川崎民商事件
上告審判決

所得税法違反被告事件
最高裁判所 昭和44年(あ)第734号
昭和47年11月22日 大法廷 判決

■ 主 文
■ 理 由

■ 弁護人山内忠吉、同岡崎一夫、同増本一彦、同陶山圭之輔、同根本孔衛の上告趣意

本籍 川崎市川崎区○○一丁目○○番地
住居 同市同区○○一丁目△△番△号
食肉販売業  《乙1》
       昭和3年1月14日生

 右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和43年8月23日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり判決する。


 本件抗告を棄却する。

[1] 所論は、昭和40年法律第33号による改正前の所得税法(以下、旧所得税法という。)70条10号の罪の内容をなす同法63条は、規定の意義が不明確であつて、憲法31条に違反するものである旨主張する。
[2] しかし、第一、二審判決判示の本件事実関係は、被告人が所管川崎税務署長に提出した昭和37年分所得税確定申告書について、同税務署が検討した結果、その内容に過少申告の疑いが認められたことから、その調査のため、同税務署所得税第2課に所属し所得税の賦課徴収事務に従事する職員において、被告人に対し、売上帳、仕入帳等の呈示を求めたというものであり、右職員の職務上の地位および行為が旧所得税法63条所定の各要件を具備するものであることは明らかであるから、旧所得税法70条10号の刑罰規定の内容をなす同法63条の規定は、それが本件に適用される場合に、その内容になんら不明確な点は存しない。
[3] 所論は、その前提を欠き、上告適法の理由にあたらない。
[4] 所論のうち、憲法35条違反をいう点は、旧所得税法70条10号、63条の規定が裁判所の令状なくして強制的に検査することを認めているのは違憲である旨の主張である。
[5] たしかに、旧所得税法70条10号の規定する検査拒否に対する罰則は、同法63条所定の収税官吏による当該帳簿等の検査の受忍をその相手方に対して強制する作用を伴なうものであるが、同法63条所定の収税官吏の検査は、もつぱら、所得税の公平確実な賦課徴収のために必要な資料を収集することを目的とする手続であつて、その性質上、刑事責任の追及を目的とする手続ではない、
[6] また、右検査の結果過少申告の事実が明らかとなり、ひいて所得税逋脱の事実の発覚にもつながるという可能性が考えられないわけではないが、そうであるからといつて、右検査が、実質上、刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有するものと認めるべきことにはならない。けだし、この場合の検査の範囲は、前記の目的のため必要な所得税に関する事項にかぎられており、また、その検査は、同条各号に列挙されているように、所得税の賦課徴収手続上一定の関係にある者につき、その者の事業に関する帳簿その他の物件のみを対象としているのであつて、所得税の逋脱その他の刑事責任の嫌疑を基準に右の範囲が定められているのではないからである。
[7] さらに、この場合の強制の態様は、収税官吏の検査を正当な理由がなく拒む者に対し、同法70条所定の刑罰を加えることによつて、間接的心理的に右検査の受忍を強制しようとするものであり、かつ、右の刑罰が行政上の義務違反に対する制裁として必ずしも軽微なものとはいえないにしても、その作用する強制の度合いは、それが検査の相手方の自由な意思をいちじるしく拘束して、実質上、直接的物理的な強制と同視すべき程度にまで達しているものとは、いまだ認めがたいところである。国家財政の基本となる徴税権の適正な運用を確保し、所得税の公平確実な賦課徴収を図るという公益上の目的を実現するために収税官吏による実効性のある検査制度が欠くべからざるものであることは、何人も否定しがたいものであるところ、その目的、必要性にかんがみれば、右の程度の強制は、実効性確保の手段として、あながち不均衡、不合理なものとはいえないのである。
