議員定数不均衡訴訟 衆議院中選挙区違憲判決(昭和60年)
第一審判決

選挙無効訴訟事件
広島高等裁判所 昭和59年(行ケ)第1号
昭和59年9月28日 判決

原告 金尾哲也 外2名
被告 広島県選挙管理委員会

■ 主 文
■ 事 実
■ 理 由

■ 原告らの主張
■ 被告の主張


 原告らの請求を棄却する。ただし、昭和58年12月18日に行われた衆議院議員選挙の広島県第1区における選挙は、違法である。
 訴訟費用は、被告の負担とする。

一 原告ら
 昭和58年12月18日に行われた衆議院議員選挙(以下「本件選挙」という。)の広島県第1区における選挙を無効とする。
 訴訟費用は、被告の負担とする。

二 被告
(本案前)
 本件訴を却下する。
 訴訟費用は、原告らの負担とする。
(本案)
 原告らの請求を棄却する。
 訴訟費用は、原告らの負担とする。
 原告らは本件選挙の広島県第1区における選挙人である。
 本件選挙は、公職選挙法(昭和25年法律第100号。以下「公選法」という。)について昭和50年法律第63号(以下「昭和50年改正法」という。)によつて改正された衆議院議員定数配分規定(公選法13条、同別表第1、同附則7ないし9項。以下「本件定数配分規定」という。)に基づいて行われた。
 憲法14条の規定する「法の下の平等」は、国会議員選挙における投票価値の平等を要求する。それは、議員定数配分についていえば人口比例原則を最大限に尊重するということである。しかるに、公選法が制定された昭和25年4月当時、衆議院議員の定数配分につき、異なつた選挙区間における議員1人当たり人口の較差は最大1対1.51であつたにもかかわらず、本件選挙当時、兵庫県第5区と千葉県第4区の議員1人当たり選挙人数の較差は1対4を超えており、また、前者と広島県第1区のそれは1対3.32となつている。もとより、議員の定数配分については選挙権の平等原則以外に考慮すべき諸要素のあることは否定しないが、それにしても、議員1人当たり選挙人数の最大較差は1対2を超えてはならぬものである。そうでないと、人口過密区の選挙人1票に対し、過疎区の選挙人に2票を与えることになる。そして、仮に昭和50年法律改正当時における較差は憲法違反といえず、その後の人口異動により憲法違反状態となつたとしても、右改正時から本件選挙まで8年の歳月を経ており、既に、是正につき憲法が要求する「合理的期間」は経過している。したがつて、本件選挙当時、本件定数配分規定は違憲であつたものであり、本件選挙は無効である。(なお、以上の点についての主張の詳細は別紙甲(一)(二)(三)のとおりである。)
 よつて、公選法204条に基づき、本件選挙の原告らの属する選挙区である広島県第1区における選挙を無効とする旨の判決を求める。
 被告は、公選法204条の訴訟においては、選挙無効原因として、選挙規定の憲法違反を主張しえないというが、選挙権は国民の基本的権利であり、これを侵害する国権行為に対しては是正救済の途が開かれるべきであることは憲法上の要請であるから、右訴訟においてこれを理由とすることは排除されていない。
(本案前)
 公選法203条ないし205条の選挙の効力に関する訴訟はいわゆる民衆訴訟であり、選挙の管理執行機関である選挙管理委員会が法規に適合しない行為をした場合に、その是正のため、当該選挙の効力を失わせ、再選挙を義務づける点に本旨がある。したがつて、右訴訟で争い得る「選挙の規定違反」は、当該選挙区の選挙管理委員会が選挙法規を正当に適用することにより、その違法を是正し適法な再選挙を行い得るものに限られる。
 ところで、原告ら提起にかかる本件訴訟は、本件定数配分規定が憲法に違反し本件選挙は無効であるというのであつて、選挙管理委員会の是正しえないことを理由とするものである。もとよりこれを許す規定は存在しないのであるから、本件訴は前記法条が許容する範囲外のものというべく、不適法として却下を免れない。

(本案)
 原告ら主張1、2は認める。
 原告ら主張3のうち、公選法制定当時の人口較差が最大約1対1.51であり、本件選挙当時の兵庫県第5区と千葉県第4区、前者と広島県第1区の選挙人数較差が、それぞれ1対4以上、1対3.32であることは認める。
 原告ら主張3のうち、その余の点は争う。
 本件定数配分規定は憲法に違反するものでなく、したがつて、同規定に基づいて行われた本件選挙も有効である(なお、以上の点についての主張の詳細は別紙乙(一)(二)(三)のとおりである。)
[1] 原告ら主張1、2は当事者間に争いがない。

[2] 原告らは、本件選挙当時議員1人当たり選挙人数較差の最大は1対4以上に至つていて、本件定数配分規定は憲法14条に違反して無効であり、したがつてこれに基づく本件選挙も無効であると主張し、そして、広島県第1区における選挙無効を公選法204条によつて求めている(本訴が、同条所定の30日以内である昭和59年1月14日に提起されたことは、本件記録によつて明らかである。)。

[3] 被告が主張するごとく、公選法204条の選挙無効訴訟において、かような議員定数不均衡を理由とすることができるかは疑問のないところではない。これを許す旨の規定は存在しないし、定数配分規定が違憲と判定されたとき、右規定の改正がなければ適法な再選挙を行うことができない。しかしながら、後に述べるごとく、選挙権は代表民主制を支える国民固有の権利であり、政治的平等は憲法の強く要請するものであるところ、選挙における法律違反の瑕疵は右訴訟によつて主張できるのに、更に重要な憲法違反の瑕疵を主張できる方法がないというのは不合理である。したがつて、憲法の選挙平等原則違反も、右訴訟における選挙無効事由として主張できると解すべきである。既に、最高裁昭和49年(行ツ)第75号昭和51年4月14日大法廷判決(以下「昭和51年4月14日大法廷判決」という。)は、
公選法204条所定の選挙無効「訴訟は、現行法上選挙人が選挙の適否を争うことのできる唯一の訴訟であり、これを措いては他に訴訟上公選法の違憲を主張してその是正を求める機会はないのである。およそ国民の基本的権利を侵害する国権行為に対しては、できるだけその是正、救済の途が開かれるべきであるという憲法上の要請に照らして考えるときは、前記公選法の規定が、その定める訴訟において、同法の議員定数配分規定が選挙権の平等に違反することを選挙無効の原因として主張することを殊更に排除する趣旨であるとすることは、決して当を得た解釈ということはできない。」
としており、最高裁昭和56年(行ツ)第57号昭和58年11月7日大法廷判決(以下「昭和58年11月7日大法廷判決」という。)もこれと同旨である。
[4] 当裁判所も、この点につき右各大法廷判決の判断と考えを同じくするものであつて、被告の本案前の主張は理由がない。
[5] 前記のごとく、原告らは、本件選挙当時における兵庫県第5区と千葉県第4区における議員1人当たり選挙人数較差は1対4を超え、前者と広島県第1区におけるそれは1対3.32となつており、また、昭和50年改正法の公布から本件選挙まで8年を経過しているので、本件定数配分規定は憲法に違反すると主張するものであるから、先ず、昭和45年、昭和50年、昭和55年に各実施された国勢調査による各選挙区の議員1人当たり人口、昭和51年12月5日、昭和54年10月7日、昭和55年6月22日、昭和58年12月18日(本件選挙)にそれぞれ行われた衆議院議員選挙における各選挙区の議員1人当たり選挙人数、以上の数字の最小を示す選挙区と人員、最大を示す選挙区と人員及びその較差をみることとする(本件選挙当時、兵庫県第5区と千葉県第4区の較差が1対4を超え、前者と広島県第1区のそれが1対3.32であることは当事者間に争いがない。)。なお、昭和50年改正法により、衆議院議員の定数は従前の491人に対し20人増員され、これを11の選挙区に配分し(これが本件定数配分規定)、この改正法は昭和50年7月15日に公布され、前記昭和51年12月5日に行われた選挙から施行されている。
[6] 成立に争いのない乙第1ないし第8号証によると、その数値は次のとおりである。
 昭和45年国勢調査による議員1人当たり人口(昭和50年改正法による改正前)
[7] 別表一のとおりであり、その最小区である兵庫県第5区は11万2702人、その最大区である大阪府第3区は54万5136人で、その較差は1対4.83(小数点3位以下切捨、以下同じ。)である。
 右同(昭和50年改正法による改正後)
[8] 別表二のとおりであり、その最小区である兵庫県第5区は11万2702人、その最大区である東京都第7区は32万9200人で、その較差は1対2.92である。
 昭和50年国勢調査による議員1人当たり人口
[9] 別表三のとおりであり、その最小区である兵庫県第5区は11万0748人、その最大区である千葉県第4区は41万1845人で、その較差は1対3.71である。
 昭和55年国勢調査による議員1人当たり人口
[10] 別表四のとおりであり、その最小区である兵庫県第5区は11万0051人、その最大区である千葉県第4区は49万9763人で、その較差は1対4.54である。
 昭和51年12月5日に行われた衆議院議員選挙当時の議員1人当たり選挙人数
[11] 別表五のとおりであり、その最小区である兵庫県第5区は8万0404人、その最大区である千葉県第4区は28万1082人で、その較差は1対3.49である。
 昭和54年10月7日に行われた衆議院議員選挙当時の議員1人当たり選挙人数
[12] 別表六のとおりであり、その最小区である兵庫県第5区は8万1096人、その最大区である千葉県第4区は31万4004人で、その較差は1対3.87である。
 昭和55年6月22日に行われた衆議院議員選挙当時の議員1人当たり選挙人数
[13] 別表七のとおりであり、その最小区である兵庫県第5区は8万1375人、その最大区である千葉県第4区は32万1351人で、その較差は1対3.94である。
 昭和58年12月18日に行われた本件選挙当時の議員1人当たり選挙人数
[14] 別表八のとおりであり、その最小区である兵庫県第5区は8万1860人、その最大区である千葉県第4区は36万0890人で、その較差は1対4.40である。なお、広島県第1区は、27万1851人で、右最小区と広島県第1区との較差は1対3.32である。

