「君が代」起立斉唱拒否事件(東京都立高校再雇用拒否)
控訴審判決

再雇用拒否処分取消等請求控訴事件
東京高等裁判所 平成21年(行コ)第62号
平成21年10月15日 民事第8部 判決

口頭弁論終結日 平成21年7月7日

控訴人兼被控訴人   甲野太郎(仮名)(以下「第1審原告」という。)
 同訴訟代理人弁護士 津田玄児 木川恵章 山崎順一 大谷恭子 今村憲

被控訴人兼控訴人   東京都 (以下「第1審被告」という。)
(処分の取消、無効確認及び義務付けを求める訴えについて)
 代表者兼処分行政庁 東京都教育委員会
 同代表者委員長   木村孟
 同訴訟代理人弁護士 細田良一
 同指定代理人    土田立夫 ほか2名
(損害賠償請求に係る訴えについて)
 代表者知事     石原慎太郎
 同訴訟代理人弁護士 細田良一

■ 主 文
■ 事 実 及び 理 由


1 第1審原告の控訴を棄却する。
2 第1審原告の当審において拡張した請求を棄却する。
3 第1審被告の控訴に基づき、原判決の主文第1項を取り消す。
  上記の取消しに係る部分についての第1審原告の請求を棄却する。
4 訴訟費用は、第1、2審とも、第1審原告の負担とする。

1 第1審原告
(1) 原判決の主文第2項を取り消す。
(2)(主位的請求)
 第1審被告が第1審原告に対し平成19年1月17日付けでした再雇用拒否処分及び再任用拒否処分をいずれも取り消す。
  (予備的請求)
 第1審被告が第1審原告に対し平成19年1月17日付けでした再雇用拒否処分及び再任用拒否処分はいずれも無効であることを確認する。
(3) 第1審被告は第1審原告を東京都再雇用職員又は東京都再任用職員として採用せよ。
(4) 第1審被告は、第1審原告に対し、原判決の主文第1項に記載の金員のほかに、211万円並びに内192万円に対する平成21年3月15日から及び内19万円に対する平成19年1月18日から、いずれも各支払ずみまで年5分の割合による金員を支払え。(当審において拡張した請求)
(5) 訴訟費用は、第1、2審とも、第1審被告の負担とする。

2 第1審被告
 主文第3項及び第4項と同旨
[1] 本件は、平成19年3月31日に東京都立高等学校教諭の職を定年退職した第1審原告が、再雇用職員及び再任用職員の採用選考の申込みをしたが、東京都教育委員会(以下「都教委」という。)が第1審原告を不合格とした(以下「本件不合格」という。)ことから、本件不合格は裁量権の逸脱、濫用に当たると主張して、本件不合格の処分の取消(主位的請求)又は無効確認(予備的請求)を求め、第1審原告を再雇用職員又は再任用職員として採用せよとの義務付けを求めるとともに、国家賠償法に基づき、損害賠償金484万0800円(再任用された場合の1年間の給与額340万0800円、慰謝料100万円、弁護士費用44万円)と遅延損害金の支払を求めた事案である。
[2] 原審は、(ア)本件不合格に行政処分性を認めることはできないから、取消、無効確認及び義務付けを求める訴えはいずれも不適法であるとして、これらを却下し、(イ)損害賠償請求については、本件不合格は、客観的合理性及び社会的相当性を著しく欠き、裁量権を逸脱、濫用したものであって、これにより第1審原告の期待権を侵害したものであるとして、損害賠償金211万円(再雇用職員としての平成19年度1年間の給与額192万円、弁護士費用19万円)と遅延損害金の支払を求める限度において認容した。
[3] そこで、第1審原告が、原判決が取消、無効確認及び義務付けを求める訴えを却下した部分(主文第2項)について控訴するとともに、当審において、損害賠償請求を拡張して、原判決が認容した損害賠償金のほかに、平成20年度1年分の再雇用職員としての給与に相当する損害賠償金192万円と弁護士費用19万円の合計211万円及びこれに対する遅延損害金の支払を求め、他方、第1審被告が、原判決が損害賠償金の支払を命じた部分(主文第1項)を不服として控訴した。

[4] 前提事実は、原判決の「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」の1に記載(原判決3頁1行目から7頁21行目まで)のとおりであるから、これを引用する。ただし、原判決4頁18行目の「本件再雇用制度」を「本件再任用制度」に改める。

