第三者所有物没収違憲判決
上告審判決

関税法違反未遂被告事件
最高裁判所 昭和30年(あ)第2961号
昭和37年11月28日 大法廷 判決

上告人 被告人

被告人 中村数一  外1名
弁護人 緒方英三郎 外1名

検察官 村上朝一  外1名

■ 主 文
■ 理 由

■ 裁判官入江俊郎の補足意見
■ 裁判官垂水克己の補足意見
■ 裁判官奥野健一の補足意見
■ 裁判官藤田八郎の少数意見
■ 裁判官下飯坂潤夫の反対意見
■ 裁判官高木常七の少数意見
■ 裁判官石坂修一の反対意見
■ 裁判官山田作之助の少数意見

■ 弁護人緒方英三郎の上告趣意
■ 弁護人松永志逸の上告趣意
■ 検察官村上朝一、同羽中田金一の弁論要旨


 原判決および第一審判決を破棄する。
 被告人中村数一を懲役6月に、同中村俊弘を懲役4月に各処する。
 但し本裁判確定の日から3年間右各刑の執行を猶予する。
 福岡地方検察庁小倉支部の保管に係る機帆船大栄丸(換価代金43万1000円)はこれを没収する。
 第一審における訴訟費用は全部被告人両名の連帯負担とする。

[1] 関税法118条1項の規定による没収は、同項所定の犯罪に関係ある船舶、貨物等で同項但書に該当しないものにつき、被告人の所有に属すると否とを問わず、その所有権を剥奪して国庫に帰属せしめる処分であつて、被告人以外の第三者が所有者である場合においても、被告人に対する附加刑としての没収の言渡により、当該第三者の所有権剥奪の効果を生ずる趣旨であると解するのが相当である。
[2] しかし、第三者の所有物を没収する場合において、その没収に関して当該所有者に対し、何ら告知、弁解、防禦の機会を与えることなく、その所有権を奪うことは、著しく不合理であつて、憲法の容認しないところであるといわなければならない。けだし、憲法29条1項は、財産権は、これを侵してはならないと規定し、また同31条は、何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられないと規定しているが、前記第三者の所有物の没収は、被告人に対する附加刑として言い渡され、その刑事処分の効果が第三者に及ぶものであるから、所有物を没収せられる第三者についても、告知、弁解、防禦の機会を与えることが必要であつて、これなくして第三者の所有物を没収することは、適正な法律手続によらないで、財産権を侵害する制裁を科するに外ならないからである。そして、このことは、右第三者に、事後においていかなる権利救済の方法が認められるかということとは、別個の問題である。然るに、関税法118条1項は、同項所定の犯罪に関係ある船舶、貨物等が被告人以外の第三者の所有に属する場合においてもこれを没収する旨規定しながら、その所有者たる第三者に対し、告知、弁解、防禦の機会を与えるべきことを定めておらず、また刑訴法その他の法令においても、何らかかる手続に関する規定を設けていないのである。従つて、前記関税法118条1項によつて第三者の所有物を没収することは、憲法31条、29条に違反するものと断ぜざるをえない。
[3] そして、かかる没収の言渡を受けた被告人は、たとえ第三者の所有物に関する場合であつても、被告人に対する附加刑である以上、没収の裁判の違憲を理由として上告をなしうることは、当然である。のみならず、被告人としても没収に係る物の占有権を剥奪され、またはこれが使用、収益をなしえない状態におかれ、更には所有権を剥奪された第三者から賠償請求権等を行使される危険に曝される等、利害関係を有することが明らかであるから、上告によりこれが救済を求めることができるものと解すべきである。これと矛盾する昭和28年(あ)第3026号、同29年(あ)第3655号、各同35年10月19日当裁判所大法廷言渡の判例は、これを変更するを相当と認める。
[4] 本件につきこれを見るに、没収に係る貨物が被告人以外の第三者の所有に係るものであることは、原審の確定するところであるから、前述の理由により本件貨物の没収の言渡は違憲であつて、この点に関する論旨は、結局理由あるに帰し、原判決および第一審判決は、この点において破棄を免れない。
[5] よつて刑訴法410条1項本文、405条1号、413条但書により原判決を破棄し、被告事件につき更に判決する。

[6] 原審の是認する第一審判決の確定した事実に法律を適用すると、被告人らの同判示所為は、関税法111条2項、1項、刑法60条に該当するから、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期範囲内で被告人中村数一を懲役6月に、同中村俊弘を懲役4月に各処し、情状により刑法25条1項を適用して本裁判確定の日から3年間右各刑の執行を猶予し、主文第4項掲記の機帆船大栄丸は、本件犯行の用に供した船舶であつて、被告人中村俊弘の所有に係るものであるから、関税法118条1項本文により、その換価代金43万1000円を没収することとし、訴訟費用につき刑訴法181条1項本文、182条を適用し主文のとおり判決する。

[7] この判決は裁判官入江俊郎、同垂水克己、同奥野健一の補足意見および裁判官藤田八郎、同下飯坂潤夫、同高木常七、同石坂修一、同山田作之助の少数または反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。


 裁判官入江俊郎の補足意見は次のとおりである。

[1] わたくしは、(一)関税法118条1項の規定による没収は、同項所定の犯罪に関係ある船舶、貨物等で、同項但書に該当しないものにつき、それが被告人の所有に属すると否とを問わず、その所有権を国庫に帰属せしめることを目的とする処分であること、(二)被告人以外の第三者が所有者である場合においては、被告人に対する附加刑としての没収の言渡により、当該第三者の所有権剥奪の効果を生ずる趣旨であること、(三)かかる没収の言渡を受けた被告人は、その没収の客体がたとえ第三者の所有物である場合であつても、その没収の裁判の違憲を理由として上告をなしうるものであることを判示した本判決の多数意見に賛同する。そして、わたくしはその理由について、昭和28年(あ)第3026号、同35年10月19日大法廷判決における、右の諸点に関するわたしの反対意見を援用して補足することとする。

