農地改革事件
第一審判決

農地買収に対する不服事件
山形地方裁判所 昭和23年(行)第27号、同第28号
(仙台高等裁判所より差戻された同庁昭和23年(ネ)第42号、同第41号事件)
昭和24年5月6日 民事部 判決

■ 主 文
■ 事 実
■ 理 由

■ 参照条文

一、 当 事 者

昭和23年(行)第27号事件
  原告 保科政之助 外1名
昭和23年(行)第28号事件
  原告 仁藤善七  外2名

昭和23年(行)第27、28号事件
  被告 国


 原告保科政之助、同保科佐太郎、同仁藤善七の各訴はこれを却下する。
 原告三浦五郎、同田中一策の各請求はこれを棄却する。
 訴訟費用は原告らの負担とする。

三、 請求の趣旨

 被告が原告らに対してなした別紙第一、第二目録記載の買収処分に於ける買収対価を、それぞれ、同目録請求対価欄記載の如く、変更する。
 訴訟費用は被告の負担とする。

[1] 原告ら訴訟代理人は、その請求原因として左の通り陳述した。被告は自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する)に基いて、別紙第一、第二目録記載の通り、原告等の農地(原告仁藤善七については未墾地として山林、原野)をそれぞれ同目録記載の通りの対価を以て買収する旨の処分をなし、原告らにその買収令書をそれぞれ同目録記載の日に交付した。
[2] 右買収処分に於ける対価は自創法第6条第3項の規定するところに依りそれぞれ、その最高対価格により定められたものではあるけれども、同条項に定める買収の対価、即ち、田について言へば、地租法に依る賃貸価格の40倍の範囲内の価格は右買収当時に於ける経済事情から見て相当な価格であるとは言へない。何となれば、憲法第29条には「財産権は、これを侵してはならない。私有財産は正当な補償の下にこれを公共のために用いることができる。」と規定し、正当な補償をしなければ、私人の財産権を侵害することができない旨を明定し以て私人の財産権を保障してゐる。憲法にいう正当な補償とは私人の財産を公のために徴収するについての対価であるから、その徴収当時に於ける一般経済事情を考慮して、公平妥当に決定すべきことは言をまたない。然るに、自創法第6条に定める賃貸価格の40倍という価格が憲法にいう正当な補償に該当するか否かは、専ら買収当時に於ける経済事情から見て相当な対価に該当するか否かにより決すべき問題である。
[3] 或る時期に於て正当な補償と言い得るに十分な価格であつても、他の時期には経済事情の変化によつて正当な補償たるには足りないことがあり得るのであつて、買収処分の当時に於ける経済事情を基準として正当な補償か否かを決定すべきものである。自創法第6条が買収農地対価は、之を賃貸価格の40倍の範囲内に於て定むべきものとなした根拠を、政府が公表した資料によつて見ると、反当玄米実収量を2石とし、これを基準として収支計算を行い、自作農が収得する純収益金を算出し、之を国債利廻により逆算して、自作農が有する反当経済価値即ち自作収益価格なるものが金757円余なることを算定し、この金額が標準賃貸価格金19円1銭の約40倍に該当するということに在るのである。
[4] 然るに、右収支計算の内容として掲げられた事項の中、単に収入の部のみについてこれを見るも、米価はいづれも政府が任意に法令により定めた政府の買上価格又は消費者価格等を標準として居るものであるが、これは憲法の規定する正当の補償なりや否やを解決するについての標準とはならないものである。
[5] 憲法第29条が正当な補償として保障する財産の価格とは経済界に於いて取引上認められる本質的経済価格を言うのであつて、法令により任意に定め、若くは制限せられた価格、又は斯くの如く定め若くは制限せられた価格を基礎として算出せられた価格を言うものではない。
[6] 農地の自作収益価格及び地主採算価格を算定する基本的要素である収穫米の換価につき、右の如き不当なる価格を標準として農地の買収価格を定めることは、憲法の右法条に反するものと謂わねばならない。米の闇相場を以て直ちにその本質的経済価格なりと言うことは出来ないとするも、それは日本銀行券の発行数量、その他一般主要物資等の価格と比較する等合理的に決定すべきものであつて、決して特殊の目的を以て政府が任意に定めた生産者価格、地主価格、又は消費者価格等を以てそのまゝこれに当てはむべきものではない。米の本質的経済価格を算定することが相当困難であることは認められるけれ共、さればとて、このため自創法が買収農地の対価算定の基礎とした米価が正当なものであるとする理由とはならない。
[7] 自創法に規定する買収価格は、その価格算出後に於ける経済事情の激変を少しも考慮に入れることを予定していないため、田1反の買収対価が鮭3尾の代価にも及ばないというが如き奇怪なる結果となり、その対価は今日の経済事情よりすれば、殆んど名目上のものたるに止まり、実質上は無償で取上げられると異るところなき事態となつているのである。
[8] 以上述べるところにより、自ら明らかであると思うが、新憲法施行後の解釈としては、自創法第6条所定の買収価格は、対価の一応の標準を示したに止り、具体的の場合には、同条所定の対価が果して公正妥当のものであるか否かを判断した上補償額を算出すべきものと信ずる。
[9] 茲に於て、原告らは本訴により自創法第14条に基き、買収対価の是正変更を求める次第であるが、今原告等の主張する請求対価の計算基礎について説明すれば、次の通りである。
[10] 原告らは農地の買収対価の算出に当つては、地主の買収小作料から公租公課等の諸費用を控除した額、即ち、地主収益価格によるのが最も公正なものと信ずる。而して実収小作料の算定に当つては買収当時の米価を基礎としなければ憲法第29条の正当の補償たるに相応しい対価は出て来ない。
[11] 而して、本件農地買収当時即ち昭和22年度の生産者3等米1石当りの価格は1743円50銭となつている。
[12] この米価を基準として、政府が自創法による買収対価決定の諸条件として採用してゐる数字、即ち、
 (イ) 米の反当り実収高、2石(5ケ年平均)
 (ロ) 基準小作料、3割9分(適正小作料)
 (ハ) 地主の反当り公租公課等の負担額、6円89銭
 (ニ) 国債利廻 3分6厘8毛
 (ホ) 田と畑との売買比率、5割9分
をそのまゝ使用すれば、中庸田の反当りの価格は、
 〔1743円50×(2石×0.39)-6円89〕÷0.368=36767円39
となり、中庸畑の反当り価格は、
 36767円39×0.59=21692円76
となる次第である。
[13] 即ち原告らは田については、1反歩当り金36767円39銭、畑については、1反歩当り金21692円76銭の割合で算出した金額を正当な買収対価として主張するものであるが、請求の趣旨記載の請求対価はその内金を記載したものである。
[14] 被告は、
「原告は、昭和23年11月5日の本件口頭弁論期日に於て、従来の被告山形県知事を被告国に変更する旨の申立をなしたが、行政事件訴訟特例法(以下単に行政特例法と略称する)第7条によれば、被告とすべき行政庁を誤つたときは云々とあるので右行政庁の中には国は包含せられないものと解すべきである。従つて本来国を被告とすべきところを誤つて行政庁たる山形県知事を被告とした本件の場合には、同法第7条の規定は適用なく、従つて被告の変更は許すべきでない。」
と主張し、尚、被告は昭和23年12月10日の本件口頭弁論期日に於て、さきに同年11月5日の本件口頭弁論期日(原告らが当事者の変更を申立てた日)に当日被告として出廷した山形県知事の訴訟代理人が原告らの右当事者変更につきなした同意を撤回する。と陳述した。
[15] 原告らは被告の右主張に対し、原告らの真意は当初より国を相手方として争う意思であつたが、誤つて山形県知事を被告としたものであり右被告の変更は行政特例法第7条により当然許さるべきものと信ずる。被告の前記同意の撤回には異議がある。と陳述した。
[16] 被告は
「本件中原告保科政之助、同保科佐太郎、同仁藤善七の訴は出訴期間を経過した不適法な訴であるから之を却下すべきものである。即ち、本件買収令書交付の日は原告保科政之助については昭和22年11月13日、同保科佐太郎については同年11月21日、仁藤善七については同年7月1日であるところ、右原告らは何れも買収令書交付の日より1箇月間の出訴期間を経過して、原告保科政之助、同保科佐太郎は昭和23年1月15日に、同仁藤善七は昭和22年12月9日にそれぞれ本件訴を提起したものである。」
と主張し、
[17] 右抗弁に対し、同原告らは、
本件買収令書交付の日は前記請求原因の項記載の通りであるから、本訴はいずれも出訴期間内に提起されたもので被告の抗弁は失当である。仮りに買収令書交付の日が原告ら主張の通りでないとしても被告は昭和23年3月1日(本訴が昭和23年(行)第2号及び昭和22年(ワ)第85号として当裁判所に係属中)の口頭弁論期日に、被告は買収令書受領の日が原告主張の通りであることを自白し、本件がその後適法に被告の変更をみたのであるから、右自白は被告変更後の国(現在の被告)をも拘束するものである。然るにも拘らず、今被告が前記出訴期間についての前記抗弁を提出することは、つまり自白の撤回をすることに帰する次第であり、果して然らば、原告らは被告の右自白撤回には異議があり、その撤回は認めるべきものではない。結局いずれの点よりするも、被告の出訴期間についての前記抗弁は排斥すべき次第である。
[18] 被告訴訟代理人は
「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする」
旨の判決を求め、原告らの請求原因に対し、左の通り陳述した。

