Galileo

ガリレオ通信

第3号

(November 7, 1996)



【天文対話】
ゼミナールOBの諸君,元気ですか。この度は森枝君の近況報告と山本君の愉快な山登り日記が掲載されて,充実した内容となりました。どうぞご笑覧ください。また,合宿の日程が決まりましたので,お知らせいたします。由起さんもわたしたちと一緒に空沼の山中で夜空を仰いだ仲間ですから,どうぞ遠慮せずに参加してください。(う)

【ゼミナールの近況】
今年(’96年)は,三年,四年合同でゼミをやっておりますが,ただいま三冊目の末廣昭『タイ──開発と民主主義──』(岩波新書)を輪読している途中です。毎回ゼミナールのたびに,本を読むときは,著者の「説得の戦略」に即して内容を把握しなさい,と言われているのですが,まだまだ修行が足りないためか,なかなか説得の戦略がつかめず,もっと勉強しなければいけないな,と痛感させられます。でも,少なくとも,三年の最初の頃よりは,本が読めるようになったと思います。これから四冊目の,ポール・A・コーエン『知の帝国主義――オリエンタリズムと中国像――』佐藤慎一訳(平凡社)を読んでいきますが,四年にとっては最後のゼミナールで読む本ですので,一つ気合いを入れてやっていこうと思っています。(も)

【山登り日記――恵庭岳の巻,その1――】
 今回我々が登った山は恵庭岳である。山登りとキャンプをかねようという壮大な計画のもとにこのプロジェクトは進んだ。我々が完璧に立てた計画は,上野隊長の命令により,幾度か修正を命じられ,より完璧なものとなった。

この計画を元に,我々は,6月8日,情報大前より二台の車で出発した。準備万端,天気は晴れ。申し分なしである。我々は最初,上野隊長の家に向かった。隊員の森枝と山本が,隊長を迎えに行き,隊長の荷物を持って車に戻った。隊長は中谷の車に乗り込んだ。さっそく出発し,目的地の支笏湖へと向かった。だが車に乗って数分後,我々の完璧な計画にトラブルが生じた。堀の運転する車が,ロストしてしまったのだ。二台で一緒に目的地に行こうという計画が早くも変更になってしまった。数分後,堀の車を発見した隊長は,二台の車が別々で目的地に向かうように指示した。突然のトラブルであったが,夕方には無事に目的地である支笏湖に二台ともたどり着いた。さっそくテントをたて,我々は,夕食の準備にとりかかった。

夕食のメニューはすき焼きである。隊員である森枝は,ご飯をとぎに行き,堀と中谷は火を起こし,すき焼きの用意にとりかかった。周りの人は明日が平日であるため(この日は日曜日),続々と帰る準備をしている。夜には,我々だけになる予定であった。すき焼き鍋を火にかけ,我々の長い長い夕食が始まった。

五時か六時頃から(正確な時刻は記憶にないが),すき焼きを食べ始めた。当初はまともな,すき焼きだったのだが,あたりが真っ暗になり,人がほとんどいなくなると,すき焼きが石焼きになった。大きな石で炭を囲っていたため,石が熱を帯びて熱くなり,鉄板の役目を果たすようになったのだ。発案者は誰だったかわからない。とにかく誰かが石の上で,肉だの野菜だのを焼きだした。隊長は,ビールの缶を何本かあけ,ウイスキーをストレートで飲んでいたため,すでに無敵の状態になっていた。そのため,石焼きをしたときも,「どんどんやっちゃえ!」と,石の上に肉,うどん,野菜と,どんどんのっけて炭だか食い物だか分からないものを食べていた。我々も,もちろん食べたのだが,これが結構おいしいのである。まさに野生と化していた我々は,ひたすら食べ続けていた。時間にして五時間以上は食べ続けていたのではないだろうか。よく胃が壊れなかったものである。隊員の堀は自分のビールがなくなったため,先生からウイスキーをもらっていたが,彼もよい気分になったのであろうか。「上を向いて歩こう」を声高に歌っていた(だが堀は次の日,二日酔いのため,山登りをすることなく帰ることになる)。

この日の夜は結局眠ることはなかった。我々は隊長とともに人生を語り,星を眺めた。これは私の思い出の中でも,深く印象に残っていることなのであるが,隊長は,星を眺めて,我々にこう言ったのである。「古代の人は,想像力を膨らませ,ただの星の集まりからいくつもの神話を作っていった。……古代の人たちは現代人なんかよりもずっと,想像力をもった人たちだったんじゃないか。」私はこの言葉を聞いて,現代人が物質的なものをたくさん得た代わりに失った,人間が本来持っていた力について考えた。クラッシックの音楽を聴きながら,我々は,深い感動と,ゆったりと流れる時間,途中で出てきて隊長に一喝されて逃げていった狐とともに,一夜を過ごしていった。(Tom saw や)

