レペタ法廷メモ訴訟
上告審判決

メモ採取不許可国家賠償請求事件
最高裁判所 昭和63年(オ)436号
平成元年3月8日 大法廷 判決

上告人 ローレンス・レペタ
 右訴訟代理人弁護士 秋山幹男 鈴木五十三 喜田村洋一 三宅弘 山岸和彦

被上告人 国
 右代表者法務大臣  高辻正己
 右指定代理人    岩佐善巳 外9名

■ 主 文
■ 理 由
■ 裁判官四ツ谷巖の意見

■ 上告代理人秋山幹男、同鈴木五十三、同喜田村洋一、同三宅弘、同山岸和彦の上告理由

 右当事者間の東京高等裁判所昭和62年(ネ)第396号メモ採取不許可国家賠償請求事件について、同裁判所が昭和62年12月25日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があり、被上告人は上告棄却の判決を求めた。よって、当裁判所は次のとおり判決する。


 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人の負担とする。

[1] 原審の確定した事実関係は、次のとおりである。
[2] 上告人は、米国ワシントン州弁護士の資格を有する者で、国際交流基金の特別研究員として我が国における証券市場及びこれに関する法的規制の研究に従事し、右研究の一環として、昭和57年10月以来、東京地方裁判所における被告人甲野一郎に対する所得税法違反被告事件の各公判期日における公判を傍聴した。右事件を担当する裁判長(以下「本件裁判長」という。)は、各公判期日において傍聴人がメモを取ることをあらかじめ一般的に禁止していたので、上告人は、各公判期日に先立ちその許可を求めたが、本件裁判長はこれを許さなかった。本件裁判長は、司法記者クラブ所属の報道機関の記者に対しては、各公判期日においてメモを取ることを許可していた。

[3] 憲法82条1項の規定は、裁判の対審及び判決が公開の法廷で行われるべきことを定めているが、その趣旨は、裁判を一般に公開して裁判が公正に行われることを制度として保障し、ひいては裁判に対する国民の信頼を確保しようとすることにある。
[4] 裁判の公開が制度として保障されていることに伴い、各人は、裁判を傍聴することができることとなるが、右規定は、各人が裁判所に対して傍聴することを権利として要求できることまでを認めたものでないことはもとより、傍聴人に対して法廷においてメモを取ることを権利として保障しているものではないことも、いうまでもないところである。

[5]三1 憲法21条1項の規定は、表現の自由を保障している。そうして、各人が自由にさまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取する機会をもつことは、その者が個人として自己の思想及び人格を形成、発展させ、社会生活の中にこれを反映させていく上において欠くことのできないものであり、民主主義社会における思想及び情報の自由な伝達、交流の確保という基本的原理を真に実効あるものたらしめるためにも必要であって、このような情報等に接し、これを摂取する自由は、右規定の趣旨、目的から、いわばその派生原理として当然に導かれるところである(最高裁昭和52年(オ)第927号同58年6月22日大法廷判決・民集37巻5号793頁参照)。市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「人権規約」という。)19条2項の規定も、同様の趣旨にほかならない。
[6] 筆記行為は、一般的には人の生活活動の一つであり、生活のさまざまな場面において行われ、極めて広い範囲に及んでいるから、そのすべてが憲法の保障する自由に関係するものということはできないが、さまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取することを補助するものとしてなされる限り、筆記行為の自由は、憲法21条1項の規定の精神に照らして尊重されるべきであるといわなければならない。
[7] 裁判の公開が制度として保障されていることに伴い、傍聴人は法廷における裁判を見聞することができるのであるから、傍聴人が法廷においてメモを取ることは、その見聞する裁判を認識、記憶するためになされるものである限り、尊重に値し、故なく妨げられてはならないものというべきである。

[8] もっとも、情報等の摂取を補助するためにする筆記行為の自由といえども、他者の人権と衝突する場合にはそれとの調整を図る上において、又はこれに優越する公共の利益が存在する場合にはそれを確保する必要から、一定の合理的制限を受けることがあることはやむを得ないところである。しかも、右の筆記行為の自由は、憲法21条1項の規定によって直接保障されている表現の自由そのものとは異なるものであるから、その制限又は禁止には、表現の自由に制約を加える場合に一般に必要とされる厳格な基準が要求されるものではないというべきである。
[9] これを傍聴人のメモを取る行為についていえば、法廷は、事件を審理、裁判する場、すなわち、事実を審究し、法律を適用して、適正かつ迅速な裁判を実現すべく、裁判官及び訴訟関係人が全神経を集中すべき場であって、そこにおいて最も尊重されなければならないのは、適正かつ迅速な裁判を実現することである。傍聴人は、裁判官及び訴訟関係人と異なり、その活動を見聞する者であって、裁判に関与して何らかの積極的な活動をすることを予定されている者ではない。したがって、公正かつ円滑な訴訟の運営は、傍聴人がメモを取ることに比べれば、はるかに優越する法益であることは多言を要しないところである。してみれば、そのメモを取る行為がいささかでも法廷における公正かつ円滑な訴訟の運営を妨げる場合には、それが制限又は禁止されるべきことは当然であるというべきである。適正な裁判の実現のためには、傍聴それ自体をも制限することができるとされているところでもある(刑訴規則202条、123条2項参照)。
[10] メモを取る行為が意を通じた傍聴人によって一斉に行われるなど、それがデモンストレーションの様相を呈する場合などは論外としても、当該事件の内容、証人、被告人の年齢や性格、傍聴人と事件との関係等の諸事情によっては、メモを取る行為そのものが、審理、裁判の場にふさわしくない雰囲気を醸し出したり、証人、被告人に不当な心理的圧迫などの影響を及ぼしたりすることがあり、ひいては公正かつ円滑な訴訟の運営が妨げられるおそれが生ずる場合のあり得ることは否定できない。
[11] しかしながら、それにもかかわらず、傍聴人のメモを取る行為が公正かつ円滑な訴訟の運営を妨げるに至ることは、通常はあり得ないのであって、特段の事情のない限り、これを傍聴人の自由に任せるべきであり、それが憲法21条1項の規定の精神に合致するものということができる。

[12]五1 法廷を主宰する裁判長(開廷をした1人の裁判官を含む。以下同じ。)には、裁判所の職務の執行を妨げ、又は不当な行状をする者に対して、法廷の秩序を維持するため相当な処分をする権限が付与されている(裁判所法71条、刑訴法288条2項)。右の法廷警察権は、法廷における訴訟の運営に対する傍聴人等の妨害を抑制、排除し、適正かつ迅速な裁判の実現という憲法上の要請を満たすために裁判長に付与された権限である。しかも、裁判所の職務の執行を妨げたり、法廷の秩序を乱したりする行為は、裁判の各場面においてさまざまな形で現れ得るものであり、法廷警察権は、右の各場面において、その都度、これに即応して適切に行使されなければならないことにかんがみれば、その行使は、当該法廷の状況等を最も的確に把握し得る立場にあり、かつ、訴訟の進行に全責任をもつ裁判長の広範な裁量に委ねられて然るべきものというべきであるから、その行使の要否、執るべき措置についての裁判長の判断は、最大限に尊重されなければならないのである。
[13] 裁判所法71条、刑訴法288条2項の各規定により、法廷において裁判所の職務の執行を妨げ、又は不当な行状をする者に対し、裁判長が法廷の秩序を維持するため相当な処分をすることが認められている以上、裁判長は、傍聴人のメモを取る行為といえども、公正かつ円滑な訴訟の運営の妨げとなるおそれがある場合は、この権限に基づいて、当然これを禁止又は規制する措置を執ることができるものと解するのが相当であるから、実定法上、法廷において傍聴人に対してメモを取る行為を禁止する根拠となる規定が存在しないということはできない。
[14] また、人権規約19条3項の規定は、情報等の受領等の自由を含む表現の自由についての権利の行使に制限を課するには法律の定めを要することをいうものであるから、前示の各法律の規定に基づく法廷警察権による傍聴人のメモを取る行為の制限は、何ら人権規約の右規定に違反するものではない。
[15] 裁判長は傍聴人がメモを取ることをその自由に任せるべきであり、それが憲法21条1項の規定の精神に合致するものであることは、前示のとおりである。裁判長としては、特に具体的に公正かつ円滑な訴訟の運営の妨げとなるおそれがある場合においてのみ、法廷警察権によりこれを制限又は禁止するという取扱いをすることが望ましいといわなければならないが、事件の内容、傍聴人の状況その他当該法廷の具体的状況によっては、傍聴人がメモを取ることをあらかじめ一般的に禁止し、状況に応じて個別的にこれを許可するという取扱いも、傍聴人がメモを取ることを故なく妨げることとならない限り、裁判長の裁量の範囲内の措置として許容されるものというべきである。

[16] 本件裁判長が、各公判期日において、上告人に対してはメモを取ることを禁止しながら、司法記者クラブ所属の報道機関の記者に対してはこれを許可していたことは、前示のとおりである。
[17] 憲法14条1項の規定は、各人に対し絶対的な平等を保障したものではなく、合理的理由なくして差別することを禁止する趣旨であって、それぞれの事実上の差異に相応して法的取扱いを区別することは、その区別が合理性を有する限り、何ら右規定に違反するものではないと解すべきである(最高裁昭和55年(行ツ)第15号同60年3月27日大法廷判決・民集39巻2号247頁等参照)とともに、報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供するものであって、事実の報道の自由は、表現の自由を定めた憲法21条1項の規定の保障の下にあることはいうまでもなく、このような報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道のための取材の自由も、憲法21条の規定の精神に照らし、十分尊重に値するものである(最高裁昭和44年(し)第68号同年11月26日大法廷決定・刑集23巻11号1490頁)。
[18] そうであってみれば、以上の趣旨が法廷警察権の行使に当たって配慮されることがあっても、裁判の報道の重要性に照らせば当然であり、報道の公共性、ひいては報道のための取材の自由に対する配慮に基づき、司法記者クラブ所属の報道機関の記者に対してのみ法廷においてメモを取ることを許可することも、合理性を欠く措置ということはできないというべきである。
[19] 本件裁判長において執った右の措置は、このような配慮に基づくものと思料されるから、合理性を欠くとまでいうことはできず、憲法14条1項の規定に違反するものではない。