[19](イ) 本件農地が、もと原告らの所有であつたこと、被告が、原告らに右農地について原告ら主張のような対価並に発行日付の買収令書を交付し、原告保科政之助同保科佐太郎同仁藤善七を除くその余の原告らがその主張の日に之を受領したこと、(原告保科政之助同保科佐太郎同仁藤善七の買収令書受領の日について被告が之を争うことは前記三、出訴期間についての被告の抗弁の項参照)本件買収対価が、自創法第6条第3項の規定による最高価格であること、並びに同条所定の田の買収対価算定の根拠が原告ら主張の通りであることは認めるがその余の点はすべて之を争う。

[20](ロ) 本件土地の各買収対価は自創法第6条第3項所定の倍率の範囲内に於て算定したものである。而して、同条所定の買収対価は、農地調整法(以下農調法と略称する)に定めた農地の公定売買価格と一致するものであるから、本件買収対価は憲法第29条に所謂「正当な補償」というべく、原告ら主張の如く、公正妥当を欠く対価ではない。

[21](ハ) 原告らは憲法第29条に所謂正当な補償とは、政府が法令により定めた価格、又は之を基礎として算定した価格を謂うのではなく、経済界に於て取引上認められる本質的経済価格を指称するのである。と強調しているけれ共、そのような価格は現実には存在しないものである。前述の通り農地については農調法によりその売買価格が法定せられて居り、此の外に闇価格の行われていることは被告も亦認めるところであるが、原告らと雖も、此の闇価格を主張するものでないことは又自ら認めるところであるから、原告ら主張の本質的経済価格なるものは、要するに、法定価格でなく、闇価格でもない架空の価格であつて、到底容認できないものである。

