特別区長公選制廃止事件
跳躍上告審判決

贈収賄被告事件
最高裁判所 昭和37年(あ)第900号
昭和38年3月27日 大法廷 判決

上告人 検察官 石田富平

被告人 小林儀光 外6名
弁護人 渡辺綱雄 外7名

検察官 村上朝一

■ 主 文
■ 理 由

■ 裁判官垂水克己の補足意見

■ 東京地方検察庁検事正石田富平の上告趣意


 原判決を破棄する。
 本件を東京地方裁判所に差し戻す。

[1] 論旨は、原判決が都の特別区の長の公選制を廃止した地方自治法281条の2第1項は憲法93条2項に違反して無効であると判示したのは、憲法の右条項の解釈を誤つた違法があるといのである。

[2] 憲法は、93条2項において「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が直接これを選挙する。」と規定している。何がここにいう地方公共団体であるかについては、何ら明示するところはないが、憲法が特に1章を設けて地方自治を保障するにいたつた所以のものは、新憲法の基調とする政治民主化の一環として、住民の日常生活に密接な関連をもつ公共的事務は、その地方の住民の手でその住民の団体が主体となつて処理する政治形態を保障せんとする趣旨に出たものである。この趣旨に徴するときは、右の地方公共団体といい得るためには、単に法律で地方公共団体として取り扱われているということだけでは足らず、事実上住民が経済的文化的に密接な共同生活を営み、共同体意識をもつているという社会的基盤が存在し、沿革的にみても、また現実の行政の上においても、相当程度の自主立法権、自主行政権、自主財政権等地方自治の基本的権能を附与された地域団体であることを必要とするものというべきである。そして、かかる実体を備えた団体である以上、その実体を無視して、憲法で保障した地方自治の権能を法律を以て奪うことは、許されないものと解するを相当とする。
[3] ひるがえつて、東京都の特別区についてこれをみるに、区は、明治11年郡区町村編制法施行以来地方団体としての長い歴史と伝統を有するものではあるが、未だ市町村のごとき完全な自治体としての地位を有していたことはなく、そうした機能を果たしたこともなかつた。かつて地方自治制度確立に伴ない、区の法人格も認められたのであるが、依然として、区長は市長の任命にかかる市の有給吏員とされ、区は課税権、起債権、自治立法権を認められず、単にその財産および営造物に関する事務その他法令により区に属する事務を処理し得るにとどまり、殊に、日華事変以後区の自治権は次第に圧縮され、昭和18年7月施行の東京都制の下においては、全く都の下部機構たるに過ぎなかつたのである。
[4] ところが、戦後昭和21年9月東京都制の一部改正により区は、従前の事務のほか法令の定めるところに従い区に属する事務を処理し(140条)、区条例、区規則の制定権、区税および分担金の賦課徴収権が認められ(143条、157条ノ3ないし5)、「区ニ区長ヲ置」き「区長ハ其ノ被選挙権アル者ニ就キ選挙人ヲシテ選挙セシメ其ノ者ニ就キ之ヲ任ズ」(151条ノ2)とのいわゆる区長公選制を採用することとなり、翌22年4月制定された地方自治法においても、特別区は「特別地方公共団体」とし、原則として市に関する規定が適用されることとなつた(283条、附則17条)。しかし、これら法律の建前が特別区の事務、事業の上にそのまま実現されたわけでなく、政治の実際面においては、区長の公選が実施された程度で、その他は都制下におけるとさしたる変化はなく、特別区は区域内の住民に対して直接行政を執行するとはいえ、その範囲および権限において、市の場合とは著しく趣きを異にするところが少なくなかつた。このことは次に掲げる諸法律の規定に照らして、これを推認し得るに十分である。すなわち、地方自治法においても、都は条例で特別区について必要な規定を設けることができ(282条)、都知事は特別区に都吏員を配置することができることとした(同法施行令210条)ほか、同法附則2条により現に効力を有する東京都制191条の規定に基づき、都制時代に都が処理していた事務の多くのものが依然として都に留保されていた。また特別法の規定においても、法律上市に属する事務とされていながら、東京都にあつては、重要な公共事務が特別区の権限からはずされ或いは特別区全体を一つの対象として取り扱い、都に市の性格と府県の性格とを併有せしめるものが、数多く認められる。その例として、警察法(昭和22年法律196号)51条、消防組織法(昭和22年法律226号)16条、地方自治施行令附則4条により適用を全面的に排除されている道路法(大正8年法律58号)および水道条例(明治23年法律9号)、児童福祉法(昭和22年法律164号)71条、教育委員会法(昭和23年法律170号)52条、地方自治法施行令(昭和22年政令16号)209条、地方財政平衡交付金法(昭和25年法律211号)21条1項等を挙げることができる。特に特別区の財政上の権能については、区は、前叙のごとく、昭和21年東京都制の一部改正により自主財政権が与えられ、独立して区税を賦課徴収し得ることとなつたにもかかわらず、同年の改正にかかる地方税法(昭和21年法律16号)においては、東京都の区は、ただ都の条例の定めるところにより都の課することできる税の全部または一部を区税として課することが認められているに過ぎず、さらに税目を起こして独立税を課する場合においても、都の同意を必要とする(85条ノ11、同条ノ12)と規定し、区を独立の課税権を有する地方団体としては取り扱わず、昭和25年の改正地方税法(同年法律226号)によつてもこの建前は変更されることなく(1条、734条ないし736条参照)、現在に及んでいる。かように、特別区は昭和21年9月都制の一部改正によつて自治権の拡充強化が図られたが、翌22年4月制定の地方自治法をはじめその他の法律によつてその自治権に重大な制約が加えられているのは、東京都の戦後における急速な経済の発展、文化の興隆と、住民の日常生活が、特別区の範囲を超えて他の地域に及ぶもの多く、都心と郊外の昼夜の人口差は次第に甚だしく、区の財源の偏在化も益々著しくなり、23区の存する地域全体にわたり統一と均衡と計画性のある大都市行政を実現せんとする要請に基づくものであつて、所詮、特別区が、東京都という市の性格をも併有した独立地方公共団体の一部を形成していることに基因するものというべきである。
[5] しかして、特別区の実体が右のごときものである以上、特別区は、その長の公選制が法律によつて認められていたとはいえ、憲法制定当時においてもまた昭和27年8月地方自治法改正当時においても、憲法93条2項の地方公共団体と認めることはできない。従つて、改正地方自治法が右公選制を廃止し、これに代えて、区長は特別区の議会の議員の選挙権を有する者で年齢25年以上のものの中から特別区の議会が都知事の同意を得て選任するという方法を採用したからといつて、それは立法政策の問題にほかならず、憲法93条2項に違反するものということはできない。
[6] されば、原判決が特別区の長の公選制を廃止した地方自治法281条の2第1項は憲法93条2項に違反して無効であると判示したのは、憲法の右条項の解釈を誤つた違法があり、論旨は理由あるに帰し、原判決は到底破棄を免かれない。

