マクリーン事件
上告審判決

在留期間更新不許可処分取消請求事件
最高裁判所 昭和50年(行ツ)第120号
昭和53年10月4日 大法廷 判決

上告人(被控訴人 原告) ロナルド・アラン・マクリーン
         代理人 秋山幹男 外1名
被上告人(控訴人 被告) 法務大臣

■ 主 文
■ 理 由

■ 上告代理人秋山幹男、同弘中惇一郎の上告理由


 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人の負担とする。

[1](一) 本件につき原審が確定した事実関係の要旨は、次のとおりである。
[2](1) 上告人は、アメリカ合衆国国籍を有する外国人であるが、昭和44年4月21日その所持する旅券に在韓国日本大使館発行の査証を受けたうえで本邦に入国し、同年5月10日下関入国管理事務所入国審査官から出入国管理令4条1項16号、特定の在留資格及びその在留期間を定める省令1項3号に該当する者としての在留資格をもつて在留期間を1年とする上陸許可の証印を受けて本邦に上陸した。
[3](2) 上告人は、昭和45年5月1日1年間の在留期間の更新を申請したところ、被上告人は、同年8月10日「出国準備期間として同年5月10日から同年9月7日まで120日間の在留期間更新を許可する。」との処分をした。そこで、上告人は、更に、同年8月27日被上告人に対し、同年9月8日から1年間の在留期間の更新を申請したところ、被上告人は、同年9月5日付で、上告人に対し、右更新を適当と認めるに足りる相当な理由があるものとはいえないとして右更新を許可しないとの処分(以下「本件処分」という。)をした。
[4](3) 被上告人が在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当な理由があるものとはいえないとしたのは、次のような上告人の在留期間中の無届転職と政治活動のゆえであつた。
[5](ア) 上告人は、ベルリツツ語学学校に英語教師として雇用されるため在留資格を認められたのに、入国後わずか17日間で同校を退職し、財団法人英語教育協議会に英語教師として就職し、入国を認められた学校における英語教育に従事しなかつた。
[6](イ) 上告人は、外国人ベ平連(昭和44年6月在日外国人数人によつてアメリカのベトナム戦争介入反対、日米安保条約によるアメリカの極東政策への加担反対、在日外国人の政治活動を抑圧する出入国管理法案反対の3つの目的のために結成された団体であるが、いわゆるベ平連からは独立しており、また、会員制度をとつていない。)に所属し、昭和44年6月から12月までの間9回にわたりその定例集会に参加し、7月10日左派華僑青年等が同月2日より13日まで国鉄新宿駅西口付近において行つた出入国管理法案粉砕ハンガーストライキを支援するため、その目的等を印刷したビラを通行人に配布し、9月6日と10月4日ベ平連定例集会に参加し、同月15、16日ベトナム反戦モラトリアムデー運動に参加して米国大使館にベトナム戦争に反対する目的で抗議に赴き、12月7日横浜入国者収容所に対する抗議を目的とする示威行進に参加し、翌45年2月15日朝霞市における反戦放送集会に参加し、3月1日同市の米軍基地キヤンプドレイク付近における反戦示威行進に参加し、同月15日ベ平連とともに同市における「大泉市民の集い」という集会に参加して反戦ビラを配布し、5月15日米軍のカンボジア侵入に反対する目的で米国大使館に抗議のため赴き、同月16日5・16ベトナムモラトリアムデー連帯日米人民集会に参加してカンボジア介入反対米国反戦示威行進に参加し、6月14日代々木公園で行われた安保粉砕労学市民大統一行動集会に参加し、7月4日清水谷公園で行われた東京動員委員会主催の米日人民連帯、米日反戦兵士支援のための集会に参加し、同月7日には羽田空港においてロジヤース国務長官来日反対運動を行うなどの政治的活動を行つた。なお、上告人が参加した集会、集団示威行進等は、いずれも、平和的かつ合法的行動の域を出ていないものであり、上告人の参加の態様は、指導的又は積極的なものではなかつた。

[7](二) 原審は、自国内に外国人を受け入れるかどうかは基本的にはその国の自由であり、在留期間の更新の申請に対し更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるかどうかは、法務大臣の自由な裁量による判断に任されているものであるとし、前記の上告人の一連の政治活動は、在留期間内は外国人にも許される表現の自由の範囲内にあるものとして格別不利益を強制されるものではないが、法務大臣が、在留期間の更新の許否を決するについてこれを日本国及び日本国民にとつて望ましいものではないとし、更新を適当と認めるに足りる相当な理由がないと判断したとしても、それが何ぴとの目からみても妥当でないことが明らかであるとすべき事情のない本件にあつては、法務大臣に任された裁量の範囲内におけるものというべきであり、これをもつて本件処分を違法であるとすることはできない、と判断した。

[8](三) 論旨は、要するに、(1)自国内に外国人を受け入れるかどうかはその国の自由であり、在留期間の更新の申請に対し更新を適当と認めるに足りる相当な理由があるかどうかは法務大臣の自由な裁量による判断に任されているものであるとした原判決は、憲法22条1項、出入国管理令21条の解釈適用を誤り、理由不備の違法がある、(2)本件処分のような裁量処分に対する原審の審査の態度、方法には、判例違反、審理不尽、理由不備の違法があり、行政事件訴訟法30条の解釈の誤りがある、(3)被上告人の本件処分は、裁量権の範囲を逸脱したものであり、憲法の保障を受ける上告人のいわゆる政治活動を理由として外国人に不利益を課するものであつて、本件処分を違法でないとした原判決は、経験則に違背する認定をし、理由不備の違法を犯し、出入国管理令21条の解釈適用を誤り、憲法14条、16条、19条、21条に違反するものである、と主張することに帰するものと解される。
[9](一) 憲法22条1項は、日本国内における居住・移転の自由を保障する旨を規定するにとどまり、外国人がわが国に入国することについてはなんら規定していないものであり、このことは、国際慣習法上、国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく、特別の条約がない限り、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかを、当該国家が自由に決定することができるものとされていることと、その考えを同じくするものと解される(最高裁昭和29年(あ)第3594号同32年6月19日大法廷判決・刑集11巻6号1663頁参照)。したがつて、憲法上、外国人は、わが国に入国する自由を保障されているものでないことはもちろん、所論のように在留の権利ないし引き続き在留することを要求しうる権利を保障されているものでもないと解すべきである。そして、上述の憲法の趣旨を前提として、法律としての効力を有する出入国管理令は、外国人に対し、一定の期間を限り(4条1項1号、2号、14号の場合を除く。)特定の資格によりわが国への上陸を許すこととしているものであるから、上陸を許された外国人は、その在留期間が経過した場合には当然わが国から退去しなければならない。もつとも、出入国管理令は、当該外国人が在留期間の延長を希望するときには在留期間の更新を申請することができることとしているが(21条1項、2項)、その申請に対しては法務大臣が「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り」これを許可することができるものと定めている(同条3項)のであるから、出入国管理令上も在留外国人の在留期間の更新が権利として保障されているものでないことは、明らかである。
[10] 右のように出入国管理令が原則として一定の期間を限つて外国人のわが国への上陸及び在留を許しその期間の更新は法務大臣がこれを適当と認めるに足りる相当の理由があると判断した場合に限り許可することとしているのは、法務大臣に一定の期間ごとに当該外国人の在留中の状況、在留の必要性・相当性等を審査して在留の許否を決定させようとする趣旨に出たものであり、そして、在留期間の更新事由が概括的に規定されその判断基準が特に定められていないのは、更新事由の有無の判断を法務大臣の裁量に任せ、その裁量権の範囲を広汎なものとする趣旨からであると解される。すなわち、法務大臣は、在留期間の更新の許否を決するにあたつては、外国人に対する出入国の管理及び在留の規制の目的である国内の治安と善良の風俗の維持、保健・衛生の確保、労働市場の安定などの国益の保持の見地に立つて、申請者の申請事由の当否のみならず、当該外国人の在留中の一切の行状、国内の政治・経済・社会等の諸事情、国際情勢、外交関係、国際礼譲など諸般の事情をしんしやくし、時宜に応じた的確な判断をしなければならないのであるが、このような判断は、事柄の性質上、出入国管理行政の責任を負う法務大臣の裁量に任せるのでなければとうてい適切な結果を期待することができないものと考えられる。このような点にかんがみると、出入国管理令21条3項所定の「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由」があるかどうかの判断における法務大臣の裁量権の範囲が広汎なものとされているのは当然のことであつて、所論のように上陸拒否事由又は退去強制事由に準ずる事由に該当しない限り更新申請を不許可にすることは許されないと解すべきものではない。

[11](二) ところで、行政庁がその裁量に任された事項について裁量権行使の準則を定めることがあつても、このような準則は、本来、行政庁の処分の妥当性を確保するためのものなのであるから、処分が右準則に違背して行われたとしても、原則として当不当の問題を生ずるにとどまり、当然に違法となるものではない。処分が違法となるのは、それが法の認める裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつた場合に限られるのであり、また、その場合に限り裁判所は当該処分を取り消すことができるものであつて、行政事件訴訟法30条の規定はこの理を明らかにしたものにほかならない。もつとも、法が処分を行政庁の裁量に任せる趣旨、目的、範囲は各種の処分によつて一様ではなく、これに応じて裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして違法とされる場合もそれぞれ異なるものであり、各種の処分ごとにこれを検討しなければならないが、これを出入国管理令21条3項に基づく法務大臣の「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由」があるかどうかの判断の場合についてみれば、右判断に関する前述の法務大臣の裁量権の性質にかんがみ、その判断が全く事実の基礎を欠き又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである場合に限り、裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして違法となるものというべきである。したがつて、裁判所は、法務大臣の右判断についてそれが違法となるかどうかを審理、判断するにあたつては、右判断が法務大臣の裁量権の行使としてされたものであることを前提として、その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により右判断が全く事実の基礎を欠くかどうか、又は事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により右判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるかどうかについて審理し、それが認められる場合に限り、右判断が裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして違法であるとすることができるものと解するのが、相当である。なお、所論引用の当裁判所昭和37年(オ)第752号同44年7月11日第2小法廷判決(民集23巻8号1470頁)は、事案を異にし本件に適切なものではなく、その余の判例は、右判示するところとその趣旨を異にするものではない。