[8] 憲法35条1項の規定は、本来、主として刑事責任追及の手続における強制について、それが司法権による事前の抑制の下におかれるべきことを保障した趣旨であるが、当該手続が刑事責任追及を目的とするものでないとの理由のみで、その手続における一切の強制が当然に右規定による保障の枠外にあると判断することは相当ではない。しかしながら、前に述べた諸点を総合して判断すれば、旧所得税法70条10号、63条に規定する検査は、あらかじめ裁判官の発する令状によることをその一般的要件としないからといつて、これを憲法35条の法意に反するものとすることはできず、前記規定を違憲であるとする所論は、理由がない。
[9] 所論のうち、憲法38条違反をいう点は、旧所得税法70条10号、12号、63条の規定に基づく検査、質問の結果、所得税逋脱(旧所得税法69条)の事実が明らかになれば、税務職員は右の事実を告発できるのであり、右検査、質問は、刑事訴追をうけるおそれのある事項につき供述を強要するもので違憲である旨の主張である。
[10] しかし、同法70条10号、63条に規定する検査が、もつぱら所得税の公平確実な賦課徴収を目的とする手続であつて、刑事責任の追及を目的とする手続ではなく、また、そのための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有するものでもないこと、および、このような検査制度に公益上の必要性と合理性の存することは、前示のとおりであり、これらの点については、同法70条12号、63条に規定する質問も同様であると解すべきである。そして、憲法38条1項の法意が、何人も自己の刑事上の責任を問われるおそれのある事項について供述を強要されないことを保障したものであると解すべきことは、当裁判所大法廷の判例(昭和27年(あ)第838号同32年2月20日判決・刑集11巻2号802頁)とするところであるが、右規定による保障は、純然たる刑事手続においてばかりではなく、それ以外の手続においても、実質上、刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有する手続には、ひとしく及ぶものと解するのを相当とする。しかし、旧所得税法70条10号、12号、63条の検査、質問の性質が上述のようなものである以上、右各規定そのものが憲法38条1項にいう「自己に不利益な供述」を強要するものとすることはできず、この点の所論も理由がない。
[11] なお、憲法35条、38条1項に関して右に判示したところによつてみれば、右各条項が刑事手続に関する規定であつて直ちに行政手続に適用されるものではない旨の原判断は、右各条項についての解釈を誤つたものというほかはないのであるが、旧所得税法70条10号、63条の規定が、憲法35条、38条1項との関係において違憲とはいえないとする原判決の結論自体は正当であるから、この点の憲法解釈の誤りが判決に影響を及ぼさないことは、明らかである。
[12] 所論のうち、憲法14条、19条、21条、12条違反をいう点は、第一、二審判決の判示にそわない事実関係を前提とする主張であつて、いずれも上告適法の理由にあたらない。
[13] 所論は、また、憲法28条違反を主張するが、同条が、使用者対勤労者の関係にたつ者の間において勤労者の団結権および団体行動権を保障した規定であると解すべきことは、当裁判所大法廷の判例(昭和22年(れ)第319号同24年5月18日判決・刑集3巻6号772頁)とするところであつて、被告人の判示検査拒否の所為が、右団体行動権の行使とは認められないとした原判断は相当であるから、この点の所論は理由がない。
[14] 所論は、憲法35条違反をいうような点もあるが、実質はいずれも事実誤認または単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。
[15] なお、記録を調べても、刑訴法411条を適用すべきものとは認められない(原判決中、第一審判決を破棄するにあたり適用した法条に「刑事訴訟法第397条、第381条」とあるのは、「刑事訴訟法第397条、第380条」の単なる誤記と認める。)。