[7] よつて刑訴410条1項本文、405条1号、413条本文に従い、主文のとおり判決する。
[8] この判決は、裁判官垂水克己の補足意見があるほか、裁判官全員の意見によるものである。


 裁判官垂水克己の補足意見は,次のとおりである。

[1] 日本国民は、国内多数の地方に分れて住み、その自然的条件や経済事情ないし伝統、風習その他の文化的条件に従つて生活し、同じ地方の住民は互いによりよく知り合い、交通、通信、取引、交際をし、利害関係を共にすることが多い。このことから、またその住民は、苦楽を共にし共同体意識を持つに至り、自分ら住民だけの利害に関する事項については、国民全体の総意から離れて、自分らの意思に従い、自分らの手で独自の共同生活を営もうと欲するに至ることは、人間自然の姿であり、かような欲求は、国民の総意に反しない限り、これを認容することの方が、国民生活を一層民意に叶い実情に即した行き届いたものとする所以でもあり、他面、一から十まで国民の世話を焼くことから国を解放する所以である。ここに、憲法が民主的国民生活の不可欠の要件とする「地方自治の本旨」及び地方公共団体の存在の意義がある。地方自治のない国民生活はなく、いずれの地方公共団体の住民ともされない国民は一人もない。
[2] 私は、次の説を大いに傾聴に値するものと考える。曰く、
「東京都の特別区は自己の議会を有し(この点大阪市の区と異る)、自治立法権(条例制定権)、自治財政権(課税権)及び自治行政権を有しているのであるから、その権限は制限されているとはいえ、なおこれを地方公共団体というべきである。
(1)条例制定権 昭和21年9月東京都制の一部改正法律により、区は、条例、区規則の制定権を認められた(同法143条)。
 昭和23年1月地方自治法の施行により、都の区は、特別区という法人格を有する地方公共団体となり、原則として市と同様に取扱われることとなつた(同法281条1項、1条3項、2条、283条、14条、15条)。
(2)自治行政権 昭和21年9月改正の東京都制によつて、区は、従前の事務のほか法令の定めるところにより区に属する事務を処理することとなつた(同法140条)。(昭和23年1月施行の地方自治法281条は、「特別区は、その公共事務及び法律若しくは政令又は都の条例により特別区に属するもの並び従来法令又は都の条例ににより都の区に属するものの外、その区域内におけるその他の行政事務で国の事務に属しないものを処理する。」(2項)、「第2条第3項及び第4項の規定は、前項の事務にこれを準用する。」(3項)と規定し、さらに、同法附則17条は、「他の法律中市に関する規定は、政令で特別の規定を設ける場合を除く外、特別区にも、また、これを適用する。」と定め、特別区に普通地方公共団体と同様の自治行政権を与えた。
(3)財政権 前記改正東京都制の下では、区は、独立して、課税および起債権を認められていた(前同法157条ノ3ないし157条ノ5)。もつとも、昭和21年9月法律16号地方税法および昭和25年法律226号地方税法は、区を独立の課税権を有する地方公共団体として取り扱わず、ただ都の条例の定めるところにより都の課することのできる税の全部または一部を区税として課することを認めているに過ぎず、さらに税目を起して独立税を課する場合においても、都の同意を必要とするという制限が課せられていた。(16号85条ノ11、同条ノ12、226号1条、734条ないし736条)。
 今、東京都の特別区の実体をみても、各区は人口12万余から52万余に及び、町田市、府中市の約6万、伊豆大島、八丈島の各1万3千をはるかに凌駕しており、その政治的、経済的、文化的活動も活溌であり、区民の民主化も大いに発達している。この特別区が、制約を受けながらも、右の如き自治権を法律によつて与えられている以上、これを憲法93条2項にいう地方公共団体でないとはいえない。とすれば、特別区の長はその住民の直接選挙によるべきである。」
というのである。
[3] 憲法にいう「地方自治の本旨」、コムミユニテイの精神なるものは、われわらの祖先から受けつがれたものでないだけに、或いは低く評価、理解されるかも知れないが、自由民主主義憲法の精神からいえば、国会が法律をつくるに当つては大いにこれを尊重すべき性質のもので、なかでも、住民の総意は最も重視されるべきものである。このことは憲法95条の「一の地方公共団体にのみ適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数を得なければ、国会はこれを制定することができない。」という規定にハッキリ現われている。新憲法後始めて制定された各種委員会や公聴会の制度、解職(リコール)制度、納税者訴訟制度等は憲法の明文の要請するところではないが、民主的なかようなものも全廃すれば地方自治の本旨から遠ざかることとなる。特別区が憲法上の地方公共団体でないとしても、その区長については公選制を採ることの方が地方自治の本旨に副う所以であると思う。地方自治について何ら規定のなかつた明治憲法の下で、終戦までの間に地方自治制度を創設、発達させた明治以来の国会を想うべきである。

[4] しかし、立法政策の問題でなく、翻つて解釈問題として考えてみるとどうか。憲法92条は「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」というのであるから、地方公共団体は、法律によつて始めて生れ、権利主体となるのであり、その地域の広狭をどうするか、また、いわゆる二重構造とするか否かにも一に法律によつて定まり、地方議会のあり方、その構成員の選出方法、運営方法についても法律によつて始めて基本的事項が定まるのであることは、憲法同条の解釈上疑を容れない。
[5] 或る地方の住民がその意識と共同生活において一の地方公共団体とするに熟する状態にあるか否かの認定、判断は、一般的には、国会の権限に属するものと考える。ただ、国会といえども、その認定、判断が非合理的であつて「地方自治」といえる共同体生活をなしえないような物的、心的実体の地方住民を一の地方公共団体とするが如きは、憲法の地方自治の本旨に副わないもので、違憲というしかないであろう。例えば、今日すぐさま、わが国を東日本と西日本の2州だけの地方公共団体に分けたり、或いは、山形県と高知県とを併せて1県とするが如きである。
[6] 私は、東京都の特別区を地方公共団体として扱い、その区長を公選する制度を採るなら、憲法の地方自治の本旨に副うと思う。

