定住外国人地方選挙権訴訟
上告審判決

選挙人名簿不登録処分に対する異議の申出却下決定取消請求事件
最高裁判所 平成5年(行ツ)第163号
平成7年2月28日 第三小法廷 判決

上告人 (原告) 金甲子(仮名) 外8名
     代理人 相馬達雄 外2名

被上告人(被告) 大阪市北区選挙管理委員会 外3名
     代理人 喜多剛久

■ 主 文
■ 理 由

■ 上告代理人相馬達雄、同平木純二郎、同能瀬敏文の上告理由


 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人らの負担とする。

[1] 憲法第3章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、我が国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものである。そこで、憲法15条1項にいう公務員を選定罷免する権利の保障が我が国に在留する外国人に対しても及ぶものと解すべきか否かについて考えると、憲法の右規定は、国民主権の原理に基づき、公務員の終局的任免権が国民に存することを表明したものにほかならないところ、主権が「日本国民」に存するものとする憲法前文及び1条の規定に照らせば、憲法の国民主権の原理における国民とは、日本国民すなわち我が国の国籍を有する者を意味することは明らかである。そうとすれば、公務員を選定罷免する権利を保障した憲法15条1項の規定は、権利の性質上日本国民のみをその対象とし、右規定による権利の保障は、我が国に在留する外国人には及ばないものと解するのが相当である。そして、地方自治について定める憲法第8章は、93条2項において、地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が直接これを選挙するものと規定しているのであるが、前記の国民主権の原理及びこれに基づく憲法15条1項の規定の趣旨に鑑み、地方公共団体が我が国の統治機構の不可欠の要素を成すものであることをも併せ考えると、憲法93条2項にいう「住民」とは、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解するのが相当であり、右規定は、我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない。以上のように解すべきことは、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和35年(オ)第579号同年12月14日判決・民集14巻14号3037頁、最高裁昭和50年(行ツ)第120号同53年10月4日判決・民集32巻7号1223頁)の趣旨に徴して明らかである。
[2] このように、憲法93条2項は、我が国に在留する外国人に対して地方公共団体における選挙の権利を保障したものとはいえないが、憲法第8章の地方自治に関する規定は、民主主義社会における地方自治の重要性に鑑み、住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務は、その地方の住民の意思に基づきその区域の地方公共団体が処理するという政治形態を憲法上の制度として保障しようとする趣旨に出たものと解されるから、我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である。しかしながら、右のような措置を講ずるか否かは、専ら国の立法政策にかかわる事柄であって、このような措置を講じないからといって違憲の問題を生ずるものではない。以上のように解すべきことは、当裁判所大法廷判決(前掲昭和35年12月14日判決、最高裁昭和37年(あ)第900号同38年3月27日判決・刑集17巻2号121頁、最高裁昭和49年(行ツ)第75号同51年4月14日判決・民集30巻3号223頁、最高裁昭和54年(行ツ)第65号同58年4月27日判決・民集37巻3号345頁)の趣旨に徴して明らかである。
[3] 以上検討したところによれば、地方公共団体の長及びその議会の議員の選挙の権利を日本国民たる住民に限るものとした地方自治法11条、18条、公職選挙法9条2項の各規定が憲法15条1項、93条2項に違反するものということはできず、その他本件各決定を維持すべきものとした原審の判断に憲法の右各規定の解釈の誤りがあるということもできない。所論は、地方自治法11条、18条、公職選挙法9条2項の各規定に憲法14条違反があり、そうでないとしても本件各決定を維持すべきものとした原審の判断に憲法14条及び右各法令の解釈の誤りがある旨の主張をもしているところ、右主張は、いずれも実質において憲法15条1項、93条2項の解釈の誤りをいうに帰するものであって、右主張に理由がないことは既に述べたとおりである。
[4] 以上によれば、所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は採用することができない。

[5] よって、行政事件訴訟法7条、民訴法401条、95条、89条、93条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 可部恒雄  裁判官 園部逸夫  裁判官 大野正男  裁判官 千種秀夫  裁判官 尾崎行信)
[1]一、上告人らの請求をすべて棄却した原判決の理由の要旨は、
(1) 憲法上、参政権(公務員の選定・罷免権)を有する者は「国民」に限られる
(2) 地方自治体の参政権を有する「住民」も、また、「国民」たる「住民」に限定される
(3) ところで、「国民」たる者の範囲・要件は憲法の委任を受けた国籍法により定まるところ、上告人(原告)らは、いずれも日本国籍を有しない外国人であるから「国民」ではない
(4) よって、上告人(原告)らは参政権を有さず、そもそも参政権を有しない以上、平等原則(憲法14条)違反の問題も生じない、
というにある。