[20]七1 原審の確定した前示事実関係の下においては、本件裁判長が法廷警察権に基づき傍聴人に対してあらかじめ一般的にメモを取ることを禁止した上、上告人に対しこれを許可しなかった措置(以下「本件措置」という。)は、これを妥当なものとして積極的に肯認し得る事由を見出すことができない。上告人がメモを取ることが、法廷内の秩序や静穏を乱したり、審理、裁判の場にふさわしくない雰囲気を醸し出したり、あるいは証人、被告人に不当な影響を与えたりするなど公正かつ円滑な訴訟の運営の妨げとなるおそれがあったとはいえないのであるから、本件措置は、合理的根拠を欠いた法廷警察権の行使であるというべきである。
[21] 過去においていわゆる公安関係の事件が裁判所に多数係属し、荒れる法廷が日常であった当時には、これらの裁判の円滑な進行を図るため、各法廷において一般的にメモを取ることを禁止する措置を執らざるを得なかったことがあり、全国における相当数の裁判所において、今日でもそのような措置を必要とするとの見解の下に、本件措置と同様の措置が執られてきていることは、当裁判所に顕著な事実である。しかし、本件措置が執られた当時においては、既に大多数の国民の裁判所に対する理解は深まり、法廷において傍聴人が裁判所による訴訟の運営を妨害するという事態は、ほとんど影をひそめるに至っていたこともまた、当裁判所に顕著な事実である。
[22] 裁判所としては、今日においては、傍聴人のメモに関し配慮を欠くに至っていることを率直に認め、今後は、傍聴人のメモを取る行為に対し配慮をすることが要請されることを認めなければならない。
[23] もっとも、このことは、法廷の秩序や静穏を害したり、公正かつ円滑な訴訟の運営に支障を来したりすることのないことを前提とするものであることは当然であって、裁判長は、傍聴人のいかなる行為であっても、いやしくもそれが右のような事態を招くものであると認めるときには、厳正かつ果断に法廷警察権を行使すべき職務と責任を有していることも、忘れられてはならないであろう。
[24] 法廷警察権は、裁判所法71条、刑訴法288条2項の各規定に従って行使されなければならないことはいうまでもないが、前示のような法廷警察権の趣旨、目的、更に遡って法の支配の精神に照らせば、その行使に当たっての裁判長の判断は、最大限に尊重されなければならない。したがって、それに基づく裁判長の措置は、それが法廷警察権の目的、範囲を著しく逸脱し、又はその方法が甚だしく不当であるなどの特段の事情のない限り、国家賠償法1条1項の規定にいう違法な公権力の行使ということはできないものと解するのが相当である。このことは、前示のような法廷における傍聴人の立場にかんがみるとき、傍聴人のメモを取る行為に対する法廷警察権の行使についても妥当するものといわなければならない。
[25] 本件措置が執られた当時には、法廷警察権に基づき傍聴人がメモを取ることを一般的に禁止して開廷するのが相当であるとの見解も広く採用され、相当数の裁判所において同様の措置が執られていたことは前示のとおりであり、本件措置には前示のような特段の事情があるとまではいえないから、本件措置が配慮を欠いていたことが認められるにもかかわらず、これが国家賠償法1条1項の規定にいう違法な公権力の行使に当たるとまでは、断ずることはできない。

[26] 以上説示したところと同旨に帰する原審の判断は、結局これを是認することができる。原判決に所論の違憲、違法はなく、論旨は、いずれも採用することができない。
[27] よって、民訴法396条、384条、95条、89条に従い、裁判官四ツ谷巖の意見があるほか、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。


 裁判官四ツ谷巖の意見は次のとおりである。

[1] 私は、本件上告を棄却すべきであるとする多数意見の結論には同調するが、その結論にいたる説示には同調することができないので、私の見解を明らかにしておきたい。

[2]一1 憲法82条1項の規定の趣旨は、裁判を一般に公開して裁判が公正に行われることを制度として保障し、ひいては裁判に対する国民の信頼を確保しようとすることにあって、各人に裁判所に対して傍聴することを権利として要求できることまでを認めたものではないことはもとより、傍聴人に対して法廷においてメモを取ることを権利として保障しているものでもないことは、多数意見の説示するとおりであり、右規定の要請を満たすためには、各法廷を物的に傍聴可能な状態とし、不特定の者に対して傍聴のための入廷を許容し、その者がいわゆる五官の作用によって、裁判を見聞することを妨げないことをもって足りるものといわなければならない。
[3] 憲法21条1項の規定は、表現の自由を保障している。そうして、多数意見は、各人が自由にさまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取する自由は、右規定の趣旨、目的からいわばその派生原理として当然に導かれるところであり、筆記行為も、情報等の摂取を補助するものとなされる限り、右規定の精神に照らして尊重されるべきであるとし、更に傍聴人が法廷においてメモを取ることも、見聞する裁判を認識、記憶するためになされるものである限り、尊重に値すると説示する。情報等を摂取する自由及び筆記行為の自由についての説示は、一般論としては、正にそのとおりであろう。しかしながら、傍聴人のメモに関する説示には、賛同することができない。
[4] 法廷は、いわゆる公共の場所ではなく、事件を審理、裁判するための場であることは、いうまでもない。したがって、そこにおいては、冷静に真実を探究し、厳正に法令を適用して、適正かつ迅速な裁判を実現することが最優先されるべきである。法廷を主宰する裁判長に、法廷警察権が付与されているのも、訴訟の運営に対する妨害を抑制、排除して、常に法廷を審理、裁判にふさわしい場として維持し、適正かつ迅速な裁判の実現という憲法上の要請を満たすためにほかならない。そうして、このような法廷警察権の趣旨、目的及び裁判権を行使するに当たっての裁判官の憲法上の地位、権限に照らせば、法廷警察権の行使は、専ら裁判の進行に全責任を負う裁判長の裁量に委ねられているものというべきであり、傍聴人の行為も、裁判長の裁量によって規制されて、然るべきものである。メモを取る行為も、その例外ではない。そうすると、裁判長は、その裁量により、傍聴人がメモを取ることを禁止することができ、その結果、傍聴人は法廷において情報等を摂取する自由を十全に享受することができないこととなるが、法廷は前示のとおり審理、裁判のための場であること、並びに、傍聴人は、その自由な意思によって、裁判長の主宰の下に裁判が行われる法廷に入り、裁判官及び訴訟関係人の活動を見聞するにすぎない立場にあることにかんがみれば、これをもって憲法21条の規定に違背するといえないことはもちろん、その精神に違背するということもできない。
[5] 多数意見が引用する最高裁昭和52年(オ)第927号同58年6月22日大法廷判決・民集37巻5号793頁は、その意に反して拘置所に拘束されている未決拘禁者の新聞閲読の自由について判示するものであって、傍聴人がこのように公権力によりその意に反して拘束されている者とその立場を異にする者であることは、前示のとおりであるし、また、未決拘禁者は、新聞を閲読できないことにより、それによる情報等の摂取が全く不可能となるのに対し、傍聴人は、法廷においてメモを禁止されても、そこにおける五官の作用によっての情報等の摂取それ自体は、何ら妨げられていないのである。
[6] なお、人権規約19条2項の規定の趣旨は、憲法の右規定のそれと異なるところはないから、傍聴人のメモを禁止しても、それが人権規約の右規定ないしその精神に違背するということはできないし、また法廷警察権に基づいて傍聴人のメモを禁止することが、人権規約19条3項の規定に違反するものでないことは、多数意見の説示するとおりである。
[7] 以上のとおり、傍聴人の法廷におけるメモを許容することが要請されているとすべき憲法その他法令上の根拠は、これを見出すことができない。
[8] してみれば、傍聴人が法廷においてメモを取る自由は、法的に保護された利益とまでいうことはできず、上告人の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく失当であり、これを棄却すべきものとした原判決は結局正当であって、本件上告は棄却されるべきである。

[9] この機会に、傍聴人の法廷におけるメモをその自由に任せることの当否について、付言する。
[10] 傍聴人のメモをその自由に任せるべきことが、憲法その他法令上要請されていないとしても、もしそれが一般的に公正かつ円滑な訴訟の運営を妨げるおそれがないとするならば、特段の事情のない限り、これをその自由に任せることとするのも、一つの在り方であろう。
[11] しかしながら、法廷は真実を探究する場であることは前示のとおりであるから、最も配慮されなければならないことは、法廷を真実が現れ易い場としておくことであるところ、法廷において傍聴人がメモを取っていた場合、たとえそれが静穏になされていて、法廷の秩序を乱すことがないとしても、証人や被告人に微妙な心理的影響を与え、真実を述べることを躊躇させるおそれなしとしないのである。そうして、そのような影響の有無は、多くの場合、事前に予測することは困難ないし不可能に近く、しかも、そのために法廷に真実が現れなかった場合には、当該事件の裁判にも取り返しのつかない影響を及ぼすこととなってしまうことは多言を要しない。また、影響は、必ずしも証人や被告人に対してばかりではない。傍聴人がメモを取っている法廷においては、厳粛であるべきその雰囲気が乱されるなどし、ために、心を集中すべき真実の探求に支障を生ずるおそれがないわけではないことにも、思いを致すべきであろう。
[12] 次に、法廷の情況を記述した文書が、傍聴人が法廷において取ったメモに基づいて作成したものとして、頒布された場合には、それが不正確なものであったとしても、世人に対しあたかもその内容が真実であるかのような印象を与え、疑惑を招きかねないし、このような事態を事前に防止することは不可能というべきであり、しかも一旦世人に与えられた印象は、容易に払拭することができないのである。右のような弊害を招かないためには、法廷の情況に関する報道は、原則として司法記者クラブ所属の報道機関によってなされることとするのが相当であり、右クラブ所属の報道機関の記者に対してのみ、メモを取ることを許容することも、憲法14条1項の規定に違反するものでないことは、多数意見の説示するとおりである。
[13] 更に、前示のように、法廷におけるメモを傍聴人の自由に任せ、メモを取ることにより証人、被告人に心理的影響を与えるおそれがあるか、又は法廷を審理、裁判にふさわしい場として保持できないおそれがある場合においてのみ、裁判長が法廷警察権に基づきこれを禁止する措置を講ずることとした場合には、私の経験によれば、例外的に禁止の措置を執った法廷において、その措置をめぐって紛糾し、円滑な訴訟の運営が妨げられるに至る危惧が十分にあり、これを防止するためには、各法廷においてあらかじめ一般的に傍聴人がメモを取ることを禁止し、申出をまって裁判長の裁量により個別的にその許否を決することとするのが相当であるということになるのである。
[14] したがって、これまでも、少なからざる裁判長が、傍聴人のメモにつきいわゆる許可制を採用し、傍聴人がメモを取ることを一般的に禁止した上、それを希望する傍聴人から申出があるときは、その傍聴の目的、証人、被告人の年齢、性格、当該事件の内容、当該公判期日に予定されている手続等を考慮して、メモを取ることによる弊害のおそれの有無を判断し、そのおそれがないと認められる場合に限り、これを許容するという措置を執ってきているが、私は、現時点における法廷の実状からすれば、このような措置を執っていくことが一つの妥当な方策ではないかと考える。この許否を決するに当たっては、当該傍聴人のメモを取ろうとする目的など、その個別的事情についても十分に配慮すべきであることはいうまでもない。

[15] 裁判、特に刑事裁判は、厳粛な雰囲気に包まれた法廷において行われてこそ、その使命を十分に果たすことができ、ひいては裁判に対する世人の信頼をも確保することができるのである。裁判長は、傍聴人等の行為が法廷の秩序や静穏を害したり、公正かつ円滑な訴訟の運営に支障をきたすものであると認めるときは、厳正かつ果断に法廷警察権を行使すべき職務と責任を有していることは、多数意見も説示するとおりである。私は、今日に至るまで、いわゆる荒れる法廷を担当した各裁判長をはじめとし、多くの裁判長が、この法廷警察権の適切な行使によって、法廷の秩序とその厳粛な雰囲気を維持し、公正かつ円滑な訴訟の運営に対する支障を排除してきているものと考えるし、今後もまたそれを期待するものである。