[15] 前項記載の最大較差の経緯及び諸般の事情にかんがみ、本件選挙当時、本件定数配分規定は憲法に違反していたと判断するものであるが、その理由は次のとおりである。
[16] 我が国憲法は、国民主権による代表民主制を採用しており、国民は選挙によつて代表者を選び、代表者が構成する国会を通じて国政に参与する。選挙権は代表民主制を支える根幹であり、国民固有の権利である(15条1項)。そして、憲法14条1項は、国民は法の下に平等であることを定めており、平等原則は近代国家の基本原理であるところ、殊に、政治の領域におけるそれは、人類が永い間努力を積み重ねてようやく獲得した貴重な所産である。選挙権の平等は、本来、抽象的なものでなく、具体的であり形式的なものである。憲法は選挙人の資格につき、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別されない(44条)としているが、選挙人の投票価値の平等も強く求めているとみることができる。形式的に1人1票(公選法36条)であるのみならず、異なる選挙区間における実質的投票価値も等しくなくてはならない。すなわち、憲法は議員定数配分につき、人口比例主義を原則としている。
[17] 憲法は議員の定数、選挙区、投票の方法その他選挙に関する事項は法律で定むべきものとし(43条2項、47条)、これらの点の具体的内容の決定は原則として国会の裁量に委ねられている。国会は、選挙区を区分し、議員定数を配分するに当たり、伝統的な行政区画、面積の大小、人口密度、住民構成、交通事情、地理的状況、社会動態現象なども考慮すべきものとされる。
[18] ところで、非人口的要素の中には、地域を選挙区とする選挙制度に本質的に内在し常に当然考慮されるもの、立法技術上の制約ともいえるもの、例えば、伝統的選挙区割を極めて頻繁に変更することはできぬこと、都市と農村の社会構造の差など地域性を全く無視することはできぬこと、選挙人名簿の登録があるとはいえ、選挙人数の動態を常に即座に把握することはできぬこと、選挙人数に端数の出るのは避けえぬこと、定数是正には手続上若干の時日を要することのようなものが存在する。国会が定数是正のために公選法を改正しようとするとき、その当時特段の事情が存在しなければ、右のような点を考慮しあるいは制約を受けて立法をすれば足りる。しかしながら、その当時なんらかの政治的社会的特殊事情があり、これをしんしやくしようとするならば、定数配分上人口比例主義が憲法の要請する第一義的なものであることを考え、また、実際に選挙が行われるときには較差が増大している可能性のあることを念頭において、あくまで、合理的なものに限定すべきである。
[19] 議員1人当たり人口もしくは選挙人数の較差の最大のものを一項記載にしたがつてまとめると、次のとおりである。
[20] 昭和45年国勢調査の結果では、昭和50年改正法による改正前の定数配分でいえば人口比率において1対4.83、改正後の定数配分でいえば1対2.92であり、このように、右改正法によりいつたん事態は改善されたものの、その後の人口の漸次的異動により、昭和50年国勢調査の結果では1対3.71、昭和55年国勢調査の結果では1対4.54と上昇した。昭和51年12月5日行われた衆議院議員選挙では選挙人数比率において1対3.49、昭和54年10月7日行われた選挙では1対3.87、昭和55年6月22日行われた選挙では1対3.94、本件選挙では1対4.40であつて、逐次上昇している。
[21] 右のように、最大較差が永い間大きな数値を示しつつ上昇し、殊に本件選挙当時は1対4.40という数値に至つていたのであつて、この数値は、憲法の要請する投票価値の平等、定数配分における人口比例主義からいつて余りにも不平等な数値というほかなく、被告が定数配分に当たりしんしやくすべき事情として主張する諸点を十分考慮しても、もはや、国会の裁量権の行使として合理性を是認しえないものであり、また、右の投票価値の不平等を正当化すべき特別の理由も見出し難いものといわざるをえない。
[22] すなわち、本件選挙当時、本件定数配分規定は憲法の選挙権平等の要求に反していたものである。
[23] 制定又は改正の当時は合憲であつた議員定数配分規定が、その後の人口異動により較差が増大し合憲性の要件を欠くに至つたときは、憲法上要求される合理的期間内における是正が問題になる。
[24] 昭和50年改正法により議員1人当たり人口の最大較差が1対4.83から1対2.92に縮小したことはさきに認定した。改正後のこの数値が、国会の合理的裁量権の限界を超えないものであつたかどうかはさて措いて、いずれにしろ、(イ)定数配分上、投票価値の平等、人口比例主義が最重要の原則であること、(ロ)右3で述べたごとく、較差増大現象が永く続いたこと、(ハ)本件選挙は、昭和50年改正法公布から8年5月、その施行から7年という長年月を経過して行われたものであること、(ニ)公選法別表第1の末尾に「本表は、この法律施行の日から、5年ごとに、直近に行われた国勢調査の結果によつて、更正するのを例とする。」との規定がおかれていることなどを併せ考えると、本件定数配分規定は本件選挙当時より相当以前、憲法の選挙権平等の要求に反する状態に至つていたにもかかわらず、憲法上要求される合理的期間内における是正がされなかつたということができる。
[25] したがつて、本件定数配分規定は、本件選挙当時いずれにしても憲法に違反するものであつた。
[26] なお、議員総数の各選挙区への配分決定は、相互に有機的に関連するので、不可分一体をなすと考えられ、本件定数配分規定は、単に憲法に違反する不平等を招来している部分のみでなく、全体として(したがつて、広島県第1区について細かく論じなくともこれを含め)、違憲の瑕疵を帯びると解すべきである。

[27] 右のとおりで、それ以上の議論をまつまでもなく、本件定数配分規定は憲法違反といえるのであるが、当事者双方より問題点の指摘があるので、これにつき若干敷えんして述べる。
[28] 原告らは、議員1人当たり人口もしくは選挙人数の最大較差が1対2を超えるときは、定数配分規定は憲法違反であると主張し、被告は、憲法が投票価値の平等まで求めているかは疑問であり、それを求めているとした場合も、1対1以外の対比の数値については理論的根拠がないこと、議員は地域代表的性格をも有すること、都市は人口集中によりそれ自体で大きな政治的経済的影響力を行使しており、人口比例原則に従うと「多数の横暴」になりかねないこと、右原則を尊重すると頻繁な定数是正が行われ、国政の著しい不安定をもたらすこと、そもそも選挙制度につき国会は広い裁量権を有することなどをとりあげ、原告ら主張の数値は違憲判断の基準になりえないという。
[29] 本件定数配分規定は諸般の事情を総合勘案することにより憲法違反といえるのであり、あえて定数配分につき違憲判断の数値的基準を示す必要はない。しかし、当事者よりの指摘もあるし、被告主張の非人口的要素も、前記較差の合理性を根拠づける理由となりえないことの補足説明にもなるので、数値的基準について一言する。
[30] 二項2で述べたように、定数配分上考慮される非人口的要素の中には、選挙制度に本質的に内在し、常に当然考慮されるものがあるので、較差を1対1にとどめることは不可能である。しかし、国会が定数是正のため公選法を改正しようとするとき、その当時特段の事情がなく通常の事態である限り、憲法が許容する最大較差は1対2程度までである。そしてさらに、憲法は較差が1対2を超えてゆくのにそのまま放置されることを安易には許さない。すなわち、較差1対2は、それを超えるに至つたなら、定数配分規定が憲法違反状態に入つたことを推定させる一応の指標である。もつとも、右は立法に視点をおいてそのようにいつているのであつて、裁判に当たつては、選挙当時、最大較差が1対2を超えているからといつて、直ちに定数配分規定が違憲であるとはいえない。法律改正当時特殊の政治的社会事情が存在したとか、その後の情勢変化により、当該選挙当時に右のような特殊事情が存在し、あるいは特定の地域に特殊事情が存在したということがありえないではない。また、国会が選挙制度の仕組みを定めるにつき裁量権を有することも前記のとおりである。裁判に当たつては、これらのことがしんしやくされる結果、原告らが主張するごとく、選挙当時最大較差が1対2を超えていたことの一事で定数配分規定が憲法違反であつたとは断定できない(しかしこのような考え方に立つならば、較差1対4.40は余りにも不平等な数値であるから、前記の被告主張の諸点は、到底、右較差の合理性を根拠づける特別の理由といえない。なお、憲法が投票価値の平等を求めていることは既に昭和51年4月14日及び昭和58年11月7日の各大法廷判決の判示するところである。また、被告は投票価値の較差を論ずるについては、比率最大区と最小区を平均値にまで是正すればよいのであるから、基準を論ずるにつき平均値を採用すべきであるという。しかし、平均値という中間項をさしはさむことにより、問題の深刻さをあいまいにすることがあるのは否めない。したがつて、ここでは被告の主張を採用しない。)。
[31] 被告は、定数是正のための合理的期間を判断するについては、国会が、較差が憲法の要求に反する状態に至つたことをいつ認識したかが問題となるところ、昭和58年11月7日大法廷判決により、初めて、昭和51年4月14日大法廷判決の示した最大較差約1対5が選挙権の平等に反する状態であることの認識を持つたにすぎないし、また、定数是正については、その準備及び法案審議に多大の時間を要するので、本件においては合理的期間内に是正されなかつたとはいえぬという。
[32] 選挙制度の仕組みを定める権限を有する国会は、議員の定数配分について人口比例主義が最重要の原則であることを考え、常に人口異動状態その他に注目しているはずのものである。自主的に客観状勢を認識判断して定数配分是正の挙に出るべきであつて、較差が平等原則に反するに至つたことの認識を裁判の結果に求めるべきものではない。また、定数是正の問題は各党各派の利害の対立するところであり、従前の法律改正においてもその準備及び法案審議に相当の時日を要している(成立に争いのない乙第10ないし第12号証)けれども、定数是正の法律改正が、党派的あるいは個人的利害の上から恣意的に遅らされることは許されないところでもあるし、法案準備に日数がかかるとの被告主張はそれ程重視できない。

[33] 前記のごとく、本件定数配分規定は全体として憲法違反であるところ、これに基づいて行われた本件選挙の効力が問題となる。
[34] 選挙権平等の原則に対する侵害がいよいよ大となれば、選挙自体も無効であるといわざるをえない場合が生ずるであろう。しかしながら、憲法違反を理由に本件選挙を当然無効と断定した場合、これによつて選出された議員が当初から議員としての資格を有しなかつたこととなり、既に成立した法律等の効力にも問題を生じ、今後における衆議院の活動が不可能となるような事態にも直面するのであつて、これによつて招来される政治的社会的混乱は極めて大きい。そして、公選法204条、205条1項により広島県第1区における本件選挙が将来に向かつてのみ失効すると解しても、他の選挙区において同種の訴訟が提起され、結局右に近い状態となることがあり得るし、定数が少ないとして訴訟が提起された選挙区のみ選出議員が存在しないことになり、いずれにしろ憲法上望ましい姿とはいえない。右のごとく、本件選挙を無効とすることは、現在の具体的諸状勢からいつて憲法の所期しない結果となるため、これが無効であるとの解釈は容易に採り難い。
[35] そこで、公選法219条は選挙無効訴訟につき行政事件訴訟法31条1項の準用を排除してはいるけれども、後者の法条に含まれる法の基本原則を適用することにより、本件選挙は憲法に違反する本件定数配分規定に基づいて行われた点において違法である旨を判示するにとどめ、本件選挙自体はこれを無効としないこととするのが相当である。
[36] 以上の次第で、広島県第1区における本件選挙を無効とする旨の判決を求める原告らの請求を棄却するとともに、右選挙が違法であることを宣言することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法92条但書を適用して、主文のとおり判決する。

  (裁判官 竹村壽 高木積夫 池田克俊)
[1]第一 本件定数配分規定は、昭和55年6月22日に行われた第36回衆議院議員選挙(以下、前回選挙という。)について、すでに最高裁判所大法廷判決によつて「(前回)選挙当時、選挙区間における議員1人当たりの選挙人数の較差は、憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に至つていたもの」(最高裁判所昭和58年11月7日大法廷判決)とされたものであるところ、本件選挙時における右の較差が前回選挙時に比してさらに拡大していることは公知の事実であるから、前回選挙後における人口変動によつてこれが合憲に転じたとする根拠はなく、かつ、前記の法改正から本件選挙までの間に約8年半の歳月が経過しているのであるから、本件選挙当時すでに違憲と断定されるべきものといわなければならない。