[5] 争点とこれに関する当事者の主張は、下記4に当審における主張を掲記するほか、原判決の「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」の2及び3に記載(原判決7頁22行目から10頁14行目まで)のとおりであるから、これを引用する。
(1) 第1審原告
[6] 第1審被告は予め再雇用、再任用のための要件を定めて採用選考募集を行ったものであり、少なくともこの要件を満足する応募者についてはこれを採用する義務があるというべきところ、第1審原告は、これを満足しているのであるから、採用されるべき具体的な法的地位と権利がある。
[7] 第1審原告が、再雇用職員あるいは再任用職員の申込みを行い、これを受けて第1審被告が当該申込書、校長の推薦書を受理して面接をした時点で、採用要件を満たしていれば、当該時点で、第1審原告は第1審被告に再雇用されあるいは再任用される法的権利を有し、第1審被告は第1審原告を採用する義務がある。
[8] 第1審原告が東京都公立学校教員に任命された昭和49年4月当時、定年はなかったのであり、60歳を超えても教員活動ができたのである。しかし、その後、昭和60年3月から地方公務員にも定年制が実施されることになり、そこで、東京都労働組合連合会は、第1審被告との間で従前どおり定年退職後も希望者は雇用されるよう交渉し、その結果、第1審被告は、本件再雇用制度を創設したのである。地方公務員法も再任用制度を導入している(同法28条の4)。したがって、本件再雇用制度が創設されたことにより、第1審原告と第1審被告との間では、第1審原告が希望しかつ勤務成績が良好である等の要件を充足しさえすれば、定年後も雇用されるとの法律上の黙示の合意(特約)がなされたものである。すなわち、第1審原告は、地方公務員法により定年退職し、一度地方公務員の地位を失うことになるが、第1審被告である東京都と第1審原告との間においては,上記特約により、雇用の継続が保障されているのであるから、第1審原告は、勤務成績が良好である等の要件を満たせば、定年退職後も当然に地方公務員の地位にあるのである。
[9] 義務付けの訴えについて、行政事件訴訟法3条6項2号は「法令に基づく申請」がされた場合と規定しているが、この規定は条理に基づく申請の場合にも類推適用すべきである。
[10] 再雇用制度あるいは再任用制度は、東京都公立学校再雇用職員設置要綱あるいは地方公務員法により、その任用基準が設けられ、任用手続きについても詳細に規定されていて、任用権者は、任用申請者に対し、条理上、少なくとも任用選考の結果について応答しなければならない義務を有している。実際に、第1審被告は、第1審原告に対し、校長を通じて、選考結果を通知している。そうとすると、第1審原告は、第1審被告に対して、条理上、任用の可否について応答を受ける権利を有しているということができる。そうであるとすれば、第1審原告は少なくとも任用申請に対する決定が適法になされることについての法律上の権利(申請権)を有していると解すべきである。
エ 損害
[11] 第1審原告は、平成19年4月1日から再雇用され、1年の任期を経て、平成20年4月1日の更新により、現在も東京都に雇用されていたはずであり、平成19年度分の報酬のほか、少なくとも平成20年度分の報酬をも取得していたはずである。第1審原告は、平成20年度分の報酬も第1審被告の違法行為と相当因果関係のある損害として請求する。この損害賠償請求に要する弁護士費用として19万円が損害と認められるべきである。

