皇居外苑使用不許可事件
上告審判決

皇居外苑使用不許可処分取消等請求事件
最高裁判所 昭和27年(オ)第1150号
昭和28年12月23日 大法廷 判決

上告人 (被控訴人 原告) 日本労働組合総評議会
          代理人 小林直人 原則雄
被上告人(控訴人  被告) 厚生大臣 山県勝見

■ 主 文
■ 理 由

■ 裁判官栗山茂の意見

■ 上告代理人小林直人、同原則雄の上告理由


 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人の負担とする。

[1] 上告人の原審における本訴請求の趣旨は、上告人の昭和26年11月10日附「昭和27年5月1日メーデーのための皇居外苑使用許可申請」に対して被上告人が同年3月13日になした不許可処分は違法であるから、これが取消を求めるというのである。そして、実体法が訴訟上行使しなければならないものとして認めた形成権に基くいわゆる狭義の形成訴訟の場合にあつては、法律がかかる形成権を認めるに際して当然訴訟上保護の利益あるようその内容を規定しているのであるから、抽象的には所論のごとくその権利発生の法定要件を充たす限り一応その訴は保護の利益あるものといい得るであろう。しかし、狭義の形成訴訟の場合においても、形成権発生後の事情の変動により具体的に保護の利益なきに至ることあるべきは多言を要しないところである。(例えば離婚の訴提起後協議離婚の成立した場合の如きである。)また、被上告人は同年5月1日における皇居外苑の使用を許可しなかつただけで、上告人に対して将来に亘り使用を禁じたものでないことも明白である。されば、上告人の本訴請求は、同日の経過により判決を求める法律上の利益を喪失したものといわなければならない。そして、原判決は、上告人の本訴請求を権利保護の利益なきものとして棄却の裁判をしたものであつて、裁判そのものを拒否したものではなく、憲法32条に違反したものとはいえない。また、原判決は本訴のごとき訴は、所期の日時までに確定判決を受けることも不可能ではないと判断したものであるから、憲法76条2項の保障に反したものともいえない。されば、原判決は正当であつて、所論はその理由がない。

