あれから少しでも変わってこれたでしょうか
『絶世の美女に来世生まれ変わったらどうしますか?』先日、研究室の学生に尋ねられた。
ルックス最高の異性(同性でないところがまた面白い)に生まれ変わったら?という設定がその学生の中のブームだったらしい。
ちなみにその学生は女性なので、彼女には『サイコーのイケメンに生まれ変わったら?』の問いになるのだが、
答えは『女性のヒモになって優雅な人生を送る』のだそうだ。
私はというと、オモロイ、オチのついた答えを返せるでもなく
(どうでもいいが、広島育ちの土壌では話にオチはつかない。関西の人の話のクオリティに合わせるのは今でも難しい)、考え込んでしまった。
そもそも現代生命科学を信じるなら来世はないよなあとか考えてしまう時点でダメなのだが、
ルックスを決める遺伝子について両親からしょぼいゲノムセットしか頂戴しておらず、ルックスで得をしてきたことがないこともあって余計イメージしづらい。

しかし、ルックスに関して、私はある話をわりと信用している。
それは『40にもなると、その人の内面、人となりが顔に出てくる』『ひととし取れば自分の顔は生まれついたものではなく自分の生き方の責任だ』というものだ。
20代に甘いルックスで売ったイケメン俳優を、40代になって久しぶりにテレビで目にしたと思ったら、えっと思うくらい人相が悪くなったと感じることがあり、
そんな時はひょっとしてこの人、性格悪かったのかなあと考えたりする。
自分はどうなのだろうかと思いを巡らせる。イケメンから程遠いのは置いておいて、まあ生き方通りの顔になっているかなとも思う。
日頃の激務で疲れた表情ではあるが、何事も一生懸命するしか取り柄のない愚直な印象を受ける顔である。
目の光もまだ消えてはいないようだ。
できればもっと楽観的に明るく生きられたら、より穏やかな顔立ちになるのかもしれないが、これは永遠の課題か。

はて、皆さんはどうなのであろうか。
今回40歳になった時の理想の部屋を考えてもらった。
いろんな意図の含まれた課題であり、その人ごとに異なる意味をもたらし得るのだが、その1つは自分の将来像に思いを馳せることだろう。
40歳におけるあなたの人生の中での理想の部屋だよ、と伝えるようにした。
部屋そのものもだが、約20年後、自分はどうなっていたいのか。職業は?家族構成は?何を重視した生活?などを主に問いかけたり考えてもらったりしてみた。
それに加えて、である。上で書いたような顔の話が嘘でないとしたら、『どんな顔になっていたい?』と問うのも意味があることかもしれない。
内容は様々なレベルに及ぶだろうが、どう生きたいのか、 自分の基本スタンスをどうしたいのか、自分らしさをどう望むか、ということであろう。
先頭に立って皆を引っ張るリーダーになりたいのか、信頼できるトップを裏で支える参謀タイプが心地よいのか、
うまく立ち回って自分の益を追求する賢い生き方を目指すのか、人に利用されても自分の信念さえ貫ければ幸せを感じられるのか、
少しでも楽して生きることを是とするのか、しんどい思いをしても全力で取り組むことに価値を見出すのか。

皆さんは今、大学生という特殊な期間に居る。
幸いにして皆さんはこの稀有な期間を多くの人のおかげで頂いた。
この期間を経験することなく社会に出た大人も日本にもたくさんおられるし、
内戦の中生き抜くことに必死で、経済状態の悪い中食べていくことに精一杯で、それどころではない20歳を送っている若者も現代でもいくらでもおられる。
皆さんはこの時間をいかに使うのだろう。
私の一つのオススメは将来の顔を考えることだ。
そのためにはいろんなことを経験することだ。
そしてそこからとにかく何でも考えていく習慣を染み込ませることだ。
まずはやったことのないことを何でもやってみたらいいと思う。
楽器に憧れるなら試してみたらいい。人見知りだと思うなら接客バイトをやってみたらいい。
旅に出て、見たことのない風景を感じたらいい。人に認めてもらいたいと思ったら動画を投稿してみてもいい。
小さなことでもいい。毎日英単語を1つ覚えることだって挑戦だ。アホなことだっていいじゃないか。
高校の先生が言った忘れられない言葉『ストライキで電車が止まるやろう?お前ら何を考える?わしはその時、普段歩けない線路を歩くんや』(絶対真似しないように。念のため)。
そう言えば川根は20歳の頃、12月31日に、サークル部室で24時間耐久UNOに有志で挑戦した (翌年は25時間、翌々年は26時間、あれ何時間までやったか覚えていない)。
くだらないことをしたとは今も思っていない。
何でも自分のこれまでの縛りを取っ払ってやってみたらいいと思う。
そして大事なのは感受性というアンテナを張り、感じること。さらに感じたことから考えること。
これをする中で自分のスタンスというものが見えてくると思う(もちろん人生において変わり続けるものだとも思う。それでいいと思う)。
どんな顔になりたいか、それは人それぞれでいいはずだ。
そして40歳になってその顔を自分が悪くない、と思えればきっと幸せなのではないかと私は思う。