最高裁判所大法廷

(裁判長裁判官 矢口洪一  裁判官 伊藤正己  裁判官 牧圭次  裁判官 安岡滿彦  裁判官 角田禮次郎  裁判官 島谷六郎  裁判官 藤島昭  裁判官 大内恒夫  裁判官 香川保一  裁判官 坂上壽夫  裁判官 佐藤哲郎  裁判官 四ツ谷巖  裁判官 奥野久之  裁判官 貞家克己  裁判官 大堀誠一)

一 表現の自由と知る権利
[1] 憲法21条1項は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定めているが、原判決も認めているとおり、同項が保障する表現の自由には、表現し伝える自由のみならず表現行為を受ける自由、すなわち、情報を収集、受領する自由(知る権利)が含まれている。
[2] そもそも、表現の自由は、五感を有する人間が、物事にふれて感動し、身ぶりやことばで喜び、泣き、笑う自由であり、あるいは物事を認識し、思考し、これをことばや動作で表す自由である。これは、人が人として生きていることそのものであり、この自由なしに人は人間らしく生きていくことはできないものであり、表現の自由は、人としての根源的自由である。しかし、また、人は社会的動物であり、他人との相互の自由なコミュニケーションの中で生きる存在である。受け手を想定してこそ自己表現があり、また、外界からの情報の伝達、他人の意見や思想の伝達を受けることによってはじめて事実の認識、自己表現がありうるのである。したがって、表現の自由は、情報を受ける権利、すなわち、知る権利を内包する基本的人権である。
[3] ことに、現代社会は、高度に組織化された情報社会であり、情報が、国家機関、マスメディアおよび巨大な企業に集中し、独占的に管理されている。人々は、これらが一方的に管理伝達する情報の受け手でしかなくなっている。人がコミュニケーションの自由としての表現の自由を取り戻すためには、まず、これらの情報の独占を排し、あらゆる情報をコントロールされることなく受け取る自由を確保しなければならない。
[4] 既に、博多駅取材フィルム提出命令事件に関する御庁大法廷決定(最高裁大法廷昭和44年11月26日刑集23巻11号1490頁)は、「報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の『知る権利』に奉仕するものである。したがって、思想の表明の自由とならんで、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法21条の保障のもとにあることはいうまでもない。また、このような情報機関の報道が正しい内容をもつためには、報道の自由とともに、報道のための取材の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値いするものといわなければならない」と述べているが、右決定は、人々の知る権利を前提とし、知る権利に奉仕する報道機関の報道および取材の自由もまた憲法21条の保障のもとにあることを述べたものである。
[5] さらに、未決拘禁者の新聞、図書等の閲読制限に関する御庁昭和58年6月22日大法廷判決(民集37巻5号793頁)は、「およそ各人が、自由に、さまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取する機会をもつことは、その者が個人として自己の思想及び人格を形成・発展させ、社会生活の中にこれを反映させていくうえにおいて欠くことのできないものであり、また、民主主義社会における思想及び情報の自由な伝達、交流の確保という基本的原理を真に実効あるものたらしめるためにも、必要なところである」と判示したうえで、新聞紙、図書等の閲読の自由は、憲法で明文をもって規定されてはいないが、「表現の自由を保障した憲法21条の規定の趣旨、目的から、いわばその派生原理として当然に導かれるところであ(る)」としており、知る権利が憲法21条によって保障された基本的人権であることは確定した判例である。
[6] また、世界人権宣言(1948年)19条は、「すべて人は、意見及び表現の自由に対する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む」としているが、同宣言を受けて成立し、日本国政府が昭和54年6月21日国際連合事務総長に批准書を寄託したことにより、同年9月21日日本国について国内法的効力が生じた、市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「国際人権規約B規約」という)19条2項は、「すべての者は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む」としており、知る権利が表現の自由に含まれる基本的人権であることを明確に認めている。
[7] なお、「憲法第3章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべき」ことは、既に、マクリーン事件に関する御庁大法廷判決(御庁大法廷昭和53年10月4日民集32巻7号1223頁)が述べているとおりである。また、国際人権規約19条2項は「すべての者」に対し知る権利を保障している。
[8] したがって、外国人である上告人もわが国において知る権利を保障されているものであり、原判決もこれを否定していない。

二 裁判を知る権利
[9] 知る権利の中でも統治機関が有する情報を知る権利は、特に重要である。主権者または統治行為によって生活や権利を左右される人々が統治機関の行為を知る権利を保障されなければ、「人民の、人民による、人民のための政治」、すなわち、民主政治の実現はありえないからである。アメリカの憲法の父といわれるジェームス・マディソンの「人民が情報をもたずもしくは情報を取得する手段をもたない人民の政府は、道化芝居か悲劇の序幕にすぎず、あるいは多分その両方であろう」という言葉は、かかる文脈において意味深長である。
[10] そして、裁判が、統治機関の行為の典型であるこというまでもないから、憲法21条で保障された「知る権利」が裁判に対しても及ぶことは明らかである。裁判の傍聴人は、法廷の入口で「知る権利」を放棄させられることはないのであり、裁判という統治行為の重要性に鑑みれば、むしろ、他の場面にもまして、法廷においてこそ、「知る権利」の適用が強く要請されるというべきである。人々が裁判の内容を知り、さらに裁判内容を他の人々に伝達・提供することは、民主主義社会における情報の自由な伝達・交流の確保という基本的原理を真に実効あるものたらしめ、また、裁判という国政上最も重要な行為について人々がこれに関与するにつき判断資料を提供するために極めて重要である。

三 傍聴人のメモの権利
[11] 以上述べたとおり、すべて人は、国家機関の行為である裁判について知り、伝える権利を有しており、傍聴人は右の権利にもとづいて傍聴しているものであるが、右の権利には、法廷で行われていることについてメモを採る権利が当然含まれているものである。
[12] そもそも、人に対し、情報を収集、受領し、これにもとづいて自己の認識した事実を他人に伝え、あるいは意見を表明する自由を保障する場合に、その手段・媒体(メディア)を使用することを認めることなしにこれらの自由を保障することにならないことはいうまでもないことである。
[13] 人にとって、物事を知り、伝え、意見を表明するために文字のメディアは不可欠であり、メモは、人が物事を知り、伝え、表明する最も重要な手段である。したがって、憲法21条1項が保障する知る権利にはメモを採る権利が当然に含まれているものである。
[14] 国際人権規約B規約19条2項は、「手書き……の方法により、……あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由」を保障する旨規定しており、ここで言う「手書き」という行為がメモ行為を含むものであることは明白である。すなわち、同条項は、メモ行為を以て表現行為における不可欠な本質的行為と認めたうえで、明文をもってこれを保護の対象としているのである。(なお、この「手書き」は、情報を求めることにおいて使用されるのみならず、情報を受けることにおいても、また情報を伝えることにおいても使用されている。換言すれば表現の自由の対象となる行為は、情報を求めること「seeking」及び情報を受けること「receiving」及び情報を伝達すること「inpart」の各行為であることであり、これら3つの表現行為を通じる共通の語として手書き(in-writing)という行為が明記されている。)。
[15] したがって、法廷で行われていることを知り、伝える自由にもメモを採る権利が当然含まれているものである。
[16] 甲第40号証(伊東裕司助手作成の意見書)に示されているとおり、認識とは、人が外部から与えられた情報を受動的に取り入れる過程ではなく、与えられた情報を選択し、他の情報との関連をつけたり、省略などによって欠けた部分を補い、自己の既存知識を適切な部分に位置づける、などの活動を含む、積極的な過程である。それゆえ、メモを採ることは、認識した事項を記憶するために不可欠な記憶の手段であるだけでなく、将来の認識に必要な文脈的情報を記録し認識者の記憶を補い、情報に対する注意力を高め、重要な情報の選択、情報の意味づけ、情報間あるいは情報と既存知識との関連づけを促進し、認識の過程をより積極的に、より意図的、意識的なものにし、認識のための手段として働くものであるが、法廷で行われていることを認識し、記憶するため、メモを採ることは特に重要であり、不可欠であるといえる。
[17] すなわち、一般に、法廷においては、当該事件について、大量の、高度に専門的で、複雑に関連し合った情報がやりとりされている。しかし、こうした情報のすべてを、メモを採らず五感の作用だけで傍受し、「長期記憶」(比較的長い時間にわたって多量の情報を蓄えておく記憶)に固定化することは極めて困難である。特に、法廷においては、当該事件に関し、人名、地名などの固有名詞や、日付、時間、金額などの数値が重要な意味を有するものであるが、これらの情報についてメモを採ることなしに、もっぱら五感の作用だけにより正確に記憶し、認識のために役立てることは不可能である。
[18] また、法廷においてやりとりされる事項には高度に専門的であるがゆえに法廷でのやりとりを聞いただけでは認識が困難で法廷の場を離れた後に他の資料とつきあわせてはじめて認識が可能となる事項が多い。これらの事項を認識するためには、単に裁判の内容を見聞するだけでは不十分であり、法廷における情報を、メモを採ることによって正確に記憶しておくことが不可欠である。
[19] さらに、同一公判期日内における他の証人の証言や他の証拠等の情報と関連づけ統合したり、複数の公判期日において行なわれた事項についての情報を統合することがなければ、裁判内容について正確な認識を得ることができないが、そのためには、やはり、人の記憶能力を超えて情報を保存するため、メモを採ることが不可欠である。
[20] 法廷におけるメモ行為が、公判期日における審理内容を正確に認識し記憶するための手段として必要不可欠なものであることは、裁判官その他の訴訟当事者が審理内容をメモに採り、あるいは司法記者クラブ所属の報道機関の記者が審理内容をメモに採っていることからも自明の理である。裁判官その他の訴訟当事者が法廷において全くメモを採れないとすれば適正な訴訟追行をなすことはできず、また、報道機関が法廷において全くメモを採れないとすれば正確な認識及び記憶をもとにした正確な報道はなしえないであろう。
[21] 法廷を傍聴する者もまた、メモを採ることなしに裁判内容を正確に認識、記憶し、他に伝えることはできないのである。
[22] 以上のとおり法廷におけるメモ行為は、正確な認識、記憶を得るための必要不可欠の手段であり、憲法21条に基づく裁判の内容を知る権利は、五感の作用により右内容を認識することにとどまらず、メモ行為によって認識する自由を必要不可欠のものとして内包しているというべきである。