[2] 次に、本判決の多数意見は、本件の没収が憲法31条、29条に違反するとするものであるが、この点についてはわたくしは、前記判決における右の点に関するわたくしの反対意見において述べたところを改め、右多数意見に賛同することとした。その理由とするところは、右多数意見の説示をもつて足りるとは思うが、念のため若干附加補足することとする。
[3] 先ず、(一)憲法31条にいわゆる法定手続の保障は、単に形式上法律で定めれば、それで本条の要請を満たしたものというものではなく、たとえ法律で定めても、その法律の内容が、近代民主主義国家における憲法の基本原理に反するようなものであれば本条違反たるを免れず、単に手続規定のみについてでなく、権利の内容を定めた実体規定についても、本条の保障ありと解すべきであり、更に本条は単に刑罰についてのみの規定ではなく、「若しくは自由を奪われ」という中には、刑罰以外に、国家権力によつて個人の権利、利益を侵害する場合をも包含しているものと解すべきであると考える。(本条は明治憲法23条の趣旨を引継いだ規定でもあり、明治憲法23条は、刑事上のみならず行政上の逮捕、監禁、審問、処罰についても保障した規定であると一般に解せられていたことと思い合わすべきである。)次に、(二)しかし、憲法31条は、国家権力が個人に対しその権利、利益を侵害するすべての場合に、常に必ずその者に予め告知、聴問の機会を与えて、意見を開陳し弁解、防禦をなすことを得せしめるべきことを要請したものだとは考えない。もちろん、それが刑罰である場合には、憲法は他の規定、例えば32条、37条、82条等により、そのような要請が明定せられ、それらの規定と31条とが相まつて、そのような保障がなされていると解すべきであるが、刑罰以外のものについては、事柄の性質から判断し、予め告知、聴問の機会を与え、弁解、防禦をなすことを得せしめることが、憲法全体の建前から見て、基本的人権の保障の上に不可欠のものと考えられない限りは、そのことがないからといつて、立法政策上の当否はしばらくおき、これを憲法31条に反するものであると解すべきではないといいたいのである。更に、(三)第三者没収の言渡は、これと不可分に言渡される主刑と一体をなすものとして、その手続を考えるべきであるから、右第三者に対しては、これを訴訟手続に参加せしめ、何らかの方法により、予め告知、聴問の機会を与え、弁解、防禦をなすことを得せしめることが、第三者についての憲法31条の要請といわなければならない。(以上(一)ないし(三)に述べた憲法31条に関するわたくしの考え方は、前記判例におけるわたくしの反対意見で述べたところと変わりはないのである。)
[4](四) しかし、わたくしは前記反対意見においては、右第三者没収に関する憲法31条の適用については、同条の最小限度の要請としては、右第三者を証人として法廷に召喚し、証人調の段階においてこれに第三者没収の趣旨を告知し、意見を開陳し、弁解、防禦を試みる機会を与えることをもつて足りると解する旨を主張したのであるが、今回右の見解を改めることとし、本判決の多数意見に賛同することとした。蓋し、現行刑事訴訟法の上で証人調の手続には一定の限界があり、証人として尋問するということが、直ちに防禦の機会を与えたことになるとはいい得ず、また、現行訴訟手続の上で、所有者たる第三者の悪意を認定するにつき、第三者たる所有者を証人として尋問せねばならぬという証拠調上の制約もなく、更に、被告人が自己の所有物につき没収の刑を受ける場合にあつては、刑事訴訟法により当然被告人として告知、審問を受け、防禦権行使の機会が与えられるのに反し、第三者がその所有物を没収される場合には、これにそのような機会を与えることが制度上保障されていないということは、被告人と第三者との間に取扱上不利益な差別があるといわざるを得ない等の事情を考えると(これらの諸点は、前記判例において河村大助裁判官、奥野健一裁判官の少数意見中に指摘されていた。)、本件第三者の所有物の没収は、被告人に対する附加刑として言渡され、その刑事処分の効果が第三者に及ぶものであり、右第三者に対する関係においても、刑事処分に準じて取扱うことを妥当とすべく、被告人に対する場合に準じて、第三者を訴訟手続に参加せしめ、これに告知、弁解、防禦の機会を与えるべきであり、単に第三者を証人として尋問し、その機会にこれに告知、弁解、防禦をなさしめる程度では、未だ憲法31条にいう適正な法律手続によるものとはいい得ないと解するのが正当であると考えるに至つたからである。


 裁判官垂水克己の補足意見は次のとおりである。

[1] 没収は犯罪を原因とする所有権の剥奪である。(この考の下に没収の執行に関する規定が定められている。)だから、この不利益処分を受けるべき者は、第一に、実体法面からいうと、物が犯罪の用に供され或いは犯罪組成物件とされたこと等について、犯罪行為者本人であるか又は悪意のあつた者(共犯者)ないしは社会的に強く責められるべき態度ないし意思状態にあつた者(或る種の過失者)等に限られなければならない。第二に、手続法面からいうと、或る人が右にいう犯人と共犯者若しくは過失者等の関係に立つ所有者であるとの事実を確定するには、その人が訴訟の第三者である場合には、正当な事由のない限り、その第三者に対し、彼を一種の当事者として、没収の虞ある事実上及び法律上の理由を知らせ、その言いぶんを聴取し、彼に防禦の方法として没収されてはならない事実上又は法律上の理由を自ら若しくは代理人によつて陳述し、更には立証する機会を適当に与えなければならない。かくすることによつて、第三者所有物の没収は始めて憲法31条の法定の適正手続によつたものといえるのである(被告人大町辰平ら関税法違反事件大法廷判決における私の補足意見同旨)。
[2] しかるに、現行刑訴法には、被告事件の第三者からその所有物を没収する場合について右のような第三者の利益保護のための特別の手続規定がない。この特別規定が立法されない間は、かりに、第三者所有物没収を是認する実体刑事法の規定が合意であつても、第三者所有物を没収した判決は憲法31条違反、従つて同29条1項違反となる。

[3] 無差別没収を排し、無差別不没収の外なしとする多数意見は、現行刑事訴訟法等のどの条項が憲法31条に違反するとも判示していない。これは刑訴法に適正手続規定がないのに第三者所有物を没収する判決をした場合には判決が憲法31条、29条1項に違反するということを示すものと解するしかあるまい。(或る法令の特定の条項を明示しないで或る法令を違憲だというような判決は違法であろう。)多数意見は、没収すべき物の価値の大小を問わない。法律上何人の所有をも許さない法禁物又は価値が失われてしまつた物や所有者が所有権を放棄したと認められる物(殺害に用いられた刺身庖丁、血痕付着の手拭の如く普通人なら使う意思を失つたと認められる物)のほかは、第三者所有物の没収は違憲である。もちろん、被告事件に顕われた証拠からは、第三者の所有物で没収されるべきものと認めうる場合であつても、その第三者に防禦の機会を与えないで(証拠の証拠能力や信用性についての第三者の意見、立証をも聴かないで)かように認めることに憲法31条違反があるのである。
[4] 第三者が適正な没収手続に呼出を受けながら故なく出頭を怠つたような場合には、普通、没収の裁判をしてよいかも知れないが、今日のわが国では、第三者が長く外国に居住していて国際的司法共助による没収手続への呼出状そのものの送達に成功することは一般に困難であり、第三者が国内にいるとしても住居不明又は不定のような場合には一々の没収すべきものと考えられる物について第三者に対する呼出状を公示送達することは多大の労費と日時を要し、訴訟を長引かせる結果、適正手続規定が立法されても、それは行われえない場合が多くなるかも知れない。かような場合に、有罪、無罪等の本案判決を長い月日の間待つ訳にはいかぬから、この場合につき適当な立法がなされなければ不没収判決をするほかない。なお、そのほかに、第三者所有物没収裁判の確定後、第三者である所有者が一定の正当な事由を主張しそれを裁判所が正当とする場合には没収の執行をすることができないものとするか、他に何らかの救済手続を定める立法も考えられないものか。