[2](なお、念のため、本件不許可処分の適否に関する当裁判所の意見を附加する。本件皇居外苑は国有財産法3条2項2号にいう公共福祉用財産に該当するものであること、被上告人厚生大臣は同法5条及び厚生省設置法8条17号によりこれが管理を担当するものであること、本件不許可処分が厚生大臣において右管理のため制定した厚生省令国民公園管理規則4条に基きなされたものであることは、いずれも明らかである。そして、国有財産法によれば、公共福祉用財産は、国が直接公共の用に供した財産であつて、国民は、その供用された目的に従つて均しくこれを利用しうるものであり、この点において、公共福祉用財産は、普通財産と異ることは勿論他の行政財産ともその性質を異にするものである。しかし、公共福祉用財産には多くの種類があり、それが公共の用に供せられる目的は財産の種類によつて異なり、また、それが公共の用に供せられる態様及び程度も財産の規模、施設のいかんによつて異なるもののあることは当然である。従つて、上述のごとく公共福祉用財産は、国民が均しくこれを利用しうるものである点に特色があるけれども、国民がこれを利用しうるのは、当該公共福祉用財産が公共の用に供せられる目的に副い、且つ公共の用に供せられる態様、程度に応じ、その範囲内においてなしうるのであつて、これは、皇居外苑の利用についても同様である。また国有財産の管理権は、国有財産法5条により、各省各庁の長に属せしめられており、公共福祉用財産をいかなる態様及び程度において国民に利用せしめるかは右管理権の内容であるが、勿論その利用の許否は、その利用が公共福祉用財産の、公共の用に供せられる目的に副うものである限り、管理権者の単なる自由裁量に属するものではなく、管理権者は、当該公共福祉用財産の種類に応じ、また、その規模、施設を勘案し、その公共福祉用財産としての使命を十分達成せしめるよう適正にその管理権を行使すべきであり、若しその行使を誤り、国民の利用を妨げるにおいては、違法たるを免れないと解さなければならない。これは、皇居外苑の管理についても同様であつて、その管理権の根拠規定たる国有財産法5条、厚生省設置法8条17号及び厚生大臣がその管理権に基いて定めた国民公園管理規則には、皇居外苑を使用せしめることの許否につき具体的方針は特に定められていないけれども、国民公園を本来の目的に副うて使用するのでなく利用する同規則3条のような場合は別として、国民が同公園に集合しその広場を利用することは、一応同公園が公共の用に供せられている目的に副う使用の範囲内のことであり、唯本件のようにそれが集会又は示威行進のためにするものである場合に、同公園の管理上の必要から、これを厚生大臣の認可にかからしめたものであるから、その許否は管理権者の単なる自由裁量に委ねられた趣旨と解すべきでなく、管理権者たる厚生大臣は、皇居外苑の公共福祉用財産たる性質に鑑み、また、皇居外苑の規模と施設とを勘案し、その公園としての使命を十分達成せしめるよう考慮を払つた上、その許否を決しなければならないのである。いま、本件厚生大臣の不許可処分についてみるに、弁論の全趣旨によれば、被上告人厚生大臣は、皇居外苑を旧皇室苑地という由緒を持つ外、現在もなお皇居の前庭であるという特殊性を持つた公園であるとし、この皇居外苑の特性と公園本来の趣旨に照らしてこれが管理については、速に原状回復をはかり、常に美観を保持し、静穏を保持し、国民一般の散策、休息、観賞及び観光に供し、その休養慰楽、厚生に資し、もつてできるだけ広く国民の福祉に寄与することを基本方針としていることが認められ、また、本件不許可処分は、許可申請の趣旨がその申請書によれば昭和27年5月1日メーデーのために、参加人員約50万人の予定で午前9時から午後5時まで二重橋皇居外苑の全域を使用することの許可を求めるというにあつて、二重橋前の外苑全域の面積の中国民一般の立入を禁止している緑地を除いた残部の人員収容能力は右参加予定員数の約半数に止まるから、若し本件申請を許可すれば、立入禁止区域をも含めた外苑全域に約50万人が長時間充満することとなり、尨大な人数、長い使用時間からいつて、当然公園自体が著しい損壊を受けることを予想せねばならず、かくて公園の管理保存に著しい支障を蒙るのみならず、長時間に亘り一般国民の公園としての本来の利用が全く阻害されることになる等を理由としてなされたことが認められる。これらを勘案すると本件不許可処分は、それが管理権を逸脱した不法のものであると認むべき事情のあらわれていない本件においては、厚生大臣は国民公園管理規則4条の適用につき勘案すべき諸点を分考慮の上、その公園としての使命を達成せしめようとする立場に立つて、不許可処分をしたものであつて、決して単なる自由裁量によつたものでなく管理権の適正な運用を誤つたものとは認められない。次に、国民公園管理規則1条には、「皇居外苑…の利用に関してはこの規則の定めるところによる。」とあるから、同規則4条による許可又は不許可は、国民公園の利用に関する許可又は不許可であり、厚生大臣の有する国民公園の管理権の範囲内のことであつて、元来厚生大臣の権限とされていない集会を催し又は示威運動を行うことの許可又は不許可でないことは明白である。されば同条に基いた本件不許可処分は、厚生大臣がその管理権の範囲内に属する国民公園の管理上の必要から、本件メーデーのための集会及び示威行進に皇居外苑を使用することを許可しなかつたのであつて、何ら表現の自由又は団体行動権自体を制限することを目的としたものでないことは明らかである。ただ、厚生大臣が管理権の行使として本件不許可処分をした場合でも、管理権に名を藉り、実質上表現の自由又は団体行動権を制限するの目的に出でた場合は勿論、管理権の適正な行使を誤り、ために実質上これらの基本的人権を侵害したと認められうるに至つた場合には、違憲の問題が生じうるけれども、本件不許可処分は、既に述べたとおり、管理権の適正な運用を誤つたものとは認められないし、また、管理権に名を藉りて実質上表現の自由又は団体行動権を制限することを目的としたものとも認められないのであつて、そうである限り、これによつて、たとえ皇居前広場が本件集会及び示威行進に使用することができなくなつたとしても、本件不許可処分が憲法21条及び28条違反であるということはできない。以上述べたところにより、本件不許可処分には所論のような違法は認められない。)