四 憲法21条1項及び国際人権規約B規約19条2項違反
[23] 原判決は、「憲法21条1項は「一切の表現の自由」を保障しており、情報を受領し、収集する自由も基本的には保障されなければならない」としたうえで、「知りえた情報を後に一定の形式で表現する場合、単に記憶にのみ基づいてその情報を復元するよりは、その補助手段として、言語による情報そのもののみならず、それが発っせられた情景や雰囲気までも、メモによって保存されるなら、正確な認識及びその保存がなされ、これに基づいてより正確な表現行為をなしうるであろうことは、容易に理解しうるところである。したがって、メモをとることが、情報を受領し、収集する自由を保障する手段として必要とされる場合もありうべきである。」とし、国際人権規約B規約19条2項について、「ここでいう「手書き」の中にメモをとることが含まれることはいうまでもないから、この規定は、万人がメモをとるという方法により情報を受ける自由を有することを、明らかにしたものということができる。」としたが、「法廷は傍聴人に対して情報を提供する場である以前に、前示のような、双方当事者の真摯な弁論と証拠調べを通じて、裁判所が極めて重要な国家行為である裁判をする場であるから、訴訟の公正かつ円滑な運営に少しでも影響を及ぼすおそれがある限り、メモをとることが制限されることのあるのは、やむを得ないところである。したがって、法廷において傍聴人が、メモをとることが法廷警察権によってもこれを一般的に禁止できないとか、許可申請があれば必ず許可しなければならないという程度にまで憲法21条によって保障されているということはできない。」として、本件メモ採取不許可は憲法21条1項、国際人権規約B規約19条2項に違反しない、と判示した。
[24] しかし、以下に述べるとおり、右判示は、憲法21条1項及び国際人権規約19条2項の解釈、適用を誤ったもので破棄をまぬがれないものである。
[25] 原判決の右判示は、訴訟の公正かつ円滑な運営に少しでも影響を及ぼすおそれがある限り、法廷での傍聴人のメモ採取を禁止してよいとするもので、メモは訴訟の公正かつ円滑な運営に影響を及ぼす一般的、抽象的おそれがあるから、本件メモ採取禁止は憲法21条1項及び国際人権規約B規約19条2項に違反しないとしたものと考えられるが(この点につき理由不備があることは後述)、裁判を知る権利、傍聴人のメモ採取の権利は憲法21条1項及び国際人権規約B規約19条2項によって保障された基本的人権であり、憲法上の権利の中でも優越的地位を占める表現の自由に属する権利であるから、訴訟の公正かつ円滑な運営に影響を及ぼす一般的、抽象的おそれがあるという理由で制限することはとうてい許されないものである。
[26] 原判決の判断は、訴訟の公正、円滑な運営の確保という抽象的目的を傍聴人の知る権利、メモ採取の権利に百パーセント優先させ、メモ採取の権利を否認するに等しいもので、著しく権衡を失するものである。
[27] 未決拘禁者の新聞・図書等の閲読の自由(知る権利)の制限に関する御庁大法廷昭和58年6月22日判決(民集37巻5号797頁)は、憲法21条等にもとづく右自由に対する制限が許される要件について以下のとおり述べている。
「これらの自由に対する制限が必要かつ合理的なものとして是認されるかどうかは、右目的(引用者注、監獄内部の規律及び秩序の維持)のために制限が必要とされる程度と、制限される自由の内容及び性質、これに加えられる具体的制限の態様及び程度等を較量して決せられるべきものである。」
「監獄内の規律及び秩序の維持のためにこれら被拘禁者の新聞紙、図書等の閲読の自由を制限する場合においても、それは、右の目的を達するために真に必要と認められる限度にとどめられるべきものである。したがって、右の制限が許されるためには、当該閲読を許すことにより右の規律及び秩序が害される一般的、抽象的なおそれがあるというだけでは足りず、被拘禁者の性向、行状、監獄内の管理、保安の状況、当該新聞紙、図書等の内容その他の具体的事情のもとにおいて、その閲読を許すことにより監獄内の規律及び秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性があると認められることが必要であり、かつ、その場合においても、右の制限の程度は、右の障害発生の防止のために必要かつ合理的な範囲にとどまるべきものと解するのが相当である。」
[28] 右判決は、知る権利を公権力が制限することが許される場合の要件を示したものであり、これを本件に適用すると、法廷でのメモ採取の権利を制限することが正当化されるのは、
(1) 具体的事情のもとで、傍聴人にメモの採取を許した場合に訴訟の公正かつ円滑な運営に放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性があり、
(2) メモの権利の制限の程度が右の障害発生防止のため必要かつ合理的な範囲内にとどまる場合であり、
(3) また、メモ採取の権利を制限が必要とされる程度と、メモ採取の権利の重大性、これに対する制限の態様、程度等を較量し、基本的人権であるメモ採取の権利を制限してもやむをえないと判断される場合に限られるものである。
[29] ところが、原判決は、前記のとおり、訴訟の公正かつ円滑な運営にいささかなりとも影響を及ぼすおそれがある行為は禁止できるとし、メモ採取は一般的、抽象的に訴訟運営に影響を及ぼすおそれがあるとして本件メモ採取禁止処分が違憲でないとしたものであり、憲法21条1項及び国際人権規約B規約19条2項の解釈適用を誤ったものである。
[30] なお、本件メモ採取禁止処分が、前記(1)乃至(3)の要件に該当せず、憲法21条1項及び国際人権規約B規約19条2項に違反するものであることは明らかである。
[31] すなわち、本件メモ採取禁止処分が合憲とされるためには、メモ採取が一般に訴訟運営に影響を及ぼすおそれがあるというのでは足りず、対象となっている本件各公判ごとに、本件原告がメモをとることによって、メモを「放置することのできない障害が生ずる相当の蓋然性がある」旨の認定がなされることが必要である。ところが、この点について被上告人からは何らの主張・立証もされていないのであるから、知る権利を制限する要件を満たすものと認定することはできない。
[32] のみならず、本件において現れた証拠によれば、上告人のメモ採取によって訴訟運営に放置することのできない障害が生ずるおそれは皆無である。すなわち、一審での原告本人尋問の結果から明らかなとおり、上告人は純粋に学問的な関心から本件所得税法違反被告事件を研究の対象として選択し、その傍聴を行ったものであるから、上告人のメモ採取によって本件公判に何らの悪影響が生じることは考えられないところである。現に、右事件の被告人の意向を代弁すると考えられる本件刑事事件の弁護人は、第二東京弁護士会による調査において「右被告事件について、弁護人の立場からみて傍聴人がメモ採取をしてもなんら痛痒を感じない。申立人(上告人のこと)は学問的研究のためにメモ採取を希望していると聞いているから、メモ採取はかまわないと思う」と述べているのである。また、本件公判のうち少なくともある場合には、新聞記者が傍聴席においてメモをとり、その内容を報じていたのであるから、これに加えて上告人がメモをとることによって証人の証言態度等に悪影響が生じることも考えられない。さらに、上告人がメモ採取を許されたとして、当該メモを不当に利用するということもまた考えられないところである(これらの諸点について、右の推認に反する被上告人の主張・立証はない)。
[33] このように、本件メモ禁止処分は、メモ採取を放置することができない障害が発生する相当の蓋然性が何ら存しないところでなされたものであるから、表現の自由(知る権利)を制限する要件を欠くものとして違憲である。なお、この要件を欠くことが最も明らかな場合が、論告・弁論・判決が予定される期日におけるメモ採取禁止処分である。本件においては、これらの各期日においてもメモ採取が禁止されたものであるが、これらの期日においてメモ採取が禁止されなければならない理由は全く考えられないのであり、障害発生の相当の蓋然性はもとより、その可能性すら存しない場合であったといわなければならない。
[34] なお、《証拠略》によれば、香城敏麿判事は、メモを禁止する理由(目的)は、「第一に……証人、被告人等の関係人が、その供述等を傍聴人、特に敵対関係にある傍聴人に記録されることを意識し、その供述をためらうなど心理的に動揺することがある」「第二に……メモされた記録が訴訟外で公表されて被告人、証人等の関係人が不当な不利益を受け、ひいては裁判の公正な進行が妨げられるおそれがあることも無視できない」、「第三に、傍聴人が一斉にメモをとることにより静穏が害されることも考慮してよい」ことにあるとし乙第1号証の佐々木論文も、これを引用している。
[35] しかしながら、右第一乃至第三の理由(目的)は、次のとおり、いずれも合理性に欠けるものであり、本件メモ制限の合法性を基礎づけるものではない。
[36] すなわち、目的の第一に挙げられているのは、敵対的傍聴人による供述のメモが、被告人・証人等の訴訟関係人の供述心理に不当な影響を与えるということである。敵対的傍聴人によるメモ行為自体が供述に不当な影響を与えるという事実判断それ自体疑問なしとしないが、仮にこの事実判断が妥当なものと仮定しても、右の目的は、本件のような傍聴人のメモを原則として一律に禁止する措置を正当化するものではない。
[37] すなわち、本件決定は、ある傍聴人のメモ採取が供述者に与える影響を何等願慮することなく、またメモが採取される公判手続の段階についても何等の限定をすることなく、一律にメモを原則として禁止しているものである。従って、本件決定は、敵対的でない傍聴人の、あるいは、供述者に敵対する傍聴人であっても供述と無関係な他の段階における公判手続のメモをも禁止してしまうものであり、この点において供述の確保という目的には何ら奉仕するところがなく違憲である。
[38] 更に、右の目的を達成するためには、傍聴人の権利について、より制限的でない他の措置が存在しているのであるから、この措置によるべきであり、この点からいっても本件決定は違憲である。すなわち、本件のような包括的メモ採取禁止が許されないことは、ある者が法廷で傍聴すること自体によって被告人・証人等の訴訟関係人の供述に悪影響を与える場合であっても、その者を法廷から排除する目的で他の一般人の傍聴をも包括的に禁止する措置を講ずることが許されないこと同様である。後者の場合について、刑事訴訟規則202条は「裁判長は、被告人、証人、鑑定人、通訳人又は翻訳人が特定の傍聴人の面前で十分な供述をすることができないと思料するときは、その供述をする間、その傍聴人を退廷させることができる」として、供述者が充分に供述をすることができないと認められる場合には、こうした影響を与える傍聴人を特定したうえで、当該供述者の供述の間のみその傍聴人を退廷させることができる旨を規定している。右規定の趣旨が、傍聴を許しつつメモの採取を制限する場合についても妥当するものであることはいうまでもない。従って、ある傍聴人について、その者のメモ採取が仮に供述者の充分な供述を阻害する場合があっても、その時には、その傍聴人を特定したうえで、当該供述者の供述の間に限ってメモ採取を禁止する措置を講ずればよいのである。右措置は、メモ禁止の当初の目的を達成することができ、かつ、傍聴人の権利を制約することのより少ない措置として可能なものであるから、こうした手段の存在にかかわらず、これに訴えることなく、傍聴人の個別的事情あるいは公判手続きの各段階における区別をすることなく一律に原則としてメモを禁止する決定をすることは違憲である。
[39] 目的の第二に挙げられているのは、メモされた記録が訴訟外で公表されて被告人、証人等の訴訟関係人が不当な不利益を受け、ひいては裁判の公正な進行が妨げられるおそれを防止することである。しかし、本件決定は、右目的を達成する為になんの役にも立たない。メモの禁止が正当化されるのは、当該禁止の措置が禁止の目的に奉仕する場合に限られる。しかるに、本件において裁判所は、上告人についてはメモ採取を禁止したものの、一定の報道機関関係者については、個々の公判期日におけるメモ採取の許可取得を要求することなく、まして当該メモの内容の公表を制限することなく、メモ採取を許しているものであるから、「メモされた記録が訴訟外で公表され」る可能性をすでに許容している。一方で、訴訟の内容を記録しこれを公表することを職務とする報道関係者にメモ採取を許している以上、訴訟内容の公表を阻止するという目的はすでに放棄されたものといわねばならず、上告人など一般傍聴人によるメモに基づいた訴訟内容の公表を禁じてみても右目的は到底達成し得ないものといわねばならない。
[40] 目的の第三に挙げられている法廷の静穏については、これ自体、正当な目的とはいえない。けだし、メモ用紙に筆記する行為が雑音を生じるという事実判断自体が誤りであるからである。
[41] 国際人権規約B規約19条3項は、「(同条2項の)権利の行使については、一定の制限を課することができる。ただし、その制限は、法律によって定められ……るものに限る」としているが、本件メモ採取禁止処分の根拠規定は裁判所法71条以外には存在しない。刑事訴訟規則215条は、公判廷における写真撮影、録音、放送のみをその規制対象とするものであり、この中に本件で問題とされているメモが含まれないことは、文言上明白である(この点は、民事訴訟規則が、法廷における写真撮影、速記、録音、放送を裁判長の許可にかからしめていることと比較すればより明らかとなる。刑事事件の公判廷においては、速記までも原則として許されているのであるから、本件で問題としているメモが許されるべきことは当然である)。現に、最高裁事務総局による「裁判所法逐条解説」においても「法廷においてノートをとることは、特別の事情がないかぎり、裁判所の審理を妨げ、または法廷の威信を傷つけるとは考えられないので、通常の規制(裁判所法71条2項)に服させれば足りるとされたものであろう」(下、39頁)とされているのである。
[42] したがって、本件メモ採取禁止処分の根拠規定は、「裁判長または開廷をした1人の裁判官は、法廷における裁判所の職務の執行を妨げ、又は不当な行状をする者に対し、退廷を命じ、その他法廷における秩序を維持するのに必要な事項を命じ、又は処置を執ることができる」という裁判所法71条2項に求める以外にはない。
[43] しかし、右規定は、メモ採取の禁止について何らその要件を定めておらず、表現の自由という優越的地位を占める権利を、何らの要件も要求せずに制限することと同義であり、権利の制限には法律の規定がなければならないとした国際人権規約19条3項(この条文は、権利を制限する要件・程度が法律で定められるべきことを当然の前提としていると解される)に反するものであることは明白である。
[44] なおこの点に関連して、前記昭和58年大法廷判決は、「監獄法31条2項は、在監者に対する文書、図書の閲読の自由を制限することができる旨を定めるとともに、制限の具体的内容を命令に委任し、これに基づき監獄法施行規則86条1項はその制限の要件を定め、更に所論の法務大臣訓令及び法務省矯正局長依命通達は、制限の範囲、方法を定めている。これらの規定を通覧すると、その文言上はかなりゆるやかな要件のもとで制限を可能としているようにみられるけれども、上に述べた要件及び範囲内でのみ閲読の制限を許す旨を定めたものと解するのが相当であり、かつ、そう解することも可能であるから、右法令等は、憲法に違反するものではないとしてその効力を承認することができる」(民集37巻5号798頁)と判示している。これに対して、本件で問題となっているメモについては、いかなる「要件及び範囲内で」メモを制限しうるかについては、何ら法律の規定が存在しないのである。
[45] 前記のとおり、原判決は、
「訴訟の公正かつ円滑な運営に少しでも影響を及ぼすおそれがある限り、メモをとることが制限されることのあるのは、やむを得ないところである。
 したがって、法廷において傍聴人がメモをとることが法廷警察権によってもこれを一般的に禁止できないとか、許可申請があれば必ず許可しなければならないという程度にまで憲法21条によって保障されているということはできない。」
と述べ、したがって本件メモ採取禁止処分は違憲でない、としたが、原判決は、メモ採取が訴訟の公正かつ円滑な運営に影響を及ぼすおそれがあるか否かについて何ら判示していない。また、上告人らは本件各メモ採取禁止処分が憲法21条1項等に違反すると主張しているものであり、本件各メモ採取行為のそれぞれについて公正かつ円滑な訴訟運営に影響を及ぼすおそれの有無が認定されるべきであるが、原判決はこれについて何ら判示していない。
[46] 原判決の判断基準にしたがったとしても、本件メモ採取が訴訟の公正かつ円滑な運営に影響を及ぼすおそれがあるか否かが認定されなければならないのであり、この点について何ら認定をしなかった原判決には理由不備の違法がある。
[47] 原判決は、憲法82条の解釈につき次のように判示する。
「憲法は、前示のとおり、82条1項において、『裁判の対審および判決は、公開法廷でこれを行ふ。』と規定する外、34条は、抑留・拘禁の理由は公開の法廷で開示しなければならない旨を規定し、また、37条1項は、刑事被告人に対し、迅速な公開裁判を受ける権利を保障している。いうまでもなく、これらの規定は、歴史的な産物であって、過去における密室裁判を排除し、司法に対する国民の関心と信頼を高めるために、必要な憲法原理として導入されたものである。それ故、憲法82条にいう裁判の公開は国民一般に対してその手続きが行なわれる場所、即ち法廷において裁判を傍聴し得ることを意味するものと解すべきである。したがって、この利益以上に、傍聴人が法廷においてメモをとる権利を有するかどうかは、憲法82条自体の関知するところではないといわなければならない。
 そうすると、憲法82条を理由に、メモをとることが法廷警察権による制限を受けないということはできない。」
[48] しかし、憲法82条1項を「法廷において裁判を傍聴し得ることを意味するもの」と解し、「この利益以上に、傍聴人が法廷においてメモをとる権利を有するかどうかは、憲法82条自体の関知するところではない」とした右判示は、同条の「裁判の公開」の規定の解釈を明らかに誤ったものである。けだし、「裁判の公開」の規定は、裁判の傍聴人に傍聴の自由を保障しており、この傍聴の自由とは、法廷で生起する一切の出来事を、見聞きし、知る自由であってメモを採取する自由をも当然に含むものと解されなければならないからである。