[5] 多数意見はいう。
「第三者の所有物を没収する言渡を受けた被告人は、たとえ第三者の所有物に関する場合であつても、被告人に対する附加刑である以上、没収の裁判の違憲を理由として上告をなしうることは当然である。のみならず、被告人としても没収にかかる物の占有権を剥奪され、またはこれが使用、収益をなしえない状態におかれ、更には所有権を剥奪された第三者からの賠償請求権等を行使される危険に曝される等、利害関係を有することが明らかであるから、上告によりこれが救済を求めることができるものと解すべきである」
と。
[6] これには一応問題がある。アメリカ連邦最高裁判所では、
「単に他人の憲法上の権利のみを援用して或る法律を違憲であると主張する上告は不適法である。けだし、或る憲法上の権利を害された者が最もよくその憲法上の争点を裁判所に提出し、裁判所もその本人の主張ある場合にのみ適正に憲法判断をすることができる。憲法上の権利の主体がその権利の侵害を甘受しその憲法上の権利を抛棄するかも知れないのに、他人が先走つてその権利を援用した場合に判決するのは適当でない。未だ他人に法が適用されていないのに、他人に法が適用された場合その他人の憲法上の権利が害されるであろうという未だ発生しない想像上の事実に基いて憲法上の判断をするのは好ましくない。」
というような判示をして来ているのが原則であるという。
[7] 一般に、訴そのものでも同じであるが、控訴ないし上告の場合も、その理由として他人の利益が侵害されることだけを主張し、ひいて被告人の自己利益が害される虞ある具体的関係の主張を含まないものは、自己に有利な判決すなわち、原判決を上訴人自身の利益に変更する判決を求めるものでないから適法な上訴理由とならないのが原則である。本件上告理由は、被告人に対する附加刑として第三者所有物が没収されることは違憲であるというのであるが、その理由として、この没収判決の破棄により被告人は附加刑を免れる具体的、必然的関係にあるという主張が含まれていると解されないことはない。とすれば、本件では上告趣意に対して一応次の如く実体判断をすることはできよう。
「被告人自身は本件で、すでに第一審で公訴事実を告知され弁護人立会の下に公判廷でこれに対し陳述し、自己のために主張し、証人尋問の機会を与えられて立証し弁護人の弁護も受けた上法律に定める没収の判決を受けたのであるから、被告人自身に対する適法手続は済んでいる。そして、実体法の面からみても、上告論旨に対しては次のようにもいえよう。(1)若し没収された物の所有者が、被告人と共犯その他実体法上没収されてもやむをえない有責者であると仮定しても、没収は、被告人自身の本件犯行を原因として被告人自身に対する附加刑として科されたものである以上、原没収判決が被告人に対する罰である面では正当である。また、(2)若し没収された物の所有者に、没収されてもやむをえない悪意又は或る種の過失の責めらるべきものがなかつたと仮定しても、被告人は自己の犯罪により附加刑としてではあつても、占有権だけを奪われるに反し、所有者は罪もないのに所有権剥奪という犯人にも勝る痛撃を受けない限りでもないから、被告人は彼に賠償する義務があることも当然である。いずれの場合にしても、被告人は自己の犯罪により没収を免れることはできない。被告人自身に関する限り、上告論旨は理由がない」
と。これが法律に定めた手続による裁判かも知れない。
[8] とはいえ、こういつて上告を棄却して原没収判決を正当として終ると、結果としては、違憲な没収判決により所有権たる第三者は適法手続で有責者として確定されもしないまま所有権を剥奪されることとなる。してみれば、この場合、たとえ犯人である被告人を遁がしても、第三者がかような違憲な手続で所有権を奪われることを食いとめることの方が急務であり、正義衡平の要求にも合するというべきであろう。
[9] かように、一つの判決において、犯人として確定された被告人に対する没収が、被告人に対しては是認されねばならないのに、第三者の所有権剥奪の面では否定されなければならないというジレンマは何処から来るのか。それは、やはり、訴訟法的には、訴訟の当事者だけの間の弁論に基いて第三者の権利を奪う判決をすること、並びに、実体刑法的に、没収が犯人から占有権を奪うに過ぎないのに反し、第三者から所有権を奪つても犯人に対しては懲罰にも教育にもならないのに、なお第三者から所有権を奪うことの背理性に由来するのだといえよう。このことは、所有者の責任如何を問わない無差別没収の場合には特に明らかである(第三者から所有物没収が許されない場合にこれに代わる追徴を犯人たる被告人に科することを許す立法ならば差支ないのかも知れない)。いずれにせよ、第三者たる所有者に責めらるべき故意ないし或る種の過失がある場合でも、それがあるか否かを確定するのにその所有者を訴訟に参加させ自己防禦させ自己に有利な判決をえられる権利を与える適法手続法がない間は第三者の所有物没収の不利益処分は違憲であるから、多数意見に従えば、適法手続の立法されるまでは、実際は故意過失ある第三者たる所有者も、被告人も、不当に没収を免れる判決を受ける不正義が通ることになろうが、やむをえない。
[10] 以上の理由から、冒頭掲記の大町辰平ら関税法違反事件大法廷判決における私の「上告適法の理由」についての意見を改め、違憲か否かの実体問題について多数意見に賛成する次第である。


 裁判官奥野健一の補足意見は次のとおりである。

[1] わが刑法その他の法律において「没収」というのは、犯罪に関係のある物件について言渡される附加刑であつて、没収の言葉が確定したときは、その物は国庫に帰属する効果を生ずるものと概念されているのである。そしてその所有権剥奪の効果は、所有者が被告人であると、被告人以外の第三者であるとを問わないのである。
[2] 同じく没収でも、被告人の所有に属する物の没収の場合はその所有権の剥奪であり、被告人以外の第三者の所有に属する物の没収の場合は被告人の占有権のみの剥奪であつて所有権の剥奪の効果はないと解すべき法律上何等の根拠もない。けだし、若し然りとすれば、被告人以外の第三者の所有物の没収について、法が何故に、所有者の善意、悪意を問題として、所有者の悪意(知情)の場合に限り没収することができるものとしたかを理解することができないからである(刑法16条2項、関税法118条1項但書、昭和26年(あ)第1897号、同32年11月27日大法廷判決参照)。
[3] 没収の言渡は、国家刑罰権の一環として犯罪に密接な関係のある物件を公益の必要上国庫に帰属せしめる宣言であつて、国家権力の一作用であり、その効果は単に被告人との関係においてのみ相対的に生ずるというものではなく、何人との関係においても国庫帰属の効果を生ぜしめる性質のものである。
[4] しかし、現実に自己の所有権を剥奪される第三者に、予め告知、聴問の機会も与えず、弁解、防禦をなすことも許さないで、その所有物を没収するということは著しく不合理であつて、憲法31条の容認しないところであるから、かかる没収は違憲・違法と解するのである。
[5] かかる場合でも所有者たる第三者は民事訴訟により救済を求め得ると論ずる者もあるが、国が一方において没収の対象たる物件が被告人の所有物であると第三者の所有物であるとを問わず、等しく没収により国庫に帰属せしめるという制度を採りながら、他方で第三者たる所有者に、没収の判決確定後でも、民事訴訟により国家に対し没収に係る物件の返還又は不当利得の返還の請求を許容するというが如きことは国家意思の矛盾であつて、到底是認することを得ない。すなわち、没収の言渡が確定しても第三者たる所有者は民事訴訟によつて裁判所に救済を求めることができるという論は、没収の裁判にも拘らず所有権が剥奪されないこと、言い換えればかかる没収は違憲・違法であり、従つて没収の効力を生じないことを前提として始めて是認される議論である。
[6] なお、自己の所有物件を没収された第三者は、刑訴法497条により没収物の交付を請求しうるとの説があるが、同条は、犯人以外の第三者の所有に属しないものとして没収の言渡をした判決の確定後、他に権利者があることが判明した場合に関する規定であつて、裁判所が、第三者の所有物であることを認めた上、なおこれを没収すべきものであると判断して没収の言渡をした場合に適用すべきものではないと解する。


 裁判官藤田八郎の少数意見は次のとおりである。
 所論は要するに本件貨物は被告人以外の第三者の所有するものであつて、これを没収した原判決は第三者の権利を侵害するが故に違憲違法であるというに帰着するのであるが、被告人は第三者の所有権を対象として、第三者の権利が侵害されることを理由として上告を申立てることは許されないものと解すべきであるから(昭和28年(あ)第3026号、同29年(あ)第3655号事件、同35年10月19日大法廷判決参照)、所論はこれを採用すべきでない。


