農地改革事件
上告審判決

最高裁判所 昭和25年(オ)第98号
農地買収に対する不服申立事件
昭和28年12月23日 大法廷 判決

上告人 (控訴人・ 原告) 田中一策
          代理人 神谷健夫 外4人
被上告人(被控訴人・被告) 国

■ 主 文
■ 理 由

■ 裁判官栗山茂の補足意見
■ 裁判官井上登、同岩松三郎の意見
■ 裁判官真野毅の意見
■ 裁判官斎藤悠輔の反対意見

■ 上告代理人神谷健夫、同松浦松次郎、同峯田猪之助、同小林正一の上告理由


 本件上告を棄却する。
 訴訟費用は上告人の負担とする。

[1] 政府が、自作農創設特別措置法(以下自創法という)3条によつて農地を買収する場合は、自創法第1条に定める目的を達するために行うのであり、もとより所有者に対し憲法29条3項の正当な補償をしなければならないことはいうをまたない。しかるに自創法6条3項によれば、農地買収計画による対価は、田についてはその賃貸価格の40倍、畑についてはその賃貸価格の48倍を超えてはならないという趣旨が定められている(以下この最高価格を買収対価又は単に対価という)。よつて自創法の定めるこの対価が憲法29条3項にいわゆる正当の補償にあたるかどうかを考えて見なければならない。

[2]一、まず憲法29条3項にいうところの財産権を公共の用に供する場合の正当な補償とは、その当時の経済状態において成立することを考えられる価格に基き、合理的に算出された相当な額をいうのであつて、必しも常にかかる価格と完全に一致することを要するものでないと解するを相当とする。けだし財産権の内容は、公共の福祉に適合するように法律で定められるのを本質とするから(憲法29条2項)、公共の福祉を増進し又は維持するため必要ある場合は、財産権の使用収益又は処分の権利にある制限を受けることがあり、また財産権の価格についても特定の制限を受けることがあつて、その自由な取引による価格の成立を認められないこともあるからである。

[3]二、よつてすすんで自創法6条3項に定める対価の構成を考えて見るに、この対価基準はすでにいわゆる第1次農地改革の時期における改正農地調整法6条の2(昭和20年12月28日法律第64号昭和21年1月26日農林省告示第14号参照)に基いているのであるが、まず対価の採算方法を地主採算価格によらず自作収益価格によつたことは、農地を耕作地として維持し、耕作者の地位の安定と農業生産力の維持増進を図ろうとする、農地調整法(以下農調法という)よりいわゆる第2次農地改革において制定された自創法(昭和21年10月21日法律第43号)に及ぶ一貫した国策に基く法の目的からいつて当然であるといわなければならない。そこでこの採算方法に従つて生産高の基準を田について算出された平均水稲反当の玄米実収高2石(昭和15年より同19年までの5個年平均)に置き、これを比率によつて供出分(1石143)と保有分(0.857)に分ち、それぞれ昭和20年末における生産者価格(石150円)と売渡価格(石75円)とによつて金額に換算し、この金額(234円36)に副収入(14円39)を加えた金額(248円75)を反当粗収入として対価算出の基礎としたことは計算の項目において合理的であるばかりでなく、数字においてもその時期(前掲第1次農地改革)において合理的であつたといわなければならない。そしてこの計算の基礎とされた前記米価は、いわゆる公定価格(食糧管理法3条2項4条2項)であるが、このように米価を特定することは国民食糧の確保と国民経済の安定を図るためやむを得ない法律上の措置であり、その金額も当時において相当であつたと認めなければならないから、農地の買収対価を算出するにあたり、まずこの米価によつたことは正当であつて、所論のように憲法の規定する正当の補償なりや否やを解決するについての標準とはならないということはできない。さらに右反当粗収入の金額より反当生産費用(212円37)を控除した残額(36円38)がすなわち耕作者としての反当純収益であるが、耕作者としては利潤を見なければならないから、これを反当生産費用の4分(8円50)とし、これを控除した額(27円88)が結局耕作者が土地を所有することによつて得る地代部分に相当する金額であることは、その算出過程においてなんら不合理を認めることはできない。この地代部分(27円88)を取得する元本を当時の国債利廻り3分6厘8毛により還元して算出するときは、反当相当額757円60銭となり、この金額がすなわち農地の自作収益価格に外ならない。自創法6条3項の規定は、当時の中庸田の反当標準賃貸価格(19円01)をもつてこの自作収益価格を除するときは、その40倍弱(39.85)となるので一般に適合する算出基準として賃貸価格の40倍と定めこれを買収対価としたのである。畑の買収対価については、田の反当売買価格(727円)と畑の反当売買価格(429円)との比率(5割9分日本勧業銀行昭和18年3月調査)を田の自作収益価格(757円60)に乗じて算出した畑の自作収益価格(446円98)が、中庸畑の反当標準賃貸価格(9円33)の48倍弱(47.90)となるので、これを田の場合と同じく一般に適合する算出基準として賃貸価格の48倍と定めたのである。以上のとおり田と畑とに通じて対価算出の項目と数字は、いずれも客観的且つ平均的標準に立つのであつて、わが国の全土にわたり自作農を急速且つ広汎に創設する自創法の目的を達するため自創法3条の要件を具備する農地を買収し、これによつて大多数の耕作者に自作農としての地位を確立しようとするのであるから、各農地のそれぞれについて、常に変化する経済事情の下に自由な取引によつてのみ成立し得べき価格を標準とすることは許されないと解するのを相当とする。従つて自創法が、農地買収計画において買収すべき農地の対価を、6条3項の額の範囲内においてこれを定めることとしたのは正当であつて、補償の額は少くともこの基準以内であれば足り、これを越えることを得ない最高限を示したものに外ならない。上告人所論のように、この対価基準は買収当時の一般経済事情を考慮して、これを越えた額を定めることのできる一応の標準を示したに止まるものと解することはできない。