[49] 憲法82条は、裁判の公開を保障することによって、裁判が公平に行われ、訴訟当事者の人権が守られることを確保せよとするものであるが、同条の目的はそれに止まらない。裁判は国の主要な統治行為であり、国民主権の原理のもとでは、裁判は国民の不断の監視にさらされなければならず、国民は主権者として裁判を監視する権利を有するというべきである。
[50] 「憲法82条が『裁判の対審および判決は、公開法廷でこれを行ふ。』と規定する所以のものは、『何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。』とする憲法32条の規定と表裏相待ち、憲法が国民に保障している基本的人権ならびに自由の最後の保障は、結局裁判所における公正な裁判によってなされるものであり、その裁判が公正に行なわれるためには、裁判を公開の法廷における対審手続により行うことによってこれを国民の直接の監視の下におくことが肝要である、というにほかならない。」(裁判官山田作之介意見、最大決昭40・6・30、民集-19-4-1097)とされることからも明らかなように、憲法82条1項は、国民の基本権にかかわる統治作用である裁判の公開を保障することによって、裁判が国民の「直接の監視の下にお」かれることを保障したものと解される。そして、裁判の直接の監視の実現にとっては、それが裁判の内容の認識・理解を当然の前提とするものである以上(でなければ、監視=注意して見はることは有り得ない)、法廷で生起する一切の出来事を見聞きし、知る自由を有する傍聴の自由が不可欠であることも疑いを入れる余地のないところである。したがって、知る自由にとっての不可欠の要素であるメモの自由もまた当然に「裁判の公開」規定によって保障されていると解される。

[51] 学説上も、憲法82条の「裁判の公開」とは傍聴の自由を保障したものと解されている(宮沢俊義著・芦部信喜補訂『全訂日本国憲法』696頁、佐藤幸治著『憲法』224頁)。阪本昌成教授も、「裁判の公開とは、傍聴人の不特定性を前提としたものであり、個々の傍聴希望者の裁判所立入請求権を認める趣旨をもつものではない。」としながらも、上告人のように「傍聴人の地位を得た市民は、『法廷またはこれに準ずる場所での裁判所の職務を、物理的に、または物理的関係で妨害し、不当に影響を及ぼす行為』にわたらないかぎり、そこで生起する一切の出来事を、見聞きし、知る自由を有すると解するべきであろう」(「知る権利の意味とその実現」ジュリスト884号209頁)としている。したがって、同教授によれば、右の知る自由によってメモの自由を当然のこととして含意しているから、ひとたび傍聴人としての地位を獲得した市民は傍聴人としてのサブカテゴリに基づき、メモの自由を具体的に有することとなる。

[52] 以上のとおり、憲法82条1項の「裁判の公開」の規定は、国民に対し裁判の傍聴の自由を保障し、したがってメモの自由も保障したものであり、上告人のように裁判を傍聴して傍聴人たる地位を取得した者は、同規定に基づきメモ採取の憲法上の権利を有するものであることは明らかである。
[53] 原判決はこの点においても破棄を免れない。
一 上告人に対する差別的取扱い
[54] 上告人は、日本における証券市場及びこれに関する法的規制を課題として研究し、その一環として昭和57年10月以来、被告人甲野一郎に対する所得税法違反被告事件を傍聴したが、右の学問的研究のためには傍聴においてメモをすることが不可欠であったため、昭和58年7月8日以降7回にわたって法廷におけるメモ採取の許可申請をなしたが、右刑事事件の担当部裁判長は、いずれもこれを不許可としたため、上告人は、右刑事事件昭和58年7月8日以降の全公判期日において、法廷を傍聴したもののメモを採取することはできなかった。
[55] 他方、右刑事事件の担当部裁判長は、東京地方裁判所司法記者クラブ所属の報道機関にはメモ採取を許可したため、右報道機関の記者は、上告人がメモを採取しえなかった期日においても法廷を傍聴しメモを採取できたものである。
[56] なおメモに関する前記差違は、上告人と前記報道機関との間において、かつ、本件においてのみなされたものではなく、東京地方裁判所においては、同地裁司法記者クラブに加盟している報道機関については、事実上、全部の事件において、その他のものとは異なった取扱いがなされている(なお、東京地裁の司法記者クラブに加盟しているのは日刊新聞社(読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞、サンケイ新聞、東京新聞、北海道新聞)、テレビ局(NHK、日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京)、ラジオ局(文化放送)、通信社(共同通信、時事通信)であり、それ以外の新聞社、雑誌社、一般の出版社、外国系の通信社等は加盟していない)。
[57] すなわち、東京地方裁判所では、法廷の傍聴席のうち司法記者クラブ所属会社数に相当するものを「報道記者席」として優先的に確保するとともに、右会社の記者については法廷でのメモを一律に許す扱いであり、本件の刑事裁判においても同様の措置がとられた。他方、司法記者クラブに所属しないもの、つまり同クラブに加盟していない報道機関ならびに上告人らの研究者その他の者については、優先的な傍聴席の確保はなされず、またメモについても一律に禁止される扱いであり、本件においても同様であった。
[58] 右のとおり、上告人は、東京地方裁判所司法記者クラブ所属の報道機関とは異なり、メモ採取を認められなかったものであるが、上告人が、これにより、メモ採取を許された場合と比して、傍聴した内容を正確に認識・保存することを妨げられたことは明らかであるから、上告人に対するメモ採取不許可の処分は、憲法14条の意味における差別的取扱いにあたる。