 裁判官下飯坂潤夫の反対意見は次のとおりである。

[1] 被告人以外の第三者の所有に係る物件の没収が附加刑として言い渡された判決に対し、没収物の所有者でない被告人がその憲法上の効力を争つている本件のような場合は、該没収の裁判が没収物の所有者たる第三者に対し違憲か否かを判断する必要は毫末もないのであり、したがつて、本判決は右に反し不必要な憲法判断をしている点で、昭和28年(あ)第3026号、同29年(あ)第3655号同35年10月19日の当裁判所大法廷言渡の判決の趣旨に背反するものであるが、わたくしは右大法廷判決に盛られている意見を強硬に主張した1人として、本判決にも強く反対する者であり、その理由として右大法廷の判決を維持引用するのは勿論、更に本件多数意見の誤謬を指摘しつつ、左記の意見を附け加えることとする。
[2] 憲法81条の下で裁判所に付与されている違憲審査権は司法権の範囲内で行使すべきであり、司法権が発動するためには具体的に争訟事件が提起されていることが必要である。裁判所は具体的に争訟事件が提起されていないのに将来を予想して憲法及びその他の法律命令等の解釈に対し存在する疑義論争に関し抽象的な判断を下す如き権限を行い得るものでないことは当裁判所大法廷判決により確立されているところである。(昭和27年(マ)第23号同年10月8日大法廷判決参照。)ところで、具体的争訟事件の中において、自己に付き適用されない又は自己に合憲に適用される法令等を、他人に適用される場合、違憲になることの理由で攻撃し、違憲審査権の発動を促すことが許されるものであろうか。この場合、(一)違憲審査の対象となる法令等により当事者が現実の具体的不利益を蒙つていない場合、(二)違憲審査の対象となる法令等により当事者が現実の具体的不利益を蒙つている場合の2つに分けて考える必要がある。前者の場合、すなわち違憲審査の対象となる法令等により当事者が現実の具体的不利益を蒙つていない場合に、その違憲性についての争点に判断を加えることは、将来を予想して疑義論争に抽象的判断を下すことに外ならず、司法権行使の範囲を逸脱するものである。このことは、憲法81条の下で裁判所に付与されている違憲審査権の行使として許されるものではないのである。後者の場合、すなわち違憲審査の対象となる法令等により当事者が現実の具体的不利益を蒙つている場合に、その違憲性についての争点に判断を加えることの是非については後に言及することとする。
[3] 翻つて、本件についてこれを見るに、没収に係る貨物は被告人が密輸出しようとしていた犯罪貨物であり、それが、被告人以外の第三者の所有に係るものであることは、原審の確定するところである。右の犯罪貨物の没収の裁判確定により、被告人としては没収に係る物の占有権を剥奪され、または、これが使用収益をなし得ない状態におかれ、更には所有権を剥奪された第三者から賠償請求権等を行使される危険に曝される等利害関係を有することが明らかであることを理由として、多数意見は没収の裁判の違憲を被告人は抗争することができると判示している。多数意見は所有権を剥奪された第三者から賠償請求権を行使される危険に曝されることを以て、被告人が本件没収の裁判を違憲と抗争できる理由の1つとしているが、没収物の所有者たる第三者が賠償請求権を行使するかどうかは未定の問題であり、この危険は未確定、抽象的なものに止る。したがつて、被告人は本件没収の裁判により現実的には何ら具体的不利益を蒙つているわけではないのである。当裁判所大法廷判決(昭和26年(あ)第1897号同32年11月27日言渡刑集11巻12号3133頁)は、悪意の第三者の所有物の没収は憲法29条に反するものではないと判示している。本件没収の裁判確定により被告人は没収に係る物の占有権を剥奪され、これが使用収益をなし得ない状態におかれるに至ることは多数意見の指摘のとおりであるが、被告人は没収に係る貨物を密輸出せんとした犯罪者であり、悪意者なのであるから本件没収の裁判確定により被告人がその物の占有権を奪われ、またはこれを使用収益し得ない状態におかれるに至つても、その結果被告人は憲法29条の財産権を不法に剥奪されたことにはならないし、また被告人に対しては告知、弁解、防禦の機会が与えられているのであるから、右没収の裁判確定により被告人が自らの憲法上の権利を現に侵害されているわけのものではない。したがつて、被告人は本件没収の裁判によりいずれの面からみても現実の具体的不利益を蒙つているものではないから、現実の具体的不利益を蒙つていない被告人の申立に基づき没収の裁判の違憲性の争点に判断を加えた多数意見は、将来を予想して疑義論争に抽象的判断を下したものに外ならず、憲法81条の下で裁判所に付与されている違憲審査権の行使の範囲を逸脱したものであると論結せざるを得ない。されば、被告人は本件没収の裁判につきこれを違憲と抗争する現実の具体的利害関係を欠如しているものであるから、没収を違憲と主張する上告理由は不適法なものであり、本件はこれを理由として棄却さるべき筋合のものなのである。そこで、わたくしは多数意見が、前示昭和35年10月19日言渡の大法廷判決を変更していることに関し一言しなければならない。右判決は、訴訟において、他人の権利に容喙干渉し、これが救済を求めるが如きは本来許されない筋合のものと解するを相当とするが故に、本件没収の如き事項についても他人の所有権を対象として基本的人権の侵害がありとし、憲法上無効である旨論議抗争することは許されないと解すべきであると判示している。右は、つまり具体的争訟事件中において自分には合憲に適用される法令等を他人に適用される場合違憲になるとの理由で他人の憲法上の権利を援用して抗争することは如何なる場合でも許されない旨うたつているわけなのである。けだし、違憲審査の対象となる法令等により当事者が現実の具体的不利益を蒙つていない場合に、その法令等が他人に適用される場合他人の憲法上の権利を侵すとして抗争するのは、他人の憲法上の権利に容喙干渉し、これが救済を求めることに帰着するから許されないと解せられているのである。右に反し、違憲審査の対象となつている法令等により当事者が現実の具体的不利益を蒙つている場合、その法令等を、それが他人の憲法上の権利を侵すことを理由とし、他人の憲法上の権利を援用して攻撃することも絶対に許されないものであろうかどうかという事柄になると、問題はまた別個の観点から考慮されなければならないものと考える。この点に関し前示大法廷判決の表現は明瞭を欠き幅がなかつたように思うので、わたくしは右大法廷判決の内容はもつと広い意味をもつていたものとし、改めて左にその点を敷衍説明したいと思う。すなわち、違憲審査の対象となつている法令等により当事者が現実に具体的不利益を蒙つている場合に、その法令等を他人の憲法上の権利を援用して攻撃することは、法の禁ずるところではなく、かくして提起された憲法上の争点について裁判を加えても、司法権の範囲を逸脱するものでないと考えるのが相当と思料するのである。(ところが、本件では被告人は没収の裁判により具体的に不利益を蒙つているということに付いては何ら主張も立証もしていないのである。)
[4] ところで、わたくしはわが国の違憲審査制と同じ基盤に立つアメリカ合衆国連邦最高裁判所がこの点について、どんな考え方をしているかを紹介したいと思う。
[5] 現実の争訟中で訴訟当事者の法律上の権利について判断を求められている場合を除き法を違憲と宣言する権限はこれを有しないとの原理原則を永年に亘つて墨守しているアメリカ合衆国最高裁判所の態度につき同裁判所は次の如く言うのである。
「裁判所が違憲という判断をした場合、これが裁判所と同様憲法上作られた他の機関すなわち立法府行政府に及ぼす効果を考える場合、はつきりする違憲審査という機能の微妙さ、裁判所が違憲と判断してこれが絶対的に他の機関を拘束するものでないという相対的終局性、憲法上定められた立法権、行政権の担い手たる裁判所以外の機関が自らの権限についてなした判断について正当に与えらるべき配慮、国権の担い手たちが憲法の定めるとおりに行動するためには裁判所を含むこの担い手たちが各々その与えられた権能の範囲に止ることが必要であること、司法の消極的性質及びその判断を強制する手段が限られていることから生ずる司法過程に内在する限界、更には合衆国の政治機構の中で裁判所による憲法判断の占める重要な地位等の考慮に基づき不必要な憲法判断を避けるという基本的態度から発しているのである。」
云々。右の基本的態度の一つの現れとして唱えられるものは、
「法はその人に対する適用が合憲なものは、その法が他人に適用される場合、又は他の事実に適用される場合違憲になるだろうということを理由にその法を攻撃することは許されない」
という原則であり、この原則の派生的な現れとして唱えられるものが
「訴訟当事者は彼自らの憲法上の権利を主張し得るに止り、他人の憲法上の権利を援用することは許されない」
という原則である。この原則は、(一)自己の憲法上の権利を害せられた者が最もよくその憲法上の争点を裁判所に提起でき、自己の憲法上の権利を害されたものの攻撃がある場合に初めて憲法判断をすることにより適正な判決がなされる。(二)援用される憲法上の権利の主体がその権利に対する侵害を甘受し、その憲法上の権利を抛棄するかもしれないのに先き廻りして、その権利が他人により援用された際に、憲法判断をするのは好ましくない。(三)他人に法が適用される場合その他人の憲法上の権利が害されるといういまだ発生しない想像上の事実に基づき憲法判断をするのは好ましくない等の理由に基づくものと解せられる。アメリカ合衆国の最高裁判所は右のような態度で一貫しているようであるが、それは時の流れと経験とにより最も賢明なものであることが立証されたと言われているのである。
[6] わたくしは、わが国においても、右の原則が賢明であり合理性の裏付をもつ考え方と思料するが故に、わが国でも裁判所が行う違憲審査については十分に右の点を考量されて然るべきであろうと思うのである。しかしながら、右の原則は憲法により裁判所に命ぜられた原則ではなく、むしろ裁判所が違憲審査権を行使するに当つての心構え、基本的態度を構成する原則と解すべきであるから、当事者により援用されている第三者の憲法上の権利が害され、且つ、その第三者がその権利を自ら有効に確保する手段さえももつていない場合には例外的に右原則は捨てられても已むを得ない筋合のものであろう。
[7] 多数意見は、没収の言渡を受けた被告人はたとえ第三者の所有物に関する場合であつても、被告人に対する附加刑である以上、没収の裁判の違憲を理由として上告をなし得るのは当然であるという。これを突きつめれば、附加刑だから云々というだけのことであり、全くの形式論である。そんな論拠が憲法論として合理的理由をもつものであろうか。被告人は、本件没収の言渡により現実に具体的不利益を蒙るとはいささかも主張且つ立証していないし、しようともしないのである。仮に百歩を譲り多数意見のように本件没収の裁判の違憲を理由とする上告が適法としても、訴訟外の第三者の憲法上の権利のみを援用して没収の裁判の違憲を争つている本件で憲法判断をすることが必要であるとはわたくしは考えない。わたくしは、告知、弁解、防禦の機会を与えられず、その所有物を没収された第三者は自らの所有者が憲法31条に反して違法に没収されたと主張する限り、刑訴法497条1項のいわゆる権利を有する者に該当するし、またその所有物は没収物の返還を求める行政訴訟を国を相手に提起できると解している。したがつて没収物の所有者たる第三者は後に自己の憲法上の権利を主張し没収の違憲を有効に抗争し得るのであるから、その第三者が自らの憲法上の権利への侵害を甘受するかどうか未定の段階である刑事手続中で先き廻りして憲法判断をする必要はない筋合なのである。されば本判決としては、
「被告人は上告理由として没収の言渡の違憲を主張するが、被告人は没収の対象物の所有者たる第三者の憲法上の権利を援用しているに止り、被告人自身の憲法上の権利が侵害されたと主張していない。他人の憲法上の権利のみを援用してなす違憲の攻撃が許されるのは、その憲法上の権利主体が後にその権利を自ら主張することが不可能か又は後に主張したのでは実益がないという例外的場合に限られ、通常は他人の憲法上の権利のみを援用してなす違憲の攻撃は許されないと解すべきである。本件の場合は、没収物の所有者が後に自らその違憲を抗争することが可能且つ有効である場合に該当するから、被告人のなしている本件違憲の主張についての判断は必要でない。従つて本件没収について所論違憲のかどありとする論旨は結局理由がなく、援用のかぎりではない」
との判断に到達すべきものであつたと、わたくしは固く信ずるものである。


