カンボジア取材手帳から
(抄録)
上 野 継 義
遠くから観察すれば,荒海の逆巻く波涛も平面に見える。
ところが実は,大波のあいだには淵や深みがある。その底にあれば,堂々たる船の竜骨はおろか艫やマストや帆さえもかくれてしまう。 ──ガリレオ・ガリレイ『星界の報告』 |
1 カンボジア空港にて
「あなた,ザックの口が開いていますよ。」わたしは,カンボジア空港の待合室で,ザックの紐を解いたままうろうろしているひとりの日本人旅行客に声をかけて注意してあげた。五十絡みのこの女性は,仏像を背負い聖地巡礼の旅に来たという。ザックの口は意図的に開けたままにしているとのことで,仏様にカンボジアを見せてあげたいとの一心からである。この巡礼者の信心にはまことに恐れ入った。
だが,この女性がさらに言葉をついで,カンボジアには乞食が多く,子供たちは裸で着るものなく,人々は粗末な小屋に住んでいる,と不快そうに語りはじめるや,わたしは思わず反論してしまった。一見粗末に見える住居は風とうしがよくこの地の気候によく適合しているのであり,子供が裸なのも必ずしも貧しさのゆえばかりとはいえず,これまたひとつの生活様式なのだ,と。カンボジアの人々を弁護せずにはいられない自分自身にふと気づき,わたしは口ごもってしまった。どうやら知らぬ間にカンボジアがわたしの心の中心を捉えてしまったような気がする。
この巡礼者が言うように,手を出してものを乞う人のいるのは残念ながら事実である。経済的に貧しいのも否定しえない。政治は腐敗し治安にも問題は多い。だが,この国の人々が負ってきた苦難の歴史に思いを馳せ,かたや日本の歴史的責任を再確認するならば,わたしたちの視点はおのずと変わってくるのではあるまいか。そのような否定的側面の存在を事実として受けとめながら,それにもかかわらず彼らの美しいところ,かけがえのないものを見いだしていきたい。
2 バティ病院の一室にて(3月30日)
病院の一室でカメラのレンズを磨いていると,たくさんの子供たちが集まってきた。窓から覗く子供,扉の陰から半身でぼくの作業をじっと見つめる子供たち。ところがカメラを向けると蜘蛛の子を散らしたようにキャッキャッと歓声をあげながら逃げ回る,飛び回る。そしてしばらくすると,またもや窓や扉の隙間から様子を眺めに寄って来る。これを何度も繰り返す。
3 蓮の花を摘む少年
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A Boy in the Lotus Pond, Bati Hospital
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バティ病院の庭に大きな方形の池がある。茶色く濁った水面に色鮮やかな蓮の花が一面に咲きみだれている。病院への訪問を重ねるうちに,この池に蓮の花を摘みにくるひとりの少年のいることに気がついた。カメラを向けると不安げな眼差しでこちらを見上げるが,二度目に会ったときにはカメラのことなど気にかけずにひたすら花を摘み続ける。池に腰まで浸かり,半ば泳ぐように半ば歩くようにスイスイと上手に動き回り,またたくまに花の束を作り上げていく。見事なものだ。市場にでも持っていって売るのであろうか。この少年の眼差しが忘れられない。
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