[12](三) 以上の見地に立つて被上告人の本件処分の適否について検討する。
[13] 前記の事実によれば、上告人の在留期間更新申請に対し被上告人が更新を適当と認めるに足りる相当な理由があるものとはいえないとしてこれを許可しなかつたのは、上告人の在留期間中の無届転職と政治活動のゆえであつたというのであり、原判決の趣旨に徴すると、なかでも政治活動が重視されたものと解される。
[14] 思うに、憲法第3章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべきであり、政治活動の自由についても、わが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位にかんがみこれを認めることが相当でないと解されるものを除き、その保障が及ぶものと解するのが、相当である。しかしながら、前述のように、外国人の在留の許否は国の裁量にゆだねられ、わが国に在留する外国人は、憲法上わが国に在留する権利ないし引き続き在留することを要求することができる権利を保障されているものではなく、ただ、出入国管理令上法務大臣がその裁量により更新を適当と認めるに足りる相当の理由があると判断する場合に限り在留期間の更新を受けることができる地位を与えられているにすぎないものであり、したがつて、外国人に対する憲法の基本的人権の保障は、右のような外国人在留制度のわく内で与えられているにすぎないものと解するのが相当であつて、在留の許否を決する国の裁量を拘束するまでの保障、すなわち、在留期間中の憲法の基本的人権の保障を受ける行為を在留期間の更新の際に消極的な事情としてしんしやくされないことまでの保障が与えられているものと解することはできない。在留中の外国人の行為が合憲合法な場合でも、法務大臣がその行為を当不当の面から日本国にとつて好ましいものとはいえないと評価し、また、右行為から将来当該外国人が日本国の利益を害する行為を行うおそれがある者であると推認することは、右行為が上記のような意味において憲法の保障を受けるものであるからといつてなんら妨げられるものではない。
[15] 前述の上告人の在留期間中のいわゆる政治活動は、その行動の態様などからみて直ちに憲法の保障が及ばない政治活動であるとはいえない。しかしながら、上告人の右活動のなかには、わが国の出入国管理政策に対する非難行動、あるいはアメリカ合衆国の極東政策ひいては日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に対する抗議行動のようにわが国の基本的な外交政策を非難し日米間の友好関係に影響を及ぼすおそれがないとはいえないものも含まれており、被上告人が、当時の内外の情勢にかんがみ、上告人の右活動を日本国にとつて好ましいものではないと評価し、また、上告人の右活動から同人を将来日本国の利益を害する行為を行うおそれがある者と認めて、在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるものとはいえないと判断したとしても、その事実の評価が明白に合理性を欠き、その判断が社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるとはいえず、他に被上告人の判断につき裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたことをうかがわせるに足りる事情の存在が確定されていない本件においては、被上告人の本件処分を違法であると判断することはできないものといわなければならない。また、被上告人が前述の上告人の政治活動をしんしやくして在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるものとはいえないとし本件処分をしたことによつて、なんら所論の違憲の問題は生じないというべきである。

[16](四) 以上述べたところと同旨に帰する原審の判断は、正当であつて、所論引用の各判例にもなんら違反するものではなく、原判決に所論の違憲、違法はない。論旨は、上述したところと異なる見解に基づいて原判決を非難するものであつて、採用することができない。
[17] 原審が当事者双方の陳述を記載するにつき所論の方法をとつたからといつて、判決の事実摘示として欠けるところはないものというべきであり、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

[18] よつて、行政事件訴訟法7条、民訴法401条、95条、89条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡原昌男  裁判官 岸盛一  裁判官 天野武一  裁判官 岸上康夫  裁判官 江里口清雄  裁判官 大塚喜一郎  裁判官 高辻正己  裁判官 吉田豊  裁判官 団藤重光  裁判官 本林譲  裁判官 服部高顕  裁判官 環昌一  裁判官 栗本一夫  裁判官 藤崎万里  裁判官 本山亨)

[1] 原審はその理由中で、「(上告人の)右のごとき一連の政治活動も、これが在留外国人によつてその在留期間内になされたのであれば、さきに見たように外国人にも許される表現の自由の範囲内にあるものとして格別不利益を強制されるものではなく、またそれ自体で退去強制事由を構成するものとするのも困難であろう」と判示している(9丁裏)。
[2] しかるに原審は、他方で、上告人の行動はわが国の出入国管理政策あるいは外交政策に対する非難行動であり、(外国人として)許容される域を越えた干渉的言動として、なんびとの目にも本来望ましい事柄と見えるものとは必らずしもいいえないものであり従つて在留期間更新の許否をするにつき消極の事情と判断することも許されるとする(10丁裏〜11丁表)。
[3] すなわち原審は一方で、上告人の一連の政治活動を「外国人も許される表現の自由の範囲内にある」とし、他方で「(外国人として)許容される域を超えた干渉的言動」とするもので、明白な理由の齟齬があり、この齟齬が結論に重大な影響を持つものであること明らかである。
[4] なお、原判決はこの矛盾について、(表現の自由の行使に関し)「ひとたびこの外国人に在留期間の更新を許すべきかどうかとなれば、その評価はおのずから異るべき」(9丁裏〜10丁表)と言う。しかしながらそれが違法不当な行為であるならば、ある場合には看過され、ある場合には問題視されるという異つた取り扱いもあろう。しかし、合法的正当な行動についてはこのようなことはありえない。原審は上告人の行動を「外国人にも許される表現の自由の範囲内」と認定している。表現の自由の範囲内の行為について、国家機関が不利益を科することが許されるはずがない。(なお原審は、在留更新の拒否が不利益処分たることは認めている。―原判決7丁表)従つて原審の右説明は到底前述の矛盾の説明たりえないものである。
[5] また、原審は右の矛盾について、「ひとたびこの外国人に在留期間の更新を許すべきかどうかとなれば、その評価はおのずから異るべき」としたうえで、その根拠を、「外国人の受け入れが基本的には受入国の自由であることに由来する法務大臣の広汎な裁量権の存在」と説明している(6丁表)。
[6] しかし右の説明も到底説明たりえない。
[7] 第一に、「外国人の受入れが基本的には受入国の自由である」ということは、外国人の受入れについてどういう基準を設け、どういう制度をとるかはその国が自由に決めうるということにすぎず、これを運用する行政機関たる法務大臣の裁量が広範囲であることの論拠とはならない。
[8] しかもわが国の入管令においては、上陸拒否事由、退去強制事由について限定列挙していて、法務大臣の裁量は制約されておりこれとの権衡上、在留更新拒否のみが法務大臣の広汎な裁量に委ねられていると解することは到底できない。
[9] 第二に、法務大臣が在留更新拒否について、ある程度広い裁量権をもち、又拒否の決定にあたつて当該外国人の在留中の活動を一つの事情としてしんしやくできるとしても、そのことから直ちに、表現の自由の範囲内にある行動までも、不利益事情として採りあげることが許されることにはならない。
[10] 法務大臣の在留更新拒否の権限も、国民の厳粛な信託によるもの(憲法前文)であり、法務大臣は憲法を尊重し、擁護する義務を負う(憲法第99条)ものであるから、右の裁量処分の行使についても憲法を頂点とする法体系の理念に適合するようにこれを行うべきことは当然のことである。従つて、基本的人権の保障と矛盾するような処分が許されないのはいうまでもないことである。以上の点について原判決は何ら合理的な説明を加えておらず、明白な理由の不備がある。よつて原判決は理由齟齬ないし理由不備の違法あるものとして破棄を免れない。
[11]一、すなわち原審は、上告人の入管法案反対ハンスト支援ビラ配布、横浜入国者収容所に対する抗議の示威運動について、「わが国の出入国管理政策に対する非難行動」と認定している。しかし、証拠上、上告人の行動の目的・態様は、上告人自身の身分上の利害に関して日本政府および日本国民に善処を訴えるといつた性質のものであることは明らかであり、これを「政策非難」と認定することは不当である。
[12] また、原審は上告人のその他の行動について、「アメリカの極東政策―ひいては日米安保条約に対する抗議行動であつて、その主張の趣旨の是非は別として、わが国の外交政策を非難し、また、わが国と友交関係にあるアメリカ合衆国が国策としているところを非難するものであり、日米間の国際友好関係に影響なしとしえない」と認定している。
[13] ところで、まず外国人ベ平連とは在日アメリカ人を中心とする集まりで、原審も認定しているように、「アメリカのベトナム戦争介入反対、日米安保条約によるアメリカの極東政策への加担反対」を主目的とするものである。そして原審の言う「その他の行動」とは、右外国人ベ平連の定例集会への参加のほかは、44年9月15、16日の「米国大使館に対するベトナム戦争反対の抗議行動」「45年2月15日、3月1日、同月15日の、朝霞市米軍キヤンプに対する反戦放送、ビラ配布、示威行進」「5月15日の米国大使館に対する米軍カンボジア侵入に対する抗議の申し入れ」「5月16日、7月4日のインドシナ戦争反対集会への参加」「7月7日のロジヤースアメリカ国務長官への抗議行動」「6月14日の安保粉砕集会への参加」である。すなわち、6月14日の集会以外は、すべてアメリカの、ベトナム戦争に対する抗議行動であり、抗議の対象も、アメリカ大使館、米軍基地、米国国務長官等に絞られている。このことと、前述の外国人ベ平連の目的とを併せ考えるならば、上告人の6月14日の行動も、「日本の安全保障」という観点でなく、「アメリカの極東政策の一環としての安保条約」に対する反対の意思表示の趣旨であつたことは明らかである。要約すれば、上告人の行動は、アメリカ合衆国国民としてアメリカ合衆国のベトナム戦争に反対することに終始していたものである。上告人が、これを越えて「わが国の外交政策」自体を非難したと認むるに足る証拠はなく、また被告人の行為を一連のものとして把えた場合に、そのように認定することは明らかに不当である。なお、原審も認定するとおり、上告人は、アメリカ合衆国で生まれ育つたアメリカ合衆国国民であり、昭和41年米国平和奉仕団の一員として韓国に渡り、44年に英語教育と琵琶、琴の勉強を目的に来日し、ゆくゆくはアメリカのアジア音楽部門を有する大学で琵琶、琴の教授をすることを志していた者である。
[14] 換言すれば、上告人は生活の本拠をアメリカ合衆国に有するものであり、またアジアの文化を尊重し、アジアの平和を願つて来た者である。そのような立場にある上告人が、母国のベトナム戦争に反対するのは当然のことである。原審は上告人のこの行為が、日米間の友好関係に影響なしとしえないものに属すると認定する。しかしながら、アメリカ合衆国国民がアメリカ大使館等へ赴き、アメリカ合衆国の政策に抗議することによりなにゆえに日米国の国際友好関係が傷つくのであろうか。アメリカ合衆国は言論の自由を尊重する国であり、とりわけベトナム戦争のような全国民(上告人とてその例外でない)に重大な影響をもつ問題について、その批判の自由が最大限に尊重されてきたことは公知の事実である。
[15] 以上のとおりであるから、原審の右判断は条理に反し、又証拠に基かざる認定というべく、ひいては理由不備として破棄を免れないものである。