二 憲法14条の法意とその審査基準
[59] 憲法14条1項が国民に対し法の下の平等を保障した規定であって、同項後段の事項は例示的なものであること、及びこの平等の要請は事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでない限り差別的な取扱いをすることを禁止する趣旨であることは、御庁がかねてより判示してきたところである(最高裁大法廷判決昭和39年5月27日民集18巻4号676頁、最高裁大法廷判決昭和48年4月4日刑集27巻3号265頁)。したがって、上告人に対する前記の差別的取扱いが憲法14条に違反するかどうかは、右のような差別的取扱いが、「事柄の性質に即応した合理的根拠」を有するか否かにかかっている。
[60] ところで、ある差別的取扱いに合理的根拠があるかどうかの判断にあたっては、差別的取扱いによって侵害され、あるいは影響を受ける利益の性質が重要な要素となる。侵害される利益が社会的経済的性格が濃いものである場合には、合理性の有無は目的及び手段における一応の合理性によって判断されると考えられるのであり、実際の判断にあたっては判断権者の裁量を尊重すべき場合が多いともいえよう。このことは、右のような性質の利益が侵害された場合には、その是正は、憲法の採る代表民主制を通じて行うことが期待されうることからも肯定される。
[61] しかし、差別的取扱いによって侵害される利益が精神的自由権、特に表現の自由に関わるものである場合には、合理性の判断は目的及び手段における一応の合理性では足りず、具体的な事実関係の下において、差別的取扱いの目的が正当であり、かつ、その手段が目的達成のために必要最小限に止められていることが認められなければならないのである(最高裁大法廷判決昭和58年6月22日民集37巻5号793頁参照)。このことは、表現の自由の制限は、国民が十分な情報に接することを妨げるものとして代表民主制による是正が著しく困難であることからも肯定されるのである。
[62] 本件における争点は、法廷における傍聴人のメモの可否であるところ、メモの制限が表現の自由に関わるものであることは明らかであるから(原判決もこのことは認めている)、平等保護の関係においても差別的取扱いの合理性の判断は厳密になされなければならない。そして、この審査基準を本件に適用すれば、前記の差別的取扱いが合理的根拠を欠くことは、直ちに明らかとなる。

三 本件差別的取扱いにおける合理的根拠の不存在
1 比較の対象
[63] 以下の議論のためにここで再説しておくと、本件で上告人が憲法14条に違反するとしているのは、一方において上告人が法廷での傍聴を認められながらもメモを禁止され、他方において司法記者クラブに所属する報道機関の記者が法廷での傍聴を認められ、かつ、メモを認められていることである。
2 報道の自由は傍聴人のメモ不許可の理由たりえない
[64] 上告人も、報道機関が表現の自由から派生する報道の自由を有することは認めるものであり、たとえば本件において傍聴席の一定部分が報道機関に優先的に割り当てられたことについては、これを平等原則に違背するとは考えない(情報へのアクセスが限定的にしか認められない場合には、報道機関を優先することにも合理性があろう)。しかし、ともに法廷での傍聴を認められた後に、研究者たる上告人と、特定の報道機関たる司法記者クラブの報道機関とを区別する理由は全く存在しない。
[65] すなわち、報道機関の報道の自由が重要であることは認められるとしても、右報道の自由は、国民の知る権利に奉仕することが期待されることから尊重されるのである。博多駅取材フィルム提出事件の最高裁大法廷昭和44年11月26日決定(刑集23巻11号1490頁)が「報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の『知る権利』に奉仕するものである」とし、外務省機密漏洩事件の最高裁第1小法廷昭和53年5月31日決定(刑集32巻3号457頁)が右大法廷決定を援用しているように、報道機関の報道の自由は、人々の知る権利を前提として、知る権利に奉仕するものとして憲法21条の保障のもとにあるのであり、この前提を抜きにして単なる報道機関の特権として認められたものではない。
[66] したがって、報道機関について、人々の知る権利に奉仕するという公共性から法廷でのメモの採取を認めるというのであれば、その権利を自ら行使するために、直接法廷を傍聴している人々についても、同じくメモの採取を認め、これらの人々の知る権利を実質的に保障すべきは当然である。国民の眼であり耳であり、手足となる報道機関にメモを認めながら、知る権利の本来の享受者である国民自身にはメモを認めえないという論理は、およそ考えられないところである。
[67] また、人々が、報道機関に対して、国家機関で行われている公的な事柄についての知る権利の行使の代行を全て委ねているものでないことはいうまでもない。報道機関に対して法廷でメモの採取が許されているからといって、このことが傍聴する人々に対してメモの採取を拒否すべき理由にはならない。報道機関が法廷で行われていることを必ず取材し、必ず記事にするとは言いえない(本件においても、メモを認められた報道機関は、メモの内容をすべて記事にすることはありえず、特定の公判期日の内容については全く報道しなかったことも稀ではない)。人々は、法廷で行われていることを直接見聞し、それを直接他人に伝える権利を有するのであり、これこそが「知る権利」である(国際人権規約B規約19条2項)。
[68] したがって、報道の自由は法廷でのメモの採取の許否について、司法記者クラブ所属の報道機関の記者と、上告人等それ以外の傍聴人とを差別する合理的理由とはならない。
3 上告人のメモによる訴訟手続への影響はない
[69] 次に、上告人のメモのみを禁止すべき理由として、「訴訟手続への影響」が考えられないことはいうまでもない。原判決は、「裁判所としては、法廷をできる限り当事者の弁論と証拠調べの施行に全神経を集中しうるような雰囲気に維持しておくことが望ましい」としたうえで、「訴訟の公正かつ円滑な運営に少しでも影響を及ぼすおそれがある限り、メモをとることが制限されることのあるのは、やむを得ないところである」と判示している。にもかかわらず、東京地裁の司法記者クラブ所属の記者についてメモを許可したのは、右の者のメモについては訴訟に対する悪影響はいささかもないとみなしたものと考えられるのである。
[70] しかるに、この点については上告人が仮にメモを許可された場合でも全く同様であり、上告人のメモによって訴訟手続に悪影響が生じると認定すべき根拠は何ら存在しないのである。すなわち、上告人は、純粋に学問研究の一環として情報を収集するために本件刑事事件を傍聴し、メモを採取しようとしていたのであり、報道機関の記者と同じく、本件刑事事件について何らの個人的利害を有するものではない。また、そのような目的で採取されるメモが公判外で不当な目的に使われるなどということもありえないのであり、この点についても報道機関の記者と上告人とは等しい立場にいるのである。
[71] さらに、上告人は、「メモをとる許可願」において、右のような上告人の資格あるいはメモ採取の目的などを明らかにしていたものである(たとえば、昭和58年11月18日付「メモをとる許可願」では、勤務先の欄に「国際交流基金研究員」としてその資格を明らかにし、目的の欄には「申請人(上告人のこと)は日本における証券市場及び法律制度、特に証券市場の法的規制を研究している者です。本事件は証券市場と法律制度の関係を理解するために極めて重要だと申請人は思っています。本事件について迅速かつ正確な記録をとるために傍聴するにあたりメモをとることが必要です。不許可される場合にその理由を教えて下さい」として、メモ採取の目的、必要性を明らかにしている)。したがって、右許可願を受けた裁判長は、上告人にメモを許可しても訴訟手続には何らの影響も生じないことは十分に認識していたものである。
[72] このように、上告人がメモを採取したとしても、すべての訴訟関係者に対して、司法記者クラブの記者によるメモと異なった悪影響が生じるとは到底考えられないところである(本件刑事事件の弁護人は、このことを認め、「右被告事件について、弁護人の立場からみて傍聴人がメモ採取をしてもなんら痛痒を感じない。申立人(上告人のこと)は学問的研究のためにメモ採取を希望していると聞いているから、メモ採取はかまわないと思う」と述べているのである)。
4 原判決の「公共性」論の誤り
[73] 原判決は、「(上告人)の研究成果の発表を待望している国民が(司法記者クラブの)記者の報道に関心を寄せる国民よりも少数にすぎないことは、自ら明らかであるから、(上告人)によるメモの採取は、(司法記者クラブの)記者のメモの採取に比して、公共性が一段と低いものであるといわざるを得ない」と判示しているが、「公共性」に関するこのような考えは、表現媒体の多様性が持つ意味についての考慮が全く欠けているといわざるをえないものである。
[74] 確かに、司法記者クラブの報道機関による報道と上告人の研究とを比較すれば、前者の報道に接する読者・視聴者の方が多数であるとは推測しうるかもしれないが、そのことはそれぞれの表現(報道と研究)が有する公共性の高低とは何の関係もない事柄である。司法記者クラブ所属の報道機関とは、日刊新聞であり、テレビ・ラジオであり、通信社であって、その基本的役割は、日々社会に生起する事象を迅速に国民に報道することである。したがって、そこでは、多数の者に対し、迅速に情報が伝達される反面、多くの事象を多面的に捉え、その底に流れる問題を探り、新しい見方を提供するという役割は、あったとしても従的なものでしかない。これに対し、上告人が従事していた学問研究は、全く対照的な性格を有している。学者の研究発表は、迅速性についてはテレビあるいは新聞には及ぶべくもないが、逆に日々の締切りに追われることなく一つのテーマと取り組み、広く深く検討しうることによって、その発表する内容は深い洞察に満ちたものになりうるのである。このように、報道機関と上告人のような研究者とではその果すべき役割が異なるのであって、国民にとってはこの両者による情報収集ならびにその結果の発表がともに必要なのである(前述のとおり、報道の自由の意義は国民の「知る権利」に奉仕することに求められるところ、「知る権利」を行使する国民にとっては、どちらか一方だけの表現しか存在しない場合には、「国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供」されていないこととなる)。したがって、原判決のように、単純に読者あるいは視聴者の数の多寡によって公共性の高低を決するのは、あまりにも近視眼的な見方であるといわざるをえないのであり、報道機関による報道と研究者による研究発表とでは、それ自体においては公共性の差違は存在しないというべきである。
5 合理的根拠の不存在
[75] 右のとおり、上告人に対するメモ採取禁止という差別的取扱いは、報道機関より不利益に取り扱うべき何らの理由もなく、メモによる悪影響も考えられないところでなされたものであって、合理的根拠を全く有しないものである。さらに、仮に何らかの理由でメモ禁止が肯定される場合があったとしても、本件のように論告・弁論・判決の各期日のようにメモ禁止の理由が全く存在しないことが明らかな場合にまでメモ採取を禁止したのは、その手段において相当性を欠くことが明らかである。
[76] 原判決は、上告人に対する本件取扱いが憲法14条に違反しない理由としては、「(上告人)によるメモの採取は、(司法記者クラブ所属の)記者のメモの採取に比較して、公共性が一段と低い」ことを掲げるのみであるが、この判断についての誤りは前述のとおりである。原判決はまた、論告・弁論・判決の各期日は「いずれも極めて緊張度の高い法廷の雰囲気が要請される」のであり、これらの期日においてメモ採取を禁止したことも違法ではないとしている。しかし、憲法14条との関係でこれらの各期日における右取扱いが違反しないとされるためには、前記各期日において、司法記者クラブ所属の記者のメモは「極めて緊張度の高い法廷の雰囲気」を損なうことがないが、上告人のメモは、このような雰囲気を損なうと認定されなければならないが、このような結論が不合理であることは火を見るより明らかである。
[77] このように、憲法14条に関連する原判決の論理はいずれも誤っているのであり、上告人に対する本件差別的取扱いが憲法14条に違反するものであることは明らかである。
6 司法記者クラブ所属の報道機関との比較
[78] 右に明らかにしたとおり、上告人と報道機関一般を比較した場合に、法廷を傍聴している間のメモ採取の点について両者を区別して取り扱うべき根拠は何ら存在しないものである。ところで、本件では、メモ採取について優遇されている(あるいは上告人のような差別的取扱いを受けていない)のは、報道機関一般ではなく、東京地方裁判所の司法記者クラブに所属している報道機関であるので、この特定の報道機関のみを優遇すべき論拠があるかどうかについて触れることとする。
[79] 原判決は、「報道機関に対してはメモをとることを許可しながら、(上告人)に対してはメモをとることを禁止したことには、合理的な理由が存在したとはいえる」としているが、前述のとおり、ここにいう「報道機関」とは、決して報道機関一般を指すものではなく、司法記者クラブに所属する特定の報道機関だけを指すのである。したがって、本件メモ禁止処分をなした東京地裁の裁判長は、報道機関とそれ以外のもの(上告人を含む)という区別をしたのではなく、東京地裁司法記者クラブ所属の報道機関とそれ以外のもの(クラブに加盟していない報道機関及び上告人を含む)という区別をしたのである。上告人と報道機関という区分が法廷でのメモ採取について合理性を持たないことは前述のとおりであるが、司法記者クラブ所属の報道機関とそれ以外という区分が、さらに不合理なものであることは明白であろう。
[80] いうまでもなく司法記者クラブとは単なる私的な団体であり、ある報道機関がこれに加盟するか否か、あるいは加盟を認められるか否かは、完全な私的自治に任せられているのであって、本件メモ禁止処分をなした裁判長あるいは東京地裁は、それについて何らの関与もしていないのである。しかるに、前記裁判長は、司法記者クラブ所属会社の記者については自動的にメモを許可し、それ以外の報道機関及び上告人らに対しては一律にメモを禁止していたのであるから、裁判長の右措置は、法廷警察権ないし訴訟指揮権の発動たるメモ禁止処分の及び対象を、自らの判断ではなく、私的団体たる東京地裁司法記者クラブの判断に委ねたに等しいのである(たとえば、ある新聞社あるいは通信社が、本件で対象となった刑事裁判の途中で司法記者クラブに加入したとすれば、その社の記者は、他の点では何の変更もないにもかかわらず、加入前はメモを禁止され、加入後はメモを認められることになる。しかも、この変化をもたらした司法記者クラブへの加入が認められるべきか否かの決定について裁判長は何らの関与もしていないのである)。
[81] このように、原判決が、上告人と区別して取り扱うべき合理的な理由が存するとした「報道機関」とは、私的な団体としての東京地裁の司法記者クラブ所属の報道機関にしかすぎず、この特定の報道機関のみを、同じく報道の自由を享受する他の報道機関ならびに表現の自由を行使する上告人と区別して、メモの採否に関して有利に取り扱うべき根拠は何ら存しないのである。