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【星界の報告】
★★1995年3月卒◆恵子さんから年賀状を頂きました。とても元気そう。いま帯広の気象台で働いています。 ★★1996年の卒業生◆ 由起さんから,暑中の礼状を頂きました。和紙で作られた綺麗な葉書です。一緒に空沼岳に登ったのは2年前の94年秋のことです(当時は北星学園大学の学生でした)。仕事が忙しくて旅行が出来ないとぼやいてますが,少林寺拳法を習いはじめたとのこと。やるね。斎藤君のニュージーランド行に心動かされて,私もひとつやってやろう……とのこと。江別の「夢創造」で働いていますから,訪ねてあげてください。 ◆大樹くんは,職場で良い先輩に恵まれて楽しそうです。また,ローター・アクトという社会福祉団体で活動しはじめました。 ◆ニュージーランドに遊学している達郎くんから美しい絵葉書と,しばらくしてさらに英文の手紙が届きました。英文は韻を踏んだり,随所に技巧が凝らされていて,なかなかの名文です。少し引用いたしましょう。「How are you getting on these days? It is winter in New Zealand now, nevertheless, I cannot regard this season as winter. There is no snow and harsh cold, so it is comfortable to stay for me except high humidity. Yes indeed, I hate high humidity of Auckland, but I love high humanity of Aucklanders. 」いま英語でヘミングウェイの『老人と海』やカミュの『異邦人』を読んでいるそうです。

【JOCS】
公開講義とゼミナールでお話し頂いた柳沢さんと東海林さんからお便りを頂きました。★柳沢さん:「私はいろいろあって,いま小布施の新生病院で保健婦をしています。とりあえず来年三月までの予定です。在宅介護の仕事が中心で,日本の老人介護の現状と組み合ったり,学ばされたりの毎日です。」
★東海林さんは,落ち込んだときに,皆の書いてくれた「公開講義」の感想文を読んで力を得るのだそうです。「今,井伏鱒二の『黒い雨』を読んでいます。人間性のあるがままが描かれていて,現代と50年前,そして日本とバングラデシュの人々の中に共通する点がいくつかあることに気付かされています。上京の折は是非お知らせ下さいませ。読後感などおしゃべりしたいですネ。年賀状の写真,御自分で撮影されたのですか?ステキですね。どこの海でしょう?」(注:海ではなく,湖です。カリフォルニア州モノ湖。――上野)

【青年海外協力隊】
いま私の友人の杉村寛さんが青年海外協力隊のメンバーとして,エチオピアのアディスアベバに滞在して,配管工事関係の仕事に従事しています。彼から手紙が届きました。貴重な現地報告が含まれているので,お伝えいたしましょう。「市内には動物(主に家畜)が多く,山羊やろば,牛などが町のいたるところで,猫の額のような僅かな草を食んでいます。アフリカの主な国の首都で,これほど町中の動物の数が多い国も珍しいと言われています。夜になるとアディスアベバ市内にも,ハイエナが出没します。主に家畜や犬などがハイエナに襲われていますが,時々路上で生活している乞食が,寝ているところを襲われることもあります。……市内でも,約9割がスラムに住み,65%以上が失業しているといわれるこの国では,「技術移転がどうだとか,新しい工法がどうだとか」といった段階までは,まだまだ至っておらず,皆がいかにして自分の苦しい生活から這いあがるかということだけで,頭が一杯といったところだと思います。
 ちなみに私の住んでいる家も,ほとんど一日中断水していますが,地区によってはそれが普通です。またアディスアベバの比較的低い土地では標高差が数百メートルもあるため,水道管の水圧が異常に高圧で器具や温水器の管体が破損します。……
 こちらで生活していると,日本の物質の豊かさは異常と思えてしかたありません。本当の豊かさとは何なのか,この頃よく考えてしまいます。物資的に満たされることが豊かさであると考えがちな日本社会の現状ですが,この国の人々の本質的に満たされないことからくる飢えと,日本社会においての……
 エティオピア人は誇り高い民族ですが,気質はなぜかアジア系の人種と似ており,礼儀正しく,恥ずかしがりやです。しかし……何か過ちをおかしたとしても,絶対に謝りません。アムハラ語で I'm sorry をアズナロフと言いますが,JOCVエティオピア隊員の間でも,その言葉は聞いたことがないとよく話題になります。また彼らは,自分たちのことを黒人とは思っていません。自分たちはブラウンであってブラックではないと自信を持って言います。そして他のアフリカ諸国の人々をアフリカンと言って見下しています。
 ……このような国ですが,私は嫌いではありません。大好きですとは言えませんが,そう言えるようになって帰国できるよう残りの任期を頑張りたいと思います。」

【冬合宿へのお誘い】
今年も上野ゼミナール恒例の冬合宿のシーズンがやってまいりました。この合宿はゼミナールOBをはじめ,この手紙を受け取った人に自由に参加して頂くことになっております。参加を希望する場合は,各自で宿に予約を入れて,突然「あっ,と驚くようなかたちで」現地で直接お会いすることになりますが,行動をともにしたい場合は,上野まで詳細な日程についてお尋ね下さい。今年は学生の希望により秘湯「菅野温泉」に場所を移すことになりました。宿の方では新得まで迎えにきてくれることになっております(帯広・新得からバスで2時間くらい)。野趣たっぷりの温泉ですので,上野ゼミの原点に戻れると思います。OBの諸君もたまには顔を見せて近況を語ってください。言うまでもありませんが,参加する場合には,ちゃんと書物を読んで,自分の感想なり意見をまとめておくように。

と  き:1996年12月13日〜15日(2泊3日)
と こ ろ:然別峡 菅野温泉 (帯広の北方約58キロ)
統一論題:ジョン・ラスキンとその思想的射程
テキスト:クエンティン・ベル『ラスキン』出淵敬子訳,晶文社, 1989.(\1,960)
参考文献:上野継義「神話と社会科学――ラスキン経済学に学ぶ――」『北海道情報大学紀要』

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 時節柄,風邪などひかぬように。ガリレオ通信は住所のわかる人全員に送りました。どうぞ諸君の近況をお伝えください。
1996年11月7日


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