[16]二、原審は、外国人は参政権を認められていないから、わが国の政治、外交など日本国民が自主的に主権の行使として決定すべき事項に関しては干渉的言動を弄することは不当であるとする。そして、被告人の行動のうち、昭和44年7月10日と12月7日の行動以外の行動は、アメリカの極東政策に対する抗議行動であり、ひいては日米安保条約に対する抗議行動であり、わが国の外交政策に対する非難であるとする。ところで原審の認定するところによれば、上告人の行動の中、45年6月14日の行動以外の行動は専らベトナム戦争に対する抗議行動であつて、日米安保条約に対するものではない。ところでアメリカの極東政策が「日本国民が自主的に主権の行使として決定すべき事項」でなく、むしろ上告人らアメリカ合衆国国民が決定すべき事柄であるのは明らかである。さらに、日米安保条約についても前述のとおり、上告人の行為はアメリカの極東政策反対の目的によるものであり、右と同じである。
[17] 以上のとおりであり、上告人の行為を「日本国民のみが自主的に決定すべき事項」に対する干渉との原判決の認定は、その前提において誤まつており、理由不備ないし理由齟齬のそしりを免れないものである。
[18] 原判決は、法務大臣の本件処分が違法であるかについては、「なんぴとの目からみても妥当としえないことが明白であるか否か」についてのみ審理したが、本件処分のような裁量処分については裁判所は、原判決が自ら認めるとおり事実誤認の有無を審理しなければならないし、後記(上告理由第一〇点)のとおり処分の前提となつた事実に誤認がないか、処分が比例原則や平等原則に違反していないか否か、権限を定めた法規の趣旨・目的に従つて権限が行使されているか否か、考慮すべき事項を考慮せず、考慮すべきでない事項を考慮していないか否か、判断が合理性をもつ判断として許容される限度を超えたものか否かなどについて独自の立場で審査し、判断を加えなければならないのに(その理由については後記上告理由第10点において述べる事項を全て援用する)右各事項について全く判断を加えていない(上告人は、原審において、法務大臣の本件処分は平等原則に違反し(憲法14条違反)在留更新制度の趣旨に照らして処分に合理的理由が認められず、憲法前文の国際協調主義、憲法の基本的人権の保障条項(憲法16条、19条、21条、22条など)に照らして著るしく不合理で妥当を欠くことなどを理由として、本件処分が裁量権の逸脱ないし濫用であるとの主張をしているものである)。原判決には右の点につき審理不尽の違法がある。
[19]一、法務大臣は、昭和46年7月3日付準備書面(四)において、外国人の政治活動の限界基準を述べ、この限界を逸脱した行為をした場合には、退去強制事由に該当しなくとも、在留期間更新に際しては、これを理由として不利益処分を課することができると主張する。それによると、(一)わが国の政治体制の変更を主張する活動、(二)国民の参政権の行使に直接影響を与える活動、(三)わが国の特定の政治政策に影響を与え、その実施の妨害を目的とする活動、(四)わが国と友好関係にある外国を誹謗するなど外交関係に悪影響を及ぼす活動、が限界を超えた政治活動とされている。
[20] ところで、証人青山農(法務省入国管理局資格審査課長)の証言によると、法務大臣の右基準によれば、「表現の自由は外国人にも保障され」(尋問調書7丁)、「デモや集会に参加すること」(7丁)、「新聞に投稿すること」(33丁)、「入国者収容所の待遇改善を訴えること」(31丁)、「出入国法案に反対すること」(32丁)、「居住している外国のことについて発言すること」(8丁)、「請願をすること(安保条約に関するものを含む)」(13丁)、「米国の政策を批判する意思表示をなすこと」(35丁)はそれぞれ限界内の行為であり、さしつかえがなく、上告人の行つた反戦活動は外国政府の誹謗にはあたらず、米国大使館に対する抗議行動も重大な政治活動とはいえず、いずれもこれをもつて在留更新を不許可にすることはできないと述べる(30丁)。結局右証言によると、法務大臣が上告人の行為が限界を超えたものと評価した点は、安保条約粉砕を唱える外国人ベ平連に所属した点と、出入国管理体制粉砕を主張したとの点にあることになる(11、32丁)

[21]二、したがつて、裁判所としては、法務大臣が定立した前記基準が在留更新の許否の基準として相当なものであるか否か、法が法務大臣に与えた裁量を逸脱したものであるか否かを審理し、判断を下すべきであり、また上告人が法務大臣の定立した基準に牴触する行為を行つた事実が存するか(処分の基礎となつた事実誤認の有無)を審理し、判断すべきである。
[22] ところが原判決は、法務大臣の定立した基準に従つて、処分の違法性を判断することを全くせず、「わが国の政治、外交など日本国民が自主的に主権の行使として決定すべき事項に関し純粋な学問上の見地からする批評や在留外国人が国際礼譲の立場から許容される論評行為であればともかく、その域を越えてこれに干渉的言動を弄するがごときは……」(10丁)と述ベ学問上の見地からの批評や国際礼譲の立場から許容される論評行為を越える言動を行つた場合は、在留更新を不許可にできるとの独自の基準を定立しているものであり、さらに上告人の行為はわが国の出入国管理政策や外交政策に対する非難行動であり、米国の極東政策を非難するもので、米国との友交関係に影響なしとしないものであるから、右基準によれば在留更新を不許可にすることが許されると判示しているものである(10、11丁)。ところが、単にわが国の出入国管理政策や外交政策を非難することは、外国人の表現の自由の限界内の行為として法務大臣も是認し、これを理由として更新を不許可にできないとの見解を表明しているところであるし、米国の政策を非難することも同様であり、また単に外国との友好関係に影響を及ぼす行為は外国人の表現の自由の限界内の行為であり、外国を誹謗する程度に至つたもののみが限界を超えるものとされているのである(前記基準及び証言)。
[23] 要するに、原判決が在留更新不許可の事由としてさしつかえないとする上告人の行為は、法務大臣の見解によれば不許可の事由とはすべきでない行為であり、本件処分につき法務大臣が処分の理由としたものではない。裁量処分の違法性の有無を裁判所が判定する場合には、前記のとおり、処分行政庁が処分の基準としたものが相当であるか否か、及び右処分基準に該当する事実の存否が判断の対象となるべきものであるから、およそ行政庁が処分理由としないと公言している事項を基準としてその存否を判定することは司法審査としては全く的外れである。原判決にはこの点において理由不備の違法がある。
[24] さらに原判決は、法務大臣の定立した基準に照らして上告人の行為が外国人の表現の自由の限界を超えるものであるか否かを判定して、本件処分の違法性の有無を判定すべきであつたのに、これを全く行つていない。また法務大臣によれば、上告人の行為のうち、出入国管理体制の粉砕を唱える点および安保条約粉砕を唱える外国人べ平連に属する点のみが不許可処分の理由とされたことが明らかなのであるから、裁判所は、これらの点をもつて不許可処分を下すことの違法性の有無およびこれらの事実の有無に焦点をあわせて判断を示すべきであるのに、これを全く行つていない。
[25] 以上の点を審理し、判断するのでなければ、処分の違法性の有無は判定できないはずである。原判決にはこれらの点において審理不尽、理由不備の違法がある。
[26] 右の点に焦点を合わせて審理をするならば、上告人が行つた出入国管理政策批判は単なる政策批判にすぎず、上告人が出入国管理体制粉砕を唱えた事実は存しないこと、右の粉砕は証人青山農が述べるような「入国管理体制そのものをなくす」(尋問調書32丁)といつたものでないことは一目瞭然であり、上告人は外国人ベ平連のメンバーとはいえないこと、上告人も外国人ベ平連も日本政府の安保政策を批判したものでないこと、上告人が安保粉砕を唱えたことは一切なかつたことなどもただちに明らかとなり、法務大臣が処分理由とした事実に誤認があり、処分の論理過程に著るしい誤りがあることが明確になつたはずである。
[27] 原判決は、控訴審における控訴人、被控訴人双方の陳述について、準備書面を別紙として添付したのみで事実摘示をしていない。しかし、「事実及争点の記載は口頭弁論における当事者の陳述に基き要領を摘示してこれを為すことを要す」(民訴法191条2項)るものであり、ただ準備書面を添付したのみでは、原裁判所が判断の前提として、当事者の主張をいかなる趣旨のものとして理解したのか不明であり、到底事実摘示をしたものと言い難い。又、法律が判決における他文書の引用を、第一審判決の引用(民訴法391条)以外に認めていないことからしても、準備書面の添付により事実摘示とすることは許されないというべきである。してみると、原判決は控訴審における当事者の陳述につき事実摘示をしていないものというべく、判決に理由を附していないというべきである。
[28]一、外国人といえどもわが国に在住し、その統治権に服している以上、基本的人権を享受できることは当然である。
[29] 判例上も右の原則は確立しており(例えば、御庁第2小法廷昭和25年12月28日判決、民集第4巻12号683頁は、……いやしくも人たることにより当然享有する人権は不法入国者といえどもこれを有するものと認むべき……とし、御庁大法廷昭和39年11月18日判決、民集第18巻9号579頁は……法の下における平等の原則は、近代民主主義諸国の憲法における基礎的な政治原理の一としてひろく承認されており、また既にわが国も加入した国際連合が1948年の第3回総会において採択した世界人権宣言の7条においても、「すべて人は法の前において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。……」と定めているところに鑑みれば、わが憲法14条の趣旨は、特段の事情の認められない限り、外国人に対しても類推さるべきものと解するのが相当である。……と説く)、御庁昭和32年6月19日大法廷判決(刑集第11巻6号1663頁)も、……よつて案ずるに、憲法22条1項には、何人も公共の福祉に反しない限り居住・移転の自由を有する旨規定し、同条2項には、何人も外国に移住する自由を侵されない旨の規定を設けていることに徴すれば憲法22条の右の規定の保障するところは、居住・移転及び外国移住の自由のみに関するものであつて、それ以外に及ばず、しかもその居住・移転とは、外国移住と区別して規定されているところから見れば、日本国内におけるものを指す趣旨であることも明らかである。そしてこれらの憲法上の自由を享ける者は法文上日本国民に局限されていないのであるから、外国人であつても日本国に在つてその主権に服している者に限り及ぶものであることも、また論をまたない。……と述べている。
[30] 政府も例えば、法務調査意見長官回答として、「日本に在住する外国人も条約等特別の定のない限り日本国の統治権に服すること、従つて憲法の効力もこれに及ぶことには疑問がない。ところで憲法第3章は国民の権利義務という標題になつているが、個人に固有な権利は必ずしも日本国民に限つているものではなく、外国人も国民固有の権利を除いてはこれを享有できるものと解される。……」との解釈をとつている(甲第9号証)。
[31] 原審も「……いつたん適法に在留を許可された外国人は、その在留期間内は令24条に定める退去強制事由に該当しない限り、その活動は原則として自由であり、人種、信条、性別によつて差別されることはなく、思想、信教、表現の自由等基本的人権の享受においても、おおむね日本国民に準じて劣るところはない。……」(5丁)と説く。
[32] ところで基本的人権の中でも、思想・良心の自由および表現の自由は最も重要なものであり、その保障はわが国および上告人の母国アメリカ合衆国はもとより、すべての民主的近代国家によつて行われている。
[33] さらに世界人権宣言は、その第18条、第19条において、
第18条【思想、良心、宗教】すべて人は、思想、良心及び宗教の自由を享受する権利を有する。この権利は、宗教又は信念を変更する自由並びに単独で又は他の者と共同して、公的に又は私的に、布教、行事、礼拝及び儀式によつて宗教又は信念を表明する自由を含む。
第19条【意見、発表】すべて人は、意見及び表現の自由を享有する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段によりまた、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む。
と宣言し、又、1966年国連で採択された国際人権規約においても、
第18条【思想・良心及び宗教の自由】1 すべての人は思想、良心及び宗教の自由に対する権利を有する。この権利は、自ら選択する宗教若しくは信念を保持し又は採用する自由、及び、単独に又は他の者と共同して、また公開で又は私的に、礼拝、儀式、行事、及び布教によつて、自己の宗教又は信念を表明する自由を含む。
2 何人も、自ら選択する宗教又は信念を保持し又は採用する自由を侵害する恐れのある強制を受けることはない。
3 自己の宗教又は信念を表明する自由に対しては、法律によつて定められ、かつ、公共の安全、秩序、健康若しくは道徳又は他人の基本的権利及び自由を保護するために必要な制限のみを課することができる。
4 この規約の当事国は、両親及び適用しうる場合には法定後見人が自己の信念に従つて児童の宗教的及び道徳的教育を確保する自由を、尊重することを約束する。
第19条【表現の自由】1 すべての人は、干渉を受けることなく、意見を持つ権利を有する。
2 すべての人は、表現の自由に対する権利を有する。この権利には、国境を越えると否とにかかわりなく、口頭書面若しくは印刷物、芸術品の形式又は自ら選択したその他の方法により、あらゆる種類の情報及び思想を求め受け及び伝える自由が含まれる。
3 前項に規定する権利の行使は、特別の義務及び責任を伴う。従つて、この権利の行使には、一定の制限が加えられることがある。ただし、それらの制限は、法律に定められたもので、次の目的のために必要なものに限る。
(a) 他人の権利又は信用の尊重
(b) 国家の安全若しくは公共の秩序、又は公衆の健康若しくは道徳の保護
と定められており、いわば表現の自由の保障は国際的に確立した法理でもある。
[34] 以上の判例、政府見解、国際人権の法理からして、わが国に在住する外国人に対しても基本的人権の享受が認められるべきことは明らかであり、これに思想・良心の自由や表現の自由が含まれることも当然である。下級審ではあるが、判例もこの理を明らかにしている(東地決昭和42年11月23日行裁例集18巻11号1465頁、および東京高裁昭和44年12月1日決定、判例時報576号18頁など)。