[4]三、さらに前記買収対価の外に、農地所有者に対しては、その農地の面積に応じ特定の基準(田反当220円畑同130円)による報償金が交付される(自創法13条3項4項)。この算出方法は、農地の所有者が自ら耕作せずこれを賃貸して小作料を収益する場合に考えられる価格であつて、まず田については前記反当2石の基準小作料は普通田の小作料基準(3割9分)により7斗8升となるのであるが、小作料はすでに現物によらず金納となつているから(改正農調法9条の2)、これを地主価格の石当米価(55円)により換算するときは42円90銭となり、これより地主の負担すべき反当土地負担6円89銭(昭和18年3月日本勧業銀行調査普通田反当土地負担に昭和19年地租増加額を加算)を減じた額(36円01)が地主の純収益である。これを前記買収対価の場合と同じく国債利廻りにより還元した金額(978円53)がすなわち地主採算価格であつて、これと前記田の自作収益価格(757円60)との差額(220円93)が報償金(端数切捨)の金額である。畑については、前記買収対価の場合と同じく田との比率により算出した地主採算価格(577円33)と畑の自作収益価格(446円98)との差額(130円35)が畑の報償金(端数切捨)である。すなわち報償金によつて地主採算価格の面よりする合理的補償も考慮されているのであつて、その算出の項目と数字がいずれも客観的且つ平均的標準でなければならないことは買収対価について述べたとおりである(二、末段参照)。このように、前記買収対価の外に、地主としての収益に基き合理的に算出された報償金をも交付されるのであるから、買収農地の所有者に対する補償が不当であるという理由を認めることはできない。

[5]四、さらにすすんで前記自創法6条3項の買収対価は改正農調法6条の2(昭和21年農林省告示第14号参照)に基くものであつて、その後の経済事情の変動にかかわらずそのまま据え置かれ、本件上告人の畑について買収令書が交付された昭和22年11月25日においても変更がなかつたのであるが、上告論旨はこの点に関し、ある時期に正当な補償たるに十分な価格といえども、他の時期には経済事情の変化によつて正当な補償たるに足りないことがあり得るのであつて、専ら買収処分当時における経済事情を基準として正当な補償か否かを決定すべきものであると主張するから、この点について考えて見るに
[6](一) およそ農地のごとくその数量が自然的に制約され、生産によつて供給を増加することの困難なものは、価格の成立についても一般商品と異なるところがあり、収益から考えられる価格も、土地の面積は本来限定されているから、生産に自から限度があるばかりでなく一般物価が高くなつても生産費がこれと共に高くなれば、収益は必しもこれに伴うものでなく、従つて収益に基く価格は物価と平行するとはいえないのである。また農地の性質上主として需要に依存する価格が考えられるが、価格が国家の施策によつて特定されるに至るときは、かかる価格も自由な取引によつて成立することはほとんど不能となり、単にその公定又は統制価格が、当時の経済状態における収益との関係において著しい不合理があるかどうかの問題を残すに過ぎないと見なければならない。
[7](二) そこでわが国における農地制度の国策の進展を見るに、すでに昭和13年4月農調法を制定し、農地の所有者及び耕作者の地位の安定と農業生産力の維持増進を図り、もつて農地を調整し(1条)、併せて自作農創設維持(4条6条7条)を達成することに着手したのであるが、この方向に進む施策は、戦争の危機が近ずくに伴つて次第に強化の一途をたどり、ついに終戦後における連合国の強力な推進によつてさらに飛躍し自創法の成立を見るに至つたのである。従つて自創法の定める農地買収計画のごとき強度の改革は、連合国の指令によらなければ早急に実現することはなかつたであろうが、わが国策の軌道の上に考えられないことではなかつたのであつて、他のある制度のように連合国の指令によらなければその実現を全く考えられなかつたものとは類を異にすると見なければならない。この点について農地調整法成立後わが国の農地の性質が変化して行つた経路をたどつて見ると、(1)特定の自作農地は譲渡その他の処分に一定の制限を附されていたが(昭和13年4月農調法6条)、これらの制限はさらに一般農地に拡張されるに至り(昭和19年3月改正臨時農地等管理令7条の2昭和20年12月改正農調法5条)、(2)農地はこれを耕作以外の目的に変更することを制限されていたが(昭和16年2月臨時農地等管理令3条5条)、この制限はさらに改正農調法に引継がれ(昭和21年10月改正同法6条)、(3)小作料は原則として昭和14年9月18日の額に据え置かれたが(昭和14年12月小作料統制令3条)、この据置の趣旨はさらに改正農調法に引継がれ(昭和20年12月改正同法9条の3)、(4)次で小作料は原則としていわゆる金納と定められ(昭和20年12月改正農調法9条の2)、(5)農地の価格は特定の基準に統制され(昭和16年1月臨時農地価格統制令3条)、この統制は改正農調法に引継がれた(昭和20年12月改正同法6条の2)。このように農地は自創法成立までに、すでに自由処分を制限され、耕作以外の目的に変更することを制限され、小作料は金納であつて一定の額に据え置かれ、農地の価格そのものも特定の基準に統制されていたのであるから、地主の農地所有権の内容は使用収益又は処分の権利を著しく制限され、ついに法律によつてその価格を統制されるに及んでほとんど市場価格を生ずる余地なきに至つたのである。そしてかかる農地所有権の性質の変化は、自作農創設を目的とする一貫した国策に伴う法律上の措置であつて、いいかえれば憲法29条2項にいう公共の福祉に適合するように法律によつて定められた農地所有権の内容であると見なければならない。
[8](三) また自創法6条3項の対価基準の定められた以後における諸物価の値上りとの関係を見ると、農地にもつとも密接な米価についていつても、対価決定当時(昭和20年末)の生産者価格(石150円)と売渡価格(同75円)は、本件買収令書交付の時(昭和22年11月25日)までにいずれも数回改訂されていることが認められる。しかしながらこの米価の改訂は、戦後における経済事情の急変により主として生産費が著しく上昇したのに対応した措置であり、生産者たる耕作者を基準とする米価対策の上から当然であつて、なんら生産そのものに直接関係のない地主たる農地所有者に対し、その農地価格をこれに応じ直ちに改訂しなければならないものではない。また法律により定められる公定又は統制価格といえども、国民の経済状態に即しその諸条件に適合するように定められるのを相当とするけれども、もともとかかる公定又は統制価格は、公共の福祉のために定められるのであるから、必しも常に当時の経済状態における収益に適合する価格と完全に一致するとはいえず、まして自由な市場取引において成立することを考えられる価格と一致することを要するものではない。従つて対価基準が買収当時における自由な取引によつて生ずる他の物価と比べてこれに正確に適合しないからといつて適正な補償でないということはできない。

