吉祥寺駅構内ビラ配布事件
上告審判決

鉄道営業法違反、建造物侵入被告事件
最高裁判所 昭和59年(あ)第206号
昭和59年12月18日 第3小法廷 判決

上告申立人 被告人

被告人 山本健 外3名
弁護人 山口紀洋

■ 主 文
■ 理 由

■ 裁判官伊藤正己の補足意見

■ 弁護人山口紀洋の上告趣意


 本件各上告を棄却する。

[1] 所論は、憲法21条1項違反をいうが、憲法21条1項は、表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく、公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであつて、たとえ思想を外部に発表するための手段であつても、その手段が他人の財産権、管理権を不当に害するごときものは許されないといわなければならないから、原判示井の頭線吉祥寺駅構内において、他の数名と共に、同駅係員の許諾を受けないで乗降客らに対しビラ多数枚を配布して演説等を繰り返したうえ、同駅の管理者からの退去要求を無視して約20分間にわたり同駅構内に滞留した被告人4名の本件各所為につき、鉄道営業法35条及び刑法130条後段の各規定を適用してこれを処罰しても憲法21条1項に違反するものでないことは、当裁判所大法廷の判例(昭和23年(れ)第1308号同24年5月18日判決・刑集3巻6号839頁、昭和24年(れ)第2591号同25年9月27日判決・刑集4巻9号1799頁、昭和42年(あ)第1626号同45年6月17日判決・刑集24巻6号280頁)の趣旨に徴し明らかであつて、所論は理由がない。
[2] 所論は、判例違反をいうが、所論引用の判例は、鉄道地内への侵入が問題となつている事案であつて、本件とは事案を異にし適切でないから、適法な上告理由にあたらない。
[3] なお、鉄道営業法35条にいう「鉄道地」とは、鉄道の営業主体が所有又は管理する用地・地域のうち、直接鉄道運送業務に使用されるもの及びこれと密接不可分の利用関係にあるものをいい、刑法130条にいう「人ノ看守スル建造物」とは、人が事実上管理・支配する建造物をいうと解すべきところ、原判決及びその是認する第一審判決の認定するところによれば、被告人4名の本件各所為が鉄道営業法違反及び不退去の各罪に問われた原判示井の頭線吉祥寺駅南口1階階段付近は、構造上同駅駅舎の一部で、井の頭線又は国鉄中央線の電車を利用する乗降客のための通路として使用されており、また、同駅の財産管理権を有する同駅駅長がその管理権の作用として、同駅構内への出入りを制限し若しくは禁止する権限を行使しているのであつて、現に同駅南口1階階段下の支柱2本には
「駅長の許可なく駅用地内にて物品の販売、配布、宣伝、演説等の行為を目的として立入ることを禁止致します 京王帝都吉祥寺駅長」
などと記載した掲示板3枚が取り付けられているうえ、同駅南口1階の同駅敷地部分とこれに接する公道との境界付近に設置されたシヤツターは同駅業務の終了後閉鎖されるというのであるから、同駅南口1階階段付近が鉄道営業法35条にいう「鉄道地」にあたるとともに、刑法130条にいう「人ノ看守スル建造物」にあたることは明らかであつて、たとえ同駅の営業時間中は右階段付近が一般公衆に開放され事実上人の出入りが自由であるとしても、同駅長の看守内にないとすることはできない。したがつて、これと同旨の原判断は正当として是認することができる。

[4] よつて、刑訴法408条により、主文のとおり判決する。

[5] この判決は、裁判官伊藤正己の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。


 裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。

[1] 被告人らの本件各所為について、鉄道営業法35条及び刑法130条後段の各規定を適用してこれを処罰しても、憲法21条1項の規定に違反するものではないとする法廷意見に対して、私は異論がない。しかし、本件は、一般公衆が自由に出入りすることのできる場所においてビラを配布するという表現の自由の行使のための手段にかかるものであつて、憲法上検討すべき問題を含むものであるから、若干の意見を補足しておきたい。