[7] けれども、実体についてみても、東京都の特別区は、通信、交通、電気、水道、ガスの利用、各種取引、買物、通勤、通学、消防、災害防止、衛生、各種文化施設の利用等々の点で他の特別区と不可分に結合し、人は他の2、3の区を通つて活動する常態になつている。隣区の火災は自区の危険である。だから、23区を合せたものを東京都とするなら問題はない。多数意見の説示も、この点では首肯できる。
[8] しかし、府県に匹敵する東京都では、都内市町村の住民は、都の長である都知事を選出し得るほか、当該市町村の長をも選出する権能が与えられているのに対し、特別区の住民は、都内でも23区の存する地域は人口においても、都民の7割を占め、その経済的、文化的能力においても、都の最要部をなしており、その一つ一つの区をとつてみても、都内市町村に比して人口、能力において大いに優れているにもかかわらず、23区を併せたものの長を選出する途も閉ざされている。この点納得し難いものがある。
[9] 私は、或る地方の住民を法律で地方公共団体とする場合ならよいが、反対に一旦地方公共団体とされその権利を与えられたものからその権利を奪いこれを地方公共団体でなくする場合には、少くともその地方公共団体の公的総意を聴くぐらいのことをする方が民主的であると思う。特別区の長の公選制を廃止する地方自治法281条の2第1項の制定にあたり、公述人の意見を聴いたとか、区民は何ら反対しなかつたというだけでは不十分のように思う。しかし、いうまでもなく、地方公共団体の組織を、大乗的、全体的見地から国が変更しようとする場合に、関係地方公共団体多数の反対に遭つてては如何ともし難いということになるべきではないから、単に右のごとき手続を踏まなかつた故をもつて、同条を違憲と解すべきではあるまい。
[10] そして、地方自治法281条の2第1項制定の際の国会における担当国務大臣の提案理由の説明や国会の審議の過程等に徴すれば、次のことが明らかである。すなわち、東京都住民は今や相当緊密に結びつき、その特別区や市町村ごとに区区独自の条例、自治警察、課税を持つよりも、全都民がその力を結集し、経済的にもまた文化的にも有無相通じ、全体の発達を促すことの方が、全都民の生活向上のためにも国のためにも百年の大計である。また、三多摩地方、伊豆七島は、数十年来東京府に属し、その住民も東京都民たらんことを願い、23区等も、これを容れることのできる心的、物的要件を具えている。そこで、特別区の長の公選制を廃止しても、実質上、区民の自治権能を減殺する結果を生ぜず、且つ、特別区以外の地域の住民とその自治権能の点において遜色を来たすことがない。かような認定、判断の下に、国会は同法条を制定したものである。しかして、かかる認定、判断はもとより国会に附与された権限の正当な行使と認めるべきである。従つて、右の規定を目して違憲と断定することは、許されないものというべきである。
[11]以上の理由から、私は、多数意見の結論に賛成する。

(裁判長裁判官 横田喜三郎  裁判官 河村又介  裁判官 入江俊郎  裁判官 池田克  裁判官 垂水克己  裁判官 河村大助  裁判官 下飯坂潤夫  裁判官 奥野健一  裁判官 高木常七  裁判官 石坂修一  裁判官 山田作之助  裁判官 五鬼上堅磐  裁判官 横田正俊  裁判官 斉藤朔郎  裁判官 草鹿浅之介)
[1] 原判決は、憲法の解釈を誤り、不当に法律を憲法に違反すると判断した。この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れないものと信ずる。
[2] すなわち、原判決は、昭和32年8月東京都渋谷区議会が同区々長候補を定め区長を選任するに際し、区長に選任されることを望んでいた被告人小林儀光、同岩味態雄、同中西千代次が、同区議会議員たる被告人並木貞人、同平野井雷治、同辻昇、同大日方昇らに対し、それぞれ自己を支持せられたい旨懇請し、その報酬として、被告人小林は合計20万円の供与及び合計79万8000円の供与の申込み(提供を含む)をなし、被告人岩味は合計80万円の供与及び合計30万円の供与の申込み(提供を含む)をなし、被告人中西は合計6万円の供与及び合計11万円の提供をなし、被告人並木、同平野、井同辻、同大日方らにおいては、それぞれ被告人小林らが右の趣旨の下に供与するものであることを諒知しながら、被告人並木は10万円を、被告平野井は合計15万円を、被告人辻は10万円を、被告人大日方は合計60万円を収受したものであるとの公訴事実を全部認めながら、右事実につき贈収賄罪の成立ありとする検察官の主張を排斥し、贈収賄罪の成立には、収賄者につき適法有効な職務権限の存在を必要とするのに、本件では、収賄者たるべき被告人らが、渋谷区議会議員として同区長候補を定め区長を選任する職務権限の根拠となるべき地方自治法第281条の2が憲法第93条第2項に違反し無効であるから、被告人らに贈収賄罪の責任を問うことはできないとして、無罪の言渡しをしたのである。
[3] この原判決の無罪理由のうち、地方自治法281条の2が違憲無効であることを根拠に直ちに本件贈収賄罪の成立を否定すべきものとした点は、社会通念に反するばかりでなく、法律論としても疑問なしとしないが、その前提として地方自治法第281条の2を憲法に違反するとした点は明らかに憲法の解釈を誤つた不当な判断であり、しかもその判断が原判決においては被告人らに対し無罪の言渡しをした唯一の理由となつているので何よりもまずその誤れる判断の是正を求める必要があり、更に、原判決の右の誤れる憲法解釈が近く相次いで行われる特別区長改選に際し無用な紛争を惹起する原因となることを防止する必要もあるので、本件上告に及んだ次第である。従つて、本件上告における主たる論点は、特別区が憲法93条第2項の地方公共団体にあたるかどうかにある。
[4] 原判決が地方自治法281条の2を違憲であるとする理由の要旨を見るに、まず、憲法第92条にいう「地方自治の本旨」とは「地方分権の徹底化」であり、特別区は日本国憲法制定当時憲法上の地方公共団体たる実質を備えていたばかりでなく、憲法も特別区のこの既成事実を認めた上地方公共団体という概念を用いたと考えるべきであり、地方自治法も当初は特別区が憲法上の地方公共団体たることを認め市に関する規定を適用することとしていたのであるから、後に同法の改正により、特別区の権限を縮少して都の内部機構とし、区長の公選制を廃止するが如きは、憲法にいう「地方自治の本旨」に違反し、地方公共団体の首長公選を保障する憲法93条第2項に違反するものと解すべきであるというにある。しかしながら、原判決の右の如き見解は、憲法及び地方自治法の理解において明らかな誤りを犯しているものであつて、われわれの到底左袒し得ないところである。特別区は、人口の密集し、市街の連続する大都市内の一区劃である。そこに、特別区の地域団体としての特異性がある。憲法がかかる事実に盲目であつたとは到底考えられない。この動かし難い事実を前提とする限り、法律がある時期において特別区長の公選を認めていたとしても、その当否はともかく、憲法上より見れば、それは、許されたる一つの政策に過ぎないと見るべきである。原判決の誤りは、窮極するところ、特別区のこの地域団体としての特異性を正当に認識しなかつたところにある。すでに牧歌的地方自治の時代は過ぎ、いまや、広域行政、福祉国家の要請に応えるべく、新しい地方自治のあり方を考えなければならない時代である。かかる時代における、東京の如き大都市の、しかもその末端の自治の組織を如何に構想するかは、古い地方分権の思想を振りかざしてこれに立ち向うべき問題ではない。特別区の社会的経済的実体を客観的に眺め、新しい時代の要求と伝統的な住民自治の要求とをともに満足させうるような地方自治の組織を追求することによつて解決すべき問題である。従つて、それは多分にいわゆる政策の問題であり、原則として国会と政府とがその責任においてきめるべき問題であると考える。かように考えたからといつて、それは、決して、原判決のいうような「全体主義、素朴なる中央集権」の思想につらなるものではない。時代の推移、社会的経済的基盤の変動による地方自治それ自体の内容的変化である。検察官は、かような観点に立つて、原判決の誤りを指摘しつつ、以下項を分つてその所見を開陳する。