教室の隅 貼り出された 子供の頃の夢には 職業の種類だけが並んでた
でも本当は自分をちゃんと愛せる自分になることが 何よりも大事だった
泣いたり笑ったりして 出来た皺に愛を注げば  今日までどんな風に生きてきたかあなたに記す 心の地図
まだ自分さえ知らないような 「幸せだよ」と真っ直ぐ言えるような 笑顔の自分になりたい
  Bank Band with Salyu「 MESSAGE -メッセージ- 」(中略含む)(YouTubeで聴けます)
2017年2月 学生さんへ


まず初めに、私は2月の松の浦セミナーが好きではありません。
その理由はきっと研究室メンバーならなぜかわかるでしょう。
それはともかく、今日は間も無く卒業する4人の4年生へメッセージを伝えたいと思います。

皆さんは、約1年半前の研究室分属説明会のことを覚えていますか。
今、皆さんが研究室をもう卒業しようとしているなんて、
正直、信じられないような思いです。

徳川家康は、ゼロから徳川幕府を創立しました。
そして2代目の徳川秀忠は関ヶ原の戦いで大きな失態を犯しながらも
最終的にはいくつかの優れた制度を構築するなどして幕府をさらに発展させました。
彼は家康の築いた土台の上に、しっかりとした改革、進化を成し遂げました。

あなた方はとてもヘンです。
よくぞこの混沌の研究室に入ってきました。
私はあなた方皆さんを誇りに思います。私は幸せです。

これから皆さんの最後の松の浦での研究発表を楽しみに聞かせてもらいます。
しかし、忘れないでほしいと思います。
最も大切なのは皆さんが研究室で過ごした時間であり、
研究に取り組んだその過程だと思います。
皆さんは確かにここで息をしていました。
卒業後、自分を信じていって下さいね。
ここでやってきたことを信じて下さい。
皆さんの将来が素晴らしいものであることを祈念して止みません。

そして、研究室は…?
ストーリーは続いていくのでしょうか?
いずれわかることでしょう。。。。。見守りましょう。

20歳の川根公樹へ。

きっと元気でやってることと思います。
今、お前は何を考えてる?きっと何も考えてないよな。

20年後の理想の人生なんて考えたこともなかったし、
大学を卒業した後の事すら考えず、ただ日々やりたいことをやって過ごしてただけか。
何をやっても中途半端でいろいろ諦めようとしている頃か?
学業は周りの凄いやつらにかないっこないと早々にシッポを巻いてしまったか。

いろんなことをやりたいのはいいがクビをつっこみすぎてどれもモノにならない。
楽器も、テニスも、小説書きも。
とりあえず空虚な居場所を各所に作って、
一つがうまくいかなければ、俺にはほかがあるさ、と次から次へと逃げ回ってまた一巡か。
一人っ子で甘やかされて育ったツケがまわって自分勝手で社交性もないし、
気のきいた言動もできないくせに惚れやすいもんだから、おおかたまたふられたところだろう。

今考えると、本当にお前はどうしようもないヤツだなあ。
それを考えると今の俺が充実した人生を送っているのは不思議だなあ。
何も考えていないお前にはピンとこないか。
そんなお前にアドバイスできることなんてないが、いくらかは言ってやろう。