[35]二、被上告人法務大臣の主張としても、外国人の政治的問題についての表現活動は必ずしも全面的に憲法の保障の対象外となるのではなく
(一) わが国の政治体制の変更を主張する活動
(二) 国民の参政権の行使に直接影響を与える活動
(三) わが国の特定の政策に影響を及ぼす活動
のみが憲法の保障の対象外だというのであり、より具体的には法務省入国管理局資格審査課長青山農証人が証言したとおり、外国人にも表現の自由の保障はある(同証人尋問調書7丁)のであり、従つてベトナム反戦を訴える行為や入国者収容所の待遇改善を訴える行為は何ら問題視されるようなものでは(31丁、32丁)ないということである。

[36]三、しかるに原審は、「……憲法上外国人は参政権を認められずわが国の政治、外交など日本国民が自主的に主権の行使として決定すべき事項に関し、純粋な学問上の見地からする批評や在留外国人が国際的礼譲の立場から許容される論評行為であればともかく、その域を越えて、これに干渉的言動を弄するがごときは、なんぴとの目にも本来望ましい事柄と見えるものとは必らずしもいいえないであろう。……(10丁)」と判示し、被上告人法務大臣の見解とも異り参政権をもたない外国人は政治的問題に関してはおよそ表現の自由の行使が原則として許されないという。しかしながら参政権と表現の自由の行使との関係をこのように考えることは不当である。すなわち、
[37](一) 参政権とは憲法第15条に規定する公務員の選定罷免権、同第96条の国民投票権などであるが、これは、国民が国の組織形成あるいは国政の運営に国の主権者たる地位にもとづき国の機関として行使する権能である(これは一種の公務である)。従つて、この機能は、国の主権者たる国民のみがこれを有するのが原則で、外国人はこれを有しないといえる。憲法第15条はとくに「国民固有の権利」と表現している。
[38] ところが、思想表現の自由は、五感を有する人間が物事にふれて感動し、あるいは物事について思考し、これをことばや動作で表わすことであり、あるいは音楽を奏で、絵を描き物を作る等の自由である。これは、人が人間として生きていることそのものであり、この自由なしに人間らしくは生きていくことができないものである。これは、人間としての根源的な自由である。
[39] ベトナム侵略戦争に反対するとの意思表示も、非人道的な入国管理行政に対する反対の意思表示も、その表現主体にとつては、人間としての良心から出発した思考の末やむにやまれずなした行為であり、その表現行為自体がその人にとつて生活なのである。
[40](二) しかも言論表現の自由は、人間個人にとつて不可欠の基本的人権のみならず、民主主義社会の健全な発展維持にとつて極めて重要な価値を有するものである。
[41] すなわち、民主社会は、唯一の絶対者の主張が絶対性を有するものではないのはもとより、多数者の見解も絶対的なものではなく、相対的なものにすぎず、少数者の見解・批判によつて是正されることが予定されているとする価値観の上に成立するものである。いかなる政策決定も、国民の自由な言論の批判にさらされた上で決定されなければならず、言論の自由競争のもとで得られた見解が最も大きな価値を有するのである。
[42] 従つて、民主政治は、国民の参政権の行使を保障するに止まらず、国の主権の下にある人民の政府の政策決定に対する批判の自由を最大限に保障するのでなければ成立しない。
[43](三) そして、これは、国の政策によつて直接に利益不利益を受ける在日外国人にも当然に保障されるのでなければならない。
[44] この点につき一審判決は、「……出入国管理法制および入国者収容所の待遇のいかんは、日本の政治問題であると同時に、在留外国人にとつて直接の利害関係をもつ問題であるから、在留外国人である原告がこの問題について日本国民に呼びかける行為は、日本の政治に対する干渉というよりは、原告自身の身分上の利害に関して日本政府および日本国民に善処を訴える行為という性質をもつものということができ……」としてこれを是認している、この論旨は正当であるが、なにも事柄は出入国管理法制等の問題にとどまらず、環境汚染の問題にしろ、物価の問題にしろ、税金の問題にしろ、およそすべての問題について、外国人に対しても統治に服することの反面として政策に対する批判や意見を述べる権利を保障しているというべきである。
[45] このことは、一面表現の自由が天賦の人権であることの帰結であるが、他面民主主義の原理のしからしむるところでもある。ところで、原審は外国人の表現の自由の行使について「干渉的言動を弄するがごとき……」という捉え方をするがかかる考え方は天賦の人権、国際人権としての「表現の自由」ということについて全く理解が欠如しているというべきであり、のみならず民主主義そのものの敵視という危険を内包しているといえる。そもそも、在留外国人の意見や批判について、その是非を判断し、それを政治に反映するかどうかを決めるのは国民自身である。国民を無責任な言動に惑わされる愚か者と決めつけ、政権担当者が外国人の言動を封じ込めることにより国民の利益を護つてやるなどという考え方は全く民主主義の理念と相容れないものである。
[46](四) なお、念のため参政権と表現の自由との関係についてさらに敷衍する。前述したように、同じく政治活動といつても、政策遂行について意見を述ベ、希望を表示する行為と、国民が国の機関として国の公務を行う権利たる参政権の行使とは重大な質的差異が存し、外国人に後者が保障されていないことは、当然に前者が保障されていないことになるものでない。そして、最近の文明諸国においては内外人平等主義が採用され、市民権については、外国人についてもこれを認めている。例えば「世界人権宣言」第18条(思想・良心の自由)、第19条(意見発表の自由)、第20条(集会結社の自由)は内外人を問わず保障される。これに対し、第21条の参政権は自国民に限定している。
[47] また前掲の「市民的及び政治的権利に関する国際規約」においては、第18条(思想・良心の自由)、第19条(表現の自由:但し戦争宣言や差別・敵意・暴力の煽動などは禁止)、第21条(集会の自由)、第22条(結社の自由)は市民的権利 civil rights に含ませ、政治的権利ないし政治上の権利 political rights として立法過程で検討されたものは、第25条に、前記の市民的権利とは分けて
「(a) 選挙における代表者を通じて公務の運営に参加すること
 (b) 投票権および被選挙権
 (c) 公務につくこと」
として区別している。
[48] 1950年11月4日ローマで作成された「人権および基本的自由の保護のための条約」(いわゆるヨーロツパ人権条約)も、第1条で「締約国は、その管轄内にあるすべての者に対して、この条約の第1節に明定する権利及び自由を保障する」とし、第9条(思想・良心の自由)、第10条(表現の自由)を保障している。政治的権利(自由選挙)については、別に1952年3月2日の「追加議定書」第3条に規定している。
[49] 1969年11月22日コスタリカで作成された「アメリカ人権条約」American Convention on Human Rights においても、第1章に「市民的および政治的諸権利」civil and political rights の規定を置き、第12条(思想の自由)、第13条(表現の自由)、第15条(集会の自由)、第16条(結社の自由)はすべての人(自国民にも外国人にも)に与えられるのに対し、第23条の参政権はその国民 citizen に与えられるとしている。
[50] 以上のとおりであるから、外国人は参政権をもたないゆえに政治的問題について意見を述べることも許されないとする原審の判断は、明らかに憲法第21条第1項の解釈を誤まつたものである。

