猿払事件
控訴審判決

国家公務員法違反被告事件
札幌高等裁判所 昭和43年(う)135号
昭和44年6月24日 第3部 判決

被告人 郵政事務官 大沢克己 昭和8年7月17日生

■ 主 文
■ 理 由

 右の者に対する国家公務員法違反被告事件について、昭和43年3月25日旭川地方裁判所が宣告した無罪判決に対し、検察官から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官福田巻雄公判出席、審理の上、左のとおり判決する。


 本件控訴を棄却する。


[1] 本件控訴の趣意は、札幌高等検察庁検察官検事竹内猛の提出にかかる控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁の趣意は、弁護人東城守一、同彦坂敏尚、同山本博連名作成名義の答弁書記載のとおりであるから、これらをここに引用して、次のとおり判断する。
[2] 論旨は、原判決は郵政事務官である被告人が日本社会党を支持する目的を以て同党公認候補者の選挙用ポスターを掲示し配布した所為をすべて認めながら、被告人が裁量の余地のない機械的労務を提供するにとどまる非管理職の現業公務員でしかも職務を利用し、もしくはその公正を害する意図もなしに、かつ国の施設を利用することなく勤務時間外に右各所為をなしたにとどまるものであるから、かかる所為に適用される限度において国家公務員法第110条第1項第19号は憲法第21条および同法第31条に違反するとして無罪の言渡をしたが、被告人の職務内容の実態は保険、郵便、為替貯金につき適法性の有無および権限の存否等の判断を要する点において裁量の余地なき機械的労務の提供にとどまるものではなく、原判決はこの点について審理を尽さずひいては判決に影響を及ぼす事実誤認の違法を冒したものであるというのである。
[3] よって、所論に基き本件記録を精査し原判決を検討するに、原判決が、本件公訴事実に沿う被告人の選挙用ポスターの掲示および配布の各所為を認定しながら、国家公務員法制定改正の経緯、諸外国の政府職員、我国における地方公務員三公社職員の政治活動制約のあり方、関連する最高裁判所裁判例の趣旨などに鑑み、被告人の如き地位職務の者のかかる所為にまで3年以下の懲役または10万円以下の罰金という刑事罰を加える旨定めた国家公務員法第110条第1項第19号はさような適用の限度において憲法第21条および同法第31条に違反するとして無罪の判決をしたことは所論のとおりである。しかしながら、(証拠略)によると、被告人は中学を卒業し一時村役場に勤めた後、昭和29年10月鬼志別郵便局の事務補助員となり同年11月16日事務員を経て昭和39年10月1日郵政事務官に任命され、本件当時鬼志別郵便局において主として簡易保険積立貯金などの職務を担当していたが、簡易生命保険については簡易生命保険法、同約款、同業務取扱規程、郵便貯金については郵便貯金取扱規程の各詳細な定めがあり、すべての処理取扱は挙げてこれらに準拠して行うべきものとされ、被告人の裁量において左右しうる職務権限のなかったことが明らかであって、(証拠略)に徴しても、被告人の担当した職務権限はまことに裁量の余地なき機械的事務に過ぎなかったと認められるので、この点につき原判決にはなんら所論主張の如き審理不尽ないし事実誤認の違法があるとは認められず、論旨は理由がない。
[4] 論旨は、要するに原判決は前叙の如く本件公訴事実に沿う各所為を認定したうえで、それらの選挙用ポスターの掲示ないし配布の所為は孰れも国の施設を利用したものでもなければまた職務を利用したものでもないとしたが、本件公訴事実中の第二の三掲記の所為は、被告人がその勤務する鬼志別郵便局の郵便物区分台を利用し小石地区集配の職務に当った郵政事務官山川健二に依頼して掲示させるという手段方法に依ったものであることが明らかで、かかる所為は国の施設を利用し且つ職務を利用したものといわざるをえず、この点において原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認の違法があるというのである。