[3] よつて、民訴401条、95条、89条により主文のとおり判決する。
[4] この判決は裁判官栗山茂の意見を除く外裁判官全員一致の意見によるものである。


 裁判官栗山茂の意見は次のとおりである。

[1] 私は多数説には同調できない。私の意見は、公共用物の使用許可の中には往々にして管理本来の作用と併せて警察許可の性質を帯びているものがある。そうして厚生大臣は本件規則4条(昭和24、5、31、厚生省令19号国民公園管理規則。昭和25、6、24、改正同令33号を指す。以下規則という)によつてかような警察許可の性質を有する許可を規定したものであるから、法律に特別の定を必要とするものである。それ故法律に特別の定なくして規定された右規則4条は違法であつて、それに基いてなされた本訴不許可処分もまた違法たるを免れないというのである。
[2] 元来公共用物の管理の作用には単に積極的な保全(維持及び保存)の作用ばかりでなく、使用者が公共用物を損かいする等その用途に有害な行為を除去し又は防止する消極的な作用も含まれていることについては疑の余地がない。しかしかかる除去又は防止のためにする公共用物の利用の規制の中には単に管理の作用ばかりでなく警察の作用の性質をも帯びるものがある。例えば橋の管理を例にとれば、一定重量以上の車輛を通過させると橋が損かいすれば管理者は管理の作用としてこの種の車輛の通過を禁止できるし又その通過を許可にかからしめることもできるのである。しかしそういう車輛の通過の規制ばかりでなく、車輛の通過が通行人の利用に危険を及ぼすこともあるとして凡ての車輛による橋の利用を許可にかからしめるときは、その許可の性質は単なる管理の作用による使用の許可ではなく警察許可の性質を帯びているものである。それ故道路法とか、河川法には公共用物の使用については管理の必要ばかりでなく警察の目的をも併せて特別の許可にかからしめて、便宜上管理者をして許可権を行使せしめている場合がある。例えば道路の管理者は一定の場合に、道路の構造を保全し、又は交通の危険を防止するため、区間を定めて、道路の通行を禁止し、又は制限することができるとし(道路法46条)又河川については流水の方向、清潔等に影響を及ぼす虞ある工事ばかりでなく、営業その他の行為は命令を以て之を禁止若は制限し又は管理者たる地方行政庁の許可にかからしめることを得としている(河川法19条)のもその一例であろう。ところで本件について見るに、被上告人の答弁書は本件許可申請によれば「午前9時から午後5時までの長時間50万人という多数人が、外苑を使用して集合、行進するとすれば、その間一般国民の普通使用は殆ど不能かもしくは著しく妨げられるし又……外苑自体が普通以上に著しく損傷を受けることが必然であつて、到底公園の普通使用の範ちゆうに属するということはできない。」と述べている。皇居外苑の管理者は外苑の保全のため、集会や示威行進という目的のためでなくても、運動会を催すための集合や宗教上の行事を行う目的のための行進であつても、皇居外苑の立入禁止区域内にまではいり込んで、その施設を損傷する程度の使用は公共用物の用途を阻害する行為であるから之を禁止し又は制限できるのは管理の当然の作用であることは明である。しかし規則4条はかような管理に有害な使用ばかりを規制しているものではなく、広く「国民公園において集会を催し又は示威行進を行おうとする者は、厚生大臣の許可を受けなければならない」と定めている。そうして被上告人は答弁書で、この規則は「集会又は示威行進というような目的のための使用」を許可にかからしめたもので「決して集会や示威行進の自由そのものを制限するものではない。」とし、多数説も規則1条には「皇居外苑……の利用に関してはこの規則の定めるところによる。」