裁判員制度合憲判決
第一審判決

覚せい剤取締法違反,関税法違反被告事件
千葉地方裁判所 平成21年(わ)第1442号
平成22年1月18日 刑事第1部 判決

被告人 P・L・ピノ

■ 主 文
■ 理 由


 被告人を懲役9年及び罰金400万円に処する。
 未決勾留日数中150日をその懲役刑に算入する。
 その罰金を完納することができないときは,金1万円を1日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
 千葉地方検察庁で保管中の覚せい剤1包(平成21年千葉検領第1880号符号1)を没収する。

 被告人は,氏名不詳者らと共謀の上,みだりに,営利の目的で,覚せい剤を含む違法薬物を輸入しようと企て,平成21年5月31日(現地時間),マレーシア所在のクアラルンプール国際空港において,マレーシア航空第70便に搭乗するに当たり,覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンの塩酸塩1991.2グラムをカーボン紙等に収納した上,これを隠匿した茶色キャリー付きソフトスーツケースを,千葉県成田市所在の成田国際空港までの機内預託手荷物として運送委託し,情を知らない上記クアラルンプール国際空港関係作業員らをしてこれを同航空機に搭載させて同空港を出発させ,同航空機により,同日午後6時58分ころ,上記成田国際空港に到着させ,情を知らない同空港関係作業員らをしてこれを同航空機から機外に搬出させて本邦内に持ち込み,もって覚せい剤を本邦に輸入するとともに,同日午後7時18分ころ,同空港内東京税関成田税関支署第2旅客ターミナルビル旅具検査場において,携帯品検査を受けるに際し,上記のとおり覚せい剤を携帯しているにもかかわらず,同支署税関職員に対し,その事実を秘して申告しないまま同検査場を通過して輸入してはならない貨物である覚せい剤を輸入しようとしたが,同支署税関職員に発見されたため,その目的を遂げなかったものである。
[1] 本件の争点は,被告人が,判示茶色キャリー付きソフトスーツケース(以下「本件スーツケース」という。)内に覚せい剤を含む違法薬物(以下「違法薬物」という。)が隠匿されていることを知っていたかどうかである。すなわち,本件では,前記「(罪となるべき事実)」記載のとおり,被告人が覚せい剤の隠匿された本件スーツケースを自己の手荷物としてわが国に持ち込んだが税関検査において発見されたという客観的事実には争いがないところ,弁護人は,被告人が報酬を得る目的で,隠匿物が収納された本件スーツケースをわが国に持ち込んだことは争わないものの,上記隠匿物(以下「本件隠匿物」という。)について,被告人はダイヤモンドであると信じており,違法薬物が隠匿されていたとは知らなかったから,被告人は無罪であると主張し,被告人もそれに沿う供述をする。
[2] 当裁判所は,裁判官及び裁判員の評議の結果,被告人は,本件スーツケース内に違法薬物が隠匿されていることを知っていたと判断したので,以下にその理由を示す。
1 検察官の主張
[3] 検察官は,被告人が本件隠匿物が違法薬物であることを知っていたことの根拠となる事実のうち最も重要な事実として,(a)本件スーツケースが被告人の手荷物であることを主張する。すなわち,検察官は,特に海外旅行に赴く際,旅行者は注意深く荷造りをするものであるから,本件スーツケースを自己の手荷物としてわが国に持ち込んでいる被告人は,特別な事情がない限り,本件スーツケースの中に違法薬物が入っていることを当然に知っているはずであると主張する。
[4] さらに,検察官は,上記(a)の主張を補強する事実として,(b)覚せい剤の隠匿状況,(c)被告人の税関検査時の言動,(d)被告人の過去の渡航歴及び入金状況を主張するので,これらについて検討する。

2 検察官の主張(a)について
[5] 海外旅行の旅行者が注意深く荷造りをすることは検察官主張のとおりであり,日常生活において,自己の手荷物に第三者が異物を混入することは通常は考えにくいから,海外からの旅行者であれば,通常,自己の手荷物の中身は知っているはずであるということができる。そうすると,本件スーツケースが被告人の手荷物であるという事実は,被告人が本件スーツケースの中身,すなわち,その内部に違法薬物が収納されている事実を知っていたということを相当程度推認させる方向に働く事実であるということができる。ただし,自己の手荷物の中に自己の知らないものが隠されていることが全くないとまでは言い切れず,しかも,本件隠匿物が一見しただけではその存在をうかがい知ることができず,容易に開けることができない本件スーツケースの二重底部分に収納されていたことをも考慮すると,上記(a)の事実のみをもって,被告人が本件スーツケース内に違法薬物が収納されていることを当然に知っていたと認めるには足りない。