[2]二、これに対し、本上告理由の要旨は次のとおりである。
1、理由不備・理由齟齬の違法(絶対的上告理由)
[3](1) 右に要約したように、「「国民」たる者の範囲・要件は国籍法によって定まる」との見解が、原判決の理由の主柱になっており、これに対し、後述のとおり、上告人らは「国民」たる者の範囲・要件は憲法解釈ないし憲法理論上客観的に定まるものであり、上告人らはいずれも憲法上の「国民」(主権者=参政権者)に該等する、と主張するものである。
[4] 即ち、右の点は本件の重要な法的争点となっているものであるところ、原判決は右見解を採用する理由については全く無いか、あるいは極めて不十分な説示しかしておらず、この点に理由不備・理由齟齬の違法がある。
[5](2) また、原判決の「本件各処分は憲法14条に違反しない」旨の理由も、結論をもって理由とするものであり、これもまた理由不備・理由齟齬の違法がある。
2、憲法及び原判決に影響を及ぼすことが明らかな法令解釈の誤り。
[6] 前述のとおり、憲法上の「国民」(主権者=参政権者)の範囲・要件は、憲法解釈上、客観的に定まり、上告人らはいずれも「国民」に該等するのに、原判決は憲法の解釈を誤って、上告人らを「国民」ではないとした。
[7] また、地方自治法(地治法)2条、18条、公職選挙法(公選法)9条2項所定の「日本国民」の解釈も右憲法解釈と統一的に整合性をもってなされるべきであり、上告人らは右「日本国民」にも該当し、参政権を有するから、本件各処分はいずれも違法なものとして取消しを免れないのに、原判決は前述の誤った法解釈をしたため、上告人らの請求を棄却してしまったものである。
3、憲法解釈の誤り
[8] 仮に、自治法・公選法の前記規定の解釈が原判決の判示するとおりのものであるとしたら、右諸規定は憲法14条、15条1項、92条、93条2項、に違反し、無効であるから、右諸規定に基づいてなされた本件各処分は、いずれも取消しを免れない。

[9]三、以上の上告理由を十分御理解頂くため、まず、上告人ら定住外国人の定住・生活実態を述べて上告人らの参政権者たる適格性(ふさわしさ)を論証し、次にこれを踏まえて、憲法及び地治法、公選法の正当な解釈を論ずることとする。
[10] 上告人等は、「韓国籍を有するもの」との一点を除けば、その生活実態において、全く、「日本国籍を有するもの」との間に、なんらの差異はなく、同質そのものであると言ってよいのである。

[11]一、例えば、上告人金甲子について言えば、同人は、兵庫県尼崎市戸ノ内において、昭和16年7月11日に出生し、甲野一郎(仮名)なる通名を有している。むしろ、日常生活においては通名を使用していると言ってよい。
[12] 両親は昭和14年頃より、右尼崎市に住所を有し、昭和20年より大阪市に居住するようになり、それに伴って、右金も大阪市に居住、平成2年5月より今日まで同人の現住所に居住している。
[13] このように、右金は日本で生まれ、大阪で成長し、大阪市立曽根崎小学校、同菅南中学校、同桜宮高等学校を各卒業しており、現在、(株)アジアニュースセンター(本社大阪市)の代表取締役として出版業を営んでいる。子供3人があり、長男は関西大学を卒業、二男は大阪市立扇町高校を卒業し、長女は、大阪市内の阪神家政専門学校に在学している。そして、居住地の町内自治会の会員でもある。
[14] このように、右金は出生以来、今日まで、日本で暮らしてきたものであり、日本人と一緒に勉学し、日本人と共に働き、日本人と交友し、住所地においては、その地域社会生活に全く融け込んできたものである。もとより、日本語を完全に解し、その生活様式も日本人となんら異なるところはない。そして、日本人と全く同じように、各種の納税義務(府県民税、市町村税、所得税等の各種納税)も果している。その結果、国民健康保険、国民年金制度等の各種福祉制度についても日本人同様に取り扱われている。

[15]二、右金の如き在日韓国人について、現在、義務教育に関する児童就学通知もなされ、小、中学校の義務教育は無償とされ、各種公務員としての就職の道も開かれ、医師、歯科医師、弁護士、税理士資格の取得も認められ、日本国籍を有するものと差等なき取り扱いがなされるに至っており、まさに、日本国憲法の国際主義、基本的人権尊重主義の適用がなされている。
[16] しかるところ、外国人と日本国籍を有する者との唯一の差異は、選挙権、被選挙権の取り扱いであった。右差別取り扱いを前提として、児童委員、人権擁護委員、調停委員などへの定住外国人の就任は実現されておらず、そのため、右金等外国籍を有する者につき、日本における公的社会生活への積極的参加が不当にも途絶されているのが現状である。