 裁判官高木常七の少数意見は、次のとおりである。

 弁護人緒方英三郎、同松永志逸の各上告趣意に対するわたくしの意見は、昭和28年(あ)第3026号、同35年10月19日大法廷判決(刑集14巻12号1574頁)におけるわたくしの補足意見と同趣旨であるから、これを引用する。


 裁判官石坂修一の反対意見は、次の通りである。

 わたくしは、本件につき示された多数意見に反対である。その理由とするところは、裁判官下飯坂潤夫の反対意見と同趣旨であるから、これを引用する。


 弁護人緒方英三郎、同松永志逸の各上告趣意についての裁判官山田作之助の少数意見は左のとおりである。

 多数説は、
「関税法118条1項の規定による没収は、同項所定の犯罪に関係ある船舶、貨物等で犯人の所有または占有するものにつき、その所有権を剥奪して国庫に帰属せしめる処分であつて、被告人以外の第三者が所有者である場合においても、被告人に対する附加刑としての没収の言渡により、当該第三者の所有権剥奪の効果を生ずる趣旨であると解するのが相当である」
とし、訴訟当事者にもあらざる者に、判決の効力の及ぶべきことを認め、これを前提としてその理論を展開しているのであるが、この点が、わたくしの承服し得ないところである。

 被告人以外の第三者の所有物であつても、密輸入に係る宝石の如く、関税法118条等に規定されているもの等については、何人がこれを所有しているとしても、これを没収する必要が国家的見地からみて認められるときは、実体法上(刑法、関税法等で)、これら物件を没収し得ると規定することは、もとより、不当でも違憲でもないと考える。従つて、わたくしとしては、本件で問題となつている関税法118条自体は勿論有効であつて、多数説が或は考えているかと思われる右法条自体を違憲とする説は採らない。

 しかし、実体法上刑罰権(処分権)が認められていても、これを具体的に行使するには、刑事訴訟法の定めるところに従い、具体的に刑罰権の存在を確定せしめなくてはならないことは言うまでもない。憲法31条が、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」としているのは、この基本理念を明らかにしているのである。

 そして、刑事訴訟法では、被告人に対して言い渡される判決の直接の効力が、被告人以外の第三者に及ぶと言うことは認められていない。この理は、単に刑訴法において然りとするのみならず、民訴、破産法等を含めて確立されている訴訟法の基礎原理の一つである。従つて、実体法上第三者の所有物を没収し得るとの規定があつても、その規定を実現するには、必らず、刑事訴訟法において、何らかの方法により(例えばその第三者を民訴における参加手続、若しくはかつての附帯私訴手続の如く)その訴訟の当事者とする(判決書に少くともその第三者が当事者として記載され得る)手続を要するのであつて、今その手続規定を欠くに拘らず、訴訟法の根本理論を無視し、被告人に対する附加刑としての没収の言渡の効果が第三者にまで及ぶと解することは、到底これを是認することが出来ない。このことは、第三者の立場から考えれば一層明らかである。即ち一度も裁判所にも呼ばれず、なんにも知らないうちに、いつのまにか自分の所有物が没収されていることとなる、換言すれば、自分が関与せず不知の間になされた他人の判決(その判決文には勿論自分の名はない)によつて、自己が所有する物の所有権が奪われると言うことになる。しかも、同人は訴訟当事者でないから、その判決に対し控訴、上告等不服を申立てることも出来ない。犯人の所有物件を没収する場合でも、裁判手続を要するのに、第三者に対しては、何らその人に対する裁判手続がなされずして没収の刑を科し、しかもこれに対し本人から不服を言えないとするが如きは到底許されないところである。これ全く、多数説が訴訟当事者にあらざるものに、判決の効力が及ぶとする訴訟法上の基礎理論に反することを、その主張の基礎としていることから生ずる矛盾というべきである。