[2]第二 憲法14条の規定する「法の下の平等」原則が、国会議員選挙における投票価値の平等をも要求するものであることは、すでに最高裁判所大法廷判決(昭和51年4月14日)以来、通説、判例のあまねく認めるところであり、また、選挙区間における議員1人当たりの選挙人数の較差は公選法立法当時昭和25年4月の段階では、いまだ最大限約1対1.51であつたことも公知の事実である。立法後、時間の経過とともに、各選挙区間の人口移動が生じその結果、右の較差は拡大の一途をたどり一例を挙げれば、本件選挙当時、兵庫県第5区と広島県第1区の較差は約1対3.3209にも達している。
「法律制定・課税の権限を有する機関における平等の代表は、自由な政府の基本的な前提であり、偏見のない、公正な、正しい人間は、何人といえども、同様の状態にある他のすべての人々にみとめられている以上に大きな投票の権利の分け前を要求する権利をもたない。もしも立法機関が、何らか差別なく、全人民の精神、目的、意思を公正に代表していないとしたら、人びとが弊害の改革や立法における正義の結果を望んだとしても、無益のことである。」(井手嘉憲―アメリカにおける投票の権利と平等の代表)。
[3] 我が国の憲法が、国民主権のもと、「代表制と選挙制度」を採用し、国民もこれらの制度に信頼して我が国の民主主義政治が支えられているとすれば、その信頼こそ国政の根幹であり、かつ、その信頼を基礎づけるものは、「国政に対してわれわれに与えられた権利は平等である」との観念に他ならない。我が国の選挙制度が歩んできた道も、とりもなおさず、右の観念を実現させるためのたゆまない努力の歴史と言い替えることができよう。
[4] もちろん、原告らは、国会議員の定数配分は平等原則を唯一絶対の基準とし、国会はこれのみに拘束され、他の要素はことごとく捨象されるべきものと主張するものではない。立法政策上、あるいは立法技術上の拘束の存在もこれを否定しない。しかし、先に述べたように、選挙における平等原則の実現は憲法上の権利として保障され、また、この平等原則こそが国民の国政に対する信頼を支えるための必要不可欠の条件であり、この原則が他の要素に対し最も優先されねばならないことも、動かせない事実なのである。そして、いま、この憲法上の権利に激しい較差が存在し、我々の権利はけつして平等ではなく、結果として、国会を構成する国会議員が我々を公平に代表するものではないという状態が長期にわたり持続されるとすれば、前記の国民の平等観念は満足されず、ひいては、国民の国政に対する信頼も、また、これを維持することが困難となろう。平等原則こそは、憲法上の要請であるとともに、代表民主制を採る政治体制の当然の帰結でもあるからである。
[5] 議員定数の均衡の要請とそのギヤツプの解決。現在の国家がかこつこの病巣こそは、立法府の自ら背負う課題であり、これはまた、つとに、第一院たる衆議院において解決されるべき問題でもあつた。しかるに、かれらは為すべくして為さず、議員、政党は自らの利害得失にとらわれ、問題が膨らむままに放置するうちに、確実にこの人権侵害は進行し、ついに、司法の手によつてしかこれを解決できないところまできてしまつたのである。
[6] 立法府を構成する政党政治家はなんの面目をもつて国民にまみえんとするのであろうか。
[1] 被告は、いわゆる投票価値の平等について、我が憲法は必ずしもこれを要求するものではないと主張する。しかしながら、投票価値の平等について、従来の判例上これは明確に認められており、また、学説上も異論がないといえる。最高裁判所昭和58年11月7日大法廷判決では、理由二、1において「憲法14条1項の規定は、選挙権の内容の平等、換言すれば、議員の選出における各選挙人の投票の有する影響力の平等、すなわち投票価値の平等をも要求するものと解すべきである。」と条文を示して述べている。
[2] 原告らはこの議論を再度検証する意思はないが、被告の主張に対して幾つかの疑問を抱くのでこれに言及したいと思う。

[3] 被告の論拠の第一は、投票価値の平等を求める明文規定がないという点である。
[4] この、被告のアプローチの仕方には疑問を禁じえない。すなわち、被告はこの点に関しては、既定の条項を対象としたいわゆる文理解釈的なアプローチにより問題に迫ろうとしている。はたしてそれで真に問題の本質に達しえようか。そこでは、我が憲法のとる政治制度については何等語られていない。高度に政治的な規定により構成される最高規範としての憲法は、特に法と政治の交錯する問題に関しては、その憲法のとる政治制度を絶えずその視野のなかに置きつつ理解しなければならないとおもわれるのだがどうであろうか。
[5] 我が憲法が代議制民主国家の統治原理を採用していることは論を待たないところであるが、これはまた、原則としてあらゆる決定に関し多数決主義が採られることを示している。この多数決主義に立脚する代議制観(ただし、原告らは憲法解釈において集団利益代表論的な視点を全く無視するものではない。)は我が憲法の解釈論においては常に前提として、あるいは、結論に至るガイド・ラインとして不可欠のものといえる。そうであれば、多数決主義を支える投票価値の平等原則、それに共通する人口比例原則は、我が憲法が代議制民主国家観に基づいて制定されたものである以上、厳格に貫かれるべきものなのである。そして、たとえ、この原則を直接に求める明文の規定がない場合であつても、むしろ、これを明確に排除する明文がないかぎりはこの原則が妥当するといわざるをえないのである。
[6] 被告の論理は、三権を拘束する憲法の政治制度を顧みないものとはなつていないだろうか。

[7] 被告は次に、現実問題としては投票価値の1対1は実現しないものであるから、そういつた不可能事を憲法が要求するとは思えないという。
[8] ここで、憲法の示す政治的指向性あるいは指針的要素については議論しない。しかし、端的に、可能か否かの議論でこの問題の回答とすること自体こそ、むしろ不可能事というべきではあるまいか。

[9] また、被告は二院制の制度目的から演えきして、人口比例原則を他の非人口比例的基準と同列のものとして扱うべきとの結論に至るかのごとくである。衆議院と参議院に各々異なる存在意義を求めるのは理解できるが、はたして、それが人口比例原則を優先原則として採らないという論拠になりうるのだろうか。また、議員の選出方法のみの変化がその院の存在意義なり特性なりを決定づける方法なのであろうか。
[10] むしろ、人口比例原則は代表民主制の選挙制度が存するかぎりは貫徹されなければならない原則であり、これは衆議院でも参議院でも妥当するものだと考える。結局二院制の存在意義は、人口比例原則が等しく両院に適用された場合にも失われるものではないのである。各院の存在意義なり特性なりは、そもそもその院を置く目的の宣言的な意味や選出方法の変化とともに、選出する国民の意識の中からも決定されてゆくものではあるまいか。

[11] さらに被告は各選挙区の地域的特殊性を挙げて人口比例原則に対比させる。
[12] ここでの被告の論調は、原告の主張が人口比例原則以外の基準は採らないとの立場であることを前提としているかのようにみえる。しかし、それは誤りである。確かに地域的特殊性の問題は無視できないものがある。原告らとしても人口比例原則を採りつつも、定数配分のためのこの種の基準を勘案することは些かも否定しないのである。
[13] 議論はここにいたつて、既に、投票価値の平等の問題からどの程度の較差なら許容の範囲かという問題にまで広がつて行くようである。
[14] さて、被告は多数決原理による多数者の横暴をいうが、原告はここでは、むしろ、その主張の過度になされるがゆえの人口比例原則の没却を恐れる。
[15] 過去、現実に、アメリカ合衆国で、この議論のうえに著しい投票価値の較差が生じていたのは周知のところである。「都市利益の過少代表 対 農村利益の過大代表」といわれた現象がおき、これが結局1960年代から1970年代にかけての「平等革命」といわれるほどの訴訟ラツシユを呼び、最終的には裁判所の違憲判決を受けて議員定数の再配分が行われるようになつたのである。そして、現在でもアメリカ合衆国では国勢調査毎に選挙に際して厳格に議員定数の再配分が行われているのである。(1982年の連邦下院議員の選挙では、いわゆる「スノー・ベルト」から「サン・ベルト」への人口移動の結果、17議席が東北、中西部から西部、南部の各州に移つている。)
[16] 地域的特殊性の議論はそれなりに説得性を有し、また、現在の議員の既得権の維持とも絡まり易いために一概に論じにくい面を有するが、結果として、過少代表のグループは過大代表のグループの犠牲において、より少ない負担で、より多くの受益にあずかることとなるのであり、この議論がエスカレートすることの危ぐは否定できないのである。

[17] 最後に、被告は諸外国の例を挙げて、投票価値の較差が認容されている現象を示す。しかし、この点においても原告らは納得しがたい。
[18] アメリカ合衆国の例を無批判に導入することは誤りという。反対に、代表民主制の先進国であるフランス、イギリスの例を挙げて各国の投票価値の較差の存在を示唆する。
[19] しかし、これらは、むしろ、各国の実情を抜きにしては議論できないことではないか。たとえば、イギリスはイングランド、スコツトランド、ウエールズなどの各王国が連合して形成される国家であり、各王国間の言語、人種の差が顕著であり、各民族の対抗性も強い。しかし、この連合国家を維持するためには、各王国はそれぞれ平等に扱われねばならない。結果的に投票価値に較差が生じたとせよ、そこには、国家そのものの政治的均衡を保ちこれを維持するための止むにやまれぬ事情があるのである。フランスにおいても、地方によつて政治的、民族的独立意識は強く、これも到底我が国と同列に論じられるものではない。
[20] ひるがえつて、我が国は単一民族、単一言語の国であり国内のマイノリテイー保護の要請は他国に比べて強いとはいえないのである。
[21] 原告らは、人口比例原則に非人口的基準を考慮にいれても、投票価値の最大較差は1対2を超えないものと考える。
[22] これは、学説のなかでも有力説であり、また、東京高等裁判所昭和55年12月23日判決の採る基準でもある。
[23] この論拠については詳論は省くが、右判決中の叙述をひいてこれに代えたい。
「定数配分に際しこの人口比例主義を最大限に尊重すべきことは、選出すべき議員数が同数である他の区(過疎区)に比し、人口もしくは有権者数が2倍の選挙区(過密区)の選挙人の1票の投票価値は右過疎区の選挙人の1票の投票価値の2分の1に過ぎず、このことは右過密区の選挙人1票に対し右過疎区の選挙人には2票が与えられていることと同時視できるという不合理を生ずることに照らしても明らかであり、単にその属する選挙区如何により、異なる選挙区の選挙人間に、右述のような投票価値の差が生ずることは平等原則に反するものであつて、到底、容認できない。」
[24]第三 さて、国会議員の定数配分にかかる違憲訴訟は、様ざまな議論を克服して、現在では、投票価値の較差がどの程度に達すれば違憲といえるかの問題に収れんしつつある。
[25] 昭和51年の最高裁判所大法廷判決以来、各判決は、人口比率の偏差が非人口要素について国会が合理的裁量の限界を逸脱したと考えられる程度に達しているか否か、という極めて抽象的な基準によつて違憲判断を下されてきており、その具体的数値は実質的には当該裁判所の判断に委ねられた形となつている。憲法に基づく統治、憲法による支配を実現するために、司法府自ら憲法原則は政治の場にも適用されるものであることを、明確なかたちで宣言されたいのである。
[1] 投票価値の較差の基準については、現在までの最高裁判決は原告らと同じものを採つており、被告主張の基準を採用したものは見当たらない。
[2] その違憲となる限界については、明確な基準はうちだされていないものの、少なくとも昭和58年11月7日最高裁判決では1対3.95の較差を違憲としている。そして、今回の総選挙では、最大較差は議員1人当たりの当日有権者数で、千葉県4区の36万0890人に対して兵庫県5区の8万1860人であり、その比率は4対1となる。