[9]五、以上に述べた理由により自創法6条3項の買収対価は憲法29条3項の正当な補償にあたると解するを相当とし、これと異なる上告人の主張はすべて独自の見解に立つものであつて採用することはできない。従つてまた原判決が憲法29条3項に反するという論旨も理由がない。
[10] 原判決は、すでに自創法6条3項の買収対価が憲法29条3項に違反するものでないと判断したのであつて、その正当なることは第一点及び第三点について説明したとおりであるから、これと異なる見解を前提として原判決の審理不尽を主張する論旨は理由がない。
[11] よつて民訴401条、95条、89条に従い、主文のとおり判決する。

[14] この判決は裁判官栗山茂の補足意見、裁判官井上登、同岩松三郎、同真野毅、同斎藤悠輔の各反対意見を除く外全裁判官一致の意見によるものである。


 裁判官栗山茂の補足意見は次のとおりである。

[1] 憲法29条3項の「正当な補償」について少数説もあるので私かぎりの意見を補足する。
[2] 憲法29条3項にいう「公共のために用ひる」というのは、私有財産権を個人の私の利益のために取上げないという保障であるから、その反面において公共の利益の必要があれば権利者の意思に反して収用できる趣旨と解すべきである。(同項はその英文と同じ意味であると解すべきであろう。)同項にいう公共の用というのは公共の利益をも含む意味であつて何も必しも物理的に公共の使用のためでなければならないと解すべきではない。又収用した結果具体的の場合に特定の個人が受益者となつても政府による収用の全体の目的が公共の用のためであればよいのである。本法(自作農創設特別措置法を言う。以下自創法という)の場合のように、第1条にかかげる公共の用のために政府から強制買上された農地が更に特定の小作人に売渡されても収用の目的自体の性質に変りはない。又同項の保障は土地収用法の対象となつている公共事業に限られるものではない。契約上の権利利益でも私有財産権であるから、これが公共の用の必要がある以上は収用できなければならないことは明である。例えば公共の用のために国が特定種類の企業を公有とする場合にこの種企業における個人の株主たる地位を一般的標準によつて画一的に強制買上できないものではないと思う。一般的標準による画一的買収が具体的の収用に妥当するかどうかは、むしろ正当な補償の問題として考慮せられるべきものであろう。何れにしても憲法29条3項の収用が通常土地収用法の対象となつている公共事業に適用されるということから、同項の適用が同法が採用している形式に限らるべき理はない。憲法29条3項の保障は第一義的には公共の用のためでなければ私有財産権を収用されないことであり、第二義的には収用に対する正当な補償の支払である。同項の収用は公共の用を目的とするものであるが、収用される私有財産権は同条2項により公共の福祉に適合するように定められている内容のものであつて、3項の正当な補償というのはこの私有財産権の損失の填補である。そもそも資本主義が高度に発達した現代ことに第1次大戦についで第2次大戦を経た後の自由諸国の通念では、私有財産権は資本として、それを持つている者が持つていない多数の者を支配し制圧するから、財産権は公共の福祉に適合するように社会的義務で裏付されているのである。わが憲法ももとより同じ理念から出ていることは同法25条、28条の法条規と併せて29条の条規を見れば明らかである。ここに財産権というのは不動産に関する権利を設定し移転したり又は財産的給付を受領したり支払つたりする契約上の権利利益も含まれていることは言うまでもない。例えば利息制限法、地代家賃統制令、農地調整法又は農地法物価統制令等によつて金銭の消費貸借契約、土地建物の地代家賃、農地の取引価格等が規制されているのは何れも憲法29条2項の趣旨によるものである。