第一、憲法第92条にいわゆる「地方自治の本旨」について
[5] 原判決は、まず、「憲法は国の根本法規であり、国家存立の法的基礎をなすものであるから、これが解釈に当つては細心慎重を期せねばならず、時の施政の都合上、これに便宜的恣意的な解釈を下すことは許されない」とし、「憲法成立の由来を考え、その企図せる精神を洞察し、この精神を遵奉すること」が、憲法を擁護する国民の崇嵩なる責務であるとする。原判決のこの見解自体には誤りはない。しかしながら、原判決が、「憲法が旧憲法に存しなかった新たなる地方自治の条章を設けるに至つた所以は、民主政治確立のためその基礎として地方自治の重要性を認め、過去において犯された中央集権より由来する弊害を排除」しようとするにあるとし、そのために憲法の要求するのは、「地方分権の徹底化」であるとしているのは誤りである。もちろん、われわれも、一般的にいつて、地方自治の重要性を認めるにやぶさかではない。しかし、単に形式的に地方分権を徹底化することのみが憲法の要求であるとすることは賛成し得ないのである。なぜならば、地方自治はそれを成り立たせるに足りる地域社会の存在があつてはじめて可能であるのに、その地域社会の実体は社会条件の変化に伴つて動くものであり、しかも、それは、原判決のいう地方分権の徹底化を可能又は容易ならしめる方向へ向つてのみ動くとは限らないからである。むしろ、近時、人口の都市集中、交通の発達、産業構造の変革、経済の広域化により、地域社会の規模は次第に大きくなる傾向にあり、その意味で行政の統一化集中化を求める要素は強くなりつつあるのである。かような地域社会の実体の動向を無視し、わが国の如き単一狭少なる国家において、形式的に「地方分権の徹底化」こそ憲法の要請であると説くのは単純素朴にすぎるものといわなければならない。憲法が「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定め」なければならないと規定しているのは、原判決のいうような「地方分権の徹底化」の方向においてのみ法律で定めるべきことを求めているのではない。国内における地域社会の現実とその動向を前提とし、その前提の下に団体自治、住民自治の精神に基いて法律の制定に当るべきことを求めているのである。原判決は、この点において、憲法第92条の解釈につき根本的な誤りを犯しているものと評する外はない。

第二、憲法第93条第2項の「地方公共団体」の意義について
[6](一) 右に述べた原判決の憲法第92条についての根本的な解釈の誤りは、憲法第93条第2項にいう「地方公共団体」の解釈の誤りとなつて現われている。すなわち、原判決は、如何なる団体が憲法第93条第2項の「地方公共団体」に該当するかを定めるに当つては、「憲法制定当時において、如何なる公共団体がこれに該当したかを検討する必要がある」としているのであるが、これは、原判決のいう「地方分権の徹底化」の基準となるべき時期を憲法施行当時に置き、それ以後はより分権化の方向にのみ進むことが憲法にいう地方自治の本旨に添う所以であるとする趣旨であると解される。もしそうであれば、地域社会の変動に伴い、地方公共団体としての実体の失われるに至つた団体にも、それが憲法施行当時たまたまその実体を備えていたというだけで、憲法の改正がない限り、何時までも地方公共団体としての憲法上の保障が与えられなければならないということとなつて、誠に不合理な結果を生ずる。元来、憲法は、特定の具体的団体に対して地方自治の保障を与えているのではない。地方公共団体としての実体を備えている団体に自治の保障を与えているのである。しかしながら、これに反対するものはいうであろう、それでは法律により地方公共団体たる実体を奪うことによつて憲法上の保障を与えないこととすることも可能となり、憲法上の保障は無意味に帰するではないかと。原判決もかような考えに立つているのではないかと思われる。なぜならば、原判決は、検察官が憲法上の地方公共団体と言いうるのは、「それ自身で完結した一般的権能を有する地方公共団体」または「基本的標準的な地方公共団体」であると主張したのに対し、既存の地方公共団体が不完全な権能しか持たないものであつてもそれを一層完全な権能を有する団体に発展せしめるのが憲法の精神に添うのであつて、その権能を奪うことは許されない、検察官の主張の如く現実の権能の完全であるか不完全であるかを憲法上の地方公共団体であるかどうかの基準とし、しかもその権能を奪うことを許すならば、府県すらその権能を奪つて憲法上の地方公共団体たる地位から落してしまうことさえ可能となる、従つて検察官の右主張は重大なる危険を包蔵していると判示しているからである。しかしながらわれわれも、憲法上の地方公共団体にふさわしい実体を備えた団体の諸権能を法律により奪うことを是認するものではない。われわれが主張せんとするのは、如何なる原因にせよ、現実に地方公共団体たるにふさわしい実体の失われた団体に対しては、憲法上地方自治の保障を与える必要はない、憲法の保障しているのは、地方自治の機構としての地方公共団体の存在とその民主的な組織と運営であるというにある。
[7](二) 原判決は、右の如き憲法解釈の下に、特別区が憲法施行当時憲法上の地方公共団体であつた理由として特別区が区住民に直接行政を執行する団体であつたこと及びその区長が公選されていたことをあげているのであるが、これだけではその論証として十分ではない。まず、住民に直接行政を執行する権能を持つことが憲法上の地方公共団体であることの特徴といえるかどうかを見るに、憲法上の地方公共団体がその住民に直接行政を執行する権能を有することは憲法第94条により明らかであるが、逆に、住民に直接行政を執行する権能を有する地域団体が常に憲法上の地方公共団体であるとはいえない。なぜならば、地方自治法の認める一部事務組合のなかにはその地域内の住民に対し直接行政を執行する権能を有するものがあるが、かかる組合をもつて憲法上の地方公共団体であるとする説はないし、憲法上の地方公共団体でなければ住民に直接行政を執行する権能を持ち得ないとする見解もないからである。また、首長公選制をとることが憲法上の地方公共団体であることの特徴であるといえるかどうかの点についても、同様であつて、ある地域団体の首長が現実に公選されていたからといつて、その地域団体を憲法上の地方公共団体であると解しなければならないわけではない。なぜならば、一つの政策として首長公選制をとることは許されるし、また、そのような政策のとられたのとも現実にあつたからである。例えば、昭和31年法律第147号による改正前の地方自治法にあつた特別市の区は単に市長の権限に属する事務を分掌するに過ぎない行政区とされながら、区長については公選制がとられていたのである。従つて、住民に直接行政を執行する権能を有するとか、首長公選制がとられているとかいう事実だけで、ある団体を憲法上の地方公共団体であるとすることはできないのである。憲法上の地方公共団体であるかどうかは、そのような一、二の特徴により判断し得るのではなく、当該地域社会の客観的な社会的経済的実体、その主観的な面ともいうべき共同体意識、更にはそのような地域社会が形成されるに至つた沿革的基礎等の各般の事情の綜合の上に立つてはじめてきめられ得ることがらである。この意味で、原判決が特別区を憲法施行当時憲法上の地方公共団体であつたとする論拠は何れも不十分であるといわざるを得ない。
[8](三) 原判決は、なお、特別区の沿革を述べ、特別区が憲法上の地方公共団体にあたるものとしている。すなわち、原判決は、特別区がつとに市の下級地方公共団体として認められてきたこと、終戦後民主主義の建前よりする地方自治制度の根本的改革に際しその一環として行われた東京都制の改正により、課税権、起債権、分担金徴収権等が復活され、区会の権限も地方自治体たるにふさわしく拡張され、区長公選制も採用されて憲法施行直前すでに公選が行われていたことを理由に特別区が憲法上の地方公共団体であるとしているのである。しかしながら、特別区の沿革は、市町村の沿革と対比して見るとき、その間に著しい差異がある。すなわち、わが国に近代的地方自治制度の確立したと称せられる明治21年の市制町村制以来、特別区は、大都市内の一区劃を基礎とする地域団体であるという性質上常に一般の市町村とはその独立性において異つた取扱を受けて来ているのである。まず市制町村制施行に当つては、東京市には京都、大阪の2市とともに法律をもつて特例が設けられ、市自体の自治制に大きな制限が加えられていたのであり、その後右の特例法が廃止されて、一般市制の適用を見ることとなつた後においても、区は市の内部団体として市の強い統制を受けることとされており、僅かに財産区的な面において自主性を有していたに過ぎない。その後明治44年の市制の改正により、特別区ははじめて明文をもつて法人格を附与されたのであるが、地方公共団体としての自主性においては到底他の一般の市町村に比すべくもなかつたのである。殊に、区長については終始任命制がとられていたことを見逃してはならない。従つて、特別区が原判決の如くつとに市の下級地方公共団体であつたとはいい得ても、憲法上市町村と並んで首長公選の保障せらるべき自主性の強い地方公共団体であつたとはいい得ず、いわんや終戦後の東京都制改正による特別区の権限の拡張がかつて有していた権限の復活であるとは到底いい得ないのである。むしろ終戦後の特別区の権限の拡張は、当時の特殊な事情とも関連し、特別区の実体と動向とを見極めることなく、すでに議会で審議中であつた憲法改正案の趣旨を地方自治の末端にまで形式的に推進しようとして取られた一つの政策であつたと見るのが相当であり、区長公選の如きは、任命制をとつていた政府案を議会が修正の上採用したのであつて、その経過より見て憲法の要請としてではなく、当時の議会内の空気を反映した政策と見るべきである。

