確でない。結局このような解釈では、まだ集団示威運動等を行なう者の遵守すべき規範内容を明示したこととはならず、例えば本件のように車両10台位が1分ないし4分程度停車を余儀なくされた案件が、果して右3号違反に該当するかどうかを判定するにつき何等明確な規準を示し得ず、集団行動を行なう側としてはまだこの程度なら許された行動と考えているのに、取締側はすでに程度を超えた違法行為としてこれを検挙するというような混乱を生ずる場合のあることが十分考えられるのである。結局右解釈の結果は、集団行動により或る程度交通秩序がみだされ、それが取締側の目からみて、平穏な集団行動が必然的にもたらす交通秩序阻害の程度をこえたものとみられる限り、その行為形態がいかなるものであろうとも、すべて右3号違反として直ちにこれを検挙できるということになり、集団行動を行なう者としては許された行動の限界が判らず、勢い原判決も指摘するように集団行動自体がいしゆくし、集団の示威により自己の意思を表現し、何物かを訴えようとする集団行動の目的が阻害されるという不当な結果を避け得ないものというべきである。
[4] おもうに、この種の集団行動は憲法の保障する表現の自由に直結するものであるから、それを規制するについては、その犯罪構成要件の内容として合理的解釈によつて確定できる程度の明確性を要するのである。本条例3条2号には「刃物棍棒その他、人の生命及び身体に危害を加えるに使用される様な器具を携帯しないこと」とし、対象となる器具を例示することによつてその内容を明確にしているのであつて、同条3号についても禁止される行為を例示する等の方法によつて明確化するなり、あるいは委任規定をおいて、その都度、具体的な条件を設定するなどして、可罰的な行為内容が適式かつ具体的に補充されることが必要であり、それがない限り、刑罰規定としての明確性に欠けるといわなければならない。この点を他の類似の立法例に徴しても、例えば道路交通法においては歩行者等に対して道路上での禁止行為を具体的に規定し(同法76条)、もしくは所轄警察署長が予め定めた条件に違反した行為のみが刑罰の対象とされていること(同法77条)、本条例と同じく集団行動に対する何らかの規制、処罰を定めた主要公共団体の制定にかかる条例等をみても、いわゆる許可制公安条例においては許可にあたつて条件を付することによつて犯罪構成要件を補充して明確にしており、また本条例と同じいわゆる届出制公安条例においても、条例自体において可罰行為が類型的に規定されたり(例えば埼玉県条例3条3号)、委任規定によつて公安委員会がその都度、具体的な遵守事項を定め、これを記載した書面を主催者等に交付しなければならないとしている(例えば群馬県条例5条1項6条)のが通例であつて、本条例のように「交通秩序を維持すること」という広義かつ包括的な事項の違反行為一切を犯罪の内容とする立法例は見当らないことによつても、本条例3条3号、5条に立法上の重大な不備があることが明らかである(所論の裁判例1、2、4は条文それ自体において文義上その意味内容が明確であり、または条文の合理的解釈上その意味内容を明確にしうる事例や、例示の方法で行為の可罰類型が規定されている事例に関するものであるから、いずれも本件にはあてはまらない)。

[5] 所論はまた、
本条例3条3号の遵守事項にはだ行進、ことさらなかけ足行進等の例示はないが、それは同号がその規定の文言において「交通秩序を乱さないこと」という表現を用いずに、「交通秩序を維持すること」という表現を用いたからであり、しかも、右のような交通秩序を乱す典型的な行為はあえて例示をまつまでもなく、交通秩序をことさら乱す点で、本来許さるべき集団行動の限界を逸脱するものであることは社会通念上も明らかなところであるから、これら行為の例示がないからといつてその内容が不明確になるものではないと論じ、さらにあらゆる集団行動に対して適用できる遵守事項を定めるとするならば、どうしてもある程度一般的抽象的な文言を用いなければならず、このことは立法技術上やむを得ないところである、
と論じている。しかし右論旨は、あらゆる集団行動はすべて集団的な暴力に転化するという不信感の表明であり、従つてあらゆる規制をこれに加える必要があり、そのためには一般的抽象的規定でこれを一網打尽にしなければならないとの思考につながるものであり、いちじるしく公共の安寧秩序という方向に傾斜し、表現の自由という基本的人権との均衡を破る虞れのあるものである。おもうに表現の自由として憲法21条で保障された集団行動に対する規制は、法と秩序を維持するために必要かつ最小限度の措置に限るべきであり、それには従来の各地における経験等に徴し、右にいう必要かつ最小限度の措置としてこれだけは規制しなければならないという行為類型が判つている筈であるから、たとえばだ行進、ことさらなかけ足行進等として、条文上に例示することが可能であり、又そうすべきものと思料する。そしてそれが前記集団行動に対する規制は最小限度の措置に限るべきである、という要請に副うものである。右の次第で立法技術上の困難に藉口し、「交通秩序を維持すること」というような一般的抽象的な文言で遵守事項を定め、それが単なる訓示規定ならともかく、そのまま犯罪の構成要件になるというが如きは全く不当というべきである。

[6] 所論は更に
「交通秩序を維持すること」という文言が一般的抽象的な規定であつても、本件において被告人らのだ行進等が集団として一般の交通を阻害したことは明らかであるから、少なくとも本条例3条3号を本件事案に適用する限りにおいては何ら法文の明確性に欠けるところはない
と主張するので検討するに、原判決が本条例違反の公訴事実につき冒頭で詳細に認定したとおり、被告人は原判示県道宮倉徳島線上で行なわれた集団示威行進に参加し、先頭隊列の直前付近で被告人が自らだ行進をしたり、笛を吹いたり手で合図することによつて、右先頭隊列から数10名の行進者らがだ行進をしたり一時路上に停止したりしたこと、このため折柄、同県道を北進中の乗用自動車、バス等合計約10台の車両が右だ行進等の通過するまで約1分ないし4分間程度の停車を余儀なくされたことがそれぞれ認められる。しかしながら右程度のだ行進等による交通の阻害は道路交通法令による取締のみによつても十分に規制できることが明らかであるうえ、これが本条例の制定目的である公共の安寧保持に対し危険な状態を惹起するおそれがある程の可罰的行為類型であると断定しうるか否かは必らずしも明白でないから本条例3条3号、5条を本件に適用する限りにおいて何ら明確を欠くところはないと言いきれるか疑問というべきである(所論の裁判例3は売春行為に関するもので、事案を異にする本件には適切でない)。

[7] 以上の次第で、原判決が本条例3条3号の規定が刑罰法令の内容となるに足る明白性を欠き、罪刑法定主義の原則に背馳し憲法31条に違反するとして、同条例5条の罰則を被告人の所為に適用できないとした判断に過誤はなく、したがつて論旨は採用することができない。
[8] よつて、刑訴法396条により、主文のとおり判決する。

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