 惟うに、多数説の一つの根拠は、従来、検察庁が、所謂第三者無差別没収の判決が確定すると、被告人以外の第三者(勿論判決書にその名は記載されていない)にも、当然その判決の効力が及ぶものとして、同人に対しても所謂没収の執行を実行してきた慣行があることによるものと考えられる。しかし、これは行政機関のする行政行為、行政処分については、これを争い又はこれを無効とする行政訴訟の如き手段が与えられていなかつた旧憲法時代における一つの慣行であつて、新憲法のもとでは、かかる訴訟法の基礎理論を無視し、被告人に対する判決の効力が直接第三者にも及び、その判決により第三者の有する権利を剥奪するが如きことが行われると言うが如きことはあり得ないと考えられるのである。

 現に、本件における検察官の答弁書をみるに、「おもうに、およそ刑事手続に関する行為の当否を抗告訴訟によつて争い得るか否かと言う根本問題があるので、これはしばらくおき、民訴の許否についてはこれを積極的に解すべきものと考える。真実の所有者に対しては不当利得の法理によりその利得を返還する義務を負うものと解すべく、真実の所有者は民事訴訟により裁判所に救済を求めることができる筋合いである」と答弁しているのである。この答弁の趣旨よりすれば、検察官は、後日国家が賠償の責に任じなければならぬような、すなわち他人に対する判決が第三者に対し効力を有するとし、右判決の執行として第三者からその所有物件の所有権を奪うが如き違法(違法であればこそ民訴で救済されるのである)と目さるべき取扱はなさざるものと考えうる。

 以上の理由により、被告人に対して言い渡されたる原判決の効果が、被告人以外の第三者に及び、第三者の所有権を侵害するものであるとして、没収の違憲を主張する本件上告は、その前提においてあやまつているのであるから、これを採用することは出来ない。

 なお、附言するに、現行法上、没収は、刑法9条の明文をもつて、刑罰とされ、しかも、主刑を科する場合、同時に科せらるべき附加刑であるとされている以上(これを保安処分と解するは法典上の根拠を全く欠く)、刑罰が被告人その人を対象とするものであるかぎり、被告人以外の第三者に対して没収刑を科するとするが如きは、刑罰の観念からしても相容れないものである。又わたくしは、現行法上は没収は、被告人の没収の目的物に対して有する財産上の法益の剥奪と解するから、被告人に対する没収の言渡の効果は、被告人がそのものにつき所有権を有する場合は、その所有権を、単に、占有権、使用権のみを有する場合は、その占有権・使用権を剥奪するものと解する。従つて、被告人に対する没収の言渡は、被告人がそのものにつき所有権を有せざる場合に於ても、なお意味があるのである(所有権よりも、占有権、使用権がより財産的価格がある場合もあり得るし、被告人に、没収の目的物を保有若しくは使用せしめざることに科刑の意味もあり得るのである)。殊に、わが法制上、物は如何なる意味に於ても、権利の客体としてのみ認められ、権利の主体となることなきものと解されるが故に、所有権者、占有権者等を対象とせずに、ものそのものを独立したものとして、これを判決により国庫に帰属せしめると言うが如きことは許されざるものといわなくてはならない。

 以上の諸理由により、本件上告はこれを棄却するのが相当である。

 裁判官斎藤悠輔は退官につき本件評議に関与しない。

 検察官 村上朝一、同 羽中田金一 公判出席

(裁判長裁判官 横田喜三郎  裁判官 藤田八郎  裁判官 河村又介  裁判官 入江俊郎  裁判官 池田克  裁判官 垂水克己  裁判官 河村大助  裁判官 下飯坂潤夫  裁判官 奥野健一  裁判官 高木常七  裁判官 石坂修一  裁判官 山田作之助  裁判官 五鬼上堅磐  裁判官 横田正俊)
 右被告人両名に対する関税法違反未遂被告事件に付、弁護人より左の通り上告の趣意を申述べる。原判決を破棄し、本件第一審判決に於いて言渡されたる附加刑たる没収の中、同判決別紙目録記載の物件に対する没収言渡を附しない御判決を求める。原判決は日本国憲法第29条第1項に違反し破棄を免れざるものなりと信ずる。原判決中、「同控訴趣意書第二点について」と題する欄は、前記の如き本件第一審判決中の没収の言渡が不法なる事を主張する弁護人の主張を排斥したものであるが、右争点は関税法第118条第1号の解釈に関するものであり、原判決の本争点に対する判断は前記の如く憲法に違反し国民の財産権を侵害するものである。関税法第118条第1号は同条に云ふ処の「犯罪貨物等」の没収に於て「犯罪貨物等が犯人以外の所有に係り同法第109条から第112条までの犯罪が行われることを、あらかじめ知らないでその犯罪が行われた時から引き続き之を所有していると認められるとき」は没収の対象とならない旨を規定している。右の場合に於て同条第1号に該当する事は弁護人、被告人に於て立証すべき事項ではなく、没収の附加刑たる本質上、当然に検察官に於て同条第1条に該当せざる事を立証すべく、立証不十分なる時は裁判所職権により明かにすべく、然も尚立証不十分なる時は没収し得ないものである。犯人以外の「犯罪貨物等」の所有者は当該関税法違反被告事件に就て刑事訴訟法上、何等権利擁護の機会を有せず、弁護人は被告人の権利を保護するのみであるから、関税法の前条前号はその条文の外観により解することなく、憲法第29条の本質に鑑み、当然右の如く解すべきである。然るに原判決は右に関して
「原判決別表貨物は被告人等所有の貨物でなく、他人からその輸送を依頼せられたものであることは容易に看取せられるのであるが、右貨物が所論の様に果して金進玉の所有に属するや否やに付ては原判決も認定していないのであつて、記録を精査してもこの点に関する確証はない」
旨判示している。即ち所有者不明であり、従つてその所有者は関税法第109条乃至第112条の犯罪が行はれることを予め知つていたか否かを確めることを得ない儘であり、従つて所有者に財産権擁護の機会を全く与へない儘に之を没収したのであり、右は憲法第29条第1項に違反すること極めて明かである。本件貨物の所有者については弁護人等は前記の金進玉の所有である事を主張しているのであり、之に対し原判決は「仮に金進玉のものとしても」と仮定的に判断を示しているが、この点については、既に前記の点に於て原判決が当然破棄せられる以上、特別に弁護人が述べる迄もないのであるが、原判決が
「所有者が金進玉なりとすれば、同人は本件犯行の様な危険のあることを予知していたものと認められる」
と断ずる同判決挙示の証拠は、いづれも薄弱な情況証拠程度のものであり、かゝる不十分なる証拠により、かくの如き結論を導びく同判決は正しく憲法第29条第1項違反である。右の次第であるから本上告に及んだのである。
、原判決は憲法の違反がある。何となれば原判決は本件貨物が被告人両名の所有でなく所謂犯人以外の者の所有に属することを認め乍ら記録上金進玉の所有に係るもの(主として大阪港尻無川で積込んだ貨物について)と認めらるるに拘らず同人の所有とは認められないと排斥し(仮りに金進玉の所有とするも……同人は本件犯行を予知して居たと思われるので関税法第118条第1項第1号の適用を排除して没収するのは正当だと断じ)結局所有者不明の貨物として没収して居ることは一点の疑がない。然し所有者の何人かも判らぬ貨物を何等の理由も示さず漫然没収することは憲法第29条第1項の保障する財産権不可侵の規定に違反する判決と謂わざるを得ない。