[17]三、右金以外の上告人等もいずれも日本で生まれ、韓国にて教育を受けたことはなく、日本にて日本人達と一緒に教育をうけ、その間、成人になるまで、韓国に移り住んだこともなく、殆ど韓国を訪れることもなく、日本の社会にこそ生活の本拠をおいてきたものであった。
[18] 右のような生活実態については、上告人等個人だけがそうであると言うのではなく、上告人等とその家族全部、いや、親族全体が、日本の社会において、そのような生活を営んでいるところに特徴がある。斯くて、上告人等の祖父が韓国を離れて、多年月を経過しているため、もはや、韓国には親族もおらず、友人すらいない有様にもなっている。
[19] 甲第59号証乃至52号証等については、上告人自らが書き記したものであるが、日本語の読み書き能力についても、当然ながら、日本人となんら異なるところはない。むしろ、韓国語理解力について、はるかに一般の韓国人には及ばず、その意味において、韓国内では、上告人等は外国人の感すらもって迎えられているのである。
[20] 韓国内で実生活をなしたことのない上告人等にとっては当然のことであろう。
[21] ある人がいずれの国の言葉を生活用語として十二分に理解しているかは、その人の生活本拠を判断するための決定的基準といってよい。
[22] その国の言語を理解せずして、その国の市民としての帰属意識のあろう筈もない。
[23] 上告人等と日本人(日本国籍保持者)とを識別するものは、「国籍」がどのように処理されているかを除いては、何も存しないのである。
[24] 上告人等が、日常、近隣において、勤務先において、一般社会において、営爲しているところの生活実態は、日本国籍保持者と全く異なるところはないのである。
[25] 上告人等は、日本においてこそ、自分達の生活を支える資産を保有しており、それ等の資産の管理・運用も日本の諸法令によってなされている。
[26] 而も、上告人等又はその祖父母達は、かって、日本国籍保持者であった。そして、第二次大戦後、個人の選択によることなく、法的手続きも不明確なまま、日本国籍を喪失して韓国籍取得という経過となった。
[27] 上告人等は、これからも、日本に居住を統け、日本で職を求め、子弟に対しては日本で教育をうけさせることになろう。甲第49号証乃至52号証によって、上告人全員の今後の生活の在り様も推知うるところである。
[28] 要するに、上告人等は「韓国籍」保持者であるという一点のみをのぞけば、顔形はもとより、その生活様式、教育課程、社会生活等において、「日本国籍」保持者と区別できる点は何もないのである。
[29] 租税負担についても、公共生活についての諸協力要請についても、地方自治体によって全く等しき負荷がなされている。
[30] 日本国籍保持者も、「定住」外国人としての上告人等も、一体として混和し、協力しながら、共同の社会生活を送っていると言ってよい。
[31] 斯くて、地方自治体による各種公共サービスも、両者につき、等しい付与がなされなければならぬと言える。地方自治体選挙権がその住民に付与される由縁は何か。それは治者と被治者の同一性の要請であろう。それが憲法的地方自治の本旨である。
[32] 上告人等が当該地方自治体における住民であることは論を俣たないところであるのに、同選挙権の付与に際して、上告人等定住外国人に対し、同付与を否定し、地方自治政治への参加を封殺してしまうことの理論的根拠は、上告人などの生活事態上からも、到底理解し難いものと言わねばならない。
[33] 諸外国においても、それぞれに、同国に溶け込んで生活しているものの、必ずしも同国の「国籍」を保有していない上告人等の如き定住外国人が存在するのが実態である。
[34] 右定住外国人達の生活実態は同国の「国籍保持者」となんら異なるところはないと言ってよい。
[35] そこで、これらの諸外国は、自国における定住外国人に対して、同人等の各種人権につき、「国籍保持者」と均しくこれらを保障すると共に、選挙権についても、これを付与しているのであり、そのような傾向は諸外国において、今日、一段と顕著になりつつあると言ってよい。
[36] 従って、定住外国人に対して参政権(特に、地方自治についての選挙権)を保障することは、決して特殊な国の特殊な制度・思想ではなくなってきており、極く当たり前のこととして、「人類普遍の原理」(憲法前文)にすらなりつつあり、本件の問題を考える前提として非常に有益である。
[37] そこで、次に諸外国の立法例を概観して参考に供するものである。
[38] 時代は今やボターレースの時代であり、かつ、同一国内で働き、その繁栄と発展に寄与し、租税を負担する等一定の条件を具備した者は、たとえ、それが外国籍の者であろうと、等しく政策決定に関与すべきであり、それが民主主義の要請に合致するものである、との思想は、1970年代から世界的規模で急速に広まっており、各国で在住外国人に選挙権・被選挙権を認める立法例が続々と誕生している。
1、スウェーデン
[39] 選挙前3年間、国内に生活していること、年齢が18歳以上であること、教会登録をしていること、を要件に、外国人にも地方議会の選挙権・被選挙権・国民投票の参加権を付与している。
[40] 右は、1975年12月に選挙関係規定が改正され、1976年9月から実施されている。
2、オランダ
[41] 5年以上の在住を条件に、地方自治体の選挙権・被選挙権が、外国人にも付与されている。
[42] 右は、1983年6月の憲法改正により実施された。
3、デンマーク
[43] 3年以上の在留と年齢が満18歳以上であることを要件に、外国人にも地方自治体レベルでの選挙権を認めている。
[44] 右は、1981年の選挙関係規定の改正により実施されている。
4、ノルウェー
[45] 3年以上の在留と年齢が満18歳以上であることを要件として、地方自治体レベルでの選挙権を認めている。
[46] 右は、1983年の選挙関係規定の改正により実施されている。
5、スイス
[47](1) トゥールガウ州、ノイエンブルク州、フライブルク州などで、市町村レベルの選挙権を認めている(被選挙権は無い)。
[48] 但、ノイエンブルク州では、州に5年以上居住し、かつ当該市町村に1年以上居住する外国人に被選挙権を付与している。
(2) ユラ州
[49] 10年以上在留を要件に外国人にも市町村レベルでの選挙権及び被選挙権を付している。
6、イギリス(連合王国)