四 結論
[82] 以上のとおり、上告人は、報道機関、特に司法記者クラブに所属する報道機関と比較して、法廷でのメモ採取について差別的取扱いを受けたものであり、かつ、この差別的取扱いについては何らの合理的根拠が存しないものであるから、この措置は憲法14条に違反するものである。しかるに、原判決は、この差別的取扱いが憲法14条に違反しないとしたものであるから、破棄を免れない。
[83] 原判決は、
「当該事件が所得税法違反という事件であること、及び控訴人のメモ採取の目的が純粋な学問研究にあるという点等控訴人主張の事情を考慮にいれても、控訴人の本件許可申請を認めなかったことが違法と判断されるような特段の事情があると認めることはできない。そして、このことは、論告・弁論・判決の各期日についても、同様の判断をなしうるものと解せられる。」
と判示しているが、裁判長の権限に関するこの判示は、裁判所法71条、刑事訴訟法288条2項に定める法廷警察権の解釈適用を誤り、判決に影響を及ぼすこと明らかな違法がある。

[84] そもそも、裁判所法71条、刑事訴訟法288条2項が裁判長に法廷警察権を付与し、メモを取ることについての裁判長の許可が法廷警察権に基づく裁判長の裁量に委ねられるとしても、右裁量行為には一定の限度があり、裁判長が裁量権を逸脱した場合には右裁量行為は違法になる。
[85] 裁判長のとった本件メモ採取禁止処分が違法であるか否かを考えるにあたっては、裁判長に一定の裁量が与えられていることを考慮すれば、行政法において、行政裁量が裁量の限界を超えて違法とされる場合の類型を類推適用することが可能である。そして、行政庁の処分が裁量を超えて違法とされる場合としては、「処分が行政庁に当該権限を与えた法の趣旨・目的に従ってなされたと認められない場合」「処分の前提とされた事実に誤認がある場合」、「処分が比例原則や平等原則に違反する場合」「処分が社会通念上合理性を欠く場合」などがあげられるが、これは、裁判長の裁量行為の場合にも当然妥当するものであり、右の場合の一にでも該当する場合には右裁量行為は違法となる。すなわち、
[86](1) 「処分が行政庁に当該権限を与えた法の趣旨・目的に従ってなされたと認められない場合」について、最高裁判所昭和44年7月11日判決(民集23巻8号1470頁)は、外務大臣の旅券発給拒否処分について、「外務大臣が旅券法13条1項5号の規定により、旅券発給拒否処分をした場合において、裁判所は、その処分当時の旅券発給申請者の地位、経歴、人がら、その旅行の目的、渡航先である国の情勢、および外交方針、外務大臣の認定判断の過程、その他これに関するすべての事実をしんしゃくしたうえで、外務大臣の右処分が同号の規定により外務大臣に与えられた権限をその法規の目的に従って適法に行使したかどうかを判断すべきものであって、その判断は、ただ単に右処分が外務大臣の恣意によるかどうか、その判断の前提とされた事実の認識について明白な誤りがあるかどうか、または、その結論にいたる推理に著しい不合理があるかどうかなどに限定されるものではないというべきである」とし、また、最高裁判所昭和53年5月26日判決(民集32巻3号689頁)は、知事の児童遊園設置認可処分について、「〔個室付浴場業の開業を阻止することを主たる目的としてなされた〕本件児童遊園設置認可処分は行政権の著しい濫用によるものとして違法である〔る〕」としている。
[87](2) また、「処分の前提とされた事実に誤認がある場合」について、最高裁判所昭和29年7月30日判決(民集8巻7号1463頁)は、公立大学学生の懲戒処分につき、学長の裁量は認められるものの、「このことは、学長がなんらの事実上の根拠に基かないで懲戒処分を発動する権能を有するものと解することの根拠となるものではなく、懲戒処分が全く真実の基礎を欠くものであるかどうかの点は、裁判所の審判権に服すべきことは当然である」としている。
[88](3) 次いで、「処分が比例原則や平等原則に違反する場合」について、最高裁判所昭和30年6月24日判決(民集9巻7号930頁)は、食糧管理法に基づく米の供出割当につき、「〔その方法・時期等については、法令には何等具体的な定めがなく〕一応、行政庁の裁量に任されていたものと解さざるを得ない。もっとも、かような場合においても、行政庁は、何等いわれがなく特定の個人を差別的に取り扱いこれに不利益を及ぼす自由を有するものではなく、この意味においては、行政庁の裁量権には一定の限界があるものと解すべきである」としている。
[89](4) さらに、「処分が社会通念上合理性を欠く場合」について、前掲最高裁判所昭和29年7月30日判決は、「学生の行為に対し、懲戒処分を発動するかどうか、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶかを決定することは、この点の判断が社会観念上著しく妥当を欠くものと認められる場合を除き、原則として、懲戒権者としての学長の裁量に任されている」としている。
[90] また、前記昭和58年大法廷判決は、表現の自由を制限した処分の適法性を判断する際の基準として、「具体的場合における前記法令等の適用にあたり、当該新聞紙、図書等の閲読を許すことによって監獄内における規律及び秩序の維持に放置することができない程度の障害が生ずる相当の蓋然性が存するかどうか、及びこれを防止するためにどのような内容、程度の制限措置が必要と認められるかについては、監獄内の実情に通暁し、直接その衝にあたる監獄の長による個個の場合の具体的状況のもとにおける裁量的判断にまつべき点が少なくないから、障害発生の相当の蓋然性があるとした長の認定に合理的な根拠があり、その防止のために当該制限措置が必要であるとした判断に合理性が認められる限り、長の右措置は適法として是認すべきものと解するのが相当である」(民集37巻5号798〜799頁)としているが、この点も、「監獄の長の認定に事実誤認等の合理性を欠くものがあるとき、又は、右障害防止のために……制限が必要であるとした監獄の長の判断に社会通念、条理、公平の原則に照らして著しく妥当を欠くものがあるときには、いずれも裁量権の範囲の逸脱又は濫用があるとして違法の評価を受けることは避けられない」ものと解されている(法曹時報37巻11号3288頁)。
[91] 従って、裁判所は、裁判長の裁量処分についても、憲法、条理あるいは法秩序全体から演繹される右のような行政裁量に関する司法審査の判断基準全体に準じてこれを考察し、当該処分がいずれかの理由により裁量の限界を超えたと判断される場合には、これを違法と判断しなければならない。