第三、憲法制定の経緯について
[9] 原判決は、憲法制定にあたつて特別区にも憲法上の保障を与えることを考え、地方公共団体たる概念を用いたとしているが、これは全く事実に反する。日本国憲法制定経緯につき公にされたところによれば、日本国憲法はその固定化を恐れ、首長公選を要する地方公共団体として府県又は市、町という名称すらこれをその規定中にとどめることを避け、抽象化された地方公共団体なる概念を用いたとされているのである。すなわち、当時占領軍総司令部が日本政府に提示したいわゆるマツクアーサー憲法草案によれば、問題の条文は、「府県知事、市長、町長、徴税権ヲ有スル其ノ他ノ一切ノ下級自治体及法人ノ行政長、府県議会及地方議会ノ議員並ニ国会ノ定ムル其ノ他ノ府県及地方役員ハ夫レ夫レ其ノ社会内ニ於テ直接普通選挙ニ依リ選挙セラルヘシ」とあつたのであるが、日本政府案として当時の議会に提出されたときには、現行法通りとなつていて、そのいきさつは、「マ草案で、府県、市町というような団体の種別を具体的にあげている点については、憲法でそこまで固定することは窮屈にすぎるという考えから、すべて『地方公共団体』という包括的な表現に改めた」とされているのである(佐藤達夫、日本国憲法成立史、ジユリスト84号12頁)。
[10] これによれば、府、県、市、町、という当時存在し現在なお存在する、より独立性の強い地方公共団体すら、将来の社会の実態の変動を考慮し、首長公選の保障を憲法の明文によつて与えることを避けたことが明らかである。従つて憲法が特別区にまで首長公選を保障する趣旨で地方公共団体の概念を用いたことは到底考えられないのである。