同項によればたゞに所有権ばかりでなく自由契約の内容も、18世紀から19世紀の初頭にかけた時代のように意思の自由が至高なものではなく常に公共の福祉によつて規制されるというのである。即ちそれぞれの財産権の内容が法律で定められる程度は、その財産権を持つている者の利益を尺度としてでなく、公共の福祉がその尺度となるというのである。それ故かような内容の私有財産権を収用しうるために法律が正当な補償を定めるに当つては、そうして又裁判所が正当な補償かどうかを判断するにしても、収用を必要とする公共の利益と被収用者の個人の利益とを比較するばかりでなく、被収用財産に内在する社会的義務をも勘案しなければならないことは明である。それ故正当な補償をするために社会的に見て合理的な基準で私有財産権が収用されなかつたであろうと同じ程度の価値評価をするにしても、この価値評価は必しも被収用財産の損失の経済評価ばかりでなく社会価値の評価が伴われなければならないことは明である。いうまでもなく収用は政府が権利者と自由取引の上でするのではなく、公共の用のために権利者の意思に反して強制買上をするものであるから被収用者が自由取引で得たであろう利益を補償すべき理はない。言いかえれば被収用者を利得せしめるために収用するものではないから少数説中に主張されているように被買収者が正当と思料するような市場価格とか個々の私有財産権の客観的価値に対応する等価値対価とかの補償といつたような自由取引を建前とし且社会価値の評価を無視する私有財産権の偏重は憲法29条2項3項の趣旨にも副わない解釈と言わなければならない。私は以上の見地から自創法による補償を考えて見ることとする。自創法制定当時における地主の農地所有権は農調法によつて、処分の制限、使用目的の変更の制限、土地取上の制限、小作料の金納化とその統制等のいろいろの規制の下におかれていたのである。言いかえれば農地所有権の内容は憲法29条2項により封建的支配権たる性質を失わしめられて、自ら耕作して収益すべき社会的義務が内在するものとされ従て自ら耕作しない地主にありては統制された金納小作料を受領しうる私有財産権となつていたのである。それ故自創法が自作農を創設するために不在地主の小作地及び在村地主の一定の面積の小作地を収用するには、農調法で統制されていた金銭的小作料を受領しうる利益を内容とする所有権の損失を填補しても敢て憲法29条の趣旨に反することにはならないわけであるが農調法6条の2に定められている統制額はもともと農地の所有者の意思に反して強制買上をする額として定められたものでないから、自創法6条3項は買収により地主が蒙る損失の填補は、自作収益価格を基本とする農地の対価を支払うことによつて、地主を自ら耕作し収益したであろう本来の状態におくこととしたものであつて、それだけで既に正当な補償ということができる。しかも同法13条3項4項の報償金の交付によつて当該農地の収量、位置その他の特別の状況を参酌して右対象を補正するものとしているのであるから、私の意見では両者を併せて憲法29条3項にいう正当な補償たらしめたものと解するのを相当とする。
[3] 次に自創法3条の規定で買収された農地の対価の額に不服ある者は同法14条で訴を以てその増額を請求することができるのであるが、それはすでに本法によつて定められた買収対価の範囲内における増額の訴であつて、前段説明したような正当な補償の増額の訴と解すべきものではないと思う。もともと憲法29条2項によつて法律が特定の私有財産権について、その取引とかその価格とかを統制すべきかどうか又は統制するとしてどの程度に統制するのが国民生活上相当であるかどうかというような実質的な相当性は法律自ら公共の福祉を尺度として定めることになつているから、法律に特段の定めがない限り(例えば自創法6条3項但書)法律が定めた統制額の相当性は司法的抑制の外にあることは明らかである。されば本法においては被買収者の増額の訴求権は法律が定めた範囲に限られても裁判所の救済を受ける権利は毫も奪われたことにはならないのである。