お前、大学の4年間でいろんなことやることになるんだよ。
あれは多分よかったよ。
派遣会社に登録して、いろんな業種のバイトやってみたのは大きかった。
世の中にはいろんな仕事があって、それぞれいろんなスキルが大切であることがわかったよな。

そして来年お前は、きっと沖縄の民宿で住み込みバイトをやるよ。
つらい思いをするが絶対いけよ。
このままでは、お前は社会的に誰にも相手にされないか、嫌われる人間なんだということを思い知るから。
試験で点を取るという能力より大事な能力が人生では必要となる、なんて当たり前のことも認識する。
そこで己を知り、何が大事で何を変えなくちゃならないのかを心に刻め。

そして再来年、きっとお前はインドデビューする。
長いインドとのおつきあいの始まりだ。
旅は危なっかしいことの連続だが、お前はここで少しだけ逞しくなるすべを覚える。
世界の多様性を知り、価値観に普遍性が存在しないことを改めて認識する。
そして人がもっと好きになる。
もともとお前の中にあって、表に現れきれなかった部分が一気にカラを破って飛び出してくる。

こう振り返るとお前はお前なりに何かやろうとしてたのかな。
自分勝手な甘えん坊には違いなかったけど苦しむことはやめなかったか。
何も取り柄が見付からないこと、人間関係も上手に立ち回れないこと、悩みには際限がなかった。

今も同じ悩みは解消することはないけど、
何かしら少しずつ前進する20年間が、お前のこの先に訪れるだろう。
それは悩む事をやめなかったからかもしれない。
しかしそれ以上にお前はラッキーだったのは間違いない。
お前はひ弱な人間だから、突き放されたらはいあがってこれない。
そのかわり、何か少し認めてくれたり褒めてくれたりする人がいると俄然頑張れるんだ。

中高の恩師倉光誠一先生に出会えたのは大きかった。
誠実のかたまりでいつも笑顔で愛情を注いでくれる生物の先生に出会ってお前は幸せだった。
生物の楽しさもしっかり教えてもらったから、
数学も化学も物理も大学入学早々1ヶ月で全部断念したけど、
生物だけは読書の独学と自主ゼミで何とか学んでいったな。

在学時から創作三昧で当然のように作家デビューした友達が『俺、川根の文章は好きやで』と言ってくれたこと、
自主ゼミを主宰されていた市川康夫先生が
俳優のようなリアクションで目を丸くして『あんた!発表、うまいな!』と言って下さったことなどが
間違いなくずっと自分の支えになって、お前は少しずつ自分を認めてやれるようになるんだ。
お前は本当に周りに活かされていくな。
自力で立って歩ける逞しさは決してなかった。
周りの人々の補助をその都度もらいながら遅々としてだが成長していくんだ。

そうそう教えておいてやってもいいかな。
今、俺は研究者と教員と二足のわらじをはいているのだ。
今、お前と同じ位の年齢の学生に接している。
甘えん坊で逞しさが足りない学生、簡単には頑張れない学生も多い。
礼儀も感謝の気持ちを持つという大事な部分も不足していて頭にくることもある。
でも今のお前もそんなもんだし、下手をするとひねくれてない分お前よりずっとましだな。
だからかどうかわからないけど、ヤツラはとてもかわいい。
昔の自分とかぶるからか?
自分が好き勝手生きた年代を今、生きる存在だからか?
わからない。けど間違いなくかわいいんだよ。

俺は何かヤツラにしてやれることを探そうとしている。
人に何ができるような大層な人間ではないし、
思い上がった考えかもしれないのも知ってるけど、探して試してみたい。
自分が多くの人に、時には過保護なほどに助けてもらいながら成長してきたとするなら、
今度はお前がそれをやってやれよ、というのは強ち筋が通らない話でもないだろう。
何が正しいかはわからないし、きっと正しいこともないのなら、今はそれをやってみるしかない。

何の話だったっけ。
そうだ、20年前の俺、お前に手紙を書いていたんだ。
今の自分を思い、20年前の自分を思ったとき、
今の気持ちを、迷いを、その中での決意をお前に聞いて欲しかったのだろうか。