[3] 結局、最高裁の基準にかんがみれば、今回の総選挙当時定数配分は違憲状態にあつたといわざるを得ないのである。
[4] 合理的期間論は、最高裁昭和51年判決以来のものであるが、この理論は、つまるところ、当該選挙を無効にすることによつて生じる諸々の混乱を回避するために採用されたものといわれる。いわゆる三権の分立の視点からする「司法による消極的立法」のなされざるための苦慮の末の理論と思われる。
[5] また、被告指摘のとおり、昭和58年11月7日の最高裁判決もこの合理的期間論によつて選挙無効を回避している。
[6] しかし、この理論は前述のように裁判所としてやむを得ず採るに至つたものである限り、立法においてこの理論によつて自己の怠慢を弁解するものとはなりえないはずである。

[7] 仮に、昭和58年判決のいうように、昭和50年の定数改正で一応の違憲状態を解消したと仮定するにせよ(もちろん、原告らは、1対2.92の較差は違憲状態と考えるが。)、それ以後漸次的な較差拡大に対し8年間というもの国会は何等の定数の手直しをせずに今日にいたつているのである。その間、本件と同種訴訟によつて、我が裁判所は幾度となく、違憲判断を示し、立法に早急な較差是正を警告しつづけてきた。
[8] 国民は一体何年の「合理的期間」を待たねばならないのであろうか。いや、この8年間の月日をもつて、未だ合理的期間は経過していない、となにびとがいいえようか。
[9] 昭和58年判決の団藤裁判官の反対意見は、
「いわゆる事情判決の考えかたに従つた処理がこのような性格のものである以上、もし将来において、選挙を無効とすることによつて生じるであろう憲法上の不都合よりも、選挙権の平等の侵害という憲法上の不都合の方が上回るような事態が生じるに至つたときは、もはや選挙の違法を宣言するにとどめることなく、選挙無効の判決をしなければならなくなるのは、当然の理であろう。」
と述べておられる。
[10] この違憲状態の放置こそ、現にある代表民主主義国家を崩壊させてゆく見えざる敵であるということを立法府、いや、明確にいつて「民主主義を標ぼうする議会政治家」各自は自ら悟るべきであろう。
[11] 一方、司法も、この緊急な人権侵害の救助にむけて、新たに第一歩を踏み出すべき時期が来たと言いうるのではあるまいか。
[1]第一 被告は、本件選挙時の本件議員定数配分規定は憲法に違反するものではなく、したがつて、同規定に基づいて執行された本件選挙も有効なものと考える。そこで、先ず、以下において議員定数配分規定の制定、改正の経緯について概観することとする。

一 衆議院議員の選挙区及び定教の改正経緯について
[2] 憲法43条2項は「両議院の議員の定数は、法律でこれを定める。」とし、また同法47条は「選挙区、投票の方法、その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。」と各々規定し、議員の定数及び議員の選挙制度について法律事項としているところであるが、これを受けて、公選法は、従来個別に定められていた各選挙法を一つにまとめ、我が国の選挙制度の基本的、統一的な法律として制定され、選挙に関する法体系上の統合が図られたものである。
[3] そして、衆議院議員選挙の選挙区、議員の定数については、公選法13条1項、法別表第1及び4条1項でそれぞれ規定されている。衆議院議員の選挙区、議員の定数は、我が国の採用する中選挙区制(1選挙区の議員定数を3人ないし5人とするもの)に立脚して全国を117の選挙区とし、それぞれの選挙区ごとに定数を配分したものである。公選法制定前の衆議院議員選挙は、単独の選挙法であつた衆議院議員選挙法に基づいて執行されていたが、公選法も同じ選挙区制を採用することとなつたため、公選法別表第1は、この衆議院議員選挙法(昭和22年3月31日法律第43号改正)の別表がそのまま踏襲されることになつた(「公職選挙法の施行及びこれに伴う関係法令の整理等に関する法律(昭和25年4月法律第101号)」26条)。
[4] その後、昭和28年奄美群島の復帰に伴い奄美群島区として、特例法(昭和28年11月16日法律第267号)により公選法4条1項の規定にかかわらず臨時に、衆議院議員の総定数は467人とされた。また、昭和46年の沖縄復帰にあたり、沖縄県として1選挙区が設けられ、公選法4条1項の定数が、5名増の471人とされた。
[5] 公選法別表第1及び4条1項の議員の定数の改正経緯については、前記のとおりであるが、また、一方で同法附則の改正により、衆議院議員の選挙区、定数の改正が行われた。最初の改正は、昭和39年7月2日法律第132号により、次は、昭和50年7月15日法律第63号によりそれぞれ定数等の是正として行われた。
[6] 昭和39年の定数是正は、公選法制定以来の社会経済の変動により、人口に大幅な異動が生じ、各選挙区間の議員1人当たり人口にも較差ができたため、それらの均衡化を図るものであつた。政府の諮問機関である選挙制度審議会でもこの議員定数の是正について第2次答申がなされ、立法府としての国会は、公選法改正に関する調査特別委員会を設置し、衆議院議員選挙にかかる選挙区・定数の見直しについて審議した。その結果、改正の要旨として
(一) 是正の基準としては、議員1人当たり全国平均人口(昭和35年国勢調査人口による。)の上下約7万人の幅とし、上限と下限の開きは約2倍程度に抑えて選挙区別の定数是正を行いその結果、12選挙区において総数19名の増員を図るものであること。
(二) 奄美群島区に配当されている定数1名を合わせて、当分の間、暫定措置として総定数を486名とすること。
等があげられた。さらに、選挙区制における3人ないし5人区とする中選挙区制の原則に基づき、6人を超えることとなる5選挙区は、それぞれ分割されることとなつた。選挙区の分割に当たつては
(一) 分割により設定される関係選挙区の国勢調査人口及び将来人口が、それぞれなるべく均衡のとれたものとすること。
(二) 行政区域を分割しないこと。
(三) 分割後の選挙区の地域が、それぞれ地域、交通、産業、行政的沿革等の諸般の事情を考慮して合理的なものとなるようにすること。
(四) 分割後の選挙区の地域が、それぞれ一つの拠点を中心として地域的なまとまりを示すこととなる等社会的、経済的観点からも地域的一体性を保持することとなるよう配慮すること。
等の4つの基本原則に基づいて作成され、具体的区割りについては、更に地域の特殊性が充分勘案された。このような諸般の事情を総合して是正案はまとめられ、法律改正が行われた。この改正により、議員の総定数が486人となり(本法附則2項)、選挙区は5区の増となつた。
[7] なお、その後の沖縄復帰に伴い昭和46年法律第130号により沖縄県として1選挙区が設けられ、公選法4条1項の定数が、5名増の471人となつた。
[8] 昭和50年定数是正は、前の改正の基礎資料とされた昭和35年国勢調査以降における急激な人口移動に伴う選挙区間の不均衡を改めようとするものであつたが、この不均衡を是正するに際し国会は、その是正の基準として
(一) 総定数を20人増員し、選挙区別定数の不均衡を是正する。
(二) 選挙区別定数の減員は行わない。
(三) 6人区以上となる区は分割する。
(四) 区割りについては、人口比、自然的条件を勘案し、従来の行政区を尊重する。
を定め、改正案がまとめられた。この是正の概要は、当分の間の措置として総定数を11の選挙区において20人増員し、このうち6人区以上となる6選挙区については分割することとするものであつた。この結果、議員総定数は511人(改正前491人)となり、選挙区数は130区(改正前124区)となつた。

二 広島県第1選挙区の沿革について
[9] 我が国最初の衆議院議員選挙法は、明治22年2月11日法律第3号をもつて公布された。これによると選挙区は、小選挙区制が採用されており、本県は9選挙区に分けられるとともに、広島区及び安芸郡を区域とする選挙区にのみ定数2人が配当され、他の8選挙区には定数1人がそれぞれ配当された。
[10] 明治33年の同法改正によつて、選挙区は大選挙区制が採用されたため、県内は大きく2つの選挙区に分けられ、広島市を1つの選挙区として定数1人が配当されるとともに、尾道市と郡部を1つの選挙区として定数10人が配当された。明治35年には尾道市も独立した選挙区とされ、定数1人とされたため、県内の総定数は12人となつた。
[11] さらに、大正8年には、再び小選挙区制に改められ、原則として1人1区とされたため、県内でも4市が独立した選挙区としてそれぞれ定数1人が配当されるとともに、郡部も1郡または2ないし3郡をもつて9の選挙区が設けられた。これらの選挙区のうち安佐郡、山県郡及び高田郡を区域とする選挙区のみ定数2人とされ、他の8選挙区にはそれぞれ定数1人が配当された。県内の総定数は14人であつた。
[12] 大正14年には、同法の画期的な改正が行われ、現在の衆議院議員選挙の選挙区の基本となつている「中選挙区制」が初めて採用された。つまり定数5人以上の配当を受ける道府県については、これを数選挙区に分け、1選挙区の定数を3人から5人までとし、従前の市の独立選挙区制を廃止し、3人区……53区、4人区……38区、5人区……31区の合計122選挙区が設けられた。このときの改正によつて本県でも現在の選挙区とほぼ同様の区域でもつて3選挙区に分けられ、それぞれの定数は、第1区4人、第2区4人、第3区5人とされた。
[13] 昭和20年の改正で、再び大選挙区制が採用されたため全県1区となり、県内の定数は12人に減少したが、昭和22年の改正で再度「中選挙区制」が採用され、県内は3選挙区に分けられ、その定数は第1区3人、第2区4人、第3区5人とされた。この選挙区及び定数が、そのまま公選法に引き継がれ今日に至つている。
[14] 以上のように、本県における衆議院議員選挙の選挙区及び定数は変遷しているが、中選挙区制は大正14年以来戦後の一時期を除けば現在に至るまで継続し、定着をみている。
[15] また、この定数配分は単なる人口的要素のみならず、従来の議員定数の沿革や立候補者数の多寡、選挙区の大小、選挙区を構成する行政区画の歴史的沿革、住民構成、交通事情、産業、経済、自然等の地理的条件等諸般の要素を考慮されているものである。
[16] 本県においては市町村の境界変更等の事情による若干の拡大縮小はあつても、3選挙区の区域は変更することなく、行政区画にも比すべき「選挙区画」とでもいうべき確固たる地域的様相を呈しており、議員定数配分とともに、その歴史的沿革、現在的意義は決して無視できるものではない。
[17]一1 国民主権原理に立脚する現代民主主義国家は、我が国を含めその殆どが代表民主主義体制を採用しており、そこにおいては国民の代表者を選出する選挙制度を如何なるものとするかは常に重要かつ高度な政治的課題となるところである。しかして、人類は幾多の試行錯誤と経験を経てより良き選挙制度の実現のため選挙に関する様々な諸原則を確立するに至つたわけである。その内容として挙示されるところは、論者により若干の相違はあるが、通常は普通選挙制、平等選挙制、直接選挙制、秘密投票制、自由投票制等が挙げられているところである。
[18] ところで、右選挙制に関する諸原則のうち、平等選挙制の原則とは本来、所得、納税額、教育、門地、社会的身分等により選挙人の投票の価値に差別を設けてはならないとするものであるが、これは本来的には投票の計算価値の平等を意味していたものであり、いわゆる複数選挙制等がこれに牴触するものとして排斥されてきたところであるものの、更に投票の結果価値の平等、すなわち投票の選挙の結果に及ぼす影響力の平等まで意味するものとはされていなかつたといわれているところである(殊にドイツにおいては、「議会の選挙法」の著者K・ブラウニアスのように「投票に結果価値のような一定の力ないし価値を認めることは、平等原則の詭弁的な誇張である。」とする類いの批判が強かつたとされている。)。
[19] しかして、我が憲法及び公選法が前記の選挙制に関する諸原則を採用し、殊に平等選挙制の原則に関しては投票の計算価値の平等を期していることは明らかである(憲法14条1項、44条、公選法36条)。しかし、更に結果価値の平等、殊に異なる選挙区間におけるそれをも我が憲法が法的な要求(すなわち、それに牴触する選挙制度ないし選挙を法律上無効とする意味での)として規定しているものであるか否かについては従来から激しい議論の行われてきたところである。
[20] そしてこの問題に関しては、最高裁判所が、昭和47年12月10日に執行された衆議院議員選挙に関して昭和51年4月14日大法廷判決において、要旨
「憲法は国会両議院の議員の選挙における選挙権の内容、すなわち各選挙人の投票価値が平等であることを要求するものであり、右各選挙につき国会が定めた具体的な選挙制度において、国会が正当に考慮することができる重要な政策的目的ないし理由に基づく結果として合理的に是認することができない投票価値の不平等が存するときは、憲法違反となる。」
という趣旨の判断を示し、その後も昭和52年7月10日に執行された参議院議員選挙に関して昭和58年4月27日大法廷判決において、さらに昭和55年6月22日に執行された衆議院議員選挙に関して昭和58年11月7日大法廷判決において同趣旨の判示を繰り返すに至つている。
[21] これら最高裁判例の趣旨は、要するに、憲法は原則としては国会両院議員の選挙制度に関して異なる選挙区間においても投票の計算価値はもちろん、結果価値の平等をも要求するものであるが、国会の合理的な政治裁量に基づく若干の不平等は許容される。しかし、右不平等に合理的に是認できる理由がないときは憲法違反となるというものと解される。
[22] しかしながら、我が憲法は果たしてこのような投票の結果価値の平等、しかも異なる選挙区間におけるそれをも法的な要求として宣明しているものと解釈すべきなのであろうか。この問題はあるいは右のような最高裁判決の集積により既に判例として解決済みであると考える向きもあるかも知れない。しかし被告としてはなおこれを積極的に解することには疑問を抱かざるをえないのであり、今一度検討してみたいと思うものである。