[22](ニ) 原告らは自創法に規定する買収価格はその価格算出後に於ける経済事情の激変を少しも考慮に入れることを予定していないから、物価激騰の今日に於ては自創法に基く買収価格は不当である。と論難しているけれ共、右の見解は正しくない。即ち自創法制定後諸物価が高騰したことは被告も亦これを認めるところである。然し乍ら、農地は自創法制定以前既に農調法により農地価格、並びに小作料の統制、小作料の金納化、小作地引上の制限禁止、使用目的変更の制限等が規定され、農地所有権の内容は、従来の観念とは全く一変し、地主側より観れば、単に農調法によつて統制された金銭的小作料を収納する財産権と化していたものである。従つてその性格は恰も元金に対して利息を収納する預金若しくは国債証券と類似するに至つた次第であり、これらの預金、国債証券の価格が物価の変動と共にその価格を変更しないと同様農地価格も亦之を引上げるべき理由はないものである。
[23] 又物価政策からしても、統制経済の行はれている我国に於ては合理的に物価体系を樹立運営すべきであり、他の物価はインフレーシヨンによる生産費の騰貴以外、特別の理由のない限り、之を引上ぐべきではなく、農地価格も、インフレーシヨン阻止という我国の重要政策からみても、他物価を引上げることあるも、これを引上ぐべきではない。況や農地価格は全物価体系の基調をなすものであるから、尚更引上げてはならぬ次第である。若し之に反するときは、国家財政は破局に陥るべく、かくては農民の負担は増大し、農村の民主化、生産力の増強は不可能となり、物価体系は混乱し、結局公共の福祉を阻害することが甚しくなる次第である。元来、買収価格を一定した理由は、農地の買収計画は、これを原則として、昭和20年11月23日の現況に遡及せしめることとし、手続の遅延による不公平を除去し、インフレーシヨンの昂進に伴う国庫支出の激増を防止し又農地を買受ける耕作農民が過大な代金支払によりその生産力に支障を来すことを防止したためであり、これが公共の福祉のための政策であることは、一点の疑がない。

[24](ホ) 又自創法が買収対価算出の根拠として、自作収益価格を採用し、地主採算価格によらなかつたのは、農調法により、前記の通り、農地価格及び小作料の統制、小作料の金納化、小作地引上の制限禁止、使用目的の変更に対する制限等の諸統制をすることとなつたため、農地所有権の内容は、現在耕作する者が自ら使用収益することを本質とする財産権又は所有者が小作料を収納するだけの財産権と化したが為であり、農地改革の精神からも、働く農民が自己の農地を耕作する場合の価格によることが当然であると言えるし、しかも、地主採算価格は自作収益価格より低かるべきであるに拘らず、我国に於ける小作料は諸外国の小作料よりも高く、その最低生活を営む経費以外は全収益を小作料として支払うというのが普通の状態で、時には小作人の労働力の再生産費にさへ喰込む程高率であつたので、働く農民の自作収益価格より働かない地主の採算価格の方が高くなつていた。この不合理を克服するためにも自作収益価格を採用するのは正しいのである。

[25](ヘ) 最後に我国は降伏後連合国最高司令部の管理下にあるところ第2次農地改革法案を国会に於て審議中、昭和20年12月9日最高司令官は農地改革についての覚書を発表し、
「日本政府は農村民主化に対する経済的障害を除去し、個人の尊厳を全からしめ、且つ、数世紀に亘る封建的圧制の下に農民を奴隷化して来た経済的桎梏を打破するため、小作人に相応する年賦償還による小作人の農地買収制を設くべきこと」
を指示し、
[26]又、昭和21年5月29日第6回対日理事会に於て農地問題に関し、ソ連代表は
「田は1反歩平均440円以下、畑は1反歩平均260円以下たること、昭和20年12月2日以後の土地売買その他土地の委譲は一切無効と看做すこと」等、
英国代表は
「田1反歩220円、畑1反歩130円の政府補助金は土地価格を高く吊上げることになるから、好ましくないこと、小作人の購入代金は24年間以上の公債で地主に支払うこと、10年以上に亘る地主えの支払を認めることは前貸の不当に膨脹することを防止するものである。本計画規定は昭和20年12月8日現在の土地に適用するもので、右時期以後に於ける売買名儀のみによる地主の耕作等はすべて承認せざること」等
の各提案があつた。又昭和21年8月14日最高司令官の声明は自創法案及び農調法改正法案に対し、
「日本政府が決定した農地改革案を検討し満足した。日本政府が古い地主制度の根底を衝くために勇気と決断を示したことは慶賀に堪えない。日本政府が採決し承認したこれらの改革案がこれ迄数百万の農民の勤労を搾取し続けた封建的地主制度の害毒を日本農村から一掃することを確信する。日本の安定と福祉に寄与すべきこの改革案に対し、裏書を与えるものである。」
と発表し更に又右法案の国会通過に当り、同年10月11日
「農地改革法の各条項及び日本の国会が多数で、この法案を承認したこと、又日本政府がこの計画を2ケ年以内に実行するという意図を示していること、これらのことは極めて、広範囲な又極めて解決困難な問題を勇敢に取扱われていることを証拠立てている。」
と発表した。又昭和23年2月4日最高司令官の農地改革に関する覚書は
「農地改革計画の実施は日本に純然たる自由で且つ民主的な社会を創設するための先決要件である。本改革の迅速果敢なる実施は不可欠な至上命令である。」
と明言した。故に、農地価格を法定し且つ米価の引上にも拘らず農地価格を据置き、昭和20年11月23日の現況で農地の買収計画を遂行することは連合国最高司令官の意図にも合致する次第である。

[27](ト) 勿論自創法及び農調法は憲法施行前制定せられたものだが、憲法施行によつて排除せられるものでないことは明白であり、ポツダム宣言受諾が憲法第29条により誠実に遵守せらるべきことも当然であつて、農地価格を固定し、且つ、米価を引上げたにも拘らず農地価格を据置き、昭和20年11月23日の現況に於て農地の買収計画を実施することは、適切妥当なる農地改革の遂行であると断ぜざるを得ない。
[28] 従つて、原告等の農地に対する被告の買収処分に於ける買収対価は正当な補償であつて、何ら憲法第29条に違背するものではないのである。