3 検察官の主張(b)について
[6] 検察官は,被告人自身が本件スーツケースに衣類等を詰めていることからすれば,本件スーツケースの重量や二重底部分の厚さから,本件スーツケースに隠匿物があることは分かるはずであると主張する。
[7] しかし,評議の際に,本件スーツケース内に本件覚せい剤を入れた場合と入れていない場合につき,その中身を知らない状態で持ち比べるなどした結果を踏まえると,本件スーツケースを持っただけで当然に隠匿物の存在が分かるはずとはいえない。また,本件スーツケースが巧妙に加工されていることに照らすと,衣類等を詰めただけで隠匿物の存在が分かると認めることもできない。

4 検察官の主張(c)について
[8](1) 被告人の税関検査にあたった税関職員2名は,当公判廷において,被告人の税関検査時の言動として,本件スーツケースの入手経緯に関する被告人の説明が二転三転したこと,白色結晶発見後,これは何かという税関職員の質問に対し,被告人が驚いた様子なく「わからない。」「ソルトかな。」「ドラッグかもしれない。」と発言したこと,「ダイヤモンド」という発言をしていないことを証言した。
[9] 税関職員らは,被告人を摘発した当日に報告書を作成しており,記憶違いをしている可能性は考えられず,職務上被告人の言動を注意深く観察しているはずであるから,被告人の言動を聞き漏らすなどしている可能性も考えられない。また,税関職員らが,あえて虚偽の供述をするメリットがあるとも考えられない。以上からすれば,税関職員らの証言はきわめて信用性が高い。
[10](2) 一方,被告人は,第3回公判期日において,税関検査の際,税関職員に本件隠匿物がドラッグであることを認めるよう迫られたと供述し,さらに,自分は白色結晶が発見される前に,「入っているものはダイヤモンドだ。」と発言したとも供述している。これらの被告人の供述は,上記のとおり信用できる税関職員の証言と矛盾するものである上,税関職員らが本件隠匿物がドラッグであることを認めるよう迫る必要性もないのであるから,不合理である。また,被告人は,前日の第2回公判期日における税関職員らによる上記証言直後の被告人質問においては,税関検査時の言動につき再三確認されたのに上記のような供述をせず,翌日に至って突然上記の供述をするに至っている。このような供述経過に照らしても,被告人の上記供述は不合理かつあいまいで,到底信用できない。
[11](3) 以上の検討によれば,被告人が税関検査において,税関職員らの証言どおりの言動をした事実が認められる。ただし,税関職員らの証言によっても,被告人が白色結晶の発見時,外見上明らかに驚いたような様子を示さなかったとはいえても,被告人が内心も驚いていなかったとまでは認められない。
[12] そして,被告人の上記言動は,本件スーツケース内に,税関検査で発見されると困るものが入っていることを被告人自身知っていたことをうかがわせる事実である。しかし,これらの事実によって,直ちに,本件隠匿物が違法薬物であることを被告人が知っていたとまでは認めることはできない。

5 検察官の主張(d)について
[13] 検察官主張のとおり,被告人が本件のためにマレーシアに渡航する以前,平成20年10月から平成21年4月までの間,韓国に6回,マレーシアに1回,滞在期間が3,4日間という短期間の渡航を繰り返し,その前後に少なくとも7回にわたり合計136万7000円もの金員の入金があることが認められる。これらの渡航歴及び入金状況は,わずか半年の間に短期間の海外旅行を繰り返していること,生活保護を受けている被告人が繰り返し多額の金員を受け取っていることという点から考えると,被告人の置かれた生活状況にそぐわない不自然なものといわざるを得ない。この点につき,被告人は,韓国在住やアメリカ在住のボーイフレンドらに会うために,交通費等は先方負担で渡航したもので,特に,韓国在住のボーイフレンドからは,子どもの養育費についても援助を受けていた旨述べるが,それらのボーイフレンドについては通称名しか知らず,本名も覚えていないなどとあいまいな供述をするのみであり,これらの点からしても不自然なものというべきであって,信用しがたい。
[14] しかし,これらの事実に本件で被告人が報酬目的で密輸品を運んだという事実を併せて考慮しても,本件以外の海外渡航においても,被告人が何らかのものを運んで報酬をもらっていたものと断定することはできない。