[23]二1 まず第一に、憲法は右のような異なる選挙区間における投票の結果価値の平等(以下、これを単に投票価値の平等という。)を要求する規定をどこにも置いていないのである。この点は、選挙法規の定数配分原則までが憲法典の中に入れられている米国(連邦憲法1条2節3項、修正14条2節)、イタリア(共和国憲法56条)、戦前のドイツ(ワイマール憲法22条)等と異なるところである。そして、この問題といえども結局は、法解釈の問題である以上、憲法の真意を審究するうえで明文の体裁を無視することは許されない。
[24] そして、憲法は一方で前記のとおりその43条2項、47条の各規定を措いて、議員の定数及び選挙制度については法律事項としており、かつ、その立法内容を控制する趣旨の規定は何等措いていないのである。こうしてみると結局、憲法は議員定数及び選挙制度の法定については主権者の代表たる国会の自主的且つ高度な政治的裁量に委ねることとし、かつ、その裁量権の範囲も極めて広汎なものを容認しているものと解するのが素直であろう。すなわち、国民代表たる国会議員の選挙制度というも、それを全国一律に人口比例原則のみに則つたものとするか、或る程度それを無視して地域代表或いは職能代表的な議員の選出が可能なものとするか等々の種々多様な検討の余地があるのであり、憲法はそれらを総合考慮して国会がその政治的責任において妥当な選挙制度を法定することに委せているものと解するべきなのである。実際、異なる選挙区間の投票価値の平等をも憲法が要求しようとするのなら、諸外国の憲法実例にもあるとおり、選挙制度は比例代表制であるべきものとする等その趣旨の規定を定めておけばそれでよいのであり、そうした規定がないところに憲法の真意を汲み取るべきものである。
[25] それに、憲法生活上異なる選挙区間における投票価値の不平等は不可避といわなければならないのである。それは時々の人口動態把握自体が困難であり、一方法改正にも相当の期日が必要であることや、又爾後の選挙時における選挙人数の変化の可能性等を考慮してみるだけでも判るところである。
[26] 一方、憲法が異なる選挙区間の投票価値の平等をも要求しているものと解する限りは、結局、憲法は各選挙区間の議員1人当たりの選挙人数比が1対1であることを要求しているものというほかないであろう。これが1対3であれ、1対2であれ、1対1.5であれ投票価値に較差があり、不平等であることには変りはない。すなわち、平等取扱いという限りは1対1以外の数値は、いずれも理論的根拠があるわけではなく、論者の中には、立法技術上の制約、端数の切り上げ処理の必要性等を挙げて1対2あるいは1対1.5等々の較差は許される等と主張するものもいるが、しかし、1人1票の原則からいえば、何故例えば1人1.5票の実質を持つことが許容されるのか、おそらくその説明は不可能であろう。
[27] 現実問題として、投票の計算価値の平等は実現できるとしても、投票の結果価値の平等を達成することは不可能なのである。不可能事を憲法が原則的にも要求しているとは思われない。
[28] なお、この点については前記最高裁昭和58年4月27日大法廷判決における藤崎万里裁判官の次の意見に注目すべきである。
「憲法14条1項前段にはすべての国民が法の下に平等である旨の原則がうたわれているが、同条にもその他の憲法の条章にも、国会両議員の議員定数を選挙区別の選挙人の数に比例して配分すべきことを積極的に命ずる規定は存在しない。このような憲法の規定ぶりからすれば、私は、右のような議員定数の配分の仕方をすることは、法の下における平等という憲法の原則からいつて望ましいことであるが、それは望ましいというにとどまると解すべきものと考える。このようにあることが憲法の原則上望ましいということは、それが政治の努力目標とされるべきことを意味し、法の下における平等というような憲法の原則規定にあつては、このような綱領的側面のもつ意義を軽視してはならないと思う。しかしながら、他面、これを法律的な観点からみると、単にそうすることが望ましいというだけのことであれば、たとえそれが憲法の基本原則に由来することであつても、そこから違憲の問題を生ずることはないものといわなければならない。最高裁昭和38年(オ)第422号同39年2月5日大法廷判決は、その前段においては、憲法には議員定数を選挙区別の選挙人の数に比例して配分すべきことを積極的に命ずる規定は存在しないこと、右のような配分の仕方をすることが憲法の平等原則からいつて望ましいこと等、前述したところと同趣旨のことを述べているが、判示後段に至り、議員定数と人口との不均衡が当該事案における程度ではなお立法政策の当否の問題にとどまると述べ、不均衡がある程度以上になると違憲の問題を生ずるとするものであるかのような説示の仕方をしている。斎藤朔郎裁判官はその意見の中でこの点に疑念を表明しておられるが、私もこれに同感である。」
[29]三1 さらに次に、ここで憲法自身が異なる選挙区間の投票価値の平等を要求し、換言すれば人口比例原則に則つて選挙制度を法定することを求めているのではないことについて、国会の二院制の点から検討を加えてみよう。
[30] すなわち、憲法は衆議院と参議院の二院制を採用しているが(同法42条)、これについては通常、現代の複雑かつ深刻な政治的、経済的、世界観的対立を包蔵する国家社会において、より広汎な各層の国民の要望、意見を国政に反映させ、各種審議の慎重多角化を図るとともに、「数」の政治対「理」の政治、「幅」の政治対「深さ」の政治等といわれる如く、衆・参各議院に各々独自の役割を課し、また期待しているものとされ、そこに二院制の存在意義があるといわれているところである。
[31] そしてこうした制度目的が十分達成されるためには一院が他の一院のカーボン・コピーに堕することがあつてはならず、そのためには各院はそれぞれ異なる角度から選出された代表によつて構成されるべく、またそれぞれの選挙制度も差異があつてしかるべきものということになろう。例えば一院が人口比例原則に準拠して選挙区や議員定数を画定し、そうした選挙制度によつて選出された議員で構成されるものとした場合、他の一院も同様に人口比例原則に準拠して選挙制度を定めたとすれば、たとえ選挙区の画定などで両者に差異を設けるとしても、所詮後者は前者の二番煎じにすぎなくなり、独立の存在意義を失うであろう。そこで、他の一院については選出方法を異ならせて、特別の職能的知識経験を有する者の選出が容易となるよう工夫して、或る程度の職能代表的な色彩を持たせたり、あるいは、都道府県毎に人口の多少にかかわらず一定の議員を選出するものとし、歴史的にも政治的、経済的、社会的にも独自の意義と実体を有し一つの政治的まとまりのある各都道府県とこれを構成する地方住民の意思を直截に国政に反映させることを期するなど、様々なバリエイシヨンの選出方法が考えられるであろう。
[32] 国会は、国民代表の範ちゆうの中で、衆・参各議院に如何なる代表的性格を持たせるかを決定するわけであるが、各院の代表的性格を異ならせ、各々に独自の存在意義を持たせるためには右にみたとおり各々に異なつた原理の下での選出方法を採用せざるをえない。そこでは人口比例原則もそうした考慮さるべき原理の一であるにすぎないのである。
[33] すなわち、憲法は二院制を採用し、各々に異なる代表的機能と役割を課しているものと解されるわけであるが、そのこと自体から憲法は国民代表の選出方法・原理として多様なものを予定し、期待しているものと解すべきなのである。
[34] 我々はここで、憲法がその代表制の概念について何等固定的な断案を下していないこと、殊にそれについて、いわゆる「平等数の国民に対する平等数の代表」という考え方を表明しているわけでもなく、固執しているわけでもないことを知るべきであろう。

[35]四1 また、我が憲法のよつて立つ大原則たる民主主義制度、これは結局は多数者の支配たるを免れえないものである。そして、それ故にこそ「多数の横暴」から政治的少数者、弱者保護が考えられなければならないのである。
[36] たとえば、今日、多数の選挙人が居住する密集地域は、いうまでもなく都市部であり、これは都会への異常な人口集中化によつてもたらされたものであるが、都市が既にそれ自体で大きな政治的、経済的影響力を行使し得るものであることは明らかなところ、さらに人口比例原則のみに従つて多数の選挙人の居住する都市部に多数の国会議員を配分し、少数の選挙人しか居住しない農、山、漁村部即ち過疎地域に少数の国会議員しか配分しないとすれば、いきおい都市地域住民は過疎地域住民の犠牲のもとで、より多くの政治的、経済的、文化的諸利益を享受しうることとなるのであつて、結局このような形式的平等はかえつて実質的不平等をもたらす結果となることは、見易い道理であろう。
[37] こうした弊害を除去するためには、単に人口的要素のみにとらわることなく非人口的要素をも充分に勘案し、過疎地域住民にもより多くの政治的要求を実現しうる可能性を賦与するべく国会議員数の配分にも考慮することが要請されるものといわなければならない。けだし、国会議員は全国民の代表者というものの、その選出母体たる選挙区から遊離した政治的活動を求めることは無理であり、また、当該選挙区の事情をよく知るものとしてその選挙区のニーズを国家に訴える役割を果たすことは国政上も意義のあることであり、このような地域代表的性格をも兼有することは当然のことといえる。こうした地域代表たる国会議員が当該過疎地域に存在していれば、当該地域の国政に対する政策的要求の主張・実現の可能性が強くなる訳である。
[38] 少数者保護、政治的、経済的弱者の擁護は民主主義を健全に育成発展させるための必須の要件というべきものである。そのためには前記のとおり国会議員の定数配分の場面においても単に人口比例原則にのみ依りえない場合が出てくるが、これを憲法が原則的に否定しているものとは到底考えられない。
[39] なお、往々にして、過疎地域と過密地域の各選挙区の議員1人当たりの人口を単純に比較して、過疎地域住民が過密地域住民よりも少ない票数で1議員を選出することが可能な計算になるところから、結果的に過疎地域住民には過密地域住民よりも多数の投票権を賦与していることになるとし、これを現代版の複数投票制度であるとして批難する傾向がある。しかしながら、かつて平等選挙制の原則に反するものとし、批判された複数投票制とは、政治的、経済的、社会的に優越的な地位にあり、既に強力な影響力を国内各方面に有していた特権階級がその優越的地位をさらに補強し、政治的指導力を保持するために選挙における複数の投票権を確保しようとしたものであり、そこには確かに何等の民主主義的合理性もない。が、しかし、今日の政治的、経済的、社会的に優越的な地位にある都市部、過密地域に比し相対的に劣弱な立場にある農、山、漁村部過疎地域に対し選挙制度において前記のような考慮を払うことは今日の民主主義社会においてなお合理性を有しうると考えられる。我々は歴史的に否定されたかつての複数投票制とは右のような相違があることを看過すべきではあるまい。