 裁判官井上登、同岩松三郎の意見は次のとおりである。

[1] 私達は多数説が本法(自作農創設特別措置法―以下同じ)の買収を憲法29条3項の買収なりとし、しかも本法6条所定の価額は最高価額であつて、それ以上の訴求を許さないものと解しながら、なお合憲なりとすることに賛成出来ない。先ずその理由から先きに書くことにする。
[2] 本来からいえば憲法29条3項は例えば鉄道の敷設等公共事業の為めに、これに必要な局部的に限定された個々の土地を買収する様な場合に関する規定であり、汎く全国の地主から農地を取上げてこれを小作人に交付することを目的とする本法買収の如き革命的な場合を考えて居るものとは思えない。(買取した土地も特定の小作人に交付されるのであつて公共の為めに用いられるのではない、この点から見ても29条3項に適確に当てはまるものではない、「公共の為めに用いる」というのは「公の福祉の為め」というのよりは狭い観念である)なお憲法29条3項による買収ならば個々の土地について一々その属性特質を調査し鑑定その他によつて各場合における具体的な正当の市場価格を見出さなければならないのであつて、本法買収の如き個性を無視した一般的標準による画一的買収は許されない。(後記法14〔条〕についての多数説の解釈参照)また、本件の買収が憲法29条3項の買収だというならば、同項は飽く迄正当の補償を要件として居るものと見なければならないから、被買収者は買収価格が正当でないと思料するときは、正当価格に達する迄増額を裁判所に訴求する権利を持たなければならない。法律を以て最高額を定め、それ以上の訴求を認めないというが如きは許されない。法第14条は法定価格内の増額請求を許すだけで、それ以上の訴求は認めない趣旨だと一般に解されて居り、多数説もこの解釈を採るのであるが(法全体の趣旨から見るとそう解する根拠が相当あることは私も認めないわけではないが後に記す様な理由で私はこの解釈に賛成出来ない)そうとすると被買収者が法定価格を超過する請求をすれば裁判所はその超過部分については請求額が正当なりや否やの審査をすることなく、不適法の請求として所謂門前払をすることとなり、この部分については被買収者は憲法の保障する権利について裁判所の裁判を受ける権利を常に奪われることとなるであろう。この場合裁判所の裁判とは正当なりや否やの内容に入つた裁判でなければならないのであつて、前記の様な門前払の裁判であつてはならないからである。
[3] 仮りに憲法29条3項を多数説のように広く解するとしても同条の買収として合憲ならしめる為めには、少なくとも正当価格に達する迄の訴求権を認め、また出訴期間を定めるならば十分余裕ある合理的期間を定めなければならない。憲法29条3項について最高裁判所によつて多数説の様な理論が認められ、本法所定の如き方法、価格による買収が合憲なりとされるならば、これは向後右憲法法条の名において、立法によつて本法の如き無理な買収が繰り返される道を開くことになる虞がある。そして同条1項の保障は大なる危殆にひんするであろう。私達はこれを憂うのである。
[4] 本法の買収は被占領中の司令官の指令による農地改革であり、憲法外において為されたものである(1945年12月9日農地改革に関する覚書)。この事は今更私達がいわなくても周知の事実であろう、それだからこそ当時地主達も誠に已むを得ない不可抗力のものと観念してこれに服従したのであつて、これを前提としない限り、この買収は到底理解し得ないのである。
[5] 当時政府は右指令の趣旨に従い速に買収を実施すべきことを督促されて居たので、急ぎ本法を立案し司令部に示してそのアブルーブを得、国会も指令実行の為めであるから已むを得ないものとして通過させたのである。司令部は法案について十分検討した上アブルーブを与えたのであつて、法成立後は本法の定める手続に従い急速に買収を遂行すべきことを督促指令して居たのである(1948年2月4日農地改革に関する覚書)。
[6] 当初は固より方法、価格等に至る迄詳細の指令を受けたわけではないけれども本法成立後は右の如くその定むる処に従つて急速に買収を遂行すべきことを厳に督促指令されて居たのであるから結局本法の買収は全面的に指令によるものといわなければならない。
[7] それ故本法の買収は独立前確定したものは前記の如く司令官の権力の下において憲法外に効力を有したものであり、又訴訟の繋属するものでも買収そのもの(所有権の移転)は同じく既に効力を生じたものといわなければならない。蓋本法は只価額についてのみ訴の提起を許し、所有権移転については絶対に争うことを許さないものだからである。右の如く被買収者の意思如何を問はず、強制的に所有権を徴収し価額についてのみ争を許すものにおいては普通の任意売買と異なり所有権の移転と価額の確定とを分離して考えることが出来、所有権の移転は買収行為完了の時において効力を生じ、価格について訴を起したものについては、その点のみが不確定のものと見なければならない。(此点は真野裁判官も同意見の様に見える。)然るに講和成立後の今日においては、司令官の権力というものは無いから、内容が違憲の法規は裁判所はこれを適用することが出来ないのである。そして土地を地主から買収して小作人に与える様な場合、正当の補償を与えないというようなことが許されないことは憲法29条の規定の精神に徴し明白である。従つて被買収者は正当価額に至る迄対価の訴求を為し得るものと見なければならない。此意味で私達は法6条及14条について真野、斎藤両裁判官の解釈に合流したい。そう解釈する理由は大体同裁判官の書いた所と同じである。私達は本法の様な広範囲な一般的なそして一方から土地を強制的に剥奪して他の個人に与える様な土地改革が(それがいいか悪いかは別として)私所有権を厳に尊重する憲法下において許されるかどうかについて多大の疑を持つ者であるが、それは暫く措くとして憲法29条3項の買収においては、本法の如き頗る疑わしき価額を法定し、且それ以上の訴求を絶対に許さぬものと解し得べき根拠も多分に存在する様な規定の仕方を為し、しかも出訴期間を殆んど実際の役に立たぬ様な短期に限定することは許されないのであつて向後共、同条の名において右様な法律が制定されることがあつてはならないと思うのである。これが私達が長々と意見を書いた所以である。