第四、地方自治法その他の法律上の特別区について
[11](一) 原判決は、地方自治法が制定せられるに及び、東京都の区は特別区として憲法上の地方公共団体であることが宣明せられ、市に関する規定の適用を受け、市と同格に取扱われていたものであるとする。しかしながら、地方自治法上のどの規定が特別区を憲法上の地方公共団体と宣明しているとするのか明らかでない。もし、当時の地方自治法第1条(現行法第1条の2)が、特別区を地方公共団体と呼ぶこととしていることを指しているものとすればもちろん誤りである。地方自治法が地方公共団体としているものの中には、憲法上の地方公共団体でないことについて何人も疑いを持たない財産区が入つているからである。問題は、地方自治法が特別区に市に関する規定を適用することとし、特別区を市と同格に取り扱うこととしているかどうかという点である。なるほど、地方自治法は、特別区には、原則として、同法第2編中市に関する規定を適用するとしている(昭和27年法律第306号、すなわち本件で問題となつている地方自治法改正法律による改正前の同法第283条、以下、地方自治法及び同法施行令とあるのは、持に指摘しない限り、何れも右改正前のものを指す)。しかしながら、このことから直ちに特別区が市と同様憲法上の地方公共団体であるとの結論を導き出すのは誤りである。なぜならば、地方自治法上の右規定は、多分に立法技術上の必要に基くものと思われるばかりでなく、この原則に対する例外規定として、都は条例で特別区について必要な規定を設けることができるものとし(同法第282条)、都知事は特別区に都吏員を配置することができるとしていたのである(同法施行令第210条)。このような規定は、府県と市との間にはなく、特別区が大都市の一区劃であるという特異性に由来するもので、特別区の地方公共団体としての自主性に対する大きな制約である。また、地方自治法の定める市の事務と特別区の事務とを比較してみると、抽象的には、ともに、公共事務、法令による事務及び行政事務となつていて差異がなく(同法第2条第2項、第281条第2項)、更に同法附則第17条には他の法令中市に関する規定は原則として特別区にも適用するとあるので、法令により市の事務とされているものは一応特別区の事務ともされていることとなり、この関係でも、一見、両者の間に差異を認め難いように見えるのであるが、仔細に検討すると、重要な相違のあることを知るのである。その第1の違いは、地方自治法施行令附則第4条が道路法、同法施行令、水道条例、伝染病予防法第17条、第18条、第21条(但し一部)、都市計画法及び同法施行令中市に関する規定は特別区に適用しないこととしている点である。第2の違いは、地方自治法附則第2条が、東京都制廃止後もなお同法第191条の効力を存続せしめることとしている点である。東京都制第191条というのは、他の法律中、東京市とあるのは東京都とし、市制第6条の市とある中には東京都を含むものとし、市制、市、市役所などとある中には、それぞれ東京都制、東京都、東京都庁を含むものとし、しかも、そのようないわば読み替えをする場合には、東京都の区の存する区域をもつて東京都の区域とみなすこととしているのである。この地方自治法附則第2条の規定を、前述の同法附則第17条と対比すれば、地方自治法は、通常は市の事務とすべき場合、特別区の存する区域については、各特別区の事務ともし、特別区の存する区域を区域とする東京都の事務ともしていることとなるのである。つまり、特別区と都とに担当事務の競合を認めているのである。第3の違いは、特別区の法令による事務の中に都条例による事務が加わつていることである。これら3点にわたる相違は、地方自治法が特別区をその事務の面においても。形式上市と同様に取り扱いながら、特別区が大都市内の一区劃を基礎とする地域団体であり、沿革的にも1個の市の一部として他の部分とともに一体をなして発展して来たものであるため、実質的には市と同様に取り扱うことができないことを示すものに外ならない。かように考えると、原判決が、地方自治法の規定を根拠に、特別区を市とならぶ憲法上の地方公共団体であるとしているのは、同法を誤解したものというべきである。
[12](二) 原判決は、検察官が地方税法その他の法律の規定を挙げ、特別区が市とは異なり、憲法上の地方公共団体でないことを主張したのに対し、そのような各種法律における特別区と市との取扱上の差異を認めながら、それでもなお特別区が「住民に行政を執行する地方公共団体」であることを否定し得ないとし、むしろ警察法(昭和29年法律第162号による改正前の警察法)第51条、消防組織法第16条で特別区が「連合」して1個の警察、1個の消防を維持するものとしているのは、特別区が市なみに警察、消防についての独自の権能を有することを示すものであるという理由で、検察官の主張を排斥している。しかしながら、原判決の右の理由中、特別区が住民に行政を執行する権限を有することをもつて憲法上の地方公共団体であることの根拠としている点は、すでに述べた通り誤りであり、また、警察法、消防組織法が「連合」という文言を用いているのは、原判決のいうように、特別区が本来的に警察、消防の権能を有しているという考えに基くものとしても特別区全体に1個の警察、1個の消防を維持させることとしているその実体をこそ重視しなければならない。すなわち、特別区の存する区域が全体として1個の市街地を形成しているため、それぞれの区に市なみの独立した警察及び消防を維持させても全くその効果がないという点に右規定の設けられた実質的理由があるのであつて、原判決の右の見解はここにおいても全く形式に堕したものという外はない。更に、われわれは、特別区の性質を考える場合地方税法の特殊な取扱を忘れてはならない。地方税法は、昭和21年東京都制が改正され区の権限が拡張された際併せて改正されたのであるが、都制の改正では区にいわゆる財政自主権を与え、区が自ら区税を賦課徴収し得るものとしていたのに(東京都制第157条の3)、地方税法では、東京都の区を課税権を有する地方団体に加えず(同法第1条)、区の存する区域においては市町村税に該当する税も都が都税の一部として賦課徴収すべきものとし(同法第85条の2乃至9)、区は僅かに都の許す範囲内において都税の全部又は一部と極めて限られた独立税とを賦課徴収し得るに過ぎないものとされていたのである(同法等85条の10乃至12)。そしてこの地方税法の建前は、東京都制が廃止され地方自治法となり、これに応じ地方税法が改正された後においても変ることがなかつた。このような地方税法の建前は、東京都制の改正規定及びそれに引き続く地方自治法が特別区に独自の課税権を与えることとしたことと一見矛盾するように見えるのであるが、むしろ、前述したように、東京都制の改正規定及び地方自治法が特別区を実質において市と同格に見ず、特別区の存する区域の事務を都も処理しうることとした建前と一致するのであつて、事務の存するところに財源を与えるいう税法の建前よりすれば、地方税法が殆んどすべての市町村税的財源を都に与えていることは、逆に地方自治法が特別区を実質上市と同格に見ていない証左といえないことはないのである。
[13](三) 以上においてわれわれは、地方自治法及び地方税法その他の法令における特別区の性格を検討し、それが形式的にはともかく、実質的には市と同格の地方公共団体とはいい得ないことを明らかにしたのであるが、このことは特別区の実態を見ることによつて更に明瞭となるものと考える。試みに東京都における人口の状況を見るに、総人口は昭和22年においてすら500万に達しており、昭和27年には700万を越え、最近においては1千万に及んでいるのである。然もその人口の増加は周辺地区に著しく、都心部においてはむしろ減少の傾向にある。そしてこと周辺地区に増加する人口は昼間には都心に移動するため、都心部における昼夜の人口の差は増大し、昭和35年度の数字によれば都心3区(千代田、中央、港の各区)における昼夜間の人口差は100万を越える状況にある。この100万を越える数字は、定期的移動者すなわち、通勤者及び通学者を対象とする調査によつて得られたものであるから、100万以上の人が都心3区以外の地区に住居を持ち、都心3区に通勤通学していることを示すものである。しかもその大多数は他の特別区からの移動者とされているので、これらの数字は、特別区がそれぞれ独立の市的地方公共団体として発展せず、都心部とその周辺とがおのおの特異性を有しつつ、その全体が1個の市的存在として発展しつつあることを示すものに外ならない。すなわち、特別区のあるものは商業地区として、あるものは工業地区として、あるものは官公署地区として、またあるものは住宅地区としてそれぞれの特色を発揮しつつ、それらが綜合されることによつて一つの市的地方公共団体たる形態を整えつつあることを示すものに外ならないのである。選挙権の基礎となるいわゆる居住要件が特別区の存する区域全体を一つの地域として取り扱うべきものとされているのもそのためである(公職選挙法第266条)。財政面を見ると、区ごとに財源の偏在が甚しく、昭和25年度より昭和29年度までの数字によると特別区税においては最高の区が最低の区の4倍に達し、それが都税となると40倍以上に達しているのである。このことは、特別区を税法の面において独立した市同様に取り扱えば、各特別区間に税収に著しい差異を生じ、そのままでは各区の行政内容に極度の不均衡を生ずる虞のあることを意味する。その他道路交通行政の面においても、上水道行政の面においても、し尿、じんあい、ちゆうかい等の処理の面においても、衛生防疫行政の面においても、都市計画の面においても、少くとも特別区の存する区域全体につき、統一と均衡と計画性とを要求する社会の実体があることは特に説明するまでもないところである。このような実体の上に立つて、東京都における地方自治の問題を考える場合、素朴単純な分権論をもつて律することのできないものがあることも明らかであろう。なるほど、特別区のそれぞれは他の大都市に匹敵する人口を持ち、その財力も自治を行うに十分であるかも知れない。しかしそれだけが自治を与えるのに適当な基準であるとはいえない。むしろ大都市内の区は次第に独自性を失い、全体の一部たる要素を濃くして行くのが現実である。現に大阪市及び京都市内の区は法人区であつたものが、現在では名古屋、神戸、横浜等の各市の区と同じく完全な行政区とされているのである。なお、昭和22年の地方自治法において構想せられた特別市制も市内の区を行政区としていたことを忘れてはならない。本件で問題となつた昭和27年法律第306号による地方自治法の改正は、主として、昭和26年9月に行われた地方行政調査委員会議(昭和24年法律第281号により設置)の行政事務再分配に関する勧告によつたものと思われるのであるが、同勧告に関する説明書によれば、同会議も、特別区が大都市の下部組織であつて、大都市行政の一体的能率的運営を阻害しない範囲においてのみその自治の許されるべきことを強調しており、また、昭和31年都条例により設置された都政調査会は、都知事の諮問に基き、特別区制度の合理化問題につき審議していたのであるが、都区行政及び財政の実体を調査した結果、都民の日常生活に密着する行政および施設は統一的に区または区長の権限に所属させることとしながら、区の存する区域が、全体として一体的な地域社会である実態にかんがみ、各区行政の企画、運営および経費負担の総合化を必要とし、そのためには都区行政の有機的一体化を強化する必要があり、更に都区行政の全般にわたり、能率の向上を図り、行政経費の節減を期する必要があるという観点から、区長は都の特別職として都知事が任命することとする一方、区議会は区長任命後1年を経過したのち、3分の2の多数決で都知事に区長の解職を請求することができることとし、この場合都知事はその請求を理由がないと認めたときは区民の一般投票に付することができ、一般投票の結果区長の存在が支持されたときは区議会は解散されたものとするとの見解が有力に主張されていたのである。
[14] 原判決は、結局このような特別区の現実に十分な考慮を払うことなく、地方自治法が特別区を地方公共団体の一つとして掲げ、原則として市に関する規定を適用することとしている点を重視した結果、特別区を憲法上の地方公共団体であると誤解するに至つたものというべきである。