[51]四、しかも原審判決の説くところによれば、外国人にとつて許されざるべき「表現の自由」の範囲は無限定のものであつて、外国人は凡そ一切の表現の自由の行使を許されないことになる。すなわち、原審は「……憲法上外国人は参政権を認められず、わが国の政治、外交など日本国民が自主的に主権の行使として決定すべき事項に関し、純粋な学問上の見地からする批評や在留外国人が国際的礼譲の立場から許容される論評行為であればともかく、その域を越えて、これに干渉的言動を弄するがごときは、なんぴとの目にも本来望ましい事柄と見えるものとは必らずしもいいえないであろう。……」と説く(原判決10丁)。
[52] ところで、右の「政治・外交など日本国民が自主的に主権の行使として決定すべき事項」という概念は、きわめて漠然としている。外交・防衛のみならず、文教・福祉・労働・公害など今日国民の日常生活のあらゆる分野が政治の対象になつていることは前述したとおりであり、仮に国会において採りあげられる問題を政治と呼ぶならば、政治でない問題はないといつても過言ではない。
[53] 第二に「純粋な学問上の見地からする批評」とか「国際的礼譲の立場から許容される論評行為」という概念はまつたく無内容である。原審は、合法的平和的な集会参加や母国の大使館への合法的平和的な抗議も右の許容範囲に含まれないとするのであり、これと質的次元を異にする穏当な方法などというものは実際問題として考えうべくもない。
[54] 要するに原判決の説くところでは、内容においても方法のうえでも外国人に許容される表現の自由の行使は無に等しい結果となる。
[55] しかも表現の自由の行使に対する制約には、明白かつ現在の危険という事情が必要と解すべきであるが、原判決は、「……これら個々の行動が、具体的にわが国の国益をそこなうような実害を発生せしめるものではないとか、また、そのようなおそれがないからといつて……」と判示(原判決11丁表)しており表現の自由の行使を不利益事情として採りあげるにつき、なんらかの実害発生のおそれすら必要なしとする。
[56] なお、被上告人法務大臣すら、問題となる政治活動とは、政治体制の変更の主張、国民の参政権行使に直接影響を与える活動、特定の政策に影響を及ぼす活動と限定していること前述のとおりで、「なんらかの実害発生のおそれ」すら必要としない原審の判断は全く独自のものである。
[57] 以上、結局、原審の説くところでは、在留更新につき不利益事情として採りあげらるべき表現の行為とは、その内容、方法の限定もなく、又何らの実害発生のおそれという要件もないものであるから、実際上在留更新を望む外国人としては表現の自由を全く享受しえない結果となるものである。これが前述の判例、政府見解、国際人権法理に反し、憲法第21条第1項の解釈を誤まつたものであることは明白である。
[58] 外国人に対しても憲法第14条が適用されるべきことは当然であり、前述したように、御庁昭和39年11月18日大法廷判決(刑集第18巻9号579頁)は、
憲法第14条は「すべて国民は、法の下に平等であつて、……」と規定し、直接には日本国民を対象とするものではあるが、法の下における平等の原則は、近代民主主義諸国の憲法における基礎的な政治原理の一としてひろく承認されておりまた概にわが国も加入した国際連合が1948年の第3回総会において採択した世界人権宣言の7条においても、「すべて人は法の前において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。……」と定めているところに鑑みれば、わが憲法14条の趣旨は、特段の事情の認められない限り、外国人に対しても類推さるべきものと解するのが相当である。
と説いている。
[59] ところで、とりわけ「すべての人の出入国の公正な管理」(出入国管理令第1条)を目的とする入管行政については平等原則は厳格に貫かれるべきであり、いやしくも思想・信条により不当に差別するが如きことは到底許されないものである。
[60] 而うして、前述したように、在留外国人に対する在留期間更新許可処分は、申請に対して不許可とされることは極めて少い現状であり(一審判決26頁裏)、従つて、少くとも在留目的に照して合理的な一定期間内は、更新許可が原則の取り扱いになつているといえる。してみると申請者の思想・信条を理由に在留期間更新を認めないなどという取り扱いは明らかに憲法第14条に反するものである。ところで上告人の一連の活動は、原審の認定する上告人の経歴(米国平和奉仕団としての活動など)からも明らかなように、またその合法的・平和的な態様(原審の引用する一審判決28枚目から29枚目)からも明らかなように、平和主義者としての思想・信条の表明に他ならない。
[61] しかるに原審は憲法第14条の解釈適用を誤まり、かかる思想信条による不利益取り扱いを肯認したものであり、破棄を免れない。
[62] 憲法第16条は「何人も、損害の救済……法律の改正……に関し、平穏に請願する権利を有する」ことを定め「何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」ことを保障している。憲法第16条が在日外国人に対しても適用されることは明白であり、政府も「請願権の行使は国に対し単なる受理の義務を課しているだけであるから、この権利は国民が国の機関として国の公務を行う権利である参政権とは性質を異にしている。なお、請願はその目的あるいは内容の如何を問わず、単に希望の表示にすぎず、また、外国人にも自己の生活を営む社会である国に対して希望をのべうる利益を享有させることには別段の支障もなく、さらに憲法はこの権利を『何人』に対しても与えている点等を考え合わすと、日本在住の外国人にも憲法第16条が適用されると解するのが正当」(甲第9号証)と表明している。ところで、上告人の行為中、就中昭和44年7月10日と12月7日の行動は出入国管理法の改正や入国者収容所の待遇について直接の利害関係を有する在留外国人として、日本国および日本国民に対し善処を求めたものであり、その方法が平穏かつ合法的なものであることからも、憲法上保障された請願権の行使と評価するのが至当である(一審判決もこの理を認めているものと解される)。ところで、法務大臣は、上告人の右行為を理由に、他の在留外国人と差別して在留期間の更新を拒否する本件処分を為したものであり、これが憲法第16条に違反すること明らかである。
[63] しかるに原審は憲法第16条の解釈適用を誤まり、かかる請願による差別を肯認したものであり、破棄を免れない。
[64] 原審は、自国内に外国人を受け入れるか否かは基本的にはその国の自由であるとし、このことから、入国のみならず在留期間の更新についても外国人には何ら保障がないとし、これが原判決の骨子の1つとなつている。しかしながら新規入国についてそのような見解に立つとしても、在留期間の更新にも直ちに同様のことが言えるかは疑問である。
[65] すなわち、前述したように、御庁昭和32年6月19日大法廷判決(刑集第11巻6号1663頁)は次のように説いて、外国人に対しても憲法第22条の適用あることを認めている。
……よつて案ずるに、憲法22条1項には、何人も公共の福祉に反しない限り居住・移転の自由を有する旨規定し、同条2項には、何人も外国に移住する自由を侵されない旨の規定を設けていることに徴すれば、憲法22条の右の規定の保障するところは、居住・移転及び外国移住の自由のみに関するものであつて、それ以外に及ばず、しかもその居住・移転とは、外国移住と区別して規定されているところから見れば、日本国内におけるものを指す趣旨であることも明らかである。そしてこれらの憲法上の自由を享ける者は法文上日本国民に局限されていないのであるから、外国人であつても日本国に在つてその主権に服している者に限り及ぶものであることもまた論をまたない。……
[66] 従つて外国人といえども、第22条第1項の居住の自由の保障の結果、合理的な理由の存しない限り、ひきつづき在留を求める権利があるものと解すべきである。
[67] なぜなら、第一に在留期間更新時には入国許可申請時とちがつて、外国人はわが国の統治権に服し、憲法で定める基本的人権を享受している。第二に、新規入国の場合には、入国しようとする外国人の人柄もわからず、日本に生活の本拠をもたず、入国後の行動にも不安があるが、期間更新の時点では、人柄もわかつており、日本に生活の本拠を有し、また、退去強制事由に触れるようなこともなく、長期にわたつて日本の社会に平穏に居住している者は日本国の安全を脅やかしたり、福祉を妨害したりしない者であることが実証されている。第三に現実の在留期間が在留目的に比し、著しく短く一律に決められ、従つて期間更新が数度にわたり認められることが原則となつている実情のもとでは、外国人は数度の期間更新を期待して在留を開始し、それなりの生活基盤を日本国内で築くのが普通である。以上の点に鑑みれば、在日外国人としては、憲法第22条1項により、公共の福祉に反しない限り、在留目的に照して合理的な期間内は在留期間の更新を受けることが保障されているというべきであり、これに反する原審は憲法第22条1項の解釈適用を誤まつたものというべきである。
[68] 原判決には、以下に述べるとおり、行政事件訴訟法第30条違反があり、これは判決に影響を及ぼすことが明らかであるので、原判決は破棄されるべきである。