[92]三 ところで、原判決は、「法廷は、本来的には、まず裁判所に対する関係で、双方当事者による真摯な弁論と証拠調べがなされ、裁判所の判断作用に資する情報収集が行なわれる舞台であるというべきである」としたうえ、「訴訟を公正かつ円滑に運営するためには、適切な訴訟指揮をしなければならず、また証拠調べにおいても、調整や介入を必要とする場合が少なくないのである。したがって、裁判所としては、法廷をできる限り当事者の弁論と証拠調べの施行に全神経を集中しうるような雰囲気に維持しておくことが望ましい」(原判決理由 二)とし、さらに、「論告・弁論の各期日においては、審理の最終段階における手続きとして、それ以前の証拠調べの結果を踏まえたうえ、双方の当事者がいかなる意見を陳述するか、また判決の期日においては、裁判所が当事者双方の弁論に対し証拠調べの結果に基づきどのような判断を示すか、いずれも極めて緊張度の高い法廷の雰囲気が要請されるからである」(原判決理由 四)として、前記一のとおり、上告人の本件許可申請を認めなかったことが違法と判断されるような特段の事情があると認めることはできないと判示した。
[93] 前記第一(憲法21条1項違反等)のとおり、およそメモの許否が裁判長の自由な裁量に委ねられているわけではないが、仮に、メモの許否の判断が裁判長の裁量処分であるとしても、本件メモ採取禁止処分は、次のとおり違法である。

[94] 第一に、本件メモ採取禁止処分は、裁判長に法廷警察権を与えた法の趣旨・目的に従ってなされたと認められない場合であり、違法である。
[95] そもそも、原判決は、「訴訟を公正かつ円滑に運営するために」「法廷をできる限り当事者の弁論と証拠調べの施行に全神経を集中しうるような雰囲気に維持しておくこと」と「緊張度の高い法廷の雰囲気が要請される」ことをメモを禁止することの正当な目的であるとしている。
[96] しかしながら、法廷は、「裁判所に対する関係で、双方当事者による真摯な弁論と証拠調べがなされ、裁判所の判断作用に資する情報収集が行なわれる舞台である」と同時に、原判決も認めるように、「公開が憲法上要請されており、それ故、そこで行なわれる裁判に関して、国民に対し情報を提供する場でもある」。そのため、法廷警察権は、裁判所の判断作用に資する情報収集が円滑になされるために行使されると同時に、国民に対し情報を提供できるようにするために行使されなければならない。これが、裁判長に法廷警察権を与えた法の趣旨・目的なのである。
[97] 実際にも、傍聴人のメモ行為が司法記者クラブ所属会社の記者によるメモ行為と同様の形態をとるにすぎないものとして、法廷において「全神経を集中しうるような雰囲気」や「緊張度の高い法廷の雰囲気」を害さない場合がある。この場合には、訴訟を公正かつ円滑に運営するために法廷において全神経を集中しうるような雰囲気や緊張度の高い法廷の雰囲気を害することをもって、ただちにメモを禁止することの正当な目的とすることはできない。
[98] そして、このような場合には、裁判所の判断資料に資する情報収集が円滑になされるのと同時に、傍聴人のメモ行為を認め国民に対し公正かつ円滑に情報を提供できるようにするためにこそ、法廷警察権は行使されなければならないのである。
[99] これについて、千葉裕判事は、「メモ作成は、裁判公開の原則(憲法37条1項、82条1項)に必然的に伴うものとはいえないかも知れないが、その原則の趣旨に照らし、それが法廷の秩序を乱すとか裁判に支障を来すとかの事由がないかぎり、これを自由に認めてなんらさし支えないのではないかと思われる」と指摘し、また平野龍一教授も、「裁判長は、法廷の秩序を乱さないかぎり傍聴人がノートをとることを禁止できない(不正確にノートされるおそれがあるという理由で禁止するのは不当である)」と述べている。また、写真撮影の制限に関する最高裁判所大法廷昭和33年2月17日決定は、「取材活動であっても、その活動が公判廷における審判の秩序を乱し被告人その他訴訟関係人の正当な利益を不当に害するがごときものは、もとより許されない」(刑集12巻2号255〜256頁)と述べて、本来は自由であるべき写真撮影を制限しうる場合を明示したが、右の法理が、本件におけるメモ採取にも妥当するものであることはいうまでもない。
[100] 本件において、上告人は、経済法、特に日本及び米国の国際間の経済問題に関する法制度を研究し、その一環として被告人甲野一郎に対する所得税法違反被告事件を研究していたものであるが、この研究においては正確な事実の記録が特に強く要求されるため、本件事件の公判傍聴にあたりメモを採ることを請求したものである。したがって、上告人のメモ採取によって、法廷において「全神経を集中しうるような雰囲気」や「緊張度の高い法廷の雰囲気」を害するおそれなどは全くなかったものである。
[101] しかるに、本件事件を担当した東京地方裁判所刑事20部小瀬保郎裁判長は、上告人の1983年11月18日付(提出は同月17日)許可申請に対し、同月17日付で不許可決定の告知をなした後、原告が公判傍聴にあたりメモを採取する理由説明のための面会を求めたのに対し、これを拒否し、上告人のメモ行為が現実に法廷の雰囲気を害するかどうかの具体的な検討すらなさなかったのである。
[102] 右に述べた法廷警察権の趣旨・目的に照らして、本件をみれば、上告人のメモ行為が法廷において「全神経を集中しうるような雰囲気」や「緊張度の高い法廷の雰囲気」を害さないにかかわらず、国民に対する情報提供を理由なく制限したものであるから、本件メモ禁止処分が裁判長に法廷警察権を与えた法の趣旨・目的に従ってなされたとは認められない場合であり違法である。

[103] 第二に、本件メモ採取禁止処分は、事実の基礎を欠く場合であり、違法である。
[104] 本件においては、裁判長が本件メモ採取禁止処分をするにあたり、いかなる事実を考慮したのかについて、被上告人(被控訴人)が何らの主張・立証をすることもなく、また原判決も本件の事実に基づく何らの認定をしないままに、右処分を適法としている。
[105] 被上告人(被控訴人)は、「傍聴人にはメモをとる権利は認められていないのであり、これを許すか否かについては本来裁判長の自由な裁量に委ねられている」(第一審判決、事実二 請求原因に対する認否3(一))、「許否の判断は裁判長の自由な裁量に委ねられているものであって、一般傍聴人のメモ制限について、いちいちその理由を明らかにする必要もない」(同 (二))などと主張しながら、本件において裁判長がいかなる事実認識に基づき本件メモ禁止処分をなしたかについては全く主張していない。
[106] また、原判決は、弁論と証拠調べにおいて上告人のメモ行為が裁判所が全神経を集中しうる雰囲気を乱すと判断するにあたり、具体的にどのような事実認識に基づいたのか、さらに、論告・弁論・判決の各期日において上告人のメモ行為が緊張度の高い法廷の雰囲気を乱すと判断するにあたり具体的にどのような事実認識に基づいたのか、全く述べるところがない(しかも1984年4月6日午前10時、同年同月11日午前10時、同年同月16日午前10時、同年同月20日午前10時、同年5月18日午前10時の各公判期日においては、証人尋問や被告人質問すら実施されていないのであるから、上告人のメモ行為が法廷の雰囲気を乱すと判断するにあたり具体的にどのような事実認識に基づいたのか全く明らかではない。)。また、司法記者クラブ所属会社の記者によるメモ行為と上告人のメモ行為とはどのように異なり、上告人のメモ行為だけが法廷の雰囲気をどのように害しているのかについても、全く述べるところがない。
[107] 結局、原判決は、上告人の本件メモ行為が全神経を集中しうるような法廷の雰囲気をどのようにして乱すことになるのかについての具体的事実の基礎を欠き、もっぱら、訴訟の公正かつ円滑な運営に影響を及ぼす一般的、抽象的おそれがあるという理由で制限したにすぎず、裁判長の裁量の限界を超えたものであって違法である。

[108] 第三に、本件メモ採取禁止処分は、平等原則に違反し、違法である。
[109] 前記のとおり、裁量処分であっても、それが合理的理由なく差別取扱いをするものであるときは裁量権を濫用したものとして違法となるが、本件メモ採取禁止処分が司法記者クラブ所属会社の記者とそうでない者とを合理的理由なく差別したものであることは、第五(憲法14条違反)において述べたとおりである。
[110] したがって、本件メモ採取禁止処分は、平等原則に違反し、裁量権を濫用した違法な処分である。

[111] 第四に、本件メモ採取禁止処分は、社会通念上合理性を欠くものであり、違法である。
[112] メモの許否の判断が裁判長の裁量処分であるとしても傍聴人のメモ行為を制限するについては、前記二、(4)で述べたとおり、社会通念上の合理性が必要である。
[113] 法廷における傍聴人のメモの権利は憲法21条によって保障された権利である。仮りにそうでないとしても、憲法21条の保障する表現の自由に密接な関連のある権利・利益であることは疑問のないところであり、右傍聴人のメモの権利・利益を考慮しない裁判長の裁量処分はありえない。
[114] 原判決は、訴訟を公正かつ円滑に運営するために、「法廷において全神経を集中しうるような雰囲気」や「緊張度の高い法廷の雰囲気」を維持することだけを考慮に入れて、裁判長のメモの許否の裁量処分をすべきであるとする。
[115] しかし、他方、原判決が認めるとおり、法廷は、「公開が憲法上要請されており、それ故、そこで行なわれる裁判に関して、国民に対し情報を提供する場でもある」。したがって、裁判官がメモ許否の裁量処分をするにあたっても、右傍聴人のメモの権利・利益を考慮に入れたうえでなすべきであるにもかかわらず、原判決は、右傍聴人の権利・利益を全く考慮に入れていない点において、既に、本件メモ採取禁止処分は、社会通念上の合理性を欠くものとして違法である。
[116] また、仮りに、右傍聴人の権利・利益を考慮するとしても、具体的事情を考慮に入れず訴訟の公正かつ円滑な運営に影響を及ぼす一般的、抽象的おそれがあるという理由だけで右権利・利益を制限できるとすることは、憲法上の権利の中でも優越な地位を占める表現の自由に密接に関連する傍聴人の権利・利益を全く無視するものであり、具体的事情を考慮に入れない本件メモ採取禁止処分は、やはり社会通念上の合理性を欠くものであり違法である。
[117] また、本件メモ採取禁止処分は、前記第一(憲法21条1項違反等)のとおり、傍聴人のメモの権利・利益を制限することを正当化する事由( 具体的事情のもとで、傍聴人にメモの採取を許した場合に訴訟の公正かつ円滑な運営に放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性があり、 メモの権利の制限の程度が右の障害発生防止のため必要かつ合理的な範囲内にとどまる場合であり、 また、メモ採取の権利を制限が必要とされる程度と、メモ採取の権利の重大性、これに対する制限の態様、程度等を較量し、メモ採取の権利を制限してもやむをえないと判断される場合)に照らしても、そのような事由を有するものではない。したがって、この点においても本件メモ採取禁止処分は、社会通念上の合理性を欠くものであり違法である。

[118] 以上のとおり、本件メモ採取禁止処分は、法の趣旨・目的に従ってなされたものといえず、処分が事実の基礎を欠き、平等原則に違反し、社会通念上合理性を欠くものであり、裁量権を濫用したものである。にもかかわらず、本件処分を適法とした原判決には、裁判所法71条、刑事訴訟法288条2項の解釈適用を誤った違法があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから原判決はこの点においても破棄されなければならない。

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