[50] コモンウェルス諸国の入国者に選挙権を含む市民権を与えるという原則は維持されている。伝統的に「イギリス臣民」たるコモンウェルス出身者及びアイルランド出身者に国政選挙と市町村選挙への投票権を認めている。
7、アイルランド
[51] 6ヶ月在住を要件に、外国人も市町村レベルでの選挙権・被選挙権を付与している。
[52] 右は、1974年の選挙規定の改正により実施されている。
8、スペイン
[53] 1978年制定の憲法第13条2項により、相互主義の原則にのっとり、市町村の選挙における選挙権を外国人にも認めている。
9、オーストラリア
[54] 外国人たる英国国民に、6ヶ月以上在住を要件に選挙権を、3年以上在住を要件に被選挙権を付与している。
[55] 右は、1948年の選挙関係規定の改正により実施されている。
10、ニュージーランド
[56] 1年以上在住の「英国国民」、アイルランド共和国市民は、選挙人登録をでき、国会議員の被選挙権も有する。
[57] 右は、1948年の選挙法改正により実施されている。
11、フランス
[58] 1963年1月1日以降、フランス生まれのアルジェリア人(2世)に選挙権・被選挙権を付与している。
12、ドイツ
[59](1) シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州では、同州居住の外国人のうち、自国に在留するドイツ人にも自治体選挙への参加を認めている欧州の6カ国(デンマーク、アイルランド、ノルウェー、スウェーデン、オランダ及びスイス)の国籍を有し5年以上ドイツに居住する外国人に、同州の市町村及び郡の選挙に参加する権利を保障した選挙法改正法が、1989年2月、州議会で成立し、同改正選挙法に基づく自治体選挙が1990年3月に行われることとなった。ハンブルグ州でも、8年以上ドイツに居住する外国人に国籍を問わず区議会議員の選挙に参加する権利を保障した選挙法改正が、同じく1989年2月、州議会で成立した。
[60](2) これに対し、1989年6月21日、連邦議会の与党キリスト教民主同盟(CDU)、キリスト教社会同盟(CSU)の議員が外国人の自治体選挙権を認めた両州の法律は基本法の国民主権条項(第20条、第28条)に違反するものであるとして、その違憲無効を宣言する判決を求めて連邦憲法裁判所に違憲審査の申立を行ったのである。
[61](3) 同裁判所は、ドイツ統一直後の1990年10月31日、前記両州の選挙法が無効として、結論的には外国人の自治体選挙権を認めなかった。
[62](4) しかし、右判決自体極めて政治的なものであり、今日ドイツが抱える問題をこそ背景にして論じられるべきものである。
[63](A) 政治的に見れば、前記両州の議会と政府は、連邦レベルでは野党である社会民主党(SPDと略する)が主導権を有し、外国人の自治体選挙権もSPDにより導入されたものであった。他方違憲審査を求めたのは連邦議会の与党キリスト教民主同盟(CDUと略する)、キリスト教社会同盟(CSUと略する)であった。これは、SPDによって自治体レベルでの外国人選挙権制度が実現された後、同制度が、州議会、連邦議会へと拡大することを虞れたためである。
[64](B) 経済的に見れば、ドイツでの失業が問題であった。ドイツでは統一前、既に400万以上の外国人が居住しており、経済的には定住外国人を無視し得なくなったところ、逆に不況になるとドイツ、自身の失業率が高まって来た。そのため一部にはネオナチズムが台頭し、ドイツ人による外国人の襲撃事件も起きている。
[65] 更に、東ドイツの統一により、旧西ドイツに多量の旧東ドイツ人が移住し、そのことが旧西ドイツ人の失業をもたらし、その不満が弱者たる定住外国人に向けられているものである。
[66](C) すなわち、今日のドイツは、思想的に保守化し、ナチスを生んだドイツ民族主義が秘かに浸透しはじめ、経済的には、外国人労働者への嫌悪と恐怖心が充満している。このことが、ドイツ連邦憲法裁判所の8名の裁判官をして違憲の判決を出さしめた真の原因である。
[67] いわば、特殊なドイツでの状況のもとで、定住外国人に対する人権保障という世界の流れに棹さす、徒花ともいうべき判決であり、同判決は参考にされるべき価値はない。
[68] しかも、右判決は、ドイツが加盟するヨーロッパ共同体(ECと略する)が、EC加盟国民の滞在国における自治体選挙権の実現を目標とし、その実現の暁には、変更されるべきものであると評されており、いわば一時的な線香花火的判決に過ぎないものと言えよう。
[69] つまり、ドイツ民族主義も世界の流れにいつまでも逆らえるものではないのである。
[70] 以上の上告人等の我国ないし、各自治体における定住(ないし居住)及び生活実態及び諸外国の立法の動向等を踏まえ、次のとおり、原判決の理由不備、理由齟齬の違法並びに憲法及び法令解釈の誤りについて論ずる。
1、はじめに、
[71] 地自法及び公選法の右各条項は、地方自治体選挙の選挙権者を「日本国民」に限定している。
[72] 右に云う「日本国民」が、「現行国籍法上の日本国籍を有する者」と同義であるとするならば、国籍法上の日本国籍を有しない原告等は、いずれも右各条項上は地方自治体の選挙権を否認されていることになる。
[73] もし、右各条項についてこのような法解釈がなされるとするならば、後記第三、二、記載のとおり、右各条項は明らかに憲法92条、93条2項、14条、15条1項等に違反し、無効なものであることになる。
[74] しかしながら、以下に述べるとおり、「現行国籍法上の国民」と「憲法上の国民」(憲法15条等にいう国民)の範囲は必ずしも一致しておらず、「現行国籍法上の国民」は「憲法上の国民」の部分集合として把えられるべきである。
[75] そして、「憲法上の国民」は即ち「主権者たる国民」であるから、選挙権者の範囲に関する定めである地自法11条、18条及び公選法9条2項の解釈に当たっては、右各条項上の「日本国民」は「憲法上の国民(主権者たる国民)」を指すと考えなければ、法的整合性が確保されないことになる。
[76] そうすると、地自法及び公選法の右各条項上の「日本国民」とは「憲法上の国民(主権者)」に他ならないと解さざるを得ず、結局、本件上告人等が「憲法上の国民」に属するか否かが問題であり、これが肯定されれば、本件各却下処分は違憲をいうまでもなく違法なものとして取り消されざるを得ないことに帰するのである。
[77] 以下に分節する。