[5] よって記録を検討するに、(証拠略)によると、被告人は鬼志別郵便局勤務の郵政事務官として全逓信労働組合稚内分会に所属し昭和41年7月には同分会執行委員に選任され、同年8月には右分会の加わる地方組織である猿払地区労働組合協議会の事務局長になっていたところ、昭和42年1月29日施行の衆議院議員選挙をひかえ全逓信労働組合および右地区労協においては社会党公認の芳賀貢および安井吉典を推すことが決定され、同年1月6日頃右両候補選対事務所から被告人の肩書住居に宛てて各候補100枚宛の選挙用ポスターが郵送されて来て掲示場貼布方依頼する旨の書面が同封されてあったこと、そこで被告人は翌7日頃村役場選挙管理事務所でポスター掲示板の所在個所を尋ねて一部を郵送配布するとともに、翌8日は丁度日曜日でもあって偶々鬼志別駅前の旅館で催された囲碁同好会の世話役であった被告人は席を外して公訴事実第一のように自らポスター若干を貼り歩いたうえ、さらに碁会終了後局舎から借り出して使用した碁盤を戻しに行く途中思い出す侭に自宅に立ち寄って残りのポスター8枚を携え鬼志別郵便局舎内で貼布方依頼の伝言を書き残してこれを郵便物区分台上にさし置いたこと、翌日小石地区集配の仕事に従事した山川健二は「小石の配達さんお願いします。一番に貼って下さい」旨書かれた伝言に従って右区分台上のポスターを集配の途次掲示場に貼ったこと、以上の経緯が認められる。而して、所論は、被告人が右のように日曜日の碁会の帰途事のついでに局舎に立ち寄った際の所為も区分台上にさし置いた点において国の施設を利用したものにほかならず、因って職務上の同僚山川健二をしてその集配の途次貼布させるに至った点において職務を利用したものにほかならないと主張するのであるが、原判決が被告人の所為は国の施設を利用しない行為であるというその趣旨はポスターの掲示ないし配布の所為が鬼志別郵便局の庁舎内その他の国の施設において或はこれを利用して掲示ないし配布するという人事院規則14-7の第6項の12号の予想するような型の所為に属しないということを意味するにあること、そしてまた原判決が被告人の所為が職務を利用したものでないというその趣旨は同じく人事院規則14-7の第6項の1号にいう職権ないし地位の影響力を利用した如き型にも該らないという意味であることにかんがみると、所論は原判決中の「施設の利用」とか「職務の利用」とかいうそれら辞句の判文に占める意味を誤解したものといわざるをえないばかりでなく公訴事実第二の三掲記の所為の経緯が右認定の程度態様のものである以上、「施設の利用」とか「職務の利用」とかいうには隔ること遠く、それらに該るとは到底解し難いので、所論は採用の限りでない。
[6] 論旨は、要するに原判決は被告人が職務の公正を害する意図なくして選挙用ポスターの掲示ないし配布をした旨認定したが、証拠によれば被告人は国家公務員として関与してはいけない政治的行為であることを知りながら右所為に出たものであることが明らかであるから、この点において判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認の違法があるというのである。
[7] なるほど、被告人が国家公務員法によって禁止されていることを認識しながら本件選挙用ポスターの掲示ないし配布の所為に出たことは所論指摘のとおりであるが、原判決が被告人の所為が職務の公正を害する意図なくして為されたものである旨判示したのは、被告人の所為は人事院規則14-7の第6項2号のいうような任用、職務、給与その他地位に関する代償的利益又は報復的不利益を企てたものでないことすなわち左様な不公正な企図をはらんだ類の行為でないことを説明したのであって、所論は原判決の説示における「公正を害する意図」の意義を誤解した議論にすぎず、論旨は理由がない。
[8] 論旨は要するに、原判決は国家公務員法制定、改正の経緯、他の公務員犯罪の法定刑との比較、地方公務員三公社職員らに対する同種の制約との均衡などに考察を加えたうえ、すべての一般職の政治的行為に一律に比較的重い刑事罰を以て臨むことは合理的な必要最少限度を超えたもので、国家公務員法第110条第1項第19号は被告人の本件所為に適用される限度において憲法第21条、第31条に違反するとしたが、全体の奉仕者たる国家公務員の中立性保障のためにその政治的活動を禁止しその違反に刑事罰を科する旨定めた国家公務員法が憲法に違反しないことは最高裁判所の判例とするところであり、現業とはいえ公益性の強いかつ広く一般国民と接触する職務に従事する被告人には政治的中立性が強く要請されて然るべきであって、地方公務員や三公社職員の政治行為を如何に規制するか、国家公務員の職務の如何に拘らず末端に至るまで政治活動の行われる時と所とを問わず一律に制約を加えるかなどは挙げて立法府の合理的裁量に委ねられた立法政策上の問題であり、その定めが著しく不合理で憲法に違反すること明白でない限り違憲とされるべきではないから、原判決が国家公務員法第110条第1項第19号は被告人の所為に適用される限度において憲法第21条および同法第31条に違反するとしたのは、憲法第21条および同法第31条の解釈を誤ったもので原判決は破棄を免れないというのである。
