原告主張一覧表番号 | 「接種後の状況」欄記載の事実のうち争いのない事実 |
(一) | 昭和39年11月9日夜、ひきつけ、意識障害を起こし、体温は41.9度にもなつていた。 |
(二) | 昭和45年3月18日、熱が39度2分にも上がり、同月27日、けいれん発作を生じ、同月28日昼死亡するに至つた。 |
(三) | 昭和42年3月15日、39度の発熱があり、翌16日けいれんを起こし浜松聖隷病院に入院した。 |
(四) | 昭和39年4月29日、けいれんを起こし、その後奈良県立医科大学付属病院に入院した。 |
(五) | 昭和38年6月18日、発熱し、同月24日、40度の高熱を発し、けいれん発作が始まり、埼玉中央病院に入院した。 |
(六) | 接種の翌日から39度の発熱があつた。 |
(七) | 昭和38年11月25日、広島大学付属病院小児科へ入院し、種痘後脳炎との診断を受け、治療を受けた。 |
(八) | 接種後5日位経た昭和38年9月15日ころ、けいれん発作を起こし、その後けいれん発作が頻発し、昭和44年5月12日、死亡するに至つた。 |
(九) | 昭和40年4月22日、発熱、嘔吐、けいれんを起こした。 |
(一〇) | 昭和40年12月2日ころ、39度の発熱があり、その後ひきつけを起こした。 |
(一一) | 昭和42年10月23日、けいれん発作を頻発し、その後関西医大病院に入院した。 |
(一二) | 昭和41年9月23日、発熱、けいれんを起こし、翌昭和42年2月15日以降屡々けいれん発作を繰り返すようになつた。 |
(一三) | 接種後2週間後に発熱し、約3日後両下肢に麻痺が生じ、昭和42年11月11日、横浜市民病院に入院し、脊髄性小児麻痺と診断された。 |
(一四) | 昭和45年3月18日に38度の発熱があり、同月20日午前6時ころ死亡した。 |
(一五) | 接種の翌日から高熱を発した。 |
(一六) | 接種直後、悪寒、発熱が始まり、翌昭和35年4月7日午前4時30分死亡するに至つた。 |
(一七) | 昭和33年10月15日、発熱し、同月17日、住友病院において種痘後脳炎と診断を受け、同日から同病院に入院し治療を受けた。 |
(一八) | 昭和41年4月27日ころから高熱を発し、高熱は約5日間続き、その後難聴となつた。 |
(一九) | 昭和31年12月15日発症し、昭和32年2月6日死亡するに至つた。 |
(二〇) | 昭和41年11月8日夜、けいれん発作を起こし、39度の発熱があり、同月13日死亡するに至つた。 |
(二一) | 昭和33年5月23日、発熱、けいれん発作があり、直ちに下谷病院小児科に入院し、種痘後脳炎と診断された。 |
(二二) | 昭和43年2月27日発熱し、翌々日の同月29日死亡するに至つた。 |
(二三) | 昭和41年12月20日ころから発熱があり、同月29日昏睡状態に陥り、同月31日死亡するに至つた。 |
(二四) | 昭和43年6月8日発熱し、けいれん発作が起きた。 |
(二五) | 昭和36年4月3日ころ39度の高熱を発し、同月6日死亡した。 |
(二六) | 昭和40年7月7日全身性のけいれんを起こした。 |
(二七) | 昭和44年9月23日ひきつけを起こし、その後東京女子医科大学病院小児科等で治療を受けた。 |
(二八) | 昭和39年5月21日ころ意識障害を起こし、日本医科大学附属病院に入院した。 |
(二九) | 昭和36年3月5日千葉大学医学部附属病院に入院し治療を受けた。 |
(三〇) | 昭和48年7月1日ひきつけ、発熱を起こし、同月7日東京都立荏原病院において死亡した。 |
(三一) | 昭和44年12月13日高熱のため意識不明となり、同月16日昭和大学病院小児科に入院した。 |
(三二) | 昭和42年11月16日けいれん発作を起こし、その後昭和大学病院小児科で治療を受けたが、昭和48年11月13日死亡するに至つた。 |
(三三) | 昭和40年6月7日発熱、けいれん発作を起こし、同月26日以降東京大学医学部附属病院小児科において治療を受けるようになつた。 |
(三四) | 昭和46年10月28日ひきつけを起こし、いわき市立総合磐城共立病院において治療を受けた。 |
(三五) | 昭和39年12月20日死亡した。 |
(三六) | 昭和39年3月14日発熱、ひきつけを起こし、その後名古屋市立大学病院小児科に入院し治療を受けた。 |
(三七) | 昭和36年8月3日大阪大学医学部附属病院小児科に入院した。 |
(三八) | 昭和45年10月21日よりけいれんを起こし、同月22日大阪市立十三市民病院に入院し、同月24日大阪市立桃山病院に転院した。 |
(三九) | 昭和33年10月15日けいれんを起こし、国立小倉病院に入院し治療を受けたが、昭和45年8月20日死亡した。 |
(四〇) | 昭和37年12月14日発熱、けいれんを起こし、昭和38年1月21日から同年8月8日まで東京都立大塚病院小児科に入院し治療を受けた。 |
(四一) | 昭和45年5月26日ひきつけを起こし意識不明となり、東京女子医科大学第二病院小児科において呼吸困難、けいれんを起こし、種痘後脳炎と診断され治療を受けた。 |
(四二) | 両下肢弛緩性麻痺が現われ、岡山大学医学部附属病院小児科において急性灰白髄炎と診断された。 |
(四三) | 昭和35年4月発熱、けいれんを起こした。 |
(四四) | 昭和34年11月17日浜田市内の斉藤医院に入院した。 |
(四六) | 昭和47年6月30日から発熱し、同年7月4日国立岡山病院において死亡した。 |
(四七) | 昭和43年4月8日けいれんを起こし、同日西宮回生病院において死亡した。 |
(四八) | 昭和38年6月14日東京都立大塚病院において死亡した。 |
(五〇) | 昭和37年12月4日夜から発熱、けいれん発作を起こし吹田市民病院に入院した。 |
(五一) | 昭和38年3月23日発熱、嘔吐があり、同月24日にはひきつけ、けいれんを起こし、同年4月7日死亡した。 |
(五二) | 昭和48年6月24日夕発熱し、夜にはけいれんを起こし、宮坂病院に入院したが同月26日死亡した。 |
(五三) | けいれん発作が起こつた。 |
(五四) | 昭和33年10月8日発熱、吐乳し、同月19日死亡した。 |
(五五) | 昭和44年11月13日の夕方には発熱があり、同月16日になり熱が40度に上がり、同月19日けいれんが始まり、意識不明に陥り、同月20日岩手医大病院へ転院したが、常時介護を要する重度の心身障害児となつてしまつた。 |
(五六) | 昭和27年10月27日けいれんを起こした。 |
(五七) | 昭和44年4月14日死亡するに至つた。 |
(五八) | けいれん発作を起こした。 |
(五九) | 昭和48年11月20日の夕方嘔吐、けいれん発作が起こり、けいれんは止まらず、静岡済生会病院に入院した。 |
(六〇) | 昭和49年4月28日から発熱し、同月30日にはけいれん発作を起こしてこん睡状態となり、同年5月2日静岡済生会病院に入院小児科に入室して種痘後脳症と診断された。 |
(六一) | 昭和37年11月22日発熱し、その後嘔吐を起こし、東京医科大学病院に入院し治療を受けた。 |
(六三) | 接種後に発熱し、その後全身に脱力状態が現われた。 |