第五、共同体意識について
[15] 原判決は、検察官が憲法上の地方公共団体たるの要件としては少くとも住民に共同体意識の存在を必要とするし、特別区の住民には東京都民としての共同体意識はあつても区民としての共同体意識の存在は認め難いので、特別区は憲法上の地方公共団体ではないと主張したのに対し、特別区の住民にも区民としての共同体意識がないとはいえないこと及び共同体意識を強調する全体主義、中央集権へ逆行する危険をはらむと反駁している。しかしながら、これは、共同体意識のないところに真の意味の自治は成り立たないことを忘れた議論である。なぜならば、ここにいう共同体意識とは、これを素朴に表現すれば、自分達の仲間のことは自分達で処理するという意識であるから、かかる意識がなければ自治の不可能なことは明らかだからである。共同体意識を強調することは、決して、論理必然の関係をもつて全体主義又は中央集権へ結びつくものではない。原判決の危惧するところを強いて忖度すれば、交通、経済、文化等の発達に伴い、区民意識は必然的に稀薄となり、更には都民産識も稀薄となり、最後には国民意識しか残らない時代が来るかも知れない、もし共同体意識の存在を地方公共団体成立の要素とする考に立つとそのときには、地方公共団体はことごとく消滅してしまい、逐には唯一の中央政府による全国的統治のみが残るに至るのではないかというのであろう。観念的にはそういうことも考え得るかも知れない。しかしその前提には国民意識しか残らないという事態が現実化されなければならない。ところがそのような事態が現実化されるとは到底考えられない。日本のような地域と人口とを持つ国においては、国の内部が地域的にいくつかに分れ、それぞれが一つの国民共同体意識を持つと同時に各地域ごとに必ずその住民としての独自の共同体意識を持つものである。もちろん共同体意識は、生活条件の変化に伴つて変化する。もし生活条件の変化によつて、国民としての共同体意識しか残らない時代が来れば、すべての地方自治は消滅するかも知れない。そのような時代になお人為的に地方自治を存続させようとしても形式的には可能であろうが、みのり多き地方自治は成り立たないであろう。ともかく、如何なる原因により共同体意識が生れたにせよ、共同体意識があつてはじめて自治が可能となるのであり、また如何なる原因によるにせよ、共同体意識が消滅してしまえば自治は実質的に消滅するのである。それが自治の本来の姿である。かように考えると、原判決が全体主義につらなるとして危惧するのは、共同体意識が国民のそれとしてのみ残り、他の地方的共同体意識の消滅する事態の発生することであつて、地方自治成立の要素として共同体意識を強調することそれ自体ではない筈である。従つて、原判決が共同体意識の存在を地方自治の成立要素であると主張する検察官の見解を中央集権、全体主義に導くものとしたのは誤りである。なお、原判決は、特別区にも共同体意識があるとしているのであるが、その理由とするところは、区長公選を廃止しようとする地方自治法の改正に対し非常な抵抗があつたからだというのである。確かに反対のあつたことは事実である。しかしその反対が如何なる原因によるかは必ずしも明らかでない。現状の変更には常に反対を伴うものである。その反対の原因、強さを検討した上でなければ、それが強固なそして広汎な区民共同体意識に基くものと断定することはできない。原判決の判断にはかかる配慮が欠けているのである。むしろわれわれは、特別区の存する区域における住民の生活が前述した人口の移動状況に徴し、それぞれの特別区の範囲を越えた全域に及んでいる事実から見て、特別区ごとの共同体意識は極めて稀薄であると考えるのである。かように考えれば、特別区は共同体意識の点からいつても憲法上自治の保障されなければならない地方公共団体ではないということができよう。