 本件に関する裁判官真野毅の意見は、次のとおりである。

[1] わたくしは、本件は第一審及び原審の判決を取消し第一審裁判所に差戻さるべきものと考える。
[2] 憲法29条3項は、「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」と定めている。
[3] ここに「正当な補償」というは、当該財産が具体的・個別的に保有する客観的な価値に、対応する等価値対価を指すものである。
[4] 政府が、自作農創設特別措置法(以下自創法という)3条によつて農地を買収する場合に定められる6条所定の対価は、特定の平均的基準によつて割出された抽象的な対価であるに過ぎない。
[5] だから、自創法6条による対価は、いくら多くの言葉を費やしてみたところで、所詮、買収される農地が個別的に保有する客観的な価値に対応する等価値対価ということはできない。
[6] したがつて、これを憲法29条にいわゆる「正当な補償」とすることは、許されないところであると言わねばならぬ。
[7] それ故、自創法6条によつて定められる対価の額に不服ある者は、同法14条によつて訴を以てその増額を請求することができる、と解するが相当である。
[8] 以上が、わたくしの考え方の骨子である。

[9] 多数意見は、自創法6条により定められる対価は、農地買収の絶対的な最高限であつて、たといこの限度の額に不服があつても、出訴はできないと考えている。
[10] もし、自創法6条の意義がそうだとすれば、前に述べた正当な補償を与えずして、私有財産を公用に供することになるから、この規定は違憲無効だということにならざるを得ない。
[11] だが、わたくしは、自創法6条は、農地買収の対価の絶対的な最高限を定めた規定だとは考えない。ただ自創法による農地の買収は、大量的な行政処分であるから、同6条はその実行の便宜のため行政庁が買収対価を定める際の一定の標準を定めたものに過ぎない。すなわち、同6条は行政庁が買収対価を定めるに当つての相対的関係において最高限を定めたものである。行政庁の遵守すべきものとしての買収対価の相対的な最高限であるに過ぎない。
[12] かように、相対的な最高限であるということは、別な表現を用いれば絶対的な最高ではないということである。だから、自創法14条はこの基準で定められた買収「対価の額に不服ある者は、訴を以てその増額を請求することができる」と定めているのである。さらに言いかえれば、行政庁の定めた買収対価の額が、6条の標準に縛られて憲法にいうところの「正当の補償」に当らない場合には、不服ある者は、正当補償に該当するまでの増額を裁判所に出訴して請求することを許した当然の規定である。なぜならば、6条の対価の定め方が絶対的のものであるとしたならば、正当の補償に不足する場合を生じ、同条は違憲無効とならざるを得ないからである。正当の補償まで増額請求ができるという14条の息抜きがなかつたならば、6条の規定は違憲無効となり、それでは農地買収の実行は非常な困難ないし不可能になつてしまう。6条による行政庁に対する相対的な対価の最高限は、最終局には裁判所によつて憲法にいう正当の補償に適合するよう是正する道が開けている。この通風的息抜きによつて、6条は違憲無効とならず、これによつて大量的な農地買収が比較的楽に実行することができると共に、同時に憲法上の国民の基本的人権が、終局的に阻害されることなく裁判所によつて伸長され擁護され得るのである。
[13] 自創法6条と14条との関係は、上述の意義に解することによつて、憲法を含めての法律構造全体を調和的統一の姿において理解することができる、というのがわたくしの見解である。
[14] 多数意見では、6条は買収対価の絶対的最高限を定めたものであり、もし行政庁がこの最高限に達しない対価の額を定めた場合に、それに不服ある者が、14条によつて裁判所に出訴して6条の限度までの増額を請求することができる、と主張するのである。
[15] わたくしは、前に述べたとおりこれでは、憲法の保障する正当の補償を与えないで、私有財産を公用に供せしめる結果となるから、6条は違憲となる。6条を違憲ならしめないためには、6条及び14条の意義と関係を前述したわたくしの見解のように解釈する必要があると考える。
[16] ところで、この私見に対しては、もし正当の補償まで増額の訴求を許したら、農地買収は実行不可能になつてしまうという批判が、想定され得るであろう。
[17] しかし、6条の対価の標準で農地の所有権の移転は確定するから農地の買収による自作農創設そのものの実施には、何等の支障は起らない筈である。
[18] ただ、後に残つて未確定なのは増額の請求の判断だけである。しかし、これは裁判所で決すべき問題であつて、行政庁で決すべき問題ではない。だからこの問題の未確定、不安定のゆえに、行政庁が農地買収計画を実行する妨げとなるべき筋合はない。
[19] かくて、増額の訴求が許されることによつて、その支払のためにする国家の支出は、増大するであろうが、正当の補償まで増額すべきことは憲法上の要請であつて、それに対してツベコベいつて拒むべき理由は、毫末も存在しない。本来かかる場合においては、国家の予算をもつて、すなわち国民全体の負担において、正当の補償を与えることによつて解決すべきものである。立法においても、また実際の行政においても往々見られるように、たまたまそれに該当する当事者国民だけの犠牲的負担において、事態を解決しようとする態度は、根本的に誤つていると考える。
[20] また、増額の請求には、1箇月という出訴期限が、14条に定められているから、今では問題は現に訴訟が裁判所に係属している事件だけに限定されている。多数意見の中には、買収土地の個別的な客観的価値に等しい対価すなわち正当の補償までの増額請求を許したならば、行政庁の定めた対価を承認して増額を請求しなかつた者との間に不公平な結果を生ずることを懸念する者もある。しかし、いずれの場合においても、権利を捨て又はその上に眠る者と、適法の期間内に自らの労力と費用とにおいて裁判上権利を主張する者との間には、その権利が法律上・裁判上是認せられる限りにおいて、結果的に見て待遇の差等が生ずるのは当然のことである。これを不公平として非難することはできない。
[21] 要するに、わたくしは、自創法6条またはこれに類似した基準を定めることによつて、私有財産が個別的に有する客観的価値の等価値対価以下で、公用に供されるに至ることを、おそれるのである。すなわち、憲法29条にいう正当補償の保障が、無視され、軽視され、蔑視され、色々と潜られていくことを、現在及び将来のために深く憂うるのである。これは、小さな本件を超えて、経済機構の根本に連る基本的人権の大きな問題である。
[22] 本件において、第一審及び原審の判決が、自創法6条の規定をもつて農地買収の対価の最高限を定めたものと解し、それだけの理由で上告人の増額請求を棄却したのは違法であり、論旨は理由がある。それ故、これを取消し、さらに審理するために第一審裁判所に差戻すを相当とする。