[69]一、行政事件訴訟法第30条は「行政庁の裁量処分については、裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつた場合に限り、裁判所はその処分を取消すことができる」と規定しているが、右条項は裁量権の逸脱又は濫用があつた場合には、裁判所は当該処分を取消さなければならない趣旨を定めたものであることは言うまでもない。ところで原判決は、法務大臣の在留期間更新許可については出入国管理令第21条にいう「相当な理由」の有無は法務大臣の自由な裁量による判断に任されているとするが、「法務大臣の処分といえども、それが処分の理由とされた事実に誤認があり、または事実に対する評価が何人の目からみても妥当でないことが明らかである等、裁量の範囲を逸脱し権利の濫用である場合にはその処分は違法となることは一般の行政処分と異なるものではなく」(6丁裏9行目から7丁表2行目まで)と述べている。ところが原判決は法務大臣の上告人に対する本件処分については、上告人の行為はわが国の出入国管理政策に対する非難行動やアメリカの極東政策ひいて日米安保条約に対する抗議行動としてわが国の外交政策やアメリカ合衆国の国策を非難する行為であり、「なんぴとの目にも本来望ましい事柄と見えるものとは必ずしもいいえない」もので(10丁裏)、「法務大臣がその高度の政治判断によりわが国及び国民の利益に適しないとする以上、それがなんぴとの目からも妥当としえないことが明白であるとすべき事情のない本件では、右裁量を非難するのは相当でない」(11丁裏)としている。
[70] 要するに原判決は、法務大臣の本件処分は、なんぴとの目からも妥当としえないことが明白である場合に限り、裁量権の範囲の逸脱又は裁量権の濫用と判定できるとするものであるが、これは裁量的行政処分に対する司法権による統制の範囲を極端に狭く限局するもので、行政事件訴訟法第30条の解釈を誤つたものである。
[71](一) すなわち、処分が「なんぴとの目から見ても妥当としえないことが明白である」場合に限つて裁判所が行政庁の裁量処分に対して統制を加えられるにすぎないとすれば、当該行政庁の処分を妥当とする人が万に一人でもいれば処分は違法となしえないことになり、処分が裁量権の逸脱ないし濫用とされる場合は絶対に存在しえないことになる。原判決の右の文言を、通常の常識を備えた者のうち「なんぴとの目から見ても」と理解するとしても、行政庁の処分が一定の見解に基いてなされたものであり、狂人によつてなされたごとき支離滅裂のものでない限り、処分は違法となしえないことになり、やはり行政庁の裁量的処分が裁判所によつて裁量権の逸脱ないし濫用として違法とされる余地は全くありえないことになる。原判決が定立した右基準は、結局、行政庁の裁量処分に対する裁判所の統制権を全面的に否定することに等しいもので、行政事件訴訟法第30条に違反する。(このことはひいては一切の法律上の争訟について裁判所において裁判を受ける権利を定めた憲法第32条に違反することとなる。)
[72](二) 行政処分は、それが裁量的なものであつても、条理や憲法その他の法令の趣旨などによつておのずから限界があるのであり、(1)処分が行政庁の不正な動機や恣意によつてなされたものであるときなどに限らず、(2)処分の前提とされた事実に誤認があるとき、(3)処分が比例原則や平等原則などに違反する場合、(4)処分が社会通念上合理性を欠く場合、(5)当然考慮されるべき事項が考慮されず、考慮されてはならない事項が考慮されている場合、さらには(6)法が行政庁に当該権限を与えた趣旨、目的を斟酌したうえで、行政庁の権限がその権限を定めた法規の目的に従つて適法に行使されたとはいえない場合などにも処分は違法となるものである。
[73] 御庁の判例も、裁判所の行政裁量処分に対する統制の範囲を右のように定めている。たとえば(イ)御庁昭和29年7月30日第3小法廷判決(民集8巻7号1463頁)は、公立大学学生の懲戒処分取消請求事件につき、懲戒処分は学長の裁量に任されるが、全く事実の基礎を欠く場合や、処分が社会通念上著るしく妥当を欠くものであるときは裁判所の判断に服するとし、(ロ)御庁昭和30年6月24日第2小法廷判決(民集9巻7号930頁)は、食糧管理法にもとづく産米の供出個人割当額の決定方法は行政庁の裁量に任されているが、「行政庁は何等いわれがなく特定の個人を差別的に取扱いこれに不利益を及ぼす自由を有するものではなく、この意味においては、行政庁の裁量権には一定の限界があるものと解すべきである」と判示し、(ハ)御庁昭和44年7月11日第2小法廷判決(民集23巻8号1470頁)は、旅券法13条1項5号所定の事由にあたるとしてなした外務大臣の旅券発給拒否処分の適否につき、「裁判所はその処分当時の旅券発給申請者の地位、経歴、人がら、その旅行の目的、渡航先である国の情勢、および外交方針、外務大臣の認定判断の過程、その他これに関するすべての事実をしんしやくしたうえで、外務大臣の右処分が同号の規定により外務大臣に与えられた権限をその法規の目的に従つて適法に行使したかどうかを判断すべき」で、その判断は「ただ単に右処分が外務大臣の恣意によるかどうか、その判断の前提とされた事実の認識について明白な誤りがあるかどうか、または、その結論にいたる推理に著るしい不合理があるかどうかに限定されるものではない」と判示し、(ニ)御庁昭和48年9月14日第2小法廷判決(民集27巻8号925頁)は、地方公務員法28条による地方公務員の分限処分につき、「任命権者にある程度の裁量権は認められるけれども、もとよりその純然たる自由裁量に委ねられているものではなく、分限制度の上記目的と関係のない目的や動機に基づいて分限処分をすることが許されないのはもちろん、処分事由の有無の判断についても恣意にわたることを許されず、考慮すべき事項を考慮せず、考慮すべきでない事項を考慮して判断するとか、また、その判断が合理性をもつ判断として許容される限度を超えた不当なものであるときは、裁量権の行使を誤つた違法のものであることを免れないというべきである」と判示している。
[74] 御庁の右の各判例が判示するように、裁量処分について、裁判所はその内容に立入つて審査し、その判断の当否を判定すべきなのであり、処分の前提となつた事実の誤認がある場合のみならず、裁判所は憲法や法令さらには条理や社会通念によつて形成される法秩序全体の観点から、法が行政庁に与えた当該権限の趣旨、目的に照らして、当該行政処分が憲法その他の法令や条理、社会通念などに反し、合理性を欠く場合においては、当該処分を裁量を誤つたものとして取消すべきである。
[75] ところで原判決は、前記のように「法務大臣の処分といえども、それが処分の理由とされた事実に誤認があり、または事実に対する評価が何人の目からみても妥当でないことが明らかである等」の場合には処分は違法となるとしたが、本件処分については、「それがなんぴとの目からみても妥当としえないことが明白である」か否かのみを基準として、本件処分を適法とした。
[76] しかし、右の基準に依拠するとなると、(一)において述べたごとく、万人の目からみても処分が妥当でないことが一見明白である場合にのみ処分が違法となることになり、処分が違法となるのは、処分理由が一見して外見上支離滅裂であるような例外的場合に限られることになり、およそ処分の判断過程に立入つた司法審査はありえないことになろう。御庁の前記各判例は、比例原則や平等原則違反の場合、他事考慮の場合、行政庁に当該権限を与えた趣旨目的や憲法を頂点とする法秩序全体や社会通念に反し合理性を欠く場合などにおいては、裁判所は裁量処分といえどもこれを違法とすべきことを判示しているが、原判決は、これらの観点からする裁判所の裁量的行政処分に対する統制を全く否定するに等しい。
[77] よつて原判決は、行政事件訴訟法第30条の解釈を誤つたものであり、御庁の前記各判例に違反するものである。

[78]二、本件処分は、前記(2)乃至(6)の基準や前記最高裁判所の各判決が定立する基準に従つて、裁量権の逸脱ないし濫用の有無を審理されるとすると、後記(上告理由第一一点)のとおり、本件処分は違法となり取消されるべきものとなるので、右法令違反が判決に影響を及ぼすことは明らかである。
[79] よつて原判決の破棄を求める。
[80]一、原判決は、「適法に在留を許可された外国人は、その在留期間内は令24条に定める退去強制事由に該当しない限り、その活動は原則として自由であり、人種、信条、性別によつて差別されることはなく、思想、信教、表現の自由等基本的人権の享受においても、おおむね日本国民に準じて劣るところはない」とし、被上告人が本件処分の理由とした上告人の行為については、「右のごとき一連の政治活動も、これが在留外国人によつて在留期間内になされたのであれば、さきにみたように外国人にも許される表現の自由の範囲内にあるものとして格別不利益を強制されるものではなく、またそれ自体で退去強制事由を構成するものとすることも困難であろう」と述べるが、「適法に在留する外国人はその定められた在留期間内に在留目的を達成して自ら国外に退去するのがたてまえであり」、令第21条は「更新を相当と認めるに足りる相当の理由があるときに限りこれを許可することができる」と定めているから、右の相当の理由の有無については法務大臣の高度の政治的配慮を含む自由な裁量に任されており、「法務大臣が在留期間更新の申請を拒否するには令5条1項11号ないし14号の上陸拒否事由、あるいは令24条の退去強制事由に準ずる事由がなければならないと論ずることは妥当でない」とし、上告人の行為は、わが国の出入国管理政策に対する非難行動や、わが国の外交政策を非難し、アメリカ合衆国の国策を非難し、日米間の友好関係に影響なしとしないものであるから、法務大臣が高度の政治判断のもとにこれをもつて日本国及び国民のため望ましいものとせず、更新を相当と認めるに足りる相当の理由がないと判断して本件処分を行つた以上、それがなんぴとの目からも妥当としえなことが明白であるとすべき事情がない本件では、法務大臣の裁量を違法とすることはできないと判示した。
[81] しかし、原判決は、以下に述べる諸点において令第21条の解釈適用を誤つたもので、同条に違反するものであり、いずれの点も判決に影響を与えるものである。