2、「憲法上の国民」の概念及びその範囲
[78](1) 憲法10条は「国民たる要件は、法律でこれを定める」と規定している。
[79] しかしながら、右各条項を根拠に主権者(=憲法制定権者)としての国民、すなわち「憲法上の国民」の概念及び範囲が立法者たる国会が制定した国籍法等の法律によってはじめて決定される、とする見解は明らかに誤りである。
[80] なぜなら国籍法等の立法者は、主権者ないし制憲権者たる国民の委任に基づいて立法行為をなす言わば受任者たる立場にあり、受任者が委任者(主権者=国民)の範囲を自由に決定できるとすることは、子供が親を産んだに等しく、その発想自体が背理だからである。従って、「憲法上の国民」(主権者ないし制憲権者)の概念及び範囲は、国籍法等法律によってではなく、憲法解釈上客観的に定まるものである。
[81](2) それでは憲法解釈上、主権者ないし制憲権者としての「国民」の概念及び範囲は、どのようなものとして規定されているのであろうか。
[82] この点を明らかにするには、日本国憲法の成立過程にまで遡らなければならない。旧大日本帝国は天皇を主権者とする帝国憲法等によって、その国家法秩序が形成されていたのであるが、1945年のポツダム宣言受諾(敗戦)により、従来の国家秩序は根底から崩壊し、ポッダム宣言及びそれに次いで連合国によって制定された国連憲章が以後の国家秩序の基礎となったのである(いわゆる八月革命説)。
[83] 故に、ポッダム宣言及び国連憲章は国家形成的条約として憲法の上位に位置する法基範であり、日本国憲法を頂点とする現行の法秩序を基礎付け、規制するものと言える。ポッダム宣言及び国連憲章の趣旨は、制憲権者によって憲法の各条項、とりわけその前文に取り入れられることとなる。
[84] 憲法前文は言う。国民主権主義は「人類普遍の原理」であり、制憲権者たる日本国民は「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う。」、また、「政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは(中略)各国の責務であると信ずる」と。ここにおいて看取されるのは、それまでの、憲法は自国の統治に関する基本的事項のみについて規定するものであるという思想ではなく、全世界、全人類的な民主主義及び人権・平和保障を承認し、かつその実効性確保を国家目標とし、その目標を達成するため、日本国の領域(憲法が実効性を有する領域内)においては日本国が責任分担として民主主義及び人権・平和を保障し実効あらしめる、という革命的思想である。このように、民主主義等が全世界的な「人類普遍の原理」であり、日本国はその領域内(日本国内)でのその実効性を保障する、という思想を基礎として、
「民主主義というものが自己統治、すなわち自分であり自分のことを統治することであるならば(治者と被治者の自同性)、地球上にいる人は、どこか1箇所で、自分の属する地域の政治に参加すべきである」
という原則が導き出される(江橋証言調書11丁以下参照)。
[85] そして、右の「どこか1箇所」とは、参政権というものの性質上、その人が最も重大な利害関係を有し、かつ租税等公的負担をなし、またその事情に精通している地域、すなわちその人が定住している地域(生活の本拠地が属する国)でなければ、右思想ないし原理・原則を貫徹することはできないのであり、このことは当然の事理として右思想等の本質的構成要素をなすものである。
[86] 従って、ポッダム宣言(特にその12)に言う「日本国国民」とは、日本国における定住者を指称しているのである。
[87] 日本国憲法が、右の思想ないし原理・原則を根本的規範としている以上、憲法の各条項の具体的解釈も右原理・原則に適合するようにしなければならないから、憲法15条等の参政権条項にいう「国民」には、「日本国内における定住者」が当然に含まれ、これに日本国がその人的構成要素であることを特に認めた者、すなわち「定住者に非ざる日本国籍保持者」が附加されることになる(なお、「国籍保持者」と「定住者」の不一致が生じるのは現行国籍法の欠陥であることについては後述する)。
[88] 右が解釈上客観的に定まる「憲法上の国民」の概念及び範囲である。
[89] 地自法11条、公選法9条2項にいう「日本国民」の意義も、右「憲法上の国民」と同義と解釈されるべきことは当然である。