 裁判官斎藤悠輔の反対意見は、次のとおりである。

[1] 私は、自作農創設特別措置法6条3項本文の規定は、農地買収の一応の標準を示したに止るものであつて、同条項但書の特別の事情ある場合は、その事情をも参酌し、更らに、同法13条3項の報償金を受領したときは、これをも勘案して、なお正当な補償に満たないときは、同法14条によりその増額を訴求し得るものと解する。従つて、論旨第一、二点は、その理由あるものと考える。
[2] けだし、憲法29条3項にいわゆる「正当な補償」とは、被用私有財産の客観的な経済価値の補償を意味し、従つて、その財産の自由な取引価格の存する場合には、その被用当時の取引価格によるべきを当然とする。しかるに、農地の取引は、現行法上統制され、これが自由取引価格なるものは法的に存在しないのであるから、被買収農地については、いわゆる自作収益価格を基準とする相当な経済価値によらざるを得ない。この意味において前記措置法6条3項本文の価格は、買収の一応の標準としては、正当なものであるといわなければならない。しかし、同条項本文の価格は、多数説の詳細に説明するとおり、買収当時における当該農地の具体的収穫高や特別事情等、(同法施行規則3条1号、2条2号によれば、特別事情による認可を受けようとする申請書の記載事項の1つとして、当該農地の水利、交通の良否、利用状況及び普通収穫高並びに小作地である場合においては小作料の額及び減免条件が挙げられており、また、同法13条4項には、「当該農地の収量、位置その他の状況を参酌して」と規定している。)を毫も顧慮することなく、単に、昭和15年から同19年までの5ケ年間における全国平均水稲反当の玄米収穫高を採用し全国一律に1段歩当りの収穫高を2石と仮定し、昭和20年末における生産者価格石150円を標準として直接(田について)又は間接(畑について)に算出したものである。従つて、同価格は、昭和20年末でない買収時における、収穫高2石以上の農地についてこれを見れば、多数説のいわゆる「その当時の経済状態において成立することを考えられる価格に基き、合理的に算出された相当な額」といえないこと極めて明白である。されば、多数説は、その説明自体に自己矛盾を包蔵し、自然崩壊、止揚の運命を免れないものであつて、(果然農地法施行令2条は、同法第11条第1項第3項の対価は、昭和25年7月30日現在における基準賃貸価格に、田にあつては280、畑にあつては336を乗じて算出する等7倍の倍率に値上げしている。)、到底賛同できない。ことに、自創法6条3項本文が拘束的のものでないことは、同条項但書によつて知り得るばかりでなく、同法が13条3項乃至5項の規定を設けている点からもこれを窺うことができるのである。もしも、自創法6条3項本文が拘束的であるならば、同13条3項の報償金は、法律上原因に基かない不当給付というべきである。それ故、同法14条の規定は、冒頭記載のごとく、これを広義に解すべきものと考える。