6 被告人の供述について
[15] 被告人は,当公判廷において,本件スーツケースの中にはダイヤモンドが入っていると信じていた旨供述する。
[16] しかし,被告人が,税関検査において,「ダイヤモンド」という発言をしていないことは前記4のとおりである。被告人が本件隠匿物につきダイヤモンドである可能性がわずかでもあると思っていたのであれば,本件スーツケース内に何らかの隠匿物があることが発覚した際に,これはダイヤモンドであると申告するか,遅くとも,外観上明らかにダイヤモンドとは異なり,違法薬物であることが容易にうかがわれる白色結晶が発見された際には,当然に自分はダイヤモンドと信じて持ってきた旨必死に訴えるはずと考えられる。
[17] この点について弁護人は,被告人は関税の支払いを免れるためにダイヤモンドを密輸していることを隠したかったのであるから,被告人がダイヤモンドである旨申告していなかったとしても不自然ではないと主張する。
[18] しかし,わが国へのダイヤモンドの持ち込み自体が禁止されているわけではないばかりでなく,被告人は,ダイヤモンドの密輸を前提とした上で,逮捕されても長期間勾留されることはないと思っていたと述べる一方,違法薬物の密輸が密輸の中で最も罪が重いと思っており,違法薬物と知っていれば輸入することはなかったとも述べているのであるから,なおさら自らに違法薬物を密輸した疑いがかけられていることが明らかになった白色結晶発見の段階で,自らがダイヤモンドを密輸するつもりであったことを全く訴えなかったのは不可解というほかない。この事実は,被告人が税関検査の時点で,本件隠匿物がダイヤモンドであるとは一切思っていなかったことを如実に示している。
[19] 加えて,被告人は,見ず知らずのナイジェリア人という以外には素性も分からないエディという人物から,番号非通知の電話を受け,自分が何者か,要件は何かなどにつき十分な説明のないまま突然会いたいという申し出を受け,わざわざエディに会いに行き,その際に,突然エディからダイヤモンドの密輸を依頼されるや,依然として素性が不明のエディの話をそのまま信じた旨供述している。このように素性不明で得体の知れない人物から,突然に犯罪行為である密輸依頼を受け,密輸の対象がダイヤモンドであると言われたのに対し,何の疑いも持たずに信じて,密輸の依頼を引受けたというのはきわめて不自然である。一方,密輸を依頼する立場から考えても,ダイヤモンドの換金性がきわめて高く,持ち逃げされる危険が大きいことに照らせば,会ったこともない被告人にダイヤモンドの密輸を依頼するというのもまた不自然である。
[20] また,被告人は,公判廷において,エディに対し3回も本当にダイヤモンドを運ぶのか確認したと述べているが,このことは,被告人が密輸する物がダイヤモンドであることに疑いをもっていたことを示しており,被告人の供述によっても,その疑いを晴らすに足りる対応をエディがしたことはうかがわれない。
[21] 弁護人は,被告人の供述が信用できる根拠として,ダイヤモンドの密輸を依頼された旨の被告人の供述が一貫していること,被告人の供述と矛盾する客観的な証拠がないこと,被告人がダイヤモンドの密輸を依頼されたという自己に不利益な事実を認めていることを指摘する。
[22] しかし,被告人が税関検査時にダイヤモンドの密輸を依頼された旨申告していないことは前記のとおりである。さらに,ダイヤモンドの関税を免れることが違法薬物の密輸に比べてはるかに罪が軽く,被告人自身もそれを認識していることに照らすと,被告人がダイヤモンドの密輸という犯罪事実を認めているからといって,被告人の供述が信用できるとは到底いえない。
[23] また,従前の渡航歴や入金状況に関する被告人の供述が信用できないことは前記のとおりである。
[24] 以上によれば,被告人の供述は全体として信用性に問題がある上,本件隠匿物がダイヤモンドであると信じていた旨の被告人の弁解は,税関検査時の被告人の言動と矛盾するばかりでなく,エディとのやりとりなどといった経緯自体も不自然かつ不合理であり,信用できない。ただし,ダイヤモンドの密輸という行為がまれであり,一般によく知られているとはいえないことに照らすと,被告人が,捜査段階から本件隠匿物がダイヤモンドであると思っていたと一貫して供述しているのは,被告人が本件の依頼者からいずれかの時点で運ぶ物がダイヤモンドであるといった説明を受けたためである可能性を否定できないから,その点に関する供述の信用性を排斥することはできない。しかし,これによって,ダイヤモンドと信じていたという供述が信用できないという上記判断が左右されるものではない。