[82]二、まず原判決が、令第21条の定める在留期間更新制度について、在留外国人は定められた在留期間内に在留目的を達成して自ら国外に退去するのがたてまえであると述べ、在留期間の更新は例外的な場合に限られるかのように判示しているのは、令第4条第2項の定める在留期間の制度及び令第21条の在留期間更新制度の趣旨を誤解するものであり、またその運用の実態を無視するものである。
[83] 令第4条第1項は、在留資格を定め、同条第2項および出入国管理令施行規則第3条第1項は、右在留資格に対応して、15日、60日、1年、3年の在留期間を定めている。また令第4条第1項16号の法務省令で定める在留資格については、特定の在留資格及びその在留期間を定める省令(昭和27年5月12日外務省令第14号)が在留資格を定め、在留期間については、180日、3年、3年をこえない範囲で法務大臣が指定する期間というように定めている。
[84] しかし、右の在留期間とその在留資格との関係をみると、そのほとんどいずれも定められた在留期間内に在留資格の定める在留目的を達することは困難で、在留目的の達成のためには多くの場合在留期間の更新を必要とするものである。たとえば、「本邦の学術研究機関又は教育機関において特定の研究を行い又は教育を受けようとする者」(令第4条第1項6号)の在留期間は1年と定められている(施行規則第3条第1項3号)が日本国内の大学に留学生として入学するために上陸する外国人は、最低限4年間の在留を必要とすることは、その在留資格の内容から言つて当然のことで、必ず3回以上の在留期間の更新が必要である(留学生は、最初の1年間は日本語の習得に費すのが通例であり、更新がなされなければ来日の意義は全く失われる。)「本邦で音楽、美術、文学、科学その他の芸術上又は学術上の活動を行おうとする者」(令第4条第1項8号)にしても、「本邦でもつぱら熟練労働に従事しようとする者」(同13号)にしても、1年と定められた在留期間内に在留目的が達せられる場合はむしろ例外であろう。上告人に対して与えられた在留資格は、令第4条第1項16号、特定の在留資格及びその在留期間を定める省令第1項3号により、法務大臣が定めたもので、その在留期間は通常1年間とされているが、日本国内の英語教育機関で英語教師として勤務するとの在留目的が1年で達成されることはありえないことである(英語教師の場合は、最初の数ヶ月は教育方法についての研修に費されるのが通例である。)1年で次々と教師が交代するのでは英語教育機関としては正常な教育を行いえないことになるし、英語教師として在留しようとする外国人の側でも、1年で勤務を終えて帰国しなければならないという条件では、英語教師になる者はいなくなるであろう。少なくとも英語教育を志して、そのために来日しようとする熱心で真面目な教師はいなくなるであろう。
[85] 実際にも、在留期間更新制度の運用の実態をみるならば、在留期間は一応の期限を定めたものにすぎず、在留期間は更新されるのが原則であり、更新の不許可は極めて例外的な場合にしか行われていないことは、極めて明確である(この点は第一審判決も認めるところである。第一審判決26丁裏)。すなわち甲第7、8号証は、法務省作成の「法務統計月報」であるが、昭和45年5月の在留期間更新申請に対する処理既済件数は9490件であるが、うち9258件(約97.6%)が許可となり、187件(約2%)が資格の修正変更にまわされ(ほとんど全てが許可となる)、不許可とされたのはわずか14件(約0.1%)にすぎない。昭和45年9月における既済件数は10722件であるが、うち10500件(約98%)が許可となり、139件(約1.3%)が資格の修正変更にまわされ(そのほとんど全てが許可となる)、不許可とされたのは26件(約0.2%)にすぎない。在留期間更新申請に対する不許可処分のなされる率は、年間の平均値をとつてみてもほぼ右と同様であり(法務省の昭和45年度「出入国管理統計年報」169頁)、不許可処分が極めて例外であり、更新が許可されるのが原則であることは統計上も明らかである。また甲第7、8号証によつて明らかなとおり、「資格取得」の受理件数に比べて「期間更新」の受理件数は約8倍であるが、これは、一旦在留資格を取得した者が、数回以上に亘つて在留期間の更新を許可されていることを示すものである。
[86] 被上告人法務大臣も在留期間が在留目的を達成するに十分な期間であるとは主張しておらず、被上告人は在留期間の最長を3年に限つているのは、「本邦への上陸審査において、上陸許可要件のうちにはその性質上十分な審査が困難なものもあることにかんがみて、許された在留期間内における外国人の在留状況からみて、更に在留を認めるか否かについて再審査する機会を確保する必要があるからである」(昭和46年7月3日付準備書面第一項(一)と主張し、在留期間が在留目的に照らして短かすぎることを認め、在留目的達成のためには在留期間の更新が必要であることを認めており、出入国管理令が、在留期間を短期とし、期間更新制度を設けたのは、上陸審査において上陸許可要件の有無を十分に審査することが困難であるために、再審査の機会を設定したものであると理解しているのである。
[87] 令第21条第3項は更新を適当と認めるに足りる相当な理由があるときに限りこれを許可することができると定めているが相当な理由がある場合には許可をすべきことを定めたものであることは言うまでもなく、また更新を適当と認めるに足りる相当な理由の有無は、もとより法務大臣が恣意的にこれを認定できるものではなく、以上に述べた在留期間及び在留期間更新制度の趣旨、在留期間更新制度運用の実態にもとづき客観的かつ公正に(令第1条)認定するのでなくてはならないのである。
[88] よつて、在留期間更新は、在留の必要性が依然として存在する限り、許可されるのが原則であり、不許可とされるのは、上陸許可要件が存在しないことが判明したり、在留状況が特に好ましくない等特段の事情が認められる例外的な場合に限られるというべきである。
[89] 原判決が、在留期間は更新されないのが原則であるとして、令第21条第3項の相当な理由の有無については法務大臣の自由な裁量による判断に任されているとしたのは令第21条の解釈を誤つたものである。

[90]三、さらに、原判決は、在留期間更新が法務大臣の自由な裁量にまかされていると判断する根拠として、「このことは外国人の受入れが基本的には受入国の自由であることに由来する」と述べるが、右の原則は、国家が外国人を受入れるか否かについて他国から干渉を受けないとの国際法上の原則にすぎず、各国が外国人の受入れについて国内法をどのように定めることもできるという原則にすぎない。各国の国内法がこの点について外国人の受入れ拒否事由を法定した場合には、政府が国内法によつて外国人の受入れ拒否を制約されることは当然である。そこでわが国の出入国管理令をみると、令は第4条第1項の在留資格を有する者で令第5条第1項に定める上陸拒否事由に該当しない者に対しては入国審査官は上陸を許可しなければならないとして(令第9条第1項)、外国人の入国の拒否ができる場合を法定しており、右事由に該当しない場合には入国を拒否できないのである。このようにわが国の国内法においては、外国人の受入れが自由裁量にまかされている事実はない。原判決が、外国人の受入れはわが国の自由であるとするのは、明らかに誤りである。さらにいつたん在留を許可されて在留をする者は、在留期間更新がなされることを前提として、在留目的に従つてわが国内において生活の基礎を築いているものであり、新たに入国しようとする者とは異り、在留を不許可とされることは生活の基盤を崩され、在留目的を途中で放棄させられることになり、大きな不利益を蒙むることになる。前記のとおり在留期間更新の実態において、更新許可が原則となつている事実からすれば、在留外国人は在留期間更新を受けるべき期待権をもつていると言うべきである。したがつて、在留期間更新の許否に当つての法務大臣の裁量権の範囲は、上陸許否の場合の入国審査官の裁量の範囲より更に狭いものであると言わなければならない。
[91] このように、原判決は、わが国において外国人の受入れが自由であるとする点において重大な誤りをおかしているものであり、入国の許否と在留期間更新とを同次元におき、入国の許否が自由であるから在留期間更新の許否も自由であるとする点においても二重の誤りをおかしているものである。原判決には、右の点において令第21条の解釈を誤つた違法がある。

[92]四、原判決は、令第5条第1項11号ないし14号の上陸拒否事由あるいは令第24条の退去強制事由に準ずる事由がなければ在留期間更新を不許可にできないとするのは妥当でないとする。
[93] しかし、原判決も認めるとおり、在留外国人にも憲法によつて思想、表現の自由などの基本的人権が保障されており、政治活動を行つたことによつていかなる不利益も課せられないのである。そして政治活動を行つたことを理由として在留更新を不許可とすることが許されるのであつては、不利益を受けることを覚悟しなくては在留期間中においても政治活動を行い得なくなり、在留外国人から政治活動(思想、表現行為)の自由を奪うことに全く等しく、憲法第16条、第19条、第21条に違反する。したがつて、在留中の政治的活動を理由として在留更新を不許可にすることはできない。したがつて、政治活動を理由として在留更新を不許可にすることができうるとすれば、少なくとも憲法の保障する基本的人権の内在的制約として、令第5条第1項11号ないし14号、令第24条第1項4号オないしヨが定める事由があるときに限られることになるのは当然である。いかに自由な裁量処分であつても憲法に牴触する処分が違法となることは当然であり、原判決はこの点においても令第21条の解釈を誤つたものである。

[94]五、原判決は、法務大臣の本件処分は自由裁量処分であり、それが違法となるのは、「なんぴとの目から見ても妥当としえないことが明白であるとすべき事情」があるときに限られると判示するが、本件処分が法務大臣の自由裁量に任されている処分であつても、それが条理や憲法その他の法令の趣旨に違反するときは、裁量を誤つたものとして違法となることはいうまでもないことであり、前記御庁昭和30年6月24日第2小法廷判決(民集9巻7号930頁)が判示するとおり、「平等原則」に違反するときは、処分は裁量を誤つたものとして違法となるものである。
[95] 法務大臣は、上告人の出入国管理政策反対行動やベトナム戦争反対行動を理由として本件処分を行い、原判決は上告人の右の政治活動を理由とする本件処分を是認したが、本件処分は、上告人の右のような社会的、政治的思想信条及びこれにもとづいた表現活動を理由として上告人に不利益処分を課したものにほかならない。これは、思想、信条による差別であり、出入国管理政策を批判する者とそうでない者、ベトナム戦争に反対する者とそうでない者、日本政府を批判する者とそうでない者、米国政府を批判する者とそうでない者とを差別するものであるから、憲法第14条の定める平等原則に違反するものである。
[96] また、上告人と同じ在留資格(4-1-16-3)で英語教師として在留する外国人は、英語教師としての在留の必要性が存続している限り、何回でも在留期間更新許可を受けているものであり(甲第18、19号証、証人亀井靖嘉の尋問調書38丁、第一審判決26丁裏)、右の在留資格に限らず、在留更新の実務としては、更新許可が原則であり不許可が例外であることは前述のとおりである。上告人には、英語教師として勤務しそのかたわら日本の古典音楽を習得するという在留の必要性がなお存続していたにもかかわらず、本件処分をなしたのは、平等原則に反するものである。
[97] 出入国管理行政において、行政の大原則である平等原則が排除される理由は全くないし、むしろ出入国管理令第1条は出入国管理が公正になされるべきことを規定しており、平等原則に従つた行政が行われるべきことを特に要求しているものである。令第21条による在留期間更新許否処分は平等原則にもとづいたものでなくてはならない。
[98] 原判決は、本件処分が平等原則に違反し裁量を誤つたものとして取消すべきであつたのに、この点を看過したもので令第21条の解釈を誤つたものである。