(2) 第1審被告
[12] 再雇用職員並びに再任用職員の採用選考においては、採用権者である都教委が面接、推薦書及び申込書により、採用希望者を総合的に判定し、採用を決定するものである。都教委が当該採用の決定を行う前の段階において、採用希望者に再雇用あるいは再任用される法的権利というものがそもそも発生することはないし、または、第1審被告においても採用希望者を採用する法的義務を負うものではない。
[13] 勤務成績が良好であるということが合格の要件であり、希望者全員が合格するわけではないから、第1審原告が再雇用職員、再任用職員として採用されるとの期待を抱いたとしても、その期待は、主観的な事実上のものにすぎず、再雇用職員、再任用職員に採用されることが法律上保護されるものではないし、都教委において、第1審原告が再雇用職員、再任用職員として採用されると期待することが無理からぬものとして認められるような行為をしたという特別な事情も全くないから(むしろ、都教委は、乙1号証の通知において、服務事故を起こした場合には、勤務成績不良とされることがあることを周知していた。)、第1審原告の再雇用職員、再任用職員として採用されることに対する期待は、法的保護に値しないというべきである。
[14] 第1審原告の本件不合格に関する都教委の裁量権の行使は、合理的なものであり、都教委の裁量権の行使に関して逸脱、濫用はない。
[15] 第1審原告の本件不合格の理由は、第1審原告が、生徒、保護者、来賓等が出席する卒業式の場において学習指導要領に基づいて国旗・国歌の指導という教育課程を実施するために校長が発出した起立斉唱を命じる職務命令に違反し不起立に及んだということが職務命令違反及び信用失墜行為という重大な非違行為に当たるのであり、都教委がそのような重大な非違行為を行った第1審原告に対して、そのことを理由にして勤務成績が良好であるとの要件を欠くものと判断したことは、まさに合理的な理由に基づくものであって、そこに裁量権の逸脱、濫用はない。
[16] 当裁判所は、第1審原告の本件訴えのうち、処分の取消又は無効確認を求める訴え及び義務付けを求める訴えは、いずれもこれを却下すべきであり、損害賠償金の支払を求める請求はこれを棄却すべきであると判断する。その理由は、以下のとおりである。
[17](1) 争点(1)についての判断は、下記(2)ないし(5)に当裁判所の判断を示すほかは、原判決の「事実及び理由」欄の「第3 当裁判所の判断」の1に記載(原判決10頁17行目から11頁11行目まで)のとおりであるから、これを引用する。

[18](2) 第1審原告は、本件不合格が行政処分性を有するものである旨を主張するが、行政事件訴訟法3条2項にいう「行政庁の処分」とは、「国民の権利義務を形成しまたはその範囲を確定する行為」をいうものであるところ、本件再雇用制度及び本件再任用制度は、定年等によりいったん退職して職員の身分を失った一般職の地方公務員を、新たに選考した上で、特別職の非常勤職員(本件再雇用職員)又は1年以内の任期付き職員(本件再任用職員)として採用するものであり、都教委において採用選考の申込者を必ず合格させなければならないわけではなく、また、合格者を必ず採用しなければならないわけでもないのであり、採用選考の申込者に職員としての採用を求める権利があるわけでもないのであるから、そうとすれば、都教委が申込者を不合格として採用しなかったとしても、その申込者の「権利義務を形成しまたはその範囲を確定する」ものではないから、本件不合格に行政処分性を認めることはできないものというべきである。

[19](3) 第1審原告は、前記のとおり、
「第1審被告は予め再雇用、再任用のための要件を定めて採用選考募集を行ったものであり、少なくともこの要件を満足する応募者についてはこれを採用する義務があるというべきところ、第1審原告は、これを満足しているのであるから、採用されるべき具体的な法的地位と権利がある。」旨、
「第1審原告が、再雇用職員あるいは再任用職員の申込みを行い、これを受けて第1審被告が当該申込書、校長の推薦書を受理して面接をした時点で、採用要件を満たしていれば、当該時点で、第1審原告は第1審被告に再雇用されあるいは再任用される法的権利を有し、第1審被告は第1審原告を採用する義務がある。」
旨を主張する。
[20] しかし、本件再雇用制度及び本件再任用制度は、上記のとおり、定年等によりいったん退職して職員の身分を失った一般職の地方公務員を新たに選考した上で採用するものであり、東京都公立学校再雇用職員設置要綱の第5は「嘱託員は、次に掲げる要件を備えている者のうちから、選考の上、東京都教育委員会が任命する。」と規定しており、地方公務員法28条の4第1項本文も「任命権者は、当該地方公共団体の定年退職者等(略)を、従前の勤務実績等に基づく選考により、1年を超えない範囲内で任期を定め、常時勤務を要する職に採用することができる。」と規定しているのであって、第1審被告において採用要件を満たすと判定しても必ず採用しなければならないわけではなく、したがって、採用要件を満たしていれば必ず再雇用されるあるいは再任用される法的権利があるとはいえないから、第1審原告の上記主張は採用することができない。