7 被告人の認識について
[25] 被告人は,少なくとも密輸をするつもりであったという限度では自認しており,本件スーツケース内に物を隠匿してわが国に持ち込んだという態様からしても,被告人が,本件スーツケース内の隠匿物を密輸する意思であったことは明らかである。
[26] そして,わが国への密輸品として一般人が真っ先に思い描くものが,違法薬物であることについては常識に照らして明らかである。加えて,被告人自身が覚せい剤を除く本件スーツケース内の物品を詰めたと自認していることに照らすと,被告人は,隠匿されている物品は,本件スーツケース内の通常の収納部分以外の箇所に隠匿できる程度の量及び形状のものであり,かつ,被告人に密輸の報酬を支払ってもなお依頼人に相当な利益が残るほど利益率の高いものと認識していたと考えられる。そうすると,被告人は,本件隠匿物は違法薬物であると考えていたとみるのが最も自然であり,ダイヤモンドと思っていたという被告人の供述は信用できず,他に違法薬物以外の物と思うような事情は見当たらないことからしても,被告人が,本件隠匿物をたとえばけん銃やワシントン条約で禁止された動植物などの違法薬物以外の物と認識していたとは考えがたい。
[27] また,被告人は,違法薬物の密輸が最も重い犯罪であると考えていたというのであるから,それ以外の物を隠匿していると思っていたとすれば,ダイヤモンドの場合と同様に税関検査で発覚した際にその旨訴えないはずがないというべきである。この点からしても,被告人が本件隠匿物を違法薬物以外の物と思っていた可能性が否定できる。
[28] 以上からすれば,被告人が,本件スーツケース内に違法薬物が隠匿されていることを知っていたことは,常識に照らして間違いないと認められる。