[2] 憲法21条1項の保障する表現の自由は、きわめて重要な基本的人権であるが、それが絶対無制約のものではなく、その行使によつて、他人の財産権、管理権を不当に害することの許されないことは、法廷意見の説示するとおりである。しかし、その侵害が不当なものであるかどうかを判断するにあたつて、形式的に刑罰法規に該当する行為は直ちに不当な侵害になると解するのは適当ではなく、そこでは、憲法の保障する表現の自由の価値を十分に考慮したうえで、それにもかかわらず表現の自由の行使が不当とされる場合に限つて、これを当該刑罰法規によつて処罰しても憲法に違反することにならないと解されるのであり、このような見地に立つて本件ビラ配布行為が処罰しうるものであるかどうかを判断すべきである。
[3] 一般公衆が自由に出入りすることのできる場所においてビラを配布することによつて自己の主張や意見を他人に伝達することは、表現の自由の行使のための手段の一つとして決して軽視することのできない意味をもつている。特に、社会における少数者のもつ意見は、マス・メデイアなどを通じてそれが受け手に広く知られるのを期待することは必ずしも容易ではなく、それを他人に伝える最も簡便で有効な手段の一つが、ビラ配布であるといつてよい。いかに情報伝達の方法が発達しても、ビラ配布という手段のもつ意義は否定しえないのである。この手段を規制することが、ある意見にとつて社会に伝達される機会を実質上奪う結果になることも少なくない。
[4] 以上のように、ビラ配布という手段は重要な機能をもつているが、他方において、一般公衆が自由に出入りすることのできる場所であつても、他人の所有又は管理する区域内でそれを行うときには、その者の利益に基づく制約を受けざるをえないし、またそれ以外の利益(例えば、一般公衆が妨害なくその場所を通行できることや、紙くずなどによつてその場所が汚されることを防止すること)との調整も考慮しなければならない。ビラ配布が言論出版という純粋の表現形態でなく、一定の行動を伴うものであるだけに、他の利益との較量の必要性は高いといえる。したがつて、所論のように、本件のような規制は、社会に対する明白かつ現在の危険がなければ許されないとすることは相当でないと考えられる。
[5] 以上説示したように考えると、ビラ配布の規制については、その行為が主張や意見の有効な伝達手段であることからくる表現の自由の保障においてそれがもつ価値と、それを規制することによつて確保できる他の利益とを具体的状況のもとで較量して、その許容性を判断すべきであり、形式的に刑罰法規に該当する行為というだけで、その規制を是認することは適当ではないと思われる。そして、この較量にあたつては、配布の場所の状況、規制の方法や態様、配布の態様、その意見の有効な伝達のための他の手段の存否など多くの事情が考慮されることとなろう。

[6] ある主張や意見を社会に伝達する自由を保障する場合に、その表現の場を確保することが重要な意味をもつている。特に表現の自由の行使が行動を伴うときには表現のための物理的な場所が必要となつてくる。この場所が提供されないときには、多くの意見は受け手に伝達することができないといつてもよい。一般公衆が自由に出入りできる場所は、それぞれその本来の利用目的を備えているが、それは同時に、表現のための場として役立つことが少なくない。道路、公園、広場などは、その例である。これを「パブリツク・フオーラム」と呼ぶことができよう。このパブリツク・フオーラムが表現の場所として用いられるときには、所有権や、本来の利用目的のための管理権に基づく制約を受けざるをえないとしても、その機能にかんがみ、表現の自由の保障を可能な限り配慮する必要があると考えられる。道路における集団行進についての道路交通法による規制について、警察署長は、集団行進が行われることにより一般交通の用に供せられるべき道路の機能を著しく害するものと認められ、また、条件を付することによつてもかかる事態の発生を阻止することができないと予測される場合に限つて、許可を拒むことができるとされるのも(最高裁昭和56年(あ)第561号同57年11月16日第三小法廷判決・刑集36巻11号908頁参照)、道路のもつパブリツク・フオーラムたる性質を重視するものと考えられる。
[7] もとより、道路のような公共用物と、一般公衆が自由に出入りすることのできる場所とはいえ、私的な所有権、管理権に服するところとは、性質に差異があり、同一に論ずることはできない。しかし、後者にあつても、パブリツク・フオーラムたる性質を帯有するときには、表現の自由の保障を無視することができないのであり、その場合には、それぞれの具体的状況に応じて、表現の自由と所有権、管理権とをどのように調整するかを判断すべきこととなり、前述の較量の結果、表現行為を規制することが表現の自由の保障に照らして是認できないとされる場合がありうるのである。本件に関連する「鉄道地」(鉄道営業法35条)についていえば、それは、法廷意見のいうように、鉄道の営業主体が所有又は管理する用地・地域のうち、駅のフオームやホール、線路のような直接鉄道運送業務に使用されるもの及び駅前広場のようなこれと密接不可分の利用関係にあるものを指すと解される。しかし、これらのうち、例えば駅前広場のごときは、その具体的状況によつてはパブリツク・フオーラムたる性質を強くもつことがありうるのであり、このような場合に、そこでのビラ配布を同条違反として処罰することは、憲法に反する疑いが強い。このような場合には、公共用物に類似した考え方に立つて処罰できるかどうかを判断しなければならない。