とあるから利用に関する許可又は不許可であり、厚生大臣の有する国民公園の管理権の範囲内のことであつて、元来厚生大臣の権限とされていない集会を催し又は示威行進を行うことの許可又は不許可でないことは明白であると言つている。しかしながら公共用物の使用又は利用(以下利用という)の規制は使用者又は利用者の行動を規制する効果を生ずることは明である。例えば橋の利用を許可にかからしむれば実質的には橋の利用者の行動即ち通過が許可にかからしめられる結果になるから、ただ橋の利用の許可又は不許可だといいさえすれば通過の許可又は不許可にならないと強弁しているわけにはいかないと思う。かように皇居外苑の利用の規制によつて利用者の行動が規制される結果を生ずるから、その行動が集会の自由の行使にあたるものとすれば、それは利用の規制によつて集会の自由が干渉されることになるのは明である。しかし又他方皇居外苑の利用者がたとい集会の自由にあたる行動をするからといつても公共用物を損かいしたり交通を阻害したり公安を害するような行動をすれば、それは集会の自由の濫用に外ならないであろう。ところで皇居外苑の管理者がかかる集会の自由の濫用になるような行動が同時にその保全の作用にも有害であるからとしてその利用を管理者の特別の許可にかからしむれば、その許可は同時に警察許可の性質をも帯びることは明である。そうして、被上告人は答弁書で「特別使用の許可処分は、何等相手方に対し義務を課し又は権利を制限するものでないから、その限りにおいて特にその条件を定める法令の規定が存しない以上、かかる使用を許すと否とは全く行政庁の自由に決しうるところであり云々」と言うけれども、仮りに規則4条の許可が相手方に対し義務を課し又は権利を制限するものでなくても、管理者たる行政庁が管理に必要だからといつても本来は警察許可の性質を帯びている規制はその権限のなかには存しないものであるからそれを行使しようとするには特に法律の定を必要とすることは明である。河川とか道路とかについては公園と等しく国において直接公共の用に供する財産であるが、警察許可の性質を有する特別の許可については夫々法律に定があつて管理者にその権限を与えていること前段説明したとおりである。この理は公園たる皇居外苑の管理者に付ても異るところがない。なぜならば法の支配を指導原理とする日本国憲法の下では、権力を行使する者の意思決定は予め定められている法規(法律又は法律に基く命令)の適用でなければ、専断な官僚の権力行使とされるからである。原生省設置法5条は厚生大臣の所管事務をかかげると共に「その権限の行使は法律(これに基く命令を含む)に従つてなされなければならない。」と規定しているのはこの趣旨に出ているものである。それ故厚生大臣が管理を担当する国有財産である公園については、国有財産法1条が、国有財産の管理については他の法律に特別の定のある場合を除く外同法の定めるところによると規定しているだけでは、警察許可の性質を帯びている許可まで当然管理の作用に含まれていると解すべきものではない。以上説明したように本件規則4条は法律に定がなければ当然には厚生大臣の権限に属しない行為であるから、それに基いてなされた本訴不許可の処分もまた違法たるを免れないものである。尤も規則4条の違法性については上告人において争がないのである。そして上告人の「昭和27年5月1日メーデーのための皇居外苑使用許可申請」に対して被上告人がした不許可の処分の違法性の存否については、たとい上述したように右処分が違法なものであつても、既に同日の経過によりその審判を求める法律上の利益は喪失されたものとすべきことについては、私も多数説と同じ意見である。