[16] よつて同法410条1項但書、414条、396条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

  検察官 横井大三、同木村喬行各公判出席

昭和47年11月22日

最高裁判所大法廷(裁判長裁判官 石田和外  裁判官 田中二郎  裁判官 岩田誠  裁判官 下村三郎  裁判官 色川幸太郎  裁判官 大隅健一郎  裁判官 村上朝一  裁判官 関根小郷  裁判官 藤林益三  裁判官 岡原昌男  裁判官 小川信雄  裁判官 下田武三  裁判官 岸盛一  裁判官 天野武一  裁判官 坂本吉勝)
[1] 昭和40年3月31日法律第33号による改正前の所得税法(以下旧所得税法という)第70条10号の罪の構成要件である同法第63条はその規定が極めて不明確であり、憲法第31条に違反するという弁護人の主張に対し、原判決は同法第63条の規定には趣旨明確を欠くところは認められず憲法第31条違反を主張する論旨は失当であると判示した。
[2] しかしながら旧所得税法第63条にいう所得税に関する調査とは所得税の何を、どういう目的で、どういう範囲で、如何なる調査をすることをいうのか、又、その調査とは、同法45条にいう調査のみを指しているのか、国税通則法16条1項1号所定の税務署長の調査と、どういう関係にあるのか極めてあいまいである。又、同条にいう「調査に関し必要ある時」というのは、収税官吏が主観的に必要だと考えただけではいけないことは当然であるが、その必要性を定める客観的基準について何らの規定もおいていないことは、収税官吏の濫用に大きく道をひらくものであつて国民の人権保障に対する配慮を全く欠いたものである。同条は、又質問検査権の相手方として「納税義務者」「納税義務があると認められる者」等をあげているが、ここにいう納税義務者とは何かについても明らかにされていない。同法1条所定の者全てを指すのだとすると国税通則法16条1項1号と明らかに矛盾することとなる。
[3] およそ、国民に対し、刑罰を課する場合は、何が犯罪とされるかについて、明確に構成要件を規定してこれを予告すること、又、犯罪として処罰することについての客観的な合理性を有することが必要である。ところが旧所得税法63条の規定は、以上のとおり不明確であり、あたかも収税官吏に類推拡大して解釈適用することのできる余地を大幅に認め、犯罪となるべき行為の態様、類型が明確に限定されていない。これは刑罰法規の保障機能、法的安全性を著しく害し、人民の基本的権利を侵害するものであつて憲法第31条に違反する。原判決がこれを看過したことは憲法31条の解釈を誤つたもので破棄を免れない。
[4] 原判決は、旧所得税法第70条10号、同第63条が憲法第35条及第38条に違反するとする弁護人の主張は採用し難いと判示した。
[5] 憲法第35条は住居の不可侵を同第38条1項は自己に不利益な供述を強要されない権利を保障している。ところで旧所得税法第63条の質問検査権は裁判所の令状なくして行使するものであるから、相手方本人の同意承諾が必要である。これは憲法第35条の直接の要請である。しかるに同法第70条10号は、検査に同意承諾しなかつた時は1年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処すると規定している。これは裁判所の令状なくして強制的に検査することを許す結果となるものであつて明らかに憲法第35条に違反する。又、同法第70条12号は質問に対する不答弁に対しても同様の罰則を設けているが、これは憲法の保障する黙秘権を真向から侵害するものであつて憲法第38条1項に違反する。原判決は憲法第35条、第38条は、刑事手続に関する規定であつて行政手続に適用されるものではないと判示した。しかしながら犯罪調査と行政調査とは、その調査を受ける国民の立場にとつては、どちらも同じである。旧所得税法第69条は偽り、その他不正な行為により所得税を免れた場合は懲役3年以下又は5百万円以下の罰金に処する規定している。ところで同法第63条の質問検査権は右の場合における調査にも適用される。従つて行政調査の目的による調査であるといつてみたところで、この質問検査の結果、所得税を免れた事実が明らかにされれば税務職員は捜査機関に告発できるのであつて、国民は刑事訴追を受けるおそれのある供述乃至は資料の提出を刑罰により強制され、或いは、令状によらずして物の捜索がなされることに変りはないのである。従つて旧所得税法第70条10号、12号、同第63条の規定が仮りに行政調査だけを目的としているものだとしても右規定は憲法第35条、第38条1項に違反するといわねばならない。原判決が弁護人の右見解を採用しなかつたのは憲法第35条、第38条1項の解釈を誤つたもので破棄は免れない。
[6] 原判決は憲法第28条の保障する団結権及び団体行動権は、使用者対被使用者の関係にある者に対してのみ適用があるのであつて、被告人が所属する川崎民主商工会には憲法第28条の団体行動権は認められないと判示した。しかしながら、憲法第28条の団体行動権は使用者対被使用者の関係にない一般勤労者に対してもひろくこれを認めるべきである。