[8] 本件においては、原判決及びその是認する第一審判決の認定するところによれば、被告人らの所為が行われたのは、駅舎の一部であり、パブリツク・フオーラムたる性質は必ずしも強くなく、むしろ鉄道利用者など一般公衆の通行が支障なく行われるために駅長のもつ管理権が広く認められるべき場所であるといわざるをえず、その場所が単に「鉄道地」にあたるというだけで処罰が是認されているわけではない。したがつて、前述のような考慮を払つたとしても、原判断は正当というほかはない。

(裁判長裁判官 木戸口久治  裁判官 伊藤正己  裁判官 安岡満彦  裁判官 長島敦)
[1]、憲法第21条第1項は国民に対し一切の表現の自由を保障している。この保障は文言上は何らの制約も付せられていない。表現の自由は良心の自由の実質的保障条件であり、且人間にとつて本能的本源的要求だからであろう。従つて、国民が自己の意思に従い自己の観念を表現することは、それが如何なる場所であろうと、如何なる時刻であろうと認められるべきであるということが大原則である。

[2]、従つて、これを規制する為には、少なくとも社会に対する現在且明白な危険が存しなければならない。
[3] 然るに、本件右事情を考慮するとき、到底そのような社会に対する危険があつたとはいえない。
[4] 従つて、仮りに、外形上、鉄道営業法或いは不退去罪に該当するとしても、同法の上位法たる憲法第21条第1項には違反するものではないのである。

[5]、直接現場に居たものは、被告山本健及び山本あけみらであり、他の被告人は警察官が来てトラブルが起つた為、警察官に抗議するため現場に来たものであつて、実質的現場活動は極めて短時間軽微である。
[6] そして、抗議のために現場に来た被告人らも又、被告人山本健、同あけみも、その後は、駅構内外を流動していたものである。
[7] 原判決は、仮りに、被告人らがシヤツターより外部に居たとしても,そこは駅構内であると判示するが、仮りにその説をとつたにせよ、被告人らの行動の軽微性は明らかにされているのである。
[8] しかも、警察官は被告人らを直ちに規制し、被告人らは階段下左隅にまとまり、警察官に対し抗議行動をしたものであるから、すでにこの時点ではいわゆる駅構内における情宣行動は終つているのである。
[9] このような対応こそが鉄道営業法の予定している、表現の自由に対する保障を考慮した現実的な処置なのである(同法第42条)。
[10] 従つて、このようにして退去し、させられたときは、もはや可罰性は消滅するものと考えるべきものである。

[11]、このような現場の状況に対して、侵害を受けた表現の権利は、当時国民的問題であつた狭山事件裁判に関する集会であり、且、この集会は現場近くの公会堂で予定されており、しかも予日に迫つていて、現場が最も適切な案内説明勧誘の場所であつたものである。
[12] そして、被告人山本健は、通行人の流れを妨害することなく、極めて平和的に勧誘をしていたものである。
[13] 現場は通常、鉄道利用者以外に一般人も通行使用する準公道的場所であり、通行人らは、この貴重な集会勧誘の情報を受けることを妨害されたのである。
[14] 通行人らは、右勧誘を有意義と思いこそすれ、拒否する情況にはまつたくなかつたものであり、
[15] 検察官は、鉄道業務が妨害されたとか、ビラ屑を掃除する手間がかかつたなどと無理にも、被告人らの行動の実質的被害を主張するが、このようなものは、表現の自由を制限する理由になり得ない。
[16]、駅構内の定義につき最高裁判決はない。
[17] ところで、東京高等裁判所昭和38年3月27日判決(高刑集16巻2号194頁)は、鉄道利用客以外に現実に一般人が出入りしている空間は仮りに駅所有地であつても、人の看守する建造物にあたらないと明快に判示している。

[18]、そして、本件空間は、全部が一般人の通行に供せられ、しかも、階段下のシヤツターより外に至つては、昼夜間一切管理すらしていないものである。
[19] 従つて、前記判例によれば、当然、駅構内でもなく、又、人の看守する建造物に該らないことは明らかである。

[20]、にも拘わらず、原判決は、右判例に反して本件を駅構内及び人の看守する建造物と判示している。

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