あれ、何か手紙が来ている。
20年前の川根公樹へ、60歳の川根公樹から、とある。
何が書いてあるのだろう。
1-2年で心折れるから無駄な努力はやめろ、と書いてあるのかもしれない。
このまま努力を続けると体を壊して半身不随になる運命だからやめておけ、と書いてあるかもしれない。
見ると本当に心折れてしまうかもしれない。
届いたこの手紙は開封せずに燃やしてしまおう。

みなさんのフレッシャーズの自己紹介、読ませてもらってます。
まず驚いたのが皆さんの写真。
いい表情の、あるいは素敵な笑顔の写真が沢山並んでいると思いました。
写真を撮られるのが苦手なのだなという感じの少し固めの人から、恥ずかしそうな笑顔の人もいれば、
はじけるような(実際はじけている)笑顔の人もいても勿論様々ですが、
総じて良い表情をしているように感じました。
見てるだけで楽しい気持ちになるような笑顔や良い表情の写真が多いです。

実際の皆さんを離れて眺めていても、笑顔を見掛けることが多い気がしますし、
私に対しても少し慣れてきたのか、初めの頃より豊かな表情を見せてくれることが多くなった気がしています。

フランスで暮らしていろんなことを感じましたが、
強い印象を持ったことの一つは、フランスの人は喜怒哀楽を隠そうともしない豊かな表情、素敵な笑顔をすることでした。
感じたことはここでは上手く書き切れないですし伝え切れないですが、彼らは人生を楽しく生きる術を知っていると思います。
自由に、自分に素直に生きているから開放的で感情豊かだし、作り笑顔ではない心からの笑顔が増えるのだと思っています。

フランスで1年程暮らして、日本に10日間、一時帰国した時、朝の通勤時間にJRに 乗って神戸から新大阪に行きました。
そこで目にした通勤中のおっちゃんの疲れた顔、死んでる目、無表情で視線も不確かで、ただ早足で駅を歩いている姿。
それらを目にして寒気がしました。
日本の大人は疲れ過ぎています。
これだけ物に恵まれ、サービスも整って快適なものも沢山あり(フランスは決してそんなことはありません)、
日本をリスペクトしているフランス人にも沢山出会いました。
でも大多数の日本人(特に大人)って日々の自分を幸せだと思って、笑顔で生きていけてるのかな、
と強く疑問を感じてしまいました。
これは一つの個人的意見で、みんながみんなそうではないと思うし、私の誤解もあるかもしれないのですが。

ワールドカップで寝不足になっている人もいるでしょうか。
私は前回のワールドカップはちょうどフランスに行ったばかりの頃で、
実はその大会ではフランスは無様な敗退をしたので皆、怒りまくっていたのを覚えていますが、
それを今思い出した時に、次の4年後のことに思いを馳せてしまいました。
次のワールドカップを、みなさんはどこで、どんな生活の中で見ているんだろう。
4年間でよいこともあまりよくないことも身に付け(成長とはそういうものなのだと思います)、
明らかに今より成長し、変化しているのは間違いないでしょう。
でも、どんな変化があっても、どこで何をしててもいいから、とにかく笑顔でいてくれたらなあ、と願います。
ー生物学通論A 第十回終了時

川根 担当分 終了しました。
みなさんお疲れさま。
無事終わったかなという感想です。
みなさんが1年の時からの付き合いだったらもっと個々人と向き合っていろいろできたかもしれないのにな
との思いはありますが、精一杯やってみました。

生命科学への関心の温度差もかなりあるだろう中、思ったよりちゃんと取り組んでくれていたような印象です。
ハエの実験も、嫌な人も多かったと思いますが、がんばって考えて、答えを出してくれていたように思います。

最終日の内容は、自由度の中、とにかく考える作業を行ってほしいのが狙いでした。
わからないものに答えを出すために考えていく過程の大事さや楽しさまで伝われば最高なのですが。

今回は実習ですから模範解答があります。
簡単にですが私と答え合わせのようなこともしました。
しかし、これから社会に出ようとするみなさん、
世の中には答えがないことばかりであることにどれだけ気づけていますか。
目先のことをとってみても、間もなくに迫った研究室の分属先の希望だって答えを誰も教えてくれませんし、
どこにも模範解答はのっていません。
ただ自分が考え、自分なりの結論を出すしかない。