(裁判長裁判官 田中耕太郎  裁判官 霜山精一  裁判官 井上登  裁判官 栗山茂  裁判官 真野毅  裁判官 小谷勝重  裁判官 島保  裁判官 斎藤悠輔  裁判官 藤田八郎  裁判官 岩松三郎  裁判官 河村又介  裁判官 谷村唯一郎  裁判官 小林俊三  裁判官 本村善太郎  裁判官 入江俊郎)

[1] 原判決は
「被控訴人は本訴において、被控訴人のなした(昭和27年5月1日メーデーのための皇居外苑使用許可申請)に対する、控訴人の不許可処分が違法であるとして、これが取消を求めるものであるから、裁判所としては右具体的な行政処分の適否を判断しうるにとどまり、その範囲を超えて判断を加え得ないことはいうまでもない。しかるに被控訴人が皇居外苑の使用許可を申請した昭和27年5月1日はすでに経過しているのであるから、被控訴人にとつては、もはやかかる判決を求める実益が失われたものといわなければならない。〔原文改行〕被控訴人は、被控訴人と控訴人間のメーデーのための皇居外苑使用の許可をめぐる紛争は、国家として訴訟制度を利用せしめるだけの価値ある紛争であり、又この紛争を法律上の争訟として、判決によつて解決することが、現在においても依然有意義であるのであるから、被控訴人の請求についての判決を受ける正当の利益を喪失していない旨主張するけれども、仮りに被控訴人が本訴において請求するような判決があつたとしても、その判決は前記の行政処分の取消の効果を生ずるにとどまつて、将来控訴人がなすかもしれない同種の行政処分に対しては、何ら形成力を有するものではない。又判決の既判力の及ぶ範囲はその判決の主文に包含せられる訴訟物たる法律関係に限られるから、同判決はまた将来の同種の行政処分に対し既判力を及ぼすものではない。したがつて本件紛争が被控訴人主張のように重大なものであり、又かかる判決が実際においてこの紛争の解決に役立つものであるとしても、被控訴人は法律上判決を求める利益がないものというべきであるから、被控訴人の右主張は採用することができない。さらに被控訴人は、もし本訴において昭和27年5月1日を経過したために訴の利益を喪失したものとして本案の判断を拒まれるとすれば、裁判所は被控訴人に対して憲法の保障する裁判を受けるの権利を奪う結果となり不当である旨主張するけれども、憲法第32条の規定は、民事事件についていえば、何人も裁判所に訴訟を提起するときは、その受理を拒まれ、したがつてまたその審理及び裁判を受けることを拒まれることのないとの趣旨であつて、常に必ず本案それ自体裁判を受ける権利を有することを意味するものではない。訴訟を提起しても、所謂訴訟成立要件を具備していないために、本案前の裁判において訴を不適として却下せられることもあるのであるが、かかる場合でも、裁判を受ける権利を奪われたわけでないことは言を俟たないところである。ましてや本件においては本案の審理に入つたが、結局被控訴人のために権利保護をなす必要がないものと判断したに過ぎないのであつて、これをもつて憲法の保障する裁判を受ける権利を奪われたとする被控訴人の右主張の理由のないことはいうまでもない。ただ本件のような毎年5月1日に行われるメーデーの行事に関し、その挙行の場所の使用許否に関する争訟にあつては、行事の期日と許否決定の日との間の期間が短いときは、訴訟に長期間を要するためにその時機を失することも考えられるので、将来同様の場合に自己に有利な確定判決を受けることのできないことの起るであろうことは、これを推知するにかたくないが、万一不許可となつた場合の訴提起にそなえてあらかじめ周到な準備を遂げ、訴提起後は訴訟の促進に努めるならば、所期の日時までに確定判決を受けることも不可能ではないと考えられるから、前記のような場合があればとて、前段の判断を妨げるものではない。さすれば被控訴人の本訴請求は、爾余の点について判断をするまでもなく失当であることが明らかであるから、これを棄却すべきものとする。」
との理由で上告人の請求を棄却した。これを要するに、上告人は被上告人に対して昭和27年5月1日のメーデー挙行のため皇居外苑使用許可を求めたものであるので、同日の経過に因り上告人は本件訴の利益を喪失したというにある。
[2] 然し、この判断は、本件行政事件訴訟が行政事件訴訟特例法第1条にいう「行政庁の違法な処分の取消」を求める形式の訴であることを無視した失当なものであつて、延いて憲法に違反すること次のとおりである。