[1]第一、本案に入るに先だち、先ず被告変更の許否及び出訴期間の点につき判断する。
[2] 原告らが昭和23年11月5日の本件口頭弁論期日に於て、従来の被告山形県知事村山道雄を国に変更する旨の申立をなしたことは、記録に徴し、明かなところである。被告国は之に対し、右被告の変更については昭和23年7月15日に施行された行政事件訴訟特例法の第7条の適用が問題となるところ、同条には、「被告とすべき行政庁を誤つたときは訴訟の係属中被告を変更することができる。」とあり、その解釈上、国は行政庁ではないから山形県知事を国に変更することは許さるべきではないと主張している。
[3] 然し乍ら、此の点に関しては、既に本件についての仙台高等裁判所の判決(該判決により当庁がさきになした訴却下の判決を取消し、これを当庁に差戻し本件訴訟が再び開始せられたものである)は、被告山形県知事を被告国に変更することに関し、釈明権を行使して是正させるべきであるとの見解の下に、被告山形県知事に当事者適格のないことを理由として、当裁判所がさきになした訴却下の判決を取消し、之を当裁判所に差戻した次第であるから、原告らの右被告の変更申立は当然之を許すべき筋合である。尤も右仙台高等裁判所の判決は昭和23年7月9日終結の口頭弁論に基き、言渡されたものであるから、その後、同年7月15日に施行せられた行政特例法第7条の解釈として、本件被告変更の許否につき、なお争う余地があるとも言い得るのでこの点につき一応判断を加える。
[4] 本件請求は、行政特例法第2条の「行政処分の取消又は変更を求める訴」には当らないから、同法第7条の規定は本件請求に付当然には適用をみない次第であるが、同条の規定は所謂右の抗告訴訟に限らず、広く行政特例法第1条の「その他公法上の権利関係」に関する訴訟にも類推適用をすることが却つて同法制定の立法精神に合致するものと思料せられるので、本件被告の変更も亦右第7条により行うべきものと解する。然し乍ら、同条の解釈として、被告の如く同条の行政庁という文言に拘泥して、同条は単に行政庁間の変更のみに止り、国と行政庁間に於ける変更を一切含まぬものとするのは著しく偏狭な見解というべく、本件の如く、県知事が国の行政機関としてなした行政処分が争の対象となつた場合には、右第7条により、県知事より国へ、或は又国より県知事への被告変更を許すべきものと解する。
[5] 従つて、以上いずれの点よりするも、被告の此の点に関する主張は排斥を免れない。
[6] 被告は、原告らの中、原告保科政之助、同保科佐太郎、同仁藤善七の各訴は、いずれも、出訴期間を徒過した不適法な訴であるからこれを却下すべきものであると主張しているので、此の点につき判断する。
[7] 本件の出訴期間については、前記行政特例法第7条第2項により本件が前記仙台高等裁判所の判決を受ける以前に当裁判所に係属した本訴の前身ともいうべき当庁昭和22年(行)第2号(本件の昭和23年(行)第27号)同(ワ)第85号(本件の昭和23年(行)第28号)の各訴提起の日を基準として判断すべきものである。而して、右訴提起の日が、原告保科政之助同保科佐太郎にあつてはいずれも昭和23年1月15日、原告仁藤善七にあつては昭和22年12月9日であることは当裁判所に顕著なところである。
[8] 次に出訴期間の基準法規としては、原告保科政之助、同保科佐太郎は、前記の如く、訴提起の日が、昭和23年1月15日であるから、昭和22年12月26日法第241号により改正せられた自創法第14条によるべきであり、同条によれば買収令書交付の日から1箇月内に出訴すべきものである。又、原告仁藤善七については、その訴提起の日が、前記の如く、昭和22年12月9日で右改正前の自創法(昭和21年10月21日法第43号)第14条によつて出訴したものであるが、本訴は所謂抗告訴訟ではないから、右自創法の改正法律の附則第7条の規定は適用なく、(同様の理由により、行政特例法の附則第2項第3項、同法第5条は適用せられない。)且つ、改正後の自創法第14条出訴期間の点については、旧法を変更していないところよりして、同原告の出訴期間は、右改正前の同法第14条に準拠するを相当とし、同条によれば、矢張り買収令書交付の日から1箇月内に出訴すべきものである。
[9] 而して本件買収処分についての令書交付に関し、原告らは、
  原告保科政之助、同保科佐太郎については、昭和22年12月20日
  同仁藤善七については、同年11月10日、
であると主張し、被告は之を争つて、
  原告保科政之助については同年11月13日、
  同保科佐太郎については同年11月21日、
  同仁藤善七については同年7月1日
と主張するので、此の点につき、順次判断する。

[10](イ) 原告保科政之助、同保科佐太郎については成立に争のない乙第1乃至第3号証の各2(買収令書)、並びに作成者の捺印があるので真正に成立したと推定せられる同第1乃至第3号証の1(買収令書に対する受領証及び対価受領の委任状)を総合すれば、被告主張の如く原告保科政之助は昭和22年11月13日同保科佐太郎は同年11月21日にそれぞれ令書の交付を受けたものと認めるを相当とし、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

[11](ロ) 次に原告仁藤善七に対する買収令書交付の日については、証人川越憲章は、「買収令書を仁藤善七に交付したのは昭和22年9月下旬頃と思う。」と述べて居り、右証言は同証人が右令書を同原告に交付するに至つた動機、経緯等に関する他の証言と相俟つて確実な記憶によるものと思われるので、おそくも、昭和22年9月末日迄には令書の交付があつたものと認定する、を相当とする。この点に関する甲第1号証乙第4号証中の各受領日付の記載はいずれも真実とは認め難く又原告本人仁藤善七の供述中右認定に反する部分は前記証言に照し信用出来ず、又他に右認定を左右するに足る証拠はない。なお、原告らは、被告は、さきに、昭和23年3月1日の口頭弁論期日に於て、令書交付の日が原告主張の通りであることを認めてゐるから、原告らは之を被告の自白として援用する。と主張して居り、右口頭弁論期日に被告が令書交付の日が原告主張の通りであると認めた事実は記録に徴し明かであるが、右弁論期日当時の被告は山形県知事で、その後原告らの申立により被告を国と変更した次第であるから、既に当事者が異る以上、該自白の効力が被告変更後の被告国に対してまで持続するものとは言い得ない。のみならず、出訴期間の問題は、訴の適法要件として、裁判所の職権調査事項に属するので、裁判所としては当事者の自白に拘束せられることなく、進んで調査判断すべき筋合であるから、原告らの自白についての右主張は排斥を免れない。