3、憲法93条2項所定の「住民」の概念及び範囲
[90] 前述のように、地球上にいる人は国政レベルにおいては定住場所(生活の本拠地)が属する国において参政権行使(政治的意思表示)をなすべきであるところ。地方政治レベルの参政権は、「限定された地域住民共同体(コミュニティー)において、共同生活上の利害関係について共同決定する」という本来的趣旨からして、当該地域の住民、すなわち、「居住者」が行使すべきこととになる。
[91] 従って、憲法93条2項所定の「住民」とは「定住者」ではなくとも「居住者」であればこれに該当すると解される。
[92] ところで、前述のように地自法11条、公選法9条2項は、地方参政権を有する「住民」を憲法上の根拠なくして「日本国民たる住民」に限定しており、その限りでは右各条項は憲法93条2項に違反しているのである。
[93] もっとも、前述のとおり上告人等は全員「日本国内における定住者」として「憲法上の国民」(=地自法、公選法の「日本国民」)に当たることは明らかであるから、右の点に関する地自法、公選法の違憲性は本件と直接の関係が無いことになる。
[94] しかし、仮に、原判決のように「原告等(上告人等)は日本国籍を有しないが故に日本国民ではない」と解されるのであれば、後述のとおり、この点の違憲性故に、右各規定に基づいてなされた本件各処分も違憲無効となる。