8 結論
[29] 以上のとおり,被告人は,本件スーツケース内に違法薬物が隠匿されている事実を知っていたと認めることができる。
[30] そして,本件隠匿物が多量の覚せい剤であり,被告人が単独で調達できるとは到底考えられないことからすると,被告人が氏名不詳者と共謀の上本件に及んだことは明らかであり,さらに被告人が報酬目的で本件に及んだことは被告人が自認するところであるから,営利目的を有することもまた容易に認められる。
[31] 以上の検討結果によれば,前記「(罪となるべき事実)」記載の事実を優に認定できる。
 被告人の判示所為のうち,覚せい剤の営利目的輸入の点は刑法60条,覚せい剤取締法41条2項,1項に,輸入してはならない貨物の輸入未遂の点は刑法60条,関税法109条3項,1項,69条の11第1項1号にそれぞれ該当するところ,これは1個の行為が2個の罪名に触れる場合であるから,刑法54条1項前段,10条により1罪として重い覚せい剤取締法違反の罪の刑(ただし,任意的併科に係る罰金刑の多額については関税法違反の罪の刑のそれによる。)で処断し,所定刑中有期懲役刑及び罰金刑を選択し,その所定刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役9年及び罰金400万円に処し,刑法21条を適用して未決勾留日数中150日をその懲役刑に算入し,その罰金を完納することができないときは,同法18条により金1万円を1日に換算した期間被告人を労役場に留置し,千葉地方検察庁で保管中の覚せい剤1包は,判示覚せい剤取締法違反の罪に係る覚せい剤で犯人の所持するものであり,かつ,判示関税法違反の罪に係る貨物で犯人以外の者に属さないものであるから,覚せい剤取締法41条の8第1項本文,関税法118条1項本文によりこれを没収し,訴訟費用は,刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。
[32] 本件は,被告人が,氏名不詳者らと共謀の上,営利の目的で,約2キログラムの覚せい剤をわが国に持ち込み輸入したが,税関検査において発見されたという覚せい剤取締法違反,関税法違反の事案である。
[33] 本件で持ち込まれた覚せい剤の量は,被告人がわが国にもたらそうとした覚せい剤の害悪の大きさを示すものというべきであり,この点は被告人の刑を決めるにあたって最も考慮すべき事情である。さらに,覚せい剤が隠匿されている状況などからすれば,本件は,組織的かつ計画的犯行であるとうかがわれるところ,被告人は,本件において,運び役という覚せい剤輸入の犯罪の実現に不可欠な役割を果たしている。ただし,運び役は,犯罪の実現に不可欠な役割を果たしたという意味で責任が重いと考えられる一方,薬物密輸組織の中では従属的・末端的な立場にあると考えられ,組織の上位者に比べると責任が軽いと考えられる面もある。このような本件の犯行態様や被告人の果たした役割は被告人の刑を決める上で重視すべき事情というべきである。そうすると,被告人に対してどのような刑を科すかは,被告人が持ち込んだ覚せい剤の量を基準とし,被告人が上記のような2つの側面を持つ運び役という役割を果たしたという点を特に考慮した上で,その他の事情を総合考慮して判断すべきである。
[34] そこで,1キログラム以上10キログラム以下の覚せい剤をわが国に輸入した運び役に対し,過去の裁判でどのような刑が科されてきたかという傾向をみると,その量刑傾向は,おおむね懲役8年ないし10年をピークとする懲役5年ないし15年の範囲に分布している。覚せい剤が社会にもたらす害悪の大きさや,今後,同様の覚せい剤輸入が発生することを防止しなければならないという観点からすると,被告人の刑を従来の量刑傾向より軽くすることは相当ではなく,一方,公平の観点からすれば被告人の刑を従来の量刑傾向より更に重くすることも相当ではなく,薬物犯罪が社会的な耳目を集めていることを考慮しても,従来の量刑傾向より特に重くしなければならないほどに社会的な情勢に変化があったとも見られないから,上記量刑傾向を参考とした上で,被告人に対する刑を決めることとする。
[35] そこで,まず,被告人が運搬した覚せい剤の量を検討するに,被告人は,本件で約2キログラムの覚せい剤をわが国に輸入したものであり,これは約6万6000回分の使用量に相当するものであるから,この点に着目すると,本件の輸入量は多いというべきである。ただし,参考にした上記量刑傾向の前提となる覚せい剤の量に照らして考えれば,本件の輸入量が特に多いとはいえない。
[36] 本件では,覚せい剤が水際で押収されており,覚せい剤の害悪が実際にわが国に拡散するには至っていない。このことは,覚せい剤が実際に拡散した場合に比べると社会的影響が小さくなっているという意味で,被告人の刑を決めるにあたって若干は考慮すべきであるが,水際での押収が税関職員らの努力の結果であり,被告人がこれに寄与してはいないことに照らすと,このことを被告人に有利な事情として重視することはできない。
[37] 被告人は,報酬目的で本件に関与したものであり,その動機はあまりにも身勝手である。ただし,運び役という役割は,報酬目的で密輸に関与するのが通常であるから,上記量刑傾向を参考とする限りにおいて,この点を殊更に被告人に不利に考慮することはできない。
[38] 本件覚せい剤は,二重底に加工されたスーツケースの底の部分に隠匿されていたところ,本件スーツケースは,一見して異物が隠匿されていることがわからないほど巧妙に細工されている。この事実は,本件犯行の組織性・計画性を示すものであるといえる。一方で,被告人自身が本件覚せい剤の隠匿作業に関わったことを示す証拠はなく,被告人が本件覚せい剤に直接に触れ,実際に見るなどして,自己の持ち運ぶ違法薬物が覚せい剤であることを具体的に認識し,その量について正確に把握していたとは認めがたい。このことは,本件犯行についての被告人の関与態様が,運び役という類型の中でも従属的・受動的であり,覚せい剤との関わりも比較的薄かったことを示す事実であるということができるので,この点は,被告人の刑を決めるにあたり,被告人に有利な事情として一定程度考慮する。
[39] 被告人は,輸入した物品が覚せい剤を含む違法薬物であることの認識を否認して不合理な弁解に終始しており,反省の態度は認められない。この点は,被告人の刑を決めるにあたって,被告人に不利な事情として相当程度考慮すべきである。
[40] 被告人は,生活保護を受けてわが国で生活していたと認められるところ,被告人の渡航歴や入金状況に照らせば,被告人が生活に困っていたと認めることはできないから,被告人が生活保護を受けている事実を被告人の刑を決めるにあたって有利な事情として考慮することはできない。一方で,被告人が永住者としてわが国で約20年間生活しながら,わが国における前科がないこと,被告人に子どもがいることは,被告人の更生可能性を示す事情ということができるから,被告人に有利な事情として若干考慮すべきである。また,被告人が心臓肥大の疾患を有していることも,被告人に有利な事情として若干考慮すべきである。
[41] さらに,本件のような営利目的での覚せい剤輸入の事案では,この種の犯罪が経済的に割に合わないものであることを,被告人自身にも,社会全体にも知らしめる必要があるから,罰金刑を併科するべきである。
[42] 以上のような事情を総合考慮した上,被告人に対しては,主文の刑に処するのを相当と判断した。
[43] よって,主文のとおり判決する。

(求刑 懲役13年及び罰金700万円,覚せい剤没収)

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