[12] 以上認定の令書交付の日と前記訴提起の日とを対比すれば、原告ら3名の本訴はいずれも令書交付の日より1箇月以上を経過した後に提起されたものなることが明かである。
[13] 従つて、原告保科政之助、同保科佐太郎、同仁藤善七らの訴は本案についての判断をまつまでもなく、不適法な訴として、主文第一項の通りこれを却下すべきものである。
[14] よつて次に右原告ら3名を除く、その余の原告らの請求の当否につき判断することとする。
[15](一) 先ず本件農地がもと原告らの所有地であつたこと、被告が右農地につき、原告ら主張のような対価並に発行日付の買収令書を交付し、原告らがその主張の日に之を受領したこと、而して、本件買収対価が自創法第6条第3項前段に従い、その最高価格で定められていることについては当事者間に争がない。

[16](二) 本件主要な争点は各買収対価の当否の点である。
[17] 而して、此の点に関する原告らの所論を検討するにその要旨は、憲法第29条第3項は「私有財産は正当な補償の下にこれを公共のために用いることが出来る。」と規定し財産権の公用徴収に当つては「正当な補償」を行うべきことを要求している。
[18] 然るにも拘らず、本件買収対価算定の基準たる自創法第6条第3項所定の対価算定方法は著しく低廉であるため、憲法の保障する右正当の補償には該当しない。茲に於てか、右自創法第6条第3項の効力については、同法が憲法施行前の規定であることに鑑み憲法施行後の今日に於ける解釈としては、自創法の右条項は買収価格の一応の基準を示して居るに過ぎないところの非拘束的な参考条項であり、個々の買収処分に際しては、同条所定の価格が果して正当な補償に該当するか否かをよく検討した上、公正妥当な価格を決定すべきものである。原告らとしては自創法第6条第3項に基き決定された本件買収価格は、低廉にして到底正当な補償とは認め難いから、原告らが公正妥当と信ずる計算方法(事実の項参照)に基き、対価の増額を請求するものである。」と主張するにある。之に対し、被告所論の要旨は自創法第6条第3項の規定する買収対価は憲法第29条にいう正当な補償に該当し、原告ら所論の如き不当なものではない。という点につきる。

[19](三) 茲に於てか、自創法第6条第3項所定の買収対価が所謂正当な補償に該当するか否かを判断せねばならない次第であるが、順序として、先ず自創法第6条第3項の買収対価決定方法を検討することとする。

[20](イ) 自創法第6条第3項によれば、「買収すべき農地につき土地台帳法による賃貸価格のあるときは、田にあつては、その賃貸価格に40、畑にあつては、その賃貸価格に48を乗じて得た額の範囲に於て之を定め、もし右賃貸価格がない場合には、市町村農地委員会が知事の認可を受けて定めた額による」と原則的規定を設け、その例外的場合として、「但し特別の事情によつて、市町村農地委員会が知事の認可を受けて当該農地につき額を定めたときはその額による。」と規定し、右特別の事情のある場合に於ける特別価格の決定基準として、自創法施行令第9条は市町村農地委員会は近傍類似の農地の時価を超えてはならない。と定めている。従つて、前記特別の事情とは、前記倍率によつて算定した最高価格が近傍類似の農地の時価より著しく低廉である場合の如き例を指称するものと解せられる。
[21] 次に賃貸価格のない農地については、市町村農地委員会が知事の認可をうけて、その額を定めることとし、此の場合にも前記施行令第9条の規定が、その決定基準として適用せられている、而してこの賃貸価格のない農地については、特別の事情に関する前記第6条第3項但書の規定は適用せられない。何となれば、若し、上述のような特別の事情があれば市町村農地委員会が初めに知事の認可を受けて額を定める際に、その特別事情をも具申し予め、その是正方法を図り得るからである。
[22] 以上のところよりして、自創法は、その第6条第3項に於て原則として農地買収価格の最高限度を法定し、又は行政庁による認定価格を認めると共にその認定方法を法定してゐるのである。これによつてこれを観れば、自創法の建前としては買収価格は所謂拘束的のもので、動かし難い価格を定めたものと言はなければならない。

[23](ロ) 既に自創法第6条第3項が斯くの如く定めている以上買収価格については問題の起る余地はない次第であるが、自創法第14条には「第3条の規定により買収した農地の対価につき不服ある者は、訴を以てその増額を請求することができる。」(昭和22年12月26日の改正以前の規定は「…………不服ある者は通常裁判所に出訴することができる。」と規定する。)と規定して、対価につき不服ある者に対し、なお出訴の途を開いているのは、如何なる立法趣旨であろうか。
[24] 此の場合旧法は「………不服ある者は出訴することができる」という文言を用い、新法は「不服ある者は訴を以て増額を請求することができる。」という具合に異つた表現方法を用いているが、新旧両法とも、要するに対価の是正、従つて、増額を請求することの可能性を示したことは明かである。而して前記自創法第6条第3項の明文上、既に対価の最高限が定められていて、それを超える例外価格は知事だけが定め得るところで、行政官庁でない裁判所にはその権限がない以上右14条の訴として考えられるのは、買収処分自体は有効であることを前提として、対価を最高価格より低く定めた場合に、それを最高限度迄引上げて慾しいとか、或は対価の計算を誤つているから是正して慾しいとか、或は又賃貸価格のない場合に市町村農地委員会が近傍類似の農地の時価を誤認した、などというように、自創法第6条第3項の価格の範囲内の請求でなければならない。
[25] 若し然らずして、本件請求の如く右6条3項所定の範囲を超える増額請求の訴までを右第14条に於て認めるものと解するならば、自創法という同一法律内に於て矛盾した2個の条項が相対立することとなり、かくの如き解釈は到底認容できない次第である。