4、論点の検討
[95] 以上の見解に対して想定される論点に対し、次に検討する。
(1) 「憲法上の国民」と国籍保持者の不一致
[96] 「憲法上の国民とは日本国籍保持者をいう」というドグマを信奉するならば、前記2、の見解は受け入れ難いであろう。
[97] しかしながら、前述のとおり、法律(国籍法)によって憲法解釈上客観的にさだまる国民の概念ないし範囲を限定又は変更することは、下位法が上位法を改変することになり許されない、と言う当然の法理を前提とするならば、憲法ではなく、「憲法上の国民」を全面的にカバーしていない国籍法こそが指弾されるべきである。
[98] なるほど、歴史的に観て、広域的かつ迅速・容易な移動や情報通信手段等が不存在ないし未発達であった時代においては、殆どの場合「定住場所(生活の本拠地)=国籍」の等式が成立しており、「国籍保持者」を「国民」とみても大過は無かったのであり、逆に言えば国籍は定住場所(生活の本拠地)を判断する標準的な基準であったのである。
[99] しかしながら、交通運輸、情報通信手段が発達し、現代の様な「ボーダーレース化」の時代になると、「定住者=国籍保持者=国民」の等式は成立しなくなっているのであるから、少なくとも参政権については「国籍基準」ではなく「定住基準」に依拠しなければ、憲法が採用している民主主義の本来的機能を果すことはできないのである。
[100] そして、国籍法は憲法10条の授権に基づくものであるから、憲法の前記趣旨を踏まえ、本件上告人らのような定住者にも当然に日本国籍を付与すべきであった(今からでも速やかに改正されるべきである)。
[101] 従って、現行国籍法は、違憲と言うかどうかは別としても、少なくとも上告人らの様な「定住者」に対し当然に国籍を付与していないという限度で不十分ないしは瑕疵ある法律というべきである。
(2) 選挙制度法定主義(立法裁量論)について
[102] 憲法47条は国政選挙について、また憲法93条2項は地方選挙について、各々選挙に関する事項については法律で定めるべきことを規定している。
[103] もとより、法律で「憲法上の国民」の概念又は範囲を改変することはできないが、「定住性」の判定基準の定立については立法裁量の余地も一応考え得る。
[104] しかしながら、前述のように上告人らは、全員、日本で生まれ育ち、日本の教育を受け、日本語をよく理解し(逆に母国語である韓国語は全くあるいは極めて不十分にしか解せず)、日本の文化・習慣によく通じ(韓国のそれにはうとく)、親族家族関係、職業・資産等経済的基盤、友人、知人その他社会的活動等は全て日本国内に存し、納税等日本の公的負担は日本国籍保持者と等しく負い、韓国では参政権等の諸権利の行使を許されず、日本に定住する意思を有し(むしろ日本でしか生きていけない)、完全に日本に定着しているのである。
[105] このような上告人らについてまで、定住性の判定を否、とすることは明らかに憲法の授権の趣旨を逸脱することになり、立法裁量権の踰越、濫用として許されないと言うべきであるから、立法裁量論は本件では問題とならないこととなる。
(3) 「公の意思の形成等についての当然の法理」について
[106] 「公の意思の形成及び公権力の行使における当然の法理」として、「これらの関与し得るのは日本国民に限る」との見解がある。
[107] 右見解の根底には、「国民はその属する国家と運命を共にする(国家は国民全体の運命共同体である)が外国人はそうではない」という前提が存する。
[108] かりに右命題が正しいとしても、右の「運命共同体」とは、ガバメントではなく、その人が生活の本拠を置く共同体(ネイション)としての国家を指すと考えるのがその趣旨からして妥当である。
[109] そうすると、国民(定住者)である上告人らは、まさに各人が属するネイションである日本と運命を共にするといえるから、公の意思の形成等に参与すべき適格性を有することになり(その限りで右「日本国民」に含まれる)、右「当然の法理」の正統的理解をとれば右法理を本件上告人らの法的主張は何ら矛盾しない。
(4) 「帰化すれば良い」との見解について
[110] 「参政権を行使したいのであれば、帰化して日本国籍を取得すれば良く、それをしないのは『日本国においては参政権を行使しない』との意思表明である」との見解もあり得る。
[111] しかしながら、上告人たらは「憲法上の国民」として憲法を頂点とする現行法体制上、当然に参政権の主体であり、従って、参政権行使に帰化を要するとするのは、元来保持している権利に対するいわれのない制約であり許されない。
[112] そもそも、現行法制上の帰化の要件としては、生計を営むに足りる資産、技能等の有無あるいは素行が善良か否か等参政権の要件とすることが憲法14条、15条3項、44条等に照らして許されないものが種々あるのだから、参政権付与又は行使の要件と帰化要件又は手続を関連付けること自体に無理があると言わねばならない。
[113] なお、上告人ら及びその父祖は、終戦当時、本国へ帰国するという選択も、実現可能性の有無はともかく、あり得たとみれば、仮に、どこで参政権を行使するのかについて、権利主体の側に何らかの選択の契機があるとしても、上告人ら及びその父祖らは、帰国をせずに日本に定住することを選択したことになるから、日本で参政権を行使する旨の意志を表明した(選択した)と言える。よっていずれにしろ、「帰化すれば良い」との見解は失当である。
(5) 憲法上の基本的人権保障規定の外国人への適用について
[114] 憲法上の基本的人権保障規定を外国人にも適用すべきか否かについては、判例・通説は権利性質説を採用しているが、在留資格等権利主体の性質、地位をも考慮すべきこととされている(最高裁のマクリーン事件判決等)。これとの関係で、国籍法上の国籍を有していないという意味での外国人である上告人らに参政権が保障されるか否かが一応論点となるが、従前の主張(特に前記4、(3))から明らかなとおり、上告人等は全員、日本に定住しているから参政権の主体としての適格性を充足しており、かつ、このような人に対して参政権を憲法上保障すべきは参政権の性質上当然であるから、右論点を積極的に解すべきことは当然である。