(裁判長裁判官 田中耕太郎  裁判官 霜山精一  裁判官 井上登  裁判官 栗山茂  裁判官 真野毅  裁判官 小谷勝重  裁判官 島保  裁判官 斎藤悠輔  裁判官 藤田八郎  裁判官 岩松三郎  裁判官 河村又介  裁判官 谷村唯一郎  裁判官 小林俊三  裁判官 本村善太郎  裁判官 入江俊郎)
[1] 措置法はその第6条第3項に於て田にありては賃貸価格の40倍、畑にありては賃貸価格の48倍を以て最高買収対価と規定しておるが新憲法施行後は右措置法の規定は買収の一応の標準を示したに止るものと解すべきで、買収の具体的場合にはこれに拘束されることなく買収当時の一般経済事情を考慮して公正妥当に決定すべきであると解するのが至当であると信ずるが、第二審判決は買収当時の一般経済事情を何等考慮することなく、措置法第6条第3項の規定による買収対価は絶対不動のものと解釈したるは同法の解釈を誤つた失当の判決である。何んとなれば憲法第29条には「財産権は之を侵してはならない、私有財産は正当な補償の下にこれを公共のために用いることが出来る」と規定し、正当な補償をしなければ私人の財産権を侵害することが出来ないことを明定し、以て私人の財産権を保障しているからである。憲法にいう正当な補償は私人の財産を公のために徴収するについての対価であるから、その徴収当時における一般経済事情を考慮して公正妥当に決定すべきものであることは言をまたない。措置法第6条第3項の定める賃貸価格の40倍或は48倍という価格が憲法にいう正当な補償に該当するか否かは専ら買収処分当時における経済事情からみて、相当な対価か否かにより決すべき問題である。或る時期に正当な補償たるに十分な価格といえども、他の時期には経済事情の変化によつて正当な補償たるに足りないことがあり得るのであつて、専ら買収処分の当時における経済事情を基準として正当な補償か否かを決定すべきものである。措置法第6条が買収農地の対価は之を田にありては賃貸価格の40倍の範囲内において定むべきものとなした根拠を政府が公表した資料によつてみれば、反当玄米収量を2石とし之を基礎として収支計算を行い、自作農が収得する純益金を算出し之を国債利廻により逆算して自作農が有する反当経済価値、即ち自作農収益価格なるものが金757円余なることを算定しこの金額が標準賃貸価格金19円1銭の約40倍に該当するということである。又畑にありては昭和18年3月勧業銀行調査による田の売買価格727円に対する畑の売買価格439円の比率である0.59を田の自作農収益価格に乗じて得たる反当446円98銭を畑の自作収益価格とし、之を中庸畑の標準賃貸価格9円33銭で除して得た47.9を引上げ48倍に該当するということである。
[2] 然るに右収支計算の内容として掲げられた事項の中単に収入の部のみについて之を見るも米価は何れも政府が任意に法令により定めた政府の買上価格又は消費者価格等を標準としているものであるが、之は憲法の規定する正当の補償なりや否やを解決するについての標準とはならないものである。憲法第29条が正当な補償を要求する財産の価格なるものは経済界における取引上認められる本質的経済価格というものであつて、法令により任意に定め又は制限せられた価格を基礎として算出せられた価格をいうものではない。農地の自作収益価格及地主採算価格を算定する基本的要素である収穫米の換価につき右の如き不当なる価格を標準として農地の買収価格を定めたことは憲法の右法条に反するものといわねばならない。米の闇相場を以て直ちにその本質的経済価格なりということはできないとするもそれは日本銀行券の発行数量その他一般主要物資等の価格と比較する等合理的に決定すべきものであつて、決して特殊の目的を以て政府が任意に定めた生産者価格地主価格又は消費者価格等を以てそのまま之に当てはむべきものではない。米の本質的経済価格を算定することが相当困難であることは認められるけれども、さればとて之を以て措置法が採つた買収農地の価格算定の基礎とした米価を正当ならしむる理由とすることは出来ない。措置法の規定する買収価格は前述の政府のとつた資料に基く算定後における経済事情の激変は少しも考慮に入れることを予定しないために、田1反の買収対価が鮭3尾の代価にも及ばないというが如き奇怪なる結果となり、その対価は買収当時の経済事情よりすれば、二束三文殆んど名目上のものたるに止まり実質上は無償にて取上げられると異なる所なき事態となり終つたのである。
[3] 以上述べる所により自ら明かであると思うが、憲法施行後の今日においては措置法第6条第3項所定の対価は一応の標準を示したに止まり、具体的の場合に同所定の対価が果して公正妥当のものなりや否やを判断し、憲法の保障する正当なる補償額を算出すべきであると解釈するのが至当であると信ずる。
[4] 前陳の如く上告人は本件買収農地の対価は買収当時の経済事情からみて極めて低廉で、憲法の保障する正当の補償額でないことを極力主張しその重要なる事実の立証として価格の鑑定申請をしたのであるが、直ちに之を却下し単に措置法第6条第3項を形式的に解釈し、その基準とした算出の基礎が買収当時の経済事情からみて果して正当であるか否かに関し何等の審理をなさざるは上告人の主張する重要なる事実につき審理を行わない審理不尽の判決といわなければならない。
[5] 理由第一点において措置法第6条第3項の解釈について述べたが、その理由の反面は総て憲法第29条第3項の精神に反するものであるから同理由は全部茲に援用する。
[6] 憲法第29条第3項は正当の補償を支払わなければ買収することが出来ないと明定しておる。正当の補償とは買収当時の経済的事情に適合する公正妥当なものでなければならないことは理由第一点において詳述した通である。生活の実状と甚だしく懸け離れた低廉な価格では如何に農地解放が大切である社会状勢とは云え地主に対し余りにも過酷である。無償取上げに等しい買収に甘じなければならないとしたならば、憲法の保障する人権の擁護何処にあるかといわねばならないことになる。憲法第29条は財産権は之を侵してはならない。その第3項には私有財産は正当な補償の下にこれを公共の為に用いることができると規定しておる。その精神を考えたなら本件の如き措置法第6条第3項により賃貸価格の48倍の価格で買収することは憲法の保障する正当な補償とは断じて云い得ないのであつて違憲の判決と云わざるを得ない。

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