[26](ハ) 而して、本件農地買収に於ける買収価格はいずれも、右自創法第6条第3項前段の最高価格であることについては当事者間に争がないのであるから、同条項の規定を法律として有効なものと認める限りは、右最高価格を超えて対価の増額を求める本訴は理由がないことに帰する次第である。

[27](四) よつて次に、自創法就中同法第6条第3項の規定が憲法第29条との関係に於て法律として有効なものか否かの点につき判断する。

[28](イ) 憲法第98条は「この憲法は国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」と規定し、之に対応するものとして前文中に「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」と宣言しているが前文の方は主として既存の法令に対するものであり第98条の方は将来の立法をも含めて立言していると考えられ、要するに、之を総合すればこの憲法の条規に反する法令は、その制定の時を論ぜず、一切無効であることを宣言したものである。
[29] 然らば、「この憲法施行前に制定せられた法令でこの憲法の条規に反しないもの」の効力は如何というに、明治憲法に於ては、その第76条に「法律、規則、命令、又は何等の名称を用いたるに拘らず、此の憲法に矛盾せざる現行の法令は総て遵守の効力を有す。」という経過規定を設けていたが、この度の憲法中には斯る経過規定を特に設けることなく、唯「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律」(昭和22年法第72号)により、その経過的応急措置を講じ、その第1条に於て、「法律事項を規定する命令は昭和22年12月31日まで法律と同一の効力を有する」ものと定め、その第3条に於て、即時に廃止すべき若干の法律その他を列挙していること(同法律は昭和22年法律第244号の改正法律により命令の経過的効力につき更に詳細に規定した)に鑑みれば、憲法施行前に制定された法令中、法律の効力については特に明文はないけれ共、明治憲法中の前記経過規定と同様な原則、即ち既存の法律は新憲法の条規に矛盾しない限り、新憲法所定の手続により制定せられる法律と同一の効力を有するという原則が採用されているものと解すべきである。従つて、憲法施行前に制定された自創法が憲法施行後の現在尚有効なりや否やの問題は、右自創法が憲法の条規に矛盾するか否かの問題にかゝつている次第である。

[30](ロ) 然るに、自創法の効力を論ずるに当り、右の立場とは異る立場より、即ち、
「農地改革は憲法以前の問題として、憲法実施の地盤を作り上げるために、連合国の指令という憲法を超越する権力によつて推進せしめられた施策、換言すれば、連合国の日本管理政策の一環として行はれた施策であるからその効力は他の普通の法律と同列に論ずることはできない。」
という理由の下に、同法は憲法の適用範囲外にあるものである、と結論する学者等もあり、被告も亦、それまでは極論してはいないが、日本は終戦以来占領管理下にあり、農地改革はポツダム宣言受諾により、日本民主化の必要的施策として連合国の指導の下に断行せられたものであると強調して、自創法の成立経過の特殊性を詳論している。而して自創法の目的とするところ、及び同法成立の沿革が被告所論の通りであることは洵に顕著な事実であるけれ共、自創法も亦国内法として、議会の協賛の下に制定せられた法律であり、国内法令は憲法を最高規範として、矛盾なき1つの体系を形成すべきものとする法構成の基本原理を認める以上は、上記論者の結論には容易に賛成することができない。即ち、法はその制定経過につき、それぞれその法特有な国際的、政治的、経済的、思想的等の背景乃至要請を持つものであることは十分認められるけれ共、かくの如き背景乃至要請の下に一旦成立した法の効力問題を純法律的に論ずるに当つては、いかなる法と雖も、矢張り国内法として、憲法の制約に従うべきものと信ぜざるを得ない。されば自創法と雖も、次に論述する如く憲法の条規に矛盾するか否かの判断を受けて然るべき次第である。

[31](五) よつて以下自創法第6条第3項所定の対価が憲法第29条第3項の「正当な補償」でないとする原告らの主張の当否を判断する。
[32] 原告らは
「憲法第29条第3項にいう「正当な補償」とは公用徴収せらるべき財産の経済界に於て取引上認められる本質的経済価格を言うのである。然るに、自創法第6条第3項に定める価格は政府が任意に法定した米価を基準として算出されたものであり正当な補償とは言い難い。」
と主張している。

(1) 「正当な補償」の意味
[33] よつて先ず憲法第29条に所謂正当な補償の意味を把握しなければならない。
[34] 凡そ、国民の財産を公共のために徴用する場合には、被徴用者に対し、大なり小なりの財産的並びに精神的損害を与えることは自ら明かであるが、その損害の中幾何の部分を補填すれば正当な補償といい得るかは洵に至難の問題である。然し乍ら、公用徴収は、元来、公共の福祉のために行われるもので、被徴用者たる個人と雖も、その公用徴収のなされる国家の施策により、直接又は間接に、何らかの福祉に浴するものであり、且又憲法第12条にも明記する通り、国民はその権利を公共の福祉のために利用する責任を有する以上、その補償額については、故意過失を条件とする民法の損害賠償論の如きは基準とならぬ次第であり、その不法行為や債務不履行の場合の如く損害の全額を補償しなければならないものでないことだけは明かである。即ち、公用徴収に於ける補償額は常に損害(乃至苦痛)の或部分についての填補であることは明かである。而して、その填補方法は公用徴収を行うべき具体的法律に於て具体的に定めるべきであり、場合により、金銭賠償のこともあろうし、又代替物件の交付のこともあろうし、或は又その他の権利又は利益を与える場合もあろう又金銭賠償についても支払時期その他の条件も個々具体的の公用徴収について異るべきは自ら明かである。
[35] 而して憲法が「正当な補償」を与えると保障し乍ら、その填補方法を明記しないのは憲法上の保障としての十分な実効を収め得ぬかのようにも考えられるけれ共、上記の通り、填補方法としては、各公用徴収の具体的事情に即応した方法を講ぜしめる方が、却つて具体的妥当性を得る所以であるとの考慮の下に、憲法には具体的規定を設けることなく、唯含蓄に富む「正当な」という表現を以て、個人の財産権を尊重する意思を明示したものとみるべきである。従つて、金銭賠償の場合に於ても如何なる価格によることが正当な補償となるかは、一般的には論定出来ぬ次第であり、よろしく、その公用徴収を必要とする原因動機、公用徴収の目的、之により期待せられる福祉の性質程度被徴用財産の性質及び数量、被徴用者の地位等を十分参酌勘案して決すべき問題であると言わねばならない。之を要するに、公用徴収に於ける損失補償の制度は、これにより、公益と私益との調和を図り、法律生活の安定を期する一の調節技術である。従つて、その公用徴収の目的に鑑み、その権利者に或程度の損害乃至苦痛を受忍して貰うことが、健全なる社会通念よりして正当視せられる場合に於ては、その受忍すべき程度を考慮して損失の一部を補償すれば足りるものと言うべきである。従つて個々の具体的立法に於ける補償額の正当性は、前記参酌すべき諸要素を十分考慮の上、正義公平の観念に従つて、具体的に論定すべき問題である。憲法第29条第3項が「正当な補償」と規定した法意は正に茲に存するものと解する。