[99]六、令第21条第3項は「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当な理由があるときに限りこれを許可することができる」と定めているが、右の「相当な理由」とは、更新を適当と認めるべき理由であるから、在留を更に継続する必要性が認められるかが、最も重視されなければならない。在留を認めるべきでない事情は、在留の必要性が認められてはじめて問題にできるのであり、しかも在留の必要性との比較において、在留を否定するに足りるだけの不適当な事由があるかが問題にされるのでなくてはならない。
[100] ところが原判決は、本件において在留更新の必要性が存在することを全く考慮せず、必要性が存在することとの比較において更新不適当事由を判断することをせず、もつぱら不適当事由の存在についてのみ考察しているものである。
[101] すなわち原判決は、令第21条3項の「相当な理由」を判断するうえで必ず考慮に入れなければならない上告人の在留の必要性を全く考慮に入れていないもので、この点においてすでに令第21条第3項の解釈を誤つているものである。

[102]七、原判決は、法務大臣の在留更新不許可の処分は、それが「なんぴとの目から見ても妥当としえないことが明白」でなければ裁量を誤つたと判定できないとするが、令第21条第3項は、「更新を適当と認めるに足りる相当な理由があるとき」は在留期間更新を許可すべきことを定めたものであり、また「更新を適当と認めるに足りる相当な理由があるとき」とは、法務大臣の主観において「適当と認める」場合を言うものでないことは当然であり、右の「相当な理由」とは、出入国管理令が定める在留期間制度の趣旨、在留期間更新制度の趣旨およびその運用の実態、法が法務大臣に更新許可の権限を与えた趣旨・目的、さらには憲法その他の法令、条理、社会通念などによつて客観的に定まる「相当な理由」であることは言うまでもない。したがつて裁判所は、司法権の行使(憲法第76条1項)として、独立した独自の立場において令第21条を解釈適用し、在留期間更新許可申請に「更新を適当と認めるに足りる相当な理由」があつたか否かを判断すべきである。
[103] 本件において上告人に在留期間更新を認めるに足りる相当な理由があつたかは、前記のとおり在留期間の性質、在留更新制度の趣旨および実態などを考察するほか、上告人の在留の必要性の有無がまず判断されなければならず、さらには更新を不許可にすることによつて生ずる上告人あるいは関係人の不利益の性質および程度、更新を不許可にすることによつてもたらされる利益などを総合的に考慮することによつて判定されるべきである。
[104] そして、法務大臣の本件在留期間更新不許可処分(相当の理由なしとした処分)の適否は、憲法を頂点とし、その他の法令によつて形成される法秩序の全体、条理や社会通念に照らして判定されるべきであり、処分が当然考慮すべきである事項を考慮せず、考慮すべきでない事項を考慮して行われたものであるとか、憲法その他の法令や社会通念に照らして合理性をもつ判断として許容される限度を超えたものであるときは、裁量を誤つたものとして取消されるべきである(同旨、御庁昭和48年9月14日第2小法廷判決、民集27巻8号925頁)。原判決が、「なんぴとの目からみても妥当としえないことが明白」な場合以外に法務大臣の裁量を非難できないとするのは誤りである。
[105] そこで本件についてみるに、上告人には、英語教師として英語教育に従事し、そのかたわら琵琶、琴の修練を積み日本古典音楽の研究に励んでいたもので、これらの目的は、その性質上1年で達成されるはずのものではなく、本件更新申請を行つた当時、さらにわが国に在留して目的遂行を続行する必要があつたものである。
[106] またすでに述べたとおり、在留期間はその在留目的に照らして短かきに過ぎるもので、目的達成のためには当然更新を必要とするものであり、在留期間は在留状況チエツクのための一応の定めで、もともと更新を予定しているものであり、在留更新の運用の実態においても更新許可が原則であり不許可は例外である。したがつて在留の必要性が存続する限り、特段の事情がないかぎり更新申請が不許可とされない期待権を上告人はもつていたものである。
[107] また、上告人が在留更新を不許可とされた場合には、在留目的を中途で放棄させられることとなり、国内において築いた生活の基盤を根底から覆されることとなる。そればかりか、上告人の勤務先およびそこで上告人から英語教育を受けている者は良き教師を失うことになり、また日本の伝統音楽は外国人に承継されるという極めて貴重な機会を逸することになる。
[108] さらに政治活動を理由として更新不許可の不利益処分を課すということは、上告人の思想、表現の自由など憲法上の基本的人権を侵害するものである。また外国人に対してこのような基本的人権すら否認するということは、国際的慣行、世界人権宣言その他に違反し、わが国の国際的信用を失なわしめるものであり、米国との友好親善にも悪影響をもたらすことになるであろう。
[109] ところが、上告人の在留更新申請を不許可にすることによつてもたらされる利益は何であろうか。本件で問題とされた上告人の政治活動は、令24条4号ヨに掲げる「日本国の利益又は公安を害する行為」に該当するようなものでは毛頭ないことは原判決もこれを認めるところである(原判決9丁裏)。原判決は、上告人の行為は「日米間の国際友好関係に影響なしとしえないものに属する」と述べるが、上告人の行為が具体的にわが国の国益をそこなう実害を発生せしめるおそれがないものと判断しているようである(原判決11丁表10、11行)。上告人のベトナム戦争反対、カンボジア侵入反対の行動は、米国政府の政策に対する批判であり日本政府の政策に対する批判ではない。上告人が日本政府の外交政策や日米安保条約に対する論評を行わないように特に注意を払つていたことは明らかである(第一審判決31丁裏、甲第15号証)。上告人の反戦活動が日本政府の外交政策に影響を与えるものでなかつたことは全く明らかである。また「日米間の国際友好関係」が上告人の行為によつて悪影響を受けることも全くありえないことである。
[110] 「国際友好関係」は政権を担当する政府間によつてのみ形成されるのではなく、国民と国民との間において広く形成されるものであるから、上告人の行為の影響は、一政府の政策に対するものとしてとらえるのではなく、国全体、国民全体のレべルにおいてその友好関係に悪影響があるかとしてとらえなければならない。米国政府のベトナムなどでの戦争政策に対しては、米国内においても嵐のような批判が巻き起つていたものであつて上告人の行つたような反戦活動は米国内においても合法的なものとして許容されていたものである。このことはわが国内においても同様であり、国民の多くは、米国のベトナム戦争に反対し反戦活動を行つていたものであるし、上告人の行為はわが国内においても合法的であり許容されていたものである。したがつて、上告人の反戦活動が日米間の友好関係に悪影響を与えるなどということは全くありえないことである。また上告人の出入国管理政策批判活動は、自己の権利にかかわる問題に関する請願的行為であり、その態様は平和的かつ合法的なものであつた。上告人の批判活動はわが国の出入国管理政策に不当な影響を与え、政策に支障を生じさせるようなものでは全くなかつた。わが国は民主主義の原理のもとに成立しているが、民主主義社会においては、政策決定の価値は、それが人民の自由な言論の批判にいかにさらされたかによつて決まるのであり、上告人の行為は、わが国の出入国管理政策の向上に寄与したものと評価されるべきすじあいのものである。出入国管理政策は、それを受ける側の在留外国人の批判にさらされることによつて最も価値あるものとなるものである。このように、本件在留更新申請の不許可によつてもたらされる利益は何もないに等しい。
[111] また原判決は、上告人の行為について法務大臣が高度の政治判断により日本国および国民のため望ましいものとしなかつた判断を尊重するべきであると述べるかのようであるが、そもそも上告人の行為は一私人が出入国管理の問題やベトナム戦争についてビラを配布したり集会やデモに参加したにすぎないもので、もともと高度の政治判断を要する問題ではありえないものである。裁判所が司法判断を抑制しなければならない高度の政治問題とは、いわゆる「統治行為」のごとく、国家の統治の基本に関する高度に政治性のある問題であつて、一私人にすぎない上告人の在留期間更新を許可すべきか否かなどという本件問題は、裁判所が行政庁の高度の政治判断を尊重すべき性質の問題とは全く性質を異にするものである。上告人の在留期間更新を許可すべきか否かが「高度の政治判断」によつてなされるべきであるとする法務大臣の判断は、それ自体著るしく合理性を欠くものである。
[112] 以上述べたところから明らかなように、本件では、上告人には在留期間更新を受ける必要があり、わが国内においても上告人の在留を必要とする事情があつたものである。これに対して、上告人に対しあえて在留期間更新を拒否するべき合理的な事情はなかつたものであり、上告人の在留継続が、わが国や国民に不利益をもたらすおそれは全くなかつたものである。そして法務大臣が上告人の政治活動を更新不許可の理由とすることは、憲法第16条、第19条、第21条によつて保護されるべき上告人の権利を不当に侵害することになるものである。
[113] したがつて法務大臣の本件不許可処分は、更新を認めるに足りる相当な理由があつたにもかかわらず、相当な理由がないとしたものであり、しかも相当な理由がないとの判断は、右にみたように考慮すべき事情を考慮せず、考慮すべきでない事情を考慮したものであり、また本件処分によつて発生する被侵害利益の重大性に比較して、本件処分によつて守られる利益が存在しないなどの点において著るしく合理性を欠き、法が定めた在留更新許可制度の趣旨を没却したものである。よつて本件処分は裁量権の行使を誤つた違法な処分として取消されるべきである。
[114] 原判決には右の点において令第21条の解釈を誤つた違法がある。

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