[40] また、国会議員の選挙は、全国の様々な地域の選挙人が、その老若男女、教育程度の如何等を問わず短期間のうちに参加して行われるものである。したがつて、これらの各選挙人が短期間の選挙期間内に自己の選択を適切に決定し、かつ、誤りなく投票することが可能であるためには、一定程度の選挙制度の安定性と固定性が要請されるものといわなければならない。したがつて本来流動性の激しい人口的要素のみを重視してその変化に鋭敏に対応する形で頻繁に選挙区や議員定数を改変することは、選挙人の混乱と国政の著しい不安定をもたらすこととなるのである。
[41] さらに、代表民主制における選挙とはただ単に選挙人らの政治的意見を比例的に反映させた国民代表を創出することを目的としているのではなく、同時に又活動可能な国家機関としての議会を現出させることをも指向するものなのである。すなわち、若しも国民における複雑かつ錯綜した政治的意思が正確かつ克明に比例的に模写された国民代表が選ばれるべきものとすれば、結局国民代表は数多くの小集群への分裂を生起させ、活動能力のある議会を形成することができなくなり、国政の不安定と攪乱を招来せざるをえないであろう。
[42] 今日の日夜を分かたず激動する国際社会の中において我が国のような貿易立国が存立し続けるために、また、国内的にも緊急解決の必要性のある多種の政治的課題が山積し、一方で福祉国家観に象徴される如く国民の国家行政に対する諸種の期待が増大している中で、これら諸問題を滞留することなく迅速に解決処理するために国政の安定的、効率的遂行が強く求められていることは何人も疑わないであろう。高度の比例代表制が決して効率的で安定した国政を実現させるものでないことは既に人類の経験したところである。こうした点からも憲法が選挙制度に関して人口比例原則に則つた選挙制度を予定しているものとのみ解すべきではないことが判るのである。

[43]六1 ここで、本件の投票価値の平等の問題に関連する先進諸外国の法制・実情等を概観することも無益ではあるまい。
[44] 異なる選挙区間における投票価値の平等を憲法上の要請であるとして、議員定数と選挙人口の不均衡を違憲であるとする学説にはアメリカ合衆国の判例の影響を受けたところが多いと思われる。しかしアメリカは政治体制、選挙制度やそれに関連した訴訟制度、又立法府と裁判所との関係や歴史的背景事情等多くの点において我が国と相違するものであり、アメリカの判例上の平等原則を無批判に導入するのは誤りというべきである。
[45] 西ドイツはワイマール時代に比例代表制を憲法上明記したため、群小政党の乱立と政局の不安定を許し、ナチスの抬頭を招来したという苦い歴史的経験を踏まえ、法律レベルで許容される較差の限界を規定するとともに(連邦選挙法3条3項)、政局の安定を志向していわゆる5パーセント阻止条項(同法6条4項)を設けているところである。
[46] 次に代表民主制、立憲政治の母国といわれるイギリス、フランスについて検討してみよう。
[47] イギリスでは、1983年6月9日施行の下院議員総選挙で、議員1人当たりの有権者数は、最大選挙区において9万4226人であり、最小選挙区において2万2822人であり、最大較差は1対4.13となつている。
[48] フランスでは1981年6月14日、21日施行の国民議会議員総選挙で、全フランスの最大較差は実に1対49.00であり、国内県のみをとつても、1対7.22となつている。
[49] 代表民主制の先進国たる両国ともこのような状態であるのに、議員1人当たりの有権者数の不均衡が平等権の侵害であるとして争われた事例は寡聞にして聞知しないところなのである。ちなみに、イギリスは周知のとおり成文憲法を持たない国であるが、統治体制が我が国と類似していることは周知のところであり、フランスにおいてはその共和国憲法3条において平等選挙が明記され、また、同法25条、34条は議員の定数、選挙に関する事項等を法律で定める旨の規定をし、我が憲法の体裁と類似する点が多いところである。

[50] 以上要するに、異なる選挙区間における投票価値の平等を実現することは不可能なことであつて憲法がそれを要求しているものとは解されず、事実それを要請する規定は存しないのである。そして一方、憲法は選挙区及びそれへの国会議員の配分等々選挙制度の法定に当たつては様々な事柄を広汎に考慮することを容認しているのである。人口比例原則を殊更他に比して重視すべき原理としている形跡も窺えない。むしろ、国会の二院制を採用し、国会議員の選挙に関する事項の法定につき、国会に広汎な裁量権を与える等、人口比例原則に依らない選挙制度の制定の可能性を十分に許容する等しているのである。
[51] こうしてみると、異なる選挙区間における投票価値の平等が憲法上の法的な意味での要請であるとは到底解することはできず、そうである以上、異なる選挙区間の議員1人当たり選挙人数の較差があるとしても、その故に議員定数配分規定とか本件選挙とかにつき違憲無効云々の問題を生ずることはないものというべきなのである。
[1] 原告らは、いわゆる投票価値の較差を最過密地域選挙区と最過疎地域選挙区の比較でとらえ、それが最大1対2を超えるべきでない旨主張するごとくであるが、右は以下に述べる通り失当である。

[2] 憲法が、異なる選挙区間における投票の結果価値の平等(以下、これを「投票価値の平等」という。)をも要請しているものでないことについては、被告はさきに詳述したところであるが、仮にこれを肯定しても、その要請は、選挙人が投票価値において平均的な中庸を得た投票権を享有することを理想としているものと解すべきである。
[3] このことは、戦後、中選挙区制を初めて採用した衆議院議員選挙法改正(昭和22年法律43号)の際、総定数を466人とし、人口15万6897人につき議員1人とした事実からも窺われる。右の事実は、議員定数の配分を平均値(昭和21年4月26日の調査結果による全国の人口が7311万4136人であることを基準としての議員1人当たりの人口)によつたことを示すものである。
[4] そして、その後人口移動によつて、当初の人口数による定数配分の平均性が崩れ、一部選挙区について平均値からのかい離が生じた場合を考えるに、それはあくまで、出発点において設定された平均的な定数配分からのかい離なのであるから、後の時点で、一部選挙区に起こつた事態を平均値からの異常性としてとらえる場合の、最も自然な基準は、まだ平均性の失われていない選挙区でなければならないものである。
[5] 右は、投票価値の平等を考える基準として、平均性の失われていない当初の選挙区を想定したのであるが、我が国における大多数の選挙区が平均的に人口増加を続けているという現状を踏まえるならば、憲法の要請している選挙権の平等とは、平均的で中庸を得た大多数の選挙区からみて、明らかに過多ないし過少の異常性を生じた一部の選挙区の是正の問題であると考えれば十分である。このことは、定数配分において、過多選挙区は過少選挙区にまで是正されるのではなく、平均値にまで是正されれば十分であり、過少選挙区の定数配分も平均値にまで是正されれば十分であることからも首肯しうるであろう。
[6] このように、定数較差の基準については平均値を採るべきものであるから、特定の選挙区の議員定数の定めが投票価値の平等に違反しているかどうかを判断するに当たつては、原告らのように過疎地域の一部選挙区と過密地域の一部選挙区を比較すること、すなわち各選挙区間の人口数に対する配分議員数の割合が大きいもののみと小さいもののみを基準として違憲性の有無を決すべきではなく、全国の人口を全国議員定数で除した全国平均議員1人当たり人口(平均値)を基準として決すべきものであるといわなければならない。

[7] ところで、本件選挙時の最大過密区は千葉県第4区であり、右選挙区の全国平均値からの比率は2.19(以下、すべて概数である。)となつた(ちなみに、広島県第1区のそれは1.65であるにすぎない。乙第9号証参照。)。
[8] 問題は右程度の平均値からの較差が、一般的に合理性を有するものとは到底考えられない程度に異常で不合理な状態に達しているかであるが、既に詳述した国会の裁量権の範囲ならびにいわゆる非人口的要素等を考慮すると到底違憲の状態に達しているとはいえないのである。
[9] なお、前記東京高裁昭和53年9月11日判決(東京高裁昭和51年(行ケ)151号、以下「安藤判決」ともいう。)は、昭和51年12月5日執行の衆議院議員選挙の違憲無効訴訟の判示において、東京都第7区について、全国平均値からの偏差は昭和45年の国勢調査の結果によれば、160.722パーセントであるところ、右程度の投票価値の偏差は立法機関たる国会に委ねられた裁量権の行使の範囲内であり、合理的な差等に属するとし、さらに、昭和50年の国勢調査の結果をしんしやくすると、同区の全国平均値からの偏差は168.93688パーセントとなるが、この場合も合理的な差等を逸脱するものではないとした。
[10] また、右安藤判決は右同日に言渡した昭和51年(行ケ)149号事件においても、昭和50年の国勢調査の結果、平均値からの比率が最も甚だしくなつた千葉県第4区の選挙人からの訴えでの判決理由中で、
「千葉県第4区の議員1人当たりの人口数は411,835.33人であり、全国平均議員1人当たりの人口数は219,054人であり、その比率は188.0063パーセントとなる。右によると、千葉県第4区においては約1.88人の選挙人によつて全国の選挙人の平均1人分の選挙権を行使することができるのであつて、昭和45年の国勢調査の結果に比ぶれば、相当選挙権の内容の偏差は増大していることは認められるけれども、地域割りなど国会において通常考慮しうる諸般の要素をしんしやくすると、いまだもつて、一般的に合理性を失なつたものとは認められず、国会に委ねられた裁量権を逸脱したものとは断定しがたく、これをもつて違憲であるとはいえない。」
と述べており、参考になろう。
[11] 仮に投票価値の較差を最過疎地域選挙区と最過密地域選挙区の議員1人当たり人口あるいは選挙人数の比較で検討するとしても、その最大較差1対2を違憲性の判断基準とすることは明らかに不当である。