(2) 自創法第6条第3項の対価算出の根拠。
[36] 次に自創法第6条第3項所定の買収価格については前記第二の(二)(イ)に説明した通りであるが、右価格の正当性を論ずるには、その価格が如何なる計算根拠から算出せられたものであるかを検討せねばならない。而して、前記対価算出の根拠として、田にあつては、中庸田についての自作農の反当純収益(反当り生産米の法定価格から生産諸掛費用及び公租公課の負担額を控除したもの)から4分の利潤を控除した地代相当部分たる27円88銭を国債利廻3分6厘8毛で還元して、自作収益価格757円60銭を得た上、これを中庸田反当の標準賃貸価格19円1銭で除して得た39.85を40に引直し、又畑については、昭和18年3月勧銀調査の田の売買価格727円に対する畑の売買価格439円の比率たる5割9分を田の自作収益価格に乗じて得た446円98銭を自作収益価格とした上、これを畑の中庸反当標準賃貸価格9円33銭で除して得た47.9を48に引直し、以て田畑について、それぞれ、自作収益価格の現行賃貸価格に対する前記倍率を求めこれによつて、個々の農地について簡易に自作収益価格を算出することが出来るようにしたこと、即ち自作収益価格を以て買収対価の基準としたものであることは顕著な事実である。

(3) 自作収益価格は正当な補償となるかの問題。
[37] よつて次に、右自作収益価格を以てする補償が前述の意味に於ける「正当な補償」と謂い得るかを判断しなければならない。

[38](イ) 此の点に関して先ず検討を要するのは同法を貫く理想と同法制定当時の社会情勢である。
[39] 従来、わが国の農業は極めて零細な土地を耕作し、しかも、その収穫の半分近くを小作料として地主に貢納する小作人の手によつて営まれて居り、その小作農民は、文明諸国間に比類のない程、過重な労働に従事し乍ら、その生活はいさゝかの余裕もなく、その労働の成果によつて文化的生活を営むことなどは到底思いもよらなかつたことは一般公知の事実である。かゝる状態を打破するため、終戦の年の暮に農調法を改正(昭和20年12月法第64号)して、所謂第1次農地改革を行い、次いで所謂第2次農地改革として、右農調法を再度改正(昭和21年10月法第42号)すると共に、自創法を制定し、全国の不在地主の小作地の全部と在村地主の1町歩を超える小作地を国家が強制的に買上げ、これを小作人に売渡すことによつて小作農を自作農化することを敢行した次第である。而して、右自創法の所期する理想は同法第1条に明記する如く、「耕作者の地位を安定し、その労働の成果を公正に享受させるため、自作農を急速且つ広汎に創設し、(後の改正により「土地の農業上の利用を増進し」を追加した)以て農業生産力の発展と農村に於ける民主的傾向の促進を図る。」ことにあり、要するに自ら額に汗する農民の経済的地位の向上を図ることにより、先ず農民をして健康にして文化的生活を営ましめ、小作人たる地位を脱することにより、農村に於ける封建的風習を改めてこれを民主化し更に、農地分配の是正と自作農の土地愛育精神とによつて、戦時中より既に欠亡していた食糧の増産を図らうとするにある。
[40] 而して、農民はわが国人口の約半数を占めるに拘らず、その大部分が、前記の通り、気の毒な状態にある小作農であり、且つ農業はわが国全産業の基盤であることに思いを致せば、右自創法の所期する理想は憲法を貫く精神としての民主化の先決的施策でなければならない。
[41] 尚又、自創法制定当時の社会情勢として注目すべきことは、被告所論の如くわが国は降服後、連合国の占領管理下にあり右自創法を制定するについては、屡々連合軍最高司令官の覚書指示に接したことは公知の事実であり、これ又自創法の目的理想と共に重視しなければならぬところである。