第六、いわゆる二重構造論について
[16] 原判決は、憲法が原則として地方公共団体の二重構造を要求しているとし、特別区長の公選制を廃止すれば特別区の存する区域については都という1個の地方公共団体しか存しないこととなるので憲法に違反するとしている。しかしながら、何故に憲法が二重構造を要求していると解さなければならないのか、その理由は明らかでない。日本国憲法施行当時一般に地方公共団体が府県と市町村の二重構造をとつていたことを根拠とするのかも知れない。しかし憲法施行当時たまたま地方自治が二重構造であつたからといつて、それが憲法上の要求であるとすることは早計である。むしろ日本国憲法制定の経緯によれば前述した如く、憲法の明文に府県又は市、町という名称を掲げると憲法が固定化する危険があるとして、抽象的な地方公共団体という名称を用いたとしているのである。これは憲法が地方自治の構造につき将来に備えかなりゆとりののある態度をとつたことを示すものであつて、むしろ、二重構造まで要求する趣旨ではなかつたことの有力なる根拠となるものである。然も原判決は、「原則として」二重構造を要求するものてしているので、例外として考えるべきは東京都の如き大都市で、然も首都のあることを認めている。この場合、まずその例外である地方公共団体でなければならない。従つて、原判決自身その主張の中に矛盾をふくむものであると評する外はない。昭和22年の地方自治法の制定に当つて構想せられた特別市の制度は大都市中特別市とされたものは道府県から独立し、国との関係では道府県と同列の地方公共団体となるものであつた。然もその内部に設けられる区は明文をもつて行政区とされ、市長の権限を分掌するものとされていたのである。もつとも区長のみは公選されることになつていたが、地方公共団体自体の構造のみを見れば、原判決のいうが如き二重構造はとられていなかつたのである。なぜならば、区は行政区に過ぎず、その上部に唯一の地方公共団体たる特別市しかなかつたからである。然も当時この特別市制度を二重構造をとつていないという理由で違憲であるとする声を聞かなかつたのである。憲法が果して原判決のいうが如き地方公共団体の二重構造を要求しているかどうか疑問であるが、仮に一般論として現在地方自治団体の二重構造を要求する実体があるとしても、特別市の構造が示すように大都市にはその例外を要求する要素が強いのであるから、東京都の如き超大都市においては例外を設けても直ちにこれを違憲とすることはできないのである。原判決が二重構造にも例外のあることを認めながら、東京都についてその例外を認めず、原則通り二重構造を要求するのは全く理解できない態度といわなければならない。憲法が地方公共団体の二重構造を要求しているとの見解に対し、特別区の存する区域においては都が市町村的地方公共団体たる性格と府県的地方公共団体たる性格の両者を併有しているとみればそこにも二重構造があるといえないことはないという理由で、都の制度も憲法に違反しないとの見解がある。原判決はこの見解をとり上げ、それでは特別区の存する区域の首長たる都知事の選出にその区域外の都民が投票権を有し、また、特別区の存する区域以外の区域を選挙区とする都議会議員が自己の選挙区の存する地方公共団体とは別個の地方公共団体たる特別区の存する区域のいわば市会議員として活動し得ることとなるのは不合理であるとしている。原判決のこの見解は、二重構造説をとると否とにかかわらず、特別区の存する区域の市的事務が都知事及び都議会の職務とされている限り、特別区の存する区域以外の住民は、自己の市町村長及び市町村議会の議員を選挙し得る外特別区の存する区域を地域とする市的事務を処理すべき都知事及び都議会議員を選挙し得るという形式的不合理さを指摘しているものといえよう。しかしながら、この形式的不合理さは都制に必然的に伴うものであつて、それを避けようとすれば、特別区の存する区域に重ねて市的地方公共団体を設けるか、又は特別区の存する区域に特別市を設け、それ以外の区域を切り離してこれを別の地方公共団体に属せしめるいわゆる特別市制度をとる外はないのであるが、特別市制度は切り離される地域の処理に難点があるため一旦は地方自治法上の制度として構想されながら実現を見ずに消え去つたのであり、特別区の存する区域に重ねて市を設けるという考えは旧東京市の復活であつて、当時非難された二重行政の弊を再現することとなるに過ぎない。そのような難点なり弊害を避けるため現在の都制がしかれたことを忘れてはならないのであつて、原判決の考は、都制をしく以上二重構造の要求を満足させるため特別区自体に独立の地方公共団体たる地位を与えなければならないというのかも知れないが、すでに繰り返し述べて来たように、大都市行政の実体がそれを不可能又は不相当とするところに実は本件の問題があるのであるから、原判決の見解は問に答えるに問をもつてするに等しいのである。むしろ東京都の実体に即して考えるならば、都制は少くとも旧東京市を復活するよりも、特別市制をとるよりも、より合理的であるともいえるのである。なぜならば、東京都の全人口の85%は特別区の存する区域に集中しているのであつて、然も経済的に見れば、それ以外の地区と特別区の存する区域とは一体不可分の関係にあるものと見られるからである。かくして原判決の提示する疑問は大都市及びその周辺地区を通ずる行政の実体を離れた形式的なものに過ぎないというべきである。

第七、原判決の政策論について
[17] 原判決は、最後に、東京都の如き巨大都市の区は優に一つの県又は大都市に匹敵する程の大きさを持つので、それを都の内部機構とすることは障害を生ずる虞なしとせず、むしろそれを独立した自治団体として区民自治を全うしようとしたのが特別区を設けた趣旨であると見るならば、原判決のとる法律論は相当であると考えるとしている。これは法律論の裏付の形をとる政策論である。しかしこの政策論は必ずしも相当と思われない。確かに東京都の区はその人口の点において、大都市に匹敵すると見られるかも知れない。それだからといつてこれを独立の地方公共団体とすることが適当であるとはいえないのである。大阪市の区もその人口なり財力なりの点において大都市に匹敵するといえないことはない。それにもかかわらず、前述したように現在では完全な行政区となつているのである。また、特別市制における区も行政区として構想されていた。各国の大都市においても、同様である。原判決は、人口の大きな区を都の内部機構とすることはかえつて弊害を生ずる虞があるとしているが、その理由は明らかでない。住民に直結する行政が行われ難くなるという意味かも知れない。しかし、住民に直結する行政といつても、もちろん個々の住民に直結するのではなく、本件の場合は特別区の住民全体に直結する行政をいうのであるが、東京都の特別区の存する区域の如くそれ自体一つの市街地を形成し、その内部における人口の移動のはげしいところにおいては、一つの特別区の住民に直結する行政というものが他の特別区の住民に直結する行政から独立して存在せず、従つて住民に直結する行政自体が特別区の存する区域全体の観点に立つて行われることを要する。それが大都市行政の特色である。もちろん如何なる大都市行政であつてもそれが住民の意思とかけ離れたところで行われてはならないが、住民の意思が然るべき形で行政に反映し得る途が開かれている限り、大都市の行政が一つの機関によつて、その統制の下に行われることとなつても必ずしも差支なく、その方がより効果的であり、それに要する費用も少くて済むともいえるのである。かくして原判決の政策論は、大都市行政の実体とその最近における傾向に盲目であるとの非難を免れない。もちろん、検察官においても現在の特別区長の選任方法が最良の方式であると考えてはいない。むしろ非難の多い制度であることも承知している。本件の如き犯罪の発生もすでに国会での論議の際これを予想する議員もあつた程である。ただどのような制度をとるかは立法政策に一任されているものと考えるのである。

[18] 以上に明らかにした如く、原判決は、憲法及び地方自治法その他の法令の理解においても、大都市行政の実体の理解においても明白な誤りを犯し、その結果地方自治法第281条の2の規定を憲法第93条第2項に違反するとしたものである。この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄を免れないものと信ずる。
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