[7] 川崎民主商工会は川崎市内の零細商工業者が、自からの生活を守り、自分達の金融、営業、生活面での切実な要求を実現するため、又、税務相談、税制の民主化、記帳実務指導などのために団結してつくつた団体である。戦後の税務行政は昭和24年のドッジラインといわれる日本独占資本の再建政策を契機に、国民の税負担率は最高のものとなり、前池田総理大臣が「中小企業者の5人や10人が自殺しても仕方がないことである」旨、放言するようなきびしい税収奪が行われるようになつた。中小零細商工業者はその頃自からの生活を守るため不当な税制や税務行政に反対して立ち上つた。川崎、中原の民主商工会も昭和24年に、このような情勢の中で結成された。全国各地の商工会は昭和26年には全国的組織を結成したが、これが全国商工団体連合会(全商連)である。全商連は7万名の会員を擁する大組織となり、常に非民主的な税制や税務行政に反対するだけでなく、日本の軍国主義化に反対し、民主的な憲法を改悪することに反対するなど、民主的な政治勢力の重要な一部分を担う勢力になつた。昭和36年10月全商連は箱根で大会を開き、会員倍化を決議したが、昭和38年6月には、右決議による会員倍化は見事に達成された。
[8] このような全商連の活発な活動とその発展とを注目していた木村国税庁長官は、全国の民主商工会の団結弱化、壊滅を企図し、その方法として昭和38年5月、全国各国税局長に対し、全国各地の民主商工会に対する一斉の税務調査を徹底して行うことを指令した。右指令に基き東京国税局は当時直税部長であつた植松守雄を指揮者として、傘下各税務署長宛に所轄税務署内の民主商工会に対する徹底した一斉調査を命じこれを開始せしめた。而もその調査たるや通常の調査とは異つた異常のものであつたことは原審で取調べた植松守雄の証言調書によつても明らかである。即ち
「右調査は、民商について特別の枠を作つた特別計画で行つた」
「調査のやり方で従来の違いといえば、事前通知をやらなかつたことである」
「各署の状況がその日その日によつて変つてくるので、それらの状況をおりこんでそれに対し我々のとるべき態度を随時指示した」
「調査の結果は各署から報告が来ていました」
「私共の方としては、ただいわれ方題では職員に調査しろということもできませんので異例のことではありますが、こちらでも納税者に訴えるというビラの折り込みもやつたし、或は民商の会員に対しても自覚を訴えるような文書も出ましたし、異例な措置をとつた」
「署の方でビラをまいたのは9万か10万か、はつきり分りませんが新聞の折込みでやりました。やつたのは川崎と藤沢市だけです。」
「昭和38年9月以降の調査にもとずき、川崎の民商会員が相当に減つたということは聞いています」
と同証人は証言しているが、右証言によつても、東京国税局が川崎税務署に命じ民商会員であるが故に調査せしめたものであること、特別の計画をつくつてなした調査であること、調査の方法が東京国税局が具体的に指導、指示してなさしめたものであること、一切事前通知をなさずに行つた調査であることが分る。又一般納税者や、民商会員にビラ、その他の方法で呼びかけ民商に対する税務署の見解を説明したというのであるから、民商に対する中傷を一般市民に対してなしたこと、会員に対しては脱会工作をなしたことを自認したものということができる。1審証人平柳治敏の証言調書によると、川崎の商工会員で昭和38年9月2日以降、調査を受けた会員は350人にも達した。而も1軒の家に13回とか16回もつづけてくる。その際税務官吏は1人ではなく必ず2人、3人、或は4人、7人、ときには13人もの係員が押しかけてくることがある。而も必ず事前に通知することもなく突然に来て、お客への配達、或いは仕入れなどがあつて、別の日にしてくれと要求しても強引に調査を迫るというひどいやり方であつたことが明らかとされている。右調査に当つては従前認められていた帳簿の記帳をも担当している民商事務局員の立会を一切認めなかつた。又、川崎税務署の庁舎玄関には民商の事務局員は一切署内に入つてはいけないという「貼紙」を張り出し、民商事務局員及会員の出入を禁じ、たとえその人達が個人として用事があつた場合でも、その人達が民商会員である限り、庁舎内に立入ることを阻止されるという異常なやり方であつた。
[9] 川崎民主商工会は同年9月3日、川崎税務署所得税課長に対し、「このような政治的意図をもつた調査はやめてもらいたい、早く正常な状態に戻してもらいたい、そうすれば調査に協力したい」旨を申入れたが、何の返事も得られなかつた。こうして同年9月6日には川崎税務署長は記者会見を行い「商工会員の調査の結果5割の過少申告が発見された」と発表している。しかし、当の本人にはその後数ケ月たつても何の通告も行われなかつた。通常の調査では、その場で本人に対し、申告にいくらの間違いがあるから、修正申告を出して下さいとか、更正決定をしますとか、いうのが慣例である。そういうことは一つもしないで、本人も知らないうちに新聞記者にこのような発表を行うが如きは、その意図が民主商工会に対する弾圧の意図をもつて行われた調査であることを明白に物語るものである。
[10] 本件は、このような不当な民商弾圧の意図の下に行われた一斉調査の一環としておきた事件である。しかし、このように特定の団体の会員のみを他と区別して行つた調査は憲法第14条の法の下の平等の保障を侵害した違法な調査であるし,又、民主商工会員の思想を嫌悪しこれを排撃せんとしてなされた調査という意味で憲法第19条にも違反する。更に憲法第21条結社権を侵害する調査ということもできる。このような税務当局の権利侵害に対しては、これに抵抗し、侵害を排除する権利を国民は保障されていると解すべきである。憲法第12条が国民は基本的人権は不断の努力によつて保持しなくてはならないと規定しているのは基本的人権の侵害に対しては国民がこれに抵抗する権利を保障したものである。結社の権利を侵害した税務当局に対する抗議として民商ならびにその会員が団結して必要な団体行動にでることは憲法第28条の団体行動権としても保障されると解すべきである。