[21](4) 第1審原告は、前記のとおり、
「本件再雇用制度が創設されたことにより、第1審原告と第1審被告との間では、第1審原告が希望しかつ勤務成績が良好である等の要件を充足しさえすれば、定年後も雇用されるとの法律上の黙示の合意(特約)がなされたものである。すなわち、第1審原告は、地方公務員法により定年退職し、一度地方公務員の地位を失うことになるが、第1審被告である東京都と第1審原告との間においては、上記特約により、雇用の継続が保障されているのであるから、第1審原告は、勤務成績が良好である等の要件を満たせば、定年退職後も当然に地方公務員の地位にあるのである。」
旨を主張する。
[22] しかし、仮に本件再雇用制度の導入の経緯が第1審原告の主張のとおりであったとしても、また、本件再雇用制度の創設により定年退職予定者において定年退職後に再雇用職員として採用されることへの事実上の期待が生じたとしても、それをもって第1審被告と第1審原告との間に第1審原告が主張するような黙示の合意(特約)が成立したものとは認められないから、第1審原告の上記主張は採用することができない。

[23](5) 第1審原告は、前記のとおり、
「義務付けの訴えについて、行政事件訴訟法3条6項2号は「法令に基づく申請」がされた場合と規定しているが、この規定は条理に基づく申請の場合にも類推適用すべきである。」旨、
「再雇用制度あるいは再任用制度は、東京都公立学校再雇用職員設置要綱あるいは地方公務員法により、その任用基準が設けられ、任用手続きについても詳細に規定されていて、任用権者は、任用申請者に対し、条理上、少なくとも任用選考の結果について応答しなければならない義務を有している。実際に、第1審被告は、第1審原告に対し、校長を通じて、選考結果を通知している。そうとすると、第1審原告は、第1審被告に対して、条理上、任用の可否について応答を受ける権利を有しているということができる。そうであるとすれば、第1審原告は少なくとも任用申請に対する決定が適法になされることについての法律上の権利(申請権)を有していると解すべきである。」
旨を主張する。
[24] しかし、行政事件訴訟法3条6項2号は、義務付けの訴えとは「行政庁に対し一定の処分又は裁決を求める旨の法令に基づく申請又は審査請求がされた場合において、当該行政庁がその処分又は裁決をすべきであるにかかわらずこれがされないとき」に「行政庁がその処分又は裁決をすべき旨を命ずることを求める訴訟」と規定しており、義務付けの訴えは「法令に基づく申請」がされた場合に限られるものというべきところ、たとえ、再雇用制度及び再任用制度について、東京都公立学校再雇用職員設置要綱及び地方公務員法により、その任用基準が設けられ、任用手続きについて詳細に規定されているとしても、採用選考の申込者に一定の応答を求める権利があるとは解されないから、採用選考の申込みを「法令に基づく申請」(申込者に法令に基づく申請権がある)ということはできない。第1審原告の上記主張も採用することができない。
[25](1) 第1審原告は、
「本件不合格は、本件再雇用制度及び本件再任用制度の目的を無視し、不起立者を排除するという不法な動機から報復的に行われたものであるから、裁量権の逸脱、濫用がある。」
旨を主張する。

[26](2) しかし、本件再雇用制度及び本件再任用制度は、上記のとおり、定年等によりいったん退職して職員の身分を失った一般職の地方公務員を、新たに選考した上で、特別職の非常勤職員(本件再雇用職員)又は1年以内の任期付き職員(本件再任用職員)として採用するものであり、都教委において採用選考の申込者を必ず合格させなければならないわけではなく、また、合格者を必ず採用しなければならないわけでもなく、面接、推薦書及び申込書により申込者を総合的に判断して採否を判定するものであって、都教委の合否及び採否の判定には広範な裁量権があるのである。したがって、都教委においてこの裁量権の逸脱、濫用がない限り、違法の問題は生じないものというべきである。
[27] しかるところ、第1審原告は、都立A高等学校に在職中、校長から卒業式の国歌斉唱の際には国旗に向かって起立し国歌を斉唱することを命じられた(本件職務命令)にもかかわらず、平成16年3月5日の卒業式の国歌斉唱の際に起立しなかった(本件不起立)のであって、これにより同月31日に都教委から戒告処分(本件戒告処分)を受けたものである。そうとすれば、本件戒告処分から未だ3年も経過していない本件の採用選考において都教委が第1審原告を不合格としたこと(本件不合格)が著しく客観的合理性及び社会的相当性を欠くものとまではいえないというべきであり、裁量権を逸脱、濫用したものとまではいえないというべきである。