、仮りに前記の事由がないとしても原判決は本件貨物を被告人等以外の所有者不明の者の所有として没収して居る点につき法令の違反があると思料する。何となれば没収は所謂附加刑であつて犯罪物件が犯人以外の者の所有に属せざることを原則とし犯人以外の者の所有に属するときは其の者が犯罪と関連する場合に限り例外として没収するのが科刑上の建前である。而して関税法第118条も同趣旨に解釈すべきこと勿論であるから犯人以外の者の所有に係る貨物を没収するには其の者が犯行を予知して居て善意でなかつた事実を確認した上でなければならぬ。故に漫然と犯人以外の者が犯行を予知しなかつたこと即ち善意の立証がないから当然悪意の推定の下に没収することは立証責任を転嫁し没収の原理に反するものである。原判決は本件貨物が金進玉の所有でないと断じ乍らも一面「仮りに金進玉の所有とするも同人は犯行を予知して居たと認めらるるから」との理由で没収を正当と判示して居るので或は弁護人の主張と同一見解を採つて居る様にも考えらるるが所有者不明の者の場合其の者が犯行を予知して居たか否かは確認し難いことであるからこの確認なくして没収することは明かに不当である。若し又所有者不明の儘漫然と善意の立証がないから悪意の推定をして没収したとすれば没収の原理を無視し右関税法の解釈適用を誤つて居るものと考える。何れの体よりするも原判決は判決に影響を及ぼすべき法令の違反があり当然破棄せざれば著しく正義に反するものと認めらるるので刑事訴訟法第411条に依り破棄すべきものである。以上の理由により原判決は破棄を免れざるものと信ずる。
[1] 本件における最大の論点であるいわゆる第三者没収の合憲性の問題については、昭和35年10月19日最高裁判所大法廷が昭和28年(あ)第3026号及び昭和29年(あ)第3655号各事件について言い渡した判決に判示されたとおり、他人の所有権を対象として基本的人権の侵害ありとし憲法上無効である旨論議抗争することは許されないものと解すべきであるから、被告人の上告にかかる本件において、没収について違憲のかどありとして原判決を破棄することはできないものと思料する。
[2] なお、この問題に関する検察官の見解は、右両事件における弁論の際詳細に論じたところであるが、さらに主として第三者没収と憲法31条との関係について、若干の所見を開陳したい。
[3] いわゆる第三者没収規定と憲法31条との関係について、明示的な判断を示した判例は未だ存しないが、冒頭に掲げた昭和35年10月19日の2つの大法廷判決に附された反対意見および補足意見は、この問題にふれ、そのあるものは現行の第三者没収規定を違憲であると断じている。しかしながら、検察官としては、この点について異見を有することは、すでに右の2つの大法廷判決にかかる事件の弁論において詳述したとおりである。
[3] 憲法31条の保障の範囲を検察官の理解する如く、その文理どおり「刑罰」に限ると解するならば、いわゆる第三者没収の手続面の問題は、当該第三者に対する関係においては、同条の保障の範囲外にあるといわざるを得ない。けだし、形式的にみれば、第三者没収といえども、それは法定の手続を経て被告人に対し言い渡されるものであつて、没収判決確定の効果として訴外の第三者に不利益を生ずるのは、当該確定判決の反射的効果にすぎず、当該第三者に対する刑罰として没収が言い渡されたことによるものではないからである。また、これを実質的にみれば、被告人たる犯人以外の第三者所有の物件について没収を言い渡す場合は、その形式は被告人に対する附加刑であるが、その実質は主として将来の犯罪の防止のための保安処分であり、とくに所有者に没収の効果が及ぶ点は、実質的には全く保安処分的な効果であるので、刑罰を科する手続を保障した憲法31条の保障の範囲外にあるということになるからである。
[4] さらに、百歩を譲つて、本件没収規定の適用により訴外の第三者たる所有者にその法的効果が及ぶことが憲法31条の保障の範囲内であるとしても、右没収規定は同条には違反しないといえる。アメリカ合衆国においては、適法手続の本質的要素として告知と聴問の権利の保障が必要であるとされているので、わが憲法31条と第三者没収の関係についても、権利者である第三者に対して、予め告知、聴問の機会を与え弁解、防禦をなすことを得せしめることが憲法上の要請であるとする所説があるが、少なくとも解釈論としては、この見解には賛同し得ない。
[5] 右のような見解は、前掲の2つの大法廷判決中の7裁判官の反対意見にみられるが、これらの意見も、法制上第三者に対し告知と聴問の権利が与えられ、防禦権行使の機会が法的に保障されていることが憲法31条の要請をみたすために必要であるか否かについては、説がわかれる。すなわち、右の点が法的に保障されることは立法論としては望ましいが、解釈論としてはこれを欠くからといつて直ちに違憲とはいえず、権利者である第三者を証人として法廷に召喚し、証人調の段階で防禦をなさしめるならば、憲法31条の最小限の要請をみたしたものといえるとする説と、第三者を証人として尋問するだけでは不十分であり、適法手続の本質的要素は、事前の告知、聴問にあるから、これが法定されていることが憲法上の要請であるとする説がある。
[6] 右のような反対意見の間の見解の対立はさておき、そのいずれについても、その基本的な考え方に検察官は多大の疑問を抱くものである。けだし、これらの所説は、いずれも、犯人以外の第三者の所有物を没収するいわゆる第三者没収の手続規定のみを問題にしているが、事は第三者没収の場合のみに限られないからである。憲法31条との関係において、犯人以外の第三者の所有に属する物件について没収を行なう場合には、当該第三者に告知、聴問の機会が与えられなければ違憲であるというのであれば、それは対象物件が犯人以外の第三者の所有に属する場合のみに限られず、たとえそれが犯人の所有に属するときであつても、当該犯人が当該手続で被告人として審理されていない場合には、やはり同様に解さなければ首尾一貫しないであろう。さらにまた、当該裁判において適用せらるべき没収規定が犯人の所有物のみの没収を認めており、かつ、当該公判に顕出された証拠資料からは当該物件が被告人である犯人の所有物に属すると認められ、裁判所が被告人の所有物と認定して没収の言渡をした場合においても、他に真の権利者が存在する場合もあり得る。前掲の反対意見がいうような手続が履践せられ、そのような手続が法的に整備されても、かようなかくれた真の権利者は、事前の告知、聴問の機会を与えられないまま、自己の所有物について没収の言渡がなされることを甘受しなければならないことになる。このようにみてくると、第三者没収の場合に限らず、すべての没収について、その手続が問題になるものといわざるを得ない。そして、一部の反対意見にみられる考え方にしたがうならば、すべての没収について前述のようなかくれた権利者に対しても、事前の告知、聴問を法定しなければ、現行の没収規定は、第三者没収であると否とを問わず、すべて違憲であるという結論に到達する。
[7] このようにすべての没収手続についてかくれた権利者全部に事前の告知、聴問の機会を保障すべき制度としては、事前の公告またはこれに類する方法によるほか、その趣旨に沿う制度はないように思われる。しかしながら、刑事たると民事たるとを問わず、現行の公告制度が、形式的にはともかく、実質的にどれだけ権利者の保護に寄与してきたかについては、多くを述べる必要はあるまい。また、それが権利者保護の見地からみて、ある程度の実効があることを是認し得るとしても、すべての没収についてこれを行なわなければならないとするならば、莫大な国費を要するのみならず、その手続の煩瑣、訴訟の遅延等それによる弊害は堪え難いものがあり、およそ現実的な制度とはいえないであろう。ちなみに、諸外国の制度をみても、たとえば、西ドイツにおいては、その基本法103条1項によつて、裁判によつてその権利を直接に侵害される者に対して事前の法律上の審問(rechtliches Gehoer)の機会が保障されているが、刑法、特別法の没収を通じ、その手続について、右のような公告またはこれに類する制度は設けられていない。同国において、右の基本法の条規との関係において、没収に関する諸規定が整備され、とくに手続面における正当権利者の権利の保障に欠けるところがないものとして、しばしば文献に引用されている1952年3月25日の秩序違反に関する法律(Gesetz ueber Ordnungswidrigkeiten v. 25.3.1952. BGBl.I.S.177)においても、正当な権利者が主たる手続においてその権利を主張することを認めるとともに、没収命令の確定後1年を限つて没収の事後的な取消、売得金の交付等の事後的な救済の途をひらいているにすぎない。