将来営業になった時、売り上げを延ばすためにどうすればいいのか。
教師になった人は生徒に何をどう伝えたらいいのか。
答えはなくても考えるしかないのだと思います。
考える力を少しでも身につけてほしいと願います。
考える力こそが生きる力です。
卒業して就職していく人、分属先での研究室活動は、これを養う貴重な機会としてほしいと願います。

生命科学、研究に興味があるみなさん、
研究活動は、平たく言えば今日のような作業で答えを探していく活動です。
しかし、難しさは格段に比べようもなく異なります。
(これに魅力を感じられる人にとっては楽しさも格段に違うことにもなるのですが)
真理という答えは存在しますが、誰もその正解をまだ知っていません。
自分が初めて答えを出し、本当にその答えが正しいのか、胃が痛くなる不安の中、
一つずつ他の可能性を排除するなどしてそれが真理である事を証明しなければなりません。
またその証明のためにはどのような戦略をとり、
どのような実験を行っていかなければならないかも自分で考え、決断しなければなりません。

さらに先に進むと、問題すら自分で考えなければなりません。
自分は何を知りたいのか、どんな問題を設定するのかは実は研究で一番大事な点です。
模範解答もなく、解き方も不明で、問題すら書かれていない白紙だけを渡されて行うテストをイメージできるでしょうか。
理屈っぽくこのようなことを言われても鬱陶しく感じるかもしれませんが、
この機会に改めて考えて欲しいなと思います。
ー実習終了時

皆さんとこの課題に向き合っている期間にとうとう私も40歳になりました。
私は今の皆さんの時期、自分の40歳の像など具体的に真剣に考えることなく日々を生きており、
ビジョンとしてあったのは生物学の研究をしたいという希望だけでした。
その後も刹那的努力は自分なりに続けて来ましたが、
長期ビジョンに基づいた計画性といったものの乏しいまま生きてきた気がします。
だから皆さんにこの課題を説明する時も、少し歯切れが悪くなっていたかもしれません。

20年後のビジョンを描くことは、多くのことを考えるきっかけになるでしょう。
理想の家族像は自分の対人関係に対するスタンスを自己分析する機会をもたらすでしょうし、
どんな仕事に携わり人生の重みをどれだけ振り分けたいかをイメージすれば、
その実現のための日々のあり方や長期計画も立案していけるかもしれません。
しかし一方で時代は確実に変容します。
体験、経験の積み重ねによって自分の考えも感じ方も変わります。
運命の人との出会いはそれまでの生き方を一変させるかもしれません。
インドで彼らの死生観に影響を受け価値観が覆される人もいます。
そして描いた計画も理想も実現するとは限らず、
いつか現実を前に修正や断念をする決断を迫られるかもしれません。

そう考えると私は、安易かもしれませんが“今”というこの時間が大層貴重なものに感じます。
今を充実した思いで生きることが私にとっては“幸せ”に直結するように思います。
私には宝くじはあたらず、家にも職場にもソファーもありませんが、
今の日々をしっかりと愛おしく生きています。

今、皆さんは日々が充実しているでしょうか?
それに伴って心から笑顔になれる時間が持てていますか?
そうであればいいなあと願います。
その積み重ね、または発展型として40歳でも60歳でもそうであったらいいなあと願います。
この4年間で (再履修の人もまだ1年半以上あります)、 多くの経験をし、
感じ、考え、充実した日々を送り笑顔で生きていける力、
自分の内外の変化に対応して道を修正または新たに拓いていく力を養って欲しいと思います。
その基盤になる力こそが考える力であり、
これを身に付けることができれば大学時代の時間は皆さんの人生にとっての大きな糧となることでしょう。
そして自分の幸せを見つけ自分の人生を歩んでほしいと思います。

将来の自分を考えることが得意でない私ですが
“40を迎えた皆さんが笑顔で生きていること”を20年後の夢の一つにさせてもらおうかな。
(それから嶋本先生、80過ぎても今の勢いでお願いします)

-フレッシャーズ作品集でのメッセージ

研究室での1日 (2016年6月開催のオープンキャンパスで発表)