[11] 本件の場合、被告人は違法な税務調査に対し正当な抗議を行つただけであり、これは憲法第12条に沿う行動というべきである。原判決が右見解を採用しなかつたのは憲法の前記各条の解釈を誤つたもので破棄を免れない。
[12] 原判決は、第一審が認定した罪となるべき事実の認定をそのまま是認した。しかし、第一審判決は収税官吏が被告人に対しなさんとした検査の必要性については何らの判示もしていないのである。旧所得税法第63条は「所得税に関する調査について必要あるとき」はじめて質問検査権の行使ができることを規定している。従つて右の調査の必要性は同法第70条10号の構成要件事実にあたる。然るに原判決の援用する第一審判決には、右の必要性について何らの判示もない。このことは必要性を構成要件事実とは考えていないことを物語つている。
[13] しかしながら、国民は憲法第35条により書類及び所持品につき令状なくしては捜索、押収を受けることのない権利を保障されている。従つて令状によらないで罰則を以つて強制される検査をなし得る為には、その検査が公益の為に必要やむを得ない場合に限ると解すべく、しかもその必要性の存在は厳格な証拠によつて立証される必要があると共に、罪となるべき事実の中に明示せねばならない。しかるに本件においては検査の必要性についての厳格な証言はなされていないばかりでなく罪となるべき事実の判示にも全然明示されていない。しかも第一審証人小松正は、調査の必要性について「税法上恩典のある青色申告を37年度からやめていて、それは所得の把握を困難にするためやつたのではないかと思われますし、36年分の青色申告の必要経費中に相当額の減価償却費があり、それに関し、家屋の増築費150万円の出所がはつきりしなかつた点等がありました」と供述している。しかしながら青色申告をやめて白色になつたことが、あたかも税金をごまかすためであるかの如き供述自体極めて悪質ないいがかりである。小松証人自身、青色申告をやめたことから何故被告人を調査する必要性が生じたのかについて具体的事実は一言も供述していないのである。原判決が調査の必要性を構成要件事実と解することなく、漫然と第一審の判決が認定した事実をそのまま採用したのは、法律の解釈を誤つたものであつて破棄を免れない。
[14] 原判決の是認した第一審判決の罪となるべき事実は「……収税官吏小松正が被告人に対する昭和37年度分所得税確定申告調査のため帳簿書類等の検査をしようとするに際し」と認定している。第一審判決が証拠としてあげている証人小松正の供述によると、「所得税の調査に来ましたと被告人に告げたが、37年度分とはいいませんでした」というのである。これでは被告人のなした昭和37年度分の所得税の確定申告の課税標準のどこがどのように過少申告の疑いがあるのか、従つて被告人に如何なる点を明らかにするよう要求しているのか、又それを記載している何年度の、どの帳簿書類の呈示を求めているのか、などは、全然明らかにされていないのである。
[15] 先に述べた通り、調査の必要性は厳格に限定されなければならないとする立場からいつても又自主申告制度を採用し、納税義務者が自ら課税標準ならびに税額を算出することを権利として認めている税制の上からいつても、罰則を背景として検査受忍義務を負担させ得るのは必要性のある帳簿書類に限られると解すべきである。しかるに原審は申告の内容の当否を的確に調査するためには調査の対象たる年度の前後の年分における実績をも調査勘案する必要があり、その為の資料の検査もできると判示している。しかし、このように対象を限定することなく無制限に、罰則を以つて強制される検査を認めるが如き解釈は、憲法第35条に対する配慮を欠く違法な解釈である。
[16] 一審証人小松正の証言によると同人は被告人宅に臨場して
「店のウインドケース越しに川崎税務署から調査に来ましたと奥にいる《乙1》にいいました。」それに対し、被告人は「何回来るんだ、帰れ帰れ」といいながら道路から店舗に向つた側の路地から出て来て私たち3人の前に立ちました。私たち3人の前に立つた《乙1》が「何回来るんだ帰れ帰れ」といい、私が「所得税の調査に来たんだからおとなしく話して下さい」といい、「売上帳、仕入帳、買掛帳、経費帳を見せて下さい。きのうの売上げはいくらありましたか」といいましたが、「だめだ、だめだ帰れ」とわめいていました。
と供述している。これだけのやりとりは同人の供述によれば午前9時57分から午前10時3分までのわずか5分間の出来事なのである。右供述によつても、収税官吏小松正は検査すべき対象となる帳簿書類を特定することをしなかつたのみならず昭和37年度の所得とは全く関係のない事項を質問している。従つてこのような状態の下では被告人には検査を受忍すべき義務は未だ発生していなかつたというべきである。にもかかわらず被告人に対し旧所得税法第70条10号、第63条の適用を認めた原判決は事実誤認及同条の解釈を誤つた違法があるといわねばならない。
以上

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