[8] このように考えてくると、すべての没収を通じて、その対象物件の権利者に没収の効果が及ぶ点が憲法31条の保障の範囲内にあると解する立場をとつたとしても、正当な権利者に事前の告知、聴問の機会が保障されることが同条の絶対的な要請であるとすることは相当ではなく、むしろ、問題は、事前および事後を通じて正当な権利者の保護、救済の途としていかなる手段、方法が認められているかという点に帰着するようにおもわれる。
[9] そこで、入江裁判官等の反対意見にあるように、現行制度の運用として、没収の言渡をする前に権利者と認められる者を証人として喚問し、弁解、防禦をなさしめる方法のほか、わが現行法制上、没収の対象物件の権利関係や要件等について誤つた判断をした没収の裁判が確定した場合、正当な権利者に対して、どのような事後的な救済の途がひらかれているかを、考察する必要がある。
[10] その一は、刑事訴訟法497条に基づく交付の制度である。没収の効果が訴外の第三者に及ぶとの見解をとる論者は、同条は、正当権利者の救済としては不十分であることを指摘される。それは、奥野裁判官の反対意見の中でもふれているように、犯人以外の者の所有物が適法に没収されたときは、その所有者は同条にいう権利者には含まれないと解されるからであろう。しかしながら、奥野裁判官や河村(大)裁判官が説示されるように、訴外の第三者に事前に告知と聴問の権利が保障され、その機会が与えられたとしても、その時点以後没収の裁判言渡までの間に対象物件についての権利関係に変動があり、他の善意の第三者が権利を取得することもあり得るし、また、没収の裁判言渡の時点における裁判所の判断に誤りがなくても、裁判言渡後(確定の前後を問わず)に、右のような権利関係の変動を生ずることもあり得る。これらの場合には、事前の告知と聴問の有無にかかわらず本条のような規定によつて権利者を保護する必要があると考えられるし、また、現に本条によつて救済された事例も存在する。本条は、右のような場合のほか、没収の対象物件の所有権の帰属関係や没収の効果を受けるべき訴外の所有者の有責性についての裁判所の判断に明白な誤りがあり、しかもそれが確定してしまつたような場合に対処して、民事裁判による救済とは別に、簡易・迅速な救済方法として、例外的に検察官の判断に基づく交付の途をひらいたものと解される。そうであつてみれば、没収の効果が訴外の第三者にも及ぶという見解をとつても、右の交付の制度は正当権利者の事後救済という見地からみて、決して実効のない規定ではない。また、右のような考え方とは別に、前掲大法廷判決において高木裁判官は補足意見として説示しておられるように、第三者没収の性質が「所有者がその犯罪に無関係でない限り、一応これを取り上げてしまうという一種の行政措置」であることを前提として、没収の訴訟手続に関与する機会を与えられなかつた訴外の第三者は、「たとえその判決が確定しても、その者はこれに対し、手続の違法を主張してその執行を拒むことを得べく、もし敢えて執行を受けた場合は、法の定めに従つて(例えば刑訴法497条)その物の還付を請求することができる」との解釈も可能であろう。
[11] その二は、刑訴法501条の裁判の解釈の申立の制度と同法502条の異議申立の制度である。前者については、その本来の趣旨が、裁判の内容の趣旨が不明確のまま不当な執行を受けることがないようにすることにあると解されることからみて、また、後者については、同条は主として裁判の内容とは異なる執行に関する検察官の処分についての救済規定と解するのがその文理にかなうので、これらの制度をもつて没収についての正当権利者の救済方法であるとすることには、疑問がないわけではない。しかしながら、ドイツ法においては、通常の科刑手続においてなされた没収または廃棄処分の判決の効果を受ける第三者は、当該手続においては防禦の機会を与えられず、執行の段階にいたつてはじめて、執行の対象物件が犯人が犯行に用いたものと同一であるかどうかを争い、あるいは自分が刑法41条2項に規定された人(廃棄処分の対象となるべき文書等の著作人、印刷人、編集人等)の範囲に属するかどうかを争う等の場合に、異議の申立をなし得ると解されており、その根拠規定はわが刑訴法501条および502条とほぼ同趣旨の内容をあわせて規定した刑訴法458条1項であるとされているので、わが刑訴法の解釈としても、これと同様の解釈が可能であろう。
[12] 右に述べたところは、刑事訴訟手続の執行の段階における救済方法であるが、不当に自己の所有物を没収された権利者には、民事訴訟による救済の途も残されている。第三者没収の効果を受ける訴外の第三者から被告人に対し不法行為等に基づく損害賠償等の請求訴訟を提起し得ることは当然であるが、問題は、それ以外に、当該第三者から国を相手方として民事訴訟または抗告訴訟を提起し得るか否かにある。この点については、前掲の2つの大法廷判決においても、異なつた意見がみられる。すなわち、没収判決が確定しても、それは訴外の第三者たる所有権者を拘束しないとの立場をとられる下飯坂裁判官が、「国を相手方として取戻し方の請求(場合によつては損害賠償の請求も)が可能」であるとされるのは別として、没収の効果の点については、同じく、裁判の効果は所有権者たる第三者に及び、所有権は国庫に帰属するとの見解をとられる入江裁判官と奥野裁判官との意見が全く対照的である。すなわち、前者が、没収執行の行政処分に対する抗告訴訟、所有権に基づく民事訴訟のいずれを提起することも可能であるとされるのに対し、後者は、適法に没収の判決が確定した以上、所有権に基づき民事訴訟を提起しても、その理由のないことは明らかであり、さらに、同様の理由によつて国家賠償法によつても、救済されない、とされる。おもうに、抗告訴訟の許否については、およそ刑事手続に関する行為の当否を抗告訴訟によつて争い得るか否かという根本問題があるので、これはしばらくおき、民事訴訟の許否については、これを積極に解すべきものと考える。没収の要件を欠くに拘わらず没収の裁判が確定したときは、国は、実質的には没収物件を国庫に帰属させる権利がないに拘わらず刑事判決の効果として没収物件の所有権を取得するのであるから、真実の所有者に対しては、不当利得の法理により、その利得を返還する義務を負うものと解すべく、没収による所有権の国庫帰属が法律の規定によるものであるからといつて不当利得の成立を否定することは正当でない。故に、真実の所有者は、民事訴訟により裁判所に救済を求めることができる筋合いである。
[13] もとより、検察官としても、現行の没収制度をもつて、権利者保護の見地から見て十全なものと主張するわけではなく、むしろ、その実体面、手続面の両面にわたり、主として正当な権利者保護の観点の下に周到、適切な立法的措置が講ぜられることを期待するものであるが、少なくとも現行法の解釈論としては、右のような正当な権利者の救済手段が認められている限り、第三者没収を含めてすべての没収制度は、憲法31条に違反するものではなく、かつ、同法32条、14条に牴触する点もないものと信ずる。

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