[12] すなわち、原告らはその論拠として特に東京高等裁判所昭和55年12月23日判決を引用するが、なるほど右判決は最大較差1対2を違憲性の判断基準としたものとされてはいる。しかしながら、右判決の上告審である最高裁判所昭和58年11月7日大法廷判決は、昭和50年公選法改正後の議員定数配分規定の下において、異なる選挙区間における議員1人当たりの人口較差が最大1対2.92に縮小することになつた結果、これをもつて従前の投票価値の不平等状態は一応解消されたものと評価しているのである。右大法廷判決が最大較差1対2をもつて違憲判断の基準としていないことは明らかであろう。
[13] このように、右大法廷判決は、明らかに最大較差1対2を超える場合を違憲とはしておらず、又、従来の最高裁判所及び下級裁判所(原告ら指摘の東京高裁判決を除く。)はいずれも右基準程度で違憲となるとは考えていない。また、東京地方裁判所昭和52年8月8日判決は、右1対2という基準のみに基づく判断を明確に否定しているところでもある。

[14] また、周知のとおりの我が国における激しい人口移動の実態からして、最大較差1対2を超える場合を違憲とするなら、頻繁に、衆議院議員配分規定を改正する必要が生じることになるが、前にも触れたように、選挙区割と議員定数の配分を頻繁に変更することは現実的ではなく、また、相当でもない(前記各大法廷判決参照)。しかも、厳格にいうならば、選挙直前に綿密な人口較差を調査し、かつ、較差1対2を超えていることが判明したときは右配分規定を改正しなければ選挙を執行できないこととなるが、衆議院の場合は解散がありうるので(憲法45条但書)、人口についての右のような事前調査とそれに基づく改正は不可能であるから、現実問題としても右基準は到底採りえないのである。
[15] なお、仮に異なる選挙区間の投票価値の較差を前記第二の一掲記の方法で検討するとしても、本件選挙当時のそれは、広汎な国会の裁量権や非人口的要素等を前提とした場合、未だ違憲の状態にあつたとはいえないものである。
[1] 被告は、仮に、異なる選挙区間における投票価値の平等もまた、憲法の要求するところであり、かつ、本件選挙時の選挙区間における議員1人当たりの選挙人数あるいは人口数の較差が憲法の選挙権の平等の要求に反する状態にあつたとしても、右状態は、昭和50年における議員定数配分規定の改正後(右改正時の議員定数配分規定の下における議員1人当たりの人口数の較差が憲法の選挙権の平等の要求に反しない状態にあつたことについて最高裁昭和58年11月7日大法廷判決参照)における人口の漸次的異動によつて生じたものであるところ、右議員定数配分規定について憲法上要求される合理的期間内に是正されなかつたとはいえないものであることを、以下のとおり主張する。

[2] いわゆる合理的期間論は最高裁昭和51年4月14日大法廷判決において初めて登場した理論である。すなわち、制定又は改正当時憲法に適合していた議員定数配分規定が、その後における漸次的な事情の変化により、その合憲性の要求を欠くに至つた場合に、いかなる時点で違憲となるに至つたものと断ずべきかについては、極めて慎重な考慮が払われなければならないのであつて、
「人口の異動は不断に生じ、したがつて選挙区における人口数と議員定数との比率も絶えず変動するのに対し、選挙区割と議員定数の配分を頻繁に変更することは、必ずしも実際的でなく、また、相当でないことを考えると、右事情によつて具体的な比率の偏差が選挙権の平等の要求に反する程度となつたとしても、これによつて直ちに当該議員定数配分規定を憲法違反とすべきものではなく、人口の変動の状態をも考慮して合理的期間内における是正が憲法上要求されていると考えられるのにそれが行われない場合に始めて憲法違反と断ぜられるべきものと解する」(51年大法廷判決)
理論であり、違憲判断に際しての時的基準を示したものとして正当と考えられる。

[3] しかしながら、この合理的期間論の具体的な要件は、前記判文自体に徴しても必ずしも明らかではない。この点に関して右58年大法廷判決は、昭和55年6月22日施行の衆議院議員総選挙当時、選挙区間における投票価値の較差は憲法の要求する選挙権の平等に反する状態にあつたと認定判断した上、議員定数配分規定が憲法の要求する合理的期間内に是正されたかどうかについて、昭和50年の改正により投票価値の不平等状態は解消されたが、その後の人口の異動により不平等状態に至つたもので、その時点は判然としないけれども、右選挙当時よりある程度以前に右状態に達していたものと推認せざるをえないと判示したのに続いて、
「以上の事実と次の諸点、すなわち、選挙区間における議員1人当たりの選挙人数又は人口の較差が憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に達したかどうかの判定は、前記のとおり、国会の裁量権の行使が合理性を有するかどうかという極めて困難な点にかかるものであるため、右の程度に達したとされる場合であつても、国会が速やかに適切な対応をすることは必ずしも期待し難いこと、人口の異動は絶えず生ずるものである上、人口の異動の結果、右較差が拡大する場合も縮小する場合もありうるのに対し、議員定数配分規定を頻繁に改正することは、政治における安定の要請から考えて、実際的でも相当でもないこと、本件選挙当時、選挙区間における議員1人当たりの選挙人数の較差の最大値が前記大法廷判決(51年大法廷判決)の事案におけるそれを下回つていること、などを総合して考察すると、本件において、選挙区間における議員1人当たりの選挙人数の較差が憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に達した時から本件選挙までの間に、その是正のための改正がされなかつたことにより、憲法上要求される合理的期間内における是正がされなかつたものと断定することは困難であるといわざるをえない。」
と述べている。
[4] 右判示によれば、右58年大法廷判決は、議員定数配分規定が憲法上要求される合理的期間内に是正されたといえるかどうかを判断するに当たつて、その前提となる不平等状態に至つた時点、すなわち、いつ、選挙区間における議員1人当たりの選挙人数あるいは人口数の較差が投票価値の平等に反する程度に達したかを明確に判定することは極めて困難であること(ちなみに、右大法廷判決は、前記投票価値の不平等状態が、前記選挙当時よりある程度以前に達していたと判示するに当たり、「事柄の性質上判然と確定することはできないけれども」として、右状態に達した時点を明確に判断することは現実には不可能であるとも取れる趣旨のことを述べている。また、宮崎悟一裁判官は、その補足意見において、違憲判断の基準を議員1人当たりの選挙人数ないし人口数の較差の具体的数値をもつて示すことは事柄の性質上できないとも述べており、その趣旨からしても、前記のような投票価値の不平等状態に達した時点を判定することは極めて困難というべきであろう。)、そして、前記のような不平等状態に達しているかどうかの判断は、国会の裁量権行使が合理性を有するか否かという極めて困難な事柄にかかるものであるところ、国会が速やかに適切な対応をすることは期待し難いこと、以上の2点を極めて重視していることが明らかである。このことは、同判決中に、「本件選挙当時、選挙区間における議員1人当たりの選挙人数の較差の最大値が前記大法廷判決の事案におけるそれを下回つていること、などを総合して考えると……。」として、右選挙当時の違憲判断の目安としては51年大法廷判決に示された選挙区間における議員1人当たりの選挙人数の最大較差約1対5しかなく、それを下回る較差の状態の下での国会の対応を期待することはより困難であるとの趣旨を述べていることからも明らかである。
[5] ところで、選挙区間における議員1人当たりの選挙人数あるいは人口数の較差が憲法の選挙権の平等の要求に反する状態に達したかどうかの判定が困難であるということは、立法府たる国会において右状態に達したことの認識をもつことが困難ということに帰着する。
[6] そして、立法の不作為によつて基本的人権が侵害されている場合に、国会がその侵害状態を除去するために具体的な立法義務を負うというためには、国会において基本的人権侵害の事実を現実に認識し、又は容易に認識しえた場合でなければならない。けだし、国会において右認識がないのにもかかわらず、右立法義務を認めようとするならば、国会に不可能を強いることになり不合理といわざるをえないからである。
[7] したがつて、いわゆる合理的期間論の要件の第一は、国会において、違憲状態に達したことを現実に認識し、又は容易に認識しえたかどうかである。(なお、この場合の認識とは、個々の国会議員による事実の認識ではなく、組織体たる立法機関としての国会の認識をいうのであるから、客観的、規範的に評価せざるをえないのであろう。)。
[8] 第二に、右58年大法廷判決によれば、昭和50年の改正による公職選挙法の公布時から昭和55年6月22日施行の衆議院議員総選挙までの約5年間、また同法施行日から右選挙までの約3年半の間のある時期において違憲状態が生じたとしても、その時期から右選挙までの期間そのものが短期間であり、その間の改正を期待しえないとして、いまだ合理的期間は経過していないとしたことが認められるから、改正時から選挙時までの期間の相当性も、いわゆる合理的期間論の重要な要件の一つといえる。そして、期間の相当性の判断に当たつては、期間の長短のみならず、選挙区における議員1人当たりの選挙人数あるいは人口数の較差の程度、議員定数配分規定を改正することによつて政治における安定の要請に及ぼす影響の有無及び国会における他の優先案件の処理の有無等を考慮しなければならない。