[42](ロ) 次に前段説明の如き目的理想を達しようとする自創法が前記自作収益価格によつたことは正しいであろうか、この点に関し、原告らは経済界に於て取引上認められる本質的経済価格によるべきものである、と主張するのであるが、農地については、農調法第4条の規定によつてその売買の統制がなされている外、同法第6条の2の規定によつて価格の統制があるから、一般取引市場に於ける時価と謂うべきものは存在せず、農地の取引価格は右統制額の範囲内で定めらるべきものである。勿論右統制に違反する所謂闇価格の行われ得ることはあろうけれ共、原告らとしても右闇価格を主張するものでないことは、その主張自体よりして明かであるので、原告ら主張の所謂「本質的経済価格」なるものは、こと農地に関する限り、了解に苦しむところである。
[43] 而して、右統制額が昭和21年1月16日農林省告示第14号によつて前述の買収の対価決定の基準と同一に定められていることからすれば、農地買収の対価は一応正当な補償というべきである。
[44] 加之、買収される客体たる農地所有権の性質は、往年の自由経済時代のそれとは異り、農調法がその処分の制限(第4条)使用目的変更の制限(第6条)土地取上げの制限(第9条)小作料の金納化(第9条の2)、その統制(第9条の3乃至9)、小作契約の書面化(第9条の10)、等の規定を設けたことによつて、地主の農地所有権は従来農地に対する全面的支配権であつたものが、僅かに統制された金銭的小作料を徴収する権能を残すのみとなり、更に、自創法が従来の耕作農民の経済的生活を向上し農村の民主化を図るため、右の如き農地所有権を広汎に収用して之を小作農に付与せんとして居ることからすれば、農地所有権の本体は、農地を自ら耕作して利用収益することに転化したものと解すべきである。従つて、かゝる農地所有権の収用によつて生ずる損失の補償は農地を自ら耕作する者の収益から推算した前記の如き自作収益価格を以てこれを為し、若しそれ以上の損失が個々の被収用者側にあつたとしても、かゝる損失は自創法の目的理想よりして、被収用者に於て之を受認すべきものとすることが正義公平の観念に合致するものと判断する。
[45] なお、原告らは前記自作収益価格の算出方法として、その要素たる米価について立法者が統制価格によつたことを論難しているけれども、統制経済時代に於ては、その統制額を時価とみるのを通例とするのみならず、自作農の収益計算に当つては、右統制額以外によるべき基準はない次第であるから右論難は失当である。

[46](ハ) 原告らは自創法に規定する買収価格は同法制定後の物価の変動を予定して考慮に入れて居ないから、物価の激騰した今日に於ては右買収価格は殆んど名目上のものに止り、実質的には無償取上げと何ら変るところがないので、決して正当の補償ではないと論難しているので、この点につき按ずるに、自創法制定後インフレ昂進に伴い、貨幣価値が暴落し、諸物価の高騰したことは、公知の事実である。而して、右物価騰貴に伴い、第1次農地改革当時の石当り米価は92円50銭であつたものが次第に引上げられて、第2次農地改革当時(昭和21年度産米)には550円となり、昭和21年度産米が1700円と定められたことも亦公知の事実である。買収価格算定の基準要素たる米価が引上げられたのに拘らず、買収価格を依然として制定当時の価格に釘づけにすることは、被買収者に対し酷であるかの如くも一応考えられる。然し乍ら、米価が引上げられた理由は、専ら、米の生産費が高くなつたため、生産者たる耕作農民の立場を考慮したためであり、右値上りは生産に何ら関係のない地主については、無関係の問題と言わねばならない、のみならず、今次の農地改革は昭和20年11月23日を以て農地を封鎖し、原則として、同日現在の事実に基いて実施されているものであるから、被買収地の所有者の権利は、同日現在を以て一般対価請求権という財産権に転化したものとみるべきである。
[47] 而して、その価格は釘づけされた地代の額を平均利廻で還元して得られるものである。かような点から考察すれば、物価の変動に伴う不利益は地主に於て甘受すべきことは、前記農地改革の目的理想の下に於ては、亦やむを得ざるところで、この場合当初の買収価格を維持することは敢て不当とはいえぬ次第である。インフレによる被害者は独り地主だけではなく、公債や預金の所有者の蒙る打撃も又右地主の不利益と何ら選ぶところがないのである。

[48](ニ) 最後に原告らが自ら正当と主張する買収価格の計算方法の当否につき判断するに、原告らは米価については昭和22年度の生産者価格石当り1743円50銭を基準とし、米の反当り実収高を2石とし、基準小作料を3割9分として之により、地主としての収益を先ず計算し、
  (――1743円50×(2石×0.39)――)
之より、地主の反当り諸経費(公租公課等)を控除した額を国債利廻り3分6厘8毛で除して得た額即ち、36767円39銭を中庸田1反当り買収価格とし、右田の価格に、田と畑との売買比率5割9分を乗じて得た額、即ち21692円76銭を中庸畑1反当りの買収価格とし、これが正当な補償であると、主張しているのであるが、右計算は要するに地主が基準小作料として平均実収高2石に対する3割9分の米を小作人より現実に収納することを前提として計算せられたものであり、前述の如く農調法に於て小作料は金銭を以て納めることになり、その額も又統制せられている事実を無視するもの、即ち往年小作人の犠牲に於て地主が占めていた過大の利益を、その儘、買収価格に見積ろうという計算方法で、農地所有権に対する認識に於て欠けるところ甚しいのみならず、米価の基準として自創法制定後の値上りした法定価格によることは、前段説示の通り、妥当とは認め難いので、原告らの右計算方法は失当と断ぜざるを得ない。
[49] 以上の論述よりして、自創法第6条第3項の規定は憲法第29条第3項に規定する正当な補償であり、同条項に違反するものではないと断定することができる。

[50] 然らば、法定買収対価の違法又は不当なことを前提とした原告らの本訴請求は全部理由がないから、いずれも、之を失当として棄却すべきものである。
[51] よつて訴訟費用の負担については民事訴訟法第89条第93条第1項本文を適用して主文の通り判決する。

  山形地方裁判所民事部、猪瀬・猪股・伊東

(目録省略)
第6条第3項 前項の対価は、当該農地につき土地台帳法による賃貸価格があるときは、田にあつては当該賃貸価格に40(農地調整法第6条の3第1項の規定により都道府県知事の定めた率があるときは、その率)、畑にあつては当該賃貸価格に48(同条同項の規定により都道府県知事の定めた率があるときは、その率)を乗じて得た額(同条同項の規定により都道府県知事の定めた額があるときは、その額)の範囲内においてこれを定め、当該農地につき土地台帳法による賃貸価格がないときは、市町村農地委員会が都道府県知事の認可を受けて定めた額による。但し、特別の事情に因つて市町村農地委員会が都道府県知事の認可を受けて当該農地につき額を定めたときは、その額による。

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