[28](3) 第1審原告は、
「そもそも、卒業式において国旗に向かって起立し国歌を斉唱することを命じる本件職務命令は、第1審原告の思想及び良心の自由(憲法19条)を侵害する違憲、違法なものであった。」
旨を主張するが、この点についての判断は、原判決の「事実及び理由」欄の「第3 当裁判所の判断」の2(4)に記載のとおりであり(原判決12頁末行から13頁25行目まで)、これを引用するが、日の丸と君が代が過去の我が国において有した役割に関する第1審原告の歴史観ないし世界観及びこれに由来する心情と信念が憲法19条によって保障されるものであるとしても、そのような心情と信念を持つことと学校の儀式的行事である卒業式において国歌斉唱の際に不起立に及ぶ行為とは必ずしも不可分に結びつくものとはいえないから、本件職務命令が第1審原告の思想及び良心の自由を侵害するものとはいえないものである(最高裁第三小法廷平成19年2月27日判決・民集61巻1号291頁参照)。第1審原告の上記主張は採用することができない。

[29](4) 第1審原告は、
「仮に本件職務命令が適法であるとしても、本件不起立は卒業式の進行を阻害したり混乱を生じさせたりするような態様のものではなかったこと、第1審原告に対する処分は懲戒処分の中でも最も軽い戒告処分であったこと、第1審原告は本件戒告処分以外に懲戒処分を受けたことがないこと、第1審原告は、本件戒告処分後に研修を受講し、その後定年退職するまで校長の職務命令に従い起立し続けたこと、第1審原告は生徒にとって良き教育者であり、教育技能に優れ、教育熱心であったこと、からすると、本件不起立のみを理由に勤務成績が良好でないと判断したことは、客観的合理性及び社会的相当性を著しく欠くものである。」旨、
「本件再雇用制度及び本件再任用制度は、定年退職者の生活を支える目的を持つものであり、原則として希望者は全員採用される運用が想定され、現にそう運用されてきたのに、本件通達発令後は、突如として不起立者を一律に本件再雇用及び本件再任用の対象としない方針を採ったものであって、これは不起立者を排除するという不法な動機で運用されていることを示すものである。」
旨を主張する。
[30] 確かに、
(a)本件再雇用制度の趣旨は、退職者に生きがいと生活の安定を与えるとともに、長年培った豊富な知識や技能を退職後も役立て、学校教育の充実を図ることにあること、また、本件再任用制度の導入も、退職者の知識や経験を即戦力として活用する必要性が高まったとの事情及び公的年金の満額支給開始年齢の引上げに伴い60代前半に雇用機会を提供して生活保障を図る必要性が高まったとの事情によるものであること、
(b)平成15年10月に本件通達が出される前は、国歌斉唱時に起立を命じる職務命令が出されることはなく、したがって不起立は懲戒処分の対象とはされておらず、不起立を理由に本件再雇用職員又は本件再任用職員として採用されなかった者はいなかったこと、
(c)第1審原告による本件不起立は、他の教職員や生徒らに不起立を促したりするようなものではなく、卒業式の進行自体を物理的に阻害したり混乱を生じさせたりするようなものでもなかったこと、
(d)第1審原告は、本件戒告処分を受けた後に服務事故再発防止研修を命じられてこれを受講し、平成16年4月に転勤となった都立B高等学校においては、校長の職務命令に従い、平成19年3月の定年退職まで、入学式や卒業式等の国歌斉唱の際にはいずれも起立したこと(ただし、平成19年3月の卒業式は、警備担当であったため、式典自体には参加していない。)、
(e)第1審原告は本件戒告処分以外に懲戒処分を受けたことはないこと、
(f)本件不起立当時、起立斉唱を命じる職務命令を巡っては種々の意見があったこと、
(g)推薦書を作成した都立B高等学校長は、第1審原告の同校赴任後の態度から、第1審原告が教科指導、受験指導、部活指導、分掌業務等に熱心であり、生徒にとって良き教師であると判断していたこと、
等の事情は、第1審原告指摘のとおりである。
[31] しかしながら、
(a)平成15年10月に本件通達が出され、起立斉唱を命じる職務命令が出されるようになって、不起立が職務命令違反となるに至った後は、この職務命令に違反して懲戒処分を受けた者で本件再雇用職員又は本件再任用職員の採用選考に合格した者はいないのであり、一律に不合格となっていること、
(b)本件通達は、
「1 学習指導要領に基づき、入学式、卒業式等を適正に実施すること、