[9] よって審按するに、国家公務員法第102条が一般職の国家公務員につき政治活動を制限する理由が憲法第15条にいう国民全体の奉仕者として要請される政治的中立性の確保にあること所論のとおりであるが、かかる理念に立脚する国家公務員法第102条が合憲である旨判示した所論指摘の各最高裁判所判決はいずれも原判決の説示したとおり憲法第14条との関係における判断であるにとどまり、憲法第21条との関係で本件のような具体的事案において合憲的に刑罰を科しうるかどうかの点についてまで判断を示したものではない。而して、かような立法理由に基き一方における公務員の政治的中立の要請と他方における民主社会の市民の積極的参政の理念との具体的調和点を今日の我国の現実的諸条件をふまえて何処に求めるか、換言すれば、公務員の職種ないし階層の如何により、政治活動の如何なる態様のものについてどれほどの範囲にわたり、如何なる程度種類の制裁を予定して制約を科するかは、まずもって立法府の合理的裁量の領域に属するものというべきである。けだし、立法府が国民の意思に基き右の調和点として秤量選択したところが、法として制定された以上、よしんばおよそ立法に時として免れ難い不合理や不均衡ないし誤謬逸脱の廉があっても、それが顕著の故に違憲であること明白と断じえない限りは、一般的にはできる限り司法審査の介入はこれを差し控え、ひとえに国民の多数意思を反映する政治過程自体の裡において是正修復されるべきものとする民主政の基本的機能に期待するのが、まさに三権分立の建前と民主政の仕組に鑑みて司法審査の原則といわなければならないからである。にも拘らず、原判決が、この理を説いていわゆる合理性の基準を明らかにした昭和40年7月14日の最高裁判所大法廷判決(民集19巻5号1198頁)に言及しながら、それが労働基本権の制約に関する判例であって言論の自由ないし政治活動の自由に関するものでない旨を説示したうえ、右合理性の基準を採らず「同じ目的を達成できる、より制限的でない他の選びうる手段」という基準に準拠したゆえんを考察するに、凡そ民主政はその自らの政治過程の裡に前記の如き柔軟な復元機能を喪うことなく保持する限りにおいて生存しうるという意味において、言論の自由ないし政治活動の自由こそがまさに民主政の中核としてその死命を制する根本原理というべきであるから、如何なる理由原因によるにせよひとたび右の自由が制約されるにおいてはそれ丈右の復元機能は柔軟性を喪い、民主主義政治過程に本質的な是正修復の方途を喪い果は麻痺硬塞という事態を招来することもありうるという重要性の故に、言論の自由ないし政治活動の自由をめぐる司法審査については立法府の広汎な裁量を前提とする合理性の基準は必ずしも適切でないとの配慮に基くと理解されるのである。原判決がかかる思考方法に立脚して、国家公務員法第102条、人事院規則14-7、同法第110条第1項第19号をめぐる具体的詳細な立法事実を検討したうえ、被告人の本件所為の如きにまで3年以下の懲役又は10万円以下の罰金という刑事罰を加えることを予定することは必要最小限の域を超えるものと評価し、国家公務員法第110条第1項第19号が本件所為に適用される限度において憲法第21条および第31条に違反するから適用することができないと判断したのは、まことに相当ということができるのであって、原判決にはなんら所論主張の如き憲法解釈の誤は存せず、論旨は理由がない。

[10] よって本件控訴は理由がないので刑事訴訟法第396条により棄却することとして主文のとおり判決する。

  裁判長裁判官 斎藤勝雄  裁判官 深谷真也  裁判官 小林充

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