[115]5、最後に、上告人らの様に在日定住外国人に参政権行使を認めることが、実態論としても妥当かつ有益であることは、原審の江橋証言調書23丁表ないし28丁裏のとおりであり、要するに、このような人々に市民ないし住民としての自覚と責務を持ってもらうことが、国及び自治体の適正な運営に必要不可欠なことと考えられるのである。

[116]6、以上を要するに、上告人らはいずれも、憲法上も、従って地自法11条、18条、公選法9条2項等の各条項上も、「日本国民」に該当するから、本件原告らを参政権者(日本国民)ではないことを理由になされた本件各処分は、いずれも違法なものとして取消しを免れない。

[117]7、しかるに原判決は、要旨
「『国民』の範囲・要件の設定は憲法10条により法律に委任されているところ、該当する法律である国籍法上、原告ら(上告人ら)は「国民」ではなく外国人であるから、原告ら(上告人ら)には参政権は保障されておらず、かつ、地自法11条、18条、公選法9条2項所定の「日本国民」にも該当しないから、現行法上参政権は認められない」
との理由で上告人らの各請求を棄却したものである。
[118] 前記第四、一、1、ないし6、で述べたところに照らし、原判決が憲法15条1項、92条、93条2項にいう「国民」及び「住民」の解釈を誤り、ひいては、地自法11条、18条、公選法9条2項所定の「日本国民たる住民」の解釈を誤ったが故に判決の結論を誤ったことは明らかである。ここに原判決の憲法解釈の誤り及び判決に影響を及ぼすことが明らかな法令解釈の誤りが存するから、原判決は破棄を免れない。

[119]8、また、原判決が「『国民』(主権者)の範囲・要件は憲法解釈・理論上客観的に定まる」との至極もっともな見解を採用せず、「『国民』の範囲・要件は法律によって定まる」との自己矛盾に満ち、誤った見解に依拠したことが、原判決の誤りの根本である。
[120] この点について、原判決が右の後者の見解を採用する理由は、原判決の13丁裏から14丁表にかけて判示されていることになっているが、判決の理由として必要とされる最低限の理由も判示されていない。すなわち、原判決も一定程度上告人らの原審における主張を受け容れ、
「法律である国籍法において、日本国民たる要件を全く自由に定めることができるものではなく」
と判示しているのであるが、それにもかかわらず、
「現行の血統主義を基本とする国籍法には、憲法の各条項及び基本原理と調和しない点があると認めることはできない」
との結論のみを挙示するに止めている。
[121] 右のような結論を採用している以上、原判決としては、最低限、 (1) 憲法10条の委任を受けた国籍法に科されるべき憲法上の制約の具体的内容。
(2) 右憲法上の制約の具体的内容に照らし、現行国籍法の規定・内容が憲法10条の委任の趣旨を過不足なくあらわしていること。
の2点を判示しなければ判決に理由を附したことにはならない。しかるに、原判決は右判示を全くしていないのであるから、理由不備・理由齟齬の違法があるものして破棄を免れない。

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