2 入学式、卒業式等の実施に当たっては、別に定める「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」のとおり行うものとすること、
3 国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり、教職員が本件通達に基づく校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること、」
を内容とするものであり、その内容及び目的(国旗及び国歌に対して正しい認識を持たせそれらを尊重する態度を育てること)を不当ということはできないこと、
(c)そして、本件職務命令は、本件通達に基づき、第1審原告に対して、平成16年3月5日の卒業式の国歌斉唱の際には国旗に向かって起立し国歌を斉唱することを命じたものであって、前記のとおり、これが第1審原告の思想及び良心の自由を侵害する違憲、違法のものであったということはできず、したがって、本件職務命令が出された以上、第1審原告においてはこれに従うべき職務上の義務があったのであり(たとえ、それに従うことが、第1審原告の心情と信念においては苦痛で受入れ難いものであったとしても、従う義務を免れるものではない。なぜなら、個々の教諭がそのような自己の心情や信念のみに従って行動していたのでは、学校教育(特に学校全体で行う儀式等の行事)は成り立たず、これがひいて生徒の教育を受ける権利にも影響を及ぼし、公共の利益にも反することになるからである。第1審原告が都立高校の教諭という職業を選択した以上、そのような心情や信念を後退させることを余儀なくされることは当然にこれを甘受すべきである。)、それにもかかわらず第1審原告はこれに従わなかったものであって、第1審原告が本件職務命令に違反したことを年に数回程度の卒業式や入学式等における非違行為として軽視することは相当でなく、むしろ、生徒のほかに父兄や来賓も参加・参列した厳粛な雰囲気の中で行われるべき卒業式における不起立として影響力の大きい重い非違行為というべきものであること、
(d)なお、本件通達には、上記のとおり、「教職員が本件通達に基づく校長の職務命令に従わない場合は,服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること」と記載されており、その周知がなされたものと認められること、
(e)第1審原告が不合格となった平成18年度採用選考では、戒告処分よりも重い減給処分や停職処分を受けた者で採用された者がいるが、その処分事由は本件のような職務命令違反ではないこと(甲16の1、乙8、弁論の全趣旨)、
以上の諸点を考慮すると、これらの事情が本件の採用選考において消極的要素として考慮され、都教委が第1審原告を不合格(本件不合格)としたことをもって著しく客観的合理性及び社会的相当性を欠くものであるとまではいうことができず、都教委がその裁量権を逸脱、濫用したものとまではいうことができないものというべきである(もとより、都教委がそれにもかかわらず第1審原告を合格とすることもまたその裁量の範囲内である。)。
[32] 本件不起立が懲戒処分としては最も軽い「戒告」にとどめられていることも、そのことから、直ちに、本件再雇用職員及び本件再任用職員の採用選考要件の1つである「正規職員を退職する前の勤務成績が良好であること」の判断において本件不起立が軽い非違行為と認識されるべきであることを意味するものではない。既に教諭という身分を有する者に対する懲戒処分とこれから新たに再雇用職員又は再任用職員として採用する場合とでは、大いに異なるからである。
[33] 第1審原告の上記主張は採用することができない。
[34] 以上のとおりであり、第1審原告の本件訴えのうち、処分の取消、無効確認及び義務付けを求める訴えは、いずれもこれを却下すべきであり、損害賠償金の支払を求める請求は、その余の点について判断するまでもなく、棄却を免れないものである。
[35] よって、第1審原告の本件控訴は理由がないからこれを棄却し、第1審原告の当審における拡張した請求も理由がないのでこれを棄却し、第1審被告の控訴に基づき、原判決中の第1審被告の敗訴部分(原判決の主文第1項)を取消し、この取消しに係る部分についての第1審原告の請求を棄却することとして、主文のとおり判決する。

  裁判長裁判官 原田敏章  裁判官 北村史雄 加藤謙一

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