[9] そこで、以上の見地に立つて、本件について議員定数配分規定が憲法上要求される合理的期間内に是正されなかつたかどうかについて、検討する。
[10] まず、国会が昭和50年の議員定数配分規定について、どの時点において選挙区間における議員1人当たりの選挙人数あるいは人口数の較差が投票価値の平等に反する状態に至つていたと認識し、又は容易に認識しえたかであるが、投票価値の平等に反する状態かどうかの判断は本来国会で自律的に判断すべきものであるところ、その判断は前記のとおり判然と確定し難いものであり、したがつて、その判断時点を判定することも極めて困難であるから、右判定の資料としては、裁判所の判断が最も確実なものというべきである。
[11] そこで、右の点について検討するに、当時の裁判所の判断としては次のものがあつた。すなわち、昭和51年12月5日施行の選挙における1対3.5の較差の存在につき、東京高裁昭和53年9月13日判決(行裁例集29巻9号1621ページ)は、違憲としたが、東京高裁昭和53年9月11日判決(行裁例集29巻9号1596ページ)は、違憲といえないと判断し、また、国家賠償請求訴訟ではあるが、東京地裁昭和52年8月8日判決(判例時報859号3ページ)は、1対3.71の較差の存在をもつて違憲とはいえないと判断し、昭和54年10月7日施行の選挙につき、国家賠償請求訴訟ではあるが、札幌地裁昭和56年10月22日判決(判例時報1021号25ページ)は、1対3.16あるいは1対3.32の較差の存在をもつて客観的明白に違憲といえないと判断していた。さらに、昭和55年6月22日施行の選挙につき、東京高裁昭和55年12月23日判決(行裁例集31巻12号2619ページ)及び大阪高裁昭和57年2月17日判決(行裁例集33巻1・2号42ページ)は、1対3.94の較差の存在をもつて違憲としたが、58年大法延判決は、右較差をもつて憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に至つていたが、いわゆる合理的期間内に是正が行われなかつたとはいえないと判断していた。
[12] 次に、右のような裁判所の判断と国会の前記認識との関係について述べると、まず、昭和53年9月13日時点において、1対3.5の較差を違憲とする裁判所の判断が示されていたのでその時点で国会も前記認識を有したといえなくもないが、他方同一較差につき異なる裁判例も存在していたのであるから、その時点をもつて前記国会の認識を肯定することはできない。さらに、昭和55年12月23日の時点における右認識の有無であるが、同日言渡しに係る東京高裁判決は、「おおむね1対2を超える」議員定数配分規定を違憲とする判断基準を設定した上で違憲と判断したものであるところ、かかる判断方法はそれに先立つ51年大法廷判決のそれとは質的に異なる独自の見解であつて、到底採り得ないものである上、右高裁判決は、最高裁判決と異なり判例として事実上の拘束もなく、しかも同高裁判決に対しては直ちに上告がなされた経緯に照らすと、右判決によつて直ちに国会の前記認識を肯定することもできないというべきである。
[13] そうすると、結局国会としては、昭和58年11月7日に大法廷判決が下されて初めて51年大法廷判決の示した最大較差約1対5を下回る較差について、選挙権の平等に反する状態にあつたとの認識をもつことができたというべきである。これに対し、昭和57年2月17日の大阪高裁判決が下された時点で右の認識をすべきであつたとする立論もありえようが、同判決については直ちに上告がなされ、いまだ確定したものではなかつたこと等に照らすと、国会が右時点でいわゆる不平等状態を認識すべきであるというのは困難であつたといわざるをえない。
[14] しかも、選挙区間の較差に影響を及ぼすべき議員の定数、選挙区及び各選挙区において選挙すべき議員の数は、憲法の要請する代表民主制の下における選挙制度そのものが国民代表の的確な選任、政治的少数者の擁護、政局の安定を要請していることから、単なる数字の操作によつて解決することのできない高度の政治的・技術的要素を含む事項であり、議員定数配分規定の改正に当たつては各政党、議員の政治的配慮等から種々の是正案が提案されることは避け難く、各政党及び国会において多大の時間と労力を費して準備作業が進められ、法案審議が行われるのである。
[15] ちなみに、昭和39年法改正が成立するまでの経過をみる。
(a) 法律案提出まで
[16] 昭和36年6月16日、内閣総理大臣からの諮問を受けた第1次選挙制度審議会において第4委員会が設けられ、選挙区別定数に関し検討が重ねられたが、結論を出すに至らず、引き続き審議が続けられた。
[17] これを受けた第2次選挙制度審議会は、昭和38年5月から10月まで第2委員会において検討が重ねられた結果、ようやく結論を得、同月16日内閣総理大臣に答申された。
[18] これを受けた政府は、衆議院議員定数の是正を内容とする公職選挙法の一部を改正する法律案を同月19日第45回臨時国会に提出したが、その4日後の同月23日衆議院が解散されたため、法律案の内容審議に入らないまま廃案となつた。
[19] 続く第46回臨時国会においては、定数が2人又は6人以上となる選挙区の分合問題についての政府及び与党内の意見がまとまらなかつたために提案が遅れ、昭和39年3月24日ようやく国会に提案された。
(b) 両議院における審議
[20] 定数是正を内容とする改正法律案は、同月26日衆議院の公職選挙法改正に関する調査特別委員会に付託されたが、その後の審議においては、6人区となる東京第1区、第5区、愛知第1区、大阪第1区の4選挙区と8人選挙区となる東京第6区の各選挙区に関する分割方式が焦点となつた。特別委員会は、これら5選挙区の分割案を調査審議するため、4月22日に選挙区に関する小委員会を設置することとした。
[21] 審議は難航したが、同年6月19日の小委員会において自治省提出の分割試案を小委員会の分割案とすることに決定し、引き続いて開催された特別委員会において青木小委員長から審議経過と結論を報告した後、青木小委員長及び畑委員による共同修正案が提出された。修正案に対して民社党の山下委員から定数是正を本法の政正によらないで附則に規定したことや国会において分割修正したことについて強い反対意見が述べられたが、採決の結果、賛成多数で可決された。
[22] 衆議院において可決された法律案は、同年6月19日参議院に送付され、同日参議院の公職選挙法改正に関する特別委員会に正式に付託された。参議院においては既に同年3月26日に予備審査のために、特別委員会に付託され、年4月3日に衆議院と同趣旨の提案理由説明が行われていたが、その後具体的な審議には入らなかつた。国会の閉会日の前日である同年6月25日に特別委員会を開催し、衆議院の修正案に関する説明が行われた。
[23] 政府原案及び衆議院の修正案について中選挙区制の沿革、政府原案において6ないし8人区を分割しなかつた経緯、今後の国調人口異動に伴う不均衡是正問題、定数是正の法形式を附則改正によつた理由等について活発な質疑応答が交わされ、同月26日採決の結果賛成多数で修正案どおり可決された。
[24] 以上のとおり、議員定数配分規定が昭和39年法律第132号により改正されるまでには、正式に選挙制度審議会において検討が始められてからだけでも、優に3年余りの日時を要したものである。
[25] 次に、昭和50年法改正が成立するまでの国会における経過をみる。
(a) 法律案提出まで
[26] 昭和49年の第10回参議院議員通常選挙に引き続いて開かれた第73回臨時国会の最終日に当たる7月31日、衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員会において、公職選挙法改正調査小委員会が設置された。次いで、同年8月20日同特別委員会の理事会において、衆参両院の定数是正を含む小委員会の検討項目が決められ、同年9月25日第1回小委員会で各党から検討項目の総括的意見の発表が行われ、翌26日第2回小委員会から、第1の議題として取り上げられた衆議院の定数是正問題について協議に入つた。
[27] この小委員会は、第74回及び第75回の国会においても引き続き設けられ、この問題について協議が続けられ、昭和50年3月20日小委員会懇談会において、衆議院の総定数は20人増員すること、6人以上となる選挙区は分区すること、分区については人口比、自然的条件を勘案し、従来の行政区域を尊重して自治省に試案の作成を依頼して小委員会で決定することなどの線で各党の合意をみた。
[28] 政府は、以上の経緯を踏まえつつ、更に政府の立場からも十分検討を加えて、法案化作業を進め、定数是正等を内容とする改正法律案を取りまとめ、同年4月4日閣議決定を経て、同月8日この法律案を国会に提出した。
(b) 両議院における審議
[29] 以上のような経緯をたどつて、第75回通常国会に提出された改正法案は、衆議院先議となり、同月18日衆議院本会議において、自治大臣から趣旨説明が行われ、これに対する各党代表の質疑を経て、同日公職選挙法改正に関する調査特別委員会に付託され、審議が重ねられた後、改正法案は同年6月4日委員会で政府原案について採決が行われ可決された。続いて、翌5日衆議院本会議において、5党代表による賛否の討論(自由民主党、日本社会党及び民社党は賛成、日本共産党及び公明党は反対)が行われ、採決の結果、委員会の決定どおり可決され、参議院に送付された。
[30] 参議院においては、同月9日本会議において、自治大臣の趣旨説明が行われ、これに対する各党代表の質疑を経て、同日公職選挙法改正に関する特別委員会に付託され、審議が重ねられたが、会期末を控えて提出法案の処理をめぐる各党間の意見の対立が表面化し、この法律案の審議の進め方についても自由民主党、日本社会党及び民社党と、公明党及び日本共産党との間で意見が一致せず、同月28日公聴会を行つた後審議は停滞し、委員会も開かれないまま会期末を迎えることとなつた。そして、翌7月3日参議院本会議において、委員会の中間報告を求める動議が可決され、委員長の中間報告を聴取した後、野党4党から質疑が行われ、続いて5党代表による賛否の討論(自由民主党、日本社会党及び民社党は賛成、公明党及び日本共産党は反対)が行われ、採決の結果、賛成多数をもつて衆議院の議決どおり議決された。
[31] 以上のとおり、議員定数配分規定が昭和50年法律第163号により改正されるまでには、国会における論議が開始されてからだけでも優に1年余りの日時を要したものであり、なお事前の各政党間の準備作業に要した日時をも勘案すると、従前の議員定数配分規定の是正論議が開始されてから改正法が成立するまでには、右国会審議期間を大幅に上回る日時を要したものというべきである(乙第12号証)。
[32] ところで、58年大法廷判決前後の政治状況をみるに、同年10月12日の東京地方裁判所ロツキード丸紅ルート刑事判決を契機として、国会審議は著しく混乱し、遂に同年11月28日衆議院が解散となり、同年12月3日公示、同月18日投票と決定されたため、国会においては右大法廷判決後解散に至るまでの間に、議員定数配分規定を改正することはおよそ時間的に不可能であつたといわなければならない。
[33] 仮に、昭和57年2月17日の時点で国会において較差が憲法の要求する投票価値の平等に反する状態に至つたと認識すべきであつたとしても、当該時点から本件選挙時までの期間は約1年10月にすぎないところ、較差の程度及び政治における安定の要請を考慮すれば、その期間は改正のために相当な期間というのには余りに短いといわざるをえない。
[34] 以上の点に加えて、58年大法廷判決後の第101国会において、内閣総理大臣が、施政方針演説の中で、各党、各派の今後の合意に基づき具体的な成果が挙がるよう政府としても努力することを表明し(乙第13号証)、また、各党においても、それぞれの是正案が提案ないしは検討されているところである。これらの事情を総合的に考えると、いまだ議員定数配分規定が憲法上要求される合理的期間内に是正されなかつたとはいえないというべきである。
[35] 仮に以上の被告の主張が理由がなく、議員定数配分規定が違憲であり、本件選挙が無効と判断されることがあつたとしても、右判断によつて違憲状態が是正されるわけではなく、かえつて憲法の所期するところに適合しない結果を生ずることは明らかであるから、行政事件訴訟法31条の法理にしたがい事情判決が相当であるので、本訴請求は棄却されるべきである(前記昭和51年大法廷判決参照)。
[36] すなわち、本件訴訟は、公選法204条の訴訟形式を借用したものであるが、選挙の効力について将来的に無効であると解した場合、
「選挙無効の判決によつて得られる結果は、当該選挙区の選出議員がいなくなるというだけであつて、真に憲法に適合する選挙が実現するためには、公選法自体の改正にまたなければならないことに変わりはなく、更に、全国の選挙について同様の訴訟が提起され選挙無効の判決によつて」(昭和51年大法廷判決参照)衆議院の活動が不可能となり、議員定数配分規定を憲法に適合するように改正することさえもできなくなるというような「不当な結果を生ずることもありうるのである。また、仮に一部の選挙区の選挙のみが無効とされるにとどまつた場合でも、もともと同じ憲法違反の瑕疵を有する選挙について、そのあるものは無効とされ、他のものはそのまま有効として残り、しかも、右公選法の改正を含むその後の衆議院の活動が、選挙を無効とされた選挙区からの選出議員を得ることができないままの異常な状態の下で、行われざるをえないこととなる」(同判決参照)
ので、憲法の所期しない結果が生じることとなり、このような場合には事情判決の法理を適用すべきである。

別表一 昭和45年国勢調査確定人口による衆議院議員選挙区別議員1人当たり人口(定数は50年改正前)〈省略〉
別表二 昭和45年国勢調査確定人口による衆議院議員選挙区別議員1人当たり人口(定数は50年改正後)〈省略〉
別表三 昭和50年国勢調査確定人口による衆議院議員選挙区別議員1人当たり人口(定数は50年改正後)〈省略〉
別表四 昭和55年国勢調査確定人口による衆議院議員選挙区別議員1人当たり人口〈省略〉
別表五 昭和51年12月5日執行衆議院議員総選挙時の選挙区別議員1人当たり選挙人数〈省略〉
別表六 昭和54年10月7日執行衆議院議員総選挙時の選挙区別議員1人当たり選挙人数〈省略〉
別表七 昭和55年6月22日執行衆議院議員総選挙時の選挙区別議員1人当たり選挙人数〈省略〉
別表八 昭和58年12月18日執行衆議院議員総選挙時の選挙区別議員1人当たり選挙人数〈省略〉

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