[3](一) もし訴の目的が昭和27年5月1日に皇居外苑を使用せしめよというにあるならば、同日を経過すれば訴の利益を失うでもあろう。然し、本件訴の目的は被上告人の行つた違法な行政処分の取消を求めているのである。その違法処分は被上告人が自ら取消すことのない限り昭和27年5月1日を経過した今日でも依然として存在しているのであり、被上告人の違法な行政処分を受けたという上告人の不利益は依然として存続しているのであり、行政権の違法行使に対する救済是正の必要は昭和27年5月1日の経過によつて消失するものではない。蓋し形成の訴は法律に明文ある場合に限つて認められるものでありその要件を満している限り形成判決を請求し得るものであつて、給付又は確認の訴とは要件を異にするものである。又行政事件訴訟特例法によれば、行政庁の違法な処分の取消を求める訴の提起があつた場合において処分は違法であるが一切の事情を考慮して処分を取消すことが公共の福祉に適合しないと認めるときに限り裁判所は請求を棄却することができる(第11条)ものであるから、この法条の反面解釈として、本件訴は昭和27年5月1日を経過した後においても訴の利益を喪失するものでないことがむしろ明白である。それだのに原判決は本件訴が形成の訴であることも行政事件訴訟であることも無視した違法がある。原判決は従来の行政判例の趣旨に牴触することからしても違法である。行政事件訴訟における訴の利益については、行政処分が処分庁自身によつて取消された場合は行政処分を争う訴の利益がないということが従来の判例である。
  東京地裁昭和23年(行)第39号昭和23年12月28日言渡
  徳島地裁同   (行)第13号昭和24年3月31日言渡
  高知地裁同   (行)第42号昭和24年4月26日言渡
  同   同   (行)第28号昭和24年5月23日言渡
  神戸地裁同   (行)第5号昭和24年10月14日言渡
  同   同   (行)第6号昭和24年10月14日言渡
  同   同   (行)第32号昭和24年10月14日言渡
  浦和地裁昭和24年(行)第20号昭和24年6月21日言渡
  青森地裁昭和25年(行)第25号昭和25年11月4日言渡
[4] これら判例は行政庁の違法処分は処分庁自身によつて取消されないうちは訴の利益があるという反面の真理を語るものといえよう。

[5](二) 原判決は、その結果、上告人の適式な本件起訴に対して本案判決を拒んだことは憲法第32条国民の「裁判を受ける権利」の保障に違反したものである。
[6] 本条に「裁判を受ける権利」の保障とは、民事事件に限定していえば、国民の起訴が裁判所に受理されるべきことのみならず、さらにその訴が訴訟要件を具えている場合は裁判所は実体判断を拒んだり怠つたりすることを許されないという趣旨である。そこで本件訴がもし訴の利益をも含めてすべての訴訟要件を具えているものであるとすれば、裁判所は本件訴に対して実体判断を拒むことを許されない。然るに本件訴は訴の利益以外の各訴訟要件を具えていることについては争なく、訴の利益の有無の点については原審で争があつたが前段に記したとおり訴の利益を失つていないことが明らかである。それにもかかわらず原判決が実体判断を拒んだことは、前記憲法第32条国民の「裁判を受ける権利」の保障に反し違法を免れない。

[7](三) 原判決は、憲法第76条第2項行政機関は終審として裁判を行うことができないとの保障に反し、延いては憲法の基本構造たる三権分立の趣旨に反する違法がある。
[8] もし原判決のいう如く、昭和27年5月1日を経過することによつて本件訴の利益を失うものと解すれば、次に記すような特定の一群の行政処分に対しては、窮極において司法審査が行えない結果となる。すなわち、たとえば本件被上告人の行政処分の如き毎年5月1日にメーデー挙行のため皇居外苑使用の許否を行う如き比較的短い周期で繰返される性質の行政処分に関しては、次のことがいえる。この種の申請はいくら早目に申請するとしても前年度の行事挙行後に申請しなければ受理されるものではない。申請に対して違法な不許可処分を受けた場合その違法処分の取消を求める訴を提起するとしてもしその訴の利益を失わぬためには1年未満の日子を以つて訴訟を確定しなければならぬ。それは全然不可能とまでいえないかも知れないが、現行三審制度のもとでは大概不可能のことである。そうなると、この種の行政権の違法行使に対しては、せいぜい訴願ができるぐらいであつてそして行政庁の違法処分の取消を求める行政事件訴訟を提起してもその審理の中途で訴の利益を失い裁判所から実体判断を拒まれてしまう結果となり司法審査は不可能だという結論に導かれる。そしてその結果が憲法第76条第2項にいう「行政機関は終審として裁判を行うことができない。」の保障に矛盾してくるのである。この種の行政処分は決して尠くはない。むしろ行政権行使の相当部分を占めるものであると考えられる。この種の特定の一群の行政権行使が司法権に対して治外法権となるということは、憲法第76条(司法権)の趣旨に違反するばかりでなく、延いて、三権分立の憲法の基本構造に強く矛盾するものでもある。果して然らば、このような違憲な結果を看過する原判決は違法であつて破棄を免れないと信ずる。

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